明治民法(明治29・31年)

法典調査会 民法議事速記録 第123回

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第百二十三回法典調査会議事速記録
出席員
箕作麟祥 君
土方 寧 君
村田 保 君
岸本辰雄 君
田部 芳 君
穂積八束 君
奥田義人 君
穂積陳重 君
梅謙次郎 君
富井政章 君
横田国臣 君
長谷川喬 君
中村元嘉 君
議長(箕作麟祥君)
それでは会議を始めます。
〔書記朗讀〕
第七百二十九条 胎児ハ損害賠償ノ請求権ニ付テハ既ニ生マレタルモノト見做ス
(参照)一、人一、二、フランス民法八、七二五、オーストリア民法一八、二二、二三、オランダ民法二、三、イタリア民法一、七二四、ツューリヒ民法八、九、グラウブュンデン民法五、スペイン民法二九、三〇、ベルギー民法草案五〇、七四三、ドイツ民法第一草案一、七二三、同第二草案一、七六七、二項、ザクセン民法三〇、三二乃至三四
穂積陳重君
本案を提出するに当りまして、第一章に「私権ノ享有」に関する一般の規定を掲げました。その節に吾々の中からも説明致しましたが、諸国の法典に於きましては、私権享有の一般の規則と致しまして、或はこの胎児もその利益を享けるの点に付いては既に生まれたるものと見做すという規定が、諸国に掲げてある例があります。しかしながら如斯広く規定を致しますると、或はこの民法上に於きましては、少しでも利益にでも為ると解釈の出来る場合には、すべて胎児も生まれたるものと同じように取扱われて、事に依ると意外の結果を生ずることがあるかも分らぬと思います。それで諸国の規定にその総則が当る所を見ますると、重に相続、遺贈、或は損害賠償等の場合にのみ適用を見るのでありまして、総則の外にも又重ねて相続、遺贈或は不法行為等の処に規定してある例が多いのであります。それ故に一般に規定することは止めて、特に胎児を既に生まれたるものと同様に看做すという場合に、その明文を置くということを申上げて置きました。本条の場合が即ちその一つでありまして、損害賠償の場合に於て、例えばその親を殺されましたが為めにその胎児が受くべき利益を失う、親の生命を害されましたが為めに自分が利益を失いまするような場合が殊に多うございます。で本条の適用は主として、人を殺した場合に当るのであります。時としては、自由侵害などに当ることもありますが、多くはまず親が殺された、それが為めに自分の受けまする財産を失いまするような風の場合に当ります。それでやはり他にも、この例が多うございまして、一般の規定には之を掲げませぬ。でこの「不法行為」の場合に掲げてあります。それ故にそれに倣って、この処に特別の明文を置いたのであります。
田部芳君
この処で申して宜しいか、或は外の場所が宜しいか、その辺は分りませぬが、この処に関係のある事でありますから申しますが、即ち損害賠償の請求権はその種類の如何に拘わらず総て相続が出来る。即ち種類を区別せぬで相続が出来るとか出来ぬとかいう区別を付けては書かないのでありますか。
穂積陳重君
国に依りましては、この損害賠償の権は、或は種類は之を相続しないものであるという明文のある処もあります。それ故に、畢竟御質問の出たことと思いますが、私共はその区別をしませぬ。理由は全く斯ういう債権というものが一身に専属するものでありますれば、独り不法行為に属するもののみならず、外のものでもその相続すべきものと相続すべからざるものの区別があるであろうと思います。それ故にどういうものは相続が出来る、どういうものは相続が出来ぬという、この処に明文を置くのは甚だ危いことと考えましたのであります。それ故に、本案にはその区別を総て致しませなんだのであります。私一人の考でありまするというと、全くその利益というものが相続と共に移るものでない性質のものがあり得ると思います。若しそういうことがあるならば総て一般の場合に於ては、多分相続法の規定からして、是が移るように為りはしますまいが、この権利の或るものは移り、或るものは移らぬという区別が、若し必要ならば相続法で規定するのが、却て穏当ではありますまいか。とにかく之をこの処に区別をするのは、余り必要を見なかったというのも、私の原案を提出しなかった一つの理由でありました。
議長(箕作麟祥君)
之は不履行の方の損害賠償の方は無いのでありますか。不法行為から生ずる損害賠償計りでありますか。
穂積陳重君
不履行のことでありますると、既に損害賠償というものの請求権というものが、その当事者に生じて居りますからそれを承け継ぐ、相続致しまする場合に承け継ぐか承け継がぬかという問題に帰すると思います。之は他人が既に持って居る債権を承け継ぐか承け継がぬかという問題でなくして、胎児自身が未だ生まれぬでも、己れの権利を害されたか否やという問題に属して居る積りであります。親が殺されましたとか、或は親が殺されましたに因って或る年金その他受くべき財産を失うという結果、生まれた後に受け得られぬように為るという結果が生じます。そんな場合を重もに見て居ります。
土方寧君
ただ今、田部君の御質問のこの胎児が相続することの出来る種類の権利、損害賠償の請求権の種類のことに付いては、この場合には極めない、若し極めるならば相続法に極めるということでありましたが、そうすれば、この条も胎児の損害賠償の請求権というものは、例えば親が殺された場合にその親の請求権に付いて言う場合でありますか。親が生きて居るならば請求権があるのに、それが死んだというので受けられぬ場合を言うのでありますか。私は初め考えたには、胎児が、加害行為があった当時に胎児が生まれて居ったということであれば、胎児の権利を現に侵されたものと言うことが出来るが、胎児が生まれて居なかった、一般の法律で済極めてある一人前の人間でない、けれども生まれますれば権利を得るというので、果して一人前に為って居る。人間であるということならば、後とへ戻って被害当時に生まれたものと同様に見て、胎児の固有の権利を得るということに為ったのであろうと思いましたが、相続ということが這入るというと、少し意味が違って来はしないかと思います。
穂積陳重君
ただ今御答えを致しました質問も、本条に関係はありませぬ。御解釈の通り、胎児自身が権利を侵された。例えば、親が殺されたが為めにその養料を得ない。そうすると胎児自身がその権利を侵されたと本条は看る。
土方寧君
その点はよく分りましたが、この七百三十一条の次に今度追加に為って蒟蒻版が出て居りますが、この場合は他人の生命を害した場合に、「被害者ノ父母、配偶者及ヒ子」とあります。そうしてこの七百二十九条の、今問題に為って居る箇条の適用を見るのは、多く人を殺した場合。そうすると七百三十二条の追加に為ろうという場合と同じ場合、その場合は胎児が生まれて居る場合を想像して居りましょうが、未だ生まれませぬでもその時は損害賠償を請求する権利があると看て置かれたものと看て、親が殺された場合と見るものに限っては不都合はありませぬが、先刻親が自由を害されたということを仰っしゃったが、そういう場合に子の権利を害されたということがありますか。実際無さそうに思いますが、ちょっと実際の事を御尋ね致します。
穂積陳重君
生命を害された場合は重に適用があるということを申しました。身体を害された場合もあるのであります。身体を害されたが為めに親が生活の途を失います。それが為めに自分も扶養されることが出来ぬとか、或は自由も稀には想像して見ればあります。それ故にこの処では、いやしくも自分が生まれて居ったならば自分の権利を害された、斯う見做しまする場合に於ては、総て当るように規定して置くが宜かろうと思います。七百三十二条は、何れ後に説明する如くこの「子」という中にはもちろん本条がありますから、胎児もその処に当るのでありますが、この七百三十二条は、之は丸で一つの別の例外規定でありまして、生命を害されたという事実のみに因って既に損害賠償というものが生ずるという、別段の規定の積りであります。
田部芳君
なお伺いますが、ただ今申しました問題は、この処で絶対に掲げたというまでの決心でなくして、場合に依ては相続法でその問題を極めるという御考であるかということを伺います。
穂積陳重君
まだその事に付いては吾々の間で相談がありませぬからして、全く私一身の責任で御答え致しますが、とにかく相続問題、相続するものと一身に止まるものが必ずあり得ると思います。それに付いて若し疑が生ずるような権利が随分あるということでありますれば、相続法で規定した方が宜かろうと私は思います。
土方寧君
この七百二十九条は、必ずしも親が殺された場合に限らぬ、外の場合も見て居るということでありますが、外の場合はどうでございましょうか。何んだか親が生きて居るならば損害賠償を求めて訴える、そうしてその損害のあっただけを評価して払って貰ったならば、その損害賠償の訴を親が生きて居って起し得た所の賠償というものは、即ちその子に取っては利益を間接に与えるのでありますから、まだ子が生まれて居らぬのに損害賠償を求めることの特別の権利を与える必要はないようであります。親が生きて居れば親が月給幾らで女房や子を養うて居る外に、妻が懐胎中である親が傷けられた、そうして職を失うた、それは損害幾らということの評価は出来なければ往けない。そうしてその損害を評価して取れればそれが即ち損害を償うたものと看る。若し取らなかったならば、加害者に資産がなくして・・・・・。それで親が生きて居って損害賠償を受けたなら、その結果受けなかったものと看るということに法律上では看るより外ありませぬから、死んだ場合に限る方が宜しいと思いますが、実際がどうも出来そうもないように思います。
富井政章君
子を腹に持って居る母親が傷を受ける、或は健康を害した場合があります。往々にしてその胎内に在る所の子も健康又は発育を害される。そういう場合には直接の被害者たる母親に損害賠償の訴権があるから、その胎児にまで往くに及ばぬということならば、或はそれで宜いかも知れぬ。しかしながら、やはりその胎児が自分の利益を害されるという点は殺された場合も同じと思います。唯五十歩百歩程度論てあり得ることがあるのであります。
梅謙次郎君
まだあります。胎内に在る児は、或は誰某の児でないというようなことを言われて、それで胎内の児の名誉を害することがあります。生まれて居ないから権利を害されるということはない。胎児の名誉を害するということはないということは分らぬ。
土方寧君
その場合は宜いのでありますが、富井君の御説明で母親が害されてその胎内の児が発育を害された、それが為めに病身に為って、生まれてもヒョロヒョロに為って居るというようなこともありそうであります。それ位ならばむしろ死んだ方が宜いというようなこともございましょうが、その場合は直接にその母親が損害賠償の訴を起して、そういう場合は児は這入らぬと思いますが、どうでございましょうか。
穂積陳重君
例えば兄は生まれて居った、その親が殺されたというような場合にはもちろん、兄も請求権があるならば胎内の児もある。それから兄が生まれて居って、そうしてその親が喩えば何処か遠い島に引張って往かれたとか、或は仕事の出来ぬように傷けられたとか、そういう風の場合に、若し胎児に請求権を与えて兄に請求権を与えぬで置くと不公平であります。けれどもいやしくも、独りが権力を侵害されて同時に他人の権利を侵害したときには、その本人に損害を賠償すれば外の者は訴権を無くするということならば胎児だけを止めるということは聞えて居りますが、生まれて居る者には親が損害賠償の請求権があるから児は無いということはありませぬ。そうすると胎児もやはり、そういう場合にはなければ往かぬと思います。
議長(箕作麟祥君)
それでは他に御発議がなければ、原案に決して次に移ります。
〔書記朗讀〕
第七百三十条 第四百十六条ノ規定ハ不法行為ニ因ル損害ノ賠償ニ之ヲ準用ス
被害者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ得
(参照)四一七、オーストリア民法一三二五、オランダ民法一四〇六乃至一四〇八、スイス債務法五一、モンテネグロ財産法五七一、ベルギー民法草案一一二八、プロイセン一般ラント法一部六章一一二乃至一一四、ザクセン民法一四八九乃至一四九二、一四九七、一五〇一、バイエルン民法草案二編九四五乃至九四七 Fordham v. L. B. & S. C. R. Co., L. R., 4C. p.719., Tuff v. Waman, 27L. J., C. P. 322.
