民法(~2019年)

民法(債権関係)部会資料66B 民法(債権関係)の改正に関する要綱案の取りまとめに向けた検討(3)

参考原資料

第1 意思表示(錯誤)
(注)ここでは中間試案第3、2「錯誤(民法第95条関係)」のうち後記1及び2の論点のみを取り上げ、他の論点については別の機会に取り上げる。
1 動機の錯誤が顧慮されるための要件(中間試案第3、2(2)ア)
いわゆる動機の錯誤が民法第95条の錯誤として顧慮されるための原則的な要件としては、表意者の誤った認識が法律行為の内容になっていたことを要するという案が示されているが(中間試案第3、2(2)ア)、この要件については、その内容を更に具体的に表現すべきであるとの考え方があるが、どのように考えるか。
(説明)
1 中間試案においては、動機が法律行為の内容になっていたときはその錯誤が民法第95条の錯誤として顧慮され、これが要素の錯誤の要件を満たす場合には、表意者は錯誤を理由として意思表示を取り消すことができるという案が示されている。これは、動機の錯誤に関する従来の判例の考え方を基本的に維持し、これを明文化することを試みようとするものである。
なお、判例は、動機が表示されていることを重視しているという理解に基づき、動機が表示されていることを動機の錯誤が顧慮されるための要件とすべきであるという見解があり、パブリック・コメントの手続に寄せられた意見の中にも、このような意見が見られる。しかし、表意者が動機を相手方に伝えさえすれば錯誤を主張することができるとすると、取引の安全を大きく害するおそれがある。そこで、判例が言う法律行為の内容になるという要件を付加せざるを得ないが、これが必要であるとすると、逆に、これに加えて「表示」が必要であるかどうかには疑問が生ずる。以上から、中間試案では、動機の錯誤を顧慮するための要件として表示を不要とし、法律行為の内容になるという要件が満たされれば、動機の錯誤として考慮されるという案を示したものである(中間試案の補足説明18頁)。
2 中間試案では、上記のとおり、当事者の認識が「法律行為の内容になる」場合には動機の錯誤として顧慮されるという案が示されているが、判例には、この表現のほか、
「意思表示の内容になる」という表現を用いるものも多い。他方、この要件が必要となる根拠の一つの説明として、事実に関する認識の誤りのリスクを表意者が相手方に転嫁するにはそれが相手方との間の合意の内容に取り込まれている必要があるという考え方が示されている。このような説明からすれば、表意者の一方の行為ではなく、表意者と相手方の合意である法律行為の内容になっていることを要件とすることが適切であるとも考えられる。「法律行為の内容になる」と「意思表示の内容になる」の内容の異同、動機の錯誤が顧慮されるための要件としての適否については十分に解明されていないように思われるが、どのように考えるか。
3 「法律行為の内容になる」という要件を設けるとしても、この表現は必ずしも分かりやすいものではないとの指摘があり、パブリック・コメントの手続に寄せられた意見においても、このような意見がみられた。そこで、「法律行為の内容になる」の意味を更に検討し、より理解しやすい表現に改めることが考えられる。
他方、「法律行為(意思表示)の内容になる」という表現は、これまでも判例で用いられてきたものであり、この表現自体が定着したものであるとも言える。また、この要件が具体的に何を意味するかについては学説の理解も分かれており、これまで蓄積された裁判例の判断の内容を変更せずに適切に言い換えるのは困難であるとも考えられる。そうすると、むしろ、判例の「法律行為の内容になる」という表現をそのまま採用すべきであるとも考えられる。
この点について、どのように考えるか。
4 仮に、「法律行為の内容になる」という表現を改める場合には、どのような表現が適切であると考えられるか。
この点については、この要件が必要とされる根拠から検討する必要がある。部会においては、この点についての一つの説明として、法律行為をするに当たって重視した事実の認識が誤りであるリスクは原則として表意者が負担すべきであり、これを相手方に転嫁するにはその認識が相手方との合意の内容に取り込まれている必要があるという意見があった。これは、当事者が事実の認識の誤りのリスク分配についてどのような合意をしたかを重視する合意主義的な考え方であるが、このような合意主義的な考え方によるのであれば、端的に、「ある事実の認識が誤ったものであったとすれば表意者はその法律行為を取り消すことができる旨の合意がされていたとき」を要件とすることが考えられる。
