民法理由書
参考原資料
- 民法理由書 , (一) [国立国会図書館デジタルコレクション]
- 民法理由書 , (二) [国立国会図書館デジタルコレクション]
- 民法理由書 , (三) [国立国会図書館デジタルコレクション]
- 民法理由書 , (四) [国立国会図書館デジタルコレクション]
- 民法理由書 , (五) [国立国会図書館デジタルコレクション]
- 民法理由書 , (六) [国立国会図書館デジタルコレクション]
備考
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民法理由書
財産編
総則 財産及物ノ区別
権利ヲ有スル者之ヲ権利ノ働方ノ主体ト謂ヒ権利ノ行使ヲ受クル者之ヲ受方ノ主体ト謂フ権利ノ主体ハ其働方ナルト受方ナルトヲ問ワズ凡テ人ニシテ人ニ関スル事項ハ人事編ノ規定スル所ナリ
本編ハ財産及ヒ物ノコトヲ規定ス財産ハ権利ニシテ物ハ権利ノ目的ナリ権利ノ目的トハ其上ニ権利ノ存スル所又ハ権利ノ取得セシムル所ノ物ヲ謂フ
然リト雖モ未タ権利ノ目的タラサル所ノ物アリ例エバ野獣飛禽又ハ魚類ニシテ人ノ未ダ捕獲セサル所ノモノノ如シ然レトモ此等ノ物ハ一旦人ノ捕獲ニ罹リタルトキハ直チニ権利ノ目的タルコトヲ得ベシト雖モ此他猶決シテ権利ノ目的トナルコト能ハサルモノアリ。縦ヒ其一分ニ付テハ権利ノ目的タルコトヲ得ルモ尚ホ其全体ニ付テハ然ルコト能ハザルモノアリ例ヘバ空気河海ノ水ノ如シ此ノ如キ財産タラサル物ト雖モ法律ハ其性質ヲ明カニシテ之ヲ示サザル可ラス蓋シ之ニ関スル規定就中禁止ノ規定ヲ解スルニ必要ナレバナリ総則ニ於テ同時ニ財産ノ区別ト物ノ区別トヲ示スハ此理由ニ基クモノナリ
総則ノ目的トスル所ハ主トシテ物ノ実質上又ハ法律上ノ性質ニ在リ後ニ至テ此等ノモノガ各人又ハ法人ノ資産ニ如何ナル関係ヲ有スルヤ之ヲ詳言スレバ此等ノ物ハ権利ノ目的ト為リ得ルヤ否ヤ又如何ナル程度迄権利ノ目的タルコトヲ得ルヤヲ明ニスルハ皆茲ニ掲グル原則ノ結果ニ過キサルナリ
第一条
立法者ノ主トスル所ハ定義ヲ下スニ非ス寧ロ命令許可若クハ禁止ヲ為スニ在リ又務メテ純然タル学理ノ原則ヲ掲クルコトヲ慎マサルベカラスト雖モ猶ホ或ル場合ニ於テハ法律ノ真正ノ解釈ヲ全フスル為ニ定義ヲ下スコト有益ナリ之ヲ要スルニ程度其宜ヲ得ルニ在リ而シテ是レ立法者自ラ識別スベキ所ナリ
其レ然リ故ニ立法者ハ先ツ財産ノ権利ニ外ナラサルコトヲ宣言スルノ必要ヲ感ジタリ凡ソ一個ノ物、法律ノ認メタル方法ノ一ニ依テ吾人ノ資産中ニ入ラサル限ハ未ダ吾人ノ為ニ財産ナルモノ有ラス即チ権利ナルモノ有ラス唯一個ノ物アルノミ
本条ハ財産ノ何物タルコトヲ明カニスルト同時ニ財産ガ各人又ハ国、府県、市町村、公設所、会社ノ如キ法人ニモ属シ得ヘキコトヲ明カニセリ
法人ナル語ハ本法ニ於テ創メテ之ヲ用イタルニ非ズ既ニ他ノ行政法ニ於テ之ヲ使用セリ概シテ法人ハ普通ノ各人ト同シク其有スル権利ヲ行使スルモノナリ其各人ト同一ナラサル場合ハ特ニ法律ヲ以テ之ヲ規定ス
又本条ハ権利ニ二種アルコトヲ明カニセリ物権及人権是ナリ此二種ノ権利ハ第二条及第三条ニ於テ之ヲ明カニセリ
第二条及第三条
本邦往事ノ法律ニ於テハ物権ト人権トノ間明カニ其性質ノ差異ヲ確認シタルモノナシ然レドモ往事ニ於テモ此差異ノ已ニ存シタルコトハ猶ホ今日ノ如シ何トナレバ此差異タルヤ全ク物ノ性質ヨリ来ルモノナレバナリ故ニ未タ所有者ト債権者トヲ混同シタルモノアラス又已ニ我有スル所ノ物ト単ニ他人ニ対シテ請求シ得ル所ノ物トヲ同一視シタルコトナシ本法ニ於テハ明カニ此両種ノ権利ノ区別ヲ示シ以テ此区別ヨリ生スル結果ノ適用ヲ容易ナラシメタリ
又物権及人権ヲ各別ニ其性質及主タル効力ヲ明カニシ以テ裁判上法律ノ解釈ヲ容易ニシ併セテ各人ヲシテ法律ヲ知ルニ便ナラシメタリ
物権ハ其性質上之ヲ有スルモノ直チニ物ノ上ニ行フコトヲ得ヘシ而シテ我有スル権利ノ収益ヲ為ス為ニ何人ノ干渉ヲ受クルヲ要セス之ニ反シテ人権即チ債権ハ第一ニ特定ノ人即チ債務者ニ対シテ行フ権利ナリ債権者ハ債務者ノ義務ガ或事ヲ為スニ在ルト之ヲ為サザルニ在ルトノ区別ニ従ヒ之ニ対シテ作為又ハ不作為ヲ請求スルコトヲ得ルノミ故ニ債権者カ人権ニ依テ一個ノ権利ヲ取得スルニ至ルハ債務者ガ義務ヲ履行シタルノ後間接ニ然ルコトヲ得ルノミ
其主タル効力ヨリ論スルトキハ物権ハ凡テノ人ニ対抗シ得ルノ点ニ於テ人権ト異ナリ即チ物権ハ何人ト雖モ其目的タルモノノ上ニ工事ヲ起シ又ハ主張ヲ為シテ之ヲ妨碍シ又ハ其行使ヲ妨クルモノニ対抗スルコトヲ得之ニ反シテ人権ハ或ハ契約ニ依リ或ハ法律ノ認メタル其他ノ原因ニ由テ特ニ義務ヲ有スル人ニ対シテノミ行フコトヲ得ベシ
物権ト人権ノ差異ニシテ其性質ト効力トニ関スルモノ有リ即チ物権ハ概シテ一個ノ物ニ付キ同時ニ二人以上ノ人ガ同一ノ権利ヲ有スルコトヲ許サズ之ニ反シテ人権ハ同一ノ人ニ対シ二人以上ノ人ガ同時ニ同一ノ権利ヲ有スルノ妨タラズ此区別ハ権利ノ行使ヲ受クル者カ無資力ナル場合ニ於テ緊要ナリ若シ物権ナルトキハ他人ノ物ヲ押領シタルモノノ無資力ハ決シテ其物ヲ権利者ノ手ニ取戻ス為ニ妨害タラズ然レトモ若シ一人ノ無資力者ニ対シ数人ノ債権者カ人権ヲ行使スル場合ナルトキハ凡テ其債権者間ニ質、抵当ノ如ク物権ヲ創成スル優先ノ原因ナキ限ハ平等ニ債務者ノ財産ヲ分タザル可カラス
第二条ノ直接ニシテ且主タル目的ハ物権ノ定義ヲ下スニ在ラズ之ヲ主タル権利及従タル権利ノ二種ニ区別シテ其列記ヲ為スニ在リ主タル権利ハ他ノ権利ニ関スルコトナク独立シテ存在シ得ル所ノモノニシテ本編第一部ノ目的トスル所ナリ従タル権利ハ概シテ債権ノ担保タルニ過ギス故ニ債権ヲ規定シタル後ニ至テ之ヲ掲クルコト至当ナリ故ニ特ニ債権担保編ニ於テ之ヲ規定ス
然レトモ従タル物権ニシテ人権ノ担保ニアラサルモノアリ地役ト称スル物権即チ是ナリ地役ハ本編第一部中主タル物権ノ後ニ之ヲ規定セリ
諸外国ノ法律ニ於テハ主タル物権ヲ列記シ且之ヲ規定スルモノ罕ナリ故ニ或ハ賃貸借ヨリ生ズル権利ハ物権ナルヤ将タ人権ニ過ギサルヤノ点ニ於テ疑ヲ存スルモノ有リ或ハ永借権及地上権ノ事ヲ掲ケサルカ為メ斯ノ如キ権利ハ法律ノ認ムル所ナリヤ否ヤヲ知ルニ苦ムモノ有リ
本邦ニ於テハ古来ヨリ永借権及地上権ヲ認メタルカ故ニ新法ニ於テモ明カニ之ヲ規定セリ賃借権ニ至テハ新法ハ其物権ノ性質ヲ確認シタリ賃借権ニ物権ノ性質ヲ認メタルヨリシテ土地ノ賃貸ニ在テハ耕作ノ為メ又家屋及ヒ動産ノ賃貸借ニ在テハ一般経済ノ為メ甚タ利益アルコトハ後ニ至テ之ヲ示スベシ
人権ハ物権ト同シク主タル権利及従タル権利ニ区別スルコトヲ得ヘシ然レトモ第三条ニ於テハ之ガ列記ヲ示サズ蓋シ之ヲ示スコト能ワサレバナリ人権ハ其原因ニ付テハ互ニ相異ナリト雖モ其性質其効力又ハ其消滅原因ニ至テハ凡テ同一ナリ故ニ契約ニ依テ生シタル債権即チ義務ト不正ニ加ヘタル損害ヨリ生シタル義務ト其原因相異ナルガ為メ義務ヲ証明シ及其大小ヲ定ムルノ点ニ於テハ多少ノ差異アリト雖モ強制執行ノ方法及消滅ノ原因ニ至テハ全ク同一ナリ此故ニ債権ヲ有スルモノ其債務者ヲ指示シ而シテ権利ノ目的及範囲ヲ示シタルトキハ充分ニ其有スル人権ヲ明示シタルモノナリ
各人ガ権利ヲ創成セシムル権力ニ至テハ人権ニ関シテハ物権ニ関スルヨリ甚ダ大ナリ蓋シ物権ハ其種類ニ限アルモ人権ハ然ラスシテ各人ノ欲スル所ニ従フコトヲ得ベケレバナリ而シテ法律上斯ノ如ク権利ヲ創成スル権力ニ大小ノ差等ヲ認メタルハ人権及之ト相対スル義務ハ唯当事者ノ間ニ効力ヲ有スルニ止マリ第三者ニ対抗スルコトヲ得スシテ物権ハ凡テノ人ニ対抗シ得ヘキモノナルガ故ナリ
何人ト雖トモ法律ノ定メタルモノノ外義務ノ原因ヲ造ルコトヲ得サルハ勿論ナリト雖其法律ノ認メタル原因就中当事者ノ意思ニ基ク合意ヲ以テスルトキハ殆ント無数ナル義務及ヒ人権ヲ創成スルコトヲ得ヘシ今一個ノ物ヲ有スルモノ之ヲ人ニ与フルトキハ一回ニシテ已マサルヲ得ス然レトモ或ハ与ヘンコトヲ約シ或ハ同一若クハ同一ナラサル作為又ハ不作為ヲ同一ノ人若クハ異ナリタル人ニ対シテ約スルハ何回ニ及ブモ不可ナル所ナシ人権即チ義務ノ効力ニ至テハ当事者ハ任意ニ之ヲ変更シ相互ノ利益及便宜ニ従テ伸縮スルコトヲ得ヘシ唯公ケノ秩序及善良ノ風俗ニ害アル効力ヲ約スルコトヲ得サルノミ
第四条
第二条及第三条ニ掲ケタル権利ハ一般ノ人ニ普通ナル所ノモノナリ如何ニ貧困ナル人ト雖些少ノ物ヲ所有セサルモノ有ラス又他人ニ対シテ請求スル権利ヲ有セサルモノハ有ラス之ニ反シテ本条ニ掲クル権利ニ至テハ或特別ノ人ノミ之ヲ有スルモノナリ何トナレハ世人悉ク著述者技術者又ハ発明者ニ非サレバナリ
然レトモ著述者技術者及発明者ノ権利ヲ本法ニ規定セスシテ之ヲ特別法ニ譲リタルハ右ノ理由ニ基クモノニ非ス其理由ノ主トスル所ハ此事項ニ関シテハ既ニ特別法ノ存スルカ為ニシテ又此等ノ事項ニ関スル法制ハ本邦ニ於テ未ダ確定ノモノト云フコトヲ得サレバナリ欧州諸国ニ於テハ百年以前ヨリ著述者及ヒ其親族ノ権利ニ関シ特別法ヲ設ケタルコト前後数回ナリト雖モ猶未タ完全ノ制度ヲ得ルニ至ラス今日ト雖猶屢改正ヲ看ル所ナリ
故ニ本邦ニ於テモ此事項ニ関シテハ民法中ニ規定ヲ設ケスシテ之ヲ特別法ニ譲リ以テ一方ニ於テハ猥ニ民法ヲ改ムルコトナク一方ニ於テハ此事項ニ関スル法律ノ改正ヲ容易ナラシメサルヘカラス著述者技術者及ヒ発明者ニ関シテハ種々ノ法律ヲ要ス可シ此等ノ法律ハ一方ニ於テ民法及商法ト関係ヲ有スルモノナリ何トナレハ著述者技術者等ノ私益ニ関スレバナリ然レトモ一般ノ利益ニ関スル点ヨリ考フレバ一方ニ於テ行政法ト密接ノ関係ヲ有スルモノナリ又著述者等ノ権利ヲ侵害スルモノアルトキハ之ニ刑罰ヲ科スルノ点ヨリ見レハ刑法ニモ亦関係ヲ有スルモノナリ
第六条及第十三条ニ於テ更ニ物ノ区別ノ事ニ関シ著述者ノ権利ノコトヲ説クヘシ
第五条
本条ハ特ニ規定ヲ設クルニ非ラス故ニ純然タル学理ヲ示スニ過サル如シト雖トモ編纂ノ順序ニ於テ之ヲ設クルコト必要ナリ若シ物ノ区別ニ従テ権利モ亦自カラ区別ヲ生シ此区別ノ為ニ権利ノ変更ヲ来スコトヲ法律ニ於テ明示セサルトキハ次条以下ニ於テ掲ケタル数多ノ物ノ区別ハ殆ント法律中ニ掲クルノ理由ナキカ如クナル可シ
欧州諸国ノ法律ハ概ネ主トシテ物及ヒ財産ノ一個ノ区別ヲ示スニ止マル動産及不動産ノ区別是ナリ其他ノ区別ハ唯法律ノ各部ニ於テ実際ノ必要アル毎ニ之ヲ掲クルノミ特ニ主トシテ之ヲ明示スルモノナシ此ヲ以テ法律ノ適用ヲ受クル物ノ区別ノ全体ヲ知ルニ由ナシ
本法ハ真正ノ順序ニ従ヒ先ツ法律上為スコトヲ得ヘキ物ノ区別ノ主タルモノヲ列記セリ
本法ニ掲クル所ノ区別其数十二即チ左ノ如シ
(一)有体物及ヒ無体物(第六条)
二 動産物及ヒ不動産物(第七条ヨリ第十四条迄)
三 主タル物従タル物(第十五条)
四 特定物、定量物、聚合物及ヒ包括財産(第十六条)
五 一回ノ使用ニ因テ消費スル物及ヒ然ラサル物(第十七条)
六 代替物及ヒ不代替物(第十八条)
七 分ツコトヲ得ヘキ物及ヒ分ツコトヲ得ヘカラザル物(第十九条)
八 所有ニ属スル物及ヒ所有ニ属セサル物(第廿条ヨリ廿五条マデ)
九 融通物及ヒ不融通物(第廿六条)
十 譲渡スコトヲ得ヘキ物及ヒ譲渡スコトヲ得サル物(第廿七条)
十一 時効ニ罹ルコトヲ得ル物及ヒ時効ニ罹ルコトヲ得ベカラサル物(第廿八条)
十二 差押フルコトヲ得ル物及ヒ差押フルコトヲ得サル物(第廿九条)
右ニ掲ケタル種々ノ区別ハ互ニ相排斥スルモノニ非スシテ同時ニ存スルコトヲ得ルモノナリ凡テ物ハ右ニ掲ケタル各種ノ区別ニ属スルコトヲ得ヘシ何トナレハ此区別ハ相反対セル性質ヲ示セルモノナルヲ以テ一方ニ属セサレハ必ス他ノ一方ニ属スルコト明カナレバナリ
故ニ一個ノ物アリテ或ハ動産タリ或ハ不動産タルモ之カ為メ決シテ主タルモノタリ又従タルモノタリ或ハ譲渡スルコトヲ得ヘキモノタリ又ハ譲渡スコトヲ得ヘカラサルモノタルコトヲ妨ゲズ要スルニ斯ク区別スルハ或特別ノ点ヨリ観察シテ之ヲ為シタルモノニシテ他ノ点ヨリ観察スルトキハ又他ノ区別ヲ為スコトヲ得ベシ之ヲ喩フルニ猶人ノ如シ人ハ主トシテ男女ノ性ニ因テ分ツコトヲ得ヘシ或ハ年齢或ハ国籍ニ因テモ亦之ヲ分ツコトヲ得ベシ而シテ法律ニ於テ男女ノ性ニ基キ人ノ身分ヲ規定スルモ之ガ為ニ其人ノ丁年タリ未丁年タリ又ハ外人タリ国人タル区別ヲ為スコトヲ妨ゲサルナリ
法律ハ本条ニ於テ物ノ種々ノ区別ニ三箇ノ原因アルコトヲ示セリ物ノ性質人ノ意思及ヒ法律ノ規定是ナリ
然レトモ此三箇ノ原因ハ常ニ且同一ノ程度ニ於テ凡テノ区別ニ存スルモノニ非ス
次ニ掲ケタル場合ニ於テハ三箇ノ原因均シク存スルモノナリ
動産及ビ不動産ノ区別、主タルモノ及ヒ従タルモノノ区別、特定物、量定物、聚合物及ヒ包括財産ノ区別代替物及ヒ不代替物ノ区別可分物及ヒ不可分物ノ区別是ナリ
之ニ反シテ融通物及ヒ不融通物ノ区別、時効ニ罹ルコトヲ得ルモノ及ヒ時効ニ罹ルコトヲ得サルモノノ区別ニ至テハ全ク法律ノ規定ニ基クモノナリ
所有者ニ属スルモノ及ヒ所有者ニ属セサルモノノ区別、譲渡スコトヲ得ルモノ及ヒ譲渡スコトヲ得サルモノノ区別并ニ差押フルコトヲ得ルモノ及ヒ差押フルコトヲ得サルモノノ区別ニ至テハ法律ノ規定及ヒ人ノ意思ニ基キタルモノナリ
有体物及ヒ無体物ノ区別并ニ一回ノ使用ニ因テ消費スルモノト然ラサルモノトノ区別ノ如キハ全ク其物ノ性質ヨリ生シタル区別ナリ
且若シ其本源ニ溯ッテ之ヲ考フルトキハ凡テ右ニ掲クル如キ物ノ区別ハ全ク物ノ性質ヲ以テ原因ト為スコトヲ認ムルニ至ラン人ノ意思及ヒ法律ノ規定ノ如キハ唯物ノ性質ヲ認メテ之ヲ宣示スルニ過キサルナリ蓋シ法律又ハ各人ガ物ニ与フルニ或性質ヲ以テスルハ必ズヤ其物ノ性質及ヒ之ニ因テ得ント欲スル便益ニ適否如何ヲ考ヘテ後然ルモノナレバナリ之ヲ要スルニ法律及ヒ人ハ物ノ本来有スル性質ヲ法律上ニ伸縮スルコトヲ得ルノミ未タ全ク其性質ニ反スル効力ヲ之ニ附スルコト能ハズ
第六条
法律ハ有体物及ヒ無体物ノ区別ヲ第一ニ掲ゲタリ然レトモ是レ敢テ適用上最モ重大ナルガ故ニ非ス唯其区別ノ及フ所最モ広キヲ以テナリ此区別ハ動産及ヒ不動産ノ区別ヨリモ一層広キモノナリ何トナレハ動産及ヒ不動産ノ区別ハ厳正ニ之ヲ論スルトキハ単ニ有体物ニ付テノミ適用スルコトヲ得ベシ之ニ反シテ有体物及ヒ無体物ノ区別ハ物権ト人権トヲ問ハズ凡テ権利ヲ包有スルモノナリ而シテ権利ハ其性質上動産ニアラス又不動産ニアラス然ルニ権利モ猶動産又ハ不動産トシテ規定ヲ受クルモノハ唯法律ノ推定ニ因テ権利ノ目的トスル所ノモノ又ハ其得セシメントスル所ノモノト同一ノ性質ヲ権利ニ附シタルガ故ノミ有体物及ヒ無体物ノ区別ハ占有ノ事項ニ関シテ甚ダ利益アリ従テ時効ニ関シテ重大ノ関係ヲ有ス何トナレハ有体物ノ占有ハ其物ノ現実ノ所持ヲ必要トスルモ無体物ノ占有即チ権利ノ占有ハ継続シテ権利ノ行使タル行為ヲ為スヲ以テ足レリトス
此区別ハ有体物又ハ無体物ノ譲渡ニ関シテ猶影響ヲ及ホスモノナリ
此等ノ区別ハ其必要アルニ至テ之ヲ示スベシ
法律ノ示セル有体物及無体物ノ例ハ単ニ類例ヲ示シタルニ止マリ敢テ其数ヲ限リタルモノニアラズ是レ敢テ有体物及ヒ無体物ノ列記ニ付テノミ独リ然ルニアラス他ノ物ノ区別ニ関シテモ又同一ナリ
有体物ハ其数無限ナルコト固ヨリ明カナリ無体物ニ至テハ有体物ニ比スレバ其数少ナリト雖トモ猶法律ノ示ス所ノ外左ノ物ヲ加フルコトヲ得ベシ即チ為スヘキ所為、又ハ作為又ハ抛棄及解散シタル会社ニ於ケル権利等是ナリ
空気及瓦斯ノ如キ軽重ヲ量リ得ヘキモノニ至テハ其有体物タルコト明カナリ今日屢合意ノ目的タル電気ノ如ク軽重ヲ量ルコト能ハサルモノニ至テモ猶之ヲ有体物ト見做サザルヲ得ズ何トナレバ法律ノ下シタル定義ニ従ヒ人ノ五感ニ因テ知ルコトヲ得ベキモノナレバナリ
会社及ヒ財産共通ノ場合ニ於テ其財産ノ全体ガ包括財産ト看做サルルニハ其会社カ解散セラレ又ハ共通ガ清算中ニ在ルコトヲ必要ト為ス若シ然ラズシテ会社及ヒ財産共通ナルモノヲ継続スル間ハ概シテ法人ノ性質ヲ有スルヲ以テ財産ハ皆此法人ニ属ス而シテ法律ハ会社又ハ共通ヨリ分離シテ其財産ヲ観察スルノ必要ナシ縦ヒ会社又ハ共通ニシテ法人ヲ組成セサル場合ト雖トモ仍ホ其財産ヲ以テ特ニ包括財産ヲ組成スルモノト看做スノ必要アラス是レ唯不分共有ノ特別ナル一個ノ場合タルノミ
本条ニ於テ無体物トシテ著述者技術者及ヒ発明者ノ権利ヲ掲ケタリ厳格ニ之ヲ論スルトキハ此等ノ権利ハ第一号中ニ属スヘシ然レトモ法律ハ特ニ之ヲ掲ケタリ蓋シ此等ノ権利ハ法律ガ今主トシテ規定スル所ニ非サレバナリ
著述者ノ権利ハ物権ニシテ著述者自カラ何等ノ譲渡又ハ合意ヲ為サザル限ハ自由ニ其著書ヲ処分シ之ヲ変更シ又ハ之ヲ毀壊スルノ権利著者ニ存ス然レトモ著者一度其著書ヲ公ニスルコトヲ許シ而シテ出版者発売ノ部数又ハ著書ノ大小ニ従ヒ順次ニ金員ヲ著述者ニ弁済スルノ義務ヲ約シタルトキハ著述者ノ権利ハ一個ノ人権即チ債権ニ過ギズ右ノ理論ハ技術者及発明者ノ権利ニモ亦適用スルコトヲ得ベシ
又第一號中ニ於テ凡ソ物権ト人権トヲ問ハズ権利ハ無体物中ノ第一位ヲ占ムルヲ看ルベシ然ルニ第五条ニ依レバ権利ハ物権ト人権トヲ問ハズ目的物ノ種々ノ区別ニ従ヒテ其様ヲ変スルモノナルガ故ニ皮想ノ見ヲ以テスルトキハ権利ハ互ニ其様ヲ変ゼシムルモノナルガ如キ奇観ヲ呈スルノ疑ヒ有ラン然レトモ未タ必スシモ此ノ如クナラス此困難ヲ避クルニハ権利ニ主タルモノ及ヒ従タルモノ有ルヲ考フルコトヲ要ス主タル権利ハ従タル権利ノ様ヲ変シ而シテ時トシテハ従タル権利モ亦主タル権利ノ様ヲ変スルコト後ニ至テ其実例ヲ看ルカ如シ
第七条
動産物及ヒ不動産物ノ区別ハ外国ノ法律中ニ於テ其効用最モ大ナル物ノ区別ナリトス而シテ本邦ニ於テモ亦必ズ此ノ如クナルベシ此区別ハ古来既ニ慣習ニ因テ存スル所ノモノナリ物ノ有形上ノ性質ヨリシテ其物ヲ目的トスル権利ニ此ノ如ク大ナル影響ヲ及ボスコトハ一見甚ダ驚クベキニ似タリト雖モ其至当ナルコトハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ヘシ
権利ガ物ノ価格ニ従テ同一ナラサルモ決シテ驚クニ足ラザル可シ就中物ノ価額大ナルモノハ之ヲ其小ナルモノニ比スルトキハ其管理又ハ譲渡ニ種々ノ手続ヲ必要トシ一層ノ担保ヲ要スルガ如キ是ナリ然ルニ法律ヲ以テ当初動産物及ヒ不動産物ノ区別ヲ設ケタルハ実ニ此精神ヲ実行シタルモノニ外ナラス蓋シ往時ニ在テハ動産物ヲ以テ価額甚ダ少ナキモノトナシ一般ニ不動産ヲ重ンジタレバナリ
後世奢侈ノ風漸ヤク生スルニ至リ金属ヲ以テ製シタル物宝石美術品等ノ如キハ固ヨリ動産物ナリト雖トモ社会ニ在テ甚ダ重要ノ物トナレリ然レトモ不動産モ亦農業ノ進歩建築上ノ奢侈及ビ人口ノ蕃殖ニ因テ次第ニ重要ノ度ヲ増シ終ニ不動産ト動産トヲ比較スルトキハ不動産ノ価額ハ猶ホ動産ノ上ニ存セリ固ヨリ家屋ニシテ甚タ小ナルモノ有リ土地ニシテ甚ダ狭少ナルモノ有リ此ノ如キモノハ其価ノ少ナルコト論ナシト雖モ動産ニ於テモ亦是ト異ナルコトナク其価甚ダ少ナルモノ有リ故ニ不動産ノ甚タ価額少ナルモノヲ以テ動産ノ甚ダ価額少ナルモノニ比スレバ猶其上ニ在リト謂ハサルヘカラス
如何ナル時代ヲ問ハス又如何ナル邦国ヲ分タス法律上動産ト不動産トノ間ニ此一大区別ヲ為シ来リタルモノハ右ニ掲クル外尚ホ幾多ノ理由アリ動産ハ元来屢々譲渡ノ目的タルモノニシテ此等ノ譲渡ハ法律上ノ法式ヲ設ケテ不便ヲ蒙ラシム可キニ非ス之ニ反シテ不動産ノ譲渡ハ前者ニ比スレハ固ヨリ屢々ナラサルガ故ニ此ノ如キ法式ヲ設クルモ動産ノ譲渡ニ於ケルガ如キ不便ヲ生スルコトナク而シテ一方ニ於テハ此法式タルヤ利害関係人ノ為ニ担保タリ又他ノ一方ニ於テハ第三者ノ為ニ担保ノ方法タルベシ
且動産ノ譲渡ヲ為スモノハ唯占有ノ事実ニ因テ自己ノ権利ヲ證スルノ外他ニ所有権ヲ證スルノ方法ヲ有セス且動産物ハ概シテ譲渡ト同時ニ之ヲ取得者ニ引渡スモノナリ之ニ反シテ不動産ニ至テハ譲渡ト引渡トノ間ニ多少ノ時日アル可シ故ニ譲渡人ハ其諾約ヲシテ確実ナラシムル為メ公正又ハ私署ノ證書ヲ以テ其権利ヲ證スルコトヲ必要ト為ス
動産物ハ屢輾転シテ其主ト処トヲ変ズルガ故ニ他ノ同種類ノモノト之ヲ判別スルコト甚ダ困難ナルベシト雖トモ不動産ハ一定ノ場所ニ存シ而シテ契約ノ当時其大小及経界ヲ指定スルトキハ他日ニ至リ決シテ他ノ不動産ト混同スルガ如キコトナシ
右ニ掲ゲタル理由及ヒ後ニ至テ仍ホ説明ノ機会ヲ得ベキ他ノ理由トヲ以テ動産ト不動産トノ間立法上判然タル区別ノ存スルコトヲ明カニスルニ足ルベシ
動産ト不動産トノ差異ハ法律ノ総テノ部分ニ於テ之ヲ看ル可シ就中後見人ノ管理所有権取得ノ方法、用益権、賃借権、質、先取特権、抵当、時効、裁判管轄及ヒ財産ノ差押ニ関スル如キコト是ナリ
本条ハ物ニ与フルニ動産又ハ不動産ノ性質ヲ以テスル三個ノ原因ヲ指示セリ而シテ此原因ノ各個ニ付テハ先ヅ不動産ニ関シ次ニ動産ニ関シテ逐条ニ之ヲ規定セリ
法律ガ今右ノ原因ヲ掲グルニ方リ第五条ノ列記ニ於ケルガ如ク法律ノ規定ヲ他ノ原因ト同一ニ列記セズシテ特ニ之ヲ掲ゲタルモノハ次ノ理由ニ依ル蓋シ一個ノ物ガ遷移スルコトヲ得ルト然ルコト能ハザルトハ其物ノ性質又ハ所有者ノ用法ニ因ルト云フコトヲ得ベシ然レトモ一個ノ物ガ法律ノ規定ニ因テ動産若クハ不動産タル性質ヲ有スルトキハ決シテ其物ノ遷移スルコトヲ得ルト然ラサルトニ因テ此区別ヲ為スニ非ス唯其性質上全ク動産又ハ不動産ノ区別ニ関係セサル無体物ヲ以テ特ニ法律上動産又ハ不動産ニ準ジタルノミ
第八条
第六条及次条以下ニ掲クル列記ノ多数ハ明カニ其例ヲ示スト雖トモ本条ノ列記ハ此方法ヲ用ヰズ。然レトモ之ガ為メ本条ノ列記ヲ以テ限定ノモノト信ズベカラズ物ガ不動産ナルト否トハ其物ノ天然ノ性格即チ自力若クハ他力ニ因テ遷移スルコトヲ得ルト否トニ基クモノナルガ故ニ不動産タル性質ガ認定セラルルニハ法律ガ権力又ハ人意ノ解釈ニ由テ物ノ天然ノ性質ヲ変ゼザレバ即チ足ル本条ノ末項ヲ設ケタルハ即チ此点ニ於テ疑ヒ無カラシムルガ為ナリ猶ホ後ニ至テ其適用ノ例ヲ示ス可シ
土地ハ性質ニ因ル不動産ノ主タルモノナリ性質上ノ不動産ハ要スルニ惟土地アルノミト謂フモ亦不可ナカル可シ其他ノ物ニ至テハ多少土地ニ附着スルニ因テ不動産ト為シタルノミ
土壌ハ無数ニ之ヲ細分スルコトヲ得ベシ又且其一部ヲ取テ他ニ移スコトヲ得ベキガ故ニ此点ヨリ観察スルトキハ動産ナルガ如シト雖トモ土地ヲ以テ不動産ト為スハ決シテ其有形上ノ物質ノ謂ニ非ズシテ寧ロ地面、地底及ヒ土地ノ占領スル部分ニ在リ此故ニ彼深窖ノ如キハ之ヲ直接ニ有益ナル用ニ供スル能ハズト雖トモ猶ホ或ハ之ニ水ヲ充テ或ハ建築ヲ為シ又ハ耕作ヲ為スガ為ニ之ヲ埋メ若クハ之ヲ蓋フコトヲ得ベキガ故ニ地面又ハ其占領スル部分トシテ価額ヲ有スルハ必然ナリ
縦ヒ人工ヲ施シテ土ヲ盛リ土手ヲ築クモ猶ホ第八号ニ掲ゲタル建物ト均シク其土地ハ常ニ性質ニ依ル不動産ナリ(第三号)
掘割、溝渠、地上ヲ堀タル土地ノ如キモ亦同一ノ理由ニ因リ常ニ不動産ナリトス(第二号)
樹林、竹木其他大小ノ植物、果実及収穫物ハ土地ヨリ離レザル間ハ凡テ不動産ナリトス(第五号及第六号)
唯第十二条ニ於テ之ガ例示ヲ看ルベシ
鉱物、抗石、泥炭及肥料土ニ至テハ其ノ物質及採掘方ノ差異如何ニ係ラズ固ヨリ土地ノ一部分タルコト明カナリ然レトモ其土地ヨリシテ石炭、石材等ノ如キ物料ヲ採掘シタルトキハ此物料ハ其性質ニ因テ動産ナリ(第七号)建物ヲ築造シ井戸ヲ掘リ道路ヲ開ク為ニ堀取タル土沙ニシテ其土地ニ使用セラレズ又ハ使用ニ供セラレザルトキハ法律ノ精神ニ因テ右ト同一ノ決定ヲ為スコトヲ得ベシ若シ掘取タル土砂ニシテ未タ其土地ニ使用セラレザルモ仍ホ使用ニ供セラレタルトキハ之ヲ目シテ性質ニ因ル不動産ト謂フコト能ハザルハ勿論ナリト雖トモ唯其事情ニ従ヒ所有者ノ用方ニ因テ不動産タルコトアルベキノミ
建物(第八号)ハ要スルニ動産物ヲ以テ之ヲ構成スルモノナリト雖トモ土地ニ附着スルニ依リ不動産トナルモノナリ而シテ其土地ニ附着スルハ如何ニ微弱ナルモ之ヲ問フコトナシ本法ニ於テ屢看ルガ如ク単ニ礎石ノ上ニ加ヘタルトキト雖トモ又然リトス然レトモ其物料ヲ以テ他ノ場所ニ再ビ築造スル為ニ充分ノ注意ヲ以テ家屋ヲ取毀ツコトアリ又ハ家屋ノ侭他処ニ移シ或ハ同一ノ場処ニ於テ之ヲ進退スルコト為シトセズ斯ノ如キハ法律ノ斟酌スルコトヲ要セサル特質ナリ如何トナレバ家屋ハ本法ニ於テモ決シテ遷移セラルルヲ以テ目的トスルモノニアラザレバナリ竹木其他ノ植物ニ至テハ前者ニ比シテ更ニ遷移スルコト容易ナリト雖トモ猶一旦土地ニ栽植シタル以上ハ其土地ニ附着シ而シテ土地ノ性質ヲ受クルモノト看做スコトヲ要ス家屋ニ至テモ亦此ト異ナルコトナシ
法律ガ建物ノ不動産タル性質ヲ認ムルニ当テハ之ヲ建築シタルモノノ誰タルコトヲ問ハズ故ニ建築者ガ其土地ノ所有者タルコトヲ必要トセズ此ヲ以テ或ハ用益者、借地人、地上権者其他土地ニ有期ノ権利ヲ有スルモノト雖トモ又建築者タルコトアルベシ或ハ単純ナル占有者又特ニ悪意ノ占有者ノ如キ其土地ニ何等ノ権利ヲモ有セサルモノ建築ヲ為スコトアルベシ斯ノ如キ場合ニ於テモ其建物ハ常ニ不動産タルコトヲ妨ゲズ唯此等ノ場合ニ於テ建築者ト土地ノ所有者トノ間償金ヲ接受スルノ一点ハ後ニ至テ規定スル所ノ如シ
然リト雖トモ建物ガ仍ホ土地ニ附着スルモ動産ト看做サルル場合アリ此ノ場合ニ於テハ敢テ其性質ニ因テ之ヲ動産ト看做スニアラズ全ク所有者ノ用方ニ因テ此性質ヲ認ムルモノナリ第十二条ニ於テ或ル建物ニ関シテ其例ヲ看ルベシ
建物ニハ屢単ニ夜間若クハ風雨ノ場合ニ於ケルガ如キ或時ニ於テノミ使用シ且全ク遷移スルコトヲ得ヘキ附属物アリ戸扉即チ是ナリ斯ノ如キハ用方ニ因ル不動産ニ非ズシテ全ク性質ニ因ル不動産タルコトヲ認ムルニ躊躇スベカラズ蓋シ戸扉ハ家屋ニ於テ必要ナル部分ヲ為スモノナレバナリ
大凡一個ノ物ガ性質ニ依ル不動産ナルヤ将タ用方ニ依ル不動産ナルヤヲ知ルハ決シテ忽セニスベカラザル問題ナリ何トナレハ性質ニ依ル不動産タル場合ニ於テハ何人ガ此附属物ヲ建物ニ附着セシメタルヤヲ問フノ必要ナシト雖トモ用方ニ依ル不動産タル場合ニ於テハ二個ノ条件ヲ備フルコトヲ要ス第一物料ガ之ヲ使用シタルモノニ属スルコト第二建物ノ所有者ガ之ヲ使用シタルコト是ナリ(参看第九条第一項)
牆、籬、柵(第九項)ハ建物ト均シク且同一ノ条件ヲ以テ不動産ナリ
第十項及第十一項ニ掲クル種々ノ附属物ニ至テハ別ニ説明ヲ要セズ凡テ土地若クハ建物ニ必要ト認メラレタル附属物ニシテ有形上殆ンド其一部ヲ為スニ異ナラサルモノナリ
本条ノ末項ハ右ノ精神ヲ一般ニ敷衍シタルニ過ギズ
建物ノ内部又ハ外部ノ戸扉ニ用フル鍵ハ勿論遷移スルコトヲ得ベシト雖トモ何人モ其性質ニ因ル不動産タルコトヲ認ムルニ躊躇セサルベシ何トナレバ鍵ハ戸扉ノ従タルモノナレバナリ
凡ソ家屋ノ附属物ニ付テ性質ニ因ル不動産タルヤ否ヤノ点ニ関シ争訟起リタルトキハ其物ガ果シテ建物ニ必要ナル附属物ナリヤ否ヤ裁判所ニ於テ之ヲ判定スベキナリ
又法文ハ単ニ建物ノミニ付テ規定ヲセリト雖トモ此末項ハ第十一項ニ於ケルト均シク仍ホ土地ノ附属物ニ適用スルコトヲ要ス此故ニ井戸ニ属スル轆轤、釣瓶、及縄ノ如キハ井戸ノ使用ニ必要ナル附属物ナリ溜井ニ用フル蓋モ亦然リ土地ノ一点ヨリシテ他ノ一点ニ水ヲ導ク為メ一時其土地ニ附着セシメタル金属性又ハ木製ノ樋管ニ付テモ亦同一ノ断定ヲ為スコトヲ要ス
第九条
本条ニ規定スル所ハ第二類ノ不動産ナリ此種ノ不動産ハ物ノ性質ニ因ルニアラズ又或不動産ノ必要ナル附属物タルノ故ヲ以テ不動産タルニアラズ唯永遠若クハ不定ノ時間所有者ノ用方ニ因テ不動産ニ備付ケタルガ為メ元来動産ナルモノガ不動産ノ性質ヲ得タルニ外ナラズ此種ノ不動産ト前条ニ掲ゲタル不動産トノ間ニハ数箇ノ差異アリ
第一本条ニ掲グル所ノ物ガ不動産タルニハ決シテ不動産ノ附属物タルコトヲ必要トセズ或ハ土地ノ利用、便益又ハ粧飾ヲ以テ目的トスルモ仍ホ本条ノ不動産タルコトヲ得ベシ
第二此等ノ物ハ其物ノ所有者ガ之ヲ土地ニ備附ケタルコトヲ必要ト為ス此故ニ受寄者、借主ノ如キハ受寄物又ハ借用物ヲ此方法ニ因テ不動産ト為スコトヲ得ズ
第三土地又ハ建物ニ之ヲ備附クルモノ其土地又ハ建物ノ所有者タルコトヲ必要ト為ス
第四法文ニハ特ニ之ヲ明記スルノ必要ナキガ為ニ之ヲ掲ゲズト雖トモ完全所有者ガ備付タルモノモ其ノ用方ニ因テ不動産タルハ唯其物ガ不動産上ニ存スル間ニ止マルコト勿論ナリ何トナレバ此物ガ不動産タルハ全ク所有者ノ意思ニ基クモノニシテ従テ所有者ノ意思ノ存スル間ニアラザレバ此性質ヲ有セザルコト明カナレバナリ
法律ハ本条ニ於テモ亦列記ヲ為セリ此列記モ亦限定ノモノニアラズ且本条ニ於テハ特ニ反證ヲ許シ法律上ノ推定ニ属シタルコトヲ明記セリ是レ所謂軽易ナル推定ナリ
第一号乃至第七号ハ主トシテ農業又ハ工業ノ建物ニ関シ第八号乃至第十号ハ宅地ニ関スルモノナリ此等ニ関シテハ更ニ詳細ノ説明ヲ要スルモノナシ唯二三ノ注意ヲ為スニ止メン
第六号ニ掲グル工業上ノ器械及器具ガ所有者ノ用方ニ因テ不動産タルニハ其建物ガ特ニ其種ノ工業ニ供セラレタルコトヲ必要ト為ス例之バ製糸場ノ器械製紙場、製鉄上ノ釜及乾燥機ハ概シテ不動産ナリ如何トナレバ此等ノ建物ハ特ニ此錯雑ナル工業ニ供スルモノニシテ且其器械モ亦形状大小等ヲ変スルニ非ザレバ他ノ建物ニ於テ同一ノ工業ニ使用スルコト能ザルハ普通ノ事ナレバナリ之ニ反シテ活版所ノ印刷器、字母及活字ノ如キハ之ヲ変スルコトナクシテ他ノ活版所ニ於テ使用シ得ベキコト宛モ活版所ノ建物ガ之ヲ変スルコトナクシテ他ノ工業ニ使用シ得ベク而シテ他ノ工業ノ為メ特別ノ改修ヲ要スル場合ノ外ハ何等ノ変更ヲモ加フルコトヲ要セサルト同一ナリ故ニ用方ニ因ル不動産タルコトナクシテ常ニ動産タル性質ヲ有スルモノナリ
製造用ニ供スル物料ニシテ製糸場、製鉄場又ハ其他斯ノ如キ工業場ニ在ル物ハ凡テ動産ナリ其製造ヲ終リタル物ニ至テモ亦是ト異ナルコトナシ
第九号ニハ毀損スルニ非ザレバ取離スコトヲ得ザル粧飾物ト掲グレドモ是レ敢テ此種ノ物ヲ以テ性質ニ依ル不動産ト認メタルニアラズ茲ニ有形上建物ニ附属スルノ一種ヲ不動産ト為シタルハ唯所有者ノ用方ノ推定ノ為ノミ若シ此条件ヲ備ヘタルコトナクンバ所有者ノ意思之ヲ其建物ノ附属物トスルニアルコトヲ推定セズ従テ唯粧飾ノ動産物タルニ過ギズ
第十号ニ掲グル建築用ニ備ヘタル材料ハ既ニ其場処ニ運搬シ且直チニ之ヲ建築ニ用ヰ得ベキ形状ニ在ルトキト雖トモ未ダ用方ニ因ル不動産タラズ唯使用ヲ受クルニ従ヒ其部分ノミ漸次ニ不動産トナルベシ而シテ是レ性質ニ依ル不動産ナリ之ニ反シテ修繕中ノ建物ヨリ取離シテ再ビ之ニ用フベキ材料ニ至テハ之ヲ動産ト為サズ蓋シ斯ノ如キ材料ハ建物ヨリ分離スト雖トモ是レ一時ノ事ニ止マリ到底再ビ其建物ニ使用セラルベキモノナル故ニ仍ホ之ヲシテ不動産ノ性質ヲ有セシム蓋シ一時ノ分離ノ為ニ所有権ノ性質ヲ変ゼシムベキニアラザレバナリ
池沼ノ魚、蜂房ノ蜜蜂、鳩舎中ノ鳩ノ如キハ本法ニ於テハ外国法ニ於ケル如ク之ヲ用方ニ因ル不動産ノ中ニ列記セズト雖トモ之ヲ掲グルハ敢テ此等ノ物ガ不動産タラザル故ニアラズ既ニ法律上ノ推定ヲ設ケサル以上ハ意思ノ推定ニ依リ裁判所之ヲ不動産ト決定スルコトヲ得ベキナリ
今本条ノ利益ヲ示スハ決シテ無用ノ事ニアラザルベシ不動産ヲ譲渡シ而シテ当事者ガ右ニ掲ゲタル物ヲ以テ此譲渡中ニ包含セルヤ否ヤヲ明示セサル場合ニ於テ特ニ本条ノ利益ヲ看ルベシ蓋シ法律ノ明文アルガ為ニ此等ノ物ハ不動産ノ附属物ト看做サレ反対ノ合意アラザル以上ハ代価ノ増価ナクシテ此譲渡中ニ包有スベケレバナリ
又財産差押ノ場合ニ於テモ其利益ヲ看ルベシ本条ニ掲ゲタル凡テノ物ハ動産トシテ之ヲ差押フルコトヲ得ズ不動産ト共ニ差押フルコトヲ得ベキノミ又不動産ヨリ分離シテ独リ之ヲ抵当ノ目的トスルコトヲ得ズ
之ニ反シテ所有者ハ不動産ヨリ此等ノ物ヲ分離シテ之ヲ売渡シ又ハ動産質トスルコトヲ得ルハ仍ホ家屋ノ材料園庭ノ樹木収穫物ヲ売渡シ得ルト同一ナリ
第十条
本条ニ掲クル所ノ物ハ無体ノ物ナルヲ以テ其性質上動産ト称スルコトヲ得ス又不動産ト謂フコト能ハズ且法律ハ各人ガ其意思ノミヲ以テ之ヲ不動産トスルコトヲ許サズ然リト雖トモ唯法律自カラ假想ニ基キテ之ニ不動産ノ性質ヲ附與セリ。其假想タルヤ何等ノ利益ヲ害セサルノミナラス却テ物ノ区別ヲ判明ナラシムルノ利益アリ
総則ノ規定ハ物ノ区別ヲ示スノミナラス尚進ンデ権利即チ財産ノ区別ヲ為スガ故ニ権利モ亦之ヲ動産又ハ不動産中ニ列セザルベカラズ
権利ヲ動産及不動産中ニ列スル最モ簡易ナル方法ハ其直接ニ行ハルル目的物(物権)又ハ其取得セシムベキ物(人権)ノ有形ノ性質ニ基キテ之ヲ区別スルニアリ
第三号ハ土地ノ所有者若クハ占有者ガ建物ノ築造ヲ要約シタル場合ニシテ所有者又ハ占有者自カラ築造ニ必要ナル材料ヲ出スコトナク建築師ノ材料ヲ以テ之ヲ為スベキトキハ所有者又ハ占有者カ建築師ニ對シテ有スル債権ハ不動産権ナリトス此ノ場合ニ於テ建築師ハ実ニ引続キタル三箇ノ処為ニ因テ所有者又ハ占有者ニ一個ノ不動産ヲ得セシムルノ義務ヲ負ヘルモノナリ三箇ノ処為トハ材料ノ供給、材料ヲシテ使用スベキ形状ニ至ラシムル迄ノ労働及ビ築造是ナリ
若之ニ反シテ所有者又ハ占有者自カラ建物ノ主タル材料ヲ給スベキトキハ其有スル債権ハ全ク動産ナリ如何トナレバ此場合ニ於テ建築師ハ唯材料ノ切組及築造ノ二個ノ維持義務ヲ有スルニ過キサレバナリ而シテ建築師此二個ノ義務ヲ履行シアルモ之カ為ニ債権者ハ新タニ不動産ヲ得ルコトナシ惟従前動産タリシ材料ヲ変ジテ不動産タル建物ト為シタルノミ
第四号ハ前者ニ比シテ法律ノ力更ニ大ナリ何トナレバ其ノ権利ノ目的トスル所ノモノハ右ノ場合ノ如ク不動産ナラザルモ仍ホ其権利ハ之ヲ不動産ナリト為セリ本号ノ適用ハ本法ニ於テ其例ヲ看ズ惟之ヲ許ス特別法ノ制定ヲ俟テ之ヲ看ルベキノミ
本法ハ惟法律ノ規定ニ従ヒ或場合ニ於テ動産債権ガ不動産タルコトヲ得ルノ原則ヲ認メタルノミ
然レトモ本号ニ於テ各人ガ法律ノ規定ニ因テ不動産ト為シタルモノトアルニ依リ直チニ之ヲ目シテ人ノ意思ニ因ル不動産ト為スベカラズ固ヨリ斯ノ如キ場合ニ於テ人ノ意思必要ナルコトハ論ヲ俟タズト雖トモ此意思ニ依テ動産債権ガ不動産タルハ法律ノ規定ニ因テ許シタル場合ニ限リ且法律ノ定メタル條件ニ従フコト必要ナルヲ以テ未ダ人ノ意思ノミヲ以テ足レリトスベカラズ故ニ此不動産ノ性質ハ之ヲ法律ノ規定ニ発スルモノト謂ハサルベカラズ
法律ハ将来ノ立法者ノ自由ヲ拘束スルコトナカランガ為メ如何ナル債権ガ不動産タルコトヲ得ルヤハ今之ヲ規定セズ
第十一条
本条ハ何等ノ困難ヲ看ズ性質ニ因ル不動産ヲ定メタル第八条ト相對スルモノナリ
自力ヲ以テ遷移スルコトヲ得ルモノハ動物ニ止マリ他力ニ因テノミ遷移スルコトヲ得ルハ動物以外ノ物タルコト固ヨリ明カナリ
本条ノ末段ニ於テ注意ヲ為セル例外ハ既ニ之ヲ説明セリ或種類ノ物ハ単ニ其物ノミニ付テ之ヲ観察スルトキハ全ク性質ニ因ル動産ナリ然リト雖トモ若其物ガ他ノ不動産ノ必要ナル附属物タルトキ又ハ他ノ不動産ノ利益ヲ増ス為ニ所有者ノ意思ヲ以テ之ニ備附ケタルトキハ其動産ハ不動産ト看做サルルモノナリ(参看第八条及第九条)
第十二条
性質上ノ動産物ト雖トモ人ノ意思ニ因リ恒久且ツ確定ニ之ヲ一個ノ不動産ニ附着スルトキハ之ニ不動産ノ性質ヲ附與シ得ルト同ジク仍ホ土地ニ附着シタルガ為メ性質上不動産ト為セルガ如クナルモノモ人ノ意思ニ因テ之ニ動産ノ性質ヲ保存セシムルコトヲ得ルハ至当ノコトナリトス蓋シ斯ノ如キ場合ニ於テハ其附着ハ全ク一時ノ物ニシテ殆ンド假ノ物ナルガ故ナリ
本条ハ左ノ場合ニ於テ適用ヲ受クベシ例之バ所有者ガ築造ヲ始メ又ハ既ニ之ヲ終リタル後其建物ヲ賣渡スニ当リ建築ノ足場及支柱未ダ取離サレサルモノアルトキ之ニ関シテ特別ノ合意ヲ為サザル場合ノ如キ是ナリ。此等ノ物ハ賣主ニ属セズシテ建築師ニ属スルコトアルベシ
若シ所有者ガ祝祭若クハ遊技ノ為ニ観棚若クハ假小屋等ヲ造リ或ハ失火ノ際罹災者救助ノ為ニ假小屋ヲ建テテ而シテ後此等ノ工作物ヲ取除クニ先ツテ其地所ヲ賣渡シタル場合ニ於テ特ニ動産トシテ之ヲ賣買以外ニ置クノ注意ヲ為サザリシトキノ如キモ亦同一ナリトス
花卉草木ノ培養ヲ以テ職業トスル所有者ガ苗床タル土地又従テ第八条第五項ニ依リ不動産タルガ如キ草木ヲ植栽スル土地ヲ賣渡シタル場合ニ於テモ仍ホ本条ノ適用ヲ看ルベシ斯ノ如キ草木ハ惟一時此土地ニ附着セルノミ結局他人ニ販賣スルヲ以テ其用方ト為スガ故ニ所有者ノ意思ニ因テ全ク動産タルモノナリ
若シ右ニ掲グル如キ植木師ニ非ズシテ惟大所有者ガ其所有地ノ植栽ノ保持更新又ハ其ノ土地ノ粧飾ニ必要ナル竹木ヲ培養スル為メ所有地ノ一部ヲ以テ苗床ト為シタル如キ場合ナルトキハ右ニ掲ゲタル場合ト同一ノ決定ヲ為スベカラズ此ノ如キ場合ニ於テハ苗床ハ惟其位置ヲ変ズベキノミ敢テ他ノ地処ニ遷移スルヲ以テ其用方トスルニアラズ故ニ依然性質ニ因ル不動産ニシテ其地処ト均シク賣買中ニ属スベシ
第四号ハ第九条第十号ニ相對スルモノナリ取毀ツ為ニ譲渡シタル建物収去スル為ニ賣渡シタル樹木ハ之ヲ取毀チ若クハ収去スル以前ニ於テハ其性質上仍ホ不動産タリ然リト雖トモ所有者ノ意思ニ因リ既ニ動産ナリトス
第十三条
本条ハ法律ノ規定ニ依ル動産ヲ認メタルモノニシテ此点ニ於テハ法律ノ規定ニ因ル不動産ヲ認メタル第十条ト相異スルモノナリ而シテ本条ニ掲クル所ノモノハ其性質動産タルモノヲ以テ目的トスル権利ニシテ其目的物ニ因テ動産ニ準ゼラレタルモノナリ
本条ノ各号ハ特ニ説明ヲ要スルモノ甚ダ尠ナシ
第一号ニ掲グルガ如キ一個ノ動産物ノ所有権、用益権、使用権、賃借権ハ動産権ナルコト恰モ不動産ノ所有権、用益権、使用権ガ不動産権ナルガ如シ
第二号ニ規定セル金銭、日用品又ハ商品ヲ目的トシ或ハ債権者ニ動産物ヲ得セシメントスル債権ハ其目的物ト同性質ヲ有シ即チ動産タリ法律ハ仍ホ抵当ノ如キ不動産権ヲ以テ其擔保ト為ストキト雖トモ債権ハ均シク動産タルコトヲ謂ヘリ蓋シ債権ノ性質ガ其主タル目的物ヲ以テ定マルモノニシテ敢テ其従タル目的物ニ基クモノニアラザレバナリ
第三号ノ場合ニ於テハ債権ノ直接ナル目的物ハ動産物ニアラズ又不動産物ニアラズシテ作為又ハ不作為ナリトス然ルニ作為ハ有的ナルト無的ナルトヲ問ハズ之ヲ動産ト称スルコト能ハズ又不動産ト謂フコトヲ得ズ縦令假想又ハ類推ヲ以テスルモ亦然リトス然レトモ債務者ガ若シ其ノ義務ノ履行ヲ怠リタルコトアルヲ豫想スルハ決シテ為シ難キコトニアラズ而シテ此場合ニ於テハ義務ハ結局損害ノ賠償ニ帰スベシ賠償ハ必ズ金銭ヲ以テ其ノ額ヲ定ムベシ此故ニ作為又ハ不作為ヲ目的トスル債権ハ其附随ノ目的ニ因リ之ヲ動産ト看做スモノナリ
第四号ニ掲グル会社ニ関シテハ其成立中ニ属スルモノト解散後即チ清算中ニ係ルモノトノ区別ハ既ニ之ヲ述ベタリ(第六条)而シテ成立中ノ会社ハ概シテ無形人即チ法人ヲ組織スルコトモ亦既ニ此レヲ謂ヘリ此ノ如キ場合ニ於テ民事及商事ノ会社ハ動産及不動産ヲ有スベキハ勿論ナリト雖トモ其所有権ハ会社ニ属スルモノニシテ敢テ社員各個ノ所有ニアラズ故ニ一己人ニ於ケルト同ジク会社モ亦其ノ諸種ノ動産及不動産ヲ有スト謂フコトヲ得
然レトモ社員モ亦各一個ノ権利ヲ有スルハ勿論ナリ此権利タルヤ各社員出資ノ割合ニ應ジテ会社ノ純益ノ一分ヲ得ルニアリ然レトモ純益已ニ生スルトキハ各社員ガ之ニ因テ得ル所ノモノガ金銭ナル故其権利ハ目的トスル所ニ依リ動産タリ若シ之ニ反シテ会社ガ法人タラザルトキハ会社成立ノ間ト雖トモ仍ホ会社ノ資産ガ動産又ハ不動産ノミナルト両者ヲ包有スルトニ従ヒ社員ノ権利ハ動産若クハ不動産タリ或ハ同時ニ動産及不動産タルベシ此場合ニ於テハ他ノ財産共通ノ場合ト均シク社員ハ不分共有者ナリ
第五号ニ掲グル著述者技術者及発明者ノ権利ハ主トシテ金銭ヲ得ルニアリ若シ或ハ作為又ハ不作為ヲ目的トスルコトアルモ不履行ノ場合ニ於テ義務ハ遂ニ金銭ヲ目的トスルニ了ルモノナルガ故ニ此権利ハ直接又ハ附随ノ目的ニ由テ動産ナリトス
第十四条
法人タル会社ガ法律ニ於テ定メタル原因ノ一ニ依リ解散シタルトキハ之ヲ組織シタル各社員ハ法人ノ一部ノ相続人タリ而シテ各社員ノ権利ハ会社ガ人格ヲ有セザルトキノ如ク会社ノ旧財産ノ不分共有者ナリ清算中ナル共通ノ場合ニ於テ共通者ノ各自ガ有スル権利モ亦之ト同一ナリトス
然レトモ賣買ト共有ハ共有者ノ為ニ甚ダ不利ナル地位ニシテ且此状態タル単ニ一時ノモノニ止マリ早晩分割ニ因テ之ヲ廃スベキ所ノモノナリ分割トハ協議ニ係ルト財産上ニ属スルトヲ問ハズ凡テ共有者ノ各自ニ動産不動産又ハ不動産ノ一部分ト特定セル分割部分ヲ得セシメテ不分共有者ノ状態ヲ消滅セシムルモノナリ
此場合ニ於テ新法ガ特ニ決定スルコトヲ要スル学理及実用上有益ナル問題生ズ而シテ本邦古来ノ慣習中此事ニ関シ明確ニシテ且ツ適当ナル決定ヲ看出スコト能ハザルベシ故ニ之ヲ泰西ノ法律ニ採レリ
若シ此場合ニ於テ特ニ法律ヲ設ケズ単ニ一般ノ原則即チ自然法ノ規則ニ放任セン乎其結果左ノ如クナルベシ即チ部分共有者ノ各自ハ分割ノトキ自己ノ分割部分ニ帰シタルモノニ付テ従来他ノ共有者ニ属シタル持分ヲ新タニ取得シ而シテ其同一物ニ付テ已ニ有シタル自己ノ持分ニ合シ是ト同ジク他ノ共有者ハ各々分割ニ由テ得タル物ニ付テ前者ニ属シタル持分ヲ取得スベシ此ノ如クナルトキハ此分割ヲ名ケテ所有権ノ移轉的又ハ附與的ナリト云ウコトヲ得ベシ
然リト雖トモ此ノ如クナルトキハ其ノ弊尠シトセズ部分共有ニシテ仍ホ継続シ未タ分割ニ至ラザル間ハ共有者ハ如何ナルモノト雖トモ自己ノ有スル部分ノ持分ニ非ザルヨリハ之ヲ他人ニ譲渡スコトヲ得ズ此ニ於テ乎此ノ如キ取得ヲ為サント欲スルモノ殆ンド是レアラザルベシ従テ財産ノ共通ハ大ニ障碍ヲ蒙ルベシ如何トナレバ不分ハ既ニ従来ノ共有者間ニ於テモ不便甚ダシキモノナルニ従来何等ノ関係ヲモ有セサル人ニ在テハ更ニ一層ノ不便ヲ與フベキモノナレバナリ
若シ第三者此部分ノ持分ヲ取得スルコトアリトスルモ仍ホ他ノ弊ヲ免カレズ又第三者ハ自己ノ権利ヲ全フスル為メ分割ノ処為ニ列スルコトヲ必要トセン然ルニ当事者間ニ於テスラ既ニ困難ナル分割ノ処為ニ他人ヲシテ加ハラシムルトキハ益々此困難ヲ増シ紛議ヲ生ゼシメンノミ
且ツ共有者ノ一人ガ不動産ニ付テ有スル其部分ノ持分ヲ抵当ト為シタルトキハ其ノ弊ハ愈ヨ大ナルベシ此場合ニ於テ他ノ共有者ハ他日遂ニ抵当権ヲ以テ擔保ト為シタル債務ノ弁済ヲ為シ或ハ債権者ノ贈遺ノ効力ニ因ル追奪ヲ受ケザルベカラザルニ至ラン如何トナレバ抵当ハ不可分ニシテ抵当ト為シタル不動産ノ全部ニ及ブモノト看做サレタルガ故ナリ(参看第十九条)此場合ニ於テ此共有者等ハ債務者ニ對シテ求償権ヲ有シ得ベキコト勿論ナリト雖トモ債務者ニシテ資力ナキトキハ此求償権ハ屢実際ニ於テ其効ナキコトアラン
羅馬法及之ヲ継受シタル泰西諸國ノ法律ニ於テハ此諸種ノ弊害ヲ管理シタリト雖トモ近世ニ至リ諸國ノ法律ハ次ノ権利ヲ認ムルモノ尠ナカラズ即チ分割ニ至ルマデ各共有者ノ権利ハ目的物ノ点ニ於テ確定セズ分割一タビ行ハルルトキハ各自ハ其分割部分ニ属スル物権ヲ一人ニテ所有シ而シテ他人ニ帰シタル物権ニ付テハ何等ノ権利ヲモ有セザリシモノト看做スコト是ナリ
此理論ニ基クトキハ共有者ノ一人ガ第三者ニ得セシメタル権利ノ成立スルト否トハ分割ノ結果ニ因テ始メテ行ハルルモノトス若シ他人ニ譲渡シ又ハ抵当ト為シタル物権ガ分割ノトキ此処分ヲ為シタル共有者ノ分割部分ニ帰セン乎第三者ノ得タル権利ハ全ク有効ナルモノナリ然レトモ若シ之ニ反シ他人ニ帰シタルトキハ此譲渡及抵当ハ全ク無効ナリ唯分割ガ第三者ノ権利ヲ害シテ為サルルコトヲ防グ為ニ第三者ハ分割ニ立會フノ権利ナカルヘカラズ
之ヲ要スルニ右ノ理論ヨリ看レバ分割ハ所有権移轉的ノモノニアラズシテ惟表示的ノモノナリ分割ニ因テ取得スルニ非ズ又喪失スルニ非ズ取得ノ効力ハ部分ノ始マリタル当時ニ泝ツテ効力ヲ生ジ此部分ヲ生ゼシメタル意思ヲ以テ其原因トナス
此故ニ動産及ビ不動産ノ区別ニ関シテハ包括財産ノ部分共有者ノ権利ハ分割ニ因テ之ニ帰スルモノノ性質ニ従ヒ或ハ動産タリ或ハ不動産タルベシ
第二項ハ右ノ場合ト少シク異ナリタル場合ニ関シテ同一ノ論決ヲ為セリ
通常一個ノ義務ハ其履行ヲ他日ニ期スルトキト雖トモ当初ヨリ確定セル目的物ヲ有スルモノナリ然リト雖トモ或場合ニ於テハ双方ノ合意ヲ以テ当事者ノ一方即チ債権者又ハ債務者ニ目的物ノ撰澤権ヲ有セシムルコトアリ此種ノ義務ヲ名ケテ擇一ノ義務ト謂フ(参看第四百廿八条以下)
若シ撰擇権ヲ行フコトヲ得ル物権ガ動産ト不動産トヲ論ゼズ凡テ同性質ノ物ナルトキハ債権モ亦其性質ヲ有スルガ故ニ此ニ定ムル財産ノ区別ニ関シ別ニ異ナル所ナシト雖トモ若シ擇一ヲ以テ負担セル目的物ノ一個ハ動産ニシテ他ノ一個ハ不動産ナランカ債権ハ(第一号ノ場合ニ於イテ別ニ法律ヲ以テ規則ヲ定メサルトキニ存スベキガ如シ)同時ニ両個ノ性質ヲ有スルコト能ハズ而シテ債権ニ與フルニ動産又ハ不動産タルノ性質ヲ以テシ得ベキモノハ唯負担セル両物権中ノ一ノミ然レトモ両者中孰レカ能ク権利ノ性質ヲ定ムルノ標準タルベキヤ是レ撰擇権ガ債権者ニ属スルトキハ債権者ガ請求ニ因リ此撰擇権ヲ行ヒ若シ之ニ反スル場合ニ於テハ債務者ノ弁済ニ因テ此ノ撰擇ヲ行フトキニアラザレバ知ル能ハサル所ナリ
若シ義務ガ任意ノモノナルトキハ右ト同一ナラズ本条ニ於テ擇一ノ義務ト任意ノ義務トヲ同一位ニ置カサルモノハ敢テ不注意ニ発スルニアラズ蓋シ任意義務ノ場合ニ於テ債務者ガ真正ニ負担スル所ノモノハ惟一アルノミ債務者ハ他物ヲ辨濟シテ義務ヲ免カルルノ能力アリトスルモ債権ガ動産タルヤ将タ不動産タルヤヲ定ムルハ主トシテ負担スルモノニ依ラサルベカラズ任意ニ負担スルモノニ因テ之ヲ定ムベキニアラス此性質ノ義務ニ関シ基本ノ原則ヲ定メタル第四百三十六条ニ規定アル以上ハ裁判所ガ正当ニ與へ得ベキ論結ハ右ノ一アルノミ
物ヲ分ツテ動産物及不動産物ト為ス重要ナル区別ニ関スル事項ハ本条ヲ以テ終レリ
法律ハ次条ヨリ他ノ諸種ノ区別ヲ規定セリ而シテ其ノ区別ハ已ニ述ベタル如ク遂ニ且ツ必ズ前ニ述ブル所ト同一ノ物権ヲ包含スルモノニシテ唯看察ノ点ヲ異ニシタルノミ
第十五条
法律上一個ノ物ガ他ノ主タル物ニ附属シテ其従タル物ト看做サルルヤ否ヤヲ知ルノ必要アル場合尠ナカラス此区別ハ添附ト名クル所有権取得ノ方法ニ関シテ就中大ナル利益アリ如何トナレバ此場合ニ於テハ従タル物ハ主タル物ノ従フノ原則ニ因レバナリ
法律ハ今惟此同種ノ物ノ特性ヲ示シ且ツ一二ノ例ヲ以テ之ヲ明カニスルノミ
第二条及第三条ハ已ニ権利ヲ分ツテ主タル物及従タル物ノ二種ト為セリ此区別ヨリ生スル主タル結果ハ主タル権利ノ無効ハ従タル権利ノ無効ヲ致スニアリ然リト雖トモ従タル権利ノ無効ハ必ズシモ主タル権利ノ無効ヲ致スモノニアラズ
此結果ハ保證及抵当ノ事ニ関シテ仍ホ之ヲ看ルベシ蓋シ保證及抵当ハ原則上有効ナル一箇ノ債権ニ附着スルニアラサレバ成立スルコト能ハザルヲ以テ主タル債権ニシテ無効ナルトキハ保證若クハ抵当ノミ惟リ有効ナルコト能ハザルモノナリ
又第四十一条ニ於テ主タルモノノ譲渡ハ従タルモノノ譲渡ヲ包含スルヲ看ルベシ
第十六条
本条ニ掲グルガ如ク物ヲ種々ニ区別スルハ甚ダ重要ニシテ且ツ種々ノ適用アリ其最モ重要ナルハ所有権移轉ノ点ニアリトス
賣買交換又ハ其他ノ譲渡契約ガ動産ト不動産トヲ問ハズ個々特定ノ物即チ特定物ヲ目的トスルトキハ所有権ハ当事者ノ合意ノ効力ノミニ因リ直チニ移轉スベシ之ニ反シテ合意ノ目的トスル所ノ物金銭、米、綿等ノ如キ種類ノミヲ定メタルモノノ一定ノ重量、員数又ハ尺度ニシテ即チ定量ヲ目的トスルトキハ縦令其品格又ハ出処ヲ指示シタルトキト雖トモ所有権ハ其物ガ個々特定シタルトキ即チ各当事者ノ監督ヲ以テ軽重員数又ハ長短ヲ量定シタルトキニアラザレバ移轉スルコトナシ唯物ノ引渡ヲ為シタルコトハ所有権移轉ノ為メ必要ナラズト雖トモ仍ホ指定サレタル処為ノ一ニ因テ其物ガ特定物トナリタルコトヲ必要ト為ス(参看第三百丗条)
特定物ニ関シ其引渡ヲ要スルコトナク合意ノ効力ノミヲ以テ所有権ヲ移轉セシムルコトハ近世ノ新法ニシテ至当簡易且ツ有益ナリ所有権ハ元来各人ト特定物トノ間ニ存スル純然タル無形ノ関係ノ関係ナルガ故ニ此ノ関係ハ当事者ノ意思ノ効力ノミニ因テ他人ニ移轉シ得ルコト真理ニ合セリトナス之ニ反シテ定量物ノ所有権ハ其物ノ引渡アルカ又ハ少クモ個々特定セラルルニアラザレバ理ニ於テ他人ニ移轉スルコト能ハズ蓋シ物定マラズシテ未ダ所有権存スルコトアラザレバナリ
一般合意ノ効力ノ事ヲ規定スルニ至リ仍ホ此区別ヲ示スベシ(参看第三百三十一条及第三百三十二条)
聚合物ハ其実他物ト混同スルコトナキニ足ル多少定メラレタル員数ニ於テ集合セル数多ノ特定物ナリ法律ニ掲ゲタル例ハ集合物ノ何物タルヲ知ラシムルニ足ルベシ
此区別ノ利益ハ畜群ノ用益権或ハ書庫ノ書籍及畜群ノ遺贈即チ用益権ニ関シテ仍ホ之ヲ看ルベシ
今ハ惟遺贈ノ場合ニ於ケル右ノ区別ノ主タル利益ヲ示スヲ以テ足レリト為ス今一人ガ其書庫ヲ死後ニ向テ遺贈シ而シテ書庫中ノ各書籍ヲ指示セザリシト假定セン此遺贈ヲ為シタル後遺贈者ハ仍ホ新書籍ヲ取得シテ書庫中ニ加フルコトアルベク又或ハ書庫中ノ書籍ヲ他人ニ與へ或ハ譲渡スルコトヲ得ベシ受遺者ハ遺贈者ノ死亡ノ後現状ノ侭ニテ書庫ヲ取得スベシ若シ遺贈ニシテ一個又ハ数個ノ定マリタル書籍(特定物)定マリタル冊数(定量物)ヲ目的トセン乎受遺者ハ猶遺贈者ノ為シタル譲渡ノ為ニ己レノ得ル所ヲ減少セラルルコトアルベキハ勿論ナリト雖トモ一方ニ於テ遺贈者ガ新タニ書籍ヲ取得シタルコトアリトスルモ之ヲ得ルコト能ハズ畜群又ハ商業資産ヲ組成スル商品ノ遺贈ニ関シテモ全ク是ト同一ナリ
又包括財産ヲ組成スルニハ前者ノ如キ集合ノ性質ヲ要セズト雖トモ其集合ノ度前者ニ比スレハ更ニ優レリ何トナレバ包括財産ハ資産ノ全部又ハ一分ヲ組成スルモノナレバナリ(参看六条及四十六条)此ノ如クナルヲ以テ包括財産ハ常ニ且ツ殆ンド日々ニ増減シ得ベキモノナリ特ニ包括財産ヲ掲グルコトヲ要スル所以ノモノハ蓋シ包括財産ニハ其利益(働方)ヲ減ズベキ負担即チ債務(受方)附従スレバナリ
第十七条
本条ニ掲ケタル区別ハ法律上屢其適用ヲ受クルモノニア非ズ然リト雖用益権及消費貸借ノ時効ニ関シテ仍ホ其適用ヲ看ルベシ本条ノ区別ハ次条ニ掲ゲタル区別ト混同スルコトナキヲ要ス一見スルトキハ両者甚ダ相似タルガ如シト雖其実全ク相異ナルモノナリ
第十八条
凡ソ一個ノ物本来同種類ノ物権存シテ互ニ相代ヘテ其用ヲ為スコトヲ得ルトキハ之ヲ代替物ト称ス
此ノ如ク代替物ト不代替物トヲ区別スルモノハ前条ニ掲ゲタル区別ノ如ク物ノ性質ニノミ基クモノニ非ラズ仍ホ当事者ガ明示若クハ黙示ヲ以テ此性質ヲ認メ又ハ法律ガ命令若クハ当事者ノ意思ノ推測ニ基キテ此性質ヲ認メタルコトヲ必要トナス
一回ノ使用ニ因テ消費スルモノハ当事者ノ意思ニ因テ互ニ代替シ得ベキモノト看做サルルコト普通ノ状態ナリ此故ニ金銭、米又ハ油ヲ借受ケタルモノハ其借受タル金銭米油ニ非ザルモ同額ノ金銭同一ナル品格及数量ノ米又ハ油ヲ返却シテ有効ニ其義務ヲ免カルルコトヲ得ベシ
又或ハ一回ノ使用ニ因テ消費スルモノガ当事者ノ意思ニ因リ特ニ不代替物ト看做サレ従ツテ其物ヲ以テ変換セザル可カラザルコトアリ
法律ノ規定ニ基ク代替ハ単ニ本来ノ性質相同ジキ物ノ間ニノミ存スルモノニ非ラズ猶数歩ヲ進メ元来性質異ナリタルモノノ間ニ於テモ之ヲ認ムルコトヲ得故ニ金銭ノ義務ヲ負担スルモノニシテ同時ニ地方市場ノ相場ニヨリ米、油其他ノ日用品ノ或定量ノ債権者タル場合ニ於テハ日用品ノ相場ニ従ヒ其有スル債権ヲ金銭ニ評價シ自カラ負担スル債務ト相殺ヲ認ムルコトヲ得ベシ(参看第五百廿二条)
第十九条
凡ソ物ハ其大多数ニ於テ分ツコトヲ得ベキモノナリ物ニシテ分ツベ可カラサルハ全ク例外ニ過ギズ第一有体物ハ動産ナルト不動産ナルトヲ論ズルコトナク本来有形上分ツコトヲ得ベキモノナリ権利等ノ如キ無体物ト雖トモ仍ホ之ト同ジク分ツコトヲ得ベキモノナレドモ是レ有形上ニ於テ然ルニ非ズシテ無形上ニ於テ然ルコトヲ得又二分ノ一、三分ノ一若クハ四分ノ一等ノ如ク其分数ニ於テ分ツコトヲ得ルモノナリ此故ニ所有権ノ如キハ二人若クハ数人ノ人ニ属スルコトヲ得ベク而シテ其各自ハ物ノ全部所有権ノ二分ノ一、三分ノ一等ヲ有スベシ是レ既ニ第十四条ノ下ニ於テ述ベタル不分共有権ノ場合ナリ各旧有者ノ権利ハ物ノ一部分ニ存セズシテ其ノ全部ニ存シ且ツ如何ニ之ヲ細分スルモ仍ホ其各部ニ存スルモノナリ
不分ト不可分トハ一見相似タルガ如シト雖之ヲ混ズルコトナキヲ要ス不分ハ分タザルノ謂ナリ故ニ不分ノ場合ニ於テハ権利ノ目的タルモノ未タ分タレズ然レドモ之ヲ分ツコトヲ得ベシ不可分ハ分ツ可カラザルノ謂ナリ故ニ不可分ノ場合ニ於テハ未ダ分タレザルノミナラズ分ツコトヲ得ザルナリ凡ソ物ハ分ツコトヲ得ルヲ以テ原則ト為シ或ル場合ニ於テ分ツ可カラザルモノアルハ全ク例外ニ属スルモノナルコト既ニ之ヲ述ベタリ
不可分ニ三個ノ原因アリ物ノ性質、当事者ノ意思、法律ノ規定是ナリ
物ノ性質ニ基ク不可分ハ無体物タル権利ニノミ適用スルコトヲ得ベシ之ヲ例スルニ地役ノ多数ハ全ク分ツコトヲ得ベカラザルモノナリ或ハ通行権又ハ観望権ノ如キ或ハ建築ヲ為サザル地役ノ如キ即チ是ナリ此ノ如キ場合ニ於テハ有形上分ツコトヲ得ベカラザル而巳ナラズ無形上ニ於テモ仍ホ分ツコトヲ得ベカラサルモノナリ何トナレバ通行権ノ二分ノ一ト云フガ如キハ到底解シ得ベカラザルコトナレバナリ
地役権ノ不可分ナル性質ヨリ生ズル実用上ノ結果及分ツコトヲ得ベキ地役ノ場合ハ其地役ヨリ生スル利益ニ関シテ仍ホ第二百六十八条ノ下ニ於テ之ヲ示スベシ
負債ノ義務モ亦其性質其目的ニ因テ分ツコトヲ得ベカラザル者ナリ(参看第四百四十一条ノ理由)
物ノ分ツコトヲ得ベカラザルモノハ屢当事者ノ明示又ハ黙示シタル意思ヨリ生スルモノナリ当事者ガ目的トスル所ノ結果ニシテ其一部分ノミニテハ到底有益ナルコト能ハザルトキハ是レ必ズ分ツ可カラザルモノナリ喩ヘバ大小定マリタル家屋ヲ建築スルコトヲ諾約シタルモノガ其家屋ノ半部ヲ築造スルモ未タ其義務ノ二分ノ一ヲ履行シタリト謂フコト能ハズ故ニ未ダ築造セザル他ノ二分ノ一ニ對シ債権者ニ償金ヲ與へテ建築ノ義務ヲ免ルルコトヲ得ズ苟クモ築造ノ義務ヲ負ヒタル家屋ノ全部ヲ落成セシメザル間ハ未ダ少シモ義務ヲ免カルル為メ有益ナル処為ヲ為サザルモノナリ若シ此場合ニ於テ二人ノ建築師建築ノ義務ヲ負ヒタリトセンカ其一人ガ家屋ノ半部ヲ築造スルモ之ニ由テ已ニ自己ノ義務ヲ免カレタリト云フコトヲ得ス他ノ一人ニシテ義務ヲ尽サザルトキハ自カラ家屋ノ全部ヲ築造セザル可カラズ
金銭ハ其ノ性質上分ツコトヲ得ベキモノナリト雖トモ当事者ノ意思如何ニ因リテハ金銭債務ト雖仍ホ不可分ナルコトヲ得ベシ故ニ今二人ニテ或ル不動産ヲ取得スル為ニ必要ナル金円ヲ他ノ一人ニ諾約シタル場合ニ於テハ其二人ノ各自ハ他ノ一人ニ於テ此義務ヲ履行セサルトキハ自カラ諾約シタル金円ノ全額ヲ給スルコトヲ要ス然ラザレバ債権者ノ目的ハ縦令一部分ト雖トモ達スルコトヲ得ズ何トナレバ不動産ノ二分ノ一ヲ賣渡スモノ有ラサル可ケレバナリ之ト同一ノ理由ニ依リ若シ右ニ掲グル如キ目的ヲ以テ此金員ノ債権ヲ有スルモノ二人ナル場合ニ於テハ其ノ一人ガ請求ヲ為サザルトキト雖他ノ一人ハ金員ノ全額ヲ請求スルコトヲ得ベシ
物ノ分ツ可カラザル性質ガ法律ノ規定ニ因テ生スル場合ハ甚ダ尠ナシ其例トシテ茲ニ示スコトヲ得ベキハ動産質不動産質先取特権及抵当ノ場合ナリトス然レドモ此場合ニ於テモ仍ホ法律ノ規定ニ由テ不可分ノ性質ヲ附與シタリト謂ハンヨリ寧ロ法律ハ当事者ノ意思ヲ推定シテ此性質ヲ認メタリト謂フベシ(参看債権擔保編第百五条第百廿三条第百三十二条及第百九十九条)法律ノ規定ニ依リ特ニ不可分ノ性質ヲ物ニ附與スル場合ハ特別ノ法律ニ於テ之ヲ看ルコト有ルベシ
物ノ区別ヲ説明スル当初ニ於テ既ニ言ヘル如ク物ノ種々ノ区別ハ唯総則トシテ茲ニ掲クルノミ故ニ此区別ニ関スル詳細ノ説明ニ至テハ其区別ヨリ生ズル直接ノ結果ヲ規定スル法文ノ下ニ於テ之ヲ為スベシ
第二十条
今古代ニ溯リ社會創造ノ時代ニ於テ之ヲ考フルトキハ凡ソ物ハ其場合ニ於テ未タ何人ノ所有ニモ属セサリシコト明カニシテ人ノ所有ニ属シタルハ後年ニ至テ生ジタル事実ナルコト勿論ナリ是ニ由テ之ヲ観レバ本条ノ区別ヲ掲クルニ当テハ先ヅ人ノ所有ニ属セザルモノヲ示シ而シテ後、人ノ所有ニ属スルモノヲ掲グルコト至当ナルガ如シト雖本条ハ之ニ反シ所有者ニ属スルモノヲ以テ第一ニ置ケリ其理蓋シ今日ニ在ツテ人ノ所有ニ属スルコトハ物ノ最大部分ニ普遍ナル状態ニシテ人ノ所有ニ属セザルハ実ニ其例外ニ過ギザルヲ以テナリ
本条ニ掲ゲタル物ノ細分ニ於テ法律ノ順序ニ従フトキハ第一ニ私ノ資産ノ部分ヲ為スモノニ関シテ特ニ規定スル所アルベキガ如シ然ルニ法文ニ於テ此規定ヲ為サズ直チニ公ノ資産ノ部分ヲ為スモノニ関シテノミ規定ヲ設ケタルハ畢竟スルニ民法全部ノ主トスル所ハ私ノ資産ノ部分ヲ為スモノニ在テ各人ニ属セズ即チ公ノ資産ノ部分ヲ為スモノハ惟之ニ附随シテ規定セルノミ此ヲ以テ今特ニ之ヲ明定セルヲ必要ト為ス
第廿一条
国ノ公有ニ属スルモノト其ノ私有ニ属スルモノトノ区別ハ実用上甚ダ大ナル結果ヲ有スルモノナリ就中此財産ノ譲渡管理及時効ノ点ニ於テ最モ多シト為ス
公有ニ属スル財産ハ原則上譲渡スコトヲ得ザルモノナリ又時効ニ罹ルコトヲ得ザルモノトス此等ノ財産ニシテ譲渡サレ亦ハ時効ニ罹ルニハ先ヅ公有ノ性質ヲ失ハシメ他ノ種目ニ編入セラレタルコトヲ必要ト為ス而シテ元来其財産ノ用方ノ適法ナル変更ニ依ルニ非ザレバ能ハザル所ノコトナリ
公有財産ノ管理ハ概シテ公共ノ建物ヲ使用スル官廳ノ長官ニ属スルモノナリ若シ國ノ私有ニ属スル財産ナルトキハ其財産所在地ノ地方長官之ヲ管理ス
此等ノ事項ニ関スル規定ハ行政法ニ属スルモノナリ
第廿二条
公有ニ属スル財産ノ特別ナル性質ハ國用ニ供セラルルノ一事ニ在リ本条ニ於テ法律ハ惟其ノ類例ヲ示スノミ然リト雖トモ既ニ公有財産ニ管スル原則ヲ明記シタル以上ハ本条ニ掲ゲザルモノニ付テモ其果シテ公有財産タル性質ヲ有スルヤ否ヤヲ判別スルコト甚ダ容易ナルベシ
國領ノ海ナル語ハ大洋(参看第二十五条)ニ對スルモノナリ國領ノ海ト称スル部分ハ國領ノ附属ト看做サルルモノニシテ國際法ニ従ヘバ陸上ヨリ砲丸ノ達シ得ベキ点マデノ海ヲ國領ノ海ト為ス而シテ近世銃砲製造ノ術進歩スルト共ニ各國國領ノ海ハ次第ニ其範囲ヲ擴ムルモノト云フコトヲ得ベシ
海濱ノ方ニ在テハ國領ノ海ノ限界ハ秋分春分最高潮ノ到ル処ニ在リトス是レ既ニ羅馬ノ時代ニ於テ認メラレタル原則ニシテ今日ニ於テモ仍ホ一般ノ認メタル至当ノ原則ナリ
寺社、病院、学校、博物館及書籍館等ノ如キハ本条ニ之ヲ掲ゲズ蓋シ此ノ如キ建物ノ中ニハ私有ニ属スルモノアルヲ以テナリ此故ニ此ノ如キ建物ノ性質ニ関スル問題ハ各場合ニ付テ一々之ヲ決スルコトヲ必要ト為ス
之ニ反シテ監獄ハ凡テ公有ニ属スルコト勿論ナリ
公有ハ之ヲ分ツテ国有、府縣有、郡有及市町村有ト為スコトヲ得ベシ本条ニ明記スル所ノ例ハ専ラ國有ニ関スト雖府縣、郡、市町村モ亦道路掘割及一地方ノ公用ニ供スル建物ヲ有スルコトヲ得ベシ此ノ如キ財産ハ譲渡、管理、時効等ノ点ニ於テ公有物一般ノ原則ニ従フベキコト勿論ナリ
第廿三条
國、府縣等ノ私有ニ属スル財産ノ性質ハ本条ニ於テ之ヲ指示セリ即チ此種ノ物ハ國、府縣等ガ各人ト同一ノ名義ニ於テ所有スル所ノモノニシテ且ツ金銭ニ見積モルコトヲ得ベキ収入ヲ生ズベキ所ノモノナリ
第廿四条
無主物トハ現ニ何人ニモ属セサル物ノ謂ニシテ若シ之ヲ占領スルモノ有ルトキ即チ他人ニ先チテ其ノ物ノ占有ヲ握ルノ処為ヲ為スモノ有ルトキハ之ニ依テ其人ニ属スベシ而シテ占領ノ何タルコトハ財産取得編第二条以下ニ於テ之ヲ示スベシ
不動産物ヲ遺棄スルハ其場合実際ニ於テ甚ダ罕レナリト雖若シ此ノ如キ事実アルトキハ此遺棄セラレタル不動産ノ所有権ハ直チニ國ニ帰ス若シ相続人ナクシテ死亡シタルモノ有ルトキハ其遺産ニ付テモ亦同一ナリ(参看第廿三条第二項)
第廿五条
公共物ハ無主物ト同一ナラズ又私有ニ属スルモノト同一ナラズ
公共物ガ無主物ト異ナルハ次ノ点ニアリ即チ公共物ハ各人ガ自由ニ之ヲ使用シ得ベキコト是ナリ而シテ私有ニ属スル物ト相異ナルハ左ノ点ニアリ即チ公共物ハ決シテ各人ノ専一ナル所有ニ属スコト能ハザルコト是ナリ公共物ハ各人縦令之ガ使用ヲ為スモ惟其物ノ些少ナル一部分ニ付テ利益ヲ得ルニ過ギズ敢テ其全部ノ所有権ヲ得ルコト能ハズ例之バ下流ノ水ヲ汲ミ空氣ヲ呼吸スルガ如キ是ナリ
第廿六条
本条ニ掲グル物ノ区別ハ合意ノ有効無効ノ点ニ関シテ適用ヲ看ルベシ即チ不融通物ヲ以テ目的ト為シタル合意ハ無効ナルモノナリ故ニ此ノ如キ合意ヲ為スモ此合意ハ不融通物ノ上ニ何等ノ権利ヲモ得セシムルモノニ非ラズ又此種ノ物ニ付テ義務ヲ諾約シタルモノ縦令其義務ヲ履行セザルコトアルモ是レ其義務ハ無効ナルモノナルガ故ニ不履行ヨリ生ズル損害ノ賠償ヲ為ス義務ヲ生ズルコトナシ但シ其当事者ニ於テ訴訟ヲ為シタルトキハ右ニ掲ゲタル原則ノ限ニ非ラズ
如何ナルモノガ不融通物タルヤヲ指示スルハ主トシテ行政法及刑法ナリトス然リト雖特ニ法文ノ明示ヲ俟タズシテ其物ノ性質上不融通ナルモノアリ
之ヲ要スルニ特ニ不融通物タラザルモノハ凡テ融通物タリ即チ各人ガ之ヲ処分スルコトヲ得ベキ所ノモノナリ物ハ凡テ融通スルコトヲ得ベキヲ以テ原則トナシ融通スルコトヲ得ザルハ全ク例外ニ属スルモノナリ
第廿七条
人或ハ譲渡スコトヲ得サル物ヲ以テ不融通物ト同一ナリト信スルモノ有ラン然リト雖譲渡スコトヲ得ザルト融通スルコトヲ得ザルトハ其事全ク同ジカラズ譲渡スコトヲ得ザルモノニシテ仍ホ融通物タルモノアリ法律ハ本条ニ於其例ヲ示セリ
例令バ使用権又ハ住居権ノ如キハ融通物タリ如何トナレバ賣買交換又ハ贈與等ノ如キ合意ニ因リ之ヲ設定スルコトヲ得ベク又一旦之ヲ設定シタル後更ニ合意ヲ以テ其物ノ所有者ニ之ヲ還附スルコトヲ得ベケレバナリ然リト雖此ノ如キ権利ヲ得タルモノハ之ヲ第三者ニ譲渡スコトヲ得ズ
地役ニ至テモ亦之ト相似タリ例之バ相隣所有者間ノ合意ヲ以テ地役ヲ設定スル如キハ固ヨリ為シ得ベキ所ナリト雖一旦地役権ヲ得タルモノハ其有スル要役地ヨリ之ヲ分離シテ単ニ地役権ノミヲ共有地ノ所有者以外ノ人ニ譲渡スコトヲ得ズ是又融通物ニシテ譲渡スコトヲ得ザル場合ナリ
之ヲ要スルニ物ハ凡テ譲渡スコトヲ得ルヲ以テ原則ト為シ譲渡スコトヲ得ザルハ全ク例外ニ属ス而シテ此例外タルヤ或ハ法律ノ規定ニ因テ生スルコトアリ或ハ人ノ意思即チ合意若クハ遺言ニ基クコトヲ得ベシ然リト雖トモ人ノ意思ヲ以テ斯ノ如キ例外ヲ設クルハ全ク各人ノ自由ナルニ非ラズ必ズ法律ノ特ニ此事ヲ許シタル場合ニ於テスルコトヲ必要トス
第廿八条
時効ノ性質ノ問題ハ今爰ニ説明スベキ所ニアラズ時効ハ取得又ハ免責ノ法律上ノ推定ニシテ此効力ヲ生ズル直接ノ方法ニ非ザルコトハ後ニ至テ第四十三条ノ事項ニ於イテ之ヲ述ブベク且ツ特ニ證拠編第二部ニ於テ之ヲ明カニスベシ
時効ノ性質如何ニ関スル問題ハ暫ラク之ヲ措クモ永ク継続シタル占有ハ未ダ必ズシモ時効ノ利益ヲ生ゼシムルモノニ非ザルコトハ明カナリ又其時効ノ利益ヲ生ゼシムルコト能ハザル障碍ハ物ノ性質ニ発スルコトアリ或ハ法律ノ規定ニ基クコトアリ例之バ公有ニ属スルモノ及或ル種類ノ地役(参看第二百七十八条)ハ時効ニ罹ルコトヲ得サル如キ是ナリ
時トシテハ時効ハ法律ノ特ニ保護スル或ル種類ノ人ニ對シテ進行スル能ハザルコトアリ即チ此等ノ人ニ對シテハ時効ハ停止セラルルコトアリ例令バ幼者ニ對スル場合又ハ配偶者間ニ於ケルガ如シ(参看證拠編第百丗一条及第百三十四条)然レトモ此ノ如キ場合ニ於テハ此等ノ人ニ属スル財産ガ時効ニ罹ルコトヲ得ズト謂フベカラズ
此ノ如クナルヲ以テ遂ニ時効ニ罹ルコトヲ得サルモノ有ルコトヲ認ムルヲ要ス然レトモ時効ニ罹ルコトヲ得ザル性質ハ譲渡スコトヲ得ザル性質ノ如ク全ク例外ニ属スルモノニシテ凡テ物ハ時効ニ罹ルコトヲ得ルヲ以テ原則ト為ス
第廿九条
凡テ債務者ノ有スル財産ハ其債権者等ノ為ニ共同ノ擔保タルモノナリ若シ債務者ニシテ其義務ヲ履行セザル時ハ債権者等ハ法律ノ定メタル或ル条件ト区別トニ従ッテ債務者ノ財産ヲ差押ヘ及賣却セシメ其代價ニ因テ弁済ヲ受クルコトヲ得ベシ(参看債権擔保編第一条)然リト雖或ル種類ノ財産ニ至テハ縦令債務者ノ所有ニ属スルト雖債権者ハ之ヲ差押ヘ及賣却セシムルコト能ハザルモノアリ第一ニ此種類ニ属スルハ不融通物及譲渡スコトヲ得ザルモノ是ナリ何トナレバ差押ノ結果ハ譲渡ニシテ此ノ如キモノハ譲渡スコトヲ得ザレバナリ又融通物ニシテ且ツ任意ニ之ガ譲渡ヲ為シ得ベキモノト雖仍ホ差押ニ因ル強制ノ譲渡ヲ禁ゼラレタルモノ有リ
商法ニ於テ為替手形ニ関シ(参看商法第七百六十四条)又訴訟法ニ於テ無資力ナル債務者ノ使用及職業ニ必要ナル或ル動産ニ関シ(参看民事訴訟法第五百七十条)債権者ガ差押ヲ為ス権利ノ制限ヲ看ルベシ
本条ニ於テ法律ノ規定ニ関係ヲ有スルモノノ区別ノ列記ヲ終レリ然リト雖茲ニ掲グル所ノ外仍ホ他ニ物ノ区別ヲ為スコトヲ得ベシ惟其区別ハ以上ニ掲ゲタル者ノ区別ニ比スレバ権利ニ影響ヲ及ボスコト甚ダ大ナラザルノミ
今左ニ其四個ヲ示サン
第一遺失物又ハ盗取物ノ区別此種ノ物ハ凡テ動産ノ善意ノ占有者ガ或ル條件ヲ備ヘタルトキ受クルコトヲ得ベシ利益ナル即時ノ時効ニ罹ルコトヲ得ズ此等ノ物ノ時効ニハ二ヶ年ノ占有ヲ必要ト為ス(證拠編第百四十五条)
此ノ如キモノニ関シ即時ノ時効ノ原則ニ對シテ何故ニ右ノ如ク例外ヲ設ケタルヤハ今爰ニ示スベキコトニ在ラズ何トナレバ此例外ヲ説明スルニハ先ツ原則ノ説明ヲ為スコトヲ要スベシ而シテ是レ実ニ総則ノ範囲外ニ属スレバナリ
遺失物中ニハ特別法ヲ以テ之ガ取得ヲ規定シタル水陸ノ漂流物、遺失物ヲ包有ス(参看財産取得編第三条)
第二明確ナル物 是レ明カニ其性質、数量其ノ他之ヲ供給スベキ場所等ヲ知リ得ベキ有価物ニシテ概シテ義務者ノ負担スル所ノモノナリ明確ナル物ト其他ノ物トノ区別ノ主タル利益ハ義務ノ相殺ノ点ニ存スルモノナリ(参看第五百廿条及第五百廿三条)又此区別ノ利益ハ行政執行ニ関シテモ存スルモノナリ何トナレバ行政執行ハ明確ナル物ニ付テノミ行フコトヲ得ベキモノナレバナリ
第三一定ノ價額ヲ超ユル物及然ラサル物、法律ハ他ノ證拠ニ比スレバ人證ヲ許スコト容易ナラズ此ノ如クナルモノハ敢テ普通ノ人ノ信ズルガ如ク證人ニ信ヲ措カザルガ故ニアラズ惟不法ノ訴訟ヲ豫防センガ為ナリ原告及被告ハ常ニ自己ノ権利ヲ信スルコト厚キニ過ギ従テ自己ニ利益ナル陳述ヲ為スベキ證人ニ甚ダ重キヲ置クベシ而シテ此ノ如キ證人ノ陳述ハ判事ノ前ニ於テ屢判事ノ心証ヲ生ゼシムルニ必要ナル明確ヲ缺クモノナリ之ヲ許ストキハ徒ラニ訴訟ヲ起スノ風ヲ為シ訴訟人ト一般ノ利益トヲ害スルモノ尠カラザルニ至ラン
故ニ法律ハ其價額五十円ヲ超エタル係争利益ニ関シテハ證書ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ必要ナリト定メタリ此價額未満ニ在テハ證書ヲ必要トセズ蓋シ小ナル證書ハ大ナルモノニ比シテ甚ダ多ク且ツ甚ダ迅速ヲ要スレバナリ
金員若クハ價額ノ多少ハ第一審及控訴ノ裁判所ノ管轄ニ関シテ影響ヲ及ボスモノナリ(参看裁判所構成法)
第四壊爛スル物及然ラザル物 凡ソ物ハ歳月ヲ経ルコト久シキニ至ルトキハ凡テ皆壊爛スベシト雖茲ニ壊爛スルモノト称スルハ此ノ如ク汎博ノ意義ヲ有スルモノニ非ズ惟甚ダ速カニ壊爛スルモノヲ謂フ例令バ食用品ノ如キ多クハ此種類ニ属スルモノナリ壊爛スルモノト然ラザルモノトノ区別ノ利益ハ用益権(参看第五拾五条)及消費貸借(参看財産取得編第百七十八条)ニ関シテ之ヲ看ルベシ後見及凡テ他人ノ事務ノ管理ノ場合ニ於テモ此区別ノ適用ヲ看ルコトアルベシ
縦令直チニ壊爛スルコトナシト雖仍ホ其市場ノ價額ヲ失ウコト速カナル性質ノ物ハ法律上之ヲ直チニ壊爛スベキモノト同一視スルコトヲ要ス
第一部 物権
第一章 所有権
本編ニ於テ規定スル所ノモノハ二種ノ私権ニシテ物権及ヒ人権是ナリ故ニ本編ハ之ヲ二部ニ分タサル可ラス蓋シ各部ニ於テ物権及ヒ人権ヲ規定スルヲ要スレハナリ而シテ物権ノ規定ヲ掲クル第一部ハ更ニ之ヲ数章ニ分ツ蓋シ各物権ノ為メニ特ニ一章ヲ設クルカ為ナリ
然ルニ本編第二條ニ於テ既ニ述ヘタル如ク本部ニ規定スル所ハ主タル物権ニシテ従タル物権ハ唯地役権ノ規定ヲ掲クルニ過キス此他人権ノ擔保ニシテ且其従タル物権ニ至テハ擔保編第二部ノ主眼トシテ規定スル所ナリ
第三十條
本邦往事ノ法律ニ於テ土地所有権ノ状態如何ナリシヤヲ観察スルハ理由書中ニ於テ之ヲ為スコト妥当ニ非サル可シ
本邦ノ土地制度ハ封建ノ制度ノ為メニ著大ナル影響ヲ被リ當時之ニ関スル法則區區ニシテ殆ト一定スル所アラサリシモ維新以来此錯雑セル変體ハ漸ク其跡ヲ収ムルニ至レリ今民法ノ規定スル所ハ之ヲ確定スルモノニシテ敢テ新制度ヲ創設スルモノニ非ス
所有権ハ自由完全ニシテ殆ト絶対ノ権利ナリ此故ニ之ヲ他ノ諸物権ニ比スレハ説明ヲ要スルコト最モ少キモノナリ
所有者ハ自由ニ其物ヲ使用スルコトヲ得之ヲ詳言スレハ所有者ハ其物ノ性質ノ許ス限リ之ヲ一切ノ用ニ供スルコトヲ得
所有者ハ其物ノ収益ヲ為スコトヲ得之ヲ詳言スレハ所有者ハ其物一切ノ定期産出物ヲ収ムルコトヲ得而シテ其産出物ガ天然ノモノナルト民法上ノモノナルトニ従テ區別ヲ為スコトナシ此區別ニ付テハ用益権ノ規定ヲ説明スルニ至リテ更ニ述フル所アル可シ
又所有者ハ其物ヲ処分スルコトヲ得之ヲ詳言スレバ所有者ハ其物ヲ譲渡シ変造シ又ハ毀棄スルノ権利ヲモ有スルモノナリ
然ルニ所有権ハ右ニ説明スル如ク最廣大ニシテ自由ナルモノナリト雖モ未ダ全ク絶対ノモノト云フコトヲ得ズ蓋シ法律合意及ビ遺言ニ因リ多少ノ制限ヲ受クルコトヲ免レサレハナリ
所有権ノ制限中法律上ノ制限ハ其数最モ多シ而シテ概ネ公益又ハ相隣者相互ノ利益ニ基因スルモノナリ蓋シ所有者ノ権利如何ニ大ナルモ其行使ニ依テ他ノ所有者ノ権利ノ行使ヲ妨ケ又ハ社會ニ害スルコト有ル可カラサレハナリ
合意又ハ遺言ヲ以テ所有権ニ制限ヲ加フルハ多クハ一分ノ譲渡ヲ為スニ在リ之ヲ詳言スレハ用益権地役権抵當権等ノ設定ノ如ク他人ノ為ニ所有権ヲ虧缺セシムルニ在リ
合意又ハ遺言ハ所有権ヲ制限シ得ルト雖モ之ヲ他ノ場合ニ比スレハ此合意ト遺言トハ親ラ制限セラルル所アリ之ヲ例スルニ贈與者又ハ遺言者ハ受贈者又ハ受遺者ニ其與へタル財産ノ譲渡ヲ禁止スルコト能ハズ何トナレハ財産ノ融通ハ公益ノ命ズル所ニシテ此ノ如キ禁止ハ公益ニ反スルモノタリ従テ各人ノ任意ニ為シ得ヘキ所ニ非レハナリ
第三十一條
本條ニ定ムル所ハ所有権ノ完全ナル性質ニ加ヘタル第一ノ制限ナリ
所有権其物ヲ保存スルノ権利ハ其権利中最モ鞏固ナルモノノ如シ然ルニ何レノ時何レノ國ヲ問ハス私益カ公益ニ一歩ヲ譲ラサル可カラサル場合アルハ吾人ノ普ク認ムル所ナリ即チ公益ノ為メニ必要ナルニ当テハ所有権者親ラ其物ヲ保存スルコト能ハサルナリ版図防禦ノ工事道路掘割ノ如キハ往徃廣大ナル地所ヲ必要トスルモノナルニ各人ハ所有権ヲ有スルノ故ヲ以テ其土地ヲ此用ニ供セサルコトヲ得ルモノトセハ二三所有者ノ私意ノ為メ此等ノ工事ヲ為ス能ハサルコト有ル可シ豈斯ノ如クニシテ可ナランヤ是レ私益ハ公益ノ為メ一歩ヲ譲ル各人公用徴収ヲ免レサル所以ナリ
且此場合ニ於テ国府縣郡市町村等ハ決シテ各人ヲシテ強テ金銭上ノ損失ヲ甘受セシムルモノニ非ス其強要スル所唯各人ノ便利ヲ公益ノ犠牲ニ供セシムルニ在ルノミ何トナレハ各人ハ徴収ノ為メ財産ノ譲渡ヲ強ヒラレ諾否ノ権ヲ有セサルモ尚ホ之カ為メニ失フ所ノモノニ對シテ其多寡ニ應シ相当ノ償金ヲ受クルモノナレハナリ
公用徴収ハ已ニ数年前ヨリ官私鉄道ニ敷設ニ関シテ実際ニ行ヒ来リシナリ其原則ニ至テハ現ニ憲法ノ宣言スル所タリ(帝国憲法二十七條)本條ニ於テ動産ノ公用徴収ハ不動産トノ間ニ顕著ノ差別ヲ設ケタリ不動産ノ徴収ハ豫メ一定ノ法律ニ設ケ徴収ヲ実際ニ行フニハ唯其法律ニ規定セル行政處分ヲ為スヲ以テ足レリトス而ルニ動産ノ徴収ニ至テハ此ノ如クナル能ハズ毎回定ムル特別法ヲ必要トスルハ甚タ怪ム可キニ似タリ然レトモ動産ニ関シテ此ノ如ク特別ノ規定ヲ設ケタル精神ハ動産ノ徴収ヲシテ濫妄ニ失セサラレシメンカ為ナリ何トナレハ動産ハ之ヲ不動産ニ比シテ價格少ク随テ行政官廳ガ其徴収ヲ濫ニ為スコト無キヲ保シ難ケレハナリ
但戦乱又ハ凶災ノ場合ニ於テ消費物其他必要ナル物ノ徴求ヲ為スニ当テハ此特別法ヲ必要トスルノ限ニ在ラス蓋シ緊急ナルカ為メ此手續ヲ為スニ遑アラサル可レハナリ
第三十二条
公益ヲ目的トスル工事ニ使用スル為メ一時所有地ノ占拠ヲ為スハ前条ニ掲ケタル徴収ニ非ス蓋シ全ク之ヲ奪フニ非サレハナリ故ニ之ヲ為ス行政處分ハ一層簡易ニシテ其償金モ亦徴収ノ場合ニ比シテ少カル可キコト勿論ナリ
第三十三條
各人ノ所有地内ニ存スル物料ヲ公益ノ為メ収取スルコトハ特ニ行政法ヲ以テ規定スヘキモノナリ然レトモ法律ノ精神ハ唯其ノ地方ニ於テ行フ所ノ公益工事ノ為ニノミ物料ノ収取ヲ為サシムルニ在リ物料其地方ニ存スルモ其ノ所有者之ヲ譲渡スコトヲ欲セサルトキハ他ノ土地ニ之ヲ求メテ運搬シ来ルコトヲ得ルカ故ニ物料ノ収取ヲ強要スルコトハ土地ノ徴収ノ如ク必要ナラスト雖モ此事タル実ニ少カラサル運搬費ヲ節滅スル方法ニシテ常ニ公益ヲ稗補スルモノナリ
物料ハ動産ナルカ故ニ本條ニ定ムル所ハ実ニ第三十一條ノ規定ニ對シテ一箇ノ例外ヲ為スモノナリ何ントナレハ同條ニ従フトキハ動産ノ徴収ハ毎回特別法ヲ以テ之ヲ為ササル可カラサルニ本條ノ場合ニ於テハ之ヲ必要トセサレハナリ
第三十四條
本條第一項及ヒ第二項ハ所有者ノ有スル或ル権利ヲ確認シタルモノニシテ第三項及ヒ第四項ハ之ニ制限ヲ加ヘタルモノナリ而シテ其制限タルヤ或ハ公益ニ基クモノアリ或ハ相隣人ノ私益ヲ旨トスルモノアリ之ヲ要スルニ皆自ラ明ナル所特ニ之ヲ詳説スルニ及ハス
第三十五條
本條ハ土地所有者カ其地中ニ存スル鑛物ニ関シテ其権利ニ制限ヲ被ルコトアル可キヲ示シ而シテ之ヲ特別法ノ規定ニ譲ルモノナリ
鑛物ハ一箇ノ財産タルコト明ナリト雖モ其採掘ハ國家ノ冨源及ヒ其安寧ニ重要ナル関係ヲ有スルヲ以テ民法ニ属スルヨリ尚ホ一層行政法ニ属スルモノナリ
第三十六條
所有権ノ擔保ハ第三者カ其所有物ヲ占有スルニ當り其占有ノ善意ナルト否トニ論ナク所有者ヲシテ之ヲ取回スルコトヲ得セシムル所ノ訴権ヲ裁判所ニ於テ行フノ権利ニ在リ
此権利ノ主タルモノヲ本権訴権ト云ヒ又回復訴権ト称ス此訴権ヲ以テ訴ニ勝タント欲スルトキハ其原告ハ先ツ其所有権ノ證拠ヲ挙クルコトヲ要ス蓋シ所有権存シテ後始メテ本権訴ヲ行フコトヲ得ヘケレハナリ
然ルニ所有権ノ證拠ハ之ヲ挙ルニ頗ル困難ナルコトアルヲ以テ所有者ハ只占有訴権ヲ行フコトヲ得此種ノ訴権ヲ行フニ當テハ所有者ハ単ニ被告カ占有ヲ為スニ先チ自己ノ占有アリタルコトヲ証明スルヲ以テ足レリト為ス
然レトモ此ノ如キ場合ニ於テ占有訴権ハ二箇ノ占有者間ニ行ハルルモノナルカ故ニ最初占有シタル者其訴権ヲ行ハズシテ一个年以上ノ時日ヲ経過シ去ラシム可カラス此時以後ニ至テハ新占有者モ亦既ニ占有訴権ヲ行フコトヲ得ヘケレハナリ
占有訴権ノ諸条件ニ至テハ本編第四章ニ於テ之ヲ規定ス之ヲ例スルニ動産ノ取得時効ハ即時ノ占有ニ依テ成就スルモノニシテ右ノ理論ニ例外ヲ為スモノナリ何トナレハ時効成就スルトキハ回復訴権及ヒ占有訴権ハ最早有効ニ之ヲ行フコト能ハサレハナリ
第三十七條
本條及ビ第三十八條第三十九條ハ既ニ総則ニ於テ間接ニ指示シタル所ノ所有権ノ特殊ノ状態ヲ規定スルモノナリ財産カ不分ニテ数人ニ属スル場合之ヲ詳言スレハ分割ヲ為サスシテ数人一物ヲ有スル場合即チ是ナリ不分共有ノ場合ニ於ケル各人ノ持分ハ均一ナルコトヲ得ヘク或ハ然ラサルコトヲ得ヘシ
不分所有権ノ性質ハ各所有者ノ権利カ如何ニ些少ナルモ普ク物ノ全体上ニ存スルコト恰モ獨リ其所有者タルトキト同一ナルニアリ然レトモ自餘ノ所有者ノ権利モ亦同シク其物ノ全體上ニ存スルヲ以テ彼我ノ権利相互ニ制限セラルルモノナリ是レヲ以テ共有者自ラ直接ニ其共有物ヲ使用スルハ実際稀ニシテ概ネ之ヲ賃貸シ其貸賃(法定ノ果實)ヲ分割ス可シ蓋シ一人直接ニ之ヲ使用スルトキハ為メニ他ノ共有者ノ使用ヲ妨クルニ至ルコトアル可レハナリ若シ耕地ノ共有ノ場合ナルトキハ相共ニ之ヲ耕シ其天然ノ果実タル収穫ヲ分割スルコト蓋シ容易ニ為シ得可キ所ナリ
管理ノ行為ハ其目的トスル所特ニ物ノ保存ヲ為スニ在ルヲ以テ各共有者ハ他ノ承諾ヲ待タス単獨ニシテ之ヲ為スコトヲ得可キヤ當然ナリ然レトモ尚ホ共有者ハ相共ニ商議スルヲ以テ優レリトス蓋シ依ヲ以テ紛争ヲ未発ニ防クコトヲ得レハナリ
第三十八條
物ヲ處分スル権利ニ至テハ管理ノ権利ト同一ナラス即チ物ノ形様ヲ變ゼントスルニ當テハ総共有者ノ承諾ヲ得ルコト必要ナリトス此故ニ其一人故障ヲ述フルトキハ共有物ヲシテ依然旧形ヲ存ゼシメサル可カラス何トナレハ物ノ全体ニ通シテ各自ニ有スル不分ノ持分ノミヲ變更スルコト到底為シ難キ所ナレハナリ之ニ反シ若シ譲渡ヲ為シ又ハ抵當ト為スニ関シテハ總共有者ノ合致アラサルモ各自其不分ノ持分ヲ譲渡シ又ハ抵當ト為スコトヲ得ヘシ蓋シ少シモ他人ノ権利ヲ害スル所ナケレハナリ譲渡ノ場合ニ付テハ第二項ニ於テ譲受人ノ地位ヲ規定シタリ抵當ノ場合ニ付テハ特ニ明文存セスト雖モ亦其結果同一ニ帰ス可シ即チ若シ債務者抵當訴訟ヲ受クルニ当當リ債務ヲ辨済シテ之ヲ妨止スルコトナクンハ抵當トナリタル不分ノ部分ノミヲ賣却ス可キナリ
又物ノ賃貸ニ関スルトキハ一ノ區別ヲ為スコトヲ要ス即チ其賃貸ノ規限短クシテ管理行為ノ性質ヲ有スルニ必要ナル制限ヲ越ヱサルトキハ前條ノ規定ニ従ヒ共有者ノ各有効ニ之ヲ為スコトヲ得若シ之ニ反スルトキハ總共有者ノ承諾ヲ必要ト為スヘシ
共有地ヲシテ地役権ヲ負担セシムル権利ニ至テハ必ス總共有者ノ許諾ヲ径テ後始メテ存ス可シ何トナレハ地役権ハ智能上ヨリ論スルモ猶ホ不可分ナルヲ以テ二分一、三分一、四分一、ノ如キ不分ノ部分ニシテ之ヲ設定シ負担セシムルコトハ理ニ於テ會得シ能ハサル所ナレハナリ
第三十九條
前二條ニ指示シタル不分ノ制度ハ結果ニ於テ大ニ不都合ナキコト能ハズ蓋シ此場合ニ於テハ共有者間往往紛議ヲ発生スルコト有ル可ク且不分財産ハ長ク融通スルコト能ハサルモノト為ル可シ而シテ其理二アリ共有者ハソノ共有物全部ノ賣却ノ條件ニ付キ容易ニ一致セサル可シ是其一ナリ又縦ヒ其一人又ハ数人カ自己ノ不分ノ持分ノミヲ賣却セント欲スルモ之ヲ譲受ケテ共有者トナリ未タ相識ラサル人ト一種ノ組合ヲ結ヒタルニ同シキ地位ニ立ツコトヲ受諾スルモノハ甚タ稀ナル可シ是レ其二ナリ
此不都合ヲ救ハンカ為メ法律ハ共有者ヲシテ不分財産ノ分割ヲ請求スルコトヲ得セシム故ニ分割ヲ求ムルコトヲ許シタルハ決シテ共有者ノ私益ノ為メノミニ非ス実ニ公益ノ為メニ然ルモノナリ
是レヲ以テ共有者ヲシテ永遠又ハ終身間若クハ五年ヨリ長キ時間強テ不分ノ地位ニ在ラシムルコトヲ目的トスル合意ハ公益ニ反スル故ヲ以テ全ク無効ナリトス然レトモ五个年ヲ超ヘサル時間ニ對シテハ此ノ如キ合意ハ有効ナルヘシ何トナレハ當事者ノ意思ハ此制限内ニ於テ有効ニ不分共有承諾スルコト法律ノ許ス所ナレハナリ
共有者ヲシテ五个年間不分ヲ約諾スルノ権利ヲ有セシメタル理由ハ之ヲ疎明スルコト容易ナリトス蓋シ財産ハ現実ノ物ヲ以テ分割スルコト往往困難ナルモノナリ故ニ此場合ニ於テハ之ヲ賣却シ其代價ヲ分割セサル可カラス然ルニ或ル場合ニ於テハ財産ノ價格一時低下シ急ニ之ヲ賣却スレハ損失ト為ルコト有リ此時ニ當テ當事者ハ五ケ年間又ハ之ヨリ少キ時間相互ノ損害ト為ル可キ分割ヲ避クル為メ不分共有ノ継續ヲ確約スルヲ以テ至當ト為ス而シテ其約シタル期間満了シテ尚ホ分割ヲ為スニ不利ナル事情存スルトキハ其合意ヲ更新スルコトヲ得ヘシ唯常ニ五ケ年ノ制限ヲ超ユルコト能ハサルノミ
遺言者カ其財産ヲ数人ニ遺贈シ依テ不分共有ヲ生セシムルニ當リテヤ其遺言書中ニ五ケ年間分割ヲ禁止スルコトヲ定ムル能ハズ蓋シ相互ノ利害ヲ熟考シ以テ五ケ年間紛議訴訟ナク不分共有ヲ為スヘキコトヲ期シ得ルハ獨リ共有者等カ自ラ合意ヲ為シテ之ヲ甘受シタル場合ニ止マル可ク他人ノ意思ヲ以テ為シ得ベキ所ニ非サレハナリ
要スルニ何人タリトモ不分ノ地位ニ強制セラルルコトナシトハ本法ヲ認メタル原則ナリ然レトモ本條ハ互有ノ場合ヲ以テ此原則ノ例外ト為シタリ蓋シ数箇ノ所有地ノ使用又ハ圍障ニ供スル互有ノ財産ニシテ常ニ分割セラルヘキモノトセハ全ク其用ヲ為ササルニ至ル可ケレハナリ
互有ノ事ハ地役ノ章ニ於テ詳ニ之ヲ説明ス可シ
第四十條
数人相依テ一箇ノ家屋有シ之ヲ詳言スレハ一箇ノ家屋ヲ数箇ニ区分シ各自其一部分ヲ所有スル場合ハ本邦ニ於テ今日其実例甚タ多カラスト雖モ一層廣大ニシテ且費用ヲ要スルコト大ナル石造又ハ煉瓦造ノ家屋増加スルニ従ヒ更ニ多キヲ加フ可キコト明ナリ
本條ハ右ノ如キ場合ヲ規定スルモノニシテ各ノ権利各其目的物ヲ異ニスル故ニ前数条ニ掲ケタル如キ不分ノ共有権ニアラスト雖モ亦其目的物相連接スルカ為メ全ク分割シタル所有権トモ少シク異ル所アル特別ノ場合ナリ
本條ノ諸項ハ之ヲ解説スルノ必要ナシ一讀スレハ自ラ之ヲ了解スルコトヲ得ヘシ
又當事者カ本條ニ規定スル所ト異ナル方法ヲ以テ其相互ノ負擔ヲ規定シタルトキハ本條ヲ適用スル限ニ在ラサルコト勿論ナリ
第四十一条
所有権ニ非サル他ノ諸物権ヲ規定シタル章以下ニ於テハ啻ニ其性質其効力及ヒ其消滅ノ原因ヲ指示スルニ止マラスシテ尚ホ此等ノ物権ニ固有ナル其發生ノ原因ヲ指示ス可シ然レトモ此所有権ノ章ニ於テハ之ト異ナリ其原因即チ之ヲ取得スル方法ヲ指示スルコト無ク又其承継人カ第三者ニ對シ自己ノ権利ヲ以テ對抗スル為メニ必要ナル公示ノ條件ヲ規定スルコト無シ蓋シ其事項タル區域頗ル廣クシテ今悉ク之ヲ示スコト能ハス本編第二部及ヒ財産取得編ニ於テ之ニ関スル事項ヲ主トシテ規定シタリ故ニ本條ニ於テハ第二部及ヒ財産取得編ニ之ヲ譲リタリ
第四十二條
本法ハ未タ曾テ所有権ヲ創設スル原因ヲ列記シタルコトナシ然ルニ今本條ニ於テ其消滅ノ原因ヲ列記スルハ甚ダ解ス可カラサルコトニ似タリ然リト雖モ此消滅ノ原因タルヤ其過半ハ絶對ニ所有権ヲ消滅セシムルモノニ非ス唯一人ノ手ニ之ヲ消滅セシメテ他ノ一人ニ之ヲ創設セシメ即チ其移轉ヲナスモノニシテ消滅ノ原因タルト同時ニ取得ノ原因タルモノナリ此故ニ後ニ規定ヲ為スヘシ但シ物ノ全部ノ毀滅ノ場合及ヒ動産物遺棄ノ場合ノ如キハ全ク所有権ノ消滅ヲ致スモノニシテ敢テ他ノ人ノ之ヲ取得スル原因タラサレハ勿論ナリト雖モ此等ノ事項ハ甚ダ簡明ナルヲ以テ特ニ一章一節ノ主眼トシテ規定ヲ為スニ足ラサルナリ
本條ニ掲クル第壱号乃至第五号ノ場合ニ付テハ右ニ掲クル理論ハ明瞭ニシテ多言ヲ費スコトヲ要セス
第壱號 譲渡ハ我所有スル所ノ物ヲシテ他人ノ所有物タラシムルノ行為ニ外ナラス而シテ譲渡ト称スルモノ中ニハ賣買贈與等ノ如ク所有者ノ任意ニ出ルモノアルベク或ハ公用徴収又ハ差押ニ基ク強制競賣ノ如ク強要ノモノタルコトアルヘシト雖モ其間ニ區別スルコトヲ要セス総テ一人ヨリ他ノ一人ニ所有権ヲ移轉セシムルモノナリ
第二號 添附ノ場合ニ於テハ所有権移轉スルハ従来ノ所有者ノ意思ニ出テサルモノナリ然ノミナラス時トシテハ新所有者ノ意思モ亦毫モ関係スルコト無クシテ所有権之ニ移轉スルナリ
第三號 没収ノ場合ニ於テノ各人カ所有権ヲ失フト同時ニ物ハ國ノ所有ト為ルモノナリ然レトモ其物カ公ノ秩序ニ危害アルトキハ之ヲ毀壊スルモノトスルヲ以テ國ノ所有トシテ存スルコト久シカラザルヘシト雖モ尚ホ没収ト毀壊トハ全ク別事タルヲ妨ケス
第四號 取得ノ解除鎖除及ヒ廃罷ハ本法ニ於テ種種ノ適用ヲ受ク可シ故ニ此等ノ名称ヲ冠シタル訴権ヲ以テ之ヲ行フ場合ニ於テ更ニ説明ス可シ今ハ此等ノ訴権ニ関シテハ詳説スヘキ場合ニ非ス唯各訴権ニ付テ二三ノ例ヲ挙ケ以テ其適用ヲ指示スルニ止ム
解除ハ當事者ノ意思又ハ法律ノ力ヲ以テ所有権移轉ノ行為ヲ破却スル為ニ将来且未必ノ條件ヲ豫想ニ此移轉ニ附シタル場合ニ於テ其條件ノ成就シタルトニ為スコトヲ得ルモノナリ例ヘハ双務ノ合意ニ於テ當事者ノ一方カ其義務ヲ履行セサル如キ是ナリ又鎖除ハ承諾ノ瑕疵若クハ當事者ノ無能力ノ點汚アル場合ニ於テ譲渡ヲ取消スニ在リ廃罷ト称スルハ債務者債権者ヲ詐害スヘキ譲渡ヲ為シタル場合ニ於テ之ニ干與シタル取得者ノ如ク法律ニ豫定セル過失アル取得者ニ科スル民事上ノ責罰トモ謂ウ可キモノナリ
凡解除鎖除廃罷ノ三箇ノ場合ニ於テハ既往即チ取得ヲ為シタル當時ニ遡リテ之ヲ破却シ而シテ物件ハ旧所有者ニ復帰スルモノナリ精密ニ之ヲ論スレハ此等ノ場合ニ於テ所有権ハ初メヨリ取得者ノ手ニ存在シタルコト無キヲ以テ固ヨリ消滅スヘキノ理ナシト云フコトヲ得ヘシ然レトモ斯ノ如キハ煩苛ナル理論ニ偏シタルモノニシテ法律カ主トシテ類集列記トヲ事トスルニ當テハ之ヲ採ラサルコトヲ得ルノミナラス尚ホ力メテ避ク可キ所ナリ之ヲ要スルニ此三箇ノ場合ニ於テハ所有権ハ全ク毀スルニ非スシテ唯所有者変更シ即チ一ノ資産中ヨリ出テテ他ノ資産中ニ移轉スルモノト云フコトヲ得ヘキナリ
第五號 所有者ガ任意ヲ以テ其物ノ遺棄ヲ為ス場合ニ於テモ亦其物ハ他ノ為メニ取得セラルルコト最モ多シトス蓋シ動産物ノ委棄ナルトキハ其物ハ遺棄ニ因リ無主物ト為ル可キモ多クハ他人之ヲ先占シテ早晩之ヲ取得スル者アル可シ然レトモ此場合ニ於テ遺棄ニ依テ所有権移轉セルニ非ス無主物ノ先占ニ依テ他人カ之ヲ取得スル迄ハ仮令一分時間タリトトモ所有権ハ全ク消滅ス可シ若シ然ラサレハ無主物ナク無主物ナケレハ先占ナルモノ有ルコト能ハサレハナリ之ニ反シテ不動産ノ遺棄ハ甚タ稀ナルノミナラス此場合ニ於テハ其所有権ハ直ニ且當然國ノ取得スル所ノモノタリ又動産ト不動産トヲ問ハス数人ノ共有物ナルトキ共有者ノ一人ノミ遺棄ヲ為シタルトキハ第三者カ動産ノ先占ヲ為スコト能ハズ又國ハ不動産ノ取得ヲ為スコト能ハズ唯遺棄シタル共有者ノ権利ハ自餘ノ共有者ノ持分ヲ増加スルニ止ル可シ
是ヲ以テ所有権カ現所有者ノ手ニ於テ消滅スルノミナラス如何ナル場合ニ於テモ他人ノ資産ニ移轉スルコト無シト云フコトヲ得ベキハ唯第六号ノ一箇ノ場合アルノミ即チ所有権ノ目的タル物カ全ク毀滅シ毫モ有益ナル残餘アラサル場合是ナリ此場合ニ於テハ権利ハ絶對ニ消滅ス可シ何トナレハ目的物ナクシテ権利独リ存スルコト能ハサレハナリ
物ノ滅失ノトキ若シ過失ニ因テ此滅失ヲ生セシメタルトキハ其責任及ヒ損害賠償ノ問題ヲ生ス可シ就中第三百七十條以下ニ於テ規定スル所ヲ見ル可シ蓋シ其過失ハ義務ノ一箇原因ニシテ従テ所有者ノ為メ人権ノ原因ト為ルモノナレハナリ
第四十三條
時効ト称スル方法ニ依リ時ノ経過ガ権利ニ及ホス影響ハ頗ル著シキモノナリ
時効カ果シテ正当ノモノナルヤ否ヤニ付テハ時トシテ異論ヲ為ス者ナキニ非サリシモ其有益ナルコトハ何人モ之ヲ争フモノ無ク実ニ時効ノ必要ハ一般ノ認ムル所ト云フコトヲ得ヘシ然レトモ時効ハ単ニ必要ナルノミナラス全ク正当ナルモノナリ
時効ニハ相異ナリタル二箇ノ適用アリ即チ二箇ノ種類アリ
學者往往言語ノ簡短ヲ旨トシ時効ハ物権ヲ取得セシメ又ハ人権ヲ失ハシメ即チ債務者ヲ免除スルモノナリト云フ然レトモ學理上ヨリ論スルトキハ時効ハ時日ノ経過其他法律ノ明定シタル條件ノ具備ヲ證スルトキハ時効ヲ申立ル者ヲシテ他ノ證拠ヲ提出スル責ヲシテ免レシムヘキ正当ナル取得又ハ免除ノ法律上ノ推定ナリト云フヲ以テ至當ナリトシ且之ヲ申立ツル者ノ一往義ニ於テモ感情ヲ害スルコト少ナカルヘシ而シテ権利ノ取得ヲ推定スル時効ノ主タル條件ハ占有ニシテ義務ノ免除ヲ推定スル時効ハ債権者ノ権利ノ不行使ヲ以テ主タル條件ト為ス
右ニ述ル如ク時効ニシテ一ノ推定タル以上ハ他ノ推定ト同シク之ヲ證拠編ニ規定スルコト至当ナリ故ニ其詳細ハ同編ニ於テ之ヲ説明ス可シ
第二章 用益権、使用権及ヒ住居権
第一節 用益権
第四十四条
用益権ハ所有権ト異ニシテ此権利ヲ有スル者ニハ使用スルノ権利及ビ収益スルノ権利ヲ附與スルニ過ギズシテ之ヲ處分スルノ権利ヲ附與スルモノニ非ズ之ヲ要スルニ用益者ハ用益物ヲ使用シ且ツ是ヨリ生スル果実ヲ取得スルノ権利アルノミ然レトモ敢テ用益者ハ自己ノ有スル用益権ヲ處分スルノ権能ヲ有セサルニ非ス其處分スルコト能ハサル所ノ者ハ用益権ノ目的タル所ノ者ナリ
用益権ハ当初ヨリ一定ノ期限ヲ定メタルト然ラサルトノ区別ナク凡テ有期ノ権利ニシテ用益者ノ終身ヲ限リ継続スベキ権利ナリ然レトモ用益者ノ終身ハ用益権ノ最長期ヲ示ス者ニシテ其死亡ノ後他人ニ移転スルコトヲ得ズ若シ之ニ反シ用益者ノ死後他人之ヲ相続スルコトヲ得ル者トスル時ハ之ガ為メ所有権ハ其目的タルモノノ所得ヲ奪ヒ去ラルルヲ以テ永ク何等ノ利益ヲモ有セサル有名無実ノ権利タルニ至ルベシ
是レニ由テ之ヲ看レバ用益権ハ所有権ノ一部分ニシテ是ヨリ枝分シタル一個ノ権利タルコト明カナリ
右ニ述ブル如ク所有権ガ其主タル部分ナル収益ノ権利ヲ失ヒタルトキハ之ヲ名ケテ虚有権ト謂フ若シ単ニ使用ノ権利ヲ分離セラレタルトキハ虧缺セル所有権ト謂ヒ又少シモ枝分スル所ナキ場合ニ於テハ完全所有権ト称ス本編第二条ニ於テ完全又ハ虧缺ノ所有権ヲ以テ物権中ノ第一位ニ掲ゲタルハ蓋シ此等ノモノヲ謂ヘルナリ
茲ヲ以テ用益権ヲ設定スルコトハ左ノ如キ需要ニ應ズルモノナリ今自己ノ財産ヨリ生スル収益ヲ以テ生活ヲ為スニ充分ナラサルモノ其財産ヲ譲渡シ其報酬トシテ一個ノ用益権ヲ取得スルトキハ其用益権ハ用益者ノ年齢多キニ従テ益々大ナルモノタルコトヲ得ベシ何トナレバ用益者ハ其性質上用益者ノ終身ニ止マル権利ナルヲ以テ用益権設定ノ当時用益者タルモノ既ニ年齢多キトキハ用益権存在ノ間短キヲ以テ用益権ヲ設定スルモノ必ス多クノ収益アルモノヲ目的物ト為スベケレバナリ
遺言ヲ以テ用益権ヲ設定スルモ亦相続ニ属スル元本ノ一部分ヲ正当相続人ヨリ奪フコトナクシテ遺言者ノ配偶者親族又ハ老年ノ使用人等ヲシテ生活ノ方法ヲ得セシムル為メ遺言者ニ取リテ便利ナル方法ナリトス
又戸主タルモノ其生前中ニ於テ其相続人ニ家督ヲ譲リタル場合ニ於テハ相続人ガ他人ニ財産ヲ譲渡スコトアルモ仍ホ自己ノ生計ニ不便ヲ来スコト莫カラシムル為メ自カラ用益権ヲ包有スル場合アルベシ
第一款 用益権ノ設定
第四拾五条
純然タル用益権ガ或ル種類ノ人ノ為ニ法律ノ規定ニ因テ当然設定セラルルノ場合ハ本法中ニ於テ未ダ之ヲ看ズ婚姻中婦ノ財産ニ付テ夫ノ有スル権利ハ用益権ナルガ如シト雖モ其実唯是ト相似タルノミ(参看財産取得編第四百廿七条)然レトモ特別法ノ設定ニ因テ法律ノ規定ニ因ル用益権ノ適用ヲ看ルコトアルベシ人ノ意思ニ因テ用益権ヲ設定スル場合ハ所有権ノ譲渡ノ場合ト同一ニシテ要スルニ合意又ハ遺言ニ依ルモノナリ然レドモ用益権ノ設定ニ特別ナル一個ノ場合アリ即チ他人ニ物ヲ譲渡スニ当リ其譲渡人ガ自己ノ利益ノ為メ其物ノ用益権ヲ留存スル場合是ナリ
時効モ亦用益権ニ関シテ其適用ヲ受クベシ。例令バ一人ニテ或ル物ノ用益権ヲ買受ケタルニ其賣主ハ真正ノ所有者ニ非ザリシト假定セン此場合ニ於テ買主用益権ノ占有ヲ為シ即チ時効ノ為必要ト定マリタル時間平穏ニ用益権ノ行使ヲ為シタルトキハ用益権ハ此時ヨリ其終身間全ク其有ニ帰スルモノナリ然レドモ時効ハ物権ヲ取得スル直接ノ方法ニ非ザルヲ以テ此ノ如キ場合ニ於テ時効成就シタルトキハ用益権ハ人ノ意思ニ因テ設定セラレタル者トノ推定ヲ受クト謂フコトヲ要ス即チ真正ナル所有者ハ一ノ處為ニ因テ此用益権ノ譲渡ヲ承諾シタルモノト推定セラレ而シテ用益者ハ此處為ノ證標ヲ提出スルノ責ヲ免除セラレタル者ナリ
第四拾六条
法文ニ於テ用益権ノ目的トナルコトヲ得ベキ種々ノ財産ヲ指示スルコトニ務メタリト雖モ敢テ用益物ノ種類如何ヲ問ハズ用益権ノ効力ハ悉ク同一ナリト謂フニ非ラズ之ニ反シ用益権ノ効力ハ其目的トスル者ノ性質ニ従ヒ著シク相異ナルコト有ルベキハ次ノ二款ニ規定スル所ニ因テ之ヲ知ルベシ
本条ハ独リ人ノ意思ニ因テ設定セラレタル用益権ニ適用スベキ而巳ナラズ仍ホ法律ノ規定ニ因テ設定セラレタル用益権ニモ適用スベキ者ナリ
第四拾七条
本条ハ用益権ヲ設定スルニ付キ之ニ附スルコトヲ得ル変態ヲ示セル者ナリ即チ其成立又ハ其継続期ヲ変更スル所ノ事情ヲ規定スル者ナリ此等ノ事情トハ未必条件、期限又ハ条件及ビ期限ノ存セザルコト等是ナリ最後ノ場合ニ就テハ其用益権ヲ単純ノ者ト謂フ
本条ハ先ヅ用益権ハ有期ニテ設定スルコトヲ得ル旨ヲ明記セリ而シテ均シク有期ト称スル者ノ中ニ権利ノ始時ヲ定メタル有リ或ハ終時ヲ定メタル者アルベシ本条ニ於テ此ノ如ク特ニ期限ヲ附スルコトヲ得ト明記シタル者ハ蓋シ期限ハ處分ノ権利ト相容ルルコト能ハザルヲ以テ所有権ニ在テハ之ヲ附スルコト能ハザレバナリ然ルニ用益権ハ所有権ト異ナリテ本来處分ノ権利ヲ包有セザルヲ以テ当事者ノ意思ニ従ヒ或ル時ニ始マリ或ル時ニ終ルコトヲ得ルハ固ヨリ至当ノ事ナリトス
未必条件ニ至テハ停止ノ者ト解除ノ者トヲ問ハズ之ヲ用益権ニ附シタルトキハ其効力ハ所有権ノ場合ニ於ケルト全ク同一ナルベシ停止ノ条件ノ場合ニ於テハ権利ハ其条件ノ成就シタルトキニ非ザレバ生セズ解除ノ条件ノ場合ニ於テハ条件ノ成就ト共ニ権利ハ消滅スベシ然レドモ両個ノ場合ニ於テ共ニ期限ノ場合ニ於ケルト異ナル権利ノ発生シ又ハ消滅スルハ條件ノ成就シタルトキヨリ後ニ向テノミ其効力ヲ有スルニ非ズシテ合意又ハ遺言ニ因テ得タル権利ノ発生シタル当日ニ溯ボル者ナリ故ニ停止条件ノ場合ニ於テ條件成就シタルトキハ当初ヨリ其権利常ニ成立シタル者ト看做サレ之ニ反シテ解除条件ノ場合ニ於テ條件成就シタルトキハ其権利始メヨリ成立セザル者ト看做サル茲ニ於テ虚有者ト用益者トノ間果実ノ清算ヲ為スノ必要生ズベシ
未必条件ノ訴求ノ効力ヨリ生ズル他ノ結果ニシテ停止又ハ解除條件ノ成就前用益者ガ承諾シタル抵当権ニ関シテ生ズベキモノ有リ蓋シ用益権ニシテ成立スルトキニ非ザレバ用益権ノ抵当ハ有効ナルコト能ハズ故ニ停止條件ノ成就シタルトキハ用益者ノ與へタル抵当権ハ有効ナルベシト雖モ解除条件成就シタルトキハ其抵当権ハ有効ナルコト能ハズ
管理ノ権原ヲ以テ為スコトヲ得ベキ制限内ノ期間ヲ以テ為シタル賃貸ニ関シテハ若シ停止ノ条件ガ成就シタルトキハ当初契約ノ期間満了スルマデ全ク有効ナルベシ若シ解除条件ノ成就シタルトキニ於テ既ニ右ノ制限ヲ超エタルトキハ賃貸ハ終了スベシ(第百拾九条以下)第三項ノ規定ニ従ヘバ用益権ニ条件若クハ期間ヲ附シタルトキト雖モ仍ホ用益者ノ死亡ニ因テ用益権ノ消滅ヲ致スベシ要スルニ用益権ハ用益者ノ死亡ニ先チ他ノ原因ニ因テ消滅スルコトヲ得ルト雖モ用益者ノ死亡後ニ至ルマデ仍ホ継続スルコトヲ得ズ
第四拾八条
本条ハ各人ノ合意ニ最多ノ自由ヲ與へタル者ナリ然レドモ現ニ出生シ又ハ少ナクモ胎内ニ在ル人ノ為ニスルニ非ザレバ用益権ヲ設定スルコトヲ許サズ此ノ如ク為サザル時ハ用益権ハ人ノ終身ヨリ長クシテ久シク所有権ヲシテ収益ノ実ヲ失ハシムベケレバナリ然レドモ現ニ存スル人ノ為メナル時ハ二人ノ配偶者二人若クハ数人ノ兄弟朋友等ノ如キ多クノ人ノ為ニ用益権ヲ贈與シ又ハ遺贈スルコトヲ得ベシ一人及ビ其既ニ生レタル数子ノ為ニ之ヲ設定スルコト又均シク為シ得ベキ所ナリ此ノ如キ場合ニ於テハ数人ヲシテ同時ニ且ツ用益物ヲ分ツコトナク収益ヲ為サシムルコトヲ得ベク或ハ数人ガ収益ヲ為スベキ順序ヲ定メ以テ順次ニ用益権ヲ行ハシムルコトヲ得ベシ孰レノ場合ニ於テモ用益権ハ人ノ終身ヨリ長ク所有権ノ負担タルコト能ハザルナリ(参看第百○三条)
法律ハ単ニ胎内ニ在ルモノヲ以テ已ニ出生シタルモノト看做セリ是レ民法上普通ニ認メラレタル原則ニシテ本編ノミナラズ他ノ法律ニ於テモ之ヲ看ルベシ特ニ相續ノ事項ニ於ケル如キ是ナリ或ハ已ニ胎内ニ在ルト否トハ知リ得ベカラザル事実ニシテ其時ヲ定ムルコト甚ダ困難ナリトノ非難ヲ為スモノ有ルベシト雖モ法律ハ人ノ出生ノ時ヨリ前ニ溯ボリ或ル日数ヲ数ヘテ人ノ胎内ニ生ジタル時期ヲ推定スルコトヲ得ベシ
第二款用益者ノ権利
第四拾九条
本条ハ用益者ガ其権利ノ目的タルモノノ占有ヲ得ベキ時期ヲ定メタリト雖モ唯権利ノ発開シタル時ト云フニ止メタリ斯ノ如ク単ニ権利ノ発開シタル時ト指定シテ孰レノ時ニ権利発開スルモノナルヤヲ明カニセザル所以ノモノハ蓋シ原則ニ因テ之ヲ知ルニ足レバナリ若シ用益権ニシテ何等ノ条件ニモ拘ハラザル時ハ合意ノ場合ニ於テハ当事者双方ノ意思ノ投合ニ依リ合意成立シタル時権利直チニ発開シ遺言ヲ以テ用益権ヲ設定シタル場合ニ於テハ遺言者ノ死亡ニ因テ発開スル者ナリ若シ停止ノ条件アルトキハ権利ハ条件ノ成就シタル時始メテ発開スルモナリ
此点ニ於テ期限ハ条件ト同一ナラズ何トナレバ条件ハ権利ノ発開ヲ停止スルモノナリト雖モ期限ハ単ニ権利ノ行使ヲ停止スルモノニシテ其発開ヲ停止スルコト無ケレバナリ故ニ期限ヲ附シタル用益権ハ其期限前已ニ発開スルモノナリ然レドモ期限ノ目的ハ全ク用益者ノ収益ヲ始ムベキ時期ヲ延バスニ在ルモノナルガ故ニ期限前ニ於テ用益者ガ用益物ノ占有及ビ収益ヲ為スベカラザルハ勿論ナリ茲ヲ以テ法律ハ特ニ期限ノ到来シタル時ト謂ヘリ
用益者ガ用益物ノ占有ヲ得ルハ其権利発開シ且ツ期限ノ到来シタルコト而已ヲ以テ足レリト為サズ仍ホ法律ガ虚有者ノ利益ヲ保護スル為ニ用益者ニ課シタル三個ノ義務ヲ履行シタルコトヲ必要ト為ス三個ノ義務トハ動産ノ目録不動産ノ形状書ヲ作リ證人又ハ其他ノ擔保ヲ給スルコト是ナリ
此三個ノ義務ハ第七十条已下ニ於テ詳細ニ説明スベシ
本条ハ用益者ガ何等ノ修繕ヲモ請求スルコトヲ得ズ又何等ノ恰好ヲモ望ノノ権利ナキコトヲ明記シ以テ用益権ト賃借権トノ差異ヲ判明ナラシメタリ賃借権ノコトハ後ニ至テ之ヲ説クベシ
右ノ如ク規定スト雖モ若シ当事者ガ是ト異ナル合意ヲ為シタル時ハ此合意ニ従フベキハ勿論ナリ蓋シ合意ハ当事者ノ間ニ於テ法律ト同一ノ効力ヲ有スト云フコトハ屢々適用ヲ受クベキ普通法ノ原則ナリ(第三百四拾八条)
然レドモ虚有者ノ過失ニ因テ修繕ヲ必要ナラシメタル時ハ虚有者ハ最早之ヲ為スノ義務ヲ免レサルコト当然ナリ
此事項ニ関シテハ法律ハ一個ノ区別ヲ為セリ今之ヲ示スベシ
若シ用益権ノ発セサル後用益物現存シタル時ハ縦令仍ホ権利到来ノ以前ニ在リトスルモ虚有者ガ物ノ看守ノ注意ヲ缺キタル時ハ此一事ヲ以テ自カラ責任ヲ免ルル能ハズ然レドモ若シ権利発開ノ前ニ於テ用益物現存シタル時ハ虚有者ハ其虧損ノ處為ガ虚有者ノ任意ニ出テ且ツ将サニ生セントスル用益者ノ権利ヲ害スルノ意思ヲ以テ為サレタル者ナルトキニ非ザレハ責任ヲ有スルコトナシ
第五十条
用益権ノ発開及期限存スル場合ニ於テハ期限ノ到来ヨリシテ生スル結果ノ最大ナルモノハ用益者ヲシテ果実ヲ取得スル権利ヲ得セシムルコト是ナリ而シテ用益者ハ縦令其権利ヲ行使スルコトヲ急タルト雖モ仍ホ之ガ為ニ虚有者ヲシテ利益ヲ得セシムベキモノニ非ズ
縦令用益者ハ自カラ果実及生産物ヲ収取セザルモ已ニ其果実及ビ生産物ガ土地ヨリ離レタル以上ハ常ニ其所有権ヲ有スルモノナリ(参看第五拾二条)故ニ此ノ如キ果実ニシテ若シ猶現物ヲ以テ虚有者ノ手ニ存スルトキハ用益者ハ回復ノ訴権ニ因テ虚有者ヨリ之ヲ返還セシムルコトヲ得ベシ
然レドモ若シ其果実ニシテ已ニ消費セラレタルカ又ハ善意ナル買主ニ売渡シ且ツ引渡サレタル時ハ用益者ハ惟虚有者ニ對シテ一個ノ債権即チ人権ヲ有スルニ過ギザルベシ又虚有者若シ善意ニテ即チ用益者ノ権利アルコトヲ知ラズシテ果実ヲ収取シタルトキハ其虚有者ハ現物ヲ以テ返還スルト價格ヲ以テ返還スルトヲ問ハズ凡テ其果実ヨリシテ自己ノ手ニ存スル利益ノ限度内ニ於テノミ返還ノ義務アルニ止マル例之バ相続人ガ其相続人ノ他人ニ為シタル用益権ノ遺贈ヲ知ラザリシ場合ノ如キ是ナリ
占有ニ関スル善意ノ結果ハ占有ノ章ニ於テ之ヲ看ルベシ(第百九十四条)
用益者ガ虚有者ニ對シテ請求ヲ為スニ当テヤ物上訴権ニ依ルト對人訴権ニ依ルトヲ問ハズ虚有者ガ収穫及ビ果実ノ保存ノ為ニ為シタル有益ノ費用ハ之ヲ清算スルコトヲ要ス然ラザレバ用益者ハ費用ナクシテ果実ヲ得ルニ至リ結局虚有者ノ財産ヲ以テ自カラ富マスモノタル可ケレバナリ
用益者已ニ用益物ノ占有ヲ得タルトキハ用益者ハ自カラ用益物ヨリ生スル果実ノ収取ヲ為スコトヲ得ベシ而シテ其果実ハ虚有者ノ播種シ及ビ耕作セシ者タルト用益者自己ノ労力ノ結果タルトヲ問フコトナシ
此場合ニ於テハ用益者縦令虚有者ノ労力ノ結果タル収穫ヲ収取スルモ之ガ為メ虚有者ニ對シテ耕作ノ費用ヲ償還スルノ義務ナシ法律ニ於テ此ノ如ク定メタルハ屢々困難ナルベキ計算ヲ避ケ由テ以テ訴訟ノ原因ヲ防ガンガ為メナリ然レドモ一方ニ於テ用益者ヲシテ此利益ヲ得セシムル為メ又他ノ一方ニ於テ法律ハ虚有者ニ之ト同一ノ利益ヲ得セシメタリ即チ用益権終了ノ当時枝又ハ根ニ因テ猶土地ニ附着スル果実ハ何等ノ償還ヲ為スコトナクシテ虚有者之ヲ取得スベシ(参看第六拾九条及ビ第百○九条)
第五十一条第五十二条及ビ第五十三条
果実ノ取得ノ点ニ於テハ用益者ハ虚有者ト同一視セラル即チ用益者ハ其権利ノ継續スル間ハ凡テ果実ヲ取得スルモノナリ
惟次ノ一点ニ於テ相異ナル即チ所有者ハ果実ノ未ダ成熟セザル以前ニ於テ之ヲ収取スルコトヲ得ベシ収穫ニ先ッテ之ヲ譲渡シ又自カラ之ヲ毀滅スルコトモ亦其為シ得ル所ナリ然レドモ用益者ハ果実ノ已ニ成熟シタル後土地ヨリ離レタルトキニ非ザレバ之ヲ取得スルコトナシ
又用益者ニ関シテ法律ハ天然ノ果実ト法定ノ果実ノ間ニ区別ヲ為シタリ此区別ハ所有者ニ関シテハ更ニ必要ヲ看ズ然リト雖モ全ク自然ニ生ジタル果実ト人工ニ因テ生ジタル果実即チ人ノ耕作其他ノ労力ニ由テ得タル果実トノ間ニハ区別ヲ為スコトナシ凡テ天然ノ果実ハ其土地ヨリ離レタル時即チ其動産ト為リタル時用益者之ヲ取得スルモノナリ此ノ如ク用益者ガ果実ヲ取得スル時ヲ定ムルハ用益権消滅ノ場合ニ於テ其必要ヲ看ルモノナリ然ルニ此時期ハ果実成熟ノ時ト定ムルコト能ハズ何トナレバ果実ノ成熟ハ時ト場所ト氣候トニ従ッテ同一ナラズ殆ンド一定ヲ得ザルモノナリ又果実ノ種類ニ由テ成熟ノ期ヲ異ニスルノミナラズ同一種類ノ果実ト雖モ亦然リ同時ニ成熟スルモノニ非ザレバナリ
法律ハ本条ニ於テ果実ノ盗奪及ビ事変ニ因テ果実ノ土地ヨリ離レタル場合ニ関シ疑ヒ莫ラシムル為メ果実取得ノ問題ヲ決定セリ
第二項ニ規定スル所ハ原因ノ何タルヲ問ハズ果実ノ成熟前土地ヨリ離レタル場合ナリ若シ此場合ニ於テ果実ノ成熟ニ至ルマデ仍ホ用益権継続シタル時ハ此事情ニ於テ別ニ注意ヲ要スル所ノモノナシ然レドモ若シ果実成熟ノ期ニ先ダチ用益権消滅シタル時ハ其土地ヨリ離レタル果実ヲシテ用益者ノ手ニ帰セシムル時ハ是レ用益者ヲシテ不当ノ利ヲ得セシムルモノナリ故ニ用益者ハ虚有者ノ請求ニ基キ之ニ返還セザルベカラズ
第五十四条
獣畜ノ生産物ニ関シテモ亦土地ノ果実ニ関スルト同一ノ原則ヲ適用スベシ即チ獣畜ノ子及ビ絨毛ガ未ダ獣畜ヨリ分離セサル時ハ之ト一体ヲ為シ而シテ仍ホ生産物ノ性質ヲ有セザルガ故ニ虚有者ニ属スルモノナリ
法定ノ果実ナル語ハ天然ノ果実ニ對シテ用フル名称ニシテ法律ノ力ニ因リテ生ジタル果実ナリ此種ノ果実モ亦天然ノ果実ト同ジク定期ノモノニシテ之ニ比スレバ却テ更ニ整然タルモノナリ而シテ所有者又ハ用益者ニ對シ天然ノ果実ニ拘ワルモノタリ蓋シ法定ノ果実ハ第三者ニ附與シタルモノノ収益ノ報酬トシテ其第三者ガ約シタル義務ヨリ生ズル所ノモノナリ猶ホ第二項ニ於テ法定果実ノ主タルモノヲ列記セリ
法律ハ用益者ガ法定ノ果実ヲ取得スルハ義務者タル第三者ガ辨済ヲ為シタルトキニアリト定ムルコト能ハザリシニ非ズ然レドモ此ノ如クナルトキハ義務者ノ過失ニ因テ弁済ヲ為スベキトキニ之ヲ為サズ遂ニ義務ノ履行ヲ遅延シテ用益権ノ消滅ノ後ニ至リタルガ為メ用益者ハ更ニ得ル所ナキニ至ル如キ不幸ヲ看ルヘシ
之ニ反シテ法定ノ果実ハ弁済ヲ為スベキトキ即チ之ヲ請求シ得ベキトキニ於テ用益者取得スルモノト定メルコト難キニ非ラズ此ノ如クスルトキハ若シ用益権継續スル間ニ於テ果実ヲ弁済スベキトキハ其全部用益者ニ属シ之ニ反シテ若シ其弁済期ニ先ダチ用益権消滅シタルトキハ用益者ハ更ニ得ル所ナカルベシ
然リト雖モ此ノ如ク偶然ノ事ノ為ニ利益ト損失トヲ感ゼシムルハ法律ノ欲スル所ニ非ラズ此ノ如キハ惟混雑ト訴訟トヲ避クルニ必要ナル惟一ノ方法ナル場合ニ於テノミ之ヲ用フベシ例之バ用益者ガ其権利ノ纔カニ数日間長ク継續スルト然ラザルトニ従ヒテ全ク偶然ノ結果ニ因リ天然ノ果実ノ全部ヲ取得シ又ハ然ラザルノ区別ヲ為スガ如キ是ナリ
然レドモ法定ノ果実ヲ組成スル金額ノ給附ニ付テハ理論上ヨリ之ヲ論スルトキハ之ヲ辨済スルモノハ毎日且ツ殆ンド毎時ニ之ガ弁済ヲ為スコトヲ得ベク又為スコトヲ要スルモノト謂フコトヲ得ベシ惟実際ニ於テハ到底此ノ如クナルコト能ハズ故ニ多少相隔タリタル弁済ノ期限ヲ定メ定期ニ之ヲ為スコトヲ認メザルヲ得ズ然ルニ用益権ノ始メ若シクハ其終リニ於テ此金額ノ幾分ガ用益者ニ帰シ幾分ガ虚有者ニ帰スベキヤヲ決スルニハ此ノ金額ヲ日割ト為シ而シテ用益者及ビ虚有者ヲシテ其権利ノ継続シタル時間ノ割合ニ應ジ之ヲ取得セシムルヲ以テ最モ正当ナル方法ト謂ハザルヲ得ズ
又天然ノ果実ハ此ノ如ク正確ニ分ツコトヲ得ザルベシト雖モ金額ハ容易ニ然ルヲ得ベキコトヲ注意スベシ茲ヲ以テ法定果実ノ取得ニ関スル原則ハ若シ第三者ノ弁済スベキ所ノ物、農産物等ニシテ金銭ナラザルコト例之バ分果耕作ノ場合ニ於ケル如キトキハ其適用ヲ受クベキニ非ザルナリ(参看第百○九条)
第五拾五条
一回ノ使用ニ因テ消費スベキ物ニ関シ用益者ノ権利ヲ普通ノ場合ト異ニセザル時ハ此ノ如キ種類ノ物ノ用益権ハ殆ンド実益ナカルベシ何トナレバ消費物ハ果実即チ定期ノ生産物ヲ生ズルモノニ非ラズ其使用ハ即チ之ヲ消費スルノ謂ニシテ處分ノ権利ト区別スルコト能ハズ此ニ当リ若シ用益者ニシテ處分ノ権利ヲ有スルコトナクバ用益者ハ使用ヲ為スコト能ハズ従ッテ其権利ハ何等ノ利益ヲモ與へザルベシ例之バ法定ノ果実ヲ生ジ得ベキ金銭ト雖モ貸借又ハ之ト類似ノ方法ニ由テ他人ニ之ヲ譲渡シタルトキニ非ラザレハ此効力ヲ生スルコト能ハザルナリ
故ニ消費物ノ用益権ノ場合ニ於テハ用益者ヲシテ處分ノ権利ヲ得セシムルコト必要ナリ(参看第拾七条)然レドモ用益者ハ其権利ノ消滅シタルトキ必ズ現物ニテ同量及ビ同質ノ物ヲ返還スルカ又ハ金銭ニテ是ニ均シキ價額ヲ返還セザル可カラザルナリ
右ノ場合ニ於テ現物ヲ以テ返還スルト価額ヲ以テ返還スルトノ撰擇ハ用益者ヲシテ之ヲ為サシメズ又虚有者ヲシテ之ヲ定メシムルコトナシ一ニ用益権設定ノ時用益物ノ評價ヲ為シタルト否トノ事情ニ従ッテ此区別ヲ為セリ
消費物ノ用益権ノ場合ニ於テ用益者ノ得ベキ利益ハ特定物ノ用益権ノ場合ト異ナルコトナシ即チ用益者ハ其権利ノ継続スル間金銭ノ利息ヲ取得スルモノナリ此事タルヤ若シ用益権ノ目的トスル所ノ物金銭ナルトキハ弁ヲ竢タズシテ明カナルベシ若シ然ラズシテ消費物ヲ目的トスルトキハ用益権ノ消滅シタル時ニ非ラザレバ其価格即チ代金ヲ弁済スルノ義務ナキガ故ニ此時ニ至ルマデ用益者ハ自己ノ所有ニ属スル金銭ヲ他ノ用ニ供シテ之ガ利益ヲ収ムベキナリ
商業ノ資本ヲ組成スル商品ハ其性質上必ズシモ一回ノ使用ニ由テ消費スルモノニ非ザルベシ此ノ如クナラザル場合ヲ以テ尤モ普通ナリトス例之バ織物、衣服、家具等ノ商品ノ如シ然レドモ此等ノ商品ニシテ商業資産ヲ組成スルトキハ其用益権ヲ得タルモノハ之ヲ販賣スルヲ以テ使用ノ方法ト為ス此時ニ当リ若シ用益者之ヲ賣ルコト能ハズトセバ用益権ハ全ク無用ノモノタルベシ故ニ一方ニ於テハ用益者ヲシテ之ヲ處分スルコトヲ得セシメ而シテ用益権消滅シタルトキハ同量同質ノ商品ヲ償還セシメ若シ当初商品ノ評價ヲ為シタルトキハ其價格ヲ返還セシム実際ニ於テ尤モ多キハ商品ノ價格ヲ評價シタル場合ナルベシ
第五拾六条
本条ハ毫モ困難ナル所ナシ用益者ガ本条ニ掲グル所ノ物権ヲ使用スルハ固ヨリ当然ノ事ナリ此等ノ物ニ関シテ用益者ノ権利ハ一ニ其使用ヲ為スニ止マルモノトス何トナレバ此ノ如キモノハ果実ヲ生ゼザレバナリ然レドモ本条ノ遺言ヲ以テ本章第二節ニ規定スル使用権ト混同スルコトナキヲ要ス使用権ヲ有スルモノハ自己及ビ其家族ノ使用ノ限度内ニ於テ物ノ使用ヲ為ス権利ヲ有スルニ止マル之ニ反シテ用益者ハ本条ノ如キ場合ニ於テ単ニ使用ヲ為スニ止マルト雖モ仍ホ右ノ範囲以外ニ於テ使用スルコトヲ得ベシ故ニ他人ニ之ヲ貸與スルコトヲ得ルモノナリ
用益者ガ此ノ如キ種類ノ用益物ヲ賃貸スル権利ニ関シテハ法律ヲ以テ之ヲ確認スルト同時ニ仍ホ其制限ヲ定メタリ何トナレバ若シ此制限ヲ明記セザルトキハ如何ナル場合ニ於テモ当然用益者ハ此種ノ用益物ヲ賃貸シ得ベキモノト看做サルベケレバナリ例之バ虚有者ノ親族又ハ友人ノ写真等ノ如ク虚有者自カラ必ズ他人ニ賃貸スルコト莫カルベキ物権ニ至テハ用益者ガ之ヲ賃貸スルコト其当ヲ得タリト謂フコト能ハズ又虚有者ノ書庫就中若シ其書庫ニシテ美麗ノ粧飾ヲ要シ且ツ其保存ノ為ニ充分ノ注意ヲ為サザル第三者ノ使用ニ依リ毀損スベキモノナル時ハ之ヲ賃貸スルノ権利ヲ用益者ニ拒絶スルハ是レ又至当ノコトナリト謂フベシ
第五拾七条
終身年金権ハ定マリタル人ヨリ権利者ノ終身又ハ特ニ指定シタル第三者ノ終身ヲ期シ年金ト称スル定期ノ給付ヲ要求スルノ権利ナリ
概シテ年金権ハ人権ナリ即チ金銭又ハ消費物ヲ目的トスル一個ノ債権ナリ之ヲ設定スルコト或ハ贈與又ハ遺言ニ因テ無償ナルコトヲ得ベシ或ハ不動産、動産又ハ金銭ノ譲渡ノ報酬トシテ有償ナルコトヲ得ベシ
年金権ヲ有スルモノガ其権利ノ用益権ヲ他人ニ譲渡スコトアルヲ得ベシ此場合ニ於テハ年金権ノ用益者ハ年金権者ガ死亡セザル限リハ自己ノ終身間年金権ヨリ生スル利益ヲ受クルコトヲ得ベシ此ノ如ク用益者ガ利益ヲ受クル時間ヲ年金権者ノ終身ニ限リタルハ蓋シ年金権継続期ハ其義務ヲ負担スルモノノ意思ナクシテ他人漫リニ之ヲ延長シ得ベカラレバナリ
此場合ニ於テ法律ヲ以テ用益者ノ権利ノ範囲ヲ明示セザルトキハ或ハ疑ヲ生ジ得ベシ
用益者ハ惟用益物ノ果実ヲ収取スルコトヲ得ルノミニシテ用益物ノ滅失セシメ又ハ其本質ヲ傷ナフコトヲ得ズ故ニ用益者年金ヲ収取スルトキハ其年金ハ永久ニ受クルコトヲ得ベキモノナラザルガ故ニ遂ニ年金権消滅スルトキハ用益者恰モ年金ヲ受取ルト同時ニ其元本ノ一部分ヲ消費シタルガ如キ感アルベシ然レドモ終身年金権ニハ元本ナルモノ有ラズ年金ハ年金権ニ由テ生ジタル所ノモノナリ若シ年金権ガ権利者ノ死亡ニ因テ消滅スルコトアルモ是レ不確定ナル期限ノ到来シタル為ニ権利消滅シタルノミ敢テ年金ヲ収取シタルガ為ニ年金権ノ元本ヲ消耗シタルニハ非ラズ何トナレバ或ル場合ニ於テハ年金ヲ収取スルコト甚タ短クシテ忽チ年金権ノ消滅ヲ来スコト有ルベケレバナリ
一個ノ用益権ヲ目的物トシテ第二ノ用益権ヲ設定シタル場合ニ於テモ之ニ適用スベキ原則ハ右ト同一ナリ第二ノ用益者ハ第一ノ用益者ノ如ク用益物ノ果実及ビ生産物ヲ収取スベシ然レドモ第二ノ用益権ハ其ノ消滅原因二重ナルベシ第二ノ用益者ノ死亡及ビ第一ノ用益者ノ死亡是ナリ蓋シ第二ノ用益者死亡スルトキハ普通ノ原則ニ依リ権利者ノ死後用益権ヲ他人ニ相続セシムルコト能ハザルヲ以テ第二ノ用益権ガ消滅スルハ明カナリ又第一ノ用益者死亡シタルトキハ第一ノ用益権消滅シ従ッテ第二ノ用益権ノ目的物滅失スルガ故ニ是レ又第二ノ用益権ヲシテ消滅セシムルコト当然ナリ
第五拾八条
畜群ハ第拾六条ニ於テ規定シタル集合物ノ一種ナリ既ニ畜群ト称スル以上ハ数個ノ物ヨリ組成スト雖モ相集リテ想像上一個ノ体ヲ為スモノト看做セリ畜群ノ性質此ノ如クナルヲ以テ一頭ノ獣猶存スルトキハ其他ノ獣ハ凡テ死シタルトキト雖モ之ヲ目的トスル用益権ハ仍ホ存スルモノナリ而シテ一方ニ於テハ用益者ハ其畜群ヨリ生ジタル子ヲ以テ其缺ヲ補フノ義務アリ然レドモ又畜群ニシテ用益者ノ過失ナク其全部又ハ一部ニ於テ滅失シタルトキハ用益者ハ其價格ヲ償還スルノ義務ナシ何トナレバ特定物ノ義務者ナレバナリ
用益者ハ善良ナル管理ノ如ク収益スルコトヲ要スルガ故ニ死亡ニ因テ生ズル畜群ノ不足ヲ補フコトナクシテ其畜群ヨリ生スル凡テノ子ヲ賣却スルコトヲ得ズ又用益者ハ死亡ヨリ生スル不足ヲ補ヒ而シテ猶餘リタル子ヲ利スルニ止マルモノニハ非ズ畜群ノ中已ニ充分ノ発育ヲ為シ了リ而シテ其飼養スル利益ナクシテ徒ラニ費用ヲ要スル如キモノアル時ハ毎年之ヲ處分スルコトヲ得ザル可カラズ蓋シ是レ善良ナル所有者ノ宜シク為スベキ所ナレバナリ
不足ヲ補ヒ猶餘リタル子ヲ用益者ガ賣渡シタル後疾病其他ノ事故ニ依リ畜群ニ不足ヲ生ジ用益権消滅ノ時ニ至テ猶ホ之ヲ補充スルコト能ハザリシ時ハ用益者ガ当初為シタル賣却ハ有効ナルモノナルヤ否ヤヲ決スルモ亦右ニ掲グルト同一ノ原則ニ因ラザル可カラズ今百頭ヨリ組成セル畜群ヲ飼養セント欲スル善良ナル管理人ハ畜群ノ子ヲ得ルニ当ツテヤ決シテ已ニ不足スル所ヲ補フニ止メザルベク必ズ仍ホ其年内ニ生ズルコト有ルベキ不足ヲ補フ為メ死亡ノ平均数ニ基イテ計算シタル数ハ其餘ニ遺シ置クコト勿論ナリ而シテ用益者ガ当初受取リタル畜群ノ数ヲ減ゼザルハ実ニ其尽スベキ所ノ義務ナリ
第五拾九条
孰レノ國ニ於テモ樹木及ビ森林ニハ種々ノ性質アリテ自カラ其産物ノ収穫法ニ影響ヲ及ボスモノナリ此種ノ財産ヲ利用スル方法ヲ名ケテ採伐法ト謂フ
樹木ノ性質ニ依リ一旦採伐シタル後仍ホ其株ヨリ芽ヲ発スベキモノナレバ定期ニ之ヲ採伐スルヲ以テ通例ト為ス例之バ廿年毎ニ採伐ヲ為スガ如シ
樹林産物ニハ工作用ノ木材タルベキ或ハ薪炭又ハ粗朶ニ用フベキモノアリ要スルニ此ノ如ク定期ノ採伐ニ供シタル樹林ハ之ヲ名ケテ小樹林ト謂フ若シ其樹林ニシテ廣大ナル時ハ毎年又ハ二年毎ニ収入ヲ得ント欲スル為メ之ヲ廿区又ハ十区ニ区分スルガ如キコトアリ或ハ五分ノ一宛ヲ四年毎ニ採伐スルコトヲ定メ又ハ四分ノ一宛五年毎ニ採伐スルコトヲ得ベシ此ノ如ク採伐ノ方法一度定マルトキハ長ク之ヲ慣行スル者ニシテ是レ真ニ採伐法ヲ組成スルモノナリ然レトモ樹林ノ善良ナル管理者ノ為ス所ニ依レバ定期ノ採伐ヲ為ストキニ当リ樹林中ノ處々ニ尤モ良質ナル樹木即チ最モ能ク成長スベキ樹木ヲ保存シ決シテ悉ク採伐シ尽スコトナシ而シテ此等ノ保存シタル樹木ハ他ノ樹木ノ成長ヲ妨ゲズ他日ニ至リ高價ナル大樹木トナルベシ何トナレバ再ビ採伐ヲ為スノ期ニ至ルモ仍ホ之ヲ保存スベケレバナリ
所有者自ラ樹林ノ利用ヲ為ス場合ニ於テハ右ニ述ブル如キ保存木ト其他ノ定期採伐ヲ為スベキ樹木トノ区別ハ敢テ緊要ノ者ニ非ズト雖モ用益者ガ利用ヲ為ス場合ニ於テハ甚ダ緊要ナリトス蓋シ一個ノ樹木ニシテ既ニ保存木ノ性質ヲ有スルモノナル時ハ用益者ハ決シテ小樹林ノ如ク之ヲ採伐スルコトヲ得ズ必ズ之ヲ成長セシメサル可カラズ何トナレバ次条ニ定ムルガ如キ是レ果実ニ非ズシテ一ノ元本タレバナリ
國、府縣、郡、市町村等ニ属スル樹林ハ他ノ模範トナルベキ美良ナル利用ノ方法ニ拠ラザル可カラズ然レドモ法律ハ此等ノ樹林ヲ以テ各人ノ有スル樹園ノ上ニ位スルモノト為サズ法文ノ示ス所ニ依レバ寧ロ其反對ニ出ヅルモノト謂フベシ
採伐方ノ未タ確カニ定ラザル樹林ニ付テハ其採伐ヲ為ス一ヶ月以前ニ於テ用益者ヨリ虚有者ニ之ヲ通知スルノ義務アルモノト定メタルハ蓋シ虚有者ヲシテ採伐ノ方法ニ意見ヲ述ベ及ヒ其採伐ノ監督ヲ為スコトヲ得セシムルノ目的ニ出ヅルモノナリ
第六拾条
用益者ガ定期ノ採伐ヲ為スニ当リ所有者既ニ保存シタル新旧ノ大樹木アルトキハ用益者ハ之ヲ採伐スルコト能ハザルハ勿論ニシテ惟従前ノ所有者ノ慣習ニ於テ其樹林ニ光線ヲ引キ及ビ之ニ空氣ノ流通ヲ容易ナラシムル為ニ定期ニ其保存木ノ若干ヲ採伐スルノ定メナル時ニ限リ此種ノ樹木ヲ採伐スルコトヲ得ベシ
此規則ハ膏脂質ナル樹木ノ森林ニ付テモ亦同一ナリ蓋シ此如キ性質ノ樹木ハ一度採伐スルトキハ更ニ其株ヨリ芽ヲ発スルコトナキヲ以テ其性質上採伐ヲ為スベキ樹林ニ非ズ即チ凡テ保存木トシテ看做スベキモノナリ然レドモ習慣上其中若干ノ樹木ノ発育ヲ容易ナラシムル為メ其他ノ樹木若干ヲ定期ニ採伐シ或ハ抜去ルコト必要ナルベシ此ノ如キ慣習存スルトキハ用益者モ亦之ヲ為シ得ベシ
用益者ニ於テ保存木又ハ大樹木ヲ採伐スルノ権利ヲ有セサルトキハ惟其樹木ヨリ生ズル定期ノ産出物ヲ収取スルヲ得ルニ止マル而シテ其産出物ト云フハ木葉、果実、枯枝及ビ時々採伐ヲ必要トスル小枝ヲ謂フ又法律ハ用益者ガ枯木又ハ風ノ為ニ折レタル樹木ヲ用ヰテ其用益権ニ属シタル建物ノ修繕ヲ為スコトヲ許シタリ加之ナラズ用益者ハ猶ホ其修繕ノ為ニ必要ナル場合ニ於テハ生木ヲ使用スルコトヲ得ベシ是レ敢テ用益者ノ利益ヲ旨トスル規定ノミニ非ラズ猶ホ所有者ノ利益ヲ図ッテ設ケタルモノナリ
用益者ガ採伐シタル株ヨリ芽ヲ生セザル性質ノ大樹木及ヒ保存木ヲ使用スル権利ヲ有スルトキハ之ヲ採伐スルノミニ止マルコトヲ得ズ仍ホ之ヲ抜取リテ他ノ苗木ヲ植付クルコトヲ要ス何トナレバ善良ナル管理人ノ如ク収益スルモノト謂フコトヲ得サレバナリ
法律ニ於テ明カニ之ヲ断定セズト雖モ用益権ノ原則ニ由テ容易ニ決スルコトヲ得ベキ一個ノ問題アリ即チ左ノ如シ用益権ガ小樹木ノ第一ノ採伐ヲ為ストキニ当リ保存木ト為スニ最モ良好ナル樹木ヲ撰ンデ用益者之ヲ保存スルノ義務アルヤ否ヤノ問題是ナリ蓋シ用益者ノ利トスル所ハ保存木ヲ遺サザルニ在ルヤ明カナリ何トナレバ一旦保存シタル樹木ハ用益者其後ニ於テモ之ヲ採伐スルコトヲ得ザル可ケレバナリ
然レドモ屢述ブル如ク用益者ハ善良ナル管理人ノ為ス如ク収益ヲ為サザル可カラズ且ツ樹林ニ関シテハ特ニ近傍ノ所有者ノ慣習ニモ亦従ッテ収益セザル可カラズ然ルニ善良ナル管理人及ビ近傍ノ所有者ハ必ズ常ニ保存木ヲ遺コシ置クハ固ヨリ疑ヲ容レザルナリ惟其採伐スベキ樹木ト保存スベキ樹木トノ間ニ定ムベキ員数ノ割合ヲ定ムルニ至テハ多少ノ困難アルベシ故ニ此點ニ付キ虚有者ト用益者トノ間ニ協議整ハザル如キ場合ニ於テハ鑑定ニ附シタル後裁判所ニ於テ之ヲ判決スベキモノトス
第六拾一条
本条ニ記載シタル用益者ノ権利ハ固ヨリ些少ナルモノニシテ此収益ノ方法及ビ其範囲ニ至テハ全ク用益者ヲ以テ所有者ニ準ジタルヨリ生ズル結果ナリ即チ善良ナル所有者ハ其土地ノ利用ニ必要ナル些末ノ樹木ニシテ其土地ヲ害スルコトナク其土地ヨリ採ルコトヲ得ベキトキハ決シテ之ヲ他ヨリ特ニ購求スル如キコトナキハ勿論ナリ
第六拾二条
廣大ナル土地ノ所有者ハ行使シタル樹木ニ代ラシムル為メ又ハ生垣ヲ栽築スル為メ或ハ樹林ヲ廣ムル為ニ其土地ニ苗木ノ培養場ヲ設ケ置クコト往々是アリ
右ノ如キ培養場存スル場合ニ於テハ用益者モ亦此培養場ヲ使用スルコトヲ得ベシ蓋シ用益者ハ善良ナル管理者タルベキモノナルヲ以テ之ヲ使用スルハ殆ンド其本文ト謂フコトヲ得ベシ加之ノミナラズ苗床ノ産物ヲ其土地ノ用ニ供シテ仍ホ剰余アルトキハ法律ハ用益者ガ之ヲ賣却スルコトヲ許シタリ又用益権ノ主タル目的物ガ苗床ニシテ其他ノ土地ノ部分ト分別セラレタル場合ニ於テハ用益者ガ其苗床ヨリ生スル苗木ヲ売却スルノ権利アルベキコトハ当然ニシテ例外ニ非ラザレバナリ
然レドモ苗床ノ培養者、樹木ノ性質ニ従ヒ評價又ハ種子ヲ以テ之ガ保持ヲ図ラザルトキハ其苗床ハ自然ニ消滅スルニ至ルベシ茲ヲ以テ用益者ハ一方ニ於テ苗床ヲ使用スルノ権利アルト同時ニ之ガ保持ヲ謀ルノ義務アルモノナリ
第六拾三条
本条ノ場合ニ於テ用益者ノ権利ヲ定ムル為メ法律ガ用益権ノ発開シタル当時ニ於テ既ニ石坑ノ採掘ヲ始メタルモノナリシヤ否ヤヲ区別スルハ決シテ理由ナキコトニ非ラズ全ク用益者ノ権利ヲシテ用益権設定者ノ意思如何ニ拘ラシムルノ旨趣ニ出ヅルモノナリ而シテ設定者ノ意思ヲ考フルニ従来設定者自カラ其石坑ヨリ定期ノ利益ヲ得タル場合ナルトキハ用益者ニ此定期ノ利益ヲ得セシムルコトヲ欲セザリシモノトハ想定シ得ベカラザルナリ之ニ反シテ用益権設定ノトキ未ダ石坑ノ採掘ヲ始メザルモノナルトキハ用益権設定者ハ其地内ニ従来採掘セラレザル石坑ヲ採掘セシメ以テ其土地ノ價格ヲ減少スル如キコトヲ用益者ニ許スノ意思アラザルベシ用益権設定者ノ意思此ノ如クナル可キヲ以テ従来既ニ採掘シタル石坑ハ用益者モ亦之ヲ採掘スルコトヲ得レドモ然ラザル場合ニ於テハ用益者其石坑ノ収益ヲ為スコト能ハザルモノトス此原則ハ既ニ定期採伐ニ附セザリシ樹林ノ利用ノ事項ニ適用シタルモノト全ク同一ナリ又用益者ハ用益権ノ目的タル不動産ノ修繕ノ為メ此等ノ樹木ヲ使用スルコトヲ得ルト同ジク此ノ如キ需要ノ為ニ石其他ノ材料ヲ取ルコトヲ得ルモノトス縦令大修繕ノ為ニ非ラスシテ小修繕ノ為メナルトキモ亦然リ
之ニ反シテ用益者ハ土地ノ改良ノ為ニハ樹木若クハ石ヲ使用スルコトヲ得ザルナリ何トナレバ改良ハ千態萬状ニシテ且ツ屢之ヲ期図セシモノノ希望ニ適合セザルコト有ルベキヲ以テ立法者ハ此ノ如キ不確カナル事ノ為ニ虚有者ノ利益ヲ害スル如キコトアルヲ欲セザレバナリ
又用益者ハ其土地ニ存スル泥炭ニ付テモ右ニ掲グル所ト同ジク其泥炭坑ガ用益権発開ノ時既ニ採掘セラレタルモノニ非ラザレバ縦令自己ノ需要ノ為メト雖モ之ヲ使用スルコトヲ得サルベシ何トナレバ泥炭ハ可燃質ノ物ニシテ土地ノ利益ノ為ニ使用スルコトヲ得サルモノナレバナリ之ニ反シテ肥料土ニ至テハ常ニ土地ヲ肥沃ナラシムル為ニ用フルコトヲ得ベシ用益権発開ノ時更ニ肥料土ノ採掘ヲ為シタル場合ニ於テハ用益者ハ自カラ此肥料土ヲ使用スルノミナラズ仍ホ之ヲ賣却スルコトヲ得ヘシ何トナレバ此場合ニ於テ肥料土ハ所有者ノ為ニ果実ノ性質ヲ有スルモノナレバナリ
第六拾四条
埋蔵物ハ固ヨリ土地ノ産出物ニ非ラサルコト言ヲ俟ザル所ニシテ実ニ其存シタル土地ト全ク別物ナルモノト謂ハザルヲ得ス而シテ用益者ガ其用益物権中ヨリ発見セラレタル埋蔵物ニ付キ自カラ権利アリト主張スルニハ惟埋蔵物ハ其物ニ於テ添附ニ因リ発見セラレタル不動産ノ所有者ニ属ストノ理由ヲ以テスルノ外ナカルベシ然レドモ此添附タルヤ埋蔵物ナル言葉ノ意義ニ由テ之ヲ考フルモ全ク用益権設定ノ時当事者ノ豫想セザリシ所ナルコト明カニシテ用益者ガ之ニ付キ利益ヲ得ンコトヲ望ムハ至当ナリト謂フ可カラス蓋シ埋蔵物トハ偶然ニシテ発見セラレタルコトヲ必要トスルモノナリ又此添附ハ或ル場合ニ於ケル如ク他ノ危嶮ノ賠償トシテ所有者ヲ利スルモノニモ非ラズ故ニ用益者モ亦添附ノ利益ヲ受クベキ理由ヲ存セサルナリ若シ用益者自カラ埋蔵物ヲ発見シタル場合ニ於テハ右ニ述ブル所ト異ナリト雖モ是レ用益者タル資格ニ於テ特別ノ利益ヲ得ルニ非ラズ惟発見者タル故ヲ以テ法律ガ発見者ニ認メタル普通ノ権利ヲ有スルニ止マルノミ(参看財産取得編第五条)
第六拾五条
狩猟及ビ捕魚ハ無主物ノ所有権ヲ取得スルノ方法ニシテ此事ハ所有権ヲ取得スルノ方法中先占ト名クル方法ヲ規定スルニ方テ更ニ之ヲ詳説スベシ(参看財産取得編第三条)用益者ガ所有者ト同ジク此権利ヲ行フコトヲ得ルハ当然ナリトス何トナレバ狩猟及ビ捕魚ノ産物ハ定期ニ生スルノミナラズ殆ンド常ニ生ズルモノナレバナリ
第六拾六条
本条ニ記載セル如ク地役ノ為ニハ後ニ特別ナル一章ヲ設クベシ今ハ惟地役ハ一個ノ土地ノ所有者ヲシテ他ノ人ニ属スル土地ヨリ自己ノ土地ノ價格ヲ増加スル便益又ハ約務ヲ受クルコトヲ得セシムル所ノ権利ナルコトヲ指示スレバ即チ足レリト為ス例之バ隣地ニ於テ有スル通行権、給水権、観望権等ノ如キ即チ是ナリ地役ハ其土地ノ所有者タル分限アル以上ハ其人ノ誰タルヲ問ハズ凡テ此分限アルモノニ属スルヲ以テ之ヲ形容シテ地役ハ土地ヨリ其物ニ属スト云フニ至ル是レ蓋シ地役ヲ用益権、使用権及ビ住居権ニ對シテ土地ノ役即チ物ノ役ト称スル所以ナリ蓋シ用益権、使用権及ビ住居権ハ縦令其性質ヨリ看レハ物権ニシテ而シテ其権利ノ存スル目的物ヨリ考フレバ或ハ動産権タリ又ハ不動産権ナリト雖モ此等ノ権利ハ特定ノ人ニ属シ且ツ人ト共ニ消滅スルヲ以テ之ヲ称シテ人ノ役ト名クルモノナリ
若シ用益権ノ目的タル土地ガ其隣接スル土地ノ上ニ右ニ述ブル如キ地役ノ権利ヲ有セシトキハ用益者ニ於テ之ヲ行使スル権利アルベキコト勿論ナリ啻ニ之ヲ行使スルノ権利ヲ有スルノミナラズ此行使ハ均シク用益者ノ義務タルベシ何トナレバ此権利ノ行使ヲ怠タルトキハ不使用ニ因テ地役ノ消滅ヲ致スベシ
自己ノ懈怠ニ由テ虚有者ノ有スル権利ヲ消滅セシメタルトキハ用益者其責任ヲ免ルベキニ非ラザレバナリ而シテ不使用ニ依ル地役ノ消滅ハ承役地ノ為ニ存スル免責時効ノ如キモノニシテ仍ホ地役ノ章ニ於テ之ヲ述ブベシ
第六拾七条
凡ソ裁判所ニ於テ提出スベキ訴件ハ概シテ其目的即チ訴権ニ由テ認知セシメ且ツ効用ヲ全カラシメントスル権利ニ應ジタル名称ヲ有スルモノナリ是レ物権及ビ人権ノ区別ニ従ッテ訴権ニ物上ノ訴権及ビ對人ノ訴権アル所以ナリ
本条ニ於テ用益者ノ為ニ認許セル諸種ノ訴権ハ皆物上訴権ナリ何トナレバ用益者ノ権利、物権ナレバナリ此故ニ用益者ハ此訴権ニ依リ単ニ虚有者ニ對シテ自己ノ権利ヲ對抗スルコトヲ得ベキノミナラズ仍ホ凡テ妨碍ヲ為スモノアルトキハ何人ニ対對スルモ之ヲ對抗スルコトヲ得ベシ然リト雖モ用益者ニ此訴権アルガ為メ敢テ用益者ハ用益権ヲ設定シタル契約又ハ遺言ニ因リ特ニ虚有者ニ對シテ行フコトヲ得ベキ對人ノ訴権ヲ有セズト謂フ可カラズ