穂積陳重君
本条は損害賠償金の額及び損害賠償を致しますることに関する規定であります。義務不履行の場合に於て既に説明致して置きました如く、まず一般の場合に当てまするには、金銭が一番損害賠償には便利でありまするから、それ故に不法行為の場合に於てもやはりこの規定は当たるのがもとより当然のことと思います。第二項の規定は、恰度四百十七条の場合に相当致します。債務の不履行に関しまして、債権者の方に過失があったときに於ては、それが為めにもちろん不履行者がその責を免がれるということは出来ない。免れませぬ以上は、既に四百十五条に債務不履行の場合に於ける損害賠償の標準が示しでありますから、裁判所はその標準通りに通常生ずべき損害賠償を出させる。特別の場合は是々の損害賠償をさせるということに為らなければならぬと思います。債務不履行の場合にはこの明文がありますから、四百十五条の標準か裁判官が認めるに依って動かすことが出来るという、斯ういう規定がアノ場合には必要に為ったのであります。この不法行為の場合に於きましても、その道理は同じことであろうと思います。唯だこの被害者の方に過失があった、それで過失はあったけれども権利の侵害もあるし、権利の侵害に因って生じた損害もたしかに断定が出来る。是だけ是だけというものが、たしかに侵害の額ということが証明することが出来る場合に於て、本案の如き規定がありませぬときに於ては、裁判所はやはり七百十九条の規定に依りまして、その現に生じただけの損害をやらなければ往かぬという解釈が出て来はしますまいか。権利の侵害に因って生じた損害を賠償する責に任ずとあります。権利の侵害は証明された、それより生じた損害は、例えば立派に一万円ならば一万円ということが証明せられる。それでこの七百十九条ばかりであるというと、この過失を斟酌するという点があたかも無きか如く見えます。それは不法行為に因る損害賠償に付いては、別して不都合のことでありますから、それ故にかなり不法行為の場合に於ては、裁判官の斟酌の範囲を広くする方が宜しいと思います。それで別してこの場合に於ては、是だけは斟酌することを得るということを明かに言うて置いた方が宜しいと考えました。もっともこの第二項に付いては吾々の中にも議論がありまして、修正説として少数説が出る訳に為って居りますが、起草委員多数が之を置きましたのは、そういう風の理由から之を置いたのであります。
梅謙次郎君
ちょっと私が申しますが、之に付いては兼ねて修正説を出して居りますからその説明を致します。この第一項の方は、是で至極結構で吾々は皆同意でありましたが、第二項に付いては、ただ今穂積君から御報告があった通り、吾々の議がまとまらぬで、遂に修正意見を出すのやむを得ざる次第に為りました。それはつまり、私のはこの第二項を削って置く方が宜かろうという考であります。ただ今穂積君から御説明がありましたが、つまりこの規定は不履行に因る損害賠償に関する第四百十七条と権衡を得せしめんが為めに設けてある規定であります。この第四百十七条は私もアノままで宜かろうと思います。而してこの処には何せそれでは類似したる七百三十条の二項の規定が要らぬかというと、私の考えまする所では不履行の場合の賠償の義務と、それからこの不法行為の場合の賠償の義務とは性質が多少違う。大きい意味から言うと、やはり不履行の場合も債務者に不法行為があるということが言えぬこともありませぬが、アソコでは債務者が過失、普通の意味を以てする所の過失というものは無くても、やはり賠償の責任があります。例えば期限に至って、代替物であります、期限に至って代替物を探したけれども、どうも恰度生憎とその時に切れ目であった。それも履行の際になって探したのならばともかくでありますが、履行の二、三日前に為って探して見たけれども、恰度切れ目であった。東京ならば東京に無かった。遠国に往けば宜いが東京になかった。それが為めに履行が遅れた。斯ういう場合でもその債務者はその責を負わなければならぬ。その事は四百十四条に依って極明瞭であります。その事は疑を容れぬと思います。又そうなくではならぬ。この様な場合に於ては普通債務者に過失ありとは言えませぬ。けれども極或る間接の姿から言うと、初め債務を負うて何月何日に履行をすると言うた以上は、余程その前から準備をして置かなければならぬ。二、三日前から準備をするのは既に過失と言うかも知れませぬが、それを過失と言っては往かぬ。不法行為の場合は、そんな義務はありませぬ。而してちょっとした過失を皆この中に網羅するということでは無論ない。普通の注意をすれば、それで不法行為の場合になりませぬ。それ故に不履行の場合には、つまり過失はなくても債務者に責任のある場合があります。本条の場合には少しでも過失がないというと賠償の責が生ぜぬということが、余程事情が違う所であります。それ故にこの不履行の場合には、若しも債権者の過失が一部分たりとも助けたならば、やはり債権者にその不履行の損害の一部でも責を負わせるのが当然であります。もっとも不履行の場合も本条の場合も同じでありますが、現に損害の中で是だけの損害は債権者の過失より生じた、是だけの損害は債務者の過失より生じたということが分れば、それは明文が無くても、それは自ら原因結果の原則として、それは債務の方に於てその一部分は払わぬで宜しい。それは、一部分は債務者の不履行から生じたとは言えませぬ。又は債務者の不履行から生じたと言えても、それは債権者自身から生じたことで招いたのであるというて、或は明文はなくてもその場合には債権者が損害の一部を負担しなければならぬということに為るかも知れぬ。例えば履行を債務者の方で幾分か遅れて居る。その遅れて居る上に、その債権者の所為で履行のなお出来ぬように一層遅らせるようにしたならば、既に遅れて居れば債務者の過失でそれだけに付いての責はありますが、債権者の所為に因って一層遅れたということであれば、その後とに生ずる分が債務者が責を負う理由はないということは言うまでもないことと思います。今一歩進んで丸で不履行が債権者の方から生じた場合は幾らもあります。例えば、債権者か転居をして置きなから債務者に知らせぬ、債務者の方で相当の注意をして調べてもその行先きが分らぬというようなことがあります。そういう場合は不履行というものが債権者の方で生じたのでありますから、債務者はそれらに付いては丸で責はないと思います。その場合は無論責務者は無責任でなければならぬ。それらの場合は二つの点に付いては明文は要らぬかも知れませぬが、第四百十四条に広く債務者がその債務の本旨に従って履行をせぬときは賠償の責があると書てありますから、その場合に於てもやはり四百十七条の規定が必要に為って来ます。従って賠償の責任計りでなく、損害賠償の額に付いても裁判所で以て斟酌することが必要ということを明文を以て規定する必要があります。本条の場合はそれとは変って、即ち加害者の方の故意又は過失に因って他人の権利を侵害したという事実は証明せられて居ります。それ故に、その過失又は故意よりして生じたということの証明の出来る損害、それよりして生じた損害を賠償せしめるということが出来るということでありますれば、たとい債権者にも過失があったと云っても、そういう事を斟酌するに及びませぬ。その損害というものは、債務者の過失又は故意より他人の権利を侵したという不法行為より生じたということが、既に証明があります。先刻申上げました、債権者の過失に因って全く損害が生じた、債務者の過失に因って生じたのでないという証明がありますれば、無論本条の規定が無くてもそれは当然七百十九条が嵌まりませぬ。従って本条には、責任の有無とか何んとか極めてないのは全くそれが為めであります。それと同様で損害の一部分は債権者から起ったので、その過失に因って生じた債権者の受けた損害はそれより多い。その多いのはやはり債権者自身の過失で生じたということを証明せられたならば、それは明文が無くてもその債権者の過失より生じた損害は自から負担しなければならぬということは言うを俟ちませぬ。しかしながらその場合に付いて疑があるということならば、明文を置くということは蛇足とは思いますが、害の無いことだから私は反対はしませぬ。それならば「損害ノ一部カ被害者ノ過失ニ因リテ生ジタトキハ裁判所ハソノ額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ要ス」、斯ういうことにすれば反対はしませぬ。蛇足とは思いますが、然るに本条の如く広くして「斟酌スルコトヲ得」と為って居るというと、文字の上から見ると損害に関係のない過失があっても、やはり之が適用せらるるようなものの如く見えます。極端の例を申しますれば、盗坊に物を盗まれた、それは店先きに放って置いて番をせぬで居った。被害者の大変な過失で以て持って往かれたのだから、裁判所は斟酌しなければならぬ、或は構わぬというようなことに為りますが、無論正当の解釈はこんな風に第二項を解釈してはなりませぬが、文字から見ればそういうことに見えます。稍々疑のある場合を申しますれば、例えば、この往来の劇しい車などの繁く通る処に、小さな子供などを遊ばせるのは極めて大きな過失であります。所が遊ばしてそれを車が挽き殺したとか、又は大きな怪我をさせたとか、その怪我をしたということが車夫の方で過失があったということは分ります。とにかくその過失から生じたということは分かって居りますが、けれども元々そういう処に遊ばして置くのは親の過失でありますから、そういうときに親が損害賠償の請求をしたときは、やはり斟酌するというのでありますから、損害は千円であるが過失があるから五百円にするということは無論言えると思います。それは如何でございましょうか、今の場合の如き随分大きい過失でありますから疑が起りましょうが、幾ら向うが、そういう処に遊ばして置くのが悪るいと云っても、車夫がどういうものか注意しても避けられぬであったということを証明すれば格別、そうでない車夫の方でとにかく過失があった、小さい声でも掛ければ宜いに小さい声も掛けなかったということが証明されますれば、親が半分だけ負うということはどうも酷であります。毎度新聞で見ますアレが一々当人に過失があるからというので、皆その一部分は本人が負担しなければならぬということであっては、どうも損害賠償の原理に戻ると思います。そういうことに為ると始終被害者の過失というものを見て、加害者が避けることが出来ます。裁判官もそれに依って幾分か斟酌することに為っては甚だ不都合と思いますからして、若し損害の一部が被害者の過失からして生じたということで、そういうことがハッキリ証明することが出来れば、裁判官がそういう場合は明文が無くても斟酌するであろうと思います。そうでない原因結果の関係は、損害が不法行為にある以上は、それだけのものは必ず被害者の方に賠償をしなければならぬ。若しそうでないということであれば、損害賠償は純然たる損害賠償でなくして、刑罰的のものであります。既に前会までに吾々の中からも説明しました如く、又不履行に因る損害賠償の処でも吾々から説明しました如く、本案に於ては賠償というものはいささかたりとも刑罰的の性質を帯びぬものである。従って既成法典などで、善意と悪意とを区別して賠償の額の多少を極めて居るのは往かぬということで廃して居る位であります。然るにこの処に来て、いささか刑罰的の性質を持って債権者の方に過失があるときは債権者の方の賠償額を斟酌するということに極めるのは、不当のことと思います。今外国の例で私が調べた所では、スイス債務法と「モンテネグロ」の財産法とに多少是と類似のものを見ます。他には見えませぬ。もっともバイエルンの方は、手許に無いのでありますから調べぬでありました。イギリスの方も調べぬでありました。スイス債務法で見ると、之は責任の有無に付いて斟酌するということに為って居ります。それ故に或はその意味たるや、過失がありさえすれば斟酌するというのでなくして、債権者の過失よりして損害の一部が生じたというときはそれを斟酌するという精神であるかも知れませぬ。五十一条の二項であります。スイス債務であります。斯う書いてあります(この処スイス債務法の原文を朗読す)。若し被害者の責に帰すべき過失があった場合には、裁判所は割合に応じて賠償額を減じ又は全く賠償を与えざることを得る、斯ういう風に為って居ります。之は唯だ過失さえあれば減ずるという意味であるか、過失さえあればたとい原因結果の関係が不法行為と損害賠償の間にあっても賠償を払わぬで宜しいということであるか、ヨモヤそうではなかろうと思います。「モンテネグロ」はどう書いてあるかならば、「その損害の一部が被害者の過失に因りて生じたるときは」と書いてあります。それならば明文は要りませぬ。そういうことに付いて若し疑が生ずるならば、先刻も申しました如き明文が置かれても私は決して反対でありませぬ。スイス債務法も同じことだろうと思います。損害の一部が債務者の過失に因って生じたならば云々。五十一条の二項であります。どうも書きようがそういうように見えます。「モンテネグロ」の方は極明瞭であります。そう云うことに為って居りますが、全く本案の通りの例は私は見ませぬ。それで実は本案の方であっても、解釈上は随分私の意味のように解せられぬこともありませぬが、文字が如何にも広いから、そういうように解することも無理でありますから、それで願くばこの二項は削って貰うか、左もなければ「モンテネグロ」の如く、先刻申したような文章に改めて戴きたいと思います。
土方寧君
ただ今の梅君の御意見は、理論は何時もの通り立派に通って居りますが、しかしこの二項の場合には実際どうでございましょうか。私はこの原案の通りでもなお不足と思います。債務の不履行に付いて、七百十九条と同様の解釈は今梅君のように十分為らぬかも知れませぬが、私の考えた所では、スイスの債務法のように損害の額のみならず責任の有無に付いて斟酌することを要す、被害者に過失のあったときには「得」でなく「要る」でなければ往かぬと思います。又それが実際に当ると思います。それで欧米の方はよく知りませぬからスイス債務法の通りということには言い兼ねますが、精神はその通りに解した。過失ということが一つの事実であります。乙に過失があったのも事実であります。その結果に依って乙なる者が害を被ったということも事実であります。その二つの事の原因結果の関係が明かであって双方も争わぬ。たとい争っても裁判所で決することが出来るということならば宜しいが、実際はそうでない。或る人が損害を被った、その損害は過失が原因であるかどうかということは実は難しい問題であると思います。梅君が言われるように、或る人に過失があって他の人が損害を被っても、その人にも過失があった、被害者にも過失があった、被害者に少しも過失かなかったならば、一方の方に過失があっても決して損害は生じなかったろう。甲に過失があった。乙が損害を蒙った。乙にも過失があった。けれども乙の過失がないときは決して損害は生じなかったろうというような事が明かに為ったならば、注文を置かなくても過失という結果から、その結果甲に損害賠償の責は無いということに為る。甲の過失のみでは何も生じない。それに加えるに乙の過失があったから損害が生じたということが明かに証明せられたならば、無論甲は責任が無いということに為ります。それが今言うように事実を仮定して見るというと明瞭になるが、実際原告の地位に在って請求するときはどちらも、相手の被告人の方にも過失があった、それが為めに損害を生じた、被告人の地位に立つ者も過失があったが原告の方にも過失があったから損害を生じたという事実問題、斯ういう事実の生じたときは双方の過失と、ここに損害を蒙ったという結果、この原因結果の関係に付いては事実問題に移るのでありますから、一方の当事者の言う所の事を以て直ちに決することは出来ませぬ。裁判があって始めて分ります。裁判の途行きでは或る場合には責任がなかった、或る場合には責任があった、被害者の方にも過失があった、それが為めに余計生じたからというので斟酌をしなければならぬと思います。どうも原告の地位に立って訴を起した被害者の方にも過失があったという場合に、その過失があったというが為めに損害を生じたということは、それは事実問題でありますから、その事実問題は裁判の結果で分ります。その裁判が無い中に分るということは余程難しい。それでこの二項の規則は、債務の不履行の場合と同じように為らなければならぬと思います。私の考ではイギリスの方でもそうであると思います。甲に過失があった。乙が損害を蒙った。この場合にどうであるか。或は乙の方にも過失があった、それにも拘わらず乙に過失が無くても損害を生じたということならばともかく、甲に過失があるか乙に過失が無いというとその損害は生じなかったということが証拠立てられるならば、不法行為の性質からそれは出来ぬ。それは事実を調べてから後決する。それを決する前には標準と為るものは、四百十七条のように定めて、一つその結果と見るべきものかどうか。損害は亦一つの事実でありますから、それを連続して進行して往くべきものであるか、更に損害の額のみならず責任の有無も這入らなければならぬと思います。私の考ではイギリスの方はそうであると思います。スイス債務法は今梅君から言われましたが、意味は皆欧米法と多分同じと思います。それで私はこの七百三十条の一項を改める。之には四百十六条を準用するとありますが、この四百十七条もやはり準用するということに改めたい。そうして二項は削りたいと思います。