これに対しては、黙示的なものを含むことを前提としても、動機の錯誤に基づく無効又は取消可能を認めるべき場合として限定されすぎているという批判が考えられる。特に、当事者双方が当然の前提としていた事実の認識が誤っており、その認識が誤っていることを知っていたら当事者のいずれもがその法律行為をしなかったと考えられる場合においては、錯誤による取消しを認めるのが相当であると考えられるが、その事実の認識が当然の前提とされているだけに、その事実が誤っていた場合についての合意があるとは認定しにくい場合があると考えられる。そこで、①その事実の認識が誤ったものであったとすれば表意者はその法律行為を取り消すことができる旨の合意がされていたときに加え、②当事者双方がその事実を前提としていたときにも、その事実の認識についての錯誤が顧慮されるとすることが考えられる。
もっとも、この①と②を合わせても、これまで動機の錯誤が顧慮されてきた場面に比べるとなお狭いという指摘もあり得る。また、そもそも、上記のような合意主義的な理解は有力な見解ではあるものの、錯誤の理解については様々な見解が主張されており、合意主義的な理解に基づいて「法律行為の内容になる」という要件を具体化することに対しては異論があることも予想される。
以上を踏まえて、「法律行為の内容になる」という要件の内容及び表現について、どのように考えるか。
2 動機の錯誤が相手方によって惹起された場合
表意者の錯誤が、相手方が事実と異なることを表示したために生じたものである場合には、それが法律行為の内容になっていないときであっても民法第95条の錯誤として顧慮される旨の規定を設けるという考え方があるが、このような規定の要否、具体的な要件の内容等について、どのように考えるか。
(説明)
1 中間試案の概要
中間試案においては、相手方が事実と異なることを表示したために表意者が動機の錯誤に陥った場合には、動機の錯誤が顧慮されるための原則的な要件である「法律行為の内容になる」という要件を満たしていなくても、動機の錯誤が顧慮されるという案が示されている(中間試案第3、2(2)イ)。これに対しては、パブリック・コメントの手続に対して寄せられた意見においても、規定を設ける必要性や要件の妥当性など、様々な観点から批判的な意見が少なくなかった。そこで、このような規定を設けることの可否や設ける場合の具体的な規定内容を検討するため、この規定を設ける根拠や、その適用場面、これに対する批判の根拠などを検討しておくこととする。
2 どのような場合に錯誤に基づいて意思表示を取り消すことができることとするかは、意思決定に当たって考慮された事実の認識に誤りがある場合に、そのリスクをどのように分配するのが妥当かという問題である。その分配において、表意者が自ら勘違いをした場合と、相手方によって錯誤が引き起こされた場合とでは、異なる考慮が働くことは否定することができないように思われる。中間試案第3、2(2)イのルールは、意思表示に当たっての事実認識の誤りのリスクは原則として表意者が負担すべきであり、表意者が自ら勘違いをした場合には、この原則に従うべきであるが、相手方が事実と異なる表示をしたために表意者が錯誤に陥った場合には、表意者はそれを信じて誤認をする危険性が高く、また、相手方が錯誤の原因を生じさせた以上、誤認のリスクを相手方が負担することがむしろ当事者間の公平に合致することから、上記の原則を修正するものである。加えて、これまでの裁判例においても、動機の錯誤に関するルールの適用に当たって、相手方が事実と異なることを表示したために表意者が錯誤に陥った場合には、緩やかに錯誤無効が認められてきたという指摘がされている。
これに対し、パブリック・コメントの手続に寄せられた意見の中には、情報において劣位にある者の保護は必要に応じて特別法で規定を設けるべきであり、現に消費者契約については消費者契約法において規定が設けられているから、民法に規定を設ける必要はないとの意見が少なくない。情報において劣位にある者の保護という政策的な目的に基づく規定を民法に設けるのはふさわしくないという指摘もある。
しかし、上記のとおり、中間試案第3、2(2)イは、特定の場面における特定の者を保護するためのルールではなく、事実誤認のリスクをいずれの当事者が負担するかという問題について、どのような属性の当事者であっても、相手方が表意者の錯誤の原因を作り出したという点に着目すると、そのリスクを相手方に負担させることが公平に合致するという考え方から主張されているものであると言える。したがって、このような一般的な考え方自体の当否や、要件面がこれで十分であるかどうかの議論はあり得るとしても、このルールが特別法で対処すべき問題であるとか、政策的な規定であって民法になじまないという批判は当たらないように思われる。