本条ニ於テ用益者ニ属スルモノト認メラレタル物上訴権ハ第三十六条ニ依リ所有者ノ有スル訴権ト同一ノ名称及ビ同一ノ目的ヲ有スルモノナリ唯一ハ用益権ニシテ一ハ所有権ナルヲ以テ其権利ノ性質ヨリ生スル一ノ差異アルニ止マル、故ニ本権ノ訴権ハ常ニ権利ノ基本ヲ決定セシメント欲スルモノナリ本条ノ場合ニ於テハ本権訴権ハ用益権ノ有無ヲ決セシメントスルモノナリ又占有ノ訴権ハ唯原告ガ事実上用益権ヲ占有スルヤ又ハ近時迄此権利ヲ占有セシモノナルヤ即チ該権利ヲ宛モ真ニ有スルモノノ如ク行使スルヤ又ハ之ヲ行使セシヤヲ決シ因テ他人ノ加ヘタル妨害ヲ排斥セントスルモノナリ而シテ原告ノ占有中第三者其者ニ妨害ヲ加フルトキハ即チ占有訴権中保持ノ訴権ヲ行フ場合トス若シ詐欺又ハ暴行ニ依リ占有ヲ剥奪シタルトキハ即チ回収ノ訴権ヲ行フベキ場合ナリ此等ノ訴権ハ占有権ノ章ニ於テ其一般ノ適用ニ関シ更ニ詳説スベシ(参看第百九十九条以下)
右ニ掲ゲタル占有訴権ノ変態ニ過ギサル二個ノ訴権アリ即チ新工告発訴権及ビ急害告発訴権是ナリ(参看第二百○一条、第二百○二条、第二百拾四条以下)
今特ニ之ヲ示サズト雖モ用益者此ノ如キ占有ノ訴権ヲ有スルハ固ヨリ明カナリ何トナレバ法文ニ於テ非理ノ占有訴権ト謂ヒ何等ノ区別ヲ設ケサルヲ以テ凡テノ占有訴権ヲ用益者ニ附與スルモノナルコト勿論ナレバナリ
用益者ハ其用益権ニ関スル物上訴権ノ外仍ホ地役ニ関スル訴権ヲ有スルモノナリ此訴権ハ分ツテ二種ト為スコトヲ得ベシ其一ハ他ノ土地ヲシテ要役地ノ利益ニ属スル働方ノ地役ヲ負担スルコトヲ確認セシメ即チ要役地ニ属スル地役ヲ維持スルモノナリ之ヲ要請ノ訴権ト為ス其二ハ要役地ガ他ノ土地ノ利益ナル受方ノ地役ヲ負担スルコトヲ争論拒絶スルモノニシテ之ヲ拒却ノ訴権ト謂フ
此二個ノ訴権ハ共ニ物権ナルヲ以テ用益者ガ権利ノ基本ニ関シテ争ヒヲ為スト単ニ権利ノ行使即チ占有ニ関シテノミ争ヒヲ起ストニ従ヒ本権ノ訴権又ハ占有ノ訴権ト区別スルコトヲ得ベシ
此場合ノ占有訴権モ亦保持ノ訴権タルコト有ルベク或ハ回収ノ訴権タルコトアルベシ
若シ用益者隣接ノ土地ニ一個ノ地役ヲ行使シ而シテ其地役ノ占有ヲ妨害セラレタルトキハ用益者ハ惟占有保持訴権ヲ行フテ地役ヲ完フスルコトヲ得ベシ之ニ反シテ若シ地役ノ占有ヲ奪ハレ而シテ未ダ一年ヲ経過セザルトキハ占有回収ノ訴権ニ由テ地役ヲ回収スベキナリ
占有ヲ奪ハレタルモノガ回収ノ訴権ヲ行フコトヲ得ル時間ヲ空シク経過セシメタルトキハ最早占有ノ訴権ニ由テ之ヲ回収スルコト能ハズ即チ働方ノ地役ノ本権ノ訴権即チ地役ノ回復ノ訴権ヲ行フコト必要ナリ
凡テ右三個ノ訴権ハ要請ノ訴権ナリトス何トナレハ用益者ハ之ヲ以テ自己ノ権利ヲ確認セシムルモノナレバナリ
右ノ場合ニ反シ隣地ノ所有者ヨリ要役地ノ上ニ地役ヲ有スル旨ヲ主張スルトキハ用益者ガ隣人ニ對シテ権利ノ有無ヲ裁決セシメントスル場合ニ於テハ用益者ノ拒却訴権ハ本権ノ訴権タルベク若シ然ラズシテ惟占有ノ事実ノミヲ裁決セシメント欲スル場合ニ於テハ其拒却ノ訴権ハ単ニ占有ノ訴権タルベシ而シテ占有ノ拒却訴権ノ場合ニ於テ若シ隣人ガ要役地ノ上ニ行使ヲ起シ以テ僅カニ其土地ヲ妨害スルニ過ギサルニ於テハ用益者ノ訴権ハ保持ノ訴権タルベシト雖モ若シ隣人ノ主張スル地役ヲ已ニ全ク占有シ而シテ未ダ一年ニ満タサルニ於テハ用益者ノ権利ハ占有回収ノ訴権タルベキナリ
又後ニ記載シタル凡テノ訴権ハ第三者ヨリ用益者ニ對シテ行フコトアルベシ此場合ニ於テハ用益者ハ被告ノ地位ニ立ツモノナリ第三者ハ用益者ニ對シ或ハ権利ノ基本ニ於テ或ハ占有ノ事実ニ於テ用益権ヲ要求シ又ハ地役権ヲ非認シテ要請訴権又ハ拒却ノ訴権ヲ提起スルコト有ルベシ此ノ如キ場合ニ於テモ其訴権ノ目的名称及ビ性質ニ於テハ全ク異ナルコトナク惟当事者ノ地位、前ニ掲ケタル所ト異ナリタルノミ法律ニ於テ此事ヲ記サザルモノハ本条ノ目的トスル所単ニ用益者ノ権利ヲ規定スルニ在レバナリ故ニ用益者ノ義務ノ履行ヲ述ブルニ方ッテ猶ホ之ヲ説クルノ機會アルベシ
第三項ニ於テ特ニ注意スベキモノアリ即チ要役地ニ関スル働方又ハ受方ノ地役ニ付テ争訟起ルトキハ用益者ハ固ヨリ原告又ハ被告トナリテ訴訟ヲ為ス権利ヲ有スレドモ仍ホ虚有者ヲシテ其訴訟ニ参加セシムルヲ以テ最モ利アリト為ス何トナレバ虚有者ハ用益者ニ比スレバ最モ能ク此訴訟ニ於テ弁護ヲ為スコトヲ得ベケレバナリ
第六拾八条
用益者ノ権利ハ元来終身ノモノニシテ且ツ人ノ著眼ヲ主トシテ期限ヲ定メタリト雖モ其権利ヲ他人ニ譲渡スコトノ點ニ於テハ決シテ用益者ノ一身ヨリ分離スルコト能ハザルモノニ非ラザルナリ夫レ然リ用益者既ニ其権利ノ全部ヲ譲渡スコトヲ得ルモノトスル以上ハ全部ノ譲渡ニ比シテ更ニ小ナル處分ノ處為ヲ為シ得ルコト固ヨリ論ヲ俟タズ例之バ賃借権又ハ抵当権ヲ設定スルガ如キ即チ是ナリ
惟抵当ハ不動産上ニ非ラザレバ之ヲ設定スルコトヲ得ザルモノナルヲ以テ用益権ヲ抵当ニ附スルコトヲ得ルニハ其用益権ガ目的物ニ因テ不動産タルコトヲ必要ト為ス
用益権ノ目的トスル物権ガ使用ニ因リ多少速カニ毀損スベキモノナル時ハ用益者ガ其権利ヲ譲渡又ハ之ヲ賃貸スルコトハ其為シ得ベカラザル所ト信スルモノ有ラン然レドモ法律ハ全ク之ヲ禁止スルコトナクシテ惟其制限ヲ設ケタルノミ(参看第五拾六条)加之ナラズ虚有者ハ用益権ノ当初ニ於テ用益者ヨリ保證其他ノ担保ヲ提供セシムルヲ以テ縦令譲受人又ハ賃借人ニ於テ収益ノ濫妄ヲ為スノ憂ヘナキニ非ラズトスルモ充分ノ担保アルモノト謂ハザル可カラズ
然レドモ用益者ハ其任意ニテ用益権ヲ永久ニ継續セシムルコトヲ得ベカラザルハ当然ナリ故ニ法律ハ特ニ用益者ガ設定シタル権利ハ其期限其他ノ点ニ関シテ用益者自己ノ用益権ト同一ノ制限及ビ條件ニ従フベキ旨ヲ明定セリ惟管理、處為ノ性質ヲ有スル賃貸借ノ場合ヲ例外ト為スノミ
第六拾九条
本条第一項及ビ第二項ハ用益者ニ権利ヲ拒絶スルモノナルガ故ニ本款ニ記載スベカラサルモノニ似タリ又該二項ハ次款ニ於テ掲グル如ク義務ヲ用益者ニ負ハシムルモノニモ非ラズ故ニ第四款即チ用益権消滅ノ事項ニ之ヲ記スルコトヲ得ベシト雖モ用益者ノ権利ヲ規定スルニ当リテハ用益権ノ終了スルトキ用益者ニ属スルガ如キ権利ニシテ法律上之ヲ拒絶スルモノヲ共ニ明示スルハ敢テ其当ヲ得ザルモノト謂フコトヲ得ズ又本条末項ハ重要ナル権利ヲ用益者ニ認許スルモノナレバ此一事モ本条ノ位置其宜シキヲ得タルコトヲ證スルニ足ルベシ
本条三項ノ規定ハ凡テ之ヲ説明スルコト甚ダ容易ナリ
其第一項ハ已ニ説明シタル第五拾条第二項ト相對照スルモノニシテ且ツ其結果ト称スルコトヲ得ベシ即チ用益者ハ収益ヲ始ムル当時ニ於テ多少成熟ノ時期ニ近ヅキタル収穫物アルトキハ其耕作ノ費用ヲ拂フトナクシテ之ヲ収取スルコトヲ得ルガ故ニ其用益権ノ終了シタルトキニ当リ未ダ土地ヲ離レザル収穫物アルベシ又之ガ負担ノ條件アラバ残シ置カサル可カラサルナリ
若シ厳正ノ公義ニ基クトキハ右二個ノ場合ニ於テ法律ノ規定スル所ト異ナル論結ヲ取ルベキモノナルベシ然レトモ羅馬法以来実際ノ利益ト簡便トノ理由ニ基キ煩雑困難ニシテ且ツ屢争訟ノ原トナルベキ両度ノ計算ヲ避ケンガ為メ偶然ノ事ヲ以テ利害ヲ決セシムルコトト為セリ蓋シ用益権ハ元来終身ヲ限ル権利ナルガ故ニ其性質上既ニ射倖ノモノナリ茲ヲ以テ更ニ弊害ヲ生スルコトナキ以上ハ此射倖ノ性質ヲシテ愈ヨ大ナラシムルコトヲ得ベシ即チ用益権ハ収穫ノ後ニ了ハルコト有ルベク又収穫ノ前ニ了ハルコトモ有ルベシ是レト同ジク始メニ於テモ用益権ニハ幸不幸ノ運アルベシ是レ遺言ヲ以テ用益権ヲ設定シタル場合ニ於テ看ル所ナリ何トナレバ此場合ニ於テハ遺言者ガ収穫ヨリ僅カ以前ニ死亡スルコト有ルベク又収穫ヲ終リテ直チニ死亡スルコト有ルベクシテ而シテ用益権ハ遺言者ノ死亡ノ時ニ生スルモノナレバナリ
又当事者ハ常ニ合意ヲ以テ右ニ掲ゲタル法律ノ規定ト異ナリタル条件ヲ定ムルコトヲ得ベシ例之バ賣買ヲ以テ用益権ヲ設定スル場合ニ於テ賣主ハ代價額ヲ定ムル為メ其費用ヲ以テ生セシメタル収穫物ノ仍ホ土地ヲ離レサルモノヲ算入セシメ又買主ハ之ニ反シテ収穫前ニ用益権ノ終了スルトキハ果実ノ一分ヲ相續人ニ附與スベキ旨ヲ要約スルガ如キハ固ヨリ当然ニ其為シ得ベキ所ナリトス
本条第二項ノ規定ハ用益者ガ用益物ニ為シタル改良ニ付キ何等ノ賠償ヲモ認ムルコト能ハサルモノト定メタリ此ノ如ク用益者ニ権利ヲ拒絶シタル所以ノ者ハ蓋シ用益者ハ自己ノ為ニ改良ヲ為シ而シテ多少久シク之ヲ収益シタルモノト推定スルノミナラズ仍ホ此改良ニ付キ虚有者ニ對し賠償ヲ求ムルコトヲ得ザラシメテ以テ争訟ヲ避ケンガ為ナリ
此規定ハ用益物ト殆ンド一体ヲ為セリト云フコトヲ得ベキ住居ノ修飾及ビ改良土地ノ改良、開墾及ヒ地均ラシ等ニ適用スベキナリ
然レトモ用益物ト全ク一体ヲ為シタリト謂ハンヨリモ寧ロ之ニ附加シタル改良ニシテ毀損ナク用益物ヨリ分離スルコトヲ得ベキモノニ至テハ更ニ虚有者ノ利得ニ帰セシムベキ理由アラザルナリ故ニ此等ノ物ニ至テハ用益者ヲシテ之ヲ取去ルコトヲ得セシメタリ惟此場合ニ於テハ用益者ハ此附加物ヲ取去リタル後用益物ヲ舊状ニ復スルノ責アルモノナリ
第七拾条
然レトモ用益者ガ前条ニ掲ゲタル附加物ヲ取去ル場合ニ於テハ一般経済上ノ利益ニ関スル問題生ス而シテ此利益タル単ニ此場合ニ止ラズ仍ホ他ノ場合ニ於テ其適用ヲ看ルベシ即チ建物ハ之ヲ築造シタル以上ハ取毀ツコトナキヲ必要トシ又竹木ハ栽植シタル以上ハ之ヲ抜キ取ラサルヲ可ナリト為ス何トナレバ取毀チ及ヒ抜取リノ為ニ手間ヲ損スルノミナラズ仍ホ其建築及ビ栽植モ無用ニ帰スルガ故ニ其手間モ亦損失ニ帰ス茲ヲ以テ二重ノ手間ヲ損スルノミナラス仍ホ之ガ為ニ材料ノ毀損ヲ致スモノナルガ故ニ勤メテ之ヲ避クルヲ以テ利益アリトス
故ニ所有者ガ其土地ニ存スル工作物ヲ保存スルハ尤モ期望スベキモノナリ蓋シ所有権ニ於テ之ヲ保存セント欲スルトキハ其期望ハ実ニ正当ノモノト謂ハザル可カラス何トナレハ其工作物ガ所有地内ニ存スルノミナラス仍ホ之ヲ取毀ツトキハ縦令一時ナリト雖モ必ズ其土地ノ毀損ヲ来スベケレバナリ之ニ反シテ用益者ハ固ヨリ工作物ノ権利ヲ有スルモノナリト雖モ其権利タルヤ惟工作物ヲ組成スル材料ヲ撤去シ若クハ栽植シタル竹木ヲ抜取ルニ在リテ実ニ金銭上ノ利益ヲ有スルニ過ギズ茲ヲ以テ用益者ニシテ相当ノ賠償ヲ得ル以上ハ之ヲ所有者ニ保存セシムルモ決シテ不当ノコトト謂フ可カラス而シテ右ノ賠償タルヤ現ニ建物及ビ竹木等ノ存スル為メ土地ニ増價ヲ生ジタル額ニ均シキトキハ必ズシモ用益者ガ費ヤシタル所ノ費用如何ニ拘ラズ相当ノ賠償ト謂ハサルヲ得ス法律ガ茲ニ当初ノ費用ヲ計算スルコトヲ許サザルモノハ之ガ為ニ無要ニシテ煩雑ナル手数ヲ要スル故ニシテ蓋シ建築等ノ費用ハ元来射利ノ目的ニテ為シタルモノノ外大概之ガ為ニ其土地ノ受クル所ノ増價額ヲ超過スルモノナレバナリ
右ニ述ブル如クナルヲ以テ此場合ニ於テハ所有者ヲシテ他人ニ先ッテ之ヲ買取ルコトヲ得セシメ即チ之ニ與フルニ先買ノ権ヲ以テスルハ至当ノ事ニシテ所有者ガ正当ノ権利アル所ナリ
此事タルヤ一方ニ於テ所有者ノ有スル處分ノ権利ニ法律上一己ノ制限ヲ加ヘタル場合ノ一例ト為スヲ得ベシ何トナレバ用益者ハ其為シタル建築又ハ植栽ノ完全ナル所有権ヲ有シ(参看第三十条)普通ノ原則ニ従ヘバ之ヲ譲渡スト否トハ全ク其任意ナルベキニ此場合ニ於テハ虚有者ノ先買権ニ對抗スルコト能ハサレバナリ
法律ハ先買ノ権利ヲ土地ノ所有者ニ與へタリト雖モ唯之ヲ與へテ而シテ其行使ヲ規定スルコトナキトキハ或ハ正当ノ程度ヲ超エテ用益者ノ利益ヲ害スルコト甚ダシカルベシ是レ本条末段ノ三項ヲ設ケタル所以ナリ
用益者ハ所有者ノ先買権ニ抗スルコト能ハズト雖モ若シ所有者何時ト雖モ此先買権ヲ主張スルコトヲ得ルモノトセバ用益者ハ甚ダ困難ナルベシ何トナレバ均シク其所有ニ属スル建物等ヲ他人ニ譲渡スコト能ハザル可ケレバナリ故ニ所有者ノ先買権ハ其行使ノ時期ヲ定メ之ヲ過ギタルトキハ先買権消滅スルモノト定ムルコトヲ要ス然ルニ此先買権ハ用益権消滅ノ時ニ於テ始メテ行フコトヲ得ベキモノナリ故ニ右ノ期限モ亦用益権消滅ノ後ニ起算スルコトヲ要ス然ルニ用益権ノ消滅ハ所有者之ヲ知ラザルコトアリ此故ニ先買権ノ行使ニ関スル期限ノ進行ヲ始メシムルニハ用益者又ハ其相続人ガ所有者ニ用益権ノ消滅シタルコトヲ通知シ而シテ所有者若シ先買権ヲ行ハント欲セバ其事ヲ述ブベキ旨ノ催告ヲ裁判外ノ法式ヲ以テ為スベキモノトス
用益権ヲ消滅セシメタル原因ガ豫ジメ虚有者ノ知ル所ナリヤ否ヤハ法律ニ於テ之ヲ区別セズト雖モ右ニ述ブル所ニ由テ考フルモ法律ノ精神ハ用益権消滅ノ原因ガ法律上虚有者ノ知ラサル所ノモノナルトキニ限リ前ニ掲ゲタル催告ヲ必要ト為スノミ故ニ用益権ガ豫ジメ定メタル期間ノ満了ニ因テ消滅シタル如キ場合ニ於テハ此催告ヲ為スコト必要ナラザルベシ又用益者カ収益ノ濫妄ヲ為シタル為メ第百○四条ノ規定ニ従ヒ虚有者ノ請求ニ由テ用益権ノ廃罷ヲ致シタル場合ニ於テモ仍ホ催告ヲ必要トセザルコト勿論ナリ
之ニ反シテ用益者死亡シタルガ為ニ用益権ノ消滅ヲ致シ又ハ虚有者ニ全ク関係ナキ未必条件ノ成就ニ由テ用益権ノ解除ヲ致シタル如キ場合ニ於テハ虚有者ハ此消滅ヲ知ラサルコト明カナルガ故ニ必ズシモ先買権ヲ行フヤ否ヤヲ催告スルコト必要ナリ
虚有者ガ先買権ノ行使ヲ為スト為サザルトノ間ニ撰擇ヲ為スニハ惟十日間ノ猶豫ヲ要スルノミ而シテ此期間ハ法律ヲ以テ一定シタル所ノモノニシテ且ツ特ニ用益者ノ催告中ニ之ヲ指定セザル時ト雖モ異ナルコトナシ蓋シ所有者ハ法律ノ之ニ與へタル期間ヲ自カラ知ラサル可ケレバナリ
凡テ法律上ノ期間ヲ定ムルニ当リテヤ必ズ多少立法者ノ専断ニ出ヅル如キモノ有リト雖モ本条ノ場合ノ如キ一方ニ於テハ先買権ヲ行使スルコトヲ得ル時期ニシテ甚ダ長キニ過グルトキハ用益者又ハ其相続人ノ利益ヲ害スルコト甚ダ大ナルノミナラズ一方ニ於テ虚有者ハ未タ用益権消滅セザル時ヨリシテ自己ノ土地ニ用益者ガ為シタル建築及ビ栽植アルコトヲ知ラサル如キコト莫カルベキガ故、豫ジメ用益権消滅ノ時ニ於テ先買権ヲ行フベキヤ否ヤヲ思考シ置クコトヲ得ベシ故ニ此ノ如ク法律上ノ期間ヲ定ムルモ決シテ所有者ノ為ニ甚ダ不都合ヲ来スコトナシ
或ハ用益権消滅ノ時ニ当リ所有者ハ失踪者タルコト有ルヲ得ベシ此時ニ当リ仍ホ右ノ期間ヲ経過シタルトキハ先買権ヲ行フ能ハサルモノトスルコト甚ダ其当ヲ得サル如シト雖モ所有者久シク其家ニ帰ラサルトキハ先買権ノ行使ニ関スル催告ニ答ヘル為メ権限ヲ有スル代理人ヲ定メ置クヲ以テ至当ト為ス然ルニ此注意ヲ為サズシテ自カラ権利ヲ失フニ至ルハ法律ノ知ル所ニ非ラサルナリ
催告ヲ受ケタル後所有者ニ於テ先買権ヲ行使スルコトヲ陳ベ又ハ之ヲ行使セサルコトヲ陳ベタルトキハ論ナシト雖モ若シ何等ノ答ヘヲ為サズシテ十日ノ期間ヲ経過セシメタルトキハ先買ノ権利ハ当然之ヲ喪失スルモノト為ス
縦令所有者ニ於テ先買権ヲ行使スルコトヲ述ベタルトキト雖モ仍ホ此陳述ハ用益者又ハ其相続人ヲシテ直チニ建物及ヒ栽植権利ヲ失ハシムルモノニ非ラズ此ノ如クナルニハ必ズヤ先ツ虚有者ガ建物及ビ栽植ノ代價ヲ弁済シタルコトヲ必要ト為ス若シ此弁済ヲ為サザルトキハ先買権行使ノ陳述アルモ之ニ基ク取得ハ全ク回収セラルベシ又所有者ヨリ弁済スベキ代價ハ当事者ガ協議ヲ以テ之ヲ定メ得ベキコト勿論ナリト雖モ若シ此協議成ラザルトキハ裁判所ハ鑑定人ニ評價ヲ為サシメタル上之ヲ決定スベシ此決定ハ凡テ裁判所ノ下シタル他ノ判決ノ如ク上訴ヲ為スコトヲ得ベシ若シ此上訴ヲ為サスシテ此判決確定シタルトキハ所有者ハ其時ヨリ一ヶ月内ニ代價ノ弁済ヲ為スコトヲ要ス若シ此辨済ヲ為サザルトキハ又先買ノ権ヲ失フベシ
然レトモ一ヶ月内ニ代價ノ弁済ヲ為サザル為メ先買権ヲ失フハ所有者自ラ引證スルコトヲ得ベキ権利喪失ノ法律上ノ期間ヲ定メタルモノニ非ラズ若シ所有者自カラ此弁済ヲ怠リタル為ニ之ヲ理由トシテ賣買ノ解除ヲ求ムルコトヲ得ルトセバ何人モ自己ノ過失ヲ理由トシテ主張ヲ為スコトヲ得ズトノ原則ニ反スルモノナリ此規定ハ全ク双務契約ノ場合ニ於テ一方ノ此義務ヲ履行セサルトキハ他ノ一方ノモノハ之ヲ理由トシテ其解除ヲ求ムルコトヲ得ルト殆ンド相類セル精神ニ出デタルモノナルガ故ニ所有者ガ代價ノ弁済ヲ為サザル場合ニ於テ其失権ヲ宣告セシムルト知ラスシテ単ニ弁済ノ要求ヲ為ス等ハ一ニ用益者ノ専ラ有スル権利ナリトス
用益者又ハ其相続人ガ先買権ノ喪失ヲ請求シタル場合ニ於テハ猶ホ所有者ニ對シテ損害ノ賠償ヲ求ムルコトヲ得ベシ何トナレバ法律ノ定メタル期間ノ満了マデ所有者ノ弁済ヲ待チタルカ為メ他ニ利益アル條件ヲ以テ建物及ヒ栽植ヲ賣却スル機会ヲ失ヒ為ニ損害ヲ受クルコト有ルベケレバナリ又用益者若クハ其相續人ニシテ代價ノ弁済ヲ受クルニ先チテ建物ヲ所有者ニ引渡シタル場合ニ於テ所有者ガ之ヲ毀損シ又ハ其他ノ濫用ヲ為スノ憂ヘナキコト能ハズ故ニ法律ハ此ノ如キコト莫カラシムル為メ用益者又ハ其相續人ハ代價ノ弁済ヲ受クルマデ其建物ノ占有ヲ為スノ権利アルモノトセリ此権利ハ独リ本条ノ場合ノミナラズ凡テ法律上多クノ適用ヲ受クルモノニシテ留置権ト名ク是レ物上担保ノ一種ニシテ本編第二条ニ掲クル所ノモノナリ
所有者ノ先買権ニ由テ譲受ケタル所ノモノ単ニ栽植ノミニ止マルトキハ用益者又ハ其相続人ハ其代價ノ弁済ヲ受クルマデ土地ノ占有ヲ為スコトヲ得ズ何トナレハ法律ガ留置権ヲ與へタルハ単ニ建物ニ止マレバナリ
第七十一条
本条ニ於テ用益者ガ調製スル義務ヲ明カニシタル動産ノ目的及ビ不動産ノ形状書ハ虚有者ノ為メ必要ナル担保ナリ然レドモ又用益者ノ為ニモ有益ナルモノナリトス蓋シ一方ニ於テハ所有者ガ権利ノ在ル所ヲ明カニスルモノナリト雖モ猶ホ同時ニ所有者ノ請求シ得ベキ所ヲ明カニシ用益者ヲシテ不当ノ要求ヲ免ルルコトヲ得セシムレバナリ
用益権継続中ハ其目的トスル所ノモノ全ク用益者ノ占有スル所ナルヲ以テ用益者ガ或ハ悪意ナルト又或ハ単ニ懈怠ニ出ヅルトヲ問ハズ之ヲ毀損スルコト決シテ難カラザルナリ加之ナラズ動産ニ在ツテハ用益権終了ノ時之ヲ所有者ニ返還スルニ当リ当初ノ員数及ビ其品格ヲ知ルコト甚ダ困難ナルベシ而シテ是レ実ニ争訟ノ原因タルベキモノナリ本条ニ規定スル所ノモノハ之ヲ避クルガ為ニ必要ナリトス
形状書トハ不動産ノ実質、有形ノ形状ヲ認證シタルモノナリ故ニ其不動産ハ新タニ修繕ヲ加ヘラレタルモノナリヤ又ハ之ニ反シテ毀損シタルモノナリヤ将タ如何ナル部分ニ於テ幾多ノ修繕ヲ加ヘタルヤ又如何ナル点ニ於テ幾許ノ毀損ヲ為シタルヤ等ノコトヲ之ニ記載スルモノナリ用益者ノ調製シタル目録及ヒ形状書ガ虚有者ニ對シテ有効ニ對向セラルルコトヲ得ルニハ此等ノ書類ヲ調製スル時虚有者ガ立會ヒタルコトヲ必要ト為ス若シ然ラザルモ猶ホ法律ノ定ムル所ニ従ツテ之ヲ召還シタルコトヲ必要ト為ス茲ニ出テズシテ用益者一人ニテ任意ニ之ヲ調製スルモ虚有者ニ對シテ何等ノ効力ナシ何トナレバ何人ト雖モ自己ノ為ニ自カラ證拠ヲ作ルコト能ハサレバナリ
第七拾二条
当事者相方ガ目録及ヒ形状書ノ調製ニ立會ヒタル場合ニ於テ共ニ能力者ナルトキハ縦令私署證書ヲ以テ右ノ書類ヲ作リタル時ト雖モ仍ホ当事者間ニ於テ有効ナルハ勿論他日其相続人又ハ承継人ニ對シテモ充分ノ効力ヲ有スルモノナリ然ルニ当事者ノ一方ガ立會ヲ為サザルカ又ハ立會ヲ為スモ能力者ニ非ラサルトキハ必ズ目録及ビ形状書ハ公正證書ヲ以テ之ヲ作ルコトヲ必要ト為ス
未成年者ハ有効ニ其後見人ヲシテ代理セシムルコトヲ得ベク婦ハ夫ニ因テ代理セラルルコトヲ得ベシ然レドモ惟代理人ト本人ノ利益ガ互ニ相反セザルコトヲ必要ト為ス例之バ一人ガ用益者ニシテ一人ガ虚有者ナル如キ場合即チ是レナリ
第七十三条
已ニ総則第十八条ニ於テ述ベタル如ク代替物トハ同種類ナル他ノ物ヲ以テ之ニ代用スルコトヲ得ベキ性質ノモノナリ故ニ代替物トハ量定物ニシテ即チ其種類、重量、員数又ハ尺度ヲ指定セラレタル所ノモノナリ一回ノ使用ニ由テ消費スルモノハ概シテ此性質ヲ有スレドモ仍ホ其以外ニ於テモ此性質ヲ有スルモノ有ルコトハ第拾七条及第拾八条ノ下ニ於テ已ニ之ヲ説ケリ
又第五十五条ニ依レバ用益物ガ代替物ナルトキハ用益者ノ権利ハ全ク所有者ノ権利ト同一ニシテ用益権消滅ノ時同一ノ物ヲ返還スル義務アルニ止マル
用益権ノ目的物ガ特定物ナルトキハ目録ニ於テ其性質形状及ビ固有ノ品質ヲ記載スルコトヲ必要トス又此一事ヲ以テ足レリト為ス或ハ用益物ニ記号又ハ印證ヲ附シテ他ノ類似ノ物ヲ以テ之ニ代フルコト能ハザラシムルモ固ヨリ為シ得ベキ所ナリ特定物ヲ以テ用益物ト為シタル場合ニ於テハ其評價ヲ為スコト必要ナルモノニ非ラズ惟或ル場合ニ於テ其評價ノ有益ナルコト有ルベキノミ例之バ物ヲ示サズ又ハ物ニ毀損ヲ生ジタル如キ場合是ナリ故ニ評價ハ通常目録中ニ於テ当事者ノ為ス所ナルベシ
然レドモ代替物ニ在ツテハ其評價ハ右ノ場合ニ比シテ一層有益ニシテ又殆ンド必要ナリト云フヲ得ベシ蓋シ評價ハ物ノ品質ヲ定ムルニ尤モ簡易ニシテ且ツ尤モ正確ナル方法ナレバナリ
代替物ノ用益権ノ時当事者ニ於テ為サシメタル用益権ノ評價ハ用益物ヲ用益者ニ賣渡シタル効力ヲ生ズルモノナリ即チ評價ノ金額ハ用益者ニ於テ恰モ買主タル時ノ如ク之ヲ弁済スルノ義務アルモノナリ惟即時ニ之ヲ弁済スルニ非ズシテ用益権消滅ノ時ニ至リ始メテ虚有者ハ之ヲ請求スルコトヲ得ベキノミ
然リト雖モ此場合ニ於テ当事者ノ意思如何ニ従ヒ或ハ評價ニ賣買ノ性質ヲ有セサラシムルコトヲ得ベシ又之ト同ジク特定物ノ用益権ノ場合ニ於テ当事者ハ評價ニ與フルニ此性質ヲ以テスルコトヲ得ベシ例之バ衣服其他使用ニ因テ容易ニ毀損スルモノノ用益権ノ場合ニ於テハ縦令特定物ナリト雖ドモ仍ホ用益権消滅ノ時現物ヲ以テ返還ヲ受ケズ其代價ヲ償還セシムルコト当事者ノ便宜トスルコト有ルベシ此場合ニ於テハ当事者ノ合意ヲ以テ特ニ評價ヲシテ賣買ノ効力ヲ有セシムルヲ得ベシ代替物ノ評價ニ賣買ノ効力ヲ有セサラシメタルトキハ用益権消滅ノ時用益者ノ償還スヘキハ当初受取リタルモノニ非ズシテ是レト同種類ナル物ノ同一ノ員数ナリトス蓋シ初ヨリ用益物特定セラレザレバナリ之ニ反シテ特定物ノ評價ニ賣買ノ効力ヲ附シタルトキハ用益者ハ必ズ其評價額ヲ返還スルコトヲ要シ所有者ハ此金額ニ非ラサレハ請求スルコトヲ得ズ
目録及ビ評價ハ用益者及ビ虚有者ヲシテ互ニ不当ノ争ヒヲ避クルコトヲ得セシムル為メ有益ナルヲ以テ法律ハ其費用ヲ両分シ用益者及ビ虚有者ヲシテ各々其一分ヲ負担セシムルコトヲ得ベキガ如シ然レドモ法律ハ此方法ヲ用ヒズシテ一個ノ区別ヲ為セリ即チ用益権ガ設定セラレタル原因ノ有償ナルト無償ナルトニ従ツテ区別セリ若シ有償ナル場合ニ於テハ目録及ビ評價ノ費用ハ当事者双方ヲシテ之ヲ分担セシムト雖モ無償ノ設定ノ場合ニ於テハ用益者ノミ費用ノ全部ヲ負担スルモノトス是レ実ニ其当ヲ得タルモノト謂フベシ何トナレバ有償ノ設定ノ場合ニ於テハ是ニ由テ利スル所ノモノ当事者双方ナルガ故ニ費用モ亦双方之ヲ分担スルコト勿論ナレドモ無償ノ設定ノ場合ニ於テハ用益者ノミ独リ其利益ヲ受クルガ故ニ費用モ亦一人ニテ負担スルコトヲ要ス不動産ノ形状書ニ関シテハ其設定ノ有償ト無償トヲ問ハズ費用ハ凡テ用益者一人ノ負担ト為ス何トナレバ形状書ハ常ニ用益者ノ利益ノ為ニ之ヲ作ルモノナレバナリ若シ形状書ナキ時ハ用益者ハ不動産ヲ完好ナル形状ニ於テ受取タル者トノ推定ヲ受クルガ故ニ用益者ノ之ヲ作ル利益ハ主トシテ此推定ヲ免カルルニ在リ
第七拾四条
用益権ノ設定者ハ用益者ノ篤実ト其善良ノ管理トニ信用ヲ置キテ目録及ビ形状書ヲ作ルノ義務ヲ免除スルコトヲ得ベシト雖トモ此ノ如クニシテ遂ニ虚有者ノ権利ヲ保存スルノ方法ヲ失ハシムル如キハ其当ヲ得タルモノニ非ラズ蓋シ虚有者ハ用益権設定者ノ相続人ナルコト屢々ナリト雖トモ仍ホ設定者ノ相続人ナル故ヲ以テ設定者ハ任意ニ虚有者ノ権利ノ擔保ヲ失ハシムルコトヲ得ト謂フ可カラズ故ニ斯ノ如キ場合ニ於テハ虚有者ヲシテ動産ノ目録及ビ不動産ノ形状書ヲ作リ以テ自己ノ利益ヲ全フスルノ道ヲ得セシムルコトヲ要ス縦令用益権ノ設定者カ用益者ニ此ノ如キ義務ヲ免除シタルトキト雖トモ然リトス惟此場合ニ於テハ用益者之ヲ作ルノ義務ナクシテ虚有者自カラ進ンデ之ヲ作ルガ故ニ其費用ハ虚有者ニ於テ負担スベキモノトス
右ノ権利ハ独リ虚有者ニ存スルノミナラズ同一ノ條件ニ従フトキハ用益者ト雖トモ亦之ヲ有スルモノナリ
右ノ場合ニ於テ代替物ヲ目的トスル用益権ニ関シ其評價ニ賣買ノ効力ヲ附スルコトハ多少疑ヒ有ルガ如シト雖トモ仍ホ用益者ハ常ニ評價ヲ監督シ而シテ之ニ意見ヲ述ブルコトヲ得ベキガ故ニ惟リ此場合ニ於テノミ評價ヲシテ賣買ノ効力ヲ有セシメザル正当ノ理由アルヲ看ズ且ツ此事タルヤ実ニ此ノ如キ種類ノ用益権ノ性質上必要ナルモノナリ
本条第二項ニ於テ第七拾二条及ビ第七拾三条ノ規定ヲ適用スルコトヲ明記シタルハ別ニ説明ヲ要セサル所ナリ
第七拾五条
用益者既ニ動産ノ目録及ヒ不動産ノ形状書ヲ作ルノ義務ヲ有シ収益ヲ始ムルノ前ニ於テ之ヲ履行スベキニ当リ本条ノ規定スル過失ヲ為シテ其義務ヲ尽サザルトキハ用益者自カラ其結果ヲ蒙ル可キコト勿論ナリ
又動産ニ関シテハ之ヲ保存スル為メ及ビ其収益ヲシテ完全ナラシムル為メ完好ナル形状ニ於テ之ヲ保持スルコト所有者ノ慣行ナルヲ以テ若シ用益者形状書ヲ作ラズシテ之ガ収益ヲ始メタルトキハ完好ナル形状ニ於テ之ヲ受取リタルモノト法律上推定ス故ニ用益者カ占有ヲ得タル当時其不動産ガ完好ナラザル形状ニ有リシコトヲ主張スベク用益者自カラ之ヲ證明スルコトヲ要ス此證明ハ普通ノ證拠方法ニ由テ之ヲ為スコトヲ得ベシ就中用益者ガ占有ヲ得ル以前既ニ不動産ニ毀損アリシコトヲ知レル證人ノ陳述又ハ現存スル用益物ノ毀損ガ用益者ガ占有ヲ得タル時ヨリ以前ニ溯ルコトヲ陳述スル鑑定人ニ依テ之ヲ證明スルコトヲ得ベシ
動産ニ関シテハ使用ニ由テ容易ニ毀損スルコトヲ得ルモノナルガ故ニ必ズシモ完好ナル形状ニテ常ニ存スルモノニ非ラズ茲ヲ以テ用益者目録ヲ作ラザルモ為メニ完好ナリシトノ推定ヲ下スコト能ハズ惟有スル所ノ物ハ如何ナル物品ナリシヤ如何ナル物質ナリシヤ如何ナル員数及ヒ品格ナリシヤヲ知ルニ在リ
此点ニ関シテハ用益者ハ猶ホ自己ノ過失ノ結果ヲ受クルノ危嶮アリ何トナレバ右ノ如キ場合ニ於テ虚有者ハ用益者ニ對シ其引渡シタル動産物ノ品質、員数及ヒ價格等ヲ甚ダ容易ニ證スルコトヲ得ベケレバナリ即チ虚有者ハ単ニ證人、證拠及ビ一般ノ事情、就中用益権設定者ノ資格其資産及ビ其地位等ニ基ク事実ノ推定ヲ以テ之ヲ證スルコトヲ得ルノミナラズ仍ホ世評ヲ以テ之ヲ證スルコトヲ得ベシ世評トハ一般ノ風聞ニシテ近隣ノ輿論ニ外ナラザルナリ(参看證拠編第三拾七条)
證人、證拠ト世評トノ間ニハ大ナル差異アリ蓋シ證人、證拠ノ場合ニ於テ證人ハ其自カラ知ル所ノモノヲ陳述スルコトヲ得ルノミナレドモ世評ノ場合ニ於テ證人ハ證明ヲ要スル事項ニ関シ他人ヨリ聴キタル所ノコトヲモ陳述スルコトヲ得ベケレバナリ
(第七拾六条及ビ第七拾七条)
債権者ニ對シ債務者ガ義務ヲ履行セサル場合ニ於テ其債務者ニ代リ自カラ此義務ヲ履行スベキコトヲ諾シ保證ト名クル特別ノ契約ニ依テ一個ノ義務ヲ約スルモノ之ヲ保證人ト名ク
保證人ノ義務ハ主タル債務者ニ對シテハ全ク好意ヨリ成ルモノナリ惟主タル債務者自カラ義務ヲ履行セズシテ保證人其為メニ義務ノ弁済ヲ為シタルトキハ主タル債務者ニ對シテ求償権ヲ有スルノミ
保證ニ関スル事項ハ債権担保編ニ於テ詳細ニ説明ヲ為スベシ(参看第三条以下)
用益者ガ供スルコトヲ得ベキ擔保ハ単ニ保證人ノミニ非ラズ其他種々ナルコトヲ得ベシ
用益者ハ本条ニ掲クル如ク返還及ビ償金ノ義務履行ノ為連帯者ヲ立ツルコトヲ得ベシ連帯者ハ通常ノ保證人ニ比スレバ一層有益ナル擔保ナリトス
用益者ガ保證人ヲ立テ又ハ連帯義務者ヲ立ツルモ其擔保人ノ資力不確カナルカ又ハ其資力確カナリトスルモ虚有者ニ於テ之ヲ承諾セザルトキハ裁判所ニ於テ虚有者又ハ用益者ノ請求ニ基キ此点ヲ裁決スルコトヲ要ス
若シ用益者ノ提供シタル担保人ニシテ資力アルモノナル時ハ虚有者ハ之ヲ以テ満足セサル可カラズ之ニ反スル場合ニ於テハ法律ニ於テ定メタル如ク對人担保ニ代フルニ物上担保ヲ以テスルコトヲ要スベシ
保證人及ビ連帯債務者ノ外ハ義務ノ履行ヲ担保スルモノ、人ニ非ラズシテ物ナリ故ニ之ヲ名ケテ物上担保ト云フ例之バ供託所又ハ当事者ノ認諾スル第三者ニ為ス金銭ノ寄託或ハ動産質、不動産質及ヒ抵当ノ如シ
第七拾八条
如何ナル場合ニ於テ動産ノ評價ガ賣買ノ効力ヲ有スルヤハ既ニ第七拾三条ニ於テ之ヲ説ケリ此ノ如ク用益物ノ評價ノ為メ用益権ノ設定一個ノ賣買タル場合ニ於テハ用益者ガ其権利消滅ノ時ニ於テ返還スベキモノハ用益物ニ非ラズシテ一定ノ金額ナルヲ以テ用益者ガ当初提供スベキ担保モ亦此全額ニ對スルモノナルコトヲ必要トス元来用益権ノ目的金銭ニ在ラズシテ惟評價ノ為ニ賣買ノ効力アリシ場合ニ於テモ既ニ此ノ如シ然ラバ始メヨリ金銭ヲ以テ直チニ用益権ノ目的物トスル場合ニ於テハ此ノ如クナル可キコト固ヨリ論ナシ凡テ此等ノ場合ニ於テ用益者ガ金銭ヲ以テ返還ヲ為スベキ場合ニ於テハ用益権消滅ノ当時用益者ガ此義務ヲ弁済スル資力ナカランコトヲ惧ルルモ決シテ其信用ヲ害スルモノト謂フ可カラズ何トナレバ其返還スベキ金銭ハ他ノ物ト異ナリ常ニ消費スルヲ以テ用方ト為スモノナレバナリ此ヲ以テ金銭ノ場合ニ於テハ常ニ其全額ニ對シテ担保ヲ供スルコトヲ要ス
然リト雖トモ動産ノ評價ガ賣買ノ効力ヲ有セサル場合ニ於テハ其評價ノ全額ニ対シテ担保ヲ供セシメザルモ亦容易ニ解シ得ベキ所ナリ何トナレバ用益者カ当初受取リタル物ヲ以テ返還ヲ為スベキ場合ニ於テ自カラ保管スル用益物ヲ消費シ又ハ全部消滅セシムル如キコトヲ豫ジメ推測スルハ用益者ニ對シ名誉ヲ害スルモノト謂ハサルヲ得ズ惟此ノ如ク用益者ヲ愧カシムルコト無クシテ始メヨリ憂フルコトヲ得ルハ惟用益者ガ或ル不注意ヲ為スベキコト是ナリ故ニ此ノ如キ場合ニ於テ法律ハ評價ノ全額ニ對シ担保ヲ要求セズシテ惟其半額ニ止メタリ蓋シ此担保ハ万一、一部ノ滅失其他毀損ノ生ジタル場合ニ於テ充分ノ担保タル可キヲ信ジタルヲ以テナリ
然レドモ用益者ガ自カラ有スル権能ニ基キ右ニ掲グル如キ動産ノ用益権ヲ他人ニ譲渡シ又ハ之ヲ賃貸シタル場合ニ於テハ所有者ハ前ニ掲ゲタル担保ヲ以テ満足スベキニ非ラズ何トナレバ此時ヨリ巳後用益物ハ用益者ノ手ニ存セズシテ第三者之ヲ占有ス可ク而シテ所有者ハ従来ノ用益者ニ對スルト同一ノ信用ヲ第三者ニ置クコト能ハザル可ケレバナリ故ニ此場合ニ於テハ評價ノ全額ニ對シテ担保ヲ供スルコトヲ要ス
此場合ニ於テ一個ノ問題生ズ可シ法文ニ於テ之ヲ決定セズト雖トモ原則ニ基キテ之ヲ断ズルコトヲ得ベシ即チ用益権ノ譲渡又ハ賃貸ノ場合ニ於テ担保ノ擴張ハ当然生スルモノナルヤ将タ保證人又ハ用益者ノ更ニ之ヲ諾約スルコトヲ必要ト為スヤ是ナリ
先ヅ保證人及ビ連帯債務者ニ付テ之ヲ考フルニ当初評價ノ半額ニ付テ保證人又ハ連帯債務者タルコトヲ約シタル以上ハ後ニ至リ右ニ掲クル如キ事情生ズルモ此制限以外ニ要求ヲ為スコト能ハズ何トナレバ此等ノ担保人ノ義務ハ其諾約ニ基クモノニシテ而シテ諾約ハ此範囲内ニ止マレバナリ縦令用益者ガ用益物タル動産ヲ窃取シ隠匿シ又ハ毀損スル等ノコト有ルモ保證人及ヒ連帯債務者ハ常ニ評價ノ半額ヲ弁済スルヲ以テ其義務ヲ尽シタルモノトス然ラバ則チ用益者其権利ヲ他人ニ譲渡シタル場合ニ於テモ猶ホ之レト同一ナラサル可カラズ
用益者ニ付テハ之レト同一ナラズ蓋シ担保ノ擴張ヲ要スルニ至リシハ全ク用益者ノ處為ニ基クモノナリ故ニ用益者自カラ金銭其他ノ有價物ヲ寄託シ以テ物上ノ担保ヲ供シタルカ又ハ動産質若クハ抵当ヲ供シタル場合ニ於テ其價格ガ担保ノ不足ヲ補フニ充分ナルトキハ次ニ掲ゲタル擴張ハ当然ニ生スルモノトス
質ニ関シテハ其場合最モ簡単ナリトス何トナレバ此場合ニ於テ用益者ガ新タニ債務ヲ負担シタルニ非ラズシテ当初ノ債務ガ増加シタルニ止マル而シテ既ニ所有者動産質ヲ取得シタル以上ハ他ニ同一ノ動産質ヲ有スル債権者アルベキ理ナシ故ニ用益権ノ譲渡又ハ賃貸ノ為メ担保ノ擴張ヲ致スモ為ニ何等ノ人ヲ害スルコトナシ
抵当ニ関シテハ多少ノ注意ヲ要スベキモノ有リ此場合ニ於テ抵当モ当然擴張スベキコト論ナシト雖トモ仍ホ所有者ハ其債権ノ二個ノ部分ニ付テ同一ノ順位ヲ有セザルコト有ルベシ例之バ当初所有者ガ抵当ヲ取得シタル後他ノ債権者同一ノ不動産ニ付キ第二ノ順位ニ於テ抵当権ヲ取得シタリト想像スベシ此場合ニ於テ抵当ノ擴張ヲ致スモ此擴張タル債権ノ部分ニ對シテハ既ニ他人ノ得タル抵当ニ先ダツコト能ハズ何トナレバ他人ガ正当ニ取得シタル抵当ノ順位ハ其後ニ至リ其承諾ナクシテ之ヲ失ハシム可キニ非ラザレバナリ又抵当ノ擴張ヲ生ズルモ所有者ニ於テ補足ノ登記ヲ為シテ之ヲ担任セザル以上ハ其以後ニ於テ抵当ヲ取得スルコト有ルベキ債権者ニ對シテモ之ヲ主張スルコト能ハザルベシ
若シ用益者ガ既ニ提供シタル担保ニシテ債務ノ全部ヲ担保スルニ足ラザル場合ニ於テハ用益者ハ更ニ物上担保又ハ對人担保ヲ以テ此不足ヲ補フノ義務アリ
不動産ヲ以テ用益物ト為シタルトキハ用益者自カラ用益権ノ行使ヲ為スト或ハ他人ニ賃貸ヲ為ストヲ区別セズ用益者ガ提供スベキ担保ハ決シテ用益物ノ價格全部ニ相当スルコトヲ必要トセズ何トナレバ縦令用益物ガ建物ナル場合ト雖トモ仍ホ用益者又ハ用益権ノ譲受人若クハ賃貸人ノ過失ニ依テ其全部ノ滅失ヲ致ス如キコトハ殆ンド想像シ得ベカラズ又土地ノ用益権ノ場合ニ於テハ其毀損ハ概シテ些少ニ止マル可キモノナレバナリ茲ヲ以テ不動産ノ用益権ノ場合ニ於テ所有者ガ要求スルコトヲ得ベキ担保ノ額ハ一ニ裁判所ノ定ムル所ニ従フベキモノト為セリ
第七拾九条
凡テ前数条ニ掲ゲタル保證其他ノ担保ハ全ク主タル義務ノ従ニ過ギザルヲ以テ此等ノ担保ヲ明カニスルハ未ダ充分ナリト謂フ可カラズ必ズヤ主タル義務ヲ明カニ指定スルコトヲ要ス然ラザレハ用益者ガ責任ヲ負フベキ場合ニ於テ裁判所ガ之ヲ言渡スニ当リ確実ナル基礎ヲ得ルコト難カル可ケレバナリ
第八拾条
本条ハ用益者ガ法律ノ定メタル担保ヲ供スルコト能ハザル場合ニ於テ用益者及ビ所有者相互ノ利益ヲ調和スルコトヲ勉メタリ即チ用益者縦令此担保ノ義務ヲ尽スコトヲ拒ミ又ハ之ヲ尽スコト能ハズトスルモ単ニ此一事ノ為メ全ク其権利ヲ失ヒタルモノトスルハ其当ヲ得タルモノニ非ザレバナリ
此二個ノ利益ノ調和ノ為メ法律ノ定メタル方法ハ法文ニ於テ詳細ニ之ヲ規定スルガ故ニ説明ヲ要スル所甚ダ尠ナシ
故ニ惟二個ノ規定ニ付テ注意ヲ為ス可シト雖ドモ是レ猶ホ容易ニ解シ得ベキ所ノ者ナリ
第一用益物ガ金銭ナル場合ニ於テ之ヲ供託所ニ寄託シ又ハ之ヲ國債券ニ代ヘテ益用スル場合ニ於テハ常ニ用益者及ヒ所有者両人ノ名義ニ於テスルモノナリ其理由ハ双方共ニ承諾スルニ非ラザレバ其金額ヲ引出スコトヲ得ズ又債権ヲ譲渡スコトヲ得ザラシムル為メナリ
第二用益物タル土地ヲ賃貸シタル場合ニ於テ用益者ハ貸賃ヲ収取スベシト雖トモ仍ホ保存ノ費用其他毎年ノ負担ヲ扣除スルコトヲ要ス蓋シ後ニ至テ説明スベキ如ク此ノ如キ負担ハ用益者ガ自カラ収益スル場合ニ於テモ之ヲ免カルルコト能ハズ然ルニ用益者ガ担保ヲ供スルコト能ハサル為メ所有者又ハ第三者ヲシテ収益ヲ為サシムル場合ニ於テノミ惟リ用益者ガ此負担ヲ免レテ利益ヲ得ルハ其当ヲ得タル者ニ非ラザレバナリ然リト雖ドモ用益物ノ賃貸ノ場合ニ於テ賃借人自カラ此等ノ負担ヲ引受ケタルトキハ貸賃中ヨリ更ニ之ヲ扣除ス可カラザルコト勿論ナリ惟此場合ニ於テハ賃借人ノ負担重キガ故ニ従ツテ其借賃モ他ノ場合ニ比スレバ少ナル可キコト勿論ナリ
第八拾一条
用益者ガ多少ノ担保ヲ供スルモ未ダ法律ノ定メタル額ニ達スル能ハザル場合ニ於テハ右ニ示シタル場合即チ用益者カ何等ノ担保ヲモ供スルコト能ハザル場合ト同一ニ之ヲ遇スルコト能ハザルナリ故ニ用益物ノ或ル部分ニ付テノミ用益者自カラ収益ヲ為スコトヲ得セシメタリ而シテ用益物ノ如何ナル部分ニ對シテ此一部ノ担保ヲ適用スベキヤ従ツテ如何ナル部分ノ収益ヲ自カラスベキヤハ一ニ用益者ノ撰擇ニ任セタルハ其宜シキヲ得タルモノト謂ハザルヲ得ズ
用益者ガ他日ニ至リテ其担保ノ不足ヲ補フコトヲ得ルニ至リタル場合ニ於テ如何ニ處分スベキヤハ法律ニ於テ別段ニ規定ヲ為サズ然リト雖トモ此場合ニ於テハ用益者ヲシテ用益物ノ全部ニ付キ自カラ収益ヲ為サシムベキコト勿論ナリ若シ前条ノ規定ニ基キ虚有者又ハ第三者ガ賃借権ヲ取得セル場合ニ於テハ用益者ハ其期間ノ満了マデ之ヲ犯スコトヲ得ザルハ明カナリ
第八拾二条
用益権ノ設定者即チ虚有者ガ当初用益者ニ担保ヲ供スル義務ヲ免除スルコト有ルベシ然レドモ此免除ヲ為スノ意思ハ決シテ自己ノ相続人ヲシテ用益物ノ滅失ノ危害ヲ蒙ラシメント欲スルニ非ラズ惟設定者ハ用益者ノ篤実、其善良ノ管理及ビ就中用益者ガ将来ニ於テ無資力ト為ルコト莫カル可キヲ信ジテ此免除ヲ為シタルモノナリ故ニ若シ用益者ニシテ他日無資力ト為ル如キコト有ラバ之ガ為ニ免除ノ利益ヲ失フベキコト当然ナリ何トナレバ此場合ニ於テ用益者ハ最早設定者ノ豫想シタル所ニ反シ信任ヲ有セザル可ケレバナリ
贈與物ニ付キ贈與者ガ自己ノ利益ニ為ニ用益権ヲ留存シタル場合ニ於テ贈與者ニ担保ノ義務ヲ免除シタル理由ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ蓋シ贈與者ハ資本ノ贈與ニ依テ恩恵ノ所為ヲ為シタルモノナリ此ノ如キ仁者ノ収益ニ付テ信用ヲ置カサルハ至当ト云フコト能ハザル可シ
然レドモ此ノ如キ場合ニ於テ用益者若シ無資力ト為リタルトキハ前条ニ規定シタル場合ト類似ノ理由ニ依リ更ニ担保ヲ供スルコトヲ必要ト為ス
第八拾四条
本条ニ於テ用益者ハ善良ナル管理人ノ如ク収益スベシト定メタルハ蓋シ用益者ガ自己ノ事物ニ加ヘルト同一ノ注意ヲ用益物ニ加フルノミヲ以テ足レリトセザルコトヲ明カナラシムルニ在リ
用益者ニシテ自己ノ負担ニ帰スル保存ノ工事ヲ為スコトナク又ハ産殖ヲ可ト為スモ以テ土地或ハ獣畜ノ生産力ヲ消耗セシメ用益物ノ毀損ヲ為シタル場合ニ於テハ用益者自カラ其責ニ任ズ可キコト固ヨリ疑ヒナシ第一ノ場合即チ保存ノ工事ヲ為サザル場合ニ於テハ懈怠アリ即チ為スベキノ所為ヲ為サザルモノナリ(消極ノ所為)第二ノ場合即チ生産力ヲ消耗シタル場合ニ於テハ為ス可カラザル所為ヲ為シタルモノニシテ過失アリ(積極ノ所為)又大修繕ハ其利害尤モ所有者ニ大ナル関係ヲ有スルモノナルニ其必要生シタル場合ニ於テ用益者之ヲ所有者ニ告知スルコトヲ怠リタルトキモ亦同一ナリ此大修繕ノ必要ガ暴風又ハ洪水等ノ為メ突然ニ生ジ而シテ所有者ガ用益物ノ存スル所ト同一ノ土地ニ住居セザル場合ニ於テハ特ニ然リト為ス
第八拾五条
本条ニ於テハ経験ヲ以テ基礎ト為シ用益者ニ對シテ一ノ過失ノ推定ヲ設ケタリ蓋シ火災ハ大概其家屋ノ住居人ノ懈怠ニ依テ生ズルモノナルガ故ニ用益物火災ノ為ニ滅失シタルトキハ之ヲ以テ用益者ノ過失ニ出ヅルモノト推定セリ
火災ノ場合ニ於テ其始マリタル場所ハ殆ンド常ニ毀滅スルガ故ニ火災ノ原因ハ屢々之ヲ知ル能ハザルコト有リ従ツテ火災ノ箇所ニ付テ調査ヲ遂グルモ充分ノ効果ヲ看ルコト能ハザルモノナリ且ツ其住居者ハ自己ノ責任ヲ恐ルルガ故ニ各自ノ過失ト為リ得ベキ所ノコトハ凡テ之ヲ陰蔽スルコト普通ノ状態ナルヲ以テ益々其実ヲ得ルコト困難ナリ
火災ノ場合ニ於テ住居者ノ過失ヲ推定スルコトハ其建物ニ住スルモノガ所有者ナラザル場合ニ於テハ特ニ至当ナリトス何トナレバ此場合ニ於テ住居者ハ其建物ノ保存ニ付キ所有者ト同一ノ利益ヲ有セズ従ツテ同一ノ注意ヲ為サザルコト有ル可ケレバナリ
之ヲ要スルニ本条ノ規定ハ甚ダ嚴酷ナルガ如シト雖トモ其実決シテ一見直チニ考フル如ク甚ダシキモノニ非ラス何トナレバ用益者ハ此推定ヲ受クルモ猶ホ凡テノ方法ニ依リ自己ニ過失ナキコトヲ證明スル権利ヲ有スレバナリ隣家ノ建物ヨリシテ火ヲ発シ遂ニ類焼ニ及ビタルトキ又ハ落雷ノ為ニ火災ニ罹リタルトキノ如キハ用益者ガ過失ナキコトヲ證明スル実ニ何等ノ困難ヲモ要セザルベシ其他ノ場合ニ於テモ判事ハ本条ニ定メタル法律上ノ推定ヲ打破ブル為メ一切ノ事実ノ推定ヲ為スコトヲ得ベキナリ例之バ用益物タル建物ガ或ル時間全ク鎖サレ而シテ何人モ之ニ住居セザリシコト明カナル場合ノ如キ是ナリ火災ニ罹リタル建物ノ用益者ガ数人ニシテ其中何人ガ過失者ナルヤ知ルコトヲ得ベカラザル場合ニ於テハ各用益者ハ第三百七拾八条ニ定メタル原則ニ従ヒ全部ニ對シテ責任ヲ免カルルコト能ハズ此場合ニ於ケル用益者ノ義務ハ連帯ノモノニ非ラズ又不可分ノモノニ非ラズ然レトモ全部ノ義務ト称スル所ノモノニシテ前二者ニ比スレバ多少軽キモノナルコト後ニ至テ之ヲ説明スベシ
第八拾六条
本条第三項及ヒ第四項ニ従ヘバ大修繕ト小修繕ノ区別ハ甚ダ容易ナルベシ何トナレバ大修繕ノ列記ヲ為シ而シテ其他ノ修繕ハ概ネ小修繕ノ性質ヲ有セシムレバナリ
小修繕ヲ以テ用益者ノ負担ニ帰セシメタルハ二個ノ理由ニ基クモノナリ第一善良ナル管理人ハ毎年ノ所得中ヨリ此種類ノ修繕ノ費用ヲ支弁スルモノナリ然ルニ用益者ハ毎年ノ所得ヲ得ルモノナルヲ以テ通常ノ負担タル小修繕ヲ為スベキハ当然ナリ第二小修繕ハ概ネ物ノ日常ノ使用ニ依テ必要ト為ルモノナリ而シテ此使用ヲ為スハ用益者ナルガ故ニ使用ノ結果タル小修繕ハ用益者ニ於テ之ヲ為サザル可カラズ用益者ガ大修繕ノ義務ヲ負担スル例外ノ場合(第二項)ハ説明ヲ竢タズシテ解スルコトヲ得ベシ例之バ用益者居室ヲ擴ムルノ目的ヲ以テ建物ナドノ壁ヲ取除キ因テ建物ノ堅牢ヲ害シタル場合ノ如ク用益者自カラ直接ノ過失ヲ為シタルコト有ルベシ或ハ屋根若クハ水管ノ修繕ヲ怠タリ依テ重大ナル毀損ヲ生ゼシムルニ至リタルコト有ルベシ共ニ本条第二項ニ掲グル例外ノ場合ナリトス
本条ニ於テ大修繕ノ何者タルヲ示スコト甚ダ完全ナル如シト雖トモ決シテ此列記ヲ以テ全ク限定ノモノト解スルコトナキヲ要ス蓋シ立法者ガ限定ノ列記ヲ為サザル所以ノモノハ甚ダシキ不都合アルヲ以テナリ建築ノ種類ハ種々ナルガ故ニ如何ニ緻密ナル列記ヲ為スモ到底法律ノ豫想シ能ハザル修繕ヲ必要トスルコト有ルベク而シテ其修繕ハ一旦限定ノ列記ニ漏レタルトキハ如何ナル種類ノモノト雖トモ必ズ小修繕ト看做スコト已ムヲ得サルニ至ルベシ茲ヲ以テ遂ニ用益者ニ於テ之ヲ負担セザル可カラス而シテ其修繕ノ性質ヨリ考フルトキハ甚ダ重要ノモノニシテ到底毎年ノ所得ヲ以テ負担シ得ベキモノニ非ラズ之ヲ例スルニ梯子ノ全部ノ再造ノ如キ是ナリ用益者ヲシテ此等ノ修繕ヲ負担セシムルハ全ク正義ニ反シタルモノト謂ハザルヲ得ズ然レトモ他ノ一方ヨリ考フルトキハ均シク梯子ト称スルモノノ中ニ於テモ甚ダ重要ナラサルモノ有リ此等ニ至テハ必ズシモ大修繕トシテ用益者ノ負担ヲ免カレシム可キモノニ非ラズ此ニ因テ之ヲ観レバ法律ノ明記セサル場合ニ於テ其修繕ノ性質如何ニ関シテハ各場合ニ付テ裁判所ニ認定ノ権ヲ有セシムルヲ以テ最モ其宜シキヲ得タルモノト為ス
例之)バ水管ノ破壊シタル場合ニ於テ其修繕ガ大修繕ナルヤ将タ小修繕ナルヤハ一概ニ之ヲ決シ得ベキニ非ラズ必ズヤ其水管ノ性質、重要及ビ之ヲ築造シタル材料ノ如何ヲ案ジテ修繕ノ性質ヲ定メザル可カラズ
要スルニ両個ノ性質ノ修繕ヲ区別スルニ当リテ裁判所ガ標準トスベキ所ノモノハ左ノ如シ若シ修繕ノ工事ガ特ニ費用ヲ要セズシテ善良ナル管理人ハ毎年ノ所得ヲ以テ之ヲ支弁ス可キモノナルトキハ此修繕ハ用益者ノ負担タルベシ之ニ反シテ元本ヲ以テスルニ非ラザレバ支弁シ得ベカラザル如キ性質ノ修繕ナルトキハ大修繕ナリ
第八拾七条及ビ第八拾八条
第八十六条第二項ニ規定シタル二個ノ場合ノ外用益者ハ大修繕ノ義務ヲ有セザルモノナリ然ラバ此二個ノ場合ノ外ニ於テ用益者ガ自己ノ任意ヲ以テ大修繕ヲ為シタルトキハ所有者ニ向テ其費用ノ償還ヲ請求スルノ権利アルヤ若シ他人来リテ此等ノ修繕ヲ為シタル場合ニ於テハ事務管理ノ原則ニ従ヒ所有者ニ向テ費用ノ償還ヲ請求シ得ベキコト勿論ナリ然レトモ用益者ハ此場合ニ於テ所有者ノ利益ノ為ニ此修繕ヲ為シタルモノト謂フコト能ハズ寧ロ自己ノ利益ノ為メ即チ物ノ滅失ヲ防ギ以テ完全且ツ重要ノ収益ヲ得ンガ為ニ此修繕ヲ為シタルモノト謂フベシ故ニ此場合ニ於テハ主務官吏ノ原則ヲ適用スルコト能ハザルハ明カナリ
然レトモ顧ミテ一般経済上ノ利益ヲ考フルトキハ用益者及ビ所有者ヲシテ進ンデ大修繕ヲ為サシムルコトヲ要スベシ何トナレバ此修繕ヲ為サザルトキハ用益物ハ滅失スルコト明カナレバナリ
用益者ハ此修繕ヲ為スノ利益ヲ有スルコト勿論ナリトス何トナレバ此修繕ヲ為サザレバ用益物ノ滅失ト同時ニ用益権ノ消滅ヲ致セバナリ然レトモ用益権ハ終身ヲ限ルモノニシテ元来射倖ノモノナリ故ニ用益者ガ多少ノ費用ヲ為シテ大修繕ヲ終リタル後幾許モナクシテ用益権消滅シタルトキ所有者ヲシテ単純ニ此修繕ノ利益ヲ得セシムルハ至当ト謂フコト能ハズ故ニ用益者若シ大修繕ヲ為スモ何等ノ償求ヲ為スコト能ハズトセバ用益者ハ大修繕ノ必要アルモ自カラ進ンデ之ヲ為スコトナクシテ屢々建物ヲシテ毀滅スルニ放任スルコト有ルベシ
虚有者ハ自カラ進ンデ大修繕ヲ為スノ意思アルコト甚ダ多カラザル可シ何トナレバ此大修繕ヲ為スモ忽チ其物ノ収益ヲ為スコト能ハズ用益権ノ終了スル時期未ダ知リ得ベカラザレハナリ茲ニ於テ所有者モ亦却テ大修繕ヲ為サズシテ用益物ヲ速カニ滅失セシメ依テ用益権ノ消滅ヲ致サンコトヲ希望スル如キコトナシト云フ可カラス又所有者自カラ大修繕ヲ為シタル場合ニ於テハ用益者ガ長ク其幾分ヲ負担スルコトナクシテ単ニ利益ヲ受クルハ其当ヲ得タルモノニ非ラズ
以上述ブル所ノ如クナルヲ以テ本条ニ於テハ用益者ト所有者ガ費用ヲ分担スルノ方法ヲ定メタリ而シテ此分担法ハ単ニ此場合ニ止ラズ仍ホ他ニ其適用ヲ看ルベキナリ即チ用益者ハ所有者ニ毎年大修繕ノ為ニ費ヤシタル元本ノ利息ヲ償還スルモノトス若シ大修繕ヲ為シタルモノ所有者ニ非ラズシテ用益者ナルトキハ最初大修繕ノ費用ヲ用益者自カラ支弁シタルガ故ニ用益権消滅ノ時ニ至リ償還ヲ受クル権利アル可シト雖トモ仍ホ当初ノ費用ノ全額ノ償還ニ非ラズシテ惟用益権消滅ノ当時仍ホ用益物ガ此修繕ノ為ニ得タル増價額ノ範囲内ニ止マルモノトス
此ノ如ク双方ヲシテ費用ヲ分担セシムルトキハ用益者及ビ所有者共ニ大修繕ヲ為スノ利益ヲ有シ従ツテ不動産ハ滅失スルコト莫カルベシ
用益者大修繕ヲ為スモ又所有者此修繕ヲ為スモ共ニ此修繕ノ必要ナルコトヲ立合ノ上證明スルコトヲ必要ナリトシタルハ其理由容易ニ解スルコトヲ得ベシ惟二個ノ場合ニ付テ一ノ差異アルコトヲ注意スルコトヲ要ス用益者ガ修繕ヲ為サント欲スル場合ニ於テハ先ヅ修繕ノ必要ヲ證セシメ而シテ猶ホ所有者自カラ此修繕ヲ為スコトヲ欲セザルヤヲ確メザル可カラズ之ニ反シテ所有者自カラ修繕ヲ為サント欲スル場合ニ於テハ単ニ修繕ノ必要ヲ證セシムルノミナラズ猶ホ修繕ニ要スル費用ノ額ヲ證スルコトヲ要ス蓋シ此證明シタル費用ニ基キ用益者ヲシテ毎年ノ利息ヲ弁済セシムルモノナレバナリ
若シ建物ノ全部ガ朽敗ノ為メ崩壊シ又ハ事変ニ依テ毀滅シタル場合ニ於テハ之ヲ再造スルコト経済上ノ利益ニ合スルハ猶ホ大修繕ニ依テ建物ノ毀滅ヲ豫防スルト同一ナリ然レトモ此崩壊ノ場合ニ於テ右ニ説明シタル両様ノ決定ヲ適用スルコトハ単ニ此建物ノ毀滅ノ為メ用益権ノ全部ノ消滅ヲ致サザル場合ニ限ルモノトス建物全ク滅失シテ用益権消滅シタルトキハ所有者ハ固ヨリ之ガ再造ヲ為スコト莫カルベシ用益者ニ在ツテハ自己ノ處為ニ依テ自由ニ消滅シタル権利ヲ再生セシムルコトヲ得ザルガ故ニ此建物ヲ再造スル権利アラサルナリ
第八拾九条
毎年通常ノ租税及ビ公課ハ果実ノ通常ノ負担ナリトス何人ト雖トモ元本ヲ以テ此ノ如キ負担ノ弁済ヲ為スモノハ非サルベシ故ニ果実ヲ取得スル用益者ニ於テ之ヲ負担セサル可カラズ
之ニ反シテ非常ノ負担ニ至テハ此ノ如クナラス此種ノ負担ハ継續セルモノニ非ラス且ツ屢々所得ヲ以テ弁済シ得ベカラザル多額ノモノナル故ニ其権利ノ性質上時間及ビ擴狭ニ於テ制限セラレタル用益権ヲシテ此ノ如キ負担ニ任ゼシムベキニ非ラス然レトモ此等ノ負担ハ用益者ガ収益スル元本ノ減少ヲ致スモノナルガ故ニ此負担額ニ對シ毎年ノ利息ノミヲ負担スベシ
本条ニ於テ非常ノ負担ト看做スベキ二個ノ場合ヲ指定セリ然レドモ此指定モ亦、他ノ列記ノ場合ト同ジク決シテ限定ノモノニ非ラズ
強要ノ借入ハ凡テノ歴史ニ於テ其実例ヲ看ルコト尠カラズ然レトモ維新以来我政府ハ全ク斯ノ如キ方法ヲ用ヒタルコトナシ又将来ニ於テモ必ズヤ強要ノ借入ヲ為スコト莫ルベシ廣ク天下ニ向テ借入ヲ為シタルコト有リト雖トモ常ニ任意ノ募集ニ應ズルモノヨリ之ヲ借入レタルニ止マル例之バ海軍擴張ノ為メ海軍公債ヲ募集シタル如シ故ニ強要ノ借入ノ事ハ法律ニ於テ之ヲ掲クルコト必要ナキガ如シト雖トモ凡テ豫見シ得ヘキ場合ニ對シテハ明文ヲ設クルコトヲ可トスルガ故ニ強要ノ借入ニ非常ノ公課タル性質ヲ認ムルハ決シテ不当ニアラサルベシ
強要ノ借入ハ非常ノ租税ト次ノ点ニ於テ異ナルモノナリ強要ノ借入ハ原則上償還ヲ為スベキモノニシテ且ツ此償還ニ至ルマデ利息ヲ附スルコトヲ得ベシ然リト雖トモ租税ハ之ヲ強要ノ借入ニ比スルトキハ其額甚ダ小ナルベシト雖トモ之ヲ負担スル人民ニ取リテハ全ク之ヲ出捐シタルモノニシテ再ビ之ヲ取戻スコトヲ得サルモノナリ
将来ニ於テ如何ナル租税ガ非常ノモノタル可キヤノ点ニ至テハ今明文ヲ以テ悉ク之ヲ明定スルコト能ハス第一此等ノ事項ハ民法ノ主トスル所ニ非ラズシテ行政法ノ範囲ニ属スルモノナリ加之ナラズ非常ノ租税ハ常ニ政治上重大ナル事情ノ生シタル場合ニ於テ其結果トシテ之ヲ賦課スルモノナルガ故ニ此ノ如キ非常ノ場合ニ於テ立法者ガ新タニ賦課スル公課ガ虚有者ト用益者ノ間ニ争ヒヲ生セシメ得ヘキコトノ如キハ立法者ガ之ヲ考フルニ遑アラザル所ナリ然レトモ本条ノ規定ハ要スルニ将来ノ立法者カ非常ノ租税タル可キ新税ヲ定ムル場合ニ於テハ適用上ノ困難ヲ生ゼサラシムル為メ非常ノ租税タル性質ヲ明カニセンコトヲ希望スルモノナリ
今日ヨリ疑フ可カラサル点ハ租税カ非常ノ性質ヲ有スルニハ単ニ新税タルヲ以テ足レリト為サス即チ用益権ノ設定後ニ新タニ課セラレタルノミヲ以テ足レリトセズ蓋シ新税ト雖トモ多クノ場合ニ於テハ収益ノ負担タル可ケレバナリ孰レノ國ニ於テモ國家ノ必要ナル費用ハ漸次ニ増加スルヲ以テ或ハ新税ヲ課シ或ハ従来存スル租税ノ税率ヲ増スガ如キハ一般財政ニ関スル法律ノ普通ノ傾向ナリトス然レトモ是レ必スシモ人民ノ負担ヲシテ重カラシムルモノニ非ラス何トナレバ不動産ノ収入ハ常ニ増加スル傾キ有レバナリ又租税ガ非常ノ性質ヲ有スルニハ単ニ臨時ノモノタルヲ以テ足レリトセス例之バ其創定ノ当時、時期ノ指定ナクシテ之ヲ賦課シ後ニ至テ之ヲ廃シタルトキハ是レ臨時ノ租税ナルベシト雖トモ仍ホ用益者ノ負担ニ属スルコト有ルヲ得ベシ之ニ反シテ新税若クハ従来存スル租税ノ税率ノ増加ガ非常ノ事情ニ由テ必要トナリタルトキ即チ之ヲ例スルニ外國若クハ内國ノ戦争又ハ凶歳其他災害ノ為ニ此必要ヲ生シタル場合ニ於テハ縦令之ヲ創定シタル法律ニ於テ臨時又ハ非常ノ性質ヲ明示セサルトキト雖トモ仍ホ之ヲ以テ非常ノ公課ト看做スコトヲ得ベシ
本条ニ於テ「又ハ明カニ事情ヨリ生スルトキ」ト掲ケタルハ蓋シ此等ノ解釋ニ関シテ疑ヒナカラシメンガ為メナリ
第九拾条
本条ニ於テハ用益者又ハ虚有者ガ租税ヲ納ムヘキ場合ニ於テ之ヲ怠リタルトキニ当リ處分ノ方法ヲ規定シタルモノニシテ其目的トスル所一ニ國庫ノ権利ヲ明確ナラシメントスルニ在リ
本条ノ規定ハ全ク自然ニ出ツルモノナリ納税ノ義務アルモノ納税ヲ怠リタル場合ニ於テ若シ土地ヨリ生スル収益カ租税ノ辨済ヲ全フスルニ充分ナル場合ニ於テハ國ハ果実ニ関シテ其有スル先取特権ニ基キ必ズヤ此果実ヲ差押ヘ而シテ之ヲ賣却セシムベシ此点ニ関シテハ特ニ法律ヲ以テ本条ニ明示スルノ必要ナシ然レトモ果実若クハ収入ナク又ハ果実若クハ収入ハ租税ニ充ツルニ足ラサル場合ニ於テ虚有者若シ自カラ之ヲ納メサルトキハ政府ハ其土地ノ全部若クハ一部ヲ完全ナル所有権ニ於テ賣却セシムベシ而シテ其代價中ヨリ租税ノ怠納ニ属スル部分ヲ収取シ仍ホ残餘アルトキハ其元本ハ虚有者ニ属スベク収益ハ用益者ニ属スベシ
法律ガ主トシテ希望スル所ノコトハ此場合ニ於テ単ニ土地ノ用益権ノミヲ賣却セシメズシテ其完全ナル所有権ヲ賣却セシムルニ在リ何トナレハ用益権ノミヲ賣却セシメントスルモ之ヲ買フモノ甚ダ尠カル可キノミナラス一方ニ於テハ虚有者ト雖トモ又自カラ租税ヲ納メサルノ過失アリト云フヲ得ベケレバナリ
第九拾一条
保険契約ヲ為シタル場合ニ於テ被保人ハ保険ニ附シタルモノノ價格ノ割合ニ応應ジテ毎年若干ノ金額ヲ拂フベシ而シテ保険人ハ豫期ノ不幸ニ遭遇シタル場合ニ於テ一定ノ金額ヲ拂フ可キコトヲ約スルモノナリ被保人ガ毎年拂フ所ノモノヲ保険料ト称シ保険人ガ拂フ可キ所ノモノヲ償金ト称ス
本条ノ一項乃至三項ノ法文ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ヘシ
本条ハ惟虚有者カ保険ヲ約シタル場合ヲ規定スルノミ用益者ノ約シタル保険ノ場合ハ次条ニ於テ之ヲ規定セリ
立法者ハ本条ニ於テ二個ノ場合ヲ区別セリ即チ用益者ガ用益権ノ設定前ニ於テ保険ヲ約シタル場合及ビ其設定後ニ於テ之ヲ約シタル場合是ナリ
虚有者カ用益権ノ設定前ニ於テ保険ヲ約シタル場合ニ於テハ用益者ハ保険契約ノ負担ニ分任スルノ義務アリ即チ土地ノ毎年ノ負担トシテ所有者ガ拂フヘキ保険料ノ毎年ノ利息ヲ負担スルコトヲ要ス然レトモ一方ニ於テ用益者ハ此負担アルカ故ニ若シ契約ニ指定セル災害生シテ償金ヲ受取リタルトキハ用益者ハ其収益ヲ得ヘシ斯ノ如クナルガ故ニ年数ヲ経ルニ従ヒ所有者ガ拂ヒ来リタル保険料ヲ合算スルトキハ次第ニ其額増加シ従テ用益者ガ毎年辨済スベキ利息モ亦漸次ニ増加スベシト雖トモ決シテ怯ムニ足ラス何トナレハ是レ独リ用益者ノ負担増加スルノミニ非ラス虚有者ト雖トモ亦其辨済シ来レル保険料ノ元本ヲ始ヨリ負担スルモノナレバナリ
第二ノ場合ニ用益者ガ既ニ用益権ヲ得タル後虚有者ガ保険ノ契約ヲ為スモ之ガ為ニ用益者ハ何等ノ負担ニ分任スルコトヲ要セス何トナレバ保険ノ契約ハ一方ニ於テ未必ノ利益ヲ與フルト雖トモ一方ニ於テハ既定ノ負担ヲ課スルモノニシテ此ノ如キハ用益者ノ承諾ナク虚有者ノ意思ノミヲ以テ之ヲ用益者ニ課スルコトヲ得ベキニ非ラサレバナリ又一方ニ於テハ所有者ハ単ニ自己ノ有スル虚有権ノミナラス用益権ヲ合セ完全所有権ヲ保険ニ附シタル場合ニ於テハ他日保険人ヨリ償金ヲ受取ルモ自カラ直チニ之ガ収益ヲ為スコトヲ得ズ何トナレバ此場合ニ於テ所有者ハ自己ノ権利ト同時ニ他人ノ権利ヲ保険ニ附シテ一種ノ事務管理ヲ為シタル者ナレバナリ是ニ由テ之ヲ観レハ此ノ如キ場合ニ於テハ用益権ト所有権ノ評價ヲ為シ其割合ニ應シテ償金ヲ用益者及ビ虚有者ニ分配スヘキニ似タリト雖トモ民法ニ於テハ此方法ヲ用ヰズ蓋シ用益権ノ評價ハ其人ノ終身ヲ限リトスル性質ノ為ニ甚ダ困難ナルガ故ニ法律ハ他ノ方法ヲ採レリ即チ虚有者ハ保険人ヨリ受取リタル償金ノ中先ツ自カラ辨済シタル保険料ノ全額ヲ控除シ而シテ猶ホ残餘アルトキハ用益者ハ之ガ収益ノ権利ヲ有スベシ
本条第三項ハ船舶ノ保険ヲ以テ建物ノ保険ト同一視シタル者ニシテ其至当ナルコト辨ヲ竢タズ
第九拾二条
所有者自カラ用益物ヲ保険ニ附セサル場合ニ於テハ用益者ニ於テ用益物ノ完全所有権ヲ保険ニ附スルコトヲ得ヘシ是レ単ニ委任ニ基イテ之ヲ為シ得ルノミニ非ラス仍ホ委任ナキ場合ニ於テ事務管理人ノ資格ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得ヘシ此場合ニ於テハ第一項ニ於テ指示スル如ク若シ契約ノ指示スル災害ニ遇フタルトキハ用益者ハ償金ノ中ヨリ自己ノ弁済シタル保険料ノ全額ヲ引去ルベシ然レトモ仍ホ保険料ノ利息ハ用益者ノ負担タルベシ何トナレハ特ニ虚有者ヨリ之ヲ受クルコトヲ得サレバナリ若シ契約ノ事変生シタルトキハ用益者ハ其弁済シタル保険料ヲ全ク損失スベシ何トナレバ一方ニ於テハ保険人ヨリ償金ヲ受クルコト能ハズ又他ノ一方ニ於テハ事務管理ノ原則ニ基キテ虚有者ヨリ償還ヲ受クルコト能ハス虚有者ハ用益者ガ事務管理トシテ為シタル保険契約ニ付テ金銭上ニ見積ルコトヲ得ベキ利益ヲ得ルコト莫カリシガ故ニ何等ノ費用ヲモ用益者ニ償還スル義務ナケレバナリ
本条第二項ニ規定シタル場合ハ第一項ノ場合ニ比シテ更ニ適用ヲ看ルコト屢々ナルヘシ用益者ハ実際ニ於テ特ニ虚有者ノ委任アル場合ノ外完全所有権ノ價額ヲ保険ニ付スルコト罕レナルベシ多クノ場合ニ於テハ自己ノ有スル用益権價額ヲ以テ保険ニ附スヘキナリ此場合ニ於テハ用益者一人ニテ保険料ヲ負担シ而シテ此契約ニ基キ保険人ヨリ受取ルコト有ルヘキ償金ハ用益者一人ニテ全ク之ヲ取得スルモノタルコト固ヨリ論ヲ俟タサルナリ凍雹其他天然ノ事変ニ對シ特ニ収穫物又ハ産出物ノ保険ヲ約スル如キ農業ニ関スル保険ハ将来必ズ本邦ニ於テモ他ノ備荒ノ制度ト共ニ漸ヤク行ハルルニ至ルベシ而シテ此種ノ保険ハ用益権ノミヲ保険ニ附シタル場合ト同シク虚有者ニ利益ヲ與フルコトナシ故ニ右ニ掲ケタル場合ト同一ノ規定ニ従フ可キモノトス
第九拾三条
一個ノ相續ハ総則第拾六条ニ於テ説明シタル如ク財産ノ包括ナリ而シテ相續ニハ必ズ死者ガ其生前ニ於テ弁済セサリシ債務又ハ其死亡ノ時ニ於テ始メテ生シタル債務ノ負担アルモノナリ死亡ノ時ニ於テ始メテ生ジタル債務トハ葬式ノ費用遺言ヲ以テ為シタル贈與其他ノ負担ノ如キ是レナリ
相續ノ全部又ハ其一分ヲ得タルモノハ之ヲ包括承継人ト称シ被相続人ヲ代表スルモノニシテ此資格ニ於テ凡テ相續ニ属スル債務ヲ負担スヘキモノナリ
用益者カ相続全部ノ収益ヲ得タル場合ニ於テハ是レ亦包括ノ用益者ト謂フ若シ二分ノ一、三分ノ一又ハ四分ノ一ノ如キ相続ノ一分ノミノ収益ヲ得タル場合ニ於テハ之ヲ包括名義ノ用益者ト称ス
此特別ナル場合ニ於テ用益者ハ前数条ニ掲ケタル如キ負担ニ拘ハラス更ニ特別ノ負担ヲ有スルモノナリ
凡ソ相続ノ財産ハ相続ノ負担スル債務及ヒ其他ノ負担ヲ控除シ其残餘ヲ以テ組成スルモノナリトハ動カス可カラサル原則ナリ
故ニ用益者ハ相続ニ属スル債務ノ弁済ノ後即チ自己ノ権利ノ割合ニ應シテ之ヲ負担シタル後ニ非ラサレハ財産ノ収益ヲ為スコト能ハス要スルニ用益者ハ其権利ノ目的タルモノガ相続ノ全部ナルト一分ナルトニ従ヒ全部又ハ一分ノ弁済ヲ負担スベキナリ
然レトモ用益者ノ有スル所ハ単ニ収益即チ相続ノ収入ニ止マルコトヲ注意スヘシ従ツテ用益者ナルモノ有ルトキハ必ス之ト同時ニ虚有権ヲ以テ元本ヲ相続スル相続人アルコトヲ忘ル可カラス此故ニ用益者カ相続ノ債務ヲ負担スルハ其性質ニ於テモ亦其時間ニ於テモ用益権ト同一ナルコトヲ要ス即チ単ニ相続ニ属スル債務ノ毎年ノ利息ヲ弁済スベク且ツ此義務タルヤ用益権ノ継続スル間ニ止マルベシ
此論結タルヤ用益者ハ通常収入ヲ以テ弁済スヘキ負担ニ任スルモノナリトノ原則ニ合スルモノニシテ此原則ハ常ニ其適用ヲ受ケタル所ナリ蓋シ善良ナル管理人ハ債務ノ利息ヲ弁済スルニ元本ヲ以テスルコトナク必スヤ毎年ノ収入ヲ以テ之ニ充ツル者ナレバナリ
第九拾五条ニ於テ用益者カ自己ノ義務ヲ弁済スルニ当リ用フルコトヲ得ベキ種々ノ方法ヲ指示セリ
相續ノ負担タル終身年金権ノ年金又ハ養料ニ関シテハ其性質上利息ノ性質ヲ有スルモノニシテ例之バ一定ノ元本アリテ此利息ヲ生スルニ非ラズトスルモ仍ホ右ノ理由ニ依リ用益者ハ年金若クハ養料ノ全部ヲ負担スベク単ニ之ニ對シテ利息ヲ弁済スルノミヲ以テ足レリトセス惟用益者ガ相続ノ全部又ハ一分ニ付テ権利ヲ有スルニ従ヒ又負担ノ割合ニ於テ差等アル可キナリ是レ蓋シ終身年金権ノ用益権ノ場合ニ於テ年金ノ全部ヲ用益者ニ得セシメタル第五拾七条ノ規定ト照合スルモノナリ
第九拾四条
特定財産ノ用益者ハ相続ノ用益者ト異ナリテ設定者ヲ代表スルモノニ非ラス故ニ設定者ニ債務アリト雖トモ更ニ之ヲ負担スルコトナシ若シ用益権ノ目的タル不動産ガ設定者ノ為ニ抵当ニ附セラレタル場合ニ於テハ此抵当ハ用益者ニ對シテ多少ノ効力ヲ有ス可シト雖トモ是レ猶ホ真正ナル義務ニ非ラサルナリ凡テ或ル物権ノ負担ヲ有スルモノニ付テ物権ヲ取得シタルモノハ自己ノ権利ニ先タツ他人ノ権利ヲ尊敬セサル可カラス是レ純然タル不作為ノ義務ニ非ラスシテ単ニ吾人ハ他人ヲ害スヘキ一切ノ事ヲ為サザルヲ要スル普通ノ本分ニ過キサルナリ而シテ抵当権ヲ有スルモノハ其物ガ何人ノ手ニ輾轉スルモ常ニ其所在ニ追及シ其所持者ニ向テ抵当物ノ遺棄若クハ抵当債権ノ弁済ヲ要求スルコトヲ得ヘシ抵当物ノ所持者若シ両者ノ一ヲ為ササル場合ニ於テハ債権者ハ其物ヲ差押ヘ而シテ之ヲ賣却セシメ其代價ニ付テ他ノ債権者ニ先ツテ独リ債務ノ弁済ヲ受クルコトヲ得ヘシ
若シ抵当ニ附セラレタル不動産ガ他日用益権ノ目的物ト為リタルトキハ用益者ハ第三所持者トシテ債務ノ弁済ヲ為スカ然ラサレバ用益権ノ追奪ヲ免ルルコト能ハサルベシ
若シ用益者不動産ヲ自己ノ手ニ存シテ債務ヲ弁済シタルトキハ其金額ニ付テ求償ノ権利ヲ有スヘシ何トナレハ用益者ハ設定者ノ特定承継人ニシテ設定者ノ債務ヲ負担ス可キモノニ非ラサレハナリ或ハ抵当債権カ設定者ノ處為ニ生セスシテ其前ノ所有者ニ属スルコト有ルベシ此場合ニ於テハ用益者ハ直接ニ前所有者ニ對シテ求償スルコトヲ得ベシ何トナレバ是レ一身上債務ヲ有スルモノニシテ他人之ニ代リ債務ノ弁済ヲ為シタルトキハ償還ヲ為スベキコト一般原則ノ適用ニ過ギサレハナリ此場合ニ於テ用益者ハ債権者ノ有シタル他ノ担保ヲ代位ノ原則ニ基イテ取得スルコトヲ得ヘシ代位ノ事ハ義務ノ弁済ノ事項ニ関シテ審カニ之ヲ説明スヘシ
若シ用益者ガ抵当ノ効力ニ因テ用益物ノ追奪ヲ受ケタルトキハ之カ為ニ生スル一切ノ損害ハ設定者ニ對シテ賠償ヲ求ムルコトヲ得ベシ用益者ハ之ニ関シ追奪担保ノ訴権ヲ有ス可キナリ(参看第三百九拾六条及ビ財産取得編第五拾六条)
第九拾五条
本条ノ規定スル如ク一箇ノ負担ガ虚有者及ビ用益者ノ間ニ分タルル場合ハ甚ダ多クシテ既ニ第八拾七条以下ニ於テ之ヲ明示セリ猶ホ第九拾七条ニ於テ一ノ場合ヲ看ルベシ本条ニ規定シタル三個ノ方法ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ヘキナリ
第一ノ方法ハ直接ニ法律ノ希望スル目的ニ達スルモノナリ惟例之バ相続ノ負担ニ属スル債務ノ如ク用益者及ヒ虚有者ノ分担スベキ債務ガ猶ホ債権者ヨリ請求ヲ受ク可カラスシテ単ニ其期限ノ到達スルマデ利息ヲ生スヘキ場合ニ於テハ用益者ガ利息ヲ弁済スルハ虚有者ノ手ニ於テセズシテ此債権者ノ手ニ於テスルモノナルコトヲ注意スベシ
第二ノ方法ハ第一ト少シク異ナリト雖トモ帰スル所ハ皆同一ナリトス用益者ガ自カラ元本ヲ弁済シタルトキハ用益権継続ノ間此元本ノ生シ得ヘキ利息ヲ得ルコト能ハザルカ故ニ結局此元本ニ對シ毎年ノ利息ヲ拂ヒタルト同一ナルベシ
第三ノ方法ハ同時ニ用益者ト虚有者トヲシテ債務ニ同シキ財産ノ部分ヲ失ハシムル者ニシテ虚有者ヲシテ其元本ヲ負担セシメ用益者ヲシテ此元本ヨリ生スル利益ヲ失ハシムルモノナリ
第九拾六条
第六拾七条ノ明文ハ用益者ニ與フルニ第三者ニ對スル物上訴権ヲ以テシ他人ノ損害ニ對シテ用益権ノ担保ヲ為セリ然レトモ用益者ノ過失ニ依リ又ハ他人ノ感情ヲ害スルコトヲ欲セサル為メ時トシテ此ノ如キ侵奪ヲ為スモノ有ルモ訴権ヲ提起セサルコト有ルベシ然ルニ第三者ノ侵奪ニシテ用益物ニ関スルトキハ多クノ場合ニ於テ惟リ用益者ノ害タルノミナラズ仍ホ虚有者ノ為ニ甚タシク不利益ノ結果ヲ来タスコト有ルヘシ故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ用益者ガ虚有者ニ対シ責任ヲ負フヲ以テ其当ヲ得タルモノト為ス何トナレハ用益者ハ其用益物ニ関シ他人ヲシテ不当ノ占有ヲ為スニ至ラシメタルトキハ縦令其占有ハ未ダ時効ヲシテ成就セシムルニ足ラサルトキト雖トモ仍ホ善良ナル管理人ノ處為ヲ為シタルモノト云フコト能ハサレハナリ蓋シ第三拾六条及ヒ第六拾七条ノ下ニ於テ之ヲ示シタル如ク又後ニ占有ノ条ニ於テ其證ヲ論スベキ如ク法律ニ定メタル時ノ間、物ノ占有ヲ為シ而シテ法律ニ定メタル条件ヲ備フルトキハ其占有者ハ種々ノ利益ヲ有スルノミナラス就中其行使スル権利ノ名義者ナリト推定セラルルノ利益ヲ有ス而シテ此理由ニ依リ回復ノ訴訟ニ付テハ被告人タル利益ノ地位ニ立ツモノナリ
然レトモ法律ハ用益者ヲシテ自カラ此侵奪者ニ對シ訴訟ヲ為スノ義務ヲ負ハシメタルモノニ非ラズ用益者カ自カラ所有者ナラサルヲ以テ他人ニ属スル権利ヲ主張シテ訴訟ヲ為ス如キハ甚タ困難ナル可ケレバナリ故ニ用益者ガ為スヘキ所ノコトハ惟他人ノ侵奪ノ場合ニ於テハ之ヲ虚有者ニ告知スルノ一事ニ在リトス
第九拾七条
用益者ハ一ノ物権ヲ有スルモノニシテ此権利ハ自己ノ関係セサル訴訟ニ拠テ害セラルベキモノニ非ラス此ヲ以テ用益権ノ目的タルモノニ関シ所有者ガ或ハ原告トナリ或ハ被告ト為ツテ訴訟ヲ為ス場合ニ於テハ用益者ヲシテ之レニ参加セシムルコトヲ要ス
若シ訴訟ガ完全所有権ニ関スル場合ニ於テハ用益者ハ其収益ニ関シテ自カラ利害関係人タリ故ニ其訴訟ニ於テ破レタルトキハ自己ノ権利ノ性質ニ相当スル一分ヲ負担スベキコト勿論ナリ而シテ屢々述ベタル如ク此尤モ簡易ニシテ且ツ尤モ正確ナル割合ハ用益者ニ於テ其権利ノ継続スル間費用ノ毎年ノ利息ヲ弁済スルノ一事ニアリ若シ訴訟ニ勝チタル場合ニ於テ敗訴者ヨリ費用ノ償還ヲ受クルコト能ハザル場合ニ於テハ其負担ノ方法モ亦右ニ掲クルル所ト同一ナルベシ
然レトモ訴訟ニ於テ勝利ヲ失ヒタル場合ニ於テ訴訟ガ用益物ノ全部ニ関シ従ツテ用益権ハ全ク消滅シ又ハ始メヨリ更ニ成立セサリシモノト看做サルルニ至ルコト有ルベシ此場合ニ於テ若シ原則ノ嚴格ナル適用ヲ為ストキハ用益者ヲシテ其終身間利息ヲ負担セシメサル可カラズ若シ用益者自カラ此ノ如クナルコトヲ欲セハ常ニ此原則ヲ適用シ得ベシト雖トモ更ニ一方ヨリ考フルトキハ此ノ如キ永久ノ義務ヲ負ハシムルコト莫クシテ一時ニ其義務ヲ免レシムルノ方法ヲ許サザル可カラス故ニ用益者ニシテ直チニ義務ノ弁済ヲ為サント欲スルトキハ用益権ノ鑑定ヲ為サシメ此ニ因テ用益者ノ生存スベキ時間ヲ假定シ依テ虚有者ニ弁済スベキ利息ノ全額ヲ算出スベキナリ
右ニ掲クル外本条ノ二個ノ規定ハ何等ノ困難ヲ看サルベシ若シ訴訟ガ収益ノミニ関スルトキハ用益者一人ニテ其費用ヲ負担スベキコト当然ナリ之ニ反シテ単ニ虚有権ノミニ関スル訴訟ナルトキハ用益者ハ何等ノ負担ヲモ為サザル可シ
凡テ用益権カ有償名義ヲ以テ設定セラレ而シテ特ニ追奪担保ノ義務ヲ免除セサル場合ニ於テハ用益者ハ担保ノ権利ノ効力ニ依テ訴訟ノ費用ヲ分担スルコトヲ要セス何トナレハ此場合ニ於テ虚有者ガ用益者ノ権利ヲ保護スル為メ訴訟ヲ為スハ其義務ニシテ義務ノ履行ニ関スル費用ハ義務者自カラ其全部ヲ負担スベケレバナリ用益権ガ無償ノ名義ヲ以テ設定セラレ単独ニ担保ノ合意ヲ為シタル場合ニ於テモ亦之レト異ナルコトナシ
第九拾八条
判決ハ第三者ヲ害スルコトナク又之ヲ利スルコトナシトハ法律上ノ一大原則ナリ故ニ若シ虚有者ガ完全所有権ニ関シ又ハ用益権ニ関シ訴訟ヲ為シ而シテ用益者ヲ参加セシムルコト莫カリシ場合ニ於テハ縦令訴訟ノ勝利ヲ失フモ用益者ノ権利ハ為ニ何等ノ損害ヲ受クルコトナカル可シ之レト同一ノ理ニ基キ若シ虚有者ガ一人ニテ完全所有権又ハ虚有権ニ関シ訴訟ヲ為シ而シテ敗訴スルコト有ルモ此判決ハ更ニ虚有者ヲ害スルコトナカル可シ
又用益者及ヒ虚有者ハ訴訟ニ参加セシメラルルヲ竢タス自カラ権利ト利益トヲ保護スル為メ進ンデ訴訟ニ参加スルコトヲ得ヘシ
然レトモ用益者ト虚有者トヲ論セス一人ニテ訴訟ヲ為シ而シテ勝利ヲ得タルトキハ右ニ掲ケタル判決ノ効力ニ関スル原則ハ召喚セラレサリシ者ノ利益ニ於テ多少ノ変更ヲ受クルモノナリ即チ召喚セラレサリシモノハ此判決ノ利益ヲ受クヘシ何トナレハ用益者及ヒ虚有者ノ間ニ存在スル権利ノ関係ニ依リ法律ハ一人カ原告又ハ被告トシテ訴訟ヲ為シタル場合ニ於テ他人ノ利益ノ為メ事務管理ヲ為シタルモノト看做スコトヲ許ス可キナリ然ルニ事務管理ノ性質中代理ト尤モ異ナルハ左ノ一点ニ在リ即チ事務管理人ガ本人ヲ代表スルハ単ニ本人ノ為ニ利益ナルコトヲ為シタル点ニ於テスルモノニシテ本人ニ不利益ノ効力ヲ生スル点ニ於テハ是レガ代理タルモノニ非ラサルナリ
実際ニ於テ次ニ掲クル如キ場合生スルコトヲ得ヘシ例之バ用益者用益権ノ回復ノ訴ヲ受ケ而シテ虚有者ヲ訴訟ニ参加セシムルコトナク敗訴ニ帰シタルトキハ訴訟ノ結果ハ虚有者ヲ害スルコト能ハズ之レニ反シテ用益者ハ全ク此判決ノ為ニ拘束セラルルモノナリ此ニ於テ其結果ハ勝訴者ハ用益者ニ代リ物ノ収益ヲ為スベク而シテ右ノ用益者ガ其用益権ヲ失フ可キ消滅原因生ゼサル限リハ虚有者ヨリ此勝訴者ノ収益ニ對シテ故障ヲ為スコトヲ得サルベシ惟更ニ他ノ事情ニ因テ虚有者ト此勝訴者トノ相互ノ利益抵触シタルトキハ固ヨリ此限リニ非ラサルナリ
第四款 用益権ノ消滅
第九十九条
本条ニ於テ用益権ノ消滅ノ原因トシテ先ツ掲クル所ノモノハ第四十二条ニ於テ所有権消滅ノ原因トシテ既ニ列記シタル所ノモノナリ
第四十二条ニ列記シタル各種ノ場合ニ関シテハ詳細ノ説明ヲ必要トセス
第一 用益権ハ譲渡スコトヲ得ヘシ故ニ譲渡ハ用益権消滅ノ原因ナリ然リト雖モ用益権ノ譲渡ハ従来ノ用益者ニ對シテノミ用益権ヲ終了セシムルモノナルコト明ナリ故ニ譲渡ノ場合ニ於テハ用益権ハ譲受人ノ手ニ尚ホ存在スヘシ用益権カ全ク終了シ何人モ之ヲ有スルモノナキニ至ルハ用益者ノ死亡若クハ当初定メタル期限ノ到来シタル後ニアリ
第二 添付モ亦タ用益権消滅ノ原因タルコトアルベシト雖モ添付ノコトハ獨リ用益権ニ関スルノミナラス尚ホ完全所有権ニ関スルモノニシテ財産取得編中ニ之レヲ規定スヘキモノトナシタルヲ以テ今特ニ用益権ニノミニ付イテテ之ヲ論スヘキニ非ス
第三 没収モ用益権ヲ消滅セシムルモノナリト雖モ其然ルハ用益者ガ没収ノ刑ヲ科スヘキ犯罪ノ正犯又ハ従犯トシテ之ニ與カリタル時ニ限ルモノナリ若シ然ラスシテ用益者之ニ関スルコトナク只所有者ノミ獨リ刑罰ヲ受クヘキ場合ニ於テハ没収ハ用益権ニ及フコトナシ前段ノ場合ニ於テ用益権ヲ没収シタルトキハ國ハ恰モ用益権ヲ譲受ケタルカ如クニ之ヲ行使スヘク後段ノ場合ニ於テハ用益権ハ依然従来ノ用益者ニ存スルヲ以テ國ノ所得セル財産ニ付テ収益ヲナスヘシ若シ亦用益物カ法律ニ於テ禁制シタル物件ナルカ為ニ没収セラレタルトキハ用益権モ等シク消滅スヘシ
第四 解除鎖除廃罷ノ訴権ノ為ニ用益権ノ消滅スルハ次ニ掲クル二箇ノ場合ニ於テスルモノナリ
(一) 用益権ノ設定カ右ニ掲クル三個ノ訴権中ノ一ヲ提起セラルヘキ原因ヲ有スルトキ假令ハ賣買ヲ以テ用益権ヲ設定シタル場合ニ於テ買主ガ代價ヲ弁済セサルトキハ用益権ハ解除セラルルコトヲ得ヘシ又用益権ヲ設定シタルモノ無能力ナリシトキ若クハ其承諾ニ錯誤強暴ノ如キ瑕瑾アリシトキハ是ニ因テ用益権ヲ鎖除スルコトヲ得ヘク若又用益権設定者ノ債権ヲ詐害シテ用益権ヲ設定シタルトキハ廃罷ノ訴権ヲ免ルル能ハサルヘシ
(二) 用益権ヲ設定シタルモノノ所有権カ解除鎖除又ハ廃罷ヲ受クベキトキハ用益権モ亦之ヲ免レサルヘシ何トナレハ此場合ニ於テハ何人モ已ニ有スル権利ニアラサルヨリハ他人ニ付與スルコトヲ得ストノ原則ノ適用ニヨリ所有者ニ非ラサルモノヨリ譲渡タル用益権ハ其設定者ノ権利ト共ニ消滅スヘキナリ
第五 用益権ノ抛棄ハ用益権ニ特別ナル消滅原因ノ一ニシテ本条第三号ニ掲クル処ナリ然レトモ抛棄ニ因テ用益権ノ消滅ヲ致スハ用益者自ラ抛棄ヲナスコトヲ必要トナス所有者一人ノ為シタル抛棄ハ用益権ヲ消滅セシムルモノニアラス
第六 用益物ノ滅失ハ第百六条乃至第百八条ニ於テ其用益権消滅ニ及ホス効力ヲ規定セリ此点ニ関シテモ亦直チニ第四十二条第六号ヲ適用スベキニ非ラス
本条ニ於テ列記セル五個ノ消滅原因ニ至ツテハ法文ニ於テ悉一之レカ規定ヲ為セリ
本法ニハ混合ヲ以テ特ニ用益権ノ消滅原因中ニ掲ケサルヲ見ルヘシ混合トハ所有権ト用益権ト一人ノ手ニ合スルヲ云フ
如斯所有権ト用益権ト一人ニ合スルハ虚有者ノ手ニ於テスルコトアリ用益者ノ手ニ於テスルコトアリ或ハ第三者此両権ヲ併有スルコトアルベヘシ
所有者カ用益権ヲ合スルハ用益権カ既ニ前ニ掲ケタル原因ノ一ニ依テ消滅シタル場合ナリトス或ハ用益者カ其権利ヲ虚有者ニ譲戻シタル場合タルヘシ此場合ニ於テハ実ニ用益権ノ抛棄ニ外ナラサルナリ或ハ用益権カ解除鎖除又ハ廃罷ヲ受ケテ虚有者ノ権利ヲ完全ナラシメタル場合アルヘシ之レ亦用益権消滅シタル為ニ収益ノ権利所有者ニ復帰シタルノミ故ニ右ノ如キ場合ニ於テハ所有権ト用益権ノ併合ハ用益権ノ一種ノ消滅原因ヲ為スモノニ非ラサルナリ
第二ノ場合即チ用益者所有権ヲ合スル場合ハ用益者ガ売買相続其他ノ方法ニ依リ虚有者トナリタルトキニ生スルモノナリ此場合ニ於テ用益者カ用益権ト虚有権ヲ併有スルハ素ヨリ明カナリ然レトモ是ヲ以テ真ニ用益権ノ消滅ヲ致シタリト云フヘキヤ用益者ハ此時以後収益ヲ為スノ点ニ於テ他人ノ監督ヲ受クルコトヲ要セス従来用益者トシテ為ス能ハサリシコトモ所有者トシテ之ヲ為スコトヲ得ヘシ
又用益者カ曽テ所有者ニ對シ義務ノ担保トシテ提供シタル証人ハ義務ヲ釈放セラレ質又ハ抵当ハ消滅スヘシ何トナレハ用益者ト所有者トハ同一ノ人ナルヲ以テ其ノ間ニ義務ナルモノアルヘカラス従テ担保ヲ要スルノ理ナケレハナリ然レトモ用益者カ曽テ其権利ヲ譲渡賃貸又ハ抵当ト為シタルコトヲ仮定セハ何人ト雖モ用益者カ虚有権ヲ取得シタルカ為メ用益権ヲ消滅セシメ従テ其ノ曽テ第三者ニ與ヒタル権利ヲ消滅セシムルコトヲ信スルモノアラサルヘシ之ニ依リテ是ヲ観レハ用益者カ虚有権ヲ取得シタル場合ニ於テモ用益権ハ原則上尚ホ存スルモノナリ然レトモ用益権カ第三者ノ利益ノ為メ或ル合意ノ目的ト為リタル場合ニアラサレハ此注意ヲ為ス利益アラサルナリ
第三ノ場合即チ第三者カ同時ニ所有権及ヒ用益権ヲ取得シタル場合ニ於テハ用益者ハ所有権ノ取得者ノ為ニ用益権ヲ抛棄シタルモノト見做サルルヲ以テ到底第一ノ場合ト異ナルコトナシ
第百条
用益者ノ死亡ノ為メ消滅ヲ致スハ尤モ通常ニシテ且最モ屢々見ル所ノ場合ナリ何トナレハ用益権ハ本来用益者ノ終身ヲ限リトスル権利ナレハナリ
然ルニ已ニ述ヘタル如ク(第四十八条)用益権ハ同時ニ数人ノ終身ヲ期シテ之ヲ設定スルコトヲ得ルモノナリ只此場合ニ於テハ数人ノ用益者カ用益権設定ノ当時已ニ出生シ若クハ既ニ胎内ニ在ルコトヲ必要ト為スノミ
本条ニ規定スル場合ハ数人ノ用益者ガ順次ニ物ノ収益ヲ為ス権利ヲ得タル場合ニ非ラスシテ同時ニ且不分ニテ即チ用益物ニ付キ各自ノ収益スヘキ部分ヲ指定スルコトナク是権利ヲ得タル場合ナリ此場合ニ於テハ法律ニ於テ特ニ決定スルコトヲ必要トナス一個ノ問題生ス即チ用益者中ノ一人若クハ数人ノ死亡ハ如何ナル効力ヲ生スルモノナルヤノ問題是レナリ
皮想ノ見ヲ以テスルトキハ死亡シタル用益者ノ持分ハ虚有者ニ復帰スヘキコト尤モ正当ナル論決ナルカ如シ然レトモ外国法律ニ於テハ概シテ羅馬法ノ理論ニ基キ全ク前ニ掲クル処ニ反スル論決ヲ認メタリ今本条ニ於テ掲クル所ノモノ又此ノ論決ニ外ナラス之レ実ニ用益権ヲ設定シタルモノノ意思ニ合シタル論決ト謂ハサルヲ得ス
其論決ヲ説明スルコト左ノ如シ今一人ノ遺嘱者アリテ假令ヘハ夫婦又ハ兄弟等ノ如ク二人ノ人ニ用益権ノ遺嘱ヲ為シタル場合ヲ仮定センニ若シ遺嘱者ノ生存中ニ用益権ノ受嘱者ノ一人カ死亡シタルトキハ何人ノ説ニ従フモ是ノ死亡者ニ帰スヘキ部分ハ増加ノ原則ニ由リテ他ノ一人ノ受嘱者ノ部分ニ合スヘキコト更ニ疑ヒナキ所ナリ然ルニ此結果ハ遺言者ノ豫メ其心中ニ於テ期セサルヘカラサル所タル以上ハ仮令用益権受嘱者ノ死亡カ遺言者ノ死亡後ニアリトスルモ右ニ掲クル結果ヲ以テ等シク遺言者ノ豫期シ且承認シタル所ト推定スルハ尤モ其当ヲ得タルモノト云ハサルヘカラス
此規定ノ利益トスル所ハ二個ノ類似セル場合ニ對シテ同一ノ決定ヲ為スノ一事ニ止マラス尚ホ用益権ノ一部分ヲ虚有者ニ復帰セシメ依ツテ用益権ノ一部ノ消滅ヲ致スカ如キコトナカラシムル点ニアリ蓋シ用益権一部ノ消滅ハ他日紛争及ヒ訴訟ヲ生セシムルノ原因タルヘキノミ
第百一条
法人ノ何者タルコトハ已ニ総則ニ於テ之ヲ説明シタリ故ニ会社市町村ノ如キハ法人ニシテ是等ノ法人ハ有効ニ用益権ヲ取得スルコトヲ得ヘシ然ルニ是等ノ法人ニ至ツテハ永久ニ存在スルモノニシテ非常ノ原因アルニ非ラサレハ消滅スルモノニアラス或ハ其存在永久ナラサルモノト雖モ尚ホ各人ノ生命ニ比スレハ甚タ長キ生命ヲ有スルコトヲ得ヘシ故ニ若シ法律ニ於テ特別ノ規定ヲ設ケス各人ト等シク是等ノ法人ニ終身ヲ期シテ用益権ヲ有スルコトヲ得セシメハ其用益権ハ会社ニ於テハ人ノ数代ノ間継続スヘク市町村ノ場合ニ於テハ遂ニ永久ノ用益権タルヘシ如斯ハ実ニ虚有権ノ價値ヲシテ非常ニ減少セシメ或ハ全ク有名無実ノモノタラシムルニ至ルヘシ故ニ本条ニ於テ法人カ用益者タル場合ニ特別ナル用益権ノ期間ヲ明定シタリ
此期間ヲ三十年ト定メタルハ立法者之ヲ相当ト認メタルニ由ル蓋シ三十年ハ人類ノ平均年齢ニ外ナラサレバナリ
第百二条
第九十九条第三号ニ於テ抛棄ヲ以テ用益権消滅ノ原因ト定ムルニ当リ其抛棄ガ用益者ノ明示シタルモノナルコトヲ必要トナセリ蓋シ法律ハ用益者カ抛棄ヲ為シタルモノナルヤ否ヤニ就テ疑アルコトヲ欲セサレハナリ故ニ苟モ明示シタル場合ノ外ハ才判所ニ於テ単純ナル事実ノ推定ニ依リ抛棄ヲ認ムルコト能ハサルモノトス本条ハ二個ノ規定ヲ掲クルト雖モ其精神トスル処ハ左ノ一点ニ帰着スルモノナリ即チ用益者ノ為シタル抛棄ハ何人ヲモ害スルコトヲ得ス今用益者カ已ニ弁済スヘキ義務アルニ当リ用益権ヲ抛棄シテ此義務ヲ虚有者ノ負担ニ帰セシムル如キアラハ之レ用益者ノ抛棄ニ因テ虚有者ニ損害ヲ加フルモノナリ如斯キハ本條ノ許ササル所ナリ用益権ノ抛棄以前ニ於テ用益者カ弁済スヘキ義務ハ用益者ガ已ニ得タル収益ト相對スルモノニシテ要スルニ其已ニ取得シタル果実ノ負担ナリ故ニ用益者ハ将来ニ向ツテ其権利ヲ抛棄スルモ既往ノ収益ノ負担タル義務ハ之ヲ免ルルコト能ハス又用益者ト用益物ニ関シ合意ヲ為シ或ハ賃借金又ハ抵当ノ如キ物件ヲ得タル第三者ニ至テモ亦用益者ノ為シタル抛棄ノ為メ損害ヲ受クヘキモノニ非ラサルナリ
或ハ以上ニ掲クル外尚ホ用益者ノ抛棄ニ因テ損害ヲ蒙ムルヘカラサル一種ノ人アルコトヲ信スルモノアラン即チ用益者ノ無特権債権者是ナリ是等ノ債権者ハ用益者ノ資産ヲ以テ共同ノ担保トナスモノナルカ故ニ用益者ニシテ用益権ヲ抛棄スルトキハ為ニ其資産ヲ減少シ因テ損害ヲ蒙ムルコトアルヘキナリ
然レトモ単ニ人権ノミヲ有スル無特権債権者ト特権タル抵当ノ担保ヲ有スル債権者トノ間ニハ著シキ差異ノ存スルアリ蓋シ抵当権ヲ有スル債権者ニ對シテハ用益者カ仮令ヒ善意ヲ以テ抛棄ヲ為シタルトキト雖モ此抛棄ハ当然効力ヲ有セサルモノナリ之ニ反シテ債権者如斯キ担保ヲ有セサルトキハ用益者ノ為シタル抛棄ハ之ニ對シテ有効ナルヲ原則トナシ只廃罷ノ為ニ無効ニ帰スルコトアルヘキノミ而シテ此廃罷ハ用益権ノ抛棄ガ債権者等ノ権利ヲ詐害シテ為サレタル場合ニ非ラサレハ請求スルコトヲ得ス如斯両者ノ間ニ差異アル所以ノモノハ無特権債権者ノミヲ有スル債務者ハ依然自由ニ其資産ヲ處分スル権利ヲ保有スルノ理ニ基クモノナリ故ニ是等ノ債権者ハ債務者ノ所為ニヨリ其資産ノ増減ニ従ツテ利害ヲ受クルコト当然ニシテ苟モ其権利ヲ詐害スルノ意思ヲ以テ債務者ノ為シタル所為ノ外ハ総テ其結果ヲ甘受セサルヘカラス
本条ノ明文ニハ単ニ用益権ノ抛棄以前ニ於テ已ニ物権ヲ取得シタル第三者 ヲ害スルコトヲ得スト明記セリ故ニ此明文ヲ以テスルモ物権ヲ有セサル普通ノ債権者ハ普通法ノ規定ニ従フヘキコト勿論ナリ
権利者ヲ詐害シテ為シタル所為ニ関スル廃罷訴権ノ理論ハ本編第弐部(第三百四十条以下)ニ於テ之ヲ見ルヘシ
第百三条
不使用トハ其文字ニ依リテ知リ得ヘキ如ク用益者カ其権利ヲ行使スルコトナカリシヲ云フ若シ如此用益者其権利ヲ行使スルコトナクシテ三十年ニ至ルトキハ法律ハ用益権為ニ消滅シタリト宣言ス而シテ此不使用ハ如何ナル場合ニ於テモ使用権ヲ消滅セシムルモノニシテ用益者カ用益権ノ行使ヲ為ササリシハ其権利ノ存スルコトヲ知ラスシテ然リシヤ将タ之ヲ知リテ尚ホ使用ヲ為ササリシヤヲ区別スルノ必要ナシ亦権利ノ行使ヲ為ササリシハ全ク任意ニ出テタルカ或ハ自己ノ意志ニ関係ナキ事情ノ為ニ妨ケラレテ然リシヤヲ問フコトヲ要セズ蓋シ其原因ノ如何ニ拘ハラス已ニ用益者ノ為ニ利益ナキ以上ハ徒ニ用益権ヲ存セシメテ著シク所有権ノ價額ヲ減少セシムルコトハ法律ノ欲セサル所ナリ用益権ノ不使用ハ時効就中義務ノ消滅ニ関スル免責ノ時効ト甚タ相似タル所アリ不使用ノ期間ハ時効ト同シク亦不使用ニ必要トスル所ハ権利者カ其権利ヲ行ハサルノ一事ニアツテ不使用ノ為ニ利益ヲ受クヘキ者(本条ノ場合ニ於テハ虚有者)カ占有ヲ為シタルコトヲ必要トセス不使用ニ基ク消滅ハ当然ニ生スルモノニ非ラスシテ用益者ニ對シ特ニ援用スルコトヲ要ス亦本条ニ規定スル如ク不使用ハ之ニ對シテ時効ヲ援用スルコトヲ得サル人即チ未成年等ノ如ク時効ノ停止ノ利益ヲ受クヘキ人ニ對シ對抗スルコトヲ得ス
不使用ト時効トヲ殆ント同一ノモノト見做スカ故ニ不使用ハ時効ト等シク三十ヶ年ノ満了ニ先タチ虚有者又ハ収益ヲ侵奪シタル第三者ニ對シ用益者カ才判所ニ為シタル請求ニ因テ中断スト論決スヘシ又時間ノ計算ニ関スル問題ハ不使用ニ付テモ時効ノ場合ニ於ケルト同一ノ規定ニ従テ決定スヘシ
然シ凡不使用ト義務ノ免責ノ時効トノ間ニハ尚ホ幾多ノ差異アルハ云フヲ俟タスシテ明カナルヘシ之ヲ例スルニ虚有者ハ用益者ニ對シテ不使用ヲ援用スルニ当リ用益者カ未タ抛棄又ハ譲渡等ヲ為シタルコトアラサルヲ認メタル時ト雖モ、尚ホ不使用ノ利益ヲ失フコトナカルヘシ(参看証拠編第九十六条)
第百四条
収益ノ濫妄ニヨル用益権ノ廃罷ハ一見スルトキハ用益権ニ特別ナル消滅原因ノ如クナリト雖モ其実強チニ然ルニ非ス総テ一己ノ権利ニ或ル条件ヲ付シタルトキ此権利ヲ行フ者其条件ヲ履行セサルトキハ此不履行ノ為ニ権利ヲ解除スルハ一般ノ原則ニシテ用益権ノ廃罷モ亦此原則ヲ適用シタルモノナリ用益権ト相類スル賃借権ノ場合ニ於テモ亦此原則ノ適用ヲ見ルへシ用益者ノ収益ノ濫妄ノ場合ニ於テ虚有者ノ利益ノ為ニ本条ニ定メタル保管ノ處分ハ他ノ場合ニ於テモ屢々適用ヲ見ル所ノモノナリ只通常保管ノ處分ハ所有権争訟ニ係ル物権ニ付テノミ適用シ且其争訟ノ継續スル間ノミ此處分ヲ為スト雖トモ本条ノ場合ニ於テハ保管ハ用益権ノ消滅スル迄継続スルコトヲ得ヘキナリ
才判所カ用益物ノ保管ヲ命スルト用益権ノ廃罷ヲ命スルトハ一ニ事実ノ軽重ニ依ツテ定マルヘキ処ナリトス
法律ハ本条ニ於テ保管又ハ廃罷ノ原因ト為スニ足ルヘキ用益者ノ二種ノ過失ヲ指示ス而シテ本条ノ處分タルヤ民事上ノ責罰ヲ科スルニアルヲ以テ本条ノ法律ハ現定ノ性質ヲ有スルモノト見做シ明文以外ノ場合ニ之ヲ適用セサルコトヲ要ス
第一ノ場合ハ一時又ハ長カラサル時間ニ用益物ニ加ヒタル毀損ニシテ殆ント収補スヘカラサル性質ヲ有スル場合ナリ仮令ハ大樹林ノ採伐ヲ為シタルカ如キ是ナリ第二ノ場合ハ継続シタル過失ニシテ遂ニ用益物ノ滅失ヲ致スヘキモノヲ云フ而シテ法律ノ規定ニ従ヒバ此種ノ過失ハ分チテ二ト為スコトヲ得ヘシ第一ハ保存ノ虧缺ニシテ用益者ニ於テ為スヘキ義務アル修繕ヲ為ササルヲ云フ第二ハ収益ノ濫妄ニシテ其種類一ナラサルヘシ之ヲ例スルニ鋼鑛又ハ石鑛ノ採掘ヲ過度ニ擴張スルカ如キ或ハ用益物タル獣畜ヲシテ過度ノ生殖ヲ為サシムルカ如キ是ナリ
土地ノ耕作ヲ為スニ当リ種々ノ方法ヲ以テ過度ナル収穫ヲ生セシムル如キハ収益ノ濫妄ト稱スルコトヲ得ス何トナレハ如此方法ヲ用ユル時ハ一時土地ノ生産力ヲ減スルコトアルハ明カナリト雖モ未タ之レガ為ニ土地ノ保存ヲ危フシ又ハ将来永久ノ生産力ヲ害スルモノニアラス
才判所カ用益権ノ廃罷ヲ宣告スルトキハ之カ為ニ用益者ヲシテ全ク利益ヲ失ハシムルニアラス蓋シ用益権ノ廃罷ハ其目的トスル所虚有者ニ担保ヲ得セシムルニアリ故ニ用益者ヲシテ用益物ヲ毀損シ又ハ其保存ヲ危フスルコト能ハサラシメハ即チ足ルヘシ反ツテ此廃罷ノ為ニ虚有者ヲシテ利益ヲ得セシムルカ如キハ決シテ至当ト云フコトヲ得ス
是故ニ廃罷ノ場合ニ於テハ才判所ハ年々ノ収益中虚有者ヨリ用益者ニ払フヘキ部分ヲ金額又ハ果実ニ付テ定ムルコトヲ要ス
才判所ハ廃罷ヲ宣告シタルトキハ用益権ハ法律上消滅シタリト雖モ其実寧ロ用益権ハ年々果実ノ幾分ヲ請求スル債権ニ変シタリト云フコトヲ得ヘシ故ニ此債権ニハ嘗テ存シタル用益権ト同一ノ期限ヲ付スルコトヲ要ス従ツテ用益者死亡スルカ又ハ用益権ノ為ニ定メタル期間満了スルトキハ此債権ハ消滅スヘシ用益物カ所有者ノ手ニ於テ其過失ナクシテ滅失シタルトキモ亦同シ用益者カ毀棄ヲ為シタルトキハ是ニ因テ債権ノ消滅ヲ致スコト素ヨリ言フヲ俟タス然レトモ収益ノ濫妄ニ至ツテハ再ヒ其問題生スルコトヲ得ス不使用ニ至テハ全ク真正ナル免責ノ時効ト変スヘシ而シテ其期間ハ甚タ短ク総テ年賦債権ニ於ケルカ如ク単ニ五ヶ年ニシテ成就スルモノナリ然レトモ此ノ時効ハ満期トナリタル各年額ニ付テ特ニ成就スルモノニシテ其他ノ年額ニ効力ヲ及ホスモノニ非ズ
本条第二項及ヒ第三項ニ付テハ詳細ノ説明ヲ要セス只一二ノ注意ヲ以テ足レリトナス
才判所カ用益権ノ廃罷ヲ為シタル当年ノ果実及ヒ所得ニ付テ用益者ノ得分トナル可キモノヲ定ムルニ当テハ宜シク用益者カ已ニ為シタル耕作其他ノ費用ト当年ニ於テ生スヘキ見積収穫トヲ斟酌ス可シ然リト雖モ翌年以後毎年虚有者ヨリ用益者ニ弁済スヘキモノニ関シテハ一定ノ平均額ヲ定メ而シテ所有者カ耕作等ノ為メニ費スヘキ所ヲ斟酌スルコトヲ必要ト為ス
本条第三項ノ適用ニ関シテ先ツ注意ヲ為スコトヲ要ス単ニ文字ニノミ拘束セラルルトキハ第三項ハ用益者カ金額ヲ以テ収益ノ幾分ヲ受クル場合ニノミ適用スヘキ如シト雖モ其実然ルニ非ス宜シク第一項ト同一ノ意義ニ解釈スルコトヲ要ス即チ用益者カ金銭ヲ以テ弁済ヲ受クルモ或ハ果実ノ現物ヲ以テ弁済ヲ受クルモ常ニ第三項ノ規定ヲ適用スルコトヲ要ス
故ニ用益権廃罷ノ場合ニ於テ用益者カ所得ノ部分ヲ取得スル時ニ関シテハ金銭ナルモ現物ナルトヲ問ハス本条ハ法定ノ果実ノ取得ニ関スル原則ヲ適用セリ即チ日割ヲ以テ取得スルコトト定メ其年ノ初ヨリシテ其時迄ノ日数ヲ計算シ之ニ基テ用益者ノ得分ヲ定ム可シ但或場合ニ於テハ未タ収穫ノ期節ニ至ラサルコト有ル可シ此ノ如キ場合ニ於テハ弁済之期ヲ収穫ノ時迄延ハス可キノミ
原則上用益者カ天然ノ果実ヲ取得スルハ果実ノ土地ヨリ分離シタル時ニ於テスルモノナルカ故ニ本條ノ場合ニ於テモ亦タ第五十二条ニ掲クル此原則ヲ適用スルコト立法上固ヨリ為シ得ヘキ所ナリ然ルニ本條ニ於テ茲ニ出スシテ特ニ規定ヲ為シタルモノハ蓋シ用益権廃罷セラルルトキハ用益者ノ地位ハ其以前ト甚タシク変更シタルカ故ニ右ノ原則ヨリ当然ニ生スル未必ノ得失利害ニ任セシメサルヲ以テ可トスレハナリ然ノミナラス此場合ニ於テハ曽テ述ヘタル如キ弊害生スルコト甚シカラス何トナレハ用益者又ハ其相続人カ日割ヲ以テ取得スルハ単ニ用益権ノ終了スル最後ノ一年ニシテ其一年ノ収穫ノ計算ヲ為スノ必要アルノミ其以前ニ在テハ用益者ハ全年存在スルヲ以才判所カ豫メ一定シタル部分ノ全額ヲ取得スヘケレハナリ
用益者カ本條ニ従テ有スル有スル三箇ノ権利ヲ明瞭ナラシムル為メニハ一箇ノ設例ヲ掲クルコトヲ要ス可シ
今用益者カ収益ノ濫妄ヲ為シタルニ依ル或ル年ノ中途ニ於テ其用益権廃罷セラレ而シテ尚ホ其翌年ヨリ満三年ヲ経過シ其次年ノ三分ノ二ニ相当スル時ニ至リテ用益権ヲ消滅セシムル他ノ原因生シタルト仮定ス可シ
右ノ場合ニ於テ用益者カ得ル所ハ左ノ如シ第一用益権廃罷ノ年ノ果実ニ付テハ其収穫ノ全部中才判所カ用益者ノ使用シタル耕作其他ノ費用ト廃罷ノ時日トヲ斟酌シテ定メタル部分ヲ取得ス可シ第二翌年ヨリ三ヶ年間ハ才判所カ各収穫ノ後所有者ヨリ用益者ニ弁済スヘキモノト定メタル果実ノ部分ヲ取得スヘシ第三最後一年ニ在テハ三分ノ二ヲ経過シテ用益権消滅ノ原因生シタルニ依リ右ニ掲クル果実ノ部分ノ三分ノ二ヲ取得スヘキナリ
第百○五条
前条ニ掲クル如ク用益者カ用益物ヲ毀損シタル等ノ場合ニ於テ用益権ノ廃罷ヲ為スハ主トシテ将来ニ向テ虚有者ノ利益ヲ担保スルニ在リ故ニ其以後ニ於テ損害ヲ生セサラシムルニ足ルヘシト雖モ其当時已ニ生シタル損害ニ至テハ用益者ニ於テ尚ホ之ヲ賠償スルコトヲ要ス例ヘハ用益者カ大樹林ノ木ヲ採伐シタル為メ廃罷ヲ受ケタル場合ニ於テ此採伐ノ為メ價額ノ重要ナル部分ヲ失ヒタル用益地ヲ返還スルモ未タ所有者ノ損害ヲ償フモノニ非ス又獣畜ヲ以テ用益物ト為シタル場合ニ於テ過度ノ生殖ヲ為サシメタル為メニ其用ヲ為ササルニ至リ依テ用益権ノ廃罷アリタルトキ或ハ車輌又ハ運送ノ用ニ供シタル牛馬等ノ用益権ノ場合ニ於テ過度ノ使役ヲ為シテ用ニ堪サルニ至ラシメ依テ廃罷ヲ受ケタルトキモ亦タ前ニ述ヘタル場合ト同シク現存ノ用益物ヲ返還スルモ所有者カ受ケタル損害ハ未タ償フ所アラサルナリ故ニ所有者ニ於テ已ニ損害ノ生シタルコトヲ証明スルニ於テハ才判所ハ其賠償ノ為メ用益者カ弁済スベキ金額ヲ決定スヘキモノトス
第百六条
物ヲ分テ主タルモノ及ヒ従タルモノト為スコトハ已ニ第十五条ニ於テ示シタル所ナリ本条ハ実ニ此物ノ区別ヲ適用シタルモノナリ若シ一箇ノ建物ヲ以テ用益権ノ主タル目的物ト為シタルトキ其建物ノ全部毀滅セハ用益権之カ為メニ終了スルコト勿論ナリ之ニ反シテ建物ハ唯用益物ノ従タルニ過キサルトキハ其毀滅ハ未タ用益権ノ消滅ヲ致スモノニ非ス蓋シ主タル用益物タル土地滅失セサル以上ハ用益権ハ建物ノ存セサル土地ノ部分ニ於テ継続スルノミナラス建物ノ敷地ニ存ス可ク且建物ノ毀滅シタル後ニ残存スル物料モ亦タ用益権ノ目的タルヘキナリ
第百七条
用益物ノ公用徴収ノ場合ニ於テハ政府ノ拂フヘキ償金ハ実ニ用益物ヲ代表スルモノタルコト更ニ疑フ可ラス果シテ然ラハ用益者ハ以後終身間此償金ニ付テ収益ヲ為ス可ク是ニ於テカ従来不動産ヲ以テ目的物ト為シタル用益権カ変シテ金銭ヲ以テ目的物ト為ス用益権トナル可シ而シテ是固ヨリ至当ナル所ナリ何トナレハ用益物ヲ代表スル金銭アル以上ハ其収益ノ用益者ニ属スルハ勿論ニシテ若シ之ヲ虚有者ニ得セシメハ虚有者ハ公用徴収ノ為メニ不当ノ利ヲ得ヘケレハナリ
右ノ点ニ付テ一ノ注意ヲ要スルモノアリ公用徴収ノ場合ニ於テ用益権ノ目的物ハ前ニ述ル如ク全ク変更スルヲ以テ若シ当初用益物タリシ不動産カ公用徴収ノ後ニ至リ滅失スルコトアルモ之カ為ニ用益権ノ終了ヲ致スモノニ非ス何トナレハ此不動産ハ此時既ニ用益権ノ目的物ニ非サレハナリ要スルニ此場合ニ於テ用益権ハ期限満了スルカ用益者自ラ抛棄スルカ又ハ用益者死亡スルニ非サレハ消滅スルコト無キナリ
縦令ヒ用益者カ当初不動産ノ用益権ヲ得ルニ当リ其収益ノ為メ保証人ヲ立ツルノ義務ヲ免除セラレタリシトキト雖モ若シ右ニ掲クル如ク公用徴収ノ為メ金銭ヲ以テ用益権ノ目的ト為スニ至リシトキハ此免除ヲ理由トシテ保證人ヲ立ツルノ義務ヲ免ルルコト能ハサル可シ何トナレハ金銭ハ之ヲ不動産ニ比スレハ甚ク消費シ易ク収益ノ方法如何ニ依リ全ク散失シ得ヘケレハナリ
之ト同一ノ理由ニ依リ若シ当初ニ於テ不動産ノ収益ノ為メ既ニ保證ヲ供シタリシトキハ償金ノ収益ヲ為スニ至リ更ニ其金額ニ付キ保證ヲ定メサル可カラス
法律ハ公用徴収ノ場合ニ付テ定メタル規則ヲ之ト相類似セル第九十條及ヒ第九十一條ニ掲ケタル二箇ノ場合ニ摘用セリ第九十條ノ場合ハ租税ノ辨済ヲ怠リタル為メ用益地賣却シタタル場合ニシテ第九十一條ノ場合ハ保険ニ付シタル建物カ火災ニ罹リタル場合ナリトス此二箇ノ場合ニ於テハ其原因ニ異ナル所アルモ元来不動産物ノ用益者ヲシテ償金ノ収益ヲ為サシムルノ一事ニ至テハ全ク同一ナリ故ニ用益者ハ公用徴収ノ場合ト同シク其他ノ還給ス可キ金額ニ對シテ保證人ヲ立ツルノ義務アル者ト定メタルナリ
第百八條
物ノ性質ノ變更カ単ニ一時ノコトニ非ラスシテ確定ナルトキハ縦ヒ之カ為メ用益物ノ滅失ヲ致ササルモ尚ホ之ヲ以テ物ノ滅失ト同一視セリ
是レ即チ用益者カ物ノ収益ヲ為スハ一ニ其用方ニ従フコトヲ要スト謂ヘル原則ヨリ生スル結果ナリトス
本條ニ於テ立法者カ示シタル用益物ノ性質變更ノ例ハ決シテ限定ノモノト解ス可カラス此故ニ例ヘハ大小樹林ノ用益権ノ場合ニ於テ若シ樹木カ全ク焼失シタルトキハ前ニ掲ケタル理論ニ従ヒ樹林ノ用益権ハ消滅シタリト断定スルコトヲ要ス且樹林ノ一隅ニ於テ僅ニ火ヲ免カレタル二、三ノ樹木存スルコトアルモ尚ホ樹林ハ之ヲ全ク焼失シタリト看做スコトヲ要ス
然レトモ若シ畠トシテ耕作ス可キ土地ノ用役権ノ場合ニ於テ水ノ為メニ浸タサルルモ其水甚タ浅ク随テ水田トシテ耕作スルニ堪ユヘキトキハ裁判所ハ用益権未タ消滅セサル旨ヲ判決スルコトヲ得ヘシ何トナレハ従来他ノ穀物ヲ作リタルモ之ニ次テ米ヲ作ルコト固ヨリ容易ニ為シ得へキ所ナレハナリ
第百九條
本條ハ本章第五十條ノ規定ト照應スルモノナリ蓋シ第五十條ハ用益権ノ開始シタル時現ニ用益物タル土地ニ附着スル果實ヲ用益者ニ得セシメ而シテ虚有者カ此果實ノ為メニ耕作其他費用ヲ投シタルモ用益者ヲシテ何等ノ賠償ヲモ為ササルトヲ得セシメタルモノニシテ本條ハ用益権消滅ノ時ニ於テ用益者ノ費用ト労力トニ依リ生シタル果實ニ関シ同一ノ利益ヲ虚有者ニ與へタルモノナリ
果実ノ成熟未タ完タカラサル時ニ於テ用益権ノ消滅ヲ致セルト用益者カ其権利ノ消滅前ニ果実ヲ収取スルコトヲ遅滞シタルトヲ問ハス総テ用益権ノ終了シタル時尚ホ土地ニ附着セル果実ノコトニ付テハ已ニ第六十九條ノ下ニ於テ已ニ説明ヲ為シタリ而シテ而シテ右ニ述フル如ク或ル場合ニ於テハ虚有者ノ生セシメタル果實ヲ用益者ニ取得セシメ又或場合ニ於テハ用益者ノ費用ニ依テ生シタル果実ヲ虚有者ノ有ニ帰セシムルハ共ニ純正ナル公義ニ合シタリト云フ可カラスト雖モ本法ニ於テ此二箇ノ決定ヲ確認シタル理由モ亦同条ノ下ニ於テ已ニ之ヲ示セリ要スルニ用益権ノ開始及ヒ終了ノ時ニ於テ繁難ナル計算ヲ避ケ以テ訴訟ノ泉源ヲ経タント欲スルニ在リ本法ノ規定ノ如クナルナルトキハ各当事者ノ為メ或ハ利益タルコトアル可ク或ハ損失タルコトアル可ク其間事ノ射倖ニ属スルモノアル可シ然レドトモ得失ノ幸福ハ当事者双方ノ為メニ全ク軒輊アラサルノミナラス必竟スルニ用益権自体スラ人ノ生命ト存在ヲ同フスル射倖ノモノタルヲ思ハハ右ノ場合ノ如キハ実ニ此射倖ノ性質ヨリ来ル一箇ノ結果ニ過キサルコトヲ知ル可キナリ
然レトモ小作人ノ已ニ取得シタル権利ニ至テハ立法者之ヲ右ノ規定以外ニ置ケリ蓋シ小作人ノ利益ハ斯ノ如ク射倖ノモノタラシムヘキ理ナケレハナリ
賃貸借ニ関シテ先ツ一二ノ注意ヲ必要トス賃貸借契約ハ賃借権ト称スル物権ヲ設定スル所為ニシテ処分ノ所為ナリト雖モ若シ其契約ノ期間カ一定ノ制限ヲ超ヘサルトキハ(第百十九條以下参看)管理ノ性質ヲ有スルモノトス此故ニ右ノ制限内ニ於テ適法ノ期限ヲ以テ用益者カ契約シタル用益物ノ賃借権ハ用益権ノ終了シタル後ト雖モ尚ホ其規限満了ノ時迄虚有者ニ對シテ有効ニ存立スルモノトス蓋シ用益者ハ有効ニ管理ノ所為ヲ為スノ権限ヲ有スレハナリ
右ノ原則ハ次章ニ於テ一般ニ之ヲ規定シ本條ハ敢テ此ノ原則ノ適用ヲ為スヲ以テ目的ト為スニ非ラス唯果実ニ関シ多少ノ疑ヲ生シ得ヘキ一箇ノ点ヲ決定シタルノミ
不動産ノ賃貸借ヲ為スニ当リテ賃借人カ約諾シ得ヘキ條件ハ一様ニ止ルモノニ非ス或ハ一定ノ金額ヲ以テ毎年ノ借賃トシ賃借人ハ之ヲ約スルコトヲ得ヘク或ハ然ラスシテ不動産ヨリ生スル毎年ノ果実ノ一分ヲ借賃トシテ所有者ニ與フルコトヲ得可シ
賃借人ノ拂フヘキ借賃カ一定ノ金額ナルトキハ用益者ハ日毎ニ即チ日割ヲ以テ取得ス(第五十四條)而シテ用益権終了ノ時以後ノ日數ニ對スル借賃ハ所有者之ヲ取得スヘシ
賃借人ノ辨論スヘキ借賃カ賃借物ノ果實ノ一分ナル場合ニ於テハ用益者ハ賃借人ト一種ノ組合ヲ為シタル如キ地位ニ在ルヲ以テ用益権終了後ト雖モ尚ホ自ラ果實ノ一分ヲ収受スルノ権利アリト信スルモノアラン然レトモ法律ハ此ノ如クナルヲ許サス蓋シ此場合ニ於ケル借賃ハ法定ノ果実ニ非スシテ自然ノ果実ナルカ故ニ用益権終了ノトキ未タ土地ヨリ離レサルモノハ用益者ニ帰スルノ理ナケレハナリ故ニ賃借人ハ唯虚有者ト果実ヲ分ツヘキノミ
第二節 使用権及ヒ住居権
第百十條
使用権ト用益権トハ甚タ相類似スル所ノモノニシテ要スルニ使用権ハ特ニ制限ヲ附シタル一種ノ用益権ト称スルコトヲ得ヘシ
法文ニ於テハ此制限ノ程度如何ヲ指示シ以テ此理論ヲ確認シタルノミナラス尚ホ明文ニ於テ直接ニ此理論ヲ示セリ
普通用益権ノ場合ニ於テ用益者ハ用益物ヲ使用シ及ヒ収益スルノ権ヲ有ス而シテ此使用及収益ノ二権利ハ用益物ノ性質及ヒ其用方ニ従テ之ヲ行使スルノ外何等ノ制限ヲモ有セサルモノナリ
之ニ反シテ特別ナル用益権タル使用権ノ場合ニ於テ使用者ハ右ノ外尚ホ自己ノ需用及ヒ其家族ノ需用ノ為メニ非サレハ使用及ヒ収益ヲ為スコト能ハサルノ制限ヲ有スルモノナリ
使用権ノ原則ハ右ニ示示ス如クニシテ次条以下数条ハ此制限ノ二三ノ結果ヲ明示セルモノタルニ外ナラス
住居権ハ建物ヲ目的物トスル権利ナルコト勿論ニシテ是レ建物ノ使用権ナリ故ニ住居権モ亦其他ノ使用権ト同シク住居者及ヒ其家族ノ需用ヲ以テ限度ト為スコト言ヲ俟タス
然レトモ右ノ制限ニ付テ誤解ヲ防ク可キ所アリ即チ使用者ノ権利ハ此ノ如ク使用者及ヒ其家族ノ需用ニ限ラレタリト雖モ之カ為メニ使用権ハ困窮ニ陥リタル人ノ為ニアラサレハ設定スルコトヲ得スト断定スルコト無キヲ要ス又従テ贈與又ハ遺贈ヲ以テ所有者カ其親族又ハ朋友ニ使用権ヲ設定シタル当時ニ於テ受贈者又ハ受遺者ハ困究ノ状ニ在リシモ他ノ使用者カ資産餘裕アルニ至リタルトキハ使用権為メニ消滅スヘシトノ論決ヲ為ス可カラス然ノミナラス却テ下ノ如キ断定ヲ為スコトヲ得ヘシ已ニ使用権カ使用者及ヒ其家族ノ需用ヲ以テ程度ト為スコト明ナル以上ハ其程度ハ使用者貧富如何ニ依テ異ナルヘク而シテ貧者ノ需用ハ小ニシテ富者ノ需用ハ自ラ大ナルヘシ故ニ使用者カ他日資産餘裕アルニ至テハ之ニ應シテ其為シ得ヘキ使用収益ノ程度モ高カルヘキハ当然ニシテ其得有スヘキ果実及ヒ其使用スヘキ家屋ノ部分ハ従前ニ比シテ増加スヘキナリ而シテ果実ニ使用権ノ性質ト使用権設定ノ意思ニ基キテ生シ来ル結果ナルノミ使用権及ヒ住居権ハ時トシテハ養料ノ代ハリトシテ使用者ニ之ヲ得セシムルコトアルヘシ然レトモ是レ決シテ此権利ノ固有ノ性質ニアラス又其本来ノ目的ニモアラサルナリ
右ノ理論ヲ推究スルトキハ既ニ自己及ヒ家族ノ需用ニ十分ナル一箇ノ使用権ヲ有スル人ト雖モ尚ホ新タニ他ノ財産ニ就キ同様ナル使用権ヲ取得シ得ルコト妨ナシ此ノ如キ場合ニ於テ使用者ノ権利ハ各使用物ニ付キ格別ニ自己及ヒ家族ノ需用ヲ限度トシテ之ヲ行ヒ得ヘキ恰モ一箇ノ使用ノミ有スルト異ナルコトナシ
第百十一條
家族ナル語ハ其意義漠然タルカ故ニ若シ之ヲ明定セサルトキハ使用者ハ使用収益ノ範囲ヲ擴張シテ濫妄ニ流ルルコト容易ナルヘク従テ使用権設定者ノ豫期ニ反スル結果ヲ生スルニ至ルヘシ是レ本條ニ於テ家族ノ限界ヲ明定スル所以ナリ
若シ使用者カ権利ヲ取得シタル後ニ至リテ新タニ婚姻シ又ハ子ヲ擧ケタル如キ場合ニ於テ其新配偶者及ヒ其子ハ使用権ノ利益ヲ受ケ即チ此等ノ者ノ需用ニ應スヘキ使用収益ハ使用者ニ於テ之ヲ為シ得ヘキコト言ヲ俟タス
本條ニ掲ケタル人々ノ需用カ使用者ノ使用ノ標準タル家族タルニハ其人々カ使用者ト共ニ住居スルコトヲ必要ナリトス此條件ハ左ノ理由ニ因テ其至当ナルヲ解スルコトヲ得ヘシ若シ其家族ニシテ他所ニ住居スルトキハ其存在且主トシテ其需用ノ程度ヲ證明スルコト甚タ難カルヘシ
雇人ニ付キテハ更ニ一箇ノ條件ヲ必要トナス即チ其雇人ガ使用者ノ随身ノモノナルコト是ナリ故ニ商業ノ為メニスル雇人馬丁耕作人ノ如キハ使用者ノ権利ノ範囲ヲ定ムル家族中ニ包含スヘカラサルコト勿論ナリ然レトモ雇人カ随身ノモノナルヤ否ヤヲ定ムルニ当テハ此等ノ人々ニ付テモ尚ホ裁判官カ事実ノ情状ニ基テ斟酌決定スヘキ所ナリトス
第百十二條
使用者ノ権利ハ普通用益者ト異リテ制限アルモノナルカ故ニ時トシテ不動産ノ果実ノ一部分ニ付テノミ権利ヲ有スルニ止ルコト有リ
然ルニ尚ホ此使用者ヲ其土地ノ全部ノ占有ヲ得セシメ一人ニテ随意ニ之カ耕作ヲ為スコトヲ得セシムル如キアラハ虚有者ノ為メ甚タ不利益ナルノミナラス動モスレハ一般ノ利益ノ為メニ有害ナルコトアル可シ蓋シ使用者ハ自己ノ需用ニ供スル物ノミヲ生セシムルトキハ己ニ利害ヲ感セサルカ故ニ唯之カ為メニノミ務メテ残餘ノ土地ノ部分ハ全ク之ヲ不生産ニ委スルカ如キコト無キヲ保ス可ラス家屋ニ付キテモ亦之ト同一ニシテ使用者唯其一部分ノミヲ使用シ残餘ノ部分ハ之ヲ使用スルコトナク随テ何等ノ注意ヲ加フルコトナク之カ保持ヲ害スル如キコト無シト云フ可ラス
若シ使用権ノ設定権原ヲ以テ使用者ノ用ニ供スル建物ノ部分ヲ指示セス又ハ使用者ノ権利ノ目的物タル土地ノ利用方法ヲ定ムルコトヲ怠リタルトキハ當事者ハ特ニ合意ヲ以テ之ヲ定ムルコトヲ得ヘシ
若シ當事者カ右ノ点ヲ定ムルニ当リテ意思合致スルコト能ハサルトキハ裁判所ハ使用権ノ目的タル財産ノ性質ニ従ヒ且設定者ノ意思ヲ推測シテ使用者ノ使用スヘキ部分及ヒ使用方法ヲ定ム可シ
使用権ノ目的物カ土地ナル場合ニ於テハ裁判所ハ此土地ニ付キ使用者カ其随意ニ耕作シ得可キ部分ヲ使用者ニ指定ス可シ
又土地カ従来其用方ニ供セラレサリシ時ニ當リ使用者カ自己ニ有用ナル可キ諸種ノ物ヲ産出セシメンカ為メ其土地ノ従来ノ用法ニ反シテ其全部ヲ自己ノ利益ナル種類ノ耕作ニ使用セント主張スルカ如キハ決シテ使用者ニ許ス可カラサル事タリ例ヘハ衣類ヲ作ランカ為メニ綿ヲ植ユルカ如キ又ハ炭及ヒ薪ヲ得ンカ為メ樹木ヲ植ルカ如キ是ナリ實ニ権利設定者ノ豫期スル所ニ反スルモノナリ
第百十三條
使用権ノ譲渡ヲ禁シ且ツ其ノ賃貸ヲ禁スルハ前ニ掲ケタル使用権ノ制限ヨリ生スル結果ノ一タリ
若シ使用権ニシテ譲渡スコトヲ得又ハ賃貸スルコトヲ得ルモノトセハ譲受人又ハ賃借人ノ需用ハ原使用者ノ需用ト同一ナルヲ得ス且動モスレハ之ニ比シテ大ナル可シ縦ヒ譲受人又ハ賃借人ノ使用収益原使用者ノ需用ヲ限度トシテ之ヲ為スコトヲ得ヘシト定ムルモ之カ為メニ為ニ必要ナル監督ハ甚タ煩難ナルヘク且日々名状ス可カラサル争訟ノ泉源トナル可キナリ
第百十四條
本条ハ使用権及ヒ住居権カ特ニ制限ヲ附セラレタル一種ノ用益権タル性質ヲシテ愈明確ナラシムルモノナリ
使用者及ヒ住居者ハノ権利ノ目的タル物ノ全部若シクハ一分ノ現實ノ占有ヲ有スルカ故ニ動産物ニ付テハ之ヲ紛失シ又ハ窃取シ又不動産物ニ付テハ之ヲ毀損スル如キコトナキヲ保セス是ニ於テカ動産目録不動産形状書ヲ調製シ且担保ヲ供スルコトヲ必要トス
又設定権原ニ於テ明確ナル規定アラサル以上ハ日用品若クハ金額ヲ以テ使用権ノ目的ト為スコトヲ得スト断定スヘシ故ニ評價ハ賣買ト同一ナル効力ヲ有スルノ原則ハ殆ント之ヲ使用権ニ適用スルコト有ラサル可シ
公用徴収ニ関シテハ本條ニ於テ更ニ規定ヲ掲ケス若公用徴収アルトキハ使用者ヲシテ償金全額ノ収益ヲ得セシムルハ決シテ其当ヲ得タルモノニ非ス故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ使用者ト虚有者トノ間ニ於テ右ノ償金ヲ割合ヲ定メテ両分シ其一分ニ付テノミ使用者ハ公用徴収ヲ受ケタル物ノ直接ナル収益ニ代テ収益スルコトヲ得ヘキナリ
第三章 賃借権、永借権及ビ地上権
第一節 賃借権
第百拾五条
立法者ハ本条ニ於テモ亦前条ニ於ケル如ク本条ニ於テ規定スヘキ権利ノ定義ヲ下スヲ以テ第一ト為セリ
本法ニ於テ賃貸借契約ヨリ生スル権利ヲ本編第一部中ニ列シタルヲ以テ看ルモ既ニ之ヲ物権ト為シタルコトヲ知ルベシ然レトモ仍ホ第二条ニ於テハ此権利ノ物権タルコトヲ明示セリ
賃借人ノ有スル権利ハ用益者ノ権利ト甚ダ相類スルモノナリ賃借人ハ用益者ト同ジク他人ノ所有ニ属スル物ノ使用ヲ為シ且ツ収益スルコトヲ得ヘシ而シテ賃借人ノ権利ハ或ル特別ノ点ヲ除クノ外用益者ノ権利ト同一ノ範囲同一ノ制限ヲ有スルモノナリ故ニ本条ノ規定ハ前条ノ規定ヲ以テ之ヲ補充スルコトヲ要ス立法者モ亦屢々明文ニ於テ此事ヲ掲ケタリ(参看第百廿六条第百四拾二条及ヒ第百四拾四条)然レトモ是レ固ヨリ明文ヲ竢テ後ニ始メテ然ルモノニ非ラサルナリ
用益者ト賃借人ノ権利ハ右ニ述フル如ク甚ダ相似タリト雖トモ又数個ノ点ニ於テ両個ノ権利ハ相異ナルヲ看ルベシ第一其期間ニ関シテ同シカラサルモノナリ用益者ノ権利ハ大概用益者ノ終身ヲ以テ限リト為スト雖トモ賃借人ノ権利ハ此ノ如キ射倖ノ性質ヲ有セス通常一定ノ期間ヲ以テ之ヲ設定スルモノナリ
用益者ノ権利ハ概ネ贈與又ハ遺贈等ニ基キ無償名義ヲ以テ設定スルモノナリ然レトモ賃借権ハ常ニ有償名義ヲ以テ設定スルモノトス即チ賃借人ヨリ多少ノ出捐ヲ為シテ之ヲ取得スルモノナリ
用益権カ有償ヲ以テ設定セラレタル場合ニ於テモ仍ホ之ヲ賃借権ニ比スレバ一ノ異ナル所アリ即チ用益権カ有償ヲ以テ設定セラルルモ必ズヤ一回限リニ弁済シタル賣買代價ヲ以テ之ヲ設定シタルカ然ラサレハ一時ニ交付シタル物ト交換シタルナル可シ
之ニ反シテ賃借権ヲ取得シ而シテ之ヲ保存スルニハ必ス金銭又ハ産出物ニ付テ定期ノ弁済ヲ為スコトヲ要ス
用益権ト賃借権トノ間ニハ其設定ノ方法ニ関シテモ亦一ノ差異アルヲ看ルベシ即チ用益権ハ時トシテ法律ノ規定ニ基キ設定セラルルコト有リト雖トモ賃借権ハ契約ニ基ク外他ノ原因ニ由テ設定セラルルコトナシ
又時効ハ用益権ニ関シ正当ナル取得ノ推定トシテ之ヲ援用スルコトヲ得ベシト雖トモ賃借権ニ関シテハ時効ハ此ノ如キ適用ヲ受クルコト能ハス
最後ニ用益権ト賃借権ノ間ニ存スル差異ノ最モ大ナルモノヲ示スヘシ用益権ノ設定者即チ虚有者ハ概シテ用益者ニ對シ何等ノ一身上ノ義務ヲ有スルコトナシ惟実際ニ於テ甚タ罕レナル可キ用益権ノ賣買ノ場合ニ於テ虚有者ハ賣主タル資格ノ為ニ用益者ニ對シ追奪ノ担保ヲ為スノ義務アルニ止マル之ニ反シテ賃貸人ハ賃借人ニ對シ常ニ追奪ノ担保ヲ為スノ義務アルノミナラス猶ホ一切ノ妨害ニ對シテ担保ヲ為スノ義務アリ其妨害ガ不可抗力ニ原因スル場合ニ於テモ猶ホ然リトス語ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ賃貸人ハ賃借人ニ引續キタル収益ノ担保ヲ為スコトヲ要ス蓋シ引續キタル収益ハ賃借人ニ於テ定期ノ借賃ヲ弁済スル義務ノ原因ト看做サレタル所ノモノナリ
固ヨリ当事者ノ合意ヲ以テ此担保ヲ制限シ又ハ全ク之ヲ廃棄スルコトヲ得ベシ然レトモ合意アラサル場合ニ於テハ当然賃借人ニ於テ此担保ニ権利ヲ有スルモノナル故ニ担保ハ契約ニ必然ナルモノニ非ラスシテ惟自然ナルモノナリ
無償ヲ以テ用益権ヲ設定シタル場合ニ於テモ猶ホ意外又ハ不可抗ノ原因ニ對シ収益ノ担保ヲ為スコト有ル可シト雖トモ是レ特別ノ合意ヲ以テ始メテ然ルモノナリ故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ担保ハ契約ニ必要ノモノニ非ラス又自然ノモノニ非ラス全ク偶然ナル者ナリ
右ニ掲クル所ノ外用益権ト賃借権ノ間ニハ幾多ノ差異アルコトヲ注意スベシ公用徴収又ハ火災保険ノ場合ニ於ケル償金ニ関シテ用益者ノ収益権ニ付テ述ベタル所ノコトハ之ヲ賃借人ニ適用スルコトヲ得ス公用徴収ノ場合ニ於テ賃借人ハ特ニ償金ヲ受クベキナリ保険ハ賃借人ガ自カラ賃借権ヲ保険ニ附シタル場合ニ非ラサレハ賃借人ヲ利スルモノニ非ラス保存ノ修繕、租税其他ノ公課及ビ訴訟ノ費用ニ関スル用益者ノ義務ニ付テモ亦然リ賃借人ハ更ニ此ノ如キ義務ヲ負担スルコトナシ
第百拾六条
孰レノ國ニ於テモ國家及ヒ行政廳ニ属スル財産ノ賃貸借及ヒ賣買ニ関シテハ特別ノ規定アリ是レ独リ公有ニ属スル財産ニ関シテノミ然ルニ非ラス蓋シ公有ニ属スル財産ハ原則上賣却スルコトヲ得ス又賃貸スルコトヲ得サレバナリ
本条ニ掲ケタル事項ヲ規定スルハ行政法ノ目的トスル所ナリ
然レトモ民法ノ規定ハ國其他ノ行政廳ニ属スル財産ニ関シテ何等ノ適用ヲ受ケサルノ謂ニ非ラス所有者ノ何人タルヲ問ハズ民法ノ規定ハ財産ニ関スル基本ノ法則ナルカ故ニ行政法ニ於テ特別ノ規定ナキ限リハ常ニ民法ニ従フ可キモノナリ既ニ述ベタル如ク賃借権ト用益権トハ互ニ相類スルモノナルガ故ニ本節モ亦用益権ノ章ノ如ク之ヲ四個ニ分テリ即チ左ノ如シ第一款賃借権ノ設定、第二款賃借人ノ権利、第三款賃借人ノ義務、第四款賃借権ノ消滅
第一款賃借権ノ設定
第百拾七条
本条ニ於テハ惟賃借権設定ノ一個ノ方法ヲ示スノミ之ヲ理論ニ照スニ賃借権ハ他ニ至当ナル設定ノ方法ヲ有スルコト能ハサルモノナリ蓋シ賃借権ノ名称ハ此権利ヲ生セシムル原因タル契約即チ賃貸借契約ニ由テ生スルモノナルガ故ニ他ノ原因ニ依テ此権利ヲ生セシメ得ヘキコトハ殆ント解ス可カラサルモノナリ
賃借権ノ設定原因ガ合意ノ一ニ止マルコトハ既ニ賃借権ト用益権ノ差異トシテ示シタル所ナリ何トナレハ用益権ハ相續ヲ除クノ外凡テ所有権ヲ移轉スルト同一ノ方法ニ依テ凡テ設定シ得ベキモノナレバナリ
賃借権ハ一ノ物権ナリ従ッテ所有権ノ枝分権ト看做スコトヲ得ベク此ヲ以テ賃借権ハ必ズ所有権ト同一ノ方法ニ依テ設定セラルルコトヲ得ベキモノト信ス可カラズ
嚴厳正ニ之ヲ論スルトキハ賃借権ハ直接ニ遺言ヲ以テ設定セラルルコトヲ得ベシ然レドモ本法ハ之ヲ認メズシテ他ノ方法ヲ示シ以テ親戚若クハ朋友ニ遺言ヲ以テ賃借権ヲ得セシムル方法ヲ設ケタリ此場合ニ於テ遺言者ノ相続人ハ遺言ノ條件ニ従ヒ受遺者ト賃貸借契約ヲ為スノ義務ヲ有スルモノナリ此義務ヲ履行シ契約ヲ為スニ至ルマデノ間ハ相続人ハ未ダ賃貸人ニ非ラス従ッテ賃貸人ノ有スル何等ノ権利ヲモ有セサルナリ一旦遺言ニ定メタル約款及ビ条件ニ従ッテ契約ヲ結ビタルトキハ次款ニ於テ定ムル如ク幾多ノ義務ハ相続人ニ於テ之ヲ免ルルコト能ハサルト同時ニ第三款ニ於テ規定セル権利ハ相続人ノ有スル所タルベシ
若シ遺言ヲ以テ賃貸借ノ條件ヲ定メサルトキ就中賃借人ヨリ定期ニ弁済ス可キ借賃ヲ定メサル如キ場合ニ於テハ此遺言ニ効力ヲ生セシムルコト能ハサルベシ何トナレハ相続人ハ常ニ多クノ借賃ヲ請求スベク而シテ賃借人ハ成ルベク借賃ヲ減少センコトヲ欲スベク互ニ承諾ヲ為サザルコト有ル可ケレバナリ而シテ此ノ如キ場合ニ於テ法律ハ鑑定人ヲシテ之ヲ定メシム可キコトヲ許ス能ワ
ハス何トナレバ是レ単ニ鑑定ヲ為サシムルニ非ラズシテ契約ノ必要条件タル借賃ヲ定メシメ即チ鑑定人ヲシテ契約ヲ為スノ権利ヲ得セシムルニ外ナラザレバナリ
立法者ハ賃借権ノ遺贈ノ場合ニ関シテ定メタル右ノ規定ヲ賃借権ノ要約ヲ為シタル場合ニ適用シテ之ヲ一般ノ場合ニ及ボセリ賃借権ノ要約ハ借賃ノ指定ヲ包有スル場合ニ於テハ強制ノ力ヲ生スベシ要約者ニ於テ一旦之ヲ承諾ス可キコトヲ明示シタル以上ハ公式ニ賃貸借契約ヲ結フ可キコトヲ請求スルノ権利ヲ有スルモノナリ
賃借権ハ所有権及ヒ用益権ノ如ク時効ニ依テ取得スルコトヲ得ベキモノナリヤハ人ノ直チニ疑フ所ナルベシ此問題ニ對シテハ消極ノ論定ヲ下スコトヲ躊躇セサル可シ何トナレバ賃貸人及ビ賃借人ヲシテ互ニ義務ヲ負ハシムルハ時効ノ性質ニ於テ能ハサル所ナレバナリ
然レトモ新タニ賃借権ヲ設定スルコト能ハサル時効ハ一方ニ於テ一人ノ既ニ有スル賃借権ヲ他ノ一人ニ取得セシムルコトヲ得ベシ
例ヘバ所有者ガ一旦賃借権ヲ設定シタル後第三者ガ所有者ニ非ラザル他人ヨリ同一ナル物ノ賃借権ヲ取得シタリト假定スベシ此場合ニ於テハ不動産物権ノ普通ナル時効ニ依リ賃借権モ亦一ノ物権トシテ取得スルコトヲ得ベシ従ツテ時効ヲ得タルモノハ賃借シタル物ノ収益ヲ為ス権利ヲ得ルト同時ニ真正ノ所有者ニ對シテ賃借人ノ義務ヲ有スベキナリ
第百拾八条
本条ニ於テ始メテ有償ニシテ且ツ双務ナル性質ノ契約ヲ示セリ此二個ノ性質ハ法律上甚ダ重要ナル結果ヲ有スルモノナリ
然レトモ此ノ如キ性質ノ合意ノ一般ノ効力ハ今詳細ヲ説明スヘキトキニ非ラズ本編第二部ノ場合ニ於テ之ヲ論スルヲ以テ其当ヲ得タリト為ス法律ニ於テ今為スベキ所ノコト惟賃貸借契約ニ特別ノ関係ヲ有スル規定ヲ示スニ在ルノミ此点ニ於テモ猶ホ或ハ本款ノ範囲ヲ超ユルモノト謂ハサルヲ得ズ何トナレバ是レ賃借権ナル物権ノ特別ナル性質ヲ示スニ非ラスシテ物権ニ附随シ之ヲシテ効力ヲ増サシムル人権ヲ指示スルモノナレバナリ
法律ヲ規定スルニ当ツテ立法者ハ一個ノ理論ハ凡テ同一ノ所ニ於テ其全体ヲ示スヲ以テ解得ニ便ナルニ依リ之ヲ数所ニ散在セシムルコトヲ避ケサルヲ得ズ従ツテ或ハ主トシテ規定スル事項ノ範囲ヲ超ユルモ亦其所ニ於テ之レニ関係スル凡テノ事項ヲ規定スルノ必要ヲ看ルベシ若シ然ラサルトキハ賃貸人ノ人権ニ関スル一切ノ事項ハ遂ニ本編第二部ニ於テ之ヲ規定スルコトヲ要スルニ至ラン此ノ如キハ何人モ至当ト為ス能ハサル所ナルベシ
今ハ惟有償名義及ヒ双務ナル二個ノ用語ノ意義ヲ説明スベシ当事者ノ各自ガ他ノ当事者ノ為メ共ニ出捐ヲ為ストキハ其契約ハ有償名義ノモノナリ故ニ有償ノ契約ハ無償名義ノ契約ニ相反スルモノニシテ無償契約ニ在テハ当事者ノ一方ノミ利益ヲ受ケ而シテ何等ノ對価ヲ提供スルコトナシ
当事者ノ双方ガ互ニ或ル物ヲ與へ又ハ或ル事ヲ為スベキ義務ヲ負フトキハ其契約ハ双務ノモノナリ故ニ双務ノ契約ハ同時ニ有償ノ契約タルコトヲ知ルベシ然レトモ有償ノ契約ハ必スシモ常ニ双務ノモノニ非ラス即チ有償ニシテ片務ノモノタルヲ得ベシ是レ後ニ至テ其例ヲ看ル可キ所ナリ此ノ如クナルガ故ニ習慣上有償及ビ双務ノ語ハ時トシテ之ヲ併用スルコトアリ時トシテ其一ノミヲ用フルコトアリ要スルニ之ヲ併用スル場合ニ於テハ其意義尤モ廣キモノヲ第一ニ掲ケ而シテ然ラサルモノヲ第二ニ掲クルモノトス即チ有償且ツ双務ト称スル是ナリ
賃貸借契約ハ有償名義ノモノナリ蓋シ右ニ掲クル所ノ如ク当事者ノ各自ガ共ニ出捐ヲ為スベキナリ賃貸人ハ此契約ニ依リテ所有物ノ収益ヲ失フベク賃借人ハ定期ノ借賃ヲ弁済スルコトヲ要スベシ又賃貸借契約ハ同時ニ双務ノモノタリ何トナレハ当事者双方ハ共ニ此ノ契約ニ由テ義務ヲ負フモノナレバナリ即チ賃貸人ハ定期ノ借賃ヲ弁済スルノ義務ヲ有スベシ
第百拾九条
凡ソ所有者ハ其所有スル物権ニ付キ他人ノ利益ニ於テ一切ノ物権ヲ設定スルコトヲ得ベシ是レ一般ノ原則ナリ之ニ反シテ所有者ニ非ラサルモノハ所有者ヨリ特別ノ委任アル場合ノ外此ノ如キ物権ノ設定ヲ為スコトヲ得ズ此理論ヲ以テ推ストキハ法律ニ基キ又ハ裁判ニ因テ他人ノ財産ヲ管理スルノ権限ヲ得タルモノハ其管理スル物権ニ付テ他人ニ物権ヲ得セシムルコトヲ得サルルモノナリ而シテ本条ニ規定スル賃借権モ亦一個ノ物権ナルガ故ニ管理人ハ賃借権ヲ設定スルコトヲ得スト謂ハサルヲ得ス然ルニ本条ニ於テハ管理人ヲシテ此物権ヲ設定シ即チ賃貸借契約ヲ為スコトヲ得セシメタリ
然リト雖トモ之ヲ以テ右ノ原則ニ對シ純然タル一個ノ例外ナリト云フコトヲ得ス蓋シ管理人ナルモノハ合意上ノ代理人ト同一視セラル可キモノニシテ本人タル所有者ノ意思ニ基キ一切ノ管理ヲ為スモノト見做スコトヲ要ス特ニ管理人ハ其本分ヲ行フニ当ツテ凡テ本人ノ名義ヲ以テ契約其他ノ處為ヲ為スモノナリ加之ナラス賃貸借契約ノ處為タルヤ其性質上管理ノ處為ト看做ス可キモノニシテ即チ所有者ヲシテ何等ノ損害若クハ危嶮ヲ蒙ラシムルコトナク其資産ヲ増加スルノ處為ナルヲ以テ管理人ト雖トモ其権原ニ基キ為スコトヲ得ベキハ言フヲ竢タサル所ナリ
法律上ノ管理人ハ幼者ノ父又ハ後見人禁治産者ノ後見人或ハ管財人及ビ婦ノ財産ニ関シテハ其夫ヲ以テ例ト為スコトヲ得ベシ又管理ノ國府縣市町村及ヒ其他ノ官廳ニ属スル財産ニ於ケルモ亦均シク法律上ノ管理人タリ然レトモ管理人ノ管理権限ニ付テハ特別ノ行政法ヲ以テ別段ノ規定ナキ時ニ非ラサレハ本文ノ規定ヲ適用スルコトヲ得サルハ勿論ナリ
裁判上ノ管理人ハ相続人ノ缺ケタル相続財産ノ管理人、破産ノ場合ニ於ケル管理人、恵贈物ノ保管人等ヲ以テ其例ト為スコトヲ得ベシ
右ニ掲クル如キ法律上若クハ裁判上ノ管理人ガ其管理スル物ノ賃貸借契約ヲ為シ得ベキコト明カナリト雖トモ仍ホ所有者ノ意思ニ従ツテ管理ノ處為ヲ為スモノト法律上看做サルルニハ甚タシク所有者ノ承諾ヲ拘束スルコトナキ處為ニ止マル可キハ固ヨリ明カナリ此故ニ本条ニ於テハ管理人ガ其権限ニ因テ有効ニ承諾スルコトヲ得ベキ賃貸借契約ノ期間ヲ制限セリ
又既ニ賃貸借期間ノ制限ヲ定ムル理由右ニ述フル如クナル以上ハ不動産ニ関スル賃貸借ノ期間ニ比シテ動産ノ賃貸借ニ関スル期間ガ更ニ短カル可キコト当然ニシテ均シク不動産ノ賃借権ニ関シテモ土地ノ場合ト建物ノ場合トヲ比較スルトキハ建物ノ場合ニ於テ一層其期間ノ短カル可キコト又然リト為ス蓋シ土地ノ収益ヲ為シ一定ノ収穫ヲ得ル為メニハ之ガ準備トシテ費用ト労力トヲ要スルコト建物ノ収益ニ比スレハ甚ダ多ク且ツ其時間ヲ要スルコト常ニ長ケレバナリ
第百二拾条
縦令前条ノ規定ヲ設クルト雖トモ若シ更ニ法律ヲ以テ充分ノ注意ヲ為ササルトキハ管理人ハ前条ノ制限ヲ免カルルコト容易ナルベシ蓋シ管理人例之バ五ヶ年ノ賃借契約ヲ為シタル後一ヶ年ヲ経テ更ニ五ヶ年ノ期限ヲ以テ第二ノ賃貸借契約ヲ為スコトナレバ縦令制限アルモ実際ニ於テ其効力ヲ看ルコト能ハサルベシ
若シ之ニ反シテ賃貸借終了ノ時ニ接近シテ更ニ第二ノ賃貸借ヲ為スガ如キハ独リ賃借人ニ取テ利益アルノミナラズ所有者ノ為ニモ亦真正ノ利益アルモノト云ハサルヲ得ス蓋シ此ノ如クナルトキハ賃借人ニ於テハ前賃貸借終了後更ニ他ノ賃貸借契約ヲ為スマデ或ル時ノ間資本ト労力トヲ用フルニ所ナキノ不幸ヲ免カルルコトヲ得ベク一方ニ於テハ賃借物ノ所有者モ亦若干ノ時間新タナル賃借人ヲ得ルマデ財産利用ノ道ヲ得サルガ如キ不便ヲ蒙ラサル可シ
管理人カ法律ノ定メタル条件ニ従ツテ賃貸借契約ノ更新ヲ為シタル場合ニ於テハ新賃貸借ノ期間ハ旧賃貸借ノ残餘ノ期間終了後ヨリ起算シテ共ニ有効ナルコトヲ得ベシ
賃貸借契約更新ニ関シテ一ノ問題起ルコトヲ得ベシ是レ本条ニ於テ決定スル所ナリ即チ法律ヲ以テ許シタル時期ニ先チテ管理人ガ賃貸借ノ更新ヲ為シタルトキハ此更新ハ其時ニ於テ新タニ賃貸借契約ヲ為シタルト同一ノ制限内ニ於テ有効ナリト云フコトヲ得ベキヤ即チ旧賃貸借ノ残餘ノ時間ト新賃貸借トヲ合セテ一年三年五年若クハ十年ノ時間ニ満ツルマデハ有効ナリト云フコトヲ得ベキヤ例之バ一旦賃貸借ヲ為シ五ヶ年ト定メタル後二ヶ年ヲ経テ管理人之ガ更新ヲ為シタルトキハ旧賃貸借ノ期間仍ホ三ヶ年ヲ残スガ故ニ此三ヶ年ハ新賃貸借ト混合シ此更新ノ時ヨリシテ猶ホ五ヶ年ノ間賃貸借有効ニ成立スト云フコトヲ得ベキヤ此問題ニ對シテハ消極ノ論結ヲ為スコトヲ要ス何トナレバ若シ此ノ如クナルコトヲ得ルモノトセバ管理人ハ賃借人ノ望ミニ應シテ賃貸借ヲ順次ニ延長シ毎日毎時賃貸借終了ノ期ニ近カシメ且ツ財産ノ負担ヲシテ消滅セシム可キ時ヲ定メタル期間ノ効力ヲシテ皆無ニ至ラシムルコトヲ得ベカケレバナリ之ニ反シテ賃貸借契約カ其終了ノ期ニ近ツキタル場合ニ於テハ所有者ノ利益ノ為メ其継続ヲ確定スルハ有益ノ處為ナルヲ以テ管理人ガ其本分上固ヨリ為スコトヲ得ベキ所ナリ
然レトモ賃貸借ノ更新ガ法律ノ定メタル期間ニ先チテ為サレタル時ト雖トモ若シ旧賃貸借ノ期間終了シ新賃貸借ノ期間既ニ始マリタル後ニ於テ管理人ノ権限始メテ消滅シタル場合ニ於テハ此更新ヲ以テ有効ナルモノトス新賃貸借ノ期間ハ完全ニ継続スル事ヲ得ベシ是レ本条第二項ノ規定スル所ナリ
第百廿一条
所有者自カラ自己ノ財産ノ賃貸借契約ヲ為シタル場合ニ於テハ借賃トシテ其約スルコトヲ得ベキ所ノモノハ単ニ金銭ノミニ止マラス其他一切ノ物ヲ借賃トシテ承諾スルコトヲ得ヘシ然レトモ所有者ニ非ラスシテ管理人カ此ノ如キ契約ヲ為ス場合ニ於テハ其借賃トシテ承諾スルコトヲ得ベキ所ノモノハ単ニ金銭ノミニ限ル可キコト至当ナリトス如何トナレハ性質若クハ出處ノ如何ニ関ハラス産出物ノ如キハ更ニ賣却シテ金銭ト為ス如キ處為ヲ要シ是ガ為ニ多少ノ不便不利ヲ来タスコト有ルベク又現物ヲ以テ之ヲ保存セント欲セハ之ガ為ニ多少ノ費用ヲ要スベク要スルニ種々ノ困難アルモノニシテ単ニ所有者ノ利益ニ於テ財産ヲ管理スル本分アルモノハ此ノ如キコトヲ避クルヲ以テ当然ト為ス可キナリ
一般ノ原則ハ此ノ如クナリト雖トモ本条ハ特別ノ場合ニ関シテ一個ノ例外ヲ設ケタリ即チ果実分配ノ賃貸借ヲ為スコトヲ許セリ果実ノ一定不変ノ数量ヲ以テ借賃ト為スコトヲ承諾スルコト是ナリ然リト雖トモ此例外法ハ借賃タル果実ガ賃借物ヨリ生スル場合ニ非ラサレハ適用スルコトヲ得ス此ノ如ク縦令果実ヲ以テ借賃トスルモ其額ハ一定不変ナルガ故ニ毎年ノ収穫多少ノ増減アルモ借賃ハ為ニ変動ヲ来タスコトナク従ッテ賃貸借契約ハ収穫ノ幾分ヲ以テ借賃ト為シタル場合ノ如キ不確定ノ性質ヲ有セス故ニ管理人ニ於テハ賃借人ノ耕作ヲ監督シ且ツ其収穫ヲ観察スルノ必要アラサルベシ
第百廿二条
第百j拾九条ニ於テハ単ニ法律上又ハ財産上ノ管理人ニ関シテ規定ヲ設ケタルノミ合意上ノ管理人モ亦同条ノ列記中ニ掲ケテ同一ノ規定ニ従ハシムルコトヲ得ベカリシナリ然レドモ此ノ如クナルトキハ法律ノ編纂上徒ラニ混雑ヲ来タスカ故ニ特ニ本条ニ於テ之ヲ規定セリ且ツ本条ニ於テ指示セル如キ管理人ノ権限ノ伸縮ノ如キハ殆ント法律上又ハ財産上ノ管理ノ場合ニ於テ其例ヲ看サル所ナリ
第百廿三条
人事編ノ規定ニ従フトキハ本条ニ掲クル如キ人ハ制限セラレタル能力ヲ有スルニ止マル即チ惟其所有スル財産ノ管理権ヲ有スルノミニシテ其處分ノ権限ヲ有スルコトナシ
此ヲ以テ其地位甚タ管理人ト相類スルモノナリ然ルニ猶ホ長期ノ賃貸借ヲ為スコトヲ得ルモノトセバ法律ノ目的トスル所ニ反シ遂ニ不利益ナル条件ヲ以テ甚ダ長キ時期ニ對シテ財産ノ将来ヲ拘束スル如キコト有ルベシ是レ管理人ニ関スル原則ヲ以テ此等ノ人ニ適用シタル所以ナリ
第百廿四条
凡ソ契約者ノ一方カ無能力者ナル場合ニ於テハ此無能力ヲ理由トシテ其契約ノ取消ヲ請求スルコトヲ得ベシ然レトモ此無能力ニ基ク取消ハ全ク無能力者ヲ保護スル為メ其利益ニ於テ法律ノ定メタル所ノモノニシテ無能力者ニ對シテモ仍ホ此請求ヲ為スコトヲ得ベキモノニ非ラス此原則ハ一般ニ其適用ヲ受クルモノニシテ無能力ノ事ヲ説ク場合ニ於テ其證ヲ述ブ可シト雖トモ本条ニ於テハ惟其原則ノ一個ノ適用ヲ為シタルニ過キサルナリ
管理人ガ其権限ノ範囲ヲ超エ法律ノ定メタル期間ヲ超エテ賃貸借契約ヲ為シタル場合ニ於テハ恰モ自己ノ有スル財産ニ付テ単ニ管理権ノミヲ有スルモノカ其能力ノ範囲ヲ超エテ賃貸借ヲ為シタル場合ト同一ナリ従ツテ法律ヲ以テ其利益ノ為ニ管理人ノ権力ヲ制限シタル所有者ハ此権限外ノ不当ナル處為ノ為ニ拘束セラルルコトナシ然リト雖トモ管理人ト契約ヲ為シタル他ノ一方ノ者ハ所有者カ自己ノ財産ノ管理権ヲ回復シ而シテ管理人ガ権限外ニ於テ為シタル賃貸借契約ヲ認諾スル場合ニ於テハ自カラ右ノ理由ニ基イテ此賃貸借契約ヲ攻撃スルコトヲ得サルモノトス
管理人ハ一旦賃貸借ヲ為シタル後自己ノ處為ガ権限外ノモノナリシコトヲ理由トシテ之レガ取消ヲ求ムルコトヲ得ズ何トナレハ当初ニ於テ法律ノ制限ニ超エタル賃貸借契約ト雖トモ若シ其契約ノ実施セラル可キトキニ至ルマデ猶ホ管理人ノ権限継続スル場合ニ於テハ全ク有効ノ契約ト為ルコトヲ得ベキモノナレバナリ
斯ノ如ク賃借人ハ自カラ進ンデ契約ノ取消ヲ求ムルコトヲ得ズ一ニ所有者ガ取消ヲ求ムルヲ竢タサル可カラサル場合ニ於テ所有者若シ其意思ヲ示サズシテ久シク賃借人ヲ不確定ノ地位ニ立タシムル如キハ決シテ其当ヲ得タルモノニ非ラズ此故ニ賃借人ハ一定ノ期間内ニ於テ賃貸人カ契約ヲ取消スト否ト孰レニ決スルヤヲ催告スルコトヲ得ベシ若シ此場合ニ於テ賃貸人ガ意思ヲ示スコトナクシテ右ノ期間ヲ経過セシメタルトキハ賃借人ハ右ノ契約ヲ以テ全ク維持セラレタルモノト看做スコトヲ得ベシ之ニ反シテ賃貸人ニ於テ取消ノ意思ヲ述ベサル以上ハ賃借人ニ於テ無効ノ契約ナリト看做スコトヲ得サルハ勿論ナリトス
賃借人カ右ノ催告ヲ為スニ当リ期間ヲ定ムルコト甚ダ短キトキハ賃貸人ハ意思ヲ決スル為メ思考ヲ為スノ時間ヲ有セス為メニ期間ヲ経過スルモ賃借人ハ更ニ裁判所ノ定メタル期間内ニ於テ契約ヲ認諾スルヤ否ヤノ意思ヲ述ブ可キコトヲ賃貸人ニ催告スルノ必要有ルベシ此故ニ本条ニ於テハ此ノ如キ手数ヲ避クル為メ明文ヲ以テ此期間ヲ定メタリ然レトモ此期間ハ当事者ノ住處ノ距離如何ニ従ツテ仍ホ延長セラルルコトヲ得ヘシ而シテ此場合ニ於テハ此種ノ處為ニ関スル一般ノ規則ニ従ッテ此期間ノ計算ヲ為スモノトス
以上ニ述ブル所ノコトハ管理人又ハ代理人ガ其権限ヲ超エタル場合ニ於テ本人タル所有者ニ関シテ之ヲ述ベタリト雖トモ此理論ハ凡テ自カラ能力ノ範囲ヲ超エテ契約ヲ為シタル無能力者又ハ制限セラレタル能力ヲ有スルモノニモ同シク適用セラルベシ固ヨリ此等ノ人々ガ賃貸借ノ認諾ニ関シテ催告ヲ受ケタル時ニ於テ、完全ノ能力者ト為リタルコトヲ必要ト為ス是レト同一ノ理由ニ依リ管理人ノ場合ニ於テモ所有者カ既ニ財産ノ管理ヲ恢復シタル後ニ於テ催告ヲ為シタル場合ニ限ル者ナリ
若シ法律上裁判上又ハ合意上ノ管理人ノ権限ガ未ダ其終リヲ告ケサル場合ニ於テハ既ニ為シタル賃貸借ノ期間カ法律ノ制限ニ超エタルモ其後或ル時間ヲ経而シテ更ニ賃貸借ノ更新ヲ有効ニ管理人ノ為シ得ベキ時期ニ達シタルトキニ於テハ賃借人ハ管理人ニ對シテ同一ノ催告ヲ為スコトヲ得ベシ
第百廿五条
所有者ニシテ且ツ完全ノ能力ヲ有スルモノ自己ノ財産ノ賃貸借ヲ為ス場合ニ於テハ法律ヲ以テ賃貸借ノ期間其他ノ条件ニ関シ所有者ノ権利ヲ制限シ得ベキニ非ラサルナリ
然レトモ其賃貸借カ多少長キ期間ヲ有スル場合ニ於テ之ニ附スルニ特別ノ性質ト効力トヲ以テスルハ固ヨリ法律ニ於テ為シ得ベキ所ナリ
永借権ト名クル一種ノ賃借権ニ特別ナル規定ハ第二節ニ於テ之ヲ看ルベシ又同節ニ於テ地上権ト称スル一種ノ物権モ完全所有権ト混同ヲ来タサザラシムル為メ其期間ニ於テ制限アルヲ看ルベシ
第二款 賃借人ノ権利