議長(箕作麟祥君)
「第四百十六条及ビ第四百十七条ノ規定ハ」と為りますか。
土方寧君
そうです。
横田国臣君
私は以前承った所では梅サンのような御説で、一旦裁判というものはどちらかに責を帰さなければならぬ。双方ということは善くないということを以前は承って居りました。そういうものかと思って居りました。しかしながら、どうも事実に徹して見ると、どうしてもそうでない。それは人力車というものは闇夜でも構わぬが、提灯は点ぼさなければならぬ。どちらも提灯を点ぼさぬで暗闇みに突つ懸った。この場合に於て過失というものは双方にあって同じことである。それでこの場合と、どちらも用心をしたが突つ懸ったという場合と二つありますが、之は私は必ず区別があるものであろうと思います。それでどちらにも過失が無くして突つ懸った場合は、たとい損害があっても、どちらも償わぬということに為ろうと思います。それからどちらにも過失かあったという場合には、その過失というものは過失者双方で分担するということが当り前と思います。之は、イギリスはその通りにして居るということを、私は之は法律を見たのでも何んでもないけれども、たしかの所から証せられて知って居ります。それで決して嘘ではない。その処で、この処で「斟酌スルコトヲ得」と起草者が書かれたのは必ずしも、して宜いしなくても宜いという意味で書かれたのでなくして、「斟酌スルコトヲ要ス」という御積りで書かれたと思います。それで例えば、船が互に衝突をしたということはどちらも過失が無くして衝突をしたというときには、たといどちらが多く損害を被って居っても償わぬ。その代りどちらにも過失があったというときには、その過失の高を双方で分担するという方が至当であろうと思います。それで何れにも過失が無かったという場合に、是非一方に過失を償わなければならぬということは、私は甚だ之は難しい事と思います。どちらも火を消したという場合に、裁判官はどちらかに定めなければならぬということにした所が、それは考え出せぬと思います。その事実からして、どうも私はこの方か善くはないかと思います。而も私は実例に依って益々この感覚を起したのであります。
富井政章君
ただ今土方君から出された案であります。即ち四百十六条と四百十七条も準用するということは、この案を定めるときにそうしたらどうかということを私から言ったこともあります。それで私はそうなった所が苦しくありませぬ。しかし、そうしなかった訳は何れ穂積君からも述べられましょうが、斯ういう理由てあったと思います。一つは準用が余り遠う過ぎる。「債務ノ不履行ニ関シ債権者」ということが加わるから、少しこの処へ準用するのは途が遠う過ぎるというのであります。もう一つは、責任の有無の方をこの処に唄うというと、少し丁寧過ぎて少し重複に為りはしないかという疑があります。その訳は責任がなくて宜しいという方と、重大な過失が被害者にあれば七百十九条のいわゆる「過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル」ということは言えなく為ります。それでありますから、この責任の方は言わいでも宜しいという、斯ういう事であったと思います。唯それだけの事であります。他の点に付いては、賛成者があったときにでも復た述べさせて貰うかも知れませぬ。
土方寧君
横田君が、イギリスでは双方に分担させるというのは、海上の船の・・・・・。
横田国臣君
僕も海上のときの事を聞いた。
土方寧君
外の場合には、現に双方過失があった場合に損害を生じた被告の過失のみでは損害を生ぜぬであったろうという場合には、原告が負けと私は聞て居る。銘々過失があっても原告の方、即ち被告者の方にも過失かあった、避け得る余地があった、それに避けなかったということで被害者の方にも過失があったということを見る場合もございます。それは加害者の侵害を避けることか出来ぬということであったならば、賠償の責任があるということに為って居るように思います。双方共に過失がなかった場合と同じように見る場合もあります。その損害は自ら招く損害というより仕方ない。
横田国臣君
人力挽が火を点ぼさぬで居った場合。
土方寧君
双方過失があったときは双方共に責任がない。それは不幸である。富井君の今の準用が遠お過ぎるということは、なるほどそうでありますが、それはこの処を書き直おしても宜しいが責任の有無の事を書ては如何にも面白くないということは、理論は先刻梅君が言われた。それでありますから何んとも言いませぬが、被害者にも過失がある、被害者に過失がなかったらば生じないであったろうということが証明せらるるのは、裁判が進行して後に始めて分る。裁判官が責任の有無まで極めなければならぬ。その極める標準にまず一つしなければならぬ。そうして果して加害者に責任があるということに極った以上は、額ということになります。まず第一に責任の有無の事を決しなければならぬ。その責任を決するには七百十九条は如何にも漠然に書てありますから、その責任の事を標準としなければならぬということを唄って置くことが必要と思います。
長谷川喬君
私は、土方君の四百十七条を加えるということには賛成であります。今富井君の御説明に拠って見ても、元来是に付いての御弁明に拠って見ても、やはり責任の有無を斟酌するということは当然であると思います。何ぜならば、この二項の趣意というものは畢竟便利主義で置かれたものと思います。若し文字の示す如くに読んだならば、梅君の言われた如く甚だ不法の事に為ると思います。一方は一つも害を受けて居らぬ。然に害を受けたか如く差引をさせるのは不当である。梅君が言われた通りに為ると思います。しかしながら、私は実際の適用上に於ては決して不都合は無いと思います。甲が一つ打った。その打たれた乙が更に甲を打ったという、斯ういう場合であります。そうすると、甲に罵ったとか一つ打ったとかいう過失がありますから、その過失に対しては乙が請求する権利があります。しかしながら、乙が多く打たれたものであるから、乙が訴を起して来た場合には甲は訴を起さぬでも、やはり差引することか出来る。斯ういう事に為るのであると思います。そうして看たならば、双方打ったのが均しい場合ならば、やはり責任が無いという結果を生ずるであろうと思います。そうして看れば、損害が相均しいときにはどちらにも責がないということも出来て来ようと思いますからして、既に本条第二項で斟酌を許したならば、その額に付いて斟酌を許したならば、その責任の有無に付いても斟酌を許すが至当であると思います。それでありますから、義務不履行の場合と本条の場合と区別する必要はなかろうと思います。それからついでに伺いますが、その点は甚だ恐れ入りますが、前の題号を議するときに出た問題でありますが、その時は余り直接でなかったから聴き漏らしましたが、それは四百十五条でありますが、この条は損害賠償の額を定める標準でありますが、之をこの処に適用をせぬのはどういう訳でございましょうか。極簡単に御説明を願います。
穂積陳重君
ただ今の御質問の点は先刻も申して置きましたが、斯ういう理由に帰するのであります。債務不履行に因って生すべき損害というものは、もちろん双方が初めから存して居る事実に依って見込み得べきものである。之はその当事者という者がこの事をしなければ、この債務というものを履行をしなければ、是だけの損害があるべきものであるという、その最も確かな範囲に付いて覚悟があるべきである。それ故に第一項と第二項との精神には違うのでなくして、それでその条にも申して置きました通り、予見し又は予見することを得べかりしということで、第一項の精神に依って特別の事情から見ても宜しい。元と当事者がその債権債務の範囲を定めたものでありますから、それでそれより生すべき損害の範囲というものも予め見込み得べきものであります。その見込み得べきものは、通常生ずべきものは予見して居らなければならぬ。斯ういう事であります。不法行為の方では、如斯権利の侵害を為せばどれだけの損害を生ずるかということは被害者に於てはもとより、初めから予見するというような、被害者に於て予見して居る場合と予見しない場合又は予見して居る積りでもその人か種々の関係を持って居ったり色々のことで予見の出来ぬこともあります。例えば人を殺すということに付いて、通常生すべき損害、斯ういうものはどれ位のものか、法律ではちっとも分らぬ。その場合、場合に依って変わる。畢竟元とか不正のものである以上はその損害と、その不正行為とその損害というものとの間の原因結果の関係が証明せられさえすれば、その原因を致した者がその結果を補うということは当然ということで如斯極まりを付けました。制限を附さなかったということを説明致しましたのであります。それから御修正の方の土方君の御説が成立ちましたが、その実質に於て私共敢て反対はしませぬが、しかしながら富井君の言われた通り、この原告即ち被害者と称しまする者に過失がある。その過失とというものがその損害の原因に為ったならば、之はもちろん被告がしたのでないということが言えます。全く自分が車の為めに傷けられたが、それは自分から車に奔り懸ったということであるとか、或はイギリスなどでよく出まする鉄道の戸を閉てるときに自分の方からうっかり手を出したとかいうようなことは、他人が故意又は過失に因ってやったのでなく自ら損害を醸したというような場合が多くあります。イギリスの「・・・・・・」というのは理論に於ては正しいと思います。それで加害者自分でしたことでない、却て向うがしたというような場合には、決して這入らぬという積りであります。又「被害者ニ過失アリタルトキ」というのは全く、長谷川君の解釈せられた如く吾々は見て居るのでありませぬ。向うも負うた、こっちも負うた、そうするとお互に負うたということで差引く、そういう意味ではありませぬ。私はそういうことでは大変不理屈に為ると思います。向うにもこっちにも不法行為があったから、それ故に向うの不法行為も無く為るということで相殺するような事は何んだか不理屈と思います。斯ういう場合であります。例えば、非常に罵詈したから打つに至ったというときに、その罵ったというのと差引をするのでない。その打つに至ったという事が、その原因が、罵るということが、必ず打つという結果は生じませぬが、その打たれるというには過失がある。それから人通りの多い道て飲んだくれて躍り廻わる。そうして車に乗り懸けられ、それは躍るということが車に乗り懸けられるという原因ではない。しかしながら、過失があったから丸で傷けられたという場合とは違う。そうすればその損害の額を極めるに付いては、それだけのことは自分にも過失があった。自分の生じた結果を・・・・・、公平であるということで不法行為と不法行為と算盤で差引をするということではない。その過失が不法行為に為ることがあります。
梅謙次郎君
私のに賛成がありませぬで土方君のに賛成がありましたが、それに付いてただ今穂積君の御説明もありましたが、私は若し長谷川君のように四百十七条が解せらるるならば、之を準用すると為っても宜しいのであります。何ぜならば、長谷川君の御論に拠って想像すると、原因はとにかく過失が原因であった。しかしながら、その過失よりして甲と乙との二つの損害が生じた。その損害は互いの間に生じたので一人が害を受けたのでない。その間に差引をするのは、之は一つの便方でありますが、そういうことならば無論必要があるかどうかは別問題でありますが、無論害の無い規定であります。所がこの四百十七条は、今穂積君が弁せられた如く、決してそういう意味でない。不履行より生ずる損害は、無論債務者に生ずる損害でない。債権者のみに生ずる損害であります。その債権者に生じた損害の中で、或は債権者自ら招いた損害もあります。それは無論差引く。それは何ぜかというと、実は四百十七条は丸でもう理論上はそう為らないではならぬので、即ち原因結果の関係がないからであります。しかのみならず、四百十七条は広く書てありますから、先刻私が申しました一つの例の如く、損害が債権者の過失で生じたという場合でなくしても、債権者の過失に因って助けたという事実が確かということならば斟酌される。それは不履行の場合は特別の理由があってそう為って居ると私は信ずる。この処でも若しこの二項を削って、単に四百十七条を準用するということになると、決して長谷川君の言われるようなことには為らぬと思います。今のような場合で、やはり被害者は二人あって加害者も二人ある。この場合に於ては、穂積君の言われたように各々が自分の過失に因って損害を招いて居ります。アナタの仰せに拠ると一番初めの者が罵った、それから打った。それから復った者が打ち返えされるということでありますから、互に招て居ります。そういう場合は適用はありますが、その適用たるや相殺ということでなくして、損害賠償の判決が二つ下ると思います。判決が二つ下った以上は、その下ったときにいよいよ執行というときに為って、或は相殺するかも知れませぬ。けれども決して裁判所で相殺するということはありませぬ。その場合は何れに為った所が宜しいと思いますが、そういう場合になくして被害者は飽くまでも一人であるが、その者はとにかく加害者の過失に因って損害を生じたということが証明せられる。損害の全部が過失から生じたということが証明せられる。しかしながら、向うが過失をやった事柄に付いて被害者の方にも多少過失があったという場合、その被害者の過失というものが損害の原因でなくしても、やはり斟酌して幾らか賠償額を減らすということが、どうも四百十七条をそのまま準用しても又今のように書てあっても、今の通り出て来る。それを私は嫌うのであります。
土方寧君
私の案に賛成者がありましたが、大変に大きく見えますが形ちは、しかしながら長谷川君も穂積君の言われた如く、原案と実質はそう変わりませぬ。そうして見ると、どうも斯ういう風に損害賠償の額だけに付いて斟酌することを得るということにして置くよりは、やはり責任の有無も斟酌をしなければならぬからして、やはりその事も唄って置くことが必要と思います。過失があっても損害のないこともある。それは裁判が多少進行して後の話しであります。先刻も申しました如く、損害のことも一つの事実であります。損害があっても誰にも過失の無いことがあります。誰れかと言った所が、つまり裁判所に往ってからでなければ分らぬ。それで過失ということが、過失者が既に責任があるという法律上の意味を持つべきものでない。事実を言い顕わすものであります。そうすると被害者が原告に為って損害を蒙ったと訴える、そうすると加害者たる被告人が私にも過失かあったが向うにも過失があったという双方申立がある。どちらの過失が原因であったか又は双方の過失が原因であったかというような、その原因関係を定めるに付いては裁判所で今申した通り、その責任の有無を定めなければならぬと思います。どうも過失ということが他の事実を言い顕わす如く、損害も亦事実を言い顕わす言葉であるということに見るのが適当と思います。それで私は四百十七条を準用するということは、斯ういう事に為ると思います。第一に、甲に過失があって乙が損害を蒙った。原因結果の関係は丸で甲に過失がある。乙が損害を受けた。その乙が訴を起したときに、その被告の位地に在る者に過失があったというけれども、原告たる者にも過失があった。その過失と相合して損害を受けた。原告に過失が無いときには損害は生じなかったということが証明せらるることならば、それは原因で無い。外のものが加ったのであるから、それはもとより無責任ということに為ります。そういうときには双方に過失があった。原告にも過失があったということで責任の有無を定める。若し原告の方で過失がなくして被告人の方で過失があった場合には、原因結果が証明せられたと見る。しかしながら、原告人に過失があった為めに損害が多く為った。二つ合して損害が殖えたということが証明せられるならば、その額を斟酌することに為ります。それは、責任の有無を定めることは裁判所で決するときに定めるのでありますから、それで斟酌すべきことを前に出して置く。理論で言えば、今言った場合は七百十四条の適用で明かであると言うが、それは少し理屈に偏し過ぎたようであります。