3 表意者が自ら動機の錯誤に陥った場合と相手方の表示を信じたために動機の錯誤に陥った場合とで、理論的には、意思表示をするに当たっての事実誤認のリスクの配分の在り方が異なり得ると考えられるが、その上で、相手方の事実と異なる表示を信じた場合について、通常の動機の錯誤に関するルールとは異なるルールを適用することによって具体的にどのような差異が生ずるかを検討しておく必要があるとの指摘がある。この点について、部会においては、相手方が事実と異なることを表示したことによって表意者が錯誤に陥ったケースとして、次のような例が挙げられた。
① 商品の売買において、その商品の動作環境や性能などについての売主の説明の内容が事実と異なっていた場合
② 不動産の売買において、土壌の汚染度について売主の説明の内容が事実と異なっていた場合
③ 投資物件への投資において、収益性についての売主の説明が事実と異なっていた場合
④ 融資契約において、財務状況についての借主の説明が事実と異なっていた場合、動機の錯誤を顧慮するための一般的なルールとして「法律行為の内容になる」という要件が提示されているのに対して、相手方が事実と異なることを表示したために表意者が錯誤に陥った場合については、この法律行為の内容化という要件を不要とすることが提案されている。上記の各事例においては、相手方が事実と異なることを表示しているため、上記の提案によれば、法律行為の内容化要件が満たされていない場合であっても、表意者の動機の錯誤は民法第95条の錯誤として顧慮されることになる。したがって、上記の各事例において、表意者が意思表示をするに当たって認識した事実が法律行為の内容になっていたとは言えないと考えるのであれば、相手方が事実と異なることを表示した場合について特別な要件を設けることは、事案についての具体的な結論の差異をもたらすこととなる。他方、これらの場合であっても、相手方が表示したとおりの性能や収益性を有するものとして契約が締結されていたのであれば、法律行為の内容化要件を満たしているとも考えられる。そうすると、これらの事案で意思表示の効力が否定されるという具体的な結論に差異は生じないが、法律行為の内容化要件を具備することを主張立証する必要がなく、相手方が事実と異なることを表示したことを主張立証すれば動機の錯誤が顧慮されることとなる点で、表意者の救済にとっては意味があるとも考えられる。
以上の点について、どのように考えるか。
4 相手方が事実と異なることを表示したために表意者が錯誤に陥った場合についての規定を設けるという考え方は、従来の裁判例においても錯誤が相手方の表示によるものであるときはより緩和された要件の下で錯誤無効が認められてきたという分析を背景としても、主張されている。このような分析を前提とすれば、中間試案第3、2(2)イのルールは、裁判例を明文化するという性質を有することになる。
そのような裁判例の一つとして、部会では、次のような裁判例が挙げられた。すなわち、信用保証協会が、銀行から提供された情報に基づいて保証契約を締結したところ、その情報が誤っており、融資を受けた中小企業が実体のない企業であったという事案で、信用保証協会による錯誤の主張を認めたという事案である。
もっとも、この裁判例の評価については、相手方が動機の錯誤を惹起した場合一般について要件を緩和したものと見ることができるかどうか、意見が分かれ得る。また、この裁判例の評価に限らず、下級審裁判例一般について、相手方が錯誤を引き起こした場合に動機の錯誤として顧慮されるための要件が緩和されていると言えるかどうかについても、評価は分かれているように思われるが、これらの点についてどのように考えるか。
5(1) 中間試案第3、2(2)イに対しては、規定を設けること自体に対する批判のほか、提示されている要件が適切でないという意見も示されている。
中間試案第3、2(2)イは、相手方が事実と異なることを表示したために相手方が動機の錯誤に陥った場合には、それ以上に要件上の限定なく、その錯誤が民法第95条の錯誤として顧慮されるとするものである。しかし、事実を誤認したリスクをいずれが負担するかは、事実と異なる情報に基づいて意思表示がされたことについての当事者双方の帰責性の有無及び程度、その情報の性質(いずれのアクセスしやすいものであるか)、当事者の属性などをも考慮して判断する必要があるとも考えられ、相手方が不実の表示をしたことから直ちにそのリスクを相手方が全面的に負担しなければならないわけではないとも考えられる。そうであるとすると、動機の錯誤が顧慮されるための要件は、相手方が事実と異なる表示をしたことだけでなく、上記の要素を含めてより精緻にする必要があるとも考えられる。