第百二十六條
第百十五條ノ明文ヲ以テ掲ケタル賃借権ノ定義ニ依レハ賃借人ハ他人ニ属スルモノヲ使用シ及ヒ之カ収益ヲ為スノ権利ヲ有スルコト已ニ明ナリトス然レトモ使用及ヒ収益ノ権利ハ之ヲ行使スルニ於テ多少ノ程度ナカル可ラス是ニ於テカ賃借人カ使用収益ヲ為スハ如何ナル程度ニ於テスヘキヤヲ明定スルコトヲ要ス
立法者ハ賃借人ノ権利ヲ以テ用益者ノ権利ト同一ナラシムルノ原則ヲ設ケ依テ以テ特ニ用益権ニ関シテ設ケタル如キ詳細ノ規定ヲ再言スルコトヲ避タリ此故ニ例ヘハ耕地ノ賃貸借ノ場合ニ於テ之ニ附従シタル獣畜ニ付テハ賃借人ノ権利用益者ニ與へラレタル権利ト同一ナルコトノ如キ特ニ之ヲ明文ニ掲クルノ必要アラサルナリ又賃借人ハ賃借シタル樹木石坑泥炭坑等ニ付テ収益ヲ為シ漁獵ヲ為スノ権利ヲ有スル如キ事ニ至テモ明文ヲ要スルコトナクシテ明ナルコトヲ得ヘシ然レトモ右ノ原則ノ摘用ニ関シテ注意ヲ要スルモノアリ蓋シ用益者ノ有スル権利ニシテ特ニ立法者カ之ヲ賃借人ニ拒絶サルモノハ此拒絶セラレサルノ一事ノミニ因テ悉ク賃借人ノ有スル所ナリト云可カラス凡ソ物ノ中ニハ其性質上賃貸借ノ目的タルコトヲ得ヘシトモ思ハレサルモノアルカ故ニ本来賃借人ニ於テ至當ニ賃借権ヲ有スト主張スルコトヲ得可カラサルモノアレハナリ之ヲ例スルニ代替物即チ量定物終身年金権等ノ如キ即チ是ナリ
之ニ依テ之ヲ観レハ用益権ト賃借権トノ二箇ノ権利ハ甚タ相類似スト雖モ尚ホ決シテ同一ノモノナリト云フ可ラス賃借人ノ権利ハ或點ニ在テハ之ヲ用益者ノ権利ニ比スルニ一層廣大ナルコトアルヲ得ヘシ何トナレハ賃借人ハ賃貸人ニ對シテ其力ノ及フ限リノ總テノ方法ニ因テ収益ヲ己ニ得セシメンコトヲ要求スルノ権利ヲ有スヘク而シテ用益権ノ場合ニ於テ虚有者ハ用益者ニ對シテ斯ノ如キ義務ヲ有スルコト無ケレハナリ
賃貸借ノ法律上ノ効力ハ当事者ノ意思ヲ以テ或ハ擴張シ或ハ制限スルコトヲ得ルモノナリ賃貸借契約ニハ屢此ノ如キ特別ノ條件ヲ記載スルコトアルヘシ
今説明ヲ要スル所ノモノハ単ニ此等ノ効力如何ノ点ニ止マルモノタルコト勿論ナリ之ヲ増減シタル合意上ノ効力ニ至テハ各場合ニ付キ賃貸借契約ノ文義ニ従テ之ヲ遵守ス可シ蓋シ契約ハ一旦有効ニ成立シタル以上ハ當事者双方ノ間ニ在テハ法律ト同一ノ効力ヲ有スルモノナリ
第百二十七條
賃借人カ用益者ト異ナリテ動産ノ目録及ヒ不動産ノ形状書ヲ作ル義務ヲ有セサルコトハ之ヲ用益者ニ比シテ賃借人ノ為メニ甚タ利益アル差異ナリトス而シテ本法ニ於テ此差異ヲ設ケタルハ左ノ理由ニ依ルモノナリ動産ノ目録及ヒ不動産ノ形状書ヲ調製スルハ実ニ賃貸ノ利益タル所為ニシテ用益権ノ場合ニ於テハ用益者ハ概ネ無償ニテ収益ノ権利ヲ取得スルモノナルカ故ニ此ノ如キ所為ヲ以テ其負担ト為スモ不当ナラスト雖モ賃貸借ノ場合ニ於テハ賃借人ノ収益ノ権利ハ常ニ有償ニテ取得スルモノナルカ故ニ之ヲシテ此ノ如キ責ニ任セシムルハ決シテ其当ヲ得タルコトニアラサルナリ
然レトモ是レ特別ノ合意アラサル場合ヲ云フモノナリ故ニ契約ニ於テ是等ノ義務ヲ特ニ賃借人ニ負ハシメタルトキハ固ヨリ賃貸人カ之ヲ要求シ得ヘキコト勿論ナリトス
右ノ事項ニ関シ特別ノ合意アルト否トヲ論セス総テ各當事者ハ他ノ一方ノ者ヲ財産ノ目録及ヒ形状書調整ニ立会ハシムル為メ之ヲ召喚スルコトヲ要ス唯此場合ニ於テハ此調製ヲ欲スル者ニ於テ其費用ヲ負担スルコトヲ要ス(第百三十七條参看)
當事者ハ通例後来ノ訴訟ヲ避ケンカ為メ共同ノ費用ヲ以テ場所ノ形状書ヲ作ランコトノ合意ヲ為ス可シ就中家屋ノ賃貸借ノ場合ニ於テ其全部若クハ一部ニ動産ヲ据付ケ有ルトキハ當事者ハ最モ此形状書ヲ作ルコトヲ怠タラサル可キナリ
保証人ヲ立ツルノ義務ニ至テモ亦用益者ト異リテ賃借人ハ之ヲ負担セス然レトモ此担保ノ義務ノ免除ハ財産ノ目録若クハ形状書ヲ作ル義務ノ免除ニ比スルトキハ其緊要ノ程度甚タ小ナルヘシ何ントナレハ賃借人ニ別ニ担保ヲ供セサルモ賃借人所有ニ属スル財産ニシテ賃借シタル場所ニ据付ケタル動産ニ付テ賃借人ハ法律上當然ニ先取特権ヲ有シ以テ前記担保ニ代フルヘケレハナリ(参看債権担保編第百四十七条以下)然レトモ是レ不動産ノ賃貸借ノ場合ニ止ル是ヲ以テ動産ノ賃貸借ノ場合ニ於テハ全ク法律上賃貸人ノ為メニ担保ヲ存セス縦ヒ不動産ノ賃貸借ノ場合ニ於テモ其不動産ニ動産ノ据付アルトキ亦然ルト為ス故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ賃借人ハ法律上何等ノ担保ヲ供スルノ義務アラス隋テ賃貸人ハ特ニ此等ノ担保ヲ要求スルカ若クハ前以テ借賃ヲ補ハシムルコトハ賃貸人ノ宜シク注意スヘキ所ナリ
第百廿八条
本款ノ規定ハ主トシテ賃借人ノ権利ヲ以テ目的ト為スモノナリ従テ裏面ヨリ之ヲ観察スルトキハ賃貸人ノ義務ニ関スル所ノモノナリ此ト同シク次款ハ賃借人ノ義務ヲ目的トシテ規定ヲ為シタルモノニシテ賃貸人ノ権利ニ對應スルモノナリ是レ一方ノ義務ハ他ノ一方ノ権利ニシテ必竟スルニ右次款ノ此二様ノ目的ハ元来賃貸借契約カ双務ノモノタルヨリ生シ来ル自然ノ結果ナリトス
用益者カ収益ヲ始ムルトキニ当リテハ用益物ヲ其現在ノ形状ヲ以テ受取ラサル可ラス何等ノ修繕又ハ恰好ヲ要求スルノ権利アラサルコト吾人カ既ニ説明シタル所ナリ
然ルニ賃借人ハ之ト全ク異ナリテ収益ヲ為ス為メ賃借物ヲ受取ルトキニ於テ一切ノ修繕ヲ整ヘ完全ノ形状ヲ以テ引渡サンコトヲ賃貸人ニ要求スルコトヲ得ルモノナリ且他日収益ヲ為スノ間ニ於テ必要トナリタルトキハ賃借人ニ於テ其負担ヲ免ルルコトヲ得ス又ハ賃貸人ニ請求スルコト能ハサルヘキ種類ノ修繕ニ至テモ尚ホ引渡ノ以前ニ於テハ之ヲ要求スルコトヲ得ヘシ
賃貸人ヲシテ此ノ如ク義務ヲ負ハシムルモノハ全ク賃借人ノ権利ニ對照スルモノニ外ナラス蓋シ賃貸人ハ賃貸借ノ期間賃借物ノ収益ヲ賃借人ニ得セシメ且之カ担保ヲ為スノ義務ヲ有スルカ故ニ此汎博ナル義務ノ自然ノ結果トシテ此義務ヲ免ルルコト能ハサルナリ然レトモ若シ修繕ニシテ賃借人ノ過失若クハ不注意ニ因テ必要ト為リタル場合ニ於テハ賃借人之ヲ負担スヘキコト当然ナリ蓋シ何人ト雖モ自己ノ過失又ハ不注意ノ結果ハ自ラ之ヲ負担スヘキモノナレハナリ
又賃借権ノ終了スルトキニ当リ本條第三項ニ掲クル物件カ悪變若クハ毀傷セラレタリト雖若シ物件ノ悪變性若クハ毀損カ賃貸借ノ期間ニ照シ単純ナル使用ノ所為ノ結果タルニ止リ何等ノ過失無キコト疎明セラレサルトキハ賃貸人ハ賃借人ニ對シテ之カ修繕ヲ要求スルノ権利ナシ
此條第三項及ヒ第四項ニ掲ケタル物件ノ修繕ニ関シテハ賃貸人カ修繕ノ義務ヲ有セサルト同時ニ賃借人其責メニ任ス可キモノト論決ス可カラス蓋シ賃借人ハ進テ自ラ此修繕ヲ為スコトヲ得ヘキモ元来其義務ニ非ス隨テ之ニ要スル費用モ亦タ全ク任意ノモノナレハナリ
且此ノ如キ事項ニ関シテハ地方ノ習慣ニ従フコトヲ称シタルヲ以テ若シ地方ノ習慣ヲ遵奉セサル可カラス
第百二十九條
前條ノ規定ニ従ヘハ賃借人ハ己ノ収益ヲ為スニ必要ナル修繕ヲ要求スル權利ヲ有ス然レトモ權利ハ権利者ニ於テ之ヲ行フト否ト元来任意ナルモノニシテ且通常權利ノ行使ハ權利者ニ利益ヲ與フルモノナレトモ或ル特別ノ場合ニハ却テ權利者ニ不利ナルコト有リ得ヘキカ故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ権利ハ自己ノ権利ヲ行フコトナカルヘシ賃貸借ノ終了ニ甚タ接近スルニ當リ修繕ノ必要生スルモ賃借人ハ此修繕ノ時間其工事ノ為メニ収益ノ不便ヲ来タス可キコトヲ恐レ他ノ一方ニ於テ此修繕ヲ求メサルモ将ニ終了セントスル自己ノ賃借権ノ為メニ格別ノ不利益ヲ感セサル如キ場合ニ於テハ自ラ此修繕ヲ請求セサルノミナラス却テ之ヲ好マサルヘシ
然リト雖モ賃貸人ノ地位ヨリ之ヲ考フレハ実ニ修繕ヲ為スト否ト利害ノ関スル所大ナリ蓋シ已ニ必要トナリタル修繕ヲ為ササルトキハ之カ為メニ建物牆壁土手等カ非常ニ毀損スルコトアルヘク其甚タシキニ至テハ終ニ崩壊ヲ致スコト有ル可シ此時ニ當リ賃借人尚ホ之ヲ拒ム事ヲ得ハ賃借人ノ利益ノ為メニ賃貸人ノ権利ヲ全ク犠牲ニ供スルニ至ル決シテ其当ヲ得タルモノニ非ス是ヲ以テ法律ハ賃貸人ニ与與フルニ必要トナリタル修繕ヲ為スノ権ヲ以テシ賃借人ヲシテ之ヲ甘受スルノ義務ヲ負ハシメタリ
然レトモ元来賃借人ハ自己ノ収益ニ付キ賃貸人ヲシテ担保ヲ為サシムルノ權利
アリ此原則ハ右ノ場合ニ於テモ適用ヲ為ササル可ラス故ニ本法ハ一方ニ於テ賃貸人ノ権利ヲ保護スルト同時ニ賃借人ノ利益ヲ担保スル為メ左ノ件々ヲ明定セリ
第一若シ修繕ノ事業カ一月以上継續シテ而シテ之カ為メ賃借人カ金銭ニ見積ルコトヲ得可キ損害ヲ受ケタルトキハ賃借人ハ之ヲ理由トシテ借賃ノ減殺ヲ求メ依テ其賠償ヲ受クヘシ
第二若シ賃借人カ修繕ノ事業ノ為メ縦ヒ一日間タリトモ家屋ノ住居ス可キノ部分ノ全部又ハ其商業若シクハ工業ニ必要ナル建物ノ部分ヲ奪ハルルトキハ賃借人ハ之ヲ理由トシテ賃貸借ヲ解除セシムルノ権利ヲ有ス蓋シ賃借人ガ住屋ノ総テノ部分ヲ奪ハルルトキハ去テ屋外ニ住居セサルヲ得サル可ク若シ又其商工業ニ必要ナル建物ノ部分ヲ失フトキハ重大ナル損失ヲ受ケ殆ト其生計ノ唯一ノ方法ヲ全ク失フコトアル可レハナリ
法律上ヨリ論スレハ賃借人ノ権利此ノ如クナリト雖モ実際ニ於テハ常ニ此ノ如クナラサルヘク即チ必要ナル建物ヲ奪ハルルノコト久シキニ彌ラサルトキハ賃借人ニ於テモ此解除權利ヲ濫用スルノ恐ナカル可シ何トナレハ賃貸借ヲ解除スルトキハ賃借人ハ他ニ移轉セサル可ラス此移轉ヨリ不便ト損失トハ却テ修繕ノ事業ヨリ受クル損害ニ比シテ大ナルコ屢ナル可レハナリ然ノミナラス若シ賃借人ニ於テ此解除ヲ恐ルルトキハ修繕ニ先チ之ニ付ク或ハ場合ニ依リ危険ノ緊急ナラサルニ於テハ賃貸借終了ノ時迄修繕ヲ遷延スルコトヲ得可キコト言ヲ俟タス
要スルニ本条ノ規定ハ次款ニ掲クル賃借人ノ義務中ニ列スルコト或ハ其当ヲ得タリト為ス者アル可シ然レトモ本條ハ賃借人ノ或ル義務ヲ掲クルト同時ニ其二箇ノ權利ヲ明定スルノミナラス尚ホ賃借物ノ修繕ニ関スル事項ハ務メテ之ヲ同一ノ処ニ規定シ所々ニ分タサルヲ以テ宜キヲ得タルモノトナス是レ本條ニ於テ此明文ヲ掲クル所以ナリ
第百三十條
賃借人ノ有スル權利ハ単ニ契約ヨリ生スル人権ノミ非スシテ尚ホ一箇ノ物權アリ故ニ其權利ヲ保護スル為メニ物上訴権ヲ有シ何人ニ對スルモ自ラ裁判所ニ於テ賃借権ヲ防禦スルコトヲ得可シ若シ之ニ反シ其権利カ単ニ対對人的ノモノタルニ止ラハ賃借人ハ賃貸人ノ援ヲ以テスルニ非レハ第三者ニ對シテ自己ノ権利ヲ法庭ニ防禦スルコトヲ得サル可シ何トナレハ人權及ヒ之カ結果タル對人ノ訴権ハ特定ノ人以外ニ對シテ行フコトヲ得サレハナリ
然レトモ賃借人自ラ物権ハ物上訴権ヲ第三者ト直接ニ争フノ権利アレトモ尚ホ訴訟ノ責任ヲ自己ニ引受ケサルヲ以テ策ノ得タルモノナリトス蓋シ賃借人訴訟ヲ為ストキハ第三者ノ主張ヲ排斥スルニ足ルヘキ方法ヲ提出シ得ヘキ賃借人一人ニテ訴訟ヲ為シタル此ノ如キ證據ヲ供スルコト能ハサリシタメ敗訴スル如キコト有ルヘク此場合ニ於テハ敗訴ノ結果ハ賃借人一人ニテ之ヲ負担セサルヲ得ス更ニ何人ニ對スル求償ヲ為シ得ヘカラス然ノミナラス權利上ノ妨害ノ場合ニ於テ之ニ對シ賃借人ヲ保護スルノ任ハ賃貸人カ賃貸借契約ニ依リ担保ノ義務トシテ負担スル所ノ一ナレハナリ
賃貸人ヲシテ本条ニ掲クル如キ担保ノ義務ヲ負ハシムルニハ第三者カ賃貸人ノ収益ニ加ヘタル妨害カ権利上ノ原由即チ正当ニ権利ヲ有スルト主張スル原由ニ基クモノナルコトヲ必要トナス之ヲ例スルニ賃借物ノ所有権用益権若シクハ賃借権ヲ主張シテ賃借人ノ収益ヲ妨害スルカ如シ然ルニ若シ之ニ反シ第三者カ賃借物上ニ何等ノ権利ヲモ主張スルコトナクシテ単ニ其毀損果実ノ盗取等ヲ為シタルトキハ賃借人ハ自己ノ防禦ノ為メ賃貸人ニ告知シテ担保セシムルコトヲ得ス即チ賃借人ハ是等単純ナル事実上ノ妨害ニ對シテハ己レ自ラ防禦スルノ一方法アルノミトス
又第三者ノ妨害カ縦ヒ権利ノ主張ニ基クトキト雖モ若シ其妨害ノ原因カ賃借人ノ責ニ帰ス可キモノナル場合ニ於テハ賃借人ハ賃貸人ニ對シ或ハ防禦ヲ求メ又ハ賠償ヲ求ムル等担保ノ請求ヲ為スコトヲ得ス例ヘハ第三者ニ於テ賃借人ヨリ賃借権ヲ譲受タリト主張シ又ハ轉借セリト主張スル場合ノ如キ是ナリ本條ノ理由ハ左ノ如クナリトス即チ此等ハ自己ノ所為ノ結果ニシテ賃借人カ自ラ負担スヘキ所毫モ他人ヲシテ其責ニ任セシム可キ理由アラサレハナリ
第百三十一條
賃貸人ハ賃借人ニ對シテ一般ニ賃借物ノ収益ニ付キ担保ヲ為スノ義務アリト雖モ若シ収益ノ喪失若クハ減少ニシテ本條ニ掲示スル事件ノ如キ非常ニシテ重大ナル不可抗力ヨリ生スル場合ニ於テ法律ハ収益担保ノ原則ニ幾分ノ斟酌ヲ加ヘ以テ賃貸人ノ負担ヲ減セサルヲ得ス蓋其過重ニ失センコトヲ恐ルレハナリ
若シ単ニ理論ニ依テ考フルトキハ二箇ノ相反對セル論決ヲ案出シ得ヘシ即チ一ハ一切ノ損失ヲ専ラ賃借人ノ負担ニ帰セシムルノ論決ニシテ他ノ一ハ専ラ之ヲ賃貸人ノ負担ニ帰セシムル所ノモノナリ本法ニ於テハ此極端ニ偏スルコト無ク其間ニ於テ一種ノ折衷方法ヲ採レリ其要左ノ如シ
凡ソ賃借人カ賃借物ヨリ得ル所ノ利益カ家屋使用ノ利益ナルト土地ノ産出物ヲ取得スルニ在ルトヲ問ハス若シ前ニ述フル如キ原因ノ為メニ収益ノ減少ヲ受ケ其損失ニシテ毎年ノ利得ノ三分一未満ナルトキハ其損失ハ斟酌スルニ足ラサルモノトシテ悉ク賃借人ノ負担ニ属ス可シ
若シ之ニ反シテ右ノ損失カ毎年ノ利得ノ三分一以上ナルトキハ之ヲ賃貸人ノ負担ニ帰セシム即チ賃貸人ハ此損失ノ割合ニ應シテ貸賃ノ減少ヲ為スノ責アルモノトス
一定ノ金額等ヲ以テ借賃ヲ約シタルトキハ右ノ如ク損失ノ如何ニ依リ借賃ノ減少ヲ為ス可シト雖モ若シ然ラスシテ土地ノ果実ノ幾分ヲ以テ借賃ト為シタル場合ニ於テハ賃借人ハ本條ニ掲クル如キ収益ノ損失ヲ蒙ルコト如何ニ大ナルモ特ニ之ガ為メ本條ノ賠償ヲ得可キニアラス何トナレハ此ノ如キ場合ニ於テハ損失些少ナルトキト雖モ其負担ハ賃借人一人ニ帰セスシテ常ニ契約ノ割合ニ應シテ賃貸人ノ受領ス可キ借賃ヲ減スルモノナルヲ以テ損失大ナルトキハ従テ此減少モ当然ナル可ク特ニ本條ノ原則ヲ適用スヘキ所ナケレハナリ又此場合ニ於テ果実カ已ニ土地ヨリ離サレタル後未タ賃借人カ其幾分ヲ賃貸人ニ引渡ササル以前ニ於テ果実滅失シタルトキハ賃借人ニ於テ其損失ヲ負担セサル可ラス然レトモ若シ賃借人ヨリ賃貸人ニ對シ借賃タル部分ノ果実ヲ受取ルコトニ付催告ヲ為シ遅滞ニ附シタル後ナルトキハ此限ニ在ラサルナリ
以上ニ掲クル所ハ唯減少シタル収益ニ對シテ損失ノ賠償ヲ定メタルノミ法律ハ尚之ヲ以テ足レリト為サス本條ニ記載スル不可抗力ノ為メ収益ノ妨害ヲ受クルコト右ノ如クニシテ引續キ三年ニ及ヒタル場合ニ於テ更ニ賃借人ノ有スヘキ権利ヲ明定セリ此場合ニ於テ賃借人ハ借賃減少ノ方法ニ依テ毎年ノ損失ニ對シテハ賠償ヲ得タル可シト雖モ之ヲ以テ何等ノ損害ヲ被ルコトナシト云フ可ラス何トナレハ当賃借ヲ為シタル目的ヲ達スルコト能ハサル可レハナリ故ニ将来ニ向テハ豫期ノ利得ヲ生セシム可キ他ノ賃借ヲ約スルノ自由ヲ得セシムルコトヲ要ス即チ従来ノ賃貸借ヲ解除スルノ権利ヲ有セシメサル可ラス
本條ノ規定ニ従フトキハ賃借人カ引續キ三ヶ年ノ間毎年ノ利得ノ三分一ノ損失ヲ受クルトキハ単ニ之ニ對シテ相当ナル賠償ヲ受クルノ権利アルノミナラス剰サヘ賃貸借解除ノ権利ヲ有ス可ク而シテ此損失ガ毎年ノ利得ノ三分一未満ナルトキハ何等ノ賠償ヲモ得ルコト能ハサルノミナラス縦ヒ其損失カ引續キ何年ニ及フモ更ニ賃貸借ノ解除權ヲ有セサルナリ是レ或ハ公平ヲ欠クモノナリト信スル者アラン然レトモ三分ノ一ニ満タサル其損失ハ法律上損失トシテ之ヲ斟酌スルニ足ラサル些少ノモノト為セルカ故ニ是レ全ク損失ナキト同一ナリ是ヲ以テ賠償ノ責任ヲ生スルニ足ラス又従テ此責任ノ必須ノ結果タル賃借人ノ解除ノ権利ヲ生スルニ足ラサルナリ
賃借人カ収益ノ損失ノ為メ本條ノ賠償ヲ得ルニハ其損失カ本條ニ掲クル如キ重大ニシテ且非常ナル事変ニ因テ生シタルコトヲ必要トス然レトモ本條ノ例記ハ単ナル例示ノモノニシテ決シテ限定ノモノニ非サルコトヲ注意ス可シ
本條ノ末文ハ賃借物タル建物カ不可抗力ニ因テ毀滅シ又ハ焼失シタル場合ヲ想定セリ若シ此滅失シタル部分ノ収益カ賃借物全体ノ毎年ノ収益三分一ニ満タサルトキハ前ニ述ヘタル理由ニ依リ法律ハ賃借人ノ損失ヲ斟酌スルコト無シ故ニ本條ノ末文ハ滅失セル建物カ毎年ノ収益ノ三分ノ一以上ニ相当スル場合ヲ規定シタルモノナリ此場合ニ在テ賃借人ハ収益ノ損失引續キ三ヶ年ニ及フヲ待ツコト無クシテ賃貸借ノ解除ヲ請求スルコトヲ得ヘシ蓋シ一旦建物毀滅シタル以上ハ更ニ之ヲ再造スルニ非サレハ収益ノ損失永久ナルコト明ナリ故ニ他ノ場合ノ如ク三ヶ年ヲ待タシムルノ理ナキナリ家屋ヲ再造スルハ一ニ賃貸人ノ任意ニ属スルカ故ニ賃貸人之ヲ為ササル以上ハ賃借人カ解除ヲ請求シ得ヘキコト当然ナリトス然ルモ尚ホ一ヶ年ノ期限ヲ定メタルハ一方ニ於テ難ヲ賃貸人ニ望マス又一方ニ於テ賃貸人ノ為メ甚タシキ不利益ヲ生セシムルコトナク以テ双方ノ利益ヲ全カラシメンコトヲ期シタルナリ
此規定ハ建物ノ賃貸借ノ場合ニ於テ其一部分ノ毀滅ノトキニ当リテ其適用ヲ見ル可シ何トナレハ若シ其全部毀滅シタルトキハ賃借物ノ滅失ニ外ナラス従テ賃貸借契約ハ當然消滅ス可ケレハナリ
第百三十二條
當事者カ賃貸借契約ヲ為スニ當リ目的物タル土地若クハ建物ノ廣狭ヲ量定スルカ如キハ実際ニ於テ之ヲ為ササルコト往々之レ有リ蓋シ賃借人ハ賃貸人ノ申述スル所ヲ信任スルヲ以テナリ然レトモ賃貸人モ亦タ自ラ誤信シテ不実ノ申述ヲ為スコトアルヘク而シテ此錯誤タル時トシテハ頗ル重大ニシテ賃借人カ為メニ被ル可キ損失ハ甚タ大ナルコト有ル可シ或ハ之ト全ク相反シテ土地若シクハ建物ノ現実ノ坪数カ契約書ニ掲ケタル所ヨリ大ナルコト有ル可ク而シテ此場合ニ於テ賃借人ハ常ニ約束ノ借賃ノミヲ拂フテ約束ヨリ大ナル土地又ハ建物ノ収益ヲ為スコトヲ得ルトセハ之ニ因テ著シキ利益ヲ得ル如キハ其当ヲ得タリト云フ可ラス又必ス坪数ノ大ナルニ應シテ相当ナル借賃ノ増額ヲ拂フノ義務アルモノトセハ賃貸人ノ困難ハ時ニ甚タ大ナル可シ此等ノ事項ニ関シテ本條ハ特ニ規定スル所ナク一ニ之ヲ取得編賣買ノ章ニ譲リ同一ノ規定ヲ適用スルモノト為セリ蓋シ之ト同一ノ問題ハ賣買ノ場合ニ於テ起リ得ヘキカ故ニ之ニ関スル必要ノ区別モ賣買ニ関シテ規定スル所アル可レハナリ
第百三十三條
賃借人カ賃借地ニ付テ有スル権利ハ全ク一時ノ権利ニ過キスシテ所有権ノ如ク永久ナラスト雖モ之カ為メニ賃借地ニ建物又ハ樹木ノ植栽ヲ為スノ権利ヲ有スルコト為シト云フ可ラス蓋シ賃借地ニ従来存在スル建築又ハ植付ヲ毀損スルコトナク或ハ特ニ賃貸人ノ許可ヲ得テ之ヲ變更スルノ條件ヲ守ル以上ハ此等ノ所為ハ決シテ賃貸人ヲ害スルモノト云フコト能ハサレハナリ
又賃借人ハ賃貸借ノ終了シタルトキニ至リ賃借物ヲ旧状ニ復セシメ自ラ為シタル建築若クハ植栽ヲ収去スルノ権利ヲ有ス可キコト勿論ナリトス蓋シ賃貸ノ損害タル所ナケレハナリ
然ルニ当初賃借人カ賃貸人ノ承諾ヲ得テ従来賃借地ニ存スル建築若クハ植栽ヲ撤去シ而シテ自ラ新タニ建築又ハ植栽ヲ為シタル場合ニ於テハ賃借人ハ旧建築又ハ旧植付ヲ旧状ニ復セシムル能ハサルコト明ナリ然ルモ尚ホ自己ノ為シタル建築又ハ植栽ヲ収去スルノ権利ヲ有ス可キヤ否ヤハ一箇ノ疑問タルコトヲ得ヘシ今マ原則トシテ之ヲ概論スルトキハ右ノ如キ場合ニ於テモ尚ホ賃借人ハ収去ノ權利ヲ保有スルモノト断定セサル可カラス何トナレハ賃貸人ニ於テ別ニ此事ニ付キ自己ノ利益ノ為メニ権利ヲ留保スルコト無カリシ以上ハ旧来ノ建築ハ賃貸借ノ終了ノ後マテ存續スルコト無キヲ認メ之ヲ撤去スルモ自己ノ損害タラサルコトヲ認メタルモノナル可ク然ラハ則チ旧状ニ復セサルハ決シテ賃貸人ノ為メニ損害ヲ加ヘタリト云フ可キニ非サレハナリ
賃借人ガ収去スルコトヲヲ得可キ建物ニ付テ賃貸人ガ有スル先買ノ権利ハ之ヲ賃借人ノ義務ノ事項ニ之ヲ掲ク(第四十四條参看)
第百三十四條
凡ソ権利ハ物権ト人權トヲ問ハス一般ニ之ヲ譲リ渡スコトヲ得ヘシ蓋シ此等ノ權利ハ吾人ノ資産ヲ組成スル財産ニシテ(第一條)財産ハ或ハ例外ヲ除キ総テ之ヲ有スル者ニ於テ自由ニ處分スルコトヲ得可シ物権中ニ在テ専ハラ人ノ一身ニ属シ従テ他ニ譲渡スルコトヲ得サル所ノモノハ唯使用權及ヒ住居権アルノミナリ
賃借権ニ至テモ原則上法律ヲ以テ其譲渡若クハ轉貸ヲ禁ス可キ理由アラサルナリ然レトモ賃貸人ハ特ニ契約ニ因テ此權能ヲ賃借人ニ禁スルコト有リ得ヘシ是レ賃貸人カ奢侈ノ物件等ニ付テ使用者ノ如何ニ依リ其毀損ヲ恐ルル如キ場合ニ於テ実例ヲ見ルコトアル可キ所ナリ而シテ此ノ如キハ法律上之ヲ禁ス可キニ非ス又當事者之ヲ禁セルモ地方ノ習慣ニ於テ譲渡ヲ許ササル場合アル可シ総テ此等ノ場合ニ於テハ右ニ掲ケタル原則ニ對シテ例外ヲ認メサル可ラス
本條ハ賃借權ノ譲渡ト轉貸トノ間ニ存スル本来ノ差別ヲ明示セリ
賃借権ノ譲渡ハ其設定ノ全期間ニ對シ賃借権ヲ全ク移付スルモノナリ此譲渡ハ時ニ無償タルコトヲ得ヘシ此場合ニ於テハ賃借權ノ贈與ナリトス又時ニ有償タルコトヲ得ヘシ此場合ニ於テハ通常単一ノ代價ヲ以テ之ヲ譲渡ス賣買ナル可シ然レトモ或ハ賣買ナラスシテ交換タルコトアルヘク而シテ其有償ノ譲渡タルニ至テハ一ナリ
轉貸一箇ノ新タナル賃貸借ナリ而シテ此新タナル賃貸借ハ主タル賃貸借ニ比シテ期間一層短キコトアルヲ得ヘシ又轉貸ハ常ニ有償ニシテ無償ナルコト無シ且譲渡人ノ義務ト轉貸人ノ義務トハ其負担スル担保ノ義務ノ点ニ於テ同一ナラサルモノナリ即チ譲渡人ハ譲受人ニ對シ単ニ賃借権ノ追奪ニ付テノミ担保ヲ為スノ義務ヲ有スト雖モ轉貸人ノ轉借人ニ對スルハ此ノ如クナラス普通賃貸借ノ原則ニ従ヒ継續セル収益ニ付テ担保ノ義務ヲ免ルルコト能ハス
賃借人ハ縦ヒ賃借権ノ譲渡若クハ轉貸ヲ為スモ之ニ依テ賃貸人ニ對スル自己ノ義務ヲ免カル可カラサルコト論ヲ待タス何トナレハ自己ノ権利ハ自由ニ之ヲ處分シ得ヘシト雖モ義務ニ属スルモノハ権利者ノ承諾ナクシテ之ヲ免ル可キニ非サルナリ故ニ轉借人カ資力十分ナラスシテ賃借人ノ義務ヲ履行スル能ハサルコトアルモ賃貸人ハ之カ為メ損失ヲ受ク可キニ非ス主タル賃借人ニ對シテ依然請求スルコトヲ得ヘシ賃貸人カ此権利ヲ失フハ債務者タラシムルコトヲ賃貸人自ラ承諾セシトキニ限ル而シテ此ノ如ク債務者ヲ変更スルハ是レ法律ニ所謂ユル更改ヲ為スモノナリ
更改ニ関スル理論ハ義務ノ事項ニ属ス故ニ義務ノ事ヲ規定スルニ当テ詳細ノ説明ヲ見ル可キナリ
若シ賃貸人カ一定ノ金額等ヲ以テ貸賃ト為サスシテ果実ノ一分ヲ以テ借賃ト定メタルトキハ此賃貸借契約ハ或ル点ニ於テ會社契約ニ類スル所アリ即チ此契約ハ賃借人ノ一身ノ着眼ヲ主トシタルモノニシテ其才智及ビ正廉ヲ信認シタルモノナリ蓋シ此ノ如キ場合ニ於テハ収穫ノ多少ニ従テ賃貸人ノ得分増減ヲ来スヘケレハナリ已ニ然ルカ故ニ此ノ如キ條件ヲ以テ契約ヲ為シタル賃借人ハ原則上賃借権ノ譲渡又ハ轉貸ヲ為スコトヲ得ス此譲渡若クハ轉貸ヲ為サント欲セハ必スヤ賃貸人ノ承諾ヲ得サル可ラス
法文ハ果実ヲ以テ借賃トナスモ金銭ヲ以テ之ニ代フルコトヲ得ヘキトキハ賃借人其権利ヲ譲渡シ得ヘキコトヲ許認セリ然レトモ豫メ果実ニ代フヘキ一定ノ金額ヲ約シタル場合ヲ豫想シタルモノニシテ決シテ金銭ニ代フコトヲ約シ有ル以上ハ一定セサルモ亦然リト云フノ意ニ非ス蓋シ一定ノ金銭ヲ以テ代フヘキトキハ当初ヨリ一定ノ金額ヲ以テ借賃ヲ約シタルトキト同シク此金額ヲ弁済スル以上ハ何人カ賃借人タルモ賃貸人ニ利害ノ関係アラサレハナリ
又賃借物ヨリ生スル果実ノ一分ヲ以テ借賃ト定メタルニ非スシテ其一定ノ員数ヲ以テ借賃ト為シタル場合ニ於テハ一定ノ金額ヲ借賃ト為シタルトキト同シク譲渡ヲ為スコト賃借人ノ権内ニ属ス可シ何トナレハ此場合ニ於テハ賃貸人ノ得分ハ一定シテ賃借人ノ収益方法ヲノ巧拙等ニ従ヒ増減スヘキモノニ非ス従テ譲渡ハ更ニ賃借人ノ利害ニ関セサレハナリ
若シ第一ノ賃貸借ニ一定ノ期間アラサルトキハ賃借人ト特ニ期間ヲ定メテ他ニ譲渡スコトヲ得ズ蓋シ自己ノ一意ヲ以テ賃貸人ノ有スル解約申入ノ權利ヲ害シ得ヘキニ非レハナリ
第百三十五條
抵當権ハ不動産上ニ設定スル一箇ノ物権ニシテ債権ノ担保タルモノナリ今賃借物ニシテ不動産タルトキハ賃借権モ亦不動産権ナルカ故ニ賃借人カ此不動産権ヲ目的トシテ抵當ヲ設定スルハ其当然ニ有スル権能ニ属シ而シテ特ニ之ヲ禁ヘキ理由アラサルナリ
若シ賃借人カ其賃借権ヲ以テ抵當ト為シタル場合ニ於テ債務ヲ弁済ヲ為ササルトキハ之カ担保タル賃借権ハ抵當債権者ノ請求ニ従テ賣却セラル可シ此ノ如クナルモ賃借権ノ譲渡ヲ為シタル場合ト少シモ異ナル所ナキナリ
然レトモ契約若クハ法律ニ依リ賃借権ノ譲渡ヲ禁シタル場合ニ在テハ賃借権ヲ抵當ト為シ得可カラサルコト勿論ナリ何トナレハ抵當ノ結果ハ強制ノ譲渡ニ外ナラサレハナリ
第百三十六條
賃借人カ第三者ニ對シ自己ノ名ヲ以テ訴ヲ為ス権利ヲ有スルコトハ已ニ第百三十条ノ下ニ於テ之ヲ述ヘタリ唯其規則ノ甚タ緊要ナルカ為メ本條ハ特ニ此事項ニ関シテ一般ノ原則ヲ明記セリ
賃借人カ物上訴権ヲ有スルハ単ニ第三者ニ對シテノミニ非ス賃貸人ニ對シテモ亦同シク之ヲ有スルモノナリ故ニ賃貸人ニ對シテハ賃貸借契約ニ基キテ賃貸人ノ負担シタル義務ニ相應スル對人ノ訴権ト此物上訴権トヲ併有ス可シ
第三款 賃借人ノ義務
第百丗七条
賃借人ハ用益者ト異ナリテ賃借物タル動産ノ目録及ビ不動産ノ形状書ヲ作ルノ義務ナキコトハ既ニ第百廿七条ノ下ニ於テ之ヲ述ベタリ
然レトモ是レ惟賃借人ニ於テ之ヲ作ルノ義務ナキノミ若シ賃貸人ニ於テ自己ノ権利ノ担保ノ為メ進ンデ之ヲ作ルコトヲ欲セバ賃借人ハ之ヲ拒ムノ権利アラサルノミナラズ此書類ノ調製ニ立会フノ義務アルモノナリ此ヲ以テ賃貸人ニ於テ此権利ヲ行ハント欲スルトキハ賃借人ハ賃貸人ヲシテ賃借物ノ現状ニ到ルコトヲ得セシムルノ義務アリ是レ独リ賃貸借ノ当初ニ於テ然ルノミニ非ラス賃借人ガ収益ヲ始メタル後ニ於テモ亦異ナルコトナシ賃借物ハ概シテ賃借人ノ住處ニ存ス可キガ故ニ目録又ハ形状書ノ調製ヲ要スル場合ニ於テモ賃借人ハ特ニ召喚ヲ受クルコト莫カルベシ自カラ此調製ニ立会ハント欲セハ之ニ立会フベキノミ然リト雖トモ目録及ビ形状書ガ賃借人ノ調印ヲ経タルカ又ハ其面前ニ於テ若クハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ召喚ヲ為シタル上公吏之ヲ作リタル時ニ非ラサレハ其調製ハ立會ヲ以テ之ヲ為シタリト云フコトヲ得ス従ツテ賃借人ニ對抗スル効力ヲ有セサルモノナリ縦令右ニ掲グル如キ手続ヲ経テ之ヲ調製シタルトキト雖トモ賃借人ニ於テ公平ニ異議ヲ留保シタル場合ニ於テハ例外ナルコト是レ又勿論ナリ
賃貸人自カラ目録及ヒ形状書ノ調製ヲ求ムルノ権利アルト同シク賃借人モ亦賃貸人ガ之ヲ求メサル場合ニ於テ自カラ此調製ヲ為サシムルコトヲ得ベシ然レトモ此場合ニ於テハ其証書ヲ以テ有効ニ賃貸人ニ對抗スルニハ必ス合法ニ賃貸人ヲ召喚スルコトヲ要ス
賃借人ヨリ請求シタルト賃貸人ヨリ請求シタルトヲ問ハス凡テ証書ノ費用ハ進ンデ請求ヲ為シタルモノニ於テ其全額ヲ負担セサル可カラス然リト雖トモ当事者ノ合意ニ依リテ共同ノ利益ノ為メ証書ヲ作ル可キコトヲ約シタル場合ニ於テハ縦令一方ヨリ請求ヲ為シタル時ト雖トモ其費用ハ一人ニテ負担ス可カラサルコト勿論ナリ
若シ不動産ノ形状書及ヒ動産ノ目録ヲ調製セサルトキハ賃借人ハ之ガ為ニ修繕ノ責任ヲ免カルル能ハサルコト有ルベシ何トナレバ此場合ニ於テハ当初賃借人ハ完好ナル形状ニ於テ賃借物ヲ受取リタルモノト認メラル可ケレバナリ而シテ此点ニ於テ法律ハ賃借人ニ對シ用益者ニ對スルニ比スレハ甚ダ嚴ナリトス蓋シ用益者ハ縦令形状書ヲ作ラサルモ此ノ如ク完好ノ形状ニテ受取リタルトノ推定ヲ受クルハ単ニ不動産ニ関スル場合ニ止マレバナリ(参看第七拾五条然)然ルニ本条ニ於テ賃借権ノ場合ニ於テハ動産ニ関シテモ亦同一ノ決定ヲ為シタルモノハ次ノ理由ニ依ル蓋シ賃借人ハ賃借物ノ引渡前ニ於テ一切ノ修繕ヲ要求シ完好ノ形状ニ於テ賃借物ヲ受取ルノ権利アルモノニシテ是レ実ニ用益者カ有セサル所ノ権利ナリ然ルニ此ノ如キ権利ヲ有スル賃借人ガ特ニ動産ノ形状ヲ證明スル目録ヲ作ルコトナクシテ賃借物ヲ受取リタルトキハ賃借物カ元来完好ノ形状ニ在リシカ然ラサレハ特ニ修繕ヲ要求シテ完好ノ形状ナラシメタルカ必スヤ二者一ニ居ル可キコト至当ニ推定シ得ヘキ所ナレバナリ
之ニ反シテ目録ヲ調製セサル場合ニ於テハ賃借人モ亦多少ノ不利ヲ免カルルコト能ハス此場合ニ於テ賃借人ハ用益者ニ比スレハ法律ノ為ニ優待セラルルモノト云ハサルヲ得ス蓋シ用益者ハ元来目録ヲ調製スル法律上ノ義務ヲ有スルモノナルガ故ニ若シ此義務ヲ履行セサル場合ニ於テハ法律ハ之ヲ待ツコト嚴ナラサルヲ得サレバナリ動産ノ目録ハ賃貸借終了ノ時ニ於テ賃貸人カ賃借人ニ返還ヲ請求シ得ヘキ範囲ヲ證明スルニ必要ナルモノナリ故ニ目録ノ調製ハ賃貸人ニ於テ甚ダ利益ヲ有スルモノナリ然ルニ賃貸人若シ之ヲ調製セサルトキハ当初賃貸シタル物権中不足スル所アルカ又ハ賃借人ガ價格寡キ他ノ物ヲ以テ之ニ代ヘタル物権アル時ト雖トモ賃貸人ハ当初交付シタル物権ヲ請求スル為メ有力ナル證書ヲ要セサルベシ而シテ此證拠ノ不足ハ単ニ直接ナル人證ヲ以テ補フコトヲ得ルニ止マリ虚有者ガ用益者ニ對スル場合ノ如ク世評ヲ以テ之ヲ補フコトヲ得ズ(参看第七拾五条)
第百三拾八条
賃借人ノ有スル義務ノ最タルモノハ借賃ノ弁済ナリ是レ実ニ賃借人ガ有スル引續キタル収益ノ定期ノ對価ナリトス
概シテ賃貸借契約ニ於テ当事者ハ借賃弁済ノ時期ヲ定ムルモノナリ然レトモ当事者ニ於テ之ヲ定メサル場合ニ於テハ孰レノ時期ニ於テ此弁済ヲ為ス可キヤハ法律ニ於テ定ムルコトヲ要スル所ナリ本条ニ於テ毎月末ニ之ヲ拂フ可キモノト定メタルハ要スルニ本邦ニ於テモ汎ク行ハルル習慣ヲ確認シタルニ過キス猶ホ地方ニ従ヒ其習慣ヲ異ニスルコト有ルベキヲ以テ特ニ本条第一項ノ末文ニ據リ地方ノ習慣ニシテ右ノ規定ト異ナル場合ニ於テハ習慣ニ従フ可キコトヲ明カニセリ
若シ一定ノ金銭ヲ以テ借賃ヲ定メスシテ賃借物ヨリ生スル果実ノ幾分ヲ以テ借賃ヲ定メタル場合ニ於テハ賃貸人ハ収穫期節ノ前ニ於テ之ヲ請求シ得ベカラサルコト固ヨリ明カナリ然レトモ此場合ニ於テハ必スシモ賃貸人ニ不利ナリト云フコトヲ得ス何トナレバ一年ノ借賃ノ中幾分ニ付テハ収穫ノ時マデ之レカ弁済ヲ竢タサルヲ得スト雖トモ他ノ幾分ニ對シテハ収穫ノ時一時ニ之レガ要求ヲ為スコトヲ得ベケレバナリ
若シ賃借人ガ弁済ス可キ所ノ借賃ガ果実ノ幾分ニ非ラズシテ賃借物ヨリ生スル産出物ノ一定ノ量ナルトキト雖トモ仍ホ同一ノ規定ヲ適用スベシ何トナレハ其事情少シモ異ナル所アラサレバナリ
第百三拾九条
当事者ガ借賃弁済ノ期ヲ定メタル場合ニ於テモ賃借人ガ約束ノ期日ニ於テ弁済ヲ為ササルコトハ孰レノ邦国ニ於テモ甚ダ実例多キ所ナリ又賃借人カ賃借シタル場處ニ於テ為サントスル商業又ハ工業ノ種類ニ依リ賃貸借契約ニ於テ賃借物ノ保存ノ為ニ特ニ或ル作為又ハ不作為ノ義務ヲ約シ而シテ此特別ノ義務ノ履行ヲ怠タルコトモ亦屢々実際ニ於テ生スル場合ナリトス
此ノ如ク賃借人ニ於テ其義務ノ履行ヲ怠タリタル凡テノ場合ニ於テハ賃貸人ハ二個ノ方法ノ中其一ヲ撰擇スルコトヲ得ベシ第一ハ直接履行ノ訴権ニシテ賃借人ガ当初約シタル處為ノ実行ヲ求メ又ハ禁シタル處為ヲ止ムルヲ以テ目的ト為スモノナリ第二ハ解除ノ訴権ニシテ賃貸借ヲ終了セシムルヲ以テ目的ト為スモノナリ
此二個ノ訴権ハ決シテ賃貸借ノ場合ニ特別ナルモノニ非ラスシテ普通法ノ適用ニ外ナラズ第一ノ訴権ハ作為又ハ不作為ノ義務ヲ生セシメタル契約ニ関スル一般ノ原則ニ基クモノニシテ第二ノ訴権ハ当事者ノ双方ヲシテ義務ヲ負ハシムル双務契約ニ関スル一般ノ原則ニ出ツルモノナリ(参看第四百廿一条)
賃貸人ガ解除ノ権利ヲ行使シタル時ト雖トモ仍ホ之レガ為ニ損害賠償ヲ求ムルノ権利ヲ失フモノニ非ラス即チ賃借人ガ賃借物ヲ毀損シタル如キ場合ニ於テハ其既ニ生シタル損害ニ對スル賠償ヲ求ムルコトヲ得ベク又賃貸借解除ノ後若干ノ時間其財産ヲ使用スルコトヲ得スシテ収入ノ損失ヲ生セシム可キ場合ニ於テハ此賃貸借解除ヨリ生スル損害ノ賠償ヲモ求ムルコトヲ得ベシ
第百四拾条
本条ニ規定スル事項ニ於テモ賃借人ノ義務ト用益者ノ義務トノ間一大差異アルヲ看ルベシ用益者ハ一人ニテ用益物ニ課セラルベキ通常ノ租税ヲ弁済スルノ義務ヲ有シ而シテ非常ノ租税ニ至テハ或ル範囲内ニ於テ之ヲ負担スルモノナリ用益者ガ此ノ如キ義務ヲ有スルハ次ノ理由ニ拠ル即チ用益者ハ用益物ノ毎年ノ収益ノ全部ヲ有スルモノニシテ虚有者ハ更ニ之レガ對価ヲ受クルコトナシ
之ニ反シテ賃貸借ノ場合ニ於テ賃貸人ハ自己ノ所有物ノ収益ヲ賃借人ニ得セシムルト雖トモ其報酬トシテ借賃ヲ得ルガ故ニ更ニ自カラ収益ヲ為スト異ナルコトナシ此ヲ以テ賃貸借ノ場合ニ於テ賃借物ニ賦課セラルル租税其他ノ公課ハ賃貸人ガ直接ニ賃借物ノ収益ヲ為ス場合ト同ジク自カラ其全部ヲ負担スベキコト当然ナリ
然レトモ財政ニ関スル法律ハ必スシモ民法ト同一ノ精神ヲ以テ其規定ヲ為スモノニ非ラズ従テ租税徴収ノ便宜ノ為ニ時トシテハ賃借物ニ賦課スル租税ヲ賃借人ヨリ徴収スルコト有ルベシ
例之バ地租ハ土地ヨリ生スル収穫ニ付キ先取特権ヲ國ニ有セシムルモノナリ然ルニ其土地賃借セラレタル場合ニ於テハ収穫ハ賃借人ニ属スルモノナルガ故ニ賃借人ハ自カラ地租ヲ弁済スルニ非ラサレバ政府ノ訴権ヲ免カルルコト能ハザルベシ蓋シ此租税ハ元来賃貸人ニ於テ負担セサル可カラズト雖トモ其納期ニ先ダツテ之ヲ弁済セス而シテ既ニ納期ト為リタルトキハ前ニ掲クル先取特権ニ基キ國ハ賃借人ニ對シテ要求スルコト有ル可ケレバナリ
此ノ如キ場合ニ於テ賃借人弁済ヲ為シタルトキハ借賃ヨリ之ヲ扣除シ因テ以テ賃貸人ニ對シ求償ヲ為スノ権利ヲ有スベシ
以上ニ述ブル所ノ理論ハ当事者ガ特ニ反對ノ合意ヲ為サザル時ニ於テノミ之ヲ適用スベシ何トナレバ単ニ当事者ノ私益ニノミ関スルモノナルヲ以テ当事者ノ合意ニ依リ之ヲ変更シ得ベキモノ為レバナリ
若シ賃借人ガ賃借シタル土地ニ自カラ建物ヲ築造シ而シテ此建物ニ租税ヲ賦課セラレタル場合ニ於テハ賃借人自カラ之ヲ負担ス可キコト当然ナリトス何トナレハ此建物ニ関シテハ賃借人ハ何等ノ借賃ヲ拂フコトナキガ故ニ前ニ掲ケタル理由ハ此場合ニ於テ全ク存在スルコト莫ケレハナリ
賃借人カ賃借地ニ於テ為スヘキ工業又ハ商業ニ関スル租税ニ於テモ全ク同一ナリトス例之バ営業税及ビ酒、醤油、煙草等ノ租税ニ関スル間税ノ如キ是ナリ
第百四拾一条
賃借人ノ収益ノ方法ニ至テモ多少用益者ノ収益方法ト異ナル所ナキニ非ラサレトモ要スルニ是レ又両者相類似セル一点ナリト云フコトヲ得ベシ惟賃貸借ハ実用上甚ダ重要ノ事項ナルト賃貸借ノ種類殆ント際限ナキヲ以テ特ニ本条ノ明文ヲ掲ケタリ
第百四拾二条
本条第一項ノ規定モ又賃借物ノ保存ニ関スル賃借人ノ義務ニ付キ賃借権ト用益権トノ間ニ一ノ相類似セル規定ヲ設ケタルモノナリ
賃借人ハ第三者カ収益ノ妨害又ハ侵奪ヲ為ス場合ニ於テ之ニ對シ自カラ且ツ自己ノ名義ヲ以テ訴訟ヲ為スノ権利ヲ有スルコト既ニ之ヲ述ベタリト雖トモ若シ此権利ヲ行フノミニシテ他人ノ妨害又ハ侵奪ニ関シ賃貸人ニ告知ヲ為サザルトキハ独リ自己ノ利益ヲ害スルニミナラス猶ホ本分ヲ尽サザルモノト云フベシ(参看第百三拾条)
固ヨリ賃借人ト第三者トノ間ニ下サレタル判決ハ其他ノ人ニ對シテ効力ヲ有ス可キニ非ラス従テ縦令其判決ハ賃貸人ノ為ニ不利益ナルベキ性質ノモノナリトスルモ賃貸人ハ自己ノ権利ヲ保護スル為メ訴訟ニ召喚セラレサリシモノナルカ故ニ此判決ヲ以テ對抗セラルルコト莫カルベシ(参看第九拾八条)
然レドモ若シ此判決ノ結果トシテ第三者ガ賃借物ニ付キ殆ント現状ニ回復ス可カラサル変更ヲ加ヘ又ハ賃借物ノ全部若クハ一部ニ関シテ或ル種類ノ時効ヲ得ルニ至リタル如キ場合ニ於テ賃貸人カ損害ヲ蒙ムルハ甚タ大ナルベシ而シテ是レ全ク賃借人カ賃貸人ニ告知ヲ為サズシテ此重大ナル損害ヲ生セシメタルモノナルガ故ニ賃借人ハ自己ノ過失ヨリ生シタル損害ノ責任ヲ免カルルコト能ハス且ツ賃借人自己ノ必要ヨリ考フルモ賃貸人ヲ召喚スルヲ以テ可ナリト為ス何トナレハ賃借人ハ賃貸借契約ノ性質上賃借物ノ完全平和且ツ継續セル収益ヲ賃借人ニ得セシムルノ義務アルモノニシテ他人若シ之ヲ妨害スル如キ場合ニ於テ賃貸人ハ第三者ノ主張ヲ破ルニ有力ナル證書其他ノ方法ヲ要スベシ故ニ賃借人独リ訴訟ヲ為スハ有力ナル助ケヲ捨テテ甚タシキ危嶮ヲ犯スモノト云フベシ
第百四拾三条
凡ソ賃借物カ動産ナルト不動産ナルトヲ問ハズ凡テ賃借人ノ権利ハ法律ヲ以テ一己ノ物権ナリト明定セラレタリト雖トモ之ガ為ニ決シテ所有権ノ所在ヲ変スルモノニ非ラス故ニ賃貸人ハ依然トシテ賃借物ノ所有権ヲ有スベシ惟其所有権ハ賃借権設定ノ時ヨリ終了ノ時マデ完全ナラズシテ枝分セラレタルノミ若シ賃借人ノ権利消滅スルトキハ賃貸人ノ権利ハ再ビ完全無缺ノモノトナルベシ
此故ニ賃貸借終了シタル場合ニ於テハ賃貸人ハ賃借物ヲ回復スル為メ回復ノ訴権即チ物上訴権ニ因テ請求スルコトヲ得ベシ
然レトモ又賃貸人ハ第二ノ訴権ニ依テ此請求ヲ為スコトヲ得ベシ何トナレバ賃借人ハ賃貸借契約ニ依リ賃借物ヲ保存シ及ビ之ヲ保管スルノ義務ヲ負フ者ナレバナリ
此ノ如キ場合ニ於テ賃貸人ハ物上訴権ト對人訴権トノ二者中孰レヲ撰擇スベキヤハ次ニ掲グル二個ノ事情ニ因テ之ヲ決スベキナリ
第一若シ賃借人ニシテ無資力ノ者ナルトキハ賃貸人ハ物上訴権ヲ提起スルヲ以テ尤モ利益アリトス何トナレハ對人訴権ハ賃借人ノ他ノ債権者ト平等分配ヲ為スコトヲ免カレサルノミナラス賃借物ノ現物ヲ以テ返還ヲ受クルコト能ハスシテ只其價格ニ付テ義務ノ弁済ヲ受クルニ止マルベシ然ルニ物上訴権ニ由テ返還ヲ請求スルトキハ縦令賃借人ニ他ノ債権者アリト雖トモ之ヲ排斥シ優先権ヲ以テ返還ヲ受クルノミナラス賃借物ノ全部ヲ現物ニテ回復スルコトヲ得ベケレバナリ
第二若シ然ラスシテ賃借人ガ充分ノ資力ヲ有シ而シテ賃貸人ハ却テ自己ノ所有権ヲ證明スルニ多少ノ困難ヲ有スルトキハ對人訴権ヲ提起スルヲ以テ利益アリト為ス蓋シ賃貸借契約ノ證明ハ所有権ノ證明ニ比シテ常ニ容易ナル可ケレバナリ
時トシテハ右ニ掲ケタル両個ノ訴権中賃貸人ガ単ニ物上訴権ノミヲ有シ而シテ第二訴権ヲ有セサルコト有ルベシ例之バ賃貸借契約終了ノ時ヨリ三十ケ年ヲ経過シタリト假定スベシ此場合ニ於テ賃貸人ヨリ第二訴権ヲ以テ請求ヲ為スモ賃借人ハ免責時効ヲ以テ之ニ對抗スルコトヲ得ベシ然レトモ賃貸人若シ物上訴権ヲ以テ賃借物ノ返還ヲ請求スルトキハ賃借人ハ決シテ取得時効ヲ以テ之ニ對抗スルコトヲ得ズ何トナレハ賃借人ハ元来他人ノ名義ヲ以テ占有ヲ為ス容假ノ占有者ニシテ此ノ如キ占有者ハ取得時効ヲ主張スルコトヲ得サレバナリ
第百四拾四条
一旦建物ヲ築造シ又ハ樹木ヲ栽植シタルトキハ勤メテ之ヲ毀害スルコトヲ避クルヲ要スルハ一般経済上ノ原則ナルコト既ニ述ベタル所ナリ蓋シ然ラサルトキハ築造栽植ノ労力ト毀害ノ労力トハ全ク無用ニ属スルノミナラス仍ホ其材料ハ毀損ノ為ニ著シク代價ヲ減少スベキガ故ニ常ニ二種ノ損失ヲ来タス可ケレバナリ
若シ賃貸人ニ於テ賃借人カ為シタル建築又ハ植栽ヲ取得セント欲スル場合ニ於テハ賃借人ハ之ヲ拒ムニ於テ至当ノ利益ヲ有スルモノト云フ可カラス而シテ此場合ニ於テ賃貸人ガ弁済ス可キ所ノモノハ当初賃借人ガ建築植栽ノ為ニ費ヤシタル所ニ非ラスシテ賃貸借終了ノ当時現存スル建築及ヒ樹木ノ價格ナリトス
第四款 賃借権ノ消滅
第百四拾五条
用益権消滅ノ原因ニシテ本条ニ掲ケタル賃借権消滅原因ノ列記ニ入ラザルモノアリ是レ用益権ト賃借権ト種々ノ点ニ於テ差異アルコトヲ説キタル場合ニ於イテモ述ベタル如ク敢テ賃借権ト用益権ト性質ヲ異ニスルガ為ニ消滅原因ニ於テ此差異ヲ看ルニ非ラス何トナレハ其性質ヨリ看ルトキハ賃借権ト用益権トハ甚ダ相類似スル所ノモノナレバナリ消滅原因ノ差異ハ全ク賃借権ト用益権ト原因ニ於テ異ナル所アルガ為メニ生スル所ノ結果ナリ即チ賃借権ハ有償ノ原因ニ依テ設定セラレタル者ナリ之ヲ詳言スレハ賃借人ハ賃借物ノ収益ヲ得ルノ報酬トシテ定期ノ出捐即チ供給ヲ為スコトヲ承諾シ依テ以テ収益ノ権利ヲ得タルモノナリ故ニ賃貸借ニ於テハ決シテ賃借人ノ一身ノ着眼ヲ以テ主眼ト為スモノニ非ラス之ニ反シテ用益権ハ通常無償名義ヲ以テ設定セラルルノミナラス凡テノ場合ニ於テ必ズヤ特ニ定マリタル人ノ為ニ収益ノ権利ヲ設定スルモノニシテ即チ用益者ノ一身ノ着眼ヲ旨趣ト為スベキナリ
其原因ニ於テ両個ノ権利此ノ如ク相異ナル所アルガ故ニ其結果トシテ用益権ハ必ス用益者ノ死亡ニ因テ消滅スルモノナリ
固ヨリ賃貸借契約ノ場合ニ於テモ当事者ハ賃借人ノ死亡ニ由テ賃借権ノ消滅ヲ致スベキコトヲ約シ得ヘキハ勿論ナリ然リト雖トモ此点ニ於テ特ニ合意ヲ為スコトヲ要ス単ニ種々ノ事情ニ於テ賃貸借契約ガ賃借人ノ一身ノ着眼ヲ主トシテ締結セラレタルコトヲ信セシムルニ足ルト雖トモ未タ此一事ヲ以テ直チニ賃借人ノ死亡ハ当然賃借権ノ消滅ヲ致スニ足ラサルナリ
又賃貸借ノ場合ニ於テハ三十ヶ年ノ不使用モ権利消滅ノ原因ニ非ラズ且ツ三十ヶ年間賃借人カ賃借物ヲ使用セサル如キハ実際ニ於テ決シテ是レアラサルベシ何トナレハ賃借人ハ収益ノ権利ヲ有スルト同時ニ定期ノ弁済ヲ為スノ義務アルモノニシテ賃貸人ハ必スヤ之ガ請求ヲ為ス可キカ故ニ賃借人ハ自己ノ権利ヲ忘レ又ハ知ラサルガ如キコト決シテ是レアラサル可ケレバナリ
賃借人ニ於テ賃借権ノ抛棄ヲ為スモ之レカ為ニ賃貸借ヲシテ終了セシムルモノニ非ラス何トナレバ賃借人ハ已ニ述フル如ク一方ニ於テ権利ヲ有スルト同時ニ是レト密接シタル義務ヲ有スルモノニシテ自己ノ権利ハ任意ニ之ヲ抛棄スルコトヲ得ベシト雖トモ是ニ對スル義務ニ至テハ賃借人ノ意思ノミヲ以テ免カルルコトヲ得ベキニ非ラサレハナリ故ニ任意ヲ以テ賃貸借ヲ終了セシメント欲セバ必スヤ当事者双方ガ解約ノ合意ヲ為スコトヲ必要トス然レドモ此ノ如クナルトキハ決シテ当然ノ消滅ト云フコト能ハサルナリ
収益ノ濫妄ニ至テハ本条末項ニ掲ケタル一般ノ規定中ニ包有セラルベシ即チ賃借人ノ義務不履行ヲ理由トシテ裁判所ニ於テ宣告セラレタル解除ノ場合是ナリ
本条ニ於テ特ニ掲ケタル賃借権消滅ノ五ケノ原因ハ皆賃借権ヲシテ此原因ノ生スルト共ニ当然消滅セシメ更ニ裁判所ノ宣告ヲ要セサル所ノモノナリ固ヨリ消滅ノ原因タル意思ノ点ニ於テ争ヒアルトキハ此点ニ付テ判決ヲ受クルコトノ必要アル可シト雖トモ已ニ其意思ニシテ争ヒナキ以上ハ消滅ノ点ニ付テ裁判所ヲ煩ハスコトヲ要セス此五個ノ点ニ付テ次ニ逐一之ヲ説明スベシ
第一ニ注意スベキハ本条ニ掲ケタル五個ノ原因ハ単ニ賃借人ノ権利ヲシテ消滅セシムルノミニ非ラス猶ホ同時ニ賃貸人ノ権利ヲモ消滅セシムルモノナリ故ニ賃借権ノ消滅原因ノミニ非ラズシテ賃貸借契約ノ消滅原因タルコト是ナリ
第一賃借物ノ滅失ガ賃借権ヲシテ消滅セシムルハ全部ノ滅失ノ場合ナリトス若シ然ラスシテ単ニ賃借物ノ一部ノ滅失ニ止マル場合ニ於テハ此滅失ハ唯事情ニ依リ借賃ノ減少ト為リ或ハ賃貸借ノ解除ト為ルコトア有ルベシ(参看第百三拾八条第百五拾八条)然レトモ凡テ此ノ如キハ当事者ニ於テ更ニ合意ヲ為スカ然ラサレハ裁判所ノ判決ヲ竢テ後始メテ定マルモノニシテ其結果縦令賃借権ノ解除ニ至ルモ決シテ当然ノ消滅ト云フコトヲ得サルナリ
若シ賃借物ノ滅失ガ当事者ノ一方ノ過失ニ由テ生シタルトキ就中普通ノ場合ニ於テ看ルガ如ク賃借人ノ過失ニ因テ生シタルトキハ之レガ為ニ当然賃借権ノ消滅ヲ来タス可キコト勿論ナリ然レドモ此場合ニ於テハ過失ヲ為シタル当事者ニ對シ他ノ一方ヨリ損害賠償ノ請求ヲ為シ得ベキナリ
第二賃借物全部ノ公用徴収ハ賃借物ノ滅失ノ場合ト甚タ相類スル所アリ即チ此場合ニ於テ賃借人ノ収益ハ滅失ノ場合ノ如ク事実上ニ於テ為シ得ベカラサルニ非ラサレドモ法律上為シ得ベカラサルニ至テハ全ク同一ナリトス
第三賃貸人ノ追奪ノ為ニ賃借権ガ消滅ヲ来タスハ賃借物ノ所有権ガ賃貸借契約ノ当事ニ於テ賃貸人ニ属セサリシコトノ裁判アリタル場合ナリトス而シテ此ノ如ク賃貸人ノ所有権ガ無効ニ属スルハ当初賃貸人ガ此権利ヲ取得スルニ当リ譲渡人ニ於テ完全ノ能力ヲ有セザリシカ又ハ承諾ニ瑕疵アリシ場合ニ於テ之ガ為ニ其合意ヲ無効トセラレタル場合ニ在リトス
賃貸人ノ権利ノ追奪ノ場合ニ於テ其結果トシテ当然賃借権ノ消滅ヲ来タスニハ賃貸人ニ對シテ裁判所カ一ノ判決ヲ為シタルコトヲ必要ト為ス
又追奪ノ原因タル事実カ賃貸借契約ノ以前ニ於テ存在シタルコトヲ必要ト為ス何トナレハ若シ賃貸借契約ノ成立シタル以後ニ生シタル事実ノ為メ賃貸人カ追奪ヲ受クルコト有ルモ此事タル既ニ其当時ニ於テ完全ノ権利ヲ取得シタル賃借人ニ對抗シ得ベキモノニ非ラス賃借人ハ一旦賃借権ヲ得タル後賃貸人ガ為シタル處為ノ為メ自己ノ権利ヲ減少若クハ喪失セシメラル可キニ非ラサレバナリ而シテ縦令主張セラレタル追奪ノ原因カ賃貸借契約ニ先ダツ場合ト雖トモ仍ホ追奪ノ判決ガ賃借人ニ對シテ効力ヲ生スルニハ賃借人カ訴訟ニ参加セシメラレタルコトヲ要ス然ラサレハ判決ハ当事者以外ノモノニ其効力ヲ及ホ可キニ非ラス自己ノ権利ヲ防禦スルヲ得サリシ賃借人ニ何等ノ不利益ヲ蒙ラシム可キニ非ラサルナリ
第四凡ソ一個ノ権利ガ或ル期間ヲ限リテ設定セラレタル場合ニ於テハ其期間ノ満了ノ為ニ権利ノ消滅ヲ来タスハ一般ノ原則ナリ故ニ賃借権ト雖トモ又此消滅原因ヲ適用スルコトヲ得ル勿論ナリトス然ルニ期間ハ明示ヲ以テ之ヲ定ムルコトヲ得ベク或ハ黙示ヲ以テ之ヲ定ムルコトヲ得ベシ明示ニテ期間ヲ定ムルトハ敢テ何年何月又ハ何日ト云フガ如ク其数ヲ明定スルノ謂ニ非ラス惟実際ニ於テハ此ノ如クナルコト尤モ屢々ナル可キノミ故ニ早晩到来ス可キモ其到来ス可キ時期ニ至テハ豫ジメ覚知シ得ベカラサルコトヲ指定シ以テ賃借権消滅ノ期間ト為スモ仍ホ明示ノ期間ト云フコトヲ得ベシ例之バ賃借人カ其ノ地ニ於テ官職ヲ奉スル間ヲ限リテ一個ノ家屋ヲ賃借シタルガ如キ此場合ニ於テ孰レノ時マデ賃借人カ職務ニ従事ス可キヤハ豫ジメ知リ得ヘカラスト雖トモ其永久ノモノナラザルハ固ヨリ明カナリ故ニ他日其職ヲ罷ムルカ又ハ他ノ場所ニ轉シタル如キ場合ニ於テハ当然賃借権ノ消滅ヲ致スベシ
又賃借人ガ自己ノ家屋ヲ建築スル時ノ間他ノ家屋ヲ賃借シタル如キモ全ク同一ナリ此場合ニ於テモ家屋ノ建築落成スルノ時ハ豫シメ確定セストスルモ猶ホ之ヲ以テ明示ノ期間ト穪スルコトヲ妨ケズ
之ニ反シテ賃借人カ或ル特別ノ用ニ供スル為メ他人ノ土地ヲ賃借シ而シテ賃貸人モ亦賃借人ノ供セントスル特別ノ用方ヲ知リタル場合ニ於テハ特ニ契約ニ於テ之ヲ明示セスト雖トモ猶ホ当事者ハ暗ニ特別ノ用途既ニ了リタル場合ニ於テハ賃借権ハ当然消滅スベキコトヲ約シタルモノト謂ハサル可カラズ例之バ或ル工事ノ受負人ガ建物ノ建築ヲ約シタル場合ニ於テ工事ヲ施ス可キ土地ト接近セル土地ヲ木材ノ切組ミ其他ノ建築工事ノ為ニ賃借シタル時賃貸人ガ此賃借地ノ特別ノ用方ヲ知リタル場合ニ於テハ当事者双方ハ工事ノ落成ト同時ニ賃貸借ノ解除ス可キモノタルコトヲ約シタルモノナリ之レト同ジク其工事落成ニ至ラサル間ハ賃貸人ニ於テ敢テ賃借シタル土地ノ返却ヲ請求セサル可キコトヲ約シタル者ナリトス
下ニ掲ケタル第百四拾八条ニ於テ立法者ハ法律上ノ推定ヲ以テ当事者ガ黙示ニテ定メタル期間ノ類例ヲ示セリ
本条ノ明文ハ期間ト條件ノ性質ヲ有スルモノトヲ以テ全ク同一位ニ置ケリ条件ノ性質ヲ有スルモノトハ将来ニシテ且ツ未確定ニ属シ其成就ニ因テ賃貸借ノ解除ヲ致ス可キモノ是ナリ例之バ若シ賃借人ニ於テ他ノ土地ニ於テ官務又ハ公務ニ従事スル場合ニ於テハ賃貸借終了ス可キコトヲ約シタル如キ是ナリ
第五当事者カ賃貸借契約ノ当時ニ於テ期間ノ合意ヲ為サザル場合ニ於テ法律ハ各当事者ガ単ニ解約申入ヲ為シテ以テ賃貸借ヲ終了セシムルコトヲ許セリ惟此ノ如キ告知ニ因テ契約ヲ解除スルニハ法律ノ定メタル法式ニ従ヒ且ツ賃借物返却ノ時ヨリ若干ノ期日前ニ此告知ヲ為スコトヲ要ス
然レトモ此ノ如ク一方ノ告知ニ因テ遂ニ賃貸借契約ヲ終了セシムルハ敢テ此解約申入ニ依リ当然賃貸借ヲ終了セシムルニ非ラス若シ解約申入ヲ以テ賃借権消滅ノ原因トセバ全ク人ノ所為ニ因テ消滅スルモノニシテ当然ノ消滅ト云フコトヲ得ス而シテ本条ニ於テ当然ノ消滅原因中ニ之ヲ掲クル所以ノ者ハ他ナシ此告知ハ惟法律ノ定メタル期間ノ起算点ヲ確定シ其期間ノ終了シタル時当然賃借権ノ消滅ヲ致スモノタルニ外ナラサレバナリ
解約申入ノコトハ後ニ掲ケタル三ヶ条ノ法文ヲ以テ之ヲ規定セリ(参看第百四拾九条第百五拾条及ヒ第百五拾一条)
本条末項ニ掲ケタル所ノモノハ当然ノ消滅原因ニ非ラスシテ全ク請求ニ基ク消滅原因ナリトス即チ当事者ノ一方カ義務ヲ履行セサル為メ他ノ一方ヨリシテ契約ノ解除ヲ求ムルカ如キ又ハ合意ノ瑕疵又ハ無能力ノ原因ニ依テ契約ノ鎖除ヲ求ムルカ如キ是ナリ此等ノ事項ニ関シテハ既ニ其大要ヲ述ベタルノミナラス猶ホ後ニ至テ其詳細ヲ説クベシ
第百四拾六条
本条ノ規定ハ既ニ前条第一項ニ掲ケタル所ニ由テ其要ヲ示セリ
縦令賃借物ノ滅失ガ意外若クハ不可抗力ノ原因ニ依テ生スルコト有ルモ賃借人ガ有スル所ノ権利人権ニ非ラスシテ物権ナリトノ事情ノ為ニ賃借人ノミヲシテ此損失ヲ負担セシム可キニ非ラス何トナレハ賃貸人ハ賃借人ニ物権ヲ得セシメタルト同時ニ仍ホ継續シタル収益ヲ得セシムルノ義務ヲ有スルモノナレバナリ又他ノ一方ヨリ考フルトキハ賃借物ノ些末ナル一部ノ滅失ノ為ニ常ニ賃借人ヲシテ賃貸借解除ヲ請求スルノ権利ヲ有セシメ若クハ之ヲ理由トシテ必ズ借賃ノ減少ヲ請求スルコトヲ得セシム可キモノニモ非ラス此点ニ於テ本法ハ前ニ掲クル第百三拾一条ニ示スカ如キ区別ヲ為セリ
若シ賃借物ノ滅失ノ為ニ賃借物ノ収益ノ損失ヲ来タスコト三分ノ一ニ満タサル場合ニ於テハ賃借人ハ之ヲ理由トシテ請求スルヲ得ス即チ独リ賃貸借ノ解除ヲ求メ得ベカラサルノミナラズ借賃ノ減少モ亦請求スル権利アラサルナリ若シ之ニ反シテ其損失収益ノ三分ノ一ニ達スルカ若クハ其以上ナルトキハ賃借人ハ此損失ニ相当スル借賃ノ減少ヲ求ムルコトヲ得ベシ又賃借物ノ一部ノ滅失ノ為メ収益ノ幾分ノ損失ヲ来タスコト一時ニ止ラスシテ永久ニ此ノ如クナルコト必然ナル場合ニ於テハ賃借人ハ第百三拾一条ニ定メタル三ヶ年ヲ竢ツコトナク直チニ賃貸借ノ解除ヲ請求スルコトヲ得ベキナリ
公用徴収ハ賃借物ノ滅失ト甚タ相類スト雖トモ一部ノ公用徴収ハ一部ノ滅失ニ比シテ二個ノ点ニ於テ異ナル所アリ
第一公用徴収ノ場合ニ於テハ其徴収セラレタル部分ノ大小如何ニ関ハラス賃借人ハ常ニ借賃ノ減少ヲ求ムルコトヲ得ベシ何トナレハ公用徴収ハ単ニ賃借物ヲ失ハシムルモノニ非ラスシテ賃貸人ハ常ニ徴収セラレタル部分ニ相当ナル償金ヲ國庫ヨリ受クルモノナレバナリ
第二賃借人ハ公用徴収ニ由テ妨害ヲ受ケ収益ノ減少ヲ来タス可キガ故ニ之ヲ理由トシテ自カラ國庫ヨリ償金ヲ受クルコトヲ得ベシ
賃借物ガ追奪セラレタル場合ニ於テモ其部分ノ多少如何ニ係ラス賃借人ハ之ガ為ニ失ヒタル収益ノ割合ニ應シテ借賃ノ減少ヲ求ムルコトヲ得ベシ何トナレバ此場合ニ於テハ賃貸人ガ完全ニ自己ノ所有セサル所ノモノヲ他人ニ賃借シタルガ為ニ追奪ヲ蒙ラシメタル者ニシテ賃貸人ノ過失タルヲ免カレサレバナリ
然レトモ賃貸借解除ノ権利ニ至テハ常ニ最初ノ収益ヨリ三分ノ一以上ノ減少ノ場合ニ止マル可キモノトス
第百四拾七条
当事者カ始メ期間ヲ定メテ賃貸借契約ヲ為シ而シテ其期間満了ノ後賃借人ハ猶ホ収益ヲ為シ賃貸人ハ之ヲ拒マサル場合ニ於テハ当事者ハ與ニ黙示ヲ以テ賃貸借ノ更新ヲ為シタルモノトス此場合ニ於テ更新後ノ新賃貸借契約ノ効力ハ前賃貸借契約ノ効力ト同一ナルヲ以テ原則ト為ス惟其期間ニ至テハ両者同一ナラズ本条末項ノ規定ニ従フトキハ更新後ノ新賃貸借契約ハ一定ノ期間ヲ有セス当事者ノ一方ヨリ解約ノ告知即チ解約申入ヲ為シタル後法律上ノ期間満了シタル時ニ於テ消滅スルモノト為ス然レトモ此ノ如ク更新シタル場合ニ於テ此新賃貸借契約ハ第三者ニ對シテ効力ヲ有スルモノニ非ラス此故ニ前賃貸借契約ニ於テ保證人又ハ担保人タリシモノ有ルモ新賃貸借契約ノ担保人ニ非ラス何トナレハ此等ノ人ハ当初担保人タルコトヲ承諾スルニ当リ契約ノ期間ヲ一個ノ条件トシテ未必ノ義務ヲ約シタルモノニシテ決シテ自己ノ承諾ナク契約ヲ更新シテ後仍ホ義務ヲ負担スベキコトヲ承諾シタルモノニ非ラサレバナリ
右ニ掲ケタルト同一ノ理由ニ依リ且ツ他ノ理由ニ依テ旧賃貸借契約ノ担保トシテ供セラレタル抵当ハ新賃貸借契約ニ移シテ担保ヲ為スモノニ非ラス第一当初抵当ヲ設定シタル後同一ノ不動産ニ付テ他ノ債権者カ第二ノ抵当権ヲ得タルコト有リトセハ此債権者等ハ必ズ自己ノ抵当権ニ先ダチ第一抵当権ノ消滅ニ依リ抵当ノ順位ニ於テ自己ノ権利ガ効力ヲ増ス可キコトヲ豫期シタル可ク而シテ此豫期タルヤ全ク正当ノモノナルガ故ニ其後ニ至リ第一ノ抵当ヲ延長シ又ハ其効力ヲ大ナラシメ以テ此豫期スル所ヲ害ス可キニ非ラサルナリ
加之ナラズ縦令第一抵当権設定ノ後ニ於テ第二ノ抵当権ヲ取得シタル債権者ナシト假定スルモ抵当権ガ一旦前賃貸借ノ終了ニ由テ消滅シ制限セラレタル以上ハ更ニ之ヲ他ノ新債権ニ移シ再ビ蘇生セシメ依テ以テ他ノ無特権債権者ノ利益ヲ害スルコトヲ得ス此ノ如クナルニハ必スヤ抵当ノ設定又ハ其擴張ニ関シテ法律ノ定メタル法式ヲ当事者カ履行シタルコトヲ必要ト為ス
賃貸借ノ担保トシテ質権ヲ設定シタル場合ニ於テモ右ト同一ノ決定ヲ為サザル可カラス何トナレハ一旦賃貸借終了ノ後第二ノ賃借ノ為ニ此質権ヲ有効ナルモノト為ストキハ他ノ債権者等ハ当初ヨリ豫期セサル担保ノ延長ニ依テ損害ヲ受ク可ケレハナリ曽テ用益権ノ場合ニ於テ用益者カ担保ヲ供シタルトキハ用益者ガ過失ニ依リ生シタル損害ノ賠償ノ為メ担保ノ擴張ヲ為ス可キコト既ニ之ヲ述ベタリ(参看第七拾八条ノ理由)此理論ト前ニ掲クル所ノ理論トヲ以テ互ニ矛盾スルモノト為ス可カラス何トナレハ用益権ノ場合ニ於テハ担保スル所ノ債権ハ当初ヨリ存在スルモノニシテ唯其効力ガ多少増加シタルニ止マル之ニ反シテ本条ノ場合ニ於テハ旧賃貸借已ニ消滅シテ更ニ新タナル賃貸借生シタルモノナルカ故ニ全ク異ナリタル債権ナリトス
黙示ヲ以テ更新シタル新賃貸借ハ一定ノ期間ヲ有セサルカ故ニ当然ノ消滅原因ヲ有セス然レトモ当事者ノ解約申入ニ因テ消滅スルコトヲ得ベキナリ
第百四十八條
本法ノ規定ハ當事者ノ意思ヲ推測シテ立法者ガ其解釈ヲ掲ゲタルモノナリ即チ賃貸借ノ継續期間ニ関シ當事者ガ特ニ其意思ヲ明示セザル場合ニ於テ立法者自カラ之ヲ推測シ其意思ニ付キ法律上ノ推定ヲ設ケタルモノナリ
右ノ如ク法律上ノ推定ヲ以テ賃貸借ノ期間ヲ定ムルコトハ家具ノ附キタル建物ニ付テノミ適用スベキ所ノモノナリ斯ノ如キ賃貸借ニ於テハ借賃ヲ定ムル為メ標準トナシタル期間ニ對シテ賃貸借存在スベシ此期間終了スルトキハ更ニ黙示ノ更新ニ因テ新タナル賃貸借成立シ得ベシト雖モ此新タナル賃貸借ハ前賃貸借ト異ナリテ定マリタル期間ヲ有スルコト無ク一方ノ解約申入ニ因テ消滅スベキモノトス
本條ニ掲グル如キ家具ノ附キタル建物ノ賃貸借ノ場合ニ於テ立法者ガ當事者ノ意思ヲ解釋シタル理由ハ左ノ如シ
概シテ家具ノ附キタル建物又ハ房室ノ賃貸借ハ短キ期間ニ對シテ之ガ契約ヲ為スモノナリ且斯ノ如キ建物ノ賃借ヲ為スハ自カラ家具ヲ有セザルガ為メニシテ自カラ家具ヲ有サザル者ハ畢竟スルニ一市内ニ於テ長ク住居スル者ニ非ラズシテ単ニ一時ノ住居ヲ為スニ過ギズ例ヘバ旅人病者ノ如キ是ナリ此等ノ人ニシテ一箇ノ期間ヲ標準ト為シ因テ借賃ヲ定メタル場合ニ於テハ必ズヤ此期間中ハ少クモ其建物ニ住居スベキ意思ヲ有スルガ故ナリ斯ノ如キ理由ナルヲ以テ立法者ハ當事者ガ借賃ノ標準ト為シタルモノヲ以テ賃貸借ノ期間トナシタルモノト推定セリ然レトモ是實ニ當事者ノ意思ノ解釋ニ過ギズ是ヲ以テ當事者ハ常ニ反對ノ意思ヲ明示シ得ベキコト勿論ナリ
家具ノ附カザル建物ニ付テハ右ニ掲ゲタル所ト同一ナル推測ヲ為スコトヲ得ズ斯ノ如キ建物ノ賃借ヲ為ス人ハ概シテ長キ時間其家ニ住スル者ニシテ且斯ノ如キ賃貸借ハ際限ナク継續シ得ベキモノナリ然ラバ則チ一个月又ハ一个年等ノ如キ期間ヲ標準トシ因テ借賃ヲ定ムルコトアリトスルモ此期間ハ唯借賃ノ相場ヲ定メタル一箇ノ方法ニ過ギザルモノナリ或ハ之ニ據テ借賃ヲ定ムルト同時ニ尚ホ借賃返濟ノ時ヲ指示シタルモノタルヲ得ベシト雖モ更ニ進ンデ之ヲ以テ賃貸借ノ期間ヲ約シタルモノト推測スルコト能ハズ又借賃返濟ノ時ニ關シテモ若シ當事者ニ於テ明カニ之ヲ定メザル場合ニ於テハ法律ニ於テ特ニ毎月ト定ムルコト既ニ第百三十八條ニ於テ述ベタル所ナリ
実際ニ於テ屢々生ズベキ場合ニシテ法律ニ特ニ規定セザルモノ有リ然レトモ此場合ハ縦ヒ法律ニ明文ヲ有セサルモ條理ニ基キ當事者ノ意思ヲ解釋スルトキハ容易ニ問題ヲ決スルコトヲ得ベシ家具ノ附キタル建物ノ賃貸借ノ場合ニ於テ其借賃ヲ定ムルコト単一ナラズシテ同時ニ一日若干一週間若干及ビ一个月若干又ハ三个月若干六个月若干及ビ一个年若干等ノ約定ヲ為ス如キコト實際ニ於テ必ズ有ルベキ所ナリ斯ノ如キ場合ニ於テ、其期間長キニ隨テ借賃ノ割合ハ之ヲ減少スルコト有ル可シ此賃貸借ノ期間ハ何レノ時ヲ以テ終ルベキモノナルヤ第一ニ疑ナキハ数箇ノ借賃ヲ定メタル場合ニ於テ其借賃ノ標準タル期間ノ撰擇ハ賃借人ノ権利ニ属シ而シテ各期間ノ終リニ於テ其借賃ヲ返済シ得ベキコト是ナリ然レトモ一度第一ノ期間ヲ経過シ第二ノ期間ニ入リタル以上ハ賃借人ハ其第二ノ期間ヲ終了スルニ非ザレバ賃貸借ノ關係ヲ脱スルコト能ハズ第二ノ期間終了後第三ノ期間始マリタル後ニ至テモ亦之ト同一ナリトス斯ノ如クナルヲ以テ右ノ場合ニ於テ黙示ノ更新成立スルハ唯最後ノ期間終了シタル後ニ於テスルモノナリ而シテ黙示ノ更新ヲ為シタルトキハ其新賃貸借ハ既ニ述ベタル如ク定メタル期間ヲ有セズ當事者ノ解約申入ニ依テ終了スベキモノナリ
特定動産物ノ賃貸借ハ其契約終了ノ點ニ關シテ法律ハ家具ノ附キタル建物ノ賃貸借ト同一ノ規定ヲ適用セリ即チ動産ノ賃貸借ハ其借賃ヲ定ムル標準ト為シタル時間ニ對シテ賃貸借ヲ為スコト當事者双方ノ黙示ノ意思ナリト看做セリ此規定ノ適用ハ主トシテ馬、車、工業用ノ器械、家用ノ器具、衣類等ノ賃貸借ニ關シテ之ヲ見ルベシ
第百四十九條
総テ明示ト黙示トヲ問ハズ賃貸借契約ヲ以テ特ニ期間ヲ定メザル場合ニ於テハ後ニ至テ詳説スル如ク此賃貸借ハ唯當事者ノ解約申入ニ依テ終了スルニ止マル可シ
此場合ニ於テ當事者ガ解約申入ヲ為サザル間ニ當初契約ノ時ヨリ時間ヲ経過スルコト甚ダ長キニ至ルトキト雖モ尚ホ其賃貸借ハ當初ノ賃貸借ニシテ依然継續スルモノナリト云フヲ要ス故ニ其間ニ黙示ノ更新ナルモノナク又従テ新タナル賃貸借ナルモノ有ルコト無シ既ニ同一ノ賃貸借継續スル以上ハ賃貸借契約ノ履行ノ為メ特ニ提供セラレタル擔保ノ如キモ當事者ニ於テ特ニ之ヲ変更スルコトナキ限リハ常ニ同一ナル可シ之ニ反シテ一旦黙示ノ更新有リタルトキハ更新後ノ賃貸借ハ舊賃貸借ト全ク異ナリ故ニ従来ノ擔保ヲシテ尚ホ将来ニ存セシメント欲セバ特ニ之ガ更新ヲ為サザルベカラズ
本條ノ規定ハ家具ノ附カザル建物ノ賃貸借ニ適用スルモノナリ
本條ニ定メタル解約ノ申入ハ一年中何時ニテモ之ヲ為スコトヲ得ベシ第一項末文ノ規定ハ蓋シ此意味ヲ明ラカニスルモノナリ而シテ立法者ガ特ニ之ヲ明文ニ掲ゲタル所以ノモノハ他ナシ歐洲諸國ニ於テハ一年中或ル時期ニ於テスルニ非ザレバ解約申入ヲ為スコト能ハザルモノト為ス法律アリ而シテ通常解約申入ノ時期ヲ一年四回ト為シ期節ノ初メニ於テ之ヲ無シ依テ次ギノ期節ニ於テ契約ヲ解クコトヲ得ルコトト為セリ斯ノ如ク解約申入ノ時期ヲ定ムルガ為ニ實際甚ダ當事者ニ不利益ヲ来スコト有リ即チ一方ノ者法律上解約申入ヲ為スベキ時期ニ於テ之ヲ失念シタルトキハ更ニ次期ノ解約申入ノ時ニ至ル迄待タザルベカラズ或ハ右ノ期日ヲ経過スルコト僅カニ若干日ニシテ突然賃貸借ヲ終了セシムルノ必要ヲ生ズルコト有リ然ルモ尚ホ次ギノ解約申入期ヲ待タザル可ラズ是實ニ當事者ノ為ニ不便甚シキモノト云フ可シ
又賃貸人ニ於テ一年中時期ノ如何ニ關セズ常ニ解約申入ヲ為スコトヲ得ルモノトセバ之ガ為ニ賃借人ハ甚ダ不利益アルトキニ於テ賃借物ノ返還ヲ為サザルベカラズ是亦賃借人ノ為ニ甚ダ困難ナルコト有ルベシ例ヘバ年末ニ近ヅキ商人ハ一年中ノ計算ヲ為シ甚ダ営業上必要ナル時ニ際シテ突然解約申入ヲ受クルガ如キ之ナリ然レトモ賃借人ニシテ斯ノ如ク豫メ解約ノ申入ヲ受ケタルトキハ法庭ニ於テ八日又ハ十五日ノ猶豫ヲ求ムルコトヲ得ベシ而シテ此ノ猶豫ノ日数ハ苟モ他ニ新タナル賃借人存セサル以上ハ裁判所ハ必ズ之ヲ與フ可シ何トナレバ総テ合意ハ善意ヲ以テ履行スベキコト普通ノ原則ナレバナリ且賃借人ニシテ尚ホ斯ノ如キ必要ノトキニ當リ賃貸借終了ヲ来スヲ恐ルルトキハ豫メ賃貸借契約ニ因リ自己ノ為ニ不利益ナル特定ノ時期ニ於テハ賃貸人ヨリ解約申入ヲ為サザルベキコトヲ約セシムルヲ得ベキナリ要スルニ商人ハ前途ノ思慮ナカルヘカラズ是レ其営業上須臾モ缺クベカラザル資格ナリトス
立法者ガ解約申入ノ時期ニ比シテ一層緊要ナリト認メタルハ此解約申入ト賃貸借終了即チ賃借物返還等ノ間ニ多少ノ時日ヲ存セシムルコト是ナリ蓋シ此時日タルヤ賃借人ニ於テハ更ニ従来ノ賃借物ト同一ナル賃借物ヲ他ニ求ムル為ニ必要ノ時日ナルベク又賃貸人ニ於テハ更ニ他ノ賃借人ヲ求ムル為ニ必要ノ時日タルベシ故ニ當事者双方ヲシテ此目的ヲ達スルニ必要ナル時日ヲ有セシムルコトヲ要ス
其理斯ノ如クナルヲ以テ賃貸借ノ目的物タル建物ノ大小如何ニ隨テ申入ト返却トノ期間モ又長短ノ差等ヲナスベキコト勿論ナリ甚ダ大ナル建物ハ之ヲ甚ダ小ナル建物及ビ中等ナル建物ニ比スレバ賃借人ヲ得ルコト甚ダ難キノミナラズ賃借物ヲ得ルコト亦決シテ容易ナラザルモノナリ
故ニ建物ノ大小ニ隨テ期間ノ長短ヲ定メザルベカラズ豫メ其前ニ於テ先ツ建物ノ大小ヲ定ムル標準ヲ立テザルヘカラズ然ルニ建物ノ借賃ノ多少ハ未ダ以テ其大小ヲ定ムルコト能ハズ何トナレバ借賃ハ建物所在ノ土地ニ隨テ変更シ又建物ノ状態ニ因テ変更スルモノニシテ必ズシモ其大小ト相應スルコトナケレバナリ此ヲ以テ立法者ハ借賃ヲ建物ノ大小ヲ區別スル標準トナサズ又其坪数ノ多少ニ因テ之ヲ別ツコトナク単ニ建物ノ性質ニ因テ大小ノ區別ヲ為セリ
完全ナル建物ハ凡テ大ナル建物ト看做サザルベカラズ完全ナル建物ト雖モ甚小ナル物屢々之アリ然レトモ既ニ完全ナル建物タル以上ハ殆ンド常ニ其建物ノ附属タル所ノ物アリ隨テ斯ノ如キ性質ノ建物ヲ賃借シタル者之ヲ返却シテ他ニ同様ノ建物ヲ得ント欲スルモ決シテ容易ニ之ヲ得ルコト能ハザルベシ又賃貸人ニ於テモ賃借人ヲ得ルコト他ノ家屋ニ比スレバ多少ノ困難ヲ見ルベシ何トナレバ完全ノ建物ハ其坪数ノ割合ニ應シテ借賃ハ一層高キコト普通ノ状態ナレバナリ
第二種ノ建物ハ完全ナラザル建物ニシテ即チ建物ノ一分ナリトス例令バ一室又ハ一階ノ如キ之ナリ。
解約申入ト賃借物返却トノ間ニ存スベキ時間ハ務メテ之ヲ短クシ完全ナル建物ニ付テハ二个月建物ノ一分ニ付テハ一个月ト定メタリ
然レトモ其期間ハ賃借人ニ於テ建物ノ造作ヲ附シタル場合ニ於テハ一个月ノ猶豫ヲ受クベシ何トナレバ賃借人ガ造作ヲ附シタル場合ニ於テ賃借人ハ其造作ノ為メ一層ノ保護ヲ受クベキコト勿論ナリ
以上ニ掲グル如ク法律上期間ヲ定メタリト雖モ當事者ハ特ニ合意ヲ以テ是ヨリ長ク若クハ短ク期間ヲ定ムルコトヲ得ベシ総テ是等ノ事項ハ當事者ノ単純ナル私益ニ關係スル規定ニ過ギザルヲ以テ法律ノ明文ヲ適用スルハ當事者ガ反對ノ合意ヲ以テ為サザルトキ又其地方ニ於テ反對ノ慣習有ラザルトキニ於テスベシ(三疑第百五十二條)
第百五十條
家具ノ附キタル建物ノ賃貸借ナルトキハ其建物ガ全部ナルト一分ナルトヲ問ハズ賃貸借ノ終了ハ第一ニ第百四十八條ノ下ニ指示シタル區別ニ従テ其時定マルベシ例令バ一定ノ時間ニ對シテ賃貸借ノ契約ヲ為シタルトキハ此指示シタル期間終了スルトキハ賃貸借ハ當然終了シテ當事者ハ解約申入ヲ為スコトヲ必要トセズ又賃貸借ノ期間ガ黙示ヲ以テ定メラレタルニ過ギズ借賃ノ標準タル時間ヲ以テ直チニ法律上ノ推定ニ因テ賃貸借ノ期間ト看做サレタル場合ニ於テモ亦之ト同一ナリ(三款第百四十八條)然レトモ若シ賃貸借期間終了ノ後ニ至リ黙示ノ更新アリタルトキハ賃貸借ハ解約申入アルニ非ザレバ終了スルコトナシ而シテ此解約申入ヨリ返却迄ノ時間ハ賃借物タル建物ノ大小ニ従テ長短アルニ非ズ當初ノ賃貸借期間ノ長短ニ従テ此區別ヲ生ズルモノナリ
然レトモ賃貸借ノ期間ハ種々ニシテ殆ド際限ナキモノナリ故ニ右ニ掲ゲタル場合ニ於テ更新後ノ賃貸借ノ解約申入ヨリ賃借物返却迄ノ時間ハ前賃貸借ノ期間ニ従テ長短ノ別ヲ為スト雖モ立法者ハ際限ナク此區別ヲ為スコト能ハズ此ヲ以テ特ニ三箇ノ區別ヲ為スニ止マリ即チ三个月以上ノ賃貸借三个月未満ノ賃貸借及ビ日々ノ賃貸借之ナリ更新前ノ賃貸借ガ三个月以上ノ期間ナリシトキハ更新ノ後解約申入ヨリ返却ニ至ル迄ノ時間ハ総テ一个月ナリトス若シ前賃貸借ガ三个月未満ノモノナルトキハ其期間ノ三分ノ一ヲ以テ解約申入ヨリ返却迄ノ時間トナシ日々ノ賃貸借ナルトキハ解約申入ノ後二十四時間ニシテ賃借物ノ返還ヲナスベキモノトス
此時間ノ甚ダ短キ理由ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ何トナレバ賃借人ニ於テ同一ノ場所ニ長ク住居スルノ意思ナク又賃貸人ニ於テモ其賃借人ヲシテ長ク其家ニ止マラシムルノ意アルニ非ズ且斯ノ如キ建物ノ賃借人ハ解約申入ヲ受クルモ容易ニ他ノ家具ノ附キタル建物ヲ賃借スルコトヲ得ベク又賃貸人ニ於テモ一時ノ賃借人ヲ見出スコト決シテ困難ナルニ非サレバナリ
本條ノ規定ハ動産物ニ關シテモ同シク適用スベシ第一若干日又ハ若干月ノ如ク明示ニテ定メタル時間ニ對シ賃貸借ヲ為シ依テ其終了ノ後黙示ノ更新アリタル場合ニ適用スベク第二或ル時間ヲ標準トシテ借賃ヲ定メタル場合ニ於テ適用スベシ
種々ノ場合ニ於テ動産物賃貸借ノ解約申入ヨリ返却迄ノ時間ハ前賃貸借ノ期間ガ三个月以上三个月未満又ハ日々ナルトニ従テ一个月以上期間ノ三分ノ一又ハ二十四時間ナルベシ
右ニ掲グル所ハ総テ動産物ヲ以テ特ニ賃貸借ノ目的ト為シタル場合ニ關スルモノナリ若シ然ラズシテ動産ガ家具ノ附キタル建物ノ一分トシテ賃貸借セラレタルトキハ動産ハ其建物ノ附従ニ過ギズ而シテ動産ノ賃貸借ノ期間ハ建物ノ賃貸借ノ期間ト全ク同一ナルベシ故ニ之ニ適用スルニ第百四十八條及ビ本條第一項乃至第三項ノ規定ヲ適用ス用法ニ因リテ不動産ト為サレ而シテ賃借物タル土地ニ備エ附ケラレタル動産物ニ付テモ亦同一ナリ
第百五十一條
土地ノ賃貸借ニ關シテハ右ニ掲ゲタル原則ニ對シ二箇ノ例外アリ
第一解約申入ヨリ返却迄ノ時間ハ前ニ掲グル所ニ比シテ甚ダ長キモノトス
第二解約申入ヲ為スノ時期ヲ明定ス
斯ノ如ク特ニ二箇ノ點ニ於テ例外ヲ設ケタルコトハ次ギニ掲グル理由ニ因テ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ
當事者ノ意思ニ付テ之ヲ考フルニ賃借人ガ自ラ蕃種シ耕作シ依テ生ジタル所ノ果實ハ賃借人ヲシテ之ガ収穫ヲ為スコトヲ得セシムルニ在ルコト當然ナリ縦令一切ノ果實斯ノ如クナラズトスルモ少クモ毎年生ジ得ベキ果實ニ付テハ必ズヤ斯ノ如クナルベシ
賃借人ハ従来賃借シタル土地ト多少相類シタル性質ノ土地ヲ他ニ捜索スル時日ヲ有スルコトナクシテ突然ニ従来ノ土地ヲ返却セザルベカラザル如キ困難ノ地位ニ立タシメラルベキニ非ズ又之ト同ジク賃貸人ニ於テモ突然ニ土地ノ返却ヲ受ケ一年ノ中若干ノ間更ニ賃借人ヲ得ルコトナクシテ無用ニ其土地ヲ遺棄スル如キ不幸ヲ受クベキニ非ズ
右ノ理由中第一ノ理由ハ以テ返却ヲ一年ノ中主タル収穫ニ先ツテ為スベキモノニ非ザルコトヲ明カニシ他ノ理由ハ土地ノ賃貸借ノ解約申入ノ時間ヨリ返却迄ノ時間ハ建物其他ノ賃貸借ノ場合ト異ナリテ少クモ六个月ナルコトヲ説明スルニ足ルベシ
若シ目的物タル土地ガ牧場森林又ハ建物ヲ建築スベキ土地等ノ如ク毎年耕作ヲ為サザル土地ナルトキハ解約申入ハ何時ニテモ之ヲ為スコトヲ得ベク而シテ解約申入ヨリ返却迄ノ時間ハ常ニ一个年ナリトス
第百五十二條
賃貸借契約ノコトハ實際ニ於テ最モ緊要ナル事項ノ一ニシテ其適用最モ多キヲ以テ立法者ハ務メテ争訟ヲ防グ為メ詳細ノ事項ニ至ルマデ之ガ規定ヲ為セリ
然レトモ賃貸借ノ一切ノ事項ニ關シ全國通ジテ全ク同一ノ規定ヲ適用セシムルコトハ未ダ其必要ヲ見ザリシナリ此故ニ本條ノ明文ニ於テ前数條ノ規定ニ關シ地方ノ慣習特別ノモノアルトキハ其慣習ヲ適用スベキコトヲ掲ゲタリ
本條ハ唯地方ノ慣習ニ付テ之ヲ云ヘルニ過ギズト雖モ當事者ガ特ニ右ノ規定ニ異ナリタル合意ヲ為シ得ベキコトハ辯ヲ竢タズ故ニ當事者ニ於テ之ヲ以テ期間ヲ伸縮シタルトキハ必ズ其定メタル所ニ従ハザルヲ得ズ
第百五十三條
耕地ノ賃貸借ガ一定ノ期間ヲ以テ契約セラレタルトキハ其賃貸借ノ終了ガ収穫物ノ収去前ニ来タルコトアルベシ而シテ其原因ハ時トシテ季節ノ後レタルコトアルベク時トシテハ當事者ガ當初契約ヲ為ストキニ計算ヲ過リタルニ基クコトアルベシ其原因ノ如何ヲ問ハズ斯ノ如キ場合ニ於テ賃貸人又ハ新タナル賃借人ガ従来ノ賃借人ノ収穫物ヲ収去スルコトヲ妨グルハ決シテ至當ノコトト云フヲ得ズ
又之ト同一ノ理ニ因リ若シ賃貸借ノ終了ニ先チテ収穫物ノ収去ヲ終リタル後賃借人ガ賃借物ニ付テ更ニ利益ヲ受クベキ途ナキトキニ當リ賃貸人又ハ新ナル賃借人ガ次期ノ収穫ヲ生ゼシムル為メ準備ノ工事ヲ施サントスルニ当リ唯賃貸借未ダ終了セザルヲ名トシ何等ノ利害ノ關係ナキニモ拘ハラズ賃借人ガ之ヲ拒ム如キモ又其當ヲ得タルモノト云フ能ハズ
然レドモ若シ賃貸人又ハ新賃借人ノ工事ノ為メ尚ホ其土地ニ存スル賃借人ノ収穫物ニ對シ損害ヲ與フベキ場合ニ付テハ立法者ハ特ニ本條第二項ノ末文ニ於テ例外ト為セリ
右ニ掲グル所ハ総テ賃貸借終了ノ時ニ際シ相互ノ權利ヲ規定シタルモノナリト雖モ賃貸借ノ起初ノ時ニ於テモ之ト相類シテ相互ノ權利ヲ定メザルベカラズ而シテ立法者ガ特ニ之ヲ規定セザルモノハ畢竟スルニ明文ヲ竢タズシテ明カナルノミナラズ本條ハ賃貸借ノ終了ニ關スル法文ナルガ故ナリ
若シ賃借人ガ収益ヲ始ムルトキニ當リ賃貸人ノ費用ト労力トニ由テ得タル収穫ガ未ダ収去セラレザルトキハ賃借人ハ賃貸人ガ之ヲ収去スルコトヲ妨グベカラズ
又賃貸人ガ既ニ収穫物ノ収去ヲ為シタル後ニ於テ未ダ賃貸借ノ終了ノ時期ニ至ラザルモ賃借人ニ於テ自己ノ収益ノ為ニ必要ナル準備ノ作業ヲ為サント欲セバ賃貸人ハ賃借人ノ収益ノ時未ダ至ラザル故ノミヲ以テ他ニ何等ノ利益ヲ有セズシテ之ヲ拒ムハ正義ニ合シタリト云フベカラズ
是既ニ前段ニ掲ゲタル原則ノ適用ニシテ此原則ハ後ニ至リテ其詳ヲ説クベシ即チ契約ハ善意ヲ以テ履行スルコトヲ要ス(参看第三百三十條)
賃貸借ノ始及ビ終ニ於テ賃借物ニ附着セル果實ニ關シテ述ベタル以上ノ規定ハ賃借人ト用益者トノ間ニ存スル一箇ノ新ナル差異ニシテ且甚ダ著シキモノナリトス蓋シ第五十條第六十九條及ビ第百九條ニ於テ既ニ述ベタル如ク用益者ハ其權利ノ開始シタル當時ニ於テ用益物ニ附着スル果實ヲ當然取得シ而シテ用益權消滅ノ當時尚ホ用益物ニ附着スル果實ニ至リテハ何等ノ權利ヲモ有セザルモノナリ其斯ノ如クナルハ實ニ用益權ノ射倖ナル性質ニ属ス
賃貸借ノ場合ニ於テハ斯ノ如クナルヲ得ズ蓋シ賃借權ハ元来射倖ノモノニ非ズ當事者ガ賃貸借ノ契約ヲ為スニ當テヤ各々他人ヲシテ得セシメタル利益ニ相當スル利益ヲ得ンコトヲ期スルモノナリ又賃貸借ノ場合ニ於テハ斯ノ如ク規定スルモ決シテ煩雑ヲ来スコトナシ何トナレバ自己ノ勞力ト費用トニ由テ生セシメタル収穫ヲ取得スルノ權利アルモノハ賃借人ナルト賃貸人ナルトヲ問ハズ現物ヲ収去シ而シテ之ガ為メ何等ノ償金ヲモ要求スルコトナキヲ以テ償金ノ計算而シテ償金ノ基礎タル耕作ノ費用等ノ計算等ニ關シテ争ヲ生スルコトナケレバナリ
第百五十四條
賃借物ヲ賣却スル場合ニ於テハ賃借人ハ賃借物ヲ返還スルコトヲ要ストハ當事者ガ賃貸借契約ヲ為ス當時ニ於テ有効ノ合意ヲ為シ得ベキ所ナリ縦令其賃貸借ガ一定ノ期間ヲ有スルトキト雖モ亦然リト為ス而シテ賃貸人ハ實際屢々斯ノ如キ契約ヲ為シ自己ノ權利ヲ留保スルコトアルベシ特ニ其借賃ガ甚ダ廉ニシテ且ツ賃貸借ノ期間甚ダ長キ場合ニ於テ尤モ然リトス何トナレバ是等ノ事情ハ賃借物ノ賣却ヲ為スニ最モ障害タルベキ所ノモノニシテ他日此賣却ヲ為サント欲スル場合ニ當テハ此賃貸借ヲ消滅セシムルノ權利ヲ有スルコト最モ必要ナレバナリ
又賃貸人ハ自ラ賃借物ヲ使用スル為メ或ハ他ノ特別ノ原因ニテ定マリタル場合ノ為ニ賃貸借ヲ解除スル權能ヲ己ニ保存スルコトヲ得ベシ
此賃貸借解除ノ權能ハ賃借人モ亦自己ノ利益ノ為メ又ハ相續人ノ利益ノ為メ等シク之ヲ要約スルコトヲ得ベシ
例令バ賃借人ガ一定ノ土地ニ住居スルコトヲ要スル職務ヲ有スルニ當リ其土地ニ於テ賃貸借ヲ為シタルトキハ他日職務ノ変更及ビ住居ノ変更ノ場合ヲ慮カリ此權能ヲ要約スルコトヲ得ベシ何トナレバ単ニ期間ヲ定メテ賃借シ而シテ解除ノ權能ヲ要約セザルトキハ期間ノ満了マデ賃借人ノ義務ヲ盡サザルベカラズ而シテ一方ニ於テハ賃借物ヨリ何等ノ利益ヲ得ルコト能ハズ或ハ他人ニ轉貸スルモ徒ラニ煩雑ヲ増スニ過ギザルベシ
賃借人ハ賃貸借終了ニ先ダチ自己ノ死亡スルコトアルベキ場合ヲ慮カリテ同一ノ權能ヲ要約スルコトヲ得ベシ蓋シ賃借人ノ死亡ハ原則上賃貸借ノ終了ヲ為スモノニ非ズ然レトモ賃借人死亡シタルトキハ賃借物ハ最早有用ナラズ従テ相續人ニ取リテハ却テ不利益ナルコトアルベシ故ニ相續人ノ為ニ解約ノ權能ヲ豫期スルモ亦或ル場合ニ於テ有益ノコトアルベシ
凡テ是等ノ場合及ビ之ト相類スル場合ニ於テ契約ニ因リ解除ノ權能ヲ有スル當事者ガ賃貸借ノ終了ヲ為サント欲スルトキハ豫メ解約申入ニ由テ他ノ當事者ニ之ヲ通知スルコトヲ要ス而シテ解約申入ヨリ返却迄ノ時間ニ付テハ賃借物ノ區別ニ従ヒ前數條ノ規定シタル所ニ従フベキコト當然ナリトス
當事者ガ合意ヲ以テ解除ノ權能ヲ要約シタル場合ハ第百四十五條第四ノ場合ト全ク同一ナルニ非ズ蓋シ第百四十五條ノ場合ハ當事者ガ解除ノ條件ヲ約シタル場合ニシテ若シ其條件ヲ成就スルトキハ他ニ何等ノ所為ヲ要スルコトナク之ガ為ニ當然賃貸借ノ消滅ヲ致スモノナリ然ルニ本條ノ場合於テハ當然ノ解除ニ非ズシテ當事者唯自己ノ意思ニ依テ契約ノ解除ヲ請求スルノ權利ヲ要約シタル場合ヲ規定セルノミ
法律ニ於テ特ニ之ヲ掲ゲズト雖モ若シ解約申入ヲ為サント欲スルトキニ於テ賃貸借期間ノ残リノ時間ガ解約申入ヨリ返却迄ノ法律上ノ時間ニ比シテ一層短キ場合ニ於テハ特ニ解約申入ヲ為スコト全ク無用ニ属スベシ此場合ニ於テハ契約解除ノ權能ノ行使ニ因テ賃貸借終了スルニ非ズシテ當初ノ合意ニ依テ其終了ヲ致スベキナリ縦令當事者ガ過テ解約申入ヲ為シ又一方ニ於テ之ヲ受ケタリトスルモ之ガ為ニ賃貸借ノ期間ヲ延長スベキモノニ非ザルナリ
第二節 永借權及ビ地上權
第一款 永借權
第百五十五條
本法ハ将来ニ向テ五十个年ヲ超ユル期間ヲ以テ永借權ヲ設定スルコトヲ許サス
新タニ永借權ヲ設定スルコトハ主トシテ荒蕪地又ハ未耕地ヲ開墾シ耕作セシムル為メ有益ナリトス
斯ノ如キ場合ニ於テハ賃借人ハ長キ期限ニ因リテ賃貸借ノ利益ナカルベカラズ蓋シ是等ノ土地ハ當初ニ於テ其ノ利益甚ダ尠キモノニシテ賃借人ニ帰スル所ハ永遠ノ利益ニ外ナラザレバナリ然ルニ若シ普通ノ賃貸借ノ如キ手續ヲ経ズシテ其ノ權利ヲ消滅スルモノトセバ勞力ト費用トハ甚ダ多クシテ之ニ對スル報酬ヲ得ルニ途ナケレバナリ然ルトキハ何人モ開墾耕作ヲ企ツル者有ラザルベシ
然レトモ他ノ一方ヨリ觀察スルトキハ賃貸借ハ其種類ノ如何ニ拘ハラズ永久ニ継續セシムベキニ非ズ何トナレバ若シ賃借権ニシテ永久ナルコトヲ得バ賃貸人タル所有者ノ權利ハ永久ノ制限ヲ受ケテ物ノ自由ノ處分ヲ失フノミナラズ其相續人モ亦此權利ヲ失フベシ従テ永借権ノ目的タルモノハ就中一般ノ融通ヲナス為ニ公益ヲ害スルコトアルベシ然ノミナラス一旦契約ヲ為シ永借人ガ永貸人ニ拂フベキ借賃ヲ定メタル以上ハ永貸借継續間ハ之ヲ増加スルコトヲ得ズ従テ其借賃ハ遂ニ普通借賃ノ相場ヨリ甚ダ低廉ナルニ至ルベシ何トナレバ當初永借權ヲ設定スル土地ハ荒蕪地又ハ未耕地ナルガ故ニ之ヲ標準トシテ定ムル借賃ハ他日充分ノ収入ヲ生ズルニ至リタル土地ヲ標準トスル借賃ヨリ甚ダ小ナルベキコト明カナレバナリ又賃借人ヨリ之ヲ觀ルモ賃貸借ノ期間甚ダ長キニ過グルトキハ遂ニ之ガ為メ非常ノ困難ヲ受クルコトアルベシ特ニ賃借人ノ相續人ニ於テ然リトナス
三十年ノ期間ハ賃借人ヲシテ其開墾シタル土地ヨリ充分ノ利益ヲ得セシムル為ニ不足ナキ時間ト稱スルコトヲ得ヘシ又五十个年ノ期間ハ立法者ガ永借權ノ最長期トシテ定ムル所ノモノニシテ當初ヨリ此期間ヲ超エテ契約ヲ為スコトヲ許サズ唯其満了ノ時ニ至リ特ニ更新ヲ為ストキハ更ニ新タナル永借権ヲ設定スルコトヲ得ベシ而シテ更新ノ場合ニ於テハ當事者ハ各一切ノ事情ヲ知悉シ新ニ條件ヲ定メテ契約ヲ為スベキガ故ニ當初ヨリ甚タ長キ期間ニ對シ為シタル賃貸借ノ如キ弊害ナシ且何レノ時ニ於テ永貸借ノ更新ヲ為シタリトスルモ新永貸借ハ其更新ノ時ヨリ五十个年ヲ超ユルコトヲ得ズ
若シ當事者ガ右ノ制限ヲ超エ五十个年ヨリ長キ時間ニ對シテ永貸借契約ヲ為シ又ハ其更新ヲ為シタルトキハ契約若クハ更新ハ全ク無効ナルニ非ズシテ単ニ法律ニ定メタル最長期ニ之ヲ短縮スルモノトス此事ハ特ニ法文ニ明記スルコトヲ必要トス何トナレバ有償契約ノ場合ニ於テ法律ノ禁止ヲ犯シタル約款アルトキハ其効力トシテ契約全体ノ無効ヲ生ゼシムルコト屢々ナレバナリ(参看第四百十三條)本條ノ制限ヲ犯シタル場合ニ於テ之ガ為ニ契約ノ全体ヲ無効トスル如キハ甚ダ嚴ニ失スルモノナリ故ニ立法者ハ唯其期間ヲ短縮スルニ止マリタルナリ
法律ヲ以テ特別ノ規定ヲ設ケザル點ニ關シテハ普通賃貸借ニ關スル規則ヲ永貸借ニ適用スベキコトハ後ニ至テ之ヲ説明スベシ(参看第百五十七條)
黙示ノ更新ニ關スル規定モ亦普通賃貸借ノ規定ニシテ而シテ永貸借ニ適用スベキ所ノモノニ過ギズ即チ賃貸借終了シタル後賃借人尚ホ収益ヲ為シ従テ賃貸人ニ於テモ亦之ヲ知テ故障ヲ為サザルトキ是ナリ
此規則ハ永貸借ニモ適用スルコトヲ得ベシ故ニ永貸借ガ更新セラレタルトキハ新永貸借ハ舊永貸借ト同一ノ條件ヲ以テ継續スベシ唯其期間ニ對シテノミ新舊両者同一ナラズ即チ新永貸借ハ一定ノ期間ヲ有セズ一方ノ解約申入ニ因リテ終了スベシ而シテ法律ニ於イテ解約申入ヨリ返却迄ノ時間ニ付キ特ニ延長スル所アラザルヲ以テ第百五十一條ノ規定ヲ適用セザルベカラズ
第三者ノ權利ニ至テハ第百四十七條ノ規定ニ従テ之ヲ犯スコトナキヲ要スルハ勿論ナリ
本法實施以前ニ於テ締結セラレタル契約ニシテ永貸借契約ノ性質ヲ有スルモノニ關シテハ特ニ一箇ノ區別ヲ為シ依テ本條ニ規定スル事項ノ如キ一般ノ利益ニ關スル規定ニ付キ法律ハ既往ニ遡ボリ効力ヲ有セズトノ原則ノ適用ヲシテ幾分ノ制限ヲ受ケシメタリ
第一荒蕪地又ハ未耕地ノ賃貸借ニシテ當事者ガ永小作ト称シ又ハ一定ノ期間ヲ附セサリシモノハ之ヲシテ本法ノ規定ヲ適用スベカラザルモノトシ将来ノ立法者ヲシテ事宜ニ従ヒ適當ト認ムベキ限度ニ之ヲ短縮スルノ處分ヲ為スノ餘地ヲ遺セリ蓋シ本法自ラ之ガ詳細ヲ規定セサルガ故ニ全ク将来ノ立法者ニ之ヲ委ヌルヲ得ベシト雖モ豫メ其精神ノ存スル所ヲ示スハ決シテ無用ノコトニ非ザルナリ
第二之ニ反シテ本法實施前ニ當事者ガ契約シタル賃貸借ニシテ一定ノ期間ヲ有スルモノハ其期間ガ縦令五十个年ヲ超ユルモノト雖モ尚ホ其全期間ニ對シテ有効ナリトス素ヨリ将来ニ於テ更ニ之ヲ短縮スル法律制定セラルルトキハ格別ナリト雖モ思フニ斯ノ如キ永貸借ハ之ヲ永久無期ノ永貸借ニ比スレバ其弊甚ダ小ナルガ故ニ他日ニ於テモ更ニ之ヲ短縮スル如キ法律ハ制定セラルルコト非ザルベシ
本條ニ於テ立法者ハ法律既往ニ遡ボラズトノ一般ノ原則ハ制限ヲ受クベキコトヲ明示セリ此ノ原則タルヤ決シテ憲法上ノ原則ニ非ズ而シテ或ル特別ノ場合ニ於テ法律ヲ以テ之ニ對シ例外ヲ設ケ得ベキコトハ今日一般ニ認ムル所ナリ本條ノ如キ場合ニ於テ例外ハ實ニ必要且ツ正當ノモノナリトス法律既往ニ遡ボラズトノ原則ハ舊法ノ下ニ於テ已ニ取得シタル權利ハ法律ト雖モ之ヲ犯スコトナシトノ理論ニ基キタルモノナリ永貸借ノ當初ヨリシテ一定ノ期間ヲ以テ設定セラレタル場合ニ於テハ新法ハ充分ニ之ヲ尊敬シテ犯ス所ナシ蓋シ當事者ハ其合意ヲ以テ相互ノ遵奉スベキ法律ト為シタレバナリ然レトモ當事者ガ永遠無窮ヲ期シテ永借權ヲ設定シタル場合ニ於テハ當事者ハ前ノ場合ノ如ク其契約ノ全ク行ハレンコトヲ期シ得ベキニ非ザルナリ何トナレバ人類社會ノコト永遠無窮ナルモノハ決シテ普通ト称スルコトヲ得ザレバナリ若シ本條末項ニ掲ケタル将来ノ法律ニ於テ例令バ五十个年ト云フガ如ク甚ダ長キ期間ノ規定ニ非ザレバ永久ノ約ヲ以テ設定シタル永借權ヲ消滅セシムルコトヲ要セスト定ムル如キコトアレバ縦令一方ニ於テ永久ノ性質ヲ失ハシムルモ既ニ正理ト公義ニ合シタルモノト云ハサルヲ得ズ
永借權ガ已ニ一種ノ賃借權タル以上ハ次ニ掲グル實用上ノ問題ハ屢々起コルコトアルベシ即チ當事者ノ意思普通ノ賃貸借ヲ為スニ非ズシテ特ニ永貸借契約ヲ為スニアリシコトハ何ニ依テ之ヲ知ルコトヲ得ベキヤ是ナリ
第一當事者ニシテ契約ヲ為スニ當リ永貸借ヲ明示シタルトキハ何等ノ困難ヲ見ズ然レトモ當事者若シ此注意ヲ為スコトヲ怠リタル場合ニ於テハ裁判所此問題ヲ決スルコト一ニ一切ノ事情ニ基クノ外ナカルベシ
賃貸借ノ期間ノ指定ハ此問題ヲ決スルニ付キ最モ重要ナル點ト云フベシ若シ賃貸借ガ三十个年ヲ超ユル期間ヲ以テ為サレタルトキハ當事者ハ普通ノ賃貸借ヲ為スノ意思ニ非ズシテ特別ノ賃貸借タル永借權ヲ設定スルノ意思ナリシト推定スベシ何トナレバ普通ノ賃貸借ハ三十个年ヲ超ユル期間ヲ要スルコト能ハザレバナリ若シ其賃貸借ノ目的物ニシテ荒蕪地又ハ未開地ナル場合ニ於テハ右ノ推定ハ益々有力ノモノタルベシ然リト雖モ若シ其契約中普通賃貸借ニ於テノミ獨リ見ルコトヲ得ベキ約款ノ存スル場合ニ於テハ當事者ノ意思ハ普通ノ賃貸借ヲ為スニ在リシモノト決定スルコトヲ要ス従テ其期間ハ三十个年ニ短縮セラルベシ例令バ賃貸人ガ賃借人ニ對シテ収益ノ擔保ヲ約シタルガ如キ場合是レナリ若シ賃貸借ト永貸借トヲ判定スル為メ何等ノ確實ナル基礎ヲモ發見スルコトナク其間ニ疑アルトキハ當事者ノ意思普通ノ賃貸借ヲ為スニ在リシモノト決定スルコトヲ要ス何トナレバ永貸借ハ遂ニ一箇ノ例外ニシテ之ヲ推定スベキモノニ非ザレバナリ此ヲ以テ當事者ノ中永借権ナリト主張スル者アルトキハ之ガ證拠ヲ提出セザルベカラズ
第百五十六條
賃借権ハ唯一ノ設定方法ヲ要スルモノニシテ契約ニ依ルノ外他ニ之ヲ設定スルヲ得ベカラサルコトハ第百十七條ノ下ニ於テ詳細ニ之ヲ述ベタリ而シテ此理論ハ同ジク永借權ニ關シテ適用セラルベシ
第百五十七條
本條ノ目的トスル所ハ一ニ賃貸借ノ一種タル永貸借ノ特別ナル規定ヲ設クルニアリ此故ニ普通ノ原則ニ對シ立法者ガ明示又ハ黙示ヲ以テ特ニ例外ヲ設ケザル點ニ付テハ総テ普通ノ原則ニ従フベキモノナリトス
然レトモ永借權ハ其期間甚ダ長キガ故ニ他人ノ物ノ管理者又ハ自己ノ財産ノ處分權ヲ有セズシテ單単ニ管理權ノミヲ有スルモノニ於テ之ヲ設定シ得ベカラザルコトハ法律ノ明文ヲ竢タズシテ明カナル所ナリ(参看第百十九條以下第百二十二條)永借權設定ノ所為ハ之ヲ管理ノ所為ト云フコトヲ得ズ
第百五十八條第百五十九條及ビ第百六十條
永借權ノ主タル目的ハ荒蕪地ノ開墾ヲシテ容易ナラシムルニ在リトス此ヲ以テ之ヲ普通賃貸借ノ場合ニ比スレバ永借物ノ上ニ存スル永借人ノ權利ハ一層大ナルコトヲ要スルハ辯ヲ俟タズシテ明カナル所ナリトス
本條ニ掲ゲタル永借人ノ權利ハ通常賃借人ノ有セザル所ナリト雖モ立法者ハ此權利ヲ永借人ニ與フルト同時ニ直チニ之ニ第一ノ制限ヲ加ヘタリ然レトモ此制限タルヤ決シテ其權利ヲシテ甚ダ狭小ナラシムルモノニ非ズ又永借人ノ為ニ甚ダ不自由ヲ感ゼシムルモノニ非ズ蓋シ永借人ハ永久ニ永借物ノ價額ヲ減ズルコトナケレバ則チ足レリトス而シテ永久ニ斯ノ如ク損害ヲ加ヘザル以上ハ縦令一時永借物ノ價額ヲ減ズルコトアリト雖モ決シテ此制限ヲ犯シタルモノト云フヲ得ズ或ハ永借物ノ形質ヲ変ズルニ當テ一時其價額ヲ減ジ其産出物ヲ減ズルコトアルハ概シテ避クベカラザルコトナル可シト雖モ他日永遠ニ其價額ヲ増シ産出物ヲ増加セシム可キモノナルトキハ之ヲ目シテ永久ノ毀損ヲ生セシメタリト云フコト能ハズ
例ヘバ價額甚ダ少キ原野ヲ永借シ而シテ五穀其他食用又ハ工業用ノ産出物ヲ生ゼシムル為メ之ガ開墾ヲ為スニ當テハ一時其永借地ハ何等ノ産出物ヲモ生ゼザルコト有ル可ク縦ヒ幾分ノ産出物アルモ仍ホ従前ノ産出物ヨリ甚ダ少ナキコトアルベシ然レトモ此一時ノ損失ヲ目シテ永借人ハ其永借シタル土地ヲ毀損シタルモノト云フヲ得ズ何トナレバ永遠ノ利益ヲ生ゼシムル為ニ一時斯ノ如クナルコトアルハ必然ニ出ヅレバナリ
永借人ガ沼池ヲ乾涸セシメ之ガ開墾ヲ為スニ當テモ亦同一ナリトス沼池ニハ蘆荻等ヲ生シタルコト有ルベシ而シテ之ヲ埋メ立テ開墾スルニ當テハ此等ノ産出物ヲ得ベカラザルコト勿論ナリ然レトモ他日ニ至テハ其土地ハ甚タ膏腴ニシテ多クノ収益ヲ見ルニ至ルベシ
沼池ニ匯集シテ流通セザル水ハ單ニ無用ナルノミナラズ屢々有害ナルコトアルガ故ニ沼池ノ開墾ハ常ニ之ヲ為スコト得セシムルヲ以テ可ナリトス
之ニ反シテ永借地ニ存スル大樹木ヲ取除キ又ハ建物ヲ取毀ツガ如キハ永久ノ毀損ヲ永借物ニ加フルモノト看做スコトヲ得ベシ建物ニ關シテハ再ビ之ヲ築造スルコトヲ得ベシ即チ之ヲ築造スルコトヲ為シ得ベカラサルニ非ズト雖モ樹木ニ關シテハ殆ント回復スベカラザルコトアリトス故ニ第百五十九條及ビ第百六十條ヲ以テ之ヲ禁止セリ
永借地ニ存スル水流ニ關シテハ永借人之ヲ変更スルコトヲ得ベシ然レトモ此水流ノ変更ガ永借地ノ為ニ利益ヲ與フベキ場合ニ限ル實際ニ於テ永借人ハ此利益アルトキニ非ザレバ自カラ巨額ノ費用ヲ投シテ斯ノ如キ工事ヲ為スコトナカルベシ既ニ土地ノ利益ノ為メナルコトヲ要ス故ニ永借人ハ従来存スル水流ヲ隣地ニ轉シテ全ク之ヲ廃スル如キコト有ルベカラズ縦ヒ隣地ニ於テ之ヲ承諾スルトキト雖モ亦然リ何トナレバ水流ハ沼池ト異ナリテ常ニ工業等ノ為ニ甚ダ大ナル利益ヲ與フルモノナレバナリ
明文ニ規定スル所ハ單ニ永借地ヲ通過スル水流ノミニ關ス何トナレバ永借地ヲ通過スルコトナク單ニ其一端ヲ流ルル水流ニ至テハ永借人ノ權利ノ制限ハ永借權ノ本質ヨリ生ズルノミナラズ主トシテ對岸所有者ノ權利ノ為メニ自カラ制限ヲ受クルモノナレバナリ此点ニ關シテハ地役ノ章ニ於テ詳細ノ規定ヲ見ルベシ
小木林ノ事ハ既ニ用益權ノ章ニ於イテ説明シタル所ニシテ定期ニ採伐スルコトヲ得ベク且採伐後常ニ芽生スベキ種類ノ樹木ナリ永借人ハ斯ノ如キ樹木ヲ賃借人ト同一ニ収益スルコトヲ得ベク而シテ普通賃借人ノ収益ハ既ニ述ベタル如ク用益者ノ収益ト全ク同一ナルモノナリ然リト雖モ永借人ハ所有者ノ承諾ヲ経ズシテ斯ノ如キ樹木ヲ掘取ルコトヲ得ズ
定期採伐ニ供セザル大樹木ニ至テハ右ノ如ク収益ノ權利永借人ニ存セズ法律ハ此点ニ於テ一ノ區別ヲ為セリ即チ其大樹木ガ未ダ二十年ヲ超エザルモノニシテ且其性質上定期採伐ニ供スベキモノニ非ザルトキハ永借人ハ之ヲ採伐スルコトヲ得ベシ然リト雖モ若シ其樹木ガ既ニ二十年ヲ超エタルトキハ永借人ハ之ヲ採伐スルコトヲ得ザルモノトス二十年ヲ超ヘタル大樹木ニ付テモ仍ホ一箇ノ注意ヲ為サザルベカラズ即チ若シ此樹木ガ既ニ多クノ年數ヲ経永貸借終了前ニ於テ其成長止息スベキ程度ニ達シタルモノナルトキハ縦ヒ二十年ヲ超エタル樹木ト雖モ之ヲ採伐スルコトヲ得ベシ蓋シ斯ノ如キ樹木ハ縦ヒ之ヲ採伐スルコトナキモ永借權終了シ所有者ノ手ニ土地ノ収益ヲ回復スルトキニ至ル迄引續キ成長スルモノニ非ザルヲ以テ其前ニ於テ採伐スルモ所有者ノ為ニ利益ヲ害スルコトナケレバナリ其理由斯ノ如シ故ニ永借人ガ此種類ノ樹木ヲ採伐シ得ルニハ仍ホ所有者ガ之ヲ保存スルニ於テ利益ヲ有セザルトキニ限ルベキコト勿論ナリ
右ニ掲グル外永借地ノ處々ニ灌木其他ノ小木存スルコトアルモ此等ハ永借人ガ自由ニ採伐スルコトヲ得ベキ所ナリトス若シ之ヲ取除クコトヲ得ザルモノトスルトキハ為ニ永借地ノ変更開墾等ヲ為スコト能ハザルベシ是レ永借權ヲ認メタル法律ノ精神ヲ達スルコト能ハザラシムルモノナレバナリ斯ノ如クナルガ故ニ或ル種類ノ樹木ハ賃借人自由ニ之ヲ取除クコトヲ得ベクシテ或ル他ノ種類ノ樹木ハ特ニ所有者ノ承諾アルニ非ザレバ取除クコトヲ得ズ而シテ永借地ノ樹木ハ何レノ種類ニ属スベキヤニ至リテハ是レ事實ノ問題ニシテ若シ此点ニ關シ當事者ノ間ニ争アルトキハ裁判所ハ各場合ニ因リ一切ノ事情ニ基キテ之ヲ決セザルベカラズ
第百六十條ノ規定ハ樹木ニ關スル規定ト大イニ類似スル所ノモノナリ
永借人ハ永借地ノ主タル建物ノ取除ヲ為スノ権利ヲ有セズ若シ之ガ取除ヲ為スノ必要アルトキハ特ニ所有者ヲシテ建物ノ取除若クハ変更ノ有益ナルコトヲ認メシメ依テ其承諾ヲ受クルコトヲ必要トナス
之ニ反シテ従タル建物ニ至テハ主タル建物ノ如ク重要ナルモノニ非ズ又永借地ノ収益ノ方法如何ニ従テ勿論変更スベキモノナルガ故ニ永借人ハ之ニ關シテハ主タル建物ニ關スルニ比シテ一層大ナル自由ヲ有セザルベカラズ此故ニ永借人ガ従タル建物ノ変更ヲ為シ得ルニハ其建物ノ存立ノ時期永貸借ノ期間ヲ超エザルヲ以テ足レリト為ス此場合ニ於テハ恰モ大樹木ニシテ永貸借終了前ニ其成長止息スベキモノト同ジク永借人ニ於テ之ヲ取除クモ所有者ニシテ為ニ損害ヲ蒙ムルコト有ラザルベシ何トナレバ永貸借終了シテ所有者其土地ヲ恢復スルトキハ其建物ハ既ニ存立スベカラサレバナリ
反對ノ場合ニ於テ即チ其従タル建物ニシテ永貸借終了ノ後ニ至ル迄仍ホ存立スベキモノナルトキハ永借人ニ於テ之ヲ取除キ若クハ変更セントスルニハ所有者ノ承諾ヲ受クルコトヲ必要トス
第百六十一條
永借人ニ於テ樹木ヲ取除キ又ハ建物ヲ取毀チ依テ得タル所ノ物料ハ総テ之ヲ所有者ニ交付スルコトヲ要ス永借人ヲシテ斯ノ如キ義務ヲ負ハシメタルハ單ニ所有權ノ原則ニ合スルノミナラズ仍ホ永借人ヲシテ漫リニ此樹木又ハ建物ノ取毀ヲ為スコトヲ無カラシメンガ為ナリ蓋シ權利ニ基キテ建物又ハ樹木ノ取毀チヲ為スモ依テ得タル所ノ物料ハ更ニ自己ノ為ニ利益ヲ與フルコトナキモノトセバ永借人ハ必要ノ場合ノ外決シテ現存ノ建物及ビ樹木ヲ毀損スル如キコトナカル可ケレバナリ
第百六十二條
永借地ニ存スル鑛物ニ關シテ永借人ノ有スル權利ハ用益者ト同一ナルコト能ハズ此点ニ於テハ普通ノ賃借人ト同一視スベシ即チ永借人ハ産出物又ハ開坑ノ特許ヲ得タル者ヨリ所有者ニ拂フベキ償金ニ付キ何等ノ權利ヲモ有スルコトナシ縦ヒ永借権設定ノ當時既ニ採掘セラレタル鑛物ニ關シテモ尚ホ然リトス蓋シ鑛物ハ地底ニ於テ採掘セラルルモノニシテ地面ト全ク關係ナキモノナリ而シテ永借人ノ目的トスル所ハ一ニ地面ニ存スレバナリ
本條ノ末項ニ掲ゲタル例外ハ容易ニ其理由ヲ解スルコトヲ得ベシ何トナレバ之ニ依テ永貸借ノ目的ヲ達セシメントスルニ外ナラザレバナリ
第百六十三條
永借地ニ存スル石坑ニ付テ永借人ノ有スル權利ハ之ヲ用益者又ハ普通賃借人ノ有スル権利ニ比シテ甚ダ相似タリ唯永借権設定ノ當時未ダ採掘セラレサル石坑ニ關シテハ永借人ノ權利他ノ二者ト同一ナル能ハズ此場合ニ於テ永借人ハ提塘樹木又ハ建物ノ保持修繕ノ為ニ必要ナル材料ヲ採掘スル為メ石坑ヲ採掘スルコトヲ得ルノミナラズ尚ホ土地ノ改良ノ為ニ此採掘ヲ為スコトヲ得ベシ而シテ其理由トスル所ハ永貸借ノ主タル目的ハ従来荒蕪ニ属シタル土地ヲ改良シ其價額ヲ大ナラシムルニ在ルヲ以テナリ
第百六十四條及ビ第百六十五條
第百六十四條及ビ第百六十五條ノ法文ハ永借權ト普通賃借權トノ間ニ存スル大ナル差異アルコトヲ示セシモノナリ
屢々述ブル如ク永借權ノ目的トスル所ハ主トシテ将来荒蕪ナル土地ヲシテ耕作ヲ受ケシムルニ在ルヲ以テ此目的ニ基キ論ズルモ永貸人ヲシテ永借物ヨリ引續キ得ル収益ノ擔保ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルコト到底理ニ於テ為スベカラザル所ナリ且第百五十五條ノ下ニ於テ述ヘタル如ク斯ノ如キハ永貸人及ビ其相続人ヲシテ甚ダ長キ時間ニ對シ非常ノ責任ヲ負ハシムルモノト言ハザルヲ得ズ
斯ノ如キ収益ノ擔保ヲ以テ永借人ノ権利ヲ保護スルコト無シトスルモ一方ニ於テ永借權ノ場合ニ於テハ普通賃借權ノ場合ニ比シテ借賃甚ダ底廉ナルノミナラズ他ノ一方ニ於テ新タニ開墾セラレタル土地ハ収益ヲ得セシムルコト甚ダ多クシテ通常其利益ハ永借人ガ時ニ自己ノ収益ニ對シテ天災其他ノ妨害ヲ受クルコトアルモ充分ニ其償ヲ為スニ足ルベシ
然レトモ右ニ掲グル如ク賃貸人ヲシテ擔保ノ義務ヲ免カレシムルモノハ單ニ永借物ノ収益ニ對シテノミ然ルモノナリ
永借權ノ成立ノ擔保ニ至テハ永貸人ト雖モ之ヲ免ルルコト能ハズ何トナレバ永貸人自カラ永貸借契約ニ因テ永借人ヲシテ永借權ヲ得セシムベキコトヲ約シ而シテ其權利永借人ニ属スルコト能ハザリシトキハ其責任ハ永貸人ニ於テ免カルベカラザルコト勿論ナレバナリ此ヲ以テ若シ第三者ガ永貸人ノ所有ニ非ザルコトヲ證明シ依テ永借人ヲ追奪シタル場合ニ於テハ永貸人ハ永借人ニ對シ此追奪ノ擔保ヲ為サザルヲ得ズ而シテ此義務ハ特ニ當事者ノ合意ヲ要セズシテ當然ニ存スル所ノモノナリ
第百六十六條
本條ノ規定モ亦永借人ト普通賃借人トノ間ニ存スル差異ヲ示シタルモノナリ何トナレバ普通賃借人ハ土地ニ關スル何等ノ租税ヲモ負擔スルコトナクシテ永借人ハ此負擔ヲ免ルルコト能ハザレバナリ此点ニ關シ永借人ハ用益者ト甚ダ相類シテ而シテ尚ホ其義務ハ用益者ニ比シ一層重大ナリトス何トナレバ用益者ハ非常ノ租税ニ關シ其幾分ヲ負擔スルニ止マリテ全部ヲ負擔スルコトナシト雖モ永借人ハ非常ノ租税モ亦一人ニテ負擔スベキモノナレバナリ
斯ノ如ク二重ニ差異ヲ設ケタル所以ノモノハ一方ニ於テ永貸借ノ場合ニ於ケル借賃ハ普通ニ甚ダ底廉ナルノミナラズ尚ホ次ギニ掲グル如キ理由アルニ因ル即チ永貸借ニ附シタル土地ハ歳月ヲ経ルニ従ヒ開墾等ノ工事ノ為メ非常ニ其價額ヲ増加スルモノナリ土地ノ價額已ニ増加スルトキハ其地租ノ如キモ亦非常ニ大ナルニ至ルベシ一方ニ於テ斯ノ如ク地租ノ増加スルニ拘ハラズ此永貸借ニ基キテ永貸人ガ毎年収受スベキ借賃ニ至テハ歳月ト共ニ増加スルモノニ非サルヲ以テ永貸人ヲシテ租税ヲ負擔セシムルハ決シテ其當ヲ得タルモノト云フベカラズ
若シ財政ニ關スル法律ノ規定ニ依リ所有者ニ對シテ租税ヲ課シタル場合ニ於テハ永借人ハ之ニ對シテ其償還ヲ為サザルベカラズ何トナレバ永借人ト永貸人トノ關係ハ本條ニ依テ之ヲ規定スベク租税ノ賦課徴収ヲ目的トスル財政ノ法律ハ國庫ニ對スル義務者ヲ定ムルノミニシテ本條ニ規定スル所ト全ク關係ナケレバナリ
第百六十七條
借賃ニ關シ永借人ガ連帯且ツ不可分ノ義務ヲ負フコトハ永貸借ニ特別ナル規定トス而シテ此特別ナル規定ノ理由トスル所ハ永貸借ノ期間甚ダ長クシテ且ツ数人ノ永借人ガ連合シテ一箇ノ永貸借ヲ為ス如キコト實際ニ屢々ナルベキトノ理由ニ基クモノニシテ要スルニ永貸人ノ為ニ一ノ擔保ヲ設ケタルモノナリ
若シ永借人ノ借賃辨濟ノ義務ニシテ連帯且ツ不可分ノモノナラストセバ永貸人ハ此借賃ヲ収受スル為メ非常ノ困難ヲ蒙ルベシ即チ實際ニ於テ屢々永借人死亡シタル為メ之ニ代ツテ永借人タル者数人アルコトアルベク茲ニ於テカ永貸人ハ各人ニ對シ借賃ノ幾分ヲ請求セザルベカラズ而シテ若シ此中ノ一人若クハ数人無資力ナル場合ニ於テハ義務不履行ニ基キテ契約ノ解除ヲ請求セントスルモ唯義務ヲ履行セザル一人ニ對シテノミ請求ヲ為スコトヲ得ルニ止マリ而シテ契約ノ一部ノ解除ニ非ザレバ請求スルコト能ハザルベシ是レ永貸人ノ為ニ甚ダシキ不便ヲ来スベキナリ若シ此例外ヲ避ケント欲セバ縦ヒ義務ヲ履行セザル者ノ一人ニ止マルモ尚ホ総テノ永借人ニ對シ全部ノ解除ヲ請求シ得ルモノト為スコトヲ要ス即チ解除ノ權利ハ不可分ナリト為サザルヘカラズ然リト雖モ已ニ解除ノ權利ヲ以テ不可分ナリトスルコトヲ認メバ其原因タル借賃辨濟ノ義務ヲ以テ已ニ不可分ノモノナリトスルノ簡明ナルニ加カサルナリ
若シ借賃ノ義務ヲ以テ連帯ノモノトシ且ツ不可分ノモノトスルトキハ右ニ掲クル所ノモノハ全ク消滅スベシ而シテ連帯及ビ不可分ノコトハ擔保編ニ於テ詳細ノ説明ヲ見ルベシト雖モ其一般ノ効力ニ關シテハ人權ノ部ニ於テモ其規定ヲ見ルベシ(第四百四十一條以下)之ヲ要スルニ数人ノ義務者中一人ノ有資力者アル場合ニ於テ債權者ハ契約ノ解除ヲ請求スルノ必要ヲ見ザルベシ何トナレバ此資力アル一人ニ對シテ義務ノ全部ノ履行ヲ求ムルコトヲ得ベケレバナリ故ニ永借人数人ナルカ又ハ相續ニ依テ数人トナリシ場合ニ於テ其中ノ一人ニシテ充分ノ資力アルトキハ縦ヒ他ノ数人ハ総テ無資力ナルモ永貸人ハ未ダ永貸借ノ解除ヲ要ムルノ必要ヲ見サルベシ而シテ総テノ義務者皆無資力ナルトキハ永貸人ハ永貸借契約全部ノ解除ヲ要ムルコトヲ得ベキナリ
右ニ述ブル如ク借賃辨濟ノ義務連帯ニシテ且ツ不可分ナルハ當事者ニ於テ反對ノ合意ヲ為サザル場合ニ限ルモノトス故ニ若シ反對ノ合意アルトキハ辨濟ノ義務ハ連帯ナラズ又不可分ナラサルコトヲ得ベシ蓋シ契約ノ法律上ノ効力ハ各人ノ合意ヲ以テ之ヲ増減シ得ベキコト一般ノ原則ナリ當事者ガ合意ヲ以テ法律ノ規定スル所ニ反スルコト能ハザルハ公ノ秩序ニ關スル場合ニ限ルモノニシテ本條ノ如キハ更ニ公ノ秩序ニ關スルモノニ非ズ單ニ各人ノ利益ニ關スルニ止マルモノナリ
此故ニ本條ニ規定スル如キ借賃ヲ以テ連帯且ツ不可分ノモノトスルハ普通賃貸借ノ場合ニ於テ法律ノ規定セサル所ナリト雖モ當事者ニ於テ特ニ斯ノ如クナルコトヲ欲セバ明示ノ合意ヲ以テ之ヲ約スルコトヲ得ベシ
第百六十八條
本條ノ規定モ亦永貸借ト普通賃貸借トノ間ニ一箇ノ差異ヲ設ケタルモノナリ普通賃貸借ノ場合ニ於テ賃借人借賃ノ辨濟ヲ怠ルコト一回ナルトキハ賃貸人ハ直ニ之ヲ理由トシテ賃貸借ノ解除ヲ請求スルコトヲ得ベシ然レトモ永貸借ノ場合ニ於テハ斯ノ如クナルコト能ハズ法律ハ永借人ヲ遇スルコト普通賃借人ニ於ケルガ如ク嚴ナラズ蓋シ永貸借ノ場合ニ於テハ普通賃貸借ノ場合ニ比シ収益ノ事業甚ダ困難ニシテ屢々意外ニ自己ノ為ニ利益ヲ見ルコト能ハサルコトアレバナリ
然ノミナラス普通賃貸借ノ場合ニ於テハ収益ノ滅失其他収益ノ妨害等ヲ理由トシテ賃借人ハ借賃ノ減少ヲ求ムルコトヲ得ベシ然ルニ永借人ハ此ノ如キ場合ニ於テ同一ノ權利ヲ有スルコトナシ故ニ其事業ニ於テ困難ナル場合ニ當リ永借人ヲシテ義務辨濟ノ為メ若干ノ猶豫ヲ得セシムルハ最モ其當ヲ得タルモノトス
然レトモ若シ永借人ニシテ他ニ債權者ヲ有シ而シテ此債權者ノ請求ニ依リ終ニ無資力トナリ財産ノ競賣ヲ免カルル能ハザル場合ニ於テハ永貸人ヲシテ自己ノ權利ヲ保護スルノ方法ヲ失ハシムルハ到底法律ノ為スベキ所ニ非ズ故ニ此場合ニ於テハ本條第二項ニ依リ永借人ガ辨濟ヲ怠ル所ノ多少如何ニ拘ハラズ永貸人ニ與フルニ永貸借解除ノ權利ヲ以テセリ永貸人ヨリ辨濟シタル租税ノ償還ニ關シテハ縦ヒ之ヲ怠リタルコト一回ニ止マルモ尚ホ之ヲ理由トシテ永貸人ハ永借人ニ對シ契約ノ解除ヲ要ムルコトヲ得ベシ何トナレバ借賃ノ場合ニ於テハ永貸人ハ單ニ借賃ヲ収受セザルニ止マレドモ租税ノ場合ニ於テハ自カラ代ツテ辨濟ヲ為シタルモノナルガ故ニ其償還ヲ受ケザルトキハ甚シキ損害ヲ受クベケレバナリ
第百六十九條
本條ノ規定ハ永借人ガ永借物ノ収益ニ關シ永貸人ニ何等ノ擔保ヲモ求ムルコトヲ得ザルガ故ニ此擔保ノ缺乏ヲ補足スル為ニ設ケタルモノニシテ第百六十五條ニ於テモ已ニ之ヲ明示セリ
本條ハ二箇ノ場合ニ於テ永借人ガ自カラ契約ノ解除ヲ請求スルコトヲ許ス
第一ノ場合ノ適用トシテハ戦争又ハ洪水等ノ為ニ永借地ヲ毀損セラレ従ツテ三个年ノ間何等ノ収益ヲモ生セザル如キ場合ヲ仮想シ得ベシ
第二ノ場合ニ於テハ斯ノ如キ収益ノ滅失其全部ニ至ラズト雖モ尚ホ将来ニ於テ永借地ノ収益ハ永貸人ニ辨濟スベキ借賃ノ額ヲ超ユルコト能ハザル如キ場合ナリトス斯ノ如キ契約ニシテ尚ホ解除スルコトヲ得ザルモノトセバ永借人ハ之ガ為メ遠カラズシテ非常ノ損害ヲ蒙ルニ至ルベシ
第二ノ場合ノ適用トシテハ栽植シタル樹木及ヒ灌漑又ハ乾燥ノ工事等巨額ノ費用ヲ要シタルモノニシテ且ツ永貸人ハ再ビ之ヲ為スコト能ハズ又ハ為スコトヲ欲セザル作業ガ全ク毀滅セラレタル如キ場合ヲ仮想シ得ベシ斯ノ如キ原因ノ為メ将来ノ収益カ永貸人ニ辨濟スベキ借賃ヲ超ユルコト能ハザリシニ至ルトキハ永借人ハ之ヲ理由トシテ永貸借ノ解除ヲ請求スルコトヲ得ベシ
第百七十條
永貸借ノ主タル目的トスル所ハ屢々之ヲ述ベタル如ク土地ノ改良ニ在リ而シテ永貸借ノ場合ニ於ケル借賃ハ通常甚ダ底廉ナルヲ以テ永貸借契約終了シ而シテ永借人ニ於テ契約ノ存續スル時間正當ノ利益ヲ得タル以上ハ土地ニ加ヘタル改良ノ利益ハ全ク永貸人ニ属スベキコト勿論ナリトス
然ノミナラス改良ノ種類ニ依テハ多少之ヲ加ヘタル土地ト混淆シテ分別シ得ベカラザルノミナラズ其價額ヲ定ムルコト殆ンド困難ナリトス従テ強ヒテ之ヲ為サント欲セバ為ニ非常ノ紛議ヲ生ズルニ至ルベシ茲ヲ以テ斯ノ如キ改良ハ何等ノ償金ヲ永借人ニ得セシムルコトナクシテ之ヲ永貸人ニ属セシムベキコト當然ナリトス其理由斯ノ如シ故ニ其改良ニシテ或ル條件ヲ備フルモノニ至テハ永借人ハ永貸借終了ノトキニ於テ自カラ之ヲ収去スルコトヲ得ベシ之ヲ要スルニ永借人ガ永借地ニ築造シタル建物ノ如キ是ナリ然ルニ永借人ノ栽植シタル樹木ニ至テハ永借人之ヲ収去スルコトヲ得ズ是レ他ナシ當初永借人ガ樹木ヲ植栽スルニ當テハ為ニ要セシ所ノ費用甚ダ大ナラザルベキヲ以テナリ
永借人ノ築造シタル建物ハ一方ニ於イテ之ガ為ニ要シタル費用大ナルベキノミナラズ他ノ一方ニ於テハ之ヲ永借物ト分別スルコト甚ダ容易ナル故ニ永借人ヲシテ之ヲ収去スルコトヲ得セシムルト雖モ此場合ニ於テモ尚ホ第百四十條及ビ第百四十四條ニ於テ規定シタル如ク経濟上ノ利益ヨリ觀察スルトキハ一旦築造シタル建物ハ之ヲ取毀ツコトナキヲ以テ利益アリトス何トナレバ其取毀チヲ為ストキハ當初建築ノ費用ト取毀チノ費用トハ全ク無用ニ属スルノミナラズ尚ホ其建物ヲ組織シタル材料ニ至テモ大ニ價額ヲ減ズベケレバナリ茲ヲ以テ前二條ニ規定シタル所ト同ジク永貸人ハ自己ノ意思ニ従ヒ相當ノ價額ヲ辨償シ先買權ニ基イテ之ヲ取得スルコトヲ得ベシ
第二款 地上權
第百七十一條
土地ノ價額甚ダ大ナル國ニ於テハ所有權ニ一種ノ変体ヲ生ズルモノニシテ本條ニ規定スル所ハ實ニ此変体ノ主タル性質ヲ明ラカニシタルモノナリ即チ土地其物ハ一人ニ属シ而シテ其土地ニ存スル建物即チ地上ハ他ノ一人ニ属スルコト是ナリ
本條ニ明記スル如ク地上權ガ所有權ノ特別ナル一種タル以上ハ所有權ノ章ニ於テ之ガ規定ヲ為サザルコト甚ダ怪シムベキニ似タリ然レドモ地上權ハ土地ノ所有權ニ非ズ即チ地上l權ヲ有スル者ハ土地ノ所有權ヲ有スル者ニ非ズ又其所有權ハ建物若クハ樹木ノ存在スル土地ノ表面ノ所有權ニモ非ズ且地上權者ハ賃借人及ビ永借人ノ如ク所有者ニ對シテ一定ノ債額ヲ辨濟スルモノナリ故ニ地上權ノコトハ永借權ト共ニ賃借權ト同一ノ章ニ於テ規定スルコト其當ヲ得タルモノトナス蓋シ是等ノ權利ヲ確認スル諸國ニ於テ為シ来レル慣例ナリトス
第百七十二條
本條ノ目的トスル所ハ地上權ト普通賃借人又ハ永借權等ノ間ニ存スル一大差異ヲ明ナラシムルニ在リ即チ賃借權ハ其普通賃借權ナルト永借權ナルトヲ問ハズ共ニ特別ノ契約ニ因ルニ非ザレバ之ヲ設定スルコトヲ得ズ之ニ反シテ地上權ハ不動産所有權ノ一種タルヲ以テ縦ヒ其權利ハ多少ノ制限ヲ受クルモノナリト雖モ尚ホ土地及ビ建物又ハ樹木ニ關シタル普通ノ所有權ト等シク同一ノ方法ニ因テ設定セラルルコトヲ得ルモノナリ
地上權移転ノ方法ニ至テモ此所有權移轉ト異ナルコトナシ就中相續ニ因テ移轉スルコトヲ得ベシ此点ニ關シテハ地上權ハ賃借權ト相類シテ而シテ用益權ト相異ナレリ
又本條ニ於テハ二箇ノ場合ヲ合セテ規定セルモノナリ而シテ此二箇ノ場合ハ全ク同一ナルモノニ非ズ
第一地上權ヲ設定スルニ當リ其土地ニ於テ既ニ建物及ビ樹木ノ存在スルコトアルベシ此場合ニ於テハ建物及ビ樹木ノ譲渡ヲ以テ主トナシ土地ノ賃借ハ従タルニ過ギザルナリ
第二之ニ反シ時トシテハ建物ヲ築造シ又ハ竹木ヲ栽植スル為メ特ニ土地ノ賃貸借ヲ為スコトアルベシ此場合ニ於テ地上權ハ建物ノ築造又ハ竹木ノ栽植ヲ為シタルトキ別ニ當事者ノ間ニ於テ何等ノ所為ヲ要セズシテ當然地上權ヲ生スベシト雖モ築造又ハ栽植ヲ為サザル間ハ地上權未ダ生ゼザルモノトス此場合ニ於テ地上權ハ賃貸借契約ヲ以テ定メタル條件ノ証書ニ依テ発生スト云フコトヲ得ベシ斯ノ如キ賃貸借ハ後ニ至テ説明スル如ク五十个年以上ニ至ルモ法律上何等ノ妨ゲ無シ唯斯ノ如クナルニハ當初契約ノ時ヨリ未ダ三十个年ニ至ラザル時ニ於テ建物ノ築造又ハ竹木ノ栽植ヲ為シタルコトヲ必要トスルモノナリ
第一ノ場合即チ現ニ建物又ハ竹木ノ存スル土地ニ於テ地上權ヲ設定シタル場合ニ於テハ地上權者ハ賣買交換又ハ贈與等ノ如キ地上權設定ノ行為ニ依リ不動産ノ取得者トナルコト勿論ナリ故ニ此場合ニ於テハ直ニ此地上權設定ノ行為ニ適用スルニ不動産譲渡ニ關スル規則ヲ以テス譲渡ノ能力及ビ譲渡ノ所為ニ關スル方式并に本編第二部ニ於テ規定スル第三者ノ利益ニ於テ為スコトヲ要スル公示ノ條件ノ如キ一切ノ點ニ於テ然リト為ス之ニ反シテ第二ノ場合ニ於テハ地上權設定ノ契約ハ唯賃貸借トシテ公示ノ方式ニ従フコトヲ要ス又譲渡ノ能力ニ至テハ處分ノ能力ヲ必要ト為スベシ何トナレバ地上權設定ノ行為ハ單ニ管理ノ權限ヲ以テ為シ得ベキ所ニ非ザレバナリ
第百七十三條
實際ニ於テ地上權者ガ毎年一定ノ納額ヲ所有者ニ辨濟スル義務アルコトハ最モ屢々見ル所ナルベシ何トナレバ縦ヒ當初ヨリ建物又ハ竹木既ニ存在シテ其所有權ハ全ク之ヲ地上權者ニ譲渡シタリトスルモ唯其建物及ビ竹木固有ノ價額ニ對シテ此譲渡ヲ為シタルニ止マリ其存在スル土地ノ収益ニ對シテハ何等ノ譲渡ナク従テ一定ノ納額ニ依リ之ガ報償ヲ為スベケレバナリ
又當初ヨリ建物若クハ竹木ノ存在セザル場合ニ於テ地上權者ガ單ニ築造ヲ為スノ權利ヲ取得シタルトキハ地上權者ヨリ一定ノ納額ヲ辨濟スルノ義務アルベキコト更ニ疑ナシトス
斯ノ如キ場合ニ於テハ特ニ借賃辨濟義務ノ連帯及ビ不可分(第百六十七條)並ビニ納額ヲ辨濟スル義務ノ不履行(第百六十八條)ニ關シテハ永借權ニ關スル規定ヲ適用スベキコト當然ナリトス
第百七十四條
當事者ガ地上權設定ノ契約ヲ為スニ當テハ譲渡シタル建物ニ附属スベキ土地ノ廣狭ヲ指定スベキコト最モ普通ノ事實ナリトス然リト雖モ當事者自カラ此土地ノ指定ヲ為サザル場合ニ於テハ法律ヲ以テ之ヲ決セザルヘカラズ而シテ此場合ニ於テハ唯當事者ノ意思ヲ推測シ之ヲ定ムルノ外ナキナリ然ルニ地上權ヲ取得シタルモノハ決シテ建物ノミヲ取得シ其敷地如何ニ於テハ何等ノ土地ヲモ使用スルコトナキノ意思ヲ以テ契約ヲ為シタルモノニ非ザルコト明ナリ何トナレバ若シ建物以外ニ於テ何等ノ附属ヲモ有セザルトキハ其建物ハ殆ンド使用スルコト能ハザル可ケレバナリ
此ヲ以テ立法者ハ一方ニ於テ地上權者ノ意思ト利益トヲ斟酌シ他ノ一方ニ於テハ所有者ノ為ニ甚シキ不利益ヲ蒙ムラシムルコトナク建物ノ敷地ト同一ナル坪数ノ土地ヲ以テ地上權ノ附属ト定メタリ
固ヨリ都會地點ニ於テハ土地ノ價額非常ニ大ナルガ故ニ所有者ヲシテ斯ノ如ク建物ノ敷地ト同一ナル土地ヲ之ニ附属セシムルコト甚ダ過重ノ負擔ト称稱セザルヲ得ズ然レトモ事情斯ノ如クナル場合ニ於テハ契約ヲ以テ特ニ附属地ヲ制限スルハ一ニ所有者ガ自カラ為スベキノ注意ナリトス
建物ヲ囲繞スル土地ニ付テ此附属地ノ指定ヲ為スハ當事者ノ恊議ニ基クベシト雖モ其恊議成ラザル場合ニ於テハ鑑定人ヲシテ土地及ビ建物ノ周圍ノ形状ト建物ノ各部ノ用方トヲ斟酌シテ其配置ヲ定メザルベカラズ
若シ建物ノ一方若クハ二方ニ於テ土地全ク存セザル如キ場合ニ於テ地上權者ハ之ガ償トシテ他ノ方向ニ於テ多クノ土地ヲ附属地トセンコトヲ要ムルコトノ權利無カル可シ何トナレバ元来其土地ノ形状ニ於テ附属地ヲ得ベカラザルトキハ地上權者ト雖モ當初ヨリ之ヲ取得センコトヲ豫期シ得ベキニ非ザレバナリ此故ニ本條ハ土地及ビ建物ノ周圍ノ形状ヲ斟酌スベキコトヲ明言セリ又建物各部ノ用方ニ至テモ之ヲ斟酌スルコトヲ要ス故ニ同一ノ建物中ニ於テモ家用ニ供シタル部分ト商人ノ商業ニ供シタル部分トニ付テハ同一ノ附属地ヲ必要トセザルベシ又其建物ガ商業又ハ工業ニ供セラレタルモノナルトキハ其附属地ノ配置ハ娯樂ノ用ニ供スル建物ノ附属地ノ配置ト同一ナラザルベキコト勿論ナリ
竹木ノ存スル土地ノ地上權ヲ設定シタル場合ニ於テモ亦當事者ニ於テ之ニ附属スベキ周邉ノ土地ヲ當事者自カラ指定セザルトキハ法律ヲ以テ之ヲ定メザルベカラズ何トナレバ此場合ニ於テモ當事者ノ意思ハ決シテ地上權者ヲシテ特別ニ其竹木ノ根ガ現ニ占領スル土地ノミヲ得セシムルノ意ニ非ザルコト明ラカナレバナリ
然レトモ此場合ニ於テハ地上權ノ及ブベキ土地ノ廣狭ヲ定ムルニ當リ現ニ竹木ノ根ガ廣ガリタル區域ヲ標準トスル能ハサルコト勿論ナリ何トナレバ此區域ハ一定ノモノニ非ズ年ヲ経ルニ従テ大ナルベキノミナラズ之ヲ検スルコト甚ダ困難ニシテ且竹木ノ為ニ害ヲ及ボスベケレバナリ此ヲ以テ立法者ハ地上權者ニ最モ利益アル權利ヲ與へタリ若シ土地ノ所有者ニ於テ甚ダ過重ナル負擔ナリト信セバ宜敷自カラ契約ニ依テ之ヲ減少スベキナリ
以上述ブル所ハ総テ地上權設定ノ当事建物又ハ竹木ノ存シタル場合ナリトス之ニ反シテ若シ建物ヲ築造スル為ニ土地ヲ賃借シ地上権ヲ設定シタル場合ニ於テハ地上權者ハ現在ノ土地ヲ以テ自己ノ建物ノ使用ノ為ニ必要ナル面積ヲ有スルモノト認メタルコトヲ推測スベシ故ニ他日ニ至リ更ニ従トシテ他ノ土地ヲ要ムルコトヲ得ザルベシ
第百七十五條
地上權者ガ建物ヲ築造シ又ハ竹木ヲ栽植スルハ所有者トノ間ニ結ビタル契約ニ基ク權利ニ因ルモノナルガ故ニ所有者ハ之ニ對シテ何等ノ故障ヲ為スコトヲ得ザルガ如シト雖モ若シ地上權ヲ設定シタル土地ニ隣接シテ所有者尚ホ土地ヲ有スルトキハ其間ニ於テハ建物又ハ植栽ニ關シ法律ニ定メタル距離ヲ守ルニ非ザレバ地上權者ハ是等ノ作業ヲ為ス能ハザルコトハ特ニ法律ヲ以テ之ヲ明ラカニスルコト有用ナリトス蓋シ此場合ニ於テ地上權ヲ取得シタルモノノ地位ハ土地ノ所有權ヲ買受ケタル者ノ地位ト異ナルコトナシ土地ヲ買受ケタル者既ニ其賣主ト土地ヲ接スル場合ニ於テハ右ノ地役ニ關スル規定ニ従フベキモノタル以上ハ地上權者ト雖モ亦此規定ニ従フベキコト勿論ナリトス是レ地上權者ノミ土地ノ所有者ニ對シテ此距離ヲ守ルベキノ謂ニ在ラズシテ土地ノ所有者モ亦地上權者ニ對シ同一ノ規定ニ従フ可キモノトス
第百七十六條
立法者ハ地上權ヲ以テ永借權ト同一ノ期間ヲ有スルモノトスルコト能ハズ何トナレバ永借權ニ關シテ定メタル期限ハ地上權ノ場合ニ於テ時トシテハ甚ダ長キニ過グルコトアル可シ又時トシテハ甚ダ短キニ過グルコトアル可ケレバナリ
此故ニ立法者ハ地上權設定ノ行為ニ於テ當事者ニシテ地上權ニ一定ノ期間ヲ附シタルト否トヲ區別シテ規定ヲ為セリ
當事者自カラ期間ヲ附シタル場合ニ於テハ其期間ノ長短如何ニ拘ハラズ當事者ノ行為ニ従フ可キモノトス之ニ反シテ當事者自カラ期間ヲ定メザル場合ニ於テハ立法者ハ建物ノ性質如何ニ従テ之ヲ定ムルヲ以テ其當ヲ得タルモノトス例ヘバ建物ガ石造煉瓦造又ハ木造ナルニ従テ區別スルガ如キ是ナリ斯ノ如クニシテ建物ノ堅牢ナルニ従ヒ其權利ノ期間モ亦之ヲ長カラシムルトキハ一方ニ於テハ建物ノ為ニ要シタル費用大ナルニ従テ權利モ亦長キコトヲ得ルノ結果ヲ生シ理ニ於テ甚ダ當ヲ得タルモノノ如シ然リト雖モ等シク石造又ハ木造ノ建物ニ付テモ種々ノ異状アル可キノミナラズ既ニ地上權設定ノ當事ニ於テ存在スル建物ノ如キニ至テハ築造ノ後幾多ノ年限ヲ経過シタルモノアルベシ茲ニ於テカ理論上甚ダ完全ナルガ如キモ亦立法者ハ到底之ヲ採用スルコト能ハズ遂ニ當事者ノ意思ヲ推測シ之ニ據テ地上權ノ期間ヲ定メタリ即チ地上權ハ其目的タル建物ノ存在スル時間ニ對シテ設定シタルモノト推定セリ
故ニ建物ニシテ存在スル間ハ幾年ヲ経過スルモ尚ホ地上權消滅スルコトナク建物ノ存廃ハ實ニ地上權者ト所有權者ト利害ノ相分ルル所タリ然ルニ地上權者ニシテ若シ常ニ建物ニ修繕ヲ加フルトキハ建物ハ殆ンド滅失毀損スルコトナク其結果地上權ハ終ニ永久ニシテ消滅スルコトナキニ至ルベシ此故ニ地上權者ニシテ任意ニ建物ノ修繕ヲ為スコトヲ得ルモノトセバ之ヲ濫用シテ所有者ノ利益ヲ甚ダシク害スルニ至ル可シ
立法者ハ此弊害ヲ慮カリ遂ニ建物ノ大修繕ハ土地ノ所有者ノ承諾アルニ非ザレバ地上權者濫リニ之ヲ為スコトヲ得ザルモノト為セリ斯ノ如ク土地ノ所有者ノ承諾ヲ必要ト為スガ故ニ大修繕ノ必要生ジタル場合ニ於テ地上權者ヨリ此承諾ヲ求メタルトキハ所有者ハ特ニ地上權者ト相當ノ條件ヲ定ム可キガ故ニ更ニ弊害ナカル可シ然リト雖モ此等ノ事項ハ地上權者ト所有權者トノ關係ニ止マルモノニシテ如何ナル場合ニ於テモ第三者ノ權利ハ之ガ為ニ害セラル可キモノニ非ザルナリ
竹木ニ關シテハ法律ノ規定ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ即チ土地ニ存スル竹木ニシテ有用ナル最長大ニ達シタルトキヲ以テ其期限ト為ス即チ其竹木ニシテ充分ニ成長シ尚ホ之ヲ保存スルモ何等ノ利益ナキニ至リタルトキハ地上權ハ此時期ノ到来ト共ニ消滅スルモノトス此場合ニ於テハ地上權者ハ此竹木ヲ採伐シ而シテ其權利ハ目的物ノ消滅ト共ニ終了ス可キナリ若シ竹木ガ事変ノ為ニ毀滅シタル場合ニ於テモ亦右ト同ジク地上權ノ消滅ヲ致スコト明ラカナリ
地上權ノ設定行為ニ因リテ一定ノ期間ヲ定メズ又設定後ノ行為ニ因リテ之ヲ定ムルコトナキ場合ニ於テハ地上權者ハ解約申入ニ因テ地上權ハ終了セシムルコトヲ得ベシ然レトモ此解約申入ニ基ク解除ノ權利ハ獨リ地上權者ノミ之ヲ有シ土地ノ所有者ハ之ヲ有セズ
普通賃貸借又ハ永貸借ノ場合ニ於テハ解約申入ニ因リ契約ヲ解除ス可キトキハ當事者雙方等ク此権利ヲ有スルモノナリ然ルニ地上權ノ場合ニ於テハ獨リ地上權者ノミ此權利ヲ有スルモノト定メタルハ次ノ理由ニ依ル地上權ハ其目的タル土地ニ付テハ單ニ賃貸借ニ過ギズト雖モ此賃借權存スルノミナラズ尚ホ其土地ノ上ニ於テ建物及ビ竹木ノ所有權ヲ有スルモノナリ然ルニ土地ノ所有者ニシテ自己ノ意思ノミヲ以テ他人ノ所有權ヲ消滅セシムル如キハ其當ヲ得タルモノト云フ可カラズ是レ土地所有者ニ解約申入ノ權利ヲ與へサル所以ナリ之ニ反シテ地上權者ハ其所有スル建物又ハ竹木ヨリ充分ノ利益ヲ得ルコト能ハザル場合アル可シ或ハ之ヲ他處ニ持去ラント欲スルコトアル可シ故ニ斯ノ如キ場合ニ於テ地上權者ニ與フル解約申入ニ因テ地上權ヲ終了スルノ權利ヲ得セシムルコトハ其當ヲ得タルモノト為ス可シ唯地上權者ガ此權利ニ基テ契約ノ解除ヲ為スニハ一年前ニ於テ所有者ニ通知ヲ為スカ然ラザレバ一年分ノ納額ヲ特ニ辨濟スルコトヲ以テ足レリト為ス
一定ノ期限ヲ定メテ地上權ノ設定ヲ為スハ實際ニ於テ甚ダ少キ場合ナル可シ故ニ立法者ハ此場合ニ關シテ特ニ定ムル所ナシト雖モ斯ノ如キ期限附キノ地上權ハ其期限ノ到来ト共ニ終了消滅ス可キモノナルコト辯ヲ竢タズ而シテ此場合ニ於テハ黙示ノ更新成立ス可カラザルナリ
普通賃貸借ノ場合ニ於テ期間満了ノ後、賃借人尚ホ収益ヲ為シ従テ賃貸人之ガ故障ヲ為サザル場合ニ於テハ黙示ノ更新成立スルコト一般ノ原則ナリ而シテ黙示ノ更新後ニ於テハ更ニ解約申入ヲ為スニ非ザレバ賃借權終了セザルモノトス然ルニ此更新ノ原則ニ對シ地上權ノ場合ニ於テ例外ヲ設ケタルモノハ他ナシ若シ更新ヲ許シ而シテ解約申入ヲ許スモノトセバ獨リ地上權者ノミナラズ土地ノ所有者ニモ亦此解約申入ノ權利ヲ許サザルコトヲ得ザルヲ以テナリ此故ニ立法者ハ地上權者及ビ土地ノ所有者ニ此解約申入ノ權利ヲ與へズ従テ其必要ヲ生ズル原因タル黙示ノ更新ナルモノヲ認メズ一ニ當初ノ契約ニ定メタル期間ノ満了ニ因リ地上權ヲシテ全ク消滅セシムルモノトセリ斯ノ如クナルモ地上權者ハ意外ノ損害ヲ蒙ルコトナカル可シ何トナレバ權利消滅ノ期ハ豫メ之ヲ知ルコトヲ得ベキガ故ニ建物及ビ竹木ヲ處分スル方法ハ豫メ其為ス可キ所ナレバナリ然レトモ當事者ガ明示ヲ以テ契約ノ更新ヲ為スコトハ法律ノ禁ズル所ニ在ラズ要スルニ法律ハ當事者ヲ以テ更新ヲ為シタルトノ推測ヲ為サザルノミ當事者自カラ其意思ヲ明示スルハ固ヨリ何等ノ不可ナキ所ナリ
第百七十七條
歐洲ノ或ル國ニ於テハ常ニ一定ノ期間ヲ以テ地上權ヲ設定シ従テ其期間満了シ地上權消滅シタルトキハ建物及ビ竹木ハ何等ノ償金ナクシテ土地ノ所有者ニ帰スルモノトセリ此規定ハ未ダ必ズシモ不善ナリト云フコトヲ得ズ何トナレバ地上權者ハ當初自カラ權利ヲ取得スルニ當リテ已ニ法律又ハ契約ニ因リ此嚴酷ナル條件ヲ承諾シタルモノナレバナリ
其他ノ國ニ於テハ土地ノ所有者ヨリ地上權設定ノ當時存在シタル建物ヲ地上權者ニ譲渡シタル場合ト地上權者ガ自カラ之ヲ築造シタル場合トヲ問ハズ地上權消滅ノ時ニ於テ土地ノ所有者カ之ヲ取得スルニハ其代價ヲ辨濟スルコトヲ必要ト為ス是レ實ニ法律上先買權ヲ與へタルモノナリ
本條ニ於テモ亦此先買權ノ主義ヲ採用シ用益權賃借權及ビ永借權ノ場合ト等シク一方ニ於テ地上權者ノ利益ヲ害スルコトナク又一方ニ於テ公共経濟上ノ利益ヲ全カラシメタリ
第百七十八條
立法者ハ本法實施ノ後ニ於テ各人ノ設定ス可キ地上權ノコトヲ規定シタルト同時ニ尚ホ本法實施ノ當時既ニ存在スル地上權ニ關シ本法ノ及ボス可キ効力如何ヲ定ムルノ必要ヲ感ジタリ
法律ハ既往ニ遡ラズトノ原則ニ基キ本條ハ本法實施以前既ニ設定セラレタル地上權ハ既得ノ權利トシテ之ヲ犯スコトナシ
是ニ於テ次ニ掲グル二箇ノ規定ヲ生ゼリ
第一當事者ガ特ニ一定ノ期間ヲ附シテ設定シタル地上權ニ關シテハ當事者雙方ノ為ニ既得權ヲ生シタルモノトス何トナレバ地上權者ハ其權原ノ定メタル期間ニ對シ土地ノ収益ヲ為スノ權利ヲ有スベク又土地ノ所有者ニ於テハ右ノ期間ニ對シ合意ニ基キテ納額ヲ請求スルノ權利ヲ生シタルモノナリ
此二箇ノ既得權ハ本法ニ於テ何等ノ変更ヲ加フルコトナシ然レトモ地上權ノ期間ガ單ニ地上權者ノ利益ノ為ニ定メラレタル場合ハ實際ニ於テ最モ屢々見ル所ナリ若シ此事實ニシテ証明セラレタルトキハ右ノ規則ヲ適用スルコトヲ得ズ此場合ニ於テハ地上權者ハ當初雙方ノ承認シタル條件ニ従テ自カラ其權利ヲ終了スルコトヲ得ベキナリ
第二當事者ガ期間ヲ定メズシテ地上權ノ設定ヲ為シタル場合ニ於テハ其權利ハ其建物ノ存立スル間継續スルモノトス然レトモ若シ其前ニ於テ地上權者自カラ解約申入ニ因リ之ヲ終了セシメタルトキハ此限ニ非サルナリ
地上權終了ノ時其土地ニ存スル建物及ビ竹木ノ先買權ハ本邦従来ノ習慣ニ於テ存在セザル所ノモノニシテ新法ハ實ニ之ヲ創設シタリト雖モ之カ為メ新法實施以後ニ設定シタル地上權ニノミ之ヲ適用スヘキニ非ス其前ノ設定ニ係ル地上権カ終了スル場合ニ於モ同ク所有者ハ此先買権ヲ有ス可キナリ
第四章 占有
第一節 占有ノ種類及ヒ占有スルコトヲ得ヘキ物
第百七十九條及ヒ第百八十條
最モ普通ニシテ且最モ簡單ナル意義ニ従テ之ヲ解スレハ占有トハ一箇ノ物ヲ所持シ自由完全ナル處分ヲ為シ得ルノ事實ヲ謂フモノナリ然レトモ占有ハ單ニ有対物ニ付テノミ為スコトヲ得ヘキノミナラス尚ホ無体物タル権利ニモ適用セラル可キモノナルカ故ニ右ニ述フル如ク解スルヨリハ寧ロ吾人カ現ニ有シ若クハ有セリト主張スル人權又ハ物權ノ行使ナリト定義ヲ下スヲ以テ其當ヲ得タルモノト為ス
占有ハ多少引續キタル所為ニ因テ成立スルモノニシテ其引續ク所為トハ眞ニ占有ノ目的タル權利ヲ有スル者ノ普通ニ為ス如ク引續キテ權利行使ノ所為ヲ為スヲ云フ
普通ノ場合ニ於テハ此事實ハ權利ト共ニ一人ノ手ニ存ス可ク是實際ニ於テ最モ屢々見ル所ナリ此場合ニ於テハ特ニ法律ヲ以テ之カ規定ヲ為スノ必要甚タ大ナラサルモノアリ既ニ權利ヲ有スルトキハ其權利ニ對シ法律ノ擔保アルカ故ニ此擔保ハ占有ノ事實ニモ同シク使用セラル可ケレハナリ
然レトモ若シ占有者ニシテ自カラ有セリト主張スル權利ヲ眞正ニ有セサルトキ又ハ眞正ニ此權利ヲ有スルモ其證據ヲ提出スル能ハサルトキハ法律ハ特ニ占有者ニ與フルニ法律上ノ利益ヲ以テセリ即チ權利ノ有無ヲ問ハスシテ先ツ其占有ヲ保護シ之ニ擔保ヲ與フルコト是ナリ故ニ他人若シ其占有ヲ妨害シ又ハ之ヲ侵奪シタルトキハ占有者ハ占有訴權ト名クル一種ノ訴權ニ依リテ自己ノ占有ヲ維持シ又ハ之ヲ回復スルヲ得ヘシ
右ニ述フル如ク特ニ法律ヲ以テ之ヲ確認シ而シテ特別ナル訴權ヲ以テ擔保シタル占有ナルモノハ單ニ一箇ノ事實ニ過キスト云フコトヲ得ス實ニ權利ト稱スルニ足ル一切ノ性質ヲ備フルモノナリ故ニ之ヲ占有權ト稱スルコトヲ得ヘシ是ヲ以テ本法第四章ハ占有ヲ物權ノ中ニ掲ケタリ
前段ニ掲ケタル占有ノ定義ハ唯法定ノ占有ニノミ適用スルモノナリ然ルニ第百七十九條ニ依レハ占有ハ法定占有ノ外尚ホ二種類アリ自然ノ占有及ヒ容假ノ占有是ナリ此二種ノ占有ハ共ニ一箇ノ性質ヲ缼クモノニシテ即チ自然ノ占有及ヒ容假ノ占有ノ場合ニ於テ占有者ハ其占有スル物又ハ權利ヲ自己ノモノトスルノ意思アラサルナリ此故ニ容假ノ占有ト自然ノ占有トハ法定ノ占有ト同一ノ利益ヲ得セシムルモノニ在ラス又之ト同一ノ制限ニ依テ擔保セラルルモノニ在ラス是等ノ點ハ後ニ規定スル所ニ依テ之ヲ知ル可シ
法律上法定ノ占有ニ附着セシメタル利益ハ如何ナルモノナリヤハ第三節ニ至リテ始メテ之ヲ知ル可シ今ハ唯法律上占有ノ三箇ノ種類ヲ設ケタル利益ヲ知ラシムル為メ左ノ一事ヲ述フルヲ以テ足レリト為ス即チ法定ノ占有ハ占有者ヲシテ次ニ掲クル三箇ノ利益ヲ得セシムルモノナリ
第一法定ノ占有者ハ反對ノ證據アラサル限ハ自己ノ物トシテ占有スル權利ヲ眞正ニ有スルモノナリトノ法律上ノ推定ヲ受クルモノナリ
第二法定ノ占有ハ占有者ヲシテ占有スル物ノ果實及ヒ産出物ヲ取得セシムルモノトス
第三法定ノ占有ハ占有者ヲシテ取得時效ト名クル法律上ノ推定ノ利益ヲ得セシムルコトヲ得ルモノナリ
然レトモ是等ノ利益ハ或ル區別ニ従テ多少ノ程度ヲ異ニスルモノニシテ占有カ正權原ヲ有スルト否ト又善意ナルト悪意ナルト若クハ瑕疵アルト然ラサルトニ従テ其效力同一ナラサルモノナリ是等ノ區別ハ以下數條ニ於テ詳細ノ規定ヲ為セリ
第百八十一條
本條ノ法文ハ正權原ノ定義ヲ下セリ而シテ本條ノ明文ニ従ヒ正權原タル性質ヲ有スル權利行為ハ或ハ賣買交換等ノ有償ノモノナルコトアル可シ或ハ贈與遺贈等ノ如キ無償ノモノタルコトアル可シ
賃貸借使用貸借代理ノ場合ニ於テハ正權原ニ基ク占有ト称スルコトヲ得ス何トナレハ此ノ如キ原因ニ依テ占有ヲ為ス者ハ未タ自己ノ為ニ之ヲ有スルノ意思アラサルナリ然ルニ自己ノ為ニ之ヲ有スル意思ハ法定占有ノ緊要ノ性質ニシテ之ナキトキハ未タ法定占有ト稱スルコトヲ得ス故ニ是等ノ場合ニ於ケル占有ハ唯容假ノ占有タルニ止マリ第百八十九條ニ規定ル所トス
要スルニ正權原ノ反對ハ権原アラサル場合ニシテ即チ侵奪ニ基キ占有ヲ為シタル場合ナリ之ヲ名ケテ無權原ノ占有ト云フ
第百八十二條
法定ノ占有ハ自己ノ為ニ有スル意思ヲ必要ト為スコト既ニ述ヘタル所ナリ然レトモ此意思アルモ未タ必スシモ善意ナリト云フヲ得ス即チ占有者カ其占有スル權利ノ自己ニ属スルコトヲ確信スルモノト言フ可カラス其法定ノ占有者ハ善意ナルコト有ル可ク又悪意ナルコト有ルヘシ而シテ其善意ト悪意トニ従テ占有ノ效力モ亦同一ナラサルモノトス
善意ノ占有ノ場合ニ於テハ前條ニ於テ定義ヲ下シタル如ク正權原ヲ必要ト為ス即チ外見上正當ナルモ實質ノ一條件ヲ缺キタル權原存在シテ後初メテ善意ナルモノアルヲ得ヘシ實質ノ一條件トハ占有ノ目的タル物ノ譲渡人ニ於テ其物ヲ占有者ニ譲渡スコトヲ得ルニ必要ナル分限ヲ指スモノナリ譲渡人カ其分限ナクシテ譲渡ヲ為シタルトキ占有者カ其分限ノ不備即チ其占有ノ基礎タル權原ノ瑕疵ヲ知ラサルトキハ占有者ハ善意ナリ然ルニ之ニ反シテ此分限ノ不備即チ權原ノ瑕疵ヲ知リタル場合ニ於テハ譲受人ハ悪意ノ占有者タルヲ免カレサルモノトス
然レトモ占有者カ右ノ瑕疵ヲ知ラスシテ善意タルニハ其瑕疵ノ不知カ事實上ノ錯誤ニ基クコトヲ要ス故ニ法律上ノ錯誤ニ基クモ之ヲ以テ善意ナリト云フ可カラズ例ヘハ占有者カ眞正ナル所有者ト契約ヲ為シタリト信シ而シテ其人ニ付テ錯誤アリタル場合又ハ所有者ノ正當ナル代理人ト契約ヲ為セリト信シタルニ其前ニ於テ代理ハ既ニ取消サレタル場合ノ如キハ占有者ハ法律ノ所謂善意ノ占有者ナリトス然レトモ若シ未成年者ト契約ヲ為シ而シテ有效ナリト信シタルカ如キ又ハ自己ノ權利ノ基礎タル所為ニ有效條件トシテ或ル方式ヲ履行スルコト必要ナルニ之ヲ知ラスシテ契約ヲ為シタル如キ総テ占有者ハ不正ナリト云フ可カラス然リト雖モ法律ノ所謂善意ノ占有者タルコトヲ得サルナリ
右ニ述フル如ク善意ト正直トハ同一ナラスト雖モ縦ヒ善意ナラサル場合ニ於テモ占有者ノ正直ハ尚ホ法律上何等ノ利益ヲモ與へサルモノニ在ラズ此点ニ關シテハ本條ノ指示スル如ク第百九十四條ノ規定ニ付テ利益ヲ見ル可シ