梅謙次郎君
先刻来、土方君からこの箇条を、まだ裁判官が事実を調べぬ中に斟酌するように御弁じに為りますが、それは多分御言い損いと思って居りましたが、今喋々と御弁じてありましたが、それは途方杜徹もないことであります。それはこの条計りでない。この場合でも事実を調べてからでなければならぬ。事実を調べるに付いて方法はどうかということは、民事訴訟法にはありますが、民法にはそういう規定はありませぬ。それ故無論不法行為と前の場合には、不履行とそれから損害というものの間の原因結果の関係がある。而して、その原因結果の関係というものが明かに証明されて証拠が挙ったときに始めて、この規定が適用せられる。それは疑を容れませぬ。それで今土方君の言われたようなことならば、之は丸で削って置いた方が宜しいと思います。土方君のように、債権者の過失であるから無責任であるとか、畢竟調べて見れば一方も過失がある。それが為めに損害が殖えたというようなときは、その一部分を負担するとか、その時は金額に付いて斟酌をするというようなことであれば、削って置く方が宜しい。若し明文が要るということならば、「損害ノ全部又ハ一部カ被害者ノ過失ニ因リテ生シタルトキハ裁判所ハソノ損害賠償ノ額ヲ斟酌スルコトヲ得」ということにすれば宜しい。そういう事に為れば宜しいが、之を置くというとそういう事には解されぬ。原因結果の関係は分かって居る。そうして損害というものは債権者の過失から生じたのでなくして、債務者の過失から生じた。加害者の過失から生じたということが証明せられて居るに拘わらず、債権者に少しの過失があるということを口実として、幾らか賠償の額を減少をする、斯ういうことに為ります。それは幾らか御覚悟を為さらなければならぬ。それで横田君が先刻言われた如く、暗闇みに双方突き当ったというようなときは、それはどちらの過失で出来たということは証明が出来ぬであります。その場合には誰某の過失で是だけの損害が生じました、斯ういうことの証明が出来ぬから丸で責任が無いということに為るから、その場合には如何にも土方君の御論はそう為ります。そうすると土方君の御論と私の論と同様に為りはしますまいが、それならば削って置いた方が宜しいと思います。
土方寧君
不法行為かどうかということを裁判所で決する前に斟酌するという・・・・・、それは或る事実に付いて争が起る。その事実に付いて責任があるか無いかということに付いて、法律がハッキリ極めたのでない。その事情を斟酌せよということで、この法律が斟酌することを得るとある。それで四百十七条もそうであります。債務不履行の場合も、その有無を斟酌する。斟酌するのは、責任の有無を斟酌するということは、言葉の上でありますが、責任のあるべきものとする。責任がある無いということを、事実から起る所の結果を、斟酌をする。その標準なるものが極らぬからして、裁判官が調べる中に付いて、その責任の有無に付いて決するのでありますから、それでこの条でも事実が確定して仕舞って居り、結果も確定して居るというとき計りでないと思います。事実が確定して居る。その事実は法律上どういう結果に為るかということに付いて事実が確定しても、法律上ではそれだけでは効用を為さぬ。斯ういう事実もある。それを綜合して見れば、責任が有るべきものか無いものかという点を斟酌することは、事実が確定して居る場合計りを言うのでないと思います。
横田国臣君
私は、この四百十七条を引くということはともかく、この処に別段に責任の事を書くのは、それは私は同じことに為ると思います。私は長谷川君の御説と少し違うのは、互に撃ち合ったというような場合は少し違う。それは撃ち合ったというときでも向うにも撃って来た。その原因は私が前に罵詈をしたという風の例はでなくして、斯ういう場合を言う。今ここに一つの損害がある。その損害に付いて双方がやった場合、例えばこの処に煙草盆がある。私と長谷川君とすもうでも取って壊わした。之が長谷川君の品物であった。その場合に長谷川君が私に損害を悉く出せと言うのは、如何にも無理であります。その時分には暗闇みでなくても現に明かであります。その場合に是非どちらかに過失を定めなければならぬ。どちらかにそれを定めるのは無理な話しである。事実ではそうであると思います。この処に裁判官が居られますが、それでこの「得」ということはどうでも宜しい。それで是でも宜しい。
長谷川喬君
ちょっと弁して置きますが、横田君が今申されたような例は、前に決したような共同不法行為の場合であると思います。私と横田君とすもうを取って壊われた。一部は私が不法行為者に為り、一部は私が被害者に為る。それは決したことであります。
横田国臣君
是が無いと分らぬ。
長谷川喬君
分かって居る。
議長(箕作麟祥君)
決を採りましょう。そうすると梅君の御説には賛成が無いようでありますが。
梅謙次郎君
やむことを得ませぬ。
議長(箕作麟祥君)
そうすると土方君の案は。
土方寧君
私の案は、四百十七条も四百十六条と同じく準用が出来るようにしたい。体裁が悪るいということでありますれば、その点だけは文章は書き替えても宜しい。
富井政章君
そういう漠然たることを止めて、一つが潰ぶれたら一つを出すということにしてはどうです。
議長(箕作麟祥君)
四百十七条と同じような意味を担ぎ出せば宜しいでございましょう。
横田国臣君
その意味では賛成をしない。唯だこの処に、前に書けば宜しい。
土方寧君
四百十七条も「斟酌スルコトヲ要ス」でございましょう。
梅謙次郎君
之は、文字だけのことは吾々三人相談をしましたから、皆責任があります。之は斯ういう積りで「得」ということにしました。四百十七条の方は、初めから極ハッキリして居ります。「債務ノ不履行ニ関シ債権者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ責任及ヒソノ金額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌ス」、この場合は当然斟酌すべきものでありますから「斟酌ス」と書きました。所がコチラは、初めは「被害者ニ過失アリタルトキハ・・・・・」。それでは困るから、その場合には裁判所の見込で、被害者の過失に因って、損害を生じたことの助けに為ったというものと、それは斟酌をすれば宜しいというので、之は裁判所の権利にしたのであります。
議長(箕作麟祥君)
土方君の案は「第四百十六条及ヒ第四百十七条ノ規定ハ」云々ということにして、二項を削るという御説でありますか。
土方寧君
それでも宜いのであります。
梅謙次郎君
私はもう一つ出します。「損害ノ全部又ハ一部カ被害者ノ過失ニ因リテ生シタルトキハ裁判所ハ之ヲ斟酌スルコトヲ要ス」。
議長(箕作麟祥君)
何を斟酌するか。
梅謙次郎君
「損害賠償ノ責任及ヒ基金額ヲ定ムルニ付キ」でも宜しい。
議長(箕作麟祥君)
それを入れますか。
梅謙次郎君
入れても宜しうございます。
土方寧君
それでは、私は更に案を出します。二項を改めて「被害者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ責任及ヒソノ金額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ得」。
議長(箕作麟祥君)
長谷川君は、それに賛成でありますか。
長谷川喬君
賛成しましょう。
議長(箕作麟祥君)
それでは、ただ今の土方君の御説に賛成の方の起立を請います。
起立者 少数
議長(箕作麟祥君)
少数。
梅謙次郎君
私のに御賛成を願います。今のよりは少は宜しい。「損害ノ全部又ハ一部カ被害者ノ過失ニ因リテ生シタルトキハ裁判所ハソノ責任及ヒ金額ニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ要ス」というのであるから。
土方寧君
何れも通りませぬから、むしろ損害賠償の額だけ書て置くのは不都合でありますから、梅君の初めの御説の削除説に賛成をして置きます。
議長(箕作麟祥君)
梅さんの初めのは、二項だけ削除でありますか。
梅謙次郎君
そうです。
議長(箕作麟祥君)
それでは、梅君の御説の二項削除説に賛成の方の起立を請います。
起立者 少数
議長(箕作麟祥君)
少数。
土方寧君
それでは、私はたとい通らぬでも宜しいと思いますから、議題に為ったということが記録に残るのでありますから出して置きます。「裁判所ハ損害賠償ノ責任及ヒ金額ニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ要ス」と致します。
議長(箕作麟祥君)
ただ今の土方君の修正に賛成の方の起立を請います。
梅謙次郎君
また賛成はありませぬか。
議長(箕作麟祥君)
横田君は、賛成ではありませぬか。
横田国臣君
それは試に置ても宜しい。
議長(箕作麟祥君)
それでは、別になければ原案に決して次条に移りますが。
土方寧君
私は、大変大きな事でありますがちょっと一言したい。実は先刻ちょっと長谷川君から御質問に為った問題でありますが、七百十五条であります。あの条がやはり不法行為に適用が出来るものと信ずるのであります。それでこの処には四百十六条だけでありますが、それを「第四百十五条及ヒ第四百十六条ノ規定ハ」ということに改めたいのであります。理屈を言い出すと長く為りますから別に申しませぬが、どうも過失ということがあったにしても、その結果というものが証明せられるならば無限の責任があるということは、実に人の過失を見ることが全く酷に過ぎると思います。誰れか過失がある。その過失があるが為めに損害を生じたならば、どれだけの・・・・、それだけの注意をしなかったということならば、それだけの過失がありますから、十分責めることがありますが、しかしながらその結果は誰れが見ても分らぬ。その事に付いては言いたいが長く為りますから申しませぬが、七百十五条というものを入れたいと思います。
長谷川喬君
賛成したいが、反論が出ますから止めます。
議長(箕作麟祥君)
それでは賛成者がありませぬから成立ちませぬ。次に移ります。
〔書記朗讀〕
第七百三十一条 生命、身体、自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ハス裁判所ハ財産以外ノ損害ニ対シテモソノ賠償ヲ為サシムルコトヲ得他人ノ名誉ヲ毀損シタル者ニ対シテハ裁判所ハ被害者ノ請求ニ因リ損害賠償ニ代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得
(参照)オーストリア民法一三二五、一三二六、一三二九、一三三〇、オランダ民法一四〇七乃至一四一二、ポルトガル民法二三八六乃至二三九〇、スイス債務法五三乃至五五、モンテネグロ財産法五七一、五八〇、五八一、ベルギー民法草案一一二八、ドイツ民法第一草案七〇四、七二八、同第二草案七四七、七四八、七七〇、プロイセン一般ラント法一部六章一一二乃至一一四、一二三乃至一二八、一三〇乃至一三八、ザクセン民法一四八九、一四九〇、一四九七、一四九八、一五〇一、バイエルン民法草案二編九四五乃至九四七、九五二、イギリス Bird v. Jones. 7Q. B. 743. Warner v. Riddiford, 4 E. B. N. S. 180. Grainger v. Hill 4 Bing. N. C. 212. Watkin v. Hall., L. R. 3Q. B. 400. Gray. v. Gray 34. L. J. C. P. 45. R. v. Burdett 4B. & Ald, 143 Wren, L. R. 4Q. B. 730. Clark v. Molyneaux, L. R. 3Q. B. D. 237. Sears v. Lyons 2. Stark 317. Huxley v. Berg, 1 Stark 98. Ford v. Skimner, 4C & p. 239. Bracegirdle v. Oxford, 2M. & S. 77.
穂積陳重君
本条もやはり、損害賠償の標準に関した特別規定でございます。で一体この不法行為に関しまする箇条は、御承知の通り、フランス法典などに於ては極簡単な一箇条で唯だ原則を示しまして、その適用は悉くその原則の解釈に任かしてあります。追々その後に出来ました諸国の法典は、段々とその箇条が増して参りました。それは御承知の通り、実にこの不法行為に因って生じまする債権の原因というものは、種々様々な変体に因って生ずるものでありますからして、それ故に原則はまことに明かであっても、それを千態万状の事実に当てて見ようというと、随分その原則の範囲に付いて正当な論理を以て反対の結果を生ずるような風の事が随分出来て参ります。一般に言えば、近頃に為る程この規定が細かく為って来たのであります。それでこの一般の規定の外に生命を害しました場合、身体自由、名誉等を害しました場合、いわゆるこの特別の不法行為に関しまする場合の規定が段々諸国に出来て参りました。それで本条に於ては、随分箇条も割合多うございまして、大概是で問に合いまする積りでありますからして、やむを得ざる一、二の外は、この特別の不法行為に関する規定は置かなかったのでありますが、とにかく特別の不法行為の原則を置きませぬというと、第一にこの七百十九条の「権利ノ侵害」ということ自身からして、その範囲が甚だ不明瞭になります。何ぜと申しますれば、一体生命に付いて権利というものがあるのであります。アレは法律の重もな保護だけあって、例えば刑法上警察上の保護だけではないが一身の権利があるかということの問題が、学者の間にも随分あります。議長などからも第一に初め質問が出ました。その他身体に付いては、疑がありませぬが、自由名誉などに付いてはその権利の範囲等に付いて疑もございます。それと既成法典、その他往々この生命権の侵害というものに付いては、之は不正行為に因り債権を生ずるものでない、生命、身体、自由、名誉の如きは権利と認めた所が、その権利の侵害があった所が財産上の損害がなければ認めぬというように、既成法典には明かに見て居るようであります。「ボアソナード」氏の説明に拠ると、そういう風の疑があります。それドイツの民法第一読会草案に於ては、この生命、身体、自由、名誉などは、この処のいわゆる権利とした、斯ういう風の明文があります。それはやはり議論があったから、そういうことがあったのであろうと思います。第二読会のときには、之を省て各条で自から見えるように為って居ります。それで如何にも、この処に算えたのは、皆の場合が掲げてありますから何んだか贅文のように見えますが、しかしながら、如斯算え立てるということに付いては、その範囲を明かにするに於て、後の疑を避けるが為めに必要であると思って如斯掲げました。それから生命、身体、自由、名誉等の侵害の場合に於ては、随分財産以外の損害と言えるかも知れませぬ。又或る人は財産上の損害と見るからして往かぬという者もあります。