パブリック・コメントの手続に寄せられた意見には、まず、相手方の要件として、相手方が不実の表示をしたことについて過失がない場合にもその意思表示を取り消すことができることとするのは相手方にとって酷であるという意見があった。このルールは、詐欺などと異なり、相手方が事実と異なる表示をしたときは、相手方がそのことについて故意はもとより過失がない場合にも、表意者はその意思表示を取り消すことができることとするものであるが、このようなルールは相手方にとって酷であり、情報収集の失敗のリスクの分配の在り方として適切ではないというものである。これに対しては、意思表示の前提となった事実認識の誤りのリスクをどのように分配するかという観点からすれば、表意者がそれを信じたことについて重過失がないことが要求されていることに加えて、あくまで要素の錯誤に当たるかどうかの評価が加わるので、無過失で不実の表示をした側にリスクを負担させるべき事情が考慮できる要件となっているとの指摘も可能である。
また、動機の錯誤が顧慮されるための要件として、表意者が相手方の不実の表示を信ずることが正当な場合であることが必要であることとすべきであるとの意見があった。相手方が事実と異なる表示をしたとしても、表意者の属性や情報の性質に鑑みると表意者が相手方の表示をそのまま信頼することに正当な理由がないと考えられる場合には、相手方が事実と異なる表示をしたために表意者が錯誤に陥ったとしても、そのことだけでは動機の錯誤として顧慮すべきではない(原則に従って法律行為の内容化の要件が必要である)というものである。前提とした事実認識が誤りであることのリスクをどのように分配するかという観点からすれば、相手方の表示を信じたことが正当であるとはいえない場合にまで、そのリスクを相手方に負担させることは相当でないという考え方に基づくものであると考えられる。これに対しては、表意者が相手方の事実と異なる表示を正当に信頼したときは、通常、その表示の内容が法律行為の内容になると考えられるため、中間試案第3、2(2)アに加えて同イを設ける意義が小さくなること、事実と異なることを表示したことによって表意者を錯誤に陥れた者が、表意者に過失があることを理由として表意者をその法律行為に拘束し続けることは適当とは言い難いことを根拠に、これを要件とすることに反対する意見がある。また、不実の表示に基づく動機の錯誤が民法第95条の錯誤として顧慮されるとしても、そのことによって直ちに無効(取消し)が認められるわけではなく、要素の錯誤に該当する必要があるが、この要件は規範的な要件であってその該当性の有無の判断に当たって様々な事情を考慮することができること、さらに表意者に重過失がないことが要求されており、ここでも表意者の事情を考慮できることからすると、民法第95条の錯誤として顧慮されるかどうかの要件として信頼の正当性を要件としなくても、同様の考慮はこれらの要件の判断に当たって織り込むことができるとも考えられる。
相手方の過失の有無、信頼の正当性の要否を含め、相手方が事実と異なることを表示したことによって表意者が錯誤に陥った場合に、その動機の錯誤が顧慮されるための要件について、どのように考えるか。
(3) パブリック・コメントの手続に寄せられた意見には、この規定が表明保証の実務に悪影響を及ぼすことを指摘する意見が少なくなかった。すなわち、今日の契約においては表明保証条項が多く用いられているが、表明保証がされた事項については、取引が実行された後にそれが事実と異なっていたことが判明したとしても、相手方は損失補償の請求によって救済されることとし、その契約の効力自体は維持することが予定されているのに、中間試案第3、2(2)イのようなルールを設けると、このような場合であっても契約の効力を否定することになるのではないかとの指摘である。
この点については、例えば、その表示を信じたことと意思表示をしたこととの間に因果関係がないことなどを理由として、錯誤の主張は否定されるという考え方が示されているが、契約締結前に表明保証された事項が事実と異なることを知っていたら当事者はその法律行為をしなかったであろうと言えるから、因果関係が否定されるとは言えず、因果関係の不存在を理由として中間試案第3、2(2)イの適用を否定することはできないとも考えられる。