占有カ善意ナルニハ其善意カ占有ノ基礎タリ權原タル所為ノ成立スル當時ニ存在スルコトヲ必要ト為ス此當時ニ於テ善意既ニ存スルトキハ占有ハ一切ノ利益ヲ受クルモノナリ故ニ其後ニ至リ占有者カ権原ノ瑕疵ヲ発見スルコトアルモ之カ為ニ既往ニ遡ホリテ善意ノ利益ヲ失フモノニ在ラス是ヲ以テ善意ノ占有ヲ初メタルモノハ縦令後日ニ至リテ悪意トナルモ當初ヨリ悪意アリシ者ニ比スレハ甚タ短キ時效ノ利益ヲ受クルコトヲ得ヘシ然レトモ悪意トナリタル時ヨリ占有スル物ヨリ生スル果實ヲ失フ可シ即チ善意ナル間ハ果實ヲ取得スルコトヲ得ルモ悪意トナリシ時ヨリ後ニ採取シタル果實ハ自ラ之ヲ取得スルコトヲ得ス
第百八十三條
本條ニ掲ケタル占有ノ二箇ノ瑕疵存在スルモ之カ為メ必スシモ正權原及ヒ善意ナシト云フコトヲ得ス
強暴ニ依テ得タル占有ノ如キハ實際正權原ニ基クコト甚タ稀ナル可シ然レトモ若シ一人アリ他人ヲシテ其占有スル財産ヲ賣渡サシメ而シテ此契約ヲ為スニ付テ強暴ヲ施シタル場合ニ於テハ新占有者ハ賣買ニ依リ一ノ正權原ヲ有ス可ク且若シ譲渡人ヲ以テ眞正ノ權利者ナリト信シタル場合ニ於テ全ク善意ノ占有者タル可シ然レトモ賣買ヲ為スニ當リ強暴ヲ施シタルカ故ニ其占有ハ瑕疵アル占有タルコトヲ免カレサルナリ又占有者カ占有ヲ得タル當初ニ於テ強暴ヲ施スコトナキモ譲渡人ハ眞正ノ所者ナラサリシカ為ニ他日ニ至リ眞正ノ所有者発見シタルトキ之ニ對シ占有ヲ維持スル為メ暴行脅迫ヲ施シタル場合ニ於テハ當ホ強暴ノ占有者タルヲ免レサルナリ而シテ此場合ニ於テモ尚ホ占有者ハ善意ナルコトヲ得ヘシ何トナレハ自己ノ權利ヲ以テ正當ナリト信スルニ従ヒ之ニ基キ占有ノ防禦ヲ為スニ愈々暴行ヲ以テスルコトアリ得ヘケレハナリ
穏密ノ瑕疵ハ強暴ノ瑕疵ニ比スレハ最モ正權原及ヒ善意ト并立スルコトヲ得ヘシ例ヘハ譲渡人ニ属スル財産ナリト信シテ一箇ノ物ヲ買受ケタル後ニ至リ自己ノ錯誤ヲ発見シタル場合ニ於テハ眞正ノ所有者ヨリ回復ノ請求ヲ受ケンコトヲ恐レ其注意ヲ惹起スコト無カラシムル為ニ自己ノ占有ヲ隠匿スルカ如キハ実ニ當初ニ於テ善意ノ占有ナリト雖モ全ク瑕疵アル占有トナリシモノナリ
多クノ場合ニ於イテ強暴又ハ隠密ノ瑕疵ハ無權原又ハ悪意ト共ニ存スルコトアル可シ斯ノ如キ場合ニ於テモ尚ホ占有ノ所為ニ不利益ナル性質ヲ區分スルコト甚タ緊要ナリトス蓋シ無權原及ヒ悪意ハ自己ニ利益ヲ受クルノ期ヲ遅延スルモノナリト雖モ未タ全ク之ヲ失ハシムルモノニ在ラス而シテ強暴及ヒ隠密ノ瑕疵ハ全ク之ニ異ナレハナリ
果實取得ノ點ニ關シ占有ノ隠密及ヒ強暴ノ瑕疵ノ效力ニ付テハ後ニ至テ之ヲ知ル可シ
本條ハ明ニ占有ノ瑕疵カ如何ナル方法ニ依テ消滅スルモノナリヤヲ示セリ占有ノ性質ノ変更ハ唯将来ニ向テ效力ヲ有スルモノニシテ既往ニ遡ルモノニ非サルコト固ヨリ辯ヲ竢タス此點ニ於テハ前條ニ従テ善意又ハ悪意ノ效力ニ關スル所ト其理ヲ同シウス
更ニ注意スヘキモノハ此占有ノ二箇ノ瑕疵ハ關係ノモノニシテ絶對ノモノニ非サルコト是ナリ
故ニ或ル一人ニ對シ暴行脅迫ヲ以テ取得シ又ハ維持シタル占有ハ他ノ人ニ對シテ必スシモ此瑕疵ヲ有スルモノニ在ラス故ニ眞正ノ所有者他ニ存シ而シテ之ニ對シ未タ何等ノ暴行脅迫ヲ施ササル場合ニ於テハ占有者ハ之ニ對シテ占有物ノ果実ヲ取得シ又ハ取得時効ノ利益ヲ受クルコトヲ得可シ
隠密ノ瑕疵ニ付テモ亦然リ占有者カ眞正ノ所有者ナリト誤信シ此人ニ對シテ占有ヲ秘シタルモ其実眞正ナル所有者ハ他ニ存シ而シテ占有者ハ之ヲ知ラサル為メ之ニ對シテ占有ヲ秘セサリシ場合ニ於テハ此眞所有者ニ對シテ果實ヲ取得シ及ヒ時効ノ利益ヲ受クルコトヲ得ベシ
以上述フル所ト異ナリテ若シ無權原又ハ悪意ナリシ場合ニ於テハ此條件ノ不備ハ所有者ノ為メ最モ不利益ナルモノニシテ單ニ定リタル人ヨリ之ヲ以テ對抗シ得ヘキノミナラス何人ト雖モ之ヲ主張シテ對抗スルコトヲ得ヘシ即チ無權原及ヒ悪意ノ效力ハ絶對ニシテ關係ノモノニ非サルナリ
第百八十四條
自然ノ占有ハ單純ナル事實ニ過キス即チ有形ノ所為アリト雖モ未タ法律上何等ノ關係ヲモ生セサル所ノモノナリ法律ハ之ヲ認ムルコトヲ得ヘク又之ヲ觀過スルコトヲ得ヘシト雖モ未タ之ニ對シテ何等ノ保護ヲ與フルモノニ在ラス即チ自然ノ占有ハ法律上何等ノ擔保ヲ有スルモノニ非ス又法定ノ占有ヲ以テ一箇ノ權利タラシメ且種々ノ利益ヲ得セシムル效力ニ付テ自然ノ占有ハ其一分ヲモ有スルコト能ハサルナリ
自然ノ占有ノ場合ハ實際ニ於テ決シテ少ナカラサル可シ或ハ隣人ノ間ニ於テ或ハ親戚朋友ノ間ニ於テ眞正ナル所有者ノ許可ヲ受クルコトナク或ハ其知ラサルトキニ於テ動産又不動産ヲ他人カ使用スルコト屢々之有ル可シ然レトモ斯ノ如キ場合ニ於テ使用者ハ其隣人親戚又ハ朋友ニ属スル財産ヲ自己ノ有ト為スノ意思アリテ之ヲ使用スルニ在ラス又何等ノ權利ヲモ其物件ニ付テ主張スルノ意思アラサルナリ此場合ニ於テハ其占有ハ全ク自然ノ占有ナリトス
若シ眞正ナル所有者ノ許可ヲ得テ其所有物ノ使用ヲ為スカ如キハ使用貸借ノ場合ニ於テ見ル所ノ事實ニシテ又所有者ノ許可ヲ得テ之ヲ所持スルハ寄托ノ場合ニ於テ之ヲ見ル可シ総テ使用者又ハ受寄者カ他人ノ財産ヲ占有スルハ自然ノ占有タル可シ然レトモ此場合ニ於テハ次条ニ掲クル如ク特ニ容假ノ占有トス
本條ニ於テ公有ニ属スルモノハ各人ノ占有ノ目的トナルコトヲ得ルモ其占有ハ遂ニ自然ノ占有ニ過ギサルコト明カニシテ以テ第二十六條ニ掲ケタル原則ヲ全カラシメタリ即チ同條ノ原則ニ依レハ公有ニ属スルモノハ各人ニ属スルコトヲ得ヘカラス又各人ノ為ニ何等ノ權利ノ目的トナルコトヲ得サルモノナリ是ヲ以テ各人カ公有ニ属スル物ノ一分ヲ所持シ而シテ其所有者ナリト主張スル者アルモ其占有者ノ地位ハ未タ斯ノ如ク主張ヲ為ササル時ニ比シテ何等ノ利益ヲモ受クルコト能ハサルナリ
各人ハ公有ニ属スル物ノ自然ノ占有ニ非サル他ノ占有ヲ為スコトヲ得スト雖モ此理論ニ基キ公ノ法人ト雖モ尚ホ自然ノ占有ニ非サレハ得スト断定ス可カラス故ニ國ハ各人ニ属スル財産ヲ公有ニ属スル財産ノ部分トシテ法定ノ占有ヲ為スコトヲ得ヘシ何トナレハ各人ニ属スル財産ハ其性質上用方ヲ変更シ得ヘカラサルモノニ非サレハナリ各人ノ私有ニ属スル財産ハ法律上何等ノ特別ナル方式ヲ要スルコトナクシテ唯實際國用ニ供セラレタル以上ハ全ク公有ニ属スル財産中ニ移轉スヘク之ニ反シテ公有ニ属スル財産ハ一旦私有財産中ニ編入サレタル以上ニ非サレハ各人ノ財産トナルコトヲ得サルモノナリ
公有ニ属スル物ニ關シテ占有ノ禁止ヲ為シタル本條ノ規定ハ第二十六條ニ依リ融通ス可カラサル一切ノ物ニ此禁止ヲ適用スルモノニ非ルコトヲ注意ス可シ
第百八十五條
容假ノ占有ハ自然ノ占有ノ一種ナリト看做サルルコトヲ得ヘシ何トナレハ容假ノ占有ノ場合ニ於テ占有ハ其所持又ハ其行使スル權利ヲ自己ノ為ニ有セリト主張スルモノニ在ラス且此占有者ハ或ハ代理ノ契約ニ依リ或ハ事務管理ニ依リ又ハ寄托使用貸借若クハ注意ヲ施シテ其物ヲ保存シ且後ニ至テ契約對手人ニ之ヲ返還スルノ義務ヲ生セシムル他ノ契約ニ依テ所有者ノ為ニ其物ヲ所持シ又ハ權利ヲ行使スルモノナレハナリ
他ノ一方ヨリ觀察スルニ容假ノ占有者カ他人ノ為ニ占有ヲ為ス場合ニ於テハ其他人ハ容假ノ占有者ノ為セル占有ニ依テ自ラ法定ノ占有ヲ為スモノナリ唯斯ノ如キ場合ニハ自ラ占有ノ目的タル物又ハ權利ヲ自己ノ物トスルノ意思アルコトヲ要スルニ止マリ此條件備ハリタル以上ハ占有ノ三個ノ利益ト占有ニ附属スル訴権トヲ有スル者ハ右ノ二人中容假ノ占有者ニ非スシテ法定ノ占有者ナリ
若シ動産質不動産質用益權地役賃借等ノ名義ヲ以テ他人ニ属スル物件ノ占有ヲ為ス者ハ総テ之ヲ容假ノ占有者ト看做スコトヲ要ス
然レトモ是等ノ人々ハ斯ノ如ク一方ニ於テ他人ノ為ニ權利ヲ行使シ容假ノ占有者タルト同時ニ一方ニ於テハ自己ノ名義ヲ以テ自己ノ為ニ行使シ敢テ他人ノ利益ノ為ニ他人ノ名義ヲ以テ行使セサル一個ノ物権ヲ有スルモノナリ此故ニ是等ノ人ヲ指シテ容假ノ占有者ナリト稱スルハ唯其占有スル目的物ノ所有權ノ点ニ於テ之ヲ謂フモノナリ蓋シ斯ノ如キ占有者ハ現実ニ物ヲ所持シ而シテ所有者タルノ所為ヲ濫用スルコトヲ得ヘシト雖モ斯ノ如キ所為ハ未タ此占有者ヲシテ所有權ノ取得時效ヲ得セシメ得ヘキモノニ非ス唯其權原ニ基ツキ是等ノ占有者ヲシテ取得セシメタル權利ニ關シテハ容假ノ占有ニ非スシテ全ク自己ノ為ニ其占有ヲ為スモノナリ且單ニ占有ヲ為スノミナラス屢々眞正ニ其占有スル權利ヲ有スル者タル可シ何トナレハ此場合ニ於テハ此占有者ハ其權利ヲ譲渡ス分限ナキ者ト契約シタリト推測ス可キ特別ノ理由アラサレハナリ
其理右ニ述フル如クナルヲ以テ用益權其他所有權ノ支分ノ權タル物権ニ關シテ容假ノ占有者アル場合ヲ知ラント欲セハ占有者カ他人ノ為ニ他人ノ名義ヲ以テ用益權其他ノ支分權ヲ行使スル場合ヲ想像スルコトヲ要ス例ヘハ後見人、夫、管理人等ノ如キ是ナリ
占有ノ容假ハ之ヲ以テ占有ノ一個ノ瑕疵ト稱スルコトヲ得ヘク従テ強暴及ヒ隠密ト同地位ニ置クコトヲ得ヘシ然レトモ斯ノ如ク容假ヲ以テ強暴隠密ト同一視スルコトハ一ニ占有ノ容假ハ時効ノ成就ヲ妨クルノミナラス此點ニ於テハ強暴及ヒ隠密ニ比シテ其效力一層大ナルニ依ルモノナリ今時效ヲ妨クルノ點ニ於テ占有ノ容假ハ其強暴又ハ隠密ニ比シテ一層效力大ナリト云フ所以ノモノハ他ナシ強暴ト隠密トハ全ク關係ノモノナリト雖モ容假ノ性質ハ概シテ絶對ノモノナルヲ以テナリ
右ノ理由ニ基クトキハ容假モ亦一個ノ瑕疵ナリト稱スルコト未タ難カラスト雖モ其實容假ハ之ヲ占有ノ瑕疵ト稱セサルヲ以テ可ナリトス何トナレハ容假ハ未タ其性質ニ於テ占有者ノ過失ニ非ス又隠匿ニ非サレハナリ
占有ノ容假ハ其強暴又ハ隠密ノ瑕疵ト異ナリテ全ク絶對ノ性質ニシテ關係ノ瑕疵ニ非サルニ依リ容假ノ占有者ハ單ニ其利益ノ為メ且其名義ニ於テ占有スル人ニ對シテノミ自己ノ占有ヲ主張スル能ハサルノミナラス総テ何等ノ人ニ對スルモ其占有ヲ以テ對抗スル能ハサルナリ
原則上占有ノ容假ハ占有ノ瑕疵ト同シク占有ニ缺乏セル性質ノ発生ニ依テ消滅スルモノナリ例ヘハ従来他人ノ為ニ占有シタルモノカ其意思ヲ変更シ自己ノ為ニ占有ヲ始メタルトキハ其占有ハ其時ヨリシテ容假ノ性質ヲ失フヘシ
然レトモ此原則ハ容假ノ占有者ガ或ル權原ニ基キテ占有ヲ為シ而シテ其權原ニ依リ明カニ其容假ノ性質ヲ生シタルコト寄托、使用貸借、賃貸借ノ如キ場合ニ於テハ一ノ例外ヲ為スモノニシテ其適用甚タ困難ナルニ至ル斯ノ如キ場合ニ於テハ其占有ノ容假ヲ変シ全ク法定ノ占有タラシムルハ單ニ占有者ノ一己ノ意思ノミニ依テ為スコトヲ得ヘキニ非ラス斯ノ如クハ其占有ノ基礎タル權原ハ全ク無效ニ帰スヘク而シテ此權原タルヤ眞正ナル權利者ト占有者ト相議リテ定メタル所ニシテ且眞正ナル權利者ハ此契約ニ因リ自ラ財産ヲ保存セント欲シ占有者ヲ信認シタルモノナリ然ルニ占有者一己ノ意思ヲ以テ此信認ニ對シ斯ノ如キ占有ノ変更ヲ為スコトヲ得ヘケンヤ故ニ此場合ニ於テハ従来容假ナル占有カ変シテ法定ノモノトナルハ本條ニ定メタル二箇ノ所為中殊ニ其一アルヲ必要トナス
本條ノ明示セル二箇ノ所為ハ多言ヲ費スコトナクシテ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ヘシ
第一若シ容假ノ占有者カ将来ニ於テ自己ノ為メニ且自己ノ名義ヲ以テ占有スル權利ヲ行使セント欲スルトキハ占有者ハ法定ノ占有者即チ従来其人ノ為ニ且其人ノ名義ニ於テ占有ヲ為シタル人ニ對シ容假ノ占有者カ将来ニ於テ自ラ權利主ナリト信スルコトヲ告知スルヲ要ス其告知ハ若シ裁判上ノ請求ニ依テ為サレタル場合ニ於テハ之ヲ裁判上ノ告知ト稱シ而シテ裁判上ノ告知タラス唯裁判外ノ手續ニ關スル規定ニ従ヒ公吏ニ依テ合式ニ之ヲ為シタルトキハ裁判外ノ告知タル可シ
此告知ヲ為スニ當テヤ占有者ハ必ス将来ニ於テ自ラ權利主ナリト認メタル理由ヲ示ス可シ占有者若シ此理由ヲ示ササルカ又ハ之ヲ示スモ相手方ニ於テ此理由ヲ充分ナリト認メサル場合ニ於テハ相手方ヨリ之ニ對シ異議ヲ起シ遂ニ訴訟トナル可シ相手方ニ異議アルト否ヤトニ拘ハラス又其理由ノ如何ニ拘ハラス少ナクモ此異議アリタル時ヨリシテ占有ハ容假ノ性質ヲ失フヘク最終ノ決定ニ至テ始メテ是非ヲ判定スルコトヲ得ヘシ而シテ容假ノ性質ハ絶對ノモノナルト同シク容假ノ性質ノ消滅スルモ亦特別ノ人ニ對シテノミ然ルニ非ス総テノ人ニ對シテ全ク法定ノ占有トナルモノナリ
然レトモ右ニ掲ケタル告知カ數人ノ利害關係人ニ為サルルコト必要ナルニ當テ單ニ其中ノ一人ニ對シテノミ此告知ヲ為シタル場合ニ於テハ此告知ノ效力ニ因テ容假ノ性質消滅スルハ唯此告知ヲ受ケタル者ニ對シテノミ然リトス是レ即チ上段ニ於テ容假ノ性質ハ概シテ絶對ナリト謂ヘル所以ナリ故ニ右ニ述フル場合ニ於ケルカ如ク時トシテ容假ノ性質モ亦關係ノモノナルコトアリ
第二容假ノ占有者カ更ニ新ナル原因ヲ得此原因ニ依テ自己ノ為ニ完全ナル占有ヲ為スコトヲ得ヘキ場合ニ於テハ従来ノ權原ハ全ク新原因ノ為ニ変更シタルモノニシテ之ト同時ニ容假ノ性質ハ消滅シ全ク法定ノ占有始マルモノトス
此新タナル原因ハ當初容假ノ占有ヲ得セシメタル者ノ手ニ出ツルコトヲ得ヘク、或ハ第三者ノ手ニ出ツルコトヲ得ヘシ
故ニ受寄者若クハ借主トシテ他人ヨリ托セラレタルモノヲ占有シ而シテ其寄托シタル人ハ寄托物ノ眞正ナル所有者ナラサル場合ニ於テ占有者ハ此占有ヲ基礎トシテ取得時效ヲ得ルコト能ハス是レ單ニ寄托者ニ對シテ然ルノミナラズ尚ホ眞正ナル所有者ニ對シテモ亦然リトス然レトモ後ニ至リ占有者カ寄托者若クハ貸主ト一個ノ賣買契約又ハ交換ノ約束ヲ為シタルトキハ此新原因ニ依リ将来ハ自己ノ物トシテ占有スルコトヲ得ヘク従テ此占有ヲ基礎トシテ時效ヲ成就スルコトヲ得ヘシ
占有者ガ第三者ト契約ヲ為シタル場合ニ於テモ權原轉換ノ效力ハ前ニ述フル所ト同一ノ結果ヲ生スヘシ然ノミナラス此場合ニ於テハ占有者ハ善意ナルコトヲ得ヘク又悪意ナルコトヲ得ヘシ此善意ト悪意ハ時效ヲ成就セシムルニ必要ナル期間ニ關シテ長短ノ差異ヲ生セシム可シト雖モ未タ悪意アルカ為ニ時效ノ成就ヲ妨クルモノト謂フヲ得ス
眞正ノ所有者ノ手ニ成リタル權原ノ転換ニ關シテハ特ニ法律ヲ以テ之ヲ規定スルノ必要ナシ何トナレハ此場合ニ於テハ占有者ハ眞正ノ所有者ト為ルヘキカ故ニ單純ナル占有ノ問題ヲ研究スルノ必要アラサル可シ
第百八十六条第百八十七条及ヒ第百八十八條
此三條ノ法文ハ総テ占有ノ性質ノ証據ニ關スル規定ヲ設ケタルモノナリ
凡ソ一個ノ權利ヲ主張スル者ハ必ス權利ノ自己ニ属スルコトヲ証スルコトヲ要ス且若シ其權利ニシテ特別ノ條件ヲ備フルコトヲ必要トスル場合ニ於テハ此條件ノ存在スルコトモ亦權利ヲ主張スル者ニ於テ証明セサル可カラストハ一般ノ原則ナリ
然レトモ時トシテハ直接ノ証據ヲ以テ之ヲ証明スルコト甚タ困難ナル場合アリ斯ノ如キ場合ニシテ若シ之ト同時ニ數多ノ事實存在シ人生普通ノ状態ニ基キテ之ヲ考フルニ斯ノ如キ事實存スルトキハ十中ノ八九必ス或ル事實ハ眞正ナリト思量シ得ヘキ如キモノナルトキハ法律上証明ヲ求ムル條件ノ全部又ハ一部ハ存在スルモノト推定シ因テ以テ更ニ証據ヲ提出スルノ必要ナキモノト為ス然レトモ此場合ニ於テハ概シテ反對ノ証據ヲ挙ケ此推定ヲ破ルコトヲ許スモノナリ且此反對ノ証據ハ一切ノ証據方法ヲ用ヰルコトヲ得ルモノトス
本條ノ場合ニ付テ之ヲ述フルニ法定占有ニ必要ナル條件ハ占有者カ自己ノ為ニ其権利ヲ行使シタルコト是ナリ然ルニ凡ソ吾人カ占有ヲ為スハ自己ノ為ニスルコト普通ニシテ他人ノ為ニ占有スルコト甚タ稀ナルニ因リ既ニ占有ノ事實アル以上ハ法律上占有者カ自己ノ為ニ之ヲ占有シタルモノト推定ス
然レトモ此推定ニ反對シ占有者カ他人ノ為ニ占有スルノ意思ヲ以テ權利ヲ行使スルコトハ實際ニ於テ有リ得ヘキ所ナリ此故ニ此法定占有ニ對シ異議ヲ為ス者アルトキハ其占有ハ容假ノモノナルコトヲ直接ニ証明スルコトヲ要ス而シテ此証據ハ或ハ占有者ヲシテ占有ヲ得セシメタル原因ニ依テ之ヲ為スコトヲ得ヘク例ヘハ寄托、使用貸借、賃貸借等ノ場合ノ如シ或ハ他ノ事實ニ基キ因テ占有者カ他人ノ權利ヲ認ムルコトヲ証明スルコトヲ得ヘシ是等ノ事實ハ或ハ証人ヲ以テ之ヲ證シ又ハ公正證書若クハ私署證書等ヲ以テ証明スルコトヲ得ヘシ
法定ノ占有ニ對シテ異議ヲ為ス者ヨリ占有ノ權原ヨリ生スル容假ノ性質ヲ証明シタル場合ニ於テ若シ占有者カ前條ニ定メタル二個ノ方法ニ因リ其容假ノ占有ヲ変シテ法定ノ占有ト為シタル場合ニ於テハ容假ノ證明ハ其效ナカル可シ
第百八十七條ノ規定ハ法定占有ノ甚タ緊要ナル二箇ノ性質ニ關シテ二個ノ異ナリタル規定ヲ設ケタルモノナリ
第一ノ規定ニ従フトキハ占有ノ正權原ニ基クモノナルコトハ法律ニ於テ之ヲ推定セサルモノトス此事タルヤ明文ニ於テ直接ニ之ヲ掲ケスト雖モ立法者カ間接ニ示ス所ノモノタル故ニ正權原ハ之ヲ有スト主張スル者ニ於テ必ス証明スルコトヲ要ス然レトモ此場合ニ於テモ先ツ一般ノ事情ニ照ラシテ考フルトキハ既ニ占有ヲ有スル者ハ法律上正權原ニ基キテ之ヲ為シタリトノ推定ヲ受クルコト至當ナルニ似タリ蓋シ原因ナクシテ占有スルハ他人ノ財産ヲ侵奪スルノ謂ニシテ侵奪ハ實際甚タ稀ナル事實ナルヘケレハナリ然レトモ他ノ一方ヨリ考フルトキハ正權原若シ眞正ニ存在セハ普通ノ証據方法ニ依テ之ヲ証明スルコト甚タ容易ナル可ク決シテ自己ノ為ニスルノ意思ノ如ク証明困難ナルモノニ非ラス従テ法律上ノ推定ヲ以テ特ニ占有者ニ利益ヲ與フルハ殆ント其理由ナキモノナリ
之ニ反シテ一旦正權原アルコト直接ニ證明ヲ得タル以上ハ其占有ノ善意ナルコトハ法律ヲ以テ之ヲ推定スルモノトス而シテ斯ノ如ク推定ヲ設クルハ單ニ占有者ノ正直ナルコト普通ニシテ詐欺アルコトハ甚タ稀ナルカ為メノミニ非ラス尚ホ善意ノ証明ハ直接ニ之ヲ為スコト甚タ困難ナルニ因ル何トナレハ善意ヲ証明スルニハ譲渡人カ眞正ノ所有者ニ非サルコトヲ知ラサリシコト即チ譲渡人以外ノ者ニ眞正ノ權利存在シタルコトヲ知ラサリシ結果ヲ証明スルコトヲ要ス然ルニ此事實タルヤ有的ノ事實ニ非スシテ寧ロ無的ノ事實ト言ハサルヲ得ス無的ノ事實ハ其証明甚タ困難ナルモノナリ之ニ反シテ若シ占有悪意ナリトセハ占有者ノ主張ニ反對スル者ヨリ此悪意ノ証明ヲ為スコト決シテ困難ノ事業ニ非サル可シ
立法者ハ尚ホ占有ノ他ノ二箇ノ性質ニ對シテ二箇ノ相異ナリタル決定ヲ為セリ
強暴ハ一個ノ私犯ナルカ故ニ法律ハ強暴ノ推定ヲ為スコトヲ得ス何トナレハ何人ト雖モ私犯ヲ為スコトハ普通ノ状態ニ非サレハナリ然ノミナラス占有者ニ於テモ當初ニ於テ何等ノ強暴ヲモ為シタルコト無ク其占有ヲ維持スル為ニ引續キテ強暴ヲ為シタルコト無シト証明ヲ為スハ甚タ困難ノコトナリ蓋シ此事實モ亦無的ノ事實ニシテ証明甚タ難キ所ノモノナレハナリ之ト同時ニ占有ノ主張ニ反對スル者ニ於テ直接ニ証人ニ依リ相手方ノ占有カ強暴ニ基キ又ハ強暴ニ依テ維持シタルモノナルコトヲ証明スルハ右ニ掲クル所ニ比シテ甚タ容易ノコトナル可シ
右ニ述フル如ク強暴ニ關シテハ法律上強暴ナラサルコトヲ推定スト雖モ公然ノ點ニ於テハ全ク之ト反對ナリ蓋シ占有ノ公然ナルコトハ一個ノ有的ノ事實ニシテ且引續キタル事實ナリ而シテ占有者ヨリ其直接ノ証明ヲ為スコトハ甚タ容易ナルヘク殊ニ公然ノ事實ナルカ故ニ一般ノ人又少クモ其地方ノ人ハ一切之カ証人タルヲ得ヘキヲ以テ益々証據ハ容易ナリトス故ニ占有ノ公然ハ法律ヲ以テ之ヲ推定スルノ理由アラサルナリ
占有ノ継續ハ占有ノ性質ヲ変更セシムルモノニ非ラス唯之カ為ニ占有ノ效力ヲ増加セシムルモノナルコト一般ノ原則ナリ固ヨリ占有ノ第一ノ利益タル推定即チ占有者カ行使スル權利ノ眞正ニ存在スルコトノ推定ハ占有ノ継續ト全ク關係ヲ有セサルモノナリ然レトモ不動産ノ取得時效ハ一定ノ期間継續シタル占有ニ依テ初メテ成就スルノミナラス法定果實ノ取得ハ日毎ニ之ヲ為スモノニシテ特ニ採取ノ所為(第百九十四條)ヲ要セサルモ占有ノ継續ニ従テ益々其利益ヲ増加スルモノナリ且占有訴權中二個ノ訴權ノ行使ハ占有カ一箇年以上継續シタルコトヲ以テ一個ノ條件ト為セリ(第二百三條)斯ノ如クナルカ故ニ占有者ハ其占有ノ継續ヲ証明スルニ於テ甚タ利益ヲ有スルモノナリ而シテ此占有ニ反對スル眞正ノ所有者ニ於テハ此継續ヲ非難スルニ於テ大ナル利益ヲ有スルモノナリ
法律ハ此場合ニ於テモ尚ホ占有者ニ利益ナル法律上ノ推定ヲ設ケタリ即チ占有者ニ於テ二個ノ隔タリタル時ニ於テ占有シタルコトヲ証明シタルトキハ此事實ニ基キテ此二個ノ相隔タリタル時期ノ間ハ継續シテ占有シタルモノト推定ス是レ尚ホ一般普通ノ状態ニ基キテ立法者カ想像ヲ為シタルモノナリ然レトモ此推定モ亦前ニ述ヘタル推定ト同シク常ニ反對ノ証明ヲ許スモノニシテ且此反對ノ証據ハ一切ノ方法ニ依テ之ヲ為スコトヲ得ヘシ
概シテ右ニ掲ケタル二個ノ時期中一ハ占有者カ眞正ノ所有者ト訴訟ヲ為ス時期ニシテ即チ一方ヨリ回復ノ訴權又ハ占有ノ訴權ヲ提起シタル時期ナリ他ノ一ハ右ノ時期ニ比シテ既往ニ属スルモノニシテ其相隔タルコト如何ニ依リ或ハ占有者ヲシテ時効ノ利益ヲ得セシムルニ足ルヘク或ハ少ナクモ占有訴權ノ利益ヲ得セシムルニ足ルヘキモノナリ占有者ニ於テ直接ニ証據ヲ挙ケ依テ二個ノ相隔タリタル時期ニ於テ占有シタルコトヲ証明セハ其二個ノ時期ノ間ニ於テ引續キ占有シタルコトハ自ラ之ヲ証明スルノ責任ナシ蓋シ斯ノ如ク間断ナク占有シタル事實ハ直接ニ証明ヲ為スコト甚タ困難ナルヘキノミナラス普通ノ事實ニ基キテ考フルモ前後二個ノ時ニ於テ占有ヲ為シタル者ハ其間ニ於テモ間断ナク占有ヲ為シタルコト眞ニ近ケレハナリ故ニ法律ハ普通ニ有ルヘキ事實ニ基キテ此推定ヲ為シタルモノナリ
第二節 占有ノ取得
第百八拾九条及ヒ第百九拾条
第百八拾九条ハ既ニ第百八拾条ニ於テ占有ノ定義ヲ掲クルトキニ当ツテ示シタル規則ヲ確定シタルモノナリ即チ法定ノ占有ハ二個ノ要素ニ因テ組成セラル一ハ事実ニシテ有体ノモノナリ一ハ意思ニシテ全ク無形ノモノナリ此二個ノ要素ニ関シテハ特ニ詳細ノ説明ヲ為スコトヲ要セス何トナレバ此二個ノ要素ガ占有ノ取得ノ為ニ必要ナルコトハ自然ノ理ニ基クモノナレバナリ
第百九拾条ニ於テ定メタル事実ト意思トノ間ノ差異ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ
占有ヲ組成スル事実ノ要素ハ必ズシモ占有ノ利益ヲ得ントスルモノノ一身ニ存スルコトヲ必要トセズ何トナレバ人ノ行為ハ必ズ其範圍ニ限リアルモノナルガ故ニ自カラ占有ノ事実ヲ行フ場合ニ限リテノミ占有ノ利益ヲ得然ラサルトキハ縦令自己ノ名義ヲ以テ他人ヲシテ占有ノ處為ヲ為サシムルトキト雖トモ自カラ占有ノ利益ヲ受クル能ハサル者トスルトキハ各人ハ殆ンド自己ノ財産ノ監督保存及ビ改良等ヲ他人ニ委托スルコト能ハサルニ至ルベシ
事実ノ要素ハ此ノ如ク他人ニ委托スルコトヲ得ベシト雖トモ占有ノ点ニ於テ他人ニ委托スルモ其効ナク即チ殆ンド委托スルコトヲ禁セラレタリト謂フコトヲ得ベキ要素アリ即チ自己ノ為ニ権利ヲ有スルノ意思是レナリ何トナレバ意思ハ事実ト異ナリテ狭隘ナル範圍アルモノニ非ラス故ニ一己ノ物ヲ有スルノ意思ト同時ニ猶ホ他ノ物ヲ有スルノ意思アルコトヲ得ベシ而シテ員数甚ダ大ナル物件ニ及ボスコトヲ得ベシ故ニ占有ノ意思ニ至ツテハ他人ニ委托スルコト必要ナラズ且ツ法律ニ於テモ意思ヲ表示スルコトハ必ズシモ一定ノ方法ニ據ルコトヲ要セズ唯自己ノ物トスル意思アルコト明カナレバ即チ足レリトス
意思ノ要素ハ他人ニ委ヌルコトヲ得ズトノ原則ニ對スル例外ハ單ニ必要ノ場合ニ限ッテ法律ノ認ムル所タリ而シテ立法者ハ二個ノ場合ニ於テノミ此必要ヲ認メタリ第一無能力者タル占有者ノ場合及ヒ法人ガ占有者タル場合是ナリ蓋シ法人ノ如キハ其法律上ノ代理者ニ據ルニ非ラザレバ自己ノ意思ヲ有スルコト能ハザレバナリ
右ニ掲ゲタル占有ノ意思ハ他人ニ委ヌルコトヲ得ズ占有ノ利益ヲ得ントスルモノニ於テ常ニ此意思ヲ有スルコトヲ要ストノ規則ハ之ヲ解シテ狭隘ニ失スルコトナキヲ要ス即チ奴僕、使用人又ハ朋友ニ委托シ之レニ物品ノ撰擇ニ関シテ多少ノ自由ヲ與へ以テ未タ個々確定セサル多少ノ物ノ占有ヲ取得セシムルコトヲ得ベク此場合ニ於テ為シタル委托ハ全ク法律上有効ノモノナリ然レトモ是レ決シテ右ニ掲ケタル原則ニ對スル例外ノ場合ニ非ラス即チ占有ノ意思ハ之ヲ他人ニ托シタルモノニ非ラズ此ノ如キ場合ニ於テ占有ヲ為スノ意思ハ委托者ニ於テ充分ニ有スルモノナリ唯其目的トスル所ノモノ多少不確定ニシテ代理者カ撰定シタル所ノ物ヲ占有セントスルノ意思ナルノミ又委托者ニ占有ノ意思存スルニハ代理者ガ委托ノ事項ヲ実行シタル時ヲ委托者ガ知ルコトヲ必要ト為サズ何トナレバ委托者ノ意思ハ委托ヲ為シタル時ニ於テ既ニ成立スルモノニシテ代理者ガ其委托ヲ実行スルト否トハ唯委托者ノ意思ノ効力ノ実際ニ生スル遅速ニ関スルノミナレバナリ本人ノ意思ニ基キテ代理者ガ占有ヲ為シタル場合ニ於テハ右ニ論スル如クナリト雖トモ若シ委任ヲ受クルコトナク全ク他人ノ為メニ事務管理ノ行為ヲ以テ占有ヲ為シタル場合ニ於テハ前ニ述ブル所ト同一ナルヲ得ズ此場合ニ於テ事務ヲ管理セラレタル本人ハ自カラ管理人ノ處為ヲ知リ而シテ之ヲ認諾シタルトキニ非ラサレハ占有ヲ取得スルコトナシ
第百九拾一条
本条ニ於テ確認スル所ノ二個ノ原則ハ其源ヲ羅馬法ニ発シ而シテ今日ニ至ルマデ欧州諸國ニ於テ採用セラレタル所ノモノナリ本条ニ規定シタル二個ノ場合ニ於テハ事実上専有ノ所在ハ更ニ変更スルコトナシト雖トモ法律上全ク其所在移轉シタルモノト看做セリ
而シテ本条ニ掲クル二個ノ場合ハ全ク相表裏スルモノナリ第一ノ場合ニ於テ受寄者、借主、賃借人等ノ如ク容假ノ占有ヲ有スルニ止マツテ所有者ノ為メニ其物ヲ占有シ又ハ所有シタルト否トヲ問ハズ寄託、貸与又ハ賃貸シタル人ノ為メニ其物ヲ占有スルニ当リ自カラ其物ノ所有権ヲ取得センコトヲ欲シ更ニ賣買ノ契約ヲ結ビ自己ノ所有権トシテ更ニ占有ヲ為ス如キ場合是ナリ
法式ヲ重ンスル法律ニ在テハ右ノ場合ニ於テ必ズヤ買主トナリタル受寄者又ハ賃借人ハ従来容假ノ占有者トシテ自己ノ手裡ニ存シタルモノヲ一旦寄託者又ハ賃貸人ニ返還シ而シテ後新タニ賣買契約ニ依リ之レガ交付ヲ受クルコト必要ナリトスベシ然レトモ事ノ迅速ト便宜トヲ主トスベキハ自然ノ理ナルニ依リ此再度ノ交付ハ意思ノ變更ニ因テ当然ニ為サレタルモノト為スコトヲ要ス即チ容假ノ占有ハ簡易ノ引渡ニ因テ法定ノ専有トナルモノナリ
第二ノ場合ニ於テハ第一ノ場合ト全ク相反セリ所有者其所有スルモノヲ賣リ又ハ占有者ガ自己ノ物トシテ占有スル所ノモノヲ賣リ而シテ賣買ト同時ニ其物ヲ買主ニ交付シタルトキハ買主ハ占有ノ意思ノミナラズ仍ホ占有ノ事実ヲ有スベキコト勿論ナリ然レトモ此場合ニ於テ或ル事情ト便宜トニ基キ賣主ニ於テ仍ホ一時物ノ使用ヲ己レノ手ニ止メント欲スル場合ニ於テハ賣主ト更ニ之ヲ約スルコトヲ得ベシ然ルニ此契約ノ後賣主ガ物ノ占有ヲ為スハ買主ノ為メニ且ツ其名義ニ於テ容假ノ占有ヲ為スモノナリ従ツテ買主ハ他人ノ所為ニ因テ自カラ占有ヲ為スモノニシテ此場合ニ於テ買主ハ賣買ノ契約ニ基キ一旦物ノ占有ヲ得而シテ直チニ使用貸借又ハ賃貸借等ノ如キ契約ニ依リテ更ニ賣主ニ物ヲ交付シタルモノト看做サル
本條末項ハ権利ノ占有ノ取得ニ関シテ同一ノ理論ヲ適用シタルモノナリ即チ自己ノ為メニ権利ヲ行使シタル者ノ意思変更シ他人ノ為メニ之ヲ行使スルノ意思アルヲ以テ足レリトス此場合ニ於テハ前ニ掲ケタル場合ノ如ク引渡等ノ想像ヲ為スコトヲ要セス権利ノ所在ノ變更ハ全ク意思ノ変更ノミヲ以テ充分ニ之ヲ解クコトヲ得ヘシ
第百九拾二条
本条第一項ノ場合ニ於テハ占有ノ継續アリ而シテ第二項ノ場合ニ於テハ占有ノ併合アリ
相続人其他包括承継人ハ其原権者ノ法律上ノ資格ヲ継続スルモノナリ其有シタル権利ト利益トヲ相続スルノミナラズ仍ホ其負担シタル義務ヲ併セテ相続スルモノナリ此原則ハ或ル場合ニ於テ例外アリト雖トモ今論スル占有ニ関シテハ資産ヲ組成スル権利ニ付キ特別ノ規定アルコトナシ従ツテ一般ノ原則ニ従ヒ原権者ト相続人トノ間ニハ同一ノ占有ヲ全ク継続スルモノト謂ハサルヲ得ス此ノ如キ理ナルニ依リ若シ原権者ノ占有ガ容假ナルトキハ其占有ハ相続人ノ手ニ移轉シタル後ト雖トモ依然容假ノ占有タルヘシ此占有ヲシテ容假ノ性質ヲ失ハシムルニハ第百八拾五条ノ規定ニ従ヒ其占有ガ原因及ヒ性質ヲ變シタルコトヲ必要ト為ス而シテ是レ相続ノ場合ニ限ルモノニ非ラスシテ当初ノ占有者自身ト雖トモ又為シ得ヘキ所ノコトナリ
原権者ノ占有ガ法定ノモノニシテ而シテ権原ナキ場合ニ於テハ相続人ニ於テモ亦無権原ノ占有ヲ有スルニ止ムベシ相続人ノ名義ヲ以テ財産ヲ相続スルハ原権者ニ属スル財産ヲ自己ニ取得スル正当ノ原因ニ非ラズ何トナレハ已ニ述ベタル如ク包括名義ノ相続ハ原権者ノ法律上ノ資格ヲ継続スルモノニシテ特ニ財産ヲ取得スルモノニ非ラザレバナリ
原権者ノ占有ニ強暴又ハ隠密ノ瑕疵アリト雖トモ此瑕疵ハ必ズシモ相続人ノ占有ノ瑕疵ヲ為スモノニ非ラズ然レトモ是レ敢テ占有者異ナリタルガ故ニ瑕疵存セズト云フノ意ニ非ラズ惟此瑕疵ハ容假ノ性質ト同ジク原権者ノ一身ニ於テモ消滅スルコトヲ得ベキモノナルニ依リ相続人ニ於テモ此ノ如キ瑕疵ヲ有セサルコト有リ得ベケレバナリ故ニ原権者ガ強暴ヲ以テ占有ヲ全フシタル場合ニ於テ相続人ハ強暴ヲ息メ又ハ原権者ノ占有ガ隠密ナル場合ニ於テ相続人ガ充分ニ其占有ヲ公ケナラシメタル場合ニ於テハ其占有ハ全ク瑕疵ナキ所ノモノトナルハ第百八拾三条ノ規定ニ従ツテ原権者自カラ自己ノ占有ヲシテ瑕疵ヲ失ハシメタル場合ト同一ナルベシ
原権者ノ占有ガ正権原ヲ以テ基礎ト為シタル場合ニ於テハ其占有ニハ善意又ハ悪意ノ区別アルベシ而シテ正権原ノ占有ノ相続ノ場合ニ於テハ相続人ノ占有モ亦原権者ノ占有ト同ジク善意又ハ悪意ノモノタルベシ然レトモ原権者ガ善意ヲ以テ占有ヲ為シタル場合ニ於テ其相続人ハ原権者ガ真実ノ権利者ニ非ラサルコトヲ知レルコト有ルベシ此ト同一ノ理ニ因リ原権者ハ自カラ真正ノ権利者ナリト信セサリシトキト雖トモ相続人ハ原権者ヲ以テ真正ニ権利ヲ有シタルモノト信スルコト有ルベシ此ノ如ク原権者ト相続人トノ間ニ意見ヲ異ニスルモ之レガ為ニ生スル法律上ノ効力ハ原権者自カラ前後意見ヲ異ニシタル場合ニ於ケルト異ナルコトナク敢テ原権者ト相続人トノ故ヲ以テ特別ノ効力ヲ生スルコトナシ而シテ原権者ガ当初善意ニシテ後其権原ノ瑕疵アルコトヲ発見シタル場合ニ於テハ其時ヨリシテ悪意ノ占有者トナルベシト雖トモ之レガ為ニ短期時効ノ利益ヲ失フノミニ非ラス何トナレハ時効ノ為ニ必要ナル占有ノ善意ハ権限ノ生シタル当時ニ於テ存スルノミヲ以テ足ルモノナレバナリ之レニ反シテ悪意ト為リタルトキヨリ後ニ採取シタル果実ノ利ハ之ヲ失フベシ何トナレバ果実ノ取得ニ関シテハ其時々善意ノ存在スルコトヲ必要トスレバナリ
右ノ場合ニ反シ當初悪意ニシテ後善意ナル場合ハ原権者ト相続人トノ間ニ於テ屢々生スルコトヲ得ベク即チ原権者ハ真正ノ権利者ナラサル場合ニ於テ相続人ハ原権者ガ充分ニ権利ヲ有シタルコトヲ信スルコト決シテ尠カラサルベシ然レトモ此場合ノ外原権者ガ当初悪意ニシテ他日自カラ善意トナル場合ハ実際ニ於テ甚ダ罕ナル場合タリ且ツ此善意ハ前ニ述ベタル短期時効ノ利益ヲ得セシムルモノニ非ラズ惟通常ノ時効ニ先ダチ又ハ権利者ノ請求ニ先ツテ採取シタル果実ノ利益ヲ得セシムルニ止マルモノナリ
包括承継人ニ関シテハ以上ニ論スル所ノ如シト雖トモ特定ノ承継人ニ至テハ全ク右ニ述ブル所ト異ナリ
特定承継人ハ原権者ノ人格ヲ承継スルモノニ非ラズ蓋シ原権者ノ人格ハ遺言ノ場合ヲ除ク外仍ホ別ニ成立スルガ故ニ特定承継ヲシテ継続セシムルノ必要ナシ特定承継人ハ原権者ノ人格ヲ継続セサルガ故ニ占有モ亦之ヲ継続スルコトナク特ニ自己ノ名義ヲ以テ新タナル占有ヲ為スモノナリ譲渡人ガ所有権ヲ有スルトキハ之ヲ譲受ケタルモノハ其所有権ヲ取得シ而シテ其間ニ於テ権利ノ所在ヲ変ジタルノミ権利其者ニ至テハ全ク同一ナリトス然ルニ独リ占有ニ至テハ特定財産ノ買主又ハ受贈者ハ賣主又ハ贈與者ノ占有ヲ取得スルニ非ラズシテ自カラ新タニ占有ヲ為スハ其間甚ダ不可思議ナルモノ有ルニ似タリト雖トモ此差異ノ理由ハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ占有ハ已ニ述ベタル如ク二個ノ要素ヨリ成立スルモノナリ其一ハ有形ノモノニシテ有対物ノ所持若クハ権利ノ行使タル處為是ナリ其二ハ無形ノモノニシテ占有スルノ意思是ナリ然ルニ自己ノ占有スルモノヲ譲渡スモノハ同時ニ占有ノ事実ヲ失フト共ニ占有ヲ為スノ意思ヲ失フモノナリ故ニ其占有ハ譲渡ニ因テ全ク消滅スルモノト謂フベシ而シテ買主又ハ受贈者ハ自己ノ為ニ占有スルノ意思ヲ以テ更ニ一個ノ占有ヲ取得シ譲渡人ノ占有ト少シモ関スル所ナシ故ニ其性質及ビ瑕疵ニ至テモ亦譲渡人ノ占有ト関スルコトナク自己ノ為シタル新占有ニ之ヲ定メサル可カラズ
譲渡人ノ占有ハ縦令容假ノモノナリシ時ト雖トモ承継人ノ占有ハ法定ノモノナルコトヲ得ベシ故ニ受寄者又ハ賃借人ガ受寄物又ハ賃借物ヲ他人ニ賣渡シ之ヲ交付シタルトキハ其有シタル容假ノ占有ハ全ク止息シ而シテ譲受人ニ移轉スルコトナシ譲受人ハ新タニ一個ノ占有ヲ始メ而シテ其占有ハ全ク法定ノモノタルベシ何トナレバ譲受人ハ自己ノ為メニ有スルノ意思ヲ以テ占有ヲ取得シタレバナリ又其占有ハ正権原ノ占有タルベシ何トナレバ賣買ハ占有ノ正当ナル原因ニシテ即チ法律ノ所謂正権原ナレバナリ又此場合ニ於テ譲受人自カラ譲渡人ノ権利ノ缺乏ヲ知ラザリシ場合ニ於テハ善意ノ占有者タルコトヲ得ベシ
右ニ掲ゲタル場合ニ反シ原権者ノ占有ガ正権原ノ占有ニシテ而シテ第二ノ占有ガ容假ノ占有ナル場合ニ付テハ特ニ説明ヲ為サザルベシ何トナレバ此場合ニ於テハ法定ノ占有者ガ他人ニ委託シ又ハ賃貸シテ他人ニ容假ノ占有ヲ得セシメタリト雖トモ仍ホ法定ノ占有ハ依然寄託者又ハ賃貸人タル占有者ニ存スルガ故ニ未ダ占有ノ止息若クハ移轉ナルモノ有ラザレバナリ
譲渡人ガ法定ノ占有ヲ有スルモ其占有ガ無権原ノモノナル場合ニ於テ譲受人ノ占有ハ全ク新タナル占有ニシテ正権原ノ占有タルコトヲ得ベシ
又譲渡人ノ占有ガ正権原ヲ有シ而シテ悪意ノモノタル場合ニ於テ譲受人ノ占有ハ之レニ関スルコトナク善意ノモノタルヲ得ベシ何トナレバ譲受人ノ占有ガ善意ノモノタルニハ譲渡人ノ権利ノ缺乏スルコトヲ譲受人ガ知ラサルヲ以テ足レリトスレバナリ
是レト同一ノ理ニ依リ譲渡人ニ於テ善意ナリシ占有ト雖トモ亦譲受人ニ於テ全ク悪意ノモノトナルコトヲ得ベシ
右ニ述ブル如クナルヲ以テ譲受人即チ特定名義ノ承継人ノ地位ハ之ヲ包括名義ノ承継人ノ地位ニ比スルニ時トシテ利益ナルコトアリ又ハ不利益ナルコトアリ一概ニ之ヲ断定スルコトヲ得ズ
然レドモ羅馬法以来特定名義ノ承継人ハ自己ニ利益アル場合ニ於テハ其原権者ノ占有ヲ援用スルコトヲ得ルモノトセリ其理由ヲ考フルニ法定ノ占有ハ單ニ一個ノ事実ニ止マルモノニ非ラズ実ニ法律ノ認メタル一個ノ権利ナリ何トナレバ法定ノ占有ハ法律ニ由テ特ニ利益ヲ付セラレタルノミナラズ仍ホ訴権ヲ以テ之レガ担保ヲ設ケタレバナリ而シテ此権利ハ各人ノ資産ヲ組成スルモノニシテ実ニ融通スルコトヲ得ベキモノナリ従ツテ他ノ財産権ト同ジク凡テ譲渡スコトヲ得ベシ占有已ニ他ノ財産ト同ジク譲渡スコトヲ得ベキモノタル以上ハ譲渡人ニ於テ單ニ占有ノミヲ有シタル場合ニ於テ其権利ヲ買受ケタルモノハ必ズヤ此占有ヲ取得シタリト謂ハサルヲ得ズ然ラバ即チ自己ノ占有ニ合スルニ原権者ノ占有ヲ以テシ自己ノ利ノ為ニ之ヲ援用スルコトヲ得ルハ誠ニ至当ノコトト謂ハサルヲ得ズ
此ヲ以テ譲渡人ノ占有ガ正権原且ツ善意ノモノニシテ譲受人ノ占有モ亦此二個ノ点ニ於テ譲渡ノ性質ヲ有スルトキハ譲受人ハ自己ノ占有ト譲渡人ノ占有トヲ併セテ主張スルコトヲ得ベシ即チ短期時効ノ成就ヲシテ最モ速カナラシムレバナリ
又譲渡人ノ占有ガ無権原ノモノナルカ又ハ正権原アルモ悪意ノモノタル場合ニ於テ譲渡前已ニ廿ヶ年以上経過シ従ツテ仍ホ十ヶ年ヲ経過スルトキハ取得時効成就スベキ場合ニ於テ其占有ヲ譲受ケタルトキハ譲受人ガ自己ノ占有ノ善意ト悪意トニ拘ラズ譲渡人ノ占有ト自己ノ占有トヲ併合シテ其利益ヲ受クベシ何トナレバ譲受人ハ譲渡人ヨリ惟此占有ヲ取得シタルモノナレバナリ而シテ此事タル真正ノ所有者ノ為ニ何等ノ損害ヲモ加フルモノニ非ラズ何トナレバ十ヶ年ヲ経過スルトキハ縦令譲渡ナカリシ時ニ於テモ亦真正ノ所有者ハ均シク回復ノ訴ヲ為スコト能ハサルニ至ルベク敢テ譲渡アリシ為ニ特ニ不利益ヲ受クル所アラザレハナリ
善意ノ譲渡人ノ占有ト悪意ノ譲渡人ノ占有トヲ併合シテ之ヲ主張スルコトヲ得ベシ例令バ譲渡人ガ已ニ拾餘年間占有シ仍ホ一ヶ年ノ占有ヲ以テ短期時効ノ成就ニ至ルベキトキニ於テ之レガ譲渡ヲ為シ而シテ譲受人ハ悪意ノ占有者ナル場合ニ於テハ固ヨリ善意ノ占有ヲ必要トスル短期ノ時効ヲ受クベキニ非ラズ従ッテ一ヶ年ニシテ時効ノ成就ニ至ルベキモノニ非ラズ然レドモ更ニ拾六ヶ年ノ占有ヲ為シタルトキハ譲渡人ノ十餘年ノ占有ト併合シ三拾ヶ年ノ占有ヲ為スガ故ニ占有ヲ必要トセサル普通ノ取得時効ヲ成就スルコトヲ得ベシ
此最後ノ決定ハ固ヨリ疑フベキ所ニアラズ何トナレバ是レ原則ニ合スルモノニシテ且ツ前ニ述ベタルト同一ノ理由ニテ少シモ真正ノ所有者ニ損害ヲ與フル所ナケレバナリ
第三節 占有ノ効力
第百九拾三条
本節ニ於テ立法者ハ占有ニ附着シタル三個ノ利益ヲ明示シ而シテ占有ノ擔保タル占有訴権ノコトヲ規定セリ
占有ニ附着シタル利益ノ第一ハ法律上ノ推定ナリ即チ事実上権利ヲ行使スルモノハ真ニ権利ヲ有スルモノト推定スルコト是ナリ此利益ハ一切ノ占有ニ附着セシメラレタル者ニ非ラズ單ニ法定ノ占有ニノミ之ヲ有セシム蓋シ自然ノ占有者即チ己レノ物トシテ占有スルノ意思ナクシテ或ル権利ノ行使ヲ為スモノハ自カラ権利ヲ有スルノ意思ヲ有セサルモノナリ従ツテ法律上此権利ヲ有スルモノト推定セラレ得ベキニ非ラズ
容假ノ占有者ニ関シテモ右ノ理論ハ愈ヨ明カナルベシ何トナレバ容假ノ占有者ハ他人ノ名義ヲ以テ他人ノ為メニ占有スルモノニ外ナラズ且ツ此場合ニ於テ権利ノ存在ニ付キ法律上ノ推定ヲ受クルモノハ容假ノ占有者ニ非ラズシテ容假ノ占有者ニ因テ法定ノ占有者ヲ為スモノニ有レバナリ
法律上ノ推定ヨリ生スル自然ニシテ且ツ必要ノ結果ハ法律ニ於テ明示セズ一ニ解釋者ノ注意ニ放任スルコト又為シ得ベカラサルニ非ラズ然レドモ此ノ如クナルトキハ單ニ学説ニ止マリ其実用大ナラザランコトヲ惧ルルガ故ニ本法ニ於テハ明文ヲ以テ特ニ此結果ヲ規定セリ
占有者ハ総テ訴訟ニ於イテ被告ノ地位ニ立ツノ利益ヲ有スルモノナリ而シテ此利益ハ実ニ著シキモノナリトス蓋シ訴訟ニ於テ被告ト為ルモノハ自カラ進ンデ自己ノ権利ヲ證明スルコトヲ要セズ原告ヨリ提出シタル證據ヲ争ヒ之ヲ打破ルヲ以テ足レリトス而シテ原告及ヒ被告共ニ自己ノ権利ヲ證明スルコト能ハサル場合ニ於テハ占有者ハ原告ノ請求ヲ排斥セシメテ訴訟ノ勝利ヲ得ベシ是レ即チ被告ノ地位ニ附着シタル利益ナリトス
明文ニ於テハ占有者カ被告タルノ利益ヲ有スルハ單ニ本権訴権ニ止マルコトヲ規定セリ何トナレハ占有訴権ニ関シテハ後ニ至テ之ヲ看ルガ如ク占有者ハ必スシモ被告タルモノニ非ラズ事情ニ従ヒ時トシテ自カラ原告ト為ツテ占有訴権ヲ提起スルコト有ルベシ
最後ニ注意スベキコト有リ明文ニモ掲ケタル如ク占有者ノ利益ニ於テ立法者カ設ケタル法律上ノ推定ハ完全ナルモノニ非ラス之ヲ詳言スレバ他ノ證據ヲ以テ打破ルコト能ハサル推定ニ非ラズ即チ軽易ナル推定ナリ故ニ此推定ニ對シテハ反對ノ證據ヲ提出スルコトヲ得ベシ而シテ其證據ハ或ハ證書タルコトヲ得ベク又ハ證人タルコトヲ得ベク凡テ一切ノ證據方法ヲ用フルコトヲ得ベシ加之ナラス此ノ如ク反證ヲ許スガ故ニ占有者ニ對シテ訴訟ヲ起スコトヲ得ベシ若シ之ヲ許スコトナキトキハ占有者ハ直チニ権利ノ推定ヲ受ケ而シテ此推定ハ破ルコト能ハサルモノナル時ハ何人ト雖トモ之レニ對シテ争ヒヲ為スコトヲ得ス是レ実ニ道理ト正義トニ反スルモノト謂ハサル可カラズ
第百九拾四条
占有者ガ善意ナル場合ニ於テ是レニ特別ノ利益ヲ得セシムルコトハ遠ク羅馬法ニ其源ヲ発スルモノナリ然レドモ当初ニ於テハ未ダ善意ノ占有者ノ特有スル利益ニ付イテ充分ノ理由ヲ附スルコト能ハザリシナリ
一派ノ學者ノ論ゼシ所ニ仍レバ占有者ヲシテ果実ヲ取得セシムルハ占有シタル物権ニ加ヘタル注意及ビ耕作ノ費用ト労力トヲ償フガ為メナリト然レドモ此理由ハ二個ノ点ヨリシテ甚ダ不完全ナルモノト謂ハサルヲ得ズ第一果実ハ必ズシモ占有者ノ耕作ト注意トニ依テ生スルモノニ非ラズ例令バ樹林ノ採伐ヲ為シ又ハ原野ノ木草ヲ苅取ル如ク其採取ノ為ニ多少ノ労力ヲ要スルモ之ヲ生セシムル為ニハ耕作ヲ要セス又何等ノ注意ヲ要セス即チ自然ニシテ発生スル果実ナリトス故ニ此ノ如キ種類ノ果実ハ之ヲ天然ノ果実ト称セリ蓋シ人ノ労力ヲ主要ナル原因トシテ発生スル人工上ノ果実ニ對シテ此名称ヲ附シタルモノナリ然ルニ占有ノ場合ニ於テ善意ノ利益トシテ果実ヲ取得スルハ單ニ人工上ノ果実ノミニ止マラズ何等ノ耕作ヲモ用ヰサル天然ノ果実モ亦占有者ニ属スルモノトスルニ至レリ是レ右ニ掲ゲタル理由ノ不完全ナル第一点ナリ第二若シ果実ノ取得ハ注意ト耕作ノ報酬ナリトセバ縦令占有者ガ悪意ナル場合ト雖トモ仍ホ均シク之ヲ取得セシメザル可カラズ何トナレバ善意ナルモノ独リ注意ト耕作トヲ為シ悪意ナルモノ決シテ然ラズト云フノ理ナク此点ニ於テハ更ニ善意ト悪意トノ間ニ区別ヲ為スベキ所アラサレバナリ
他ノ学者ノ説ケル所ニ據レバ曰ク善意ノ占有者ハ其占有セルモノヨリ生シタル果実ニ関シテハ殆ンド真正ナル所有者ノ如シト此理由ハ実ニ薄弱ナルモノナリ何トナレハ此理由ノ至当ナルコトヲ解セシムルニハ更ニ他ノ理由ヲ以テ充分ノ説明ヲ為サザル可カラサレバナリ要スルニ占有者ガ果実ヲ取得スル権利アルハ全ク占有者ハ所有者ト同一視セラル可キモノナルニ由ルト云フニアリ然レドモ果シテ占有者ガ所有者ト同一視セラル可キモノナルヤ否ヤハ今一個ノ問題タル所ノコトナリトス
羅馬法ニ於ケル決定ノ至当ニシテ今日ト雖トモ仍ホ之ヲ採用スヘキ真正ノ理由ハ右ニ述ブル所ノ如クナラズシテ却テ他ニ存ス即チ善意ノ占有者ハ自カラ信ジテ真正ニ権利ヲ有スルモノト為スガ故ニ実際ニ於テハ屢々已ニ採収シタル果実ヲ消費若クハ處分シタルコト有ルベク又縦令未ダ之ヲ消費スルコトナクシテ保存シタリトスルモ仍ホ已ニ此果実ヲ有スルガ為メニ其價額ヲ以テ他日支弁スヘキ義務ヲ合意シタル如キ場合アルベシ之ヲ要スルニ羅馬ノ法学者ガ右ニ掲グル所ト相類シタル場合ニ於テ言ヘル如ク善意ノ占有者ハ自己ノ財産増加シタル為ニ其生活モ亦従前ニ比スレバ自カラ程度ヲ高メタルモノナリ此ノ如キ場合ニ於テ若シ其採収シタル果実ハ凡テ真正ノ所有者ニ返還セサル可カラズトセハ是レガ為メニ占有者ハ全ク其産ヲ傾クルニ至ルベシ固ヨリ占有者ガ当初占有ヲ取得スルニ当リ何等ノ不注意ナシト謂フコトヲ得ズ何トナレバ真正ノ所有者ヨリ譲受ケズシテ他人ヨリ之ヲ譲受ケタルモノナレバナリ然レドモ真正ノ所有者モ亦他人ガ占有ヲ為セルニ関ラズ自カラ権利者ナルコトヲ知ラシムルコト莫クシテ時日ヲ経過セシメタルハ占有者ノ不注意ニ比シテ猶ホ一層大ナル不注意ヲ為シタルモノト謂ハサルヲ得ズ何トナレハ占有者ノ不注意ハ当初占有ヲ取得シタル一時ニ止マルモ真正ナル権利者ノ不注意ハ常ニ継続シタルモノ為レバナリ
此真正ノ理由ハ前ニ掲ケタル二個ノ非難ヲ受クルモノニ非ラズ蓋シ第一ニ於テ此理由ハ天然ノ果実ト人工上ノ果実トヲ区別スルコトナク均シク之ヲ善意ノ占有者ニ取得セシムルノ理ヲ明カニスルニ足ル又第二ニ於テ独リ善意ノ占有者ニノミ適用ス可クシテ悪意ノ占有者ニ之ヲ適用スルコトヲ得ズ且ツ何等ノ説明ヲ附セズシテ單ニ問題ヲ以テ問題ヲ決スルモノニモ非ラザルナリ
用益者ガ果実ヲ取得スルニ当ツテハ單ニ其果実ガ土地ヨリ離レタルヲ以テ足レリト為ス然ルニ本条ニ従ヘバ善意ノ占有者ガ占有シタルモノヨリ生スル果実ヲ取得スルニハ此ノ如ク其果実ト果実ヲ生ジタルモノト離レタルノミヲ以テ足レリトセス必ズ占有者自カラ此果実ヲ採取スルカ又ハ占有者ノ名義ヲ以テ他人ヲシテ採収セシメタルカ二者必ス其一ニ居ラサル可カラス此ノ如ク用益権ノ場合ト占有トノ間ニ区別ヲ設ケタル理由ハ一ナラズ用益者ハ完全ナル権限ニ基キテ果実ヲ取得スルモノニシテ即チ純然タル一個ノ権利ニ基クモノナリ故ニ用益者ガ果実ヲ取得スルニハ其果実ガ用益物ト区分シテ存在スルノミヲ以テ足レリト為ス用益者ガ特ニ自カラ採取ノ所為ヲ為スコトヲ要スルノ理由アラサルナリ
是レニ反シテ善意ノ占有者ハ元来占有者ヲシテ真正ノ権利ヲ得セシメ得ベキモノト合意ヲ為シテ物ノ占有ヲ得タルニ非ラズ従ツテ其契約ニ依リ果実ヲ取得スル法律上ノ権限ヲ有スルモノニ非ラズ此ノ如クナルガ故ニ占有者ガ果実ヲ取得スルハ実ニ法律ノ恩恵ニ依ルモノナリトス而シテ立法者カ此恩恵ヲ與フルニ当リ占有者ガ自カラ果実ノ採収ヲ為シタルコトヲ以テ必要ナル條件ト定メタルハ実ニ其当ヲ得タルモノトス何トナレバ占有者自カラ此處為ヲ為シテ而シテ後初メテ法律ノ保護ヲ受クルノ價値アルベシ若シ此場合ニ於テ悉ク其果実ヲ返還スルコト必要ナリトセハ占有者ハ全ク其資産ヲ失フニ至ル可ケレバナリ
然レトモ法定ノ果実ニ関シテハ立法者ハ善意ノ占有者ヲ以テ殆ンド用益者ト同一ノ地位ニ立タシメタリ即チ占有者モ亦日毎ニ之ヲ取得スルモノトス故ニ事実上其果実ヲ採収スルニ先ッテ之ヲ取得スルコトヲ得ベシ
若シ善意ノ占有者ガ法定ノ果実ヲ取得スルニ関シテモ右ニ掲クル如ク用益者ト同一ノ規定ニ従ハズシテ常ニ天然ノ果実ト同一ノ方法ニ依リ占有者カ之ヲ採取シタルコトヲ要スルモノトセバ占有者ノ権利ハ実ニ自然ノ法則ニ因ッテ消長スルニモ非ラズ又自己ノ注意如何ニ因ツテ利害ヲ受クルニ非ラズ一ニ第三者ノ正直ト否トニ依ッテ果実ヲ取得スルト然ラサルトノ区別ヲ生スルニ至ルベシ即チ法定果実ノ債務者カ善意ノ占有者ノ取得ヲ妨ケ若クハ遲延セシムル為メ其弁済ヲ為スコトヲ拒ミ又ハ之ヲ遲延シタルトキハ遂ニ占有者ニ於テ果実ヲ取得スルコト能ハサルベシ縦令此ノ如キ場合ニ於テ占有者ハ債務者ニ對シ訴ヲ起シ且ツ判決ヲ受ケタリトスルモ未タ債務者ヨリ其弁済ヲ受ケサルニ先ダツテ真正ナル所有者ヨリ回復ノ訴起リタルトキハ遂ニ得ル所ナカルベシ此ノ如クナルハ之ヲ道理ニ照ラシ之ヲ公義ニ鑑ミテ其当ヲ得タルモノト謂フ可カラズ此故ニ法定ノ果実ニ関シテハ用益者ニ付イテ此決定ヲ採用セサリシト同一ノ理由ニ基キ善意ノ占有者ニ関シテモ亦之ヲ退ケタリ
本条第二項ノ明文ハ一個ノ新タナル決定ヲ為シタルモノニシテ此決定ハ已ニ第百八拾二条ノ下ニ於テ一言シタル所ナリ占有者ニシテ正権原ヲ有シ且ツ善意ナル場合ニ於テハ前ニ述ベタル如ク善意ノ占有者ニ附着シタル利益トシテ果実ヲ取得スベシ是レニ反シテ正権原ノ有無ニ関ハラズ悪意ナル場合ニ於テハ後ニ掲グル如ク占有者ハ果実ヲ取得スルコト能ハズ然ルニ実際ニ於テ此善意ノ占有者ト悪意ノ占有者トノ中間ニ置クヘキ一種ノ事情存在スル占有者アリ立法者ハ本条第二項ニ於テ実ニ此占有者ノ為メニ一個ノ規定ヲ設ケタルモノナリ
占有者ガ縦令第三者ヨリシテ一個ノ権利ヲ取得スベキ性質ノ権限ヲ得タルコトナシト雖トモ実際ニ於テ自カラ所有権ヲ有シ又ハ其他ノ権利ヲ有スルモノト確信シテ之レガ行使ヲ為シタル場合ニ於テハ何人ト雖トモ此占有者ヲ目シテ悪意ナリト謂フコト能ハサルベシ蓋シ此占有者ガ正直ノモノナルコトハ疑ヒナク従ツテ多少ノ斟酌ヲ受クベキモノナルコト明カナリ然リト雖トモ此占有者タルヤ單ニ自カラ権利ヲ有スルモノト確信スルニ止マリ何等ノ正権原ヲモ有セサルモノナルガ故ニ正権原ヲ有スル善意ノ占有者ト同一ノ利益ヲ之レニ與フ可カラザルコト又勿論ナリトス
先ツ如何ナル場合ニ於テ占有者ガ正権原ヲ有スルコトナクシテ善意ナルコト有ルベキヤヲ示スベシ最モ普通ナル場合ハ一人ガ正当相続人ナリト信シテ他人ノ相続財産ヲ占有シ而シテ実際他ニ一層親統近キ血族ノ存シタル場合又ハ死者ノ遺言ニ依テ其財産ヲ他人ニ遺贈シタル場合ノ如キ是レナリトス又相続ノ場合ニ於テ真正ナル相続人ガ相続財産ナリト信ジテ占有シタルニ実際相続ニ属セズ全ク他人ノ所有ニ属スル不動産ナリシ如キ場合是ナリ凡テ右ニ掲クル場合ハ事実上ノ錯誤ニ基クモノニシテ法律上ノ錯誤ニ基クモノニ非ラズ法律ノ錯誤ニ因テモ仍ホ正権原ナキ善意ノ占有者ヲ生ゼシムルニ至ルコト有ルベシ即チ当初容假ノ占有ヲ有シタルモノガ第百八十五条ニ掲ケタル二個ノ方法ニ依ルコトナク他ノ原因ニ依ツテ其性質ヲ変ジ全ク容假ノ占有ガ法定ノ占有ト為リタルコトヲ信ジタル如キ即チ是レナリ
以上ニ掲グル如ク占有者ハ其性質上善意ノ占有者ト悪意ノ占有者ノ中間ニ立ツヲ以テ其利益ニ付イテモ亦両者ノ中間ニ在ラシメザル可カラス
短期ノ取得時効ニ付テハ勿論此種類ノ占有者ニ利益ヲ與へサルヲ以テ正当ナリトス何トナレバ單ニ善意ヲ有スルニ止マリテ正権原ヲ有スルコトナク縦令錯誤ニ依ツテ確信シタリトスルモ是レガ為ニ正権原ヲ要セサルノ理由ナケレバナリ
果実ニ関シテハ先ツ正権原ニシテ且ツ善意ノ占有者ニハ何故ニ法律ガ果実ヲ取得セシムルヤヲ考フルコトヲ要ス已ニ述ベタル如ク正権原ヲ有シ且ツ善意ナル占有者ハ之ヲ真正ナル所有者ニ比スレバ不注意ノ責ム可キモノ甚ダ尠ナク而シテ其利益ヲ所有者ノ利益ニ比シテ甚ダ法律ノ保護ヲ受クベキ事情存スルニ依テ果実ヲ取得セシメタルモノナリ然レドモ此ノ如キ理由ハ正権原ナクシテ單ニ錯誤ヲ為シタル占有者ニ適用スルコトヲ得ス例令バ自カラ相続人タラサルニ誤ツテ相続人ナリト信ジタルガ如キ又ハ他人ニ属シタル財産ヲ以テ相続財産ナリト誤信シタルガ如キ凡テ多少ノ不注意ヲ免カレサルモノナリ然ルニ自カラ信ジタルノ一事ニ依リテ真正ノ所有者ノ損害ヲ顧ミズ専ラ占有者ヲシテ果実ヲ取得セシムルハ道理ト公義トニ反シタルモノト謂ハサルヲ得ス
其理右ニ述ブル如クナルガ故ニ若シ真正ノ所有者ヨリ此種類ノ占有者ニ對シ財産ノ回復ヲ請求シタル当時占有者仍ホ果実ノ全部若クハ一部ヲ保存シタル場合ニ於テ自己ノ錯誤ヲ理由トシテ此現存ノ果実ヲ自己ノ手ニ止メントスルハ不当ノ最モ甚ダシキモノナリ
此ノ如キ場合ニ於テハ実ニ占有者ハ何等ノ正当ナル原因ナクシテ他人ノ財産ニ依リ不当ノ利得ヲ得ルモノナリ若シ占有者ガ已ニ此果実ヲ消費シタリトスルモ其消費ノ方法ハ占有者ヲシテ利得ヲ得セシム可キ性質ノモノナル故ニ例令バ占有者カ其果実ヲ賣却シ而シテ其代價ハ未タ買主ヨリ弁済ヲ受ケズ又ハ弁済ヲ受ケタルモ其金員ハ未ダ消費セズ或ハ其果実ハ米穀又ハ薪等ノ如ク必要ナル日用品ニシテ占有者及ヒ其家族ノ為メニ消費シタル如キ場合ニ於テハ右ニ掲グル所ト同一ノ理由ニ依リ占有者ハ正当ニ其果実ヲ取得スルコト能ハサル可シ蓋シ此場合ニ於テハ占有者ハ自己ノ金銭ヲ使用スルコトナク他人ノ財産ヲ使用シ依テ不当ノ利得ヲ得タルモノナレバナリ
然レドモ或ル特別ノ場合ニ於テハ仍ホ此占有者ノ事情ヲ斟酌シ其責任ヲ軽カラシムルヲ以テ正義ニ合シタルモノト為ス縦令此種類ノ占有者ハ正権原ニ基ケル占有者ノ如ク純然タル善意ト善意ニ非ラサルモ仍ホ正直ナル占有者ト謂フコトヲ得ベシ且ツ一方ニ於テハ真正ナル所有者ガ多少ノ不注意ヲ為シタルガ為メニ占有者ヲシテ錯誤ヲ容易ナラシメタルノミナラズ仍ホ久シク其錯誤ナルコトヲ知ル能ハサラシメタルモノ為ルガ故ニ一朝悉ク果実ヲ返却セシメ、現物ニ於テモ相当ノ價額ニ於テモ已ニ存在セサル果実ニ至ルマデ凡テ真正ノ所有者ニ帰セシムル如キハ占有者ヲシテ遂ニ其産ヲ失フニ至ラシムルモノニシテ是レ又其当ヲ得タルモノト謂フ可カラス此ニ於テカ立法者ハ其中ヲ執リ縦令正権原ヲ有セサルモ善意ナル占有者ハ占有物ヨリ生ジタル果実ニシテ占有者ガ現ニ之ヲ有セズ且ツ何等ノ利益ヲモ得ザリシ部分ニ付テハ真正ノ所有者ニ對シ償還ノ義務ナキモノト決定セリ
是レト同時ニ法律ハ證據提出ノ責任ニ関スル問題ヲ決セリ即チ占有物ヨリ生シタル果実ニ付キ占有者ガ不当ノ利益ヲ得タルコトハ之ヲ回復セントスル占有者ヨリシテ之ヲ證明スルコトヲ要セズ故ニ真正ノ所有者ハ惟占有者ガ果実ヲ採取シタルコトヲ證明スルヲ以テ足レリトス可シ加之ナラズ占有物ヨリ生スル普通ノ果実ニ至テハ占有者之ヲ採取シタルコト縦令法律上ノ推定存セサルモ所謂事実上ノ推定ヲ以テ之ヲ證シ得ベキナリ已ニ此事実ニシテ證明セラレタルトキハ占有者ニ於テ自己ノ義務ヲ免カルルニハ自カラ果実ノ採取ヲ為サザリシコト又ハ採取ヲ為シタルモ其数甚ダ寡ナキコトヲ證スルカ或ハ採取シタル後其果実ヲ滅失シ或ハ何等ノ利益ヲ得ルコトナクシテ其全部若クハ一部ヲ他人ニ贈與シ又ハ消費シタルコトヲ證明セサル可カラス若シ此證明ヲ為サザルトキハ縦令真正ノ所有者ハ占有者ニ於テ不当ノ利益ヲ得タルコトノ證明ヲ為サザルトキト雖トモ之レガ償還ノ義務ハ占有者ガ免カルル能ハサル所ナリ
右ニ述ブル所ノ如クニシテ始メテ二個ノ反對シタル利益及ビ法律ト道義ノ原則ハ全ク調和セラレタリト謂フベシ
本条末項ニ規定スル所ハ当初善意ナル占有者ガ或ル原因ニ依テ他日善意ナラサルニ至リシ場合ナリ即チ権原ノ瑕疵ヲ知ラサリシ占有者ガ後ニ至リテ自己ノ行使スル権利ノ己レニ属セサルコトヲ知リタル場合ナリトス
善意ノ占有者カ自カラ行使スル権利ノ自己ニ属セサルコトヲ確知シタルトキハ将来ニ向ツテ善意ノ利益ヲ失ヒ即チ其時ヨリシテ果実ヲ取得スルコト能ハサルモノナリ然レドモ其以前ノ果実ニ関シテハ前ニ掲ゲタル区別ニ従ツテ依然占有者ノ有ニ帰スベキモノナリ例令バ正当ノ所有者ノ回復ガ占有者ノ善意ノ止息シタル後ニ至リ始メテ行使セラレタル場合ニ於テモ亦然リト為ス
此点ニ関シテハ果実ノ取得ニ付イテ必要ナル善意ト権利ノ取得時効ノ為ニ必要ナル善意トノ間ニ判然タル区別ヲ設クル為メ法律ニ於テ特ニ之ヲ示スコトヲ必要トナス取得時効ノ点ニ於テハ当初正権原ニシテ且ツ善意ナリシ占有ハ後ニ至リテ縦令悪意ノ占有ニ変スルモ是レガ為ニ占有者ノ性質ヲ変スルモノニ非ラズ此事ニ関シテハ時効ノ事ヲ説クニ当ツテ猶ホ説明ヲ與フベシ
普通ニ説ク所ニ仍レバ裁判所ニ提出シタル請求ハ被告タル占有者ヲシテ善意ノモノト雖トモ猶ホ悪意ノモノタラシムルノ効力ヲ有スルモノナリト此説タル決シテ其当ヲ得タルモノニ非ラス故ニ法文ニ於テハ勤メテ其誤解ヲ避ケタリ蓋シ善意ノ占有者ハ時トシテ自カラ信ズルコト甚ダ深ク縦令他人ヨリシテ訴ヲ受クルコト有ルモ之レガ為ニ従来ノ確信ヲ変セズ依然トシテ自カラ権利者ナリト思フコト有ルベシ然レドモ真正ノ所有者又ハ他ノ真正ナル権利者ヨリ占有者ニ對シテ訴ヲ起シタリトスルモ此訴訟ハ直チニ其終局ニ至ルモノニ非ラス而シテ此短カカラザル時間ノ間占有者ハ單ニ自カラ信スルノ一事ニ基キ何等ノ請求ヲ受クルモ依然トシテ果実ヲ取得スルコトハ是レ亦其当ヲ得タルモノト謂フ可カラス此ヲ以テ立法者ハ一方ニ於テ占有者ヲシテ善意ノ利益ヲ失ハシムルモ未ダ直チニ悪意ノ占有者ナリトセズ且ツ此ノ如クナルニハ占有者ニ對スル請求ガ終局ニ於テ正当ノモノト確定ノ判決ヲ受ケタルコトヲ以テ必要ノ条件ト為セリ而シテ此条件タルヤ必ズシモ法律ノ明文ヲ俟テ始メテ生スルモノニ非ラサルナリ何トナレバ縦令一旦回復ノ訴ヲ受クルモ其請求ニシテ棄却セラレタル場合ニ於テハ占有者ノ善意ハ其全力ヲ回復シ一時訴訟ヲ受ケタルカ為メニ何等ノ傷ケラルル所アル可カラサレバナリ
第百九十五条
道理上ヨリ嚴正ニ之ヲ論スルトキハ悪意ノ占有者ハ真正ノ権利者ヨリシテ何等ノ請求ナキトキト雖トモ已ニ自己ニ属スルモノニ非ラザルコトヲ知レルガ故ニ進ンデ之ヲ返還スルヲ以テ当然ト為ス然レドモ或ハ真正ナル権利者ノ何人タルヤ判断セザルガ為メ又ハ自カラ正直ナラザルカ為ニ占有物ヲ返還セサルコト有ルベシ此場合ニ於テハ真正ノ権利者ヲ害シテ自カラ不当ノ利益ヲ得ベキモノニ非ラズ且ツ若シ此占有ニ依テ真正ノ権利者ニ損害ヲ加ヘタル場合ニ於テハ自カラ之レガ賠償ノ責ニ任セサル可カラス悪意ノ占有ノ場合ニ於テハ善意ノ占有ノ場合ノ如ク占有者ヲシテ一切ノ果実ヲ返還セシムルハ之レヲシテ其資産ヲ破ラシムル者ナリト謂フコトヲ得ズ何トナレバ已ニ述ブル如ク悪意ノ占有者ハ其占有スル所ノ物全ク他人ニ属スルコトヲ知ルガ故ニ果実ハ是ヲ償還スベキコト当初ヨリ期スル處従ッテ之ヲ消費セズ又他人ニ譲渡スコトナキヲ要ス故ニ自カラ利得ヲ為サザル場合ニ於テモ之レガ為ニ生活ノ度ヲ高メタルハ其過失ト謂ハザルヲ得ズ若シ占有者ニシテ果実ヲ採収ス可キトキニ当リ其全部若クハ一部ニ付イテ採収ヲ怠タリ又ハ採集シタル後保存ノ注意ヲ怠リタルガ為ニ果実ヲシテ滅失セシメタル如キ場合ニ於テハ真正ノ所有者ニ對シテ其責ヲ免カルルコト能ハス
占有者ガ他人ノ財産ニ依テ不当ノ利得ヲ受ク可カラザルト同一ノ理由ニ依リ真正ノ所有者モ亦悪意ノ占有者ヲ害シテ不当ノ利益ヲ得ベキモノニ非ラズ然ルニ所有者ガ果実ノ回復ヲ為スニ当リ占有者ニ對シテ何等ノ償還ヲ為サザルトキハ所有者ハ占有者ノ財産ニ依テ自カラ冨ヲ得タルモノト謂ハサルヲ得ズ何トナレバ耕作収穫ノ費用果実保存ノ費用果実ヲ以テ負担スベキ租税其他ノ公課ノ如キ占有者ガ支弁シタル所ノモノ有ルベシ此ノ如キ費用ハ所有者自カラ果実ヲ採収スル場合ニ於テモ亦免カルル能ハサル所故ニ占有者之レガ立替ヲ為シタル場合ニ於テ所有者ハ占有者ニ對シテ其償還ヲ為ス可キコト勿論ナリ本条第二項ニ於テ決定スル所ハ実ニ此点ニ在リトス
是ヨリシテ説明スベキ所ハ強暴又ハ隠密ノ瑕疵アル占有ノ場合ニ於テハ果実ノ点ニ付テ如何ナル處分ヲ為ス可キヤヲ明カニスルニ在リ已ニ述ベタル如ク此ノ如キ瑕疵アル占有ハ縦令正権原ヲ有スルトキト雖トモ仍ホ時効ヲ成就セシムルモノニ非ラズ又常ニ善意ト両立スルコト能ハサルハ前段ニ於テ説明シタル所ナリ
暴行ニ由テ占有ヲ取得シ又ハ是ヲ維持シ若クハ占有ヲ隠匿シタル悪意ノ占有者ハ果実ニ付テ何等ノ権利ヲモ有セザルコト固ヨリ辯ヲ竢タズ何トナレバ已ニ悪意ノ一事ニ因テ此等ノ権利ヲ失ハシムルニ足レバナリ然レドモ正権原ト善意トヲ有シ而シテ占有ヲ維持スル為ニ脅迫ヲ行ヒ或ハ第三者及ビ特ニ真正ノ所有者ニ對シテ占有ヲ隠匿シタル占有者ニ付テハ如何ナル決定ヲ為ス可キヤ此問題ハ特ニ之レガ研究ヲ為スノ價値アルモノニシテ法律ヲ以テ次ノ理由ニ依リ占有者ノ不利益ニ於テ決定ヲ為セリ強暴ノ占有者又ハ隠匿ヲ為セル占有者ハ善意ノ占有者ニ比シテ更ニ保護ヲ受ク可キモノニ非ラズ或ハ悪意ノ占有者ヨリモ一層保護ス可カラサルモノナリト謂フヲ得ベシ何トナレハ真正ノ所有者ノ回復ニ對シテ一層大ナル妨害ヲ為スモノナレバナリ故ニ此ノ如キ占有者ハ何等ノ果実ト雖トモ之ヲ取得スルコトヲ得ズ凡テ悪意ノ占有者ト均シク償還ノ義務ヲ負ハザル可カラズ縦令何等ノ利益ヲ受クルコトナクシテ滅失セシメタル果実又ハ当初ヨリ採収ヲ怠タリシ果実ニ至テモ皆然リト為ス以上述ブル所ノ如クナルニ依リ強暴若クハ隠密ノ占有ヲ有スルモノハ單ニ所有権ノ推定ノ利益ヲ受ケ従テ回収ノ占有訴権ノ場合及ビ本権訴権ノ場合ニ於テ被告タルノ利益ヲ有スルノミナリ
第百九十六条
本条ノ規定ハ前条第二ノ規定ト同ジク何人ト雖トモ権利ヲ有スルコトナクシテ他人ノ利益ヲ害シ自カラ利益得ヲ受ク可カラズト謂ヘル原則ヲ確認シタルモノナリ惟本条ノ前条ト異ナル所ハ前条ニ在テハ果実ノ為ニ費ヤシタル費用ニ関シ本条ニ於テハ占有ノ目的タルモノニ関スル費用ナリトス
凡テ物ニ付テ為シ得ベキ費用ハ之ヲ分テ三種トス第一必要ノ費用第二有益ノ費用第三奢靡ノ費用是ナリ必要ノ費用トハ本条ニ所謂物ノ保存ノ為メノ費用ニシテ物ヲ保存スルハ何人ノ手ニ在ルモ必要ノ處為ニ属スルモノナリ故ニ保存ノ為メノ費用ヲ名ケテ必要ノ費用ト謂フ有益ノ費用トハ必要ナラザルモ仍ホ利益ヲ生ズ可キガ故ニ此名称ヲ附シタルモノナリ本条ノ物ノ増價ノ為メノ費用即チ是ナリ奢靡ノ費用トハ固ヨリ必要ナラズ又是レガ為ニ物ノ價格ヲ増加セシメズ或ハ單ニ娯楽ノ為ニ費ヤシタルガ如キ費用ヲ指スモノナリ占有者ガ其占有物ニ費ヤシタル費用ノ中單ニ娯楽ノ為ニ供シタルモノニシテ回復者ノ為ニ何等ノ利益ヲモ得セシメザルモノハ回復者ニ對シテ償還ヲ求ムルコトヲ得ズ第三種ノ費用即チ是ナリ
是ニ反シテ有益ノ費用ハ占有ノ目的タルモノニ多少ノ増價ヲ與へタル者ナルガ故ニ回復者ニ於テモ亦因テ多少ノ利益ヲ受クルモノナリ故ニ之レガ償還ヲ受クルコトヲ得ベク必要ノ費用ニ至テモ若シ占有者ニ於テ保存ヲ為サザル場合ニ於テハ回復者ニ於テ自カラ保存ヲ為シタル可キコト勿論ナルガ故ニ其費用ハ占有者ニ對シテ之ヲ償還セザル可カラズ
此ノ如ク費用ノ種類ヲ分ツテ三個ト為スコトハ遠ク羅馬法ニ発スルモノニシテ今日ニ於テモ仍ホ其当ヲ得タルモノト謂ハザルヲ得ズ故ニ近世諸國ノ法律ニ於テモ仍ホ此区別ヲ採用セリ
本法中ニ於テモ惟リ本条ノミナラズ仍ホ屡々此区別ヲ看ルコト有ルベシ
第百九拾七条
已ニ第二条ニ於イテ掲ゲタル如ク留置権ハ債権ノ擔保タル一個ノ物権ナリ留置権ハ質権ト甚タ相類シタリト雖トモ其実全ク同一ナルモノニ非ラズ留置権ハ債権者ヲシテ留置権ノ目的タルモノヲ占有シ其物ニ付テ生シタル債務ノ弁済ヲ受クルマデ之ヲ返還セサルコトヲ得セシムルモノナリ
此ノ如ク担保タル物権ヲ債権者ニ占有セシムルモノナルガ故ニ一見シテ甚ダ質権ト相類スルガ如シト雖トモ其実決シテ然ラズ蓋シ留置権ハ質権ノ場合ノ如ク債権者ヲシテ其占有スル物権ヲ賣却セシメ其代金ニ付テ他ノ債権者ニ先ダチ優先権ヲ以テ弁済ヲ受クルノ権利ヲ得セシムルモノニ非ラズ單ニ留置シタル物権ヨリ果実ヲ生シタル場合ニ於テハ此果実ニ付テ先取特権ヲ以テ債権ノ利息及ビ元本ニ充当スルノ権利ヲ有スルニ止マル此故ニ留置権ハ果実ノ充当ニ因テ完全ノ弁済ヲ永遠ニ期スルカ然ラサレバ真正ノ所有者モ又ハ其債権者等ガ留置セラレタル物ノ自由ナル處分ヲ回復スル為ニ弁済ヲ為スコトヲ竢ツニ非ラザレハ充分ニ其目的ヲ達スルコト能ハズ然レトモ債務者ハ必ズヤ物ヲ回復スルノ利益アルガ為ニ早晩留置権ヲ有スルモノニ債務ノ弁済ヲ為スニ至ルベシ
右ニ述ブル所ノ如クナルヲ以テ留置権ヲ有スル者ノ占有ハ其従来ノ占有ト同一ノ性質ヲ有スルモノニ非ラズ何トナレバ従来ノ占有者ハ法定ノモノナリシモ其後ノ占有者ハ全ク容假ノモノニ過キサルナリ
留置権ノコトハ債権担保編ニ於テ其詳細ノ説明ヲ為スベシ
立法者ハ本条ニ於テ又善意ノ占有者ト悪意ノ占有者トノ間ニ一個ノ差異ヲ設ケタリ然レドモ此差異ハ特ニ説明ヲ竢タズシテ容易ニ解スルコトヲ得ベシ即チ悪意ノ占有者ハ善意ノ占有者ト同ジク必要ノ費用及ビ有益ノ費用ニ付テ真正ノ所有者ニ償還ヲ求ムルノ権利ヲ有スレドモ其債権ノ擔保トシテ留置権ヲ有スルハ單ニ必要ノ費用ニ関シテ然ルノミ故ニ有益ノ費用ノ償還ヲ求ムル為メニハ占有シタル物権ヲ留置スルコト能ハズ
第百九拾八条
占有者ガ建物ヲ取壊シ又ハ定期ノ採伐ヲ為ス可カラサル樹木ヲ採伐シ或ハ其以前ニ於テ未タ採掘セズ従ツテ其産出物ハ未タ果実ノ性質ヲ有セザル石坑ヲ採掘シタル如キ場合アルベシ此時ニ於テ占有者ハ所有者ニ對シ損害ノ賠償ヲ為スコト至当ナリトス然レトモ此点ニ於テハ善意ノ占有者ト悪意ノ占有者トノ間ニ一個ノ新タナル差異アルヲ看ルベシ
悪意ノ占有者ハ此ノ如キ場合ニ於テ自己ノ過失ヨリ生スル義務ヲ有スルモノナリ即チ其為シタル民事上ノ犯罪又或ル場合ニ於テハ刑事上ノ犯罪ヨリ生スル責任ヲ負ハサルヲ得ズ之レニ反シテ善意ノ占有者ハ常ニ不当ノ利得ニ基ク義務ヲ有スルニ止マル此ニ於テ善意ノ占有者ノ義務ト悪意ノ占有者ノ義務トハ法文ニ於テ明定スル如ク廣狭ノ差異アルモノナリ蓋シ善意ノ占有者ニ於テハ元来自己ノ物ナリト信シ之ヲ使用シ若クハ濫用シタルモノナルガ故ニ未ダ之レヲシテ不注意若クハ収益ノ濫妄ヲ為シタリトノ過失ノ責任ヲ負ハシム可キニ非ラサルナリ
且ツ此ノ如キ場合ニ於テハ善意ノ占有者ガ單ニ自己ノ物ナリト確信シタルニ止マルヤ或ハ正権原ヲ有シタルヤヲ区別スルノ必要アラズ惟占有者ガ正直ナリシヤ将タ不正直ナリシヤヲ区別スルヲ以テ足レリト為ス
時効即チ所有権ノ取得ノ完全ナル推定ハ占有ノ効力中尤モ大ナルモノナルコトハ已ニ之ヲ述ベタリ然レドモ時効ノ事タルヤ今詳細ノ説明ヲ為サズ何トナレバ法律ノ定メタル證據ノ方法トシテ特ニ證據編ニ詳細ノ規定ヲ為セバナリ
第百九拾九条
占有ニ附着セシメタル種々ノ効力ハ以テ、占有ガ或ル論者ノ屡々説ケル如ク單純ナル事実ニ止マラズシテ全ク一個ノ権利ナルコトヲ明カニスルニ足ルベシ而シテ此権利タルヤ物ノ上ニ存スル権利ニシテ本法ノ所謂物権ナリ且ツ占有ガ事実ノミニ止マラズシテ権利ナルコト、證據ハ仍ホ占有ノ担保トシテ法律ノ與へタル占有訴権ノ存在ニ因テ益々之ヲ明カナラシムルコトヲ得ベシ
本法ニ於テモ近世殴州諸國ノ法律ト同ジク羅馬法ニ於テ認メタル諸種ノ占有訴権ヲ採用セリ本条ハ占有訴権ヲ列記シ而シテ其二個ノ目的ヲ指示スルヲ以テ目的ト為ス占有訴権ノ二個ノ目的トハ何ゾヤ曰ク妨害セラレタル占有ノ維持保存ヲ為シ且ツ奪ハレタル占有ノ回復ヲ為スコト是ナリ
占有訴権ニ関スル規則ニシテ諸種ノ占有訴権ニ共通スベキモノアリ又其間ニ於テ共通ス可カラズ單ニ或ル種ノ占有訴権ニノミ適用スヘキモノアリ此共通ノ規則ト特別ノ規則トハ次条以下ニ於テ之ヲ明示スベシ
第二百条
法律ニ於テ事実上ノ妨害ト名クル所ノモノハ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ヘシ即チ一人ガ物ノ占有ヲ為スニ当リ他人カ有形ノ處為ヲ行ヒ因テ其占有ヲ妨ゲ又ハ其占有ノ利益ヲ減少シ若クハ全ク之ヲ失ハシメントスル如キコト有ルトキハ是レ事実上ノ妨害ナリトス例令バ占有ノ目的タル土地若クハ家屋ノ全部又ハ一部ノ占領或ハ占有ノ目的タル土地又ハ庭園ヲ通シテ絶エズ通行ヲ為スガ如キ若クハ占有地ニ存スル井戸水溜等ノ水ヲ汲取ルノ處為、占有地ニ於テ地役又ハ其他ノ物権ニ基クニ非ラサレバ為スコトヲ得ベカラザル工事ヲ施コスノ處為ノ如キ是ナリ
権利上ノ妨害ハ占有者ト契約ヲ為シタル土地ノ賃借人ニ對シ裁判上ト裁判所外トヲ問ハズ或ル請求ヲ為スガ如キ又ハ其賃貸借ノ更新ヲ為ス所為ノ如キヲ謂フ何トナレバ此ノ如キ所為ハ凡テ第一ノ賃貸人即チ占有者ノ占有ニ反對スル主張ヲ包含スル所為ナレバナリ又占有者ニ對シテ或ル請求ヲ為シ而シテ占有物ノ全部若クハ一部ヲ失ハシメントスル如キモ亦権利上ノ妨害ナリトス此場合ニ於テ妨害ヲ為シタルモノガ法廷ニ於テ請求ヲ為スニ至ラザルトキハ占有者ハ自カラ進ンデ占有訴権ヲ起シ是レニ由テ妨害ヲ止メシムルコトヲ得ベシ占有者自カラ訴ヲ受ケタルトキハ固ヨリ権利上ノ妨害ヲ受ケタルモノナルコト明カナリト雖ドモ此場合ニ於テハ占有者ヨリ訴権ヲ提出スルコトナク抗弁ノ方法ニ因テ自カラ占有ヲ完フスベシ然レトモ占有者ハ本権若クハ占有ノ訴ニ於テ被告トナリタルトキ反訴ニ因テ自カラ占有訴権ヲ提出シ得ベキコトハ第二百拾条ニ於テ之ヲ看ルベシ
法文ニ従フトキハ占有ニ對スル妨害カ之ヲ為シタルモノニ於テ占有ニ反對スル主張ヲ含ムコトヲ必要ト為ス故ニ妨害者ニ於テ権利ノ基本即チ所有権ノ主張ヲ為スカ然ラザレバ占有ヲ主張スルコトヲ必要トス然ラサレハ妨害ハ占有権ニ對スル妨害ニ非ラズシテ惟占有者ノ一身ニ對シ加ヘタル妨害タルニ過キサル可シ而シテ此妨害ハ或ハ民事上ノ犯罪タルコト有ルベク時トシテハ刑事上ノ犯罪ヲ組成スルコト有ルベシ例之バ隣人ガ観望ヲ妨グル樹木ヲ毀損シ若クハ家畜ヲ殺シタル如キ所為是ナリ此場合ニ於テハ占有者ハ隣人ニ對シテ損害賠償ノ對人訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシト雖トモ保持ノ訴権トシテ占有訴権ヲ提起スルコト能ハズ
保持ノ占有訴権ノ物上訴権タル性質ニ付テハ少シク説明ヲ要スルノミナラズ仍ホ或ル区別ヲ為スコト必要ナリ且ツ此事タル本条第二項ノ理由ヲ示スニ当ツテ当然述ブ可キ所ノコトナリトス保持ノ訴権ハ二個ノ目的ヲ有スルモノナリ其一ハ妨害ヲ止ムルニ在リ其二ハ補償ヲ為サシムルニ在リ即チ償金ヲ求ムルニ在リ
第一ノ目的ヲ以テ保持ノ訴権ヲ提起スル場合ニ於テハ其訴権ハ全ク物上訴権タリ何トナレバ此場合ニ於テ保持ノ訴権ハ占有セル物ヲシテ或ル地位ニ維持シ又ハ其地位ニシテ已ニ変更セラレタルトキハ復旧セシムルヲ以テ目的トスレバナリ然レドモ償金ヲ目的トスル保持ノ訴権ニ至テハ占有者ガ蒙ムリタル損害ノ賠償ヲ受クルニ止マルガ故ニ其訴権ハ全ク對人ノモノナリトス何トナレバ妨害ヲ加ヘタルモノノ過失ニ因テ生ジタル一個ノ債権ヲ主張スルニ過ギザレバナリ
此故ニ保持ノ訴権ハ中性ノモノタルコトヲ認メサル可カラズ中性ノ訴権トハ同時ニ物上訴権ト對人訴権トノ性質ヲ有スルノ謂ナリ此問題タルヤ決シテ利益ナキモノニ非ラズ何トナレバ占有ニ對シテ妨害ヲ加ヘタルモノガ変更シタル場合ニ於テハ占有者ヨリ提起スベキ訴権ノ性質モ亦常ニ同一ナルコト能ハズ例令バ隣地ノ所有者ガ占有ノ目的タル土地ニ或ル工事ヲ施シテ妨害ヲ加ヘタル後隣地ヲ他人ニ譲渡シタル如キ場合ニ於テ此妨害ヲ止メ且ツ已ニ為シタル工事ヲ取除カシムル為ニ占有者ヨリ保持ノ訴権ヲ提起スル場合ニ於テハ隣地ノ新所有者ニ對シテ之ヲ為スコトヲ得ベシ然レドモ隣地ノ旧所有者ガ工事ヲ為シタル為ニ占有者ノ蒙ムリタル損害ノ賠償ヲ求ムルニ当テハ新所有者ニ對シテ保持ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ズ必ズヤ前所有者ニ對シテ此請求ヲ為サザル可カラス此場合ニ於テハ其訴権ハ全ク對人ノモノナリ此ニ於テ乎保持ノ訴権ハ全ク物上ノ性質ヲ有スル場合ノミニ止マリ對人ノ訴権ニ至テハ遂ニ私犯ヨリ生ジタル一種ノ訴権タルニ止マル可シ
新工告発ノ訴権ニ至テハ全ク物上ノモノナルコト後ニ至テ看ル可キ所ナリ危害告発ノ訴権ニ至テモ亦同一ノ決定ヲ為スコトヲ要ス之ニ反シテ回収ノ訴権ニ至テハ常ニ不法ノ所為ニヨリ源ヲ発スルモノナルガ故ニ其性質上必ズ對人ノ訴権ナリトス
本条第一項ノ法文ハ保持ノ占有訴権ヲ生ゼシムルハ如何ナル者ノ占有ナルヤヲ明カニセリ
第一不動産ニ関シテハ保持ノ訴権ニ因テ占有ノ擔保ヲ為スコト固ヨリ疑ヒナキ所ナリ而シテ茲ニ不動産ト称スルハ或ル人ガ占有シ即チ自己ノモノトシテ行使スル一切ノ不動産権ヲ指シタルモノナリ故ニ所有権ノミナラズ用益権地役権永借権質権ノ如キ皆然リト為ス
此故ニ疑ヒヲ生ジ得ベキハ惟動産ノ占有ノ場合ニ止マルノミ而シテ此場合ニ於テ或ハ動産ノ包括ト特定ノ動産トノ間ニ区別ヲ為ス可シト信スルモノ有ラン然レドモ動産ノ包括ニ関シテハ殴州諸國ニ於テモ概ネ占有ノ訴権ヲ認メタリ例之バ相続財産ノ動産ノ全部又ハ一部ノ占有ノ為ニ保持ノ訴権ヲ認メ他人若シ相続人若クハ受遺者ナリト主張シ妨害ノ所為ヲ為シタルトキハ是レニ對シテ保持ノ訴権ヲ提起スルコトヲ許セリ
本法ニ於テモ仍ホ此理論ヲ採用セリ且ツ特定ノ動産ニ関シテハ特ニ即時時効ノ規定アルガ為ニ此理論ヲ採用スルコト益々必要ト為レリ
特定動産ニ関シテハ多少ノ困難ヲ免カレズ何トナレハ動産ニ関シテハ占有ハ権原ニ均シキ効力ヲ有ストノ原則アルガ故ニ動産ヲ占有シタルモノハ其占有ヲ得タルト同時ニ即時ノ時効ニ因テ真正ノ所有者トナルモノナリ此ニ於テ動産ニ関シテハ占有訴権ニ對シ二個ノ障碍ヲ来タスニ至ル第一動産ノ占有者ハ其占有甚ダ短カキ場合ニ於テモ單ニ占有ノミナラズ真正ノ権利ヲ取得スルモノナルガ故ニ若シ他人ノ妨害ヲ蒙ムリタルトキハ是レニ對シテ有スル所ノモノハ單ニ占有訴権ニ止マラズシテ仍ホ本権訴権ヲ有スベシ第二占有ノ妨害ヲ為シタルモノハ屡々自カラ恵贈物タル動産ノ占有ヲ得タルコト有ル可キガ故ニ此場合ニ於テハ妨害者モ亦是レニ由テ即時ノ時効ヲ主張シ而シテ占有ノ訴ニ破ルルモ仍ホ本権ノ訴ニ於テ勝利ヲ得ルコト有ルベシ此ノ如クナルトキハ特定ノ動産ニ関シテハ占有訴権ノ利益殆ンド是レナキニ至ルガ如シ
然レドモ此二個ノ非難ハ未タ動産ノ占有ヲ妨害セラレタルモノニ占有訴権ヲ與フルノ必要ナキコトヲ明カナラシムルニ足ラサルナリ
第一完全ナル権利ヲ有スルモノハ其一部分ノ権利モ亦有スルモノナリトハ道理上ノ原則ナリ故ニ真正ナル所有者又ハ其他ノ権利者ニシテ同時ニ其権利ノ占有ヲ有スル場合ニ於テハ権利ノ基本ニ基キ本権ノ訴権ヲ提起シ得ベキト同時ニ單ニ占有ニ基ク占有ノ訴権ヲ提起シ得ベキコト勿論ナリ
且ツ動産ノ占有者ハ常ニ其占有ノ一事ニ由テ即時ノ時効ヲ取得シ真正ノ権利者ナリト謂フコト未ダ必ズシモ其当ヲ得タルモノニ非ラズ何トナレバ実際ニ於テ即時ノ時効ヲ成就セシムルニハ占有ガ法定ノモノニシテ容假ノモノナラザルコトヲ必要トスルノミナラズ仍ホ善意ノ占有ナルコトヲ必要トス而シテ此場合ニ於ケル善意ニハ單ニ占有者ノ確信スルノミヲ以テ足レリトセズ更ニ正権原ニ基キタル善意ナルコトヲ要ス然ルニ保持ノ訴権ハ善意及ビ正権原ノ条件ヲ缺ク場合ニ於テモ之ヲ提起スルコトヲ得ベシ然ラバ即チ保持ノ占有訴権ハ動産ノ占有者ノ為ニ其必要ナシト云フコトヲ得ズ少ナクモ此二個ノ場合ニ於テハ動産ノ占有者ハ本権訴権ヲ有セズト雖トモ仍ホ占有訴権ノ利益ヲ受クルコトヲ得ベシ
他ノ一方ニ於テ占有ニ對シ妨害ヲ為シタルモノガ自カラ恵贈ノ目的物タル動産ノ占有者ト為リタル場合ヲ假定センニ或ハ此占有者ハ自然ノ占有者又ハ容假ノ占有者タルニ過ギザルコト有ルベシ此場合ニ於テハ前ニ掲ゲタル動産ニ関シテハ占有ハ権原ニ均シキ効力ヲ有ストノ原則ヲ援用スルコト能ハズ即チ即時ノ時効ヲ得ルコト能ハズ縦令其占有ガ自然又ハ容假ノ者ナラズシテ法定ノ者ナリシトスルモ或ハ正権原ヲ有セズ又ハ善意ナラザルコト有ルベシ此場合ニ於テハ到底其占有ノミニ由テ本権訴権ヲ有効ニ提起スルコト能ハズ従ツテ此場合ニ於テモ仍ホ占有訴権ノ利益ヲ受クルコト有益ナルベシ
以上ニ述ベタル場合ニ於テハ凡テ動産ニ関シテ占有者ガ單ニ其占有ノ妨害ヲ受クルノミナラズ猶ホ占有ヲ奪ハレ而シテ保持ノ訴権ヲ提起スルコトヲ假定セリ是レ蓋シ保持ノ訴権ハ單ニ占有ヲ奪ハレザル以前ニ於テ提起スルノミニ止マラズ已ニ之ヲ失ヒタル後ニ於テモ仍ホ此訴権ヲ行ヒ得ベキコトヲ明カニセンガ為メナリ蓋シ均シク占有訴権ニシテ回収訴権ト名クル所ノモノ有リト雖ドモ此訴権ト保持訴権トノ区別ハ決シテ占有者ノ蒙リタル損害ノ大小ニ由テ区別ヲ為スニ非ラズ寧ロ占有者ニ損害ヲ生ゼシメ因テ訴権ヲ得セシメタル所為ノ性質ニ基キテ区別ヲ為スモノナリ已ニ前段ニ於テ述ベタル如ク保持ノ訴権ハ其目的トスル所占有ニ對シ他人ノ主張ヲ退ゾケ而シテ其主張ヨリ生スル効力ヲ止メ若クハ已ニ生ジタル損害ヲ補償セシムルニ在リ是ニ反シテ回収訴権ノ目的トスル所ハ占有ニ對スル主張ノ制限ヲ超エタル不法ノ所為ノ賠償ヲ為サシムルニ在リ其詳細ニ至テハ第二百四条ニ於テ之ヲ説明スベシ
第二百一条
第二ノ占有訴権ハ新工告発訴権ト名ク其適用ハ第一ノ占有訴権ニ比シテ甚ダ制限セラレタルモノナリ
第一新工告発ノ訴権ハ不動産ノ占有者ニノミ属スルモノナリ故ニ不動産物ノ上ニ所有権其他ノ物上権ヲ行使スルモノニ非ラサレハ之ヲ有セス
此ノ如ク此占有訴権ヲ不動産ノ占有者ノミニ與へタル所以ノモノハ他ナシ実ニ不動産上ニ或ル工事ヲ起シ若クハ之ヲ成就セシメタルトキト雖トモ之レガ為ニ動産ノ占有ヲ害スルガ如キコトハ殆ント是レ有ラザル可キヲ以テナリ
且ツ新工告発ノ訴権ヲ提起スルニハ工事ガ單ニ着手セラレ而シテ未ダ成就ニ至ラズ他日若シ其工事ガ成就スル乎若クハ着々其歩ヲ進ムルトキハ遂ニ不動産ノ占有者ニ損害ヲ加フルニ至ルベキ場合ナルコトヲ必要トス若シ然ラズシテ已ニ損害生ジタル場合ニ於テハ是レ工事ノ為ニ現在ノ妨害ヲ受クルモノニシテ実ニ保持訴権ヲ提起スベキ場合ナリトス此故ニ新工告発訴権ハ保持ノ訴権ト均シク占有ノ訴権ナリト雖トモ妨害ニ先ツテ提起スル所ノモノニシテ其目的ハ一ニ未必ノ妨害ヲ豫防スルニ在リ此ノ如キ損害ヲシテ未タ生ゼサルニ止ムルハ当時者双方ノ為ニ必要ナリトス何トナレバ已ニ損害ヲ生ゼシメテ後之レガ補償ヲ為スハ始メヨリ之ヲ生ゼシメサルニ若サレバナリ
本条ノ規定ニ従ヘバ新工告発訴権ヲ提起スベキ場合ハ隣地ニ於テ新タナル工事ヲ為シ之レガ為ニ占有ノ妨害ヲ将来ニ来スタ可キ恐レ有ルコトヲ必要ト為ス然レトモ隣地ナル事情ハ未ダ必ズシモ新工告発ニ必要缺ク可カラサル一個ノ条件ト云フコトヲ得ズ然リト雖トモ甚ダ相隔タル土地ニ於テ新タニ工事ヲ起スコト有ルモ之レガ為ニ占有ノ妨害ヲ将来ニ生ス可キ如キハ殆ンド実際ニ於テ是レアラサルベシ
本条ニ規定スル新工告発ノ訴権ハ單ニ真成ノ所有者ノミニ属スルモノニ非ラズシテ惟占有ヲ有スルモノニ於テモ均シク之ヲ提起シ得ベキコト固ヨリ辯ヲ竢タズ然レドモ此訴権ヲ提起スルモノガ真正ナル所有者タルトキト雖トモ是レ決シテ所有者ノ資格ニ於テ之ヲ提起スルニ非ラズ実ニ占有者トシテ之ヲ提起スルモノナリ此点ニ於テハ猶ホ次ノ注意ヲ為スコトヲ要ス即チ新工告発ノ訴権ハ法律上占有者ノ資格ヲ以テ提起スルモノナリト雖トモ実際ニ於テハ單純ノ占有者ニ比スレハ真正ノ所有者ヨリ之ヲ提起スルコト最モ屡々ナリトス蓋シ單純ナル占有者ハ其権利ノ存在スル期間ニ付テ確乎タラザル所アルガ故ニ真正ノ所有者ニ比スレバ隣地ノ新工ヨリ生スル妨害ニ付キ利害ノ関係ヲ有スルコト甚ダ尠ナケレバナリ事情此ノ如クナルニモ拘ハラズ新工告発訴権ヲ以テ一個ノ占有訴権ト為ス所以ノモノハ実ニ此訴権ヲ提起スルモノニハ其占有スル土地即チ隣地ニ於テ着手シタル新工ノ為ニ損害ヲ受ケントスル土地ガ自己ノ所有地タルコトヲ證明スルノ必要ナク唯是レガ法定ノ占有者タルコトヲ證明スルヲ以テ足レリト為ス
新工告発ノ訴権ハ地役ノ章ニ於テ再ビ其適用ヲ看ルベシ蓋シ隣人ガ地役権ヲ有スルコトナクシテ妄リニ之ヲ有スト主張スル場合ニ於テ承役地ノ占有者ハ此地役ノ負担ヲ免カレ其土地ノ自由ヲ全フスルカ為ニ此訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ
第二百二条
本条ニ於テ規定スル第三ノ占有訴権ハ急害告発ノ訴権ト名ク凡テ建物樹木等ノ如キ不動産物権其他ノ工事ノ朽壊又ハ傾倒等ノ為メ損害ヲ生ス可キ恐レアル場合ニ於テハ此訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ蓋シ真正ナル所有者ト單純ノ占有者トヲ問ハズ之レガ為ニ不動産ノ占有ヲ妨害セラルル可ケレバナリ此訴権ハ猶ホ二個ノ適用ヲ有スルモノニシテ且ツ此二個ノ適用ハ特ニ本邦ノ如キ水害及ヒ火災等ニ依テ屡々損害ヲ蒙ムル土地ニ在リテ最モ緊要ナリトス故ニ特ニ本条ノ明文ニ於テ之ヲ明示セリ
急害告発ノ訴権ニ於テ原告ハ将来ノ損害ヲ豫防スベキ處分ヲ命スベキコト又ハ損害賠償ノ為ニ相当ノ保證人ヲ立ツ可キコトヲ判事ニ請求スベシ若シ妨害ガ已ニ迫レル場合ニ於テハ建物其他ノ工作物ニシテ危害ノ原因タル可キモノハ直チニ之ヲ取除クカ又ハ充分ノ修繕ヲ加ヘシムルヲ以テ目的ト為ス而シテ是レ固ヨリ裁判所ガ命ス可キ所ノコトナリトス又若シ之レニ反シテ危害未ダ目前ニ迫ラサル乎又隣人ガ自カラ修繕ヲ為スノ意思アルコトヲ示シタル場合ニ於テハ此ノ如ク直接ノ處分ヲ施サザルモ万一ノ場合ノ為ニ損害ノ保證人ヲ立テシムルヲ以テ足レリトスル而巳ナラズ是レヲ以テ遥カニ前者ニ優レリト為ス
急害告発ノ訴権ハ水ノ使用ニ関シ地役ノ事項ニ於テ特別ノ適用ヲ受クルコト有リ
第二百三条
立法者ハ本条ニ於テ占有者カ第一及ヒ第二ノ占有訴権ヲ提起スル為ニ備フベキ資格若クハ条件ヲ定メタリ本条ニ掲ゲタル条件ノ中第一第二第三ハ既ニ前段ニ於テ説明シタル所ナリトス平穏、公然及ビ法定ノ三条件是ナリ法文ノ定メタル条件ニ由テ之ヲ考フレバ自然ノ占有者又ハ容假ノ占有者ハ保持ノ占有訴権ヲ有セズ且ツ新工告発ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ス縦令法定ノ占有者タルモ其占有ガ強暴ニ基クカ又ハ公然ナラサル場合ニ於テモ是レト異ナルコトナシ
最後ノ条件即チ占有ガ一ヶ年以来継續シタルコトヲ要スルノ一条件ニ至テハ本条ニ於テ始メテ規定スルモノタリ立法者ハ占有ニ附着セシメタル第一第二ノ利益ノ為ニ此一ヶ年間継続ナル条件ヲ必要トセズ即チ所有権ノ推定ヲ受ケ及ビ果実ヲ取得スル為ニハ必スシモ占有カ此ノ如キ継続ヲ有スルコトヲ必要ト為サス
又他ノ点ヨリ之ヲ考フルニ不動産ノ取得時効ヲ成就セシムル為メニハ未タ占有ガ一ヶ年間継続シタルヲ以テ足レリト為ス動産ノ時効ニ関シテハ此ノ如キ継續ヲ望ムハ甚ダ重キニ過グルモノニシテ果実ノ取得ノ為メニハ此条件ハ実ニ嚴ナリト謂ハサルヲ得ズ故ニ此等ノ点ニ於テ此条件ヲ必要ト為サザルモ保持ノ訴権及ビ新工告発ノ訴権ヲ提起シ不動産ノ占有者ガ自己ノ蒙ムル妨害ヲ退ケント欲シテ訴ヲ為スニハ此一年間ノ継續ナル條件ヲ必要ナリトシ又其継續ハ一年間ヲ以テ充分ナルモノト認メタリ
一年ノ期間ハ至当ノモノト謂ハサルヲ得ス固ヨリ期間ハ各人ノ看ル所ニ従ヒ或ハ之ヲ長ウスルコトヲ得ベク或ハ之ヲ短フスルコトヲ得ベシ而シテ必ズシモ弊害アルモノニ非ラズ然レドモ此種類ノ占有訴権ヲ提起スルニハ其占有ガ一定ノ時間継續シタルコトヲ必要トスルニ至テハ動カス可カラサル所ナリ若シ然ラズトセバ占有訴権ニ付テ被告ト為リタル者モ亦直チニ自カラ同一物、同一ノ権利ニ付キ占有ヲ主張シテ占有訴権ヲ提起スルニ至ルベク此場合ニ於テ原被双方ノ占有ハ孰レカ尤モ古ク孰レカ尤モ長キヤヲ知ルコト甚ダ困難ナル可ケレバナリ
本条ニ於テ法律ガ一年間ノ継續ヲ一個ノ條件トシテ定メタルハ動産ノ包括又ハ不動産ニ関スル占有訴権ノ場合ニ止マル若シ特定動産ノ占有訴権ノ場合ナルトキハ法律ハ之レガ為ニ占有ノ継續ヲ必要トセズ何トナレハ特定動産ニ関シテハ取得時効ト雖トモ已ニ何等ノ期間ヲ要セズシテ成就スルモノナリ時効スラ此ノ如クナル以上ハ占有訴権ノ行使ニ付テノミ占有ノ継續ヲ必要スベキ理由ハ殆ンド是レ有ラザレバナリ
第二百四条
本条ニ規定スル回収ノ訴権ハ單ニ占有ノ全部又ハ一部ヲ失ヒタル場合ニ於テ直チニ提起シ得ベキモノニ非ラズ何トナレバ此ノ如キ場合ニ於テハ占有ノ侵奪ハ一個ノ妨害ニ外ナラズ又特ニ妨害ノ最モ大ナルモノナリ故ニ占有者ハ保持ノ訴権ニ因テ常ニ此占有ヲ回復スルコトヲ得ベシ占有ノ侵奪ヲ為スニ当リ暴行脅迫又ハ詐術等ノ方法ヲ用ヒタル場合ニ於テ始メテ回収ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ此故ニ回収ノ訴権ハ占有ノ侵奪ニ基クモノニ非ラスシテ実ニ侵奪ニ用ヒタル方法ノ私犯ノ性質ニ基クモノナリ此特殊ノ性質ハ本条及ヒ次条ニ於テ之ヲ明示セリ本条第一項ハ回収訴権ガ前ニ掲ゲタル如キ私犯ノ性質ヲ有スル三個ノ處為ヲ用ヒズ占有ノ全部又ハ一部ノ侵奪ヲ為シタル場合ニ於テ提起セラルベキ者タルコトヲ明記セリ且ツ回収ノ訴権ハ第二百条ニ於テ已ニ示シタル財産ノ三種即チ特定不動産、包括動産、特定動産ノ占有者ニ属スルモノナルコトヲ示セリ
特定動産ニ関シテハ回収ノ訴権ヲ許ス可キコト保持ノ訴権ニ比スレバ更ニ疑ヒナシ或ハ動産ニ関シテハ占有ハ権原ニ均シキ効力ヲ有ストノ原則ヲ以テ非難ヲ為スモノ有リト雖トモ之レガ為ニ決シテ占有訴権ヲシテ其用ナキニ至ラシムルモノニ非ラス何トナレバ回収ノ訴権ハ單ニ右ノ原則ヲ援用シ得ベキ者ノミニ之ヲ附與セラレタルニ非ラズシテ容假ノ占有者ト雖トモ仍ホ此訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ(参看次条)而シテ容假ノ占有者ハ決シテ動産ノ即時時効ノ原則ヲ援用スルコト能ハサルナリ
又本条第一項ニ依レバ占有者ガ回収訴権ニ因テ侵奪セラレタル占有ヲ回復セントスルニハ占有者自カラ当初暴行脅迫又ハ過失ヲ以テ占有ヲ取得シタル者ニ非ラサルコトヲ必要ト為ス然ラサレハ侵奪者ヲ排斥シテ独リ此占有者ノミヲ保護ス可キ理由アラサレバナリ同一ノ地位ニ立ツモノ二人アル場合ニ於テハ現在ノ占有者ヲ以テ前占有者ニ優レルモノト為スハ古来有名ナル格言ニシテ実ニ右ノ場合ニ於テ適用ス可キ所ノモノナリ然レトモ回収訴権ニ於テ原告タル占有者ノ暴行脅迫等ノ如キ私犯ノ性質ヲ有スル所為ノ為ニ回収訴権ヲ失ハシムルニハ其暴行脅迫等ノ所為ガ被告ニ對シテ必ズシモ為サレタル者ナルコトヲ要セズ縦令原告ガ曽テ此等ノ強暴ヲ施シタルコト有ルモ被告ニ對シテ然ルニ非ラズシテ他人ニ對シテ之ヲ用ヒタル場合ニ於テハ被告ハ之ヲ以テ原告ニ對抗スルノ権利ヲ有セサルベシ蓋シ此等ノ瑕疵ハ已ニ第百八拾三条ノ下ニ於テ述ベタル如ク元来関係ノモノニシテ絶對ノモノニ非ラサレバナリ
本条第二項ハ回収訴権ト其他ノ占有訴権トノ間ニ一個ノ大ナル差異ヲ設ケタリ已ニ述ベタル如ク保持ノ訴権新工告発ノ訴権及ビ急害告発ノ訴権ハ全ク物上ノ訴権ニシテ之ヲ詳言スレハ凡テノ占有者ニ對シ提起スルコトヲ得ベク縦令其占有者ガ妨害又ハ新工ノ本人タラサル場合ニ於テモ亦然リトス惟占有ヲ承継シ而シテ自カラ妨害又ハ工事ヲ止メサレバ即チ此一事ヲ以テ占有訴権ノ被告タラサルヲ得ズ若シ損害賠償ノ請求ヲ為スニ当テハ直接ニ妨害ノ原因タルモノノミ之レガ被告タルベシ今回収訴権ニ付テ考フルニ右ニ述ブル所ト大ニ異ナルモノアリ蓋シ此訴権ニ由テ占有ノ回復ヲ請求スルモ或ハ損害ノ賠償ヲ求ルモ凡テ回収ノ訴権ハ對人ノ性質ヲ有スルモノナリ故ニ侵奪者ノ包括承継人ニ對シテハ猶ホ之ヲ提起スルコトヲ得ベシ何トナレハ包括承継人ハ原権者ノ法律上ノ人格ヲ継續シ而シテ其一切ノ法律上ノ義務ヲ承継スルモノニシテ其義務ノ行為ニ基クモノナルト私犯ニ基クモノナルトニ因テ区別スルコトナシ然レトモ買主又ハ受贈者ノ如キ特定ノ承継人ニ對シテハ回収訴権トシテ提起スルコトヲ得ズ何トナレハ特定承継人ハ原権者ノ法律上ノ人格ヲ承継スルモノニ非ラサレバナリ然レトモ承継人又侵奪ノ處為ノ共通者ナル場合ニ於テハ其一身上ニ於テ回収訴権ノ被告タルコトヲ免カレサル可シ
第二百五条
本条ニ於テモ亦回収訴権ト保持訴権及ヒ新工告発訴権トノ間ニ性質上ノ二個ノ差異アルコトヲ示セリ
第一回収訴権ハ單ニ法定ノ占有者ニ属スルノミナラズ仍ホ容假ノ占有者ニモ属スルモノナリ而シテ容假ノ占有者ヲシテ回収訴権ヲ有セシムル理由ハ次ニ掲クル所ノ如シ容假ノ占有者ハ尤モ屡々他人ニ對シテ占有物管守ノ責任ヲ有スルモノナリ然ルニ其占有ノ容假ナルガ為ニ自己ノモノトシテ之レガ回復ヲ為スコト能ハサルモ若シ他人ノ侵奪ヲ受ケタル場合ニ於テハ少ナクモ其容假ノ占有ヲ回復スルコトヲ得セシメサル可カラス是レ其一ナリ又容假ノ占有者ハ他人ノ利益ニ於テ他人ノ名義ヲ以テ占有ヲ為スモノナルガ故ニ屡々其他人ノ為ニ占有訴権ヲ提起スルコトヲ得セシメサル可カラス是レ其二ナリ
第二回収訴権ヲ提起スルニハ其目的タルモノガ不動産ナル場合ニ於テモ仍ホ一年間ノ占有ヲ必要ト為サズ侵奪ヲ受ケタルモノハ必ズ先ツ其舊地位ニ復セシメラルルコトヲ要ストハ正義ニ合シタル原則ニシテ回収訴権ニ占有ノ継続ヲ必要トセザルモ亦此原則ノ適用ニ外ナラザルナリ回収訴権ヲ提起スルモノハ此原則ニ因テ被告ノ地位ヲ回復スルコトヲ得ベシ而シテ被告ノ地位ノ利益アルコトハ已ニ前段ニ於テ述ベタル所ナリ
急害告発ノ訴権ハ右ニ述ベタル回収ノ訴権ノ如ク私犯ノ處為ヲ以テ基礎ト為サズト雖トモ其目的トスル所人命財産ノ危害ヲ豫防スルニ在ルガ故ニ回収ノ訴権ト均シク容假ノ占有者ニモ属スベク且ツ此訴権ヲ有スルニハ占有ガ一ヶ年間継續シタルコトヲ必要トセサル可キハ当然ノコトナリトス
以上ニ説明シ来レル諸種ノ占有訴権ハ一トシテ自然ノ占有者ニ属スルコトナシ何トナレバ自然ノ占有者ハ何等ノ権利ヲ有セズ又法律上何等ノ推定ヲモ受クルコト能ハサレハナリ
第二百六条
一人ノ占有者ガ占有訴権ヲ提起スルニ当テヤ其被告タルモノモ亦実際ニ於テ屡々占有者ト看做サルルコトヲ得ベシ此ニ於テ乎占有訴権ノ行使ニ関スル期間ハ最モ古キ占有者ヲシテ新タナル占有者ニ勝ツコトヲ得セシムル方法ヲ以テ計算セサル可カラス然ルニ保持ノ占有訴権ニ於テ原告タラントスル者ハ少ナクモ其妨害以前ニ於テ一ヶ年ノ占有ヲ為シタルコトヲ要ス故ニ其訴権ヲ提起スルハ必ズヤ妨害ヨリシテ一ヶ年以内ニ於テセサル可カラス然ラサレバ保持訴権ノ場合ニ於テ被告モ亦其占有ノ継續ニ由テ保持訴権ヲ提起スルコトヲ得ベク茲ニ於テ乎旧占有者ハ遂ニ占有者ノ為ニ勝ヲ制セラルベシ
回収訴権ニ至テハ右ノ原則ハ常ニ嚴正ノ適用ヲ受クルモノニ非ラズ固ヨリ其訴権ガ一ヶ年以内ニ提起セラルルコトヲ要スルハ論ヲ俟タズト雖トモ此場合ニ於テハ侵奪ヲ受ケタルモノノ占有ガ一ヶ年間継續スルヲ要セサルガ故ニ回収訴権ニ於テ勝利ヲ得ルモノハ必ズシモ最モ久シク占有スルモノニ非ラサルベシ例令バ三ヶ月間占有シタル後他人ノ為ニ暴行ニ由テ占有ヲ奪ハレタル場合ニ於テ前占有者ハ侵奪ノ後十一ヶ月ヲ経テ回収ノ訴権ヲ提起シタリトセン此場合ニ於テ真占有者ハ其占有シタル時間遥カニ占有者ニ比シテ長シト雖トモ此訴訟ニ於テ勝利ヲ得ルモノハ侵奪ヲ受ケタル前占有者ナルベシ此ノ如キ原則ニ對シテ例外アル所以ノモノハ他ナシ他人ノ占有ヲ侵奪シタルモノハ法律ノ之ヲ遇スルコト他ノ占有者ト同一ナラサルニ依ル
新工告発ノ訴権ニ関シテハ右ノ原則ハ充分ニ其適用ヲ受クルモノナリ此訴権ヲ以テ原告タラントスル者ハ必ズ一ヶ年間継續シタル占有ヲ有セザル可カラズ而シテ此訴権ハ工事ヲ始メタル後一ヶ年ヲ過グルモ提起スルコトヲ得ベシト雖トモ仍ホ此ノ如クナルニハ工事ノ為メ妨害ヲ受ケテヨリ未タ一ヶ年ニ満タザルコトヲ必要トス且ツ一ヶ年以内ニ於テモ若シ工事ガ落成シタルトキハ最早新工告発訴権ヲ提起スルコトヲ得ズ然レトモ此場合ニ於テハ妨害ヲ受ケタルトキヨリ一年ノ間ハ保持ノ占有訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ
急害告発ノ訴権ニ関シテハ危害ノ存在スル間ハ訴権ノ原因常ニ生スルモノニシテ殆ント時々刻々新タニ生スルモノト謂フコトヲ得ベシ此故ニ工作物ニ修繕ヲ加フル乎又ハ全ク之ヲ取除クニ非ラザレハ此訴権ノ行使ヲ止ムルコトヲ得ズ若シ建物ノ壊倒等ニ由テ損害已ニ生ジタルトキハ急害告発ノ占有訴権ハ其目的ノ滅失ト共ニ消滅スルモノニシテ損害賠償ノ對人訴権ヲ以テ是レニ代フ可キモノトス
第二百七条
今占有ニ関シテ当事者双方ヨリ争ヒヲ起シタル場合ニ於テ判事タルモノハ当事者ノ権利ノ基本ニ関スル権原其他ノ證據ニ因テ孰レノ主張スル所ガ果シテ至当ナルヤヲ決ス可キコト最モ其当ヲ得タルモノ如シ然レトモ法律ハ現ニ之ヲ禁セリ而シテ其理由ノ主タルモノハ次ニ掲クル所ノ二点ニ在リ
第一保持訴権及ヒ新工告発訴権ノ場合ニ於テハ敢テ原告ノ占有ハ正当ノ者ナルヤ否ヤヲ決スルコトヲ要セズ惟其占有ハ法律ニ定メタル性質ト期間トヲ以テ存在スル者ナルヤ否ヤヲ決スベシ又被告ノ方ニ於テモ其加ヘタル妨害若クハ侵奪ハ権利ニ基キテ之ヲ為シタル者ナルヤ否ヤヲ究ムルコトヲ要セス然レトモ惟果シテ妨害又ハ侵奪ヲ為シタル者ナルヤ否ヤヲ決スルニ止マルベシ新工告発ノ訴権ヲ提起シタル場合ニ於テハ其工事ガ原告ノ占有ニ妨害ヲ加フルコトノ惧レアリヤ否ヤヲ決スルヲ以テ足レリトシ急害告発ノ訴権ノ場合ハ法律ニ定メタル性質及ビ原因存在スルヤ否ヤヲ決スルヲ以テ足レリトス故ニ判事タルモノ若シ当事者双方ノ真正ナル権利ノ有無ヲ審理シ其如何ニ由テ占有訴権ノ当否ヲ決スルガ如キハ当事者ノ請求セサル所ノ者ヲ裁判スルモノニシテ全ク越権ノ處為ヲ為スモノナリ
第二占有訴権ニ関シテハ裁判管轄モ亦本権ト訴権ト異ナリ是レ蓋シ其問題甚ダ簡單ナルノミナラズ其審理ノ迅速ナルコトヲ要スルガ為メニシテ当事者ニ甚ダ接近セル下級ノ判事ノ権内ニ属セリ即チ其訴権ガ物上ノ者ナルトキハ占有訴権ノ目的タル不動産所在地ノ区裁判所之レガ管轄権ヲ有シ若シ對人ノ訴権ナルトキハ被告ノ住處ノ地ノ区裁判所之レガ裁判権ヲ有ス此故ニ区裁判所判事ガ單ニ占有ノ点ノミヲ審理スルコトナク権利ノ基本ニ関シテ審理ヲ為スガ如キハ縦令権利ノ基本ニ付キ裁判ヲ與へルコトナシトスルモ実ニ其管轄以外ニ出テ越権ノ處為ヲ為スモノト謂ハサルヲ得ズ
本条第三項ヲ以テ判事ニ為シタル禁止ハ他ノ理由ヲ以テ之ヲ説明スルコトヲ得ベシ即チ判事ニシテ若シ困難ヲ避ケル為ニ訴訟ヲ中止シ而シテ当事者ヲシテ先ツ本権ノ訴権ヲ提起シ之レガ判決ヲ受ケシメントスルトキハ実ニ裁判ヲ拒ムモノト謂ハサルヲ得ス裁判ヲ拒ムハ不完全ノ裁判ヲ與フルニ比シテ一層法律ノ禁スル所ナリ何トナレバ一度裁判ヲ與へタルトキハ縦令不完全ナルモ更ニ之レガ変更ヲ求ムルノ道アレバナリ
最後ニ注意スベキハ一旦本権訴権ニ関シ裁判ヲ受ケタルトキハ最早占有訴権ニ関シテ裁判ヲ為スノ必要ナシ(参看第二百九条)何トナレバ本権ノ争ヒ既ニ決シタル後更ニ占有ノ争ヒヲ判決スルハ全ク理論ヲ轉倒スルモノナレバナリ
第二百八条
本条ノ規定ハ前条第三項ノ規定ト照應スルモノナリ前条第三項ノ規定ハ本権ノ訴起リタル後占有ノ訴起リタル場合ニ於テ本権ノ訴ヲ中止スベキコトヲ命ジ本条ハ占有ノ訴起リタル後本権ノ訴起リタルトキハ占有ノ訴ノ確定判決ニ至ルマデ本権ノ訴ノ訴訟手続ヲ中止スベキコトヲ命ゼリ然レドモ其規定ノ理由ニ至テハ前条末項ノ理由ト同一ナラズ何トナレハ前条ニ於テ占有ノ訴ノ判決ヲ猶豫スルコトヲ禁ジタルハ一ニ判事タルモノ当事者ノ請求セザル点ニ付テ判決スルコトヲ得サルニ由ル可シト雖トモ当事者ガ請求シ得ベキ所ノモノハ此ノ如ク制限セラレタルモノニ非ラズ請求ノ当否ハラ暫ク措キ苟クモ自カラ権利アリト信スル所ノ者ハ凡テ請求スルコトヲ得ベシ故ニ実際ニ於テ当事者ノ一方ガ占有ノ訴ヲ為シ他ノ一方ガ本権ノ訴ヲ為ス如キ同時ニ二個ノ請求アリ得ベキナリ
此ノ如キ場合ニ於テ占有ノ訴ノ確定判決ニ至ルマデ本権ノ訴ノ訴訟手続ヲ中止スル理由ノ主タルモノハ実ニ占有ノ事タル常ニ迅速ヲ要スル性質アルモノナレバナリ占有ニ関スル争ヒアルニ当テヤ当事者双方ハ互ニ不当ノ處為ヲ為シ或ハ暴行ヲ施コシ争闘ヲ為スニ至ル如キコト実際ニ於テ尠カラサル所ナリ之ヲ要スルニ各人自カラ裁判ヲ下シ裁判所ノ判決ヲ竢タサル傾キアルハ実ニ占有ノ事ニ関シテ最モ著シキ所ナリ且ツ占有ニ関スル證據及ヒ占有ニ對スル妨害ノ証據ノ如キハ其性質上時日ヲ経過スルトキハ権利ノ基本ノ證據ニ比スレバ甚ダ容易ニ且ツ最モ速カニ消滅ス可キモノナリ此等ノ理由アルガ故ニ占有ノ事ヲ審理シ判決スルハ本権ノ訴ニ比スレハ尤モ迅速ナラサル可カラズ
已ニ前段ニ於テモ述ベタル如ク占有ノ訴ニ於テ勝利ヲ得タルモノハ本権ノ訴ニ於テ被告ノ地位ニ立ツベシ故ニ先ヅ占有ノ訴ヲ決シ本権ノ訴訟手続ニ於テ各当事者ヲシテ其至当ニ有スル地位ヲ得ルノ方法ヲ得セシムルハ尤モ其当ヲ得タルモノト謂ハサル可カラズ
本条ノ明文ニ依テ考フルトキハ占有ノ訴ト本権ノ訴ト同一ノ裁判所ニ提起セラルルコト有ルベシ此事タルヤ前ニ述ベタル所ニ由テ考フルニ甚ダ不可思議ナルガ如ク二個ノ訴ノ中一個ニ付テハ常ニ其裁判所ハ管轄ヲ有セサル可キモノノ如シ然レトモ必ズシモ然ラス何トナレバ若シ占有ノ訴ガ第一審ニ於テ区裁判所ノ判決ヲ受ケ当事者ノ一方ガ是レニ對シテ地方裁判所ニ控訴ヲ為シタル時本権ノ訴始メテ起リタル場合ニ於テハ此地方裁判所ハ孰レノ場合ニ付テモ管轄権ヲ有スルコト明カナリ又動産ノ占有ノ場合ニ於テ本権訴権ヲ被告人住處ノ区裁判所ニ提起シ而シテ同一ノ裁判所ニ於テ同一ノ動産ニ関シ占有ノ訴已ニ起リタル場合アル可シ是レ又共ニ同一裁判所カ管轄権ヲ有スル所ナリ縦令本権ノ訴ト占有ノ訴権トヲ提起セラレタル一ノ裁判所カ其訴ノ一個ニ付テ管轄ヲ有セサル場合ニ於テモ管轄違ノ抗辨ヲ以テ第一ニ是レニ對抗シ得ベキニ非ラズ必ズヤ本条ニ基キ本権ノ訴ノ中止ヲ抗辨スルコトヲ要ス何トナレハ本条ノ適用ハ管轄ノ問題ニ比スレハ尤モ容易ニ決シ得ベキ所ノ者ナレバナリ之ヲ決スルニ当テヤ惟本権ノ訴ト占有ノ訴ト同一ノ者ニ関シテ提起セラレタルコトヲ認メ而シテ其本権ノ訴ヲ中止スレバ即チ足ルモノナリ
本条第二項ノ法文ハ本権ノ訴ニ於テ被告タル者ヲシテ更ニ原告トシテ占有ノ訴ヲ起スコトヲ許セリ是レ又其当ヲ得タルモノナリ若シ此規定ナキトキハ占有ノ妨害ヲ為シ若クハ侵奪ヲ為シタルモノハ自カラ進ンデ本権ノ訴ヲ起シ是ニ由テ損害ノ補償ヲ免カレ占有者ヲシテ占有訴権ノ利益ヲ失ハシムルニ至ルベシ之ヲ防グノ道ハ本条ノ規定ヲ設ケ此ノ如キ場合ニ於テモ仍ホ占有者ハ更ニ占有訴権ヲ提起シ本権ノ訴ニ先ツテ占有ノ争ヒヲ決セシムルノ外ナシ
第二百九条
本条ノ規定ハ甚タ嚴ニ過クルモノノ如シ然レトモ次ノ理由ニ因テ之ヲ解スルコトヲ得ベシ他人ノ為ニ占有ノ妨害ヲ受ケ若クハ之ヲ侵奪セラレ因テ占有訴権ヲ以テ請求ヲ為シ得ベシト信スル当時者ガ此訴権ヲ提起スルコトナクシテ本権ノ訴権ヲ提起シタル場合ニ於テハ当事者自カラ其占有ガ法律ニ定メタル条件ヲ備エサルコトヲ認メ又ハ其蒙ムリタル妨害若クハ侵奪ハ甚ダ重大ノ者ニ非ラズシテ未ダ以テ占有ノ訴ヲ起スノ理由トスルニ足ラズ従テ暗黙ニ此方法ヲ抛棄シタルモノト謂ハサルヲ得ズ
然レトモ此理由ニ依テ正当ノ範囲外ニ馳セサルヲ要ス蓋シ已ニ本権ノ訴ヲ起シタル場合ニ於テ占有ノ訴権ヲ抛棄シタルモノト看做スハ本権訴権ヲ提出スルノ当時未タ提出セザリシ占有ノ訴権ニ関スルモノニシテ已ニ提起シタル占有訴権ニ関シテハ此ノ如キ黙示ノ抛棄ヲ為シタルモノト謂フコトヲ得ズ此故ニ本条ニ於テハ已ニ提起シタル占有訴権ニ関シテハ原告タルト被告タルトヲ問フコトナク之ヲ継続シ得ベキコトヲ明記セリ而シテ此規定タルヤ全ク前条ノ法文ヲ以テ二個ノ訴権同時ニ提起セラレタル場合ニ於テハ常ニ本権ノ訴ノミヲ中止スト言ヘル精神ニ符合スルモノナリ
縦令本権ノ訴ニ於テ原告ト為リタルモノガ其以前ニ於テ占有ノ訴権ヲ提起セサリシトスルモ若シ本権ノ訴ヲ起シタル後自己ノ占有ノ妨害若クハ侵奪ヲ受ケタル場合ニ於テハ之ヲ理由トシテ更ニ占有ノ訴ヲ起スハ其為シ得ベキ所ナリ法律ノ明文ニ於テ道理ニ従ヒ占有訴権ノ抛棄ヲ推定スルハ惟本権ノ訴以前ノ事実ニ関スルノミ
若シ本権ノ訴権ノミ先ツ提起セラレタル場合ニ於テ敗訴シタルモノハ原告タルト被告タルトヲ問ハズ更ニ占有ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ズ本条第二項ニ掲ケタル此決定ハ容易ニ其理ヲ解スルコトヲ得ベシ蓋シ占有者ニ法律ノ與へタル権利ト訴権トハ全ク所有権ノ推定ヲ以テ基礎ト為スモノナリ然ルニ所有権ノ事タルヤ本権ノ訴ニ於テ判決ヲ受ケ其存スル所明確ナル以上ハ更ニ占有ノ訴ヲ以テ之ヲ争フ可カラザルコト勿論ナリ
其理由此ノ如クナルガ故ニ占有訴権提起ノ権利ヲ喪失スルコトハ單ニ確定ノ敗訴ニ帰シタルモノニ適用スベシ従テ縦令本権ノ訴ニ関シ判決アルモ未タ故障、控訴又ハ上告等上訴ノ道アルトキハ此判決ノ為メ占有訴権ノ行使ヲ妨ゲラルルコトナシ
第二百拾条
当事者等ガ訴訟ヲ為スニ当テハ必スシモ一方ノミ不当ナルモノニ非ラズ双方ニ於テ多少ノ不当ヲ免カレサルコト屡々ナリトス此ノ如キ場合ニ於テハ各当事者ハ各々他ニ向テ補償ヲ請求スル為メ原告ノ位置ニ立ツコトヲ要ス而シテ第一ニ被告ト為リタル者自カラ進ンデ原告ニ對シ或ル請求ヲ為ス場合ニ於テハ此請求ヲ名ケテ反訴ト謂フ
而シテ占有ノ事項ニ関シテハ当事者双方ガ互ニ不法ノ處為ヲ加ヘ妨害又ハ暴行ヲ施ス如キコト容易ニ之ヲ想像シ得ヘシ而シテ本条ニ於テ本権ノ訴ニ付テ被告タル者ニ與フルニ占有ノ訴ニ於テ反訴ヲ為スノ権利ヲ與へタルハ一方ニ於テ占有訴権ノ効力ヲシテ益々完全ナラシメ又他ノ一方ニ於テハ占有ノ訴ト本権ノ訴トハ之ヲ併合スルコトヲ得トノ格言アルモ已ニ第二百八条ニ於テ之ヲ述ベタル如ク右両個ノ訴権ハ同時ニ提起セラルルヲ得ベキ者タルコトヲ明カニセリ要スルニ法律上為シ得ベカラサルノコトハ本権ノ訴ト占有ノ訴トヲ併合シテ当時ニ判決ヲ為スノ一点ニ在リ本権ノ訴ト占有ノ訴ト雖トモ同時ニ提起セラルルコトヲ得ベシ故ニ若シ二個ノ訴権共ニ占有ニ関スルモノナルトキハ同時ニ之ヲ提起シ得ベキコト一層明カナルノミナラズ此場合ニ於テハ二個ノ訴権ハ同時ニ同一ノ判決ニ因テ之ヲ決スルコトヲ得ベシ
第二百拾一条
本条ノ規定ニ付テハ何等ノ困難ヲ看ズ其規定スル所ノコト惟諸種ノ占有訴権ノ目的トシテ已ニ示シタル所ノ事ヲ明確ナラシムルニ止マル
然レトモ仍ホ注意ヲ要スルモノアリ已ニ述ベタル如ク回収ノ訴権ニ於テ侵奪セラレタル物ノ返還ハ侵奪ヲ為シタル者又ハ其包括承継人ニ對スルニ非ラサレバ之ヲ求ムルコトヲ得ズ何トナレハ此訴権ハ過失ヲ以テ基礎トスルモノナレバナリ縦令其他ノ占有訴権ヲ提起スル場合ニ於テモ若シ損害賠償ヲ目的トスル場合ニ於テハ又同一ナリトス之ヲ要スルニ此二個ノ場合ニ於テハ占有訴権ハ全ク對人訴権ノ性質ヲ有スルモノナリ
急害告発ノ訴権ニ関シテハ二個ノ特殊ノ点アルヲ知ルベシ第一請求ノ目的トスル所ノ事建物ノ修繕又ハ其全部若クハ一部ノ取毀チノ如キ損害豫防ノ處分タル可ク第二未必ノ損害ノ担保トシテ保證人ヲ立テシムルニ在ルベシ
第二百拾二条
占有ノ訴ニ原告ト為リタル者或ハ自カラ主張シタル事実ヲ證明スルコト能ハサルガ為メ或ハ訴権ヲ提起スルコト法律ノ定メタル期間ニ後レタルガ為メ又或ハ法律ノ定メタル条件ヲ備ヘザルガ為メ敗訴スルコト有ル可シ此ノ如ク占有ノ訴ニ於テ敗訴シタリトスルモ是レ敢テ自カラ有スルモノトシテ已ニ行使シ来タレル所有権其他ノ権利ヲ真正ニ有スルコトノ妨害タルモノニ非ラズ何トナレハ占有ノ訴ニ於テハ占有ノ事実ニ依テ之ヲ決スルモノナルガ故ニ縦令真正ニ権利ヲ有スルコトヲ證明スル権原其他ノ方法ヲ有スルモ未タ此点ニ付テハ何等ノ判決ヲ受ケタルコトナシ故ニ更ニ権利ノ基本ニ付テ争ヒヲ為シ判決ヲ求ムルハ其固ヨリ為シ得ベキ所ナリ而シテ此場合ニ於テハ其更ニ提起スル本権ノ訴ハ決シテ不法ノ訴訟ナリト推測セラル可キニ非ラズ何トナレハ未ダ何等ノ物権ヲモ返還ス可キ義務アルモノニ非ラズ亦其敗訴シタル第一訴訟ノ費用ヲ豫ジメ償還スルノ義務ヲ有スルモノニ非ラサルナリ
本条第二項ノ規定モ亦第一項ノ規定ト同一ノ原則ニ基クモノニシテ惟一個ノ差異アルノミ占有ノ訴タル第一ノ訴訟ニ於テハ権利ノ基本ニ関スル問題即チ所有権ノ問題ハ未タ何等ノ判決ヲ受ケタルモノニ非ラザルコト第一項及ビ第二項ニ於テ共ニ然リトス惟第二項ノ場合ニ於テ已ニ判決ヲ受ケタル所ノコトハ左ノ数点ニ止マル第一原告ハ法律ニ定メタル資格ヲ備ヘ占有訴権ヲ提起シ得ヘキ占有者ナリシコト第二原告ハ占有ノ妨害ヲ受ケ若クハ侵奪ヲ蒙ムリタルコト是ナリ而シテ此訴ニ於テ被告ハ権利ノ基本ニ基ク方法ニ由テ争ヒヲ為スコトヲ得サリシナリ何トナレハ占有ノ訴ト本権ノ訴トハ同時ニ判決ヲ受クルコトヲ得ザレハナリ然レトモ已ニ占有ノ訴決セラレタル以上ハ占有ノ訴ニ於テ被告タリシ者ハ更ニ本権ノ訴ニ由テ原告ト為ルコトヲ得ベシ惟此場合ニ於テハ自カラ原告タル地位ニ立ツガ故ニ凡テ證據ノ責任ヲ負担セサル可カラス而シテ若シ此本権ノ訴ニ於テ勝利ヲ得タルトキハ其對手タル被告ハ更ニ占有ヲ返還シ且ツ此請求ノ時以後ニ採収シタル果実ヲ償還セサル可カラズ又此訴ニシテ一旦判決ヲ受ケタルトキハ同一ノ当事者間ニ於テ再ビ此事ニ付キ争ヒヲ為スコト能ハス何トナレハ権利ノ基本ニ関シ既判力ヲ生スレバナリ
然レトモ占有訴権ニ於テ被告ノ地位ニ立チ而シテ敗訴ニ帰シタルモノハ或ル時日ノ間敗訴ノ判決ノ実行ヲ免カレンガ為ニ自カラ其不当ナルコトヲ知リナカラ故意ヲ以テ本権ノ訴ヲ提起スルコトナキヲ保セス就中占有ヲ返還スルノ責ヲ免カレンガ為ニ此ノ如キ處為ヲ為スハ最モ屡々其例ヲ看ルベシ立法者ハ此危嶮ヲ豫防スルガ為ニ占有ノ訴ニ於テ敗訴シタル被告ガ更ニ本権ノ訴ヲ提起セント欲スルトキハ是レニ先ツテ裁判ヲ執行スルカ然ラサレハ此執行ニ充分ナル担保ヲ供スルコトヲ必要トセリ
裁判所構成法ノ規定ニ依リ占有ノ訴ニ関スル裁判管轄ハ之ヲ区裁判所ニ属セシメ而シテ其訴訟手續ハ民事訴訟法ニ於テ之ヲ定ム
第四節 占有ノ喪失
第二百拾三条
占有ハ一個ノ物権ナリ故ニ本条ニ於テ占有喪失ノ原因ヲ列記スル以上ハ完全ナル物権タル所有権ノ滅失ニ関スル原因ノ全部若シクハ大部分ハ本条ノ列記中ニ掲ク可キモノノ如シ(参看第四拾二条)然レトモ所有権ノ消滅原因ニシテ占有権ノ消滅原因タル可キモノハ惟本条列記中ノ第二及ビ第四ニ止マル(参看第四拾二条第五及ヒ第六)此ノ如ク滅失原因ニ付テ甚ダ相異ナル所以ノモノハ他ナシ所有権ハ全ク純然タル権利ニシテ占有ハ権利ヲ行使スル事実ニ基クモノナルガ故ナリ
占有喪失ノ原因ニ付テハ逐一是レガ説明ヲ為ス可シト雖トモ已ニ前段ニ於テ詳説シタル所ヲ考フレハ特ニ何等ノ困難ヲ看ル所ナシ
占有者ノ意思ハ占有権ヲ組織スル二個ノ原素ノ一ナリ故ニ此意思ニシテ消滅スルトキハ占有ノ要素其一ヲ欠クモノナルガ故ニ是レト同時ニ占有モ亦消滅スルコト勿論ナリ
右ニ掲ゲタル如ク占有ハ占有者ノ意思如何ニ従ッテ是ヲ二種ニ分ツコトヲ得法定ノ占有及ビ容假ノ占有是レナリ而シテ此二種ノ占有ノ相異ナル所ハ左ノ點ニ在リ即チ法定ノ占有ニ在ツテハ占有者ハ自己ノ為ニ占有スルモノニシテ容假ノ占有ノ場合ニ於テハ占有者ハ他人ノ為ニ占有スルモノナリ本条ノ規定ニ於テハ此二種ノ占有ヲ総括シ均シク意思ノ消滅ヲ以テ占有ヲ消滅セシムル者ナルガ故ニ法定ノ占有ノ場合ニ於テ自己ノ為ニ占有スルノ意思滅失シタルトキハ是レニ由テ法定ノ占有消滅スルト均シク容假ノ占有ノ場合ニ於テ他人ノ為ニ占有スルノ意思消滅シタルトキハ均シク容假ノ占有ヲ失フベシ
此ノ如クナルガ故ニ若シ自己ノ為ニ占有ヲ為シ従ツテ法定ノ占有ヲ有スルモノガ他人ノ為ニ占有ヲ始メタル場合ニ於テハ従来有シタル法定ノ占有ヲ失ヒ惟容假ノ占有ヲ有スルニ止マル又他人ノ為ニ占有シ従ツテ容假ノ占有ヲ有シタル者ガ自己ノ為ニスルト他人ノ為ニスルトヲ問ハス占有ヲ為スノ意思ヲ失ヒタルトキハ容假ノ占有モ亦消滅スベシ此場合ニ於テハ單ニ自然ノ占有ヲ有スルニ止マル何トナレハ惟有形ノ處為アルノミニシテ占有ノ一要素タル意思存セサレバナリ
右ニ掲グル所ト反對ノ場合ニ付テハ更ニ詳説スルコトヲ要セサル可シ即チ従来容假ノ占有者タリシ者カ自己ノ為ニ占有スルノ意思ヲ生シタル場合是レナリ此場合ニ於テ其意思ノ変更ガ有効ナルハ実際甚タ罕レナルベシ其意思縦令変更スルモ法律上依然トシテ容假ノ占有者タルコト最モ屡々ナリトス縦令或ル例外ノ場合ニ於テ意思ノ変更ガ法律上ノ効力ヲ有スルモ此場合ニ於テハ一方ニ於テ縦令容假ノ占有ヲ失フモ他ノ一方ニ於テハ法定ノ占有ヲ取得スルガ故ニ占有ノ喪失ト謂ハンヨリハ寧ロ占有ノ取得ト云フヲ以テ其当ヲ得タリト為ス(参看第百八拾五条)
占有者ノ意思ガ占有ノ要素ノ一ナルト均シク占有ノ處為モ亦占有ノ為ニ缺ク可カラサル所ノコトナリ此故ニ若シ占有者カ占有スルノ意思ヲ失フコトナキモ権利ノ行使ヲ廃シ占有ノ處為ヲ為サザルトキハ是レ占有ノ第二ノ条件缺クルモノニシテ其意思ノミハ未ダ以テ従来有シタル占有ヲ保存セシムルニ足ラサルナリ
然レトモ之レガ為ニ占有者ガ占有ヲ失フニハ事実ノ絶止ガ任意ノ者ナルコトヲ必要トシ若シ強制ノ者ナルトキハ法律ノ強制ニ出ツルコトヲ必要トセリ法律上ノ強制ニ基ク占有ノ處為ノ絶止ハ回収ノ占有ノ訴ノ場合又ハ回復若クハ契約解除ノ如キ本権ノ訴ノ場合ニ於テ下サレタル判決ノ実行ノ為ニ占有ノ處為ヲ廃シタルガ如キ是ナリ没収ノ判決ノ実行ノ場合モ亦是レト同一ナリトス
此等ノ場合ハ第四拾二条ニ掲ゲタル所有権消滅原因ノ或ル場合ト照應スルモノナリ全ク同一ナリト謂フコトヲ得ズ何トナレハ所有権ハ純然タル権利ナルガ故ニ契約ノ解除又ハ没取ヲ言渡シタル判決ニ由テ当然消滅スルモノナリト雖トモ占有ハ元来事実ヲ以テ其要素トスルガ故ニ此ノ如キ判決アルモ未タ実際ニ於テ其実行ヲ為サザル間ハ喪失スルモノニ非ラズ
若シ占有ノ事実ノ絶止カ任意ノモノニ非ラス又法律上ノ強制ニ基クモノニ非ラズシテ引續キタル洪水等ノ如キ不可抗力ニ基クモノナルトキハ占有ハ之レガ為ニ喪失スルコトナシ一年中或ル時期ニ於テハ近クコトヲ得サル土地ノ占有ノ如キモ亦妨害ノ為ニ占有ヲ失フコトナシ或ル動産物カ一個ノ建物ノ中ニ在ツテ其所在ヲ失シタル場合ニ於テモ亦是レト同一ナリト謂フコトヲ得ベシ蓋シ此ノ如キ場合ニ於テハ事実上仍ホ之ヲ占有スト謂フコト能ハサルモ未ダ全ク占有ヲ喪失シタリト謂フコト能ハズ
凡テ右ニ掲クル如キ場合ニ於テハ占有ハ單ニ意思ノミニ因テ保存セラルルモノナリ
本条第二号ノ明文ニ従ヘバ任意ニ非ラサル抛棄ニ由テ占有ヲ喪失セシムルニハ必ズ法律上強要セラレタル抛棄ナルコトヲ必要トス而シテ此ノ如ク定メタルモノハ一ニ暴行又ハ過失等ノ方法ニ依リ不法ニ占有ヲ侵奪セラレタル場合ヲ取除カンカ為ナリ此ノ如キ場合ニ於テ侵奪ヲ受ケタルモノハ回収ノ訴権ヲ有スルモノニシテ空シク一ヶ年ノ期間ヲ経過セシメ依テ此訴権ヲ失フニ至ラサル間ハ因テ占有ヲ喪失スルモノニ非ラス凡ソ一個ノ物ヲ回復スル訴権ヲ有スルモノハ仍ホ其物ヲ自カラ有スルト同一ナリトノ法律上ノ格言ハ実ニ此場合ノ為メニ生シタルモノナリ
第三号ノ場合ニ於テハ他人カ占有ヲ取得シタル為メ従来ノ占有者ガ之ヲ失フモノニシテ他人ノ取得ハ時ニ不法ノ者ナルコト有ルベシ然レドモ当初ニ於テ不法ノ處為ニ基クモ仍ホ其占有ニシテ一ヶ年ヨリ長ク継続シタルトキハ是レガ為メ旧占有者ハ其権利ヲ失フベシ
占有者ガ他人ノ處為ニ由テ占有ヲ妨害セラレ若クハ侵奪セラレタル時他人ガ善意ナルト否トヲ問ハス従来ノ占有者若シ一年内ニ回収ノ訴権又ハ保持ノ訴権ヲ提起セサリシトキハ占有者ハ任意ヲ以テ其占有ヲ抛棄シタルモノト謂フコトヲ得ベシ然レトモ此場合ヲ以テ前ニ掲ゲタル場合ト同一視セサルコトヲ要ス蓋シ此場合ニ於テハ占有ヲ侵奪セラレタル者ガ其地ニ在ラザル為メ又ハ侵奪ノ事実ヲ知ラサルガ為ニ訴ヲ起サザルコト有ルベシト雖トモ仍ホ其事情ニ拘ハラズ常ニ占有ヲ喪失スベシ而シテ此事タルヤ独リ占有ノ場合ノミナラズ凡テ時効ノ為メニ占有ヲ失フニ至ル一切ノ場合ニ於テ生スル所ト同一ノ結果ナリトス
占有ノ目的タルモノガ其ノ全部ニ於テ滅失シタルトキハ占有ハ権利ニ於テモ事実ニ於テモ惟リ存在スルコト能ハサルハ辨ヲ俟タズシテ明カナル所ナリ何トナレバ此場合ニ於テハ占有ノ意思アルモ其目的物アラサレバナリ
立法者ハ物ノ全部ノ滅失ノ外仍ホ権利ノ消滅ヲ以テ占有喪失ノ原因ト為セリ蓋シ物ノ滅失ト権利ノ消滅トハ必ズシモ同ジカラサレバナリ例令ハ各人ノ所有ニ属スルモノガ公有ニ属スルニ至リタルトキハ権利ハ占有者ノ為メ消滅ス可シト雖トモ物ハ依然トシテ存在ス可シ此場合ニ於テ少ナクモ法定ノ占有ハ消滅セザルヲ得ス(第百八拾四条)又一旦捕獲シタル野獣逸シテ何人モ之ヲ捕ヘサル間ハ物縦令消滅セズト雖トモ然レトモ決シテ前占有者ノ権利ニ属スルモノト謂フ可カラス故ニ其占有ハ喪失シタルモノナリ
第五章 地役
總則
第二百拾四条
役ナル名称ハ所有権ノ或ル支分権ヲ指示スルガ為メニ用ヒラレタル者ニシテ或ル物ノ所有者ニ非ラサルモノガ其物ニ付テ使用ヲ為シ便益ヲ受クル一定ノ権利ヲ有スルノ意義ヲ顕ハスモノナリ人一個ノ物ノ所有権ヲ有スルトキハ其物ハ所有者ノ為メニ一切ノ便益ヲ與へ所有者ハ一切ノ使用ニ之ヲ供スルコトヲ得ベシト雖トモ此ノ如キハ所有権ナル名称ニ由テ充分ニ之ヲ示シ得ベキ所ニシテ役ノ名称ハ所有者ガ自己ノ所有物ヨリ得ル所ノ利益ヲ顕ハス為メニ之ヲ用ヒタルモノニ非ラズ
本章ニ於テ説明セントスル所ノ役ハ特ニ之ヲ地役ト称シ又屡々物役ト称セラルルモノナリ而シテ此ノ如キ名称ニ由テ生スル所ハ用益権使用権及ヒ住居権ニ時トシテ人役ノ名称ヲ付スルニ由ル
此等ノ名称ハ多少ノ注意ヲ要スルモノ有リ何トナレハ此名称ノ為メニ多少ノ混同ヲ来タスノ恐レ有ルヲ以テナリ
物役ノ名称ハ決シテ役ノ物権タルコトヲ明カニスル為ニ用フルモノニ非ラズ何トナレハ用益権使用権及ヒ住居権ノ如キ均シク物権ナリト雖トモ仍ホ物役ト称セサレバナリ又地役ノ名称ハ其権利ノ目的トスル處常ニ不動産ナルコトヲ明カニスル為ニ之ヲ用フルニ非ラズ何トナレハ地役ニ非ラサル住居権ノ如キニ至テモ常ニ不動産ヲ目的トスル而巳ナラス其他用益権及ビ使用権ノ如キハ必スシモ不動産ヲ目的トスルモノニハ非ラサレドモ仍ホ実際ニ於テ土地家屋ヲ目的トシテ之ヲ設定スルコトヲ得ベキノミナラス此ノ如キ事物ノ上ニ此等ノ権利ノ存在スルハ実際ニ於テ屡々其例ヲ看ル所ナレバナリ
本章ニ掲グル役ニ附スルニ物役若クハ地役ノ名称ヲ以テスル理由ハ左ノ如シ用益権使用権及ビ住居権ノ如ク人役ト称セラルル所ノモノハ特定ノ人ニ属スル権利ニシテ其人ト共ニ消滅シ如何ナル近親ノ相続人ニモ移轉スルコトヲ得ザル所ノモノナリ是ニ反シテ本章ニ掲クル所ノ役ニ至テハ物ニ属シ不動産ニ属スル所ノモノナリ故ニ地役若クハ物役ノ名称ヲ附シタルノミ
此ノ如ク説明スルトキハ理ニ於イテ甚ダ不可思議ナルモノ有ルガ如シ何トナレハ一個ノ権利ガ物ニ属スルコトヲ得ト謂フニ均シケレバナリ然ルニ物ハ権利ノ目的ニシテ其主格タルコトヲ得ベキモノニ非ラズ物ハ権利ノ左右ヲ受クルモノナリ然レトモ之ヲ行使スルコトヲ得ベキニ非ラズ物ノ本分ハ常ニ受方ニシテ決シテ働方ニ非ラズ故ニ本章ニ規定スル地役ノ如キモ亦其実地役ノ利益ヲ受ク可キ土地ノ所有者ニ属スルモノニシテ決シテ土地自カラ此地役ヲ有スルニ非ラサルナリ然レトモ土地ノ所有者ハ其土地ヲ他人ニ譲渡スコトヲ得ベク又ハ相続セシムルコトヲ得ベク従ッテ其人ニ変更ヲ来タスコトヲ得ベシト雖トモ是レガ為ニ地役ノ権利ハ何等ノ毀損ヲ蒙ムルコトナク完全ニシテ土地ノ所有権ト均シク新所有者ニ移轉スルモノナリ此ノ如キ理ナルヲ以テ遂ニ用語ノ便宜ニ従ヒ地役ノ権利ハ土地ノ所有者タル人ニ属スト謂ハンヨリ寧ロ土地ニ属スルモノナリト謂フニ至ル加之ナラズ地役ノ目的トスル所ハ土地ノ改良便益増價等ヲ目的トシ決シテ土地ノ所有者ノ單純ナル娯楽ヲ以テ其目的トスル者ナルニ非ラサルコトヲ考フルトキハ地役ハ土地ニ属スルモノナリト謂フモ未ダ必スシモ不当ニ非ラサルナリ且ツ此用語アルガ為メニ遂ニ地役ノ利益ヲ受クル土地ヲ称シテ要益地ト称シ而シテ地役ノ負担ヲ有スル土地ヲ名ケテ承役地ト称スルニ至レリ
地役ノ全体ニ関スル以上ノ説明ハ地役ノ定義ヲ掲ケタル第二百拾四条第一項ノ説明ヲ為ス為メニ必要ナルベシ
本条ノ定義ニ付テハ惟地役ノ二個ノ特殊ノ性質ヲ明カニスルヲ以テ足レリト為ス
第一地役ハ要益地ノ便益ヲ増スコトヲ以テ目的トスルモノナルコトヲ要ス茲ニ便益ト称スルハ凡テ其物ノ使用ヲ容易ニシ利用ヲ便ニシ且ツ價格ヲ増加ス可キ一切ノモノヲ包含スルモノナリ此故ニ縦令娯楽ノ用ニ供ス可キモノト雖トモ若シ其性質上普通ノ人ニ適シ敢テ現在ノ所有者ノミニ利益ヲ與フ可キ性質ノモノナラサルトキハ是レカ為メニ自カラ要益地ノ價格ヲ増加ス可キモノナルガ故ニ之ヲ目的トスル役モ亦地役ト称スルコトヲ得ベシ
此ノ如ク論シ来ルトキハ如何ナル者ハ現在ノ所有者一人ノ嗜好ニ適スル娯楽ニシテ地役ノ名義ヲ以テ之ヲ設定スルコトヲ得サルヤ又如何ナル者ハ一般ノ嗜好ニ適スルモノナルカ故ニ地役トシテ之ヲ定ムルコトヲ得ルヤニ付テ区別ヲ為サザル可カラズト雖トモ此事ハ第二百六拾六条ニ至リ更ニ之ヲ説明スベシ
本条ノ規定ニ従フトキハ地役ハ要益地ノ為ニ便益ヲ得セシムルコトヲ必要トセリ是レ実ニ地役ニ缺ク可カラザル所ノ者ナリ
地役ノ設定ハ実ニ経済上甚ダ大ナル利益ヲ有スルモノニシテ他ノ一方ヲ顧ミルトキハ地役ヲ負担スル不動産ハ之レガ為ニ多少ノ不便ヲ蒙ムルコト有ル可シト雖トモ此不便ハ甚ダ小ニシテ是レガ為ニ要益地ニ於テ得ル所ノ利益ハ甚ダ大ナルガ故ニ公共ノ経済ヨリ之ヲ論スルトキハ甚ダ有益ノ制度ナリト謂ハサル可カラズ縦令此ノ如クナラズトスルモ仍ホ当事者ノ任意ヲ以テ之ヲ設定シタル場合ニ於テハ所有者ガ互ニ法律ノ範圍内ニ於テ其自由ヲ行使シタル者ナルガ故ニ決シテ無効ノモノナリト謂フヲ得ズ
第二要益地タル土地ト承役地タル土地ハ異ナリタル所有者ニ属スルコトヲ必要ト為ス若シ二個ノ土地ガ同一ノ人ニ属シ而シテ其所有者ガ一個ノ土地ノ為ニ他ノ土地ニ或ル便益ヲ得ル場合ニ於テハ是レ自カラ任意ニ所有権ノ行使ヲ為スモノニ外ナラス未タ地役ト称スルコトヲ得ズ此ノ如キ場合ニ於テハ其便益ヲ得ルノ廣狭及ヒ其継続期間等ノ如キモ凡テ所有者ノ一意ニ由テ定マル所ノ者ニシテ法律ハ未タ是レニ干渉スルノ必要ヲ看サルナリ此原則ハ種々ノ結果ヲ生ス可キモノニシテ後ニ至テ屡々其適用ヲ看ルコト有ル可シ
普通ノ場合ニ於テ地役ハ密接シ若クハ近傍ナル土地ノ間ニ於テ設定セラルルモノナリ然レトモ此条件ハ未ダ必要ノモノニ非ラズ故ニ本法ニ於テモ亦此条件ヲ定ムルコトナシ従ツテ甚ダ隔リタル土地ノ為ニ通行権又ハ給水ノ権利ヲ設定スルコトヲ得ベシ此ノ如キハ二個ノ土地ノ間ハ公道若クハ水路ニ因テ通行スルコトヲ得ベク又ハ中間ニ存スル土地ハ是レガ通行ヲ為スノ権利アル場合ニ於テ猶ホ承役地ヲ通行スルニ非ラサレハ其目的ヲ達スルコト能ハサルトキニ於テ其実用ヲ看ルベシ
地役ハ法律上永久ノ性質ヲ有スルコト必要ナラズ而シテ是レ土地ニ関スル地役ノ場合ニ於テ然ルノミナラス仍ホ建物ニ関スル地役ノ場合ニ於テモ是レト同一ニシテ建物ノ存在ト地役ノ継続トハ同一ナルコトヲ必要トセス
本条第二項ノ法文ハ地役設定ノ原因ヲ示セリ而シテ惟二個ノ原因アルノミ法律及ヒ人意即チ人ノ意思是ナリ此故ニ本法ニ於テハ土地ノ位置ヨリ生スル自然ノ地役ナルモノヲ認メズ
若シ深ク事物ノ理ヲ考フルトキハ権利ハ凡テ法律ニ由テ之ヲ確認セラルル以前ニ於テ自然ニ存在スルモノタルコトヲ知ル可シ此故ニ法律上ノ地役ト称スル所ノモノハ凡テ皆自然ノ地役ト謂ハサルヲ得ス然レトモ寧ロ各人ノ意思ヲ俟タズシテ法律ガ確認スル所ノ地役ハ之ヲ法律上ノ地役ト称スルヲ以テ優レリト為ス且ツ自然ノ道理ニ基キ立法者カ確認セサルヲ得サル地役ニ至テモ仍ホ其行使及ヒ効力ノ範圍制限ヲ規定スルヲ要ス然ルニ当事者自カラ之ヲ為サザル場合ニ於テハ法律独リ之ヲ為スコトヲ得ベキ而巳ナラズ若シ立法者ニシテ裁判所ニ非常ノ権力ヲ有セシムルコトヲ欲セサル場合ニ於テハ自カラ法律ヲ以テ之ヲ定メ豫ジメ各人ノ争ヒヲ為ス場合ノ為ニ権利ノ在ル所ヲ明カニセサル可カラズ
然レトモ法律上ノ地役ヲ設クルノ事ハ近世諸國ノ法律ニ於テモ已ニ其精神ヲ看サルニ非ラズト雖トモ本法ニ於テ特ニ之ヲ確認スルニ当テハ多少ノ躊躇ヲ為サザリシニ非ラズ
従来学説ニ於テ一般ニ認ムル所ニ従ヘバ殴州ノ法律ニ於テ法律上ノ地役ト名ケテ規定スル所ノモノハ真正ノ地役ニ非ラズシテ全ク所有権ノ普通ノ規定ニ外ナラズ是ニ反シテ純然タル地役ニ至テハ或ル所有権ノ特別ノ負担ニ過ギズトセリ
今法律上ノ地役ニ付テ之ヲ考フルニ所有権ノ行使ニ制限ヲ加ヘ相隣者ノ間互ニ相侵害スルコト莫カラシムル為メニ所有者ノ自由ヲ制抑シタルニ過キサルモノ有リ例之バ家用又ハ工業用ノ水ハ隣地ニ之ヲ排泄スルコトヲ禁ジ又雨水ノ直チニ隣地ニ落ツル如キ屋根其他ノ工作物ヲ設クルコトヲ禁スルガ如キ或ハ固有ノ牆壁又ハ溝渠ニ関シ或ル濫用ノ處為ヲ為スコトヲ禁ジタルガ如キ是ナリ此ノ如キ禁止ニ至テハ一個ノ土地ノ便益ノ為メ他ノ土地ニ蒙ラシメタル負担ナリト看做スコト甚ダ困難ナリ又此ノ如キ場合ニ於テハ一個ノ土地ハ要益地ニシテ一個ノ土地ハ承役地ナリト謂フコトヲ得ズ何トナレハ二個ノ土地ハ各々同時ニ要益地タル資格ト承役地タル資格トヲ併有スルモノニシテ所有者ハ各々同一ノ権利ヲ主張シ得ベケレバナリ
其他ノ或ル法律上ノ地役ニ至テハ前者ニ比スレバ更ニ負担ノ性質ヲ有スルモノ有リ例令バ袋地ヲ圍繞スル土地ノ所有者ハ袋地ノ所有者ノ為ニ公道ニ至ル通路ヲ得セシムルノ義務ノ如キ聨接シタル土地ノ所有者ハ互ニ経界ノ費用ヲ負担スルノ義務ヲ有シ或ル特別ノ場合ニ於テハ圍障ヲ設クルノ義務アル如キ是ナリ
然レトモ此場合ニ於テモ仍ホ袋地ノ為ニ通路ヲ供スルノ負担ノミ惟リ或ル土地ノ便益ノ為ニ設定セラレタルモノト謂フベシ何トナレバ其他ノ負担ニ至テハ相隣者双方ノ便益ノ為ニ之ヲ設ケタルモノナレバナリ
以上ノ理論ハ決シテ不当ノモノニ非ラズト雖トモ仍ホ民法ノ編纂者ハ之レニ服スルコトヲ得ズ遂ニ法律上ノ地役ナル名称ノ下ニ於テ各人ノ意思ヲ俟タズシテ法律ノ確認シタル地役ヲ規定セリ而シテ此決心ヲ為シタルモノハ左ノ理由ニ基クモノナリ
第一法律ヲ編纂スルニ方リ従来各國ニ於テ慣用セル所ト猥リニ相反スルハ決シテ利益アルモノニ非ラズ何トナレハ之レガ為ニ従来各國ノ學者ガ研究シタル所ト判決例トヲ利用スルノ便ヲ失ヘバナリ
第二相隣者間ニ於テハ地役ト称セザルコト甚ダ困難ナル種類ノ法律上ノ義務アリ即チ袋地ノ場合ニ於テ人ノ通行ヲ許ス義務ノ如キ灌漑又ハ乾燥ノ為メ水路ヲ供スルノ義務其他水ニ関スル種々ノ義務ノ如キ是ナリ公益ノ為ニ行政法ヲ以テ所有者ニ蒙ラシムル種々ノ負担ノ如キモ亦是レト同一ナリ
第三若シ嚴正ナル理論ニ従ツテ編纂ヲ為サント欲セハ遂ニ幾多ノ項目ヲ分チ其性質相似タル所ノモノモ遂ニ同一ノ所ニ規定スルコト能ハサルベシ此ノ如クナルトキハ実用上甚ダ不便ニシテ寧ロ地役ノ章ニ於テ悉ク其全部ノ規定ヲ為スノ勝レルニ若カズ
法律ヲ設定スルニ当ツテヤ屡々実益ノ為ニ理論ヲ棄テサル可カラサルコト有リ往時羅馬ノ立法者タリシヂスチニヤン皇帝言ヘルアリ簡明ハ法律ノ良友ナリト是レ実ニ今日ニ至テモ萬國ニ通ジテ動カス可カラザルノ真理ナリ
以上ニ述ブル所ノ如クナルヲ以テ本章ヲ分ツテ二節ト為ス第一節ニ於テハ所有権ノ種々ノ変更ニシテ法律上ノ地役ナル不当ノ名称ヲ付セラレタル所ノモノヲ規定シ第二節ニ於テハ真正ノ地役即チ人ノ意思ニ由テ設定セラレ一般普通ノ状態ニ反シ一個ノ不動産ガ他ノ不動産ノ便益ニ供セラルル場合ヲ規定セリ
右ノ二節ハ均シク地役ノ事ヲ規定スト雖トモ同一ニ之ヲ細分スルコトヲ得ス第二節ニ至テハ普通ノ順序ニ従ヒ第一ニ地役権ノ種類ヲ示シ第二ニ地役権設定ノ原因ヲ示シ第三ニ権利ノ効力ヲ掲ケ第四ニ権利消滅ノ原因ヲ掲ゲタリ然レトモ第一節ニ至テハ其方法ヲ用フルコトヲ得ス惟法律上ノ地役ト称スル種々ノ関係ヲ制定スベキ各場合ニ付テ適意ノ方法ヲ用ヒサルヲ得ズ蓋シ此等ノ地役ニ至テハ其原因ニ由テ分ツコトヲ得ス何トナレバ原因ハ皆同一ニシテ全ク法律ニ帰スレバナリ効力及ヒ消滅ニ関シテハ各地役ニ付テ多少ノ異動アルヲ免カレズ而シテ是レ実ニ各款ノ主タル目的トシテ規定スル所ナリ
第一節 法律ヲ以テ設定シタル地役
第一款 隣地ノ立入又ハ通行ノ権利
第二百拾五条
他人ヲシテ自己ノ所有地内ニ立入ルコトヲ得セシメサルハ所有者ノ有スル権利中最モ大ナルモノナリ然レトモ此権利モ亦甚タ重ンズヘキ他ノ権利ニ對シテハ少シク譲ル所ナカル可カラス今隣人カ土地ノ分界又ハ之レニ接近シタル部分ニ於テ建物ヲ築造シ若クハ其修繕ヲ為ス為ニ必要ヲ感ジ他人ノ土地ニ立入ヲ求ムル場合ニ於テハ其利益ハ法律ヲ以テ之ヲ保護セサル可カラズ單ニ至当ノモノナル而巳ナラスシテ実ニ其利益タルヤ甚ダ大ナルコト屡々ナル可シ而シテ一方ニ於テ所有権ニ基キ此立入ヲ拒ムハ普通ノ場合ニ於テ当然ニ有スル権利ナル可シト雖トモ多クノ場合ニ於テハ何等ノ利益ナク時トシテハ隣人ヲシテ困難ナラシメンコトヲ欲シ殊更ニ立入ヲ拒ムニ過キサルコト有ルベシ
此場合ニ於テハ單ニ隣人相互ノ私益カ互ニ相反セルニ過キサルモノト信ス可カラス若シ私益ノ抵觸ニ過キズンバ一人ノ利益ヲ保護シテ他人ノ利益ヲ害スル如キハ法律ニ於テ容易ニ為シ得ヘキ所ニ非ラス然レトモ其実此ノ如クナラズシテ実ニ経済上公共ノ利益ニ関スルモノナリ
若シ法律ヲ以テ建物ノ築造若クハ修繕ノ為ニ隣地ニ立入ヲ為スコトヲ許サザルトキハ各所有者ハ分界ヨリ甚ダ退キテ建物又ハ牆壁ヲ築造セサル可カラズ而シテ此ノ如クナルトキハ其建物又ハ牆壁ト分界線トノ間ノ土地ハ遂ニ無用ニ属スベシ
本邦古来ノ習慣ニシテ本法ガ或ル場合ニ於テ認メタル所ノモノ(参看第二百五拾七条)ニ従ヘバ建物ト建物トノ間ニハ修繕ノ為ニ必要ナル距離ヲ存スルノ慣行ナリ然レトモ此慣行ニ反シ土地ノ分界ニ於テ建物築造シタリトスルモ之ガ為ニ取毀チヲ請求シ得ベキニ非ラズ然ラバ即チ此ノ如キ場合ニ於テモ亦立入権ノ必要ヲ看ルコト有ルベシ
第二百拾六条
法律ヲ以テ隣地ニ立入ノ権利ヲ定メタルハ其目的二個ニシテ一ハ土地ヲ不用ニ属セシムルコトナク一ハ建物ノ保存ヲ完フセシメントスルニ在リト雖トモ是ガ為ニ他ノ一方ニ於テ収穫ノ保存ヲ害シ経済上ノ利益ヲ遺ルルコトナキヲ要ス此故ニ立法者ハ種々ノ利益ヲ調和スル為メ原則上築造又ハ修繕ノ工事ヲ為ス時期ニ関シテ制限ヲ設ケ若シ収穫季節ニ近ツキ築造若クハ修繕ノ為メ隣地ニ立入ヲ為ストキハ是レニ由テ隣地ノ収穫ヲ害ス可キトキニ当タッテハ此等ノ工事ヲ為スコトヲ禁セリ然リト雖トモ此ノ禁示ハ絶對ノ者ニ非ラスシテ工事ノ急要ナル場合即チ極メテ必要ニシテ猶豫ス可カラサル場合ニ於テハ例外ナリトス法律ガ此例外ヲ認メタル所以ハ一ニ建物ノ利益ハ収穫ノ利益ヨリモ概シテ甚ダ大ナルニ依ル蓋シ建物ハ必要ノ時ニ於テ修繕ヲ施コストキハ久シク存在スルコトヲ得ベク若シ之ヲ為サザルトキハ其滅失ハ之ヲ免カルルコトヲ得ズ其損害ハ再ビ回復ス可カラズシテ且ツ甚タ大ナルモノナリ之ニ反シテ収穫ハ年々ニ生スルモノナルガ故ニ一回之ヲ害スルコト有ルモ其一年ノ損害ニ止マル而巳ナラス且ツ屡々収穫ノ全部ニ損害ヲ及ボサズシテ惟其一部ニ止マルコト有ル可シ
建物ノ築造又ハ修繕ノ工事ガ隣地ノ収穫ヲ害スルコトナキ季節ニ於テモ若シ隣地ノ所有者若クハ占有者ガ不在ナル場合ニ於テハ均シク此工事ヲ為スコトヲ禁ゼリ然リト雖トモ是レ又急要ノ場合ヲ以テ例外ト為セリ已ニ述ベタル如ク隣地ニ立入ヲ為スハ隣地ノ所有権ニ對シテ害ヲ加フルモノニシテ或ル条件ニ従ヒ法律ノ特ニ之ヲ許シタル場合ト雖トモ猶ホ隣地所有者ノ監督ヲ受ケテ之ヲ為スコト至当ナルハ固ヨリ弁ヲ要セズ是レ法律ガ隣地所有者ノ不在ノ場合ニ於テ工事ヲ為スコトヲ許サザル所以ナリ所有者ノ不在ナルニ当テヤ其親戚若クハ使用人等ノ財産ヲ管理スルモノ有リ得ベシト雖トモ此ノ如キ人々カ所有者ノ為ニ監督ヲ為スハ未ダ所有者自カラ監督ヲ為スノ優レルニ若カズ一方ニ於テ此規定ヲ設クルト同時ニ他ノ一方ヨリ之ヲ考フルトキハ所有者ノ不在ノ為メ際限ナク建物ノ築造又ハ修繕ヲ遅延セシム可キニ非ラス此故ニ立法者ハ所有者ノ不在ガ一時ニ止マルコトヲ必要トセリ若シ然ラズシテ已ニ久シク不在ナルカ又ハ将来ニ向テ長ク不在ナル可キトキハ建物ノ所有者ハ之レカ為ニ空シク損害ノ生スルヲ竢ツ可キニ非ラズ故ニ隣人ノ不在ナルニ関ハラズ本条第一項ノ但書ニ従ッテ工事ヲ為スコトヲ得ベシ加之ノミナラス実際ニ於テ不在者ハ自己ノ財産ヲ監督セシムル為メ特ニ代人ヲ設置ス可ク若シ之ヲ為サズシテ遂ニ其不在中ニ隣人ノ立入ヲ蒙ムルコト有ルモ亦自カラ不平ヲ訴フ可キニ非ラサルナリ