殊に財産権を害した場合に於て、全くその財産上の損害だけに止まるとは、尚更解釈する人が多かろうと思います。それらの事からしてやむを得ず、如斯書きまする必要が出て来たのであります。次に、この生命の侵害に対しては御承知の通り、イギリスてはこの人権、生命などは人と共に死するという原則が元と行われて居りまして、近頃この処に引て置きました「ロレルトガペルス」正文法を以て始めて、或る範囲に於て生命侵害の場合に於て、他人よりして訴を起すということが出て来ました。且人を死に致したということ随分、土方君の終りに気遣われました如く、原因結果の関係を段々遡って見まするというと、中々その損害の及びまする所は広く為ります。その人の有様に於てその人が債務者であって、而して始終自分が働てその自分が働いた物からして弁済を為すとか、或はその人が扶養義務者とか或は終身年金義務者であるというような場合に於て、その生命権の侵害に付いて預程損害を受ける者が広く為るような風の場合があります。それで或る国に於ては、人を故意又は過失に因って死に致した場合などに於ては、損害賠償の範囲を限る規定も往々見えて居ります。それはどういう所に重に限ってあるかというと、例えばその死に致しまするまでに治療があったら、その治療費又は葬式費、又死亡者が扶養の義務者であったならば、その扶養を受ける権利を有して居る者が賠償を請求をする。終身年金義務者であったならば、その年金者という者が訴を起す。それから労働者、それが労働に依って、労働その他の勤務に依って他の者を養う。他の者がそれに依頼して己れの生活をして居ったならば、その労働、勤務を為す人を害した場合に、それから養いを受けました者から訴を受ける。多少の違いはありますけれども、生命を害しました場合も損害賠償の権利の範囲を定めました規定は、大凡そその処らに止って居ります国があります。他の国に於きましては、やはり本案の如くいやしくも原因結果の関係あれば、その責任に任すべきは当前である。何ぜならば、この場合は範囲が大変広いということで制限があるというが、この場合に於てもその責任というものが非常に重もいものである。それ故に他の不法行為よりは一層多い。又定まらない結果、予見し得べからざる結果が沢山あるということは、当然のことであるからということで、敢て生命侵害の場合に於てその損害賠償の範囲を削限をしない国が、制限をしない国が多くあります。とにかくこの事に付いては、土方君の初めの案が成立ちませぬからして、一般の損害賠償の範囲を制限することは弊害を認めぬでございましょうが、生命だけに付いてその範囲を制限するということは、とにかく御考を願いたい。本案は飽くまでも、前の原則に拠るということに為ります。身体に付いては、特別に御参考に申上げまする事はありませぬ。自由に付いては之はもう通常の結果、原因結果に依ってその損害賠償の標準が定まるということは、何処でも同じでありますが、唯オーストリア、ポルトガル二ヶ国であったと思います。それからザクセン、この三ヶ国に於ては「人ノ自由ノ回復茲ニ」という字が這入って居りますが、之は当然言わぬでも分った事であります。名誉の場合であります。之は損害に金銭を以て、その賠償を為すということに付いては、まことに比較が定まらぬで既成法典の如く「之ニ因リテ生ズル財産上ノ損害」と致しましても、やはりその標準が余程実際上算定するには難しい話しであります。とにかく名誉の場合に於ては、第二項に於て特別の規定を附け加えましたのであります。で是らの場合でありましても又財産権を侵害した場合でありましても、唯それに因って生じた金銭上、近く言えば金銭上の損害だけを償うということだけで、法律上の目的を達し得るものであるや否や、で人は金銭物質上の損失ということ計りが人の欲する所ではない。金銭のみの為めに生活するということは言えぬものであります。それ故に本案の一体の主義より致しまして、既に債権の目的というものは、必ずしも物質上の物に限らない。金銭に見積り得べき物以外のものでも宜しいということが、債権の始まりに於て極まりました。左すれば人の欲する名誉とか、かなり往けるだけ保護してやる。正当なる人の感情、感覚のようなものは、皆人の生活上一つの大切なものでありまして、それが正当に保護せられるだけは保護してやらなければならぬからして、それ故に財産上の損害というものだけに限るのは、如何にも狭ま過ぎると思います。随分開けぬ当時に於ては、悉く財産上に見積ることの出来る物に限るということもありましたが、近世の如く法の働きが稍々自由に為った以上は、同じ財産権を害するに付いてもその害するの事情、まことにやむを得ぬ場合、或は財産権を害すると共にその人の感覚を害する、あたかもその人の名誉を害すると同様に、財産上の損失は償うが、それと共に非常にその人の感情を害するというような風の場合もあり得るのであります。イギリスの如きは、法律の表ての言葉ではありませぬが、随分裁判所などで使って居りますが、復讐的の損害とか或は懲罰的の損害とか、そういうことを言うのは第一に言葉からも穏当であるませぬ。又そういう意味ではありませぬが、人をもとの有様にかなり法律で回えしてやるということは、近頃裁判の制度に於ては財産というものに限りませぬ。裁判官の心には、その処らは十分に斟酌するのは至当であると思います。それ故に、財産以外の損害というものを損害賠償の標準に明かに定める必要を見たのであります。この第二項の他人の名誉を毀損するという場合は、一番この不法行為中で之を賠償し、又はその被害者を元との有様に法律で回してやるということの中では、難しい事柄であるのであります。で是まではもちろん、名誉回復の訴とかいう事に付いて色々な訴訟もあったようであります。或はその名誉を回復する為めに、広告をさせるとか或は広告料を請求するというような風のことは往々聞及びましたが、とにかく名誉の権というものが一つあったならば、その名誉を害されたという事から生ずる財産上、又は第一項に依ってその他の場合に相当の賠償を取る。しかしこの財産以外の損害というものだけでは、どうも足らぬのであります。或る場合に於ては、どれ位金銭でその賠償額を貰っても、その金額ではその名誉を回復するには足らぬということがあります。唯だそれを以て慰めるに過ぎませぬ。然に外に明文がありませぬときにはもとより、それより外に出来ませぬ。裁判官がお前の新聞で斯ういう記事を為したから、お前の新聞で取消せということは、その人に対しては或は出来るかも知れませぬ。前の箇条があるというと之は難しい。いわんやその他の新聞に広告をせいというようなことは、それは当事者に裁判所が命ずることは出来ますが、しかしながら他の新聞や雑誌にまでその裁判所の命令が及んで嫌やでもやるということは、どうも法律上別段の法律でもなければ出来ぬことであります。その処まで、第三者の行為にまで及ぼすということに為っては、之は大変営業の自由その他の事に関しまして、中々出来ぬ事であります。故に諸国に於ては、第一項の如く大変斟酌することを得るということで、場合に於っては非常な額の賠償金を与えてそれに依って満足するという制度を採って居ります。それからオランダなどの如きは、裁判所で公然と第一に原告からして請求して、或は誹毀であったという寛告を公示するということを請求をする。それから被告は、裁判所で謝罪をする。その謝罪の言葉までオランダ民法には出て居りましたが、是々の事は全く事実が無かった事、或は事実があったことだが之を広告して遂に名誉を失うに至らしめたのは自分の誤りである、というような風の特別規定が置てあります。しかしながら、是らもどうももちろん裁判に懸けましたときは、もとより過失であったということは分りますが、また適当な仕方ではないと思います。それ故に広くこの処では損害賠償に代え、又は「損害賠償ト共ニ名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得」。之は加害者に命ずることが出来るのであります。例えば加害者に命ずる。お前の新聞で斯ういう事を出した、それからその損害賠償はどれだけ、且取消せというような風の場合が一番適用が多いと思います。外に適用の酷どく多いことは或は或る所へ手紙を持って往くとか、そういうような風のそれを取消せ、言葉で取消させるということも、或る場合に於てはあるかも知れませぬが、とにかく是だけの事は為さして宜いだろう。之がなければ名誉権というものを保護するに、どうしても充分であるまい、斯う考えましたので「損害賠償ニ代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得」ということを掲げたのであります。第一項で言い落しましたが、財産以外の損害に対し、感覚等もやはり斟酌して、その標準を定めるということは、オーストリア、オランダ、ポルトガル、「モンテネグロ」、ベルギー民法草案、ドイツ、プロイセン、ザクセン、バイエルン、イギリスもその通りであります。それだけの国ではその通りに為って居ります。
長谷川喬君
ちょっと伺いますが、本条第一項の義務というものは、裁判所が賠償を為さしむることを得るとあるので、裁判所が認めて賠償をさせぬで宜しいと思うた場合には、たとい生命身体自由又は名誉を害したに拘わらず、それは構わぬということに、斯ういうように読めますが果してそうでありますか。
穂積陳重君
裁判所というものが、唯だ財産以外に対しても訴を何しまする場合で、之は七百十九条の規定でとにかく侵害ということがあったらば、賠償はさせんければならぬということは明かであります。本条は責任の有無を極めた積りでなくして、損害賠償の範囲を極めた積りであります。
長谷川喬君
若しそうであるならば、他の場合にあるが如く「財産以外ノ損害ニ対シテモ賠償ヲ請求スルコトヲ得」と書くのが普通の文章ではあります、で----が、この文章を読むと、私が今言うように、裁判所が勝手にやる、前の条の裁判所が斟酌することを得るということ、同じことに為ろうと思いますから、文章がそうなれば如何でございましょうか。
梅謙次郎君
前の条と同じことであります。是でもやはり裁判所が斟酌して、些細な損害ならば賠償をさせぬでも宜しいというのであります。
長谷川喬君
斟酌することは裁判所がしても宜しい、又しないでも宜しいということで、この処で読むと、それと同じものというと、たとえば生命、身体、自由、名誉を害したという事実を裁判所が認めて居った。認めて居りなから之は償わぬで宜しい(この時梅委員「財産以外の損害ならば」と呼ぶ)、財産以外の損害ならば償わぬで宜しい(この時梅委員「そうです」と呼ぶ)、そうすると七百十九条の御説明とは矛盾するように為る。七百十九条では賠償権があるということでありましたが、この賠償権はどれだけの範囲であるか、財産以外のものも含むか含まぬかということは分らぬからして、この処に置くということの趣意ならば、やはり当事者の権利ということをこの処に示して置かなければならぬ。然るに後の御説明に拠て見ると、裁判所の自由である訴を見たが裁判所が嫌やと言ったならば、たといそういう訴えた如き事実があっても、それは往けないということになるから、趣意が違うと思います。
梅謙次郎君
そうはならぬと思います。七百十九条に拠て、財産上の損害は賠償せしむることが出来る。それは裁判所は拒むことは出来ぬ。それは疑わない。それでありますから、七百十九条の適用は何時もあります。けれども財産以外の損害は何時も賠償するということに書くと、詰らない事を言うて請求するという恐れがありますから、それでこの方は「得」ということに為って居ります。しかしそれも請求することを得るとするということであれば、無論事実を変えねばならぬ。それで財産以外の損害に付いては、裁判官が如何にも之は気の毒と思えば賠償を為さしめる。又多少財産以外の損害があったと思うても、財産以外の相当の高に昇って居って是で充分と思えば、その外に賠償を命しないということの出来るようにするのが便利と思ったのでありますが、如何でございましょうか。
長谷川喬君
私は、趣意が変ったからもう一応御尋ね致しますが、七百十九条では財産上の損害とは書いてありませぬ。「他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生ジタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」とありますから、この条文で見ると財産上の損害も財産以外の損害も含んで居ると見なければならぬと思います。その処で本条に至ると「裁判所ハ財産以外ノ損害ニ対シテモソノ賠償ヲ為サシムルコトヲ得」とある。だから「財産以外ノ損害ニ対シテ」ということは、あたかも七百十九条と重複するように為ります。若し之を当事者の権利とすると、この処で裁判所の自由というと、七百十九条とは少しも関係はないようになります。それだけならず、むしろ七百十九条と反対のことになります。七百十九条は総ての損害に対して賠償を請求する権利があるぞと言いながら、財産以外の損害に対しては裁判所の特権であるということを極めたのでありますから、その処で例外となる。それで趣意が余程違うと思いますから、甚だ疑うのであります。
梅謙次郎君
私だけが誤解して居るのならば、穂積君から御説明が御座いましょうが、私は七百十九条のみならば、如何にも仰せの如く、総ての場合に於て特に財産以外の損害をも賠償せしむると解する方が穏当と思います。しかしながら、この事に付いては、一方に於て疑いがあります。随分この民事上の権利に付いては、財産以外の損害というものは問わないのであるという解釈が、ヒョツトすると出ると思います。是計りであったならば、それが一つの理由又反対の方から言うと「財産以外ノ損害」というと余り広く為り過ぎて、殆ど撮え所のないような事を申出ても、それに付いて賠償を許さんければならぬということに為っては往けぬから、それでこの七百三十一条の規定に於て、財産以外の損害というものはどれだけの範囲に於て採用する、即ち裁判官に於て相当と認めるものを採用するということに極めたので、是れに拠って七百十九条の適用、財産以外の適用が極まります。それでありますから、七百十九条が幾らか是に依て狭められたと見ても宜しい。私共はそれで宜かろうと思って居りました。それは実質上が違うということならば格別でありますが、私共がそう思って居りました。実は一番初めはわざと除けてありました。生命、身体、自由、名誉を害されたる場合に限って、賠償を為さしむることを得ると為って居りましたが、それは色々評議の末に、財産権を害した場合でも或る場合には之を許して置いた方が宜しいということで、後とから之を加えて置いたのであります。それで幾らか制限する積りであります。
穂積陳重君
先刻の説明の中に申し落した事があります。生命の場合を御考を願いたいと思って居りましたが、之れは生命の場合で一番因るのは、保険の場合であります。之はドイツなどで裁判例が幾らもあります。他人に害せられる、そうすると保険会社でその者に払わなければならぬ。その人は大変健康な人であって、まだ十年も二十年も生きると思うて居ったが、或猟師の不注意の為めに撃たれて死んだ。それでとにかく、年金又は保険を融通する所の利益を失った保険まで、その保険会社がやはり自分が被害者として、その猟師を訴えるということに付いては往々疑いがありますが、どうも保険の場合は如何にもその原因結果の関係は存して居りましても、随分ひどいことであります。それ故に吾々の間でも、保険に付いては余程疑いを生じましたが、保険だけを制限する、斯ういう事はなお諸君の御考えも聴き、又吾々も考えて見て、多分必要のことに為るだろうが、必要に為ったら保険の方の規定に之を定めるということに、吾々が相談を致して居ります。その処らの点もなお併せて御考えを願います。
田部芳君
本条の始めに「生命、身体、自由、名誉」ということだけが列挙してありますが、この外に「健康」ということがある国もありますが、大抵の場合は身体を害すると云うことで健康を害するということに為ろうと思いますが、医学上の問題でありますからよく分りませぬ。例えば、不法行為に因って精神病を起した。どうも之は精神と身体というものとどういう関係がありますか。どうも身体を害したという方に取り、悪くかろうと思いますがどういうものでございましょうか。