もっとも、中間試案第3、2(2)イのルールは、動機の錯誤に関する一般ルールにおける法律行為の内容化という要件を不要にするという限度での特則に過ぎないので、表明保証条項に関して上記のような懸念があるとすれば、それは、同イの場面だけで問題になるのではなく、現在でも、動機の錯誤に関するルールと表明保証の効力との関係という形で問題になり得る。この懸念に対応する必要があるとすれば、同イのルールを設けるかどうかとは別に、錯誤の規定そのものを合意で排除することができるか、できるとしてその旨の規定を新たに設けるかどうかを検討するほかないようにも思われるが、どのように考えるか。
第2 無効及び取消し 1 法律行為の一部無効 法律行為の一部に無効原因がある場合に、その法律行為の一部が無効になるにとどまり、残部の効力が維持される場合と、その法律行為全体が無効になる場合とがあるが、両者を区別する基準についてどのように考えるか。 (説明) 1 中間試案の考え方の概要 法律行為の一部が無効である場合に、その部分のみが無効であって他の部分の効力が維持される場合と、法律行為全体が無効になる場合があることについては、基本的には異論がないと思われる。しかし、一部無効にとどまる場合と全部無効が導かれる場合とがどのような基準によって区分されるかは条文上明らかでなく、解釈に委ねられている。 中間試案の考え方は、当事者が行った法律行為の効力に過度に介入することのないよう残部の効力が維持されるのを原則とした上で、例外的に全部無効をもたらす場合を、「残部のみでは当事者がその法律行為をしなかったと認められるかどうか」という基準で選別しようとするものである。これは、本来であればすることのなかった法律行為に拘束されるのは不当であるという考え方に基づくものであり、私的自治の考え方を重視したものであると言うことができる。 中間試案に対するパブリック・コメントの手続に寄せられた意見には、中間試案に賛成する意見もあったが、法律行為の無効が一部にとどまるのか全体に及ぶのかについては、個別の法律行為の事情を勘案した上で決定する必要があり、民法に一律に規定することが実態に適合するのか疑問であるなどとして反対するものもあった。 2 中間試案の考え方についての検討事項 中間試案の考え方については、その内容を更に明確にするため、次のような点について検討する必要があるが、これらの点について、どのように考えるか。 (1) 「当事者」の意義について まず、問題になる法律行為が契約である場合に、無効が一部にとどまるか全体に及ぶかを判断する基準となる「当事者」が当事者双方のことを指すのか、いずれか一方の当事者を指すのかという問題がある。 この点について、中間試案の補足説明においては、当事者双方のことを指すという考え方に従って説明がされている。しかし、この考え方では、一方が「その法律行為をしなかった」と認められる場合であっても、他方についてそのような事情がないときは、その一方は法律行為に拘束されることになり、当事者が本来であれば望まなかった法律行為に拘束されることを回避しようとした中間試案の趣旨が貫徹できないとも考えられる。また、契約の一部が無効になることは、当事者の一方にとって有利に、他方にとって不利に働くことが少なくないと考えられるが、それが有利になる当事者にとっては、そのことを知っていたらなおさらその法律行為をすることを望むであろうから、「一部無効を知っていたらその法律行為をしなかった」という要件を満たすことは考えにくい。そうすると、上記の基準によれば、契約の一部に無効原因があることが全部無効をもたらす場合はほとんどないことになりかねない。また、実質的にも、当事者の一方が残部の効力の維持を望んだとしても、無効となる部分の重要性や他方当事者の不利益などを考えると、契約全体を無効とすべき場合もあるように思われる。 逆に、一方の当事者について、「残部だけではその法律行為をしなかった」という事情があるときは、他方の当事者が残部だけでもその法律行為をしたと認められる場合であっても全部が無効になるとすると、一方の事情のみによって他方の当事者がその法律行為から得ようとした利益を一方的に奪うことになるが、その当否には疑問が生じ得る。また、法律行為の一部が無効である場合は、そのことが一方にとっては有利になり、他方にとっては不利になる場合が少なくないと考えられるが、特に契約全体の有効性が当事者間で問題になる事例では、不利になる当事者は「無効であることを知っていればその法律行為をしなかった」という要件を満たすことが多いと考えられるから、このような基準によれば、紛争事例ではほぼ常に契約全体が無効になりかねず、紛争を解決するための基準として適切な規範を提供していると言えるかは疑問がある。 (2) 「その法律行為をしなかったと認められる」の意義 上記(1)とも関連するが、当事者が一部無効を知っていれば「その法律行為をしなかったと認められる」という基準を採る場合に、これが当事者の主観的事情を指すのか、客観的に判断されるのかが問題になる。 