本条第二項ノ目的トスル所ハ隣地所有者ノ便宜ヲシテ勤メテ全カラシメントスルニ在リ此故ニ如何ナル場合ニ於テモ隣人自カラ承諾ヲ為スニ非ラサレハ建物ノ築造又ハ修繕ノ工事ノ為ニ隣人ノ住居ニ供スル建物ニ立入ルコトヲ得サルモノトセリ此處ニ隣人ノ住居ト称スルハ單ニ隣地ノ所有者一人ノ住居ニ非ラズシテ其家族使用人等ノ住居スル部分ヲモ包含スルノミナラス猶ホ此等ノ建物ノ直接ニシテ且ツ必要ナル付属ヲ為ス部分モ亦同一ナリトス
右ノ規定ハ其当ヲ得タルモノタルコト明カニシテ特ニ其理由ヲ示スノ必要ヲ看ズ
立法者カ立入ヲ禁ジタルハ單ニ住家ニ関スルノミ此故ニ若シ其建物ガ住居用ニ非ラズシテ工業若クハ ノ用ニ供シタル者ナルトキハ此禁止ハ其適用ヲ受ケサルベシ
第二百拾七条
隣人ノ為メニ立入ヲ許スノ義務ハ法律ノ負ハシメタル所ニシテ此義務タルヤ全ク自然ノ理ニ適合スルモノナリト雖トモ是レガ為ニ立入ヲ蒙ムリタル土地ノ所有者ハ依テ蒙ムル所ノ損害ニ付テ賠償ヲ求ムルノ権利ヲ失フ可キニ非ラズ何トナレハ縦令法律上ノ負担ナリトスルモ之レガ為ニ其蒙ムル所ノ損害ハ全ク他人ノ處為ニ基クモノニシテ且ツ其處為ヲ為シタル他人ハ是レガ為ニ少カラザル利益ヲ得ル者ナレバナリ
立入ヲ為サレタル土地ノ所有者ガ蒙ムル所ノ損害ハ場合ニ従ツテ甚タ多少アルベシ時トシテハ工事ノ為メ工人ノ往來等ニ依リ單ニ不便ヲ蒙ムルニ止マルコト有ル可ク或ハ監督ヲ為スノ必要アルニ止マルコト有ルベシ此等ノ場合ニ於テ所有者ノ要求ス可キ償金ハ甚タ小額ナルベシ或ハ実際ニ於テ全ク之レガ請求ヲ為サザルコト屡々ナル可シ蓋シ隣人ハ互ニ其間ノ関係ヲ親密ナラシメント欲スルモノナレバナリ然レトモ此ノ如クナラズシテ立入ノ為メ庭園又ハ田圃ヲ毀損シ若クハ土蔵ノ建築等ノ如ク其工事甚タ久シキニ渉ル場合ノ如キニ至テハ是レガ為ニ請求シ得ベキ償金ハ決シテ浅少ナラサル可シ又右ニ述ブル所ノ如ク立入ヲ為シタルモノガ損害ノ償金ヲ弁済シタリシトスルモ是ガ為ニ工事ニ使用シタル材料ノ残餘ヲ取除キ及ヒ其使用シタル土地ヲ成ルベク旧状ニ復セシムルノ義務ヲ免カル可キモノニ非ラズ
第二百拾八条
本条以下ニ規定スル所ノ地役ハ袋地ノ場合ニ於ケル通行ノ権利ト名クル所ノモノニシテ之ヲ前数条ノ定メタル権利ニ比スレバ更ニ一般経済上ノ利益ニ関スル大ナルモノトス
若シ一個ノ土地ニシテ公道ニ達スルノ道ヲ有セサルトキハ此土地ハ何人ト雖トモ住居スルコト能ハス又耕作其他ノ方法ニ由テ之ヲ利用スルコト能ハサル可シ従ッテ其人モ其土地ノ利益ヲ受クルコトナク一般ノ経済ヨリ之ヲ看ルモ此土地ハ何等ノ用ヲ為サザルナリ此故ニ袋地ヲシテ公道ニ達スル通路ヲ得セシムルハ独リ其土地ノ所有者ノ利益ノ為ニ必要ナル而巳ナラズ仍ホ一般ノ利益ノ為ニ必要ナルモノナリ此ニ於テ乎其袋地ト隣接セル土地ノ所有者ノ私益ハ為メニ一歩ヲ譲ラサルヲ得ズ
然リト雖トモ袋地ノ場合ニ於ケル通行権ト称スルガ為ニ此地役ヲ以テ全ク土地ノ自然ノ位置ヨリ生スルモノト看做サザルコトヲ要ス何トナレハ此ノ如キ通行権ノ必要ヲ生スルハ実ニ土地ノ所有者ガ分割又ハ譲渡ノ處為ヲ為スニ当ツテ不注意ナルヨリ生スルモノナレバナリ此ヲ以テ自然ノ地役ナルモノヲ認ムル法律中ニ於テモ仍ホ袋地ノ場合ニ於ケル通行権ハ之ヲ自然ノ地役中ニ掲ケズ本法ニ於ケルト均シク常ニ法律上ノ地役中ニ於テ是レガ規定ヲ為セリ各人ガ不注意ノ為メ通路ナキ土地ヲ生ゼシメタルトキ法律ノ力ヲ以テ其過失ノ結果ヲ矯正シ其方法トシテ茲ニ法律上ノ地役ヲ設ケタルモノナリ本条ノ地役ハ其原因ニ於テ已ニ自然ノ者ニ非ラズ此一事ニ由テ考フルモ袋地ノ所有者ハ隣地ニ向テ通路ヲ求ムルノ権利アルモ此通路ニ對シテ多少ノ償金ヲ拂フノ義務ヲ免カル可キニ非ラス此点ニ付テハ第二百廿条ニ至テ規定スル所アル可ク又第二百廿三条ニ由テ一ノ例外ヲ認メタリ
本条第二項ノ規定ハ多少ノ困難ヲ生ジ得ベキ一個ノ問題ヲ決定セリ即チ法律上袋地ト称スルハ如何ナル土地ナルヤノ問題ニ関スルモノニシテ本法ハ一ノ土地ニシテ全ク公路ニ通スル能ハサルニ非ラサルモ其通路トスル所ハ一ニ水路ニ據ラサル可カラサル場合ニ於テハ其水路ガ縦令公流ナル場合ニ於テモ仍ホ之ヲ以テ袋地ト看做スコトヲ得ベキモノトセリ固ヨリ法律上ノ言語ニ従ヘバ下流溝渠ノ掘割等ノ如キハ一種ノ公路ト看做ス可ク而シテ此種類ノ公路ハ陸路ト相隣接スルモノナリ然レトモ水路ニ依ル交通ハ陸路ノ交通ニ比スレハ甚ダ困難ニシテ時トシテハ危嶮ノモノナルコト何人ト雖トモ認ムル所ナリ故ニ若シ大ナル土地ニシテ他ト交通スル為メ単ニ水路ヲ有スルニ止マルトキハ実際ニ於テハ殆ント常ニ充分ノ利用ヲ為スコト能ハサル而巳ナラズ單ニ住居用ニ供スルモ甚ダ不便ヲ感スベシ若シ其通路タル所ノモノ單ニ水流タルニ止マラズシテ海路ニ據ラザル可カラサル場合ノ如キ又殊ニ其海路ガ波浪常ニ高クシテ交通甚ダ困難ナル場合ノ如キハ益々其土地ヲ利用スル能ハサル可シ
此故ニ立法者ハ縦令全ク通路ヲ有セサルニ非ラズト雖トモ甚ダ不便ナル通路ヲ有スルニ止マルトキハ之ヲ以テ全ク通路ナキ袋地ト同一ニ看做スコトヲ得ベキモノト為セリ惟如何ナル通路ハ甚ダ不便ナルモノニシテ袋地ト同一ニ看做スベキモノナルヤハ事実ニ属スル問題ニシテ其事実ハ土地ノ状態ニ依リ種々ナル可シ従ツテ法律ヲ以テ之ヲ一定スルコトヲ得ズ遂ニ裁判所ヲシテ各場合ニ付キ一切ノ事情ニ照シテ認定ヲ為サシムルノ已ムヲ得ザルニ至レリ是レ即チ本条第二項ノ末文ニ於テ袋地ト看做スコトヲ得ト明定セル所以ニシテ裁判所ハ此ノ如キ不完全ナル通路ヲ有スル土地カ袋地タルヤ否ヤヲ認定スルノ権利ヲ有ス可ク而シテ此認定ニ對シテハ上告ヲ為スコトヲ得ベキニ非ラズ
袋地ナリト主張セラレタル土地ガ公路ト甚タシキ高低ヲ為シ其間ニ崖岸アル場合ニ於テハ前ニ掲ケタル場合ト同一ナル而巳ナラス一ニ裁判所ノ認定ニ任カス可キコト一層明カナル可シ多クノ場合ニ於テ高キ坂路ニ據リ僅カニ公路ニ通スルコトヲ得ル如キ土地ハ其利用ノ為ニ甚ダ不便ヲ感スルコト明カナリ然レトモ此ノ如キ崖岸アルガ為ニ其土地ヲ以テ袋地ト看做スニハ公路トノ高低ガ著シキ場合ニ於テノミ然ルヲ得ベシ且ツ此事情ノ為ニ一個ノ土地ヲ袋地ト認定スルニハ其土地ノ利用ノ方法業務ノ種類等ヲ斟酌セサル可カラズ單ニ住居用ノ家屋ヲ建築シタルニ止マルトキハ縦令公路ト其土地トノ間ニ多少ノ高低ヲ為スモ未ダ以テ此事情ニ依リ袋地ナリト看做スニ足ラサル可ク是レニ反シテ工業又ハ農業用ニ供セラレタル土地ナルトキハ同一ノ高低ノ為ニ或ハ袋地ナリト看做スコト必要ナル可シ
一方ヨリ考フルトキハ袋地ノ所有者カ圍繞地ニ通路ヲ求ムルニハ多少ノ賞金ヲ拂フコトヲ要スルガ故ニ袋地ノ所有者ハ必要ナクシテ猥リニ此通路ヲ求ムル如キコト莫カルベシ或ハ陸路ヲ有セズシテ單ニ河海ノ通路ヲ有スルニ止マリ又ハ其土地ト公路ト甚ダ高低ヲ為スモ是レガ為ニ必要ナル交通ヲ為シ得ベキ場合ニ於テハ多少ノ負担ヲ顧ミルコトナクシテ圍繞地ニ通路ヲ求ルコト勿カル可シ
元来公路ト直接ノ交通ヲ為シ得ヘキ土地ニシテ土地ノ崩壊洪水又ハ土木工事等一種ノ事情ノ為メ公路トノ交通ヲ遮断セラレタル場合ハ法律ヲ以テ特ニ之ヲ規定スルコトヲ要セズ此等ノ場合ニ於テ隣地ヲ通過スルニ非ラサレバ公路ニ達スルコト能ハサルトキハ隣地ノ所有者等ハ何等ノ償金ヲ得ルコトナクシテ此通路ヲ供セサル可カラズ要スルニ此ノ如キ事情ヨリシテ困難ヲ生ジタル場合ニ当リ之ヲ決スルハ地方警察権ニ属スルモノナリ
時トシテハ公路ノ廃止若クハ変更等ノ為メ永久ニ真正ノ袋地ノ生スルコト有リ此場合ニ於テ行政権自カラ従来沿道ノ所有者ニ新タナル公路ト交通ノ道ヲ得セシムルコト能ハザルトキハ是レ又其土地ヲ圍繞セル土地ニ向ッテ此通路ヲ請求ス可キコト勿論ナリ此場合ニ於テ通常行政権自カラ此請求ヲ為シ而シテ法律上ノ地役ヲ確認且ツ履行セシム可シ
第二百拾九条
袋地ノ場合ニ於テ法律上ノ地役ニ依リ通路ヲ得セシムルモ單ニ人ノ使用ノ為メニノミ此通路ヲ得セシムルトキハ法律ノ目的ハ未ダ全ク達シタリト謂フ可カラサル而巳ナラス殆ンド其小部分ヲ達スルニ止マレリト謂フヲ得ベシ縦令袋地タル土地ハ住居用ノ家屋アル場合ニ止マル場合ト雖トモ仍ホ常ニ人ノ往来若クハ日用品ノ運搬等ノ為メ馬車ノ通行ヲ必要トス可シ住居用ノ土地ニ於テモ已ニ然リ矧ンヤ農業商業又ハ工業等ヲ目的トスル袋地ナル場合ニ於テヲヤ
袋地ノ存在ハ建物ガ住居用ノモノタルト其他農工業用ノモノタルトヲ問ハズ其築造ガ袋地タラザリシ以前ニ在リヤ将タ袋地ト為リテ後築造ヲセラレタル者ナルヤハ之ヲ区別スルノ必要ナシ何トナレハ孰レノ場合ニ於テモ通路ヲ必要トスル経済上ノ利益ハ常ニ存スルモノナレバナリ
袋地ガ住居用ノ家屋ヲ有スルコトナクシテ其利用ノ方法タルヤ一年中或ル季節ニ於テ作業ヲ為スノ必要アルニ止マルコト有ル可シ例令バ或ル種類ノ農業又ハ森林ニ関スル作業等ノ如キ場合ニ於テ原則上此必要ノ季節ニ於テノミ通路ヲ求ムルコトヲ得ベシ然レドモ凡ソ土地ノ所有者ハ常ニ自己ノ所有地ヲ監督スルノ権利アルモノナルガ故ニ袋地ノ所有者モ亦常ニ其所有タル袋地ヲ監督スルノ権利アルコトヲ認メサル可カラズ茲ヲ以テ其監督ヲ行フ為ニ必要ナル通路ハ孰レノ時ニ於テモ隣地ノ所有者ハ之ヲ拒ムコトヲ得ザルヤ勿論ナリ惟袋地ノ所有者ニ於テモ此権利ヲ濫用スルコトナキヲ必要トス
実際ニ於テ当事者双方ガ恊議ヲ以テ通路ノ場處及ビ償金ノ額ヲ定ムルコト屡々ナル可シ然レドモ時トシテ此恊議成立スルコト能ハサル場合ニ於テハ法律自カラ規定ヲ定メサル可カラズ立法者ハ此場合ニ於テ裁判所ガ標準トス可キ二個ノ目的ヲ指示セリ其一ハ袋地ヲシテ最大便益ヲ得セシムルニ在リ其二ハ通路ヲ供ス可キ土地ノ損害ヲシテ最モ小ナラシムルニ在リ
袋地ノ為ニ供ス可キ通路ハ一直線ニ之ヲ定ム可キモノト規定スルコトナシ即チ其通路ハ最短ノモノタルヲ要セズ何トナレハ袋地ノ所有者ノ為ニ之ヲ考フルニ最短ノ通路ハ必ズシモ最モ便益ナルモノニ非ラズ時トシテハ尤モ不便ナルモノタル可シ蓋シ或ハ著シキ高低アル可ク或ハ岩石多キ部分ナルコト有ル可ケレバナリ又通路ヲ供スル土地ノ所有者ヨリ之ヲ看ルモ最短ノ通路必ズシモ損害ヲ與フルコト尤モ小ナルニ非ラス全ク是レト相反スルコト有ル可シ何トナレバ此最短ノ通路ヲ得セシムルニハ従来承役地ニ存在スル樹木ヲ取除キ又ハ重要ナル工作ヲ毀損スルコト必要ナル如キ場合アル可ケレバナリ
之ヲ要スルニ双方ノ利益ヲシテ充分ニ恊和ヲ得セシムルコトヲ要ス実際ニ於テ当事者ガ恊議ヲ以テ事ヲ定ムルコト能ハサルハ承役地ノ所有者ガ善意ナラサルニ依ルコト屡々ナル可シ此等ノ事件ヲ審理スベキ裁判所ハ或ハ自カラ実地ニ臨検シ又ハ鑑定人ヲ命シ是ニ由テ法律ノ目的ヲ達セシムルコト必要ナル可ク又決シテ困難ノコトニ非ラサルナリ
第二百廿条
袋地ノ所有者カ隣地ニ通路ヲ求ムルニ当テハ此通路ノ為ニ隣人ノ蒙ムル可キ損害ノ償金ヲ弁済セサル可カラズト雖トモ此償金ヲ弁済スルガ為ニ通路ノ設置ニ関スル費用ヲ負担スルノ義務ヲ免カルルコト能ハス例令バ地均シ等ノ費用ノ如キ又通路ノ維持ノ費用ヲ負担スルノ義務ニ至テモ同一ナリトス然レトモ袋地ノ所有者ガ為ス可キ所ノ工事ハ自己ノ権利ノ行使ノ為メ必要ナリト信ズル程度ニ止マルコトヲ得ベシ此ノ如クニシテ後始メテ相隣者間ノ善良ナル関係ヲ破ル如キ争ヒヲ避クルコトヲ得ベシ
承役地ノ所有者ハ袋地ノ所有者ヲシテ通路ヲ得セシメタル場合ニ於テ是ガ為メ建物又ハ樹木ヲ取除キ若クハ之ヲ変更セシムルコトヲ要シ従ッテ損害ヲ受クル場合ニ於テハ之レニ對シテ一回限リノ償金ヲ請求スルコトヲ得ベシ法文ニ於テハ特ニ樹木ト明記セリ若シ樹木ニ非ラズシテ其他ノ植物ニ関シ右ニ掲グル如ク取除キ又ハ変更ノ為メ損害ヲ受クルコト有ルモ之レニ對スル償金ハ後ニ掲グル償金中ニ包含セラル可キモノナリトス元来地役ハ其働方又ハ受方ニ於テ永久ナルモノトス即チ要益地ニ在テ地役権ガ永久ノモノナルト均シク承役地ニ於テモ地役ノ負担ハ永久ナルヲ以テ原則ト為ス然リト雖トモ此永久ナル性質ハ地役ノ実質ニ非ラズ即チ必要欠ク可カラサルモノニ非ラズ唯其普通ノ性質タルニ過キズ故ニ法律ノ規定ニ依リ又ハ人ノ意思ヲ以テ地役ヲシテ永久ナラサル性質ヲ有セシムルコトヲ得ベク特ニ然ラサル場合ニ於テノミ地役ハ当然永久ナルモノトス此事タルヤ已ニ第二百拾四条ノ下ニ於テ述ベタル如ク地役ノ定義中ニ於テ未ダ永久ノ性質ナルモノヲ看サルナリ
通行地役ノ原因タル袋地ノ事情ハ通常ノ場合ニ於テ之ヲ考フルニ決シテ永久無期ノモノトシテ生スルコト是レ有ラサル可シ何トナレバ袋地ナル事情ヲ消滅セシム可キ原因ハ一ニシテ足ラズ就中新タナル公路ノ開設セラレタルニ由テ従来ノ袋地ハ通路ヲ有スルニ至ルコト有ル可ク或ハ袋地ノ所有者ガ現ニ法律上ノ地役トシテ有スル通行権ヲ行フ土地ノ外ニ於テ新タニ土地ヲ取得シ是ニ由テ他人ノ土地ヲ通行スルコトナクシテ公路ニ達スルコトヲ得ルニ至リタルトキニ於テモ亦袋地タルノ事情ハ消滅ス可シ或ハ袋地ト是レガ為ニ通路ヲ供シタル承役地ト同一ノ人ニ属スルニ至リタル場合モ是レト同一ナル可シ蓋シ此場合ニ於テハ要益地ト承役地トノ混同ニ由テ地役消滅スベシ
承役地ノ所有者ガ要益地ニ通路ヲ供スルガ為メ其損害ノ償金トシテ法律ノ是レニ與フル所ノモノハ單ニ毎年ノ償金ニ止マル蓋シ是レ他日袋地タルコトノ已ム可キ場合ヲ豫想シテ設ケタル規定ナリトス而シテ此第二種ノ償金ハ之ヲ定ムルニ当ツテ左ノ二点ヲ基礎ト為ス可キモノナリ第一通路ノ為ニ土地ノ一部分ヲ領有セラレタルニ依リ承役地ノ使用収益ノ点ニ於テ蒙ムリタル減少第二承役地ノ実價ノ減少是ナリ
第二百廿一条
袋地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ辨済ス可キ償金ハ前条第二項ノ特別ナル事情アル場合ノ外通常毎年ノ償金ノミナルヲ以テ袋地ニシテ他ニ通路ヲ得従ツテ承役地ニ強要シタル通路不用ニ属シタルトキハ此原因ノ消滅ト共ニ償金ノ義務モ亦其時ヨリシテ消滅ス可シ然リト雖トモ当事者双方ニ於テ共ニ此事実ヲ主張シ権利及ビ義務ノ消滅ヲ主張スルモノナキ時ハ其関係ハ依然トシテ継続シ他日一方ノ者ヨリ此関係ヲ終了セシメント欲スルマデ更ニ異ナルコト莫カル可シ要益地ノ所有者ハ他ニ償金ヲ拂フコトナクシテ公路ニ達スルヲ得ルニ至リタル後依然償金ヲ拂フテ承役地ニ通路ヲ取リ此事情ヲ変更スルコトヲ欲セサル如キハ甚ダ解ス可カラサルニ似タリト雖トモ或ハ袋地ガ新タニ得タル通路ハ甚タ不便ニシテ縦令年々ノ償金ヲ拂フモ承役地ニ通路ヲ取ルコト甚ダ利益ナルガ為ニ然ルコト有ル可ク承役地ノ所有者ニ於テモ他人ヲシテ自己ノ土地ヲ通行セシメ法律上ノ義務消滅シタル後ニ至ルマデ仍ホ之ヲ拒マザルハ普通ノ状態ニ反スル如シト雖トモ一方ニ於テ承役地ガ他人ニ通路ヲ供シタル為ニ蒙ムル損害ハ甚タ大ナルモノニ非ズシテ且ツ毎年償金ヲ受クルモノタルコトヲ知ラバ容易ニ之ヲ解スルコトヲ得ベシ
永久ニ毎年ノ負担ヲ有スルハ何人ト雖トモ常ニ困難ヲ感スル所ナル可シ茲ヲ以テ其債務者タルモノハ早晩之ヲ免カレンコトヲ欲スルハ普通ノ情ナリ特ニ其負担ニシテ避ク可カラサルモノニ非ラサル場合ニ於テハ最モ然リト為ス袋地ノ場合ニ於テ要益地ガ袋地タラサルニ至リタル如キ即チ然リト為ス此場合ニ於テ最後ノ一ヶ年ニ對スル償金ニ付テハ單ニ要益地ノ所有者ガ通路ヲ使用シタルトキノ割合ニ應ジテ之ヲ辨済ス可シ本条第一項ハ実ニ此点ヲ決シタルモノナリ
第二項ノ法文ヲ以テ規定シタル場合ハ右ニ掲クル所ト同一ナラズ即チ新タナル事実ノ生ジタルガ為ニ従来ノ袋地ガ公路ニ達スルコトヲ得ルニ至リタル場合ニ非ラズシテ袋地ノ所有者ガ自カラ通行権ヲ抛棄センコトヲ欲シタル場合ナリトス袋地タル事情ガ息ミタルニ非ラズシテ其所有者ガ通行権ヲ抛棄スル如キハ普通ノ場合ニ於テ適当ノ例ヲ認ムルコト能ハサル可シト雖トモ例令バ要益地ガ河海ニ據ル通路ヲ有シ又ハ公路ト著シキ高低ヲ為ス場合ニ於テ此事情ノ為ニ袋地ト看做サレタルトキニ在ツテハ此ノ如キ適例ヲ生スルコト決シテ是レナシト謂フ可カラズ或ハ其土地ノ所有者ガ車馬ノ通路ヲ必要トシタル利用ノ方法ヲ廃シタルガ為メ従来ノ通路不用トナルコト有ル可ク或ハ不便ナル通路ニ満足スルニ至リシガ為ニ此ノ如クナルコト有ル可シ
右ニ掲ゲタル如キ種々ノ場合ニ於テ袋地ノ所有者ハ毎年ノ償金ヲ弁済スルノ義務ヲ免カルルガ為ニ自カラ其義務ノ原因タル権利ヲ抛棄スルコトヲ得ベシ然レドモ権利ヲ抛棄シテ是レニ附着スル義務ヲ免カレント欲スル場合ニ於テハ義務ノ原因タル事情ガ実際ニ於テ消滅シタル為メ当然其義務ノ消滅ヲ来タス場合ト同一ナルコト能ハズ即チ袋地ノ所有者ヲシテ仍ホ其権利抛棄ノ後六ヶ月分ノ償金ヲ弁済セシムルモノトス
第二百廿二条
本条ハ袋地ノ所有者ト承役地ノ所有者トガ合意ヲ以テ永久ノ損害ノ償金ヲ元本ニテ定メタル場合ヲ規定セルモノナリ蓋シ袋地ノ所有者ガ法律上ノ義務トシテ辨済ス可キ所ノモノハ已ニ述ベタル如ク毎年ノ償金ナリト雖トモ是レ特別ノ合意ナキ場合ニ於テ法律上ノ義務トシテ存スル所ノモノナリ故ニ裁判所ニ於テハ之ヲ変更スルコト能ハズト雖トモ当事者ハ合意ヲ以テ是レニ反スルコトヲ得ベシ従ッテ毎年ノ償金ヲ定メズシテ元本ヲ以テ之ヲ定メタル場合ニ於テハ他日袋地タルコト息ミ従ッテ償金ノ義務消滅シタル場合ニ於テ此元本ヲ如何ナル方法ニ従ッテ處分ス可キヤヲ定ムルコト必要ナリトス是レ本条ノ規定アル所以ナリ
法律ハ一方ニ於テ当事者ガ永久ノ損害ニ對スル償金ヲ元本ニテ定ムルコトヲ許スト同時ニ他ノ一方ニ於テハ縦令当初ヨリ当事者ガ此合意ヲ為サズシテ毎年ノ償金ヲ弁済スル場合ニ於テモ此義務ノ買戻シニ関スル権能ヲ許セリ凡ソ其原因ノ何タルヲ問ハズ永久ニ毎年ノ弁済ヲ為スハ義務者ニ於テ困難ナルコト已ニ掲グル所ノ如クナルノミナラズ又屡々是レガ為ニ双方ノ争ヒヲ生ゼシムルモノナリ此故ニ其辨済ノ義務ニシテ一定ノ消滅期限ヲ有セス永久ニ継続ス可キモノナルトキハ法律ヲ以テ特ニ義務者ヲシテ元本ノ弁済ニ依リ義務ヲ免カルルノ道ヲ得セシムルコトヲ要ス可シ
然リト雖トモ毎年ノ償金ノ買戻シハ承役地ノ所有者ト要益地ノ所有者ノ間特ニ合意ヲ以テ之ヲ譲渡シ且ツ此場合ニ於テ要益地ノ所有者ヨリ弁済ス可キ元本ノ額ヲ定メタルトキニ非ラザレバ本条ニ於テ之ヲ許スコトナシ
袋地タルコト息ミ従ッテ要益地ノ所有者償金ヲ弁済スルノ義務ナキニ至リタル場合ニ於テハ反對ノ合意特別ニ存在スルトキノ外要益地ノ所有者ヨリ弁済シタル元本ハ常ニ其全部ノ返還ハ請求シ得ベキモノトス(第二項)而シテ此返還ニハ二個ノ適用アルヲ看ル可シ其第一ハ当初ヨリ元本ヲ以テ償金ヲ定メ而シテ要益地ノ所有者ヨリ是レガ弁済ヲ為シタル場合ニシテ其二ハ毎年ノ償金ノ買戻シノ為メ元本ヲ定メテ要益地ノ所有者ヨリ之ヲ弁済シタル場合ナリトス
右ニ述ブル所ニ従ヘバ要役地ノ所有者ガ通路ヲ使用シタル時間ノ長短如何ニ関ハルコトナク孰レノ場合ニ於テモ凡テ償金ノ全部ハ要役地ノ所有者ニ返還ス可キモノトス是レ甚ダ其当ヲ得サルモノニ似タリト雖トモ其実決シテ然ラズ何トナレハ承役地ノ所有者ハ要役地ニ供シタル通路ノ為ニ蒙ムリタル損害ノ償ヒトシテ元本ノ収益ヲ有シタル者ナレバナリ
法律ニ於テ之ヲ明定セズト雖トモ袋地ノ息ミタル場合ニ於テモ時トシテハ右ニ掲ゲタル元本ノ返還ヲ為サシム可カラサルコト勿論ナリ即チ要役地ノ所有者ガ承役地ヲ買受ケタル為メ両個ノ土地一人ノ手ニ合シ混同ノ為ニ地役消滅シタル場合是レナリ此ノ如キ場合ニ於テ要役地ノ所有者ガ曽テ元本ヲ以テ償金ヲ弁済シ若クハ毎年ノ償金ノ買戻シノ為ニ元本ヲ弁済シタルコト有ルモ此等ノ償金ハ賣主タル承役地ノ所有者ヨリ買主ナル要役地ノ所有者ニ向ツテ返還ス可キモノニ非ラズ蓋シ返還ノ義務ハ通行ノ地役ヲ免カレタルニ基クモノニシテ承役地ノ所有者ハ已ニ土地ヲ賣渡シタルヲ以テ通行地役ヲ免カレタリト謂フコト能ハサレバナリ且ツ右ノ如キ場合ニ於テハ当事者間ニ於テ賣買代價ヲ定ムルニ当リ必ズヤ承役地ノ所有者ガ受領シタル金額ヲ斟酌シタル可ク宛カモ承役地ノ所有者ガ其土地ヲ要役地ノ所有者ニ非ラサルモノニ賣渡ス場合ニ於テハ譲受人ハ他日地役消滅ノ場合ニ於テ其金円ヲ要役地ノ所有者ニ於テ償還スルノ義務ヲ引受クル為メ賣主ニ向ツテ拂フ可キ代價ノ員数ヲ小ナラシムルト同ジク要役地ノ所有者ヨリ賣買代價トシテ承役地ノ所有者ニ約シタル所ノモノモ決シテ大ナラサル可シ故ニ此賣買結了シタル以上ハ再ビ償金ノ返還ニ付テ問題ヲ生ス可キモノニ非ラズ
第二百廿三条
本条ニ於テ規定シタル特別ノ場合ニ在ツテハ袋地ヲ生セシメタル懈怠ハ單ニ袋地ト為リタル部分ヲ取得シタルモノノ一身ノミニ存スルモノニ非ラズシテ此部分ヲ譲渡シタルモノニ在ツテモ亦之ヲ免カルルコト能ハズ従ッテ此場合ニ於テ袋地ノ為ニ必要ナル通路ハ其土地ノ譲渡人ニ於テ何等ノ償金ヲ受クルコトナク之レニ供スルコトヲ要ス且ツ一般ノ理論ヨリ考フルニ一個ノ権利ヲ他人ニ譲渡シタルモノハ常ニ譲受人ニ對シテ此譲受ケタル権利ヲ使用スルノ方法ヲ担保スル義務アルモノナリ
本条ノ規定ハ特ニ法文ヲ以テ之ヲ定メサル場合ニ於テモ仍ホ賣買及ヒ分割ノ場合ニ於ケル担保ノ原則ニ基キテ之ヲ補足スルコトヲ得ベシ然リト雖トモ明文ニ於テ之ヲ掲クルモ未ダ何等ノ害アルヲ看サルナリ此規定ハ地上権ノ譲渡ノ場合ニ於テモ一ノ適用ヲ看ルコト有ル可シ
此場合ニ於テモ亦袋地タル事情ノ消滅スルト同時ニ地役権ハ当然消滅ス可ク而シテ何等ノ償還ヲ要セサルモノナリ何トナレバ当初ニ於テ要役地ノ所有者ヨリ何等ノ償金ヲ弁済セザリシガ故ニ地役消滅ノ時ニ至リ承役地ノ所有者ヨリ償還ス可キ所ノモノ是レ有ラサレバナリ然レドモ本条ニ掲ゲタル特別ノ場合ニ於ケル袋地ハ無償且ツ公共ノ利益タル公路ガ新タニ開設セラレタル為メ袋地タル事情止ムニ非ラサレバ地役消滅セサルモノト為ス此故ニ若シ要役地ノ所有者ガ隣地ヲ取得シ又ハ合意ニ由テ他ノ通行権ヲ取得シタル場合ニ於テモ未ダ地役権ハ消滅スルモノニ非ラズ
第二款 水ノ疎通使用及ヒ引入
本款ニ於テハ凡テ水ニ関スル負担ヲ規定セリ然レトモ善意ヲ以テ設定シタル負担ハ法律上ノ地役トシテ規定ス可キモノニ非ラサルコト勿論ナリ
故ニ先ツ本款ニ於テハ土地ノ自然ノ高低ニ基ク水ノ流下ニ関スル地役ノ規定ヲ看ル可シ(第二百廿四条及ヒ第二百二十六条)是レニ次イデ規定スル所ハ雨水ニ付キ相隣者ヲ害ス可カラサル各所有者ノ義務ナリ(第二百二十六条)猶ホ泉水及ビ流水ニ関スル使用権ノ制限ヲ規定シ(第二百二十七条乃至第二百三十二条)遂ニ水路ノ権利ニ関スル事項ヲ規定セリ水路ノ権利トハ或ハ灌漑ニ必要ナル水ヲ引入ルル為メ或ハ土地ヲ乾燥セシムル場合ニ於テ水ヲ排泄セシムル為メ隣地ヲ通ジテ水路ヲ設置スルコトヲ得ルノ権利是レナリ(第二百三十二条乃至第二百三十七条)
第二百二十四条
本条ニ於テ第一ニ規定スル所ノ地役ハ時トシテ土地ノ位置ニ基クモノトシ従ツテ自然ノ地役ト称セラルル所ノモノナリ蓋シ均シク水ニ関スル地役ナリト雖トモ本条ニ規定スル所ハ雨水若クハ泉水ノミニ関シ家用又ハ工業用ノ餘水ハ全ク本条ニ関係ナケレバナリ
本法ニ於テ此地役ヲ法律上ノ地役ト為シタル理由ニ至ツテハ已ニ前段ニ於テ之ヲ詳述セリ
水ハ低キニ就クコト自然ノ勢ヒニシテ殆ント人力ヲ以テ之ヲ止メ得ベキモノニ非ラズ縦令最小ナル水流ト雖トモ之ヲ止メテ多少久シキニ至ルトキハ遂ニ非常ノ損害ヲ與フルノ水トナルニ至ル可シ
法律ハ此自然ノ勢力ヲ侵サズシテ之ヲ確認セリ蓋シ立法者ノ力ヲ以テ低地ノ所有者ノ義務ヲ免カレシメ高地ヨリ流下スル水ヲ受ケサルヲ得セシメントスルモ到底其目的ヲ達シ得ベキニ非ラス法律ノ力ヲ以テスルモ水ヲシテ其源ニ溯ラシメ得ベキモノニ非ラズ然レトモ若シ水ノ流下ガ高地ニ於テ人力ヲ用ヰ作業ヲ為シタルニ関スルモノナルトキハ未タ自然ニ基クモノト謂フコトヲ得ズ従ツテ本条ニ掲ケタル法律上ノ義務ハ低地ノ所有者ニ属スルコトナシ
此ノ如クナルヲ以テ低地ノ所有者ニ水ノ流下ヲ受クルノ義務アルト否トハ其流下ガ自然ニ基クモノナルヤ或ハ人工ニ由テ然ルモノナルヤニ依リ分ルルモノナレドモ人類ノ群集セル市府其他ノ土地ニ於テハ果シテ土地ノ高低ガ古来何等ノ人工ヲ施コシタルコト莫ク全ク自然ニ出テタル者ナルヤ否ヤハ今日ニ於テ之ヲ知ルコト甚ダ困難ナルハ普通ノ状態ナリトス加之ナラズ殆ンド多少ノ人工ニ由テ形状ノ変更ヲ受ケサル土地ハ非ラサル可シ例令バ低地ハ土砂ヲ以テ之ヲ高クシ傾斜アルトキハ是レニ変更ヲ加ヘタルガ如キ是レナリ然レドモ其事タル歳月ヲ経ルニ従ツテ何人ト雖トモ之ヲ記憶セサルニ至リ多少是レガ記憶存スル場合ニ於テモ仍ホ其證明ヲ為スコト困難ナル可シ此ノ如キ事情ナルニ一方ニ於テ低地ノ所有者ハ数百年ノ後ニ於テ往時人工ヲ施コシテ地勢ヲ変更シタルコトヲ證明シ高地ヨリ流下スル水ヲ受ケサルコトヲ得ルモノトセハ是レガ為メニ高地ノ蒙ムル所ノ損害ハ非常ニ大ナル可ク且ツ屡々土地ノ状態ヲシテ舊時ノ如クナラシメ水路ヲシテ旧状ニ復セシムルコト能ハサル可シ
右ニ掲クル如キ理由アルガ為メ本法ニ於テハ縦令人工ヲ以テ水ノ疏通路ヲ創設シ又ハ之ヲ変更シタル場合ニ於テモ其工事ガ年月ヲ知ル可カラサル場合ニ於テハ全ク人工ニ依ラズシテ天然ノ地勢ニ依リ流下スル水ト同ジク低地ノ所有者ニ於テ之ヲ受クルノ義務アルモノトシ更ニ一歩ヲ進メ縦令工事ノ年月明カナル場合ニ於テモ已ニ三十个年以前ニ在ルモノハ年月ヲ知ル可カラサル場合ト全ク同一視セリ
或ル外國ノ法律ニ在ツテハ此事項ニ関シテ更ニ二個ノ規定ヲ設クルモノ有リ然レトモ本法ニ於テハ明文ニ掲クルノ必要ヲ認メサリシナリ其一ハ低地ノ所有者ハ水ノ流下ヲ妨グ可キ工事ヲ為スコトヲ得ズトノ規定ニシテ其ノ二ハ是レト同一ノ理ニ依リ高地ノ所有者ハ水ノ流下ヲ甚ダシカラシム可キ處為ヲ為スコトヲ得ズトノ規定ナリ
此二個ノ規定ハ実ニ無用ノモノト謂ハサルヲ得ズ若シ低地ノ所有者ニシテ堤防其他ノ工事ヲ為シ是レニ由テ高地ヨリ流下スル水ヲ妨クル如キ處為ヲ為スコトヲ得ルモノトセバ是レ全ク水ノ流下ヲ受クルノ義務アラザルガ故ナリ已ニ之ヲ受クルノ義務アリト謂フ以上ハ斯ル工事ヲ為スノ権利ナキコト弁ヲ竢タズシテ明カナル所ナリ高地ノ所有者ノ権利ニ至テモ是レト同一ナリトス若シ水ノ流下ヲシテ甚ダシカラシムルコトヲ得バ其流下ハ自然ナリト称スルコトヲ得ズ即チ第二百二十四条ノ法文ニ所謂人工ニ由ラズシテ流下スルモノニ非ラズ然ルニ此ノ如キ水ハ低地ノ所有者ニ於テ之ヲ受クルノ義務ナキガ故ニ高地ノ所有者ニ於テ之ヲ流下セシムルノ権利ナキハ是レ又明カナル所ナリ
右ノ理ニ基クトキハ高地ノ所有者ハ其土地ヨリ低地ニ向テ流下ス可キ水ヲ一個又ハ数個ノ小流ト為スコトヲ得ズ何トナレバ此ノ如ク集マリタル水ノ流下ハ低地ノ為ニ損害ヲ加フルコト大ナル而巳ナラス已ニ人工ヲ施コシタルモノナル以上ハ低地ニ於テ之ヲ受クルノ義務ナキ所ナレバナリ高地ノ所有者ハ其所有地内ニ於テ随意ニ水ヲ使用スルコトヲ得ベキハ勿論ナリ故ニ是レガ為ニ必要ナル場合ニ於テハ處々ニ之ヲ援用スルコトヲ得ベシト雖トモ低地ニ向テ之ヲ流下セシムルニ当テハ土地ノ自然ノ高低ニ由テ定マリタル自然ノ流下ニ復セシムルコトヲ要ス
高地ノ所有者ガ穿タシメタル噴井又ハ其生セシメタル泉水ハ自然ノ水トシテ低地ノ所有者ニ於テ之ヲ受クルノ義務アルヤ否ヤハ多少困難ナル問題ナル可シ此場合ニ於テ高地ノ所有者ガ工事ヲ施コシタルコトハ明カナルガ故ニ此一事ニ由リ法律上ノ地役ト称ス可カラサルモノノ如シ然レトモ他ノ点ヨリ考フルトキハ已ニ水ガ地上ニ出デタル後ハ自然ノ傾斜ニ従ツテ隣地ニ流下スルモノニシテ更ニ人口ヲ加ヘタルモノニ非ラズ従ツテ仍ホ本条ノ規定ヲ適用シ得ベキモノノ如シ若シ此等ノ困難ヲ避クルガ為ニ高地ノ所有者ヲシテ噴井又ハ泉源ヲ閉塞セシムル如キハ到底為シ得ベキ所ノモノニ非ラズ此ノ如キ場合ニ在ツテハ到底其水ヲ低地ニ流下セシメ而シテ低地ノ所有者ノ損害ニ對シ償金ヲ弁済セシムルノ道アルノミ又此ノ如キ場合ニ於テハ殆ンド公路ニ達スル能ハサル袋地ガ圍繞地ニ對シテ通路ヲ求ムル場合ト甚ダ相類スル事情存スト云フコトヲ得ベシ従ツテ第二百十八条ノ場合ト類似セル決定ヲ為スコトヲ要ス可シ
高地ノ所有者カ他人ノ土地ヨリ引来リタル水ニ関シテモ亦同一ノ問題起ル可シ何トナレバ一旦引来リタル水ヲ更ニ其泉源ノ地ニ返還セント欲スルモ泉源ノ所有者ニ於テ之ヲ欲セサルトキハ他ノ低地ニ向テ之ヲ流下セシムルコト止ム可カラサルニ至レバナリ
右ニ掲ケタル場合ニ於テ裁判所ハ屡々償金ノ方法ニ由テ其問題ヲ決ス可シ即チ人工ニ由テ生ジタル噴井又ハ泉源ノ水ヲ以テ灌漑用ノ為メ他ノ土地ヨリ引来リ而シテ之ヲ使用シタル残餘ノ水ト同一ノ決定ヲ為ス可シ此点ニ関シテハ第二百三十四条ニ至リ灌漑ニ供シタル残餘ノ水ハ賞金ヲ拂ッテ低地ニ流下セシムルコトヲ許セル規定アルヲ看ル可シ
低地ノ所有者ハ高地ヨリ流下スル水ヲ自己ノ土地内ニ於テ使用スルコトヲ得ベシ従ツテ其使用ノ方法トシテ損害ヲ生スル最モ少ナキ部分ニ之ヲ援用スルコトヲ得ベシ
法文ハ惟水ニ関シテ規定ヲ為スニ止マレリト雖トモ其水ト共ニ流下スル土砂等ニ至テハ均シク低地ノ所有者ニ於テ之ヲ受クルノ義務アルコト明カナリ此点ニ付テモ仍ホ常ニ自然ニ出ツル場合ニ於テノミ低地ノ所有者ニ義務アルコトヲ注意ス可シ山間ノ地方ニ於テハ自然ノ水ノ為ニ屡々土砂ヲ流下セシメ従ツテ非常ノ損害ヲ蒙ムルコト尠カラズ此ノ如キ場合ニ於テハ旧状ニ回復シ充分ノ工作ヲ為シ得ルニハ尠カラサル歳月ヲ要スルコト屡々ナリ然レドモ之ヲ豫防スルニ必要ナル工事ヲ為スハ高地ノ所有者ノ責任ニ非ラズシテ低地ノ所有者ガ自カラ免カルル能ハサル所ナリ
是レト類似スル問題ニシテ全ク反對ノ場合生スルコトヲ得ベシ即チ高地ノ所有者ハ水ノ為ニ低地ニ流下シタル土砂等ヲ取戻スノ権利アリヤ否ヤノ問題是レナリ
若シ此土砂ノ取戻シノ為メ更ニ新タナル損害ヲ低地ニ加フルコトナク又其当時低地ノ所有者ニ於テ新タニ堆積シタル土砂ノ上ニ工作ヲ為サザル場合ニ於テハ此取戻ヲ拒ムノ理由殆ント是レ有ラサル可シ是レニ反シテ若シ低地ノ所有者已ニ工作ヲ始メタル場合ニ於テ高地ノ所有者ハ其土砂ヲ任意ニテ委棄シタルモノトシテ其請求ハ退ケラル可シ
第二百二十五条
本条ニ於テ規定スル場合ニ於ケル水流ノ変更ハ人為ニ出ツルモノニ非ラズシテ全ク自然ノ事変ニ基クモノナリト雖トモ是レガ為ニ土地所有者相互ノ関係ヲシテ変更セシム可キモノニ非ラズ此故ニ本条ニ掲グル如キ事変アリタルトキハ所有者ハ常ニ水ヲシテ平生ノ疏通ニ復セシムルコトヲ得ベシ
本条ニ掲ケタル場合ノ中最モ著シキモノハ一個ノ水流カ高地ヲ流レ而シテ其一部分ヲモ未ダ曽テ低地ニ流下セシメザリシ場合ナリトス此ノ如キ水流ガ堤防ノ破壊等ノ為メ忽チニシテ低地ニ流下スルニ至ルコト有ルベシ此等ノ場合ニ於テハ侵害ヲ蒙ムリタル低地ノ所有者ハ此水ヲシテ平常ノ疏通ニ復セシムルコトヲ得ルハ当然ナリトス
然レドモ此ノ如キ修繕等ノ作業ヲ為ス場合ニ於テ何人ガ其費用ヲ負担ス可キヤハ一個ノ問題タル可シ
此事タルヤ本法ノ如ク土手其他水ヲ湛フル工作物ノ破壊ノ場合ニ於テ明カニ占有ノ訴権ヲ許セル法律ノ下ニ於テハ何等ノ疑ヒナシトス即チ土手其他水ヲ湛フル工作物ノ如キ凡テ人工ニ成レルモノナルガ故ニ是レガ維持ヲ為スハ其工作物ノ存スル土地ノ所有者ニ於テ之ヲ負担スルコトヲ要ス
然リト雖トモ右ノ場合ニ於テ破壊シ又ハ将サニ破壊セントスル工作物ガ人工ニ出デタルモノニ非ラズシテ自然ノモノナルトキハ是レト同一ナルコト能ハス此場合ニ於テハ高地ノ所有者ハ縦令工作物所在地ノ所有権ヲ有スルモ未ダ是レガ為ニ工作物ヲ旧状ニ復スル修繕ノ費用ヲ負担ス可キニ非ラズ惟低地ノ所有者ガ高地ニ於テ自カラ此修繕ヲ為スコトヲ妨ゲサルニ止マル可キナリ
本条第二項ノ場合ニ於テモ水流ノ阻塞シタルトキ是レヲシテ平常ノ疏通ニ復セシムル為メ必要ノ工事ノ費用ハ高地ノ所有者ヲシテ負担セシメタリ其理由トスル所蓋シ低地ノ所有者ハ高地ヨリ流下スル水ヲ受クルノ義務アリト雖トモ未タ水ノ疏通ヲシテ容易ナラシムルノ義務ヲ有スルモノニ非ラサルヲ以テナリ之ヲ要スルニ低地ノ所有者ハ高地ヨリ水ノ流下スルヲ妨グルコトナケレバ即チ其本分ヲ尽シタルモノトス後ニ至リ第二百三十六条及ヒ第三節ニ至テ規定スル所アルガ如ク地役ハ決シテ承役地ヲシテ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラズシテ惟要役地ノ所有者ガ或ル権利ヲ行フヲ妨ゲザルノ義務ヲ負ハシムルノミ
水ノ疏通ニ関スル地役ハ其実際ノ効力ヲ各人ノ合意ニ由テ増減変更スルコトヲ得ベシ然レドモ全ク合意ヲ以テ之ヲ廃止スルコトハ到底許ス可カラサルモノナリ何トナレバ此事タルヤ各人ノ私益ニ関スルノミナラズ水流ノ阻塞停滯ノ為ニ高地ガ何等ノ生産ヲ為サザルニ至ル如キハ一般経済上ノ利益ニ大ナル関係ヲ有スルモノナレバナリ
是レト同一ノ理由ニ依リ低地ノ所有者ハ高地ノ所有者ガ三十ヶ年ノ間水ヲ流下セシムルコト莫クシテ経過シタルヲ口実トシ最早之ヲ受クルノ義務ヲ免カレタリト主張スルコトヲ得サルナリ通常ノ場合ニ於テ三十ヶ年間ノ不使用ハ地役消滅ノ原因ナリト雖トモ本条ノ場合ノ如キ公益ニ関スル法律上ノ地役ニ付テハ此消滅原因ヲ主張スルコトヲ得サルモノトス
此点ハ実ニ人為ヲ以テ設定シタル地役ト全ク公益ノ為ニ法律ガ確認シタル地役トノ間ニ存スル差異ノ一ナリトス(参看第二百九十条)
浸水地ヲ乾カスニ由リ出水ノ疏通ノ為メ及ビ灌漑ノ餘水ノ排泄ノ為メ通路ヲ低地ニ求ムルコトハ高地ノ所有者カ為シ得ベキ所ナリ而シテ此ノ如キ水ハ純然タル自然ノ水ト謂フコト能ハズ已ニ自然ノ水ト称スルコト不完全ナルモノニ至テモ仍ホ低地ニ流下セシムルコトヲ得ル右ノ如シ矧ンヤ其自然ナルモノニ至テハ之ヲ流下セシムルコト前ニ述フルカ如ク公共ノ利益ニ関スルモノナルガ故ニ縦令当事者ノ合意ヲ以テスルモ今此地役ヲシテ消滅セシムルコトヲ得サルモノトス
然リト雖トモ各当事者ガ自然ノ水ノ疏通ニ関スル地役ヲ消滅セシム可キ一個ノ合意ヲ為シタル場合ニ於テ此合意ヨリ生シ得ベキ所ノ効力ハ左ノ一点ニ止マル可シ或ル場合ニ於テ法律上ノ地役ハ高地ノ所有者ヨリ低地ノ所有者ニ一定ノ償金ヲ弁済シテ行使セラレタルコト有ル可シ即チ灌漑又ハ土地乾燥ノ場合ニ於ケル水ノ通路ノ地役ノ如キ是レナリ例之バ当初高地ノ所有者ガ低地ノ所有者ト契約ヲ為シ自然ノ水ヲ低地ニ流下セシメサルコトヲ承諾シタル為メ其報酬トシテ償金等ヲ受取リタル場合ニ於テハ他日水ヲ流下スルノ権利ヲ回復セントスル時ニ至リ無償ヲ以テ之ヲ回復シ得ベキニ非ラサルナリ
第二百二十六条
本条ノ明文ハ雨水ノ直チニ隣地ニ落ツル如キ屋根ト其他ノ工作物ヲ設クルコトヲ禁ジタリ何トナレハ高處ヨリ落ツル雨水ハ隣地ヲシテ多少ノ害ヲ蒙ムラシム可キノミナラズ此ノ如ク屋根ヨリ直接ニ落ツルトキハ土地ノ自然ノ傾斜ニ従ッテ隣地ニ流下スルニ比シテ其部分甚ダ汎カル可シ又一旦地上ニ落チタル後隣地ニ流下スルナクシテ雨水ノ幾部分ハ要役地ニ浸潤シ其残餘隣地ニ流ルルニ止マル可シト雖トモ若シ然ラズシテ直接ニ隣地ニ落ツルトキハ隣地ハ雨水ノ全部ヲ受クルニ至リ遂ニ工作物ノ為ニ其地役ノ負担ヲ重カラシムルニ至ル可ケレバナリ此ノ如クナルヲ以テ若シ土地ノ分界ニ於テ建物ヲ築造スル場合ニ於テハ其屋根等ノ如キハ雨水ヲシテ直チニ隣地ニ落ツルコト莫カラシムル如キ方法ヲ以テ築造スルコトヲ要ス縦令屋根ヨリ落チタル水ト雖トモ一旦要役地ニ落チタル後自然ノ地勢ニ従ツテ隣地ニ流下スルハ是レ自然ノモノニシテ承役地ニ於テ之ヲ承クルコトヲ拒ムヲ得ス
若シ所有者ガ建物ノ築造ヲ為シ又ハ其修繕ヲ為スニ当リ法律ノ定ムル所ニ反對ノ構造ヲ為ス場合ニ於テハ隣人ハ新工告発ノ訴権ニ由テ之ヲ停止スルコトヲ得ベシ
第二百二十七条
泉源ノ水ノ自然ノ流下ヲ承クルモ亦低地ノ所有者ガ法律上有スル所ノ負担ナリトス然レトモ是レ惟其負担タルノミ未タ是レニ関シ低地ノ所有者ハ何等ノ権利ヲモ有スルモノニ非ラズ此故ニ原則上泉源ノ所有権ヲ有スルモノハ任意ニ其水流ヲ変轉シ或ハ第三者ノ為ニ之ヲ處分スルコトヲ得ルモノナリ
然リト雖トモ此原則ニ對シテハ次条ニ於テ第一ノ例外ヲ設定セリ又次節ニ於テ(第二百七十六条)人為ヲ以テ設定セラレタル地役ニ付テハ取得事項ヲ適用シ得ベキコトヲ看ルベシ而シテ本条ノ場合ノ如キモ亦此取得時効ノ適用ヲ為シ得ベキ場合ナリトス右ニ述ブル如ク原則上泉源ノ所有者ハ任意ニ其水ヲ處分スルノ権利アリト雖トモ若シ隣人ニシテ取得時効ヲ得タル場合ニ於テハ水ノ流下ヲ拒ムコトヲ得ズ時効ノ場合ニ於テスラ已ニ然ルガ故ニ若シ更ニ一歩ヲ進メ権原ニ由テ水ヲ譲與シタル場合ニ於テハ隣人ヲシテ泉源ノ餘水ヲ得ルコト能ハサラシムルハ其為スコト能ハサル所ナリ
要スルニ本条ノ原則ニ對シテハ此ノ如ク二個ノ例外アリ而シテ法文ノ表面ヨリ此原則ヲ解シ甚ダ絶對ノモノナルガ如キ思想ヲ生セシメサランガ為メ特ニ此例外ヲ示セリ又自己ノ所有地内ニ於テ鑛泉存スル場合ニ於テハ其所有者ハ任意ニ之ヲ處分スルコトヲ得ス多少ノ制限ヲ受クルコト有ルヲ得ベシ蓋シ鑛泉ノ如キハ一般衛生ノ為ニ甚ダシク利害ノ関係ヲ有スルガ故ニ特ニ各人ノ私益ヲシテ此制限ヲ蒙ラシムルコト有ル可キナリ
第二百二十八条
或ル場合ニ於テ一個人ノ利益ハ一般公共ノ利益ニ為ニ一歩ヲ譲ラサル可カラズトノ原則ハ実ニ本条ノ規定ノ由テ生シタル基礎ナリトス
水ハ人ノ生活上最モ缺ク可カラサル所ノモノニシテ渇ヲ止ムルニ必要ナル水ハ何人ト雖トモ其同胞ニ向テ之ヲ與フルコトヲ拒ムコト能ハズトハ古來ノ確言ナリ故ニ立法者ハ一個人ノ所有ニ属スル水ト雖トモ仍ホ或ル場合ニ於テハ他人ノ為ニ之ヲ分與セサル可カラサルコトヲ規定シ而シテ一般ノ利益ト各人ノ利益トヲシテ成ベク調和セシメンコトヲ勤メタリ
第一泉源ノ所有者ガ所有権ノ使用ニ於テ幾分ノ制限ヲ受ケ他人ノ為ニ幾分ノ分與ヲ為ササル可カラサルニハ其水ヲ請求スルモノガ一町村又ハ一部落等ノ如ク行政権ニ由テ求メラレタル人民ノ聚合体ナルコトヲ必要トス故ニ多少ノ人民連合シテ之ヲ請求スルコト有ルモ未ダ其人々ノ間ニ於テ右ニ述ブル如キ関係アラサル場合ニ於テハ本条ノ利益ヲ受クルコトヲ得ズ或ハ多クノ工夫ヲ使用スル大製造所ノ如キ亦是レト同一ナリトス要スルニ水ヲ請求スル人民ノ多少ハ之ヲ問フコトナシト雖トモ少ナクモ其利益ハ私益ニ非ラズシテ公益タル場合ニ止マル可シ
又泉源ノ所有者ヲシテ所有権ニ本条ノ制限ヲ蒙ムラシムルニハ其水ガ住民ノ為ニ必要ナルコトヲ要ス單ニ住民ハ之ヲ使用スルヲ以テ利益ナリトスルニ止マルトキハ未タ本条ノ規定ニ合セサルモノナリ水ノ必要ニハ種々アル可シ或ハ工業ノ為ニ必要ナルコト有ル可ク或ハ農業ノ為ニ必要ナルコト有ル可シ又全ク之レニ異ナリテ家用ノ為ニ必要ナルコト有ル可シ而シテ立法者ハ本条ノ規定ヲ適用スルコト單ニ其水ガ住民ノ家用ニ必要ナル場合ニ止メタリ蓋シ立法者ハ農工業用ノ必要ハ未ダ家用ノ必要ト同一視スルニ足ラズト信ジタルニ依ル家用ニ必要ナル水トハ人畜ノ直接ノ使用ニ必要ナル水ヲ言フモノナリ
泉源ノ所有者ハ自己ニ有用ナラサル餘水ヲ流下セシムルコトヲ要ス故ニ泉源ノ所有者ガ自カラ使用シ得ベキ所ノモノハ單ニ必要ノ水量ニ止マラズ苟クモ必要ト有益トヲ問ハズ凡テ自己ノ用ニ供ス可キ部分ハ流下セシメサルコトヲ得故ニ近隣住民ノ本条ニ由テ有スル権利ニ比スレハ其区域甚ダ大ナルモノトス惟有益ト娯楽トハ之ヲ混同セサルコトヲ要ス此故ニ泉源ノ所有者ハ單ニ家用ノミナラズシテ農工業用ニ之ヲ使用スルコトヲ得ベク凡テ有益ノ用途ニ供スルコトヲ得ベシト雖トモ未ダ娯楽ノ為ニ池ヲ穿ツテ其水ヲ湛フルコトヲ得ズ蓋シ一人ノ娯楽ノ為ニ凡テ住民ノ生活ト健康トニ必要ナル水ヲ拒ム可キニ非ラサレバナリ
本条ノ明文ニ仍レハ町村又ハ部落ノ住民ニシテ泉源ノ水ノ使用ヲ得タル場合ニ於テハ其聚合及ビ引入ニ必要ナル工事ヲ泉源ノ地ニ為スコトヲ得ベシ此点ニ於テ法律ノ制限ヲ設ケタルハ彼ノ点ニ在リ即チ泉源地ニ此工事ヲ為スガ為メ一時ノ損害ヲ加フルハ到底已ム可カラサル所ナルガ故ニ之ヲ禁スルコトナシト雖トモ其損害ハ必ズ永久ノモノナラサルコトヲ必要トス且ツ縦令損害ハ一時ニ止マル場合ニ於テモ泉源ノ所有者若シ是レニ對シ償金ヲ請求セバ町村又ハ部落ノ住民ハ之ヲ弁済スルノ義務ヲ免カルルコトヲ得サルモノトス
右ニ掲ケタル償金ヲ拂フノ必要アルト否トニ拘ハラズ凡テ泉源ノ所有者ハ其完全ナル権利ヲ有スル泉源ノ利益ノ一部分ヲ他人ニ譲與シタルガ為メ相当ノ償金ヲ請求スルコトヲ得ベシ惟此償金ハ下流ノ住民ニ於テ三十个年ノ間之ヲ弁済セズシテ泉源ノ利益ヲ受ケタル場合ニ於テハ免責時効ノ効力ニ依リ最早弁済スルコトヲ要セサル可シ
惟次ノ注意ヲ為スコトヲ要ス即チ此ノ如キ場合ニ於テハ地役ガ時効ニ由テ取得セラレタルモノト謂フ可カラズ地役ハ法律ニ由テ設定セラレタルモノニシテ此設定ノ為メニハ何等ノ期間ヲモ必要トセズ又地役ノ便益ヲ受クルモノガ其使用ヲ始ムルノ以前ニ於テ已ニ存在スルモノナリ此故ニ地役ノ利益ヲ有スルモノガ得ル所ノ時効ハ惟所有者ニ對シテ償金弁済ノ義務ヲ免カルルノ一点ニ止マル
第二百二十九条
法文ニ於テ明記スルガ如ク本条ノ規定スル所ハ公有ニ属スル水流ニ関スルコトナシ舩若クハ筏ノ通ス可キ水流掘割及ビ其床地ハ公有ニ属スルモノナルガ故ニ本条ノ規定以外ナリトス(参看第二十二条)仏蘭西及ヒ其他ノ諸國ニ於テ公有ノ部分ヲ為サザル水流ハ何人ニ属スルモノナリヤノ点ニ於テ議論数種ニ分レ更ニ一定スル所アラサリシナリ或ハ之ヲ以テ國ノ私有ノ部分ヲ為スモノトシ或ハ之ヲ沿岸ノ所有者ニ属セシメントスルモノアリ又一派ノ説ニ従ヘハ此ノ如キ水流ハ何人ニモ属スルモノニ非ラズ又何人ニモ属シ得ベキモノニ非ラズ即チ人類共通ノモノナリトス或ハ水流ト床地トヲ区別スルモノアリ而シテ是レ最モ其当ヲ得タルモノノ如シ其説ニ従ヘハ床地ハ沿岸ノ所有者ニ属セシメ而シテ水流ハ凡テ共通ノモノナリトス本法モ亦此最後ノ學説ヲ確認シタリ本条及ヒ次条ノ規定ヲ適用ス可キ水流ノ性質ハ右ニ述ブル如ク其床地ノ所有権沿岸ノ所有者ニ属シ而シテ水流ニ関シテハ沿岸所有者ハ惟特別ノ使用権ヲ有スルニ止マル
公有ノ部分ヲ為サザル水流ニ関シ床地ト水ノ間ニ此ノ如ク区別ヲ設クルコトハ多少ノ説明ヲ為スコト有益ナル可シ
此種類ノ水流ノ床地ガ沿岸ノ所有者即チ水流ノ通過スル土地ノ所有者ニ属スルコトハ実ニ至当ノコトニシテ若シ之レニ反シ或ハ此床地ヲ國ノ公有又ハ私有ニ属セシムルトキハ両岸ハ各人ノ私有ニシテ其間ニ國ノ財産錯雑スルニ至リ実際ニ於テ殆ント為シ得ベキ所ニ非ラズ蓋シ常ニ困難ナル争訟ヲ生スルノ原因タルニ止マル可シ若シ此水流ノ水ヲシテ國ノ公有又ハ私有タラシメントスル場合ニ於テモ亦同一ノ非難ヲ免カルルコト能ハサル可シ
学理上ヨリ論スルトキハ茲ニ述ブル所ノ水ハ其泉源ノ土地ノ所有者ニ属スト謂フコト解シ得ベカラサルニ非ラズ而シテ泉源ノ所有者ハ國、府縣、市町村等ノ如キ法人ナルコト有ル可ク或ハ各人ナルコト有ル可シ然レトモ泉源ヨリ発シタル水ガ流下スルニ当テハ幾多ノ水流ト相合シテ稍ヤク大トナルモノナリ茲ニ於テ乎一個ノ水流ニシテ数個ノ所有権ノ併合ヨリ成ルモノ有ル可シ而シテ此ノ如キ場合ニ於テ其水ヲ数人ノ所有ニ属セシムルトキハ是レ又前ニ述ベタル場合ト同ジク絶エズ困難ヲ生スルノ原因タル可シ此故ニ泉源ノ水ト雖トモ其所有地以外ニ流下シタルトキハ最早泉源所有者ノ財産ニ非ラサルモノトスルコト最モ自然ニシテ且ツ最モ其当ヲ得タルモノトス然ラハ即チ何人ニ之ヲ属セシム可キヤ泉源地ノ所有者已ニ権利ヲ有セズトセバ何人ニモ属セサルモノニシテ沿岸ノ所有者等ノ如キ先占ノ處為ニ由テ之ヲ取得シ得ベキモノナリヤ法律ハ理論ニ基キ公益ニ照ラシ之ヲ以テ先占シ得ベキ無主物ナリトセズ全ク共通物ト為セリ即チ何人ト雖トモ其所有権ヲ有セス又之ヲ取得スルコトヲ得ズ而シテ凡テノ人之ヲ使用スルコトヲ得ベキナリ此水ノ使用ニ関シテ最モ直接ノ利益ヲ有スルモノハ其水ノ通過スル沿岸ノ土地ノ所有者ナリ此所有者等ハ本条以下ニ定メタル一種特別ノ権利ヲ有スルモノト謂フコトヲ得ベシ即チ他人ガ其所有地内ニ来ッテ流水ヲ汲取ルコトヲ妨グルノ権利ヲ有ス従ツテ他人之ヲ侵シ其水ヲ汲マント欲スルトキハ遂ニ他人ノ土地ニ侵入スルノ過失ヲ免カレサル可シ然リト雖トモ其水ハ何人ニモ属スルコトナキガ故ニ他人ノ物ヲ侵奪シタリト云フコトヲ得ズ即チ窃盗ノ處為アルモノニ非ラサルナリ公有ニ属スルモノト然ラサルモノトノ間ニ区別ヲ為シタル以上ハ最早公有ニ属セサルモノノ中ニ於テ水流ノ大小等ノ区別ヲ為スコトヲ要セズ二個ノ土地ノ間ニ流レ又ハ一個ノ土地ノ中央ヲ経過スル些細ノ水流ト雖トモ仍ホ之ヲ軽ンズ可カラス何トナレバ上流所有者ノ正当ニ使用シタル残餘ノ範圍内ニ於テ水ノ利益ヲ受クルコトハ其下流ノ所有者ニ於テ甚タ利益アル所ナレバナリ固ヨリ細流ニ至テハ其流通ノ間ニ於テ全ク乾涸スルコト有ル可シ然レトモ是レ亦一年中或ル季節ノミ然ルニ止マルコト屡々ナル可ク下流ノ所有者ハ常ニ流水ヲシテ其上流ニ復セシムルコトヲ得セシムル為メ何人ト雖トモ水路ヲ廃セサルコトヲ請求スルノ権利ヲ有ス可シ
國ノ公有ノ部分ヲ為サザル水ヲ以テ國ノ私有ニ属セシムル理論ハ單ニ理論上ニ於テ其当ヲ得サルノミナラズ猶ホ実際ニ於テ各人ガ何等ノ償金ヲ拂フコトナクシテ其水ヲ使用スルノ権利ヲ奪フコトヲ政府ニ許スノ弊アルモノナリ
第二百二十九条第一項ハ各沿岸ノ所有者ガ水路及ヒ幅員ヲ変更スルコトヲ禁セリ各沿岸ノ一方ヲ所有スルモノ猥リニ線路ヲ自己ノ所有地内ニ引入レ由テ水路ヲ変換スルトキハ對岸ノ所有者ハ全ク水ノ利益ヲ失フ可シ若シ此ノ如クナラズト雖トモ猶ホ自己ノ土地ニ於テ川床ヲ擴メ由テ幅員ヲ変更シタルトキハ其水ハ同一ノ力ヲ有セスシテ他人ニ損害ヲ與フルコト有ル可シ若シ之ニ反シ幅員ヲ狹メタルトキハ其結果ハ全ク前者ニ反對ナル可シト雖トモ是レガ為ニ他人ニ損害ヲ與フルコト有ル可キハ又明カナル所ナリ
本条第二項ニ依リ立法者カ流水ノ通過スル土地ノ所有者ニ與へタル権利ハ單ニ一方ノ沿岸ノミノ所有者ニ與へタル権利ニ比シテ甚ダ大ナリトス流水ノ通過スル土地ノ所有者ハ其水路ヲ所有地内ニ変轉セシムルコトヲ得ベシ従ツテ其水ハ土地ニ浸潤シ若クハ蒸発シテ其量ヲ減スルコト甚ダ尠カラサル可シ然レトモ仍ホ下流ノ沿岸者ニ於テ之ヲ拒ムノ権利ナシ此ノ如キ権利ヲ與へタルハ要スルニ水流ノ床地ガ両岸ヲ所有スルモノニ属スルヨリ生ジタル結果ナリトス蓋シ床地ノ所有権ヲ有スル以上ハ此床地ヲ変轉シ得ベキコト当然ナレバナリ然リト雖トモ此ノ如ク充分ノ使用権ヲ與へタルガ為メ遂ニ水流ヲシテ全ク一人ノ有ニ帰セシメ他ノ所有者ニ對シテハ殆ント水流ナキト同一ノ結果ヲ生スルニ至ルハ法律ノ欲スル所ニ非ラス此故ニ一方ニ於テハ水路ノ変轉ヲ許スト同時ニ其目的ニ由テ制限ヲ加ヘタリ即チ農工業用及ビ家用ノ為ニ水路ノ変轉ヲ必要トスル場合ニ限リ之ヲ許セリ従ツテ縦令両岸ノ所有者ト雖トモ池沼ヲ設ケテ水ノ利用ヲ為スコトヲ得ス蓋シ此ノ如クナルトキハ池沼ニ溢レタル水ニ非ラサレハ下流ノ沿岸者ニ利益ヲ與フルコト莫カル可ク且ツ其水ハ常ニ清潔ノモノニ非ラサル可ケレバナリ
此ノ如ク一人ガ権利ヲ濫用シテ他ノ利害関係人ノ不利益ヲ生ス可キ場合ニ於テ裁判所ハ之レガ保護ヲ與へサル可カラズ
本条ノ規定ハ主トシテ流水ニ関シ制定セラレタルモノナリト雖トモ仍ホ池沼ノ如キ匯集セル水ニモ又之ヲ適用ス可キコト当然ナリ池沼モ亦流水ト均シク其沿岸ノ土地ハ一人ニ属セズシテ数人ニ属スルコト有ル可シ若シ池沼ガ一人ノ所有地内ニ存シ而シテ其池沼ハ他ヨリ流下セル水ニ由テ成リタルモノニ非ラサルトキハ其水モ亦土地ノ所有者ニ属ス可シト雖トモ是レニ反シテ一方ニ於テ池沼ノ水ハ他ニ流下スルト同時ニ他ノ一方ニ於テ他人ノ所有地ヨリ流下スル水ヲ受クル場合ニ於テハ池沼ノ水ハ土地ノ所有者ニ属セサル可シ何トナレハ此ノ如ク出入ノ道ヲ有スル池沼ノ水ハ流水ト全ク同一視ス可キモノナレバナリ
此ノ如クナルニ依リ本条ハ流水及ヒ池沼ニ同一ノ規定ヲ適用セリ
沿岸者ノ一方ニ於テノミ堤防ヲ築キタルトキハ是レガ為ニ屡々對岸ニ損害ヲ加フルコト有ル可シ就中水流ノ多少回流スル場處ニ於テ最モ然リト為ス此故ニ此ノ如キ工事ヲ為サント欲スルトキハ利害関係人ノ承諾ヲ受クルコト必要ナリトス
第二百三十条
本条ニ於テハ水ノ使用ニ関シテ屡々起ルコト有ル可ク争訟ノ場合ニ於テ是レガ判決ヲ與フル標準ト為ル可キ原則ヲ裁判所ニ指示スルニ止マリ特ニ詳細ノ説明ヲ要ス可キモノナシ
第二百三十一条
本条ニ規定スル所ノ流水ハ國、府縣、市町村等ノ公有若クハ私有ノ部分ヲ為スモノニ非ラズト雖トモ仍ホ其取締ヲ為スハ行政権ニ属スルモノナリ何トナレバ其保存ハ一般経済上重大ナル利益ヲ有スルノミナラス其取締ヲ為シ以テ沿岸所有者ノ争訟ヲ豫防スルハ公共ノ秩序ニ関スルモノナレバナリ又此流水ニ関スル取締ノコトハ勿論各縣知事ノ職権内ニ属ス可キ性質ノモノナリトス何トナレバ一方ニ於テハ此ノ如キ流水ノ重要ノ度ハ甚ダ大ナラサルガ故ニ必ズシモ之ヲ行政権ノ干渉ヲ要スルモノニ非ラズ惟府縣知事ノ處分ニ對シテ故障ヲ為スモノ有ル場合ニ於テノミ上級行政権ノ干渉ヲ要スルモノ有ル可キノミ且ツ他ノ一方ヨリ之ヲ観察スルニ府縣知事ニ比シテ下級ナル行政権ニ此職権ヲ與フルモノハ決シテ其当ヲ得タルモノニ非ラス何トナレハ其職権ヲ有スルモノニシテ利害関係人ノ一人タル如キコト有ル可ク縦令然ラズトスルモ利害関係人ト甚ダ密接シテ為ニ公平ノ處分ヲ為スコト能ハザル如キコトヲ保セズ加之ナラズ此ノ如ク下級ノ行政権ニ之ヲ一任スルトキハ同一ノ府縣内ニ於テ種々ノ異ナリタル處分ヲ看ルニ至ル可シ此ノ如キハ実際ニ於テ甚タ弊害アルヲ免カレサルナリ
右ニ説明スル如キ流水ノ取締ニ関スル事務ヲ名ケテ水利規則ト謂フ而シテ水利規則ノ目的トスル所二個アリ互ニ相反スルモノナリ其一ハ水ノ疏通ヲ便ナラシムルニ在リ是レニ由テ上流ノ土地ヲシテ洪水ノ害ヲ免カレシメ又下流ノ土地ヲシテ水利ヲ失フコト勿カラシム其二ハ水流ノ保存ニシテ蓋シ水路ヲ通過スル間ニ於テ両岸ノ土地ニ浸潤シ為ニ流水ノ乾涸ヲ來タス如キコト莫カラシムルニ在リ若シ此ノ如キ事情アルニ於テハ両岸ニ於テ治水ノ工事ヲ命スル如キ必要アル可キナリ
漁業ノ事モ亦府縣知事ノ取締ヲ為ス可キ所ニシテ或ハ之ヲ為スコトヲ得ル季節ニ関シ又ハ用フルコトヲ得ベキ方法等ニ関シテ規定スル所アル可キナリ
第二百三十二条
国、府縣、市町村ノ公有又ハ私有ノ部分ヲ為ス流水ノ取締ニ関シテハ固ヨリ民法ヲ適用ス可キモノニ非ラス蓋シ此ノ如キ流水ニ関シテハ公益ノ関係ヲ以テ主要ト為スカ故ニ行政法ニ於テ規定ス可キモノタルコト弁ヲ竢タズシテ明カナリ此故ニ本条ニ於テハ惟行政法ニ於テ規定ス可キコトヲ掲クルニ止マル
第二百三十三条
本条以下ノ規定モ亦一般経済ノ利益ノ為ニ土地ノ所有者ヲシテ多少ノ負担ヲ蒙ムラシメタルモノナリ要スルニ法律ノ精神ハ此ノ如キ場合ニ於テ或ル土地ノ所有者ニ負担ヲ蒙ムラシメタルヨリシテ其蒙ムル所ノ不便若クハ損害ハ是レニ由テ他ノ所有者ガ受クル所ノ便益若クハ利益ニ及バサルコト甚タ遠シト認メタルニ依ル従ツテ一般ノ利害ヨリ之ヲ考フルトキハ土地ノ生産力及ビ價額ハ増加シタルモノニシテ結局国家公共ノ利益ヲ増加シタルモノナリ
他人ノ土地ニ水ヲ通過セシムルコト家用又ハ農工業用ノ為ニ必要ナル場合ニ於テハ其水路ニ当ル可キ土地ノ所有者ハ之ヲ拒ムコトヲ得ズ此故ニ此ノ如キ場合ニ於テ裁判所ハ惟此承役地ノ所有者ニ對シ要役地ノ所有者ヨリ拂フ可キ償金ノ規定ニ関シ干渉スルコト有ル可キノミ
本条ノ規定ニ従フトキハ何人ト雖トモ農工業用ノ為ニ必要ナル水ヲ他人ノ土地ヲ通過シテ援用スルコトヲ得ルガ故ニ此権利ヲ濫用シ承役地ニ当レル土地ノ所有者ヲシテ甚ダ困難ヲ受ケシム可キガ如シト雖トモ決シテ此ノ如キ濫用ノ恐レアルモノニ非ラズ何トナレバ縦令法律ノ認メタル地役ナリト雖トモ之ヲ行使セント欲スルニハ第一承役地ノ所有者ニ對シテ償金ヲ弁済セサル可カラズ又第二水ノ引入ニ必要ナル工事ノ設置及ヒ是レガ保存ノ費用ヲ負担スルコトヲ要スレバナリ此ノ如クナルガ故ニ若シ真ニ家用若クハ農工業用ノ為ニ水ヲ引入ルルノ必要アラサルモノ若クハ他人ノ土地ニ據ルコトナクシテ之ヲ引入ルルノ便ヲ有スルモノニシテ猥リニ他人ノ土地ニ通路ヲ求ルガ如キコト非ラサル可キハ勿論ナリ
裁判所ガ要役地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ弁済ス可キ償金ヲ定ムルニ当テハ一方ニ於テ水路設置ノ時マデニ一時承役地ノ蒙ムル可キ損害ヲ斟酌シ他ノ一方ニ於テ水路ノ設置ヨリ将来永久ニ承役地ノ蒙ムル可キ損害ヲ斟酌ス可キモノトス
本条ノ場合ニ於テモ亦袋地ノ通行権ノ場合ニ於ケルト均シク(参看第二百二十条)二種ノ償金ヲ定メ得ベキコトハ法文ニ於テ之ヲ明定セズト雖トモ其事情甚ダ相似タル所アルガ故ニ裁判所ハ同一ノ處分ヲ為スコトヲ得ベキナリ
第二百三十四条
自己ノ土地ニ水ヲ引入ルル為メ他人ノ土地ニ其水路ヲ得ルコト必要ナルニ比スレバ不用ノ水ヲ排泄スル為メ其通路ヲ他人ノ土地ニ求ムルコトハ一層必要ナル可シ何トナレハ水ノ不足ヨリ生スル所ノ害ニ比スルニ其過量ナルヨリ生スル害ハ甚タ大ナレバナリ
本条ノ規定ハ第二百二十四条及ヒ第二百二十五条ノ規定ト比照シテ説明スルコトヲ要ス何トナレバ本条ノ規定ハ此二条ノ規定ニ對シ制限ヲ設ケ若クハ例外ヲ設ケタルモノニ非ラスシテ却テ其精神ヲ敷衍スルモノナレバナリ
第二百二十四条及ヒ第二百二十五条ノ場合ニ於テ法律ノ規定スル所ハ高地ヨリ自然ニ流下スル所ノ水ヲ低地ノ所有者ニ於テ受クルノ義務アルコト是レナリ而シテ此地役ハ何等ノ償金ヲ受クルコトナクシテ負担セサル可カラス
本条ノ場合ニ於テハ自然ニ流下スルニ非ラスシテ人工ニ依リ之ヲ流下セシメタルモノナリ時トシテハ單ニ流下セシムルニ付テ人工ヲ施コシタル而巳ナラズ是レ其水ヲ高地ニ引入ルル為ニ人工ヲ施コシタルコト有ル可シ又水ノ流下前ニ於テ人ノ之ヲ使用シタルコト有ル可ク其使用ハ屡々水ヲシテ不良ノ性質ニ変セシメタルコト有ル可シ縦令其使用ハ農業用ニ供シタルニ止マル場合ニ於テモ亦然リトス何トナレハ農業上ノ使用ハ通常水質ヲ変スルモノニシテ就中水田ニ之ヲ湛ヘタル如キハ其最モ著シキモノナリトス
本条ノ場合ニ於テモ亦前ニ掲ケタル種々ノ場合ニ於ケルト均シク若シ所有権ノ完全ニシテ且ツ独立ナルノ点ヨリ考フルトキハ低地ノ所有者ヲシテ此地役ヲ負担セシメサルコトヲ要シ轉ジテ一般経済上ノ利益ヨリ之ヲ考フルトキハ生産ノ為ニ有害ナル水ヲ排斥スルコト必要ニシテ且ツ公共衛生ノ点ヨリ観察スルモ亦同一ノ必要アル可シ故ニ立法者ハ此相反セル二個ノ利益ヲ調和セシムルコトヲ要ス是レ本条ノ規定ヲ設ケタル所以ニシテ高地ノ所有者ハ其水ガ元来高地ニ存シタルモノト他ノ土地ヨリ人工ヲ以テ引入レタルモノトヲ問ハズ使用ノ残餘ニシテ無用且ツ有害ナル場合ニ於テハ之ヲ公路又ハ下水道等ニ達スルマデ低地ニ水路ヲ要求スルノ権利ナカル可カラス
本条ニ規定シタル地役ト自然ノ水ニ関スル地役トノ間ニ存スル著シキ差異ハ左ノ点ニ在リトス即チ自然ノ水ノ場合ニ於テハ要役地ノ所有者ハ承役地ノ所有者ニ對シ何等ノ償金ヲ拂フコトヲ要セズト雖トモ本条ノ場合ニ於テハ此義務ヲ免カルルコト能ハス是レ実ニ低地ノ所有権ヲ重ンスル所以ナリ
第二百三十五条
本条第一項ノ規定ハ袋地ノ通行権ニ関スル第二百十九条ノ規定ト甚ダ相類スルモノナリ蓋シ両個ノ場合ニ於テ同一ノ理由存スルニ由ル
第二項ノ規定ニ至テハ特ニ説明ヲ要セスシテ之ヲ解スルコトヲ得ベシ何トナレハ人ノ住スル家屋ハ高地ニ比シテ一層尊敬ス可キコト勿論ナレハナリ
第二百三十六条
本条ノ規定モ亦正理ト公義トニ基クモノナルコト自カラ明カニシテ特ニ説明スルコトヲ要セス加之ナラス是レト相類スル規定ハ已ニ第二百二十条第一項ニ於テ示シタル所ナリ
往時羅馬人ガ地役ニ関シテ認メタル一個ノ原則アリ而シテ其原則ハ本条ノ場合ニ於テ適用セラル可ク又次節ニ於テモ是レガ適用ヲ看ル可シ其原則ニ曰ク地役ハ其性質上之ヲ負担スルモノヲシテ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラズ惟是レヲシテ他人ガ或ル事ヲ為スヲ甘ンジ之ヲ拒マサルノ負担ヲ有セシムルノミト是レ実ニ法律上ノ一大原則ニシテ羅馬人ガ一旦之ヲ認メテ後諸國ニ流通シタルコト恰モ貨幣ノ如ク而シテ何人モ未タ是レニ異議ヲ唱フルモノ非ラズ然リト雖トモ未ダ此原則ヲ示シタルノミヲ以テ足レリトス可キニ非ラズ必ズヤ此原則ガ正理ト公義トニ合スルモノナルコトヲ明カニスルヲ要ス蓋シ一人ノ所有者ヲシテ甚タ大ナル利益ヲ得セシムル為メ他ノ一人ノ所有者カ其所有スル一個ノ物ヨリ受クルコトヲ得ベキ利益ノ僅少ナル部分ヲ失ハシメ此ノ如クニシテ一般ノ利益ヲ増加セシムルハ法律ノ至当ニ為シ得ベキ所ナリ然リト雖トモ若シ承役地ノ所有者ヲシテ其有スル承役地以外ノ財産ヨリ生ス可キ利益ノ幾分ヲ要役地ノ為ニ出捐セシムル如キコト有ラバ是レ実ニ至当ノ範圍ヲ超エタルモノニシテ立法者ガ為スベカラサル所ノコトナリ本条ノ場合ニ於テ承役地ノ所有者ヲシテ工事ノ費用ヲ負担セシムル如キハ実ニ然リト為ス何トナレハ承役地ノ所有者ニ於テ此費用ヲ負担スルトキハ要役地ノ所有者ハ是ニ由テ利益ヲ受ク可シト雖トモ決シテ是レガ為ニ一般ノ利益ヲ増加スルモノニ非ラス従ツテ承役地ノ損失ト要役地ノ利益トハ此点ニ於テ殆ント同一ナル可シ然ラバ即チ惟一人ノ利益ヲ奪ツテ他ノ一人ニ與へタルニ過キス是レ各人ノ財産ヲシテ不当ニ移轉セシメタルモノト謂ハサルヲ得サルナリ
本条ニ於テ規定スル地役ノ場合ニ於テハ右ニ掲ゲタル理由ノ外仍ホ承役地ノ所有者ヲシテ工事ノ費用ヲ負担セシムルコト甚タ其当ヲ得サルモノ有リ何トナレバ本条ノ場合ニ於テ承役地ノ所有者ハ水路ノ設置ノ為ニ蒙ムル妨害ト是レガ為ニ将来ニ収益ノ減少ヨリ生スル損害トニ對シ償金ヲ要求スルノ権利アルモノナリ然ルニ法律ヲ以テ若シ一方ニ於テ水路工事ノ費用ヲ是レニ負担セシムルモノトセバ必スヤ右ニ掲ケタル償金ノ外更ニ此費用ニ相当スル償金ヲ低地ノ所有者ニ得セシメサル可カラズ此ノ如クナルトキハ遂ニ低地ノ所有者ヲシテ此工事ヲ負担セシムルコトナキト同一ノ結果ニ至ル可キナリ
第二百三十七条
本条第一項及ヒ第二項ノ規定ハ他ノ数個ノ場合ニ於ケルト均シク経済上ノ理由ニ基クモノナリ
経済上ノ原則ニ従ヘハ最小ノ労力即チ最小ノ費用ヲ以テ最大ノ利益ヲ得ルコトヲ務メサル可カラズ
今農工業用ノ水ノ引入ヲ為シ若クハ不用ナル水ヲ排泄スル為メ他人ノ土地ヲ通過セシムルニ当リテ若シ同一ノ水路ヲ使用シ由テ数個ノ土地ノ利益ト為スコトヲ得バ是レ実ニ各人ノ利益タルノミナラス又一般ノ利益ナリトス縦令此ノ如キ場合ニ於テ此目的ヲ達スル為メニハ水路ノ幅員ヲ大ナラシムル為メ多少ノ労力ト費用トヲ要スルコト有リトスルモ仍ホ此費用ハ新タニ二個若クハ数個ノ水路ヲ設置スルニ比スレハ甚ダ僅少ナル可シ
二個ノ所有地ノ使用ニ供シタル残餘ノ水ヲ排泄スル為メ一個ノ水路ヲ利用スル場合ニ於テハ二個ノ土地ニ水ヲ引入ルルニ当ツテ同時ニ一個ノ水路ヲ使用スル場合ニ比シテ注意ヲ要スルトコロ甚タ尠カル可シ何トナレハ排泄ノ場合ニ於テ其水ハ已ニ不用ノモノナルガ故ニ両個ノ水ガ性質ヲ異ニスルモ更ニ利害ノ関スル所ナシ之ニ反シテ水ヲ引入ルルニ当テハ一方ノ水質如何ニ依リ他ノ水ヲシテ不良ノ者タラシムルニ至ル可シ
最後ニ注意ヲ要スルモノ有リ右ニ述ブル所ノ如ク数人ノ所有者ガ共同シテ一個ノ水路ヲ使用スル場合ニ於テハ此事情ノ為ニ要役地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ拂フ可キ償金ニ関シ多少ノ変更ヲ来タス可キモノナルヤ否ヤ是レナリ此点ニ関シテハ場合ヲ分ツテ説明スルコトヲ要ス若シ承役地ニ従来存在スル水路ヲ以テ要役地ノ用ニ充テタル場合ニ於テハ承役地ノ所有者カ請求スルコトヲ得ベキ償金ハ決シテ新タニ要役地ノ為ニ水路ヲ設置スル場合ト同一ナルコト能ハス何トナレハ此場合ニ於テ承役地ハ所有権ノ自由ヲ失フコト水路新設ノ場合ニ比シテ甚ダ尠ナク従ツテ其損害モ亦同一ナラサルコト勿論ナレバナリ矧ンヤ承役地ハ少シモ要役地ノ為ニ占領セラレタル部分アラサルニ於テヲヤ是レニ反シテ一旦要役地ノ所有者カ承役地ニ水路ヲ設置シ是レガ為ニ承役地ノ自由ヲ減少シ且ツ土地ヲ占領シタル為メ相当ノ償金ヲ定メタル後承役地ノ所有者ニ於テ自カラ此水路ヲ利用セント欲スル場合ニ於テハ要役地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ弁済シタル償金ハ何等ノ変更ヲ受ク可キモノニ非ラス惟此ノ如ク要役地ト承役地ト共ニ一個ノ水路ヲ利用スルヨリ生スル効力ハ左ノ一点ニ止マル可シ即チ各所有者ハ其水路ニ由テ利益ヲ受クル割合ニ應シ水路ニ関スル費用ヲ分担ス可キコト是ナリ若シ要役地ノ所有者ガ当初水路ヲ求ムルトキニ於テ承役地ノ所有者モ亦其水路ヲ利用センコトヲ求メタル場合ニ於テハ裁判所ハ此事情ヲ斟酌シ由テ要役地ノ所有者ヨリ弁済ス可キ償金ヲ得サルコトヲ得ベシ
第二百三十八条
本条ノ規定ハ之ヲ一見スルニ第二百二十九条ノ次ニ掲グルコトヲ要ス可キモノノ如シ何トナレハ本条ハ第二百二十九条ト均シク流水ニ関スルモノナレバナリ然レトモ本条第二項ノ規定アルガ為ニ第二百二十九条ノ次ニ掲ゲサリシナリ蓋シ本条第二項ノ規定ハ前条ト同一ノ原則ニ基クモノニシテ同一ノ説明ヲ要スレバナリ
沿岸ノ所有者ガ流水ヲ使用スルニ当テハ殆ンド常ニ其水ヲ高ムルノ必要ヲ生ス可シ何トナレバ屡々沿岸ノ土地ト水面トハ著シキ高低ヲ為スモノナレハナリ此ノ如キ必要ナキハ往々看ルガ如ク水ガ両個ノ土地ノ間ヲ流ルル場合ニ止マル可シ其他ノ場合ニ於テハ堰ヲ設ケテ水ヲ高ムルコト必要ニシテ且ツ堰ヲ設クルニハ必ズ両岸ニ之ヲ指示セシムルコトヲ要ス
一方ノ沿岸所有者ガ自カラ水ヲ使用スル為メ堰ヲ設ケ之ヲ他人ニ属スル對岸ノ土地ニ指示セシメタル時是レガ為メ對岸地ノ所有者ガ蒙ムル可キ損害ハ決シテ大ナルモノニ非ラス何トナレバ堰ヲ支持ス可キ杭ハ地ニ入ルコト僅カナルモノナレバナリ然リト雖トモ他人ノ土地ニ権利ヲ行使スル凡テノ場合ニ於ケルト均シク本条ノ場合ニ於テモ亦所有権ノ自由ヲ減少スルノ一事ニ至テハ争フ可カラス従ツテ是レニ對スル償金ヲ弁済スルコトヲ要ス堰ヲ支持セラレタル沿岸ノ所有者ガ自己ノ利益ノ為ニ其堰ヲ利用スルノ権利アルコトハ前条ニ基キ承役地ノ所有者ガ水路ヲ使用スルノ権利アルト同一ノ理由ニ因テ之ヲ説明スルコトヲ得ベシ且ツ此一事ハ本条第二百二十九条ノ次ニ掲ゲザリシ充分ノ理由タル可シ何トナレハ若シ是レニ反スルトキハ前条ノ下ニ於テ掲ケタル経済上ノ理由モ亦、本条ト均シク第二百二十九条ノ次ニ於テ之ヲ示サザル可カラス而シテ其位置宜シキヲ得ザル為メ却テ其効力ヲ減セシムルコト有ル可ケレバナリ
第三款 経界
第二百三十九条
若シ各所有地ノ面積及ヒ境界ヲ一見判別シ得ベク且ツ容易ニ滅失セサル標示物ニ由テ正確ニ指定セラレサルトキハ是レガ為ニ相隣者ノ間ニ於テ紛争ヲ生スルコト有ルハ実ニ免カレサル所ナリ本条以下ニ規定スル経界ノ目的ハ実ニ此争訟ヲ豫防スルニ在リ故ニ経界ハ一般ノ利益ノ為メニ必要ナルノミナラス猶ホ各所有者ノ利益ヲシテ満足ヲ得セシムル所ノモノナリ
経界ハ本章ノ始メニ於テ述ベタル如ク地役ト称スルコト甚ダ不完全ヲ免カレサル法律上ノ負担ノ一ナリトス経界ノ負担ハ相隣者相互ノモノニシテ孰レノ土地ガ承役地ナリヤ孰レノ土地カ要役地ナリヤヲ分ツコト甚タ困難ナリ何トナレハ孰レノ土地モ同時ニ承役地及ビ要役地ノ資格ヲ有スルモノニシテ経界ハ実ニ二個ノ所有地ノ相互ノ利益ノ為ニ定メラレタルモノナレバナリ
然リト雖トモ已ニ述ベタル如ク此困難ハ單ニ學理上ノ事ニ止マリ実際ニ於テハ何等ノ利益ヲモ有セサルモノニシテ却テ法律ノ簡明ヲ失スルノ弊アルニ止マルベシ
固ヨリ経界ノコトハ土地ノ法律上ノ負担ノ一ニシテ実ニ土地ニ関スル普通法ニ属ス此点ニ於テハ本法ハ第三十四条第四項ノ規定ヲ為スニ当ツテ明カニ其原則ヲ示セリ
然レトモ左ノ数点ヲ認ムルコトヲ必要ナリトス第一経界ノ負担ヲ以テ相隣者間ノ義務ト称スルガ如キハ甚ダ不当ナルコト是レナリ何トナレハ経界ノ負担ハ一個ノ債権即チ人権ト相對スルモノニ非ラズシテ所有権ノ一部分タル物権ト相對スルモノナリ第二経界ノ権利ハ相互ノモノニシテ二個ノ土地ハ同時ニ承役地ニシテ又要役地タリト雖トモ此事情ハ未ダ経界ヲ目シテ地役ト称スルニ對シ充分ノ非難ト為スニ足ラズ縦令経界ノ地役ヲ以テ二重ノ地役ナリトスルモ亦然リトス是レ実ニ事物ノ性質上已ムヲ得サルノ事ナリ蓋シ相隣者ノ各自ガ同時ニ原告タリ且ツ被告タルノ点ヨリ看ルトキハ経界ノ訴権ハ中性若クハ二重ノ性質ヲ有スル訴権ナリト謂フコト羅馬以来ノ習慣ナリ
本条ニ於テハ経界ヲ請求スル権利ニ関スル原則ヲ定メ次条已下ノ二条ハ是レニ對シ例外ヲ設ケ且ツ訴権ヲ加ヘタルモノナリ
経界ヲ判別スルノ用ニ供ス可キ標示物ノ性質ニ関シテハ法律ヲ以テ限定ニ之ヲ定ムルコトナシ即チ当事者ハ其標示物ニ各自ノ氏名ヲ記入スルコトヲ得ベク又各所有地ノ面積ヲ掲クルコトヲ得ベシ然レトモ其標示物ノ物質如何ニ係ハラス必ズ一見シテ経界ノ標示物タルコトヲ知リ得ベキモノナルヲ要ス何トナレバ刑法ノ規定ニ従ヘバ(第四百二十条)土地ノ経界標ヲ移轉スルハ一個ノ犯罪ニシテ犯罪ハ之ヲ罰スルモノヨリモ寧ロ其未タ生セサルニ当ツテ之ヲ防クノ道ヲ求ムルコトヲ要スレハナリ
経界ノ標示ニ用フ可キ物料ノ性質ニ関シテモ又法律ニ於テ制限ヲ設クルコトナシ樹、石、杭ノ如キハ最モ普通ノモノニシテ且ツ最モ滅失セサル物料タル可シ此等ノ点ニ関シテハ仍ホ地方ノ習慣ニ従フ可キモノト為セリ
第二百四十条
本条ニ於テハ三種ノ土地ヲ以テ経界ノ負担ヲ要セサルモノト為セリ而シテ此列記タルヤ決シテ限定ノモノニ非ラサルナリ
第一建物、建物アル土地ニ在ツテハ更ニ経界ヲ定ムルノ必要アラズ蓋シ其建物ニ由テ経界ヲ知ルコトヲ得ベケレバナリ此故ニ各所有者ノ一人ガ他ノ一人ヲ以テ所有地外ニ家屋ヲ築造シタルモノナリトスル時ハ経界訴権ニ由テ争ヒヲ為スコトヲ得ス必ズヤ侵奪セラレタリト主張スル土地ノ部分ニ関シ回収ノ占有訴権又ハ回復ノ本権訴権ニ依ルニ非ラザレハ請求ヲ為スコトヲ得ズ此第一ノ争ヒ決シタル後ニ至リ更ニ添附ノ問題ヲ生ス可ク従ッテ償金ヲ定ムルコトヲ要ス可シ何トナレバ建物ハ土地ニ従フモノナルガ故ニ縦令土地ノ所有者ニ非ラサルモノノ築造ニ係ルトキト雖トモ其建物ノ所有権ハ土地ノ所有者ニ属ス可ケレバナリ(参看財産取得編第八条)若シ建物ト建物トノ間ニ於テ圍障ヲ有セサル土地存シ而シテ其土地ハ相隣者各々一分ヲ有スル場合ニ於テハ前条ノ規定ニ従ヒ経界訴権ヲ行フコトヲ得ヘシ何トナレバ此場合ニ於テハ本条ニ於テ例外ヲ設ケタル理由存セサレバナリ
第二如何ナル方法ヲ用ヒタルニ係ハラズ圍障ヲ設ケタル土地ニ於テハ建物ノ存立スル場合ト均シク経界ノ必要ナルコト勿論ナリ
第三公路又ハ公流ニ由テ隔テタル土地ニ至テモ亦其経界ニ付テ不確定ナル所アラズ従ツテ経界訴権ヲ生ス可キ理由ナシ固ヨリ両地ノ間ニ存スル所ノモノ私有ノ道路若クハ水流ナル場合ニ於テハ本条ノ例外ニ属セズシテ前条ノ原則ヲ適用ス可ク従ツテ経界訴権ヲ行フコトヲ得ベキナリ
第二百四十一条
物権ハ概シテ時効ニ因リ消滅スルモノナリ即チ物権ヲ有スルモノ之ヲ行使スルコトナクシテ一定ノ期間ヲ経過セシメ而シテ他人ガ自己ノ者トシテ此権利ヲ行使シタル場合ニ於テハ是レガ為ニ物権ノ消滅ヲ來タスモノナリ然リト雖トモ或ル種類ノ物権ニ至テハ時効ニ罹ルコトナキモノ有リ経界ニ関スル権利ノ如キ実ニ此種類ニ属スルモノトス
経界ノ権利ガ時効ニ罹ルコトナキ第一ノ理由ニシテ且ツ尤モ簡明ニ又尤モ有力ナルハ左ノ点ニ在リトス即チ單ニ各人ノ利益ニ関スルノミナラズ同時ニ公益ニ関スル権利ニ至テハ時効ヲ適用ス可キモノニ非ラズ而シテ前段ニ述ベタル如ク経界ノ目的ハ紛争及ヒ訴訟ヲ豫防スルニ在ルガ故ニ此経界ニ関スル権利ハ公益ヲ目的トスルモノナルコト已ニ明カナリ
更ニ第二ノ理由ヲ示スコトヲ得ベシ一個ノ権利ガ他ノ権利ノ従タルトキハ其従タル権利ハ主タル権利ト共ニスルニ非ラサレバ時効ニ罹ルコトナシ然ルニ経界ノ権利ハ所有権ノ従タルモノナルガ故ニ所有権ガ時効ニ罹リテ消滅セサル限リハ経界ノ権利モ亦消滅スルコトナシ
第三ノ理由ハ左ノ如シ経界ノ権利ハ土地ノ限界ノ存セサルニ由テ生スルモノナリ故ニ土地ノ限界ニシテ未タ定マラサル間ハ経界ノ権利時々刻々ニ生スルモノト謂フコトヲ得ヘシ是レ実ニ部分共有者間ニ於ケル分割ノ請求権ト同一ノ理論ナリトス(参看第三十九条)分割ノ訴権ハ不分ノ止マサル間ハ常ニ提起スルコトヲ得ベキモノト為ス
然レトモ若シ相隣者ノ一方ガ他ノ一人ノ所有ニ属シタル土地ノ全部若クハ一分ニ付キ取得時効ヲ主張シ又ハ其全部若クハ一分ニ関シ一ヶ年以上継續セル法定占有ヲ主張シタル場合ニ於テハ其土地ノ所有者ハ経界訴権ヲ行フコトヲ得ザル可シ
若シ此場合ニ於テ所有者ハ所有権ノ権原ニ基キテ経界ヲ請求シ得ルモノトセバ占有者ハ法律ニ由テ享受セル占有ノ利益ヲ失フ可シ所有者ガ是レニ對シテ経界ヲ請求スルコトヲ得ルハ占有訴権ニ於テ其占有ガ未ダ一ヶ年ニ満タサルコトヲ證明セラレタル場合ナル乎若シ然ラサレハ回復ノ訴権ニ於テ取得時効ガ未タ成就セサルコト定マリシコトヲ要ス此故ニ所有者ニシテ若シ経界ヲ定メント欲セバ先ヅ右ニ掲ゲタル占有訴権又ハ回復ノ訴権ヲ提起スルコトヲ要ス可シ此訴訟ニ於テ所有者勝利ヲ得タルトキハ其有スル権限其他判決ニ由テ認メラレタル證據ニ基キ土地ノ面積及ヒ限界ヲ定メテ経界ヲ為ス可シ是レニ反シテ所有者若シ敗訴スルトキハ経界ハ被告ノ占有若クハ時効ヲ確認シテ之ヲ為ス可キナリ
第二百四十二条
前条ノ場合ニ於ケルガ如ク取得時効若クハ一年関継續セル占有ニ由テ定マリタル限界アラサル場合ニ於テハ所有権ノ證書ニ基キテ之ヲ定ムルコトヲ要ス可シ而シテ其證書紛失シ又ハ滅失シタル場合ニ於テハ證人其他普通法ノ許セル一切ノ證據ニ由テ之ヲ補フ可キナリ
然レトモ此場合ニ於テモ前条ニ規定シタル時効ノ場合ニ於ケルト同ジク所有権ノ證書ニ掲グル面積ニ関シ又ハ其證書ノ効力ニ関シテ争ヒヲ生スルコト有ルベシ此場合ニ於テハ單ニ土地ノ限界ニ関シテ争ヒ有ルモノニシテ実ニ所有権其者ニ関シテ争ヒ有ルモノナリ然ルニ経界訴権ノ判事ハ区裁判所ノ判事ナルガ故ニ必ズシモ此訴権ト同時ニ所有権ニ関スル争ヒヲ判定スルノ権限ヲ有セサルガ故ニ此場合ニ於テハ地方裁判所カ所有権ニ関スル争ヒヲ決スルニ至ルマデ経界ノ訴権ヲ中止スルコトヲ要ス此点ニ於テハ全ク占有訴権ト本権訴権トヲ提起シタル場合ト全ク相反スルモノナリ(参看第二十八条)然リト雖トモ是レ決シテ占有訴権ノ理論ニ對スル例外ヲ設ケタルニ非ラズ何トナレバ経界ノ訴権ハ是レ本権ノ訴権ニシテ占有訴権ニ非ラサレバナリ
第二百四十三条
経界ヲ定ムルニハ当事者ノ恊議ヲ以テスルコト最モ希望ス可キ所ノコトタリ而シテ当事者若シ此恊議ヲ為シタル場合ニ於テハ其證書ヲ作ル点ニ於テモ全ク当事者ノ注意ニ一任セリ蓋シ当事者ハ共ニ此證書ヲ作ルニ付テ利益ヲ有スルモノナルガ故ニ其調製ヲ怠ルガ如キコトハ殆ント是レ有ラサル可シ
若シ恊議成ラズシテ訴エヲ起スニ至リタルトキハ経界ハ判決ヲ以テ之ヲ定ム可ク而シテ其判決ヲ為スニ当テハ通常測量ヲ為シ且ツ技師ノ鑑定ヲ為サシム可キナリ又此判決ニハ土地ノ形状ヲ示シ且ツ證書ニ設置ス可キ界標ノ指示及ビ各界標ノ距離等ヲ掲ケタル図面ヲ添フ可キモノト為セリ
然リト雖トモ此図面ハ凡テノ点ニ於テ技術上ノ精確ヲ必要ト為スモノニ非ラズ故ニ各界標ノ距離ノ如キモ之ヲ図面ニ明記シタルトキハ縦令図面ニ於ケル各界標ト符號ノ間ニ存スル距離ハ是レニ合セサルトキト雖トモ仍ホ可ナリト為ス界標ト其近傍ノ異動ナキ目標トノ距離ヲ掲クル所以ノモノハ当事者ヲシテ猥リニ界標ヲ移轉スルコト莫カラシムルガ為メナリ此ノ如ク種々ノ注意ヲ施コシタルトキハ他日ニ至リ当事者ノ間ニ於テ争ヒヲ生シ又ハ界標ノ移轉ヲ生シタル場合ニ於テモ其真正ノ位置ヲ知ルニハ必スシモ測量等ノ手数ヲ要スルコト莫カル可シ
第二百四十四条
経界ニ関スル費用ハ決シテ多額ヲ要スルモノニ非ラズ而シテ此費用ハ経界ヲ定メタル相隣者ガ均一ニ之ヲ負担ス可キコト当然ナリトス何トナレハ相隣者ノ有スル土地ノ廣狭如何ニ係ハラス此経界ニ由テ受クル所ノ利益ハ実ニ均一ナレバナリ然レドモ土地ノ測量ノ費用ニ至テハ其廣狭ニ由テ多少ノ差アル可ク従ツテ其負担ハ各所有地ノ廣狭ニ應ジテ分任スルコト勿論ナル可シ是レト同一ノ理論ニ基キ土地ノ廣狭ノ外仍ホ其地勢ノ如何ニ依リ測量ノ難易アル場合ニ於テハ是レ又分担ノ割合ヲ定ムルニ当ツテ斟酌スルコトヲ要ス可シ実際上測量ヲ為シタル技師ハ直接ニ各所有者ヲシテ其所有地ノ為ニ要シタル測量費ヲ弁済セシム可シ若シ判事ノ命ニ由テ測量ヲ為シタル場合ニ於テハ各所有地ニ付キ各別ニ測量費ノ計算書ヲ提出ス可シ此ノ如クナルトキハ各所有者ノ負担ス可キ測量費ヲシテ容易ニ其当ヲ得セシムルコトヲ得ベキナリ
其他ノ費用就中證書調製及ビ訴訟ノ費用ニ関シテハ両所有者ヲシテ全ク平等ノ分担ヲ為サシム何トナレハ此等ノ費用ハ概シテ土地ノ廣狭ニ関係ナキモノナレバナリ
第一項末段ニ規定シタル例外ハ前ニ假想シタル種々ノ場合ニ於テ其適用ヲ受クベシ相隣者ノ一人ガ所有権ノ證書ノ意義若クハ効力ニ関シテ異議ヲ為シ又ハ経界ヲ有スル土地ノ一部分ニ付キ一ヶ年ノ占有ヲ為シタルコトヲ主張シ或ハ隣人ノ所有権ヲ非認シ若クハ自カラ所有権ヲ有スト主張シタル場合ノ如キ是ナリ若シ此等ノ場合ニ於テ敗訴シタルトキハ訴訟費用中此争点ニ関スル部分ハ一人ニテ之ヲ負担スルコトヲ要ス是レ実ニ訴訟費用ニ関スル普通法ノ適用ナリ
第四款 圍障
第二百四十五条
所有者ガ其所有地ノ周囲ニ圍障ヲ設クルノ権能ハ所有権ヨリ生スル自然ノ結果ナリトス而シテ今法文ニ於テ特ニ明記スル所以ノモノハ主トシテ本条ノ末段ニ掲ケタル例外ヲ示スノ必要アルカ故ナリ
一般ノ原則ヨリ論スルトキハ土地ノ所有者ハ皆ナ右ニ述フル如ク囲障ヲ設クルノ権能アリト雖モ或ル場合ニ於テハ一箇ノ土地カ袋地ニ非サルトキト雖モ猶ホ其所有者ハ他人ニ属スル隣地ヲ通行スル権利ヲ有スルコトアル可ク或ハ他人ニ属スル土地ニ於テ水ヲ汲ミ土砂其他ノ有益ナル物ヲ採取スルノ権利ヲ有スルコトアル可シ此ノ如キ場合ニ於テハ其土地ノ所有者ハ承役地タル土地ニ立入ルノ権利アルコト必然ナル可シ若シ其土地ノ境界ニ於テ門戸設置セラレタルトキハ通行権ヲ有スル者ハ其鍵ヲ有スルカ若クハ承役地ノ所有者ヲ妨害スルコト無キ限リハ少クモ晝間ニ於テ何時タリトモ之ヲ開クコトヲ得サル可ラス総テ是等ノ場合ニ於テハ承役地ノ所有者ハ原則上有スル所ノ囲障ヲ設クルノ権利ハ多少ノ制限ヲ受ク可キコト当然ナリ
尚ホ他ノ一箇ノ理由ニヨリテ本条ニ囲障ノ権利ヲ明定スルノ必要ヲ解スルコトヲ得へシ所有者カ甚タ高キ囲障ヲ設ケ是ニ由テ隣地ノ所有者ノ観望ヲ害スルコトヲ得ルヤ否ヤハ多少疑アル所ナル可シ或ル土地ニ於テハ遠景ノ観望ハ甚タ心目ヲ喜ハシムルモノニシテ従テ其土地ノ價格ヲ増加セシムルコトアリ例へハ海上冨士山ノ眺望ノ如キ或ル場合ニ於テハ行路ノ観望ニ至リテモ亦然リトナス而シテ時トシテハ隣地ノ所有者カ故意ヲ以テ其観望ヲ妨クル為メ囲障ヲ築造スル如キコトアル可シ固ヨリ隣地ニ對スル悪意ヲ以テ此ノ如キ所為ヲナスハ決シテ穏当ナリト謂フ可ラスト言フト雖モ一方ヨリ考フルトキハ隣地ヨリシテ濫リニ自己ノ所有地内ノ事情ヲ観察セシムルコトヲ防クト他ノ緊要ナル理由存スルカ故ニ本法ニ於テハ如何ナル事情アルニ拘ラス総テ囲障ノ権利ヲ以テ原則上絶對ノ物ト定メタリ
第二百四十六条
連接シタル土地ノ間ニ囲障ヲ設クルコトハ相隣者間ノ争訟ヲ豫防スル一箇ノ方法ナルコト勿論境界ト同一ナルノミナラス尚ホ之ニ比シテ一層重要ナルモノナリ
若シ連接シタル土地ニシテ囲障ヲ有セサルトキハ相隣者ノ間ニ於テ小児奴婢又ハ家畜等ノ為メニ加へラレタル妨害若クハ損害ノ為メニ屢々争ヲ生スルコトアル可シ而シテ此争ハ其回数ノ重ナルニ従テ漸ク烈ク遂ニ其結果トシテ暴行ヲ為スニ至ルコト決シテ少ナカラサル可シ此故ニ立法者ハ相隣者カ互ニ親密ナラサル場合ニ於ケルト共ニ争ヲ好マサル場合ニ於ケルトヲ問ハス総テ囲障ヲ設クルコトヲ求ムルノ権利ヲ與フルヲ以テ最モ是等ノ争ヲ防クニ適当ナルモノト認メタリ
囲障ハ如何ナル土地ニ於テモ相隣者ヨリ互ニ要求スルコトヲ得へシ或ハ人口稠密ナル市府ト其他ノ町村若クハ部落ノ如ク人口稠密ナラサル土地トノ間ニ區別ヲ為スコトヲ得へキニ似タリ人口稠密ナル土地ニ於テハ概シテ各人ノ資力裕カニシテ其土地ノ價格ハ他ノ場処ニ比スレハ大ナルモノナリ従テ囲障ノ義務ヲ負擔セシムルニモ其負擔ヲ課スルコト他ノ場処ニ比スレハ甚タ軽シトス
然レトモ囲障ノ事ニ関シテハ費用ノ多少ト負擔ノ軽重トニ深ク注意スルコトナクシテ囲障ノ有益ナル点ニ着目セサルへカラス大ナル市府ニ於テモ村落ニ於テモ相隣者ノ接近ノ為メニ奴僕耕夫及ヒ家畜等ノ所為ヨリシテ容易ニ争ヲ生シ得へク之ヲ豫防スルコト甚タ必要ナレハナリ
法律ハ如何ナル場処ニ於テモ囲障ヲ要求スルノ権利ヲ認ムルト雖モ決シテ土地ノ種類如何ニ拘ラス囲障ヲ必要トスルニ非ス即チ本法ニ於テハ二箇ノ住家又ハ農工業用ノ建物ノ間ニ在ル土地ニ囲障ノ負擔ヲ要セシメタルノミ即チ人ノ常ニ存在シ而シテ多少ノ價格ヲ有スへキ物ノ存スル土地ニ就テ此負擔ヲ定メタルノミ
若シ板ヲ以テ囲障ヲ設ケタル場合ニ於テハ之ヲ支持スル杭ハ互ニ両箇ノ土地ニ設置スルコトヲ要ス何トナレハ之カ為メニ其土地ハ多少ノ妨害ヲ受クへク而シテ其妨害ハ雙方ノ所有者均ク之ヲ受クへキモノナレハナリ
本法ニ於テハ尚ホ囲障ノ高サヲ明定セリ而シテ立法者ノ認ムル所ニ依レハ六尺ノ高サヲ以テ囲障ノ期スル所ノ目的ヲ達スルニ十分ナリトセリ
第二百四十七条
囲障ノ事ハ相隣者ニ於テ均ク義務ヲ有スル所ノモノナルノミナラス之カ為メニ相隣者ノ受クル所ノ利益ハ同一ナルモノナルヲ以テ其費用ハ當初設置ニ関スル費用ナルト又ハ其維持修繕ノ費用ナルトヲ問ハス平分シテ之ヲ負擔スルコトヲ要ス若シ両箇ノ土地カ境界ノ處ニ於テ著シク高低ヲ為シ而シテ高地ニ囲障ヲ設ケタル場合ニ於テモ此原則ニ對シテ例外ヲナスへキニ非ス何トナレハ此場合ニ於テハ設ヒ囲障ハ境界線ニ設置セラレサリシトスルモ之カ為メニ低地ノ所有者ニ無用ナル物ト云フコトヲ得ス亦タ屢々低地ノ所有者ヨリ此囲障ヲ要求シタルコトアルへキナリ
要スルニ法律ノ目的ハ土地ノ所有者ヲシテ甚タ重キ負擔ヲ要セシムルコトヲ欲セス従テ簡易ニシテ且ツ費用大ナラサル囲障ヲ要求スルニ止ル然リト雖モ若シ所有者自ラ法律ニ掲クル所ニ比シテ一層堅牢美麗若クハ高大ナル囲障ヲ設ケント欲スルトキハ法律ハ之ヲ禁スへキニ非ス然リト雖モ此場合ニ於テハ一方ノ所有者カ自ラ資力ヲ有シ従テ右ニ述フル如ク費用ノ大ナル囲障ヲ設ケント欲スル場合ニ於テ之カ為メ他ノ一人ノ所有者ヲシテ法律ノ規定以外ニ負擔ノ増加ヲ蒙ラシムル如キハ其当ヲ得タルモノニ非ス又此場合ニ於テ囲障ノ維持及ヒ修繕ノ如キハ全ク費用大ナル囲障ヲ設置シタル者ノミニ於テ負擔スルコトヲ要ス何トナレハ右ニ掲ケタル理由ノ外法律ニ於テ要求スル板屏若クハ竹垣等ノ如キ囲障ハ実際存在セサル場合ナルカ故ニ現存スル他ノ堅牢ナル囲障ノ修繕ヲ要スル場合ニ於テモ竹垣板屏等カ果シテ修繕ノ必要アル可キヤ否ヤハ事実上知リ得可カラサルモノニシテ従テ此簡易ナル囲障ニ就テノミ保存ノ費用ヲ分任スへキ一方ノ所有者ノ負擔ヲ定ムルノ途ナケレハナリ
一方ノ嗜好ニ従ヒ法律ニ定メタル板屏等ノ如キ囲障ヲ設クルコトナクシテ石又ハ煉瓦ノ牆壁ヲ築造シタルトキハ之カ為メニ土地ヲ要スルコト大ナルへシ何トナレハ牆壁ノ厚サハ板屏竹垣等ニ比シテ大ナルモノナレハナリ此点ニ関シテモ右ニ掲ケタル理論ニ従ヒ板屏等ニ比シテ大ナル部分ハ牆壁ノ築造ヲ欲シタル者ノ土地ヲ以テ之ニ充ツルコトヲ要ス若シ此場合ニ於テ土地ノ高低均一ナラサルカ為メ他ノ一方ノ隣人ニ属スル低地ニ於テ之ヲ求ムルコト必要ナリトセハ高地ノ所有者ヨリ低地ノ所有者ニ相当ノ償金ヲ拂フコトヲ要スへシ然ラサレハ高地ヲ低地ニ均キマテ掘下ケ而シテ之ニ牆壁ヲ築造セサル可ラス
第二百四十八条
相隣者ノ一人カ自己ノ費用ヲ以テ囲障ヲ築造シタル場合ニ於テ法律ノ期スル所ノ目的ハ既ニ達セラレタリト謂フ可シ何トナレハ囲障既ニ築造セラレタルトキハ何人ノ労力若クハ費用ニ依テ成レルヲ問ハス既ニ相隣者カ争ヲ生スルノ危険ハ全ク防止セラレタレハナリ此故ニ其牆壁ハ設ヒ法律ノ規定ニ従ヒ板屏又ハ竹垣等ノ如キモノナル時ト雖モ猶ホ一方ノ所有者ヲシテ費用ノ負擔ヲ分タシムルコトヲ要セス然レトモ若シ進テ一人ノ費用ヲ以テ囲障ノ建築ヲ為シタル者カ其建築ニ先チ他ノ一人ヲ囲障分擔ノ遅滞ニ付シタル場合ニ於テハ建築者ハ決シテ此ノ如キ分擔要求ノ権利ヲ失フモノニ非ス何トナレハ此附遅滞ハ建築者ニ於テ充分ニ自己ノ権利ヲ留保シタル所為ニシテ実際一旦他ノ一人ノ分担ヲ要求シタルモ之ニ應セサリシカ為メニ自ラ進テ築造ヲ為シタルニ止ルへク未タ此場合ニ於テ相隣者カ費用ヲ分担スへキモノナルヤ否ヤノ点ニ就キ争ノ決スルマテ囲障ノ築造ヲ猶豫スへキ義務アラサレハナリ
何レノ場合ニ於テモ相隣者ノ一人カ囲障築造ノ費用ニ就キ分担ノ義務ヲ免ルルコトアルモ之カ為メニ他日囲障ノ維持修繕ヲ為ス必要生シタル場合ニ於テ其費用ノ分担ヲ免ルルコト能ハス但此処ニ述フルカ如ク法律ノ制限ニ従テ築造シタル囲障ニ関スルコトヲ要ス蓋シ此場合ニ於ケル修繕ノ義務ハ修繕ノ必要生スルト共ニ隨時ニ発生スルモノナレハナリ
第五款 互有
第二百四十九條
互有ナル制度ノ眞誠ナル基礎ヲ考フレハ実ニ相隣者ノ各自カ嚴実ニ囲障ノ築造ヲ分担シタルノ一点ニ在リ即チ相隣者カ共ニ囲障ヲ築造スルニ必要ナル土地囲障ノ材料ヲ購求シ又ハ築造ヲ為スニ必要ナル費用ヲ分担シタル一点ニ在リ本條ノ法文ハ明カニ此点ヲ示シタルモニシテ且ツ法律ノ定ムル所ニ従ヒ共用ヲ以テ築造シタル囲障ト当事者ノ嗜好ニ従ヒ築造シタル任意ノ囲障トヲ包含シテ一般ニ之ヲ適用スへキモノナルコトヲ明カニセリ
又本條ノ規定ニ依レハ互有ハ一箇ノ不分共有タルコトヲ知ルへシ此故ニ本法ノ下ニ於テハ欧州ノ或ル国ニ於テ論者ノ主張セシカ如ク互有ノ牆壁ハ二分シテ相隣者各自ニ属シ即チ相隣者ハ其牆壁ニ就キ中心ニ至ルマテ各々完全ノ所有権ヲ有スルモノナリト云フコトヲ得ス且ツ本條ハ牆壁ノ敷地モ亦牆壁ト同ク不分ニテ相隣者ニ属スルコトヲ掲ケタリ
本條ニ定メタル互有ノ場合ニ於ケル共有ハ第三十九條ニ於テ既ニ掲ケタル互有ノ性質ヲ有スルモノナリ即チ何人ト雖モ分割ニ依テ此不分ヲ止メシムルコトヲ得サルモノトス不分共有者ニシテ此状態ヲ止メント欲セハ自ラ共有権ヲ抛棄スルニ非サレハ能ハス此場合ニ於テハ其抛棄ノ為メ牆壁及ヒ敷地ノ所有権ハ全ク他ノ一人ニ帰スへキナリ
第二百五拾條
相隣者ノ各自カ囲障ノ敷地及ヒ工事ノ負担ヲ分任シタリトノ推定アルコトヲ明カニセリ而シテ此推定ハ実ニ共有権ノ基礎タル所ノモノナリ
本條ニ掲ケタル推定ハ法律上ノ物ナルヤ明カナリト雖モ決シテ完全ナル物ニ非ス又不完全ノ物トナスコトヲ得ス何トナレハ相隣者中ノ一人カ囲障ノ全部ヲ負担シテ築造シタル事実際ニ於テ在ルコトヲ得へキノミナラス又屡々見ル所ノ事ナレハナリ
本條ニ於テハ右ニ述へタル法律上ノ推定ヲ破ルコトヲ得へキ四箇ノ方法ヲ掲ケタリ一年ノ専有ニ至リテハ未タ法律上ノ推定ヲ破ルニ足ラストス何トナレハ一年ノ専有ナルモノモ亦一箇ノ推定ヲ生スルニ過キサレハナリ而シテ一箇ノ軽易ナル法律上ノ推定アル場合ニ当リ之ト同一ナル性質ヲ有スル他ノ一箇ノ推定ニ依テ之ヲ破ラントスル場合ニ於テハ必スヤ法律ノ明文ヲ以テ特ニ之ヲ許スコトヲ必要トナス而シテ是レ本条ニ明挙セサル所ノ事ナリトス立法者カ一年ノ専有ヨリ生スル推定ヲ以テ互有ノ推定ヲ破ルニ足ラスト為シタル所以ノモノハ左ノ理由ニ依ル境界ニ存スル囲障ハ他ノ物件ト異リテ其性質上多少正当ナル占有ノ所為ヲ為スコト甚タ容易ナルへク殆ト専有ノ所為ノ存在若クハ其性質ニ関シテ判別ヲ為スコト能ハサル可シ此ノ如キ事情アルニ拘ラス専有ノ所為ニ重キヲ置クハ甚タ危険ナリト言ハサルヲ得ス是レ隣人ヲシテ常ニ他ノ一人ニ対シ油断ナク観察スル所アル可シト命スルニ異ナラス此ノ如クナルトキハ常ニ争ヲ生スルニ至ルハ明ラカニシテ或ハ其人ノ性質如何ニ因リ暴行トナリ若クハ争訟トナルコト容易ナルへシ
第二百五十一條
直接ノ証拠及ヒ三十箇年ノ時効ニ因テ互有ノ推定ヲ破リ得へキコトハ特ニ本条ニ於テ説明ヲ為スコトヲ要セス権限ハ完全ナル所有権ノ普通ノ証拠方法ナリ証人証拠ハ唯タ例外ノ場合ニ於テノミ許サルルモノナリト雖モ三十箇年ノ時効ニ至リテハ元来是亦権利ノ推定ナルニ拘ラス完全絶対ノ推定ニシテ互有ノ推定ヲ破ルコトヲ得へシ本条ニ於テ互有ノ推定ノ反証トシテ提出スルコトヲ許シタリ此他ノ推定ハ一箇年ノ専有ヨリ生スル推定ト異リ明確剛強ニシテ争フ可ラサル性質ヲ有スルモノナリ本条ニ定メタル四箇ノ場合ニ就テハ今マ逐一詳細ノ説明ヲ為スノ必要ナシ唯タ各場合ニ就キ一ノ注意ヲ為スヲ以テ足レリトナス
第一 何人ト雖モ自己ノ所有スル建物ノ屋根ノ雨水ハ直接之ヲ隣人ノ所有ニ落スコトヲ得サルモノナルカ故ニ若シ牆壁ノ屋根ノ水ニシテ単ニ一方ノ土地ニノミ落ツルモノナルトキハ此事情ハ充分ニ其牆壁カ雨水ヲ受クル土地ノ所有者ノミニ属スルモノナルコトヲ証スルモノナリ又後ニ示スカ如ク若シ牆壁カ互有ノ物ナルトキハ相隣者ノ各自ハ其牆壁ニ牖孔ヲ穿チ又ハ凹穴ヲ設クルコトヲ得ス此故ニ実際牆壁ノ一面ニ於テ此ノ如キ牖孔若クハ凹処ヲ設ケタルトキハ此事情ハ其牆壁カ互有ノ物ナラサルコトヲ証スへキナリ
第二 囲障ノ支持ニ要スル柱ハ其存在スル土地ノ為メニ多少ノ妨害ヲ與フルモノナルカ故ニ一方ノ所有者ニ於テ隣人ノ承諾ナク隣地ニ之ヲ設クルコトヲ得ス此故ニ若シ其柱ニシテ一方ノ土地ノミニ存スル場合ニ於テハ牆壁ノ所有権ハ其土地ノ所有者ノミニ属スルモノナルコト明カナリ
第三 何人ト雖モ特ニ地役ノ義務ヲ有スル場合ノ外如何ナル方法ニ依ルコトヲ問ハス隣地ヲ侵犯シ専行スルコト能ハサルハ所有権ノ大則ニ基キテ明カナル所ナリ此故ニ若シ土地ノ囲障タル溝渠ノ掘浚ノ泥土カ全ク一方ノ地上ニノミ存スル場合ニ於テハ其溝渠カ全ク此土地ノミニ属スルコト明カナリ
第四 生籬ニ関シテハ何人カ之ヲ殖栽シ又何人ノ土地ニ之ヲ殖栽シタルモノナルヤヲ知ルニ足ルへキ有形ノ目標ヲ求ムルコト甚タ困難ナリトス故ニ立法者ハ生籬其物ニ就キ此目標ヲ得ル能ハスト雖モ間接ニ其一箇ヲ得タリ即チ二箇ノ中一箇ノミ四周ニ於テ此囲障ヲ有スルコト是ナリ此ノ如キ場合ニ於テ他ノ三方ニハ何等ノ囲障ヲモ有セサル所有者カ一方ニ於テノミ生籬ノ敷地タル土地及ヒ植栽ノ費用ヲ負担スルコトヲ承諾シタルコト殆ト信ス可ラサルモノナリ
本条末項ハ非互有ノ推定ヨリ生スル結果ヲ示シタルモノニシテ即チ非互有ノ目標アル場合ニ於テハ相隣者中ノ何人ニ完全ナル所有権存スルモノト推定スへキヤヲ示セリ而シテ此事タルヤ既ニ掲ケタル四箇ノ注意ニ依テ明解スルコトヲ得へシ
第二百五十二条
第二百五十一条ニ掲ケタル互有ノ推定ノ基礎トスル所ハ相隣者ノ各自カ土地ノ境界ヨリ受クル所ノ利益ニ在リ而シテ土地ノ境界ハ相隣者カ共ニ其設置ニ就キ負担ヲ分任シタルモノト推測スルコトヲ得へキナリ然レトモ本条ニ規定シタル場合ノ如ク一方ノ土地ニ於テノミ建物存在シ又ハ双方ニ建物存在スルト雖モ一方ノ建物ハ他ノ一方ノ建物ニ比シテ一層高キモノナルトキハ此牆壁ハ設ヒ分界線ニ築造セラレタリトスルモ未タ双方ノ所有者カ其全部ノ費用ヲ分任シタリト信スへキノ理由有ラス此理論ハ一方ニ於テノミ建物存在スル場合ニ於テハ牆壁ノ全部ニ適用セラル可ク若シ双方ニ建物存スル場合ニ於テハ牆壁カ低キ建物ヲ踰ユル部分ニ就テ適用スルコトヲ得へシ且ツ此部分ニ就テハ牆壁ハ分界ノ用ヲ為サスト言フコトヲ得へシ何トナレハ一方ニ於テハ土地若クハ建物ニ接スルコト無クシテ唯タ空間ニ接スルノミナレハナリ
然レトモ是レ唯此ノ如キ場合ニ於テ互有ノ証拠トシテ法律上ノ推定ヲ設ケサルニ止ル故ニ互有ナルコトヲ主張スル者ニ於テ権原ニ基キ之ヲ証明スルノ権利アルハ勿論ナリ是レ此場合ニ於テハ前ニ掲ケタル場合ニ比スレハ証書ハ全ク反対ノ用ヲ為スモノナリ即チ之ヲ以テ法律上ノ推定ヲ破ルニ非スシテ却テ其不足ヲ補フモノナリ之ヲ詳言スレハ全ク相隣者中ノ一人ニ所有権専属スルコトヲ証明スルニ非スシテ相隣者間ニ不分ノ共有権存スルコトヲ証明スルモノナリ
三十箇年ノ取得時効ニ基ク証拠ノ事ハ本条ニ於テ之ヲ掲ケス蓋シ実際ニ於テ何人ト雖モ自己ニ属スル建物ノ高サニ踰エタル牆壁ノ部分又ハ其全部ニ於テ何等ノ建物ヲモ支持セサル牆壁ニ就テハ専有ヲ為スコト殆ト之アル可ラサレハナリ
第二百五十三条
本条ニ掲クル所ノ場合ハ実際争訟ヲ為スニ當リ最モ屡々争ヲ生スル所ノ場合ナリ即チ二箇ノ反対シタル権利ノ証拠カ共ニ提出セラレタル場合是レナリ此ノ如キ場合ノ証拠ハ単ニ証人証拠ニ依テ屡々提出シ得ラル可キノミナラス猶ホ事実ノ推定ニ因テモ提出シ得ルコト決シテ少ナカラス本条ノ場合ニ於テハ固ヨリ法律上ノ推定ナリ然レトモ其推定ハ種々ノ有形ノ事情ニ基クモノニシテ其事情ハ実際ニ於テ互ニ符合セサルコトヲ得へク従テ之ニ基ク推定モ亦同時ニ相反スルコトヲ得へシ
此場合ニ於テ判事ハ相反対セル証拠ノ提出セラレタル他ノ総テノ場合ニ於ケルト均シク双方ノ証拠ヲ案シ何レカ果シテ眞誠ナルヤヲ認定スルコトヲ要ス
第二百五十四条
相隣者カ互ニ分界ノ共有者タルトキハ其修繕維持ハ共通ノ分担タル可キコト当然ナリ(第一項)
本条第二項ノ規定ハ既ニ前条ニ於テ掲ケタル地役ノ基本タル原則ノ適用ヲ為スモノナリ即チ地役ハ承役地ヲシテ何等ノ作為ノ義務ヲ負ハシムルモノニ非スシテ唯タ権利者カ或ル事ヲ為スヲ妨ケサルノ義務ヲ負ハシムルニ止マルト云へル原則是レナリ本条第二項ノ場合ニ於テ分界ノ維持ノ義務ハ敢テ共有者カ土地ノ分界囲障ヨリ受クル所ノ利益ニ附隨シテ負担セルモノニ非ス寧ロ其囲障ヲ構成スル物質及ヒ其敷地タル土地ノ所有者タルカ故ニ此負担アルモノナリ故ニ若シ相隣者ノ一人ニシテ此物量ト敷地トニ関スル自己ノ所有権ヲ抛棄スル場合ニ於テハ之カ附隨タル分界維持ノ負担ヲ免ル可キコト当然ナリ
相隣者ノ一人カ設ヒ右ニ掲クル如ク物量及ヒ敷地ノ共有権ヲ抛棄シタル場合ニ於テモ尚ホ分界ヨリ生スル利益ハ屡々之ヲ受クルコト有ルへシ何トナレハ一人カ共有権ヲ抛棄スルモ他ノ一人ハ之カ為メニ必スシモ其分界ヲ取毀ツモノニ非サレハナリ然レトモ抛棄ヲ為シタル一人ハ之カ為メニ他ノ利益ヲ受クルコトヲ得ス即チ其分界ニ存スル牆壁ニ就テハ建物ヲ支持セシムルノ権利ヲ失ヒ又次条ニ掲ケタル種々ノ利益ヲ失フへシ且ツ囲障ノ敷地タル土地ノ部共有権ヲ失フモノナリ総テ此ノ如キ不利益アルカ故ニ相隣者ノ一方ハ猥リニ抛棄ヲ為シテ費用ノ分担ヲ免レント欲スルカ如キ憂無カルへシ
権利ノ抛棄ニ因テ分担ヲ免ルルノ権能ハ單ニ任意ノ囲障ノ場合ニ止ル故ニ若シ法律上相隣者カ互ニ共有シ得へキ囲障ニ関スルトキハ此権能ヲ有スルコトナシ是レ必然ノ理ニシテ特ニ説明ヲ要セサル可シ何トナレハ此場合ニ於テ相隣者ノ一方カ囲障ニ関スル所有権ヲ抛棄シタリトスルモ猶ホ其相隣者ハ一方ノ相隣者ト連接セル土地ヲ有スル者アリ而シテ法律上互ニ囲障ヲ共有スへキ場合ナルトキハ遂ニ此義務ヲ免ルルコト能ハサル可ケレハナリ
互有権ヲ抛棄スル権能ニ関シ本条第二項ニ掲ケタル他ノ二箇ノ条件ニ就テハ何等ノ説明ヲ俟タス法文ヲ一読シテ其至当ナルコトヲ了解シ得へシ
第二百五十五條
本条第一項ニ於テハ一箇ノ原則ヲ明示シ而シテ第二項以下ニ於テ其適用ヲ掲ケタリ
既ニ法文ニ於テ原則ヲ掲ケタル以上ハ其原則ノ適用ニ至リテハ更ニ法文ニ於テ明示スルコトヲ必要トセス一ニ之ヲ法律適用ノ任ニ当レル者ニ委ヌルコトヲ得へシト信スル者アラン之ヲ概スルニ此ノ如キ事ハ通常判事ニ一任スへキ所ニ似タリト雖モ然レトモ本条第一項ノ原則ニ續テ掲ケタル第二項乃至第五項ハ單ニ第一項ノ原則ヨリ生スル必然ノ結果タル性質ヲ有スルニ止マラス尚ホ特別ノ規定ヲ包含スルモノニシテ裁判所カ原則ノ適用ノミヲ以テ行フコト能ハサル所ノモノアリ故ニ之ヲ明文ニ掲クルコトヲ必要ト為ス
第二項以下ニ規定スル所ノ事項ニ至テハ法文ニ掲クル所ニ依リ明瞭ナルコトヲ得へシ故ニ詳細ノ説明ヲ為サス
第二百五十六条
凡ソ所有者ヲシテ多少ノ獨立ヲ損ハシムルコトアルモ猶ホ無用ナル築造ヲ為サシメサルコト必要ナリトハ経済上ノ原則ニシテ既ニ屡々示シタル所ノモノナリ本条ニ於テモ亦此原則ノ適用ヲ為シタルモノナリ
土地ノ所有者ノ一人ニテ新タニ牆壁ヲ築造シタルトキ又ハ従来牆壁ノ存在シタル土地ヲ新タニ取得シタルトキ隣地ノ所有者ノ為メニ其牆壁ノ共有権ヲ譲ラサル可カラストスルモ之カ為メニ聊カ損害ヲ受クルコト非サルへシ唯タ其所有者カ之ニ因テ多少ノ不便ヲ感スルモノトセハ一人ニテ完全ナル所有権ヲ有スル場合ニ比スレハ共有権ヲ譲渡シタル後ハ多少其権利ニ制限ヲ受クルノ一点ニ止マルへシ就中一人ノ意思ニ従テ此牆壁ヲ変更シ又ハ取毀ツコト能ハサル可シ然レトモ此ノ如キハ石造又ハ煉瓦造ノ牆壁ニ関シテハ通常使用スルコト甚タ稀ナル所ノ権利ナリ故ニ此ノ如キ権利ヲ使用スルコト能ハサルカ為メニ蒙ル所ノ損害ハ甚タ少ナカルへシ且ツ共有権ヲ譲渡スニ当リテハ隣地ノ所有者ヨリ相当ノ償金ヲ受クルモノナルカ故ニ譲渡ヲ許容セラレタル所有者ハ益々本条ノ義務ヲ以テ嚴酷ナリトスル相当ノ理由ヲ有セサル可シ而シテ他ノ一方ヨリ観察スルトキハ隣地ノ所有者カ此共有権ノ譲渡ニ依テ受クル所ノ利益ハ甚タ大ナルモノナリ何トナレハ共有者トシテ此牆壁ヲ使用スルコトヲ得へク而シテ更ニ牆壁ヲ新築スル為メ無用ノ費用ヲ免ル可ケレハナリ
本条ノ規定ニ従ヒ共有権ノ譲渡ヲ要求スルコトヲ得ルハ唯タ牆壁又ハ建物ノ分界線ヨリ退クコト一尺ヲ越エサル場合ニ止ル若シ分界線ト既ニ存スル隣地ノ牆壁トノ間ニ一尺ヲ越ユル距離アルトキハ新タニ建築ヲ為サント欲スル者ハ自ラ所有地内ニ建物ヲ築造シ而シテ隣地ニ存スル牆壁ヲ之ニ利用スルコトヲ得ス
本条ニ於テハ右ニ掲クル所ノ外尚ホ互有権譲渡ノ共用権利ニ就キ三箇ノ制限ヲ附シタリ今マ左ニ之ヲ示スへシ
第一互有権ノ共有ハ石造又ハ煉瓦造ノ牆壁ニ就テノミ行フコトヲ得へキモノナリ(第一項)此故ニ板屏又ハ土塀ヲ以テ設置シタル囲障ニ関シテハ互有権譲渡ノ権利ヲ行フコトヲ得ス設ヒ此ノ如キ囲障カ同時ニ建物ノ分部ヲ組成スル場合ト雖モ亦然リトナス此ノ如キ制限ヲ設ケタルモノハ次ニ掲クル理由ニ基キタルモノナリ蓋シ板屏ニ関シテハ若シ互有権ノ譲渡ヲ為スへキモノトシ依テ二箇ノ家屋カ之ヲ界トシ甚タ密着スルトキハ為メニ火災ノ危倹ヲシテ大ナラシムルノ虞アルへシ且ツ各所有者ニ於テモ強制ヲ以テ隣人ト甚タ脆弱ナル分界ヲ隔テテ連接スルハ欲セサル所ナルへシ若シ実際ニ於テ之ヲ互有ト為スノ必要アリトスルモ此ノ如キ場合ニ於テハ相隣者カ互ニ合意ヲ以テ共通ノ分界ヲ設置スルノ権能ヲ有スルヲ以テ足レリト為ス是レ法律ノ冀望スル所ニシテ且ツ其禁止ス可ラサル所ナリ(参観第四項)又泥土ヲ以テ築造シタル壁ニ至リテハ建物ヲ之ニ支持セシメ得へキ堅牢ノ物ニ非サルヲ以テ本条ニ掲クル如キ強制ヲ許スへキ必要有ラサルナリ
第二若シ牆壁ト分界線トノ間ニ存スル土地カ一尺以上ナル場合ニ於テハ互有権ノ譲渡ヲ許ササルカ故ニ之ヲ共用シ得へキ場合ニ於テハ必スシモ其土地ハ一尺ニ充タサル小部分タルへシ然レトモ其部分ノ小ニシテ且ツ互有権ヲ要求スル者ヨリ之ニ対シ相当ノ代價ヲ弁済スルモノト定ムルモ猶ホ互有権ヲ取得スル者ヲシテ隣人ニ属スル土地ノ完全ナル所有権ヲ取得セシムルコトハ法律ノ必要ヲ認メサル所ナリ故ニ本条ニ於テハ互有権ヲ取得シタル者ハ此土地ノ部分ニ就キ單ニ地上権ヲ有スルニ止ルモノトス従テ之ヲ取得シタル者ハ建物ノ存在スル間其土地ニ対シテ相当ナル地役ノ金額ヲ弁済シ依テ之カ使用ヲ為スノ権利アルニ過キサルモノトス(第二項)
第三互有権共用ノ権利ハ土塀板屏等ノ如キ囲障ニ関シテ適用セラレサルノミナラス尚ホ生籬溝渠等ニ関シテモ行フコトヲ得サルモノナリ(第四項)此ノ如キ種類ノ囲障ニ関シテハ特ニ互有権共用ノ権利ヲ以テ所有者ノ自由ヲ制限スへキ必要有ラス且ツ是等ノ分界ハ永遠ニ設クルモノニ非スシテ概ネ一時ノモノタリ若シ此事情アルニ拘ラス猶ホ強制ヲ以テ互有ノ物トナシタル場合ニ於テハ所有者ノ各自ハ自己ノ任意ニテ其性質物量等ヲ変シ之ヲ変更スルコト能ハサル可シ
是レ敢テ此種ノ囲障ニ関シテハ決シテ互有権ナル物存在シ得可ラスト言フニ非ス即チ二箇ノ原因ニ因テ互有権ヲ生スルコトアル可シ法律上互有ノ生垣及ヒ溝渠等ニ関スル規定ヲ為スコトアルカ故ニ之ヲ了解シ易カラシムル為メ左ニ其二箇ノ基因ヲ示スへシ即チ第一相隣者カ当初費用ヲ分担シテ之ヲ設置シタル事第二一人ニテ設置シタル者カ任意ヲ以テ隣人ニ互有権ヲ譲渡シタル事是レナリ
本條ノ明文ハ牆壁カ未タ互有ノ物トナラサル以前ニ於テ其所有者カ設ケタル用孔アルトキ互有権ヲ得タル者カ之ヲ塞カシムルノ権利ヲ明定セリ即チ原則上互有権ヲ得タル者ハ此ノ如キ用孔ヲ塞カシムルノ権利ヲ有スルモノナリ然レトモ若シ後ニ至リテ示スカ如ク其用孔ハ人為ニ因テ設定シタル地役ノ性質ヲ付シテ之ヲ設ケラレタル場合ナルトキハ設ヒ互有権ヲ共用シタルモノト雖モ之ヲ塞カシムルノ権利ナシ(第三項)互有権ヲ共用シタル場合ニ於テ共用者ヨリ弁済スへキ償金ニ就テハ其牆壁ヲ築造スル当時ニ要シタル費用ヲ弁済スルコトヲ要セス唯タ互有権ヲ要求スル当時ニ於テ牆壁ノ有スル價格ノ半額ヲ弁済スルヲ以テ足レリトナス(第一項)土地ノ價格ハ歳月ト共ニ増加シ得ルモノナルへシト雖モ建物ノ價格ハ時ヲ経ルニ従テ常ニ減少スルモノナリ
第二百五十七條
本條第一項ノ規定ハ互有権ノ譲渡ヲ強要スル権利ニ法律ノ附シタル第二ノ制限ニ関シ前段ニ述へタル所ニ因テ殆ト説明ヲ尽セリト云フ可シ然レトモ特ニ其規定ノ制裁トシテ第三項ノ規定アルカ為メ猶ホ多少ノ説明ヲ要スルコトアリ
第一ニ注意スへキハ建物ト分界線トノ間ニ存スへキ距離ハ法律ヲ以テ一般ニ之ヲ定メサルコト是レナリ此点ニ就テハ一ニ地方ノ習慣ニ従フ可キモノトセリ
第一ニ建物ヲ築造スル者カ隣地トノ分界線ヨリ法律上ノ距離ヲ存シテ工事ヲ為シタル場合ニ於テハ此土地ノ所有者ハ何人ヨリモ更ニ請求ヲ受クルコト非サルへシ
然レトモ若シ之ニ反シテ第三項ノ距離ヲ守ルコトナク建物ヲ築造シタルトキハ其後ニ至リ隣人カ建物ヲ築造セント欲スルトキハ他日修繕ノ便ヲ得ル為メ法律上ノ距離ヨリ多キ部分ヲ自己ノ建物ト分界線トノ間ニ存シ置クコト必要ナルへシ而シテ第二ノ建築者カ此ノ如ク過分ノ土地ヲ残シ置クコトノ必要生シタルハ全ク第一ノ建築者ノ過失ニ基クモノナルカ故ニ第一ノ建築者ハ第二ノ建築者ニ対シ其損害ノ賠償ヲ為ス可キコト当然ナリ是レ第三項ノ規定ノ目的トスル所ノモノトス然レトモ損害既ニ生シタルノ後之カ弁償ヲ為サシムルハ其未タ生セサルニ当リテ之ヲ豫防スルノ優レルニ若カス故ニ立法者ハ第一ノ建築者カ建物ノ工事ヲ為ストキニ於テ隣人ノ新工告発ノ訴権ニ因リ之ヲ中止セシムルコトヲ許セリ但此事情ハ必スシモ工事ノ継続ヲ防止スルモノニ非サルナリ
第六款 他人ノ所有地ニ対スル観望及ヒ明取窓
第二百五十八條
本条ノ規定モ亦所有者ノ自由ニ一箇ノ新タナル制限ヲ加へタルモノニシテ其制限ハ他ノ制限ト均ク相隣者間ノ関係ヲシテ円滑ナラシメ互ニ妨害争訟ヲ避ケシムルヲ以テ目的トナス土地ノ所有者ハ其隣地トノ分界線ノ上ニ於テ建物ヲ設クルコトヲ得へシ而シテ其建物ハ隣人ノ所有地ニ密接スルコトアルへシ若シ之カ為メニ隣地ノ所有者カ遠景ノ観望ヲ失ヒ又日光及ヒ空気ノ流通ヲ妨ケラルルコトアルモ建物ノ所有者ニ對シ更ニ何等ノ請求ヲモ為スコト能ハサルモノナリ然レトモ建物ノ所有者モ亦分界線ノ上ニ於テ隣地ヲ直線ニ観望シ得へキ窓又ハ縁側ヲ設クルコトヲ得ス何トナレハ此ノ如キ物アルトキハ常ニ隣人ノ所有地内ノ事情ヲ観察シ其秘密ヲ侵ス如キコト有ルへキノミナラス設ヒ是等ノ事無シトスルモ猶ホ他人ノ土地ニ固形体又ハ流動体ヲ投スル如キコト屡々ナル可ケレハナリ故ニ法律ハ此ノ如キ窓等ヲ設クルニハ分界線ヨリ三尺ノ距離アルコトヲ必要ナリトス固ヨリ三尺ノ距離ヲ存スルモ未タ必スシモ右ニ述フル如キ危険ナシト言フコトヲ得ス然レトモ一方ニ於テハ此距離ノ為メニ無用ノ土地ヲ生ス可ク殊ニ人口稠密ノ場所ニ於テハ之ヨリ生スル損害甚タ小ナラサル可キノミナラス建物ニ至リテモ亦此距離ヲ守ルトキハ充分ニ大ナラシムルコト能ハス其價格ニ影響ヲ及ホスコト大ナル可キカ故ニ到底三尺以上ニ之ヲ増加スルコトヲ得ス蓋シ建物ヲ築造スルニ当リ窓ヲ設ケント欲スル部分ハ必スヤ日光ニ対シ最モ便宜ナル部分ナル可ケレハナリ
本邦ニ於テハ此点ニ関スル所有者ノ権利ノ制限ハ従来明確ニ定メラレタルモノ有ラス慣習ニ於テモ亦然リトス実際ニ於テハ屡々相隣者間ノ黙止承諾ニ因テ此距離ヲ存シタルコトアリト雖モ立法者ハ特ニ之ヲ明定スルノ必要ヲ感シタリ唯タ之ヲ欧州諸国ニ比スレハ其距離ヲ小ナラシム可キ事情アルヲ信シ之ヲ三尺ト定メタリ
第二百五十九條
本條第一項ノ規定ハ土地甚タ小ニシテ法律上ノ距離ヲ守ルコト能ハサルトキ又ハ建物既ニ築造セラレ且ツ本法ノ発布以前ニ於テ窓ヲ設ケタル場合ニ於テ其実用ヲ見ル可シ蓋シ本法発布以前ニ設ケタル窓ニ関シテモ猶ホ本法ヲ適用スルコトヲ得へク所有者ハ法律発布以前ノ既得権ヲ主張シテ将来ノ地位ヲ維持スルコトヲ得ス何トナレハ此規定タルヤ公益ニ関スルモノニシテ其主張スル事情ハ公益ニ反スルモノナレハナリ既ニ存在スル所有権カ将来ニ向テ新法ノ為メニ制限又ハ変更セラルルコトハ決シテ法律ハ既往ニ遡ラスト云フ原則ニ因テ妨ケラルルモノニ非サルナリ
窓ヲ設クルモ目隠ヲ以テ之ヲ蔽ヒタル場合ニ於テハ此窓ハ観望ノ窓ト称スルコトヲ得ス何トナレハ其窓ヨリ観望ヲ為スコト能ハサレハナリ然レトモ未タ之ヲ以テ明取窓ト言フコトヲ得ス何トナレハ明取窓ハ隣人カ看過シテ之ヲ放任スルノミナラス尚ホ多少ノ不便ヲ蒙ルコトアリト雖モ此場合ニ於テハ目隠ヲ以テ全ク之ヲ蔽ヒタルカ故ニ隣人ハ更ニ看過ニ因テ放任スル所ナク亦何等ノ不便ヲモ蒙ル所ナケレハナリ
第二項ニ規定スル場合ニ於テハ更ニ目隠ヲ設ケ以テ観望ヲ為シ得可カラサラシメタルモノニ非サルカ故ニ其窓ハ明取窓ナリトス此場合ニ於テハ法律ハ隣人ノ利益ノ為メニ二箇ノ制限ヲ加へタリ第一此窓ニ因テ隣地ヲ観望スルコト多少困難ナラシメ因テ以テ容易ニ観望スルコトナカラシムル為メ明取窓ト其下部ノ床板トノ距離ヲ定メ第二ニ小児又ハ奴婢等ノ隣地ニ向テ有害ナル物ヲ抛擲スルコトヲ拒ク為メ格子ヲ附着セシムルモノトシ且ツ其格子目ハ甚タ大ナラサルモノタルコトヲ必要トセリ諸外国ノ法律ニ従へハ明取窓ニ関シテハ尚ホ第三ノ条件ヲ必要ト為セトモ本邦ニ於テハ之ヲ必要ト為サス即チ明取窓ニハ開放シ得可ラサル硝子戸ヲ用ヰルコト是レナリ既ニ格子ヲ附着セシムル以上ハ此条件ノ如キハ極端ニ失シタルモノト言ハサルヲ得ス且ツ開閉ス可ラサル硝子戸ヲ用ヰルトキハ衛生上必要ナル空気流通ヲ害スルコト大ナルへシ法律ハ未タ軽々シク各人ヲシテ此利益ヲ失ハシムルコト能ハサルナリ
本條末項ノ規定モ亦タ其当ヲ得タルモノナリ法律ヲ以テ分界線上ニ突出シタル目隠ヲ設クルコトヲ禁シタルハ一ニ隣人ノ権利ヲ重立ルカ為メナリ此故ニ若シ隣人ニシテ格子ヲ附着シタル明取窓ヨリ猶ホ観望セラルルノ憂アルカ為メ寧ロ分界線ヨリ多少突出スルコトアルモ目隠ヲ負担スルヲ以テ優レリトスル場合ニ於テハ自己ノ権利ヲ抛棄スルコトヲ得サル可ラス此場合ニ於テモ目隠ト窓トノ距離甚タ小ナルトキハ為メニ建物ノ所有者カ光線ヲ遮ラルルコト甚タシカルへク従テ立法者ハ此点ニ就テモ亦規定スル所ナカル可ラス故ニ其距離ノ最下点ヲ明定セリ
第二百六十條
右ニ掲ケタル法文ニ従ヒ相隣者ノ一方ヨリ要求シ得へキ観望ニ関スル距離カ或ル事情ノ為メニ要求シ得へカラサルモノトナリタル場合モ亦法律ヲ以テ規定スルコトヲ要ス即チ相隣者ノ一人カ何等ノ窓等ヲ設ケサル建物ヲ築造シタル場合是レナリ此時ニ当リテヤ若シ他ノ一人カ更ニ建物ヲ築造シ如何ナル窓ヲ設クルコトアルモ之カ為メニ第一ノ建築者ニ不便ヲ感セシムルコト非サルナリ然レトモ若シ第一ニ築造シタル建物ハ分界線ヲ退クコト三尺以上ニシテ且ツ他日ニ至リ窓ヲ設ケタル場合ニ於テハ第二ノ建築者カ法律ノ距離ヲ守ラスシテ設ケタル窓ハ之ヲ塞クコトヲ要スルハ勿論ナリ
第七款 或ル工作物ニ要スル距離
第二百六十一條
本款ニ於テ規定スル所モ亦相隣者相互ノ負担ノ一ニシテ此負担タルヤ各人カ所有者トシテ有スル自由ノ幾分ヲ制限シ之ニ因テ相隣者カ互ニ土地ノ区畫ノ嚴重及ヒ円滑ナル関係ノ障碍ニ因テ蒙ルコトアルベキ損害ヲ豫防スルモノナリ
本條ニ規定スル所ノ中第一ハ井戸及ヒ用水溜下水溜ニ関スルモノナリ
井戸ヨリ生スル危険ハ決シテ其水ノ土地ニ浸潤スルヨリ生スル事ニ非ス何トナレハ井戸ノ水ハ元来地底ニ存スルモノニシテ井戸ヲ穿ツモ之ヲ増加スルコトナク却テ之ヲ減少セシムルニ過キサレハナリ唯タ之カ為メニ隣地ノ崩壊陥没等ヲ来サンコトヲ恐ルルノミ概シテ井戸ハ甚タ堅牢ナル地盤ニ之ヲ穿タル場合ノ外ハ木製ノ井戸側ヲ用ヰルモノナリ是レ井戸ニ関シテハ分界線トノ間ニ残スへキ距離ノ比較上甚タ大ナラサル所以ナリ(六尺)
用水溜ハ地下ノ水脈缺乏セル場所又ハ水脈アルモ甚タ深クシテ使用スルコト能ハサル場所ニ於テ天水若クハ泉源ノ水ヲ畜フル為メニ設クルモノニシテ之ヲ井戸ニ比スレハ隣地ニ対シ崩壊陥没ノ危険ヲ蒙ラシムルコト最モ大ナリ何トナレハ一方ニ於テハ用水溜ノ水ハ土地ノ平面ニ達スルコトヲ得へク而シテ其水路甚タ深ク且ツ大ナレハナリ然レトモ法律カ隣地トノ間ニ必要ナリト定メタル距離カ井戸ノ場合ニ比シテ大ナラサルノ所以ノモノハ土地ノ事情ニ因テ到底為シ得可ラサルコトアルへケレハナリ然レトモ此ノ如キ場合ニ於テハ用水溜ノ周邉ノ工作ヲ堅牢ニシ因テ此缼点ヲ補フへキナリ
本条第一項ニ掲ケタル第二ノ規定ハ下水溜及ヒ糞尿坑ニ関スルモノナリ其目的トスル所ハ時トシテ過用ノ残水ヲ行路ニ排泄スルコト能ハサル如キ土地ノ形状アルカ為メ漸次ニ地下ニ浸潤セシムル為メナルコトアルへク又時トシテハ糞尿等ヲ他日ニ至リ土地ノ肥料トシテ使用スル為メニ貯蔵スルニ在ルへシ此場合ニ於テ其浸潤ヨリ生スル隣地ノ害ハ前ニ掲ケタル種々ノ場合ニ比シテ甚タ大ナルへシ然レトモ猶ホ距離ニ関シテ異リタル規定ヲ為サス隣地ニ接スル周邉ニ於テ適当ナル工事ヲ施シ以テ之ヲ防クへキナリ
乾燥セル地窖ニ関シテハ(第二項)隣地トノ間ニ存スへキ距離ハ前ニ掲クル所ノ二分ノ一ナリトス何トナレハ乾燥セルカ故ニ水液ノ滲漏ノ憂アルニ止レハナリ
第三項ノ規定ハ覆蓋ヲ有セサル小溝等ニ関スルモノニシテ其大小深浅ハ種々ナルコトヲ得へシ此ノ如キ場合ニ於テハ其水ノ滲漏ヨリ生スル危険ヲ防ク為メ立法者ハ其深サノ割合ニ應シテ多少ノ距離ヲ分界線トノ間ニ存スへキモノトシ(二分ノ一)又崩壊ノ危険ニ對シテハ分界線ノ方ノ崖ヲ斜ニ削下シ又ハ石垣若クハ木柵ノ支持ヲ以テ之ヲ豫防セリ
若シ右ノ場合ニ於テ崖ノ傾斜ニ関シ争アルトキハ才判所ハ其傾斜カ四十五度ニ下ラサル角度ヲ為スへキコトヲ命シ得へシ是レ溝渠ヲ掘浚シタル泥土ヲ積ミタルトキ自然ニ生スル傾斜ノ角度ナリ
固ヨリ溝渠ト分界線トノ距離ヲ定メルニ当リテハ其崖ノ上部ヨリ起算スルコトヲ必要トナス
第二百六十二條
甚タ隣地ニ接近シテ竹木ヲ植栽スルトキハ之カ為メ隣地ハ前條ニ掲ケタル工作物ヨリ生スル所ノ損害ト全ク異リタル性質ノ損害ヲ生セシムへシ即チ此竹木ノ為メニ空気及ヒ光線ヲ失ハシメ因テ衛生ト工作トヲ害スへシ故ニ此場合ニ於テモ猶ホ立法者ハ所有者ノ自由ヲ制限スルヲ憚ラサルナリ蓋シ市府ニ在テハ竹木ハ有益ナルモノト言ハンヨリ寧ロ娯楽ノ用ニ供スルモノト称スルヲ得へク又其他ノ土地ニ在テハ土地充分ナルカ故ニ容易ニ法律上ノ距離ヲ残シテ植栽スルコトヲ得へケレハナリ
此点ニ関シ法律上ノ距離ハ植栽スル樹木ノ高低ニ従テ之ヲ定ムへキコト当然ナリ固ヨリ距離ノ票準トスへキ樹木ノ高サハ現ニ其樹木ノ有スル高サニシテ敢テ他日ニ至リ発生シタル後ニ有シ得へキ高サニ非ス然レトモ所有者カ竹木ヲ植栽スルニ当リ他日生育ノ時ヲ慮ラスシテ隣地トノ距離ヲ残シタル場合ニ於テハ其樹木カ生長シタル時ニ至リ或ハ其取除キノ請求ヲ受クルコトアルへク或ハ法律ノ定メタル高サニ截伐スルコトヲ要スルニ至ルへシ
此点ニ関シテ本法ノ規定ハ諸外国ノ法律ニ比スレハ樹木ノ所有者ヲ遇スルコト最モ寛ナルへシ何トナレハ本法ハ諸外国ノ法律ニ比シ或ハ分界線トノ間ニ存スへキ距離ヲ小ニシ或ハ同一ノ距離ニ於テモ一層大ナル竹木ヲ植栽スルコトヲ許セハナリ
本條末項ノ規定ハ容易ニ之ヲ了解スルコトヲ得へシ相隣者ノ各自カ其分界線ニ存スル牆壁囲障又ハ生籬等ニ共有者アル場合ニ於テモ此事情ハ未タ右ニ掲ケタル如キ制限ニ従フコトヲ要セサルノ理由トナラス何トナレハ共有者ト雖モ自己ノ所為ニ因テ共有物ノ安全ヲ害スへキニ非サレハナリ且ツ水液ノ滲漏又ハ土地ノ崩壊等ノ危険アル場合ニ於テハ之カ為メニ生スル損害ハ互有ノ分界ヲ踰エテ他人ノ土地ニ及ホスコトアル可ケレハナリ前顕ヨリ説明シ来レル法律上ノ距離ニ関シテハ常ニ当事者ノ特別ナル合意ヲ以テ之ニ関スルコトヲ得へシ此場合ニ於テハ此特別ノ合意ハ次節ニ至リテ規定ヲ見ルカ如ク法律上ノ地役ニ反対シテ人為ノ地役ヲ設定スルコトアリ
相隣者カ合意ヲ以テ法律上ニ存在スル相互ノ関係ヲ変更スル権能ハ他ノ場合ニ於テモ猶ホ適用ヲ見ルへシ然レトモ此権能ハ決シテ完全ノモノニ非ス即チ如何ナル場合ニ於テハ自由ニ行フコトヲ得へキモノニ非サルナリ
第二百六十三條
立法者ハ一ニ相隣者ノ安全ヲ保チ其関係ヲシテ円滑ナラシメンコトヲ欲スルニ過キサルヲ以テ若シ従来存在スル所ノ習慣ニシテ本法ノ規定ニ異ルモノアル場合ニ於テハ必スシモ本法ノ規定ヲ適用スルコトヲ必要ト為サス一ニ其集権ニ従フへキモノトセリ蓋シ其習慣ハ地方ノ必要ヨリ生スルモノニシテ概シテ其宜キヲ得目的ヲ達スルニ充分ナルモノナレハナリ
第二百六十四條
工業ノ進歩ハ一方ニ於テ社会生活ノ程度ヲ高ムルト同時ニ他ノ一方ニ於テハ單ニ其工業ノ為メ直接ニ使用セラルル者ノミナラス尚ホ工業ニ使用スル建物ノ近傍ニ住スル者ニ至ルマテ総テ人ノ生命健康ニ對シテ危害ヲ生セシムルモノナリ
此ノ如クナルカ故ニ工業ノ甚タ盛ンナル邦国ニ在テハ危険ヲ含ミ衛生ヲ害シ又ハ不都合ヲ生スル如キ工業等ニ関スル取締規則ハ甚タ夥シクシテ且ツ新タナル工業ノ発見セラルルニ従テ益々増加スルモノナリ然レトモ此ノ如キ規則ヲ設クルコトハ立法ノ関スル所ニ非ス何トナレハ其主タル目的トスル所ハ各人ノ利益ニ非スシテ実ニ一般ノ公益ナレハナリ加之立法ハ其性質上多少確乎タル物アルコトヲ要ス然ルニ此ノ如キ事項ニ至リテハ常ニ変更シ且ツ改良シテ工業及ヒ其方法ト相伴フコトヲ要スルモノナルカ故ニ立法ヲ以テ規定タルコト決シテ其宜キヲ得タルモノニ非ス是レ欧州諸国ニ於テノミ獨リ然ルニ非スシテ本邦ニ在テモ亦同一ナルへキ所ナリ
前諸款ニ共通ナル規則
第二百六十五條
国府縣市町村ニ属スル財産ハ互有及ヒ私有ニ分チ得へキコト既ニ第二十一條第二十二條及ヒ第二十三條ニ於テ明記シタル所ナリ其私有ニ属スル財産ニ関シテハ是等ノ法人ハ法律上各人ト同一ノ待遇ヲ受ケ従テ同一ノ権利ヲ有シ同一ノ義務ト利益トヲ有スへキモノナリ本條ノ明文ニ於テ本節ノ規定ハ働方及ヒ受方ニテ之ヲ適用スト掲ケタルハ蓋シ此意ヲ明カニシタルモノナリ
然レトモ互有ノ部分ヲ為セル財産ニ至リテハ私益ハ公益ノ為メニ時トシテ一歩ヲ譲ラサル可ラス
故ニ公ノ建物ハ牆壁ノ互有権共用ノ負担ヲ有スルコトナシ又公有ニ属スル土地ニ就テハ水路ノ地役ヲ行使スルコトヲ得ス然レトモ隣地ノ建物ノ修繕ノ為メニ必要ナル立入権及ヒ袋地ノ場合ニ於ケル通行権ノ如キハ公有ニ属スル土地ト雖モ猶ホ之ヲ負担スへシ雨水及ヒ泉源ノ水ノ自然ノ流下ハ此種類ノ土地モ受クルコトヲ要シ囲障及ヒ境界ノ義務モ亦免レ能ハサル所ニシテ観望植栽及ヒ工作物ニ関スル法律上ノ距離モ其守ルヘキ所ナリトス
働方即チ権利ノ点ヨリ之ヲ考フルトキハ公有ニ属スル土地ハ法律ノ所與シタル一切ノ利益ヲ有スルモノナリ故ニ行政権ハ水ノ通路境界囲障互有権ノ譲渡法律ニ定メタル距離ノ遵守等ヲ要求スルコトヲ得へカラス又各人間ニ於テ互ニ権利ノ濫用ヲ為スカ如キ憂アルへシト雖モ行政権カ之ヲ行フニ当リテハ決シテ此ノ如キ危険アラサルナリ
此ノ如ク行政権ハ法律ノ定メタル一切ノ権利ヲ行フコトヲ得へシト雖モ尚ホ公有ニ属スル財産ノ為メ働方ニ於テ地役ノ工事ヲ要求スル場合ニ於テハ其工事ニ附着シタル受方ノ条件即チ負担ヲ免ルルコト能ハス何トナレハ此点ニ於テ法律ノ効力ハ之ヲ分ツコトヲ得へカラサルモノナレハナリ
第二節 人為ヲ以テ設定シタル地役
第一款 地役ノ性質及ヒ種類
第二百六十六条
本条以下ニ規定スル所ハ純然タル地役ニシテ即チ法律上ノ地役ノ如ク所有権ノ普通法ニ属スルモノニ非ラズシテ土地ノ所有者ガ明示又ハ黙示ノ合意ヲ以テ土地ノ経済上ノ改良ノ為メ特別ニ設定シタル地役ニシテ例外ニ属スルモノナリ
已ニ第二百十四条ノ法文ノ下ニ於テ説明シタル如ク地役ト称スルハ決シテ此種類ノ役ガ土地ノ上ニ存スルガ故ニ非ラズシテ全ク想像上土地ニ属スル役ナリトシタルニ依ル地役ハ実ニ土地ノ従タルモノニシテ殆ンド其慟方ノ一個ノ品格ナリト謂フコトヲ得ベシ
又此種類ノ役ヲ名ケテ物役ト謂フコト有ルハ敢テ地役ガ物権タルコトヲ示スガ為ニ非ラス何トナレバ地役ノ物権タルコトハ特ニ此ノ如キ名称ニ由テ之ヲ明ラカニスルコトヲ要セズシテ明カナル所ナレバナリ要スルニ物役ノ名ハ其権利ガ一ノ物ニ属シ従ツテ土地ノ所有権若クハ支分権ヲ有スルモノニ非ラサレバ地役ノ権利ヲ有スルコト能ハサルノ義ヲ明カニスルモノナリ
本条ノ法文ハ第一ニ相隣セル土地ノ所有者ガ其間ニ於テ地役ノ関係ヲ設クルニ付キ完全ナル自由ヲ有スルコトヲ規定セリ而シテ地役ノ関係タルヤ通常承役地ニ奪フ所ノ利益尠ナクシテ要役地ガ是レニ由テ受クル所ノ利益ハ更ニ大ナルモノナリ此ノ如ク地役設定ノ権利ヲ以テ土地所有者ニ放任シタルモノハ蓋シ当事者相互ノ利害ヲ考へ其調和ヲ為スハ当事者ノ右ニ出ツルモノ非ラサル可ケレバナリ若シ承役地ノ負担甚ダ重クシテ要役地ノ受ク可キ利益小ナル場合ニ於テハ当事者ノ合意ニ依リ地役ノ設定ノ報酬トシテ要スル所ノ償金モ亦軽易ノモノニ非ラサル可キガ故ニ当事者ノ一方ハ必ズ之ヲ諾スルコト能ハサル可シ従ツテ当事者双方ガ其負担ヲ甘ンジ自己ノ利益ヲ害スルコト甚タシカラズトスル時ニ非ラサレハ此設定ヲ看ルコト能ハサル可キナリ
人為ヲ以テ設定シタル地役中ニハ法律上ノ地役ト正反對ナルモノ有リ即チ法律ガ相隣者ノ自由ヲ制限スルコト必要ナリト信シテ或ル規定ヲ設ケタル場合ニ於テ当事者ガ此制限ヲ免カルル為ニ是レト相反セル地役ヲ設定スルコト有リ然レトモ此ノ如キ法律上ノ地役ニ反對スル人為ノ地役ヲ設定スルニハ当時者ガ無用若クハ有害ト信ジタルトキ合意ヲ以テ之ヲ変更シ得ベキ場合ナルコトヲ要ス
次ニ掲クル所ノ事ノ如キハ相隣者ガ合意ヲ以テ有効ニ為シ得ベキ所ナリ
第一立法者ガ特ニ定メタル条件ノ備ハラザル場合ニ於テ雨水若クハ泉水又ハ家用若クハ工業用ノ水ヲ他人ノ土地ニ流下セシムルノ権利ヲ設定スルコト
第二他人ノ土地ヲ通過シテ水ヲ引入ルル為メニハ法律上要役地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ對シテ相当ノ償金ヲ弁済ス可キモノナル場合ニ於テ承役地ノ所有者ガ要役地ノ所有者ヲシテ此償金辨済ノ義務ヲ免カレシムルコト
第三井戸、用水溜、下水溜又ハ窓ノ設置及ビ竹木ノ栽植ニ関シ法律上分界線トノ間ニ存ス可キ距離ニ付テ相隣者ノ一人ガ他ノ一人ヲシテ制限ヲ免カレシムルコト
第四相隣者ノ一人ノ為メ又ハ其双方ノ為ニ経界ノ費用ヲ分任スルノ義務ヲ廃スルコト或ハ法律上囲障強要ノ権利ヲ認メラレタル場合ニ於テ是レニ関スル負担ヲ廃スルコト又然リト為ス囲障ノ互有権ヲ譲渡ス可キ法律上ノ義務ニ関シテモ亦当事者ノ合意ニ由テ之ヲ免スルコトヲ得ベシ
然レトモ右ニ掲クル所ノ例ニ依リ相隣者ハ合意ニ基キテ如何ナル種類ノ法律上ノ地役ト雖トモ之ヲ免カルルコトヲ得ベシト信ス可カラズ合意ハ各人ノ自由ナリトノ原則ハ本条ノ場合ニ於テ一個ノ例外ヲ看ル可シ且ツ此例外ハ一般ノモノニシテ要スルニ公ノ秩序ニ反スル地役ヲ設定スルコトヲ許サザルノ一点ニ在リ今一個ノ法律上ノ地役ニシテ若シ公ノ秩序ヲ以テ其基礎ト為ス場合ニ於テハ当事者ハ如何ナル合意ヲ為スト雖トモ之ヲ免カルルコトヲ得ズ何トナレバ当事者ハ各自ノ私益ニ付テ充分ノ自由ヲ有シ得ベシト雖トモ公益ニ関シテハ此ノ如クナルコト能ハス従ツテ当事者ノ一意ニ之ヲ放任スルトキハ為ニ公益上容易ナラサル妨害ヲ醸スニ至ルコト有ル可ケレバナリ今地役ガ公ノ秩序ヲ以テ其基礎トスル時ト謂へリ蓋シ單ニ公益ヲ目的トスル場合ト謂フトキハ法律上ノ地役ニ付テハ常ニ公益ニ関係ヲ有スルコト勿論ナルガ故ニ之ヲ以テ足レリトセズ必ズヤ公益ニ関スルコト尤モ大ナル場合ニ限リ此例外ヲ設ケタルモノナリ
右ニ述ブル所ノ如クナルニ依リ次ニ別記スル事項ノ如キハ当事者ガ合意ヲ以テ為シ得ベカラザル所ナリトス
第一建物ノ修繕ノ為ニ必要ナル隣地ノ立入権ヲ廃スルコト袋地ノ場合ニ於ケル通行権ヲ廃スルコトノ如キハ当事者ノ合意ヲ以テ為シ得ベカラザル所ナリ何トナレバ第一ノ場合ニ於テハ已ニ修繕ノ必要ヲ生ジタル建物ノ價額ハ其修繕ヲ為スコト能ハザル為ニ殆ンド其全部ヲ失フ可ク第二ノ場合ニ於テハ袋地ハ出入ノ道ヲ有セサルガ為ニ同ジク價額ノ全部ヲ失フ可ケレバナリ
第二高地ノ所有者ト低地ノ所有者トノ間ニ於テ合意ヲ為スモ是レニ由テ高地ヨリ自然ニ流ルル水ヲ低地ニ於テ受クルノ義務ヲ免カレシムルコトヲ得ズ
第三低地ノ所有者又ハ高地ノ所有者ヲシテ法律ガ特ニ水路ヲ供スルノ義務ヲ負担セシメタル場合ニ於テ家用若シクハ農工業用ノ水ヲ通過セシムルノ義務ヲ免除スルコトモ亦各人ノ自由ニ契約シ得ベカラサル所ナリ
第四相隣者ヲシテ互ニ経界及ヒ囲障ヲ負担スルノ義務ヲ免カレシムルコトモ亦同一ナリ
然リト雖トモ凡テ契約ハ公ノ秩序ニ反セサル限リハ成ベク効力ヲ生ゼシム可キコト当然ナルガ故ニ右ニ掲ゲタル場合ノ中少ナクモ第二乃至第四ノ場合ニ於テハ償金ニ関シテ当事者ノ合意ガ多少ノ効力ヲ生スルコトヲ得ベシ第二ノ場合ニ於テハ一旦低地ノ所有者ガ高地ノ所有者ト契約ヲ為シ是レニ由テ高地ヨリ流下スル自然ノ水ヲ受クルノ義務ヲ免カレ高地ノ所有者ガ洪水ノ害ヲ免カルル為メ遂ニ合意ニ係ハラズ法律上ノ地役ヲ主張スルコト必要ナル可シ此場合ニ於テ低地ノ所有者ハ合意ヲ主張シ法律上ノ地役ニ反對スルコトヲ得ズト雖トモ猶ホ高地ノ所有者ニ對シテ償金ヲ求ルコトヲ得ベシ又第三ノ場合ニ於テ一旦水ノ通路ヲ求ムルノ権利ヲ抛棄シタルモノガ更ニ此法律ニ由テ享有セル権利ヲ行使セントスルトキハ承役地ノ所有者ニ對シテ特別ノ償金ヲ拂フコトヲ要ス而シテ此償金ハ法律上当然要役地ノ所有者ヨリ承役地ノ所有者ニ拂フベキ償金ト全ク別物ナリトス第四ノ場合ニ於テモ相隣者間ノ契約アルニ係ハラズ経界及ヒ囲障ハ常ニ之ヲ為スコトヲ得ベシト雖トモ一旦反對ノ契約ヲ為シタル後相隣者ノ一方ヨリ法律ニ基キテ之ヲ要求スル場合ニ於テハ一人ニテ其費用ヲ負担スルコトヲ要ス可シ第一ノ場合ニ於テモ亦例外トシテ隣人ノ立入権ヲ廃罷スル合意ニ多少ノ効力ヲ生セシムルコトヲ得ベシ即チ立入権廃止ノ合意ヲ為シタル後建物ヲ築造シ後日ニ至リ其建物ノ修繕ニ付テ隣地ニ立入ヲ為サントスル場合是レナリ一旦此合意ヲ為シタル以上ハ建物ノ築造ヲ為サント欲スルモノハ修繕ノ為メ必要ナル距離ヲ建物ト分界線トノ間ニ残コシ置クコトハ其義務トシテ為ス可キ所ナリ然ルニ建物ノ築造者ガ此距離ヲ存シ置カザリシ為メ他日ニ至テ隣地ニ立入ヲ要求スルノ必要ヲ生ゼシメタル場合ニ於テハ第二百十七条ノ適用ニ依リ隣人ニ對シテ拂フ可キ償金ノ外猶ホ是レニ對シ若干ノ償金ヲ拂フコトヲ要ス可シ又其建物ノ築造中ニ於テハ新工告発ノ訴権ニ由テ其工事ヲ停止セラルルコト有ル可キナリ
相隣者ノ一人ガ法律ニ由テ有スル牆壁互有権強要ノ権利ヲ合意ニ基キテ抛棄スルコトハ有効ニ為シ得ベキモノナルコト前段ニ於テ已ニ之ヲ述ベタリ然リト雖トモ此事タルヤ遂ニ二個ノ建物ノ間ニ二重ノ牆壁ヲ築造スルノ必要ヲ生ゼシムルモノニシテ甚ダ経済上ノ利害ニ関係ヲ有シ従ッテ此問題ハ多少ノ困難ナキニ非ラズ或ハ此断定ヲ以テ其当ヲ得サルモノト為スモノ有ラン然レドモ此経済上ノ利益タルヤ前ニ述ベタル公ノ秩序ノ如ク公益ノ最大ナルモノニ非ラズ従ツテ之ヲ理由トシテ法律上ノ地役ニ反スル合意ヲ禁止スルニ足ラサルナリ前ニ掲クル如キ合意ハ実際ニ於テ最モ屡々其例ヲ看ル可ク而シテ是レガ為ニ土地ノ所有者ガ牆壁互有権ノ要求ヲ為スノ権利ヲ失フモ是レニ由テ其土地ノ價額ニ及ボス影響ハ決シテ大ナルモノニ非ラス未ダ合意ノ自由ニ関スル一般ノ原則ニ對シテ例外ヲ為スニ足ラサルナリ猶此問題ニ関シ一切ノ疑ヒヲ解クニハ左ノ一点ヲ注意スルヲ以テ足ル可シ即チ縦令右ニ掲グル如キ特別ノ合意ガ当事者ノ間ニ成立セサル場合ト雖トモ若シ一方ノ所有者ニシテ分界線ヨリ退クコト一尺ヲ超エテ牆壁ヲ築造シタルトキハ第二百五十七条ノ明文ニ掲グル如ク隣地ノ所有者ハ是レガ為ニ其牆壁ノ互有権ヲ強要スルコト能ハザル可シ
地役ノ事項ニ関シ合意ノ効力ニ由テ生ジ得ベキ種々ノ問題ノ決定ハ一ニ之ヲ判事ノ解釋ニ委ネタリ
相隣者ノ一人ガ自カラ又ハ其傭ヒ入レタル人夫ヲ使役シテ隣人ノ土地ニ或ル工事ヲ為ス可キコトヲ契約スルハ決シテ公ノ秩序ニ関スルモノニ非ラス例令バ隣地ノ水田ニ耕種シ又ハ其収穫ヲ為シ或ハ隣地ニ存スル建物ノ修繕ヲ為シ若クハ池沼ヲ疏浚スル如キ契約ヲ為スコト是レナリ而シテ此ノ如キ契約ヲ為スニ当ツテハ当事者ノ合意ニ従ヒ或ハ其労力ニ對スル報酬ヲ定ムルコト有ル可ク或ハ全ク無償ニシテ此義務ヲ負フコト有ル可シ然レトモ孰レノ場合ニ於テモ此合意ハ有償又ハ無償ナル労役ノ契約トシテ効力ヲ生スルノミ即チ一個ノ人権ヲ生スルモノニシテ未ダ地役ヲ構成スルモノニ非ラズ
右ノ理論ヨリ生スル結果ハ甚タ緊要ナルモノナリ蓋シ右ノ場合ニ於テ契約ヨリ生スル所ノモノハ單ニ人権及ビ義務ノ関係ニ過キサルガ故ニ其義務ハ之ヲ約シタル所有者ニ次イデ其土地ノ所有権ヲ取得ス可キ凡テノ人之ヲ負担スルニ非ラズ惟約諾者一人ノ義務ニ止マル而シテ其約諾者ガ引續キ土地ノ所有者タルト否トハ之ヲ問フコトヲ要セズ又約諾者ノ相續人ト雖トモ此義務ハ承継スルコトナシ何トナレバ労役ノ義務ハ一身ニ止マルモノニシテ此場合ニ於テハ一身ナル語ハ狭隘ノ解釋ヲ為スコトヲ要ス従ツテ受方ニ於テ義務者ノ相續人ニ移轉スルモノニ非ラズ是レト同ジク其義務ハ要約者ノ死亡ニ由テモ消滅ス可キモノニシテ其相続人ノ利益タルコトヲ得ズ何トナレハ労役ノ合意ハ縦令有償ヲ以テ為サレタル場合ニ於テモ概シテ当事者双方ハ與ニ一身ノ着眼ヲ主トシテ為シタルモノナレバナリ
右ノ場合ニ於テ工事ヲ施コス可キ土地ガ他人ニ譲渡サレタルトキハ右ニ掲ゲタルト同一ノ理由ニ依リ原則上所有者ノ移轉ノ為メ合意ノ消滅ヲ致スモノナリ但シ土地ノ前所有者ガ其土地ト共ニ労役ノ債権ヲ譲渡スコトヲ明示スルハ其為シ得ベキ所ナルガ故ニ若シ此特別ノ意思ヲ示シタル場合ニ於テハ格別ナリトス
又所有者ノ一人ガ隣人ノ所有スル土地ニ付テ散歩、狩猟、捕漁、水浴等ノコトヲ為スノ権利ヲ要約シタル場合ニ於テハ未ダ隣地ノ所有者ノ一身ニ於テ何等ノ負担ヲ有スルモノニ非ラズ然レドモ他ノ一方ヨリ観察スルトキハ此等ノコトハ決シテ要役地ト主張セラレタル土地ノ一切ノ所有者ノ為ニ利益ヲ得セシム可キモノニ非ラズ此故ニ其土地ヲシテ價額ヲ増加セシム可キモノト謂フコトヲ得ズ蓋シ一切ノ人悉ク狩猟若クハ捕漁ヲ為スモノニ非ラズ人ノ年齢健康職業等ニ従ツテ此ノ如キ権能ハ縦令之ヲ有スルモ行フコト能ハサル可ク即チ全ク無用ニ属ス可シ故ニ此等ノ場合ニ於テハ地役ノ定義ヲ示スニ当ツテ述ベタル如キ土地ノ便益ナルモノヲ生セズ即チ地役ノ成立ニ必要ナル条件備ハラサルモノナリ従ツテ法律上地役ト認ムルコトヲ得ズ
然レトモ此ノ如キ要約ハ決シテ公ノ秩序ニ反スルモノニ非ラズ従ツテ無効ナルモノニ非ラズ加之ナラズ或ル場合ニ於テハ是レニ基キテ生スル所ノ権利ハ一個ノ物権タル可シ即チ完全ナル所有権タラザルモ是レガ支分権タル可シ而シテ此ノ如クナルハ其権利ノ設定ガ有償ナルト無償ナルトニ従ツテ多少ノ差異アル可ク其他ノ事情ニ従ヒ特別ノ使用権賃借権等ノ如キモノナル可シ或ハ其権利ハ普通ノ使用権若クハ賃借権ニ比シテ一層ノ制限ヲ加へラレタルモノタルコト有ル可キナリ然レトモ已ニ述ベタル如ク此契約ヨリ生スル所必スシモ物権ナルニ非ラズ故ニ或ル場合ニ於テハ使用貸借ヨリ生スル一個ノ人権ニ過キサルコト有ル可シ
更ニ注意ス可キコト有リ相隣者間ニ設定シタル負担ガ單ニ其一方ノモノニ一身上ノ労役ヲ課シ若クハ他ノ一方ニ於テ当事者其家族若クハ其一家ノ為ニ利益ヲ得セシムルニ止マルノ一事ニ依リ直チニ地役ニ非ラズト謂フコトヲ得ズ