穂積陳重君
その事は私共考えて見ましたが、健康というものは身体の通常の有様を変ずるや否やということに依て生ずるのでありますから、精神を狂わしたとか精神病に致したとかいうようなことは、もちろん身体の有様を狂わしたので健康というものは・・・・・、のものでありましょう。身体が完全にある、或は身体の機関が完全の有様である。完全に働くとかいうことであって、そういうのはまず身体に充分這入る積りで居りました。もう一つは、この場合はイギリスなどでは生活の「ミーランス」という中に這入って居ります。障害とか・・・・・・・とか、夜中でも隣りで三味線を弾て騒ぐ、太鼓を打つ、或は正当の業でも宜しい。隣りの鍛冶屋が勉強家で夜も寝ずに働く。そういう様なことで不法行為か何か生ずるや否やということもある。それは身体ということには余程係り悪い。しかしながら、人生の生活上は段々繁華にでも為って来ると、随分重もいものであろうと思いますが、その点だけはどうしてもその処にて規定する必要はないと思うて、抜かして置きました。
富井政章君
健康は無論身体に這入ると思います。私は事に依ると、自由も這入て宜かろうかと思う位であります。その点は疑わしいとは思いませぬ。唯少し疑を持て、吾々の間に度々意見を述べて見ました。例えば、妻が姦通をした場合、その場合に夫は財産上の損害がなくとも姦夫に対して損害賠償を請求することが出来なくてはならぬ。フランスなどに置ては、裁判例が堅く確定して居って、沢山な賠償を取る。その場合には、この処に挙げてある名誉を害された場合と言えようと思います。多分言えようと思いますが、少し疑いがあります。若し諸君に於て言える、大丈夫であるということであれば、安神をします。念の為めに意見を述べて置きます。
岸本辰雄君
この生命、身体を害された場合というのは、之はまことに明瞭であろうと思います。というのは、即ちこの財産上に損害があるという場合で、ただ今穂積君が保険会社の財産上に損害が生ずる場合でありますから、この点は私は疑いませぬ。その処でこの自由と名誉でありますが、この自由、名誉を害されたときに、損害賠償が出来るというようなことは、我国の裁判例にも反するようでもありますが、之はどういうことでございましょうか。随分訴訟の種子を播たというようなことに為って、非常に裁判所を煩わすことになりはしますまいか。弁護士には都合が好いかも知れませぬが、しかしながらその結果・・・・・という主義にも違うことになって、甚だ宜しくないことに為りはしますまいか。もとよりこの自由でも名誉でも害する、それが為めに財産上の損害を蒙らせたということならば、それは出来るが、それを制限すれば余程宜しい。それから又・・・・・・がないとかいう位なことに為って、そうして損害賠償をするということならばまだ宜しいが、唯だ馬鹿と言ったとか、エタと言ったとか乞食と言ったとかいう様なことでも、やはり名誉を害されたと言って、一つの訴えが起る。それでこの「賠償ヲ為サシムルコトヲ得」ということの解釈に依ては、それは請求が立ちませぬから、或は裁判が起らぬかも知れぬが、どうもちと穏かならぬ規定で、それはなるほどイギリス等にもそういう例があるということでありますが、実際の適用はどうでございましょうか。いわゆる、今の一点の賠償を払わせて宜しいというような児戯に類するような裁判をさせても宜しいということでございましょうか。之は裁判官の見込次第で、今富井君の言われたような姦通の場合のような非常な損害賠償を取らせても宜しいということに為りますが、とにかく自由、名誉を害されたということにまで賠償を請求する権利があるということにする必要かありましょうかどうか。又二項の所では名誉回復の処分というものが出来ました。之は今恰度有名なる・・・・・事件も有って、大審院の判決例は恰度之に反対で、しかしアレはあっても宜かろうかとも思いましたが、之はやはり前条の御趣意もまだよく定まらぬようでありますが、「処分ヲ名命スルコトヲ得」というのでありますから、命じようが命じまいが裁判所の自由、そうすると・・・・・・・事件の如きは、二号活字を以て十五日間とか各新聞へ広告をせよということを請求をした。そういう請求をする、或はそれでは適当だから半分だけにしろ、或は全く裁判所の特権であるからその請求は不当だから少しも容れないということも出来る意味でございましょうか。又そういう事を命じて見ても随分新聞社の方で拒むという様なことがあったときは、困るという結果が生じます。之は別事か知れませぬが、つまり特権であるや否やということも承って置きたい。
穂積陳重君
初めの生命、身体はよく分かって居る。それは生命、身体の場合は財産権を害する、自由名誉は財産権を害さぬというのが御質問の根本と為って居るようでありますが、それで財産権さえ害すれば宜しいという主義を本案では採って居りませぬ。しかし自由などになっても、人を拘留する或は毎日働いてそれで賃銭を取って居るのを自分の処に不法に留め置く、或は人を誘拐すとかいうような風のことに因て、財産上の損害を来しまする場合も幾らもあります。それ計りでもありませぬ。この世の中に幾らも不法に人を拘留して置くという様な風の事に付きましては、それは一向民事上の損害賠償というもの、穏にならぬ。斯ういうことは、人の生活上大変重う所のものに付いては、少しも保護がない。唯その金銭だけの保護ということに、或は為りはしますまいが、いわんや岸本君の御説にしても、自由の侵害というものは財産上の権利を害することが極めて多いのであります。我邦の裁判例は是に反対に為って居るということでありますが、反対であったら私は是までの裁判例が何か外の事由でもあって然るのではありますまいか。又特別の事由がないということであれば、その裁判例は改めぬと不都合なものと思います。名誉にしても同じことであります。名誉を毀損されても訴権がないという裁判例が若しあるならば、私は或は是まで慣習もないとか明文もないとか条理に反するとかいうことに為りましょうが、どうも今の世の中に於て、何れの国に於ても大変交際が広くなるし、又名誉を毀損するときには非常な便利な印刷器械とか何んとかいうそういう様な風のものが盛んになって、そうして昔から色々あって、名誉侵害毀損の損害賠償というものが日本だけでは出来ぬということは、余程の理由がなければ往けぬと思います。いわんや名誉を毀損したならば、財産上の損害を生じますることが極めて多いのであります。
岸本辰雄君
私の問いが分らぬようでありましたか、斯ういうのであります。財産上に損害が及ぶという限度に為るということならば、自由を害し名誉を害すということは非常なことになるから、その時は損害賠償権を与える。又与えるのが宜かろう。しかしながら財産上に及ばぬというときは、その限度はまことに些細なものではないか。その処で損害賠償をさせるということてあっても、いわゆる児戯に類する様な一銭を還せというようなことに為りはしないか。果してそういうようなときに、それでも法律が保護をする理由があるや否やということの質問であります。
穂積陳重君
それは、財産上の損害がありませぬときでも、人の自由というものをちょっとの間でも不法に或る処に留め置くというようなことは、財産を害されたよりは、なおその人に於ては害を感ずるの度が多いというようなことが、幾らもあります。名誉の侵害の如きに至ては、極めて大いなる損害、しかし財産上の損害には為らないけれども、アノ人は大変不徳な人であるとか何んとかいうようなことで交際上の妨げを来たすようなことに至るかも知れませぬ。それから二項の方の「適当ナル処分ヲ命スルコトヲ得」というのは、もとより裁判所がその当事者に命ずるのであって、第三者即ち裁判以外の者に命ずるということは出来ぬのであります。本案の如くでも例えば、日々新聞に名誉を毀損された。それに毎日新聞とか報知新聞までも喚び出すことは出来ませぬ。如斯事は一般に自由を害することである。それは当事者一人にその事だけを取消せと言うことは出来ます。
田部芳君
どうも私にはよく分りませぬから、なお伺って置きます。なるほど健康ということは医者でありませぬから充分に分りませぬが、仮りに私の考を、無形の精神も有形の肉体も両方言うものとすれば、どうも身体ということだけで、多数の場合にはやはり身体ということに観るであろうと思いますが、しかしながら精神病の如きは果して肉体上にどういう関係を生ずるかということは、私は医者でありませぬからよく分りませぬが、しかしながら若し肉体上に関係がなくて精神を害するということになると、どうも身体を害するということだけでは足りぬではないか。それで外国当りでも「健康」ということを入れて居るのではないか、という私の議論であります。それで私も医者でありませぬから、充分には分りませぬが、それを今日御調べに為ってどうか確かまって居りますれば宜しいが、随分精神病のときにでも財産上の損害を来さぬということもないと思いますから、最も酷どい場合であろうと思いますから、なお疑問だけを述べて置きます。
岸本辰雄君
私が第二項に付いて質問をしたのは、之は意味が違って居る様であります。裁判所が他の新聞社に命ずることが出来るかと言って御尋ねをしたのでありませぬ。例えば、私がアナタの名誉を毀損した。その処でアナタから訴えが起って、岸本は斯ういう名誉を害した、賠償と云ってもどういうことも出来ぬが、しかしこの事が巳に公に為ってて居るからこの事に付いては、岸本は二号活字を以て何日間、穂積君の事に付いて言ったのはまことに恐れ入りましたということを、東京の各新聞に掲載すべしということを、アナタから請求がある。そうすると裁判官はその請求を容れて、その名誉を害したのは甚だ怪しからんから、原告の言う通り各新聞、即ち指定の何々新聞に何日間そういう広告をしろというようなことをやはり命ずることが出来るように見えますが、しかしながらその場合は「命スルコトヲ得」ということでありますから、命ぜないことも出来ようとも思いますが如何でありますか、ということを御尋ねをしたのであります。
穂積陳重君
もちろん命ぜないことも出来るのであります。それに「適当」ということでありまして、私一人の考えではこの裁判というものに当事者、第三者に直接間接に命令をし、それからその第三者というものが従わなければならぬということは、どうも明文がないと出て来ないと思います。例えば新聞を発行して居る者が、自分がそういう事を発表した。その新聞社を訴えてその新聞社に取消せということは出来る。それから他の新聞に向て掲げろということは、之は明文がないと出来ぬと思います。何となれば一の日々新聞を訴える、そうすると東京の他の五大新聞にも同様の取消文を掲げるという判決があったときに、例えば読売新聞とか報知新聞とかいう者が拒んだときには仕方ない。それは判決の執行が出来ぬ。それは明文さえあれば出来るのでありますが、そういうことが出来ませぬからして、それは「適当ナル処分」という中には這入れない積りであります。如斯所にまで及ぶには、なお明らかなる法律の規定を要するものと思いますから、今のように外の処にまで、第三者の自由にて制限するという判決を下だすというまでに、裁判所の権力は認めてないのであります。
梅謙次郎君
ただ今の穂積君の終りの御説明は、少しく吾々の考えて居るところと違います。私の考は、なるほどこの法文があって第三者に命令を下だすということは出て来ませぬから、その方には明文が入ると思います。従って今の例で言うと、日々新聞が加害の新聞であるというと跡の新聞に命じて、斯ういう取消を出せということを新聞社に命令することは、是だけの明文では往けますまい。けれども唯々加害者に向って斯ういう広告文を是々の新聞に出せと命ずる、その出せということはどういうことかならば、即ち加害者の権内にあることをしろということでありますから、つまり普通の広告料を出して依頼をしろということであって、それでも向うが応じない新聞があれば出来ぬことである。そういうことは毎度ある。裁判官が売れと云っても売ることが出来ぬ。
議長(箕作麟祥君)
穂積君のも、そうではありませぬか。
梅謙次郎君
初めはその様でありましたが、終りの御談してはそうでないようであります。それでそれならば、その裁判は必ず効力があるということはありませぬ。不能に因って裁判が履行されぬということが幾らもあります。この不動産を引渡せと云っても、焼けて仕舞えば引渡すことは出来ませぬ。斯ういう品物を甲より乙にやれという。けれどもその品物を尋ねても最早無かった。斯ういうものはどうも仕方がない。それと同じような理屈でその裁判というものが、若し例の新聞社に於て拒めば加害者の方では自分で出来ることはしたが、その外は責がない。多くの場合はそういうことはなかろう。又必ずどの新聞に広告をしろということを裁判所で命ずるということは、極めて少なかろう。大抵は何種の新聞とか、或は大抵の新聞小新聞とか大新聞とかいうことは制限するでございましょうが、大抵は東京に於て発行する新聞何種という様に為ると思います。そういう場合には、甲の新聞社が拒めば乙の新聞社に往く。又新聞社も商売でありますから、大概の事は応ずると思います。それで私は大抵の場合は裁判を下だすことは不当でないと思いますから、この場合に於て他の新聞に広告をしろということを、加害者に命ずることは出来ると思います。その場合に於て、若し加害者に依頼しても往かぬということであれば、その人の費用を以て加害者の方からすることが出来ます。是は履行の義務、作為の義務に於てその義務者が自から履行をしない場合に於ては、第三者を以て履行させることが出来る。自分の雇人をやっても宜しい。それは第三者をやっても宜しい。それは自分でやっても宜しい。
穂積陳重君
私は明に前に御答え致しました。それで、今のその人に命ずることは出来る。それから、又その外の人に為さしめるということが裁判の効力というと、第三者の自由の意思まで制限することに為る。どうもその処まで更に及ぶということでありますけれども、それは初めから関係者以外の者の自分の意思というものを目的として居るのであって、裁判官の権力に無いものと心得て居りました。若しそれが誤りであって、梅君の言われるように為っても、少しもその裁判というものはその性質上構わぬものであるということでありますれば、私はその実質上に於ては、その方がなお宜しいと思います。唯裁判というものが、それまで往かぬものではないかと、是まで考えて居りました。もちろん売るとか売らぬとかいうような風のことは、或る誰れに売れとか、そういうような風のこととは違うので、一般に世の中にあり触れたことを言うのであります。何処へ持って往ってどういう事をアノ人にさせるという、斯ういう具合に往くものとは一般に性質が違って居るものではないかと思います。しかしその裁判というものに、第三者の行為というものをその処へ挾む。その結果は第三者の行為なくんば出来ぬということてあって、而してそれはどっちにも義務がない。あっても、しかし頼めということを裁判するのでありますから是れで宜しい。斯ういうことであれば、議論には負けても実質上は大変宜しいと思います。
長谷川喬君
私は法律としては、穂積君の方がもっともと兼ねて思って居りますが、判決例は梅君の言われた通りに為って居ります。その処でこの問題を極めるのは、この処に言う適当なる処分であるや否やということでありますから、法律が出来た上のことでありますから、ここに主義を定めぬでも宜しいと思います。それが適当であるということであれば、適当で宜かろうし、立法者としてはその処まで往かぬで宜しいと思います。しかしながら、私の申した第一項の処であります。どうも考えて見ましたが、如何にも承服しがたい。それはどうかならば、この条の梅君の御説明に拠て見ると、例えば生命を害したという事実も挙り又財産以外の損害を加えたという事実も挙って、それだけを証明する裁判でも、その通りの事実を認めた。しかしながら裁判所は何も理由なくしてそれは往けないということが出来るということである。そうすると裁判所は理由も何も示さずして、請求は出来ぬ往けないと言うことか出来るということに為る。それでは控訴して控訴裁判官の考えを聞て見なければならぬ。唯だ考えだけを聞きに往く。事実に付いては一つも疑いはない。名誉は害されたに違いない。しかしながら裁判所ではそれは往けぬということが出来るという法律に為りますが、それは事実上面白くあるまいと思います。