当事者が、一部無効を知っていればその法律行為をするつもりはなかったという主観的な事情を基準とするのであれば、特に上記(1)において「当事者」とは一方当事者を指すと考える場合には、相手方にとって法律行為の効力の安定性が害されることになりかねない。他の制度と比較すると、例えば錯誤も当事者の一方の事情によって法律行為を無効とするものであるが、錯誤によって無効という効果が生ずるのは当事者が錯誤に陥った事項に客観的重要性がある場合に限定されており、このような要件を通じて相手方の利益との調整が図られている。これに対して、一方当事者の主観的事情のみによって法律行為全体の無効を導くとすれば、無効となる部分を相手方がどれほど重視していたかなどを当事者が認識するのが困難な場合もあることを考えると、一方の当事者にとって予測を超えた損害を与えるとも考えられる。また、上記(1)において「当事者」とは双方の当事者を指すと解するとしても、当事者にとって、その要件が充足されているかどうかを直ちには判断しがたいという面があることは否定できないように思われる。 そこで、当事者が一部無効を知っていればその法律行為をしなかったと言えるかどうかを、当該当事者の主観のみを基準として判断するのではなく、例えば、当事者が主観的に「その法律行為をしなかった」と言えることに加え、一部に無効原因があることを知っていたら、合理的な当事者であればその法律行為をしなかったと言えることを要件とすることなどが考えられる。 もっとも、その判断を客観化すれば、その当事者が本来望まなかったであろう法律行為に拘束されることを回避しようとした中間試案の趣旨から乖離した結果になるおそれもある。 (3) 当事者の仮定的意思以外の要素の考慮 学説においては、当事者が一部無効を知っていたらその法律行為をしたかどうかという要素のほかに、無効原因のある部分が法律行為全体の中で主要な部分を占めていると言えるかどうかや、その部分を無効とする規範の性格などを考慮要素として挙げる見解が多い。実際の紛争の解決に当たってこれらの要素を考慮すること自体は合理的なものであると考えられるが、そうであるとすると、これらの要素を中間試案の提案との関係でどのように位置づけるかが問題になる。 これらの要素を、当事者が「一部無効を知っていたらその法律行為をしたかどうか」という基準を当てはめる上で、いわば当事者の仮定的意思の解釈準則として位置づけるのであれば、これらの要素の考慮は、中間試案の提案とは矛盾せず、その基準の適用の問題に解消される。しかし、上記のうち、特に一部無効を導く規範の性質は、このように仮定的意思の解釈準則として位置づけることで足りるかどうか疑問もあり、むしろ当事者の仮定的意思とは独立の要素として考慮されているようにも思われる。仮に、当事者の仮定的意思に解消することができない要素が考慮されるのであれば、中間試案の定式が妥当であるかどうかについて、更に検討する必要がある。 なお、比較法的には、ドイツ民法第139条は、「無効である部分がなくともその法律行為が行われたであろうと認めることができない場合」に法律行為の全部を無効とするものであり、中間試案の考え方と同様のものであると言える。これに対し、ユニドロワ国際商事契約原則2010第3.2.13条は「契約の残りの部分を維持することが、当該状況の下において不合理であるとき」、ヨーロッパ契約法原則第4:116条は「事件のすべての事情を十分に考慮すれば契約の残余部分を維持するのが合理的でない場合」に法律行為の全部の効力が否定されることとしており、そこでは、当事者の主観的事情にとどまらない要素が考慮されていると考えられる。 2 取消権の行使期間(民法第126条関係) 民法第126条の規律については、その定める期間が長すぎるとして、中間試案においては、短縮化が提案されているが、その当否や具体的な期間については、消滅時効期間や、他の権利行使期間の制限などとのバランスも考慮して、改めて検討することとしてはどうか。 (説明) 中間試案では、取消権の行使期間を定める民法第126条について、追認可能時から5年、行為時から20年という期間が長すぎるとして、追認可能時から3年、行為時から10年に短縮するという案が示されている。パブリック・コメントの手続に寄せられた意見には、取消権の行使期間を短縮することは取消権者の救済の余地を狭めるとして、反対する意見が多かった。 この点については、債権の消滅時効期間や、他の権利の行使期間などとのバランスにも配慮して決定する必要があると考えられるので、消滅時効期間などについての方向性が固まった段階で、改めて検討することとしてはどうか。