例之バ一個ノ土地ノ所有者ガ相隣者ノ一人ノ為ニ通行権ヲ承諾シタル場合ニ於テ其通路ノ保存ハ承役地ノ所有者ニ於テ負担ス可キコトヲ合意シ得ベシ又水ノ通路ヲ供スルコトヲ諾約シタル場合ニ於テ其通路ノ設置ヲ承役地ノ所有者ニ負担セシメ且ツ修繕ノ工事ノ如キモ定期ニ於テ又ハ必要アル毎ニ承役地ノ所有者ニ於テ均シク為ス可キコトヲ諾約シ得ベシ此二個ノ場合及ビ其他是レト類似シタル場合ニ於テ其契約ヨリ生スル所ノモノハ一個ノ地役タルコトヲ確認セサル可カラズ承役地ノ所有者ガ負担スル所ノ工事ハ惟地役ノ従タル負担ニシテ此従タル負担アルガ為ニ主タル負担ノ地役タル性質ヲ変ジ得ベキモノニ非ラサルナリ此点ニ関シテハ惟地役ハ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラズシテ單ニ他人ノ或ル事ヲ為スヲ拒マサルノ義務ヲ負ハシムルニ過キズトノ原則ト調和セシムルコトヲ要スルノミ此点ニ関シテハ後ニ至テ詳説スル所アル可シ(参看第二百八十五条)又通行ノ地役若クハ水路ノ地役ハ土地ノ所有者若クハ其家族ヲシテ一身上ノ便益ヲ得セシムルコト実際ニ於テ屡々ナリトス例令バ公路ニ達スル交通ノ用意迅速ナルコト又ハ一身用及ビ家用ニ供スル充分ニシテ且ツ清浄ナル水ノ使用ノ如キ是レナリ然レドモ此場合ニ於テモ亦一身上ノ利益ハ地役ヨリ生スル従タル利益ニ過キズ通行権又ハ水路権ノ主タル効力ハ常ニ要役地ノ経済上ノ改良ニ在ルモノナリ何トナレバ土地ノ所有者ノ何人タルヲ問ハズ凡テ公路ニ達スル距離ヲ短縮シ又ハ必要ナル水量及ヒ水質ニ付テ甚ダ便益ヲ受ク可キモノナレバナリ
前ニ述ベタル如ク地役ハ永久ナルコトヲ以テ必要ノ性質ト為サズ然レドモ本来ヨリ論スルトキハ地役ハ通常永久ナルモノナリ而シテ時間ヲ限リ之ヲ設定シタル場合ニ於テハ当事者ノ意思ハ前ニ掲ゲタル場合ノ如ク現在ノ所有者ノ利益ノ為ニ之ヲ約シタルモノナルヤ将タ土地ノ便益ノ為ニ之ヲ約シタルヤヲ判定スルコト必要ナリ何トナレバ其如何ニ従ヒ或ハ人権ニ過キザルコト有ル可ク或ハ地役タルコト有ル可ケレバナリ又此事ニ関シテハ権利者ガ土地ヨリ受ク可キ便益ノ性質及ビ当事者間ノ親戚若クハ朋友等ノ如キ関係ヲ斟酌シテ其判定ヲ為スコトヲ要ス
第二百六十七条
地役ノ権利ハ二重ニ物的ノモノナリ即チ第一其権利ハ物ノ上ニ存シ而シテ其物ヲ収受スルコト有ル可キ一切ノ人ニ對抗シ得ベキモノナルガ故ニ物権ナルノミナラズ仍ホ其権利ハ物ニ属シ従ツテ此物ヲ取得シタル人ハ凡テ是レガ利益ヲ受ク可キモノナルニ由テ物役ナリトス此事ハ已ニ前条ノ下ニ於テ詳説シタル所ニシテ本条第一項モ亦此原則ヲ確認シタルモノナリ
立法者ハ是レト同時ニ地役ガ第二条ニ示シタル如ク従タル権利ナルコトヲ明カニセリ
本条第二項ニ於テ地役ハ要役地ヨリ分離シテ譲渡シ賃貸シ又ハ抵当ト為スコトヲ得ズ此ノ如キ處分ヲ為サント欲セバ必ズ土地ト共ニスルコトヲ要スルコトヲ明カニシタルハ決シテ地役ガ従タル性質ヲ有スルガ為メノミニ非ラズ蓋シ従タルモノハ單ニ地役ニ止マラズ而シテ他ノ従タルモノニ至テハ土地ヨリ之ヲ分離シテ譲渡シ又ハ賃貸スルコトヲ得ベシ例令バ土地ノ利用若クハ娯樂用ノ為ニ是レニ備へ付ケタル動産物ノ如キ此等ノ物権ハ性質上動産ナルガ故ニ土地ヨリ分離スルトキハ抵当ト為スコト能ハサルハ勿論ナリト雖ドモ仍ホ動産トシテ質ト為シ債権者ニ交付スルコトヲ得ベキナリ
又此譲渡及ビ賃貸等ノ禁止ハ決シテ地役ガ隣人ノ一身ノ着眼ヲ以テ主トシテ設定セラレ従ツテ其権利ノ譲渡ハ不当ニ権利者ヲ変スルモノナリトノ理由ニ基キタルニ非ラズ已ニ詳説シタル如ク地役ハ其性質上所有者ノ便益ノ為ニ設定セラルルモノニ非ラズシテ土地ノ便益ノ為ニ設定セラルルコトヲ必要ト為スモノナリ又地役ヲ設定シタルモノハ要役地ノ所有者ノ変更ト共ニ地役権ヲ有スルモノノ変更ス可キコトハ常ニ期スル所ナリ
要役地ヨリ分離シテ地役ノ譲渡又ハ賃貸等ヲ為スコトヲ禁ジタル真正ノ理由ハ次ニ掲グル所ノ如シ即チ地役ハ設定権原ニ由テ其行使ニ加へタル制限ノ外仍ホ要役地ノ必要ニ由テ定メラレタル制限ヲ有スルモノナリ例之バ他人ノ土地ニ存スル水、砂、石、竹木等ヲ要役地ノ家用若クハ農工業用ノ為ニ採取スルノ権利ヲ有スルモノガ其量ヲ一定シタル場合ニ於テモ必ズシモ其要約シタル全量ヲ採取スルコト能ハザル可シ何トナレバ実際ニ於テ要役地ニ必要ナル量ハ時トシテ要約シタル所ヨリ寡ナキコト有ル可ケレバナリ此時ニ当リ若シ地役ノ全部ヲ他人ニ譲渡シ他人ヲシテ当初要約ノ全量ヲ採取スルコトヲ得セシメ又ハ要役地ノ用ニ供シタル残餘ヲ他人ニ譲渡スルコトヲ得ルモノトセバ是レガ為ニ承役地ノ負担ハ要役地ノ所有者ノ處為ニ由テ不当ニ加重セラルルニ至ル可シ此理由ハ單ニ譲渡ノミナラズ賃貸及ビ抵当ニ関シテモ均シク適用スルコトヲ得ベキナリ何トナレバ賃貸モ亦賃借人ヲシテ賃貸人ニ代リ使用セシムルモノニ外ナラズ殊ニ抵当ノ如キハ債権者ヲシテ満足セシムル為メ遂ニ抵当ノ目的タル財産ヲ廃却スルコト必要ナレバナリ
本条第二項末段ノ規定モ亦同一ノ原則ニ基キテ生ジタル所ノモノナリ此故ニ隣地ノ上ニ通行権ヲ有スル土地ノ所有者ハ其権利ノ使用ヲ他ノ隣人ニ許スコトヲ得ズ縦令自カラ其権利ヲ使用スルコトナシトスルモ亦然リト為ス
然レトモ第五十七条ニ規定スル所ニ仍レバ用益権ト称スル一個ノ人役ヲ有スルモノハ其用益権ヲ目的物トシテ更ニ他ノ用益権ヲ設定スルコトヲ得ベキモノナリ然レトモ是レ決シテ本条ノ規定ト矛盾スルモノニ非ラズ一ニ用益権ガ譲渡シ得ベキモノタルニ基キテ此権能ヲ生ジタルモノナリ何トナレバ用益権ハ第六拾八条ノ法文ニ掲ゲタル如ク其賃貸、譲渡ヲ為シ及ビ之ヲ抵当ト為ス如キハ性質上為シ得ベキ所ニシテ而シテ用益者ニ此ノ如キ権能ヲ與へ由テ以テ用益権ヨリ生スル利益ヲ受クルモノヲ変更スルコトヲ得セシメタルハ必竟スルニ用益者ハ用益物ノ一切ノ使用ヲ為シ得ベク又一切ノ果実ヲ取得スルモノニシテ用益権存在スル間ハ虚有者ハ何等ノ利益ヲモ受クルコト能ハス従ツテ用益権ノ譲渡ヲ拒ムニ至当ナル利益ヲ有セサルモノナルヲ解セバ直チニ其至当ナルコトヲ知ル可キナリ然ルニ使用権ヲ有スルモノノ如キハ其権利一身ノ需用ヲ以テ限度ト為スガ故ニ其権利ハ他人ニ譲ルコトヲ得ズ(第百十三条)是ニ由テ之ヲ観レバ右ニ掲グル所ノ種々ノ規定ハ更ニ矛盾スル所アラサルナリ
第二百六拾八条
已ニ第十九条ニ於テ示シタル如ク法律ハ原則上地役ヲ以テ不可分ノ性質ヲ有スルモノトセリ然レドモ此原則ニ對シテハ特ニ法文ヲ以テ例外ヲ認メタルノミナラズ実際ニ於テハ原則ニ従ヒ不可分ナル場合ハ例外ニ従ツテ可分ナル場合最モ屡々ナル可シ
本条第一項ニ於テ規定セル如ク要役地若クハ承役地ガ数人ノ所有者ニ属シ而シテ此数人ノ所有者ガ不分共有ノ地位ニ立テルトキハ其共有者ノ一人ハ他ノ共有者ノ承諾ナクシテ地役権ヲ抛棄シ由テ要役地ヲシテ地役ノ利益ヲ失ハシムルコトヲ得ザルハ勿論ナリトス地役ノ全部ノ抛棄ハ共有者ノ一人ニ於テ之ヲ為シ得ベカラザルコト元来他人ノ権利ヲ減ゼシムルノ権利ヲ有セサルニ由テ了解スルコトヲ得ベシ然レドモ其為シ得ベカラサル所ハ單ニ地役全部ノ抛棄ノミニ非ラズシテ自己ノ有スル不分ノ持分ノミニ付テモ亦之ヲ為スコトヲ得ズ例令バ地役ノ二分ノ一三分ノ一又ハ四分ノ一ヲ抛棄スルガ如キ是レナリ何トナレバ地役ニ由テ受クル所ノ便益ノ性質ハ決シテ分ツコトヲ得ベカラサル者ナレバナリ之ヲ例スルニ観望、通路、水路又ハ土地ノ或ル部分ニ於テ建築若クハ植栽ヲ為スノ権利ノ如キ到底分ツコトヲ得ベカラサルモノナリ
是レト同ジク地役ノ不可分ハ承役地ノ共有者間ニ於テモ同一ナリトス此故ニ承役地ノ共有者ノ一人ガ要役地ノ所有者ト合意ヲ為シ是レニ由テ地役ヲ消滅セシメタルトキト雖トモ此消滅ハ他ノ共有者ニ利益ヲ與フルモノニ非ラズ承役地ノ共有者全体ヲシテ此利益ヲ受ケシムルニハ其合意ヲ為シタル共有者ガ他ノ共有者ノ承諾ヲ得テ之ヲ為シタルコトヲ必要トス又其合意ハ之ヲ為シタル共有者ノ不分ノ持分ニ付テモ利益ヲ生スルコト莫カル可シ何トナレバ前ニ掲ゲタル理由ニ依リ地役ハ常ニ其全部ニ於テ且ツ不可分ヲ以テスルニ非ラサレハ行使シ得ベカラサレバナリ
地役ノ不可分ノコトハ地役ノ消滅ノ事ヲ説クニ至テ更ニ之ヲ述ブ可シ(参看第二百九十一条)利害関係人ノ中、原告又ハ被告トシテ訴訟ニ関係セザリシモノ有リタル場合ニ於テ此不可分ノ問題ハ既判力ニ関シ利益アルノミナラス且ツ多少ノ困難ヲ生スルコト有リ然レトモ此事ニ関シテハ本条ノ下ニ於テ詳説ス可キニ非ラズ他ノ不可分ナル物権若クハ人権ヲ規定スルニ当ツテ説明スルコト其当ヲ得タリト為ス
本条第二項ノ規定ニ依レバ地役ノ不可分ハ縦令要役地又ハ承役地ガ分割セラレタル後ニ於テモ仍ホ継續シ得ベキモノナリ例令バ甲號ノ土地ガ数人ノ共有ニ属シ而シテ乙號ノ土地ニ付テ通行ヲ為スノ権利、水ヲ通過セシムルノ権利若クハ或ル建築植栽等ヲ禁スルノ権利ヲ有シタル場合ニ於テ甲號ノ土地ガ共有者間ニ分割セラレタルトキハ各共有者ハ其有ニ帰シタル土地ノ持分トシテ通行、水路、観望等ノ完全ナル地役権ヲ有ス可シ又要役地ノ分割ニ非ラズシテ其一部分ヲ第三者ニ譲渡シタル場合ニ於テモ亦同一ナリ即チ譲受人ハ其取得シタル所ノ土地ガ従来ノ要役地ノ一部分ニ過キズト雖トモ仍ホ地役ノ全部ニ付テ利益ヲ受クルノ権利ヲ有シ而シテ譲渡人ハ仍ホ自カラ保存シタル部分ノ為ニ依然トシテ地役ノ全部ヲ有ス可キナリ是レト同一ノ理論ニ基キ若シ承役地ガ分割セラレ又ハ其一部分ニ於テ譲渡サレタル場合ニ於テハ其各部分ハ均シク地役ヲ負担ス可キモノトス惟要役地ノ地役権ヲシテ完全ナルコトヲ得セシムルニ必要ナル程度ヲ以テ其範囲ト為スノ一点アルノミ
然レトモ此場合ニ於テハ屡々本条第二項ニ掲ゲタル例外ノ適用ヲ看ルコト有ル可シ此例外ニ付テハ少シク説明ヲ為スコト必要ナリ此例外ハ要役地ノ分割ノ場合ニ於テモ仍ホ其適用ヲ看ル可シト雖トモ承役地ノ分割ノ場合ニ比スレバ更ニ罕レナル可シ
今一個ノ承役地ガ他ノ土地ノ為ニ通路又ハ水路ヲ供スルノ義務ヲ負担シ其地役カ承役地ノ或ル定マリタル部分ニ於テ設定セラレタリト假定ス可シ此地役設定ノ為ニ承役地ハ其全部ニ於テ幾分ノ價額ヲ減少シ所有者ノ自由ヲ減縮ス可ク此点ヨリ考フルトキハ承役地ノ全部ガ地役ヲ負担シタリト謂フコトヲ得ベシト雖トモ実際人ノ通行又ハ水ノ流通ノ地役ハ土地ノ全部ニ於テ之ヲ為スモノニ非ラズ惟或ル部分ヲ定メ以テ之ヲ行使スルモノニシテ是レガ為ニ必要ナルハ実ニ承役地ノ一小部分ニ止マル可シ此時ニ当リ承役地分割セラレ地役ノ行使ニ必要ナル部分ガ全ク分割シタル或ル一部ニ属スルトキハ他ノ部分ハ将来ニ於テ地役ノ負担ヲ免カル可キコト勿論ナリ
又建築若クハ植栽ヲ禁止スルノ地役ヲ設定シタル場合ニ之ヲ行フハ概シテ要役地ニ存スル建物ニ對スル部分ナル可シ蓋シ此ノ如キ地役ハ海上田野又ハ冨士山ノ眺望等ヲ失ナハシムル為ニ之ヲ設定スルモノナレバナリ此場合ニ於テ承役地ガ分割セラレタルトキハ建築若クハ植栽ヲ為ス可カラザルノ地役ヲ負担スルハ單ニ此地役ノ目的ヲ達スルニ必要ナル部分ニ付テノミ存在ス可ク従ツテ他ノ部分ニ在ツテハ全ク此地役ノ負担ヲ免カル可キナリ
若シ承役地ノ分割ニ非ラズシテ要役地ガ数個ノ部分ニ分割セラレタリト假定スルモ其結果ハ常ニ同一ナル可シ固ヨリ通路若クハ水路ニ関スル地役ノ如キハ時トシテ分割セラレタル凡テノ部分ノ為ニ依然必要ヲ感スルコト有ル可キガ故ニ或ル部分ノ為ニ地役権ノ消滅ヲ看ルコト或ハ尠カル可シト雖トモ建築又ハ植栽ノ禁止ヲ目的トスル地役ニ至テハ殆ンド常ニ分割セラレタル或ル部分ニ関シ地役ノ消滅ヲ看ル可シ何トナレバ此地役ハ元来建物ノ為メ遠景ノ観望ヲ保存スルヲ目的トスルモノナルガ故ニ建物ノ存セサル部分ノ為ニ存在ス可キモノニ非ラサレバナリ
第二百六十九条
地役権ハ其性質トシテ土地ヨリ分離シテ譲渡スコトヲ得サルモノナリト雖トモ此理論ハ未ダ地役ニ関スル訴権ノ行使ニ付テ同一ノ禁止ヲ必要トスルモノニ非ラズ即チ地役ヲ要求シ又ハ之ヲ排斥スル訴権ノ行使是レナリ此故ニ要役地若クハ承役地ノ所有者ハ自己ノ所有権又ハ占有権ヲ證明スルコトヲ要セズシテ地役権ヲ主張シ若クハ之ヲ排斥スル訴権ヲ提起シ得ベシ勿論對手人ニ於テ其所有権ニ對シ争ヒヲ為サザル場合ナルコトヲ要ス蓋シ地役権ト所有権若クハ占有権トハ必ズシモ牽連セルモノニ非ラズ然ルニ此二個ノ問題ヲ一個ノ訴訟中ニ併合スルハ常ニ無益ニシテ且ツ屡々危嶮ナルモノナリ以上ニ掲クル所ハ普通ノ場合ニ於ケル原則ナリトス
然リト雖トモ若シ原告若クハ被告ノ土地ノ所有権若クハ占有権ガ争ヒノ目的タル場合ニ於テハ是レニ附隨シテ地役ヲ要請シ又ハ排斥スル権利モ亦均シク争ヒノ目的タル可シ此時ニ当リ二個ノ問題ハ同一ノ訴訟ニ於テ判定スルコトヲ要ス惟同時ニ所有権及ビ占有権ノ問題提出セラレタル場合ニ於テハ所有権ニ先ツテ先ヅ占有ノ問題ヲ決ス可キコト曽テ占有ノ章ニ於テ述ベタル所ノ如シ
実際ニ於テ右ノ場合ハ甚タ稀レニ生スル所ナリトス而シテ此場合ノ外ハ地役ノ問題ハ常ニ所有権若クハ占有ノ問題ト分離シテ提出セラル可ク又分離シテ判決ヲ受ク可キナリ地役ノ訴権ニ関シテモ所有権ト同ジク本権及ビ占有ノ二種類アリ
本条第二項ニ仍レバ所有者ハ其所有地ガ他人ノ土地ニ對シテ地役ヲ負担スルコト非ラサルヲ主張スル為メ拒却ノ訴権ヲ行使スルコトヲ得ベシ
要請ノ訴権ト拒却ノ訴権トハ互ニ相反スルモノニシテ此両種ノ訴権ハ各々占有訴権及ヒ本権訴権ノ二種ニ細別スルコトヲ得ベシ本権訴権及ビ占有訴権ノコトハ已ニ之ヲ示シタルノミナラス所有権及ビ用益権(第三十六条及ヒ第六十七条)並ニ占有(第百九十九条以下)ノ事項ニ関シテ詳細ノ説明ヲ為シタルガ故ニ今ハ惟地役ニ関スル適用ヲ明カナラシムルニ必要ナル性質ヲ要言スルニ止マル可シ
要請訴権ノ場合ニ於テ原告ハ他人ニ属スル土地ノ上ニ地役ノ権利ヲ有スルコトヲ確言スルモノナリ是レニ反シテ拒却ノ訴権ニ在テハ原告ハ其所有地ガ他人ノ土地ノ為ニ地役ヲ負担スルコトヲ非認スルモノナリ
地役ニ関スル訴権ガ要請ノ訴権ナルヤ拒却ノ訴権ナルヤハ單ニ学理上ノ問題タルニ止マラズ実際ニ於テ利益アル問題ナリ其詳細ニ至テハ證據ノコトヲ説明スルニ当テ之ヲ述ブ可シト雖トモ今之ヲ一言スルニ要請ノ訴権ノ場合ニ於テハ原告ニ於テ普通法ニ従ヒ其要請スル所ノモノノ證據ヲ提出スル責任アルモノニシテ拒却ノ訴権ノ場合ニ於テハ原告ハ事物ノ性質上何等ノモノモ存セズト謂フガ如キ無的ノ事実ヲ證明スルコト為シ得ベカラザルコトナルニ依リ被告ニ對シ其主張スル地役権ノ直接且ツ積極ナル原因ヲ陳述セシムルノ権利アリ而シテ拒却ノ訴権ヲ行フモノハ惟被告ガ陳述シタル一定ノ原因ニ付テ其存在セサルコトヲ證明スルヲ以テ足レリト為ス而シテ此證明モ亦決シテ容易ナラサル所ノモノナリ
要請ノ訴権及ビ拒却ノ訴権ヲ説明シタルガ故ニ左ニ此二種ノ訴権ノ細分ナル占有訴権及ビ本権訴権ノ性質ヲ略言ス可シ原告ガ事実上其主張スル権利ヲ行使シ従ツテ真ニ其権利ヲ有スルモノノ如キ地位ノ有ルトキハ單ニ其事実ノ維持ヲ請求スルコトヲ得ベシ此場合ニ於テハ権利ノ基本ニ関スル問題ヲ提起スルコトヲ要セズ
例令バ他人ノ土地ニ通行又ハ観望ノ地役ヲ有セリト主張スルモノガ此権利ノ占有ヲ為シ即チ事実上其行使ヲ為シテ或ル時間ヲ経過シタル後隣人ガ突然其通路ヲ塞ギ又ハ観望ヲ遮ギリタル場合ニ於テハ地役ヲ有スト主張スル所有者ハ其通路ヲ回復スル為メ保持ノ訴権ニ由テ訴フルコトヲ得ベク若シ被告ノ處為ガ過失又ハ脅迫ニ出テタル場合ニ於テハ回復ノ訴権ニ由テ同一ノ目的ヲ達スルコトヲ得ベシ(参看第二百◯四条)又若シ隣人ガ将来ニ於テ占有ヲ害シ若クハ全ク之ヲ失ハシム可キ工事ヲ始メタル場合ニ於テハ新工告発ノ訴権ニ由テ請求スルコトヲ得ベシ本権訴権ニ據ラズシテ占有訴権ヲ提起スル利益ハ左ノ一点ニ在リ即チ占有訴権ニ於テ原告タルモノガ勝訴ニ至ルニハ自カラ主張スル地役ヲ現ニ行使シタルコトヲ證明スルヲ以テ足レリトス是レニ反シテ若シ本権訴権ニ據ルトキハ真正ニ権利ヲ有スルコトヲ證明セサル可カラズ即チ地役ノ設定権原ヲ證明スルノ必要アリ
固ヨリ占有訴権ニ於テ勝訴ヲ得タルトキハ對手者ナル隣人ニ於テ更ニ拒却ノ訴権ヲ提起シ得ベキコト勿論ナリ然レトモ此場合ニ於テハ原被ノ位置全ク轉倒シ占有訴権ニ於テ原告タリシモノハ被告ノ地位ニ立ツモノナリ従ツテ被告ノ地位ニ附着スル一切ノ利益ヲ受クルコト勿論ナリ且ツ此場合ニ於ケル拒却ノ訴権ハ最早占有ノ訴権タルコトヲ得ズ即チ回収ノ訴権等ニ由テ之ヲ争フコトヲ得ズ何トナレバ占有ノ事ハ已ニ被告ノ利益ニ於テ判決ヲ受ケタルモノナレバナリ此故ニ原告ノ提起スル所ハ必ズ本権ノ訴権ニシテ被告ハ全ク観望又ハ通行ノ地役権ヲ有スルモノニ非ラサルコトハ基本ヨリ決定セシムルヲ以テ目的トスルモノナリ是レ已ニ第二百十二条ノ下ニ於テ述ベタル所ニシテ占有本権訴権ニ於テ敗シタルトキハ更ニ占有訴権ヲ提起スルコトヲ得ズト雖トモ占有訴権ニ於テ敗シタルモノハ猶ホ本権訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ惟第二百十二条ノ場合ニ於テハ完全所有権ニ関シ本条ノ場合ニ於テハ地役権ニ関スルノ差異アルノミ
以上ノ理論ニ由テ考フルトキハ拒却ノ訴権モ亦第一ニ之ヲ提起シタルトキハ占有訴権ノ性質ヲ有スルコトヲ得ベシ例令バ土地ノ所有者ガ隣地等ノ分界線ニ於テ建物ヲ築造シ而シテ是レニ観望ノ窓ヲ設クル場合ニ於テ隣地ノ所有者ハ新工告発ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ若シ建築工事已ニ了ハリタルトキハ隣人ハ其窓ヲ取除カシムル為メ回収ノ訴権ヲ提起スルコトヲ得ベシ若シ又土地ノ所有者ガ時々隣人ノ土地ヲ通行スル場合ニ於テ隣人ハ保持ノ訴権ヲ提起ス可キナリ此等ノ場合ニ於テ隣地ハ未ダ何等ノ地役ヲモ負担シタルニ非ラズ常ニ自由ノ者トシテ占有セラレタルガ故ニ隣人ハ一時他人ノ為ニ之ヲ妨害セラレ若クハ侵略セラレタリトスルモ此占有ヲ保持シ若クハ回収スルコトヲ得ベシ此等ノ訴権ハ占有訴権ニシテ且ツ拒却ノ訴権ナリトス何トナレバ其目的トスル所他人ノ権利ヲ否認スルニ在レバナリ此場合ニ於テ原告勝利ヲ得タルトキハ他日ニ至リ對手ヨリシテ権利ノ基本ニ関シ訴ヲ起コスコト有ルモ被告タルノ利益ヲ有ス可シ此第二ノ訴権ハ要請ノ訴権ナリトス何トナレバ其目的トスル所地役権ヲ確認セシムルニ在レバナリ又同時ニ本権ノ訴権ナリトス何トナレバ占有ノ有無ヲ決スルニ非ラズシテ権利ノ基本ヲ決セシムルモノナレバナリ
第二百七十条
本条ハ本款ニ掲クル所ノ規定ヲ以テ法律上ノ地役ニモ適用ス可キモノトシ由テ法律ガ一般所有権ニ蒙ラシメタル負担制限及ビ条件ガ純然タル人為ニ基ク地役ト共ニ地役タル性質ヲ有スルコトヲ明確ナラシメタリ
第二百七十一条
前数条ノ規定ハ本款ノ題目ニ掲ゲタル地役ノ性質ニ関スルモノニシテ本条以下ノ規定ハ地役ノ種類ニ関スルモノナリ更ニ之ヲ詳論スルトキハ前数条ノ規定ハ一般ノ地役ニ共通ナル性質ニ関スルモノニシテ本条以下ノ規定ハ各自ノ地役ノ特別ナル性質ニ関スルモノト謂フコトヲ得ベシ蓋シ地役ヲ設定スル点ニ於テ各人ノ自由ハ甚ダ大ニシテ其制限ハ或ル場合ニ於テ此自由ノ一小部分ヲ失ハシムルニ過ギズ且ツ当事者ノ各自ガ種々ノ地役ニ由テ受クルコトヲ得ベキ利益ハ千態萬状ナルヲ以テ地役ノ性質ニ至テモ亦必ズ同一ナラサルハ自カラ明カナル所ナリ而シテ地役ノ種類ノ異同ハ其設定方法ニ関シテモ尠カラサル影響ヲ及ボスト同時ニ其行使ノ方法及ビ消滅原因ニ至テモ同一ナルコト能ハズ是レ次款以下ニ於テ詳説ス可キ所ナリ
本条ニ掲ゲタル地役ノ種類ニ関スル三個ノ区別ハ地役ノ種類ヨリ自然ニ生ジタル結果ト謂フコトヲ得ベシ此故ニ惟リ本法ニ於テ之ヲ確認シタルノミナラズ近世殴州諸國ノ法律ニ於テモ皆之ヲ認メタリ只本法ニ於テハ其種々ノ地役ノ法律上ノ結果ニ付テ多少ノ規定ヲ設ケ以テ其性質ノ差異ヲ明確ナラシメタルノミ
立法者ハ本条ニ於テ地役ノ種類ニ関シ三個ノ区別ヲ為シ得ベキコトヲ掲グルニ止マル而シテ此三個ノ区別ハ互ニ相排斥スルモノニ非ラズシテ同時ニ存在シ得ベキモノナルコトハ本条特ニ之ヲ言ハズト雖トモ後ニ至テ充分ニ了解スルコトヲ得ベシ
例令バ継續ノ地役ハ必ズヤ表見又ハ不表見ノ地役タル可ク是レト同時ニ有的又ハ無的ノ地役タル可シ不継續ノ地役ニ至テモ亦是レト同一ナリ不継續ノ性質ヲ有スルト同時ニ表見又ハ不表見ノ性質及ヒ有的又ハ無的ノ性質ヲ有ス可シ此ノ如クナルニ依リ表見又ハ不表見ノ地役モ継續又ハ不継續ノ性質及ビ有的又ハ無的ノ性質ヲ有シ得ベク有的又ハ無的ノ地役ハ同時ニ表見又ハ不表見ノ性質及ビ継續又ハ不継續ノ性質ヲ有シ得ベキナリ次条以下ニ掲ゲタル例示ニ付テ之ヲ看ルトキハ益々其然ルヲ知ル可シ
第二百七十二条
地役ヲ分ツテ継續及ビ不継續ノ二種ト為スコトハ甚タ緊要ナル区別ナリトス
継續地役ノ主タルモノハ左ノ如シ法律ノ規定ニ従ヒ隣地ニ向ツテ窓ヲ設クルトキハ分界線トノ間ニ多少ノ距離ヲ遺スコトヲ要スル場合ニ於テ其距離ヲ遺スコトナクシテ窓ヲ設クルコト普通法ニ由テ許サザル範囲内ニ於テ樹木ヲ植栽シ又ハ穴ヲ穿ツコト土地ノ分界線以外ニ於テ屋根ヲ突出セシムルコト法律ヲ以テ定メタル地役ノ条件以外ニ於テ水ヲ引入レ若クハ排泄セシムル為メ他人ノ土地ニ水路ヲ設クルコト等是レナリ又建築植栽ノ禁止ニシテ所有者ノ有スル法律上ノ自由ヲ制限スルモノノ如キモ仍ホ継續ノ地役ナリトス
右ニ掲グル如キ種々ノ場合ニ於テハ一旦地役ヲ行使シタル以上ハ更ニ現実ノ處為ヲ要スルコトナクシテ地役ハ働方ニ於テモ受方ニ於テモ自然ニ行使セラルルモノナリ即チ一方ニ於テハ地役ハ其性質上承役地ヲシテ何等ノ事ヲ為スノ義務ヲモ負ハシムルモノニ非ラズシテ單ニ他人ノ或ル事ヲ為スヲ妨ゲサルノ義務ヲ負ハシムルニ止マルモノナルガ故ニ承役地ノ所有者ハ何等ノ處為ト雖ドモ之ヲ為スコトヲ要セス又要役地ノ所有者ニ於テモ自カラ又ハ他人ヲシテ積極ノ處為ヲ為サシメ此地役ヲ行使スルコトヲ要セズ而シテ地役ハ常ニ行使セラル可キナリ
然ルニ雨水其他天然若クハ人工ノ水ハ絶エズ隣地ニ流下スルモノニ非ラサルヲ以テ或ハ水路ノ地役若クハ屋根ヨリ落ツル水ニ関スル地役ヲ以テ継續ノモノト為スコト能ハズト信スルモノ有リ然レトモ是レ根據ナキ説ト謂ハサルヲ得ズ要役地ガ是レニ由テ受クル所ノ利益及ビ承役地ノ負担ハ已ニ土地ノ形状ニ依リ屋根ノ雨落若クハ水ノ流下ガ何時ニ於テモ人ノ力ヲ竢タズシテ生シ得ベキモノタル以上ハ継續シテ存在スルモノナリ
是レニ反シテ一旦土地ノ形状ヲ地役ノ行使ニ便ナラシメタルモ仍ホ是レニ由テ地役ガ自然ニ行ハルルコト能ハズ更ニ要役地ノ所有者ガ或ル處為ヲ為スコトヲ要スル場合ニ於テハ其地役ハ不継續ノモノナリ例令バ他人ノ土地ニ於ケル通行ノ地役水路ヲ設クルコトナクシテ他人ノ土地ニ存スル水ヲ汲ミ又人ヲシテ汲マシムル地役、家畜ヲ包容スル地役、竹木土砂等ヲ採取スル地役ノ如キ是レナリ然ルニ此ノ如キ地役ニ関シ要役地ノ所有者ガ為ス所ノ處為ハ決シテ継續ノモノニ非ラズ何トナレバ人ノ行為ハ決シテ継續ナルコト能ハサレバナリ
溝渠又ハ樋ヲ以テ水ヲ引入ルル地役ノ如キモ若シ其水ノ引入ガ絶エス為スコトヲ得ベキモノニ非ラズシテ日又ハ時ヲ定メテ時々為スコトヲ得ルニ止マルモノナルトキハ之ヲ以テ継續ノ地役ナリト称スルコトヲ得ズ何トナレバ此場合ニ於テハ水路ノ開閉ヲ為ス為メ必ズ人ノ處為ヲ要スルモノナレバナリ従ツテ此地役ハ性質上継續ノモノニ非ラズ此地役ニシテ継續ノ性質ヲ有スルニハ次ニ掲クル如キ場合ナルヲ要ス可シ即チ水路ノ開閉ガ器械ノ作用ニ依リ人力ヲ俟タズシテ定マリタルトキニ於テ為サレ得ベキモノナル場合是レナリ然レトモ此ノ如キ例ハ実際ニ於テ殆ンド是レ有ラザル可シ何トナレバ縦令器械ヲ以テ水路ノ開閉ヲ為スモ其器械ヲシテ自動セシムルニハ人力ヲ要スルコト必要ナル可シ若シ其器械ガ蒸気ノ力ニ據ルトキハ蒸気力ヲ生セシムル為メ人力ヲ要ス可ク又單純ナル機関的ノ運轉ニ力ヲ假ルトキハ人力ヲ以テ先ズ機関ノ運轉ヲ為サシムルコトヲ要ス故ニ此等ノ地役ハ行使スルニ当ツテ必ズ人ノ處為ヲ要スルモノナリ
他人ノ土地ニ家畜ヲ包容スル地役ニ関シテハ前ニ掲ゲタル所ト同一ナル疑ヒヲ生ジ得ベシ若シ何等ノ圍障ヲモ有セサル承役地ニ家畜ヲ包容スル権利要役地ノ所有者ニ存スルトキハ此地役ヲ行使スル為ニハ更ニ人ノ處為ヲ要スルコトナク従ツテ其地役ハ継續ノモノタルニ似タリ然レトモ是レ仍ホ其当ヲ得タルモノト謂フ可カラズ何トナレバ要役地ノ所有者ガ承役地ニ於テ家畜ヲ包容スルハ先ツ自己ノ所有地ニ於テ家畜ヲ所有シ而シテ之ヲ使用スルコトヲ要ス此處為タルヤ其性質上継續ノモノニ非ラズシテ之ヲ廃止スルコトヲ得ベク又再ビ為スコトヲ得ベキ所ナリ故ニ間断アルコトヲ得ベキノミナラズ又屡々間断アルモノナリ
第二百七十三条
本条ニ於テハ表見地役ノ特殊ノ性質二個ヲ列記セリ而シテ此二個ノ性質ハ決シテ同一ノモノニ非ラズ工作トハ地役ノ行使ヲ容易ナラシムル為メ人ノ為シタル工事ヲ謂フモノニシテ形跡ハ必ズシモ工作ニ非ラザルナリ例令バ人ノ通行ノ地役ノ場合ニ於テ要役地ノ分界線ヨリ承役地ノ或ル点ニ達スルマデ一体ノ部分ニ於テ草木ノ植栽ヲ為サズ又工作ヲ為サズ而シテ其他ノ部分ニ於テハ竹木及ビ植付等ノ存スル場合ニ於テハ縦令何等ノ工作ナキトキト雖トモ仍ホ通行権ノ形跡アルモノトス就中若シ其道路ガ屡々人ノ通行ヲ受ケ従ツテ草ヲ生セサル如キコト実存スルトキハ最モ然リト為ス又水ノ通路ノ地役ノ場合ニ於テ承役地ヲ出入スル水ガ自然ニ水路ヲ設ケタル如キトキモ亦同一ナリ
右ニ掲クル所ノ外表見地役ノ例トシテ次ニ掲クル所ノモノヲ示スコトヲ得ベシ観望ノ窓ヲ設クルノ権利法律ノ禁ジタル距離以内ニ於テ竹木ヲ植栽スル権利、分界線以外ニ突出シタル屋根ヲ設クルノ権利、地面ニ顕ハレタル水路ヲ設クルノ權利ノ如キ是レナリ
不表見ノ地役トシテ示シ得ベキ所ノモノハ左ノ如シ地下ニ水路ヲ設クルノ権利、給水ノ権利、家畜包容ノ権利、竹木其他ノ物料ヲ採取スルノ権利及ビ次条ニ掲グル如ク所有者ノ法律上ノ自由ヲ制限シ若クハ禁止スルヲ以テ目的トスル凡テノ無的ノ地役是レナリ
第二百七十四条
一個ノ地役ノ直接ノ効力ガ要役地ノ所有者ヲシテ法律上自己ノ所有地若クハ隣地ニ於テ其当然為スコトヲ得ベキ所ノ権利ヲ一層大ナラシムルニ在ルトキハ此地役ヲ以テ有的ノ地役ナリトス又積極ノ地役ト謂フコトヲ得ベシ是レニ反シテ其地役ノ目的トスル所及ヒ要役地ノ所有者ニ與フルニ元来承役地ノ所有者ガ自己ノ土地若クハ隣接セル土地ニ於テ為スコトノ権利ヲ有スル處為ヲ禁止スル権利ヲ得セシムルニ在ルトキハ其地役ハ無的ノモノニシテ禁止ノモノナリトス
今法文ノ順序ニ従ツテ有的地役ノ例ヲ示ストキハ左ノ数者ヲ設クルコトヲ得ベシ
第一承役地ノ上ニ或ル事ヲ為ス地役ニ於テハ水ヲ流通セシメ屋根ノ雨水落トシ其他通行、給水、家畜ノ使用、物料ノ採取等ヲ為スガ如キ是レナリ
第二要役地ニ於テ為ス所ノ事ニ関シテハ法律ノ許サザル距離ニ在ツテ観望ノ窓ヲ設ケ又ハ竹木ヲ植栽シ穴ヲ穿ツ等ノ如キ是レナリ
次ニ掲クル所ノモノハ無的ノ地役ノ例ト為スコトヲ得ベシ
第一承役地ニ於テスル所ノモノニ在ツテハ建築植栽又ハ穴ヲ穿ツノ禁止ノ如キ是レナリ而シテ此禁止ハ或ハ絶對ノ禁止タルコトヲ得ベク或ハ普通法ニ由テ定メタル距離以外又ハ其定メタル條件以外ニ於テ幾分ノ禁止ヲ為スニ止マルコト有ル可シ
第二要役地ニ於テスル所ノモノニ在ツテハ経界又ハ圍障ノ負担ヲ受ケサルノ権利若クハ互有権ヲ譲渡スノ義務ヲ免カルルノ権利ノ如キ是レナリ
前ニ述ベタル如キ地役ノ此種々ノ区別ハ凡テ地役ノ性質ニ基クモノニシテ惟其種々ナルハ性質ヲ観察スルノ点異ナルニ依ル従ツテ此区別ハ一個ノ地役ニ付テ同時ニ之ヲ適用スルコトヲ得ベシ
例令バ観望ノ地役又ハ地上ニ顕ハレタル溝渠ヲ以テ水ヲ引クノ権利ノ如キハ継續ニシテ且ツ表見ノ地役ナリ是レニ反シテ地下ノ水管ニ由テ水ヲ引クノ権利及ビ凡テ無的ノ地役ノ如キハ継續ニシテ不表見ノ地役ナリトス
地役ハ不継續ニシテ同時ニ表見ナルコトヲ得ベシ例令バ通行権ノ場合ニ於テ承役地ノ門戸及ビ一定ノ通路存スル如キ是レナリ又地役ハ不継續ニシテ且ツ不表見ノモノタルコトヲ得ベシ隣人ノ所有地ヨリ水ヲ汲ミ又ハ物料ヲ採取スル権利ノ如キ是レナリ
有的ノ地役ハ時トシテ屋根ノ水ヲ隣地ニ落トスノ権利ノ如ク表見ノモノナルコト有ル可シ又或ハ地下ノ水管ニ由テ水ヲ引入ルルノ権利ノ如ク不表見ノモノ有ル可シ是レト同時ニ凡テ水ヲ通スルノ権利ノ如ク継續ノモノタルヲ得ベク又通行権ノ如ク不継續ノモノタルヲ得ベシ是レニ反シテ無的ノ地役ニ至テハ常ニ不表見ニシテ且ツ継續ノモノナリトス
第二款 地役ノ設定
第二百七十五条
地役ノ種類ガ継続ナルト不継続ナルトヲ問ハズ表見ナルト不表見ナルトニ別ナク又有的ナルト無的ナルトニ係ハルコトナク一切ノ地役ニ適用スルコトヲ得ベキ設定ノ方法ハ合意及ビ遺言ノ二個ナリトス而シテ道理上地役ノ種類ハ殆ンド際限ナシトスルモ仍ホ一切ノ地役ニ付テ此二個ノ設定方法ヲ適用スルコトヲ得ベシ何トナレバ茲ニ規定スル所ノモノハ人為ヲ以テ設定シタル地役ニシテ合意及ヒ遺言ハ共ニ人ノ意思ヲ最モ直接ニ表示スル所ノモノニ外ナラザレバナリ
合意及ヒ遺言ノ法式及ビ有効ノ条件ニ関シテハ本条ニ於テ詳細ノ規定ヲ為ス可キニ非ラズ何トナレバ此等ノ事項ハ特ニ地役ニ関シテ格段ノ規定ヲ要ス可キニ非ラザレバナリ地役ハ物権ニシテ所有権ノ支分権ナリ此故ニ合意若クハ遺言ニ由テ之ヲ設定スルコト恰カモ他ノ物権ニ於ケルト同ジク且ツ所有権ト同一ノ方法ニ由テ取得セラル可キナリ然レトモ地役ハ必ズ不動産権ナリ此故ニ設定者ノ能力ニ関シテハ動産権ニ関スル場合ニ比シテ多少ノ制限アリトス又第三者ガ地役ノ負担アルコトヲ知ラズシテ承役地ヲ取得シ為ニ損害ヲ蒙ムル如キコト莫カラシムル為メ或ル法式ニ従ヒ其設定ヲ公示スルコトヲ要ス可シ
設定者ノ能力並ニ第三者ノ利益ノ為ニ制定セラレタル行使ノ方法ニ関シテハ本編第二部ニ規定スル所アルヲ看ル可シ
第二百七十六条
取得時効ハ常ニ人ノ處為ヨリ生スルモノナリ然レトモ時効ハ未タ権原ヲ組成スルモノニ非ラズ惟時効ニ由テ従来已ニ権利ノ存在スルコトヲ推定セシムルニ過キズ即チ時効ハ法律上ノ推定ニ由テ権利ヲ證明スルノ方法タルニ過ギサルナリ
地役ノ事項ニ関シテモ用益権及ビ所有権ノ事項ニ関スルト均シク時効ヲ許ス可キコト当然ナリ然レトモ立法者ハ地役ガ継続ニシテ且ツ表見ノ性質ヲ有スルトキニ非ラサレバ時効ヲ許スコトナシ蓋シ時効ノ基礎トスル所且ツ其正当ナル所以ハ一ニ占有ニ在リ即チ権利ヲ有セリト主張スルモノガ真ニ之ヲ有スル如ク行使シテ多少ノ時間ヲ経過シタルノ事実ニ在リ然ルニ所有権ノ時効ニ関シテハ占有カ種々ノ性質ヲ備フルコトヲ要シ就中継続ニシテ且ツ公然ノ性質ヲ備フルコトヲ必要トス本条ノ場合ニ於テモ亦法律ハ此二個ノ条件ニ重キヲ置キタルノミ固ヨリ所有権又ハ用益権ノ占有ノ場合ニ於テハ其継続ノ性質ハ占有者ノ處為ノ間断アルニ由テ妨ゲラルルモノニ非ラズ所有者又ハ用益者トシテ一個ノ物ヲ占有スルモノハ間断ナク耕作種藝収穫ヲ為シ得ベキニ非ラズ又間断ナク其土地ニ散歩シ若クハ建物ヲ占領スルコト能ハズ故ニ其為ス所ノ處為ノ全体ニ付テ観察ヲ為シ恰モ真正ナル所有者又ハ真正ナル用益者ノ為ス所ト異ナルコトナク少シモ不規則ナラサル場合ニ於テハ其占有ハ全ク継続ノモノナリトスルニ足ル公然ノ性質ニ関シテハ其處為ガ外部ヨリ看ルコトヲ得ベク従ツテ時効ノ為ニ不利益ヲ蒙ラントスルモノガ此占有ヲ覺知シ其適当ト信スル場合ニ於テ時効ノ成就ヲ妨グルコトヲ得ベキトキハ充分ニ法律上ノ要件ヲ備へタルモノトス
地役ノ場合ニ於テハ法律ノ必要トスル所右ニ掲クル所ニ止マラズ継続ノ性質ハ絶對完全ナルコトヲ要ス即チ地役ノ行使ガ一瞬間ト雖トモ間断ナキコトヲ要ス而シテ前ニ注意シタル如ク人ノ處為ハ其種類ノ何タルヲ問ハズ必ズ多少ノ間断アルモノナルガ故ニ人ノ處為ヲ要セズシテ自カラ行使ヲ受クル地役ニ非ラサレバ時効ヲ成就セシムル為ニ充分ナル継続ノ性質ヲ有スル地役ナラサルナリ其他ノ場合ニ於テハ例令バ通行ノ地役ノ如ク多少隔リタル時期ニ於テ之ヲ行使スルニ止マリ従ツテ承役地ノ所有者ハ必ズヤ他人ガ通行ヲ為スコトヲ看過シタルニ過ギズトノ理由ヲ以テ之ヲ排斥ス可キナリ
又公然ノ性質ニ関シテモ立法者ガ地役ニ時効ノ場合ニ於テ必要トスル所ハ所有権ノ時効ノ場合ニ比シテ甚ダ大ナリトス即チ地役ノ継續シタル行使ガ外見ノ工作又ハ形跡ニ由テ顕露スル場合ナルコトヲ要セリ(第二百七十三条)蓋シ外見ノ工作又ハ形跡ニ由テ顕露スルトキハ承役地ノ所有者ハ容易ニ之ヲ発見スルコトヲ得ベク従ツテ若シ其地役ガ不法ノモノナルトキハ直チニ是レニ對シテ異議ヲ為スコトヲ怠ラサル可ク又然ラズシテ時効ノ成就ニ必要ナル時ノ間何等ノ異議ヲモ為サザル場合ニ於テハ承役地ノ所有者ハ地役ヲ承諾シタルモノト推定スルコト容易ナル可キナリ
立法者ハ本条ノ場合ニ於テ間接ニ取得時効ノ成就ニ必要ナル占有ノ条件ニ関スル一般ノ規定ヲ援用セリ此故ニ取得時効ヲ地役ニ適用セントスルニハ地役ノ行使ガ容假ノモノニ非ラズ又強暴ニ出デサルコトヲ必要トスルハ勿論ナリ又正権原ノ有無及ヒ悪意ト善意トニ関スル区別ニ付テモ同一ノ規定ヲ適用スルコトヲ要ス蓋シ此等ノ事情ハ時効ノ成就ニ必要ナル期間ヲシテ伸縮セシムルモノナリ(参看第百八十一条及ヒ第百八十二条)
本条第二項ノ法文ハ已ニ第二百二十七条ニ於テ示シタル一個ノ問題ヲ解決セリ即チ土地ノ所有者カ其土地ヨリ生ジタル水ヲ自由ニ處分スルノ権利ヲ失ヒ而シテ隣人ヲシテ此水ヲ使用スルノ権利ヲ得セシム可キ時効ハ如何ニシテ成就スルモノナルヤノ問題是レナリ本条ノ明文ニ仍レバ要役地ノ所有者ガ自己ノ土地即チ低地ニ於テ工作ヲ為シタルコトヲ以テ足レリトス惟其工作ガ表見ノモノナルコトヲ必要ト為スノミ即チ高地ノ所有者ガ看ルコトヲ得ベキ性質ノ工作ナルコトヲ要スルノミ或ハ曰ク低地ノ所有者ガ其所有地ニ於テ為ス所ノ工作ハ高地ノ所有者ガ止ムルコト能ハザル所ナリ然ルニ此工作ヲ為シタルガ為ニ時効ヲ成就セシムルヲ得ルモノトセバ高地ノ所有者ハ此時効ノ成就ヲ止ムル為メ惟従来ノ水路ヲ変ジテ他ニ流下セシムルノ一方法ヲ有スルニ止マル是レ実ニ其当ヲ得サルモノナリト然レトモ其実高地ノ所有者ハ此ノ如キ手段ヲ用フルコトヲ要セス低地ノ所有者ニ對シ裁判所ニ於テ異議ヲ為スノ道アル可ク且ツ三十年ヲ過ギザル毎ニ此方法ヲ用フルトキハ常ニ時効ノ成就ヲ防クコトヲ得ベシ
第二百七十七条
地役ガ所有者ノ用方ニ依リ黙示ニテ設定セラレタルモノト看做サルルニハ其地役ガ継續ニシテ且ツ表見ノモノナルコトヲ必要ト為ス
今一個ノ説例ヲ以テ所有者ノ用方ニ依ル地役ノ設定ヲ説明ス可シ土地ノ所有者ガ其土地ニ建物ヲ築造シ而シテ其建物ニ窓ヲ設クルニ当リ建物ノ周圍ハ凡テ自己ノ所有地ナルヲ以テ更ニ其距離方向等ニ関シ注意ヲ施コスコトナク惟他人ニ属スル隣地ト其距離大ナルガ為メ隣人ハ是レニ對シテ法律上何等ノ故障ヲモ為スコト能ハサリシ場合ヲ假想ス可シ此ノ如キ場合ニ於テ建物ノ所有者ハ未ダ観望ノ地役権ヲ行使シタルモノト謂フコトヲ得ズ何トナレバ地役権ハ所有権他人ニ属スルモノノ上ニノミ存シ得ベキ所ノ権利ニシテ自己ノ所有物上ニ地役権ナルモノ有リ得ベカラザレバナリ然ルニ後日ニ至リ其所有者ガ建物ヲ他人ニ賣却シ又ハ建物ニ接近シタル土地ヲ賣却シ而シテ此契約ノ当時建物ノ窓ヲ閉塞セザリシノミナラズ賣却ノ後建物ヲ閉塞ス可キコトノ要約ヲモ為サザルコト有ルヲ得ベシ此場合ニ於テ建物ノ所有者ト是レニ接スル土地ノ所有者トハ最早同一ナラサルニ依リ前ニ述ベタル理論ニ従へバ地役権成立シ得ベキ事情存スルモノナリ然ルニ一方ニ於テ此ノ如キ状況存シ而シテ他ノ一方ニ於テ当事者ガ建物ノ窓ヲ閉塞セズ又ハ閉塞スルコトノ約束ヲ為サザリシハ縦令其意思タルヤ明示ノモノニ非ラズシテ黙示ニ過ギズト雖トモ仍ホ現存ノ形状ヲ維持スルニ在リシコト明カナリ而シテ其現存ノ形状ヲ維持スルトキハ建物ノ所有者ハ直チニ隣接セル他人ノ土地ニ法律上ノ距離ヲ存セズシテ窓ヲ設クルコトヲ許シタルモノニシテ将来ニ向ヒ真正ナル地役タル可キモノナリ故ニ此場合ニ於テハ当事者ノ黙示ノ合意ニ由テ地役権設定セラレタルモノト謂フヲ以テ正確ナリトス
右ニ掲ゲタル設例ニ在ツテハ工作物ヲ設ケタル当時其存スル土地ト是レニ接スル土地トガ一個ニシテ一人ニ属シ而シテ後分離シタルコトヲ假想セリ然レトモ其事情甚ダ相類シテ少シク趣キヲ異ニスルコト有ルヲ得ベシ即チ当初分離シタル二個ノ土地アリテ二人ノ所有者ニ属シ一個ノ土地ニハ建物存在シタルコト有ル可シ此二個ノ土地ガ後ニ至リ同一ノ人ノ所有ト為リ而シテ新タニ其建物ニ窓ヲ開キ更ニ他日ニ至ツテ再ビ建物ノ存スル土地ト他ノ土地ト異ナリタル人ノ所有ト為ル場合アル可シ又二個ノ土地ガ未ダ一人ノ手ニ帰セサル以前ニ於テ建物ニ窓ヲ設ケタルモ其窓ハ法律ノ定メタル距離ニ関スル条件ニ合セサリシ為メ不法ノモノトシテ閉塞セシメラレ他日両個ノ土地ガ一人ニ帰スルニ至リ最早法律上ノ距離ヲ守ルノ必要ナキニ依リ再ビ其窓ヲ復旧セシコト有ル可シ此場合ニ於テモ後其ノ土地ガ更ニ分離シテ二人ニ属スルニ至リタルトキハ恰モ新タニ窓ヲ設ケテ後土地ノ分離ヲ来タシタル場合ト同一ナル可シ或ハ二個ノ土地ガ一人ノ所有ト為ル以前ニ於テ隣地ニ對スル建物ノ観望ガ法律上有効ナル地役トシテ設定セラレタルモ其地役ハ承役地ト要役地ト一人ノ手ニ併合シタル為メ第四款ニ於テ掲グル如ク混同ト名クル原因ニ依リ消滅シ更ニ其土地二人ニ分属スルニ至ルコト有ル可シ此場合ニ於テモ亦一方ニ於テハ土地ノ状況更ニ變スルコトナキノミナラズ仍ホ契約ニ由テ此形状ヲ変更セシム可キコトヲ約セサルトキハ曽テ設定セラレタル地役ハ再ビ生ス可キモノナリトス
又他ノ点ヨリ観察スルニ前段ニ掲ケタル設例ニ在ツテハ二個ノ土地ノ所有者カ其ノ一ヲ自己ニ存留シテ他ノ一ヲ他人ニ譲渡シタルコトヲ假想シ而シテ其譲渡シタル土地ハ承役地ニ当ル可キモノナルヤ将タ要役地ニ当ル可キモノナルヤハ之ヲ区別スルコトナシ然レトモ此ノ如ク一個ヲ譲渡シテ一個ヲ存留シタルモノト假定スルコトナク仍ホ二個ノ土地ヲ同時ニ二個ノ異ナリタル人ニ譲渡シタル場合ヲ想像スルコトヲ得ベシ此場合ニ於テモ其決定ニ至テハ更ニ異ナルコトナシ凡テ本条ニ掲ゲタル所有者ノ用方ニ由テ地役ヲ設定シタルモノト看做ス可キナリ
第二百七十八条
前数条ニ於テ説明スル如ク地役ノ設定ニ関スル時効及ヒ所有者ノ用方ハ其地役ガ継續ニシテ且ツ表見ノモノナル場合ニ止マルモノトス此故ニ継續及ビ表見ノ二個ノ性質ヲ備具セザル一ノ地役ニ適用ス可キ設定原因ハ惟合意シクハ遺言タル権原ノ一アルノミ
第二百七十九条
本条ニ規定スル場合ハ地役ノ直接ナル設定ニ非ラズシテ已ニ存在スル地役ヲ書面ニ由テ確認スル場合ナリ即チ追認證書ト名クル所ノモノ是レナリ此ノ如ク新タニ地役ヲ設定スルニ非ラズシテ已ニ地役ガ設定セラレタルコトヲ證明スルニ止マルモノナルガ故ニ一切ノ地役ニ之ヲ適用スルコトヲ得ベシ即チ其地役ガ事実上権限ニ基キテ設定セラレタルモノナルヤ否ヤヲ区別スルコトヲ要セズ惟実際ニ於テ地役ノ設定ハ凡テ権原ニ基キタルモノナルコト普通ナル可シ又法律上其地役ノ性質ニ従ヒ権原ニ基クニ非ラザレバ設定スルコトヲ得サルモノナルヤ否ヤヲ問フコトヲ要セズ孰レノ場合ニ於テモ地役設定ノ直接證據ニ換フルニ追認證書ヲ以テスルコトヲ得ベシ此原則ハ次ニ掲グル惟一ノ場合ニ於テ例外アルヲ看ル可シ即チ其追認證書ハ地役ガ曽テ設定セラレタルコトヲ認ムルモ猶ホ其認ムル所ノ設定方法ハ其地役ノ性質上適用シ得ベカラザル者ナルトキ是レナリ此場合ニ於テハ追認證書ハ其目的トスル所ノ効力ヲ生スルコト能ハサル可シ例令バ地役ガ継續ニシテ且ツ表見ナル性質ヲ有セサルモノナルニ当リ時効ニ由テ設定セラレタルコトヲ追認スル證書ナルトキハ其追認証書ハ右ニ掲ゲタル理論ニ依リ有効ナラズ又右ノ二個ノ性質ヲ有セサル地役ニ関シ所有者ノ用方ニ由テ設定セラレタルモノナルコトヲ追認スル證書ニ至テモ同一ナリ
此追認證書ノ有益ナルコトハ地役ノ設定原因ノ何タルニ係ハラズ容易ニ之ヲ了解スルコトヲ得ベシ
権原ニ由テ地役ヲ設定シ而シテ其権原ノ證書存在スル場合ニ於テモ時トシテ其證書ノ意義甚ダ明瞭ナラサルコト有ル可シ此時ニ当リ当事者ハ互ニ相続人等ノ間ニ於テ争訟ヲ起スコト莫カラシムル為メ更ニ追認證書ヲ以テ其意義ヲ分明ナラシムルコト有ル可シ或ハ原證書滅失シタル為メ之ヲ補フノ目的ヲ以テ新タニ追認證書ヲ作ルコトヲ得ベキナリ
時効ニ関シテハ其已ニ成就シタル後ニ至リ当事者ガ裁判ヲ受クルコトナク而シテ相互ノ地位ヲ明確ナラシムル為メ時効ガ公平ニ成就シタルコトヲ認諾スルコト有ル可シ
又所有者ノ用方ノ場合ニ於テハ当事者ハ事実上此原因ニ由テ地役ヲ生ゼシム可キ情況ノ特ニ存在シタルコトヲ明カナラシムル為メ之ヲ告クルコト有ル可シ
追認證書ハ独リ本条ノ場合ニ於テノミ其用ヲ為スモノニ非ラズ其他多クノ場合ニ於テ適用ヲ看ルコト有ル可シト雖トモ此等ハ凡テ證據編ノ規定ニ付テ説明ヲ為ス可キナリ
第三款 地役ノ効力
第二百八十条
権利ヲ分ツテ主タル権利及ビ従タル権利ト為スコトハ已ニ第二条及ヒ第十五条ニ於テ之ヲ示セリ且ツ地役ハ要役地所有権ノ従タル権利タルコトモ亦前段ニ於テ屡々之ヲ述ベタリ然レトモ地役ハ他ノ従タル権利ト異ナリテ格別ナル性質ヲ有スルモノナリ即チ地役ハ一方ニ於テハ従タル権利タルト同時ニ他ノ一方ニ於テハ主タル権利ニシテ地役自カラ其附属トシテ従タル権利ヲ有スルコトヲ得ベク此従タル権利ハ地役アツテ後始メテ成立スルコトヲ得ベク又地役ノ為ニ存在スルコトヲ得ベキナリ其例ヲ挙ゲテ之ヲ述ベンニ他人ノ土地ニ於テ水ヲ汲ム権利ノ如キハ一ノ地役権タルコトヲ得ベク従ツテ要役地ノ従タル権利タルコトヲ得ベシト雖トモ他ノ一方ヨリ観察スルトキハ給水ノ権利ヲ有スルモノハ其権利ノ行使ニ必要ナル通行ノ権利ヲ有スルモノニシテ此通行権ハ実ニ給水権ノ従タル権利ナリ其他人ノ土地ニ於テ物料ヲ採取スルコトヲ得ル地役権ノ如キモ全ク是レト同一ナリ然レトモ此ノ如キ場合ニ於ケル通行権ハ元来主タル地役権ノ行使ニ必要ナル程度ヲ以テ限リト為スガ故ニ或ハ通行ス可キ場處又ハ通行ス可キ時ニ関シテ制限セラル可キモノタルコト勿論ナリ猶ホ一例ヲ示スニ他人ノ土地ヲ通シテ物料若クハ収穫ヲ運搬スル権利ヲ有スルモノハ其運搬ニ用フル車馬ニ付スルニ人夫ヲ以テスルノ権利ヲ有ス可ク是レト同ジク運搬ヲ了ハリタル後何等ノ物料若クハ収穫ヲ積マサル車ヲ挽キ来ルノ権利ヲ有ス可シ然レドモ此ノ如キ権利ヲ有スルモノハ運搬用ニ非ラズシテ單ニ其土地ヲ通過スルノ権利ナキハ前ニ掲ケタルト同一ノ理由ニ因テ明カナリ
理論ニ従フトキハ右ニ述ブル如シト雖トモ実際ニ於テハ承役地ノ所有者ニ於テ多少ノ看過ヲ為スコト有ルヲ得ベシ就中相隣者間ニ於テ善意ナルトキハ最モ然リト為ス然レトモ其間親密ナラズ互ニ権利ヲ争フニ際シテハ之ヲ決スル所ナカル可カラズ是レ実ニ法律ノ目的トシテ規定スル所ナリ
凡テ地役権ニハ其一部トシテ包含スル種々ノ権利及ビ権能アリト雖トモ仍ホ是レニ関スルコトナク地役ノ範圍ニ関シテ当事者間ニ争訟ヲ生スルコト有ル可シ此場合ニ於テ法律ハ惟裁判所カ其争ヒヲ決スルニ付キ標準トス可キ所ノ原則ヲ定ムルニ止メタリ本条第二項ノ明文ニ於テ地役ノ設定ニ関スル二個ノ原因ニ付テ準由ス可キ所ヲ示シ仍ホ時効ヨリ生スル取得ノ推定ニ関スル理論ヲ適用セリ
第一権原ニ據ル設定ノ場合即チ合意若クハ遺言ニ由テ地役ヲ設定シタル場合ニ於テハ合意若クハ遺言ニ関スル普通ノ解釋法ニ従フ可キモノトス而シテ此合意ノ解釋ニ関スル規定ハ本法中別ニ相当ノ場處ニ於テ規定スル所アルガ故ニ今特ニ明文ヲ設クルコトナシ惟左ノ注意ヲ為スヲ以テ足レリト為ス本条ハ合意ノ解釋ヲ為スニ当リ宜シク当事者双方ノ共通ノ意思如何ヲ考フ可ク徒ラニ当事者ガ使用シタル文字ノ意義ニノミ拘泥ス可カラサルコト是レナリ又遺言ノ解釋ニ関シテハ裁判所ハ遺贈者ノ意思如何ヲ考へ遺言書ノ文面ニノミ拘泥ス可カラサルコト契約ノ場合ニ比スレハ更ニ注意ヲ要スル所ナリ何トナレバ契約ハ当事者双方ガ熟議ノ上之ヲ締結シタルモノナリト雖トモ遺言ハ然ラズシテ受遺者ノ意思ニ関スルコトナク單ニ遺贈者ノミノ意思ニ基クモノナレバナリ
右ニ掲ゲタル解釋法ニ基クモ猶ホ判事ニ於テ疑ヒ有ル場合ニ於テハ宜シク承役地ニ最モ不利益ナラサル意義ニ解釋ス可シ何トナレバ土地ト土地トノ間ニ於テ地役ノ関係ナク互ニ自由ナルコトハ普通法ニシテ一個ノ土地ガ他ノ土地ノ便益ノ為ニ負担ヲ有スルハ実ニ例外法ニ属スレバナリ
第二所有者ノ用方ニ依ル設定ノ場合ニ於テ土地ノ分離ノ為ニ生ジタル地役ノ範圍如何ニ関シテハ宜シク地役ヲ生ゼシム可キ形状ヲ生セシメ又ハ維持シタル所有者ノ意思如何ヲ案シテ之ヲ定ム可シ然ルニ此意思ハ其土地ノ分界線ニ於テ所有者ガ実際行使シタル所如何ニ由テ之ヲ知ルコトヲ得ベシ又其現実ニ行使スルニ至ラザリシトスルモ一切ノ状況ニ基キ所有者ガ是レニ由テ達セント欲シタル目的如何ヲ案ジテ其範圍ヲ知ルコトヲ得ベシ例令バ土地ノ所有者ガ其所有地ノ一方ニ存スル水ヲ他ノ一方ニ引キ是レニ由テ家用又ハ農業ノ用ヲ充タサント欲シ水路ヲ設ケタル後其土地ヲ分チ他人ニ譲渡シタルトキハ要役地ノ所有者ハ此水ヲ援用スル権利ヲ有スルコト明カナリト雖トモ仍ホ工業用ノ為ニ之ヲ使用スルコトヲ得サル可シ
時効ノ場合ニ於テハ法文ニ於テ明記スル如ク実際占有ノ廣狹ヲ量リ是レニ由テ其地役ノ廣狹ヲ定ム可シ
立法者ハ此点ニ於テ時効ニ関シ古来慣用セル原則ヲ確認シタルモノナリ即チ時効ハ占有ノ存スル所ニ於テ成就スルモノナリ例令バ法律ヲ以テ時効ノ成就ノ為ニ必要ナリト定メタル時ノ間建物ノ所有者ガ法律上ノ距離ヲ存スルコトナクシテ隣地ニ對シ観望ヲ為シ得ベキ一個又ハ二個ノ窓ヲ有シタル場合ニ於テハ縦令取得時効成就シ地役権成立シタルモノト推定セラルルニ至ルモ此推定ハ従来占有シタル一個又ハ二個ノ窓ニ止マルモノニシテ更ニ第三ノ窓ヲ開クコトヲ許サザルモノナリ何トナレバ第三ノ窓ハ未タ占有シタルコトナク占有ナキ所ニ時効成就スルコト能ハサレバナリ是レハ同ジク若シ其窓ト隣地トノ距離ガ二尺ナリシ場合ニ於テハ他日建物ノ開通ヲ為スニ当リ一層隣地ニ接近シテ此窓ヲ設クルコトヲ得ズ縦令窓ノ数ニ於テ変更スルコトナク又隣地トノ距離ヲ改ムルナシトスルモ建物ノ他ノ部分ニ之ヲ変更シ或ハ左方或ハ右方ニ窓ノ位置ヲ改ムルコトヲ得ズ要スルニ孰レノ場合ニ於テモ時効ハ惟占有シタル利益ヲ與フルニ止マルモノニシテ実際行使セサル権利ハ是レガ為メ取得シタリトノ推定ヲ受ク可キモノニ非ラサルナリ
第二百八十一条
合意ノ場合ニ於テハ其当事者ノ不注意ニ依リ又遺言ノ場合ニ於テハ遺贈者ノ不注意ニ依リ地役ノ行使ニ関シ充分ノ条件ヲ定メサル如キコト屡々ナル可シ例令バ通行ノ地役権ヲ設定スルモ其通行権ハ單ニ人ノ通行ノミヲ許スモノナルヤ或ハ然ラズシテ車馬ノ通行ヲ許シ又物料ノ運搬等ヲモ許スモノナルヤ明カナラザルコト有ル可シ此場合ニ於テ裁判所ハ承役地及ビ要役地ノ性質如何ヲ斟酌シテ之ヲ定ム可ク就中要役地ノ性質ニ注意セサル可カラズ何トナレハ地役ノ廣狭其行使ノ方法ノ如キハ要役地ガ工業又ハ農業ニ供セラレタル場合ニ於テハ之ヲ娯楽ノ住居ニ供セラレタル場合ニ比シテ一層大ナル可キハ勿論ナレバナリ
不継続ノ給水権ノ場合ニ於テ汲取ルコトヲ得ベキ水量ハ右ニ掲ゲタルト同一ノ区別ニ従ツテ多少ノ差異アル可シ惟此権利ヲ行使スル時ニ関シテハ殆ンド常ニ晝間ニ限ル可シ但シ夜間ニ於テ水ヲ要スル急迫以外ノ場合ニ於テハ此限リニ非ラサルコト勿論ニシテ就中失火ノ際ノ如キハ其時ノ如何ヲ問フ可キニ非ラサルナリ
他人ノ土地ニ於テ牧畜ヲ為ス地役権ニ関シ之ヲ述ブルニ要役地ノ所有者ガ單ニ一家ノ用ニ供スル乳ヲ得ル為メ一頭又ハ二頭ノ牛若クハ羊ヲ有スルニ止マリ或ハ耕作用若クハ運搬用ノ為メ一頭若クハ二頭ノ牛ヲ有スルニ止マル如キ場合ニ於テハ縦令其所有者カ盛ンニ牧畜ノ業ヲ為スニ至リタルトキト雖トモ裁判所ハ是レガ為ニ畜群ヲ他人ノ土地ニ於テ飼養スルコトヲ許ス可カラズ然レドモ若シ在来ノ牛羊ヨリ生シタル子ノ為ニ数頭ヲ増加シタル如キ場合ニ於テハ之ヲ隣地ニ於テ飼養スルコトヲ許スハ敢テ地役権ノ程度ヲ超エタルモノト謂フコト能ハサル可シ
物料ヲ採取スル権利ニ関シテハ其物料ノ土砂ナルト木石ナルトニ係ハラズ分量ノ問題ハ最モ重要ノモノナル可シ此点ニ関シテモ常ニ地役設定ノ土地ニ於ケル要役地ノ情況如何ニ従ツテ之ヲ定ムルコトヲ要ス例ヲ挙ゲテ之ヲ述ベンニ地役設定ノ当時要役地ガ社会ニ於テ上流ノ地位ヲ有スル人ニ属シタリト假定ス可シ此場合ニ於テ設定シタル物料採取ノ権利ハ必ズヤ此ノ如キ人ノ用ニ供セラルル要役地ノ便益ノ為ニ設定セラレタルモノナル可シ故ニ或ハ庭園ニ使用スル為メ砂ヲ取リ或ハ牆壁ノ修繕ノ為メ石材ヲ取リ又樹木ノ支持ノ為メ竹木ヲ採伐スルコト其目的ナル可ク或ル場合ニ於テハ煖爐用等ノ為メ木ヲ採ルコト有ル可シト雖トモ是レ実ニ其極度ニシテ更ニ其上ニ出ヅルコト莫カル可シ建物ノ修繕又ハ再築等ノ為ニ必要ナル材木ヲ得ルコトヲ目的トシテ此地役権ヲ設定シタルモノト謂フコトヲ得ズ此故ニ他日ニ至リ要役地ガ譲渡セラレテ指物師又ハ煉瓦製造人ノ有ニ帰スルコト有ルモ其工業用ニ必要ナル土砂竹木等ヲ採収スルハ地役権ノ限度ヲ超エタルモノト謂ハサルヲ得ズ
是レニ反シテ承役地ハ要役地ノ用方ノ変更ニ依リ利益ヲ受ケ即チ負担ヲ減スルコト有ルヲ得ベシ例令バ当初前ニ述ベタル指物師又ハ煉瓦製造人ノ所有ノ時地役権ヲ設定シ他日其要役地ガ此ノ如キ工業ヲ為サザル官吏等ノ所有ニ帰シタルトキハ要役地ノ所有者ハ前所有者ト同一ナル分量ヲ採取スルコト能ハサル可シ何トナレバ此場合ニ於テハ要役地ノ為ニ必要ナルモノニ非ラサルヲ以テ採収ヲ許ストキハ要役地ノ所有者ハ之ヲ他人ニ賣却ス可ク而シテ地役権ハ未ダ此ノ如キ権利ヲ與フルモノニ非ラサレバナリ
右ニ掲クル所ノコトハ凡テ解釋ニ関スル原則ニシテ本条末項ハ更ニ此等ノ点ヲ明カナラシムルモノナリ第一裁判所ハ承役地及ヒ要役地ノ相互ノ需用ヲ斟酌スルコトヲ要ス即チ前段ニ説明シタル所ノ外縦令要役地ノ需用ガ甚ダ大ナリトスルモ是レガ為ニ承役地ノ所有者ヲシテ自己ノ用ヲ充タスノ権利ヲ喪失セシムルコトナキヲ要スルノ意ヲ明カニシタルモノナリ第二地役ノ行使ニ関シ当事者ノ間ニ争ヒヲ生ジタル場合ニ於テハ必ズ其以前ニ於ケル行使ノ実蹟ヲ照査スルトキハ是レニ依リ一方ノ處為ノ濫妄ナルコトヲ発見スルコト容易ナル可ク或ハ然ラズトスルモ従來ノ行使ガ多少ノ変更ヲ要スルモノナリトスルモ仍ホ当事者ヲシテ充分ノ満足ヲ得セシムルコトヲ得ベシ
第二百八十二条
若シ賃貸借ノ効力ニ依リ土地ノ所有者ガ隣地ノ所有者ヲシテ水ヲ汲ムノ権利ヲ得セシメタル場合ニ於テハ水ノ缺乏ガ賃貸人ノ責ニ帰ス可カラザル場合ニ於テモ仍ホ賃貸人ハ自カラ責任ヲ免カルルコト能ハサル可シ蓋シ賃貸人ハ一身上其水ノ収益ヲ得セシムルノ義務ヲ諾約シタルモノナルガ故ニ縦令意外ノ原因ニ由テ水ノ缺乏ヲ生スルモ其缺乏ノ間ハ借賃ヲ請求スル権利ヲ失フ可ケレバナリ是レニ反シテ給水ノ権利ガ賃貸借ニ基クモノニ非ラズシテ一個ノ地役権ナル場合ニ於テハ前ニ述フル所ト同一ナルコトヲ得ズ縦令其地役ノ設定ガ一個ノ賣買契約ニシテ賣主ハ賣買契約ニ依リ其当時賣買ノ目的タル物ノ存在スルコトヲ担保スル義務ヲ負ヒタルトキト雖トモ仍ホ是レガ為ニ其物ノ永久ニ継續ス可キコトヲ担保スルノ義務アルモノニ非ラズ又更ニ一歩ヲ進メテ賣主ガ特ニ或ル時ノ間水ノ継續ヲ担保シタル場合ナリトスルモ此担保ノ権利ハ働方ニ於テ他人ニ移轉スルコトヲ得ベク即チ要役地ノ譲受人ニ移轉スルコトヲ得ベシト雖トモ受方ニ於テ移轉スルモノニ非ラズ即チ担保ノ義務ハ承役地ノ譲受人ニ及ブモノニ非ラサルナリ要スルニ担保ノ義務ハ賣主及ヒ其相続人ノ一身ニ止マルモノトス
是レニ反シテ水ノ缺乏ガ承役地ノ所有者ノ處為ニ基キタル場合ニ於テハ縦令設定シタル権利ガ賃借権ニ非ラズシテ純然タル給水ノ地役権タルトキト雖トモ要役地ノ所有者ハ常ニ其責ニ任ス可キモノナリ而シテ此場合ニ於テハ要役地ノ所有者ガ給水権ノ賣主又ハ相続人タルト否トヲ区別スルノ必要ナシ何トナレバ其責任ハ自己ノ處為ヨリ生スル所ノモノナレバナリ
更ニ疑ヒヲ生ジ得ベキ一個ノ場合アリ即チ給水ノ地役ノ目的トナ為リシ水ガ自然ノ水ニ非ラズシテ承役地ノ所有者ガ自カラ一定ノ債額ヲ弁済シ是レニ由テ他人ヨリ譲受ケタル水ナルトキ即チ是レナリ例令バ一町村ガ其用水ノ水ノ一方ヲ他人ニ譲渡シ而シテ之ヲ譲受ケタルモノガ更ニ隣人ノ為ニ地役権ヲ設定シタルトキノ如シ此場合ニ於テ承役地ノ所有者ガ一定ノ債額ヲ弁済スルコトヲ止メタルトキハ其結果トシテ自カラ水ヲ受クルコト能ハサルハ勿論ナリ従ツテ要役地ノ所有者モ亦同ジク水ヲ汲ムコト能ハサル可シ此ノ如キ場合ニ於テ水ノ缺乏ノ責任ハ承役地ノ所有者ニ於テ之ヲ免カルルコト能ハサルヤハ多少ノ疑ヒアル所ナル可シ然レトモ原則トシテハ承役地ノ所有者ニ責任ナシト決定スルコトヲ要ス何トナレバ地役権ハ承役地ノ所有者ヲシテ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラズ要役地ノ或ル事ヲ為スヲ妨ケザルノ負担ヲ有セシムルニ止マルコト其性質ナレバナリ此場合ニ於テ水ノ缺乏ニ付キ承役地ノ所有者ヲシテ責任ヲ負ハシムルニハ地役設定ノ当時特ニ承役地ノ所有者ハ債額ノ弁済ヲ止ムルコト莫カル可キコトヲ諾約シタルモノナルコトヲ要ス然ルニ此ノ如キ諾約ヲ為シタルトキハ其義務ハ一身上ノ義務ニシテ諾約者及ビ其相続人ノ負担タルニ止マリ要役地ノ一切ノ所有者ニ移轉ス可キ物上ノ負担ニ非ラズ従ツテ一個ノ地役ト称スルコトヲ得サルナリ惟地役設定ノ当時ニ於テ目的タル水ノ出處ヲ明示セラレタル場合ニ於テハ契約ノ解釋ニ基キ承役地ノ所有者ハ黙示ヲ以テ右ニ掲グル特約ヲ為シタルモノト看做スコトヲ得ベキニ止マル
本条第二項及ヒ第三項ノ明文ハ水ノ全ク缺乏ヲ来タサザルモ仍ホ要役地及ヒ承役地双方ノ用ニ供スル為メ不充分ナル場合ヲ規定シタルモノナリ仍ホ立法者ハ是レト同時ニ要役地ノ二個以上ナル場合ヲ規定セリ
單ニ要役地ト承役地トノ利害ニ関係ヲ有スルノミナル場合ニ於テハ特ニ一方ノ為ニ大ナル利益ヲ得セシム可キニ非ラズ蓋シ其間ニ優劣ヲ為スガ如キハ殆ンド其理由ヲ看出スコト能ハサレバナリ此故ニ立法者ハ要役地ト承役地トニ由テ区別ヲ為サズシテ其不充分ナル水ハ要役地及ヒ承役地ノ如何ナル使用ノ為ニ必要ナルヤヲ標準トシテ規定ヲ為セリ第一ニ本条ハ家用ニ供スルモノヲ以テ最モ必要ナルモノト認メタリ已ニ第二百二十八条ニ関シテ説明シタル如ク水ハ或ル範圍内ニ於テ人ノ生活及ビ衛生ノ為ニ必要ナルガ故ニ他ノ使用方法ニ先ツテ先ヅ此需用ニ應スルコトヲ要ス第二ニ重要ナルハ農業用ノ水ナリトス何トナレバ此使用ハ人ノ食用品其他最モ必要ナル日用品ヲ生セシムル所ノモノナレバナリ工業用ノ水ハ是レニ次グモノトス何トナレハ水ノ不充分ナルガ為ニ或ル時ノ間工業ヲ廃止スルニ至ルコト有ルモ是レガ為ニ生スル所ノ一般ノ損害ハ農業用水ノ缺乏ニ由テ収穫ノ生セサルヨリ来タル損害ニ比シテ甚ダ小ナル可ケレバナリ
要役地ガ一個ニ止マラズシテ数個ナル場合ハ実ニ当初惟一ナリシ土地ガ地役設定ノ後共有者間ニ於テ分割ニ依リ数人ニ分属シタルトキニ於テ屡々其例ヲ看ル可シ此場合ニ於テ数人ノ所有者ハ当初要役地ガ惟一ナリシトキニ於テ使用スルコトヲ得タル水ノ分量ニ付キ権利ヲ有スルコト勿論ナリト雖トモ各自独立シテ然ルニ非ラズ皆相集ツテ後始メテ此分量ノ全部ニ付キ権利ヲ有スルモノナリ此場合ニ於テ分割ハ一己ノ所為ナルニ依リ其結果トシテ要役地数個ニ分レタリトスルモ其各個ハ要役地ノ取得ニ付キ先後アリト謂フコトヲ得ズ蓋シ分割ノ日付ハ凡テ同一ナル可キヲ以テナリ故ニ本条末項ノ規定ノ充分ナル適用ヲ看ルニハ一個ノ土地ノ一分ヅツ数回ニ賣買ヲ為シ又ハ承役地ニ接シタル数個ノ土地ニ順次ニ給水ノ権利ヲ與へタル場合ヲ假想スルコトヲ要ス
右ノ場合ニ於ケル水ノ使用ノ権利ハ次ノ順序ニ従ツテ行使ス可キモノナリ第一家用ノ為ニ必要ナル水ナルトキハ使用権ヲ得タル日付ノ前後如何ニ係ハラズ平等又ハ圴一ノ権利ヲ有ス可シ第二農業用ノ水ナルトキハ之ヲ使用スル権利ノ順序ニ従ヒ其権利ニ先後アルベシ第三一切ノ要役地ノ農業用ニ供シ仍ホ餘水アル場合ニ於テハ之ヲ工業用ニ使用セシム可シト雖トモ是レ亦農業用ノ水ニ関スルト同一ノ順序ニ従ツテ使用ノ権利ニ先後アル可キモノトス
第二百八十三条
一般ノ原則ニ従へバ当事者間ノ合意ハ当事者ガ更ニ共通ノ意思ヲ以テ之ヲ改ムルニ非ラサレバ変更スルコトヲ得サルモノナリ又裁判所ノ為シタル裁判ハ其裁判ヲ受ケタル当事者ニ對シ合意ニ均シキ関係ヲ生ゼシムルモノニシテ是レ固ヨリ至当ノコトナリトス然レトモ本条ノ場合ニ於テ立法者ハ各当事者ノ一方ノミノ意思ニ依リ多少現在ノ位置ヲ変更スルコトヲ許セリ惟是レガ為ニ他ノ一方ノ当事者ニ何等ノ損害ヲモ蒙ムラシメザルコトヲ必要トセリ此ノ如ク一般ノ原則ニ對シ特ニ例外ヲ設ケタル所以ノモノハ相隣者ヲシテ互ニ円滑ナル関係ヲ有セシメンコトヲ希望シタルニ依ル若シ相隣者ノ一方ガ何等ノ正当ナル利益ヲ有スルコトナクシテ地役ノ行使ニ関スル変更ヲ承諾スルコトヲ拒ムトキハ是レガ為ニ当事者間ノ感情ヲ害シ或ハ怨恨ヲ生スルニ至ルコト容易ニ想像スルヲ得ベク此ノ如キハ立法者ガ務メテ豫防セント欲スル所ノコトナリトス
又法律ノ明文ニモ掲ゲタル如ク單ニ地役権ノ行使ノ時日、場處又ハ方法ノ変更ノミニ関スルモノニシテ地役権ノ廣狭ニ関スルモノニ非ラズ若シ地役権ノ廣狭ニ関スルモノナルトキハ本条ノ例外ニ據ルコトヲ得ズ必ズ当事者双方ノ合意ニ基ク可キモノナリ例令バ当事者ノ一方ガ自己ノ意思ノミニ由テ承役地ヨリ採収ス可キ水其他ノ物料ノ分量ノ増減ヲ求メ或ハ承役地ニ對シ法律上ノ距離ヲ存セズシテ設クルコトヲ得ベキ窓ノ数ヲ増減センコトヲ求ムルモ是レ本条ノ例外ニ属ス可カラザル所ノコトナリ加之ナラズ此ノ如キ場合ニ於テハ縦令一方ノ意思ノミニ基キ変更ヲ求ムルコトヲ得ルモノトスルモ実ニ利益ナカル可シ何トナレバ前ニ掲ゲタル場合ニ於テハ此変更ノ為ニ一方ニ害ヲ與フルコトナクシテ他ノ一方ヲ利スルモノナレドモ此場合ニ於テハ其変更ハ一方ノ為ニ利益アルハ勿論ナレトモ之ヲ欲セサル他ノ一方ニ於テハ殆ンド常ニ損害ヲ蒙ムル可ケレバナリ
第二百八十四条
地役設定ノ為ニ必要ナル工事ハ其地役ニ由テ利益ヲ受ク可キモノノ負担ニ属ス可キコト当然ナリ立法者ハ已ニ水ノ引入レニ関スル法律上ノ地役ニ付テ此原則ヲ適用セリ然レトモ是レ法律上ノ原則タルニ過キズ故ニ当事者ノ意思如何ニ由リテハ特別ノ合意ヲ以テ是レニ反シ地役設定ノ工事ヲ以テ承役地所有者ノ負担ト為スコトヲ得ベキハ勿論ナリ惟此点ニ付テハ一ノ注意ヲ要スルモノ有リ此特別ノ合意ヲ為シタル為メ承役地ノ所有者ガ工事ヲ負担スルハ地役ノ行使ニ関スル工作物ノ保持及ヒ修繕ニ付キ次条ニ於テ規定シタル合意ト異ナリ承役地ノ所有者タル資格ヲ以テ地役トシテ之ヲ負担スルモノニ非ラズ此負担ハ一身上ノモノニシテ実ニ地役設定者タル資格ニ附着スルモノナリ故ニ之ヲ以テ地役ノ本質ニ関スル原則ニ對シ例外ヲ設ケタルモノト謂フコトヲ得ズ地役ハ常ニ此場合ニ於テモ承役地ノ所有者ヲシテ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラサルナリ蓋シ此義務ニ於ケル工事ハ地役ノ設定ニ関シ第一ノ合意ヲ為シタル後未ダ地役ノ確定ナル合意ヲ為サザルニ先ダツテ設定者自カラ為スコトヲ得ベキ所ノモノナリ此ノ如キ場合ニ於テ承役地ノ所有者ハ所有者タル資格ニ於テ此工事ヲ為シタルモノト認ムルコト殆ンド難カル可シ然ラバ即チ縦令地役ノ設定ニ関シ確定ノ合意ヲ為シタル後ニ至ツテ此工事ヲ実行スルモ此実行ノ先後ニ由テ其性質ヲ変セシム可キモノニ非ラサルナリ
是レニ反シ地役ノ行使ニ関スル工作物ノ保持及ビ修繕ノ工事ニ至ツテハ定期ニシテ且ツ継續ノ性質ヲ有スルモノナリ故ニ地役ノ設定ニ先ダツテ之ヲ為シ得ベキモノニ非ラズ従ツテ特ニ設定ノ契約ニ依リ承役地ノ負担ト定メタルトキハ承役地ノ所有者ハ実ニ承役地ノ所有者タル資格ニ於テ之ヲ諾約シタルモノタルコト明カナリ此ノ如ク此工事ノ負担ヲ以テ單ニ一身上ノモノト為サズ物上ノ負担ト為スガ故ニ此負担ハ全ク地役ノ本質ニ関スル原則ニ對シテ一個ノ例外ヲ為スモノタリ此故ニ立法者ハ次条ニ於テ此負担ヲシテ重キニ失セザラシムル為メ特ニ次条ノ第二項ニ於テ一ノ規定ヲ為セリ
第二百八十五条
本条第一項ノ規定ハ前条ノ規定ト同一ノ理由ニ由テ之ヲ説明スルコトヲ得ベシ地役ニ由テ便益ヲ受クル所ノモノハ要役地ノ所有者ナリ蓋シ要役地ノ所有者ハ自己ニ属スル権利ヲ行使スルモノナレバナリ故ニ其権利ノ行使ヨリ生スル費用ハ権利者自カラ之ヲ負担ス可キコト当然ナリトス工作物ノ保持及ビ修繕ヲシテ要役地ノ所有者ノ負担タラシムル理由此ノ如クナルガ故ニ若シ承役地ノ所有者ノ過失ニ由テ或ル修繕ノ必要ヲ生ジタル場合ニ於テハ其修繕ハ承役地ノ所有者ノ之ヲ負担ス可キコトモ亦弁ヲ竢タズシテ明カナル可シ
地役ハ承役地ノ所有者ヲシテ或ル事ヲ為スノ義務ヲ負ハシムルモノニ非ラズシテ惟要役地ノ所有者ガ或ル事ヲ為スコトヲ拒マサルノ負担ヲ有セシムルニ過ギズトノ原則ハ已ニ屡々掲ゲタル所ニシテ本条第二項ノ明文ハ此原則ニ對シ当事者ノ合意ヲ以テ例外ヲ設クルコトヲ許シタルモノナリ此例外ハ次ノ理由ニ因テモ容易ニ其至当ナルコトヲ解シ得ベシ即チ地役ノ行使ニ関スル工作物ノ保持及ビ修繕ノ負担ハ地役ノ従タル負担ニ過ギズトノ理由是レナリ加之ナラズ承役地ノ所有者ニ於テ此負担ヲ免カレント欲スルトキハ承役地ノ中地役ノ行使ニ必要ナル部分ノ所有権ヲ遺棄スルトキハ是レニ由テ負担ヲ免カレ得ベキモノト定メタルガ故ニ決シテ不当ト謂フ可カラズ此ノ如ク立法者ガ承役地ノ所有者ヲシテ負担ヲ免カルルノ方法ヲ得セシメタルモノハ要スルニ地役ノ性質ニ関スル原則ヲ重ンスルガ故ナリ
此所有権ノ遺棄ニ関シテハ二個ノ注意ヲ為スコト必要ナリトス
第一ニ注意ス可キコトハ此所有権ノ遺棄ガ單純ノモノニ非ラザルコト是レナリ若シ承役地ノ所有者ニシテ單純ノ遺棄ヲ為スニ非ラザレバ本条第二項ノ負担ヲ免カルルコト能ハザルモノトセバ此場合ニ於テ遺棄セラレタル土地ハ所有者ナキ不動産トシテ直チニ國ノ有ニ属ス可シ然レトモ本条ノ場合ニ於テハ決シテ此ノ如クナラズ即チ承役地ノ所有者ノ遺棄ハ要役地ノ所有者ノ利益ニ於テ之ヲ為スコトヲ要ス故ニ其実所有権ノ遺棄ト謂ハンヨリ寧ロ所有権ノ譲渡ト謂フヲ得ベク又其譲渡ハ無償ノモノト謂ハンヨリ寧ロ有償ノモノト謂フ可シ何トナレバ其譲渡ノ報酬トシテ負担ノ免除ヲ受クレバナリ
第二ニ注意ス可キコトハ此場合ノ所有権ノ遺棄ハ必ズシモ承役地ノ全部ニ付テ之ヲ為スコトヲ要セス惟地役ノ存スル部分ノミノ遺棄ヲ以テ足レリト為スコト是レナリ一例ヲ以テ之ヲ説明センニ一個ノ通行ノ地役ノ場合ニ於テ通路ノ保持修繕ガ承役地ノ負担ナルトキ承役地ノ所有者此負担ヲ免カレント欲セバ通路ニ供シタル部分ノ所有権ヲ遺棄スルヲ以テ足レリト為ス水路ノ地役ノ場合ニ於テモ全ク是レト同一ナリ凡テ此ノ如キ場合ニ於テ承役地全部ノ遺棄ヲ必要ナリトスル如キハ何等ノ理由ナキノミナラズ実ニ承役地ノ所有者ニ對シ甚タ嚴ニ過ギ殆ンド所有権ヲ遺棄シテ負担ヲ免カルルコトヲ許サザルト同一ノ結果ニ帰着ス可シ加之ナラズ地役ノ行使ニ必要ナル部分ノミヲ遺棄シテ負担ヲ免カルルコトハ惟リ本条ノミナラズ已ニ第二百五十四条ノ場合ニ於テ互有牆壁ノ保持及ビ修繕ノ負担ヲ免カルル為メ其牆壁ノ互有権ヲ遺棄スルヲ以テ足レリト為シタル決定ト全ク同一ノモノナリ人或ハ此遺棄ヲ以テ承役地ノ所有者及ヒ要役地ノ所有者ニ何等ノ利害ヲ與へサルモノナリト信スルコトアラン蓋シ一方ニ於テ此遺棄ハ承役地ノ所有者ヲシテ通路又ハ水路ノ保持若クハ修繕ノ義務ヲ免カレシムルモノナリト雖トモ其他ノ点ヨリ看ルトキハ是レニ由テ何等ノ損害ヲモ蒙ムラシムルモノニ非ラズ何トナレバ遺棄ノ以前ヨリシテ已ニ其部分ハ他人ノ為ニ通路若クハ水路タルガ故ニ承役地ノ所有者ニ何等ノ利益ヲモ與フルコト莫カリシヲ以テナリ是レト同ジク要役地ノ所有者ニ於テモ此遺棄ノ結果トシテ何等ノ見積リ得ベキ利益ヲ受クルコト莫カル可シ何トナレバ遺棄ノ以前ヨリシテ已ニ通路若クハ水路ノ便益ヲ有シ來タレバナリ是レ一應理アルニ似タリト雖トモ其実全ク二個ノ錯誤タルヲ免カレズ蓋シ一方ニ於テハ要役地ノ所有者ハ此遺棄以後其部分ニ付テ單ニ地役権トシテ通路又ハ水路ヲ有スルニ非ラズ其土地ノ完全ナル所有者トシテ之ヲ有スルモノナリ此故ニ其通路ハ之ヲ変ジテ水路ト為スコトヲ得ベク或ハ水路ヲ変ジテ通路ト為スコトヲ得ベシ又此ノ如ク相類シタル用方ニ之ヲ供スルヲ得ルノミナラズ全ク異ナリタル用方ニ充ルモ其任意ナリトス惟事実上土地ノ幅員ニ由テ制限セラルル所アル可キノミ此ヲ以テ遺棄ノ後ハ通行ノ権利ハ元來人ノ為ニ設ケタルト車馬ノ為ニ之ヲ設ケタルトヲ問ハズ当初地役権トシテ附着セシメラレタル種々ノ条件ノ為ニ拘束セラルルコトナシ又地役権ハ後ニ至テ述ブル如ク三十ヶ年ノ不使用ニ由テ消滅スルモノナリト雖トモ此場合ニ於テハ已ニ地役権ナルモノ非ラズ自己ノ所有地ニ権利ヲ行フモノニ過ギサルヲ以テ之ヲ使用セザルコト三十个年以上ニ及ブモ権利ノ消滅ヲ來タスモノニ非ラズ以上述ブル所ハ凡テ要役地ノ所有者ノ為ニ大ナル利益ニシテ且ツ其裏面ヨリ観察スルトキハ同時ニ承役地ノ所有者ノ為ニ不利益ナル所ノモノナリ何トナレバ一旦之ヲ遺棄シタル以上ハ更ニ完全ナル所有権ヲ回復スルコト能ハサレバナリ是レニ由テ之ヲ看レバ此遺棄ニ依リ承役地ノ所有者ハ幾分ノ利益ヲ失ヒ要役地ノ所有者ハ幾分ノ利益ヲ得ルモノニシテ決シテ互ニ利害ノ関係ナキモノニ非ラサルナリ
普通ノ場合ニ於テハ一部ノ遺棄ニ過キサルコト明カナリト雖トモ時トシテハ承役地ノ全部ノ遺棄ヲ要スルコト有ル可シ即チ承役地ノ全部ガ凡テ地役ヲ負担シタル場合是レナリ此ノ如キコトハ観望権ノ場合ニ於テ殆ント其例ヲ看ルコト莫カル可シ何トナレバ観望権ハ承役地ノ全部又ハ其大部分ニ之ヲ負担セシムルコト有ル可シト雖トモ此ノ如キ場合ニ於テ要役地ニ存スル建物ノ保持及ヒ修繕ヲ承役地ノ負担ト為ス如キ合意ヲ為スコトハ道理上殆ンド有リ得ベカラザル所ノコトナレバナリ然レドモ高地ヨリ流下スル水ノ為メ低地ノ損害ヲ豫防スルヲ目的トシテ堤塘ヲ設ケ又ハ高地ノ崩壊ヲ防グ為ニ石垣ヲ築キタル如キ場合ニ於テ此堤塘若クハ石垣ノ保持ノ負担ヲ当事者ノ合意ヲ以テ定ムルコト実際ニ於テ尠カラサル可シ而シテ堤塘ノ場合ニ於テ其遺棄ヲ為シタル承役地ノ所有者ハ是レガ為ニ要役地ノ所有者ヲシテ何等ノ利益ヲモ得セシムルコト能ハズ第二ノ場合ニ於テハ高地ヲ支持スル石垣ハ概シテ高地即チ要役地ニ属スルモノナルガ故ニ承役地ノ所有者ヨリ遺棄セント欲スルモ之ヲ為スコト能ハサル可シ故ニ此二個ノ場合ニ於テ全ク堤塘若クハ石垣ノ保持修繕ノ負担ヲ免カレント欲セバ必ズ承役地ノ全部ヲ遺棄スルコト必要ナリ然レドモ是レ法理ニ於テ此ノ如クナルノミニシテ実際ニ於テハ承役地ノ所有者ガ此著シキ遺棄ヲ為シテ仍ホ負担ヲ免カレント欲スル如コトキハ殆ント是レ非ラサル可シ
第二百八十六条
本条第一項ノ規定ハ甚タ重要ナル原則ニシテ其適用ハ種々際限ナキモノタル可シ今惟其二三ノ例ヲ示スヲ以テ足レリト為ス
例令バ通行ノ地役ヲ負担スル土地ノ所有者ハ此地役権アルガ為ニ圍障ヲ設クルノ権利ヲ失フモノニ非ラズ且ツ要役地ノ所有者ニ對シ共同ノ費用ヲ以テ圍障ヲ設クルコトヲ要求スル権利ヲ失フモノニ非ラズ惟此圍障ノ権利ノ為ニ要役地ノ所有者ノ有スル通行権ヲ妨害スルコトナキヲ要ス故ニ此場合ニ於テハ両地ノ間ニ相当ナル門戸ヲ設クルコトヲ要ス可キノミ
又給水若クハ牧畜ノ地役権ヲ負担スル土地ノ所有者ハ是レガ為ニ自カラ其所有地ニ於テ水ヲ汲ミ若クハ家畜ヲ飼養スル権利ヲ失フモノニ非ラズ惟是レガ為ニ要役地ノ所有者ガ権利ヲ有スル水ヲ缺乏セシメ又ハ牧草ヲ甚ダ不十分ナラシムル如キ濫妄ノ所為ナキヲ要ス可シ
更ニ一例ヲ示セバ観望ノ地役ヲ負担スル土地ノ所有者ハ此地役ノ為ニ六尺以上ノ樹木ヲ植フルトキハ是レニ由テ要役地ノ観望ハ其樹木以外ニ及ブコト能ハサル場合ニ於テモ仍ホ然リト為ス何トナレバ観望ノ権利ハ眺望ノ権利ニ非ラズ即チ他人ノ土地ヲ通過シテ自由ニ遠景ヲ看ルノ権利ニ非ラズ單ニ明取窓ノ如キ制限ヲ受クルコトナク自由ニ空氣及ビ日光ヲ得ルノ権利タルニ過ギサレバナリ
是レニ反シテ観望ノ地役権存スルトキハ承役地ノ所有者ハ分界線ニ於テ建物ヲ築造スルコトヲ得サル可シ縦令其建物ガ窓ヲ有セサル場合ニ於テモ亦然リト為ス何トナレバ要役地ノ建物ガ分界線ニ存スル場合ニ於テ承役地ノ所有者モ亦其分界線ニ建物ヲ築造スルコトヲ得ルモノトセバ是レガ為ニ要役地ノ建物ハ何等ノ観望ヲ有セサルニ均シカル可ケレバナリ又要役地ノ建物ガ分界線ノ上ニ存セズシテ是レト多少ノ距離アルモ其距離ガ三尺ニ満タサル場合ニ於テ承役地ノ所有者ガ分界線ニ建物ヲ築造スルトキハ是レ又要役地ノ所有者ヲシテ著シク地役ノ便益ヲ失ハシム可シ第一ノ場合ニ於テハ承役地ノ建物ハ分界線ヲ距ルコト三尺ノ處ニ於テスルニ非ラサレバ之ヲ築造スルコトヲ得ズ第二ノ場合ニ於テハ要役地ノ建物ヨリ三尺ノ距離ヲ存スル所ニ於テ築造スルコトヲ得ベキノミ
本条第二項ノ規定ハ法律上ノ地役ニ関シテ已ニ説明シタル規定ト甚タ相類スル所ノモノナリ(参看第二百三十七条及ヒ第二百三十八条)此ノ如ク類似ノ規定ヲ設ケタル所以ノモノハ実ニ一人ノ費用ヲ以テ為シタル所ノコトト雖トモ若シ二人以上ノ所有者ノ為ニ便益ヲ與フルコトヲ得ベクバ其使用ヲ許ス可キ道理アルハ本条ノ場合ニ於テモ法律上ノ地役ノ場合ニ於テモ異ナルコト莫ケレバナリ蓋シ其結果タルヤ双方ノ所有者ノ為メ費用ノ節減ヲ得セシムルモノニシテ経済上ノ利益尠カラズ是レ常ニ法律ノ希望スル所ノモノナレバナリ
第四款 地役ノ消滅
第二百八十七条
本条ニ於テハ地役ノ消滅ニ関スル六個ノ直接原因ヲ列記セリ而シテ其第四乃至第六ハ次条以下ノ法文ニ付テ詳細ノ規定ヲ看ル可キガ故ニ本条ノ下ニ於テハ惟第一乃至第三ノ原因ニ付キ多少ノ説明ヲ與フ可シ
第一原因永久ノ性質ハ地役ニ必要ノモノニ非ラザルコトハ曽テ注意シタル所ナリ固ヨリ地役ヲ設定スルニ当リ何等ノ件ヲモ是レニ附スルコトナク且ツ其地役ハ時ト事情トニ従ツテ不用ノモノト為ルコト有ル可キ特別ナル用方ニ供セラレタルモノナラザル以上ハ其地役ガ当事者ノ意思ニ於テ永久ノモノナルコト明カナリ然レトモ地役悉ク此ノ如クナルニ非ラズ即チ当事者ノ意思ハ地役ヲ以テ永久ノモノトセサルコト有ル可シ此場合ニ於テ其地役ハ全ク有期ノモノナリ有期ノ地役ノ実例ハ人為ヲ以テ設定シタル地役ニ付テ容易ニ之ヲ看ルコトヲ得ベシ
第二原因廃罷、解除及ビ鎖除ハ共ニ一切ノ物権及ビ人権ノ消滅方法ニシテ特ニ地役ノミニ関スルモノニ非ラズ故ニ此三個ノ方法ノ各々特有スル性質ニ至テハ人権及ビ人権ヲ取得シ若クハ喪失スル方法ノ事ヲ規定スルニ当ツテ之ヲ明示ス可シ故ニ今惟其二三ノ例ヲ掲グルニ過キズ債権者ヲ詐害シテ為シタル債務者ノ行為ニ付テハ廃罷ヲ為スコトヲ得ベク当事者一方ノ負担ニ属スル義務ノ不履行ノ場合ニ於テハ合意ノ解除ヲ為スコトヲ得ベク合意ヲ為シタル当事者ノ一人ガ無能力者ナリシ場合ニ於テハ其合意ヲ鎖除スルコトヲ得ベシ故ニ廃罷解除及ビ鎖除ハ之ヲ為ス場合同一ナラズト雖トモ仍ホ此三個ノ消滅方法ハ共通ナル一ノ性質ヲ有スルモノナリ即チ已ニ生ジタル所ノモノヲ取消スコト是レナリ通常此取消ハ裁判所ニ於テ言渡サルルモノニシテ惟或ル場合ニ於テ当然ニ生スルコト有ルノミ加之ナラズ廃罷ト解除ト鎖除トヲ問ハズ凡テ既往ニ溯ボリ効力ヲ生スルモノナルガ故ニ一旦取消サレタル所為ハ未ダ曽テ其所為アラザリシト同ジク当事者ヲシテ旧地位ニ復セシムルモノナリ
本条ノ場合ニ於ケル取消ハ時トシテ地役ノ設定権原ニ関スルコト有ル可ク時トシテハ更ニ基本ニ溯ボリ地役ヲ設定シタルモノガ承役地ニ有スト主張シタル権利ニ関スルコト有ル可シ第二ノ場合ニ於テモ其取消ノ結果トシテ地役権ノ消滅ヲ来タスハ固ヨリ当然ナリ何トナレバ何人ト雖トモ己レノ有セザル権利ヲ他人ニ得セシムルコト能ハザルハ法律上ノ一大原則ナレバナリ
第三原因第二百六十五条ニ依レバ公有ノ財産ハ概シテ法律上ノ地役ヲ負担スルコトナシ人為ヲ以テ設定シタル地役ニ至ツテモ亦同一ナルノミナラズ益々此ノ如クナルコトヲ要スルノ理アリ蓋シ地役権ハ完全ナル所有権ノ如ク大ナルモノニ非ラズト雖トモ仍ホ各人ニ専属スル一個ノ権利ナリ公有ノ財産ヲシテ此ノ如キ権利ヲ負担セシムルハ実ニ公有財産ノ性質ト用方トニ反スルモノト謂ハサルヲ得ズ承役地ガ公益ノ為ニ徴収セラレタルトキハ是レニ由テ地役ノ負担ヲ免カルルハ実ニ此原則ノ適用ニ外ナラサルナリ
然レトモ承役地ノ公用徴収ニ依リ地役権ノ消滅ヲ來タシタルトキハ要役地ノ所有者ハ徴収セラレタル物件ニ付キ他ノ物件ヲ有スルモノト同ジク相当ナル償金ヲ受ク可キコト勿論ナリ(参看第三十二条)
已ニ述ベタル如ク時効ハ物件ヲ取得スル直接ノ方法ニ非ラズシテ已ニ或ル原因ニ由テ之ヲ取得シタルコトヲ證明スル法律上ノ推定タルニ過キズ立法者ハ此時効ノ性質ニ関スル原則ヲシテ全カラシメンガ為ニ本条ニ於テモ亦時効ヲ以テ消滅原因ノ列記以外ニ置キ特ニ一項ヲ設ケテ承役地ノ所有者ガ地役ナキ完全ナル土地トシテ之ヲ占有シタル場合ニ於テ地役消滅ノ推定ヲ生ジ得ベキコトヲ明カニセリ
時効ニ由テ地役ノ消滅ヲ來タスハ後ニ掲クル不使用ニ由テ地役ノ消滅ヲ來タス場合ト決シテ混同ス可カラズ即チ不使用ニ依リ地役ノ消滅スル場合ニ於テ承役地ハ仍ホ其地役ヲ設定シタル所有者若クハ其相続人ニ属スルコト有ル可シ是レニ反シテ時効ノ場合ニハ一方ニ於テ要役地ノ所有者ガ使用ヲ為サザルノミナラズ是レト同時ニ第三者ガ特定名義ヲ以テ承役地ヲ取得シ而シテ何等ノ地役ヲモ負担セサル土地トシテ之ヲ占有シタルコトヲ必要ト為ス
然リト雖トモ本条ノ適用ヲ為スニハ第三取得者ガ時効ニ由テ承役地ノ所有権ヲ取得シタルコトヲ必要ト為サズ真正ナル所有者ヨリ合法ナル権原ニ由テ其所有権ヲ取得シタルヲ以テ足レリト為ス是レ実際ニ於テ最モ屡々看ル可キ所ナリ惟要スル所ノモノハ第三取得者ハ要役地ノ所有者ト合意ヲ為シ是レニ由テ土地ノ自由ヲ買戻シタルコトナキノ一事ナリ若シ然ラズシテ此自由ヲ買戻シタルモノトセバ地役ハ取得時効ノ成就スルヲ俟タズ已ニ明示ノ抛棄ニ由テ消滅ス可ケレバナリ故ニ本条ノ適用ヲ看ルハ第三取得者ガ地役ナキ土地トシテ之ヲ取得シ而シテ実際地役ノ成立スルコトヲ知ラザリシ場合ナリトス故ニ地役ガ不表見ノモノナルトキニ非ラサレバ殆ンド其例ヲ看ルコト莫カル可シ此条件備ハリタル場合ニ於テ第三取得者ガ十五ヶ年間其土地ヲ地役ノ負担ナキモノトシテ占有シタルトキ即チ要役地ノ所有者ガ地役ヲ行使セザリシトキハ時効成就シ是レニ由テ承役地ハ負担ヲ免カレタリトノ推定成就ス可キナリ
承役地ノ所有者ガ地役ノ抛棄ヲ合意ニ由テ得タル場合ニ於テ其合意ヲ為シタルモノガ要役地ノ所有者ニ非ラサルモノニシテ承役地ノ所有者之ヲ知ラズ全ク要役地ノ所有者ナリト信ジテ此合意ヲ為シタル場合ヲ假想スルトキハ均シク本条ノ適用ヲ看ル可キナリ即チ要役地ノ所有者ガ十五ヶ年間地役ヲ行使セサルトキハ為ニ其権利ヲ失フニ至ル可シ
右ニ掲ゲタル二個ノ場合ニ於テ承役地ノ所有者若シ善意ナラサルトキハ時効ノ成就ハ少シク異ナル所アル可シ即チ拾五年ヲ以テ足レリト為サズ三十ヶ年ノ経過ヲ竢ツコトヲ要ス而シテ此場合ニ於テハ実ニ要役地ノ所有者ノ不使用ニ由テ地役ノ消滅ニ至ルモノナリ
第二百八十八条
立法者ハ地役ノ設定ヲ許スコト甚ダ容易ナラズシテ却テ其消滅ヲ容易ナラシムルト雖トモ仍ホ一旦合法ニ設定セラレタル地役ハ容易ニ要役地ノ所有者ニ由テ抛棄セラレタリト看做スコトヲ許サズ即チ此点ニ関シテハ宛モ用益権ニ於ケルト均シク立法者ハ原則上惟明示ノ抛棄ノミヲ許セリ抛棄者ノ意思ヲ充分ニ明カナラシメ何等ノ疑ヒヲ生セシムルコト莫キハ実ニ明示ノ抛棄アルノミナレバナリ
立法者ガ本条第一項ノ後半ニ於テ規定スル所ハ決シテ右ノ原則ニ對スル例外ヲ設ケタルニ非ラズ惟抛棄者ノ意思ヲ推測シ由テ以テ原則ノ一個ノ適用ヲ示シタルノミ此場合ニ於テ用益者ハ直接ニ其有スル地役権ヲ抛棄スルコトヲ明示セズト雖トモ仍ホ人為ヲ竢ツコトナク常ニ地役権ノ行使ヲ組成ス可キ工事ニ付テ明示ノ抛棄ヲ為シタルモノナレバナリ其理由此ノ如シ此故ニ不継続ノ地役ニシテ其行使ハ常ニ人為ヲ要スルモノナルトキハ此規定ノ適用ヲ看ザルコト弁ヲ竢タズシテ明カナリ
抛棄ノ有効ナル為ニ必要ナル能力ニ至テハ不動産権ヲ譲渡スニ必要ナル能力ト同一ナル可シ何トナレバ地役権ハ元来一個ノ不動産権ナレバナリ
第二百八十九条
何人ト雖トモ自己ノ所有ニ属スル物ノ上ニ地役権ヲ有スルコトヲ得ズトハ已ニ示シタル所ノ原則ナリ本条ニ於テ定メタル如ク混同ニ由テ地役ノ消滅ヲ來タスハ実ニ此原則ノ自然ノ結果ニ外ナラズ
本条第二項ノ規定ハ外見上右ノ原則ニ對シテ例外ヲ設クルモノノ如シト雖トモ其実全ク然ラズシテ此原則ヲ確認シタルモノナリ一人ノ所有者ガ其所有地ノ一部ヲ利用シテ他ノ一部ヲ改良スル為メ或ル工事ヲ施コシ若シ其土地ノ各部所有者ヲ異ニスルトキハ地役権ヲ組成ス可キ形状ヲ存セシメ而シテ後此各部ガ譲渡ニ依リ数人ニ分属スルニ至リタル場合ニ於テハ一人ノ所有者ノ所為ニ由テ地役ヲ生ゼシムルコトヲ得ベク而シテ此方法ニ由テ地役ヲ設定スルハ其地役ガ表見ニシテ且ツ継續ノモノタルコトヲ要スルハ已ニ前段ニ於テ説明シタル所ナリ然ルニ二個ノ土地ノ間ニ於テ継續且ツ表見ノ地役ノ関係生ジタル後其二個ノ土地ガ同一ノモノニ帰シ而シテ一方ニ於テ地役ノ為ニ為シタル工事ガ未タ取除カレサルトキハ其土地ノ形状ハ実ニ継續且ツ表見ノ地役ヲシテ再ビ生ゼシムルコトヲ得ベキモノナリ故ニ要役地ト承役地ト一人ニ属シ従ツテ混同ニ依ル地役ノ消滅ハ確定ノモノニ非ラズ更ニ二個ノ土地ガ分離シタルトキハ其地役ハ再生スルモノナリ
本条第一項ノ末段ニ規定シタル場合ニ於テモ是レト異ナルコトナシ即チ混同ヲ來タシタル取得ノ所為ガ廃罷、解除又ハ鎖除セラレタルトキ是レナリ此場合ニ於テハ凡テ取得ノ所為ヲ為サザリシ以前ノ形状ニ復セシムルモノニシテ且ツ其地役ガ継続ノモノナルト不継續ノモノタルトヲ問ハズ又地役ノ行使ニ関スル工事ガ已ニ毀壊セラレタルト否トヲ区別スルコトナシ
第二百九十条
本章ノ場合ニ於テ已ニ之ヲ述ベ且ツ屡々之ヲ説明シタル如ク法律ヲ以テ地役ヲ保護スル所以ノモノハ実ニ地役ノ為ニ承役地ノ蒙ムル所ノ不利益ニ比シテ要役地ガ受クル所ノ便益ハ通常甚ダ大ナルガ為メナリ法律ノ保護スル理由已ニ此ノ如クナルガ故ニ苟クモ要役地ノ享クル便益ニシテ已ニ消滅シ即チ要役地ガ其地役ヲ行使セサルトキハ最早承役地ヲシテ他ノ土地ノ為ニ負担ヲ有セシムル充分ノ理由アラサルナリ此ニ於テ乎一般ノ原則ニ従ヒ土地ハ凡テ其自由ノ地位ヲ回復スルコトヲ要ス是レ即チ地役権ガ三十ヶ年間使用セラレサル場合ニ於テ法律ガ地役ヲ消滅セシムル所以ナリ
用益権ニ関シ右ニ述フル所ト相類似セル規定ヲ説明セリ
不使用ノ為ニ地役権ノ消滅ヲ来タス場合ニ於テハ其不使用ガ地役権ヲ有スルモノノ任意ナル懈怠ニ基クモノナルヤ将タ天災事変等ノ事情ノ為ニ然リシヤハ之ヲ問フコトナシ縦令天災事変ニ由テ使用ヲ為スコト能ハザリシ場合ト雖トモ仍ホ其不使用ガ三十个年ノ久シキニ及ブトキハ地役権ヲ有スルモノハ其間ニ於テ地役ノ行使ヲ妨害スル事情ヲ変ジ自己ノ権利ヲ行フコトヲ得ベキ地位ニ復シ得ルコト決シテ難カラズ然ルニ猶ホ是レガ使用ヲ為サザルハ殆ンド任意ヲ以テ懈怠スルモノト異ナルコトナシ故ニ任意ニ出ヅルト然ラザルトヲ問ハズ凡テ不使用ノ場合ニ於テハ地役権者ハ其権利ノ黙示ノ抛棄ヲ為シタルモノト看做スモ決シテ其当ヲ失スルモノニ非ラズ惟其抛棄ハ黙示ナリ故ニ第二百八十八条ニ掲ケタル規定ニ對シテハ一個ノ例外ヲ為スモノナリ然レトモ已ニ此消滅方法ガ黙示ノ抛棄ナル名称ヲ有スルコトナクシテ特ニ不使用ト称セラルル以上ハ黙示ノ抛棄ノ性質如何ニ至ツテハ深ク説明ヲ要スルコトナシ
本条第二項ノ規定ハ地役ノ種類ニ従ヒ其消滅原因タル三十个年ノ不使用ノ起算点ヲ明カニセルモノナリ故ニ通行ノ地役牧畜ノ地役又ハ給水ノ地役ノ如ク不継續ノ地役ニ関スルトキハ三十个年ハ地役ノ行使トシテ為シタル最後ノ處為ヨリ起算スルモノナリ又継續ノ地役ナルトキハ本来人ノ所為ヲ要スルコトナクシテ行使セラルルタルモノナルガ故ニ其地役ニ関スル不使用ハ人ノ最後ノ所為ヨリ之ヲ起算スルコトヲ得ズ必ズヤ地役ガ実際ニ行使ヲ受クルニ付キ有形ノ妨害生ジタルコトヲ必要ト為ス而シテ此妨害ハ必ズシモ窓ノ閉塞若クハ水路ノ廃棄ノ如ク人力ニノミ基クモノニ非ラズ時トシテハ本条第三項ニ於テ示スガ如ク事変ニ由テ生スルコト有ル可シ又無的ノ地役ニ至テハ必ズ継續ノモノナルガ故ニ其不使用ハ承役地ノ所有者ガ其地役ニ反對シタルトキ即チ地役トシテ禁止セラレタル所ニ反シ自カラ為ス可カラザル所為ヲ為シタルトキヨリ不使用ノ期間ヲ起算スルモノナリ
本条第三項ノ規定ニ関シテハ何等ノ困難アラザルナリ事物ノ形状ヲシテ舊体ニ復セシムル為メノ費用ニ関シテ定メタル区別ハ正義ニ合スルモノナルコト弁ヲ竢タズシテ明カナリ
本条ニ関シ一ノ学理上ノ問題アリ而シテ此問題タルヤ実ニ大ナル利益ヲ有スル所ノモノナリ即チ法律上ノ地役ハ人為ニ基ク地役ト均シク不使用ニ由テ消滅スルモノナルヤ否ヤノ問題是レナリ此問題ハ惟リ不使用ノ事ニ関スルノミナラズ猶ホ抛棄ニ関シテモ同一ナリトス何トナレバ不使用ハ已ニ述ベタル如ク実ニ黙示ノ抛棄ニ外ナラサレバナリ
第二百七十条ノ規定ニ仍レバ或ル種類ノ規則ハ法律上ノ地役ト人為ニ基ク地役トニ共通ナルコトヲ解スルヲ得ベシ故ニ裏面ヨリ之ヲ考フルトキハ一切ノ規定悉ク両種ノ地役ニ共通ナルモノニ非ラザルヲ知ル可シ
右ニ掲ゲタル問題ヲ決スルニハ前段ニ於テ説明シタル各人ガ法律上ノ地役ニ反對スル能力ニ関スル理論ニ溯ボルコトヲ要ス此能力ハ凡テノ場合ニ於テ各人ノ有スルモノニ非ラズ之ヲ詳言スレバ或ル場合ニ於テ此能力ハ法律ノ認ムル所ナリト雖トモ他ノ場合ニ於テハ法律ノ與へザル所ナリ
抛棄ニ関スル原則モ亦是レト異ナルコトナシ且ツ其抛棄ガ明示ナルト不使用ニ基ク黙示ナルトヲ区別スルコトナシ
隣地ノ立入権袋地ノ場合ニ於ケル通行権高地ヨリシテ自然ニ流下スル水ヲ受クルノ義務或ル場合ニ於テ圍障ヲ負担シ経界ヲ為スノ義務ノ如キハ各人ガ合意ヲ以テ隣人ノ負担ヲ免カレシムルコト能ハサル所ノモノナリ是レト同ジク明示ノ抛棄若クハ不使用ニ由テ其負担ヲ免カレシムルコト又能ハザル所ナリ
是レニ反シテ隣人ヲシテ窓又ハ或ル損害ヲ生スルコトヲ得ベキ工作物ニ関スル法律上ノ距離ヲ守ルノ義務ヲ免カレシムルコトノ如キハ各人ガ合意ニ由テ自由ニ為シ得ベキ所ノコトナルガ故ニ若シ一方ノモノガ窓若クハ右ニ掲ゲタル工作物ヲ廃棄セシムルノ権利ヲ明確ニ抛棄シタルトキ又ハ此権利ヲ行フコトナクシテ三十个年間ヲ経過シタルトキハ此権利ハ不使用ニ基キテ消滅スルモノナリ若シ水路ガ一旦設置セラレタル後未ダ其使用ヲ看ルニ至ラズシテ三十个年ヲ経過セシメタルトキハ要役地ノ所有者ハ水路ノ法律上ノ権利モ亦之ヲ失フ可シ固ヨリ此場合ニ於テハ要役地ノ所有者ハ更ニ水ノ引入等ノ為メ新タナル水路ヲ請求スルノ権利ヲ有スルコト明カナリト雖トモ此場合ニ於テハ恰モ最初権利ヲ行使スル場合ニ於テ弁済シタル如ク新タニ償金ヲ弁済スルノ義務ヲ免カレザルナリ
是レニ反シテ立入権、経界、圍障、水路、互有権ノ譲渡等ヲ請求スルコトナクシテ三十个年ヲ経過セシメタルモノハ是レガ為ニ其有スル法律上ノ権能ヲ失フコトナキハ恰モ土地ノ所有者ガ樹木ヲ植栽シ又ハ建物ヲ築造スルコトナクシテ三十个年経過シタルニ依リ建築若クハ植栽ノ権利ヲ失フコトナキト同一ナリ此ノ如キ處為ハ凡テ單純ナル権能ニ属スルモノニシテ單純ナル権能ニ属スル所為ハ本来不使用ニ基キ消滅スルモノニ非ラザルナリ(参看證據編第九十五条)
法律ノ規定スル所ニ反シ設置シタル窓ノ如キハ三十个年ヲ経過シタル後是レガ廃棄ヲ請求シ得ルモノニ非ラズ即チ右ニ掲クル所ト決定ヲ異ニスルモノナリ蓋シ此ノ如キハ單純ナル権能ニ非ラズシテ実ニ純然タル権利ナリトス従ツテ一方ニ於テハ窓ノ所有者ニ於テ外形上ノ工作物ヲ占有シ従ツテ恰モ人ノ所為ニ基ク地役権ト同ジク観望権ノ取得時効成就スレバナリ
第二百九十一条
第二百六十八条ノ法文ニ由テ示シタル地役権ノ不可分ナルコトハ本条ノ場合ニ於テ甚ダ著シキ効力ヲ生ズルモノナリ即チ不分共有者ノ一人ガ地役権ノ行使ヲ為シタルトキハ要役地ノ他ノ共有者ハ縦令三十ヶ年ノ間其地役ヲ使用スルコトナキモ是レガ為ニ地役権ハ少シモ消滅スルモノニ非ラズ若シ然ラズシテ要役地ガ共有者間ニ於テ分割セラレタルトキハ是レト同一ナルコト能ハズ何トナレバ此場合ニ於テハ要役地ハ数個ニシテ従ツテ其一部分ノ所有者ハ自己ノ行使ニ依リ自己ノ権利ヲ保存ス可シト雖トモ他ノ部分ノ所有者ハ更ニ行使ヲ為サザルガ故ニ自己ノ有スル地役権ハ喪失ス可キコト勿論ナリ
不使用ニ由テ地役権ノ消滅ヲ來タスハ物権ノ取得時効ニ類シタリト謂ハンヨリモ寧ロ義務ノ免責時効ト甚ダ相類セリト謂フ可シ何ヲ以テ免責時効ト相類セリト謂フヤ蓋シ不使用ノ場合ニ於テハ承役地ノ所有者ガ取得時効ニ必要ナル占有ノ性質ヲ有シテ地役ニ反對ナル占有ノ所為ヲ為スコトヲ必要トセザレバナリ若シ夫レ要役地ノ所有者ガ地役ヲ行使セサル間ハ承役地ノ所有者ニ於テ承役地ノ自由ヲ占有スト謂フガ如キハ実ニ牽強附會ノ説ト謂ハサルヲ得ズ凡ソ占有ハ占有スルモノヲ自己ノ物トスルノ意思并ニ使用ノ所為ニ依リ恰モ其行使スル権利ガ現実ニ己レニ属スルガ如ク處分スルノ所為ヲ必要ト為ス然ルニ此取得時効ニ必要ナル占有ノ二個ノ条件ハ要役地ノ所有者ガ地役ヲ使用セサル場合ニ於テ未ダ必ズシモ承役地ノ所有者ニ備具スルモノニ非ラズ承役地ノ所有者ハ常ニ所為ト意思トノ条件ヲ備フルモノニ非ラサルナリ
是レニ由テ之ヲ観レバ本条第二項ノ規定ハ原則トシテ不使用ト免責時効トヲ同一位ニ置タルモノナリ従ツテ其結果トシテ適用ス可キ所ノ規定如何ハ之ヲ判事ノ解釋ニ一任セリ中ニ就テ其顕著ナルモノヲ示セバ地役権ノ不使用ハ時効ニ関スルト同ジク第二百七十九条ニ掲ゲタル追認ノ證書ニ由テ中断セラル可シ若シ要役地ノ所有者数人ナル場合ニ於テ其共有者中ニ時効ノ中止ヲ受ク可キモノ存スルトキハ是レガ為ニ他ノ共有者ノ権利モ亦保存セラル可シ是レ実ニ前ニ掲ゲタル所ト均シク地役ノ不可分ヨリ生スル効力ナリトス
第二百九十二条
時トシテハ要役地ノ所有者ガ全ク地役ノ行使ヲ怠リタルニ非ラズト雖トモ仍ホ充分ニ使用ヲ為サザリシコト有ル可シ此ノ如キ場合ニ於テ要役地ノ所有者ハ地役権ノ全部ヲ失フモノニ非ラズ又其全部ヲ保存スルモノニ非ラズ即チ地役権行使ノ方法時間及ヒ場處ニ関シテ現実ニ行使シタル限度ニ減縮セラル可キナリ
第一方法ニ付テ之ヲ述ブルニ歩行スルノ権利ヲ有シ是レト同時ニ馬車ヲ通行セシムルノ権利ヲ有スルモノ三十个年間馬車ヲ用フルコトナク單ニ歩行ノミヲ為シタルトキハ是レガ為ニ馬車ヲ通行セシムルノ方法ヲ用フルコト能ハサルニ至ル可シ又隣地トノ分界線ヲ退ゾクコト三尺ニ満タズシテ数個ノ直視ノ窓ヲ設クルノ権利ヲ有スルモノ單ニ一個ノ窓ヲ設ケタルニ止マリ而シテ三十ヶ年間ヲ経過シタルトキハ此時ヨリシテ遂ニ其権利ハ一個ノ窓ニ減少セラル可シ是レト同ジク或ル方向ニ於テ隣地ノ所有者ガ一切ノ建築植栽ヲ為スコトヲ禁止スルノ権利ヲ有スルモノ隣人ガ或ル建築若クハ植栽ヲ為シタルトキ之ヲ拒マズシテ三十ヶ年ヲ過ギタルトキハ此建物及ビ植栽ニ関シテハ禁止ノ権利ヲ失フ可キナリ
第二時間ニ付テ之ヲ考フルニ晝間ト夜間トヲ問ハズ常ニ水ヲ汲ムノ権利ヲ有スルモノ三十ヶ年ノ間夜間ニ限リ水ヲ汲ミタルトキハ是レガ為メ晝間給水ノ権利ヲ失フ可シ通行権ニ関シテモ亦是レト同一ナリトス
第三場處ニ付テハ之ヲ例スルニ隣地ノ凡テノ部分ニ於テ獣畜ヲ飼養スルノ権利ヲ有スルモノ單ニ其一部分ニ付テノミ牧畜ヲ為シタルトキハ三十ヶ年経過ノ後他ノ部分ニ對シテ此権利ヲ行フコト能ハサル可シ実例ニ付テ之ヲ考フルニ承役地ガ数個ノ部分ニ分割セラレタルトキ要役地ノ所有者ガ其一個ニ付テノミ牧畜ノ地役権ヲ行使シ他ノ部分ニ付テ之ヲ怠リタルトキノ如キ是レナリ
以上ニ掲ケタル種々ノ場合ニ於テ権利ノ消滅ノ原因ガ不使用ニ基クト時効ナルトヲ問ハズ結果ニ至テハ常ニ同一ノ原則ノ適用ニ由テ異ナルコトナシ此原則ハ曽テ示シタル所ノモノニシテ時効ノ成就スル所ハ占有ノ存シタル所ニ止マルト謂フニ在リ本条ノ場合ニ於テハ猶ホ左ノ如ク言フコトヲ得ベシ即チ權利ヲ喪失スル所ハ占有ヲ怠リタル所ナリト
然レトモ此原則ノ裡面ヨリシテ地役権ハ常ニ占有ニ由テ其効力範圍ヲ定ムルモノト謂フコト得ズ若シ要役地ノ所有者ガ地役権ノ行使ニ関スル方法時間若クハ場所ヲ変更シタルトキハ是レガ為メ必ズシモ其変更ヲ主張シ由テ自カラ利益ヲ得ルモノニ非ラサルナリ此ノ如ク変更ノ為ニ便益ヲ受クルニハ必ズヤ其地役ガ表見ニシテ且ツ継續ノモノタルコトヲ要ス即チ時効ニ由テ取得シ得ベキモノナルコトヲ要ス何トナレバ変更ハ一方ニ於テ喪失シ一方ニ於テ新タニ取得スルニ外ナラザレバナリ地役ノ消滅原因中ニハ用益権ノ消滅原因ト異ナリテ収益ノ濫妄ナルモノヲ看ズ是レ実ニ地役権ト用益権トノ間ニハ事情ノ同一ナラサルモノ有ルガ為メナリ用益権者ハ用益権ノ目的タル物ノ完全ナル占有ヲ有スルガ故ニ此占有ヲ有セザル要役地ノ所有者ニ比スレハ最モ容易ニ他人ノ物ヲ毀損シ得ベキ地位ニ在ルモノナリ又同一ノ理由ニ依リ用益権者ノ占有及ヒ其所為ハ虚有者ニ於テ常ニ監督ヲ為シ得ルモノニ非ラズ是レニ反シテ承役地ノ所有者ハ自カラ承役地ヲ占有スルガ故ニ常ニ要役地ノ所有者ガ権利ヲ行使スル所為ニ付テ監督ヲ為スコト容易ナルモノナリ此ヲ以テ特ニ収益ノ濫妄ヲ地役権消滅ノ原因ト為スノ必要アラズ惟濫妄ノ所為アル場合ニ於テハ要役地ノ所有者ヲシテ普通ノ原則ニ基キ責任ヲ有セシムルヲ以テ充分ナリトス
加之ナラズ或ル特別ナル場合ニ於テハ一般ノ原則ニ従ヒ収益ノ濫妄ヲ理由トシテ地役権ノ廃罷ヲ求ムルコトヲ得ベシ是レ即チ地役権ガ有償且ツ双務ノ契約ヲ以テ設定セラレ承役地ノ利益ヲ保護スル為メ種々ノ条件ヲ定メ要役地ノ所有者ヲシテ負担ヲ有セシメタル場合ニ於テ要役地ノ所有者ガ此条件ヲ履行セザリシ場合是レナリトス是レ実ニ双務契約ニ関スル原則ニ従ヒ条件ノ不履行ニ基キ解除ヲ請求シ得ベキ場合ナリトス然レドモ此ノ如ク条件ノ不履行ヲ理由トシテ地役権ヲ消滅セシムル場合ハ第二百八十七条第二號ノ法文ニ規定シタル場合ニ属スルモノニシテ今特ニ之ヲ説明スルコトヲ要セズ且ツ此点ニ関シテハ義務ノ事項ヲ規定スルニ当ツテ充分ノ説明ヲ看ル可シ
財産編終
民法財産編
第二部 人権及ヒ義務
総則
第二百九十三条
人権ハ物権ト相並テ財産タリ以テ人ノ資産ヲ組成スルモノナリ
物権及ヒ人権ノ性質ハ相異ナル所ハ既ニ第二条及ヒ第三条ニ於テ之ヲ指示シタリ今其要ヲ再示センニ物権ハ人ヲシテ物ト直接ノ関係ヲ有セシメ其目的タル物ノ効用及ヒ利益ノ全部又ハ一分ヲ収得セシメ且其物ヲ不当ニ所持スル者ニ對シテ之ヲ取戻スコトヲ得セシムルモノナリ是ヲ以テ物権即チ物上権ノ称アリ人権ハ之ニ異ナリ権利ヲ有スル人ヲシテ其目的物ト直接ノ関係ヲ有セシムルモノニ非ス唯之ヲシテ義務ヲ負担スル者ト直接ノ関係ヲ有セシムルモノナリ是ヲ以テ人権即チ對人権ノ称アリ
物権ト人権トノ性質ノ差異ハ單ニ論理的ノ差異ニ非ス実際緊要ナル適用アリテ既ニ前第一部ノ諸章ニ於テ物権ニ関シ之ヲ掲ケタリ本部ニ関シテ之ヲ示スへシ
人権ノ性質一様ナルコトハ既ニ論明シタリト雖モ尚ホ茲ニ之ヲ再陳セン抑々人権ハ其性質一様ニシテ世上人権ノ存立スル枚挙ニ暇アラス且其発生ノ時期、原因、目的等ヲ異ニスルモノアリト雖モ其帰着スル所ハ人権ノ一種アルノミ又其制裁ヲ異ニスルモノアリト雖モ其性質ニ至テハ亦一様ナリ
本条第一項ニ依ルニ人権ハ一ニ債権ト称シ而シテ債権ハ必ス義務ト對当スルモノトス
債権ト義ムト對当スルハ頗フル密接ニシテ且自然ノ理ニ基クモノナルカ故ニ欧洲諸國ノ法典中人権ヲ規定スルニ義務ノ巻ニ於テスルヲ以テ通例ト為スニ至リタリ故ニ本法モ亦之ヲ模倣シ本部ニ於テ主トシテ義務ノ事項ヲ以テ其主眼トシ其原因、効力及ヒ消滅ヲ規定シ以テ自カラ人権即チ債権ノ事ヲ規定シタリ是故ニ本條ニハ人権ノ定義ヲ示サスシテ之ニ對当スル義務ノ定義ヲ下シタリ人権ノ定義ニ至テハ既ニ第三條ニ之ヲ掲ケタリ
其定義ニ依ルニ義務ハ法律ノ羈絆ニシテ此羈絆タル人定法又ハ自然法ニ由来スルモノトス其人定法ニ由来スルト自然法ニ由来スルトニ従ヒ其制裁ヲ異ニスルコトハ次条ニ掲クル所ナリ
先ツ義務ノ効力ヲ説明センニ義務ノ効力ハ其目的ト混淆スルモノニシテ或ル物ヲ與へ或ル事ヲ為シ又ハ為ササラシムルニ在リ
在ル物ヲ與フルトハ所有権又ハ其他ノ物権ヲ移轉スルヲ謂フ與フルノ義務ト実行シタル付與トハ之ヲ同一視ス可ラス蓋シ與フルノ義務存スルニ過キサル間ハ人権存スルニ止マルト雖モ実際付與ヲ為シタルトキハ履行ニ因リテ義務消滅シ物権之ニ継襲スルモノナリ付與ハ何レノ時ニ在リ又何レノ方法ヲ以テスへキヤハ後章ニ至リ詳カニ規定スル所アリ
或ル事ヲ為ストハ與フルノ外総テ手藝上又ハ智能上ノ事業、勤労、紹介、旅行ヲ為シ或ハ使用ノ為メ物ヲ引渡スカ如キ他人ニ有益ナル所為ヲ行フヲ謂フ
或ル事ヲ為ササルトハ債務者カ原来自己ノ財産又ハ他人ノ財産上行フコトヲ得へキ正当ナル所為ナルモ債権者ノ利益ノ為メ之ヲ行ハサルヲ謂フ例へハ自己ノ家屋ヲ賃貸シ又ハ自己ノ商資ヲ譲渡シタル者賃借人又ハ譲受人ノ為メ之ト競争シ得へキ商工業ヲ営マサルカ如キ是レナリ蓋シ賃貸人又ハ賣主ハ特別ノ合意ナキモ法律上担保ノ責ニ任スルカ故ニ此義務ハ既ニ法律上或ル限度ヲ設ケ賃貸人等ヲシテ之ヲ負ハシムルモノナリト雖モ尚ホ合意ヲ以テ其範囲ヲ伸縮スルコトヲ得斯ノ如キ場合ニ於テハ為ササルノ義務存スルコトアリ又賃借人若クハ譲受人モ亦法律ニ許シタル事ヲ為ササル義務ヲ負担スルヲ得
又或ル土地ノ所有者地役アラサル場合ニ於テ相隣者ノ為メ自己ノ所有権ニ附着セル二三ノ権利ヲ行ハサルへキコトヲ約シタルトキ例ヘハ其所有者自己ノ地内ニ於テ銃猟セサルヘク又ハ相隣地ニ北風ヲ防ク樹木ヲ斫伐セサルへシト約シタルトキノ如キハ亦為ササルノ義務アル場合ナリ又普通法若クハ特別ノ合意ヲ以テ認許シタル二三ノ所為ヲ他人ノ財産上特ニ行ハサルへキノ義ムヲ負フ場合アリ例ヘハ金銭ノ貸主カ債ム者ノ俸給ノ如キ特殊ノ財産ヲ差押へサルへキコトヲ約シタル場合又ハ所有者カ隣地ヨリ分界線上ニ侵進スル樹枝ヲ或ル期間截伐セサルコト或ハ自己ニ属スル地役ヲ使用セサルコトヲ約シタル場合ノ如キ是ナリ斯ノ如キ場合ニ於テ所有者一時其権利ヲ抛棄スルモ敢テ之ヲ以テ法律上又ハ人為上地役ヲ消滅シタリト看做スコトヲ得ス此抛棄ハ即チ為ササル義ム即チ對人的ノ義ムノ性質ヲ有スルモノト認メサル可カラス而シテ此義務タル要役地ノ譲受人ヲシテ豫メ之ヲ知ラシメタルトキニ非サレハ之ニ對シ効力ナク又承役地ノ譲受人モ明示又ハ黙示ニテ此債権ヲ得タルトキニ非サレハ其利益ヲ享クルコト能ハサルナリ
第二百九十四条
人権ハ其性質一様ナリト謂フト雖モ敢テ之カ為メ其制裁ノ程度ニ至ルマテ之ヲ同フスト謂フへカラス蓋シ其制裁力ハ之ニ對当スル義ムノ人定法上ノモノタルト自然法上ノモノタルトニ従ヒ多ヒニ差異アルモノナリ即チ制裁力ノ最モ強キ義ムハ債ム者任意ニ之ヲ履行セサルトキ債権者ヲシテ法律ニ認可スル諸般ノ方法ヲ用ヒ以テ強制執行ヲ為スヲ得へキノ許可ヲ才判所ニ訴求スルヲ得セシムルモノナリ欧州諸國ノ法律ハ羅馬法ニ倣ヒ此義ムヲ称シテ法定ノ義ムト曰へリ本法モ亦其自然義ムト異ナルコトヲ明ナラシメンカ為メ之ヲ「人定法ノ義ム」ト名ケタリ蓋シ國法ヲ以テ規定シ且制裁ヲ付シタル義ムノ謂ナリ自然ノ義ムニ至テハ其制裁不完全ニテ強制執行ヲ為スコトヲ得ス其執行ハ唯債務者ノ良心、節操ニ委シ之ヲシテ任意ニ履行ヲ為サシムルノミ自然義ムアル場合ヲ指定スルハ甚タ困難ニシテ外國ノ法律ハ之ヲ明定セス學説及ヒ判決ニ放任シタリ是ヲ以テ學説及ヒ判決其軌ヲ一ニセサルモノアリ而シテ羅馬法ノ如キモ此点ニ付テハ僅カニ其一部分ノミヲ論據トスルヲ得ルニ過キス蓋シ時代ヲ経ルニ従ヒ漸ク社会及ヒ親族ノ組織大ニ変更スルノ致ス所ナリ本法ハ自然義ムノ場合ヲ明定シ以テ此ノ如キ困難ヲ豫防シタリ然レトモ此場合タル法定ノ義ムヲ規定シタル後ニ非サレハ理會シ難キカ故ニ本部ノ末章ニ於テ別ニ之ヲ規定シタリ
本法ハ債権及ヒ義ムノ一般ノ理論ヲ示スニ物権ニ於ケルト同一ノ編纂法ヲ以テシ第一ニ義務ノ原因即チ其設定ノ方法、第二ニ其効力、第三ニ其消滅ノ事ヲ規定シタリ
本部ニ規定スル所ノモノハ一般ノ義ムニシテ固有ノ原因、効力及ヒ消滅方法アル義ムニ至テハ之ヲ次編及ヒ担保編ニ掲ク例ヘハ賣買、雇傭契約、會社、代理、貸借等ハ数多ノ点ニ付キ大ニ性質及ヒ効力ヲ異ニスル特別ノ契約ナレトモ其特別ナル所ハ此ニ之ヲ掲ゲケス然レモ亦一般ノ契約ト共通ナル数多ノ性質ヲ有スルモノニシテ之ヨリ生スル義ムハ本部ニ掲クル所ノ規則ヲ以テ其通則ト為ス
第一章 義ムノ原因
総則
第二百九十五条
凡ソ法定ノ義務ハ次ノ二編ニ於テ特別規則ヲ設ケタルモノト雖モ猶ホ必ス本条ニ列記スル四箇ノ原因ノ一ニ出ツルモノナリ自然義ムニ至テモ亦末章ニ示スカ如ク法定義ムニ固有ナル第四ノ原因ヲ除キ之ト同一ノ原因ニ出ツルモノナリ但自然義ムノ原因ハ其効力較ニ薄弱ナルノミ
本条ニ掲クル所ノ義ムノ第二及ヒ第三ノ原因ハ欧州諸国ノ法律ニ於ケルト其名称ヲ異ニス蓋シ欧州ノ諸法典ニ用ヒタル名称ハ古来因襲ノ久キヲ以テ纔カニ之ヲ存スルニ過キサルモノナレハ本法之ヲ模倣ス可カラサルカ故ナリ
或ハ判決ヲ以テ義ムノ原因ト為ササルヲ訝ム者アラン実ニ一ノ確定判決ヲ以テ訴訟人ノ一方ニ他ノ一方ノ為メ或ル物ヲ與へ或ル事ヲ為シ又ハ為ササルへキコトヲ言渡ストキハ其判決ハ其基因スル所如何ヲ問ハス更ニ義ムノ一新原因タルカ如シ且実際義ムノ執行ハ合式ノ告知アリタル判決言渡ニ據リ要求スルモノナルカ故ニ愈々此点ニ付キ擬議ヲ生スルコト有ラン然レトモ是レ單ニ一ノ迷謬タルノミ蓋シ判決言渡ハ更ニ権利ノ創設スルモノニアラスシテ既存ノ権利ヲ認定スルニ過キス若シ夫レ訴訟人ノ一方義ムアルノ言渡ヲ受ケタルトキハ其人タル前ニ掲ケタル四箇ノ原因ノ一ニ因リ嘗テ己ニ義ムヲ負担スルカ故ニシテ判決ハ毫モ既存ノ義ムニ加フル所アルニアラス彼ノ裁判費用ヲ負担スへキノ義ムニ至テモ亦判決ニ先ツ一原因ニ出ツルモノナリ詳言スレハ敗訴者ノ過失即チ非理ナル訴求又ハ辨護ヲ為シタルノ過失ニ原因スルモノナリ又執行ヲ求ムルハ判決ニ據ルト雖モ是レ未タ毫モ判決ヲ以テ義ムノ原因ト為スニ足ラサルモノナリ蓋シ判決ハ権利ノ證據ニ過キス所謂反証ヲ以テ覆スコトヲ得サル法律上ノ推定ノ一種ニ外ナラスシテ恰モ判決ノ憑拠タル書面又ハ人証ノ義ムヲ生セサルカ如ク亦其原因タルモノニアラサルナリ
第一節 合意
第二百九十六条
合意及ヒ契約ノ二字ハ習慣上又法律上動モスレハ交ニ之ヲ通用スト雖モ亦其固有ノ意義ヲ明ニスルヲ可ナリトス蓋シ合意ハ契約ニ比スレハ其意義更ニ廣ク契約ハ必ス合意ナリト雖モ合意ハ未タ必スシモ契約ニ非ス本条第二項ヲ比照スレハ此二箇ノ権利行為ノ差異自カラ明カナリ
本節ハ第一合意ノ種類第二其成立及ヒ有効ノ条件、第三当事者間並ニ第三者ニ對スル其効力、第四其解釈ノ規則ヲ逐次ニ掲載スルモノナリ
第一款 合意ノ種類
本款ハ合意ノ種類ヲ列挙スト雖モ敢テ合意ニ七箇ノ類別アルニ非ス唯同一ノ合意ヲ種々ノ点ニ付キ観察シ其体様ヲ指示スルノミ
勿論各種別中其一支派ニ属スル合意ハ他ノ支派ニ属セスト雖モ第一種類ニ属スルモノハ亦第二以下ノ種類ニモ属スヘシ是レ第一条乃至第二十九条ニ於テ物ノ区別ヲ掲ケ同一ノ物ヲ種々ノ点ニ付キ観察シタルト一般ナリ
合意ノ種類ハ各々重要ナル結果アルモノニシテ其結果タル後ニ至リ詳細ニ規定スル所アリト雖モ本款各条ノ下亦其要領ヲ指定スへシ
第二百九十七条
本条ノ区分ハ実際ノ適用上頗フル緊要ナルヲ以テ合意ノ種類中第一位ヲ占ムルモノナリ例ヘハ賣買、交換、賃貸借、會社ハ双務合意ニシテ費消貸借ハ片務合意ナリ
合意ヲ双務ト片務トニ区別スルノ利益二箇アリ即チ双務合意ニ於テハ当事者ノ一方其義ムヲ履行セサルトキハ他ノ一方合意ノ觧除ヲ請求シ自己ノ義務ヲ免カルへキノ黙示条件存スルモノト看做ス固ヨリ觧除ヲ請求スルハ一ノ権能ニ過キス故ニ此権能ヲ抛棄シテ合意ノ履行ヲ求ムルコトヲ得へシト雖モ觧除ヲ求ムルハ却テ利益ヲ保全スルニ確然簡單ナリ加之觧除ヲ求ムルモ別ニ損害賠償ヲ求ムルノ妨トナルモノニアラサルカ故ニ觧除ノ利益ハ頗フル大ナルモノナリ
片務合意ニ至テハ觧除ノ問題起ルヘキ理ナシ蓋シ義務ヲ負ヒタル一方カ任意ニテ合意ヲ履行セサルトキ他ノ一方ハ觧除ヲ為スモ徒ラニ損失ヲ被ルノミニテ毫モ補償ヲ得ル能ハス故ニ他ノ一方ハ債務者ノ財産上強制執行ノ方法ヲ行フノ外アラサルナリ此差異ハ事物自然ノ理ニ基クモノニシテ本編第二百四十一条ニ規定スル所ナリ
第二ノ際モ亦第一ノ差異ト同シク正当ナルモノナレトモ之ニ比スレハ実際ノ必要較ニ少キカ如シ故ニ外國ノ法典中此差異ノ存セサルモノアリト雖モ其之ヲ設ケサリシハ欠典ナリト謂ハサル可カラス此第二ノ差異如何曰ハク双務合意ヲ証明スル証書、私署証書ナルトキハ利益ヲ異ニスル当事者ノ員数ニ従ヒ数通ヲ作ラサル可カラス是レ證據編ニ規定スル所ナリ今唯其理由ノ要領ヲ述ベンニ当事者ハ各時宜ニ依リ才判所ニ於テ自己ノ権利ヲ主張スルカ為メ其證據ヲ所持スルヲ正当且有益ナリトス然ルニ一通ノ証書ヲ作ルニ止マルトキハ之ヲ所持スル当事者若シ其合意ヲ為シタルコトヲ悔ユルトキハ恣マニ之ヲ毀滅シ以テ濫リニ一種ノ觧除ヲ為スヲ得ルニ至ル可ク而シテ其觧除ハ其当事者ノ違約ノ責罰トナラスシテ却テ褒賞トナルニ至ルヘシ
第二百九十八条
有償合意ハ双務合意ト混同セサルヲ要ス蓋シ双務合意ニ於テハ当事者各義務ヲ負担スルカ故ニ必ス有償タルヘキヤ疑ナシト雖モ有償合意ニ至テハ未タ必スシモ双務ナリト謂フ可カラス例ヘハ利息付キ貸借ノ如キハ有償ナリト雖モ義務ヲ負フ者ハ獨リ借主ノミ即チ借主ハ元本ヲ返還シ且之ニ利息ヲ附加スルノ義務アリ貸主モ亦一時元本ヲ失フカ故ニ一ノ負担ヲ受ケ一ノ出捐ヲ為スモノナリ然レトモ是レ一ノ義務ニアラス何トナレハ貸主ハ貸付前ニ未タ曽テ何等ノ義務ヲモ負ハス又貨幣ヲ引渡シタル後ニ至ルモ何等ノ義務ヲモ負ハサレハナリ是レ利息付貸借ノ貸付物交付ニ依ルニ非サレハ組成セサル所以ナリ此点ニ付テハ次条ノ区別ニ関シ更ニ説明スル所アル可シ
利息付貸借其他総テ有償双務ノ合意ノ外尚ホ目的又ハ其他ノ元素ヲ變シ義務ノ更改ヲ為ス合意モ亦有償合意ナリトス蓋シ更改合意ニ於テハ債権者其従前ノ権利ヲ抛棄シ債務者一ノ新債務ヲ契約シ以テ当事者各出捐ヲ為スモノナリ(第四百八十九条以下参看)
本条ニ下シタル無償合意ノ定義ハ其無償ノ性質即チ当事者ノ一方之ニ因リ何等ノモノヲモ與フルコト無ク受取ルヲ得ルコトヲ明示スルモノナリ
又本条ハ第三者ノ為メ出捐ヲ為スコトヲ得ル旨ヲ示シタリ蓋シ当事者ニ非サル者ノ為メ要約スルハ或ル区別ニ従ヒ有効ナリ(第三百二十三条)然レトモ第三者ニ與フルノ義務ヲ負ヒテ受取ル者ハ有償ニテ受取ルモノナリ無償合意タルモノ、第一ヲ贈與トス次ハ無利息費消貸借及ヒ使用貸借ニシテ借主ハ純然タル無償ノ利益ヲ受クルモノナリ寄託及ヒ代理モ亦寄託人及ヒ代理人ノミ役務ヲ竭クスヲ以テ無償合意ナリトス
保証ニ至テハ保証人ハ債務者トノ間ニハ有償ナルモ保証人ハ債務者ノ為メ之ト共ニ義務ヲ負担スルカ故ニ債ム者ノ為メニハ無償ナリトス
合意ヲ有償ト無償トニ区別スルハ前条ノ区別ト同ク緊要ナルモノナリ即チ第一無償合意ニ於テハ有償合意ニ於ケルヨリ当事者ノ能力更ニ大ナルヲ要ス例ヘハ他人ノ財産又ハ自己ノ財産ヲ管理スル権ヲ有スルニ過キサル者ハ或ル有償合意ヲ為スコトヲ得ルト雖モ決シテ此等ノ財産ニ付キ無償合意ヲ為シ補償ナクシテ此等ノ財産ヲ減少スルコトヲ得ス又負担物ノ保存ニ注意スルノ義務モ贈與者ノ負フ所売主ニ比スレハ較ニ寛ナリ(第三百三十四条)次ニ無資力者ノ債権者其債務者ノ為シタル無償合意ヲ廃罷セシムルハ其有償合意ヲ廃罷セシムルニ比シ一層容易ナリトス(第三百四十二条)又有償合意中最モ重要ナル所ノ贈與ニハ特ニ方式ヲ設ケ遺贈者ヲシテ貪婪ナル者ノ欺瞞及ヒ自己ノ眩惑ノ為メ損害ニ罹ルヲ免カレシムルコトヲ目的トス
第二百九十九条
承諾ハ次款ニ於テ細説スル如ク合意ノ要素ナリ詳言スレハ承諾ハ合意成立ニ缺ク可カラサルモノナリ然レトモ亦凡ソ合意成立ノ為メニハ承諾ノミヲ以テ足レリトシ殊ニ近世特別ノ必要アルニ非サレハ権利行為ニ付キ法式ヲ要セサル時代ニ至リテハ單ニ承諾ノミヲ以テ足レリトス諾成合意ハ即チ單ニ承諾ノミヲ以テ成立スルモノヲ謂フ賣買、交換、賃貸借、會社、代理、保証等ハ純然タル諾成合意ナリ贈與ノ若キモ次条ニ説明スルカ如ク要式合意ナリト雖モ亦本条区別ノ点ニ付テ観レハ諾成合意タルモノナリ
要物合意ハ合意成立ノ時又ハ其以前ニ其目的物ヲ引渡スニアラサレハ成立セサルモノヲ謂フ使用及ヒ消費貸借、寄托及ヒ動産質是ナリ
右ノ合意ノ成立ニ引渡ヲ要スルハ決シテ立法者ノ専横ニ出テタルモノニ非ス事物自然ノ理ニ出ツルモノニシテ諸國ノ法律中多クハ既ニ此規定アリ又之ヲ法律ニ明記セサル邦國ニ於テハ実際之ヲ以テ慣例トシタリ蓋シ右四箇ノ合意ハ或ル人ヲシテ物ヲ返還シ且消費貸借ノ外物ノ返還ノ時マテ之カ保存ニ注意スルノ義務ヲ負ハシムルヲ以テ本条ノ目的トスルモノナリ然ルニ既ニ受取リタルモノニ非サレハ之ヲ保存シ且返還スルノ義務アルヘカラス但動産質ニ至テハ物ノ引渡ナキモ成立スルコトヲ得ヘク恰モ抵当不動産ヲ依然債務者ノ占有ニ委付スルカ如ク債務者ヲシテ依然動産ヲ占有セシメ以テ之ヲ債務ノ担保ニ充ツルモ敢テ道理ニ反スル所アラサル可シ然レトモ斯クノ如クンハ羅馬法ニ認メタルカ如キ眞ノ抵当即チ動産抵当タルヘシト雖モ此抵当ハ弊害アルカ為メ近代ノ法律ハ之ヲ認許セサルニ至リ本邦ニ於テモ亦之ヲ認定セサルヲ可ナリトス是ヲ以テ動産質ハ物ノ交付アリテ債権者之ヲ占有セサル以上ハ有効タラサルモノトス
要物契約ハ其数前記四箇ニ限ルモノニシテ合意取結ノ時又ハ其以前ニ於テ必ス物ノ引渡アルヲ要スルコトハ前已ニ之ヲ述ヘタル所ナリ蓋シ将来ノ債務者既ニ他ノ権原例ヘハ賃貸借ノ名義ニテ物ヲ占有シ而シテ更ニ使用、貸借、寄託又ハ動産質ノ権原ニテ其物ヲ占有スヘキノ合意アルトキハ合意前ニ引渡アルモノナリ又最初ノ要物合意例ヘハ寄託ニ因リ債務者既ニ其物ヲ占有シタルニ当リ更ニ之ヲ借用スルコト有ル可ク或ハ使用貸借ニ因リ既ニ占有シタル物ヲ其侭動産質ト為スコト有ル可シ此等ノ場合ニ於テハ債務者ハ一旦前権原ニ基リ物ヲ返還シ更ニ後ノ権原ニ因リ直ニ之ヲ受取タルト看做サルルモノナリ所謂簡易ノ引渡是ナリ(第百九十一条参看)
此他ノ場合ニ於テハ合意ノ当時物ノ引渡ヲ為スモノトス
合意ヲ諾成ト要物トニ区別スル実際ノ利益ハ前段ニ説ク所ノ由テ見レバ已ニ明カナリ即チ此区別ノ実益ハ契約ノ成否何レノ時ニ在ルカノ点ニ帰着スルモノナリ又或ハ物ヲ貸与シ又ハ動産質ニ供スヘキコトヲ豫約シタルノミニテ未タ其物ノ引渡ヲ為ササルコトアルヘシ此約束ハ未タ貸借契約又ハ動産質契約ニアラスシテ後条ニ所謂無名合意ノ一タルベシ而シテ貸借ノ約束ノミアリタルトキハ貸借合意アリタルトキト異ナリ債ム者タルモノハ将来ノ貸主ニシテ債権者タルモノハ将来ノ借主ナリ又主タル債務既ニ生シタル後動産質ノ豫約アルトキハ債務者動産質ヲ供スルノ義務ヲ負フ可シト雖モ既ニ動産質ヲ供シタリシトキハ却テ返還ヲ求ムルノ権利ヲ有スルモノタルヘシ又寄託ヲ受ク可キノ約束ヲ為シタルトキハ債務者為スノ義務ヲ負フト雖モ未タ保存且返還スルノ義務ヲ負ハサルナリ
第三百条
近世ニ至テハ合意ニ方式ヲ要スルコト已ニ例外ニシテ且其方式ハ書式ニアラスシテ公吏ノ干渉タリ即チ該公吏ハ当事者ノ陳述ヲ聴キタル後特別規則ニ従ヒ証書ヲ作リ之ヲ当事者ニ読聴カセ且之ヲ読聴カセタル旨ヲ記載シ当事者ヲシテ之ニ署名セシメ又其署名スル能ハサルトキハ其原因ヲ記載シテ自己モ亦之ニ署名スルモノトス
本法ニハ要式合意多カラス唯夫婦財産契約及ヒ贈與アルノミ(財産取得編第三百四十九条及第四百二十二条)然シ而シテ合意成立ノ為メ方式ヲ要スル場合ト其證據ノ為メ之ヲ要スル場合トハ之ヲ同一視ス可カラス證據ノ為メ方式ヲ要ス場合ニ於テハ相手方ノ自白ヲ以テ要式證據ヲ補充スルモノナリ
合意ヲ要式ト不要式トニ区別スルノ利益ハ其定義自体ニ就テ観レハ自カラ明瞭ナルカ故ニ敢テ贅説セス
第三百一条
本条ニ掲クル区別ハ外國法律ノ所謂互易契約及ヒ射倖契約ノ区別ニ當ルモノナリ唯本法ハ互易ノ名稱ニ代フルニ実定ノ名稱ヲ以テシタリ蓋シ実定ナル語ハ鞏固硬堅ノ謂ニシテ脆軟不確定ニシテ偶然ノ運賦ニ委スルモノニアラサルノ意ヲ示スモノナリ
合意中性質上必ス射倖タルモノアリ其他ノ合意ニ至テハ当事者任意ニテ射倖ノ性質ヲ付スルニ非サレハ射倖タラス
性質上射倖合意タルモノ第一ヲ博打賭事ト為ス然レトモ法律ニ於テ此等ノ合意ヲ認許スルハ例外ニシテ其場合甚タ少シ第二ヲ終身年金合意トシ第三ヲ終身用益権設定ノ合意トシ第四ヲ冒険貸借ト稱スル海上ノ貸借トシ第五ヲ陸上又ハ海上保険合意トス保険合意ハ近世ニ至リ数多ノ適用アリテ益々増加スルノ傾向アリ
此他ノ合意ハ性質上実定ナリト雖モ当事者其成立又ハ其効力ノ全部若クハ一分ヲシテ偶然ノ事ニ繋ラシメ以テ之ニ射倖ノ性質ヲ付スルコトヲ得故ニ一ノ合意又ハ之ヨリ生スル義務ニ付スルニ停止若クハ觧除ノ条件ヲ以テスルトキハ其合意ハ毎ネニ射倖ノ性質ヲ帯フルモノナリ是レ其条件偶生ナルトキ即チ意外ノ事ニ係ルトキニミナラス債務者ノ為メニハ眞ニ偶然ノ事タル債権者ノ意思ニ係ルトキト雖モ亦然リトス例ヘハ当事者ノ一方又ハ双方ヲシテ手附ヲ損失シ又ハ其二倍ヲ返還シ以テ合意ヲ取消スコトヲ得セシムル所ノ手附付ノ合意ノ如キモ亦射倖ノ性質ヲ有スルモノナリ試験ニテ為ス賣買即チ物ヲ授受スル前ニ之ヲ試味スルノ慣習アル物ノ賣買モ亦同ジ然レトモ性質上ノ射倖合意ニ非サレハ実際射倖ノ名稱ヲ付スルコトナシ
此区別ノ実益ハ他ノ区別ニ於ケルカ如ク著シカラス概ネ学者カ此区別ノ利益ナリト稱スルモノ通例唯一アルノミ即チ射倖ノ合意ハ缺損ノ為メ実定ノ合意ヲ鎖除スルヲ得ヘキ場合ニ於テモ猶ホ之ヲ鎖除スルヲ得サルコト是ナリ然レトモ本法ニ於テハ分割ノ場合ノ外缺損ヲ以テ鎖除ノ原因ト為ササルカ故ニ射倖合意ニ於テ之ヲ鎖除ノ原因ト為ササルモ以テ彼我ノ間ニ存スル差異ナリト謂フ能ハス
然レトモ尚ホ他ニ較ニ重要ナル差別ノ存スルアリ即チ当事者一方ノ条件不履行ノ為メ終身年金合意ヲ觧除スルモ実定合意ノ觧除ニ於ケルト異ナリ全ク当事者ヲシテ合意以前ノ位置ヲ復セシメサルコト是ナリ蓋シ約務ニ背キタル者ノ對手ハ既ニ不利ナル運賦ヲ受ケ来リタルモノナレハ其補償トシテ之ニ其受取リタル年金ノ金額ヲ與へ縦令法律上又ハ通常合意上ノ利息ノ割合ニ超過スル所ヲ受取リタルコトアルモ之ヲ返還セシムヘカラス
第三百二条
本条ニ掲クル所ノ区別ハ第十五条ニ於テ物ヲ主タルモノト従タルモノトニ分チタルト殆ント同様ノ趣旨ニ出タルモノナリ
合意中性質上必ス主タルモノナリ又必ス従タルモノアリ然レトモ必ス主タリ又従タル合意ハ其数極メテ寡シ蓋シ合意ノ過半ハ当事者ノ明示若クハ黙示ノ意思ニ隨ヒ或ハ主タリ或ハ従タルモノナリ担保ノ合意タル保証、動産質、抵当ノ如キ必ス従タルモノナリ(参看第二条)
然レトモ賣買、賃貸借、會社、貸借等ニ至テハ主タル合意タルコト多シト雖モ亦従タル合意タルコトアリ例ヘハ一定ノ代價ニテ一ノ家屋ヲ賣リ又別ニ代價ヲ定メテ附属ノ動産ヲ賣リタルトキハ動産ノ賣買ハ家屋ノ賣買ノ従タルモノナリ而シテ其結果ハ本条ニ指示スルカ如ク合意ノ瑕疵アルニ因リ家屋ノ賣買有効ナラサルトキハ動産賣買モ亦縦令其自體ニ於テ有効ナルモ共ニ無効ニ帰スルニ在リ賃貸借モ亦賣買ノ従タルコトアリ例ヘハ賣渡シタル家屋ニ接着スル土地又ハ一時買主ニ必要ナル農工ノ器具ヲ賃貸スルトキノ如キ是ナリ又消費貸借ヲ賃貸借ノ従トスルコトアリ例ヘハ小作人ヲシテ賃借地ノ耕耘ニ着手セシムルカ為メ之ニ元本ヲ貸與スルトキノ如シ
二箇ノ合意中孰レヲ主タルモノト做シ何レヲ従タルモノト做スヘキカヲ判定スルハ事実ノ問題ニシテ裁判所ノ宜ク事情ヲ審案シ以テ断定ス可キ所ノモノナリ合意ノ觧釈ニ関スル二三ノ規則ハ下第四款ニ掲クト雖モ更ニ本条ノ区別ヲ説クノ煩ヲ省クカ為メ少シク茲ニ注意ヲ促カサン若シ二箇ノ合意孰レカ主タリ従タルヲ査定スルニ当リ二者共ニ同一ノ日附ヲ有スルトキハ事重ク價多キモノヲ以テ主タル合意ト看做スヘキヤ勿論ナリ又其日附ヲ異ニスルトキハ日附ノ前ナルモノヲ以テ主タル合意ト做スヘシ蓋シ合意確然成立シタル後更ラニ之ヲ以テ日後ノ合意ノ従タルモノト為スハ理ノ容レサル所ニシテ当事者明カニ前ノ合意ヲ以テ後ノ合意ノ従ト為スノ意思ヲ顕表シタルトキニ非サレハ此結果ヲ生スヘカラス而シテ当事者此意思ヲ明示スルニ於テハ一ノ更改ヲ為スモノナリ
合意ヲ主タルモノト従タルモノト区別スルノ実益ハ一ノ合意ノ無効ナルトキ他ノ合意無効タルヤ否ヤノ点ニ在リ本条ハ此点ニ付キ二箇ノ規則ヲ設ケ又各則ニ例外ヲ設ケタリ
第一ノ規則ハ主タル合意ノ無効ハ従タル合意ノ無効ヲ惹起スルニ在リ其例外則ハ従タル合意カ担保ノ合意タルトキニ行ハルルモノナリ蓋シ担保ノ合意ハ主タル合意無効トナルトキ之ニ代ハルカ為メニ取結ヒタルモノナルカ故ニ主タル合意無効ノ為メ共ニ無効タラサルナリ例ヘハ未成年者ヲ保証シタル場合ニ於テハ未成年者其義務ヲ鎖除セシムルモ保証人ハ依然其責ニ任ズ可シ又買主追奪ヲ受クルコトアラハ賣主カ賠償ノ義務ニ任スヘキコトヲ明約シタル場合ニ於テ(是レ合意ナクシテ負担スル所ノ法律上ノ担保義務ニ對シ事実上ノ担保ト稱スル所ノモノナリ)買主追奪ヲ受クルトキハ賣買無効トナルヘシト雖モ担保ノ義務ハ尚ホ存立スヘシ何トナレハ此義務ハ一ニ賣買ノ無効ヲ補フヲ目的トスルモノナレハナリ
純理上之ヲ観ルニ右二箇ノ担保合意ハ従タル合意ト謂ハスシテ條件付ノ主タル合意ト謂フヲ得ヘキモノナリ然レトモ本法ハ実際ノ称呼ヲ用ヒ之ヲ従タル合意ト称シ而シテ之カ為メニ一ノ例外則ヲ設ケタリ
第二ノ規則ハ従タル合意ノ無効ハ主タル合意ヲシテ無効ナラシメサルニ在リ其例外則ハ二箇ノ合意ノ関係甚タ緻密ニシテ当事者ノ意思上之ヲ分ツ可カラサル場合ニ行ハルルモノナリ例ヘハ土地ノ賣主其賣買ノ附従トシテ買主ノ企テントスル農工業ニ必要ナル水ヲ隣地ニ於テ汲取スヘキ権ヲ譲與スヘキコトヲ約シタルニ賣主其水源ノ所有者タラサルカ為メ地役ノ設定無効トナルトキハ土地ノ賣買モ亦共ニ無効トナルヘシ何トナレハ此二箇ノ合意ハ当事者ノ意思上分ツ可カラサルモノナレハナリ
第三百三条
前六箇ノ区別ニ関シ例示シタル合意ハ概ネ有名合意ニシテ特ニ其目的ヲ指示セサルモ能ク之ヲ識別スルヲ得ヘシ即チ賣買、賃貸借貸借等ハ其称呼ヲ言ヘハ一々其定義ヲ下シ其目的ヲ示ササルモ其何者タルヲ知ルヲ得ヘシ
之ニ反シテ更改ノ若キハ一々其目的及ヒ其性質ヲ示ササル可カラス蓋シ此合意ニハ更改ノ名称アリ且法律上之カ為メ特ニ規定スル所アリト雖モ実際未タ之ヲ以テ一ノ有名合意ト看做シタルモノアラス加之更改ハ法律上新義務ノ原因即チ一ノ合意ト看做スト謂ハンヨリ旧義務ノ消滅原因ト看做スモノナリト謂フヘシ
尚ホ無名合意タルモノ二三ヲ例示センニ作為ノ交換、貸借、動産質又ハ抵当ノ豫約及ヒ寄託ヲ受クル約束ノ如キ即チ然ルモノナリ
本条ハ此種類ノ各支派ニ適用ス可キ規則ヲ指示セリ即チ有名合意ニハ法律ニ固有ノ規則アルトキハ毎ネニ之ヲ適用シ特別ノ規定アラサルトキハ合意ノ普通法即チ本部ノ規則ヲ以テ其通則ト為シ尚ホ例外則トシテ有名合意中最モ之ト類似スルモノニ特別ナル規則ヲ比附援用ス
然リ而シテ無名合意ヲ有名合意ニ對比シ何レト最モ類似スルヤヲ考フルニ当リテハ文辞ニ拘泥セスシテ事物ヲ觀察スルヲ要ス故ニ作為ノ交換ハ所有権ノ交換ニ比スヘカラスシテ雇傭契約ニ比スヘシ又使用若クハ費消貸借ノ豫約又ハ動産質ノ豫約ニ至テハ貸借又ハ動産質ニ比スヘカラス既ニ第三百二十条ノ説明中此場合ニ於テハ当事者ノ位置豫約実行後ニ比シ全ク相反スルコトヲ述ヘタリ寄託ヲ受クルノ約束ニ付テモ亦然リ故ニ此場合ニ於テハ或ル事ヲ為スノ無名合意アルニ過キスシテ一ニ本部ニ掲クル所ノ一般ノ合意ノ規則ニ従フ可キモノナリ
第二款 合意ノ成立及ヒ有効ノ條件
第三百四条及ヒ第三百五条
此両条ヲ対照スルトキハ一目シテ合意ノ成立條件ト有効条件トヲ識別シ其基本上無効ナル合意ト瑕疵アル合意即チ取消シ得ヘキ合意トヲ能ク区別スルコトヲ得ヘシ
無効ノ合意ト取消シ得ヘキ合意トノ間ニハ許多ノ大差異アリ
合意ノ無効ナルベキ即チ合意ノ成立セサルトキハ其無効ノ結果当然生スルモノニシテ特ニ裁判所ニ之ヲ請求スルコトヲ要セス唯裁判所ハ其既ニ無効ナルコトヲ宣告ス可キノミ又当事者ハ各々他ノ一方ニ對シ其合意無効ノ申立ヲ為シ以テ其執行ヲ免レ若シ既ニ執行ヲ了リタルトキハ之ヲ回復スルコトヲ得ヘシ是レ此無効ヲ絶對的ナリト謂フ所以ナリ又此無効ノ合意ハ時日ノ経過若クハ当事者ノ意思ヲ以テ更ニ有効ナラシムルコトヲ得ス若シ当事者同一ノ目的ヲ達セント欲セハ更ニ契約ヲ為スコトヲ要ス
之ニ反シ合意カ単ニ取消シ得ヘキモノナルトキハ其取消ハ裁判所ニ請求シ其認許ニ出ツルヲ要ス又此請求ヲ為スヲ得ル者ハ瑕疵アル承諾ヲ為シタル当事者又ハ無能力ナル当事者ノミ是レ其無効ニ関係的無効ノ名称アル所以ナリ又原ニ取消シ得ヘキ合意ノ瑕疵ハ明示若クハ黙示ノ認諾ヲ以テ補正スルコトヲ得
又合意ノ成立ノ条件ハ其有効ニ必要ナリト雖モ其有効ノ条件ハ其成立ニ必要ナラス然レトモ此差異ハ第三百五条ニ於テ十分ニ之ヲ明示スルカ故ニ敢テ贅弁ヲ為サス合意ノ成立及ヒ有効ノ諸条件ハ順次律文ニ指定スト雖モ此等ノ条件ハ互ニ関係ヲ有スルカ故ニ第三百四条及ヒ第三百五条ニ指示シタル順序ニ従ヒ左ニ其大意ヲ略説セン
第一 合意ノ成立ノ条件
(イ) 承諾◦承諾トハ意思ノ投合一致ヲ謂フ即チ当事者双方ノ同一ノ感情ナリ而シテ承諾ハ合意ノ成立ニ必要ナルヤ其合意ト定義ヲ同フスルヲ見ルモ亦知ル可キナリ蓋シ合意ヲ為サントスル時ニ当テハ通常当事者ノ一方ヨリ言込ヲ為スモノニシテ之ヲ承引スルトキハ即チ承諾アリト云フ承諾ノ外尚ホ二箇ノ条件完備スルトキハ合意成立ス
意思ノ合致ヲ証明スル方法如何ニ至テハ後ノ数条ニ之ヲ指定ス
(ロ)目的◦合意ノ成立ニ必要ナル第二ノ元素ハ目的ナリ第二百九十六条ニ掲ケタル合意ノ定義ニ據レハ合意ノ目的ハ物権ト人権トヲ問ハス権利ノ創設、移轉、変更又ハ消滅ニ外ナラス然レトモ合意ノ目的トシテ創設ス可キ権利モ亦能動ノ主格及ヒ所動ノ主格ヲ有スルト共ニ其目的ヲ有セサル可カラス是ヲ以テ権利ノ目的ヲ指シテ合意ノ目的ナリト略言スルコト甚タ多シ
此権利ノ目的ハ第三百四条ニ依ルニ確定ノモノタルコトヲ要シ且当事者ノ處分権ヲ有スルモノタルコトヲ要ス例ヘハ義務(即チ合意ノ目的)ヲ創設スルニ当リ其義務ノ目的或ル事ヲ為スニ在ルトキハ其作為ヲ十分ニ指定シ以テ債権者ヲシテ債務者ノ約シタル所ニ超過スルモノヲ要求シ得サラシメ又債務者ヲシテ債権者ノ得ンコトヲ期シタル所ヲ減少シ漫ニ其義務ノ範囲ヲ減縮スルコトヲ得サラシムルヲ要ス又一箇ノ特定物ヲ与フ可キトキモ亦明ニ之ヲ指示シ以テ他物ト混同セサラシムルコトヲ要ス又定量物ヲ与フ可キトキハ其量目、員数又ハ尺度ヲ明確ニ定メサル可カラス
特定物ト定量物(第十六条)トノ外ニ類又ハ種ヲ以テ指定スル物アリ然レトモ與フ可キ物ヲ指示スルニ当テ一頭ノ獣一幹ノ樹、一箇ノ石ト云フカ如ク其類ノミヲ指スヲ以テ足レリトセス若シ其類ノミヲ示スニ止マルトキハ債權者ハ指定シタル類中ノ物ニ就キ價直ノ最モ多キモノヲ要求ス可ク又債ム者ハ必ス最モ低キモノヲ提供ス可ク遂ニ債權者債務者ノ恣肆ニ疲レ又債務者債権者ノ専横ニ困ムニ至ル可シ然レトモ一頭ノ馬、一箇ノ松、一尺立法ノ石又ハ大理石ト云フカ如ク種ヲ以テ物ヲ指定スルハ偶々十分ナルコト在リト雖モ又然ラサルコト有リ蓋シ此場合ニ於テハ間々実地ノ事情ト債権者ノ目的トニ依リ合意ノ目的ヲ確知スルコト有ル可シト雖モ亦合意ノ目的十分ニ確定セサルノ故ヲ以テ合意無効ト為ルコト最モ多カル可シ
又目的ハ当事者「處分権ヲ有スル」モノナラサル可カラス「處分権ヲ有スル」ノ語ハ羅馬法以来欧州諸国ノ法律ニ用ヰタル融通物ナル語ニ当リ且融通物ノ定義トモ謂フ可キモノナリ然ルニ本法ニ「融通物」ノ語ヲ捨テ「處分権ヲ有スル」ノ語ヲ用ヰタル所以ハ其他ニ比シテ一層精確ナル所アルカ故ナリ抑融通物ト云ヒ又不融通物ト云フハ所有者ノ誰タルヲ措テ問ハス絶對的ニ謂フモノニシテ何人モ物ノ處分権ヲ有セサルトキハ其物ヲ称シテ不融通物ト云フ(第二十六条)例ヘハ製造、賣買、占有ヲ禁シタル物又ハ不正ナル所為即チ法律又ハ善良ノ風俗ニ戻ルカ為メ禁シタル所為ノ如キ是ナリ然レトモ亦或ル人ノ為メニノミ不融通物ニシテ他ノ人ノ為メニハ然ラサルモノ有リ此物ヲ以テ合意ノ目的ト為ス能ハサルハ絶對的ニ非スシテ関係的ナリ例ヘハ各人ノ財産ハ所有者ノ處分ヲ為シ得ヘキモノナルヲ以テ一般ニ融通物ナリト雖モ所有者外ノ人ニ在テハ不融通物ナリ是レ「他人ノ物ノ賣買ハ無効ナリ」ト云フ所以ニシテ所有者ニ非サル賣主ニ在テハ其賣渡物ハ不融通物ナリ然レトモ他人ノ物ヲ取得シテ而ル後ニ之ヲ譲渡サント約スルトキハ自己ノ所為ヲ約シ、為スノ義務ヲ約スルモノニシテ有効ナリ
要スルニ本法ニ「處分権ヲ有スルモノ」ナル語ヲ採用シタルハ處分権禁止ノ関係的ノ性質ヲ斟酌シタルモノナリ
付與ス可キコトヲ約シタル物既ニ合意ノ際ニ滅失シタルトキハ其合意ハ基本上無効タル可キヤ敢テ明文ヲ待タスシテ明カナリ何トナレハ滅失シタル物ハ融通スルコトヲ得ス又吾人ノ處分権ヲ有スルモノニモ非サレハナリ
(ハ) 原因◦合意ノ原因トハ当事者ヲシテ其合意ヲ承諾スルニ決意セシムル理由ニシテ当事者ノ貫徹センコトヲ期シタル主旨ヲ謂フ蓋シ契約ハ徒尓ニ為スモノニ非ス必スヤ然ル可キノ理由アリテ為スモノニシテ概ネ心情ノ満足、金銭上ノ満足、交誼上ノ満足ヲ得ントスルニ基因スルモノナリ例ヘハ贈與又ハ過失ノ任意賠償ニ於テハ之ヲ為ス者ノ得ント欲スル所ハ心情上ノ満足ニシテ有償合意ニ於テハ金銭上ノ満足ナリ又恩恵ノ性質ヲ有セス且毫モ利益ヲ生セス只社會ニ占ムル自己ノ地位又ハ或ル二三ノ人トノ交際上為ス所ノ或ル契約ニ於テハ交誼上ノ満足ヲ得ントスルヲ原因トス例ヘハ一地方ノ費用ノ為メ或ハ建碑事業ノ為メ或ハ學藝若クハ文学ヲ目的トスル結社ノ為メ醵金スルカ如キ即チ是ナリ又往々快楽或ハ奢侈ヲ目的トシテ為ス合意アリ
合意ノ原因如何ハ右ニ述ヘタル所ニ付テ見レハ明瞭ナリ此原因ハ眞実ニシテ且合法ナルコトヲ要ス
合意中必ス原因ノ存スルモノ有ルカ故ニ果シテ原因ヲ有スルヤ又其原因ハ合法ナルヤ否ヤヲ研究スルニ及ハサルモノ有リ即チ諸般ノ有名合意ノ如キ法律ノ規定ニ係リ必然原因アリ且其原因ノ合法ナルモノノ如キ是ナリ故ニ賣買ニ於テ賣主ノ合意ノ原因トスル所ハ其物ノ譲渡ノ補償トシテ一ノ金銭即チ代價又ハ代價ノ債権ヲ取得セントノ希望ニシテ買主カ合意ノ原因トスル所ハ代價ノ補償トシテ物ノ所有権ヲ取得セントスルノ希望ナリ會社ニ於テハ当事者各々孤立単独ニシテ財産労力ヲ利用スルコトヲ為サス共同シテ之ヲ集合シ以テ一層巨大ナル利益ヲ得ントノ希望ヲ以テ原因ト為ス贈與ニ於テ贈与者ノ原因トスル所ハ他人ヲ利スルノ希望ニ在リ受贈者ノ原因トスル所ハ無償ニテ物ヲ取得スルノ希望ニ在リ
之ニ反シテ法律ニ規定セサル無名合意ニ於テハ其原因ヲ探求セサル可カラス蓋シ無名合意ニ於テハ原因或ハ欠缺シ或ハ錯誤ニ係リ或ハ假装ニ係リ或ハ不法ナルコト有ル可ケレハナリ例ヘハ義務ノ更改ニ於テ当事者ノ一方新義ムヲ契約スルハ偏ニ旧義務ヲ消滅スルカ為メノミ是レ義務更改ノ原因ナリ然ルニ其旧義務ニシテ曾テ成立セサリシカ又ハ更改ノ際已ニ消滅シタリシトキハ新義ムニハ原因ナシ若シ此場合ニ於テ当事者原因アリト誤信スルトキハ錯誤ノ原因アルモノニシテ当事者双方共ニ原因ノ既ニ存セサルコトヲ知リタリシトキハ假装ノ原因アリトス錯誤又ハ假装ノ原因ハ之ヲ称シテ虚妄ノ原因ト云フ
不法ノ原因ハ最モ識別シ易クシテ且有名合意ニ於ケルト無名合意ニ於ケルトヲ問ハス実際少カラサル所ノモノナリ今主要ナル二箇ノ場合ヲ例示センニ第一、当事者ノ一方カ不法ノ所為ヲ行フ可キコトヲ約シタル場合ナリ此所為タルヤ該当事者ノ為メニハ原来義務ノ目的タル可キモノナレトモ之ヲ以テ其目的ト為スコトヲ得ス又合意ノ目的ト為スコトヲ得ス何トナレハ該当事者ハ其目的ノ處分権ヲ有セス此所為ハ融通物タラサレハナリ又此所為タル他ノ一方ノ為メニハ其求ムル所ノ結果即チ達セントスル主旨ナリト雖モ其主旨タル不法ノ原因タルモノナリ第二、当事者カ合意ノ効力ノ全部又ハ一分ヲ法禁ノ条件ニ繋ラシムルトキハ其合意ノ原因不法ナリトス蓋シ条件ハ合意ノ原因ナルカ故ニ主タル原因タルトキト従タル原因タルトキヲ問ハス不法ナルトキハ合意ヲシテ無効ナラシムルモノナリ蓋シ若シ犯罪ヲ為サハ若干円ヲ與へンコトヲ約スルモ犯罪ヲ為シタルカ故ニ若干円ヲ與へント約スルモ其間毫モ眞ニ差異アラサルナリ
合意ノ原因ハ其遠因ト混同ス可カラス其差異ハ第三百八条ニ至リ之ヲ説明ス
(ニ) 方式◦或ル合意ノ成立ニハ方式ヲ要スルコト有リ其方式ノ事ハ各合意ニ付キ之ヲ説明ス可シ蓋シ方式ハ一般合意ノ論理ニ属スルモノニ非サレハナリ