梅謙次郎君
二項も同じことでしょう。
長谷川喬君
二項は、賠償金額にするか又はその他の賠償金額以外の事にするかということだけ、その処まで・・・・・・(この時梅委員「それはどっちでも都合が好いと思うた所でやれば宜しい」と呼ぶ)。しかしながら、最初の権利までも何も拠り所がなく裁判官のその時の感覚一つで往けないということを極めるのは、甚だ感服しないことだろうと思います。故に私はやはり、この財産以外の損害に対しても請求権ありとするならば、それはやはり損害賠償を請求することを得る、斯ういうことにして、そうしてこの裁判所に権を与えるということを取ったら宜かろうと思います。又この案の趣意が宜しいということであれば、どうもこの文章は例外的に書かなければならぬと思います。七百十九条では如何なる場合でも損害賠償の請求が出来ると書いてありますから、この場合に於ては財産以外の損害に対しては勝手には往かぬぞ、裁判所の推定であるぞということに書かぬと、「財産以外ノ損害ニ対シテモソノ賠償ヲ為サシムルコトヲ得」というので、違う事を極めるのでありますから、若し本案の主意ならば文章を変えなければ不都合であろうと思います。
富井政章君
簡単に意見を述べて置きます。まず第一は、二項の適用。私も今梅君の言われた所と同感であって、実は少しも疑って居らぬでありました。吾々の間でこの点は実は議論がなかったのであります。私は、無論何々新聞に広告せよという裁判は本案に拠て出来る、唯その場合はその新聞が聞き入れないだけである。そうでないと、或る新聞社が人の名誉を害した場合に、その新聞社に対してでなければ処分を命ずることか出来ぬということに為ります。極めて狭まい適用に為ります。それでは実質上困るのみならず、斯う書てあれば無論被害者に対して命ずることが出来ます。それで少しも第三者に義務が生じない限りは、第三者を縛ばる性質のものでないということを堅く信じて居りました。又第一項の規定に付いては、二つ疑いを持て居って、その一つは先刻申しました。この処に書てある初めの四つの中に、或は嵌らぬものがあろうかと思うのが一つの心配。その方は先刻申しました。まだありますが、それが一つの一番の心配。もう一つは先程から長谷川君の言われた通り、之は裁判官の自由に帰せずとも、或は財産以外の損害と雖ども、いやしくも損害があるという場合は賠償を為さしめんければならぬとして置く方が善くはないかと思いました。その点は甚だ惑う。或は理論上はその方が宜いかとも思います。けれども、ちょっと御注意の為めに申しますが、実際は同じことと思います。何となればこの規定に拠れば財産以外の損害はあるけれども、一文も払わぬで宜しいということが言える。その判決に対して上告は出来ぬ。若し長谷川君の言われるようにすれば、財産以外の損害はあるけれども賠償をせぬでも宜しいという宣告が下れば上告も出来る。又破棄することも出来る。けれどもそう言えば、理論上は大変正しいようでありますが、実際は同じことであります。裁判官のこの位の所ならば損害されぬ、損害とは見ないということならば、損害と見ないということに為ろうと思います。唯だ理論上は正しいと思います。
土方寧君
私は、第二項に付いては梅君と富井君の通りの解釈にして宜しいと思います。何れにしても「処分ヲ命スルコトヲ得」ということであって、裁判官が取捨などに付いて救済の方法に過ぎませぬからして、権利があるかないかということに付いての問題でありませぬからして、それで宜しいと思います。それでその問題の解釈に付いては、富井君梅君通りにして宜しいと思います。一項に付いては、初めから長谷川君と同じ疑いを持て居りました。どうもこの一項の通りに法文を書いて置くと、殊に一項中に「財産権」と言ってあって、片一方は「生命、身体、自由、名誉」と書てあります。そういう生命、身体、自由、名誉の権があるかないかということは、殊更に不明了にしてあります。財産に付いては「財産権」と言って名誉に付いては「名誉権」とは言わない。生命などは単純に「生命」として「生命権」ということがありませぬ。斯ういう様にしてありますから、尚更疑いが起ります。所が理屈を考えて見ると、既に債権の処でも確定した通りに、財産権以外のものにでも保護するということに、この調査会の主義か往って居る。そんなら権利と認めて置いて、それに付いての救済は裁判官の勝手次第というのはどうしても理屈が合はぬ。それでそういう風に書いたのは、生命、身体、自由、名誉に対しては権利があるということは随分分り悪くいから、曖昧にして置くということがありはしないかと思う(この時、穂積陳重君「そうでない」と呼ぶ)。そうでなくば「権」とか何んとか書かぬと仕方がないと思う。もう一つは、若し之を賠償を請求することか出来るとして置くと小さな事に付いてでも訴を起して困るというような御話しも出ましたが、それは富井君の言われたようなことと同様で、実際詰らぬ事に付いてならばそんなものは害があったのと言えぬというように、その事実を認めて極めて仕舞えば宜しい。そうすれば理屈は違っても結果は同じことになります。そうすれば私は富井君の終りに仰っしゃったのと同感であります。理論は長谷川君の通りてなければならぬ。この通りてあったならば如何にも、生命、身体、自由、名誉が権利であるかどうか、財産に付いては「権」とあって是には「権」がない。裁判官の自由であるということになる。そうするというと裁判官の厚意に出る権利であって、本統の権利のようにないように見える。
横田国臣君
是は、一項は長谷川君に賛成がありましたが、是は私共は左程どうとも思いませぬ。しかしながら、若しこのままにして置くのならば、どうか「裁判所ハ」の下に「被害者ノ請求ニ因リ」という文字を入れて欲しいと思います。左もないと七百十九条というものは、「損害ヲ賠償スル責ニ任ス」この処の「損害賠償」というのには、財産のこと計りであるか、皆が籠って居るかという疑いが一つあります。それでこの七百三十一条で以てそれは籠って居らぬ、それで若しアレに籠って居るならば、既に責に任ずるということを言ったから、裁判所が賠償を為さしめることを得るという言葉が出て来ない筈である。けれどもこの箇条があるか為めにアレは籠って居らぬ。
長谷川喬君
七百十九条に籠って居るということであります。
横田国臣君
それで、この二項の方にも「被害者ノ請求ニ因リ」ということが殊更に書てあります。被害者の請求がなしに裁判所が命ずる様に為って居るようでありますから、言うことは出来ぬけれどもやるというように見えますから、この処は「被害者ノ請求ニ因リ」ということを入れるか、又は長谷川君のようにするかしたいと思います。
長谷川喬君
賛成がありましたから一言して置きますが、富井君にしては甚だ不似合な御弁明と思います。理屈は宜しいが或は損害は取れない、斯ういうのならば、第一に七百十九条も唯裁判所が賠償を為さしむることを得るという様に、本条の通りに書て置けば宜しい。「損害ヲ賠償スル責ニ任ス」と書て置かぬで、裁判所が命ずることを得ると書て置けば宜しい。どうも富井君始め学者として法を立てるときには、実際はそうであるから理屈に合はぬで宜しいというようなことはどうも不都合と思います。恰度穂積君の言われた如く、当事者の権利にして置けば訴訟が殖えるということもありもしましょう。しかしながら、恰度それはやはり実際であります。本案の通りにして置いた所が、やはり訴訟が殖える。そもそも本案の如きものが訴訟の殖える種であります。それでありますから、斯ういう様なことは規定をするかどうかということは、大いなる問題であったのでありますが、今日では既に規定するということに為った以上は、即ち権利と認めたならば、権利の如き取扱いをして宜しいと思います。
穂積陳重君
長谷川君の御論も御もっともでありますが、しかしながら長谷川君の如くするならば、之を七百十九条の処に持って往ってはどうですか。
長谷川喬君
私はそれが宜しいと思います。
穂積陳重君
二項はどうしますか。
長谷川喬君
それは特別規定にするが宜しい。
穂積八束君
私は、先刻から長谷川君の御説に立たうと思いましたが、もう理由は述べませぬが、同じような疑いを私も持って居ります。前の事は繰り返えしませぬが、長谷川君、私はアナタの説に賛成しようと思いますが、全くアナタの御趣意に賛成でありますが、ちょっと疑うのは、若しも長谷川君のような御趣意を私が正当に解釈するならば、この一項を置く必要が、理論として必要ならば長谷川君の御解釈で七百十九条の項に置て、損害ということが広いものとすれば、七百十九条の一項というもので尽きるものではあるまいかと思いますが。
長谷川喬君
全く理論から言えば、穂積君の言われる通りであります。しかしながら、起草者たる穂積君が先きに述べられました通り、生命、身体、自由、名誉を害した場合に、財産以外の損害に対する賠償はどうかという疑問は大にあるのであります。本案に付いても余程議論があった位でありますから、私が繰り返えさぬでも、先きに起草者たる穂積君が言われた通りの理屈でありますから、この処にそれを示して置くが宜しいと思います。それに付いて、七百十九条の二項にして「財産以外ノ損害ニ付イテモ亦同シ」とかいうようにして置けば宜しいと思います。
議長(箕作麟祥君)
「他人ノ権利」ということが、この条があって始めて分るようでありますが。
梅謙次郎君
ただ今の事は、始めから御断りをした通り、七百三十一条はこの通りでなければならぬということで、その理由を申上げましたけれども、今のようになるならば理屈が益々正しく為って来ますから、私は反対はしませぬ。実際は同じことになりましょうから反対はしませぬが、そうなるとどうなりますか。それは今穂積君の言われた如く、七百十九条の二項などは最も場所を得たものであろうと思います。そう為ると蒟蒻版に為って出て居る修正案も、やはり七百十九条の次に持って往った方が宜しくはありませぬか。
土方寧君
文章は変えて置く。
梅謙次郎君
文章は変えても宜しい。
議長(箕作麟祥君)
如何でございましょうか。大分論が済んだようでありますが、場所を換えるとかこの二項を特別にするとか、何んとかいうことでありますが、その説が行われれば起草者に任かすということに為るでございましょうか。
穂積陳重君
「被害者ハ賠償ヲ請求スルコトヲ得」としては。
長谷川喬君
それはそうです。
富井政章君
第二項は大変場所は宜しいでございましょうが、どうも、この権利の種類を並べるのであります。権利の種類を並べるということをせねばそれで宜しいが、権利の種類を並べるに付いては少し理由があります。というものは、生命権などは純然たる権利でないという説があって、それで民法草案などでも「権利トス」というような規定があった位であります。しかしながら、斯ういう風なものを権利というようなことにせぬでも、自ら権利というような風に見える様にしたい。そうするには、斯う並べるには七百二十条にした方が体裁が宜くはないかと思います。
議長(箕作麟祥君)
是もどうでございましょうか。その説が行われるかどうか分らぬが、まず長谷川君の御説に付いて決を採ります。之に済成の方の起立を請います。
起立者 多数
議長(箕作麟祥君)
それでは七百十九条に入れるとか、二項にするとかいうことは、起草委員の方でなお御考を願います。
穂積陳重君
それは御任せを願います。
議長(箕作麟祥君)
それではこの蒟蒻版の修正案に移ります。ちょっと諸君に願って置きます。この二項だけは議了を願います。
〔書記朗讀〕
修正案 起草委員提出
第七百三十一条の次に左の一条を加う
第七百三十二条 他人ノ生命ヲ害シタル者ハ被害者ノ父母、配偶者及ヒ子ニ対シテモソノ損害ヲ賠償スルコトヲ要ス
穂積陳重君
説明はかなり簡単に申ます。この生命、身体、自由、名誉に付いては、その本人が健康を害されたということに付いて請求権のあることは疑いませぬが、その父母がその子に付いて権利を持って居るということはどうも言えますまい。又配偶者が夫を生かして置くとか妻を生かして置くとかいうような権利も、亦無いと言わなければならぬ。そうして見ると七百十九条の中へは、本条に規定する事は這入って居らぬのであります。実際この事は、横田君から出ました御説に拠って別にしたのでありますが、人がその不法行為の結果を感ずるの度に於ては、或場合に於ては自己の身体財産などを害されたよりは余程大いなる痛みを感ずるということもあるかも分らぬ。それでそれでは法が保護するならば、やはりその処らにまで及ぼさねばならぬものであるという考が出まして、ほぼそういう事を提出するという約束のようなことに為って居りました。で本案は丸で例外規定で、本条あって始めてあたかも父母は子を喪はぬ民法上の権利があるということが言えるように為って来ます。ローマではもとより請求権は無かったのであります。ドイツの普通法では学説共に、斯ういう場合に於ては請求権があるということに為って居ります。ドイツの判決例などに拠て見るも、幾らかその場合が限ってあって、未亡人、遺子という者に限ってあります。又オーストリアなどは未亡人及び遺子、オランダも寡婦、父母、子、又前に申しました労働者の労働に拠って生活するというような場合も這入って居りますが、之は他の場合に於ては自分の権利を害されたということに為りますが、ポルトガルでも未亡人再び嫁するまで、それから尊属親ということに書て居ります。「モンテネグロ」は、之はやはり七百三十一条の方へ這入りましょうと思いますが、相続人と書てあります。之は相続人、自分の権利を害されたというようなことに為って居ります。プロイセンも未亡人、子だけに為って居ります。但し子は成年まで寡婦は再び嫁するまでということに為って居ります。バイエルンでもやはり未亡人と為って居ります。要するに多くの例に於ては、夫が殺された場合には之は別に損害を賠償せぬでもたよる人を失うということで、特別の請求権が与えてあると思います。子は多くの場合には、やはり親をたよるのでありますから、即ちたよる者を喪ったということが特別の事由に為って居って、且非常に悲しむということがあるでございましょう。しかしながら、父母を喪ったという場合も、前に挙げました一所か二所ろかにありましたが、之は日本などではやはり、如斯愛情上に非常な損害を受けたというようなときには、父母、子、配偶者外国の如く夫が妻を喪った場合は、一向それに権利が無いということにして置くのも、如何にも片落ちでありますからして、それ故にその範囲を「父母、配偶者及ヒ子」と致しました。
議長(箕作麟祥君)
ちょっと伺いますが、之は三つの者から一時に損害賠償を取られるのでありますね。
穂積陳重君
そうであります。
議長(箕作麟祥君)
祖父母、孫、という者には及ばぬのでありますか。
穂積陳重君
それは及ばぬのであります。
議長(箕作麟祥君)
お祖父さん計りで孫を養って居った、そのお祖父さんが殺されたその時は。
穂積陳重君
本案の如く特別の請求権が出ませぬので、唯だ前条又は七百十九条に拠って扶養の権利を害されたというような風の場合だけで済ます。
議長(箕作麟祥君)
唯だ養うというだけで、賠償という方は構わぬのでありますか。
穂積陳重君
何処かで打切らぬけれはならぬから一等親で打切りました。オランダでありましたか、斯ういうような起訴は二等親まで訴えて宜しいというような事があります。
議長(箕作麟祥君)
外国はどうでも宜しい。立案の精神さえ聞けば宜しい。
穂積陳重君
それとなお、是に付いて御参考までに申しますが、死者の父母の名誉を害し或は配偶者の名誉を害すというような風の事は、本案では見てありませぬ。
田部芳君
先程御議決に為った所の七百三十七条の一項を、七百十九条に持って往くということに為りましたが、その処で七百十九条に七百三十一条の一項が這入るということに為ると、この処で損害に対して賠償を為すということだけでは損害というものは重もに、財産以外の損害の場合が多かろうと思いますが、何かやはり書き方を変えなければならぬ必要はありますまいか。