第二 合意ノ有効ノ條件
(イ) 承諾ニ瑕疵アラサルコト◦第三百五條ニ承諾ノ瑕疵ト定メタル所ノモノ只二箇アルノミ錯誤及ヒ強暴即チ是ナリ詐欺ニ至テハ外國ノ諸法典ニ於ケルト異ナリ之ヲ以テ承諾ノ瑕疵ト為サス唯之ガ為メニ生スル錯誤ノ如何ニ従ヒ或ハ錯誤ト混同シ或ハ加害所為タルニ止マリ賠償義務ヲ生スルニ過キス(参看第三百十二条)但其損害ヲ賠償スルカ為メ合意ヲ取消スコトヲ得ルト雖モ眞ニ承諾ノ瑕疵タル錯誤アリタルトキニ比スレハ其性質ヲ異ニシ且其効力較ニ微弱ナリ
(ロ) 當事者ノ能力◦或ル人ハ特別ナル位置ニ在ルカ為メ法律上其身分ト其財産トニ係リ或ル行為ノ能力ナキ者ト推定セラル本法ハ爰ニ此等ノ人ヲ指定セス第一編ニ之ヲ記載シタリ
(ハ) 欠損◦合意取消ノ特別原因タル欠損ニ付テハ此ニ詳細ノ説明ヲ為サス欠損トハ當事者ノ各自其供給スル所ノ利益ニ等シキ利益ヲ欲スル有償合意ニ於テ一方ノ得ル所ノ利益甚タ尠少ナルヲ謂フ然ルニ公益ノ点ニ付キ之ヲ観ルニ合意ハ尤モ鞏固ナラサル可カラサルカ故ニ漫ニ欠損ヲ以テ合意取消ノ原因ト為ス可カラス是ヲ以テ外國法典ニ於テハ成年者ノ間ニ於テ欠損アル為メ合意ノ取消ヲ認許スル塲合ハ唯二箇アルノミ不分財産ノ分割及ヒ賣主ニ損失アル不動産ノ賣買即チ是ナリ
本法ハ欠損ノ為メ賣買ノ鎖除ヲ許サス唯分割ニ関シ之ヲ認ムルノミ然レトモ未成年者ノ為メニ多少ヲ問ハス欠損アルヲ以テ諸般ノ合意鎖除ノ一原因ト為ス然レトモ未成年ナル無能力者ノ欠損ヲ以テ合意鎖除ノ原因ト認ムルニ由リテハ数多ノ難問ヲ生スルヲ以テ本法ハ力メテ之ヲ豫防シタリ(参看第五百四十八条)
茲ニ一ノ緊要ナル注意ヲ喚起シ以テ合意ノ成立及ヒ有効ノ諸條件ニ関スル説明ヲ完了セン
抑々合意自由ナル可キハ法律ノ基本タル原則ニシテ其適用ハ既ニ屢々之ヲ示シタリ又次款ニ於テモ此原則ヲ確認説明シ且其制限ヲ定ム然レトモ合意ノ成立及ヒ有効ノ條件ニ関シテハ此原則ノ適用甚タ少ナシ即チ當事者ハ合意ノ成立ヲ多少不確定ナル事件ニ繋ラシメ以テ其成立ノ要件ノ一ヲ加フルコトヲ得又法律上欠損ニ因リ合意ノ鎖除ヲ許ササル塲合ニ於テ之ヲ以テ鎖除ノ條件ト為シ或ハ法律ニ定メタルヨリ以下ノ欠損ヲ以テ合意ヲ鎖除スルニ足レリトシ以テ有効ノ條件ノ一ヲ加フルコトヲ得然レトモ當事者ハ合意ノ成立條件ニ関スルト有効條件ニ関スルトヲ問ハス法律上ノ條件ヲ減スルコトヲ得ス蓋シ成立ノ條件ハ事物自然ノ理ニ出テ純理ニ基クモノナレハ之ヲ減スルコト能ハサルヤ明瞭ナリ有効ノ条件ハ無能力者ノ保護ニ基クモノナリ然ルニ當事者濫ニ此保護ヲ抛棄シ就中無能力又ハ承諾ノ瑕疵ノ為メニ合意ヲ鎖除セシムル権利ヲ抛棄スルトキハ遂ニ法律ノ趣旨ヲシテ貫徹セサラシムルニ至ル可シ
第三百六條
承諾ノ性質ハ既ニ十分説明シタルヲ以テ本條更ニ之ヲ示スノ要ナシ唯本條ニ定ムル所ハ總當事者即チ要約者ト諾約者トノ承諾アルニ非サレハ合意成立セサルコト是ナリ然レトモ證人ノ如キモノニ至ルマテ總テ其合意ニ参與スル者ノ承諾ヲ要スルニ非ス勿論擔保者即チ保證人トシテ合意ニ参加スル者ハ此資格ヲ承諾スルコトヲ要スト雖モ其直接ニ関係セサル所ノ主タル合意ヲ承諾スルコトヲ要セサルナリ
第二項ニ規定シタル塲合ハ実際極メテ鮮少ナル可シ何トナレハ合意ヲ承諾スルコトヲ欲セサル者ハ敢テ之ニ與カラサル可ク就中證書アルトキハ必ス其氏名ヲ記入セシメサル可ケレハナリ然レトモ賣買又ハ賃貸ノ相談ヲ為スニ當リ数人ニテ買主又ハ借主ト為ルコトヲ欲シ而シテ合意決定ノ期ニ至リテ他ノ数名皆既ニ承諾シタルモ只其中一名其決定ノ要件ヲ承諾セサルコト有ル可シ而シテ数人中ノ一名承諾ヲ為ササルトキハ其合意ハ啻ニ其一名ノ為メ成立セサルノミナラス他ノ當事者間ニ於テモ亦成立セサルヲ以テ原則トシ合意ハ相談者数人ノ為メ分割ス可カラサルモノト推定ス然レトモ反對ノ意思ヲ證スルハ法律ノ許ス所ナルカ故ニ反證アルニ於テハ其合意ハ各同意者間ニ成立スルモノト認定スルヲ得ヘシ此塲合ハ會社ノ如キ多人数ノ企圖ニ係リ後日其中ノ一人又ハ数人カ同意ヲ拒ムコト有ル可キ事項ニ於テ屢々見ル所ナル可シ
第三百七條
夫レ承諾ハ自餘ノ意思上ノ行為ト同シク純然タル内部ノ行為ナリ然レトモ之ヲ表示スルニ非サレハ法律上ノ効力ヲ有スルコトヲ得ス且法律カ特ニ承諾ノ十分自由ニシテ且明瞭ナルコトヲ確保セント欲スル塲合ニ於テハ公吏ノ面前ニ於テ之ヲ為スコトヲ要ストセリ是レ公吏ノ立會及ヒ其注意ハ當事者ノ為メ貴重ナル擔保ナルカ故ニシテ有式合意ノ塲合ニ於テハ則チ然リトス其他ノ塲合ニ於テハ當事者各自適宜ノ方法ニ依リ書面、口頭ヲ以テスルハ勿論亦容態ヲ以テ其意思ヲ表示スルコトヲ得
羅馬法以来諸國ノ法律ニ於テモ理論上容態ヲ以テ承諾ヲ表示スルハ認許シタル所ナリト雖モ纔ニ容態ヲ以テ表示シタル承諾ハ裁判所ニ於テ實際容易ニ之ヲ認メサル可シ例ヘハ當事者其容態ヲ以テ承諾ヲ表示シタリト認ムルニハ瘖啞ナルモ尚ホ其文字ヲ書スルコトヲ知ラサルヲ要シ且瘖啞者ノ暗號ヲ了知シ其智能ノ程度ヲ了知スル證人アリテ其十分合意ニ同意シタルコトヲ確證スルヲ要ス故ニ本條ハ此点ニ関シ弊害ヲ防クニ足ル可キ十分ノ注意ヲ施シタリ蓋シ容態ノ外承諾ヲ表示スル方法アラサル塲合アリ例ヘハ一ノ負傷者談話筆書スル能ハサル者緊急ナル契約ヲ為サント欲スルトキニ當リテハ之ヲシテ其ノ親族、故舊又ハ他人ノ面前ニ於テ受ケタル言込ニ對スル其承諾ヲ表示スルニ容態ヲ以テスルコトヲ得セシメサル可カラス縦令負傷者ノ意思自由ナルコトヲ確證スルカ為メニ公吏ノ立會ヲ求メタルトキト雖モ其承諾ハ必ス此不完全ナル方法ヲ以テセサルヲ得サル可シ
承諾ヲ為スノ容態及ヒ拒絶ヲ為スノ容態ハ諸國ニ於テ殆ト同様ナリ又航海ノ際用ヰル所ノ暗號アリ例ヘハ港ニ近クトキ水先案内ヲ依頼シ又ハ危難ニ遇ヒタルトキ救援ヲ乞フ暗號ノ如キ是ナリ此等ノ暗號ニ基キテ労役又ハ救援ヲ為ストキハ是レ亦合意アリト謂フコトヲ得ヘシ
容態ヲ以テ表示スル承諾ハ黙示ノ承諾ト稱セサルヲ通例トス何トナレハ容態ハ言語ノ代用ヲ為スモノナレハナリ尚ホ法律ハ外形ノ所為又ハ緘黙ニ依リテ承諾ヲ表示スルコトヲ認許シタリ外形ノ所為トハ請求ヲ受ケタル労動又ハ供給ノ全部又ハ其一分ノ執行ノ如キヲ謂フ亦言込ヲ受ケタルニ當リ其執行ノ請求ヲ為シタルトキノ如キモ亦黙示ノ受諾アリト為ス可キナリ又合意ヲ為スノ目的ヲ以テ商議シタル後定期内ニ拒絶ノ旨ヲ通告セサレハ黙示ノ承諾アリト看做ス可キ旨ヲ承認シタルトキハ緘黙ヲ以テ承諾ニ等シキ効アリト為ス可シ然レトモ當事者ノ一方ハ他ノ一方カ定期内ニ拒絶ノ旨ヲ通告セサルトキハ承諾アリタリト看做ス可キ旨ヲ命スルコト能ハス此ノ如キハ全ク不当ノ希望ナリ然レトモ承諾ヲ為ス可キ期限ヲ定メテ申込ヲ為スニ當リ若シ其期限ヲ經過スルニ於テハ其言込ナキモノト看做ス可シト言込ムハ有効ナリ
第三百八條
本條ハ書信又ハ媒介ニ依リテ取結フ合意ニ適用スルモノナリ蓋シ最モ緊要ナル商業上ノ賣買ヲ為スニ當リテハ諸大都會ノ間其距離遠隔セルカ為メ概ネ此方法ニ依ル而シテ或ハ賣主ヨリ先ツ言込ヲ為スコト有リ此塲合ニ於テハ買主ノ受諾アリタルトキニ非サレハ合意組成スルコト無シ又或ハ買主ヨリ代價ヲ指定シテ商品ヲ求ムルコト有リ此塲合ニ於テハ賣主ノ受諾アルニ非サレハ契約成立セス
本條ハ主トシテ民事ニ関シテ設ケタルモノナリト雖モ亦商法ニ於テ反對ノ規定ヲ為ササル限ハ商事ニモ之ヲ適用ス可シ
當事者先ツ書信ヲ送リ而ル後其意思ヲ變更セサルトキハ他ノ一方ノ受諾何レノ時ニ在リテ以テ合意ヲ組成シタルヤヲ探求スルコト概シテ其益無カル可シ唯受諾ノ日ノ市價ヲ以テ取引物ノ代價ト為ス可キトキノミ纔ニ受諾ノ時ヲ知ルノ必要アルニ過キス然レトモ其受諾ノ時日ニ接近シテ言込ノ取消アリタルトキハ果シテ其受諾ノ効アリヤ否ヤヲ定ムルコト緊要ナリ
今偏ニ純理ニノミ依レハ言込ハ受諾アルマテ継續シ受諾ノ時ニ存在スルニ非サレハ承諾ヲ組成スルモノニ非ス而シテ蓋シ言込ハ之ヲ取消ササル限ハ同一ナル意思ノ継続ニ因リ終始維持確認セラレタルモノト看做ス可シ然レトモ亦未タ受諾アラサル間ハ常ニ言込ヲ取消スコトヲ得何トナレハ一箇ノ意思ヲ表示シタルノミニテハ何レノ当事者ニモ權利アラス又義務アラサレハナリ若シ言込ノ言消ヲ為ス能ハサルモノト為サント欲セハ言込ヲ為シタル者カ既ニ述ヘタル如ク或ル時間之ヲ取消ササルコトヲ約シタルヲ要ス
然レトモ既ニ言込ヲ受諾シタル以上ハ復タ之ヲ取消スコトヲ得ス何トナレハ合意既ニ完成スレハナリ然レトモ亦單ニ意思上ノ受諾ヲ以テ足レリトセス
然ラハ則チ受諾ハ言込ヲ為シタル者ニ到達シタルトキ始テ其効力ヲ生ス可キカ是レ極端ニ走ルモノト謂ハサル可カラス若シ果シテ然リトセハ更ニ受諾人ニ於テ其受諾カ言込人ニ到達シタルヲ知ルコトヲ要スルニ至ル可ケレハナリ
是ヲ以テ本條ハ言込ノ言消ノ報ノ達スルニ先チ受諾ノ報ヲ發シタルトキハ其受諾有効ニシテ言込ヲ言消スコト能ハストセリ(第一項)是ヲ以テ受諾ヲ為ス者ハ言込ノ言消ノ報ニ接セサルニ先チ其受諾ノ報ヲ發スルヤ必ス権利ヲ得ルモ言込ヲ為ス者ハ受諾又ハ拒絶ノ報ニ接セサル間ハ確然タル位置ヲ有セサルカ故ニ受諾ヲ為ス者ノ位置言込ヲ為ス者ノ位置ニ比シ優レル所アリト雖モ其位置ノ相異ナルハ當然ノ事ト謂ハサル可カラス何トナレハ事ヲ發起スル者ハ自餘ノ者ヨリ一層久シク不確定ノ位置ニ在ル可キヤ自然ノ理ナレハナリ
受諾ノ發送ト言消ノ到達トノ前後ニ關スル證據ノ困難ニ至テハ何レノ主義ヲ採ルモ必ス存スルモノニシテ書信ヲ以テ取引ヲ為スニ當テハ決シテ免レサル所ナリ
言込ヲ為スニ當リ又ハ其以後受諾ヲ為ス可キ期間ヲ指示シタルトキハ(第二項)言込人指定ノ期間其言込ヲ言消ササルコトヲ黙約シタルモノトス
其レ此ノ如ク當事者ノ一方自己ノ意思ヲ吐露シタルノミニ因リ先方ノ受諾アラサルモ既ニ義務ヲ負擔スルハ少シク怪ム可キニ似タリト雖モ亦他人ニ損害ヲ加ヘタル者ハ其責ニ任スヘキ原則ニ就テ考フレハ其不當ナラサルヲ知ル可シ蓋シ受諾ノ期間ヲ定メテ言込ヲ受ケタル者ハ其期間内ニ受諾スル準備ヲ為シ之カ為メ他ノ取引ヲ為ササルコト有ル可シ然ルニ言込人漫ニ其期間内ニ言消ヲ為ストキハ之ヲ受ケタル者更ニ他ノ取引ヲ為サント欲スルモ既ニ其機會ヲ失ヒ為メニ損害ヲ被ルニ至ル可キナリ
第三項ハ第二項ノ結果ニシテ敢テ説明ヲ要セス
第四項ハ受諾者其意思ヲ變シタル場合ヲ規定スルモノニシテ言込人未タ受諾ノ報ニ接セサル以上ハ受諾者其意思ヲ變スルモ有効ナリトセリ是ヲ以テ受諾ノ報ト同時ニ言消ノ報到達スルトキハ受諾ノ報無効ナリ(加之言消ノ報受諾ノ報ニ先チ到達スルコト有ル可シ)
第一項ノ塲合ニ於テモ亦言込ノ報其言消ノ報ト同時ニ到達シタルトキハ言消ノ効アルモノトス
第五項ハ少シク説明ヲ要スル所アリ凡ソ合意ハ當事者ヲ羈束スルト同シク亦其相續人ヲ羈束スルモノニシテ當事者ノ一方又ハ双方死去シ若クハ無能力ト為ルモ之カ為メ合意ノ効ヲ損スルコト無シ是レ一般ノ原則ニシテ後ニ至リ説明スル所アル可シ唯代理、會社、雇傭契約ノ如キ二三ノ契約當事者一方ノ死去禁治産若クハ無資力ニ因リ解除スルハ例外則タルノミ
然レトモ契約ニ付キ例外則タル所ハ言込ニ付キ本則タリ抑々言込ハ未タ法律上ノ羈絆ヲ創設スルモノニ非ス唯意思ノ継続ニ因リ惧ニ継続スルニ過キス然ルニ一人ノ意思ハ遺言ニ依ル外其人ノ死去後ニ効力ヲ生スルモノニ非ス又禁治産者ノ意思ハ法律上ノ効力ナク又破産者ノ意思ハ其債権者ノ利益ノ為メニ自由ナラサルカ故ニ言込人死去シ又ハ無能力ト為ルトキハ其言込自ラ効ヲ失ウ可キナリ
然リト雖モ死去シタル人ノ相續人若クハ無能力ト為リタル者ノ代人言込ノ効ヲ喪失セシムル所ノ事變ヲ先方ニ報セサルトキハ先方カ情ヲ知ラスシテ發シタル受諾ヲ有効トセサル可カラス否スンハ受諾者ハ徒ラニ受諾ヲ為シ之カ為メニ不正ノ損害ヲ被ルニ至ル可シ
且法文ニハ明記セサルモ解釈上此点ニ付キ一ノ區別ヲ為ササル可カラス即チ受諾ノ為メ期間ヲ示シテ言込ヲ為シタルトキハ受諾者言込人ノ死去若クハ無能力ヲ知テ受諾ヲ為スモ其期間内ニ在テハ受諾ノ効アリ何トナレハ此塲合ニ於テハ既ニ片務ノ義務存スレハナリ
法文ニハ言込ヲ受ケタル者ノ死去シタル塲合ヲ規定セスト雖モ其人ニ着眼シテ言込ヲ為シタルニ非サル限ハ相續人之ニ代リテ受諾スルヲ得ルヤ明ニシテ是レ敢テ法文ヲ要セサル所ナリ又言込ヲ受ケタル者無能力ト為リタル塲合ニ於テモ法律上若クハ裁判上ノ代人之ニ代リテ受諾スルコトヲ得ヘシ
末項ニ至テハ亦冝ク一ノ區別ヲ為シテ適用ス可キモノナリ即チ差出人其郵便若クハ電信ノ差出方ニ付キ懈怠アルトキハ差出人其結果ヲ被ル可キヤ當然ナリト雖モ意外ノ事若クハ不可抗力ノ為メ到達ノ遲延スルカ又ハ到達アラサルトキハ名宛人危險ヲ負担ス可シ何トナレハ郵便若クハ電信ハ其發遣後名宛人ニ属スルモノナレハナリ
第三百九條
當事者ノ一方幼稚ナルカ劇性ナル癲狂病ニ罹リ又ハ熱病ノ為メ人事不省ナルニ因リ毫モ権利行為ヲ辨識セス意思ノ絶無ニシテ承諾全ク欠缺スル塲合ニ付テハ敢テ法律ノ規定ヲ要セス其承諾ハ瑕疵アルニ止マラスシテ毫末モ存在セサルヤ明カナルカ故ニ本條ハ此場合ヲ規定セス此ノ如キ塲合ニ於テ承諾ノ絶無ナルヤ否ヤハ宜ク裁判所ノ各事件ニ付キ認定スベキ所ナリ
然レトモ外観上承諾アルニ似テ其実或ル錯誤ノ承諾ヲ阻却スル場合ニ至テハ法律ノ規定ヲ要スルカ故ニ本條ニ之ヲ規定シタリ殊ニ錯誤ニハ纔ニ承諾ニ瑕疵ヲ付スルニ止マリ之ヲシテ單ニ取消スコトヲ得ヘカラシムルモノ有リ又毫モ承諾ノ効力ヲ損セサルモノ有ルヲ以テ其承諾ヲ阻却スルモノヲ明定スルハ一層必要ナリ歐州諸國ノ法律ハ概ネ承諾ノ種別ヲ學説ニ委スルモ是レ弊害ナキ能ハサル所ナリ且此点タル事實問題ニ属セス法律問題ニ属スルカ故ニ之ヲ規定セサルトキハ立法者其任ヲ尽クサスト謂ハサルヲ得サル可シ
本條ニ列擧スル錯誤中四箇ハ其性質及ヒ程度重クシテ錯誤者ノ承諾ヲ阻却スルモノナリ他ノ一ハ之ニ比シ毫モ合意ノ効力ヲ損セサルモノナリ
(イ) 合意ノ性質ノ錯誤◦當事者ノ一方ヨリ言込ミタル契約ハ賣買ナリシニ他ノ一方ニ於テハ交換ヲ為スト思量シ或ハ一方ハ賃貸借ヲ為スヘシト思量シタルニ他ノ一方ハ使用貸借ヲ為スモノナリト思量シ或ハ一方ハ他ノ一方ヲ以テ連帯債務者ナリト思量セシニ他ノ一方ハ保證義務ヲ負担スル意思アルニ止マリシトキノ如キハ則チ合意ノ性質ニ係リ錯誤アルモノナリ蓋シ此ノ如キ錯誤ハ實際生スルコト少ナカル可キヤ疑ナシト雖モ亦絶テ之レ無シト断言ス可カラス例ヘハ當事者ノ相談二箇ノ合意ニ渉リ而シテ其決答ヲ為スニ當リ完全ナル證書ヲ以テセスシテ一ノ書状ヲ以テシタルカ如キ塲合ニ於テハ間々此ノ如キ錯誤ヲ生スルコト有ル可シ此等ノ塲合ニ於テハ當事者各々着眼シタル所ノ合意異ナルカ故ニ意思ノ合致即チ承諾アラサルヤ明カナリ
(ロ) 合意ノ目的ノ錯誤◦例ヘハ賣買ノ如キ合意ヲ為サントスルニ當リ順次且各別ニ數夛ノ物件ニ付キ先ツ相談ヲ為シ而シテ最後ニ買主ヨリ書面ニテ相談ノ趣ヲ承諾セシ旨ヲ答ヘ言込ミタル物件ノ一ヲ買取ル可シト思料シ賣主ハ他ノ物ヲ賣渡ス可シト思量シタルトキノ如キハ則チ目的ニ係ル錯誤アルモノニシテ此塲合ニ於テハ亦意思ノ合致アラサルナリ但此錯誤ハ次條ニ規定スル所ノ物質ニ係ル錯誤ト混淆セサルコトヲ要ス
(ハ) 合意ノ原因及ヒ縁由ノ錯誤◦合意ノ原因ニ係ル錯誤ト其縁由ニ係ル錯誤トハ大ニ其結果ヲ異ニスト雖モ其性質甚タ相似タルモノナリ
原因ニ係ル錯誤ハ皮相視スレハ實際絶テ之レ無キカ如シ蓋シ先ニモ説明シタルカ如ク有名合意ニハ其性質上必ス原因ノ存スルモノニシテ其原因タル法律ニ之ヲ認メタルヲ以テ観ルモ亦必ス眞實ニシテ合法ナラサル可カラサルカ如シ然レトモ他人ノ物ノ賣買ノ如キハ虚妄ノ原因ノ為メ無効ナルモノニシテ以テ有名合意ニモ無原因ナルモノ有ル一例ト為ス可シ蓋シ該賣買ハ一面ヨリ之ヲ觀レハ賣主ノ處分スルコト能ハサル目的ヲ有スルニ因リ既ニ無効ナルモノナレトモ亦一面ヨリ之ヲ観レハ虚妄ノ原因ノ為メ換言スレハ無原因ノ為メ無効ナルモノナリ何トナレハ買主ハ合意ヲ取結フニ當リ所有權ヲ取得スルヲ目的トシタルニ非所有者ト契約シタルトキハ其目的ヲ達スルコト能ハサレハナリ
無名合意ニ至テハ當事者之ニ原因ヲ付スルモノナレハ之ニ関シ錯誤アルコト一層夛シ是ヲ以テ其原因或ハ錯誤ニ出ツルコト有リ或ハ虚事ニ係ルコト有リ或ハ不法ナルコト有リ然リ而シテ本條ニ定ムル所ハ原因ノ錯誤ニ出テタル塲合ノミ何トナレハ原因ニ関シ承諾ノ成立セサルハ獨リ此塲合ノミニ在レハナリ例ヘハ更改ヲ為スニ當リ當事者ノ一方ハ其嘗テ負擔シタル義務ノ一ヲ免ルルカ為メ新義務ヲ負担ス可シト思料シタルニ債権者ハ之ヲシテ他ノ義務ヲ免レシム可シト思料シタルトキノ如シ蓋シ此塲合ニ於テハ素ヨリ更改ノ原因アリ加之債務者ハ未タ消滅セサル数多ノ債務ヲ有スルカ故ニ數多ノ原因存スルコト有ル可シト雖モ同一ノ原因ニ付キ意思ノ合致アラサルカ故ニ亦承諾アラサルモノトス
又本條ハ縁由ニ係ル錯誤ハ合意ノ無効ヲ致スモノニ非サルコトヲ明記シ以テ學説上重要ナル点ヲ断定シタリ蓋シ縁由ニ係ル錯誤ハ承諾ヲ阻却スルモノニ非ス又之ニ瑕疵ヲ付スルモノニ非ス縦令当事者ノ一方ニ於テ詐欺ヲ行ヒ之カ為メ他ノ一方ヲシテ縁由ヲ誤ラシメタルトキト雖モ猶ホ本法ノ主義ニ依レハ承諾ノ瑕疵アリト謂フ可カラス唯不正ノ損害アルニ過キスシテ補償ヲ為スノ義務ヲ生ス可キノミ此事タル詐欺ノ事ヲ説明スルニ當リ之ヲ詳述ス可シ
是ヲ以テ合意ノ原因ト縁由トハ能ク之ヲ區別スルヲ必要トス
夫レ合意ノ原因モ縁由モ與ニ當事者ヲシテ合意ヲ為スニ決意セシムル所ノ理由ナリト雖モ原因ハ其直接ノ理由ヲ謂フモノニシテ縁由ハ其間接ノ理由ヲ謂フモノナリ
蓋シ俗語ニ於テハ原因ト云ヒ縁由ト云フモ與ニ同一ノ意義ヲ有スト雖モ法律語トシテ之ヲ用ヰルトキハ須ク之ヲ區別スルコトヲ要ス而シテ法律上之ヲ用ヰルモ亦共ニ行為ノ理由ノ謂ナリト雖モ其異ナル所ハ行為トノ関係直接ナルト間接ナルトニ在リ且合意ノ原因ハ概ネ唯一アルノミナレトモ縁由ニ至テハ其愈々間接ナルモノヲ探求セハ其数愈々多シトス
原因ト縁由トノ異ナル所夫レ此ノ如シ今其適例ヲ示シ次テ縁由ニ係ル錯誤ハ原因ニ係ル錯誤ト異ナリ無効ノ原因ニ非サル所以ヲ説明スヘシ
例ヘハ不動産ノ賣買ニ於テ合意ノ原因如何ヲ繹ヌレハ賣主ニ在テハ代價若クハ代價ノ債権ヲ得ル希望ニシテ買主ニ在テハ所有者タル希望ナリ然ルニ賣主及ヒ買主各其財産ヲ以テ他ノ財産ニ轉換スル縁由ニ至テハ果シテ如何是レ各自ノ便冝利益ニ基キ其人一身ニ限ル理由ニシテ法律モ對手モ敢テ干渉ス可カラサルモノナリ蓋シ賣主ハ其代價ヲ以テ或ハ商業ヲ營ミ或ハ工業ヲ企テ或ハ之ヲ貸與シテ利息ヲ得或ハ不動産ノ収入ニ比シ収得ノ一層確然且容易ナル用方ニ供セントスルコト有ル可シ又買主ハ不動産ヲ買入レ以テ貸借ノ為メ其元本ヲ損失スル危險ヲ免レント欲シ或ハ商店若クハ工塲ヲ設置セント欲シ或ハ單ニ自己ノ住宅ニ供セント欲スルコト有ル可シ是レ則チ合意ノ縁由タルモノナリ
又贈與ニ於テ贈與者カ原因トスル所ハ其親戚若クハ故舊タル受贈者ニ利益ヲ與へントスル希望ナリ然レトモ其之ニ利益ヲ與へントスルニ至リタル縁由ハ受贈者ノ貧困ナルカ為メナルカ将タ贈與者嘗テ受贈者若クハ其先代ヨリ恩誼ヲ蒙リタルカ為メナルカ此等ノ縁由ニ至テハ千状萬態ニシテ枚擧ニ暇アラス各當事者ノ理由トスル所ヲ知ルヲ得ル者ハ獨リ本人ノミ
以上例示セル塲合ニ於テ當事者ノ一方縁由ニ付キ錯誤アルモ之カ為メ合意ノ結果ヲ免ルルコトヲ得ス若シ之カ為メ合意ノ結果ヲ免ルルヲ得ルトキハ他ノ一方ヲシテ其與カラサリシ過失ノ為メ損害ヲ被ラシムルニ至ル可シ唯他ノ一方詐欺ヲ行ヒ對手ヲシテ縁由ヲ誤ラシメタルトキハ損害賠償トシテ合意ヲ取消スヲ得ルニ至ルコト有リ(参看第三百十二條)
(ニ) 身上ノ錯誤◦凡ソ合意ヲ取結フニ當リ對手其人ノ如何ハ大ニ結約ノ理由ト為ルモノニシテ贈與、使用貸借、寄託、代理、保證ノ如キ無償合意ニ於テハ決意ノ主タル原因タルモノナリ此塲合ニ於テ當事者ノ一方他ノ一方其人ヲ誤ルトキハ其合意ハ承諾ナキカ為メ又併セテ虚妄ノ原因ノ為メ無効ナルモノナリ
有償合意ニ於テモ當事者ノ一方主トシテ他ノ一方ノ才能、技藝ニ着眼シテ取結フ契約ニ付テハ人ノ身上ニ付テノ着眼ヲ以テ決意ノ原因ト為スコト有リ例ヘハ債權者一身ニ隨従ノ雇人ノ勤務ノ如キ又ハ工藝學術ノ應用ノ如キ作為ヲ目的トスル契約ニ於テハ則チ然リトス
又身上ノ着眼僅ニ決意ノ原素ノ一タルニ過キスシテ他ニ其原素タルモノ在ルコト有リ例ヘハ有期ノ賣買、賃貸借、利息附貸借ノ如キ契約ニ於テハ無資力ノ危險アルカ為メ債務者ノ身上ニ着眼スルモノナリ又仕事受負契約ニ於テハ要約者債務者ノ技藝ニ着眼セサルニ非サルモ其着眼ハ唯附隨ノ原因ニ過キサルナリ
又結約者何人タルモ合意ノ効力ニ影響ヲ及ホササル塲合アリ例ヘハ現金賣買、質若クハ抵當アル利息付ノ貸借其他一ニ利益ヲ旨トシ毫モ恩恵ノ意思ナク且毫モ損失ノ恐ナキ契約ニ於テハ則チ然ルモノナリ
又前記ノ理由ニ因リ有償合意ニ於テハ債務者債権者其人ヲ誤リタルノミニテハ概ネ合意ノ効力ヲ損ゼサルモノトス蓋シ債権者其人如何ニ依リ其訴追ヲ為スニ當リ寛嚴ノ度ヲ異ニスルコト有ル可シト雖モ決シテ其債権額ノ外請求スルコトヲ得ルモノニ非サレハナリ
是ヨリ本條ノ適用ヲ示サンニ身上ノ着眼ヲ以テ決意ノ理由ト為シタルトキハ其着眼ハ合意ノ原因タルカ故ニ身上ノ錯誤ハ畢竟原因ノ錯誤ニ外ナラスシテ承諾ヲ阻却スルモノナリ例ヘハ贈與者其遠系ノ親族若クハ朋友ノ子ニ贈與ヲ為サント欲シタルモ之ト面識ナキカ為メ双方ノ錯誤若クハ詐欺ニ因リ他人其贈與ヲ受取リタリトセン此贈與ハ贈與者ノ承諾ナク原因虚妄ナルカ為メ無効ナルモノナリ又贈與者受贈者其人ヲ誤リタルトキモ亦其贈與ハ無効ナリ蓋シ贈與者異ナルトキハ受贈者ニ於テ贈與者其人ノ徳行ニ乏シキヲ快シトセス又ハ其財産ノ出所不正ナルコトヲ恐レ之ヨリ贈與ヲ受クルコトヲ承諾セサルコト有ル可ケレハナリ
使用貸借ニ付テモ亦同一ノ理由ニ因リ同一ノ論決ヲ下ス可キナリ
代理ニ於テモ亦身上ニ付テノ着眼ヲ以テ双方決意ノ原因ト為スモノナリ蓋シ委任者ハ何人ヲ問ハス其利益ヲ委託スルモノニ非ス又代理人モ其識ラサル人ノ為メニ代理ノ労務ト責任トヲ受託スルモノニ非サルナリ寄託ニ於ケルモ亦同シ
保証ニ至テハ債権者、主タル債務者及ヒ保証人ノ三者利害ノ関係ヲ有スルヲ以テ何人カ錯誤シ又何人ヲ錯誤シタルカヲ區別スルコトヲ要ス即チ債権者ニ於テ債務者若クハ保証人ノ身上ニ付キ錯誤アリタルトキハ資力ノ点ヲ誤リタルニ過キサルヲ以テ其錯誤ハ前ニ示シタル第二種ノ錯誤ニ属シ本条末項ヲ適用ス可キモノナリ又債務者債権者其人ヲ誤マリタルトキハ其錯誤ハ第三種ノ錯誤ニ属シ合意ニ影響ヲ及ホスモノニ非ス又債務者保証人其人ヲ誤リタルトキハ其知ラサル人若クハ其信重セサル人ヨリ恩恵ヲ受クルヲ欲セサルコト有ルカ故ニ其人ノ保證ヲ承引セス他ノ保証人ヲ出スコトヲ得ヘシ而シテ其保証人ニシテ前保証人ト同一ノ資力ヲ有スルトキハ債権者之ヲ拒絶スルコト得ス然レトモ保証人其保証スル処ノ債務者其人ヲ誤リタルトキハ大ニ合意ニ影響ヲ及ホスモノナリ蓋シ此塲合ニ於テハ一切ノ無償合意ニ於ケルカ如ク身上ニ付テノ着眼ヲ以テ決意ノ原因トスルカ故ニ保証ハ承諾ノ欠缺原因ノ虚妄ナルカ為メニ無効ナリ
之ヲ要スルニ有償合意ニ於テハ債務者ノ身上ニ付テノ着眼合意ノ附随ノ原因タルコト多ク決意ノ原因タルコト甚タ罕レナリ唯僅カニ仕事ノ受負契約若クハ雇傭契約ニ於テハ船舶ノ製造宮殿ノ建築若クハ複雑ナル器械ノ製造ノ如ク特種ノ技術ヲ要シ又ハ會計役ノ任用ノ如キ篤実正直ヲ要スルコトアルカ故ニ身上ノ着眼ヲ以テ決意ノ原因ト為スコトアリ此等ノ塲合ニ於テハ裁判所宜シク事実ノ情況ヲ斟酌シ就中仕事若クハ役務ノ性質ヲ考ヘ以テ当事者ノ意思ヲ認定ス可シ
第三百十条
本条ニ規定スル所ハ「目的物本体」ニ存スル錯誤ニ非スシテ其物質ニ損スル錯誤ナリ此錯誤ハ目的物本体ノ錯誤ニ比スレハ実際更ニ多ク契約ヲシテ当然無効タラシメサルモ之ヲシテ取消スコトヲ得ヘカラシムルモノナリ
然リ而シテ物質ノ錯誤ニ因リ承諾ニ瑕疵ヲ及ホスハ錯誤ニ係ル物質多少合意ノ原因タルトキニ限ル然ラスンハ單ニ縁由ノ錯誤アルニ過キスシテ合意ノ効力ニ何等ノ影響ヲモ及ホスコトナシ然レトモ亦其物質一ニ決意ノ原因タラザリシヲ要ス若シ一ニ決意ノ原因タリシトキハ合意ハ当然無効タル可シ故ニ錯誤ニ係ル物質合意ノ附随ノ原因タルニ足ル可ク而モ其決意ノ唯一ノ原因タラサルトキ詳言スレハ当事者カ合意ヲ為スニ当リ期図シタル処ノ主タル物質ノ一ニシテ法文ニ所謂品質タルトキニ非サレハ承諾ノ瑕疵ト為ルモノニアラス
品質トハ物体ヲ組織スル原素ニシテ鑛物ト植物トノ相異ナルハ即チ其品質ノ異ナルカ故ニシテ又鑛物ニ金、銀、銅、鐡、鉛、石等ノ差アリ植物ニ種々ノ樹木ノ差アルモ亦其品質ノ異ナルニ因ル
抑々当事者ノ一方合意ノ目的物ノ品質ヲ誤ルトキハ其錯誤重大ナルヘシト雖モ是レ当事者大ニ其品質ニ着眼シタル時ノミ然ルニ実際当事者毫モ品質ニ着眼セサルコト往々之レ有リ而シテ軽微ナル錯誤ノ為メ当事者漫ニ契約ヲ觧除スルヲ得ルハ其当ヲ得タルモノニ非サル可シ又之ニ反シ物ノ性質ニシテ品質タラサルモ決意ノ原因タリシモノアル可キカ故ニ其錯誤ヲ措テ顧ミサルトキハ亦其宜キヲ得タルモノト謂フヘカラス
是ヲ以テ裁判所ハ当事者ノ一方カ錯誤シタル品質若クハ品格果シテ之ヲシテ決意セシメタルモノナルヤ否ヤヲ審按シ其決意ノ原因タリシトキハ承諾ニ瑕疵アルカ故ニ其合意ヲ取消ス可シ然レトモ品質若クハ品格錯誤者ノ合意ノ附随ノ原因タルニ過キサリシトキハ其合意ノ効力ヲ存ス可シ但一方ノ者他ノ一方ノ詐欺ノ為メ錯誤ニ陥リタルトキハ之ニ対シテ損害賠償ヲ求ムルコトヲ得
此点ニ付キ本条ニ一ノ推定ヲ下シ品質ハ当事者ノ決意ヲ助成スルモ品格ハ然ラサルモノト看做シタリ但何レノ塲合ニ於テモ反対ノ証據アルトキハ此限ニ在ラス
思想上ノ品格ニ至テハ之ヲ形体上ノ品格ト同一視シ毫モ当事者ノ決意ヲ助成スルモノニ非スト推定シタリ然レトモ亦反証アルトキハ此限ニ在ラス
合意ノ履行ノ時期及ヒ塲所ハ当事者ノ一方ノ決意ヲ助成スルコトナキニ非ス故ニ此点ニ付キ錯誤アルトキハ合意ノ取消ヲ求ルヲ得サル可カラス
末項ハ書損ト称スル錯誤即チ算数、氏名、証書ノ日附又ハ塲所ノ錯誤アル塲合ヲ規定スルモノニシテ第五百五十九条ヲ援用セリ蓋シ此錯誤ハ契約取消ノ理由タル可キモノニ非ス唯証書改正ノ理由タルニ過キス而シテ其改正訴権ハ時効ニ罹ルコトナキモノニシテ其理由ハ第五百五十九条ニ至リ之ヲ説明ス可シ
以上軽重ヲ異ニスル諸種ノ錯誤ヲ説明シタリ今其説明ヲ終ルニ臨ミ一ノ注意ヲ喚起セン抑モ錯誤ハ其軽重ニ從ヒ合意ヲシテ無効タラシメ或ハ之ヲシテ單ニ取消スコトヲ得ヘカラシムト雖モ亦錯誤者ノ軽忽ニ出ツルコトナシトセス又実際屡々之レ有ルナリ其対手ノ詐欺ニ出テタル塲合ハ第三百十二条ニ規定スト雖モ然ラスシテ却テ錯誤者ニ多少責ヲ帰スヘキトキハ之ヲシテ対手ニ賠償ヲ為サシム可キヤ当然ナリ蓋シ対手ハ其合意ヲ確定ノモノト看做シ之カ為メ利益ヲ期シタリシニ他ノ錯誤ノ為メ其利益ヲ失ヒ或ハ之カ為メ他ニ同一ノ契約ヲ為スノ機會ヲ失フコトナシトセズ此塲合ニ於テハ錯誤者ヲシテ損害賠償ノ責ニ任セシム可キヤ至当ナリ又或ハ之ニ反シ当事者ノ一方詐欺ナキモ其過失ノ為メニ他ノ一方ヲシテ錯誤セシムルコトアリ例ヘハ書信ヲ以テ契約ノ言込ヲ為スニ当リ目的物ノ品質若クハ品格ヲ明示セサリシトキノ如キ即チ是ナリ此ノ如キ塲合ニ於テハ裁判所ハ錯誤ノ因テ起ル所当事者一方ノ過失ナルカ将タ全ク意外ノ事情ナルカヲ考察シ又過失懈怠アルトキハ何レノ当事者ニ其責ヲ帰ス可キカヲ審査セサル可カラス而シテ取消ヲ請求スル者ニ懈怠ノ責アリタルトキハ之ヲシテ對手ニ加ヘタル損害ヲ賠償セシメ尚ホ其過失重クシテ取消ノ損害極メテ大ナルトキハ取消ヲ認許セサルコトヲ得蓋シ損害ヲ償ハンヨリ之ヲ加ヘサルニ若カサレハナリ
第三百十一条
本条ハ古来諸國ニ於テ論議アリタル重要ナル問題ヲ断定スルモノナリ即チ法律上ノ錯誤ニ因リ承諾ニ瑕疵アルトキハ事実ノ錯誤ニ付キ定メタル區別ニ從ヒ或ハ当然合意ヲ無効トシ或ハ之ヲシテ取消シ得ヘキモノタラシムルコトヲ定ムルモノナリ
抑モ何人タリトモ「法律ヲ知ラスト看做ス可カラス」トノ格言ハ論者ノ概ネ原則ナリト称スル所ノモノナレトモ本条ハ法律ノ錯誤ノ為メ合意ヲ攻撃スルコトヲ認許シ以テ此格言ニ拘泥セサルコトヲ示シタリ唯第三項ニ於テ此原則ヲ適用シタリト雖モ是レ其適用ヲ至当ノ範囲ニ限定シタルニ過キス
本条ニ規定スル所ノ法律ノ錯誤ニ五種アリ曰ク合意ノ性質ニ存スル錯誤曰ク其法律上ノ効力ニ存スル錯誤曰ク其原因ニ存スル錯誤曰ク其目的物ノ資格ニ存スル錯誤曰ク共約者ノ分限ニ存スル錯誤即チ是レナリ以下其適例ヲ示シ逐次之ヲ説明セン
(イ)合意ノ性質ニ関シ事実ノ錯誤アル塲合如何ハ前已ニ之ヲ説明シタリ
合意ノ性質ニ関シ法律ノ錯誤アルハ当事者ノ一方契約ニ付シタル名称ヲ誤マリタル塲合ニ在リ例ヘハ使用貸借ヲ消費貸借若クハ賃貸借ト誤觧シ或ハ賃貸借ヲ永貸借ト或ハ保証ヲ連帯ト誤觧スルカ如キ即チ是レナリ斯ノ如キ錯誤アル塲合ニ於テハ結約者眞ニ承諾ヲ為シタルモノニ非スシテ双方ノ意思投合一致セサルヤ明カナリ
(ロ)契約ノ法律上ノ効力ニ付キ錯誤アリタルトキモ亦同一ノ結果ヲ生スへシ但前ノ塲合ト異ナル所ハ当事者賣買若クハ賃貸借ノ如キ一ノ有名合意ヲ為スコトヲ了觧スルモ其効力ヲ知ラス若シ之ヲ知リシナラハ結約セサル可キニ之ヲ知ラサリシカ故ニ結約シタルニ在リ例ヘハ賣主法律上追奪担保ノ義務又ハ隠レタル瑕疵アルヲ知ラサル塲合ニ於テモ猶ホ其担保ノ義務ヲ負担スルコトヲ知ラサリシトキ又ハ賃貸人賃貸物ノ平穏ナル占有ヲ担保シ且其終始収益セシムルノ義務アルコトヲ知ラサリシトキノ如シ此塲合ニ於テハ当事者契約ニ因リ負担スル義務ヲ詳知セシナラハ之ヲ取結ハサルカ又ハ一層高額ナル代價ヲ要約スルカ又ハ代價ヲ減シテ特ニ其義務ヲ免カル可キ旨ヲ要約ス可カリシコトヲ証明シ以テ其義務ヲ脱却スルヲ得ヘシ
又賣主若クハ賃貸人法律ニ於テ特別ノ要約ナケレハ之ニ付與セサル所ノ権利アリト信シタルトキノ如キモ亦法律ノ錯誤アルモノナリ例ヘハ賣主法律上有セサル所ノ先取特権アリト誤信シ又ハ法律ニ於テ或ル条件ヲ履行シタル後ニ非サレハ之ニ先取特権ヲ付与セサルニ其条件ヲ知ラスシテ之ヲ履行セサリシモ猶ホ先取特権アリト誤信シタルトキノ如シ又賃貸人収穫物其他賃貸物ヨリ生シタル産出物ニ係ル先取特権ニ付キ同様ノ錯誤ヲ為スコトアリ斯ノ如ク法律ヲ錯誤シタル当事者モ亦右ノ利益ナキコトヲ知リシナラハ結約セサリシコトヲ証明シ以テ合意ノ結果ヲ免ルルコトヲ得
(ハ)契約ノ原因ニ存スル法律ノ錯誤ハ更改ノ塲合ニ於テ其実例ヲ見ルコトアリ例ヘハ当事者ノ一方法律上旧義務ヲ負担シタリト信シ之ヲ免カレンカ為メ他ノ義務ヲ承諾シタルニ其後ニ至リ前義務ノ初メヨリ無効ナルカ又ハ法律上ノ相殺若クハ混同ニ因リ消滅シタリシコトヲ発見シタリトセン此塲合ニ於テハ事実上錯誤アルニ非ス之ヲ支配スル法律ノ規定ニ付キ錯誤アルモノナレハ所謂法律ノ錯誤アリ從テ新義務ハ虚妄ノ原因ノ為メ即チ無原因ノ為メ無効ナリ
(ニ)契約ノ目的タル物ノ資格即チ当事者ヲシテ決意セシメタル所ノ主タル性質ニ関シ法律ノ錯誤アルコト有リ唯此点ニ付テハ法律ノ錯誤アルコト事実ノ錯誤ニ比シ一層少ナシ今実際多ク生ス可キ塲合ヲ挙クレハ当事者ノ一方目的物ノ公有タルヲ誤マリ融通物ナリト信シ又ハ譲渡シ得ヘカラサル物ヲ譲渡シ得ヘキモノト信シ又ハ法定ノ不動産タル権利ヲ動産ナリト信シタル塲合ナリ斯ノ如キ錯誤モ亦事実ノ錯誤ト同シク当事者ニ損害ヲ及ホスヲ以テ当事者ハ其錯誤ヲ申立テ義務ヲ免ルルコトヲ得
(ホ)又当事者ヲシテ決意スルニ至ラシメタル人ノ分限ニ付キ法律ノ錯誤アル塲合アリ例ヘハ相續人ニ非サル親属ヲ以テ相續人ト誤認シ之ト共ニ相続ノ分割ヲ為シ又ハ債権者若クハ債務者ノ相続人ト認メタル者ト和觧ヲ為シタルニ其人相続人タルノ分限ヲ有セサルニ因リ有効ニ和觧スルコト能ハサルヲ発見シタルトキノ如シ又賣主賣渡物ノ所有者タラサルニ其買主ニ示シタル証書ヲ買主ニ於テ誤觧シタルヨリ賣主ヲ眞ノ所有者ナリト誤認シタルトキノ如キ若シ買主当初ヨリ事実ヲ知リシナラハ他人ノ物ノ賣買無効ナルヲ以テ賣買契約ヲ為ササリシヤ明カナリ
以上叙述セル塲合ニ於テハ法律ノ錯誤畢竟契約ノ原因ノ錯誤ニ帰着スト謂フヲ得ヘシ而シテ其原因契約ノ主タル原因ナルトキハ其契約ハ全ク無効ナル可ク又単ニ附随ノ原因タルニ過キサルトキハ其契約ハ取消スコトヲ得ヘキノミ法文ニ「法律ノ錯誤ハ承諾ヲ阻却シ又ハ其瑕疵ヲ成ス」ト云ヘルハ即チ此区別アルカ為メナリ
然リ而シテ法律ヲ誤マリタル者ニ加ヘタル本条ノ保護ハ「何人タリトモ法律ヲ知ラスト看做ス可カラス」ト云ヘル規則ト矛盾スルカ如キモ其実然ルニアラス本条第二項及ヒ第三項ニ於テ該規則ノ適用ヲ示シ以テ彼此其範囲ヲ定メタリ
既ニ事実ノ錯誤ニ付キ述ヘタルカ如ク事実ノ錯誤ヲ為シタル者スラ猶ホ其錯誤ノ責ヲ之ニ帰スヘキト否トニ從ヒ多少其錯誤ノ結果ヲ免カルル能ハサルコト有リ法律ノ錯誤ニ至テモ亦同様ナルノミナラス猶ホ其錯誤ハ一層宥恕シ難キモノナリ蓋シ法律ノ存否ヲ知リ又ハ其条項ノ意義ヲ知ルハ敢テ難事ニ非ス若シ当事者疑團ヲ抱クトキハ宜ク多少経験アル人ニ就キ法律ノ点ヲ質問スヘシ自ラ怠テ法律ヲ誤リタルトキハ之ヲ宥恕スヘカラス是レ法文ニ「裁判所ハ宥恕ス可キ情状アルニ非サレハ合意ノ無効ヲ認許スルコトヲ得ス」ト云ヘル所以ナリ
然レトモ法律ヲ挙テ之ヲ知ルハ未タ衆人ノ必スシモ得テ能クスル所ニアラス縦令民法ノ法典アルモ其文辞通俗ナラス是故ニ如何ニ其編纂ニ意ヲ用ユルコト周到綿密ナルモ未タ疑義ナキヲ期ス可カラス法律家スラ猶ホ疑惑ヲ抱クコトアリ実ニ何レノ邦國ニ於テモ法学者裁判官共ニ法律ノ難問ニ苦ミ其説ヲ異ニスルコト甚タ多シ本邦ニ於テモ亦此結果ヲ免カルルコト能ハサル可シ故ニ法律ヲ誤マリタル当事者ハ啻ニ其善意ノミナラス法律ヲ知リ其意義ヲ觧スルコト能ハサリシ理由ヲ証明シ以テ其錯誤ノ結果ヲ免カルルコトヲ得サル可カラス此点ニ付テハ裁判所宜ク合意ノ日常行ハルルモノナルヤ将タ極メテ稀ナルモノナルヤ原告ノ社會ニ占ムル所ノ位置、其法律ヲ知ルノ手段アリシヤ否ヤヲ斟酌シ併セテ他ノ当事者ニ加フ可キ保護ヲ酌量シ以テ判決ヲ為ササル可カラス
「何人タリトモ法律ヲ知ラスト看做ス可カラス」ト云ヘル原則ニ至テハ第三項ニ之ヲ責罰、失権其他公ノ秩序ニ係ル法律ニ適用シタリ左ニ其理由ヲ説明セン
責罰ハ行為ノ性質上何人タリトモ直チニ不正ナリト認ムルヲ得ヘク從テ法律ニ禁シタル行為ノ制裁タルモノナリ若シ事ノ善悪ニ付キ疑アラハ須ク慎テ其事ヲ為ササル可キノミ
時期若クハ法律ニ定メタル行為ノ違式ヨリ生スル失権ハ原ト権利ノ行用ヲ受ク可キ他ノ当事者ノ為メ又ハ公ノ秩序、一般ノ安寧ノ為メニ定ムルモノニシテ保護ノ趣意ニ出ルモノナリ是ヲ以テ当事者一方ノ錯誤ノ為メ他ノ一方ニ損害ヲ及ホシ又ハ公衆ノ安寧ヲ害スルコトヲ縦容ス可カラス例ヘハ法律不知ノ為メ時効ニ因リ権利ヲ消滅セシメ又ハ権利保存ノ為メ定メタル訴訟手続ノ方式ニ從ハサリシ塲合ノ如シ
「公ノ秩序ニ係ル法律、規則ノ不知」ナル語ハ其意義極メテ廣シ故ニ実際当事者ヲシテ法律ノ錯誤ノ結果ヲ免カレシムルトキハ公ノ秩序ニ反スルヤ否ヤハ一ニ裁判所ノ査定ニ委ス可キ所ナリ今毫モ疑ヲ容レサル実例ヲ挙クレハ有式合意ニ於テ履行スヘキ方式、不動産物権ノ設定若クハ移轉ニ必要ナル公示、利息ノ制限ニ関スル法律ノ錯誤ノ塲合ノ如キ即チ是ナリ
尚ホ此他ノ法律ノ錯誤ヲ宥恕ス可カラサル塲合アリ例ヘハ他人ノ物ノ占有者ノ如キハ果実ヲ取得シ又ハ短期ノ時効ヲ得ルカ為メ法律ノ錯誤ヲ申立テ以テ其善意ノ理由ト為スコト能ハス
第三百十二条
詐欺ハ直チニ其一事ニテ承諾ノ瑕疵ト為ルモノニ非ス唯加害行為タルニ過キスシテ之カ為メ生シタル損害ヲ賠償スル義務ヲ発生セシムルノミ但時トシテハ詐欺ノ為メ取結ヒタル合意ノ取消ヲ言渡スコト有ルモ是レ補償ノ名義ヲ以テスルニ過キスシテ善意ノ第三者ニ此取消ノ効力ヲ及ホスコト能ハス
此規定ヲ説明スルニ当リテハ先ツ当事者ト共謀セサル第三者詐欺ヲ行フモ唯此第三者ヲシテ賠償ノ責ニ任セシムルニ過キサル所以テ論明セサル可カラス抑々詐欺ヲ行ヒタル人ノ如何ニ從ヒ詐欺ノ行為其性質及ヒ程度ヲ異ニシ当事者之ヲ行ヒタルトキハ承諾ノ瑕疵ト為リ第三者之ヲ行フタルトキハ毫モ承諾ノ効力ヲ損セストスルハ條理ノ容レサル所ナリ之ニ反シ錯誤ニ至テハ其何レノ点ニ存スルヲ問ハス法律ハ毫モ其由テ来ル所ヲ区別スルコト無ク又之ヲ區別ス可キニ非サルナリ蓋シ錯誤ハ錯誤者ノ自ラ陥リタルト他ノ当事者若クハ第三者ノ過失ニ起因スルトヲ問ハス必ス承諾ノ瑕疵タルモノナリ強暴ニ至テモ亦之ヲ行ヒタル者如何ヲ問ハス毎ネニ承諾ノ瑕疵ト為ルモノナリ斯ノ如ク詐欺ノ錯誤及ヒ強暴ト大ニ其合意ノ効力ニ及ホス影響ヲ異ニスル所以如何此問題ヲ決スルニハ先ツ詐欺ノ何者タルヲ論明スルヲ要ス抑々詐欺トハ果シテ何ヲ謂フカ羅馬法学者其定義ヲ下シテ曰ク「詐欺トハ一物ヲ仮粧シ以テ他物ト為スヲ謂フ」ト又曰ク「詐欺トハ人ヲシテ錯誤ニ陥ラシムルカ為メ用ヰル所ノ術数計策ヲ謂フ」ト然レトモ同学者モ亦未タ一切ノ計策ヲ以テ詐欺ト為シタリシニ非ス各当事者正当ニ其利益ヲ計リ成ル可ク合意ニ因リ私得スル所アルカ為メ智計ヲ用ヰルカ若キハ敢テ詐欺ト看做ササリシ此点ニ付キ同学者ハ善良ナル詐欺ト不正ノ詐欺トヲ區別シ不正ノ詐欺ノミ独リ攻撃スルヲ得ヘキモノトシタリ然レトモ近世ニ至テハ詐欺トハ必ス不良ナル計策ヲ謂ヒ「当事者ヲ誤ラシムルコトヲ目的トシ且此目的ヲ達シタル詐術」ノ意義ヲ有ス
是ニ由テ之ヲ観レハ錯誤ハ詐欺ヨリ生スル直接ノ損害ニシテ詐欺ノ果シテ承諾ノ瑕疵タルヤ否ヤヲ決スルニ当テハ先ツ之カ為メ如何ナル錯誤ヲ生シタルヤヲ考究スルヲ要ス
若シ詐欺ノ為メ第三百九条ニ列記シタル錯誤ヲ惹起シタルトキ即チ合意ノ性質、其目的、其原因、又ハ当事者其人ヲ以テ決意ノ原因トシタルトキ其身上ニ錯誤アルトキハ承諾ナキカ故ニ合意当然無効ニシテ錯誤ノ詐術ニ起因セルト当事者自ラ錯誤シタルトヲ問ハス合意ノ結局無効タルニ至テハ敢テ異ナルコト無シ唯詐欺アリタルトキハ損害賠償ヲ併セ求ムルヲ得ルノミ
又詐欺ノ為メ生シタル錯誤カ第三百九条第三項ニ規定シタル塲合ニ於テ当事者ノ身上ニ存スルカ又ハ第三百十条ニ所謂物ノ品質ニ存スルトキハ承諾ニ瑕疵アリト雖モ是レ詐欺アリタルカ為メニ非スシテ錯誤アルカ為メナリ
此他ノ錯誤ニシテ詐欺ノ為メニ生スルコト有ル可キモノ如何蓋シ当事者ノ身上ノ着眼ヲ以テ合意ノ原因トセサルトキ其身上ノ錯誤、物ノ品質ノ錯誤及ヒ縁由ノ錯誤アルノミ然ルニ此等ノ錯誤ハ前ニ説明シタルカ如ク要諾ノ瑕疵ト為リ合意ノ無効ヲ来スカ如キ重大ノ物ニ非サルナリ而シテ其当事者自ラ招キタルニ非ス詐欺ニ由来シタルモノナルトキト雖モ敢テ之カ為メニ其性質ヲ変ス可キニ非ス唯其詐欺ニ起因シタルトキハ其詐欺ハ加害行為タルカ故ニ加害者須ラク之ヲ補償スルノ責ニ任ス可キノミ故ニ此塲合ニ於テ存スル所ノ義務ハ契約ヨリ生スルニ非スシテ民事犯罪ヨリ生スルモノナリ
以下其補償ノ方法如何ヲ述ヘシ
凡ソ何レノ塲合ニ於テモ不正ニ加ヘタル損害ヲ補償スルニハ金銭ヲ以テセサル可カラス此方法タル詐欺ヲ行フタル者結約者ニ非サルトキハ一ニ之ヲ用ヰルヲ得ルノミ又結約者カ詐欺ヲ行フタルトキト雖モ其詐欺合意ノ成立ニ影響ヲ及ホサス当事者ヲシテ承諾スルノ意ヲ決セシムメタルニ非スシテ唯不利益ナル条件ヲ受諾セシメタルニ過キサルトキハ亦然リトス例ヘハ賣渡物ノ附從ノ品格ニ付キ詐欺アリタルトキノ如シ是レ論者カ所謂附帯ノ詐欺ナルモノナリ之ニ反シ結約者ノ行フタル詐欺、主タル詐欺ナルトキ例ヘハ縁由ニ関シ詐欺アリタルトキハ金銭ノ賠償ヲ以テ十分ニ損害ヲ補償スル能ハサルコト少ナシトセス故ニ此塲合ニ於テハ当事者ヲシテ其旧位置ヲ復セシメ之ヲシテ損害アル合意ヲ觧脱セシムルヲ單簡且至当ト為ス
其レ此ノ如ク詐欺ノ為メ補償ノ名義ヲ以テ合意ヲ取消スモ其取消ハ承諾ノ瑕疵アリタルカ為メ言渡ス所ノ取消ト同一ノ性質ヲ有スルモノニ非ス此二者ノ間ニハ三箇ノ差異ノ存スルアリ
第一、詐欺ヲ以テ取結ハシメタル合意ノ譲渡ニシテ而シテ其目的物他ノ合意ニ因リ毫モ詐欺強暴ニ与ラサル第三者ノ掌裡ニ移リタルトキハ前ノ譲渡不動産ヲ目的トスルモノタルトキト雖モ猶ホ轉得者ノ損害ヲ顧ミスシテ之ヲ取消スコトヲ得ス然ルニ承諾ノ瑕疵アルニ因リ合意ヲ取消シタルトキハ後ニ規定スルカ如ク轉得者ニ対シ其取消ノ効力ヲ及ホスコトヲ得此第一ノ差異ハ本条末項ニ明示スル所ナリ
第二、結約者数人ニシテ其一人ノミ詐欺ヲ行ヒタルトキハ合意ヲ取消スコトヲ得ス是レ詐欺ニ関セサル者ニ取消ノ効力ヲ及ホス可カラサルカ故ナリ此差異タル偏ニ公義條理ニ基クモノニシテ本条末項ノ律文ニ就テ見レハ自カラ明瞭ナリ同項ニ依レハ当事者ノ一方カ詐欺ヲ行ヒタルトキニ非サレハ補償ノ名義ニテ合意ヲ取消スコトヲ許ササルカ故ニ当事者ノ一方数人ナルトキハ其数人共ニ詐欺ヲ行ヒタルトキニ非サレハ之ヲ適用ス可カラス
第三、詐欺ノ補償訴権ハ純ラ対人訴権ナルカ故ニ単ニ損害賠償ノ債権ニ過キスシテ合意ヲ取消スハ其特殊ノ方法タルノミ故ニ欺カレテ譲渡ヲ為シタルモ詐欺ノ為メ何等ノ優先取権ヲモ生スルコト無キヲ以テ詐欺ヲ行ヒタル者無資力ト為リタルトキハ縦令譲渡物件尚ホ其所有ニ属スルトキト雖モ猶ホ其物ハ総債権者ノ担保トナリ其共同ノ利益ノ為メニ賣却スルモノトナリ詐欺ヲ被リタル譲渡人ハ自己ノ損失ニ應シ賠償ヲ受クルカ為メ債権者ト共ニ分配ヲ受ケサル可カラス然ルニ承諾ニ瑕疵アルカ為メ合意ヲ取消シタルトキハ其合意ニ因リ権利ヲ取得シタル者ノ債権者ニ其取消ノ効力ヲ及ホス可シ何トナレハ此場合ニ於テハ原告ハ其未タ曽テ失ハサリシ物権ニ依リテ請求ヲ為スモノナレハナリ此差異タル一般ノ原則ノ自カラ然ラシムル所ニシテ特ニ法文アルヲ要セサルナリ
第三項ニ依レハ被害者ハ合意ヲ取消スノ外損害賠償ヲ求ムルコトヲ得ルモノトス是レ亦原則ニ照シ考フルトキ自カラ然ルヘキ所ナリト雖モ亦法律ニ明示スルヲ可ナリト認メタリ
第三百十三条
凡ソ強暴ハ承諾ノ瑕疵ト看做スニ過キサルモノナリ是レ羅馬法ノ理論ニシテ同法ニ於テハ「強制スルモ意思ハ即チ意思ナリ」ト云ヘリ是ヲ以テ近時ノ学者亦曰ク強暴脅迫ノ為メ意ヲ枉ケタルモノハ危害ノ最モ軽キモノヲ選ミ甘ンシテ是ヲ受ケタルモノナルカ故ニ利害得失ヲ考ヘ以テ承諾シタルモノナリ故ニ強暴ハ單ニ承諾ノ瑕疵タルニ過キスシテ之ヲ阻却スルスルモノニ非サルナリト
然リト雖モ又強暴ノ力至大ニシテ到底之ニ抵抗スルコト能ハス随テ利害ヲ考フルノ暇ナカラシメ之カ為メ結約シタルモ結約意思モナク又承諾モ無キ塲合ナシト概言ス可カラス唯斯ノ如キハ殺害又ハ放火ノ脅迫アリ而シテ其脅迫実行ノ危害急迫ナルトキ例ヘハ当事者ノ身体ヲ束縛シ又ハ其護身器ナキニ当リ兇器ヲ其胸ニ擬シ以テ之ニ義務ヲ約束シ又ハ権利ヲ譲渡ス可キコトヲ迫リタル塲合又ハ残虐拷掠ノ手段ヲ用ヒタル場合ノ外殆トエ絶テ之レ無カル可シ然レトモ偶々斯ノ如キ場合カラハ縦令言語若クハ挙動ヲ以テ同意ヲ表スルモ毫モ眞ニ意思アリタリト謂フ可カラス
又本条ハ不可抗力ニ出テタル急迫ノ災害ヲ避ケ救助ヲ求ルカ為メ資産ノ全部若クハ多分ヲ約シタル塲合ヲ以テ前項説ク所ノ塲合ト同一視シタリ蓋シ其合意タル法文ニ云ヘルカ如ク過度又ハ無思慮ナルモノニシテ時ノ古今ヲ問ハス國ノ東西ヲ論セス往々実例アリテ裁判上至難ノ紛議ヲ生シタル所ナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ危害ノ経過シタル後ニ至リ嘗テ過度ナル義務ヲ約シ又ハ無思慮ナル譲渡ヲ為シタル者其意思自由ナラス加之毫モ意思ナカリシカ為メ其義務、譲渡ヲ認ムルヲ欲セサルヘシ然レトモ裁判所ハ其義務又ハ譲渡ノ範囲ヲ減少スルコト能ハス若シ之ヲ許ストキハ即チ裁判所ヲシテ好意ヲ金銭ニ見積ルヲ得セシムルモノト謂ウ可シ然ルニ厚意ハ決シテ金銭ニ見積ルヲ得ヘキモノニ非サルナリ是ヲ以テ其合意無思慮ナルニ非サレハ其効力ヲ全ウス可ク又其過度ニシテ絶テ承諾ナシト認ムルトキハ毫モ其効力ナシトセサル可カラス是レ本条第二項ニ明定スル所ナリ勿論此塲合ニ於テモ裁判所ハ請求ニ應シ救助ヲ為シタル者ヲシテ賠償ヲ得セシムルヲ得ヘシト雖モ其賠償ノ標準トスヘキモノハ救助ノ為メ其冒シタル危険若クハ之カ為メ其身体財産ニ被リタル損害ニシテ其他ハ總テ救助ヲ受ケタル者ノ意思ニ放任シ之カ為メ徳義上ノ責務ヲ生スルノミ
強暴ノ単ニ承諾ノ瑕疵タル塲合ハ第三項ニ之ヲ規定ス蓋シ同項ニ豫定スル所モ亦強暴及ヒ急迫ノ災害ナリト雖モ其程度較々少ナキモノニシテ当事者ノ一方其危害ヲ畏懼シ遂ニ危害ヲ被ランヨリ寧ロ合意ヲ承諾スルニ若カスト決意シタル塲合ナリ而シテ法文ニ其危害「切迫」ナルヲ要ストセリ蓋シ切迫セサルトキハ当事者眞ニ畏懼スルコト合意ヲ為スノ損害ヲ懼ルルヨリ大ナリト謂フコト能ハス然レトモ切迫セルヲ要スルモノハ危害自体ト謂ハンヨリ寧ロ畏懼ナリト謂フ可シ
又法文ニ当事者カ合意ヲ為シ以テ免カレント欲シタル所ノ危害「其身体ニ對スルト財産ニ對スル」トヲ問ハス又「他人ノ身体ニ對スルト財産ニ對スルトヲ問ハサルコトヲ記載シタリ其レ此ノ如ク身体ト財産トヲ同一視シ又本人ト第三者トヲ同一視スト雖モ其間未タ全ク同シカラサルモノ有リ蓋シ裁判所ハ財産ニ対スル危害ニ比シ身体ニ対スル危害ヲ観ルコト一層重シト為シ又他人ニ対スル危害ニ比シ結約者ニ対スル危害ヲ観ルコト一層重シト為スヲ得ヘシ固ヨリ裁判所ニ於テハ危害ノ軽重及ヒ畏懼ノ為メ意思ニ及ホシタル影響ヲ査定ス可キカ故ニ諸般ノ事情ヲ斟酌ス可シ尚ホ其査定ノ事ニ関シテハ次条ニ其標準ヲ示ス
正当ノ脅迫ヲ用ヒ法律上ノ危害ヲ免ルルカ為メ義務ヲ帯ヒ又ハ譲渡ヲ為スノ意思ヲ決セシムルモ承諾ニ瑕疵ヲ付セサルハ毫モ異議ヲ生セサル可キ所ナルヲ以テ本条敢テ此義ヲ明記セス例ヘハ民事ノ訴追若クハ被害者ノ告訴ヲ待テ公訴ノ起ル可キ塲合ニ於テ刑事ノ告訴ヲ受ク可シトノ脅迫ヲ被リタル者之ヲ免レンカ為メ和觧ヲ為シタルトキハ其受ク可キ法律上ノ効力ニ付キ虚言アリタル塲合ニ非サレハ脅迫アリタリトノ苦情ヲ唱フルコト能ハス唯虚言ニ惑ハサレタル塲合ニ於テハ強暴アリト謂フ可カラス詐欺アリト謂ウ可キカ故ニ第三百十二条ニ定メタル區別ニ從ヒ或ハ其義務ヲ取消シ或ハ之ヲ減少セシムルコトヲ得ヘシ
第三百十四条
親属若クハ姻属ニシテ其統系甚タ近キトキハ自然ノ愛情深クシテ之ニ對シ危難ノ恐アルトキハ当事者自身危難ノ恐アルトキト同一ノ結果ヲ生スルモノト推定ス然レトモ法律上ノ推定ハ此ニ止マリ他ノ親属若クハ姻属ニ付テハ愛情ノ為メ其受ケタル強暴カ結約者ノ自由ニ影響ヲ及ホシタルヤ否ヤノ問題一ニ事実上裁判所ノ査定ス可キ所トセリ又朋友ノ脅迫ヲ被リ或ハ他人ノ脅迫ヲ受クルヲ傍觀スルニ忍ヒス之ヲシテ危害ヲ免レシメンカ為メ意ヲ枉テ結約スルコト無シトセス此ノ如キ場合ニ於テハ裁判所ハ事情ヲ斟酌シ以テ合意ノ無効ヲ言渡スコトヲ得
本条ノ法文ハ人ノ行為タル強暴ノ塲合ヲ規定スト雖モ亦前条第二項ニ仮定シタル意外ノ災害アル塲合ニ之ヲ適用セサル可カラス例ヘハ親属若クハ朋友ヲ救ウカ為メ其資力ニ不相当ナル金額ヲ与ヘンコトヲ約シタルトキノ如キ即チ冝シク本条ヲ適用スヘキナリ
第三百十五条
本条ニ規定スル所ニ就テ之ヲ観レハ強暴ト詐欺トハ大ニ相異ナルヲ會得ス可シ前ニ詐欺自体ハ承諾ノ瑕疵ト為ラス其合意ニ及ホス影響ハ之ヲ行フタル人ニ因リ異ナリト謂ヒシハ則チ此規定アルカ故ナリ
又不可抗力即チ自然ノ事変ニ出テタル急迫ノ災害ヲ以テ当事者ノ強暴ト同一ノ畏懼ヲ生セシムルモノト看做ス以上ハ第三者ノ強暴亦承諾ニ瑕疵ヲ付シ又ハ之ヲ阻却ス可キヤ毫モ疑ヲ容ル可キニ非サルナリ
第三百十六条
合意ノ取消ハ承諾ニ瑕疵アル当事者ノミ独リ請求スルヲ得ヘキモノナリ是レ第三百十九条ニ定ムル所ナリ本条ノ趣旨ハ合意ノ取消ハ極端ノ手段ニシテ当事者強チ之ヲ用ヰルニ及ハス損害賠償ヲ得以テ自ラ満足スルヲ得ヘシト謂フニ在リ既ニ第三百十二条ニ於テ詐欺ノ事ニ付キ同一ノ規定ヲ掲ケタリ此規定ハ錯誤ノ塲合ニ準用スルヲ得ヘキモノナレトモ無法力ノ塲合ニ之ヲ準用ス可カラス何トナレハ此塲合ニ於テハ他ノ当事者ニ過失アラサレハナリ
第三百十七条
本条ハ裁判所ニ付与スルニ啻ニ強暴ノ事実ヲ査定スルノミナラス亦強暴ヲ受ケタル当事者ノ位置ヲ査定スルノ権ヲ以テス是ヲ以テ脅迫ノ太甚シカラサルトキト雖モ之ヲ被リタル者精神怯弱又ハ疾病ノ為メ甚タシク之ヲ恐レタルトキハ法律ノ保護ヲ受ク可キナリ蓋シ当事者ノ一方特ニ怯弱ナルニ乗シ他ノ一方強暴ヲ行フタルトキハ其合意充分自由ナル意思ヲ以テ為シタルモノニ非スシテ他ノ当事者之カ為ニ利益ヲ受クルハ至当ニ非ス
年齢ヲ斟酌ス可キハ童幼ニ関スルトキニ在ラス老年者ニ関スルトキニ在リ蓋シ未成年者ハ他ニ保護ヲ受クル所アレハナリ
女ハ男ニ比スレハ其強暴若クハ脅迫ヲ恐ルルコトノ甚シキヤ明カナリ故ニ男女ノ別ハ才判所ノ斟酌ス可キ所ナリ
相互ノ身分トハ主人若クハ親方ノ雇人若クハ職工ニ対シ長官ノ属官ニ対スル関係ノ如キヲ謂フ
夫ノ婦ニ対シ又親ノ子ニ対スル関係ニ至テハ本条特ニ裁判所ノ過当ナル保護ヲ加フ可カラサルコトヲ定メ婦又ハ子ハ尊敬ノ餘合意ヲ承諾セサルヲ得サリシト称スルコト能ハストセリ
第三百十八条
本条ハ合意ノ成立条件ト其有効条件トノ間ニ証拠ニ関シ存スル所ノ差異ヲ示スモノナリ
合意ノ成立条件ハ推定スヘキモノニ非ス合意ニ付キ利益ヲ得ント欲スル者其成立スルコト詳言スレハ一切ノ主要条件具備スルコトヲ証明セサル可カラス之ニ反シ合意成立スルトキハ有効ナリト推定ス可キカ故ニ承諾ノ不完全若クハ無能力ノ為メ合意ニ瑕疵アリト称スル者此異常ノ事実ヲ証明セサル可カラス
其レ此ノ如ク挙証ノ任ニ関シ合意ノ成立ト其有効トノ間ニ差異ノ存スルハ未タ法律ノ明文ヲ俟タスシテ明ラカナリト謂フ能ハサルカ故ニ本条特ニ此差異ヲ掲ケタリ以下之ヲ疏明セン蓋シ此差異ハ事物自然ノ理ニ出タル二箇ノ原則ニ基クモノナリ第一世人未タ必スシモ尽ク相互ニ法定ノ義務ヲ帯フルモノニ非ス一人ヨリ他ノ一人ニ対シ義務ヲ負担スルハ一ノ異常ナル位置ナリトス故ニ義務ノ成立ノ証拠ヲ挙クルノ任ハ之ヲ称スルモノニ在リ第二既ニ成立スル所ノモノハ有効ナリト謂ハサル可カラス然ルニ合意ニ瑕疵アルハ必ス当事者ノ一方ニ過失アルニ因ルモノニシテ其過失タル或ハ注意粗ニシテ錯誤ニ陥リ又ハ無能力ニシテ軽躁ナル合意ヲ為シタルコトヲ唱ヘ合意ヲ取消サント欲スル者ニ在リ或ハ強暴若クハ詐欺ヲ行フタル相手方ニ在ルモノナリ故ニ此ノ如キ塲合ハ亦異常ノ塲合ニシテ之ヲ唱フル者其証明ヲ為ササル可カラス何トナレハ合意ヲ為スヤ概ネ知覚完全注意慎密ニシテ且双方正実ヲ旨トスルモノナレハナリ
第二項ハ主トシテ当事者双方相互ノ詐欺ヲ行ヒ又ハ共ニ無能力ナル塲合ヲ観察スルモノナリ蓋シ双方相互ニ強暴ヲ行ヒ又ハ錯誤ニ陥リ或ハ共ニ損失スルハ実際絶テ無キ所ナレハナリ然リ而シテ本項ハ前記二箇ノ塲合ノミニ適用スルモ亦頗ル重要ナルモノナリ
若シ当事者双方無能力ナルトキ其一方合意ノ鎖除ヲ請求スルニ於テハ他ノ一方縦令契約ノ利益ヲ失フモ猶ホ其無効ノ請求ヲ容レサル可カラス蓋シ二人共ニ保護ヲ受ク可キモノナルトキハ損失ヲ避ケンコトヲ求ムル者ヲ保護スルコト利益ヲ保有セント欲スルモノニ比シ一層厚カル可キヤ当然ナレハナリ
相互ニ詐欺ヲ行フ塲合ニ付テハ稍ヤ疑義ヲ容ル可キカ如シ羅馬法ノ如キハ当事者相互ニ詐欺ヲ行フタルトキハ何レモ詐欺ノ訴権アラスト明定シ之ヲ説明スル者曰ク此塲合ニ於テハ双方ノ詐欺相殺スルモノナリト此論旨タル現時ニ至ルモ猶ホ法律ニ明文ナケレハ之ヲ適用ス可シト称スル者アラン然レトモ此論旨ハ決シテ其当ヲ得タルモノニ非ス蓋シ相互ノ詐欺ヲシテ相殺セシムルニハ其程度同一ナラサル可カラス是レ実際甚タ稀レナル可キノミナラス之ヲ査定スルコト極メテ難カル可シ何トナレハ双方ノ詐欺ハ其目的ヲ同ウセス又其性質ヲ同フス可カラサレハナリ是ヲ以テ当事者ヲシテ各其損害ヲ被リタル点ニ付キ異議ヲ述フルヲ得セシムルヲ至当ト認メタリ是ヲ以テ当事者双方単ニ契約ノ鎖除ヲ為サントセハ訴訟ヲ起ササル可キモ其一方相手方ノ詐欺ヲ申立テ且其証據ヲ挙ケテ合意ノ鎖除ヲ承諾セサルトキハ裁判所ハ契約ノ鎖除ヲ言渡シ唯鎖除ヲ請求スル者ヲシテ損害賠償ノ責ニ任セシムルヲ得ヘシ又双方合意ヲ鎖除セスシテ単ニ契約ニ付キ被リタル損害賠償ヲ得ンコトヲ欲スルトキハ裁判所ハ双方ノ詐欺ノ軽重ヲ比較シ当事者ヲシテ各賠償ノ責ニ任セシメ唯其金額ヲ相殺シ一方ヲシテ其差異ヲ払ハシム可シ
第三百十九条
本条第一項ノ普通則ハ以上説明シタル所ニ付テ観レハ自ラ明瞭ナル可キヲ以テ敢テ茲ニ詳密ノ説明ヲ要セス本項ニ依ルニ鎖除訴権ハ完全ナル承諾ナク又無能力ナルカ為メ合意ヲ無効トシ以テ法律ノ保護ヲ加ヘント欲シタル者ノミニ属スルモノトス
蓋シ何人タリトモ自己ノ過失ヲ以テ其権原ト為スコト能ハサルカ故ニ詐欺又ハ強暴ヲ行フタル当事者決シテ合意ノ鎖除ヲ請求シ以テ合意ノ有償ナルトキ其合意ニ因リ負担スル所ノ義務ヲ免ルルヲ得ヘカラサルヤ明カナリ又縦令強暴ヲ行フタル者第三者ニシテ結約者之ト通謀セサルトキト雖モ猶ホ結約者ハ其相手方ノ被リタル強暴ヲ申立テ自己ノ義務ヲ免ルルコトヲ得ヘカラス但強暴ヲ被リタル当事者合意ヲ鎖除シタルトキハ他ノ一方亦過失アルト否トヲ問ハス自己ノ義務ヲ免ルヘキヤ勿論ナレトモ自己ヨリ之ヲ求ムルコト能ハス
唯強暴若クハ詐欺ニ起因シタル錯誤重大ニシテ全ク承諾ヲ阻却スルトキハ当事者ノ一方過失アルトキト雖モ猶ホ双方各々合意ノ無効ヲ申立ツルコトヲ得然レトモ実際過失アル一方ヨリ無効ヲ申立ツルハ甚タ稀ナル可シ何トナレハ重大ナル強暴若クハ詐欺ヲ行フタル者ハ必ス對当ノ義務ヲ約セサル可ク縦令之ヲ約スルモ其義務ノ負担極メテ軽カル可キカ故ニ契約ニ因リ得ンコトヲ期図シタル利益ヲ放擲シ無効ヲ申立ツルノ利益アラサル可ケレハナリ
第二項ニ掲ケタル例外則ニ至テハ少シク説明ヲ要スルモノアリ蓋シ同項ハ諸外國ノ法典ニ於テ論議ヲ生シタル問題ヲ断定シタルモノナリ
夫レ処刑ノ言渡シヲ受ケタル者ト合意ヲ為シタル者ニハ鎖除訴権ヲ与フ可カラサルカ如シ何トナレハ啻ニ前記ノ原則アルノミナラス亦法律上ノ禁治産ハ禁治産者ト結約シタル者ノ為メニ設ケタルモノニ非サレハナリ蓋シ法律上ノ禁治産ハ眞ノ刑罰ニ非スト雖モ亦受刑者ヲシテ其看守ニ贈賄シテ峻厳ナル獄則ヲ免レ加之逃走ヲ遂クルノ方法ヲ得サラシメ以テ刑罰ノ実効ヲ確保スルカ為メ設ケタルモノナリ
加之受刑者ト合意ヲ為シタル者ノミナラス亦受刑者ニモ鎖除訴権ヲ付与セス原来之ヲ箝制スルカ為メ設ケタル規定ニ付キ利益ヲ得セシム可カラサルカ如シ
然レトモ禁治産ノ処分タル受刑者ヲ嚴待スルカ為メニ設ケタルモノニ非ス深ク慮ル所アルカ為メニ設ケタルモノナルヲ以テ之ヲシテ制裁ヲ欠キ徒法ニ属セシム可カラス而シテ之ニ法律ノ期図シタル豫防ノ効力ヲ附スル最良手段ハ合意ヲ鎖除スルノ利益ヲ有スル者ヲシテ普ク鎖除訴権ヲ有セシムルニ在リ蓋シ受刑者ヲシテ第三者ニ對シ其義務ヲ免レ又ハ其讓渡シタル財産ヲ回復スルコトヲ得セシムルトキハ何人タリトモ之ト合意ヲ為ササル可ク其看守ニ至ルマテ之ヲ承諾セサル可キヤ必然ナリ又第三者ヲシテ其合意ノ効果ヲ免ルルヲ得セシムルトキハ受刑者毫モ之ト合意ヲ為スノ利益ヲ有セサル可ク此ノ如クシテ以テ能ク法律ノ趣意ヲ貫徹スルヲ得ヘシ是ニ由テ之ヲ観レハ本条第二項ノ例外則ハ充分ノ理由アルモノナリト雖モ甚タ重要ナルモノタルヲ以テ特ニ法律ニ之ヲ掲ケタリ
第三百二十條
鎖除訴権ハ義務消滅第七ノ方法トシ且一旦譲渡シタル物件ヲ回復スルノ方法トシテ本編第三章ニ至リ更ニ詳細ニ之ヲ規定ス可シ
蓋シ鎖除ト称スル合意ノ取消ノ甚タ重要ナルモノナルハ以上説明シタル所ニ由テ観ルモ亦已ニ明カナルヘシ然ルニ本法ヲ観ル者ヲシテ本款ノ外更ニ此事ニ関シ規定スル所ナシト思ハシム可カラサルカ故ニ特ニ本條ヲ設ケタリ唯本款ニハ前條ニ於テ鎖除訴権ノ何人ニ属スルカヲ規定シ本條ニ於テ或ル期間内ニ之ヲ行フヘク其期間ヲ過クレハ黙示ニテ合意ヲ認諾シタルモノト看做シ訴権ヲ行フヲ許ササルコトヲ定ムルニ止メタリ其期間ハ五个年ヲ以テ至當ト認メ本編第五百四十四條ニ之ヲ定ム
黙示認諾ノ場合ハ獨リ前記ノ場合ニ止マラス又認諾ニハ明示ノモノアルカ故ニ本條ハ亦之ヲ第三章ニ譲リタリ(本編第五百五十四條及ヒ第五百五十五條ヲ参看スヘシ)
第三百二十一條
合意ノ目的及原因ニ付テハ既ニ規定スル所アリシニ拘ハラス更ニ本條ニ於テ目的ニ関スル規定ヲ掲ケ又之ニ次テ原因ニ関スル規定ヲ掲クルハ編纂ノ順序ヲ紊ルニ似タリト雖モ其実決シテ然ルニ非ス既ニ掲ケタル所ハ目的及ヒ原因ノ一般ノ性質、之ニ関スル原則ニ過キス尚ホ此原則ヲ特別ノ場合ニ適用シ且是例外則ヲ設ケサル可カラサルカ故ニ本條以下ニ其規定ヲ掲載ス
第三百四條第二號ニ合意ハ確定ノ目的ヲ有スルヲ要スル旨ヲ記シタリ其趣意タル合意ノ目的不確定ナルトキハ債権者又ハ債務者濫リニ之ヲ増減スルヲ得ヘキカ故ニ此弊害ヲ防止セントスルニ在リ然レトモ其意、目的ノ成立確定ナルヲ要スト謂フニ非ス合意ノ目的確然成立セサルモ猶ホ合意有効ニ成立スルヲ得ルモノニシテ此種ノ合意ヲ称シテ射倖合意ト云フ(参看本編第三百一條)是ヲ以テ本條ニ於テハ未来ニ係ル物例言セハ土地ヨリ生ス可キ果実、漁猟ニ因リ捕獲スヘキ魚介鳥獣又ハ商工業若クハ農業ノ実行ニ因リ収得スヘキ物ヲ以テ合意ノ目的ト為スコトヲ認許シタリ蓋シ此等ノ物タル未来ニ係ルカ故ニ其成立不確定ニシテ殊ニ其多寡ニ至テハ一層不確定ナリト雖モ当事者濫リニ之ヲ増減シ其利慾ヲ逞フスルコトヲ得サルカ故ニ法律ニ於テ之ヲ目的トスルノ合意ヲ為スノ自由ヲ妨クルノ理アラサルナリ
然リ而シテ合意ノ目的未来ニ係リ且不確定ナルトキハ其合意射倖ノ性質ヲ有スルコト多シトス是レ将来生ス可キ果実又ハ漁猟ノ捕獲物ヲ目的トスル場合ニ於テハ毫モ疑ヲ容サル所ナリ然レトモ民事會社若クハ商事會社ノ如キ社員ハ相共ニ未来且不確定ナル利益ヲ収受センコトヲ目的トスルカ故ニ射倖ノ性質ヲ有スト雖モ特ニ之ヲ以テ射倖合意ト称セサルハ射倖ノ性質、會社契約ト離ル可カラサルヲ以テ古来特ニ此性質アリト謂ハサルカ故ナリ
法文ハ特ニ未来ニ係ル物ヲ以テ合意ノ目的トシタル場合ニ於テハ諾約者ニ一ノ黙示ノ義務アルコトヲ明記シタリ是レ最モ重要ノ点ナリ即チ其義務タル未来ノ目的ノ実施ヲ妨碍セス加之其実施ニ便ス可キ事ヲ為ス可キニ在リ、例ヘハ自己ノ所有地ヨリ生ス可キ果実ヲ賣渡シタル者ハ既ニ着手シタル耕作ヲ放却ス可カラス又将来ノ漁獲物ヲ賣渡シタル者ハ其網ヲ投シ魚介ノ捕獲ヲ怠ル可カラス
但會社ニ於テ各社員其分配ス可キ利益ノ増殖ヲ圖ル可キ義務ハ合意ヲ以テ之ヲ定ム可シ若シ其合意ナキトキハ法律ニ規定スル所アリ
現ニ成存セサル物ヲ目的トスル射倖合意ハ遂ニ之ヲシテ賭博ニ変性セシメサルコトヲ要ス故ニ現ニ成存スルモ当事者ノ未タ知ラサル物ヲ目的トスル合意ハ概ネ之ヲ無効ト看做ササル可カラス例ヘハ外國ノ産出物ニシテ其價額未タ判然セサルモノノ賣買、現ニ航海中ノ舩舶ニ齎シ来リタル積荷ニシテ未タ按内状ノ到達セサルモノノ賣買ノ如キハ眞ニ賭博ニ類スル行為ニシテ法律ノ保護ヲ加フ可キモノニアラサルナリ蓋シ此ノ如キ場合ニ於テハ当事者双方ニ平等ナル損益ノ運賦ナク事実已ニ完結シ復タ其形跡ノ変ス可キモノナキカ故ニ契約ヲ取結ヒタル時ニ当リ既ニ当事者ノ一方僥倖ノ利益ヲ占メ他ノ一方憫ムヘキ損失ヲ受ケ了リタルモノト謂ハサルヘカラス但当事者其現在ノ位置ヲ知ラサルハ即チ毫モ詐欺ナキノ證トスルニ足ル可キモ未タ原因ナクシテ当事者ノ一方利益ヲ得他ノ一方損失ヲ受クルノ理由ト為スニ足ラサルナリ
是レ本條ニ成立ノ不確定ナル未来ノ物ノミ合意ノ目的タルヲ得ト謂ヘル所以ナリ蓋シ此場合ニ於テハ当事者双方ニ損益ノ運賦アルモノナリ
本法ニ於テ未来且不確定ナル事件ニ非サレハ偶成條件ノ性質ナシト為シ当事者未タ知ラサルモ現ニ到来シタル條件ニ其性質ヲ認メサルハ亦同一ノ理由ニ基クモノナリ(本編第四百八條ヲ参看スヘシ)
第二項ハ未来ノ物ヲ以テ目的トスル合意ヲ為スノ自由ニ大ナル例外ヲ設クルモノナリ
夫レ未発開ノ相續即チ現ニ生存スル人ノ相續ハ未タ法律上存立スルモノニアラス然レトモ之ヲ以テ合意ノ目的ト為ス能ハサルハ敢テ此理由ニ出テタルニ非ス何トナレハ未発開相續モ亦一ノ未来ニ係ル物ナレハナリ蓋シ其合意ノ目的タル能ハサルハ之ヲ組成スル物未タ充分ニ確定セス尚ホ種々ノ変遷ノ為メ増減シ当事者ヲ誤ラシムルコトアリ且其合意ハ多少未来ノ相續財産ノ全部若クハ一分ヲ収受ス可キ者ヲシテ遺産者ノ死去ヲ望ムノ念ヲ起サシムルコトアルカ故ナリ又本條ニ相續ヲ遺ス可キ人ノ承諾アリト雖モ猶ホ其相續ヲ目的トスル合意ヲ認メサルハ其人欺瞞眩惑ニ遇ヒ誤テ承諾ヲ為スコトアリ且其承諾アルモ到底遺産ヲ受ク可キ者遺産者ノ死ヲ望ムノ危險ヲ防遏スルニ足ラサルカ故ナリ
是ヲ以テ未来ノ相續財産ノ全部若クハ一分ノ賣買、贈與、分割及ヒ其抛棄ハ当然無効ナルモノトス
然リ而シテ右ノ禁止ハ法文ヲ以テ未発開相續ニテ受ク可キ権利ヲ譲渡スノ合意ニノミ之ヲ限リタリ故ニ推定相續人相續発開ノ際自己ヲ代表ス可キ委任ヲ為シ又ハ債務者カ将来享受ス可キ相續発開ノ時ヲ以テ其義務履行ノ期限ト為スノ合意ヲ結フカ如キハ敢テ本條ノ禁制ニ觸ルルモノニ非ス又推定相續人ノ為メ相續ノ発開ヲ以テ義務成立ノ停止條件トシ又ハ其相續ヲ得サルヲ以テ既ニ契約シタル義務ノ觧解除條件ト為スモ亦法律ノ禁スル所ニアラス
前記ノ場合ニ於テハ未発開ノ相續ヲ以テ合意ノ目的ト為スニ非ラス結約者ハ孰レトモ相續ニ於テ得ヘキ権利ヲ譲渡スモノニ非ス唯他ノ目的ヲ有スル合意ニ関シ多少之ニ着眼シタル所アルノミ故ニ死去ヲ希望スルノ危險毫モ存セサルナリ
唯一ノ場合ニ於テハ少シク擬議ヲ生スルコトアラン即チ推定相續人其先代ニ属スル財産ヲ賣渡シ而シテ他日相續ニ因リ己レ其財産ヲ得ルヲ以テ其賣買合意ノ停止條件ト為シタル場合是レナリ此場合ニ於テハ合意ヲ以テ其相續ニテ受ク可キ権利ヲ損セサルニ似タリ故ニ其合意有効ナルヘキカ如シ
然レトモ此賣買タル右ノ條件ナキモ既ニ他人ノ物ヲ目的トスルニ因リ無効タルモノナリ況ンヤ此賣買ハ其実未発開ノ相續財産ヲ譲渡スルモノニシテ「他日賣主所有権ヲ得ルトキハ」ト云ヘル條件ハ他ノ場合ニ於テ賣買ヲ有効トス可キモ此場合ニ於テハ之ヲ無効トスルモノナリ何トナレハ相續人ハ假令條件付ニモセヨ豫メ其相續権ノ一分ヲ処分シ其未定ノ権利己レニ属ス可キ場合ノ為メ之ヲ譲渡スモノナレハナリ
第三百二十二條
本條ハ先ツ不法又ハ不能ノ作為ノ諾約無効ナルヲ以テ原則トスルコトヲ定メタリ而シテ其所謂無効トハ根本上ノ無効タルヤ明カナリ何トナレハ第三百四條第二號ニ依ルニ法律上諾約者ノ処分権ヲ有スル事物ヲ以テ合意ノ目的トセサルトキハ其合意成立セサルモノナレハナリ
次ニ本條ハ此原則ヲ適用シ「第三者ノ作為ノ諾約」ヲ禁止シタリ何トナレハ第三者ノ作為ハ諾約者ノ為メニハ不能ノモノナレハナリ是レ「自己ノ作為ニ非サレハ諾約スルヲ得ス」ト言ヘル羅馬法ノ理論ヲ適用シタルニ外ナラス
先ツ此点ニ付キ須ク注意ス可キモノアリ即チ本條ニ他人ノ作為ノ諾約ヲ無効ト為スハ啻ニ第三者ニ對スルノミナラス亦殊ニ諾約者其人ニ對シ然ルコトヲ謂フモノナリ蓋シ第三者ノ之カ為メニ義務ヲ負ヒサルハ固ヨリ明カナリト雖モ是レ下ニ掲ケタル所ノ他ノ原則即チ合意ハ当事者又ハ其相續人若クハ承継人ノ間ニ非サレハ効力ヲ有セスト云ヘル原則ニ因リテ然ルモノナリ(本編第三百四十五條ヲ参看スヘシ)是ヲ以テ他人ノ作為ノ諾約ヲ無効トスルハ諾約者其人ニ對シ設ケタル法文ナリ然レトモ該諾約ヲ履行スル能ハサルハ「諾約者カ其第三者ニ對シテ威権ヲ有セサルトキニ限ル」モノトシタリ
是ヲ以テ自己ノ未成年ナル子、雇人、職工若クハ使用人ノ作為ヲ約シタルトキハ其諾約ハ有効ナル可シ勿論其作為タル諾約者自己ノ為メ第三者ニ對シ命スルコトヲ得ヘキモノタラサル可カラス蓋シ此場合ニ於テハ其実恰モ諾約者ハ自己ノ約シタル作為其子雇人若クハ使用人ニ命シ且之ヲシテ其作為ヲ成就スルノ時間ヲ得セシムルヲ約シタルニ外ナラス故ニ諾約者其威権ニ服従スヘキ者ニ其諾約シタル作為ヲ成就スヘキノ命冷ヲ為シ且之ニ必要ナル時間ヲ與フルコトヲ拒絶シ又ハ之ヲ怠リタルトキハ損害賠償ノ責ニ任セサル可カラス又第三者断然其作為ヲ行フコトヲ拒絶スルトキハ諾約者ノ義務初メ無効ニ非サリシモ不可抗力ニ因リ消滅ニ帰ス可キナリ
然リ而シテ本条ニ他人ノ作為ノ諾約ヲ無効ト謂フト雖モ亦一ノ例外則ヲ設ケタリ但此例外則タル未タ眞ノ例外則ト謂フ可カラスシテ其適用ノ範囲ヲ劃定スルモノト謂フ可キモノナリ曰ク何人ニテモ他人ノ作為履行ト担保スルコトヲ得ト此担保タル明示ナルヲ要ス而シテ其明示ナルトキハ保証ノ性質ヲ有スルモノナリ故ニ此場合ニ於テハ担保ノ約束明示ナルヲ要スト謂フト雖モ亦保証ノ場合ニ於ケルト同シク其意思明カニ事情ヨリ生スルヲ以テ足レリトス(債権担保編第十三条ヲ参看スヘシ)
或ハ難シテ曰ハン主タル義務ナケレハ保証ナシ而シテ右ノ場合ニ於テハ主タル義務アルコトナシ故ニ保証ノ義務成立スヘカラスト然レトモ主タル債務ナケレハ保証ナシト云ヘル規則ハ絶對的ニ非ス既ニ第三百二条ニ於テ説明シタルカ如ク保証ハ主タル義務ノ無効ヲ補ハンカ為メ契約スルコトヲ得ルモノナリ
第四項ニ於テ明示ノ担保ナキモ他人ノ作為若クハ不作為ノ諾約ニ加フルニ其不履行ノ場合ニ於テ諾約者ノ負担ス可キ過怠約款ヲ以テシタルトキハ其諾約有効ナリトスルモ亦右同一ノ理由ニ基クモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ第三者カ諾約ノ目的タル作為ヲ行ハス又ハ不作為ヲ行フタルトキハ定額ノ賠償ヲ拂フ可キコトヲ約シタルモノナリ其賠償ノ約束ハ即チ一ノ過怠約款ニシテ而シテ過怠約款ハ附従ノ諾約ニシテ主タル諾約ノ無効ニ因リ共ニ無効タルモノニ非ス却テ之ヲ補足スルモノナリ
過怠約款ノ通常ノ適用ノ場合ハ第三百八十條乃至第三百九十條ニ詳カニ之ヲ定ム
末項ハ單ニ他人ノ作為ヲ目的トシ諾約ノ全ク無効ナル場合ト保証アル場合トノ中間ニ位スル場合ヲ規定スルモノナリ即チ第三者ヲシテ其委任ナキニ其名ヲ以テ之カ為メ諾約シタル義務ヲ承認セシムヘキコトヲ諾約シタル場合是レナリ蓋シ「承認セシム可キコト」ヲ約スルハ履行ヲ擔保スルニ非ス唯承認ヲ擔保シタルモノニシテ而シテ一旦承認アルトキハ委任ニ等シキ効力ヲ生スルカ故ニ代理人委任者ノ名ヲ以テ諾約シタルトキ自カラ義務ヲ負擔セサルト同シク承認ヲ約シタル者亦其承認アルトキハ自己ノ義務ヲ免カルルモノナリ此約束タル亦之ヲ明示セサルモ事情ニ因リ明カナルトキハ裁判所之ヲ認定スルコトヲ得蓋シ合意ハ成ル可ク之ヲシテ有効ナラシムル意義ヲ以テ觧釋スルヲ要スレハナリ(参看本編第三百五十八條)
第三百二十三條
本條ハ利益ノ合意ニ必要ナル原因タルヲ以テ原則トスルコトヲ定ムルモノナリ而シテ其利益タル「正当ニシテ且金銭ニ見積ルコトヲ得ル」ヲ要スト云ヘリ蓋シ利益ノ正当ナラサルトキハ原因不法ニシテ無効タル可ク又金銭ニ見積ルコトヲ得サルトキハ裁判所ノ為メニハ恰モ利益ノ存セサルカ如キヲ以テ原因欠缺ス可シ此原則タル毫モ異議ヲ容ル可キモノニ非スシテ「利益ナケレハ訴訟ナシ」トハ法律ノ格言ナリ故ニ原告其合意ニ付キ有スル所ノ利益ヲ疎明セサレハ其主張ノ主タルモノタルト他ノ訴訟ニ附従スルモノタルトヲ問ハス裁判所ハ之ヲ却下セサル可カラス
第二項ハ原因即チ利益ノ欠缺ニ関スル此原則ヲ適用シ第三者ノ利益ニ於ケル要約ヲ無効トスルモノナリ是レ恰モ処分スルヲ得ヘキ目的ノ欠缺スルトキ合意無効タル原則ノ適用トシテ第三者ノ作為ノ諾約ヲ無効トシタルト同一ナリ
是ヲ以テ愛情又ハ判然セサル理由ニ出テ他人ノ為メニ利益ヲ要約シタルトキハ第三者モ要約者モ與ニ諾約ノ履行ヲ裁判所ニ請求スルコトヲ得ス蓋シ第三者之ヲ請求スルヲ得サルハ其合意ニ参與セサルヲ以テ訴権ヲ有セサルカ故ナリ又要約者之ヲ請求スルヲ得サルハ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益アル旨ヲ疎明スル能ハサルカ故ナリ然レトモ金銭ニ見積ルコトヲ得サル利益ノ要約ニ附スルニ過怠約款ヲ以テシタルトキハ合意ヲ以テ其利益ヲ指定シタルニ因リ其要約有効ト為ル可ク敢テ其過怠約款合意ノ利益ニ超過スル所ナキヤ否ヤヲ審按スルヲ要セス蓋シ此場合ニ於テモ亦詐欺ナキ以上ハ合意ハ当事者間ニ法律ニ同シキ効力ヲ有ス可キナリ
或ハ難シテ曰ハン主タル合意無効ニ属スルトキハ過怠約款亦共ニ無効ニ属ス可シト然レトモ亦本條ノ場合ハ前條ニ規定シタル場合ト同シク第三百二條ニ定メタル原則ノ例外ニ属スルモノナリ加之過怠約款アルトキノミ獨リ要約者ノ利益アリト謂フヘカラス此他尚ホ之ニ比附スヘキ場合アリ此点タル事情ニ従ヒ裁判所ノ査定ニ委ス可キ事実問題ナリ
又本條ニハ他人ノ為メノ要約ニ関シテノミ過怠約款ノ効力ヲ記スルニ止マルト雖モ総テ金銭ニ見積ルヲ得ヘキ利益ノ欠缺スルカ為メ要約ノ無効タル場合ニ於テハ普ク過怠約款ヲ以テ之ヲ補填スルコトヲ得ヘシ然レトモ第一項ニ豫想スル所ノ不正当ナル利益ニ至ツテハ過怠約款ヲ以テ之ヲ正当トスルコトヲ得ス
第三項ハ他人ノ為メノ要約ニ過怠約款ヲ付セサルモ猶ホ之ヲ無効トセサル二箇ノ例外則ヲ設クルモノナリ蓋シ此例外則タル啻ニ其要約ノ従タル性質アルニ依ルノミナラス亦要約者自身利益ヲ有ストノ推定ニ基キ設ケタルモノナリ第一ノ例外則ハ賣買其他有償ノ契約ヲ以テ賣主若クハ債権者自己ノ為メ要約シタル所ノ外他人ノ為メ或ル利益ヲ約シタルトキ例ヘハ賣渡シタル土地ノ上ニ其隣人ノ為メ地役権ヲ約シ又ハ其旧僕ノ雇入ヲ約シタル場合ニ適用スヘキモノナリ又第二ノ例外則ハ贈與ノ報酬トシテ自己ニ受クル所ナキモ他人ノ為メ前例ノ如キ利益又ハ其他ノ利益ヲ要約シ而シテ其要約ノ為メ贈與ノ無償タル性質ヲ滅却セサル場合ニ適用スヘキモノナリ
右二箇ノ場合ニ於テ他人ノ利益ニ於ケル諾約ノ履行ナキトキハ要約者其履行ニ因リ実際自己ノ受クヘキ利益ノ多寡如何ヲ證明スルニ及ハス之ヲ證明スルハ到底為シ得ヘカラサルコト最モ多カル可シ故ニ要約者ハ單ニ合意ノ觧除ヲ請求シ其譲渡ノ條件不履行ノ為メ其嘗テ譲渡シタル財産ヲ回復ス可シ然レトモ要約者其合意ニ過怠約款ヲ付シタルトキハ約定ノ損害賠償トシテ過怠金ノ辨償ヲ請求ス可シ唯其辨済ヲ受ク可キ者ハ獨リ要約者ノミ何トナレハ第三者ハ合意ニ與カラサリシヲ以テ之ニ因リ訴権ヲ得ルコト能ハサレハナリ
第三百二十四條
当事者ノ相続人ハ第三者ニアラスシテ承継人ナリ故ニ当事者自己ノ為メ要約スルトキハ特別ノ約束アルヲ待タスシテ相続人其合意ノ利益ヲ取得スヘシ唯其取得ニ未確定ナル性質アルノミ又当事者諾約ヲ為シ其生存中債務ヲ償却セサルニ於テハ相続人其義務ヲ負擔ス可シ
相続法ニ依レハ家続人タル者ハ必ス一人ニ限ルカ故ニ本條ノ趣意ハ要約者ヲシテ相続人ノ一人ニ債権ヲ授與シ他ノ相続人ヲ排斥又ハ諾約者ヲシテ其相続人ノ一人ニ義務ヲ移轉スルヲ得セシムルニ非ス唯主トシテ当事者其相続人ノミノ為メ要約若クハ諾約シ自己ハ債権又ハ義務ニ付キ利害ノ関係ヲ有セサルヲ得ト云フニ在リ是レ第三百二十二條及ヒ第三百二十三條ノ二箇ノ禁制ヲ加ヘタル例外則ナリ然レトモ財産二分一ノ包括名義ノ遺贈ヲ法律ニ認ムルカ故ニ此種ノ遺贈アル場合ニ於テハ少シク本條適用ノ趣旨ヲ異ニシ遺言者其一般ノ承継人タル相続人及ヒ受遺者其一ヲシテ特ニ利益ヲ得セシメ又ハ義務ヲ負擔セシムルコトヲ得ルモノト觧釋ス可シ
第三百二十五條
本條ハ毫モ疑義ヲ生ス可キモノニ非ス蓋シ第三者一タヒ要約ノ利益ヲ承諾スルトキハ即チ合意ニ参與スルカ故ニ復タ其承諾ヲ得スシテ濫リニ合意ヲ変更シ之ニ損害ヲ及ホス可カラス然レトモ其承諾アルニ至ルマテハ要約者要約ノ利益ヲ他ノ人ニ移シ又ハ自カラ之ヲ収ムルコトヲ得唯諾約者モ亦享益者タル第三者其人ニ着眼シテ諾約ヲ為シタル場合ニ於テハ此限ニ在ラス
第三百二十六條
原告ヨリ申立テタル原因ノ虚妄又ハ不法ナル証據擧クルノ任ハ被告ニ在ルヤ明カナリト雖トモ毫モ原因ノ明示ナキトキ其実ニ存セサルヲ証スルハ如何ナル方法ヲ以テスヘキモノナルカ此無効ノ証據ハ如何ニシテ之ヲ擧クヘキカ蓋シ無的ノ証據ハ未タ必スシモ擧クルヲ得サルモノナリト謂フ可カラスト雖モ亦頗ル困難ナルモノタルヤ明カナリ実ニ被告ハ一切ノ義務ノ原因ヲ擧ケテ一々之ヲ攻撃シ原被告間ニ何レノ原因モ存セサルコトヲ証明スルヲ得サルヘシ
本條ニ被告ヲシテ原告ニ原因ヲ陳述セシムルノ催告ヲ為シ無的証據ノ範囲ヲ定メ以テ原告ノ陳述セル原因ノミヲ爭フニ止マラシムルノ法則ヲ設ケタルハ即チ右ノ困難ヲ救済スルノ目的ニ出テタルモノナリ
然リ而シテ有名合意ニ於テハ原因常ニ眞実且合法ナルヲ以テ原因ニ関シ爭論ノ起ルハ無名合意ノミニ在リト謂フヘシ
故ニ本條ハ主トシテ手形、小切符其他原因ヲ記載セスシテ金銭支拂ノ約束ヲ記載セル証書アル場合ニ適用スルモノナリ
本条ノ規定ハ債権者原因ヲ了知シ之ヲ陳述スルコトヲ得ル場合ヲ想像シテ設ケタルモノナリ然ルニ相続人ハ之ヲ陳述スルコト能ハサルカ故ニ之ヲシテ原因陳述ノ義務ヲ負ハシムルハ法律ノ精神ニアラサルナリ加之原債権者ト雖モ債務ノ時日亘久ナルカ(縦令未タ時効ノ成就セサルトキナリトモ)又ハ債額ノ極メテ些少ナルトキハ原因ヲ記憶セサルコトアルヘシ故ニ此ノ如キ場合ニ於テハ亦之ヲシテ原因陳述ノ責ニ任セシメス
第三款 合意ノ効力
合意ノ効力ハ二箇ノ点即チ第一当事者及ヒ其承継人トノ関係第二第三者ニ對スル関係ノ点ニ付キ観察ヲ下シテ規定ス可キモノナリ
第一則 当事者間及ヒ其承継人間ノ合意ノ効力
第三百二十七條
本條ニ掲クル所ノ法則ハ私法ノ原則中最モ明著ナル大原則ノ一ニシテ既ニ數々之ヲ援用シタリ尚ホ本法數多ノ條項ヲ説明スルニ当リ之ヲ以テ其根據ト為スコトアル可シ今之ヲ疎明セン
抑モ私法就中民法ハ一私人ノミニ関スル法律即チ其利害ノ関係ノミヲ断定シ其財産ノミヲ規定スルモノナリ唯欧州諸國ノ法律ニ於テモ日本法典ニ於ケルカ如ク人事ヲ民法中ニ規定スルハ羅馬法ヲ因襲シタルニ過キス然レトモ其実人事ニ関スル規定ハ概ネ公法ニ属スルカ故ニ私ノ合意ヲ以テ之ヲ変更スルコトヲ得ルハ纔カニ公益ノ私益ニ比シ一層軽キ場合ノミニ在リ而シテ其場合タル極メテ稀レナリ
其レ然リ私法ノ主眼トスル所ハ殊ニ金銭上ニ在リテ財産ニ関シ公益ニ関セサルカ故ニ人民ヲシテ各々隨意ニ其規定ニ異ナル合意ヲ為シ自由ニ其利益ヲ處辨スルヲ得セシムヘキヤ当然ナリ故ニ当事者ハ自己ノ意ニ任セ或ハ譲渡ヲ為シ或ハ取得ヲ為シ或ハ諾約ヲ為シ或ハ要約ヲ為シ或ハ裁判所ニ於テ其権利ヲ主張シ或ハ之ヲ抛棄スルコトヲ得都テ其意思ニ任セ事ヲ行フコトヲ得是ヲ以テ当事者ノ意思ハ其間ニ法律ニ同シキ効力ヲ有シ縦令其効力ハ相互間ニノミ限ルモ亦之ニ對シテハ命令的若クハ禁止的タルモノニシテ一般ノ法律タル本法ハ單ニ當事者間ノ法律ヲ遵奉セシムルカ為メニ干渉スルノミ而シテ本法ニ「合意ハ当事者ノ間ニ於テ法律ニ同シキ効力ヲ有ス」ト云ヘルハ一般ノ法律ノ特有タル裁判上ノ制裁ヲ合意ニ付スルヲ謂フナリ
然リ而シテ合意ノ此効力ヲ有スルハ其適法ニ為シタルコト詳カニ之ヲ言ヘバ其一般ノ法律ニ悖反セス其命令ヲ遵奉シ又其制限ニ依循スルヲ要ス蓋シ既已ニ説明シタル如ク合意ハ徃徃方式ニ従フヲ要スルコトアリ又合意ニハ之ヲ為ス者ノ能力アリ且其瑕疾ナキ承諾アルヲ要シ又眞実且合法ノ原因ト或ハ性質ヲ具備シタル目的ト存スルコトヲ要ス而シテ合意カ法律ニ同シキ効力ヲ有スルハ即チ此諸條件ヲ具備シタルトキニ限ルモノナリ又人事ニ関シ私ノ合意ヲ為スヲ得ル場合ニ於テモ亦其合意「適法ニ為シタル」モノナルヲ要ス然レトモ人事ノ法則ハ概ネ公益ニ基クモノニシテ而シテ次條ニ於テ公益ニ反スル合意ハ之ヲ禁制スルカ故ニ人事ニ関シテハ合意ノ自由ニ一層ノ制限アリ
其レ然リ合意ハ「法律ニ同シキ効力ヲ有ス」ト謂フト雖モ是レ單ニ其制裁力ヲ示スカ為メニ過キスシテ之カ極端ノ觧釋ヲ為シ合意ト法律トヲ以テ全ク同一物ナリト云フ可カラス故ニ合意ノ觧釋ハ控訴院判事無上ノ権力ヲ以テ之ヲ為スモノニシテ縦令其觧釋ニ錯誤アルモ法律ノ觧釋ニ錯誤アリタルトキト異ナリ之ヲ理由トシテ上告ヲ為スコト能ハス蓋シ当事者カ其合意ニ付テ述ヘタル所ハ畢竟事実ニ外ナラサルカ故ニ之ヲ認定スルノ権ハ獨リ事実ヲ承審スル裁判所ノミニ在リ
然レトモ裁判所ニ於テ当事者ノ合意シタル所ノ事実ニ就キ觧釋ニ錯誤ナク能ク其眞意ノ在ル所ヲ認メ之ヲ誤觧セサルモ法律カ其合意ニ附着シタル所ノ効力ヲ誤觧シ之ヲ以テ其制裁トスルコトヲ為サス或ハ法律カ其合意ニ附着セサル所ノ効力ヲ生セシメタルトキハ其判決ニ對シ上告ヲ為スコトヲ得ヘシ又裁判所ニ於テ原来不適法ニ為シタル合意ヲ有効ナリト認メ或ハ適法ニ為シタル合意ヲ無効ナリト認メタルトキモ亦其判決ニ對シ上告ヲ為スコトヲ得
第二項ニ於テハ当事者ノ双方承諾スルニ非サレハ合意ヲ廃罷スルコトヲ得サラシムル旨ヲ定メタリ是レ亦畢竟スルニ合意ハ当事者ノ間ニ於テ法律ニ同シキ効力ヲ有スト云ヘル原則ヲ適用シタルニ外ナラス然レトモ亦合意ノ廃罷ニハ当事者双方ノ承諾ヲ要スルノ規則ニ加フルニ一ノ例外則ヲ以テシ法律カ一方ノ意思ノミヲ以テ合意ヲ廃罷スルコトヲ許セル場合ニ於テハ此限リニ在ラストセリ而シテ其例外則タル範囲頗ル廣キモノナリ
今此例外則ノ適用シタル場合ニ就キ其主要ナルモノヲ擧示センニ之ヲ大別シテ二個ト為ス其第一ノ場合ハ既ニ説明シタル所ノモノナリ即チ当事者ノ一方無能力ナルカ又ハ其承諾ノ不完全ナルカ為メ合意ニ瘕疵アルトキハ無能力ナル当事者又ハ不完全ナル承諾ヲ為シタル当事者ハ其合意ノ廃罷ヲ請求スルコトヲ得是レ其合意ハ無能力若クハ不完全ナル承諾ヲ為シタル当事者ニ對シ法律ニ同シキ効力ヲ有セサルカ故ナリ然レトモ鎖除訴権ニハ期限ト方式トニ関シ制限アルヲ以テ其合意廃罷ノ権利ハ無限ノモノニアラス又当事者ハ其合意ノ項目ヲ分割シテ其自己ニ利益アル所ノ点ヲ維持シ自己ニ不利益ナル点ノミヲ廃罷セシムルコトヲ得ス合意ノ廃罷ハ不可分ニシテ当事者ハ合意ノ全部ヲ廃罷スルニ非サレハ全ク之ヲ維持セサル可ラス
第二ニ当事者双方ノ承諾アルニ非サレハ合意ヲ廃罷スルコトヲ得ストノ規則ノ例外則ヲ適用シタル場合ハ或ル契約ニ関ス即チ其契約タル單ニ当事者ノ一方ノミヲシテ利益ヲ得セシムルニ止マルモノナルカ故ニ其当事者ハ自己ノ意思ノミヲ以テ契約ヲ廃罷スルコトヲ得敢テ他ノ当事者ノ承諾ヲ俟ツニ及ハサルモノトス例ヘハ寄托ノ如キハ寄托者何時ニテモ之ヲ廃罷スルコトヲ得又使用貸借ノ場合ニ於テモ使用何時ニテモ其契約ノ利益ヲ抛棄スルコトヲ得ルモノナリ又此二個ノ契約タル他ノ一方ニ於テモ其意思ノミヲ以テ取消スコト得ルモノナリ即チ受寄者其寄托物ノ為メ大ニ迷惑ヲ被リ困難ヲ受ケ又ハ意外ノ危害ニ罹リタルトキハ寄托者ニ其寄托物ノ返還ヲ受クヘキコトヲ請求スルヲ得ヘシ又使用貸主モ其物ヲ貸與シタルカ為メ甚シク損害ヲ被ルトキハ貸附物ノ取戻ヲ請求スルコトヲ得又不動産質ノ如キモ質取債権者ノ意思ノミヲ以テ之ヲ廃罷スルコトヲ得又代理モ代理人意外ノ困難アルカ為メ其代理ヲ履行スルコト能ハサルニ至リタルトキハ代理人ノ請求ノミヲ以テ之ヲ廃罷スルコトヲ得又會社モ其會社ノ継続期ヲ定メタルトキハ正当ノ原因ニ基キ社員一人ノ意思ノミヲ以テ之ヲ廃罷スルヲ得又其継続期ヲ定メサルトキハ善意ニ出ツル限リハ毫モ他ノ條件ヲ要セス当事者ノ一人ノ意思ノミヲ以テ之ヲ觧散スルコトヲ得
此他尚ホ此例外則ヲ適用スル有償契約アリ而シテ前例ノ場合ト其他ノ場合トニ於テ此例外則ヲ適用スルノ理由ニ至テハ各其處ヲ俟テ之ヲ説明スヘシ
又合意ヲ以テ特別ニ設ケタル約款ニ基キ当事者ノ一方他ノ承諾ヲ得スシテ其合意ヲ廃罷スルヲ得ルコトアリ然レトモ此場合ニ於テハ其実当事者双方ノ意思ノ結果ニ因リ廃罷ノ行ハルルモノナリト謂フヘキナリ何トナレハ当事者初メヨリ其一方ノ意思ノミヲ以テ合意ヲ廃罷スルヲ得ヘキノ其意思ヲ顕表シタルモノナレハナリ例ヘハ賃貸借ノ如キハ賃貸人若クハ賃借人ノ隨意ニ之ヲ廃罷スルヲ得ヘキ者ヲ約スルコト屢々之レ有リ又賣買ノ如キモ初メヨリ買戻ノ権能ヲ約シタルトキハ賣主ノ意思ノミヲ以テ之ヲ廃罷スルコトヲ得又試験ニテ為シタル賣買ハ買主ノ意思ノミヲ以テ之ヲ廃除スルコトヲ得又賣買ヲ為スニ当リ觧約ノ方法トシテ手附ヲ與へタルトキハ当事者一方ノ意思ノミヲ以テ之ヲ廃罷スルコトヲ得
其レ然リ当事者双方承諾スルトキハ其合意ヲ廃罷スルコトヲ得又特別ノ場合ニ於テ当事者ノ一方ノミ利益ヲ有スルトキハ其一方ノ意思ノミヲ以テ合意ヲ廃罷スルコトヲ得ルヤ法律ノ認許スル所ナリト雖モ是レ合意ノ未タ履行アラサル場合又ハ其未タ法律上ノ効力ヲ生セサル場合ニ限ルモノナリ之ニ反シテ既ニ合意ノ履行ヲ終ハリタルカ又ハ既ニ其法律上ノ効力ヲ生シタリシトキハ復タ合意ノ廃罷ヲ為スコト能ハス若シ当事者事物ヲ旧形ニ復シ各々其合意以前ノ位置ヲ回復セント欲セハ更ニ前合意ト反對セル趣旨ヲ以テ一ノ合意ヲ為ササル可ラス例ヘハ賣買ノ如キ所有権ヲ移轉スルヲ以テ目的トスル合意ヲ為シタル場合ニ於テ其目的物定量物タルトキハ其引渡ヲ為スカ又ハ其分量ヲ指定スルニ非サレハ所有権移轉セサルカ故ニ当事者其合意ヲ廃罷シ以テ所有権移轉ノ効ヲ防止スルヲ得ルト雖モ一旦其引渡ヲ実行シタルトキハ当事者單ニ合意ノ廃罷ヲ為スコト能ハス当事者若シ其賣買ノ実効ヲ生セサランコトヲ欲セハ更ニ買戻即チ譲戻ヲ為シ更ニ前買主ヨリ前賣主ニ物件ノ引渡ヲ為ササル可カラス又特定物ヲ目的トシテ賣買ヲ為シタルトキハ当事者ノ承諾ノミニ因リ直チニ所有権移轉シ終ハルカ故ニ其廃罷ヲ為スニ由ナシ故ニ双方旧位置ヲ復セント欲セハ更ニ買戻ヲ為シ又後ニ至リ説明スルカ如ク買主ノ権利ヲ以テ第三者ニ對抗スルカ為メ登記ヲ為シタルトキハ更ニ買戻ノ登記ヲ為ササル可カラス而シテ何レノ場合ニ於ケルモ代價ノ辨済ヲ為シタルトキハ更ニ其代價ヲ返還スルコトヲ要ス
是ニ由テ之ヲ観ルニ眞ノ廃罷ナルモノハ合意ノ将来ノ効力ヲ防止スルニ過キスシテ既往ニ在ツテ既ニ生シタル其効力ハ之ヲ滅却スルコトヲ得ス然レトモ尚ホ本條第二項ヲ適用シテ廃罷ヲ為スヲ得ル場合頗ル多ク其適用ノ範囲甚タ廣シトス就中定量物ノ賣買ニ於テ未タ所有権ノ移轉アラサルトキ、賃貸借、會社、保証、和觧等ニ於テハ同項ヲ適用スルヲ得ヘシ
又廃罷ハ第三者ノ損害ヲ顧スシテ之ヲ行フコト能ハサルヤ法律ニ明文ナシト雖モ多辨ヲ要セスシテ明瞭ナル所ナリ蓋シ合意ハ当事者間ニ非サレハ効力ヲ有セス第三者ニ害ヲ及ホスコト能ハサルハ法律ノ原則ニシテ尚ホ下ニ至リ之ヲ掲クルヲ見ルヘシ是ヲ以テ一旦賣買ヲ為シタル後買主其買取タル物上ニ物権ヲ設定シ第三者ニ之ヲ授與シタルトキハ賣主ノ承諾ヲ得前ノ賣買ヲ廃罷スルモ後ニ権利ヲ得タル第三者ニ其廃罷ヲ對抗シ之ニ損害ヲ及ホスコト能ハス
第三百二十八條
本條ハ何レノ場合ニ於テ合意適法ニ成立スルモノナルカ又何レノ場合ニ於テ其適法ニ成立セサルカヲ定メ以テ前條ヲ補足完備スルモノナリ
蓋シ本法中前條ノ原則及ヒ例外則ノ適用ヲ示ス場合ニシテ足ラス抑々該原則及ヒ其例外則ノ適用タル一ニ裁判官ノ明断ニ委シ之ヲシテ各々法則ノ適用ヲ為サシメ敢テ法律ヲ以テ之ヲ定ムルニ及ハサルヘシト雖モ亦法律ヲ以テ此点ヲ断定スルヲ可ナリト認メタル場合アリ是ヲ以テ本法ハ徃々各種ノ合意ノ効力ヲ定メ当然之ヨリ生スヘキ所ノ効力ト当然生スヘカラサル所ノ効力トヲ指定シ且法律ニ合意ノ効力ヲ定ムル場合ニ於テモ猶ホ当事者ハ法律ニ定ムル所ニ異ナル効力ヲ以テ之ニ附スルヲ得ルコトヲ規定シタリ是レ他ナシ若シ法律ニ当事者法律ノ定ムル所ニ異ナル合意ヲ為スノ権アル旨ヲ明記セサルトキハ或ハ法律ニ定ムル所ヲ以テ純然絶對的タルモノト觧スル者無シトセス然ルニ法律ニ合意ノ効力ヲ定ムルハ原ト当事者ノ暗黙ニ附シ去リ合意ヲ以テ規定ヲ為ササルノ点ヲ補足スルカ為メニ過キサルモノナリ故ニ当事者ノ意思法律ニ定ムル所ニ異ナルトキハ之ヲシテ自由ニ其意思ニ従ヒ自己ノ利害ヲ定ムルヲ得セシメサル可カラス是レ法律ニ合意ノ或ル効力ヲ示シ又ハ或ル効力ヲ有セサルコトヲ示スモ亦当事者之ニ反スル合意ヲ為スヲ得ルコトヲ明記セル所以ナリ
然レトモ亦法律ヲ以テ合意ノ効力ヲ規定スルニ当リ明カニ之ニ反スル合意ヲ為スコトヲ禁スル場合アリ是レ其場合ニ於テハ公ケノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ基キ法律上合意ノ効力ヲ定ムルモノニシテ之ニ反スル合意ヲ為ストキハ公ケノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ觸ルルモ其果シテ然ルヤ否ヤニ就キ疑議ナシトセサルニ因リ其疑議ヲ未萌ニ防カンカ為メナリ
合意ノ自由ナルハ本則ナルヲ以テ其適例ハ際涯ナキカ故ニ敢テ此ニ之ヲ擧示スルノ必要アラス然レトモ当事者ニ合意ノ自由ヲ奪フタル場合ニ至テハ須ラク適例ヲ擧ケテ之ヲ説明スルヲ要ス而シテ其適例中一ハ本法ニ於テ明カニ掲載シタルモノニシテ一ハ法律ニ明文ナキヲ以テ本條ヲ適用シ以テ觧釋上法律ニ補充スルコトヲ要スルモノナリ
例ヘハ家族ノ制、父権、能力其他概ネ人ノ身分ニ関スル規定ヲ変更スル所ノ合意ハ嘗テ陳ヘタル如ク法律ニ禁止スル所ノモノナリ又物権ノ効力ヲ変更シ第三者ヲシテ欺瞞ニ罹ルヲ免レシメ意外ノ取戻ヲ被ルノ憂ヲ避ケシムルカ為メ之ヲ保護スルノ趣意ニ出テタル條件ヲ履行セスシテ之ニ物権ヲ對抗セントスルヲ目的トスル合意ノ如キモ亦法律ニ禁スル所ナリ
又人身ノ自由ヲ傷害スルノ合意例ヘハ雇主ノ量生間若クハ雇人ノ量生間其雇傭ヲ約スル所ノ合意ノ如キモ亦公ケノ秩序ニ反スルヲ以テ其効力ヲ生スルコト能ハサルモノナリ
又雇主及ヒ親方等相謀テ職工ノ賃銭ヲ低減スルコトヲ目的トスル所ノ團結ヲ約束シ又ハ職工連結シテ其賃銭ヲ騰貴セシムルコトヲ目的トシ同盟罷工ヲ約スルカ如キモ等シク公益ニ反スルヲ以テ無効ナル合意ナリ
又身体若クハ財産ニ對スル重罪若クハ軽罪ノ為メニ損害ヲ被リタル者ヲシテ告訴ノ権ヲ抛棄セシムルコトヲ目的トスル所ノ合意ノ如キモ亦然リトス但シ特ニ刑法ニ於テ告訴ヲ俟テ始メテ公訴ヲ起スヘキコトヲ定メタル場合ハ此限ニ在ラス蓋シ此場合ニ於テハ法律ノ見ル所ニ依レハ被害者ノ私益及ヒ其一身上ノ都合ヲ以テ犯罪ヲ懲罰スルノ公益ニ勝レリト為スカ故ナリ
又商人タル債務者無資力トナルコトアルモ猶ホ其債権者ハ之ニ對シ破産ノ宣告ヲ為サシメサルヘシト要約スル所ノ合意ノ如キモ亦無効ナリ
又合意ノ当事者錯誤、詐欺若クハ強暴ニ基ク所ノ鎖除訴権ヲ豫メ抛棄スル所ノ合意又ハ鎖除訴権ノ請求者其訴権ヲ行ヒ勝訴スルトキハ損害賠償ヲ拂フヘシト約スル所ノ合意ノ如キハ直接ニ善良ナル風俗ニ觸ルル所ノ合意ナリ然レトモ鎖除訴権ノ請求者敗訴スルトキハ若干ノ損害賠償ヲ拂フヘキ旨ヲ定メタル約束ニ至テハ善良ノ風俗ニ觸ルルモノニ非サルカ故ニ有効ナリ
又前條ニ規定シタル所ノ未発開ノ相続ニ関スル合意及ヒ賭博ノ性質ヲ有スル所ノ合意ヲ禁スルモ亦公ケノ秩序ニ反シ善良ノ風俗ヲ害スルカ故ナリ
右ニ例示スル所ノ場合ニ於テハ合意公ケノ秩序ヲ旨トスル法律ニ反シ善良ノ風俗ニ觸ルルモノニシテ且其目的及ヒ原因ニ瑕疵アリト謂フヲ得ヘシ
以上述フル所ノ理論ハ既ニ之ヲ適用シタルコト少カラサルヲ以テ更ニ茲ニ詳密ノ辨明ヲ為スノ必要ヲ認メサルカ故ニ其大要ヲ疎明スルニ止メタリ
第三百二十九條
夫レ合意ノ主タル威力ハ当事者ノ意思即チ承諾ニ基因スルモノナルカ故ニ其効力ヲ定ムルニ當テハ必ス先当事者ノ意思ノ在ル所ヲ考案セサル可ラス若シ当事者其意思ヲ明瞭ニ顕表シ其合意ニ附セント欲シタル効力ヲ明示シタルトキハ其所為法律ノ禁制ニ觸レス且当事者其証證ヲ作ルニ当リ用ヰタル所ノ文辞ノ意儀ヲ誤ラサリシ限リハ一ニ其顕表シタル所ノ意思ニ依ルヘキナリ然レトモ若シ語辞ノ意義ヲ誤マリテ之ヲ用ヒタルトキハ其語辞ノ意義ニ拘ハラス当事者共通ノ意思ヲ推尋シ以テ觧釈ヲ為スコトヲ要ス是レ次款ニ於テ法律ノ定ムル所ナリ
又当事者合意ノ一切ノ効力ヲ擧ケテ之ヲ明示セス多少緘黙ニ附シ去リタル所アルトキト雖モ当然其合意ニ附着スヘキ効力ニ至テハ当事者之ヲ明示セサルモ暗々裡ニ之ヲ認メタルモノト断定セサル可ラス例ヘハ賣買ニ於テ賣渡物引渡ノ時ニ代價ヲ拂フヘキ義務ノ如キハ即チ当事者ノ黙示ノ効力ニシテ又賣主ノ従来住居シタル不動産ヲ賣渡シ之カ引渡ヲ為スヘキトハ賣主ヲシテ其場所ヲ去リ其家具ヲ運搬スルヲ得セシムルニ足ルヘキ相当ノ猶豫ヲ之ニ與へサルヘカラス是レ亦当事者ノ黙示タル効力ト謂フ可キナリ又雇用契約若クハ仕事受負契約ヲ為シタル場合ニ於テ雇傭人仕事受負人若クハ職工ノ現ニ要急ナル他ノ工事ヲ作シ又ハ疾病ニ罹リ之カ為メニ即時労役ニ服シ又ハ工事ニ着手スルコト能ハス而シテ雇主又ハ注文者其事情ヲ知リタリシトキハ黙示ニテ雇傭人等ノ疾病ノ治癒又ハ既ニ起シタル工事ノ竣成ニ至ルマテ之ニ猶豫期限ヲ與へ苟モ非常ノ遲延ニ因リ損害ヲ被ルニ至ラサル限リハ多少ノ期限ヲ附與シタルモノト看做ササル可ラス
本條ハ当事者ノ明示若クハ黙示ノ意思ノ外條理、慣習又ハ法律ノ規定ヲ以テ合意ノ効力ヲ発生セシムルコトアルモノト認メタリ然レトモ其実、條理、慣習又ハ法律ノ規定ヨリ生スル効力ハ当事者ノ黙示ノ意思ヨリ生スル所ノ効力ニ外ナラス蓋シ当事者ハ孰レモ條理ニ基ク所ノ規定ニ服従スルノ意ナク合意ヲシテ之ニ反スル効力ヲ生セシムルノ意アリト稱スルコトヲ得サルヤ明カナリ例ヘハ当事者ノ一方ニ過失アリ又ハ詐欺ヲ行フタル後之ヲシテ損害賠償ノ責ヲ免カレシムルノ合意ヲ為スハ法律ニ禁スル限ニ非スト雖モ初メヨリ詐欺ヲ行ヒ又ハ過失アルモ其責任ヲ免ルルノ意アリシト稱スルカ如キハ到底聴許ス可カラサル所ナリ
地方ノ慣習ニ照ラシ合意ノ結果ヲ定ムルニ至テモ亦当事者ノ黙示ノ意思之ニ従フニ在リト看做スヘキカ故ナリ
又法律上合意ノ効力ヲ定メタル場合ニ於テハ当時者固ヨリ之ヲ変更スルヲ得ヘシト雖モ若シ其之ヲ変更セサルトキハ即チ其合意ハ法律ニ定メタル効力ヲ生スヘシ然レトモ是レ亦当事者黙示ニテ其効力ヲ認メタリト看做スヘキカ故ナリ只当事者法律ヲ知ラサルトキハ法律ニ定メタル効力ハ純然タル法律上ノ効力ナルヘシト雖モ亦之カ為メ其効力ノ発生スルヲ妨ケサルナリ但前キニ法律上ノ錯誤ニ関シ説明シタル所ハ此限ニ在ラス(参看本編第三百十一條)
第三百三十條
夫レ合意ハ総テ善意誠実ヲ旨トスヘク而シテ啻ニ合意ノ要素タル約款項目ヲ定ムルニ当リ善意ヲ旨トスヘキノミナラス其履行ヲ為スニ当リテモ亦善意ヲ以テ之ヲ為スコトヲ要ス此原則タル法律ニ之ヲ宣言スルヲ可ナリト認メタリ是レ本條ヲ設ケタル所以ナリ
例ヘハ賃貸人ハ賃貸物ノ引渡ヲ為スニ当リ一切ノ修繕ヲ整ヘ完好ナル形状ニテ之ヲ引渡ヲヲ以テ其本條ノ義務ト為スモノナリ然ルニ賃貸人ハ建物ヲシテ堅牢ナラシムルニ必要ナル修繕ヲ加ヘタルノミニテハ未タ以テ此義務ヲ尽シタリト謂フ可ラス尚ホ装飾ヲ整ヘ清潔ヲ加フルニ必要ナル修繕ヲ施スコトヲ要ス又賃貸人是等ノ修繕ヲ加フルカ為メ仕事受負人ニ一定ノ價額ヲ以テ工事ヲ命シ而シテ其工事ノ仕用細目ヲ指定セス單ニ其要領ノミヲ指示シタルニ止マリタルトキハ仕事受負人ハ亦善意ヲ旨トシ契約ヲ履行スヘキカ故ニ総テ建物ヲ堅牢ニシ之ヲ装飾シ且之ヲ清潔ニスルニ必要ナル修繕ヲ加ヘ綿密ニ其工事ヲ為ササル可カラス又賃借人賃借物ノ引渡ヲ受クルニ当リ賃貸人ニ對シ過当ノ修繕ヲ望ミ又ハ賃貸人工事受負人ニ對シ過度ノ工作ヲ求ムルコトアラハ裁判所ニ於テ其事実ヲ審按シ善意ヲ以テ合意ヲ履行スルニハ如何ナル修繕ヲ為スヘキカ又如何ナル工事ヲ為スヲ以テ足レリトスルカヲ査定シ其至当ノ範囲ヲ定メ判決ヲ為スヘキナリ
又代替物若クハ定量物ノ賣買ヲ為シタル場合ニ於テハ賣主ハ最下等ノ品質ノ物ヲ與フルノ権ナク又買主ハ最上等ノ品質ノ物ヲ求ムルノ権ナク只中庸ナル品質ヲ備フル物ヲ供與スルニ於テハ善意ヲ以テ合意ヲ履行シタルモノト認メサル可カラス(本編第四百六十條ヲ参看スヘシ)
第三百三十一條
本條ニ掲クル所ノ法則ハ近世ニ至リ法律ノ最モ著シク進歩シタル結果ノ一ニシテ其進歩ノ為メニ一定シタル原則ノ一ナリ蓋シ徃昔諸國ノ法律ニ於テハ何レモ所有権ノ一人ヨリ他ノ一人ニ移轉スルニハ多少外形ニ現ハルル所ノ行為ヲ為シ外見ノ方式ヲ経サル可カラサルモノトシタリ此行為、方式タル啻ニ当事者所有権ヲ移轉スルノ意思アルコトヲ明瞭ニ表示スルカ為メノミナラス亦所有者ノ交替シタルコトヲ公示シ衆人ノ注目ヲ惹起シ普ネク之ヲシテ所有権ノ移轉アリタルコトヲ承知セシムルカ為メニ設ケタルモノナリ
就中羅馬法ニ於テハ所有権移轉ノ為メニハ外形ノ方式ヲ履行スルヲ必要トシタリ即チ新取得者ニ所有権ノ目的タル物ノ引渡ヲ為シタルトキニ非サレハ其所有権之ヲ移轉セストセリ加之徃々証人ノ面前ニ於テ一定ノ例言ヲ用ヰ眞ノ儀式ヲ履行シタル後ニ非サレハ所有権ノ移轉セサル場合アリタリ
是ヲ以テ所有権ノ移轉ヲ約スルモ其目的タル物ノ引渡ヲ実行セサリシ以上ハ賣主若クハ贈與者ハ依然其物ノ所有者タル資格ヲ保存シタリ唯其所有権ヲ移轉シ其所有物ヲ引渡スノ義務ヲ負擔スルニ過キサリシ是ヲ以テ賣主若クハ贈與者ノ債権者ハ賣主若クハ贈與者ノ自餘ノ財産ニ對スルカ如ク既ニ賣渡シ又ハ贈與シタル物ヲ差押フルコトヲ得タリ又賣主若クハ贈與者ハ一旦賣渡又ハ贈與シタル物ヲ更ラニ他人ニ賣渡シ又ハ贈與シ而シテ之ニ其物ノ引渡ヲ為シタルトキハ後ノ買主又ハ受贈者遂ニ所有者ト為リ前ノ買主又ハ受贈者ハ却テ其所有権ヲ失ヒ賣主又ハ贈與者ニ對シ損害賠償ヲ求ムルノ對人訴権ヲ有スルニ過キサリシ
欧洲徃昔ノ法律モ亦此点ニ就キ羅馬法ヲ襲用シ所有権ハ其目的物ノ引渡アルヲ俟テ始メテ移轉スルヲ以テ原則ト定メタリ然レトモ亦徃々仮想的ノ引渡ヲ以テ足レリトシ遂ニ所有権ヲ移轉スルコトヲ趣旨トスル証書中特ニ一ノ約款ヲ設ケ其約款ニ賣主若クハ贈與者其物ノ占有ヲ抛却シ之ヲ取得者ニ移ス旨ヲ陳述スルヲ以テ所有権ヲ移轉スルノ慣習定マルニ至リタリ此約款ハ之ヲ稱シテ「セシーヌ、セシーヌ」(抛擲シテ握取スルノ義ナリ)ト云ヒ公正証書中一種ノ文例ト為スニ至リ又私署証書中ニモ之ヲ用ユルコト頗ル多キニ至リタリ
又欧洲北部ノ或ル慣例ニ於テハ不動産ノ占有ヲ授受スルノ方法トシテ授賜証ノ附與ヲ用ヰタリ此授賜証タル侯伯又ハ其臣僚ヨリ之ヲ下附シ新所有者ニ権利ヲ授與スルノ証憑タリシモノナリ其後此授賜証ノ下付ニ替ユルニ裁判官ノ面前ニ陳述ヲ為シ之ヲ公示ノ簿冊ニ記載スルコトヲ以テスルコトトナリタリ
近世ニ至リ登記ヲ以テ不動産所有権移轉ノ方式ト為スハ即チ此習慣ニ濫觴スルモノニシテ唯之ニ多少ノ変更ヲ加ヘタルノミ
日本従来ノ法律ハ羅馬法ニ模倣シタルモノニアラス又欧洲諸國ノ羅馬法ヲ襲用シタルモノヲ模範トシタルモノニ非スト雖モ此事項ニ就テハ殆ト同一ノ進化ヲ経タリ故ニ今新法ニ定ムル所モ亦既ニ従来実行シタリシ所ヲ確定シ只其細目ヲ改良シタルニ過キサルナリ蓋シ現時ニ至テハ日本ニ於テモ亦欧羅巴ニ於ケルカ如ク所有権ハ動産ニ係ルト不動産ニ係ルトヲ問ハス單ニ承諾ノミヲ以テ移轉スルモノトス蓋シ当事者ノ意思ノミヲ以テ物権ヲ設定シ之ヲ移轉スルニ恰モ人権ヲ設定シ之ヲ移轉スルカ如ク承諾ノミヲ以テ足レリトスルハ毫モ條理ニ背馳スル所ニ非サルナリ然レトモ物権ハ原来総テノ人ニ對抗スルコトヲ得結約者ニ對スルト同シク第三者ニ對シ其効力ヲ及ホスモノナルカ故ニ其移轉ヲ為スモ之ヲ秘密ニシ又ハ他人ヲシテ容易ニ之ヲ知ルヲ得サラシメ之カ為メ其物権ヲ得ルモ不意ニ取戻ヲ受クルカ如キ者ナカラシメンカ為メ約言スレハ物権ノ移轉ヲ機會トシテ詐欺手段ノ行ハルルコトヲ防クカ為メ公衆一般ヲ擔保スル方法ヲ定メサル可ラス例ヘハ一物ノ所有者一旦其物ヲ賣渡シタル後ニ至リ猶ホ其債権者之ヲ以テ依然其物ノ所有者タリト誤認シ又ハ所有者其既ニ賣渡シタル物ヲ重ネテ賣却シ買主ハ既ニ其買取シタル物他人ノ取得スル所トナリタルヲ知ラスシテ其代價ヲ拂フカ如キコトアラシメサルカ為メ之ヲシテ其物ノ所有権既ニ他ニ移轉シタルコトヲ知ラシメサルヘカラス是ヲ以テ所有権ノ移轉及ヒ其他不動産物権ノ設定ヲ為スニ当テハ公ケノ簿冊ニ其旨ヲ登記シテ之ヲ公示スヘキヲ命シ利害関係人ヲシテ普ネク其簿冊ヲ閲覧シ且其抄本ヲ要求シ権利ノ移轉ノ有無ヲ知ルヲ得セシメ以テ上ニ陳ヘタル弊害ヲ矯正シタリ此公示ノ制タル従来行ハレ来リタルモノナリシカ更ニ明治十九年及ヒ同二十三年ノ特別法ヲ以テ之ヲ補缺完備シタリ
是ヲ以テ方今論者皆ナ曰ハク「不動産ノ所有権ハ当事者間ニハ承諾ノミニ因リ第三者ニ對シテハ登記ニ因リ移轉ス」ト此語タル非難ヲ免レサル所アリト雖モ既ニ普ネク學者ノ口ニ膾炙シタルヲ以テ暫ク之ヲ仮用シ以テ此會得スルニ困難ナル理論ヲ簡易ナラシムルモ亦強チ不可ナリト謂フ可ラス然レトモ其短所ハ第三者ニ對スル合意ノ効力ヲ説明スルニ当リ之ヲ摘指シ且之ヲ補正セン
是ヲ以テ本條ハ右ノ如キ語辞ヲ用ヰス單ニ所有権ハ特定物ヲ目的トスル場合ニ在リテハ承諾ノミヲ以テ移轉スト云ヘリ其動産ニ関スルト不動産ニ関スルトヲ問ハス第三者ニ加フヘキ保護ニ至テハ後ニ至リ規定スル所アリ
本條ハ末段ニ於テ合意ニ停止條件ノ附帶セル場合ヲ観察シ此場合ハ本條ヲ適用スルノ限ニ在ラスト云ヘリ然レトモ亦此場合ニ於テモ猶ホ所有権ノ移轉スルニハ其目的物ノ引渡アリタルコトヲ必要トスト謂フニ非ス只此塲合ニ於テハ所有権ヲ移轉セシムルニ未タ承諾ノミヲ以テ足レリトセス尚ホ條件ノ成就即チ当事者ノ定メタル事件ノ到来スルヲ要スト謂フノミ而シテ茲ニ合意ノ停止條件ヲ帶フル場合ヲ観察スルニ止マリ其觧除條件ヲ帶フル場合ヲ観察セサル所以ハ合意ニ附帶セル條件ノ觧除タルトキハ所有権合意ニ因リ直チニ移轉シ條件成就スルトキハ其合意ノ觧除セラレ所有権旧所有者ニ復スルニ過キサルヲ以テ其場合本條ノ例外ニアラサルカ故ナリ停止條件及ヒ觧除条件ノ事ハ既ニ徃々説明スル所アリタレトモ尚ホ其全体ニ就キ後ニ至リ説明スル所アルヘシ(本編第四百八条以下ヲ参看スヘシ)
又本条ニハ停止条件附ニテ所有権ヲ移轉シタル塲合ヲ例外トシ期限ヲ定メテ所有権ヲ移轉シタル場合ヲ例外トス是既ニ第三十条ニ於テ説明シタル如ク所有権ニ期限ヲ附スルハ其性質ト相容レサル所ナルカ故ナリ詳カニ之ヲ言ヘハ期限ハ所有権ノ譲受人ニ移轉スヘキ時期即チ始期タルト所有権ノ更ラニ譲受人ノ資産ヲ離レ譲渡人ニ復帰スヘキ時期即チ終期タルトヲ問ハス之ヲ所有権ニ付スル其恒久ナル性質ト背馳スルモノナリ
第三百三十二條
前条ニ所有権ノ移轉單ニ承諾ノミニ因リ行ハルル特定物ヲ以テ合意ノ目的トスル場合ニ限ルモノトセリ
蓋シ種類ト分量(重量、數目若クハ度量)トノミヲ以テ指定シタル所ノ物ノ所有権ヲ移轉スルヲ以テ合意ノ目的トスルトキハ承諾ノミヲ以テ其所有権ヲ移轉スルコト能ハス其所有権ハ事物自然ノ情勢ニ因リ承諾ノミヲ以テ移轉スルコト能ハサルモノナリ実ニ買主若クハ受贈者ハ如何シテ世上限リナク存スル所ノ物ヲ取戻スヲ得ヘキカ賣主若クハ受贈者ノ多量ニ占有スルコトアルヘキ物ヲ如何ニシテ回復スルヲ得ヘキカ是レ到底得テ能クセサル所ニシテ要約者即チ買主若クハ受贈者ハ債権者タルニ過キス即チ其物ノ所有者ト為ルノ権利ヲ有スルニ過キサルヤ明カナリ然リト雖モ此結果ハ目的タル物ノ定量物タルコトヲ止メ特定物ト為リタルトキニ非サレハ発生セサルモノナリ而シテ其定量物タル性質ヲ変シテ特定物ト為ルハ其引渡ヲ了リタルトキ又ハ合意上其指定ヲ為シ之ヲ特定物ト為シタルトキニ非サレハ能ハサルナリ例ヘハ米穀ノ苞嚢又ハ生糸若クハ紙ノ箱匣ニ章標ヲ附シタルトキノ如キ即チ始メテ其物ノ指定アルニ因リ特定物トナルモノナリ此場合ニ於テハ恰モ当初ヨリ特定物ヲ以テ合意ノ目的ト為シタルト毫モ趣旨ヲ異ニスル所ナシ
本条定ムル所ニ依レハ定量物ノ指定ハ当事者「立會ニテ」為シタルコト詳カニ之ヲ言ヘハ当事者ノ一方ヲシテ擅ニ其物ノ撰擇ヲ為サシメサルコトヲ要ス此場合ニ於テハ前キニ説明シタルカ如ク一ニ善意ヲ旨トシテ履行ヲ為スコトヲ要シ諾約者最下等ノ品質ノ物ヲ授與スルコト能ハス又要約者最上等ノ品質ノ物ヲ請求スルコト能ハサルモノトス
且立會ニテ物ノ指定ヲ為サシムルトキハ他ニ大ナル利益アリ蓋シ物ノ指定ヲ為ストキハ所有権其時ニ於テ移轉シ終リ爾後所有者其物ノ危険ヲ担当スヘシ詳カニ之ヲ言ヘハ意外ノ事又ハ不可抗力ニ因リ其物滅尽スルトキハ後ニ規定スルカ如ク所有者其損失ヲ被ラサル可ラス然ルニ債務者ノ家ニ在ツテ其嘗テ諾約シタル所ノ物ト同性質ノ物滅尽スルトキハ債務者之ヲ以テ其已ニ撰擇シ将ニ債務者ニ附與セントシタル所ノモノナリト称シ其責ヲ免レントスルコト無シトセス斯ノ如キ主張ハ固ヨリ裁判所ノ認ムヘキ所ニアラスト雖モ若シ物ノ指定ハ立會ニテ之ヲ為スヘシト定ムルニ於テハ到底債務者ヲシテ斯ノ如キ不当ノ主張ヲ為スコト能ハサラシムルヲ得ヘシ
然リ而シテ代替物ノ所有権ヲ其目的物ノ引渡若クハ指定ニ因リテ移轉スルニハ其引渡又ハ撰定ノ上標章ヲ附シタル物諾約者ノ所有ニ属スルヲ要スルコトハ毫モ特定物ヲ以テ合意ノ目的トスルトキト異ナルコトナキヤ敢テ言ヲ俟タサル所ナリト雖モ亦第四百五十五条ニ於テ之ヲ明記スヘシ蓋シ何人タリトモ其所有セサルノ権利ヲ移轉スルコト能ハサレハナリ然リト雖モ動産物ヲ以テ合意ノ目的トシ取得者善意ニテ之ヲ占有シタル場合ニ於テハ即時ノ時効ニ因リ直チニ其物ノ所有権ヲ取得スヘシ
第三百三十三條
承諾ノミニ因リ特定物ノ所有権ヲ移轉シタル者ハ其物ノ引渡ヲ為スヘキヤ当然ナリ勿論諾約者引渡ヲ為ササルモ取得者ハ回復訴権ヲ行ヒ其物ヲ得ヘシト雖モ回復訴権ヲ以テ其物ヲ取戻スハ諾約者ニ引渡ノ義務アルニ因リ其物ノ占有ヲ求ムルニ比スレハ実際取得者ノ為メ一層困難アルヘシ蓋シ取得者回復訴権ヲ行ハント欲スレハ啻ニ自己ト讓受人トノ間ニ行ハレタル合意ノ証據ヲ擧クルヲ要スルノミナラス亦讓渡人ニ所有権ノ属シタリシ証拠ヲ擧ケサル可カラス然ルニ單ニ引渡ノ訴権ヲ行フトキハ対人訴権ヲ行フニ過キサルカ故ニ只其根據タル合意ヲ証明スルヲ以テ足レリトス而シテ一旦其物ノ占有ヲ得ルヤ縦令第三者之ニ対シ更ニ回復訴権ヲ行フコトアルモ取得者ハ被告ノ位置ヲ占ムルヲ以テ大ニ利益アルヘキナリ
本条法文ニ合意目的タル物ノ引渡ハ「諾約者ノ注意及ヒ費用ニテ」為スヘキモノト云ヘリ是レ引渡ヲ為スニ就テハ多少手數ト費用トヲ要スルコトヲ仮定シタルカ故ナリ
今諾約者ノ負担スヘキ引渡ノ費用ヲ例示センニ商品ノ賣渡ヲ為シタルトキ其商品倉庫ニ在リテ而シテ其庫口ニ重量ノ多キ物件若クハ容積ノ大ナル物件ノ堆積スルニ因リ容易ニ其商品ヲ搬出スコト能ハサルカ如キ塲合ニ於テハ賣主先ツ其運搬ノ妨害タル物ヲ撤去セサル可カラス加之買主ヨリ商品ニ其賣渡シタル物ヲ屋外ニ搬出シ且其運搬ニ因リ破損ノ危険アルトキハ賣主ノ所有地外ニ之ヲ搬出スヘキコトヲ求ムルモ敢テ不当ナリト謂フ可カラス又物品ノ重量若クハ尺度ヲ計ルカ如キモ徃々時間ト手數ヲ要シ且費用ヲ要スルコト少ナカラサルヲ以テ是レ亦賣主若クハ譲渡人ノ負担セサル可カラサルモノトス之ニ反シ引取ノ費用即チ荷造、船積並ニ届先ヘ運搬スルノ費用ノ如キハ取得者即チ要約者ノ負擔スルコトヲ要スルモノナリ
又本條ハ引渡ノ費用及ヒ引取ノ費用何人ノ負擔タルカヲ規定スルニ次ヒテ証書ノ費用何人ノ負擔タルヘキヤヲ断定シタリ
其規定スル所ヲ敷衍センニ当事者双方共ニ合意ノ利益ヲ得ルトキ換言スレハ其合意有償ナルトキハ当事者双方其費用ヲ平分シ又ハ各方ノ利益ノ割合ニ應分シテ之ヲ負擔スルモノトシ又其合意無償ナルトキハ利益ヲ享受スル者獨リ其費用ヲ負擔スヘキモノトス然レトモ本條ニ定ムル所ノ此規定ハ証據ノ用ニ供スヘキ証書ノ費用ニ限リ適用スヘキモノニシテ登記ノ如キハ主トシテ取得者ノ利益ヲ計リ設ケタルモノナルカ故ニ其費用ハ総テ取得者ノ負擔タルヘク本條ノ規定ヲ適用ス可キ限ニ在ラサルモノトス又取得代價ノ辨済ヲ證明スル所ノ受取証書ノ費用ニ至テモ亦取得者ノ負擔タルヘキモノナリ何トナレハ受取証書ハ義務ノ免除ヲ證明スルモノニシテ獨リ取得者ノ用ニノミ供スルモノナレハナリ
動産物引渡ノ方法ハ本法ニ指定スル所ナシト雖モ是レ其方法千状萬態ニシテ一概ニ規定スルヲ得サルカ故ナリ
不動産ノ引渡ニ至テハ取得者ニ建物又ハ囲障ノ鎖鑰ヲ交附スルヲ以テ足レリトセス尚ホ其塲所ヲ引渡ササル可ラス詳カニ之ヲ言ヘハ其不動産中ニ存スル所ノ一切ノ物件ニシテ賣渡物タラサルモノヲ尽ク撤去セサル可ラス
簡易ノ引渡及ヒ占有ノ改定ハ本編第百九十条ニ規定シタル所ノモノニシテ其特殊ノ性質アルカ故ニ本条更ラニ之ヲ記載シタリ
又本條ハ其目的物ノ合意ヲ以テ引渡ノ時期若クハ其場處ヲ定メサル場合ヲ規定シタリ
合意ヲ以テ其目的物ノ引渡ノ時期ヲ定メサル場合ニ於テハ義務ニ期限ナク又条件アラサルカ故ニ其義務ハ單純ノモノナリ故ニ債権者ハ即時物ノ引渡ヲ債務者ニ請求スルコトヲ得然レトモ賣買合意ヲ為シタル場合ニ於テ買主代價弁済ノ為メ期限ノ利益ヲ有セサルトキハ其代價ヲ拂ハサル限リハ買取ノ引渡ヲ請求スルコト能ハス蓋シ賣主ハ留置権ヲ有シ其物ヲ一種ノ質物トシテ保有スルヲ得(本編第二條及債権担保編第九十二條ヲ参看スヘシ)
又合意ヲ以テ其目的物ヲ引渡スヘキ場処ヲ定メサル場合ニ付テハ本条一ノ区別ヲ設ケタリ即チ合意ノ目的特定物タル場合ニ於テハ合意当時其物ノ存在セシ場所ニ於テ之ヲ引渡スヘキモノトス而シテ其物動産ナルモ容量重大ナルカ又ハ之ヲ移轉スルニ於テハ毀損スルノ恐レアルトキハ偏ヘニ此規則ヲ適用シ合意ノ当時其存在セシ場處ニ於テ引渡ヲ為スヘシト雖モ容易ニ運搬スルコトヲ得ヘキモノ例ヘハ車馬ノ如キモノニ至テハ実際当事者ノ意思讓渡人ノ住所ニ於テ其物ノ引渡ヲ為スニ在リト断定スルコトヲ要ス然ルニ合意ノ目的代替物タル場合ニ於テハ合意ノ当時其物存在シタル場所アリト謂フ可ラサルカ故ニ必ス合意以後ノ時ニ至リ其存在スル場所ニ於テ之カ引渡ヲ為ササル可カラス是ヲ以テ定量物ニ付テハ其指定ヲ為シ之ヲ特定物ト為シタルトキ其存在セシ場所ニ於テ引渡ヲ為スヘキモノトシタリ
此他ノ場合ニ於テ当事者ノ意思ヲ以テ合意ノ目的タル物ヲ引渡スヘキ場所ヲ明示セス又黙示セサルトキハ債務者ノ住所ニ於テ其引渡ヲ為スベキモノトス是債務者ニ加ヘタル一ノ保護ナリ蓋シ既ニ陳ヘタル如ク債務者ニハ徃々特殊ノ保護ヲ加フルモノニシテ之ニ類スル場合尚ホ少シトセス今一例ヲ擧示センニ定量物ノ指定ヲ為シ之ヲ引渡サントスルニ当リ債権者ヲ召喚スヘキトキ其物債務者ノ家ニ存在スルニ於テハ債権者ヲシテ債務者ノ住所ニ来リ立會ヲ為サシムルコトヲ得ヘシ又不動産ノ證書ヲ引渡スヘキ場合ニ於テモ亦此規定ヲ適用スヘシ
抑々民法ニ規定スルハ亦商法ニ関スル特別法ヲ以テ之ニ反スル成規ヲ設ケサル限リハ商事契約ニ適用スヘク而シテ商法ニ民法ノ規定ヲ制限スル成規アルモ成ルヘク其範囲ヲ嚴密ニ守リ之ヲ超過スヘカラス故ニ商品ノ賣主之ヲ買主ニ送附スルカ為メ水陸ヲ問ハス多少ノ遠路ニ之ヲ運搬スヘキ場合ニ於テハ何レノ時又如何ナル方法ヲ以テ其引渡ヲ為スヘキカヲ茲ニ論定スルヲ要ス
此問題タル普通ノ原則ヲ以テ断定スルヲ得ルモノナリ即チ賣主其引渡ノ為メ期限ヲ定メサリシトキハ荷造及ヒ運搬ニ必要ナル猶豫ヲ有スルノミニテ速カニ之ヲ引渡ササル可ラス且運送受負人ニ其物ヲ交附スルモ未タ引渡ヲ終ハリタルモノト看做ス可ラス何トナレハ運送受ヲ為ス者ハ縦令衆人一般ノ委託ヲ受クルトキト雖モ賣主ノ代理人タルニ過キサレハナリ然レトモ其運送事業逓信事務ノ如ク一ノ特権ニ属シ他ニ之ヲ為スモノアラサルカ又ハ実際他ニ運送ノ方法アラサルトキハ之ニ異ナリ其運送ヲ担当スル者ハ双方ノ黙示ノ代理人ト看做サルルノミナラス已ムヲ得サル代理人タルモノナルカ故ニ賣主之ニ其送附セントスル物ヲ交附スレハ則チ引渡ノ義務ヲ履行シタルモノトス此他ノ場合ニ於テハ実際名宛人又ハ其代理人ニ物ノ交附アリタルトキニ非サレハ其引渡ヲ終ハリタルモノト看做スヘカラス
第三百三十四條
合意ノ目的物引渡ヲ為スニ至ルマテ其保存ニ注意スヘキノ義務ハ特定物ヲ以テ合意ノ目的ト為シタル場合ニ非サレハ存セサルモノナリ是レ本条律文ニ付テ見ルモ亦充分明了ナル所ナリ
第一項ハ此義務ニ関スル一般ノ原則ヲ定ムルモノニシテ第二項ハ直チニ其範囲ヲ減縮スルモノナリ蓋シ所有権ヲ移轉スル契約ヲ為シタル場合ニ於テハ諾約者其目的物ノ引渡ニ至ルマテ其保存ニ注意スルヲ要スト雖モ亦条理ト公義トニ照ラシ之ヲ考フルニ此点ニ付テハ須ラク有償合意ト無償合意トノ間ニ一ノ区別ヲ設クルヲ要ス是ヲ以テ本条ニ合意ノ有償ナルト無償ナルトヲ区別シ有償ノ讓渡人ハ充分ノ注意ヲ以テ其物ノ引渡ニ至ルマテ之ヲ保存スルノ義務アルモ無償ノ讓渡人タル贈與者ハ其贈與シタル物ノ引渡ヲ為スニ至ルマテ之ニ加フルニ自己ノ財産ニ加フルト同一ノ注意ヲ以テスルノ義務アルニ止マリ有償ノ讓渡人ノ義務ニ比シ一層軽キ所ノ保存義務スラ猶ホ之ヲ尽ササルトキ始メテ損害賠償ノ責ニ任スヘキモノトセリ
尚ホ本法中或ル特別ノ合意ニテ所有権ヲ移轉セサルモ他人ノ物又ハ共有物ヲ保存スルノ義務ヲ生スルモノヲ規定スルニ至ラハ右ニ同シキ差異ヲ掲クヘシ例ヘハ受寄者ノ如キハ使用借主ニ比スレハ其注意ヲ為スノ責一層軽キモノナリ何トナレハ受寄者ハ無償ニテ他人ニ利益ヲ為セシムルモノナレトモ使用借主ハ自カラ利益ヲ受クルモノナレハナリ又無償ニテ他人ノ為メニ尽力スル所ノ代理人ハ報酬ヲ得テ代理ヲ為ス者ニ比スレハ其注意ノ義務一層軽カルヘシ又社員ノ如キハ共有物ヲ管理スルモノニシテ其管理ヲ為スニ当リ懈怠アルトキハ自己モ亦損失ヲ被ルカ故ニ賃借人ノ如キ物ノ破損ニ就キ利害ノ痛痒ヲ感セサルモノニ比スレハ其責任一層軽キモノナリ
第三百三十五條
本條ハ危険ノ議論ナルモノヲ規定スルヲ以テ趣旨トスルモノナリ蓋シ此理論タル合意ノ目的タル物ノ滅失若クハ毀損ハ何人ノ損失ニ帰スヘキカノ問題ヲ決スルモノナリ
夫レ危険ノ理論タル現時ニ至リテハ其趣旨頗ル單簡ナルモノト為レリ蓋シ特定物ノ所有権ヲ有スル者之カ為メ利益ヲ得ヘク又其合意ノ目的タル物滅失スルトキハ其所有権ヲ有スル者之カ為メニ損失ヲ受クヘキヤ当然ナリ是ヲ以テ論者中特定物ノ所有権ヲ得タル者危険ヲ担当スルハ一ニ其承諾ノミニ因リ所有権ヲ得ルノ結果ニシテ若シ徃昔ノ如ク要約者合意ニ因リ直チニ所有権ヲ取得セス人権ヲ取得スルニ止マリ單ニ債権者タルニ過キサルトキハ諾約者危険ヲ担当スヘキモノナリト云フ者多シ是レ誤謬ノ見觧ニシテ近世ノ法制ニ依レハ承諾ノミニ因リ特定物ノ所有権直チニ移轉スルニ由リ要約者危険ヲ担当スヘキヤ明カナリト雖モ亦此結果ハ一ニ此法制ノミノ結果ニ非ス仮令徃昔ノ如ク合意ノミニ因リ所有権移轉セストスルモ猶ホ結局要約者ハ危険ヲ担当セサル可ラス左ニ其出ル所以ヲ説明セン
既ニ羅馬法及ヒ欧洲ノ古法ニ於テハ合意ノ目的タル物ノ引渡アルニ非サレハ其所有権移轉セス要約者ハ單ニ債権者タルニ過キサリシト雖モ猶ホ要約者ノ危険ヲ担当セシハ恰モ現時其所有者ト為ルニ因リ危険ヲ担当スルト毫モ異ナルコトナカリシ是レ又以テ要約者ノ危険ヲ担当スルハ未タ必スシモ其所有者ト為ルカ故ニアラサルヲ證スルニ足ラン
加之法理及ヒ公義ニ照スモ亦物ノ危険ハ要約者ノ担当タルヘキノ理アリタリ
蓋シ法理上之ヲ見ルニ所有権移轉ノ行為未タ直チニ所有権ヲ移轉セス單ニ義務ヲ生スルニ過キサリシモ亦其義務ハ特定ノ目的物アリテ其目的物ノ良否ヲ問ハス或ハ毀損スルコトアリ或ハ増價スルコトアリ加之全ク滅尽シ或ハ其價額數倍スルニ至ルコトアリタルハ數ノ免カレサル所ナリシ而シテ債権者其物ヲ現状ノ侭引渡スニ於テハ仮令其以前ニ在ツテ既ニ其物毀損シタルモ其毀損債務者ノ懈怠ニ出テサル以上ハ亦其引渡ヲ為スノ義務ヲ履行シタルモノナリト謂ハサル可カラス又之ニ反シ物ノ價額増加シタル場合ニ於テモ債務者之レカ為メ其物ノ一部分ヲ保有シテ引渡ヲ為サス或ハ増價ニ應シ金銭ヲ以テ賠償ヲ受取ラントスルカ如キハ到底法理ノ許ササル所ナリシヤ明カナリ
唯物ノ全部滅尽シタルトキハ債務者全ク其義務ヲ免カルヘキヤ否ヤニ付キ較ニ疑團ヲ生スヘキニ似タリト雖モ亦之ニ其滅失ノ責ヲ帰ス可カラサルトキハ債務者全ク義務ヲ免脱スヘキヤ羅馬法学者モ亦未タ疑ヲ容レサリシ然リト雖モ合意ノ双務ニシテ債務者亦自ラ對当ノ利益ヲ受クルノ権利アル場合ニ於テハ或ハ其之ヲ得ルノ当否ヲ疑フ者アリタリ例ヘハ賣主未タ賣渡物ノ引渡ヲ為ササルニ当リ其物滅失シテ之ヲ引渡スコト能ハス未タ所有権ヲ移轉シ終ハラサリシトキハ其代價ヲ得ヘカラスト云ヒ若シ之ヲ得セシムルトキハ即チ原因ナクシテ代價ヲ請取ラシムルモノナリト称スル者アリタリ然リト雖モ是レ皮想ノ見觧タルニ過キサリシ蓋シ合意ノ一度成立スルヤ其双務ナルトキハ必ス二個ノ義務ヲ生シ而シテ其義務ハ相對立スト雖モ亦相異ナルモノニシテ一方ノ義務ハ相互ニ他ノ一方ノ義務ノ原因タリシモノナレハ一旦其発生スルヤ相共ニ全ク無関係ノモノナリシ故ニ一方ノ義務履行ノ不能ニ因リ消滅スルコトアルモ尚ホ他ノ一方ノ義務履行シ能ハサルニ非サル限リハ依然存立スヘキモノナリシ是ヲ以テ賣買ノ場合ニ於テ其目的タル特定物ハ滅失スルモ之ニ反シテ代價タル金銭ハ定量物タルカ故ニ決シテ滅失スルコトナシ故ニ賣買ノ目的タル特定物滅失スルニ之ニ對スル代價ヲ拂フノ義務消滅スルコトナカリシナリ是レ所有権單ニ合意ノミニ因リ移轉セサリシニ拘ハラス法律上要約者危険ヲ擔当スヘシト為セシ所以ナリ
又條理上之ヲ見レハ要約者危険ヲ擔当スヘキノ理一層明瞭ナリシ蓋シ合意ヲ為シタル時ヨリ其目的物ノ引渡ヲ為スニ至ルノ間ニ在ツテ物ノ價額二倍若クハ三倍シタルコトハ実際屢々其例ヲ見タルトコロナリシモ之カ為メ利益ヲ得ル者債権者タリシハ何人モ未タ曽テ異議ヲ容レサリシ所ナリ故ニ其目的物ノ價額増加シタルトキ此利益ヲ受クルノ補償トシテ意外ノ滅失アリタルトキ債権者之ヲ負擔スヘキヤ当然ナリシ是ニ由テ之ヲ観レハ羅馬法ニ於ケルカ如ク合意ノ効力直チニ所有権ヲ移轉セストスルモ猶ホ要約者物ノ危険ヲ擔当セサル可カラス
其レ然リ然レトモ現時ニ至リテハ既ニ要約者危険ヲ擔当スヘキ所以ヲ説明スルカ為メ以上ノ理由ヲ以テスルヲ要セス要約者物ノ増價ノ利益ヲ得又其毀滅ノ損失ヲ被ルヘキ所以ヲ説明スルニハ一層單簡ニシテ且直接ナル理由アリ曰ハク要約者ハ直チニ合意ノ目的物ノ所有者ト為ルカ故ニ其増減ノ為メ利害ヲ受クルモノナリ故ニ徃昔法律ノ確言ニ「物ハ所有者ノ為メニ滅失ス」ト云ヒシモ其適用徃々当ヲ得サリシカ現時ニ至リテハ一々此確言ヲ以テ要約者カ危険ヲ擔当スル所以ヲ説明スルヲ得ヘシ
然リト雖モ合意ヲ以テ諾約者危険ヲ擔当スルハ敢テ法律ノ禁スル所ニ非ス此場合ニ於テハ其合意射倖ノ性質ヲ有シ諾約者ハ意外ノ事及ヒ不可抗力ニ對スル一種ノ保険人タル位置ヲ有スルモノナリ斯カル場合ニ於テハ諾約者ノ得ル所ノ利益亦従ツテ多カルヘク且合意ヲ以テ危険ヲ諾約者ノ負担トスルノ約款ヲ設クルハ諾約者ニ責任ヲ帰スヘキヤ否ヤノ点ニ就キ争論ヲ豫防スルノ利益アルヘキナリ
本條ニ於テモ亦停止条件ノ合意ニ附帯セル場合ヲ以テ本条適用ノ範囲外ニ置キタリ蓋シ合意ニ停止条件ノ附帯スル場合ニ於テハ要約者ノ権利未タ直チニ合意ノ効力ノミニ因リ発生スルモノニアラス其条件成就スルヲ待テ始メテ発生スヘキカ故ニ物ノ滅失ハ要約者ノ損失ニ帰ス可ラス此点ニ附テハ条件ノ事ヲ説明スルニ当リ詳細ニ弁明スル所アルヘシ且合意ノ停止条件ヲ帯フル場合ニ於テハ物件ノ單ニ毀損スルニ止マリ又ハ其一分ノ滅失シタルトキ危険ノ担当何レ当事者ニ在ルヤニ就キ特殊ノ規定アルヲ以テ亦共ニ之ヲ説明スヘシ(本編第四百十九條及ヒ第四百二十条ヲ参観スヘシ)
本条第二項要約者ヲシテ危険ヲ負担セシムルノ規則ニ一ノ例外則ヲ設ケタリ其例外則ヲ適用スヘキ場合ハ物ノ滅失若クハ毀損意外ノ事若クハ不可抗力ニ因ルト雖モ諾約者引渡ヲ為スノ遲滞ニ附セラレタル後ニ在ルトキ即チ是レナリ但此場合ニ於ケルモ猶ホ諾約者ヲシテ危険ヲ負担セシムルニハ其遲滞滅失ノ原因タルコト換言スレハ若シ物ノ引渡ヲ為シタリシナラハ其滅失セサルヘカリシコトヲ要ス例ヘハ一個ノ動産ヲ賣渡シタル後直チニ其引渡ヲ為スヘキニ未タ之ヲ為ササリシトキニ当リ賣主ノ家火ヲ発シ為メニ其動産灰燼ニ帰シタルトキノ如キ即チ是レナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ買主ノ家共ニ類焼スルコト稀レナルヘク又仮令其類焼スルモ買主ハ其買取リタル物ヲ救フヲ得ヘカリシヲ以テ賣主ノ過失間接ニ物件滅失ノ原因タルヤ明カナリ之ニ反シ家屋ヲ賣買シタル場合ニ於テ雷火ニ因リ又ハ大火ノ為メ延焼シタリシニ因リ其家灰燼ニ帰シタリシトキハ仮令其以前ニ在テ諾約者之ヲ要約者ニ引渡スモ猶ホ其家ノ延焼ヲ免カレサルヘキカ故ニ買主危険ヲ担当セサル可ラス
第三百三十六條
凡ソ義務履行ノ為メ期限ヲ定メタル場合ニ在テ其期限到来スルモ未タ必スシモ之カ為メ債務者直チニ遲滞ニ附セラルルモノニアラス抑々債務者ヲ遲滞ニ附スルニハ債権者之ニ義務履行ノ催告ヲ為スコトヲ要スルヲ通則トス蓋シ義務ヲ負担スルモ知ラス識ラス之ヲ履行スヘキ時ヲ經過セシムルハ人情ノ已ムヲ得サル所ナルヲ以テ法律ハ人情ヲ斟酌シ其履行期限ノ到来ノミヲ以テ直チニ債務者履行ヲ遲滞シタルノ過失アリト看做サス尚ホ債務者ヲシテ其既ニ義務ヲ履行スヘキ時期到来シタルコトヲ知ラシムルコトヲ必要ト認メタリ而シテ債務者ヲシテ其既ニ義務ヲ履行スヘキ期限ニ至リタルコトヲ知ラシムルニハ期限ノ到来後ニ催告ヲ為スコトヲ要ス尚ホ此他ニ債務者遲滞ニ附セサルルノ方法アリ
本条第一号ニ定ムル所ノ債務者ヲ遲滞ニ附スルノ三個ノ方法ハ債権者ノ行為ニ係ルモノアリ其第一ノ方法ハ債権者裁判上ノ請求ヲ為スニ在リテ其請求ヲ為ストキハ第一ノ訴訟手続ヲ行フヲ以テ充分之ニ告知ヲ為スニ足レリトス又判決若クハ公正証書ノ如キ執行力ヲ有スル証書アルトキハ債権者其謄本ニ執行ノ令命ヲ附シ之ヲ債務者ニ送達スルヲ以テ足レリトス又債権者執行力ヲ有スル証書ヲ有セサルモ直チニ裁判上ノ請求ヲ為サス而シテ又其権利ヲ保護セント欲セハ合式ニ催告書ヲ送達スヘシ催告書送達ノ方式ニ至テハ本法ニ之ヲ規定セスシテ特別法ニ之ヲ譲リタリ而シテ催告書ノ送達及ヒ執行文ノ提示ハ公吏ヲシテ之ヲ掌トラシムルト雖モ訴訟以外ノ手続ニ属スルヲ以テ之ヲ裁判外ノ行為ト称ス
加之私書ヲ以テスル告知モ明白ニシテ且債務者ノ承認スル所トナルトキハ之ヲ以テ債務者ヲ遲滞ニ附スルニ足ルヘキナリ何トナレハ公正ノ方式ハ敢テ証拠ノ為メニ必要ナルニ過キサレハナリ況ンヤ債務者自カラ其遲滞ノ過失アルコトヲ認知シタルトキハ遲滞ニ附セラルヘキヤ明ナリ然ルニ本条ニ付遲滞ノ場合ヲ明記セサルハ是レ敢テ法文ヲ俟タサル所ニシテ一般ノ原則ニ依リ然カリ断定スルヲ得ヘキカ故ナリ
然リト雖モ亦期限ノ到来ノミニ因リ債務者ヲ遲滞ニ附スルコトヲ得ル場合アリ本条其場合二箇ヲ指定シ又一ノ特別ナル場合ヲ定メタリ此特別ナル場合ハ他ノ二箇ト少シク趣ヲ異ニスル所アリト雖モ亦第三ノ場合ト看做スコトヲ得ヘキモノナリ左ニ之ヲ叙述セン
第一、法律ヲ以テ或ル場合ニ於テハ期限ノ到来ノミニ因リ債務者ヲ遲滞ニ付シ以テ債権者ヲ保護スルヲ必要ト看做シタル場合
第二、合意ヲ以テ期限ノ到来ノミニ因リ債務者遲滞ニ附セラルヘキ旨ヲ明白ニ約シタル場合蓋シ此場合ニ於テハ特ニ催告ヲ為スニ及ハサル旨ヲ証書ニ記載スルヲ要セスト雖モ亦他日毫モ異議ヲ生セサラシメンカ為メニ明瞭ニ其旨ヲ記載スルニ若カサルナリ
第三、債務者カ履行ノ為メ定メタル時期ノ到来ニ因リ明約ナク又他ニ催告ヲ受ケスシテ遲滞ニ附セラルヘキ場合此場合ハ種々ノ事情ニ関スルモノニシテ法文ニ一々之ヲ指示スルコト能ハサルカ故ニ汎博ナル文辞ヲ以テ其要領ヲ示シタリ例ヘハ婚姻若クハ葬儀ノ如キ公私ノ儀式又ハ祭典等ニ必要ナル物ノ賣買若クハ賃貸借ヲ約シ而シテ諾約者其時期ヲ知リタル場合ノ如キハ即チ債務者其時期ヲ経過シタルノミニ因リ直チニ遲滞ニ附セラルヘキ場合ナリ蓋シ斯ノ如キ場合ニ於テ要約者儀式ヲ行フ前又ハ将ニ其物ヲ使用セントスル時刻ニ当リ催告ヲ為ササル可カラストセハ既ニ其時期ヲ失シ毫モ催告ノ用アラサルヘキヤ明カナリ故ニ債務者期限ノ到来ノミニ因リ直チニ遲滞ニ附セラルヘシ然レトモ此場合ニ在テハ其実当事者間ニ諾約者期限ノ到来ノミニ因リ遲滞ニ附セラルヘキノ特約アリタルニ外ナラスト謂フ可シ
不作為ノ義務ニ就テハ債務其約ニ違フテ作為シタルノ一事ニ因リ直チニ遲滞ニ附セラレタルモノト看做ス其理由ハ後第三百八十四条ニ至リ之ヲ説明スヘシ
金銭ヲ目的トスル義務ニ於テ遲延利息ヲ生セシムルカ為メ必要ナル附遲滞ノ規則ハ以上陳フル所ト少シク異ナル所アリテ後第三百九十三條ニ之ヲ規定ス
第三百三十七條
作為ノ合意及ヒ不作為ノ合意モ亦授與スルノ合意ト同シク実際屢々行ハルルカ故ニ茲ニ其効力ヲ規定スルヲ至当ト為スカ如シ然リト雖モ其合意ニ因リ生スル義務ノ効力ヲ規定スルトキハ自カラ其合意自体ノ効力ヲ規定スルヲ得ルカ故ニ本條ハ作為又ハ不作為ノ合意ノ効力ハ次章義務ノ効力ノ規定ニ従フヘキモノトシタリ又與フルノ義務及ヒ引渡ノ義務ニ付テモ尚ホ多少次章ニ至リ重ネテ規定スル所アリ蓋シ引渡モ亦一ノ作為ナルカ故ニ此義務モ亦畢竟作為ノ義務ノ一種ト看做スコトヲ得ヘキモノナレハナリ
第三百三十八條
本條ニ掲クル所ノ原則ハ既ニ第三百二十四條ニ於テ開ルモノナリ
承継人トハ「他人ノ権利ヲ嗣襲スル所ノ人、前主ヨリ権利ヲ享有スル所ノ人」ヲ謂フ
承継人ニ二種アリ一ヲ一般ノ承継人ト云ヒ一ヲ特別ノ承継人ト云フ一般ノ承継人トハ権利ノ性質上他人ニ移轉シ得ヘカラサル所ノモノヲ除キ其他総テ其前主ノ一切ノ権利ヲ享有スルヲ謂ヒ特別ノ承継人トハ一個若クハ數個ノ特定物ニ付キ其前主ノ権利ヲ享有スルニ過キサルモノヲ謂フ
一般ノ承継人タル者ハ家督相続人、包括名義ノ受贈者及ヒ贈與者並ニ債権者ナリ特別ノ承継人タル者ハ有償若クハ無償ノ権原ニ因ル特定物ノ取得者即チ譲受人ナリ
一般ノ承継人ト特別ノ承継人トノ間ニ存スル差異ハ頗ル大ナルモノニシテ以下諸條ヲ對照スルトキハ自カラ明カナルヘシ今其概要ヲ約言センニ一般ノ承継人ハ其前主取引ヲ為スニ拙劣ニシテ不制ナル合意ヲ為シ又ハ不幸ニシテ損耗ヲ為シ之カ為メ資産衰頽スルトキハ亦自己ノ資産共ニ衰頽スルモノナリ然レトモ亦之ニ反シ其前主財務ヲ處理スルニ巧ミナルカ又ハ僥倖ノ利益ヲ得タルトキハ承継人ノ資産亦共ニ増殖スヘシ故ニ一般ノ承継人ハ其前主ト禍福ヲ俱ニスルモノナリ蓋シ相続人ハ其先代ノ事業ヲ営ムニ因リ利益ヲ得タルト否トニ従ヒ其享受スル所ノ相続財産ニ多少アリテ先代ト其盆冨ヲ同フスルヤ明カナリ又債権者ニ至テモ特別ノ擔保ヲ有スルトキニテモ尚ホ債務者ノ一切ノ財産ヲ以テ一般ノ擔保ト為スカ故ニ債務者ノ行為如何ニ因リ其一般ノ擔保日々増減シ之カ為メ利害ヲ受クルモノナリ
之ニ反シ特別ノ承継人タル買主、交換者、受贈者ノ如キハ敢テ不利ナル運賦ヲ被フルコトナク又意外ノ利益ヲ得ルコト無シ蓋シ特別ノ承継人ハ譲受ケタル所有権其他ノ権利ニ関シ其前主即チ譲渡人ノ位置ヲ合意ノ当時ノ形状ニテ承継スルモノナリ是ヲ以テ此種ノ承継人ハ既徃ニ在テハ承継人タルノ位置ヲ承諾シタルカ故ニ此資格ヲ有スト雖モ将来ニ向テハ承継人タル者ニ非ス即チ其権利ヲ譲受ケタル後ニ至リ譲渡人ノ為シタル所ノ行為ニ付テハ全ク無関係ニシテ其事ニ付テハ第三者タルモノナリ本款第二則ニ於テ特別ノ承継人ノ位置ヲ規定セルハ即チ其第三者タルノ資格ヲ有スル
本條ハ一般ノ承継人モ猶ホ前主ノ権利ヲ享受セス又ハ其行為ノ為メニ損害ヲ被ラサル場合アルコトヲ漠然記載シタリ例ヘハ終身年金権ヲ設定シタルトキノ如キ要約者ノ為メ其畢生間ヲ限リ権利ヲ設定シタル場合ニ於テハ其合意ニ依リ相続人ニ権利移轉セサルモノナリ此他法律ニ於テ相続人ニ権利ノ移轉ヲ認許セサル場合頗ル多ク以下其場合ヲ定ムルコト少カラス既ニ本編ニ在テハ用益権、使用権及ヒ住居権ハ相続人ニ移轉ス可カラサルモノナルコトヲ定メタリ又文武ノ恩給ノ如キハ一ニ本人ニノミ限リ給與スルモノニシテ相続人ニ之ヲ受クルノ権利移轉スルコトナシ又相続人ニ利益ヲ附與セス又損害ヲ及ホササル契約アリ例ヘハ代理ノ如キハ委任者若クハ代理人ノ死去ニ因リ消滅スルモノニシテ或ハ會社ノ如キモ亦社員一人ノ死去ニ因リ觧散シ相続人ニ其効力ヲ及ホササルモノナリ但是等ノ場合ニ於テモ本人死去ノ前代理若クハ會社契約ニ基キ有効ニ為シタル行為ハ相続人ヲ利シ又ハ之ヲ害スルモノナリ
第三百三十九條
本條ニ掲クル所ノ法則ハ民法ノ原則中尤モ重要ナルモノノ一ニ居ルト雖モ亦一層高尚ナル他ノ原則ノ適用ニ過キスシテ其原則タル嘗テ述ヘタル所ニシテ債権担保編ニ至リ明カニ之ヲ掲クヘシ曰ハク「債務者ノ総財産ハ其債務ノ担保即チ其債権者ノ担保ナリ」ト
抑々債務者負債堆積シテ財政上困難ナル地位ニ陥ヒルトキハ自己ノ債務者ニ對シ其債権ヲ行用シ又ハ自己ノ財産ヲ回復スルカ為メ其物権ヲ行フモ債権者數多アルカ為メ毫モ自己ニ得ル所無キヲ以テ遂ニ怠テ其権利ヲ行ハサルコト実際少シトセス斯ノ場合ニ於テ債務者其権利ヲ行ハサルハ決シテ縦容スヘキニ非ス冝ク法律ヲ以テ債権者ニ其結果ヲ避ケ其弊害ヲ除クノ方法ヲ附與スヘキナリ是レ本條ノ目的トスル所ナリ
前段述フル所ヲ以テスレハ本條第一項ニ債権者其債務者ニ属スル権利ヲ申立テ及ヒ其訴権ヲ行フコトヲ得ルノ法則ヲ定メタル所以ヲ説明スルニ足ルヘシ而シテ第二項ハ債権者其債務者ノ権利ヲ行フノ主タル方法ヲ示スモノニシテ第三項ハ本則ニ二三ノ例外ヲ設ケタルモノナリ
債権者其債務者ノ権利ヲ行フノ手段ハ未タ必スシモ本條ニ指示スル所ノ三個ノ方法ニ限ルモノニアラス尚ホ此他ニ其方法ナキニアラサレトモ実際用ユル所ハ本條掲クル所最モ多キニ居ルヘシ