穂積陳重君
是は、私は説明を略したのでありますが、もちろん父その父母、配偶者、子か自分の権利を害された場合は他の箇条で済む。財産上当人・・・・・、損害が生じたときは・・・・・、しかしながら「害シタル者ハ其損害ヲ賠償スルコトヲ要ス」と書きました以上は、その害せられたことが既に損害の原因であるということで殊更に斯う書きました。
土方寧君
この条は御説明に拠ると、一種特別の権利を与えたものであるということでありますか。つまり被害者本人に権利のあるということは言うを俟たぬ。それで死んで居れば相続人が承継を行使することが出来る。それは法文を俟たぬということでございましょう。又人が殺された。それが為めに親戚の者なり、たとい他人であろうとも、人に殺されたということは・・・・・・と同じこと。人を殺して財産権を侵されたならば、之も求める権利があるということは言わぬで分かって居る。そうすると残る所は、特に権利を与えるのはこの法文で見るというと、殺された者の内の者に賠償権を与えるという、そういうことにしか見えませぬが、之は如何なものでございましょうか。損害と云って、どんなにして見積るのでございましょうか。前条の七百三十一条でも余程難しいと思いますが、この場合は尚更難しいと思います。恰度親が殺された。大変な苦痛を感ずるに違いない。それが為めに身体の健康を害うとか、直接の損害その為めに、或は前条の如く身体を害されて病気で寝て居るかも知れぬ。親が殺された、それが為めに子が病気に為って居るというような事があるかも分らぬ。そういう者は、人情上現に悲みを授来すに違いないというので、それを慰める為めに賠償をするということであると大変難しいと思いますが、どういう事を言うのでありますか。前条は長谷川君の御説で改めることに為ったのでありますが、それに付いて心附きましたが、前条は「裁判所ハ」云々とあったのを「被害者ハソノ損害賠償ヲ請求スルコトヲ得」ということにしようということでありましたが、それは宜しうございますが、生命の如きは被害者が請求することを得るということにしても言葉が追付かないと思いますが、何んとか変わらぬと往かぬと思いますが。
田部芳君
先程の質問に対して御説明がありましたが、どうもこの処の「其損害」というのは生命を害したる損害という意味であるということでありましたが、どうもしかし、本案では「損害」と通例言って居るときは、やはり先程の七百三十一条の箇条から推して往くと、通例どうも財産権という様な風の解釈が付きそうに思います。そういう以外のものまでも籠めるというようなときには、わざわざ断わるということに為って居りはしないか。或はこの通りでも御趣意の通りに為るかも知れぬが、少し疑いがありますからそれで土方君からも疑問もありまするし、やはり書き方は余程難しいかも知れませぬか。この無形の悲みとか、どう書いて宜しいか知れませぬが、そういうようなものに付いても損害賠償を求めることが出来るという様な趣意かどうか、書かれぬものでございましょうか。どうも趣意が明瞭し兼ねると思いますが。
富井政章君
今議決になりました七百三十一条第一項は、必ずしも七百十九条の例外と見なければならぬということはありませぬ。即ち七百十九条に於ては「損害」という字は、この規定があるが為めに民事上の損害に限るという意味に、必ずしも為るとは思いませぬ。この規定は七百十九条の適用を明かにしたとも見らるると思います。私はむしろ、重もにその方に見る。そうすれは「損害」という字は唯だ「損害」と言えば、何も財産上の損害ということではないと思います。それでこの処も「損害」と言って置て少しも差支なかろうと思います。
穂積陳重君
土方君から御論がありましたが、之は賛成することは甚だ難しいと思います。しかし・・・・・・場合も這入りまするし、裁判上往々あることで、まず第一に被害者が請求し又裁判所が正当と認めた額に為るであろうと思います。一言を以て之を御答えをすれは、ピチンとした算盤上から割出せる損害というものが生ずるのではないということを御答えをするより外ないと思います。
横田国臣君
田部君の言われる所は御もっともと思いますが、この七百十九条の次に持って往って、今度の七百三十一条の一項が這入ると、この七百三十一条は自己の場合と私は見て宜しいと思います。そうしてその次にこの箇条を入れて、それを宜い塩梅に嵌まるように、どうしてもして貰いたいと思います。そうして、この処はまず「損害賠償」と入れるが宜しいか又は入れぬが宜しいかは、その作り方で復た論じてはどうてしょうか。どうしても、この七百三十一条の一項を入れるに付いて幾分か変化を生じて、是も幾分か変化を来たすかも知れぬ。
長谷川喬君
私は、田部君の御問いに対する御答えに付いて疑いが生じました。「ソノ損害」ということは生命を害した、その害の所に当るのである故に、自分の受けた害のことならば本案の支配する所でない、斯ういうことに聴きましたが果してそうでございましょうか。
富井政章君
ただ今のは、私が先刻申した所にも関係があるようでありますからちょっと一言しますが、この修正案たる本条の規定に依て、自己の権利を害されたる場合でなければ、損害賠償を請求することは出来ぬということが明かに為りました。権利侵害というものは、自己の権利侵害ということがなければならぬということが明かに為った。
長谷川喬君
本案ですか。
富井政章君
けれども、損害というものは自己の権利に判わなければならぬものではない。
穂積陳重君
初め、この七百三十一条を書くときにも、吾々の間にも議論がありましたので、「他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハソノ損害ノ責ニ任ス」というような風に書こうかとも思いましたが、前に申しましたような理由に依ってやはり権利侵害ということ、それから一つの損害ということか出るという具合に書きました。本案は直くにその事実が生命を害したという、それ自身が損害であるということを示す為めに「其損害」と書いたのでありますが、なるほど立派によく分るように書こうと思うと田部君の言われるような疑いがあります。外国には・・・・・・、即ち「痛ミ金」というようなことがありますが、元と横田君の発議されたのも之は外の権利を害されたという名も附けられませぬ。しかしながら、権利を害されたというよりも、なお酷どい事がありはしますまいか。その悲みに対してということでありますから、それ故にその生命を害するということ、それ自身が損害を請求する権利発生の原因とは、他には何も無くても宜しいという考で唯だ「損害」と書いたのであります。若し之をもっと詳しく書こうとすると、余程文章が今のような「痛ミ」というような字があるというと、「痛ミ金ヲ払フコトヲ要ス」というようなことがあると宜しいが。
議長(箕作麟祥君)
商法にはありませぬか。
長谷川喬君
「慰謝金」。
議長(箕作麟祥君)
「慰謝金」でありましたか。それが宜しいというのでもありませぬが、何んでもそういうことがあったのでありますか。
梅謙次郎君
保険の所でありますか。
長谷川喬君
そうです。
富井政章君
私は「損害賠償」で宜しいと思います。何処までも損害賠償で宜しい。権利侵害がなければ損害賠償があり得ないということは別にちっともない。之は権利侵害の有無に拘わらない。
梅謙次郎君
「其損害」ということはどうも何か不明瞭である。「之ニ因リテ生シタル損害」と言っても財産以外の損害もやはり見積るということか極って居れは宜さそうなものである。
横田国臣君
私は斯ういう風に書て貰いたい。この前の何れ何の箇条が這入って、この悲みの所の、今の一項が這入るからしてその次に持って往って「父母、配偶者、子ニ対シテモ亦財産以外ノ何々ヲ賠償スルコトヲ要ス」という、斯ういう様な風にすれば、外のは皆自分が権利を害されたが故に生ずる悲みの賠償、是はそうでない、その子に対しても亦生ずるということであるから、恰度宜くなるだろうと思います。
梅謙次郎君
私は斯うした方が一番宜くはないかと思います。七百十九条の次に、多分別条に為らなければ往けますまいが、今の恰度七百三十二条とあるのでありますが、修正案を入れまして、そうして「及ヒ子カ之ニ因リテ受ケタル損害ヲ賠償スルコトヲ要ス」として、その次に持って往って七百三十一条の一項の文章を、例えばこんな風にする、「生命、身体、自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合」。之は何んでも宜しい。「之ニ因リテ生シタル財産以外ノ損害ヲ賠償スルコトヲ要ス」として置く。そうしてその生命を害した場合に於てですな、この自己の権利を害された場合計りを七百三十一条が見たものとすると、本統は自己の生命を害されて居らぬ、自己の財産権を害されて居るということに為る。そうすると生命を害したより生じたものは、他人の財産権を害したからということになる。是が先きに出るのはどうも面白くない。後とへ往くが穏かであります。
議長(箕作麟祥君)
趣意さえ極まれば宜いのでしょう。
梅謙次郎君
そうすれば、二箇条とも意味だけ極めて置て貰って、文章と場所を考えて見たいと思います。
議長(箕作麟祥君)
意味は、蒟蒻摺の方の意味は、宜しうございますか。
土方寧君
七百三十一条の一項の前に置こうということは不同意であります。
議長(箕作麟祥君)
意味は宜しうございますが、意味が不分明というとアナタの方で。
梅謙次郎君
意味は分かって居ります。意味は元とのままで宜しいが、元のままでは吾々の考えのように見えないからということであるようであります。
議長(箕作麟祥君)
何も実際上のことでありませぬ。それでは是は措て次に移ります。
〔書記朗讀〕
第七百三十二条 不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ハ被告者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年間之ヲ行ハサルニ因リテ消滅ス但第百六十八条ノ適用ヲ妨ケス
(参照)財三七九、オーストリア民法一四八九、スイス債務法六九、モンテネグロ財産法五八五、ドイツ民法第一草案七一九、同第二草案七七五、プロイセン一般ラント法一部六章五四、五五、イギリス出訴期限法三、(Act for the Limitation of Actions. 21 Jac. 1. c. 16)
穂積陳重君
本条に付いては長い説明を致す必要はありませぬ。期限間題であります。唯既成法典では刑事であるならば、刑事訴訟法の時効に従うということか書てあります。又オーストリアはやはり三年と為って居ります。又・・・・・場合にも三十年を超えない。スイスは一年と十年、「モンテネグロ」も一年と十年、ドイツ民法草案は三年と三十年、プロイセンも三年と三十年、イギリスの出訴期限法に於きましては之は種々に為って居ります。不法行為の種類に依て、或は六年或は四年或は二年とありますが要するに通常の出訴期限よりは余程短かく為って居ります。本案は即ち、この通常の場合は三年、その他は消滅時効の規定に従うというのであります。
横田国臣君
この「三年間」というのは、期限のことでありますから長くは申しませぬが、如何なものでございましょうか。この損害とか加害者とかいうものは何時でも何処か逃げたようなことがございましょうか。そういう時には中断でもやって置くというのでございましょうか。中断はあってもやはり三年間行わねば往けぬものでございましょうか。そうすると今の本統に加害者があるというても、それに付いては人を殺したというような場合は唯だ親父を殺されたという損害、又加害者は誰れであるというようなこと、それを何するに非常に証拠を要する。その証拠の為めには、実は刑事の裁判も要する位でありますが、それを三年間を以てすぐさま消滅にする。どうも事実はそうは往くまいと思うのでありますが如何でございましょう。
穂積陳重君
之は一体の特別時効規定でありますからして、この処に断ってある外は通常の何に障らぬと私独りは解釈して居ります。しかし間違って居ったら、なお他の起草委員から直おして戴きます。それでこの三年と申しまするのは、三年行はなければ消滅をする、その三年というものが証明したり何かするのに短かくはないかということでありますが、それは横田君その他判事諸君がよく御存知に為って居ることでございましょうが、大概他の権利の色々な権利を証明するとか何んとかいうことでなくして、殊に外とに顕れる事でありますから、三年位で宜しいと思います。人を殺したというような風の場合で三年が差支えるということでありますれば、それはまたよく考え直さんければならぬが、大概の場合は三年が宜しいという素人考で思ったのであります。
土方寧君
私は「加害者ヲ知リタルトキヨリ」とありますから、三年で宜しいと思いますが。私の疑いは但書でありますが、之は要りましょうか。
梅謙次郎君
之は無くては困る。
土方寧君
無くても当り前のように思われる。
梅謙次郎君
そうは往かぬ。知らなければ百年でも二百年でも権利が生ずるから。
横田国臣君
中断さえ出来れば宜しいと思います。
梅謙次郎君
それは出来ませぬ。既成法典は不変期間の定は皆刑事訴訟法に従うというので、民事訴訟法で三十年も時効というのでアレも中断が出来ると為って居りますが、それはとんでもない間違いと思いますが、本案ではそういうことのない為めに時効は特に時効と断わる。断わらなければ不変期間であるということは、度々御断りをして居るのであります。それだから時効なら時効と書かなければ往かぬ
富井政章君
「行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」としたら宜しい。
土方寧君
私は百六十八条との関係を一つ御説明を願います。之を書て置くのか分らぬ。
穂積陳重君
今のような訳でありますから、之を書いて置かぬと別して不都合である。「時効ニ因リテ」ということが書てあると時効の事はそれでずっと嵌まる。しかしながら加害者を知ってから三年、そうすると加害者が二十年間知れなかった、そうすると二十八年に為る。但書を削ると百年後とてもそれから三年間は往ける、そういう違いが生じます。それで但書は要る。
横田国臣君
「行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」か宜しい。
議長(箕作麟祥君)
そうすると中断することは出来るというようになりますか。
梅謙次郎君
そうです。
土方寧君
但書の趣意は分りましたが、どうでございましょうか。今までの規定の有様から言うと、どうも但書の無い方か宜しいと思います。加害者が知れぬということは被害者に取って不幸であります。が而して過失、故意等を証明・・・・・・・、それは証拠で挙げてからでございましょうが、証拠は挙げ悪くいかそれは自分の不幸で仕方ない。それでも証拠が出来たならば賠償を求めることか出来るということにして置けば賠償を求めるということの趣意は貫くけれども知らなかったならば長く掛ったら往けぬというと、一方に於ては加害者に無限の責任を与えて置く、それと釣合を失う。それで私の考えではこの但書は無い方か宜しいと思います。
梅謙次郎君
太く短かい。太く短かくでは始末におえない。太いからなお短かくして置かなければならぬ。
横田国臣君
それでは、この処の「三年間」の下は「之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス」と直したい。
中村元嘉君
賛成。
議長(箕作麟祥君)
中断の出来るようにするということだけ違うのでありますな。
横田国臣君
そうです。
議長(箕作麟祥君)
決を採りましょう。起草者も賛成でありますか。
梅謙次郎君
私は反対もしませぬ、又賛成もしませぬ。
穂積陳重君
実際かそれが宜しいということならば賛成します。
議長(箕作麟祥君)
それでは、ただ今の横田君の御説に賛成の方の起立を請います。
起立者 多数
議長(箕作麟祥君)
多数であります。それでは本条は是れで確定として置きます。前の条は起草委員に御再考を煩わすということに為ります。是で散会。