第一、差押○凡ソ債権者ノ行フヲ得ヘキニハ數種アリト雖モ差押ノ事タル原ト民事訴訟法ニ属スルモノナルカ故ニ其種類ヲ擧ケテ之ヲ説明スルハ敢テ本條ノ下ニ於テスヘキニ非ス且本條ニ所謂差押ハ債権者其債務者ニ對シ得タル所ノ判決ニ基キ債務者ノ財産上ニ行フ所ノモノヲ云フニ非ス此場合ニ於テハ債権者債務者ノ第三者ニ對スル権利ヲ行フニ非スシテ自己ノ権利ヲ債務者ニ對シ行フモノナリ即チ茲ニ所謂差押トハ債務者カ自己ノ債務者ニ行フヲ得ヘキモ其怠テ行ハサル所ノモノヲ云フ
第二、訴訟参加○債務者第三者ニ對スル訴訟ニ於テ原告若クハ被告タルニ当リ自己ノ権利ヲ保護スルヲ怠ルコトアリ此場合ニ於テハ債権者之ニ附隨シ其攻撃及ヒ防禦ノ為メ之ヲ補助スルコトヲ得斯ノ如ク債権者其債務者ノ訴訟ニ干渉スルヲ稱シテ訴訟参加ト云フ
且訴訟参加ニハ他ニ特別ノ利益タルモノアリ即チ債務者其相手方ト共謀シ原告ト為テハ故ラニ其請求ヲ棄却セシメ被告ト為ツテハ執行ノ言渡ヲ受クルニ至ルノ弊害ヲ豫防スルコトヲ得但債務者故ラニ敗訴スルトキハ尚ホ債権者其判決ニ對シ不服ヲ申立ツルノ方法アリト雖モ此方法ヲ行フハ甚タ困難多キカ故ニ(本編第三百四十一條ヲ参観スヘシ)債権者ヲシテ豫メ此弊害ヲ防クヲ得セシムルニ若カサルナリ此他訴訟参加ハ債務者一旦請求ヲ起シタル後之ヲ続行スルコトヲ怠リ又ハ其権利ノ証據ヲ提出スルコトヲ怠リ或ハ被告トシテ訴ヲ受ケタルトキ其答辨ヲ怠リ欠席ヲ為シ遂ニ不当ノ言渡ヲ受クルニ至ルコトヲ防クノ利益アリ
第三、間接ノ訴○間接ノ訴トハ債権者自己ニ属スル訴権ヲ行フニ非スシテ債務者ニ属スル訴権ヲ行ヒ以テ其利益ヲシテ一旦債務者ノ資産ニ入ラシメタル後間接ニ之ヲ得ルノ方法ヲ謂フ蓋シ債権者ハ第三者ニ對シ訴権ヲ行ヒ勝訴シタル後債務者慢ニ其利益ヲ消尽スルヲ防クカ為メ豫防處分ヲ行フコトヲ得ヘシト雖モ一切ノ債権者間ニ誰彼ノ区別ナク其利益ヲ分配スルヲ拒絶スルコトヲ得ス但特ニ優先権ヲ有スル場合ハ此限ニ在ラスト雖モ債権者中一人率先シテ債務者ノ訴権ヲ行フタルノ行為ハ之ニ優先権ヲ與フルノ原因タルモノニ非ス之ヲ要スルニ間接ノ訴アルモ其利益ハ一旦債務者ノ資産ヲ経テ更ニ債権者ニ移ルモノナリ是レ其間接ノ訴アル所以ナリ
然リト雖モ債権者ハ其債務者ノ訴権ヲ行フニ当リ共ニ團結シ又ハ委員ヲ選フニ及ハス又之カ為メ協議ヲ為スコトヲ要セス債務者ノ権利ヲ行フノ権ハ何レノ債権者ニモ属スルモノニシテ債権者ノ一人獨立シテ之ヲ行フモ又豫メ協議ヲ経タル後共同シテ之ヲ行フモ一ニ其意思ニ任ス
間接訴権ノ事ニ関シテハ欧洲ニ於テ異論多キ一ノ問題アルカ故ニ本法之ヲ断定シタリ即チ債務者ノ訴権ヲ行ハント欲スル債権者ハ啻ニ其債務者ニ自ラ其権利ヲ行フヘク若シ之ヲ拒絶スルニ於テハ債務者ニ代ハリ債権者其権利ヲ行フヘキコトヲ催告スルヲ以テ定レリトセス尚ホ債権者ハ裁判所ニ請求ヲ為シ債務者怠テ其権利ヲ行ハス之カ為メ将ニ損害ヲ被ラントスルコトヲ陳述シ以テ第三者ニ對シ行フヘキ訴権ニ付キ債務者ニ代位スルノ権利ヲ得サル可ラス而シテ一旦債権者代位シテ間接訴権ヲ行フタル以上ハ債務者ハ訴訟ノ継続中債権者ニ附隨スルヲ得ヘシト雖モ最早参加人タルニ過キス其初メ訴権ヲ行フヲ拒ミタルニ因リ主タル訴訟人タル地位ヲ失フヘキナリ
債権者ヲシテ債務者ニ代ハリ其名ヲ以テ訴ヲ起スヲ得セシムル所ノ裁判所ノ許可ハ之ヲ裁判上ノ代位ト稱ス是レ外國ノ判決例ニ於テ之ニ附シタル名稱ニシテ外國法律ニ於テハ明カニ之ヲ必要トセスト雖モ裁判上ノ慣例トシテ日常行ハルルモノナリ然レトモ法文ヲ以テ此事ヲ明記セサルトキハ或ハ債権者其債務者ヨリ相手取ルコトヲ得ヘキ第三者ニ對シ当然法律上債務者ノ名ヲ以テ訴ヲ起スコトヲ得敢テ之カ為メニ債務者ノ認諾ヲ得ルヲ要セス又裁判上ノ許可ヲ得ルニ及ハス其許可ハ法律ヲ以テ債権者ニ與へタルモノト看做スヘシト主張スル者ナキヲ保セス是レ本法ニ之ヲ明記シタル所以ナリ若シ夫レ裁判上ノ代位ヲ必要トセサルトキハ債権者並ニ訴訟ヲ受クル第三者ニ對シ重大ナル危害ノ及フコトアルヘシ蓋シ裁判上ノ代位ナキトキハ債務者訴訟ノ継続中係爭物ヲ處分シ第三者ト和觧シ以テ其権利ヲ消滅セシムルヲ得ヘキカ故ニ債権者之カ為メニ損害ヲ被ルコトアルヘシ又第三者ハ債権者ノ一人ニ勝訴スルモ更ニ他人ノ債権者若クハ債務者ヨリ重ネテ訴訟ヲ被ルノ恐レアルヘシ何トナレハ債権者中最先ニ訴ヲ起ス者アルモ之カ為メ他ノ債権者及ヒ債務者ノ特別ノ委任ナク自己ノ専断ニ依リタルニ過キサルトキハ其債権者ハ自餘ノ債権者及ヒ債務者ノ権利ヲ毀損スルヲ得ルモノニ非サレハナリ
但第三者ハ債務者ノ訴訟参加ヲ請求シ以テ自己ノ地位ニ関シ右ノ弊害ヲ避クルヲ得ヘシト雖モ原告タル債権者ニ至テハ和觧其他ノ行為ノ為メニ権利ヲ失フノ危険ヲ免カレサルヘシ勿論債権者ハ債務者ト第三者トノ間ニ詐欺アルトキハ之ヲ証明シ以テ其行為ヲ攻撃スルヲ得ヘシト雖モ詐欺ヲ証明スルハ殆ト難シト謂ハサル可ラス
然ルニ債権者ヲシテ裁判上ノ代位ヲ得セシムルヲ要スト定ムルトキハ先ツ債務者ニ其訴権ヲ行フヘキノ催告ヲ為シ之ヲシテ訴訟ニ参加セシメタル後ニ債権者ニ代位ヲ許ササルカ故ニ債務者ハ和觧ヲ為シ又ハ其他ノ手段ヲ以テ其権利ヲ毀損スルコトヲ得ス其権利ハ移テ債権者ノ権利ト為リ又同時ニ原告タル債権者ハ他ノ債権者ニ合式ノ告知ヲ為シタル後其代理人タルヘキヲ以テ上ニ示シタル二個ノ弊害ヲ併セテ防止スルコトヲ得ヘシ此方法ニ依ルトキハ債権者勝訴スル場合ニ於テ其判決自餘ノ債権者及ヒ債務者ヲ利シ又第三者勝訴スルトキハ其判決他ノ債権者及ヒ債務者ニ對抗スルヲ得ヘキモノト為ルヘシ(明治二十三年法律第九十三號裁判上代位法ヲ参観スヘシ)
第三項ハ債権者其債務者ノ権利及ヒ訴権ヲ行フノ規則ニ三個ノ例外則ヲ加フルモノナリ然レトモ是レ未タ眞ノ例外則ト謂フヘカラス寧ロ本則ノ範囲ヲ限定スルモノト謂フヘキナリ
第一、債権者ハ其債務者ニ属スル純然タル権能ヲ行フコト能ハス蓋シ純然タル権能ハ権利ト其性質ヲ異ニスルモノナリ而シテ今其性質相異ナル所ヲ陳フルニ先チ二三ノ適例ヲ掲ケン蓋シ債権者ハ債務者ノ地上ニ家屋ヲ建築シ其不動産ヲ賃貸シ其土地ヲ耕作シ又ハ其耕作ノ方法ヲ変革スルコト能ハサルヤ敢テ論明ヲ俟タサル所ナリ是レ此事タル亦債務者ノ権内ニ在ルヤ疑ナシト雖モ其実眞ノ権利ト稱スヘキモノニ非スシテ純然タル権能タルカ故ナリ斯ノ如キ適例ハ枚擧ニ遑アラサルナリ
之ニ反シ債権者債務者ノ承諾ノ瑕疵若クハ無能力ノ為メ之ニ属スル合意ノ鎖除訴権ヲ行ヒ又債務者ノ財産ニ加ヘタル損害ノ為メ賠償訴権其他之ニ類似スル訴権ヲ行フヲ得ヘキヤ亦敢テ疑ヲ容レサル所ナリ
其レ斯ノ如キ実例ニ就テ之ヲ見レハ債権者ノ行フコトヲ得ヘキ所ト然ラサル所トヲ区別シ換言スレハ債務者ノ権利ト権能トヲ区別スルコト容易ナリト雖モ亦一定ノ標準ヲ設ケ何レノ場合ニ於ケルモ果シテ権利アリヤ将タ純然タル権能アリヤヲ区別スルヲ得セシメサル可カラス
故ニ今権利ト権能トヲ区別スルノ標準ヲ示サンニ債務者其得ヘキ所ノ利益ヲ收ムルヲ怠ルニ於テハ必ス損失ヲ被ラサルヲ得サルトキハ其利益ハ一ノ権利ニシテ之ニ反シ利益ヲ得ルカ為メ任意ノ出捐ヲ為スヘキトキハ其利益ハ純然タル権能タルノミ而シテ債権者債務者ノ権利ヲ行フヲ得ルモ権能ヲ行フヲ得サル所以ハ之ヲ説明スルコト頗ル容易ナルモノナリ蓋シ権利ヲ怠テ之ヲ行ハサルニ於テハ必ス直接ノ損害ヲ来スヘキカ故ニ債権者悪意ノ債務者ニ代ハリ之ヲ行ヒ以テ其擔保ヲ保存スルヲ得ヘキヤ当然ナリ然ルニ権能ニ至テハ之ヲ行フモ果シテ利益アリヤ否ヤ明カナラサルニ因リ之ヲ行フニ当テハ利害得失ヲ考案セサル可カラス然ルニ其利害ヲ考案スルハ債権者ノ敢テ干渉スルヲ得サル所ニシテ債権者ハ債務者ニ代ハリ其意思ノ之ニ反スルコトアルニ抱ハラス権能ヲ行フコトヲ得ヘカラス若シ債権者ニシテ債務者ノ権能ヲ行フヲ得ヘシトセハ遂ニ債務者ニ其資産ヲ管理スルノ権利ヲ奪フニ至ルヘク法律ノ債権者ニ附與セント欲シタル利益ノ範囲ヲ超踰スルコト甚シキモノト謂ハサル可ラス加之債権者債務者ニ代ハリ其利益ヲ收メントスル場合ニ於テハ実際債権者數多カルヘキカ故ニ其間権能ノ行用ニ就キ協議調ハサルヘキヤ明カナリ然ルニ権利ノ行用ニ至テハ債権者孰レモ之ニ對シ敢テ異議ヲ容ルルモノアル可カラス但破産ノ場合ニ於テハ債権者債務者ノ権能ヲ行フヲ得ルニ至ルト雖モ是レ破産ハ正ニ債務者ニ其財産ヲ奪フモノニシテ債権者一ノ團体ヲ組織シ多數決ヲ以テ成ルヘク其利益ヲ保護センコトヲ協議スルモノナルカ故ナリ
第二、債務者ノ一身ニ専属スル権利モ亦本則ノ例外ニ属スルモノニシテ債権者ハ之ヲ行フコトヲ得ス蓋シ此権利タル金銭上ノ利益ヲ目的トセサルニ非サレトモ之ニ比スレハ無形ノ利益ヲ旨トスルコト一層大ナルカ故ニ債権者ノ一身ニノミ専属スルモノトス況ンヤ純然無形ノ利益ヲ旨トシ債権者之ヲ行フモ毫モ利益ヲ得サル所ノ権利ニ至テハ殊ニ然リトス
右ニ陳フル如ク此権利タル其性質無形ノ利益ヲ旨トスルヲ見レハ他ノ権利ト之ヲ区別スルコトヲ敢テ難シトセス今実際多ク行ハルル所ノ適例ヲ示サンニ嫡出子ノ分限請求又ハ其否認、離婚ノ請求又ハ婚姻若クハ縁組ノ無効ノ請求、誹毀若クハ其他身体ニ對スル犯罪ノ損害賠償ヲ請求スル権利等ハ即チ債務者ノ一身ニ専属スルモノニシテ債権者ノ行フ能ハサル所ノモノナリ
之ニ反シ債務者ヲシテ相続ノ全部若クハ一分ヲ回復セシムルヲ目的トスル訴権ノ如キハ無形上ノ利益ニ関係スルカ為メ債務者躊躇シテ之ヲ行フノ意ヲ決セサルトキト雖モ猶ホ債権者之ヲ行フヲ得ヘシト謂ハサル可カラス例ヘハ相続請求ノ訴権ノ如キハ仮令嫡出子ノ分限ヲ争フヘキ場合ニ於ケルモ亦債権者ノ行フヲ得ヘキ権利中ニ包含スルモノナリ此他過当ナル遺贈ノ減殺訴権、相続人廃除訴権ノ如キ亦然リトス是等ノ場合ニ於テハ訴権ヲ行フニ因リテ得ル所ノ金銭上ノ利益之ヲ行ハサル無形ノ利益ニ超過スルモノト謂フヘキカ故ニ債務者詐欺ニ出テスシテ明カニ其訴権ヲ抛棄シタルトキノ外債権者之ヲ行フノ権アルモノナリ
第三、法律ハ債務者ノ財産ヲ差押フルノ権利ヲ以テ債権者ノ擔保ノ一ト為スト雖モ或ル財産ニ至テハ債権者ノ擔保ニ非ス條理人情ヲ斟酌シ特ニ債務者ニ専属スルモノト認メ債権者ニ之ヲ差押フルコトヲ禁シタリ是レ其差押フヘカラサルモノノ稱アル所以ナリ(本編第二十九條ヲ参観スヘシ)其財産ハ民事訴訟法中強制執行ノ事項ニ之ヲ列記シタリ
第三百四十條
本條ニ規定スル所ハ即チ前條ノ規定ノ裏面タルモノナリ
夫レ債権者ハ其債務者ノ承継人タル資格ヲ有スルカ故ニ前條ニ定メタル如ク債務者ノ行為ノ利益ヲ擧ケテ之ヲ享受スト雖モ亦其行為ニ因リ債務者ノ資産ニ損失アルトキハ其結果ヲ被ラサル可ラス是ヲ以テ債務者贈與ヲ為シ又ハ有償ノ譲渡ヲ為スモ之ニ依テ得ル所少クシテ為メニ其財産ヲ減少シタルトキハ債権者ノ担保隨テ減少セサル可ラス又債務者更ラニ義務ヲ約シ其債務ヲ増加シタルトキハ従来ノ債権者ハ新債権者ト共ニ其財産ノ分配ヲ為ササル可カラサルカ故ニ其担保亦隨テ減少セサルヲ得ス
然レトモ前條ニ於ケルカ如ク本條ニモ亦例外タルモノアリ蓋シ債務者ノ譲渡及ヒ義務ニシテ債権者ニ其効力ヲ及ホササルモノアリ「債権者ノ権利ヲ詐害スルノ行為」即チ是レナリ此場合ニ於テハ債権者ハ最早承継人タルモノニ非スシテ第三者タルモノナリ何トナレハ債務者ハ自カラ其敵手ト為リタルヲ以テ債権者ヲ代表スルモノト謂フ可カラサレハナリ
本條ハ先ツ原則ヲ定メ次ヒテ例外則ヲ設ケ且詐害ノ定義ヲ下シタリ
此点ニ関シ欧洲諸國ニ於テハ法文ノ不備ナルヨリ數多ノ問題ヲ発生シ論議未タ決セサルヲ以テ本法ハ以下諸條ヲ以テ悉ク之ヲ断定シタリ
本條ニ特ニ詐害ノ定義ヲ下シタルハ詐害ハ單純ナル損害ト同視スヘカラサルモ亦全ク之ト別視スヘカラス此両者ヲシテ成ルヘ懸隔セシム可カラサルカ故ナリ抑々損トハ債務者ノ行為ニ因リ債権者ニ及ホス所ノ損失ヲ云フ而シテ其損害タル善意ニテ之ヲ加フルコトアリ詳カニ之ヲ言ヘハ債権者ニ害ヲ及ホスノ意ナクシテ之ヲ惹起スルコトアリ又之ト異ナリ債務者債権者ニ害ヲ加ヘントスルノ意思アリタルモ遂ニ実際ノ損害ノ生セサリシトキハ亦タ債権者敢テ苦情ヲ唱フヘキニ非ス何トナレハ債権者ハ苦情ヲ唱フルモ毫モ為メニ利益ヲ得ル所アラサレハナリ蓋シ利益ハ訴権ノ正当ノ原因ニシテ利益ナケレハ訴権アラサルナリ故ニ本條ニ所謂詐害ノ行為アリテ之カ為メ債権者其行為ヲ廃罷スルノ権利ヲ行フヲ得ルハ債権者ニ損害ヲ加ヘントスルノ意思ト実際ノ損害ト並ヒ存スルヲ要ス即チ事実ト意思トアルコトヲ要ス
然レトモ債務者ハ必ス其債権者ニ害ヲ加ヘントシタルノ意思ヲ力メテ隠蔽スヘカ故ニ債権者ハ其意思ノ直接証據ヲ擧クル能ハサルコト最モ多カルヘシ是ヲ以テ本條ハ債務者自カラ其現ニ無資力ナルコトヲ知リタルコト又ハ其行為ノ為メニ無資力ヲ来スヘキヲ知リタルコトヲ以テ債権者ヲ害スルノ意思アリタル証拠ト為スニ足レリトセリ然レトモ債務者知ラス識ラス既ニ無資力ナルカ又ハ既ニ無資力ナルコトヲ知ルモ更ラニ其新行為ヲ以テ資力ヲ回復スルヲ得ヘシト信シタリシトキハ仮令其行為ノ為メ債権者ニ大ナル損害ヲ及ホシタルトキト雖モ猶ホ債権者ヲ詐害スルノ行為アラサルモノトス
本條ノ規定ハ範囲頗ル廣キモノニシテ総テ債務者ノ資産ヲ減少シ之カ為メ債権者ノ担保ヲ減少スル所ノ一切ノ行為ヲ攻撃スルヲ得セシメ敢テ其性質如何ヲ問ハス其債権者ノ担保ヲ減少スルニ直接ナルコト即チ譲渡若クハ既得権ヲ抛棄シタルト間接ナルコト即チ新義務ヲ負担シタルトヲ区別スルヲ要セス加之損害ト之ヲ加ヘントスル意思トノ二個ノ条件ヲ要スルノ点ニ関シテハ有償行為ト無償行為トヲ区別スルニ及ハサルモノトス或ハ論者中贈與ニ在テハ取得者利益ヲ保存センコトヲ求ムルモノナルカ故ニ損失ヲ免レントスル所ノ債権者ニ比スレハ保護ヲ加フルコト較ニ少ナキヲ以テ足レリトスト云フ者アラン然レトモ是レ謬説スルヲ免レサル所ニシテ債務者実情ニ出テ恩義ニ酬ヒ又ハ慈愛ノ心ニ因リ贈與ヲ為サント欲シ敢テ債権者ヲ害セントスルノ悪意ニ出テサル限リハ決シテ其債務ヲ負担シ之ニ対スル債権者アルカ為メ之ヲシテ贈與ヲ為スノ権ヲ失ハシムヘキニ非サルナリ只次条ニ断定スル所ノ問題ニ関シテハ有償行為ト無償行為トニ就キ区別ヲ設ケタリ
又或ハ反対論者中受贈者ヲ措テ債権者保護シ債務者ノ意思ノ善悪ヲ問ハスシテ債権者ニ其贈與発能スルノ権ヲ與フヘシト主張スル彼ノ贈遺ノ有効ナルハ残餘ノ相続財産ヲ以テ死者ノ債務ヲ弁済スルヲ得ル場合ニ限ルヲ以テ贈與ノ場合ニ於テモ亦同一ノ法則ヲ取リ者アラン然レトモ此論拠タル容易ニ駁撃シ去ルヲ得ルモノナリ蓋シ贈與ト遺贈トノ間ニハ此点ニ就キ大ニ異ナル所アリ即チ債務者死去シタルトキ先ツ其債務ヲ弁済シタル後ニアラサレハ遺贈ノ履行ヲ為ス可カラストセサルニ於テハ債権者到底弁済ヲ得ルコト能ハサルニ至ルヘキモ債務者ノ生存スル間ハ債権者未タ必スシモ到底弁済ヲ得サルノ危害アリト謂フ可カラス
然レトモ亦贈與ノ場合ニ於テハ行為有償ナル場合ニ比シ取得者ノ為メ較ニ不利ナル所アリ蓋シ贈與ノ包括名義ナルトキハ先ツ贈與者ノ債務ヲ弁済シタル後ニアラサレハ其効ヲ奏セサルナリ何トナレハ債務者包括贈與ヲ為サハ必ス無資力タルヲ知ラサル可カラサルヤ明カナレハナリ然リ而シテ此場合ニ於ケルモ猶ホ債権者其弁済ヲ請求スルヲ得ルハ詐害行為アルカ故ニ非ス包括ノ贈與ハ一種ノ相続ナリトノ原則ニ基クモノナリ
唯債務者既得権ヲ譲渡シタル場合ト其権利ノ言込ヲ受ケタルニ当リ之ヲ取得セサル場合トハ本条ノ適用ニ関シ須ラク区別スルヲ要スルモノナリ此区別タル既ニ羅馬法ニ於テ行ハレタル所ニシテ條理ニ基キタルモノナルカ故ニ現時ニ至ルモ尚ホ之ヲ為ササル可ラス蓋シ債権者ハ債務者カ自己ノ担保ヲ減少スルコトヲ防壓シ其行為ヲ廃罷スルヲ得ルモ是レ債権者其担保ニ就キ自ラ既得権ヲ有スルカ故ナリ然レトモ債権者ハ債務者更ニ其担保ヲ増加スヘキコトヲ求ムルヲ得ス仮令人アリテ債務者ニ贈與ノ言込ヲ為シタルトキト雖モ債権者決シテ債務者ニ之ヲ取得スヘシト望ムコト能ハス又債務者ニ代ハリ自ラ之ヲ受諾スヘシト称スルコト能ハス何トナレハ贈與ノ言込アリタルトキ縦令言込ノ名望高キトキト雖モ猶ホ之ヲ受クルト否トハ一ニ債務者ノ適冝ニ任セ其自由ニ委セサル可カラサレハナリ仮令債権者斯ノ如キ権利アリト称スト雖モ到底本条ニ依ルヲ得スシテ前条ニ依ルヘキノミ然ルニ前条ニ依レハ贈與ヲ受諾スルハ純然タル権能ニシテ債務者ノミ独リ行フヲ得債権者ノ行フヲ得サルモノナリ
本条ノ法文ハ汎博ナリト雖モ亦債権者ハ差押フ可カラサル物ヲ目的トシタル譲渡行為ヲ以テ自己ヲ詐害シタルモノトシ之ヲ廃罷セシムルヲ得サルヤ多弁ヲ要セサルナリ蓋シ此場合ニ於テハ債権者自己ノ為メ損害アリト称スルコトヲ得ス何トナレハ其財産ハ譲渡シ得ヘキモノナルトキト雖モ猶ホ債務者ノ純然タル意思ニ依ルニ非サレハ之ヲ以テ其債務ノ弁済ニ供スルコト能ハサレハナリ
第三百四十一條
本条ハ債権者債務者ノ詐害行為ニ因リ被リタル損害ノ賠償ヲ求ムルカ為メ用ユルヲ得ル所ノ方法ヲ規定スルモノナリ
其第一ノ方法ハ通常用ユヘキ所ノモノニシテ債権者ヲ詐害スルノ行為ヲ取消スコトヲ以テ目的トスル訴権ナリ此訴権ヲ以テ他ノ鎖除訴権ト區別スルカ為メ之ヲ称シテ「廃罷訴権」ト云フ
第一項ニ廃罷訴権ハ債務者ト約束シタル者ニ対シ又附隨シテ詳カニ之ヲ言ヘハ時冝ニ依リ法律ノ許ス限リハ轉得者ニ対シ行フヲ得ルモノトセリ蓋シ此訴権ハ債務者ノミニ対シ行フコトヲ得サルヤ明カナリ其理由二アリ第一債務者カ第三者ト為シタル所ノ合意ハ復タ債務者ノ意思ノミヲ以テ之ヲ取消スコトヲ得ヘカラス第二債務者ハ固ヨリ無資力ナルヘキカ故ニ之ニ対シ訴権ヲ行フモ債務者ノ為メ何等ノ利益ヲモ生セサルヘシ是ヲ以テ廃罷訴権ハ債務者ト約束シタル者ニ対シ之ヲ行ハサル可ラス但第三項ニ云如ク債務者ヲシテ訴訟ニ参加セシメ之ヲシテ其行為ノ有効ナルコトヲ主張スルヲ得セシムルヲ要ス然ランニハ債権者第三者ニ対シ得タル所ノ判決ヲ債務者ニ対抗スルコト能ハサルヘシ
而シテ廃罷スヘキ行為カ第三者ニ対シ債務者ノ負担シタル義務又ハ債務者ノ之ニ対シ有シタリシ債権ノ抛棄ナル場合ニ於テハ第三者ノミ独リ被告タルヘシ故ニ廃罷訴権ハ必ス之ニ対スル対人訴権タリ而シテ第三者ハ債権者ト約束シタルモノニ非サルカ故ニ其訴権ハ契約ヨリ生スルモノニ非スシテ第三者ノ詐害ニ通謀シタルニ因リ加ヘタル不正ノ損害又ハ其不当ノ利得ニ因リ発生スルモノナリ
又譲渡ヲ廃罷スヘキ場合ニ於テモ譲渡物尚ホ取得者ノ所有タルトキハ其廃罷訴権ハ対人訴権ナリ其理由ハ前段ニ陳フル所ト同一ナリ又縦令取得者既ニ其物ヲ他ニ譲渡シタルトキト雖モ猶ホ或ル場合ニ於テハ法律上轉得者ニ対シ廃罷ヲ行フヲ得セシメタリ是レ法理上然ラサル可カラサル所ナリ蓋シ轉得者ニ対シ廃罷ヲ行フヲ得セシメサルトキハ到底損害ノ賠償ヲ為ス能ハサルコト多カルヘシ然レトモ亦毫モ詐害ニ與ミシ通謀ヲ為ササリシ第三者ニ対シ訴権ノ効力ヲ及ホシ之ニ損害ヲ加フ可カラサルカ故ニ轉得者ニ対シテハ次条ニ定ムル所ノ区別ヲ為スコトヲ要ス此区別ニ従ヒ轉得者ニ対シ廃罷訴権ヲ行フ場合ニ於テモ亦其訴権ハ普通ノ損害ニ基クモノナルカ故ニ対人訴権ナリ
第二項ハ債務者ノ詐害行為ニシテ契約ニ非サルモ亦廃罷スルヲ得セシメサル可カラサル所ノモノヲ規定ス蓋シ債務者債権者ヲ詐害スルノ意思ニ出テ第三者ヨリ訴訟ヲ受ケ被告タルニ当リ自ラ能ク弁護セスシテ故ラニ敗訴シ又ハ第三者ニ対シ訴訟ヲ起スモ外面上攻撃ヲ為スニ止マリ実際力メテ其権利ヲ主張セス遂ニ其請求ヲ却下セラルルニ至リ而シテ債権者第三百五十九条第二項ニ定メタル所ノ訴訟参加ノ権利ヲ行ハサリシトキハ裁判所全ク債務者ノ為メニ誤マラレタルモノナルカ故ニ債権者ニ其判決ヲ攻撃スルヲ許スモ決シテ裁判所ノ判決ヲ尊重スヘキノ原則ニ戻ルモノニ非ス故ニ此事ニ関シテハ特別ナル非常上訴ノ方法ヲ設ケタリ之ヲ称シテ再審ト云フ(民事訴訟法第四百八十三条ヲ参看スヘシ)
但法律ニ於テハ何レノ塲合ニアルモ必ス債務者ヲ訴訟ニ参加セシムルコトヲ要ストセリ此塲合ニ於テハ債務者ハ第三者ニ附隨シテ被告タルヘシ何トナレハ債務者ハ其行為ヲ防禦シ之ヲ約束シタル者ヲ保護スルノ責務アルモノナレハナリ(民事訴訟法第四百八十三条ヲ参観スヘシ
末項ハ廃罷ノ実効ヲ奏スルコト能ハサル塲合詳カニ之ヲ言ヘハ詐害行為ノ廃罷ヲ為スコト能ハサル塲合ヲ規定スルモノナリ此塲合ニ於テハ其行為ノ廃罷ニ代フルニ損害賠償ノ請求ヲ以テシ債権者ノ損害ヲ補償スヘキモノトス今其実例ノ主タルモノヲ擧ケンニ詐害行為タル譲渡ノ目的動産物ニシテ而シテ取得者之ヲ隠蔽シ遂ニ之ヲ発見スルコト能ハサルニ至リタルトキ又ハ詐害譲渡ノ目的動産タルカ又ハ不動産タルモ取得者之ヲ善意ノ第三者ニ轉賣シ次条ノ規定ニ從ヒ之ニ対シ廃罷訴権ヲ行フコト能ハサルトキノ如キ即チ是レナリ
何レノ塲合ニ於ケルモ物ノ轉得者ニ移リタルトキハ詐害ヲ被リタル債権者轉得者ニ対シ廃罷訴権ヲ行ハスシテ單ニ第三者ニ対シ損害賠償ノ訴権ヲ行フニ止マルコトヲ得何トナレハ轉得者ニ対シ廃罷訴権ヲ行フハ大ニ困難ナルコトアレハナリ
第三百四十二條
本条ニ断定スル所ノ三個ノ問題ハ数多ノ外国法典ニ於テ明瞭ニ規定セサルヨリ今ニ至ルマテ尚ホ法學者間ニ論議一定セサル所ノモノナリ
其第一問題ニ対スル論決ハ既ニ第三百四十四条ノ説明ヲ為スニ当リ之ヲ開示シタリ今詳カニ之ヲ説明センニ詐害行為ノ廃罷ヲ為スニハ縦令其行為無償ナルトキト雖モ猶ホ未タ單ニ債権者ニ損害アルノミヲ以テ足レリトセス其行為ノ有償ナルト無償ナルトヲ問ハス廃罷訴権ニ必要ナル基本ハ実際ノ損害ト併セテ詐害ノ意思トノ存スルニ在リ而シテ詐害ハ之ヲ推定スヘキモノニ非サルヲ以テ債権者ハ其証據ヲ擧ケサル可ラス但前ニ述ヘタル如ク債務者其無資力ナルヲ知リタルノ証據アレハ以テ詐害ノ意思ノ証據ト為スニ足ルモノトス何トナレハ債務者ノ心裡ノ善悪ヲ証スルハ到底為シ能ハサル所ナレハナリ
第二問題ニ対スル論決ハ無償行為ト有償行為トニ関シ異ナルモノニシテ廃罷訴権ノ事ニ関シ行為ノ有償ト無償トヲ區別スルハ一ニ此問題ニ就テ然ルノミ即チ行為ノ無償ナルトキハ債務者ト約束シタル所ノ第三者善意ナルモ猶ホ廃罷訴権ヲ被ルヲ免カレサルヘシ然ルニ有償権原ニテ約束シタル所ノモノハ其通謀シタルトキ詳カニ之ヲ言ヘハ債権者ニ対シテ行フタル詐欺ニ参與シタルトキニ非サレハ其行為ノ利益ヲ失フコトナシ而シテ其詐害ニ通謀シタルノ証據ハ債権者詐害ノ情状ヲ知リタルノ証明ヲ為スヲ以テ足レリトス斯ノ如ク無償行為ト有償行為トノ間ニ設ケタル区別ハ羅馬法以来法学者ノ斉シク認メタル所ニシテ其基ク所ノ趣旨頗ル至当ナリト雖モ亦徃々論者其趣旨ヲ誤リ極端ニ走リ之ヲ適用スル者アリタリ其趣旨トハ何ソヤ曰ハク「受贈者ハ利益ヲ保有センコトヲ求ムルモノニシテ詐害ヲ被リタル債権者ハ損失ヲ免レンコトヲ求ムルモノナルカ故ニ債権者ヲ保護スルコト受贈者ニ比シ一層厚キヲ要ス」ト之ニ反シ債務者ト有償権原ニテ約束シタル者ハ廃罷ノ効ヲ爭ヒ以テ債権者ト同シク損失ヲ免カレンコトヲ求ムルモノナリ故ニ其間位置ノ優劣アルモノニ非ス然ルニ同一ノ位置ヲ有スル者ノ間ニ訴訟ノ起リタルトキハ既ニ完結シタル所ヲ維持シ各自ヲシテ其既得シタル位置ヲ保有セシメ占有者ノ位置ヲ勝レリト為ス」ヲ至当トス
又詐害行為契約ニ非ス訴訟ニシテ債務者其債権者ヲ詐害スルカ為メ故ラニ敗訴シタル塲合ニ於テモ亦右ト同一ノ區別ヲ為ササル可カラス詳カニ之ヲ言ヘハ有償行為ニ基キ訴訟ノ起リタルトキハ相手方債務者ト通謀シタルトキニ非サレハ判決ノ廃罷ヲ目的トスル所ノ再審ヲ許ス可ラス之ニ反シ贈與ニ基キ訴訟起リ其履行ニ関シ訴訟アル塲合ニ於テハ受贈者債務者ト通謀セサルモ債務者其債権者ヲ詐害スルノ意思アリタルヲ以テ再審ノ訴ヲ許スニ是レリトス
第三問題ニ対スル論決ハ即チ第二項ニ掲クル所ニシテ其一点ニ就キ通常外國ノ判決例ニ於テ認ムル所ト趣旨ヲ異ニシタリ蓋シ既ニ説明シタル如ク廃罷訴権ハ債務者ト約束シタル者ニ対シ之ヲ行フコトヲ得セシメサル以上ハ充分其目的ヲ貫徹スルコト能ハサルモノナリ然レトモ詐害ヲ被リタル債務者ト其権利ヲ詐害シテ債務者ノ譲渡シタル物上ニ物権ヲ保有スト謂フ可ラス蓋シ債権者ノ財産ヲ以テ一般ノ担保トスルモ其担保タル特ニ質権ヲ得又ハ抵当ヲ設定セシメテ得タル所ノ特別ノ担保ト同一ノモノニ非ス是ヲ以テ債権者ハ物権固有ノ効力利益タル眞ノ追及権ヲ有ス可カラス唯轉得者ノ位置義務ノ要素ヲ有スルトキハ之ニ対シ対人訴権ヲ行フコトヲ得ヘキノミ
是ヲ以テ悪意ノ轉得者即チ当初債権者ノ権利ヲ詐害シタルノ事情ヲ知リタル所ノ轉得者ニ対シテハ廃罷訴権ヲ行フヲ得ヘキヤ未タ曽テ異議ヲ唱ヘタル者アラサルナリ蓋シ此場合ニ在テハ前ニ述ヘタル如ク轉得者ハ不当ノ利得ヲ受ケタルモノナレハ之ヲ返還スルノ責アルヤ明カナリ然レトモ轉得者当初詐害アリタルコトヲ知ラス其譲受ヲ為スニ当リ善意ナリシトキハ論者概ネ一ノ区別ヲ為シ有償権原ノ轉得者ハ廃罷訴権ヲ被フルコトアル可カラス但無償権原ノ轉得者ハ「損失ヲ避ケンコトヲ求ムル債権者ニ対立シ利益ヲ保有センコトヲ求ムル者ナル」カ故ニ廃罷訴権ノ効力ヲ被ルヘシト云ヘリ是レ上段ニ於テ論者徃々此原則ノ趣意ヲ謬リタリト言ヘル所ナリ
本法ハ欧洲ノ法学者間ニ行ハルル所ノ通説ト其趣意ヲ異ニシ善意ノ轉得者ハ其取得ノ権原如何ヲ問ハス換言スレハ其有償ノ取得者タルト無償ノ取得者タルトヲ問ハス均シク之ヲ保護シタリ蓋シ債権者ニ加ヘタル詐害アリタルコトヲ知ラスシテ贈與ニ因リ轉得ヲ為シタル者ハ偏ニ「利益ヲ保有スルコトノミヲ求ムル」モノト謂フ可カラス又他人ノ財産ヲ不当ニ利得シタルニ因リ返還ノ義務ニ服従スヘキモノナリト謂フ可カラス実ニ受贈者モ其贈與ヲ有効ニ取得シタルモノト自信シタルニ当リ忽然之ニ其利益ヲ奪フトキハ亦買主ト同シク損害ヲ被ルモノト謂ハサル可ラス蓋シ受贈者其贈與者其贈與ヲ受ケ安心シテ其利益ヲ保有スルヲ得ヘシト信シタルトキハ其生計ノ状態ヲ変シ或ハ結婚シ或ハ商業若クハ工業ヲ起シタルコト無シトセス然ルニ之ニ其贈與ノ利益ヲ奪フトキハ忽チ其資産ヲ傾倒シ之ヲシ零落セシムルニ至ルコトアルヘキナリ彼ノ詐害行為ヲ為シタル債務者ヨリ直接ニ贈與ヲ受ケタル者ニ至テハ多少之ニ懈怠ノ責ヲ帰セサル可ラス就中贈與者ノ地位ヲ穿鑿シ而シテ後贈與ヲ受クヘキニ其注意ヲ為ササリシハ其責ヲ免カル可カラスト雖モ轉得者タル受贈者ニ至テハ最初ノ譲渡ヲ為シタル者即チ詐害ヲ為シタル債務者ヲ識ラサルヘキカ故ニ毫モ之ニ懈怠ノ責ヲ帰ス可カラス
是ヲ以テ本条ハ此点ニ就キ断然通説ト其趣意ヲ異ニシタリ
第三百四十三條
本条ニ掲クル所ノ規定中其第一ニ付テハ毫モ疑議ノ容レルヘキモノナト雖モ其第二ニ至テハ較ニ論議ヲ生スルコトアルヘシ
抑々債務者詐害行為ヲ遂ケタル後ニ至リ始メテ之ト約束シタル所ノ債権者ハ詐害ヲ受ケタリト謂フコト能ハサルヤ明カナリ蓋シ該債権者ハ債務者ノ悪意ヲ了知シ其財産ト債務トノ現状如何ヲ知ラサル可カラサルカ故ニ決シテ之カ為メニ誤ラレタリト謂フ可カラス是ヲ以テ廃罷訴権ハ詐害行為ノ行ハレタル以前ニ在テ債権者タリシ者ニ非サレハ之ヲ行フコト能ハス
然レトモ亦或ル學者ノ唱ヘタルカ如ク一旦廃罷訴権ヲ行フタル後其廃罷ノ利益モ亦詐害行為以前ノ債権者ニノミ属スヘシトスルハ其債権者ノ利益ヲ保護スルコト過当ナリト謂ハサル可カラス若シ果シテ然ルヘシトセハ遂ニ債権者ヲ二階級ニ分チ其間ニ分配スヘキ財産ヲ二團ニ別ツニ至ルヘキモ斯ノ如キハ破産及ヒ無資力ノ原則ニ背馳スル所ナリ
抑々廃罷ノ効力ハ事物ヲシテ詐害行為ノ未タ行ハレサリシトキノ状態ニ復セシメ債務者ノ資産ヲシテ其以前ノ旧状ニ復セシムルニ在ルモノナリ故ニ詐害行為カ債権者ノ一人ニ対シ約束シタル義務ナルトキハ其債権者ノミ独リ債務者ノ財産分配ニ加フルコト能ハス之ヲ除斥シタルノ利益ハ自餘ノ債権者ニ属スヘキナリ又債務者其有スル債権ヲ佯テ抛棄シ以テ債権者ヲ詐害シタルトキハ其抛棄ヲ受ケタル者其債務ヲ弁済スヘク総債権者之ヲ分配スルノ利益ヲ享受スヘシ譲渡ヲ廃罷シタル場合ニ於テモ亦其趣意同一ニシテ譲渡シタル物更ニ債務者ノ資産ニ復帰シ之ヲ賣却シテ其代價ヲ総債権者間ニ分配スヘシ然レトモ廃罷ノ言渡ヲ受ケタル者モ亦自カラ其譲渡ノ對価ヲ給附シタリシトキハ自餘ノ債権者ト共ニ分配ニ與リ己レカ曽テ拂フタル所ノ代價又ハ有價物ノ返還ヲ受クルコトヲ得ヘシ
本条末段ニ債権者間ニ適法ノ先取原因ノ存スル場合ヲ以テ本条ヲ適用スヘキ限ニ在ラサルモノトシタリ是レ亦廃罷シタル行為ハ未タ曽テ存セサリシモノト看做スノ趣意ヲ適用シタルモノナリ例ヘハ債権者中廃罷ヲ行フタル者ハ之ニ因リ先取権ヲ得ルコトアリ即チ廃罷ノ為メ訴訟ヲ起シタル債権者ノ如キハ其回復シタル財産ノ價額ヲ以テ嘗テ訴訟ノ為メ其支出シタリシ立替金及ヒ費用ヲ自餘ノ者ニ先チ返還セシムルヲ得是レ総債権者ニ利益ヲ與へタルニ因リ生スル所ノ先取特権アル塲合ナリ
第三百四十四條
対人訴権ノ時効ノ期間ニシテ其最モ長キモノヲ三十年トス是証據編ニ於テ規定スル所ナリ廃罷訴権ノ場合ニ於テモ亦其時効ノ期間ヲ三十年トス蓋シ其期間ヲ三十年ト定メタルハ債権者ヲシテ自己ヲ傷害シタル詐害ヲ覺知スルニ充分ナル時ヲ得セシメンカ為メナリ然レトモ一旦債権者詐害ヲ覺知シタルトキハ其訴権ヲ行フノ期間ヲ二ケ年ニ短縮スルモ亦以テ十分ナリト認メタリ又詐害行為アリタル時ヨリ二十九年ヲ經テ始メテ詐害ヲ発見シタリシトキハ三十年ノ残期間ノミ訴権ヲ行フヲ得ルニ過キス
第二則 第三者ニ対スル合意ノ効力
第三百四十五條
本条ニ掲クル所ノ規定モ亦私法ノ原則中最モ重要ナルモノノ一ニシテ合意ノ事ヲ論スルニ当テハ絶ヘス援用スル所ニシテ終始念頭ニ忘ル可カラサルモノナリ此原則タル既ニ本法ノ条項ヲ説明スルニ当リ其理由トシテ掲ケタルコト一ニシテ足ラズ曰ク「当事者間ノ合意ハ第三者ヲ害スルコト能ハス又之ヲ利スルコト能ハス是レ容易ニ説明スルヲ得ヘキ所ナリ殊ニ其三者ヲ害ス可カラスト云ヒ第三者ヲ参與セサル所ノ合意ノ結果ヲ之ニ及ホササルノ点ニ至テハ最モ容易ニ理解シ得ヘキモノナリ蓋シ何人タリトモ其関係セサリシ所ノ行為ニ因リ自己ノ権利ヲ減少セラレ又其負担ヲ増加セラルルコトアル可カラス要スルニ何人タリトモ他人ノ行為ノ為メ損害ヲ被ルヘカラサルヤ明カナリ若シ他人ノ行為ニ因リ損害ヲ被リタルトキハ必ス其賠償ヲ得サル可カラス又他人ノ権利ノ為メ損害ヲ被ルコトアル可カラス而シテ之ヲ豫防センニハ只法律ヲ以テ之ヲ制止スルヲ以テ足レリトス
又右ノ原則ニ当事者間ノ合意ハ第三者ニ利益ヲ及ホス可カラスト云フニ至テハ敢テ公義ノ命スル所ニ非スト雖トモ亦條理ノ命スル所ナリ蓋シ当事者双方間ニ為シタル合意ヲ以テ之ニ関係セサル所ノ第三者ニ利益ヲ與フルモ之カ為メ別ニ何人ノ利益ヲモ損害スルコトナシト雖モ斯ノ如キハ事物自然ノ理ニ反スト謂ハザル可カラス加之既ニ説明シタル如ク(上段第三百二十三条ヲ参観スヘシ)要約者モ亦第三者ノ為メニ為シタル要約ヲ申立テ其利益ヲ得ルコト能ハス其要約ハ何人ノ為メニモ効力ナキヲ普通ノ原則ト為ス
然レトモ亦右ノ原則タル例外アリテ或ハ当事者間ノ合意ヲ以テ第三者ニ害ヲ加ヘ或ハ之ニ利益ヲ及ホスコトアリ是レ法律ニ規定スヘキ所ナリ
既ニ前則ニ於テ他人ノ為メノ要約モ亦第三百二十三条ニ指定シタル二個ノ塲合ニ於テハ有効ナルコトヲ述ヘタ然レトモ其実此場合ニ於テハ未タ右ノ原則眞ノ例外則ヲ設ケタルモノト謂フ可カラス蓋シ第三者要約ヲ受諾スル旨ヲ明言セサル以上ハ第三者ハ其利益ヲ確然享受スルモノニ非スシテ諾約者ニ対スル訴権ハ第三者ニ属セス要約者ニ属スルモノナリ唯第三者受諾ヲ為スニ至ルトキハ最早其要約ニ無関係ナルモノニ非ス其参加人タルヲ以テ其利益ヲ享要スヘシ(本編第三百二十五条ヲ参観スヘシ)
又合意ハ之ニ関係シタル者ニ非サレハ対抗スルヲ得ストノ原則ニ至テモ法律ニ二三ノ例外則ヲ設ケタリ就中商法ヲ按スルニ破産者ノ債権者ハ法律ニ定メタル多数ヲ以テ決議ヲ為シ少数ノ者之ヲ承諾セス加之之ニ反対スルトキト雖モ猶ホ之ヲシテ其決議ニ従ハシムルヲ得ルモノトセリ(商法第千三十九條)
然レトモ社員多数決ヲ以テ議決ヲ為シ少数ノ社員ヲ拘束スルヲ得ル塲合ハ敢テ本条ノ原則ニ加ヘタル例外ナリト看做ス可ラス此塲合ニ於テ多数決議ノ効力ヲ以テ總社員ニ対抗スルヲ得ルハ是レ嘗テ會社ノ定款ヲ以テ其旨ヲ定メ而シテ其定款ハ豫メ社員一致ニテ之ヲ定メ又ハ各社員入社ノ時ニ当リ一々之ヲ受諾シタルカ故ナリ
然レトモ此他ノ規定ニシテ当事者間ノ合意第三者ヲ害ス可カラサルノ原則ノ例外則ト謂フヘキモノアリ次条以下ニ掲クル所即チ是レナリ是レ之ニ本則ニ掲ケタル所以ニシテ其規定スル所ニ依レハ合意ノ効力ヲ第三者ニ及ホスコトヲ得抑々第三者ハ既ニ其以前ニ在テ取結ヒタル他ノ合意ニ関係シタル所ノモノニ外ナラス然ルニ之ニ後ノ合意ノ効力ヲ及ホシ之ヲ害スルハ特殊ノ理由アルカ為メナリ即チ第三者ハ法律ニ於テ其権利ヲ保存スルカ為メ之ニ命シタル所ノ手続ヲ行ハサリシニ因リ遂ニ其権利ヲ傷害セラルルニ至ルモノナリ
此規定三アリ第一及ビ第二ハ次ノ二条ノ主眼トスル所ナリ第三ハ其適用頗ル困難ニシテ且詳細ノ規定ヲ要スルカ故ニ第三百四十八条以下ニ於テ詳カニ之ヲ規定シタリ
第三百四十六條
本条ニ規定スル所ニ依レハ占有ニ一ノ利益ヲ與フト雖モ之ヲ以テ彼ノ徃昔所有権ヲ移轉スルカ為メ引渡ヲ必要トシタル原則ヲ再ヒ採用スルニ至リタルモノナリト謂フ可ラス蓋シ一個ノ動産ヲ重ネテ譲渡シタルトキハ前ノ結約者其所有権ヲ取得シタルヤ毫モ疑ヲ容ルヘキニ非ス蓋シ普通ノ法ニ依レハ一旦権利ヲ譲渡シタル者ハ重ネテ其権利ヲ譲渡スコト能ハサルカ故ニ後ノ譲受人ハ譲渡人ト同一ノ権利ヲ有スルニ過キス殊ニ如何ナル塲合ニ於ケルモ後ノ合意ニ関シテハ第三者タル所ノ前ノ譲受人ニ対シ追奪ヲ行フコトヲ得ヘカラサルモノナリ然レトモ立法者ノ見ル所ニ依レハ若シ後ノ結約者ヲシテ其豫見セス又豫見スルヲ得ヘカラサリシ所ノ追奪ヲ被ラシムルトキハ公義ニ反シ公益ヲ害スルカ故ニ須ク前ノ譲渡ヲ公示シ以テ此弊害ヲ豫防スヘキモノトシタリ然レトモ動産ノ譲渡ニ付テハ不動産譲渡ノ為メ設ケタルカ如ク眞ノ公示ノ方式ヲ定ムルコト能ハサルカ故ニ立法者ハ現実ノ引渡詳カニ之ヲ言ヘハ取得者現ニ物ヲ占有スルヲ以テ充分其譲渡アリタルコトヲ公示スルノ方法ニ代フルニ足レリト看做シタリ是ヲ以テ既ニ他ニ譲渡シ而シテ譲渡人ノ占有セサル動産ヲ買取リ又ハ贈與物トシテ之ヲ受取リタル者ハ不注意ノ責アルカ故ニ前合意ノ効力ヲ被フラサル可カラス蓋シ其買主又ハ受贈者ハ承継人タルニ過キスシテ総テ承継人タル資格ヨリ生スル所ノ結果ヲ被ラサル可カラス然レトモ之ニ反シ後ノ取得者譲渡人ノ尚ホ其物ヲ占有スルヲ目撃シ之ヲ譲受ケタルトキハ過失アル者ハ其取得者ニ非スシテ引渡ヲ請求セサリシ所ノ前ノ取得者ナリ此場合ニ於テハ法律上前後ノ取得者ノ位置変轉シ前ノ取得者承継人ノ資格ヲ有シ後ノ取得者第三者資格ヲ得其譲受ヲ為ス以前ニ在テ他ニ譲受ヲ為シタル者アルモ之ヲ知ラサルカ故ニ敢テ其前ノ譲受ノ効力ヲ被フルニ及ハス是ニ於テカ後ノ合意ハ之ニ関係セサル者ニ害ヲ及ホスカ故ニ本条ハ前条ニ定メタル原則ノ一ノ例外則タルモノナリ
本条ハ現実ノ占有ニ附スルニ優先権ヲ以テスト雖モ亦之ヲシテ左ノ二個ノ条件ニ繫ラシメ以テ此規定ヲ充分公平ナラシメタリ
第一、占有者善意ナルコト詳カニ之ヲ言ヘハ其前ノ譲渡ヲ知ラサリシコトヲ要ス此点ニ附キ本条ハ特ニ一ノ問題ヲ規定シタリ蓋シ此規定ナケレハ実際論議ノ帰着スル所ナキニ至ルヘケレハナリ即チ善意ハ合意ノ時ニ当リ存スルヲ要スルカ将タ占有ヲ得ル時ニ至ルモ尚ホ存スルコトヲ要スルカノ問題是レナリ而シテ本条ハ合意ノ時ニ当リ占有者善意ナルヲ以テ足レリトセリ蓋シ合意ヲ為ス時ニ当テヤ後ノ取得者ハ未タ毫モ権利ノ関係ヲ起ササルカ故ニ前ノ譲渡ヲ覺知シタルトキハ須ラク結約セサルヲ要スルモ一旦合意ヲ為シタル後ニ至リ尚ホ法律ニ其前ノ譲渡ヲ発覺スルニ於テハ占有ヲ請求ス可カラスト定ムルトキハ之ヲ強ユルニ其至当ニ得タル所ノ権利ヲ抛棄スヘキコトヲ以テスルモノニシテ不当ノ規定タルヲ免カレサルヘシ
第二、後ノ譲受人合意ヲ為ス時ニ当リ前ノ取得者ノ財産ヲ管理スル責任ナキコトヲ要ス若シ其責任アルトキハ後ノ取得者ハ前負担スルモノナリ故ニ後ノ譲受人善意ニテ現実ノ占有ヲ為スモ前ノ譲受人ニ其譲受ノ効力ヲ対抗スルコト能ハス取得者ノ為メ占有ヲ為シ就中自己ノ為メ其占有ヲ得サルノ義務ヲ例ヘハ後見人若クハ夫其被後見人若クハ其婦ノ譲受ケタル動産ヲ取得シタル場合ノ如キ即チ是レナリ
然リ而シテ前後ノ譲受人何レモ現実ノ占有ヲ為ササルトキハ則チ所有権ハ承諾ノミニ因リ取得者ニ移轉スルノ原則ヲ適用スヘシ故ニ前後ノ取得者共ニ回復訴権ヲ起ストキハ前ノ取得者勝訴スヘシ是ヲ以テ譲渡人無資力ト為ルモ前ノ譲受人ハ債権者ト共ニ分配ヲ受クルニ及ハス之ヲ排斥シテ以テ自己ノ譲受ケタル物ヲ引渡サシムルヲ得ヘシ而シテ後ノ譲受人ハ譲渡人ニ対シ損害賠償ヲ求ムルコトヲ得譲渡人ノ債権者ハ第三百四十条ニ依リ後ノ譲受ヲ以テ自己ノ権利ヲ詐害シタルモノトシ之ヲ攻撃スルコトヲ得ス何トナレハ債務者ハ後ノ譲渡ヲ為ス時ニ当リテハ既ニ其財産ヲ所有セサリシカ故ニ毫モ債権者ニ損害ヲ加ヘサレハナリ
本条第一項ハ其適用ヲ有体動産ニ限リ以テ無体物タル債権ヲ除却シタリ蓋シ無体物ハ之ヲ占有スルヲ得ヘキモ其占有ハ外見ノ行為ニ依リ顯表スルモノニ非ス只第二項ニ於テ無記名証券ヲ例外トシ之ニ第一項ノ規則ヲ適用シタリ蓋シ無記名証券ハ何人タリトモ其証書ヲ占有所持スル者ノ為メ義務ノ存立ヲ証明スル所ノ証券ナリ(概ネ其証券ハ国債若クハ大組合ノ債務ノ証書タルモノナリ)是ヲ以テ無記名証券ノ占有ハ後ノ譲受人ノ為メ有対物ニ関スルトキト同一ノ利益ヲ生シ前ノ譲受人ニ害ヲ及ホスヘキヤ当然ナリ
第三百四十七条
債権ノ譲渡ハ実際極メテ重要ナルモノナリ然レトモ本条ニ定ムル所ハ僅カニ債権ノ譲渡ノ為メニ設ケタル一種ノ公示ノ方法精確ニ之ヲ言ヘハ其譲渡ヲ関係人ニ知ラシムルノ方法ニ過キサルコトハ本条ノ律文ヲ一読スレハ自ラ了解スルヲ得ヘシ
今仮リニ債権ノ譲渡ヲシテ何等ノ公示法ニモ從ハシメサルモノトセハ実際下ニ示スカ如キ結果ヲ生スヘシ即チ第一譲受人ハ其権利ヲ債務者ニ対抗シ債務者ハ最早譲渡人タル債権者ニ有効ニ弁済ヲ為スコト得サルヘク第二譲受人ハ譲渡人ノ債権者ニ其権利ヲ対抗シ其債権者ハ最早自己ノ債務者ニ属セサル所ノ債権ニ付キ拂渡差押ヲ為スコト能ハサルヘク第三譲受人ハ自己ヨリ後ニ譲受ヲ為シタル者ニ其権利ヲ対抗シ後ノ譲受人ハ既ニ譲渡アリタル債権ヲ有効ニ取得スル能ハサルニ至ルヘシ故ニ債務者、譲渡人ノ債権者及ヒ後ノ譲受人ハ前譲受人ノ権利ノ効力ヲ被フリ之ヲ対抗セラルルモノニシテ譲渡人ノ承継人ノ位地ヲ有シ譲渡人ノ示後行フタル所ノ行為ノ効力ヲ被ラサルヘカラス又後ノ譲受人モ自己ノ行為以後ニ行ハレタル行為例ヘハ其譲受ケタル債権ヲ減少スヘキ所ノ一分ノ辨済若クハ和解アリタルトキハ亦同シク承継人ノ位置ヲ有スヘク只其自己ノ行為以前ニ行ハレタルモノニ付キ第三者タルヘキノミ
然レトモ此位置タル頗ル一般ノ信用ヲ害シ公益ヲ損傷スルコト少カラサルモノナリ何トナレハ結約者ハ欺瞞ニ錯誤ニ陥ルコトヲ免レス到底之ヲ避クルコトヲ得サルヘケレハナリ而シテ債権譲渡ノ場合ニ於テハ其証券ノ交付引渡ヲ以テ其譲渡アリタルコトヲ公示スルニ足ルヘキモノト認ム可カラサルカ故ニ法律ハ他ニ其公示ノ方法ヲ設ケタリ然リ而シテ法律ハ債権ノ譲渡ヲシテ或ル公示ノ方法ニ従ハシムト雖モ是レ只関係人相互ノ位置ヲ維持スルカ為メ前キニ叙述シタル所ノ承継人ニ対スル危害ヲ豫防スルヲ得ルニ足リ而シテ譲受人ノ容易ニ履行スルヲ得ル所ノ條件ヲ定メタルニ過キス
以下本條ニ定メタル方式ヲ以テ公示法ニ代フルヲ得ル所以ヲ説明セン
其方式ニ二種アリ第一ハ債務者ニ債権譲渡アリタルコトノ告知ニシテ其告知タル譲渡人之ヲ為スコトヲ得ヘク又譲受人私署証書ヲ以テ譲受ヲ為シタルトキハ譲渡人ト連名ニテ之ヲ為シ又ハ其許可ヲ得テ獨リ之ヲ為スコトヲ得第二ハ債務者ノ受諾ニシテ其受諾ハ債務者債権ノ譲渡ニ参與シ其譲渡証書中ニ於テ之ヲ為スカ又ハ別証書ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得ト雖モ公正タルト私署タルトヲ問ハス証書ニ明記スルヲ必要トス
蓋シ債務者ニ債権ノ譲渡アリタルコトノ告知ヲ為ストキハ総関係人ヲシテ之ヲ知ラシムルニ足ルヘキナリ第一債務者ニ債権ノ譲渡ヲ知ラシムルヲ得ヘキヤ敢テ辨明ヲ要セサル所ニシテ債務者ハ還タ譲渡人ニ弁済ヲ為スコト能ハス又之ト和觧其他義務ノ免責ノ合意ヲ為シ以テ譲受人ニ害ヲ及ホスコト能ハス又譲渡人ノ債権者モ譲渡ノ目的タル債権ニ付キ拂渡差押ヲ為スコト能ハス且其債権ヲ取得セント欲スル者アルモ亦之ヲシテ其譲受ヲ為スコトヲ止メシムルニ足ルヘキナリ蓋シ譲渡人ノ債権者若クハ其債権ヲ取得セント欲スル者ハ必スヤ其拂渡差押ヲ為シ又ハ譲受ヲ為スニ先チ債務者ニ就テ其尚ホ現ニ債務者タルカ又ハ其債額ノ幾何ナルカヲ照會シ其債務者ノ回答如何ニ依リテ或ハ約束シ或ハ約束セサルヘシ(但詐欺又ハ錯誤ヲ避クルカ為メ債務者ヨリハ書面ヲ以テ回答セシムルヲ可ナリトス)而シテ債務者ノ回答ニ依リ債権ノ譲渡アリタルコトヲ知リタルニ拘ハラス譲受ヲ為シタルトキハ譲受人自カラ損失ヲ招クモノニシテ其結果ヲ負担セサル可カラサルヤ明カナリ
第二項ハ告知ト受諾トノ二個ノ方式ノ間ニ存スル著シキ差異ヲ示スモノナリ蓋シ告知ハ債務者ノ参與セサリシ行為ナルカ故ニ之ニ害ヲ及ホスコト能ハス(本編第三百四十五条ヲ参看スヘシ)是ヲ以テ債務者ハ告知ヲ受クルモ尚ホ其譲渡人ニ対シ有シタル所ノ総テノ抗辨例ヘハ承諾、原因若クハ目的ノ欠缺ノ為メ義務ノ当然ノ無効、承諾ノ瑕疵若クハ無能力ノ為メ義務ノ鎖除其他総テ債務ノ全部若クハ一分ヲ消滅セシムヘキ原因ヲ以テ譲受人ニ対抗スルノ権利ヲ有ス之ニ反シ受諾ハ債務者ノ自カラ為シタル行為ナルヲ以テ其権利ノ抛棄即チ債務ノ認諾ニ外ナラス故ニ之ヲシテ其譲渡人ニ対スル抗弁ヲ譲受人ニ対抗スルノ権ヲ失ハシムルモノナリ但或ハ義務ノ当然無効ナルトキハ原来追認ヲ以テ其無効ヲ補ヒ之ヲ有効ナラシムル能ハサルカ故ニ債務者受諾スルモ猶ホ其無効ヲ新債権者ニ対抗スルヲ得ヘキカ如シ然レトモ其義務承諾ナキカ為メ無効タルニ過キスシテ有効ナル原因ト目的トヲ有スルトキハ其受諾即チ新承諾ニ因リ義務発生スルモノナリ故ニ受諾アルトキハ債務者再ヒ義務ノ無効タルヲ唱フルコト能ハス
第三項ハ譲受人債務者ニ告知ヲ為シ又ハ其受諾ヲ得ルコトヲ遲延シタル場合ヲ仮定シ其結果ヲ指定スルモノナリ即チ告知又ハ受諾アラサルニ当リ譲渡ニ係ル債務ヲ負担シタル者譲渡人ニ弁済ヲ為シ其他ノ方法ヲ以テ之ニ対シ義務ヲ免カレ或ハ譲渡人ノ債権者債務者ニ対シ拂渡差押ヲ為シ或ハ他ノ譲受人其譲受ヲ告知シタルトキハ是等ノ関係人優先ノ位地ヲ有シ其知ラサル所ノ譲渡ニ関シテハ第三者タルヘク却テ前ノ譲受人後ノ行為ニ関シ譲渡人ノ承継人タル位地ヲ有シ其行為ノ効ヲ被フラサル可カラス
本條ハ單ニ譲渡後他ノ行為アル以前ニ於テ告知若クハ受諾アラサル結果ヲ示スニ止マラス尚ホ一ノ重大ナル論点ヲ断定シ而シテ之ヲ断定スルニ最モ公平ナル趣意ヲ以テシタリリ蓋シ外國ノ判決例ニ依ルニ譲渡ノ告知アラサリシトキハ関係人其譲渡ヲ知ラサルモノト推定シ之ヲ以テ完全ナル法律上ノ推定詳カニ之ヲ言ヘハ何等ノ反証ヲモ容レサル所ノ推定ト為シ第三者ノ善意ナルカ将タ悪意ナルカ詳カニ之ヲ言ヘハ其告知以外ノ方法ニ依リ前譲渡ヲ知リタルヤ否ヤヲ審按スルコトヲ許サス此判決タル條理公義ニ反スルヤ明カナルモノニシテ之ヲ説明スル者纔カニ紛議訴訟ヲ避クルノ必要アルカ故ニ此推定ヲ為スヘシト云フニ止マリ未タ曽テ其充分ナル理由ヲ示シタル者アラス
是ヲ以テ本法ハ悪意ノ証拠ヲ擧ケ以テ法律上ノ推定ヲ覆スコトヲ得ルモノトシ唯其証拠ハ告知ナキコトヲ申立テ自由ノ権利ヲ主張スル者ノ自白ノ外之ヲ容レサルモノト為シ以テ公義ト公益トヲ調和シタリ蓋シ債務者其自己ニ対シ存スル所ノ債権ノ譲渡人ト自己ノ免責ヲ約スルニ当リ其以前ニ在テ既ニ債権者其債権ヲ譲渡シタルコトヲ知リタル旨ヲ自白スルニ於テハ決シテ法律ノ保護ヲ受クヘキモノニ非ス又後ノ譲受人ニ其譲受以前ニ在テ既ニ債権ノ譲渡アリ只其告知ナキニ過キサリシコトヲ知リナカラ更ラニ其債権ヲ譲受ケタル旨ヲ自白スルニ於テハ亦法律ノ保護ヲ受クルニ足ラサルモノナリ
蓋シ自白ハ威力最モ強キ法律上ノ推定ニ対スルモ猶ホ其推定ノ單ニ私益ニ基クモノタル場合ニ於テハ之ヲ覆スコトヲ得ルモノニシテ証據編ニ至リ之ヲ説明スヘシ是レ蓋シ自白ヲ為ストキハ相手方自己ノ訴訟ニ付キ自カラ裁判ヲ為スモノニシテ而シテ自カラ曲者ナリト認ムルトキハ其証據完全ナリト謂ハサル可ラサルカ故ナリ
然レトモ証人若クハ軽易ナル推定ニ依リ悪意ノ証明ヲ為スハ法律ノ認メサル所ナリト雖モ是レ亦通則タルニ過キスシテ譲渡人ト新譲受人トノ間ニ通謀ヲ為シ前ノ譲受人ヲ詐害セントシタルトキハ亦此限ニ在ラス其通謀詐害ハ何等ノ方法ヲ以テスルモ之ヲ証スルコトヲ得ルモノトス是レ通謀詐害ハ民法上ノ犯罪ヲ構造スルモノナレハナリ
此問題タル不動産ノ譲渡ニ付キ設ケタル公示法ニ関シテモ亦起ル所ニシテ其論決ハ亦茲ニ陳フタル所ト同一ナリト雖モ不動産譲渡ノ事項タル利害ノ関スル所甚タ大ナルカ故ニ更ニ法文ニ此事ヲ明定シタリ故ニ其条項ヲ説明スルニ当リ尚ホ詳細ニ説明スル所アルヘシ
前条ニ於テ無記名証券ヲ有体物ト同一視シタルヲ以テ本条ノ適用ハ一ニ記名証券ニノミ限ルモノナリ然レトモ尚ホ記名証券ニシテ他ノ規則ノ支配ヲ受クルモノアリ裏書ヲ以テ譲渡スコトヲ得ヘキ証券ニシテ商業手形ト通稱スル所ノモノ即チ是レナリ此事ニ関スル規定ハ商法ニ掲載スル所ニシテ之ニ依レハ其証券ノ譲渡ハ裏書ヲ為スヲ以テ充分関係人ニ之ヲ公示スルニ足ルモノトス
第三百四十八條
近世ニ至リ不動産ノ譲渡及ヒ其他不動産所有権ノ支分権タル諸般ノ物権ノ譲渡若クハ設定ノ為メ眞ノ公示方法ヲ設クルノ必要ヲ感シタリ蓋シ一旦不動産権ヲ譲渡シタルモ尚ホ之ヲ有スルカ如キ観ヲ装フ者ト約束シ自カラ其不動産権ヲ取得シタリト確信シタル者其以前ニ在テ已ニ同一ノ権利ヲ譲受ケタル者アルヲ知ラサルモ猶ホ前譲受人ノ為メ追奪ヲ被ルトキハ公益ヲ損傷スルコト実ニ大ナリト謂ハサル可カラス其弊害タル既ニ前諸条ニ於テ有体又ハ無体動産ノ譲渡ニ関シ同一ノ弊害ヲ避ルカ為メ法律ニ定メタル處分ヲ説明スルニ当リ之ヲ述ヘタルヲ以テ今重ネテ茲ニ贅弁ヲ須ヰサルナリ
是ヲ以テ本邦ニ於テモ亦不動産物権ノ譲渡及ヒ其設定ノ公示方法トシテ登記ノ制ヲ採用シタリ唯本法ニハ其原則及ヒ之カ制裁ヲ定ムルニ止マリ其適用ノ細目ニ至テハ明治十九年及ヒ二十三年ノ法律ヲ以テ已ニ之ヲ定メタリ
不動産ノ公示方法タル登記ヲ為スヘキ帳簿ハ合意ノ目的タル財産所在地ノ区裁判所ニ之ヲ備ヘ以テ関係人ノ捜索ニ便ナラシメタリ
本法ニ於テハ登記簿ハ土地ノ番号ニ順シ所有者ノ氏名ノ順序ニ依ラス即チ各土地及ヒ各建物ニ関スル行為ハ一個ノ帳簿中ニ併記シ以テ一目瞭然タラシメタリ是レ欧洲ニ行ハルル所ノ登記ノ方法ニ比スレハ一層関係人ノ為メ捜索ニ便ニシテ又良ク之ヲ担保スルヲ得ルモノナリ
本條ハ登記ヲ為スヘキ行為ヲ四種ニ分チタリ
第一項ハ範囲頗フル廣キモノニシテ総テ他人ニ不動産物権ヲ譲渡ス所ノ行為ハ其権利ノ完全所有権タルト其利益ノ一ヲ支分シタルモノタルト又其支分権ノ一タル用益権、使用権、住居権又ハ賃借権、永借権、地上権若クハ抵当権タルトヲ問ハス総テ之ヲ登記スヘキモノト為シタリ此諸権利中二三者ハ譲渡スコトヲ得サルモノナリト雖モ亦其設定ヲ公示セシムルハ其設定者ト約束セントスル者ヲシテ設定者復タ同一ノ権利ヲ處分スルコト能ハス所有権ハ既ニ其手裡ニ在テ支分シタルコトヲ知ルヲ得セシメ大ニ之カ為メ必要ナルモノト謂フ可シ
夫レ登記ノ目的ハ不動産権ノ譲渡ヲ公示スルニアルカ故ニ其譲渡証書モ公正タルト私署タルトヲ区別スヘキニ非ス何トナレハ公正ノ方式ヲ用ユルモ未タ譲渡ヲ公示スルニ足ラサレハナリ又其譲渡行為ノ有償タルト無償タルトヲ区別スヘキニ非ス蓋シ贈與者ハ其贈與シタル物ヲ依然占有スルノ久シキニ亘ルコト屢々之レ有ル可キカ故ニ無償行為ハ有償行為ニ比スレハ一層之ヲ公示スルノ必要アルニ似タリト雖モ現時ニ至テハ動産ヲ譲渡シタル場合ノ外引渡ヲ以テ公示ノ方法トスルニ足ラスト認メタルニ因リ(本編第三百四十六條ヲ参観スヘシ)其引渡ノ遲延ノ為メ特例ヲ設クルニ及ハサルナリ
不動産物権ヲ譲渡スコトヲ目的トスル有償ノ有名合意ニシテ登記スルコトヲ要スルモノニ就キ其主要ナルモノヲ列示センニ実際ニ最モ多キモノヲ賣買及ヒ交換ト為スト雖モ尚ホ其他ニ會社、婚姻財産契約及ヒ和觧アリ又無名契約ニシテ登記スヘキモノハ代物弁済(本編第四百六十一條ヲ参看スヘシ)更改(本編第四百八十九條第一号ヲ参看スヘシ)等トス
不動産ノ取得時効ニ至テハ敢テ之ヲ登記スヘキノ必要アラサルナリ蓋シ時効ニ必要ナル占有ノ原因タル行為ハ正権原即チ所有権ヲ移轉スヘキ性質ノ行為トシテ既ニ登記ヲ経タルコト実際最モ多カルヘク又其行為所有者ニ非サル者ノ為シタル所タルニ因リテ眞ニ所有権ヲ移轉スルニ定ラサルモ猶ホ時効ヲ以テ其瑕疵ヲ補フタルトキハ原証書ノ公示其当初ヨリ完全ナリシトキト同一ノ利益ヲ有スヘキカ故ニ更ニ時効ヲ登記スルノ必要アラサルナリ
只無権原ノ時効ノ場合ニ於テハ右ノ理由ヲ適用スル能ハスト雖モ亦取得時効ノ要素ノ一ハ継続且公然ノ占有ニシテ而シテ占有ノ継続セル公示ハ登記ニ勝ラストスルモ亦之ニ等シキ効力アリト認メサル可カラス
本條第二項ヲ適用スヘキ行為ハ前項ニ示ス所ノ行為ト其名稱ヲ異ニスルモ其実相異ナル所ナキモノナリ蓋シ合意ヲ以テ既ニ取得シタル権利ヲ変更スルトキハ即チ其権利ノ元素ニ付増減スル所アルモノナリ而シテ之ヲ以テ譲受人ノ権利ニ増加スル所アルトキハ即チ譲渡人ノ権利ヲ減少スルカ故ニ其後譲渡人ト約束スル所ノ者ヲシテ其合意ノ存立ヲ知ルコトヲ得セシメサル可カラス又合意ヲ以テ譲受人ノ権利ニ多少減少スル所アルトキハ即チ之ト約束セントスル所ノ者ヲシテ其権利ノ減少セルヲ知ルコトヲ得セシメサル可カラス況ヤ他人ノ物上ニ設定シタル物権ノ全部ノ抛棄ニ至テハ必ス之ヲ公示セサル可カラス
然リ而シテ本項ヲ適用スヘキ物権ハ獨リ所有権ノ支分権ノミナリ何トナレハ單ニ抛棄ニ因リ嘗テ分離シタル所ノ根本ニ復歸シ一人ヨリ他ノ一人ニ移轉スルモノハ獨リ所有権ノ支分権ノミナレハナリ固ヨリ不動産所有権ヲ抛棄スル者アルトキハ其権利ハ國ニ移轉スヘシト雖モ不動産所有権ヲ抛棄スルハ實際極メテ稀ナルノミナラス之ニ因リテ所有権直接ニ一私人ヨリ國ニ移轉スト謂フ可カラサルモノアリ蓋シ不動産所有権抛棄ノ塲合ニ於テハ其物ハ一時無主物ト為リ次ヒテ法律ノ効力ニ依リ國其権利ヲ得ルモノナルカ故ニ此塲合ハ本条ヲ適用スヘキ限リニ在ラサルナリ然レトモ此塲合ニ於テモ猶ホ決シテ登記ノ利益ナシト謂フ可カラス即チ其登記ハ一旦不動産ヲ抛棄シタル者後ニ至リ之ヲ譲渡スノ弊害ヲ防クノ利益アルヘキナリ然レトモ不動産ノ抛棄ハ實際既ニ稀ナルモノナレハ後ニ至リ其譲渡ヲ為スハ一層稀ナルヘシ何トナレハ其譲渡ハ啻ニ悪意ニ出ツル行為タルノミナラス不動産ノ抛棄アリタルニ因リ國之ヲ占有スルニ至ルトキハ其事実ハ實際ニ稀ナルカ為メ直チニ世上ノ世人ノ普ネク知ル所ト為ルヘケレハナリ
所有権ノ支分権ノ消滅ノ通常原因ハ公示ノ点ニ付キ其抛棄ト同一視ス可カラサルモノナリ例ヘハ賃貸借其約定期限ノ満了ニ因リ消滅シ又ハ用益権用益者ノ死去ニ因リ消滅シタルトキハ其消滅ヲ登記スルニ及ハス蓋シ賃借人ノ権利其消滅ノ通常原因ニ因リテ消滅シタルニ當リ其権利ニ付キ之ト約束シタル者ハ既ニ賃貸借ノ登記簿ニ其期限ヲ示スヲ見ナカラ之ニ拘ハラス賃借人ト約束シタルモノナレハ軽忽不注意ノ責アリト謂ハサル可カラス況ンヤ用益者ノ死去ノ後其死去ヲ知ラスシテ其代理人ト約束シ又ハ用益権ノ死去ニ因リ消滅スルコトヲ知ラスシテ相續人ト約束シタルカ如キ者ハ自己ニ過失アリト謂ハサル可カラス然レトモ收益ノ濫妄ノ為メ用益権ノ消滅ヲ言渡ス判決アリタルトキハ第三百五十二條ニ従ヒ其判決ヲ公示セサル可カラス何トナレハ收益濫妄ニ因ル用益権ノ消滅ハ其通常ノ消滅原因ニ非サレハナリ
又本項ニハ單ニ抛棄トノミ云フカ故ニ文辞汎博ニシテ其適用ノ範囲廣キカ故シト雖モ亦権利ノ抛棄ニシテ登記ヲ為スモ其効用アラサルモノアリ使用権若クハ住居権ノ抛棄及ヒ其譲渡並ニ抵當トスルコト能ハサル賃借権ノ抛棄ノ如キ即チ是レナリ(本編第百十三条第百三十四條及ヒ第百三十五条ヲ参観スヘシ)蓋シ何人ト雖モ是等ノ権利ヲ有スル者ト約束シ以テ其特別ノ承継人ト為ルコト能ハサルカ故ニ其抛棄アルモ決シテ第三者ニ對シテハ他ノ権利抛棄アルニ当リ其公示ヲ以テ豫防スル所ノ詐欺錯誤アルコト無カルヘク且決シテ之ヲ豫防スルノ必要アラサルナリ又完全所有権ト同一ノ権利ニ付キ約束セントスル者ニ対シテハ所有者抛棄証書ヲ提示シ以テ容易ニ嘗テ其土地上ニ一ノ権利ヲ設定シ而シテ之カ登記ヲ経タルモ其権利ノ已ニ消滅シタルコトヲ証明スルヲ得ヘシ
本条第三号ハ差押ヘタル不動産ノ競落ヲ登記スヘキモノトセリ是レ不動産ノ競落ハ不動産所有権ヲ移轉スルノ行為ナルカ故ナリ只本條ニ之ヲ別項ニ記載シタル所以ハ当事者ノ一方即チ差押ヲ受ケタル債務者ハ之ニ抵抗シ異議ヲ唱フルモノト看做スヘキカ故ニ競落ハ当事者ノ承諾ニ成リタル行為ニ非サレハナリ
公用徴収ハ民法行政法ニ属スル特別法ヲ以テ規定スヘキモノナリト雖モ亦是レ一ノ取得方法タルカ故ニ茲ニ其普通ノ公示法ニ從フヘキ旨ヲ定ムルヲ以テ至当ト看做シタリ(第四号)其公示ノ利益ハ亦普通ノ取得ヲ公示スルト同一ニシテ公用徴收ノ為メ公有ニ属シタル財産ヲ其旧所有者ヨリ買取ル所ノ者ナカラシメンカ為メナリ而シテ本條ハ徴収ノ協議上ノモノタルト裁判所ニ於テ言渡シタルモノタルトヲ区別スルコトナシ
先取特権及ヒ抵当権ノ公示ノ方式ニ至テハ本条ニ之ヲ規定セスシテ債権担保編ニ之ヲ定ム
第三百四十九條
登記ハ当事者ノ請願ニ因リ為スヘキモノニシテ之カ注意ヲ為スハ当事者ノ冝ク自カラ任スへキ所タリ而シテ当事者登記ヲ請求スルニ当テハ其資格ト其利益トヲ疎明シ且其登記ヲ請求スルノ根據タル証書ノ確実ナルコトヲ疎明セサル可カラス唯其疎明ハ或ハ普通法ノ方法ニ依リ或ハ登記ノ特別規則ニ定メタル方式ニ依リ為スヘシト雖モ畢竟スルニ所有者ヲシテ其不動産ニ付キ不当ノ登記ノ行ハルル危険ヲ免カレシムルヲ要ス固ヨリ不当ノ登記アリタルトキハ何時ニテモ其登記ヲ取消スコトヲ得ヘシト雖モ(下第三百五十四条ヲ参看スヘシ)総テ弊害ハ之ヲ既発ニ罰センヨリ未発ニ防クニ若カサルナリ
又登記ヲ以テ権利ノ移轉ヲ公示スルノ実効ヲ奏セシムルカ為メニハ何人タリトモ其指示スル所ノ不動産ニ関シ登記簿ノ抄本ヲ要求スルコトヲ得サル可カラス而シテ抄本ヲ請求スル者ハ其指定スル所ノ或ル時日以前又ハ其以後ニ行ハレタル登記ノミヲ抄本ニ掲載スヘキコトヲ請求スルヲ得ヘシ
或ハ利害関係人ヲシテ自カラ登記簿ヲ閲覧スルヲ得セシムルモ亦敢テ不可ナラスト称スルモノアルヘキモ此方法タル関係人ノ為メ費用少キノ利アルニ拘ハラス閲覧ヲ請求スト称シ窃カニ帳簿ヲ変換スル者アルノ患ヲ防クコト能ハサルヘシ是レ登記簿ノ閲覧ヲ許サスシテ只其抄本ヲ要求スルコトヲ得セシメタル所以ナリ
又登記簿ノ抄本ヲ請求スル者ハ之ヲ請求スルノ利益ヲ疎明スルヲ必要トセス其理由二アリ第一登記簿ノ抄本ヲ請求スル者アルモ毫モ之カ為メ所有者ノ正当ナル信用ヲ損スルノ憂アラス唯嘗テ所有者タリシヲ奇貨トシテ自カラ完全所有権ヲ有スト称スル者既ニ他ニ権利ヲ譲渡シタル場合ニ於テ其虚言発覺スルノ恐レアルヘキモ斯ノ如キ虚構ノ信用ハ敢テ法律ノ保護スヘキ所ニアラス第二抄本ノ要求者其要求ヲ為スニ当リ未タ毫モ利害ノ関係ヲ有セサルコトアリ例ヘハ未タ結約セサルニ当リ所有権果シテ賣渡人タリト称スル者ニ属スルヤ否ヤヲ捜索セントスルトキノ如キ即チ是ナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ登記ノ抄本ヲ要求スル理由ノ疎明ヲ必要トスヘカラサルヤ明カナリ
第三百五十條
本条ハ不動産権移轉ノ公示ノ結果ヲ示スモノニシテ以上説明シタル所ニ依レハ之ヲ了觧スルコト容易ナルヘシ
夫レ第一ノ取得者其取得ヲ登記セシメタルトキハ則チ第三者ヲシテ譲渡ヲ知ラス遂ニ旧所有者ヨリ所有権若クハ所有権ノ支分権又ハ物上担保ヲ取得スヘキコトヲ之ト約束スルコトナカラシムルカ為メ自己ノ盡クスヘキ処ヲ行ヒタリト謂フヘシ故ニ尓後旧所有者ト約束シタル者ハ登記簿ニ就キ信偽ヲ質ササルノ懈怠アリテ自己ニ其不注意ノ責ヲ帰スルノ外ナキナリ但或ハ登記官吏ニ登記簿ノ抄本ヲ請求シタルニ当リ該官吏ノ錯誤ニ依リ要求者ノ利害ニ関係スル処ノ登記ヲ附託スルコトヲ脱漏シ又ハ訛誤ノ附記ヲ為スコトナシトセス此場合タル後第三百五十五条ニ規定スル所ニシテ登記官吏ノ過失ニ出テ抄本ニ脱漏又ハ訛誤アルモ証書ヲ登記シタル者ニ其結果ヲ及ホスヘカラス其抄本ヲ請求シタル者之ヲ被フルヘキノミ但認証書ヲ請求シタル者ハ過失アル登記官吏ニ対シ求償権ヲ有スヘシ
之ニ反シ第一ノ取得者登記ヲ為ササリシトキハ尓後前所有者ト約束シタル者ハ前所有者仍ホ眞ニ所有者タルノ資格ヲ有スト信スルモ無理ナラサルヲ以テ自己ノ権利ヲ保存スヘシ又用益者若クハ賃借人既ニ其用益権又ハ賃借権ヲ譲渡シタルモ未タ其譲渡ノ登記アラサルニ当リ之ト其権利ニ付キ約束シタル者モ仝ク自己ノ権利ヲ保存スヘシ勿論後ノ結約者前ノ結約者ヲ排斥シ之ニ優ル地位ヲ保ツカ為ニハ例外ノ場合ニ於ケルノ外必ス法文ニ言ヘルカ如ク其自己ノ記書ヲ登記シタルコトヲ要ス
且本条ハ前後ノ合意ノ目的タル処ノモノ同一ノ権利タル場合ヲ観察スルニ止マラス其目的タル権利相容レサルトキハ亦本条ヲ適用スヘキモノトセリ例ヘハ前ニ譲渡シタル権利虚有権ニシテ後ニ譲渡シタル権利用益権ナルトキ又ハ之ニ反シ先ツ用益権ヲ譲渡シ後ニ虚有権ヲ譲渡シタルトキハ其譲渡シタル所ノ権利相容レサルモノニ非サルカ故ニ登記ノ順序如何ニ拘ハラス前後ノ権利共ニ其効ヲ存スヘシ然レトモ前ニ譲渡シタル権利完全所有権ナルトキハ同一ノ不動産上ニ譲渡シタル権利ハ如何ナルモノタリトモ必ス之ト相容レサルカ故ニ一ニ登記ノ前後ニ従ヒ其効力ノ有無ヲ定メサルヘカラス
本条ハ仍ホ名義上所有者タル者又ハ其他ノ権利ノ名義主ト約束シタル者ノ位置ヲ規定スルニ止マルト雖モ其精神ヲ推尋スレハ名義上ノ所有者其他ノ権利者ヨリ権利ヲ取得シタル一切ノ関係人ヲ包含スルモノト看做サザル可カラス故ニ法律若クハ遺言ニ因ル抵当権ヲ取得シタル債権者及ヒ無担保ノ債権者ニシテ不動産譲渡ノ登記前ニ其差押ノ登記ヲ為シタル者ノ如キモ亦本条ヲ適用スヘキモノナリ
此他原則上之ヲ考フルトキハ法文ヲ待タスシテ自カラ義理明瞭ナリト認メタルカ故ニ本条ニ明記セサル場合アリ即チ取得者未タ其取得ヲ登記セサルニ当リ其権利ヲ第三者ニ譲渡シ而シテ第三者自己ノ証書ヲ登記シ其譲渡人ノ証書ヲ登記セサル場合是レナリ此場合ニ於テ若シ旧所有者更ラニ同一ノ不動産上前ノ権利ト相容レサル権利ヲ譲渡シ而シテ之ヲ譲受ケタル者自己ノ譲受ヲ登記シタルトキハ前ノ轉得者最初登記ヲ為シタルニ拘ハラス後ノ譲受人之ニ優先スヘシ蓋シ前ノ取得ハ未タ公示セラレサルカ故ニ旧所有者ヲシテ更ラニ第三者ノ為メ有効ナル譲渡ヲ為スノ権能ヲ失ハシメタルモノニ非サレハナリ
本条ノ規定中最モ見ルヘキモノハ本条ノ利益ヲ受クヘキ者ヲ善意ノ承継人ニ限リタルコト是レナリ此規定ハ白耳義登記法ニ見ル処ニシテ其第一条ニ依ルニ前取得者ノ登記ナキヲ申立ツルヲ得ル者ハ其後ニ至リ悪意ナク約束シタル者ニ限ルトセリ然ルニ其他ノ外國法ニ於テハ善意ヲ要スルノ条件ヲ設ケサルカ故ニ此点ニ就キ法律ノ不備ヲ補フカ為メ善意ヲ要ストスヘキ否ヤニ就キ学説未タ一定セス
蓋シ悪意ハ法律規則ノ保護スヘキ限ニアラストハ法律ノ格言トシテ論者一般ニ認ムル処ナリト雖モ登記ノ制ニ関シテハ此格言ヲ適用スヘカラスト唱フル者アリ其理由ヲ案スルニ若シ此場合ニ於テ意思ノ善悪ヲ問フヘキモノトスルトキハ後ノ取得者前ノ契約ヲ知リタルヤ否ヤノ点ニ就キ絶ヘス訴訟起ルヘキカ故ニ合意ヲシテ鞏固ナラシムルコト能ハス遂ニ能ク法律ノ目的ヲ達スルコト能ハサルニ至ルヘシト云ヘリ是ニ由テ之ヲ観ルニ論者ハ登記ノ事ニ関シテハ二個ノ法律上ノ推定アリテ孰レモ決シテ反証ヲ容ルヘカラスト云フモノナリ
第一前取得ノ登記アリタルトキハ其以後約束シタル承継人ハ登記ヲ経タル行為ヲ知リタルモノト推定シ之ヲ知ラサルハ懈怠アルモノナリト推定ス是レ学者カ第一ニ登記ノ事項ニ就キ下スヘシト唱フル推定ナリ実ニ此場合ニ於テハ何人タリトモ此推定ニ反スル証拠ヲ容ルヘシト云フ者ナカルヘシ縦令登記官吏ノ過失ニ因リ後ノ約束者ノ要求シタル認証書中登記アルタルコトヲ記載セサリシトキト雖モ猶ホ反証ヲ以テ此推定ヲ覆スコトヲ許スヘカラス
第二、登記アラサル場合ニ於テハ或ル学者ノ唱フル所ニ依レハ承継人移轉ヲ知ラサルヲ以テ法律上ノ推定ト為シ決シテ其登記以外ノ方法ニ依リ前ノ合意ヲ知リタルノ証拠ヲ擧クルコトヲ許スヘカラストス是レ論者カ登記ノ事項ニ就キ下シヘシト称スル第二ノ推定ナリ是故ニ登記ヲ経サル合意ハ関係人之ヲ知ラストノ推定ハ登記ヲ経タル合意ヲ知リタリトノ推定ト同一ノ証拠力ヲ有スヘキモノトス
然レトモ前記二個ノ場合ハ其実似テ非ナルモノナリ蓋シ何人タリトモ制規ニ従ヒ公示セラレタル所ノ事ヲ知ラサル可カラサルヤ毫モ異議ヲ容ルヘキニ非スト雖モ之ニ反シ秘密ノ事実ハ或ハ実際之ヲ知ルコトアリ未タ必シモ関係人仝ク之ヲ知ラスト断言スヘカラス故ニ前ノ取得者其証書ヲ登記シタルトキハ必ス其登記ノ利益ヲ得ヘシト雖モ亦其登記ヲ怠リタル場合ニ於テモ或ハ偶々僥倖ナル事情ノ為メニ同一ノ利益ヲ受ルコトナシトセス是レ毫モ公義ニ反シ論理ニ戻ル所ニアラス実ニ人ハ其身体財産ヲ保護スルカ為メ自カラ注意用心スヘキ場合ニ於テ之ヲ怠タルコト実際少ナシト為ササレトモ亦未タ必シモ其不注意ノ結果ヲ蒙リ之カ為メ損害ヲ受ルモノニ非ス是レ諸般ノ事実ニ通シ同シキ所ニシテ登記ノ事ニ関シテモ亦其趣同一ナリ即チ後ノ取得者偶然登記以外ノ方法ニ依リテ前ノ合意ヲ知リタルトキハ法律ノ趣意既ニ貫徹シタルモノナリ蓋シ法律ニ移轉ノ公示方法ヲ定ムルモ是レ其移轉アリタルコトヲ知ラサル者ノ為メ必要ナルノミニシテ既ニ其移轉ヲ知リタル者ノ為メニハ必要ニアラサルカ故ニ之ヲシテ登記ナキヲ奇貨トシ以テ恣ニ自己ノ利益ヲ圖ルコトヲ得セシム可カラス
然レトモ特ニ法律ヲ以テ関係人ヲシテ普ネク権利ノ移轉ヲ知ラシムルヲ得ル所ノ方法ヲ定メタル以上ハ此方法ヲ行ハサル者ヲシテ漫リニ其擧証ノ方法如何ニ拘ハラス爭訟ヲ起シ其登記ヲ怠リタルモ猶ホ後ノ取得者移轉ヲ知リタリト主張スルヲ得セシムヘカラス是ヲ以テ本條ハ第三百四十七條ヲ引用シ同一ノ規則ヲ準用シタリ即チ同條ハ本條ニ規定スル所ト類似セル場合ヲ規定スルモノニシテ之ニ依ルニ登記ナキモ猶ホ権利ノ移轉ヲ知リタリトノ証明ヲ為スニハ相手方ノ自白ノ外他ニ擧証ノ方法ヲ認許セサルモノトス
蓋シ自白ハ之ヲ為ス者ニ対シ完全ノ証拠力ヲ有スルモノナリ故ニ登記ナキヲ主張シ自己ノ権利ヲ保存セント欲スル者訴訟中口頭ヲ以テスルカ又ハ明瞭ナル書面ヲ以テ前ノ譲渡ノ登記ナキニ拘ハラス之ヲ知リタル旨ヲ自白スルトキハ前ノ取得者ニ優先スヘキコトヲ主張スルコト能ハス加之後ノ取得者前ノ譲渡ニ就キ証人ト為テ之ニ関係シタル場合又ハ其証明シタル後ノ譲受証書中ニ登記ヲ経サル前ノ証書ノ事項ヲ明記シタルカ如キ場合ニ於テハ亦書面ニ依ル自白アリト看做ササル可カラス
学者中此場合ニ於テモ猶ホ自白アルニ拘ハラス反証ヲ許スヘカラスト唱フル者アリテ自白ト雖モ公益ニ基キタル推定ヲ覆ヘスコトヲ得ヘキモノニアラス而シテ所有権移轉ノ公示ニ関シ法律ニ推定スル所ハ総テ公益ニ基クモノナレハ亦自由ヲ以テ之ヲ覆ヘスコトヲ得ヘカラスト云ヘリ
実ニ自白ト雖モ公益ニ基キタル推定ヲ覆ヘスコトヲ得サルヤ明カナリト雖モ此場合ニ於テ自白ヲ許スヘカラストスルハ謬見タルヲ免レス抑々法律ニ公示ノ方法ヲ定メタル所以ハ結約者ヲ保護シ其位地ヲシテ安寧ナラシメ悪意ヲ豫防シ善意ヲ保護シ一般ニ信用ヲ鞏固ニセンコトヲ求メタルニ由ル故ニ此法律ノ一般ノ趣旨トスル所ハ即チ公ノ秩序、公衆ノ利益ナリト雖モ登記ヲ経タル証書又ハ登記ヲ経サル証書ノ事ニ関シ一旦裁判所ニ利害ノ爭訟起リタルトキハ最早双方ノ私益ノミ相ヒ衝突スルニ過キサルカ故ニ双方中悪意アル者ヲ保護セサルヲ以テ却テ益々法律ノ目的ヲ貫徹スルモノト謂フヘキナリ
本条ノ説明ヲ終ルニ臨ミ須ラク注意ヲ要スルモノアリ蓋シ本条ハ前譲渡ノ登記ナキ場合ニ於テ後ノ譲受人ノ悪意ノ結果ヲ定ムルノミニシテ先取特権及ヒ抵当権ノ事項ニ之ヲ準用セス此担保ヲ債務者ノ承継人ニ対抗スルカ為メニ履行スヘキ登記ニ関シテハ同一ノ規定ヲ設クヘキニアラス此場合ニ於テハ債権者既ニ登記ヲ経サル先取特権若クハ抵当ノ存立スルコトヲ知リタルトキト雖モ先ツ登記ヲ為シタルトキハ猶ホ登記ノ前后ヲ以テ返済ノ前后ヲ定メサルヘカラス
蓋シ所有権ト其支分権トヲ設定シタル場合ト数箇先取特権又ハ抵当権ヲ設定シタル場合トノ間ニハ茲ニ説明スル所ノ点ニ就キ至大ノ差異アルモノナリ抑々所有権及ヒ其支分権ハ相容レサル権利ナリ又同一ノ物上ニ二個ノ所有権存スルモ仝ク相容レサル所ナリ或ハ其全ク相容レサルニアラサルトキト雖モ必ス其一アレハ他ノ一ヲ減少スルモノナリ例ヘハ用益権又ハ賃借権存スルトキハ自カラ所有権ヲ減少シ先取特権及ヒ抵当権アレハ亦之ヲ減少スヘシ是ヲ以テ登記ノ前后ハ極メテ重要ナル結果ヲ生スルモノナリ之ニ反シ先取特権及ヒ抵当権ハ同一ノ財産上数個併立シテ數人ニ属スルモ決シテ相抵觸矛盾スルコトナク其一アルカ故ニ他ノ一ヲ滅却スルモノニアラス例ヘハ茲ニ一ノ債権者アリテ其希望シタル所ノ抵当ノ順位ヲ失フモ亦債権者ノ他ノ財産ヲ以テ弁済ヲ受ケ或ハ保証人ヨリ弁済ヲ受クルヲ得ヘシ加之数個ノ抵当ヲ設定シタル財産ヲ以テ数個ノ債権者ニ弁済ヲ為スニ足ルコト実際少シトセス故ニ後ニ抵当ヲ得タル債権者第一ノ抵当ノ登記ナキモ他ノ方法ニ依リ之ヲ知リタルトキト雖モ決シテ自己ノ抵当ヲ約スルノ妨ケトスラスシテ之ヲ約スルモ善意ニ出テスト謂フヘカラス又前ノ抵当主ニ先ンシテ自己ノ抵当ヲ登記スルモ悪意アリト謂フヘカラス何トナレハ後ノ低当ヲ得タル者前ニ抵当ヲ得タル債権者ノ其抵当ヲ登記セサリシハ其他ニ弁済ヲ得ルノ擔保ヲ有スルカ故ナリト信スルモ不当ニアラサレハナリ
第三百五十一條
適法ニ代理セラレ又ハ許可ヲ得タル無能力者譲受ヲ為シタルトキハ其利益ヲ保護スルノ任ニ当ル者之カ為メ登記ヲ為スノ義務ヲ負担ス故ニ後見人ハ未成年者又ハ禁治産者ノ為メニ登記ヲ為スヘク夫ハ婦ノ為メニ之ヲ為スヘシ又國府縣市町村公私ノ組合ノ如キ法人ノ取得ヲ為シタルトキハ此法人ヲ代表スル所ノ官吏若クハ役員ニ於テ登記ヲ為シ以テ取得者タル國府縣等ヲシテ後ノ譲渡ノ為メ追奪ヲ受ケサラシムルニ必要ナル處分ヲ行フコトヲ要ス又破産人ノ管財人ノ如キ才判所ヨリ任セラレタル管理人モ同一ノ義務ヲ負担ス又不動産ヲ買取ルノ委任ヲ受ケタル合意上ノ代理人モ其登記ヲ為シ終リタル後ニアラサレハ充分代理ヲ履行シタリト謂フヘカラス合意上ノ総理代人モ委任者曽テ不動産ヲ取得シ而シテ未タ之ヲ登記セサルコトヲ知リタルトキハ亦之カ為メ登記ヲ為スノ義務ヲ負担スルモノトス
若シ法律上才判上若クハ合意上ノ代理人未タ登記ヲ為サザルニ当リ他ノ取得ノ登記アリタルトキハ登記ヲ為シタル取得者優先スヘシ唯無能力者若クハ委任者ハ登記ヲ為スコトヲ怠リタル其代理人ニ対シ損害賠償ヲ要求スルノ権利ヲ有スルノミ
然レトモ法律上裁判上若クハ合意上ノ代理人其代表スル処ノ者ノ譲受ケタル財産ヲ自カラ取得シタリシトキハ縦令自己ノ譲受ヲ登記スト雖モ猶ホ金銭ヲ以テ損害賠償ヲ為スニ止マルコトヲ得ス蓋シ該代理人ハ充分其加ヘタル損害ヲ賠償セサルヘカラサルカ故ニ自カラ其代表スル処ノ者ニ対シ追奪ヲ行フコト能ハス蓋シ代理人ハ元来被代理人ヲシテ他人ノ追奪ヲ蒙ムラサラシムルカ為メニ之ヲ保護スヘキノ責ヲ負フモノナルカ故ニ其譲受ケタル権利ヲ自己ノモノトシ之ニ対シ追奪ヲ行フノ権ヲ有ス可カラス
此規定タル最モ公平ナルモノニシテ或ハ代理人ハ其取得ヲ為シ又登記ヲ為シタル時ニ当リ善意ナルコトアルヘク加之無能力者ノ取得自己ノ未タ代理ヲ受ケサルトキニ在テ行ハレタルコトアルベシト雖モ代理人ハ其保管スル所ノ権利ヲ充分精密ニ調査スルノ責務アルカ故ニ仮令過失ハ如何ニ輕少ナルトキト雖モ猶ホ本条ノ厳例ヲ之ニ適用スルニ足ルモノナリ又後見人其後見スル所ノ未成年者ノ為メ登記ヲ為スニ先テ死去シ其相続人前譲渡ヲ知ラスシテ自カラ其未成年者ノ譲受ケタル財産ヲ買取リ自己ノ取得ヲ登記セシメタルトキハ善意ニテ登記ヲ為シタルモノナリト雖モ其相続人タル資格ニ因リ前主ノ義務ヲ負担スルカ故ニ前主ト仝ク未成年者ニ対シ追奪ヲ行フノ権利ヲ有セサルナリ
然レトモ先取特権及ヒ抵当権ニ就テハ前条ノ説明ヲ終ルニ臨ミ述ヘタル処ノ理由ニ依リ右ニ述フル所ト論決ヲ異ニスヘシ即チ後見人若クハ代理人其被後見人若クハ其委任者ノ為メ抵当ノ登記ヲ為スコトヲ怠リ却テ自己ノ抵当ヲ登記シタルトキト雖モ猶ホ登記ノ日附ノ前後ニ従ヒ権利ノ優劣ヲ決スヘキモノトス唯代理人ハ滌除及ヒ順序ト称スル方式及ヒ手続ニ従ハサルヘカラス而シテ最初登記ヲ為シタル後見人若クハ代理人ニ過失又ハ悪意アリトノ申立テアリテ登記ノ順序ノ前後ニ付キ争論アル場合ニ於テハ滌除及ヒ順序ノ方式ニ障害ヲ来スヘシ即チ此場合ニ於テハ被後見人ノ有スル通常ノ方法ヲ以テ後見人ノ過失ヲ賠償スヘク加之場合ニ依リテハ被後見人ハ後見人ノ順序ノ利益ヲ直接ニ自己ニ附與セシムルコトヲ請求スルヲ得ヘシ
第三百五十二條
合意ヲ取消スコトヲ目的トスル訴権三アリ觧除訴権、鎖除訴権及ヒ廃罷訴権即チ是レナリ此三個ノ訴権ノ主タル適用ハ既ニ屡々之ヲ示シ而シテ其何者タルコト亦既ニ之ヲ説明シタリ今其性質ノ相異ナル所ニ就テ其要領ヲ述フレハ觧除訴権ハ当事者ノ一方他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ請求スルモノニシテ鎖除訴権ハ承諾ニ瑕疵アリ若クハ当事者ノ無能力ナル為メ請求スルモノナリ又廃罷ハ債権者ヲ詐害スルノ行為ヲ破棄スルヲ目的トスル所ノモノナリ此他尚ホ法律ニ於テ觧除、鎖除若クハ廃罷ノ原因ヲ認ムルコトアルヘシ唯然レトモ本条及ヒ次条ノ理由ヲ説明スルニ当リテハ既ニ各訴権ノ適用ニ付キ説明シタル所ヲ以テ足レリトス
凡ソ合意ヲ無効トスル訴権ハ譲渡人ヨリ行フコト最モ多シト雖モ亦取得者之ヲ行フコトナシトセス何レノ場合ニ於テモ其訴権ノ目的トスル所ハ一旦譲渡シタル財産ヲ譲渡人ノ資産中ニ復帰セシムルニ在リ
本条ハ此点ニ付キ緊要ナル一ノ区別ヲ設ケタリ蓋シ或ル場合ニ於テハ合意ヲ無効トスル訴権ノ効力甚タ強大ナラス取得者ニ対シ詳言スレハ無効ノ取得ヲ為シタル者ヨリ更ニ善意ニテ物権ヲ取得シタル承継人ニ対シ其効力ヲ及ボスコト能ハサルモノトス又他ノ場合ニ於テハ訴権ノ力強大ニシテ訴権ヲ行フ者何人ニ対シテモ其訴権ノ効力ヲ及ホスコトヲ得抑々轉得者譲渡人ノ取得証書適法ニ登記ヲ経タルヲ見且其取得ノ無効ノ原因ヲ知ラサルニ因リ之ニ悪意ノ責ヲ附ス可ラス又不注意ノ責ヲ帰ス可カラサルニ当リ之ヲシテ追奪ヲ免ルルヲ得セシメサルハ立法者ノ憂慮スル所ナリ然レトモ無能力者、強暴又ハ錯誤ノ為メニ瑕疵アル承諾ヲ為シタル者又ハ双務契約ノ条件履行ノ利益ヲ得サル者ヲ保護セスシテ其損失ヲ顧サルハ亦立法者ノ取ラサル所ナリ是ヲ以テ立法者ハ一ニ純理ニ基キ以テ訴権ノ効力ヲ定メ関係人ニ保護ヲ加フルニ当リ孰レニ最モ厚キヲ要スルヤヲ考究シ以テ其位置ノ優劣ヲ定メタルノミ
合意ノ取消訴権ノ効力ヲ轉得者ニ及ホス場合ト之ニ及ホス能ハサル場合トハ敢テ茲ニ之ヲ列記スヘキニ非ス本法諸編ノ各事項ニ就キ之ヲ指示スヘシ既ニ本編ニ掲ケタル一例ヲ言ヘハ錯誤及ヒ強暴アリタルカ為メ合意ヲ鎖除スルノ訴権ハ轉得者ニ対抗スヘキモ詐欺ニ因ル鎖除訴権ニ至テハ然ルコト能ハサルモノナリ
本条ハ先ツ取消訴権ヲ轉得者ニ対シテ行フコトヲ得サル場合ヲ規定シタリ即チ此場合ニ於テハ原告ハ其登記シタル譲渡ヲ取消シ其不動産ヲ回復セントスルノ意思ヲ成ルヘク速カニ第三者ニ知ラシメサル可カラス故ニ原告ハ其請求ヲ其攻撃スル行為ノ登記ニ附記スルコトヲ要ス若シ此公示後ニ至リ第三者取得者ト約束シタルトキハ自ラ甘シテ追奪ノ危険ニ罹リタルモノニシテ自己ノ不注意ニ其責ヲ帰スヘキノミ
然ルニ若シ原告本条ノ規定ヲ遵奉セサルトキハ其以前ニ在テ既ニ登記ヲ為シタル第三者ニ対シ取消訴権ノ効力ヲ及ホスコト能ハス
右ニ反シ取消訴権ノ効力原結約者ノ権利ト與ニ轉得者ノ権利ヲ破棄スヘキ場合ニ於テハ原告ハ毫モ轉得者ニ請求ヲ知ラシムルノ利益ヲ有セス縦令其財産ヲ回復スルトキニ至ルノ間ニ於テ其訴権ノ為メ権利ヲ失フヘキ者著シク増加スルモ敢テ其痛痒ヲ感セサル所ナリ然レトモ本条ハ原告ヲシテ其攻撃スル行為ノ登記ニ其訴状ヲ附記スルノ義務ヲ負担セシメ以テ第三者ノ利益ヲ保護シタリ且原告遂ニ其訴訟ニ於テ勝訴スルトキハ亦行為取消ノ判決ヲ訴状ノ附記ノ末尾ニ記載スルコトヲ要ストセリ
右ノ場合ニ於テモ亦訴状ノ附記ヲ為ササル原告ニ対スル其懈怠ノ制裁ヲ設ケサル可カラス然レトモ之ヲシテ其訴訟ヲ起シタル後未タ其訴訟ヲ公示セサルニ当リ被告ト約束シタル轉得者ニ対シ追奪ヲ行フノ権ヲ失ハシムルヲ以テ之ニ対スル制裁ト為スコト能ハサリシ斯ノ如キ制裁ヲ設クルトキハ大ニ法律ニ矛盾アリトノ誹ヲ免カレサルヘキナリ何トナレハ原告ノ権利其訴権ヲ行フタルニ因リ減少スルニ至ルカ若クハ條理ノ容レサル所ナレハナリ是ヲ以テ懈怠アル原告ニ対スル制裁ハ訴訟手続ニ就キ之ヲ求ムルノ外アラサリシ是レ本条ニ原告ノ攻撃スル行為ノ登記ニ訴状ヲ附記セサル限リハ裁判所ニ於テ其訴訟ヲ受理セスト定メタル所以ナリ
又訴状ノ附記ノ末尾ニ判決ヲ記載スルノ義務モ同シク一ノ制裁ヲ附スルヲ要スト雖モ判決アルトキハ既ニ訴訟完結スルヲ以テ其手続ニ就キ制裁ヲ求ムルコトヲ得ス只其制裁トシテハ科料ニ處スルノ方法アルノミ是レ本条ニ採用シタル所ナリ
且判決ヲ公示スルニ就テハ其期限ヲ定ムルコトヲ要ス而シテ其期限ハ判決ノ確定ト為リタルトキヨリ一ケ月トスルヲ以テ充分ト認メタリ然レトモ判決ニハ抗告控訴若クハ上告アルニ拘ハラス仮執行ノ宣言ヲ附スルコトアルカ故ニ仮執行タリトモ猶ホ其執行以前ニ之ヲ公示スヘキコトヲ命シ之ニ背クトキハ科料ニ處スルノ制裁ヲ附スルヲ至当ト認メタリ
原告請求ノ却下ノ場合ニ於テハ公示手続ヲシテ簡略ナラシメンカ為メ何等ノ請求ナキモ裁判所職権ヲ以テ訴状ノ附記ヲ抹消スヘキコトヲ命スヘキモノト定メタリ然レトモ其抹消ハ請求ヲ却下シタル判決ノ確定ト為リタルトキニ非サレハ亦確定セサルモノナルカ故ニ上訴期間ノ経過後又ハ上訴アリタルトキ原判決ノ認定ノ後ニアラサレハ抹消ヲ執行スヘカラス又訴訟ノ不継続ニ因リ手続ノ失効ヲ宣告シタル場合ニ於テモ亦上ニ陳フル所ト同一ノ規則ヲ適用スヘシ又取消訴権ノ原告其訴訟ヲ取下タル場合ニ於テハ原告ヲシテ其訴状ノ附記ヲ抹消スルノ義務ヲ負ハシメス訴訟関係人ニ此注意ヲ放任シタリ故ニ或ハ譲渡人タル原告自ラ抹消ヲ請願スルコトアルヘク或ハ譲受人又ハ轉得者ノ一人之ヲ請求スルコトアルヘシ
第三百五十三條
本条ハ当事者ヲシテ轉得者ニ対シ詐欺ヲ行フノ機會ヲ得セシムルコトアルヘキ場合ヲ規定スルモノナリ蓋シ当事者ハ裁判所ノ判決ヲ俟タス恊議上ノ合意ニ依リ或ハ訴訟ノ起リタル時ニ当リ被告直チニ認諾ヲ為シ以テ前ノ合意ヲ觧除、鎖除若クハ廃罷スルト称シ前合意ヲ取消スモ其実取消ノ原因存セサルコトナシトセス斯ノ如キ奸策ヲシテ行ハシムルニ放任スルトキハ轉得者有効ニ取得シタル権利ヲ喪失スルニ至ルヘシ是ヲ以テ本条ハ総テ此類ノ合意ヲ以テ任意ニ譲戻即チ既ニ譲渡シタル所有権其他ノ物権ヲ更ニ旧権利者ニ移轉スルノ行為ト看做シ以テ詐欺通謀ノ弊害ヲ豫防シタリ故ニ轉得者ノ権利登記ヲ経タルトキハ縦令前合意ノ取消アルモ猶ホ必ス其権利ノ効力ヲ存スヘシ詳カニ之ヲ言ヘハ当事者カ觧除又ハ鎖除ノ原因ト称スルモノ果シテ轉得者ニ対シ効力ヲ及ホスヘキ性質ヲ有スルヤ否ヤヲ区別スルコトナリ一ニ轉得者ノ権利ノ効力ヲ保全スヘシ此規定ノ制裁タル亦第三百五十条ニ定メタル制裁ニシテ本条ニ之ヲ明示シタリ即チ恊議上ノ觧除、鎖除又ハ廃罷ノ登記ヲ為ササルニ当リ前取得者ノ附與シタル権利ニシテ適法ニ登記ヲ経タル者ハ譲戻受ケタル者ニ対抗スルヲ得ヘキモノトス
第三百五十四條
登記ノ手続ニ関シ法律ニ於テ錯誤又ハ詐欺ヲ豫防スルカ為メ如何ニ注意ヲ施シ綿密ノ規定ヲ設クルモ亦必ス不当ノ登記行ハレ又ハ不当ノ附記ヲ為シ或ハ抹消スヘキ附記ヲ存スルコトナキヲ保ス可カラス而シテ若シ不当ノ登記行ハレタルトキハ登記シタル権利ト相容レサル権利ヲ有スト主張スル者ニ其登記ノ害ヲ及ホスヘシ例ヘハ賣買ノ登記ヲ為シタル者ニ対シ所有者嘗テ賣渡ヲ為シタルコトナシト称スルカ如キ場合ニ於テハ賣買ノ登記ハ所有者ニ其害ヲ及ホスヘシ又不当ノ附記ヲ為シタル場合ニ於テハ登記ヲ為シタル者ニ其附記ノ害ヲ及ホスヘシ例ヘハ登記ヲ經サル行為ノ鎖除ノ請求ヲ附記セシメ而シテ遂ニ裁判所ニ其請求ヲ起サルル者アルトキノ如キ即チ是レナリ是等ノ場合ニ於テハ総テ登記又ハ附記ノ抹消ヲ為ササル可カラス
又登記若クハ附記ノ全ク不当ニアラサルモ多少重大ナル結果ヲ生スヘキ訛誤若クハ脱漏アルコト無シトセス例ヘハ賣買代價ノ全部若クハ一分ノ拂済ナルニ拘ハラス其登記ニ代價未済ナルコトヲ記載シタルトキノ如シ斯ノ如キ場合ニ於テハ賣主先取特権ヲ有シ且觧除権ヲ有スルニ依リ買主ノ信用ヲ障害スヘシ又例ヘハ代價ノ未済ナルカ又ハ買主其他ノ負担アルニ拘ハラス之ヲ附記スルコトヲ脱漏シタルトキハ賣主其先取特権及ヒ觧除権ヲ行ハントスルモ之ニ付キ異議ヲ被ルコトアルヘキカ故ニ之カ為メ大ニ損害ヲ被ルヘキナリ故ニ是等ノ場合ニ於テハ登記又ハ附記ノ改正ヲ為ササル可カラズス
斯ノ如ク利害関係人ノ存否又ハ其性質区域ヲシテ登記簿上ニ判然ナラサラシムルトキハ之カ為メ当事者ニ至大ノ損害アルヘキカ故ニ本条ハ之ヲシテ不当又ハ不正確ナル登記若クハ附記ヲ抹消又ハ改正センコトヲ請求スルノ訴権ヲ有セシメタリ(第一項)
然レトモ亦登記簿ヲ見テ利害関係人ト約束スル所ノ承継人ヲシテ其結約後突然其権利ヲ奪ハルルノ害ヲ免レシメンカ為メ抹消若クハ改正ノ請求及ヒ其判決ハ之ヲ公示スルコトヲ要スルモノトス(第二項)而シテ違犯者ニ加フヘキ責罰ノ事ニ関シ前第三百五十二條ニ設ケタル区別ヲ之ニ適用スルモ重ネテ之ヲ記載スルノ煩ヲ省クカ為メ本条ハ唯同条ヲ準用スヘキコトヲ定ムルニ止メタリ
是ヲ以テ賣買ノ登記アリタルモ其賣買眞ノ所有者ノ承諾シタル所ニアラサルニ因リ無効ナルトキハ眞所有者ハ該賣買ノ登記ニ訴状ヲ附記スルコトヲ怠ルモ科料ニ處セラルヘキノミ蓋シ眞所有者ハ縦令登記ヲ怠ルモ取得者ナリト冒認シタル者ノ承継人ノ登記シタル行為ノ効力ヲ被ル可カラス然レトモ之ニ反シ自己ノ承諾シタル賣買ノ登記ニ前例ニ仮定シタルカ如ク代價又ハ其他ノ条件ニ関スル訛誤若クハ脱漏アリタルトキハ所有者其訴状ヲ附記スルコトヲ怠リタル制裁トシテ取得者ノ承継人ノ登記シタル行為ノ効力ヲ被ラサル可カラス蓋シ買主ノ承継人ハ登記改正ノ請求ノ公示アラサル以上ハ其登記ヲ正確ナルモノト信スルモ決シテ不当ニ非サルナリ故ニ其改正ノ請求ノ公示以前ニ在テ該承継人ノ為シタル登記ハ其効力、順位ヲ全フスヘシ
本条ニ仮定スル場合ニ於テハ登記シタル行為ノ任意ノ觧除若クハ鎖除ニ関スルトキト異ナリ恊議上ノ合意ヲ以テ詐欺ノ計策ヲ行フノ弊害アラサルナリ且縦令此場合ニ於テ詐欺ヲ行ハントスルモ末項ニ設ケタル規則アルカ為メニ結局之ヲ行フコト能ハス又是ヲ以テ当事者登記ヲ經タル不動産権ヲ處分スルノ能力ヲ有スル以上ハ恊議上登記ノ抹消又ハ改正ヲ承諾スルヲ得ルモノトセリ(第三項)抑々既判力ハ真実ノ推定ニシテ上訴ノ方法尽クルニ於テハ何等ノ反証ヲモ容レサルモノナリ然レトモ是レ未タ衆人ニ対シ絶對的眞実ノ推定ニアラスシテ只訴訟ニ関係シタル当事者及ヒ其承継人ニ対スル関係的ノ推定タルノミ蓋シ判決ヲ以テ取得者ニ対シ登記ノ抹消若クハ改正ヲ命令シタルトキハ該取得者ヨリ更ラニ権利ヲ得之ヲ登記シタル承継人ニ対シ同シク其判決ノ効ヲ及ホスヘキカ如シト雖モ本条ハ此謬見ヲ豫防シ不動産上物権ヲ取得シ而シテ之ヲ適法ニ公示シタル者ハ裁判所ニ召喚ヲ受ケ自己ノ権利ヲ主張シタル後ニアラサレハ決シテ判決ノ為メ自己ノ権利ヲ奪ハルル可カラサルモノトシ特ニ第四項ニ此義ヲ明記シタリ且ツ原告ハ該承継人ノ為シタル登記ヲ調査スルトキハ速カニ其何人タルコトヲ知リ得ヘキカ故ニ原告ヲシテ該承継人ヲ訴訟ニ参加セシムルノ義ヲ負ハシムルモ決シテ困シマシムルコトナシ
恊議上抹消又ハ改正ヲ合意シタル場合ニ在テモ亦同一ノ原則ヲ適用スヘキモノニシテ其理由即チ合意ノ効力ヲ第三者ヲ害ス可カラサル所以ハ既ニ之ヲ説明シタリ唯判決ト合意トノ間ニハ一ノ大ナル差異ノ存スルモノアリ即チ恊議上抹消又ハ改正ヲ為シタル合意ヲシテ関係人ニ効力ヲ及ホサシムルカ為メニハ関係人ノ之ヲ承諾スルコトヲ要ス然ルニ判決ニ至テハ関係人ヲシテ訴訟ニ参加セシメ抹消又ハ改正ノ請求ニ対シ異議ヲ陳ヘシメタルトキハ縦令関係人之ヲ承諾セス又実際召喚ニ應セサルトキト雖モ猶ホ之ニ其効力ヲ及ホスニ足ルモノナリ
今本条ノ説明ヲ終ハルニ当リ少シク注意スヘキモノアリ即チ才判所ニテ抹消及ヒ改正ヲ命シタルト当事者恊議ニテ之ヲ承諾シタルトヲ問ハス一旦之ヲ行フタル後ニ至リ更ニ之ニ対シテ異議ノ生スルコトアルヘシ此場合ニ於テハ一旦登記簿ニ為シタル抹消若クハ改正ヲ更正スルコトヲ命スル判決ニ基キ更ラニ抹消又ハ改正ヲ為スコトアルヘシ
合意ヲ以テ抹消又ハ改正ヲ為シタルモ其合意ニ錯誤強暴若クハ無能力ノ為メ瑕疵アリタルトキハ亦同一ノ結果ヲ生スヘシ然レトモ其場合ハ幸ヒニシテ実際極メテ稀ナルモノナリ
然リ而シテ何時タリトモ訛誤脱漏ヲ補正スルヲ得サルヘカラサルカ故ニ抹消又ハ改正ヲ為スモ決シテ登記簿ノ字体ヲ抹殺シ之カ為メ登記又ハ附記ノ文字ヲ読ミ難キニ至ラシム可カラス故ニ抹消又ハ改正ヲ為ト云フモ是レ前ノ登記又ハ附記ノ欄外若クハ末尾ニ他ノ附記ヲ為シ以テ之ニ加ヘタル変更ヲ示シ又其変更ヲ為スノ基本タル行為(判決又ハ合意)ノ性質其日附等ヲ明細ニ記載スヘキコト謂フモノナリ斯ノ如クスルトキハ後日ニ至リ其変更ノ不当ナルコトノ証拠アルニ当リ更ラニ登記簿ヲシテ旧形ニ復セシムルコトヲ得ヘシ
第三百五十五條
登記簿ニ登記又ハ附記ヲ請願スル所ノ利害関係人ハ之ニ必要ナル証拠書類ヲ登記官吏ニ提出スヘシト雖モ亦其書類ノ謄寫ニ立會フモノニ非サルカ故ニ其謄寫果シテ原本ト符合スルヤ否ヤヲ審査スルコト能ハス加之利害関係人カ登記簿ニ脱漏又ハ訛誤アルヲ発見スルハ偶々登記ノ抄本ヲ請求スル如キ時ニ在ルヲ以テ歳月ノ久シキヲ経テ始メテ其誤謬ヲ発見スルコト甚タ多シ又登記官吏其登記簿ノ抄本又ハ其認証書ヲ交附スルニ当リ其書類ニ訛誤脱漏ヲ為スコトアリ是等ノ場合ニ於テハ登記官吏ハ其過失ニ因リ利害関係人ニ損害ヲ加ヘ而シテ其損害往々巨大ナルコトアルヘキカ故ニ登記官吏其責ニ任セサル可カラサルヤ明カナリ
然レトモ登記官吏ハ何人ニ対シ責ニ任スヘキカノ問題ハ異議ヲ生スルコトナシトセサルヲ以テ明カニ法文ニ之ヲ定メタリ只法文ハ漠然「請願者又ハ利害関係人」ヲ以テ損害賠償ヲ請スルノ権アルモノト云フニ止マルカ故ニ二三ノ適例ヲ擧ケテ之ヲ説明セン
例ヘハ買主其賣買ノ証書ヲ登記セシムルカ為メニ登記官吏ニ之ヲ交附シテ其受取証ヲ得タリシニ登記官吏遂ニ其登記ヲ為ササルカ又ハ之ヲ為スモ時期ヲ失シタルニ因リ其以前ニ在テ賣主更ニ他人ニ同一ノ物ヲ賣却シ又ハ其物上ニ抵当ヲ設定シ而シテ後ノ賣買又ハ抵当ノ登記アリタルカ為ニ遂ニ前ノ買主追奪ヲ被リタリトセン此場合ニ於テ前ニ登記ヲ為シタル者善意ナルトキハ(参観本編第三百五十条)前ノ取得者損害ヲ被ラサル可カラス何トナレハ前ノ取得者ハ果シテ登記アリタルヤ否ヤヲ更ニ調査スルヲ得タリシモ後ノ取得者ハ登記アラサル行為ヲ知ルコトヲ得サリシカ故ニ登記ノ脱漏ノ結果ハ前取得者ニ及ホササル可カラス故ニ登記官吏ニ対シ賠償ノ訴ヲ起スヘキ者ハ前取得者ナリ
又登記アリタルモ訛誤アリタルトキ例ヘハ賣買ノ登記中代價ノ全部若クハ一分ノ未済ナルコトヲ記載セス而シテ買主其買取リタル物件ヲ轉賣シ又ハ之ヲ抵当トシ承継人善意ニテ登記ヲ為シタルトキハ賣主其先取特権及ヒ觧除ノ権利ヲ失ヒ登記訛誤ノ損害ヲ被ルヘシ何トナレハ其訛誤ヲ補正セシメサリシハ即チ賣主ノ過失ト謂ハサル可カラサレハナリ故ニ登記官吏ハ賣主ニ対シ損害賠償ノ責ニ任セサルヘカラス
又登記ヲ經タル行為ニ対シ觧除、鎖除若クハ廃罷ノ請求起リタルニ当リ登記官吏適法ニ其訴状ノ附記ノ請求ヲ受ケタルモ遂ニ該行為ノ登記ニ之ヲ附記セサリシトキハ第三百五十二条ニ従ヒ其脱漏ノ結果ヲ被ルヘキ利害関係人ノ何人ナルカヲ区別シ之カ為メ損失ヲ被ルヘキ者ヲシテ登記官吏ニ対シ損害賠償ヲ求ムルヲ得セシムヘシ故ニ原告ニ対抗スヘキ登記ヲ防止スルカ為メ請求ノ附記ヲ必要トシタル場合ニ於テ其請求ト登記官吏ノ過失ノ発見トノ間ニ在テ他ノ登記行ハレタルトキハ後ノ登記ノ效力ヲ原告ニ及ホスヘキカ故ニ登記官吏ノ過失ニ因リ損害ヲ被ル者ハ原告ナリ故ニ原告ハ登記官吏ニ対シ求償権ヲ行フコトヲ得之ニ反シ被告ノ承継人行為取消ノ訴権アリタルコトヲ知ラサルニ拘ハラス猶ホ之ニ其訴権ヲ対抗スルヲ得ヘキ場合ニ於テハ登記官吏ノ過失ニ因リ損害ヲ被ル者ハ被告ノ承継人ナリ故ニ登記官吏ハ之ニ対シ其過失ノ責ニ任セサルへカラス
又登記簿ニ記載シタル行為及ヒ附記ヲ知ラシムルカ為メ作リタルノ認証書中ニ登記官吏ノ訛誤若クハ脱漏アルコトアリ此場合ニ於テハ其訛誤脱漏ノ為メ損害ヲ被ルヘキ者ハ必ス請求者ナリ何トナレハ請願者ハ一旦登記簿ニ存スル所ノ登記又ハ附記ノ認証書ヲ得タルトキハ其利益ヲ既得スルモノニシテ登記官吏ニ懈怠アルモ之カ為メ其利益ヲ失フ可カラサレハナリ故ニ此場合ニ於テ登記官吏ニ対シ訴権ヲ有スル者ハ請願者ナリ
第四款 合意ノ觧釈
第三百五十六條乃至第三百六十條
本款ノ諸条ハ総括シテ之ヲ説明セン蓋シ其掲クル所ノ規定中ノ一ニ依ルニ合意ノ諸項目ハ其全体ニ就キ之ヲ觧釈スヘキモノトス(第三百五十八条)本款ノ条項ニ於ケルモ亦其理一ナリ蓋シ本款掲クル所ノ規則ハ裁判所ヲシテ当事者ノ意思及ヒ合意ノ意義ヲ発見セシムルカ為メ其依遵スヘキ方針標準ヲ示スモノナリ故ニ其全体ニ就テ之ヲ説明スルヲ可ナリトス
第一ノ規定ハ合意ノ觧釈ニ関スル規則ノ最モ重要ナルモノニシテ其一般ノ原則タリ自餘ノモノハ畢意其適用ニ外ナラス詳カニ之ヲ言ヘハ第一ノ規定ハ裁判官ノ力メテ達センコトヲ求ムヘキ主タル目的ヲ指示スルモノニシテ自餘ノ諸条ハ此目的ヲ達スル方法ヲ示シタルモノニ過キス
夫レ合意ニ於テハ当事者ノ意思法律ニ同シキ効力ヲ有スルカ故ニ其意思ヲ推尋発見スルヲ専一ト為スヘキヤ明カナリ而シテ其意思ヲ推尋発見スルニハ概ネ其合意ノ證書中ニ用ヰタル語辞ニ依ルヘシト雖モ亦諸國ノ言語各々其短所アルヲ免レサルノミナラス亦当事者其言辞ノ字義ヲ誤觧スルコトアリ加之自國ノ語ヲ以テ應シ又之ヲ用テ証書ヲ作ルトキト雖モ猶ホ往々其用法ヲ誤リ或ハ等閑ニ之ヲ用フルコトアリ是レ裁判所ハ合意ヲ觧釈スルニ当リ当事者ノ用ヰタル語辞ノ字義ニ拘泥ス可カラス其双方ノ意思ヲ推尋スルヲ要スト云ヘル第一ノ法則ヲ設ケタル所以ナリ(第三百五十六条)
本邦ニ於ケルモ亦諸外國ニ於ケルモ同一ノ語辞ニシテ各地方意義ヲ異ニスルモノアリ蓋シ一國ノ領土内ト雖モ特別ノ事情ニ因リ各地方其慣習ヲ異ニシ遂ニ其地ノ習風ト為リ累代其慣習ヲ変セサルニ至ルコトアリ故ニ立法者ハ長威力ヲ以テ度量衡ノ制度ヲ均一ニシ貨幣ノ種類ヲ一定シ其他法律ヲ一様ニスルヲ得ヘシト雖トモ言語ヲ一定セントスルニ至テハ其範囲ヲ超過スルモノニシテ到底其力ノ及ハサル所ナリ只纔ニカニ立法者ノ力ノ及フ所ハ当事者ノ語辞ニ附セント欲シタル意義ヲ推定スルニ在リ然レトモ猶ホ其推定タル軽易ノ推定ニ過キスシテ反証ニ依リ攻撃スルヲ得ルモノナリ本款第三百五十六条乃至第三百五十九条ノ規定ハ此單純ナル推定ヲ示スモノナリ
一箇ノ語辞ニシテ各地意義ヲ異ニスル場合ニ付テハ本法ニ規定スル所外國法ニ於ケルト其趣旨ヲ異ニセリ蓋シ外國法ハ一ニ契約ヲ取結ヒタル地ニ於テ慣用スル意義ヲ採ルヘシト定ムト雖モ道理上之ヲ見レハ却テ当事者双方ノ住所ヲ有スル地ニ於テ慣用スル意義ニ従フヲ至当ト為ス例ヘハ当事者施行中合意ヲ為シタルトキハ自己ノ住セル地方ニ於テ慣用スル所ノ語辞ヲ用ヒタルモノト謂フヘク決シテ合意ノ時ニ当リ其偶々駐在シタル地方ノ言語ヲ用ヰタリト認ム可カラス
然レトモ亦当事者同一ノ場合ニ住所ヲ有セサル場合アルカ故ニ本法此場合ヲ規定シタリ而シテ此場合ニ在テハ債務者ノ住所ヲ有スル地ニ於テ慣用スル意義ヲ採ルモ敢テ不当ニアラサルヘシト雖モ債権者其語辞ノ意義ヲ調査スルノ手段アラサシコトナシトセサルカ故ニ合意ヲ為シタル地ニ於テ慣用スル意義ヲ採ルヘキモノト為シタリ是債権者ハ其意義ヲ質シ之ヲ知ルヲ得ヘシト看做シタルカ故ナリ
第三百五十七条第二項ニ依レハ一個ノ語辞ニ二様ノ意義アリテ当事者其何レノ意義ヲ以テ之ヲ用ヰタルカヲ判別スルコトヲ得サルトキハ其合意ノ性質及ヒ目的ニ最モ適合スル意義ヲ以テ之ヲ觧釈スヘキモノトス例ヘハ収益使用ノ語ノ如キ合意ノ目的トスル所用益権、使用権、賃借権、永借権、地上権又ハ地役権タルニ從ヒ多少其意義区域ヲ異ニスルモノナリ
第三百五十八条ハ合意ノ語辞ノ事ヲ規定スルモノニ非ス其項目詳言スレハ相集テ合意ノ全体ヲ組織スル所ノ条目ノ觧釈法ヲ示スモノナリ蓋シ合意ノ各項目ハ之ヲ分離シテ觧釈スヘカラス元来合意ヲ数箇ノ項目ニ分ツハ証書ヲ作ルニ当リ偏ヘニ事理簡明ナルヲ旨トスルニ出テ他ニ理由アラサルコト最モ多シトス然レトモ其項目ハ之ヲ分ツモ当事者ノ為メニ相集テ一体ヲ為シ決シテ分割スヘキニ非サルヤ条理公義ニ就テ見レハ明瞭ナリ偶々合意ノ項目当事者ノ意思ニ於テ全ク独立無関係ニシテ相牽連セサルコトナシトセサル是実際極メテ稀レナル所ナリ実際ニ就テ之ヲ観レハ合意ノ各項目ハ概ネ因果ノ関係ヲ有シ其一アルカ故ニ他ノ一ヲ存スルモノニシテ一項目ノ區域ハ必ス他ノ項目ノ区域ニ應シテ劃定スルモノナルカ故ニ縦令其項目ニ前後ノ順序ヲ附スルモ決シテ其前ナルヲ以テ後ナル者ヨリ重シト看做ス可カラス
第三百五十八条第二項ニ曰ハク一個ノ項目ニ二様ノ意義アリテ其一カ項目ヲ有効ナラシムルトキハ其意義ニ従フヘシト是レ皮相視スレハ徒法ニ属スルモノナルカ如シ然レトモ此規則ハ諸外國法中合意ノ觧釈ヲ規定シタル者孰レモ皆之ヲ掲載シ実際最モ適用アルモノナリ蓋シ債務者合意ノ一項目ハ單ニ法律ノ規定ヲ明記シタルモノニ過キスシテ其実無用ノ長物タリト称シ或ハ事理ヲシテ一層明瞭ナラシメンカ為メ之ヲ設ケタルニ過キスト称シ以テ其義ノ一ヲ免レント求ムルコト無シトセス然レトモ当事者單ニ法律ノ規定ヲ証書ニ記載スルカ為メ特ニ一項目ヲ置キタリトハ裁判所ノ容易ニ認ムヘカラサル所ナリ例ヘハ債権ノ賣買ヲ為シタル場合ニ於テ担保ヲ為ス旨ヲ記載セル項目アリタルトキ其意賣主ノ單ニ債権ノ成立及ヒ其債権者タルノ性質ヲ担保スルノミヲ謂フニ過キストセハ其項目ハ無用ノモノタルヘシ何トナレハ此担保ハ既ニ法律ノ命スル所ニシテ当然賣主ノ担保ナレハナリ然レトモ斯ノ如キ項目アリタルトキハ單ニ賣主此法律上ノ担保義務ヲ負フヘキ旨ヲ約シタルニ過キスト觧釈スヘカラス尚ホ賣主ハ債務者ノ資力ヲ担保シタルモノナリト觧釈スルコトヲ要ス蓋シ債務者ノ資力ノ担保ハ賣主ノ明約シタルトキニ非サレハ其負担スル所ノモノニ非サルカ故ニ担保ノ明約アラハ以テ債務者ノ資力ヲ担保スルノ約束アリト觧釈セサル可カラス
当事者合意ノ効力及ヒ其目的ヲ指定スルニ廣泛ナル語辞ヲ用ユルコトアリ若シ其語辞ヲ文字ニ拘泥シテ觧釈スルトキハ遂ニ当事者ノ意思ヲ超過スルニ至ルヘシ故ニ如何ニ廣泛ナル語辞アリト雖モ決シテ当事者カ其合意ヲ為シ以テ希望シタル所ノ目的又ハ其合意ヲシテ有効ニ生セシメント欲シタル効力以外ヲ認メ其意思外ニ亘ル意義ヲ以テ之ヲ觧釈スヘカラストセリ例ヘハ一ノ家屋ヲ賣渡スニ当リ屋内ニ在ル一切ノ動産物ヲ附属シテ之ヲ賣渡ス旨ヲ証書ニ記載シタルトキノ如キ仮令一切ノ動産物ナル語アルモ賣主ハ其現金、債権証書其他ノ権利ノ証書、衣服、寶物、書類、職業用ノ器械、画幅、文房具其他一身ノ使用ニ供スル物ヲ賣渡スノ意アリト推定スヘカラス
然レトモ亦当事者合意ノ項目効力ノ一箇若クハ数個ヲ明言スルニ止マリタルニ当リ合意ノ効力ヲ減縮スルノ意アリト觧釈シテ其当ヲ過クルコトアル可カラス仮令当事者合意ノ効力一個若クハ数箇ヲ明言シタルモ是レ單ニ之ヲシテ明瞭ナラシムルノ意ニ出テ又ハ之ニ関シ多少ノ制限ヲ設クルノ意ニ出テタルニ過キサルコトアリ故ニ合意ノ効力ノ一二ヲ示シタルヲ以テ当事者ハ合意ノ他ノ法律上ノ効力ヲ阻却セント欲シタリト推定スル理由ト為スニ足ラサルナリ例ヘハ家屋ノ賃貸借証書中賃貸人物ノ引渡ノ時ニ当リ一切ノ修繕ヲ加フヘキコトヲ約シタルモ未タ之カ為メ賃貸借ノ継続中保持ノ修繕ヲ為スノ義務ヲ免レタルモノト謂フ可ラス又賃貸借若クハ賣買ノ証書中賃借人又ハ買主代價ヲ弁済セサルカ為メ契約ヲ觧除スヘキコトヲ明言スルモ亦未タ之ヲ以テ当事者其他ノ義務ヲ履行セサルニ因リ又ハ賃貸人若クハ賣主其義務ヲ履行セサルニ因リ契約ヲ觧除スルコトアル可カラサル旨ヲ約シタリト推定スヘキノ理由ト為スニ足ラス
右ノ觧釈法第三百五十八条第二項ノ觧釈法ノ例外タルモノナリ而シテ此例外則ヲ設ケタル所以ハ蓋シ前例ノ如キ場合ニ於テハ合意ノ項目附スルニ当事者ノ意思外ニ亘ル効力ヲ以テセシヨリ寧ロ之ヲシテ全ク無効ナラシムルヲ勝レリト認メタルニ在リ
又本法ハ以上ノ觧釈法ヲ設ケ且注意周到用心綿密ナルニ拘ハラス裁判官尚当事者ノ意思ノ在ル所ヲ識別スルコト能ハスシテ之ニ付キ疑惑ヲ有スルコト無シトセス而シテ其疑惑タル或ハ合意ノ一個若クハ数個ノ項目ニ関シ存スルコトアルヘク或ハ其合意ノ性質又ハ其成立ニ関シ存スルコトアルヘシ其合意ノ性質若クハ成立ニ付キ疑アル場合ニ於テハ合意觧釈ノ問題アルニ止マラス尚ホ権利ノ通常ノ証拠問題アルモノナリ然レトモ此点ニ関スル規則ハ何レノ場合ニ於テモ同一ニシテ普ネク適用セラルヘキモノナリ
蓋シ裁判所ニ提出スヘキ証拠ノ事項ヲ支配スル所ノ原則ニ依レハ「擧証ノ任ハ一個ノ事実ニ付キ利益ヲ得ンカ為メ之ヲ主張スル者ニ在リ」故ニ自己ノ主張ヲ充分ニ証明スルコト能ハサル者ハ其訴訟ニ敗訴ス可キヲ此原則ノ自然ノ結果ナリトス実ニ世人挙テ相互ニ義務ヲ負フモノニ非ス彼我ノ間ニ義務ノ関係アルハ異常ノ状態ノミ故ニ自ラ債権者ナリト称スル者ハ其異常ノ状態即チ自己ニ権利アリ対手ニ義務アルコトヲ証明スルヲ要ス又義務成立ノ証拠アルモ猶ホ義務ノ区域ハ最モ狭隘ナルモノト推定スヘキカ故ニ債権者ハ其権利ノ範囲ノ廣狭ヲ証明スルコトヲ要ス
然レトモ債権者一旦義務ノ成立及ヒ其範囲ヲ証明シタル後債務者既ニ之ヲ免カレタリト称スルトキハ其義務ヲ免除シタルノ証拠ヲ擧クルコトヲ要ス且其義務ヲ全ク弁済シ了リ毫モ負担スル所ナシト称スルトキハ其全部ノ免除ヲ証明セサル可カラス
本編ハ未タ一般ニ証拠ノ問題ヲ規定スヘキモノニアラス只茲ニ規定スル所ハ合意ノ意義ニ関スル証拠ノミ而シテ茲ニ此事ヲ規定シタル所以ハ合意ノ意義ニ関スル証拠問題タル畢意其觧釈ノ問題ニ外ナラサルカ故ニシテ此点ニ付テハ亦一般ノ原則ヲ適用シ合意ノ意義曖昧ナルニ因リ生スル所ノ疑義アルニ当リ要約者之ヲ証明セサルトキハ遂ニ其権利ヲ伸張スルコト能ハス合意ノ効力ハ一ニ諾約者ニ対シ十分ノ証明アリタル所ノモノニ限リ存スヘキモノトセリ
双務合意ニ於テハ各当事者要約者タリ併セテ諾約者タルカ故ニ本則ノ適用ニ付キ異議ヲ生スルコト無シトセサルカ故ニ法文ヲ以テ此点ヲ断定シ此規定ハ各項目ニ付キ各別ニ之ヲ適用スヘキモノトセリ蓋シ双務合意ハ各当事者相互ニ債権者及ヒ債務者ノ位置ヲ有スルコトヲ定ムル二大項目相集リテ之ヲ構成シ二箇ノ片務契約ノ湊合ヨリ成立スルモノト謂フヘキナリ例ヘハ賣主若クハ賃貸人ハ物件ヲ引渡シ且一切ノ妨害若クハ追奪ヲ担保スヘキノ義務ヲ負担スルモノニシテ買主若クハ賃借人ハ一定ノ代價又ハ定期ノ借賃ヲ拂フヘキコトノ義務ヲ負担スルモノナリ故ニ賣主若クハ賃貸人ノ約シタル義務ニ付キ疑アルトキハ其利益ト為ルヘキ意義ヲ採リ買主若クハ賃貸人ニ不利ナル觧釈ヲ為スヘク之ニ反シ買主若クハ賃借人ノ義務ニ付キ疑アルトキハ賣主若クハ賃貸人ニ不利ニシテ買主若クハ賃借人ニ利益アル觧釈ヲ為スヘシ之ヲ要言スレハ何レノ場合ニ於ケルモ要約者ニ不利ニシテ諾約者ニ利益アル觧釈ヲ為スヘキモノトス
合意ノ解釈ニ付キ定メタル本款規則ハ亦法律ノ觧釈ニ付キ適用スルヲ得ヘキモノナリ只其異ナル所ハ項目ノ意義疑ハシキ場合ニ在リ即チ法律ノ意義ニ疑アルトキハ未タ必スシモ原告ニ不利ナル觧釈ヲ採ルヘキニアラス沿革ニ據リ判決例ニ照シ又条理公義ニ考ヘ以テ其疑團ヲ氷觧スヘキナリ
第二節 不当ノ利得
第三百六十一條
本節ハ第二百九十五条ニ掲ケタル義務及ヒ人権ノ第二ノ原因ヲ規定スルモノナリ欧洲ノ法律ニ於テハ此義務原因ニ附スルニ准契約ノ称ヲ以テシタリト雖モ本法ハ此名称ヲ採ラス不当ノ利得ノ称ヲ用ヒタリ蓋シ准契約ノ正確ナル定義ヲ下サントセハ必ス不当ノ利得即チ原因ナキ利得ノ意義ヲ包含セシメサル可カラス然ルニ外國法典ハ准契約ノ定義ニ不当ノ利得ノ観念ヲ包含セシメサルヲ以テ孰レモ未タ其正確ナル定義ヲ示サス外國法典中一ハ之ヲ「人ノ純然タル任意ノ行為」ナリト称シ一ハ之ヲ「任意且合法ノ行為」ナリト言ヘリ然レトモ人ノ任意且合法ノ行為ニシテ未タ契約タラス又准契約タラスシテ義務ヲ発生セサルモノ比々之レ有リ故ニ其定義ハ孰レモ義務ヲ発生スル要素ヲ示ササルノ欠点アリ抑々本節ニ定ムル所ノ行為カ義務ヲ発生スル所以ハ其不当ノ利得ヲ生スルカ故ナリ是ヲ以テ本条ハ一ニ不当ノ利得ノ観念ヲ以テ義務ノ此第二原因ノ性質ヲ示シタリ
然リ而シテ義務ヲ発生セシムルノ事実ハ複雑ニシテ其數原因集合シテ並ヒ存スルコト少シトセス例ヘハ不当ノ利得アリ併セテ不正ノ損害アリ又不当ノ利得若クハ不正ノ損害ト合意ト併ヒ存スルコトアリ後説明スル所ニ就テ見レハ自カラ釋然タラン
本条第一項ニ不当ノ利ヲ得タル者有意ナルト無意ナルトヲ問ハス又錯誤ニ出テタルト故意ニ出テタルトヲ問ハサルコトヲ明記シタリ蓋シ其有意ナルト無意ナルトハ義務ノ区域ニ影響ヲ及ホスモノナリト雖モ其発生ノ原因ニ影響ヲ及ホスモノニ非ス本節ニ規定スル所ノ義務ノ原因アリトスルニハ只故意ニ出テタルト無意ニ出テタルトヲ問ハス利得ノ事実カ犯罪若クハ准犯罪タルノ性質詳言スレハ次節ニ規定スル所ノ不正ノ損害ノ性質ヲ有セサルヲ以テ足レリトス
不当ノ利得ヨリ発生スル所ノ義務ハ不当ニ得タル利益ヲ返還スルニ在リト雖モ本条ハ之ヲ記スルニ少シク語辞ヲ異ニシ利得ヲ返還スルノ義務ト言ハスシテ利得ノ取戻ヲ受クルノ義務ナリト云ヘリ此語辞タル啻ニ直接ノ利得ヲ包含スルノミナラス亦間接ノ利得ヲ包含スルモノナリ例ヘハ己レノ受ク可カラサル日用品ヲ受取リ之ヲ消費シテ利益ヲ得以テ自己ノ金銭ヲ費スコトヲ免カレタル者ハ其費用ヲ節減シタル高ニ應シ利得ヲ受ケタルモノナリ又自カラ其日用品ヲ消費セス之ヲ轉賣シタルトキハ之ニ因テ得タル代價ヲ利得スルモノナリ又例ヘハ自己ノ受ク可カラサル金銭ヲ受取リ之ヲ以テ物件ヲ買取リ之ヲ貯蔵スルカ又ハ之ヲ消費シテ利益ヲ得タルトキハ即チ其分ニ應シテ利得シタルモノナリ此場合ニ於テ不当ニ日用品又ハ金銭ヲ受取リタル者ハ之ヲ與へタル者ヨリ取戻ヲ受クルノ義務アリ
又不当ノ利得ハ取戻ノ対人訴権ヲ生スルノミナラス回復ノ物上訴権ヲ生スル場合アリ即チ不当ニ領受シタル物尚ホ領受者ノ現物ニテ占有スル所タル場合是レナリ此場合ニ在テハ正当ノ原因ナキカ故ニ所有権ノ移轉セサルコト恰モ原因ナクシテ債権ノ発生スヘカラサルト一般ナリ
本条ハ單ニ義務ノ此第二原因ニ関スルノ原則ヲ定ムルニ止マラス尚ホ其適用ヲ示シタリ唯其示ス所ノ適用ハ主タルモノニ過キサルヲ以テ單ニ其適例ヲ示スニ過キス此他尚ホ此原則ヲ適用スヘキ場合ナシト謂フ可カラス而シテ茲ニ其主タル適用ヲ示スヲ必要ト認メタル所以ハ其第一及ヒ第二ノ適例タル事務管理及ヒ不当弁済ノ二者ハ何レノ法典ニ於ケルモ皆ナ之ヲ規定シ多少其細則ヲ定メ且殊ニ日本ニ於テハ未タ能ク之ヲ觧スル者少キヲ以テ法律ニ其細目ヲ規定スルヲ要スト認メタルカ故ナリ又外國ノ法律ハ事務管理及ヒ不当弁済ノ二者ヲ規定スルニ過キサルヨリ他ニ准契約タルモノヲ認メサルカ如キ觧釋ヲ為ス者ナシトセス故ニ本条ハ特ニ其他ノ適例アルコトヲ示シタリ且本節ニ不当ノ利得ノ場合中二三ノ者ニ付キ詳細ノ規定ヲ為ス以上ハ先ツ本条ニ其場合ヲ列記スルヲ必要ト認メタリ
其列記スル場合中第三以下ハ各事項ニ於テ特ニ之ヲ規定スルカ故ニ今只其要領ヲ概説スルニ止マリ詳細ノ説明ニ至テハ之ヲ其事項ニ譲ル
夫レ家督相続又ハ遺言相続ヲ受クヘキ者ハ啻ニ其財産ヲ受クルノ権利アルニ止マラス亦其負担ヲ償却スルノ義務アルモノナリ而シテ其負担中ニハ遺産者ノ約シタル債務及ヒ其第三者ニ為ス所ノ特定権原ノ遺贈アルヘシ故ニ家督相続人又ハ包括権原ノ遺産相続人ハ遺産者ト同一ノ権原ニ因リテ其遺産者ノ債務ヲ負担スルモノナリ是ヲ以テ一旦其相続人タル資格定マルトキハ債権者ハ之ヲ訴追スルニ其義務ノ新原因ト看做スヘキ利得ニ基カスシテ遺産者ノ行為ニ基クモノナリ只相続人ノ利得ハ其相続財産ノ限定受諾ヲ為シタルトキハ其訴追ヲ受クヘキ区域ノ標準タルヲ得ヘキノミ然レトモ此場合ニ於ケルモ猶ホ相続人ハ当然相続財産ヲ減少スル所ノ債務ヲ控除シタルモノヲ享受スルモノニシテ其債務ヲ負担スルハ不当ノ利得ヲ受ケタルニ因ルモノニアラスト謂フ可シ
然レトモ包括財産ヲ受クヘキ者ニ遺言ヲ以テ命シタル負担ニ至テハ其包括財産ヲ受クル者死者ト同一ノ名義ヲ以テ其負担ヲ有スト謂フ可カラス何トナレハ遺産者ハ未タ嘗テ同一ノ負担ヲ有シタリシ者ニアラサレハナリ故ニ包括権原ノ承継人其負担ヲ有スルハ其相続ヲ受諾シタルニ因ル外外國法典ニ准契約ハ任意ノ行為ナリト云ヘルハ即チ此場合ヲ相像シタルカ故ナリ然レトモ此場合ニ在テモ亦承継人ハ債務ノ弁済後残存スル所ノ相続財産ノ限度内ニ於テノミ遺贈ヲ履行スルノ責アルニ過キサルヲ以テ亦義務ノ原因ハ准契約ナリト称セス不当ノ利得ナリト言フヲ愈レリトス
添附ハ主タル物ニ從タル物ノ集合シタルニ当リ実際之ヲ分離スルコト能ハス又ハ法律ニ之ヲ分離スルコトヲ禁シタルトキ從タル物ノ所有権ヲ取得スルノ方法ニシテ本編既ニ其名稱ヲ掲ケタルコトアリ然レトモ其規定ニ至テハ本編ニ掲クヘキモノニアラス次編ノ範囲ニ属スルカ故ニ次編ニ至リ其主タル適用ノ場合ヲ示シ併セテ其所有権ヲ取得スル方法タル所以ヲ説明セン而シテ添附ノ行ハルル場合ニ在テハ主タル物ヲ変形シ其價額ヲ増加シタル所ノ他人ノ物又ハ他人ノ工作ノ利益主タル所有者ノ所得トナルモ亦該所有者ハ其利得スル所ノ價額ヲ弁済スルノ義務アルモノニシテ即チ其義務ハ不当ノ利得ニ基クモノナリ
所有者不動産ヲ占有セサル場合ニ於テハ原占有者未タ必スシモ果実及ヒ産出物ヲ取得スルノ権アルモノニアラス悪意ノ占有者ノ如キハ定期ノ果実及ヒ産出物ヲ取得スルコト能ハス又善意ノ占有者ト雖モ一旦所有者ヨリ回復訴権ヲ受ケタルトキハ亦該果実及ヒ産出物ヲ得ルノ権利ヲ失フ且或ル産出物ハ果実ノ性質ヲ有セス物ノ一分ヲ組成スルモノト看做サルルカ故ニ占有者ハ善意ナルトキト雖モ猶ホ之ヲ取得スルコト能ハス例ヘハ森林ノ大樹木及ヒ未開掘ノ礦坑及ヒ石坑ノ産出物ノ如キ即チ是レナリ総テ是等ノ場合ニ於テ占有者法律上其収穫シタル所ノ物ヲ取得スルコト能ハサルトキハ之ヲ返還スルノ義務ヲ負担スルモノナリ此義務ノ原因モ亦不当ノ利得ナリトス然レトモ悪意ノ占有ノ場合ニ於テハ尚ホ不正ニ加ヘタル損害ヲ賠償スルノ義務ヲ生スル所ノ原因併セ存スルコトアルヘシ例ヘハ悪意ノ占有者ハ啻ニ其収取シタル果実ヲ返還スヘキノミナラス亦其収取スルコトヲ怠リタル果実ヲ返還スルヲ要ス其収取スルヲ怠リタル果実ヲ返還スルノ義務ハ即チ不正ノ損害ニ起因スルモノナリ(本編第百九十五条ヲ参観スヘシ)又眞ノ所有者モ占有者ニ損害ヲ被ラシメ之カ為メ自己ノ利益ヲ得ルニ至ル可カラス故ニ眞ノ所有者ハ占有者ノ施シタル工作及ヒ収穫ノ費用其他必要又ハ有益ナル費用ヲ直接ニ返還スルカ又ハ自己ノ返還ヲ受クヘキ金額ヨリ控除シ以テ之ヲ償還セサル可ラス
又動産ニ関スルトキハ善意ノ占有者其占有ノ事実ノミニ因リ所有者トナラサリシ場合ニ於テ之ヲ賣却スルコトアリ例ヘハ其物元来贓物タリシトキノ如キ即チ是レナリ此場合ニ於テ若シ新占有者ニ其物ノ返還ヲ求ムルモ之ヲ得サルトキハ之ヲ賣却シタル前ノ占有者ハ其得タル代價ヲ返還スルノ責アリ何トナレハ其代價タル前占有者ノ正当ニ取得スヘカラサル所ノ利得ナレハナリ
第三百六十二条及ヒ第三百六十三條
事務管理ハ其性質ト効力トニ付キ大ニ代理ノ受諾及ヒ履行ニ類似スルモノナリ蓋シ事務管理ノ性質上代理ト類似スル所ハ其行為概ネ無償ニシテ他人ヲ利セントスルノ念慮ニ出テ懇篤ナル情誼ニ因ルニ在リ又事務管理ノ効力亦代理ト類似スル所ハ其行為ニ因リ本主トノ間ニ発生スル所ノ相互ノ義務ハ殆ト委任者ト代理人トノ間ニ成立スル所ノ義務ト同様ナルニ在リ然レトモ亦事務管理ト代理トノ間ニハ大ナル差異ノ存スルアリ蓋シ代理ハ特定ノ目的ニ出テタル二個ノ意思ノ合致ニ成ルカ故ニ一ノ契約ナリト雖モ事務管理ハ一個ノ意思ノ結果ニシテ法文ニ言フカ如ク好意ヲ以テスルモノナリ換言スレハ自カラ好テ行フモノナリ故ニ事務管理ハ契約ニアラス欧洲ノ法律ニ所謂准契約ナルモノニシテ之ヨリ生スル義務ハ亦不当ノ利得ニ基クモノナリ然レトモ亦管理者ノ義務ニ至テハ不当ノ利得ニ基クノ外他ノ原因ニ基クコトアリ即チ過失ノ責任是レナリ(本主ノ義務ニ至テハ一ニ不当ノ利得ニ基クモノニシテ不正ノ損害ニ基クコトナシ)然リト雖モ管理者ノ過失タルヘキモノハ決シテ代理ナキニ他人ノ事務ニ干渉シタルニ在ラス一旦之ニ干渉シタル以上ハ注意シテ其管理ヲ完フスヘキニ半途ニシテ之ヲ放却シ又ハ其管理ノ当ヲ得サルニ在リ
第三百六十二条ノ法文ニハ本主ノ不在又ハ其他之ニ類スル場合ニ於テ管理ヲ為シタルコトヲ規定スト雖モ是等ノ情状タル決シテ法律ニ限定シタルモノニアラス只事務管理ノ原因中日常最モ多ク見ル所ニシテ且管理行為アルニ至ラシムルノ最モ普通当然ナルモノヲ示シタルニ過キス故ニ本主ノ疾病ノ如キモ亦事務管理ノ原因タルヲ得ヘキモノナリ
本法ハ羅馬法ニ於ケルト異ナリ管理者管理ヲ為スニ至リタル理由懇篤ナル情誼タルヲ要セス故ニ債権者其債務者不在ナルニ当リ自己ノ弁済ヲ受クルノ資本ヲ確固ナラシメンカ為メ其財産ヲ管理シタルトキノ如キハ啻ニ事務管理者ノ義務ヲ有スヘキノミナラス亦事務管理者タルノ権利ヲ有スルモノナリ又他人ト一物ヲ共有シ而シテ其共有物ヲ管理シタル者ノ如キハ他ノ共有者ノ利益ヲ計リタリト謂ハンヨリ自己ノ利益ヲ計リタルモノナリト謂フヘキモ亦猶ホ其行為ヲ事務管理ト看做スコトヲ得ヘシ然レトモ社員ニ至テハ之ニ異ナリ其共有物ヲ管理スルノ義務アルハ會社契約ニ基クモノナリ
懇篤ナル情誼ハ事務管理ヲ組成スルニ必要アラサルカ故ニ自己ノ財物ヲ管理スルト誤信シ他人ノ財産ヲ管理シタル者モ亦通常ノ管理者ト同シク賠償ヲ請求スルノ権利ヲ有スヘキモノトス
欧洲ニ於テハ論者中本主ノ拒絶アリタルニ拘ハラス管理ヲ為シタル場合ニ於テハ事務管理ノ規則ヲ適用スヘカラスト云フ者アリ然レトモ此場合ニ於ケルモ亦事務管理アリト認メ本主ヲシテ其不当ニ利得シタル所ノモノヲ返還セシムルヲ至当ト為ス但此場合ト前項ニ例示シタル場合トニ於テハ本主ノ得タル利得ノ多寡ヲ査定スルニ管理ノ時ニ於テセスシテ管理者ノ訴権ヲ行フタル時ニ於テスヘキノミ故ニ管理行為ト訴権行用トノ間ニ在テ利得ノ減少シタルトキハ管理者其損失ヲ負担スヘシ是レ此場合ニ於テハ管理者ヲ深ク保護スルニ及ハサルカ故ナリ
法文ニ於テハ本主管理ヲ知ラサルコトヲ必要トセス故ニ本主ノ委任ヲ為サスシテ管理アルコトヲ知ルモ亦事務管理アリト謂フヲ得ヘシ然レトモ亦代理ハ未タ必スシモ明示タルヲ要スルモノニアラス例ヘハ所有者他人カ其財産ヲ管理スルコトヲ知リ之ヲ拒絶スルヲ得ルニ拘ハラス其管理ニ放任シ加之管理者ニ其管理費用ノ計算ヲ請求シ或ハ貸賃其他管理財産ノ利益ヲ管理者ヨリ受取リタルトキハ單ニ事務管理アルニ止マラス黙示ノ代理アリト謂ハサル可カラス故ニ黙示ノ代理アルヤ将タ事務管理アルニ過キサルヤニ付キ爭論ノ起リタルトキハ其判定ハ一ニ裁判所ニ専任スルヲ可ナリトス是レ本条ニ事務管理ハ本主ノ之ヲ知ラサルヲ要ストセス又之ヲ知ルモ未タ必スシモ代理アリト断定セサル所以ナリ
又通常ノ代理人其権限ヲ超過シタル場合ニ於テハ其代理権ノ範囲ヲ超越シテ行フタル所ノ行為ヲ以テ事務管理ト看做スヘシ
第三百六十二条ニ管理者ノ四個ノ義務ヲ指示シタリ其二個ハ第一項ニ記載スル所ナリ
第一、管理者ハ本主ヨリ請求ヲ受ケタルトキ其管理ニ因リ収メタル金銭有價物果実其他ノ利益ヲ之ニ返還スルノ責アリ加之縦令本主ヨリ其返還ノ請求アラサルモ之ヲ返還スルヲ得ルトキハ自カラ進テ之ヲ返還セサル可カラス若シ管理者其管理ニ因リ収メタル利益ノ全部若クハ一分ヲ自己ノ用ニ供シタルトキハ本主ノ財産ニ因リ利益ヲ得タルモノナルヲ以テ其利息ヲ負担セサル可カラス又其受取リタル金銭ニ付キ自ラ利益ヲ得サルモ之ヲ返還スルヲ遲延シタルトキハ其懈怠ノ責ニ任スヘキカ故ニ其利息ヲ負担スヘシ是レ管理者ニ対スル特別ノ嚴例ナリ何トナレハ金銭ノ債務者ハ利息ノ請求アルニアラサレハ之ヲ負担セサルヲ通則ト為セハナリ然ルニ管理者其請求ヲ受ケスシテ当然利息ヲ負担スル所以ハ原ト管理者ハ自ラ好ンテ他人ノ事務ニ干渉シタルモノナルカ故ニ其干渉ノミニ因リ自ラ遲滞ニ附シタルモノト看做スヘキカ故ナリ
第二、管理者管理ノ際自己ノ名ニテ権利及ヒ訴権ヲ取得スルコトアリ例ヘハ果実及ヒ産出物ヲ賣渡シ其代價支拂ノ為メ期限ヲ與へ手形又ハ義務ノ証書ヲ作ラシメタルトキハ買主本主ヲ知ラサルニ因リ其証書ノ名宛又ハ管理者タルヘシ而シテ管理ノ計算ヲ為ス前ニ在テ其代價ノ弁済アリタルトキハ管理者其受取リタル金額ヲ以テ本主ニ返還スヘシト雖モ若シ未タ其支拂アラスシテ義務ノ存スルトキハ管理者ハ第三百四十七条ニ規定シタル所ニ從ヒ債権ノ譲渡ヲ為スヘシ而シテ譲渡人タル管理者ハ毫モ直接ニ対價ヲ受取ルモノニ非スト雖モ亦其譲渡ハ無償ノ譲渡ニ非サルナリ蓋シ管理者ハ其債権ノ譲渡ニ因リ自己ノ義務ヲ免カルルヲ以テ決シテ本主ニ贈與ヲ為スモノト謂フ可カラサレハナリ
第三、管理者ハ毫モ委任ヲ受ケサルモノナルカ故ニ原来管理ヲ為スノ義務アリタルモノニ非ス只自カラ好テ他人ノ事務ヲ斡旋シタルノミ然レトモ一旦管理ニ着手シタルトキハ之ヲ継続スルノ責アリ(第二項)若シ其管理ヲ継続セサルトキハ厚情ニ出テ事ヲ為シ以テ本主ニ利益ヲ與へント欲シ却テ之ニ損害ヲ加フルニ至ルヘシ例ヘハ管理者本主ノ家屋ヲ修復セシメント欲シ其屋蓋ヲ撤去セシメタルニ半途ニシテ其工事ヲ中止シ更ニ其屋蓋ヲ造ラサルトキハ却テ其家屋ハ修復ニ着手シタル以前ニ比シ一層ノ頽破ニ至ルヘシ此他不動産ニ施スヘキ工作ハ概ネ着手シテ竣功セサルトキハ却テ之ニ着手セサルニ如カサルカ故ニ管理者一旦之ニ着手スルヤ必ス竣功ニ至ラサル可カラス
且管理者其着手シタル管理ヲ継続スルノ責アルハ他ニ一ノ理由アリ蓋シ管理者干渉ハ他ノ人来テ本主ノ事務ヲ管理スルコトヲ妨クルコトアルヘシ例ヘハ本主ノ他ノ朋友又ハ隣人其事務ヲ管理セント欲スルモ既ニ管理者アルトキハ敢テ復タ干渉セサルヘキヤ必然ナリ故ニ一旦管理ニ着手シタル後之ヲ抛棄スルハ却テ初メヨリ之ニ着手セサルニ若カサルナリ故ニ一旦管理ニ着手シタル者ハ必ス之ヲ継続セサル可カラス
然リト雖モ亦事務管理者ノ此義務ヲ極端ニ觧釋シ漫ニ其至当ノ範囲ヲ越ヘシム可カラス例ヘハ管理者工事ノ必要切迫セルニ因リ之ニ着手シタルモ正当ノ原因ノ為メ之ヲ継続スルヲ得サルニ至リタルトキノ如キハ其管理不継続ノ責ニ任スヘキモノニ非ス蓋シ正当ノ原因アルトキハ代理人ト雖モ亦既ニ其代理ヲ継続セサルコトヲ得ルカ故ニ管理者之ヲ継続セサルコトヲ得之ヲシテ代理人ヨリ一層重キ義務ヲ負担セシム可カラサルヤ明ナリ(財産取得編第二百五十六條ヲ参観スヘシ)
第四、管理者ハ合意上ノ代理人ト同一ノ注意ヲ以テ管理ヲ為ササル可カラス羅馬法ニ於テハ管理者ヲシテ代理人ヨリ綿密ナル注意ヲ為スヘキ義務ヲ負ハシメタリ其理由ヲ案スルニ管理者其管理ヲ為サス他人ノ事務ニ干渉セサリシナラハ他ニ一層慎密鄭重ナル人来テ管理ヲ行フコトアルヘキニ其干渉ノ為メ他人ノ綿密ナル管理ヲ妨ケタル以上ハ管理者充分ノ注意ヲ加ヘサル可カラスト云フニアリタリ然レトモ本法ハ羅馬法ノ如ク絶対的ノ規則ヲ定メス管理者ノ果シテ其責ニ任スヘキヤ即チ管理者ニ過失又ハ懈怠アリヤ否ヤノ点ハ裁判所ヲシテ管理者管理ヲ為スニ至リタル事情ヲ斟酌シ以テ判定スヘキ所ノモノト為シタリ第三項例ヘハ不在者ノ財産ヲ管理セサルハ其将ニ滅失セントスルノ患アリテ管理ノ必要切迫シタルニ当リ他ニ其管理ヲ為ス者ナカリシトキハ他ニ近親ノ管理ヲ為ス者アリシカ又ハ其管理ヲ遲延スルモ敢テ危害ナキ場合ニ比シ管理者ニ望ムニ一層輕キ注意ヲ以テセサル可カラス又火災、暴風若クハ洪水ノ為メ家屋破壊シ其修繕ノ必要迫リタル場合ニ在テ管理ヲ為シタルトキハ平時ニ比シ管理者ヲ遇スルコト一層緩ナルヲ要ス之ニ反シ管理者本主ノ財産ニ修復ヲ加フルト同時ニ自己ノ財産ニ修復ヲ加ヘタルトキハ之ヲ處スル較ニ嚴ニスヘシ
第三百六十三条ハ本主ヲシテ二個ノ義務ヲ負担セシムルモノナリ此義務タル一ニ本主ノ利得ニ基クモノナリ蓋シ本主ニ在テハ之ニ責ヲ帰スヘキ懈怠アル可カラサルカ故ニ其義務ハ一ニ不当ノ利得ニ基クモノナリ
第一、管理者必要ナル費用即チ保存費用ヲ出シタルトキハ本主之ヲ賠償スヘキヲ至当トス何トナレハ其失ハサリシ所ノ物ハ即チ其利得シタル所ナレハナリ蓋シ必要費用トハ物ノ保存ニ充テタル費用詳カニ之ヲ言ヘハ管理財産ノ将ニ滅失シ又ハ其價額ヲ失フヘキ時ニ於テ加ヘタル費用ヲ謂フ又費用ノ有益ナルトキ即チ管理財産ニ改良ヲ加フルカ為メ出シタルモノナルトキハ亦本主之カ為メ利得ヲ受ケタルヲ以テ之ヲ賠償スヘキヤ明瞭ナリ然レトモ贅澤費即チ専ラ快楽ノ為メニ出シタル費用ニ至テハ本主ノ負担スヘキ所ノモノニ非ス何トナレハ其費用ハ本主ノ為メ金銭ニ見積ルヲ得ヘキ利得ヲ生スルモノニアラサレハナリ
第二、管理者必要又ハ有益ナル工事ヲ命シ購買品ヲ注文シ而シテ未タ其弁済ヲ終ハラス之カ為メ工事受負人又ハ購賣人ヨリ管理者ニ対シ一身上ノ義務ヲ負担スヘキコトヲ求メタル場合アルヘシ蓋シ管理者ハ財産ノ所有者ニ非ス又代理権ヲ有スルモノニ非サルカ故ニ工事受負人又ハ購賣人ヨリ管理者ニ自身義務ヲ負担スヘキコトヲ求ムルハ至当ニシテ往々実例ヲ見ル所ナリ然ルニ其工事既ニ竣成シ又ハ将ニ竣成セントスルトキハ本主管理者ヲシテ其自身ニ負担シタル義務ヲ免カレシメ自ラ之ニ代ハリ其義務ヲ負担スヘキヤ至当ナリ而シテ本主管理者ヲシテ其自身ニ負担シタル義務ヲ免カレシメ自カラ代テ之ヲ負担スルニハ債権者ト更改ヲ為スヘシ詳カニ之ヲ言ヘハ債権者ヲシテ其管理者ノ義務ヲ免カルルコトヲ承諾シ尓後本主ヲ以テ單一ノ債務者ト看做スヘキコトヲ承諾セシムヘシ然レトモ債権者ハ未タ必スシモ其更改ヲ承諾セサル可カラサルニアラサルヲ以テ往々之ヲ拒絶スルコトアルヘシ此場合ニ於テハ本主ハ管理者ニ対シ其弁済シタル所ノ物ヲ償還スヘク加之債権者ノ請求次第債務者ニ代ハリ弁済ヲ為スヘキノ義務ヲ負担スヘシ是レ法文ニ所謂管理者ニ「其管理ノ為メニ自身ニ負担シタル義務ノ担保ヲ為ス」モノナリ
事務管理ノ規則タル代理権ヲ超過シタル代理人ニ適用スヘキカ故ニ代理人其委任ノ範囲ヲ越ヘテ費用ヲ出シタル場合ニ於テモ亦其費用ノ必要又ハ有益ナリシトキハ其償還受クルノ権アリ
本主自己ノ為メ管理者カ有益ニ支拂フタル金銭ノ利息ヲ負担スヘキヤ否ヤニ付テハ論議ノ起ルコト無キヲ保セス本法ハ委任者ノ代理人ニ拂フヘキ金銭ニ就テ此点ヲ明定シタリ然レトモ事務管理ト代理トハ大ニ相類似スルニ拘ハラス其代理ニ付キ設ケタル所ノ規定ハ本主ト管理者トノ関係ニ適用ス可カラサルモノナリ蓋シ事務管理ノ場合ニ於テハ此問題モ亦不当利得ノ原則ニ因リ断定スルヲ要ス即チ管理者必要ナル費用ヲ出シ而シテ至当ノ時期ニ之ヲ弁済シタルトキハ本主ヲシテ其利息ヲ償還セシムルヲ至当トス何トナレハ本主自己ノ元本ヲ以テ弁済シタリシナラハ亦其利息ヲ失ハサル可カラサルカ故ニ管理者ノ元本ヲ以テ弁済アリタルニ因リ其利息ヲ利得シタルモノナレハナリ然レトモ管理者ノ弁済時期早ニ過キタルトキハ管理者之カ為メニ代價ノ減少ヲ得タルコトアリヤ否ヤヲ観察スヘシ若シ速カニ弁済ヲ為シタルニ因リ其金額ヲ減少スルヲ得タリシトキハ亦之ヲシテ利息ヲ得セシムルヲ至当トス然レトモ管理者ノ出シタル費用有益ナルモノタルニ過キサルトキハ之カ為メ物件ニ加ヘタル増價ノ外本主ノ為メ収益ヲ増加シタルトキニ非サレハ本主其利息ヲ負担スヘキニアラス例ヘハ管理者家屋ヲ増築シ之ヲ賃貸シタルトキノ如キハ元本ノ増殖ノ外収益ノ増殖アルカ故ニ本主ハ管理者ノ拂フタル金銭ノ利息ヲ負担スヘシ
然リ而シテ本主ハ管理者ニ其管理ノ為メニ出シタル必要又ハ有益ナル諸費用ヲ賠償スルノ義務アリト雖モ亦費用額ノ利得額ニ超過シタルトキハ其利得額ヲ返還スルノ義務アルニ過キス又本主ハ其利得額ノ費用額ニ超過スルモ決シテ管理者ノ出タシタル費用外負担スル所アル可カラス蓋シ費用額ノ利得額ニ超過シタル場合ニ於テハ其超過額ハ管理者損失ニ帰スヘシ是レ管理者多少不注意アルノ致ス所ナレハナリ又利得額ノ費用額ニ超過スル場合ニ於テハ其超過額タル利益ハ所有者タル本主ニ属セサル可カラス是レ事務管理ハ管理者ノ為メ損失ノ原因タルヘキモ決シテ其利得ノ原因タル可カラサルカ故ナリ
尚ホ本主ト管理者トノ関係ニ付キ茲ニ弁明ヲ要スル一問題アリ即チ本主ノ義務ノ区域ヲ定ムヘキ利得ノ高ヲ査定スルハ何レノ時ニ於テスヘキカ管理行為ノ行ハレタル時ニ於テスヘキカ将タ訴権ヲ行フタル時ニ於テスヘキカノ問題即チ是レナリ此問題タル管理行為ノ時ト訴権ノ行ハレタル時トノ間ニ意外ノ支障ノ為メ一旦生シタル利得ノ減少シタル場合ニ於テハ大ニ利害ノ関係ヲ生スルモノナリ而シテ管理ノ各行為アリタル時ヲ充分判別スルコトヲ得ヘキトキハ其時ニ於テ利得ノ高ヲ査定スヘク又管理ノ不可分ニシテ其行為ヲ各別ニ観察スヘカラサルトキハ管理ノ終ハリタル時ニ於テ利得ノ高ヲ査定スルヲ通則ト為スヘシ何トナレハ本主ハ其時ニ在テ既ニ定量物タル金銭ノ債務者タルカ故ニ特定物ノ債務者タルトキト異ナリ負担シタル物ノ滅失ニ因リ義務ヲ免カルルコトアル可カラサレハナリ然レトモ毫モ懇篤ナル情誼ニ出テスシテ事務管理ヲ為シタル場合ニ於テハ反対ノ決定ヲ為スヘシ例ヘハ他人ノ財産ヲ以テ自己ノ財産ナリト誤認シ之ヲ管理シ又ハ本主ノ拒絶ニ拘ハラス故ラニ其財産ヲ管理シタル場合ニ於テハ訴権ノ時ニ其利得ヲ査定スヘキヤ羅馬法以来学者ノ定論タル所ナリ(第二項)
第三百六十四條乃至第三百六十六條
弁済ノ不当ナルハ數多ノ事実ニ起因スルモノニシテ其事実タル或ハ並ヒ存スルコトアリ或ハ各別ニ存スルコトアリ以下弁済ノ不当ナル場合ヲ掲ケテ之ヲ説明セン
第一、義務ノ適法ニ成立セサルカ又ハ既ニ消滅シタルノ故ニ義務ノ全ク存セサルコトアリ此場合ニ於テハ債権者モ無ク債務者モ無ク又義務ノ目的タルモノアラサルカ故ニ其弁済ハ義務ト同シク無効ナルモノナリ故ニ其弁済ハ不当弁済ノ領受ヨリ生スル新義務ノ原因換言スレハ不当ノ弁済ヲ受取リタル者ノ利得ヨリ生スル新義務ノ原因タルモノナリ第三百六十四條ハ此場合ト次項ニ述フル場合トニ適用スルモノナリ
第二、債務眞ニ存立シ弁済ヲ為シタル者其債務者タルモ之ヲ受取リタル者債権者タラサルコトアリ是レ亦第三百六十四條ニ規定シタル場合ニシテ其弁済ハ前項ニ於ケルト同シク全ク無効ナルモノナリ何トナレハ債務者弁済スルノ原因アリニモ之ヲ受取リタル者之ヲ受クヘキノ原因アラサレハナリ且其弁済ハ毫モ債務者ヲシテ其眞ノ債権者ニ対シ義ヲ免カレシムルモノニ非サルカ故ニ債務者正当ノ原因ナク金銭又ハ有償物ヲ失ヒ之ヲ受取リタル者ハ之カ為メニ不当ノ利得ヲ受クヘシ
以上二個ノ不当弁済アリタル場合ニ於テハ弁済者ノ錯誤アリタルト否トヲ問ハス又領受者ノ善意ナルト悪意ナルトヲ問ハス必ス取戻ノ訴権アルモノトス是レ法文ニ明記スル所ナリ或ハ弁済ヲ為シタル者自ラ義務ヲ負担セサルコトヲ知リタルトキハ其弁済ハ一ノ贈與ヲ為スモノニシテ弁済者之ヲ為スノ意思アリタルモノト看做スヘシト云フ者アラン然レトモ是レ誤謬ノ見觧タルヲ免カレサル所ナリ第一弁済者眞ニ贈與ヲ為スノ意思ヲ有セサルコトアルヘシ例ヘハ爭乱ノ際金銭ヲ安固ナル場所ニ置カントスルモ其手段ニ乏シク容易ニ其受寄者ヲ得サルニ当リ篤実ニシテ且威力強ク金銭ヲ失フノ恐レナキ者ニ弁済ノ名義ヲ以テ金銭ヲ交附スルコト無シトセス此場合ニ於テハ其弁済ヲ受ケタル者ハ固ヨリ寄托ヲ承諾シタルモノニ非ス弁済トシテ之ヲ受ケタルヤ明カナルカ故ニ後日其弁済ノ当否ヲ調査セサル可カラス此場合ニ於テ弁済者領受者ヲ欺キタリトノ口実ヲ以テ弁済者ニ取戻ヲ禁セントスルハ不当ナリト謂ハサル可カラス又其弁済ヲ以テ贈與ト看做スニハ法律上ノ障害アリ蓋シ贈與ハ贈與者ヲ保護スルノ趣意ニ出テタル方式ニ従フヲ要ス否スンハ当然其効力ヲ有セサルモノナリ若シ贈與者ヲシテ弁済名義ヲ用ヰタルカ為メ其方式ヲ履行セサルヲ得セシムルトキハ危険弊害甚タ多カルヘシ故ニ故意ニテ弁済名義ヲ以テシタル供與ヲ贈與ト認ムルハ妥当ニ非サルナリ但仮想ノ贈與ハ未タ必スシモ法律ノ禁スル所ニアラスト雖モ決シテ推定ス可カラサルモノナリ
不当ノ弁済ヲ受取リタル者善意ナルモ決シテ之カ為メ取戻ノ訴ヲ免ルルコト能ハスト雖モ亦其善意ハ大ニ其義務ノ程度ヲ軽減スルモノナリ其理由ハ後ニ無原因ノ弁済及ヒ之ニ関スル取戻ノ一切ノ場合ヲ総括シテ規定スル所ノ条項ニ付キ悪意ノ事ヲ説明スルニ当リ之ヲ疎明スヘシ(下第二百六十八条ヲ参観スヘシ)
第三、眞ノ債権者ニ弁済ヲ為シタルモ弁済者債務者ニアラス而シテ其弁済債務者ノ委任ニ基カス又弁済者債務者ノ名ヲ以テ之カ為メニ弁済シ事務管理ヲ為シタルニ非サルコトアリ此場合ハ即チ第三百六十五条ニ規定スル所ナリ
此場合ニ於テハ領受者ノ位置ハ大ニ保護ヲ加フルヲ要スルモノナリ何トナレハ領受者ハ眞ノ債権者タルカ故ニ弁済ヲ領受スルハ其本来為スコトヲ得ル所ナレハナリ是ヲ以テ之ニ二個ノ恩典ヲ施シ以テ之ヲ保護シタリ即チ下ニ陳フル所ノ二個ノ場合ニ於テハ其受取リタル所ノ弁済物ヲ返還スルノ責ヲ免カルルモノトス
第一ノ場合、弁済者自ラ其債務者タラサルヲ知リタルトキハ領受者取戻ノ責ヲ免カルルモノトス詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ弁済者錯誤ニ出テテ弁済シタルトキノ外法律ニ其取戻ヲ許サス蓋シ弁済者自ラ債務者タラサルコトヲ知リナカラ債権者タリト認メタル者ニ弁済ヲ為シ以テ其債権者ヲシテ其眞ニ受クヘキ所ノモノヲ受取リ之ヲシテ満足ヲ得セシメタルトキハ他ニ其心裡ニ秘シタル理由アリト稱シ其弁済ノ取戻ヲ為シ債権者ニ意外ノ返還義務ヲ負ハシメ之ニ損害ヲ加フルコト能ハサルヤ当然ナリ且債権者ハ弁済者ノ債務者ニアラサルモ其弁済ヲ為スハ債務者ノ委任アルニ因ルカ又ハ事務管理ノ為メニスルカ又ハ自己ノ利益ヲ計リタルニ因リタルモノナリト信スルモ敢テ不当ナリト謂フ可ラス然レトモ此場合ニ於テモ亦前条ノ場合ニ於ケルト同シク決シテ弁済者領受者ニ贈與ヲ為スノ意思アリタルカ故ニ取戻ノ訴権ナキモノナリト觧釋ス可カラス何トナレハ領受者ハ元来其受クヘキ所ノモノヲ受取リタルニ過キサルヲ以テ毫モ特ニ利益ヲ得ルモノニ非サレハナリ
第二ノ場合、領受者其証書ヲ毀滅シ遂ニ眞ノ債務者ニ対シ訴ヲ起スノ手段ナキニ至リタルトキハ亦返還ノ義務ヲ免カルルモノトス但法律ハ債権者其証書ヲ毀滅シタルトキニ当リ善意ナルヲ必要トス是ヲ以テ債権者其債務者ヨリ弁済ヲ受クルモノナリト確信シ又ハ弁済者ノ債務者タラサルヲ知ルモ其債務者ノ名ヲ以テ之カ為メニ弁済スルモノナリト確信シタルコトヲ要ス若シ之ヲ確信スルコト能ハス弁済ノ当否ニ付キ疑惑ヲ有シタルトキハ冝ク其証書ヲ保存ス可シ若シ其疑惑ニ拘ハラス証書ヲ毀滅シタルトキハ法律ノ保護ヲ受クルコト能ハス然レトモ実際ニ於テハ第三者ノ弁済ヲ為スニ当リ債権者ハ直チニ之ニ証書ヲ還附スルコト恰モ眞ノ債務者弁済ヲ為シタルトキト同一ナルコト多カルヘシ
且債権者善意ニテ其証書ヲ毀滅シタルトキハ第三者故意ニ弁済ヲ為シタルニ非サルモ猶ホ之ヲシテ其取戻ヲ許ス可カラス若シ然ラスシテ之ニ取戻ヲ禁スルハ其故意ニ弁済シタルトキニ限ルトスルトキハ遂ニ本則ハ毫モ債権者ノ為メ恩典タラサルニ至ルヘシ是ヲ以テ観レハ債権者証書ヲ毀滅シタルトキ取戻ヲ免カルルノ規定ハ弁済者錯誤ニテ弁済ヲ為シタル場合ニ適用スヘキ特例ナリ
又債権者弁済ノ当ヲ得タリト信シ其債権ヲシテ時効ニ係ラシメタル場合並ニ其保証人ニ義務免除ノ証書ヲ與へ若クハ抵当ノ記入又ハ更新ヲ為スコトヲ怠リタル場合モ亦証書ノ毀滅ト同一視スヘキモノナリ只本条ニ証書ノ毀滅ノ場合ノミヲ掲ケタルハ実際最モ多クシテ且最モ單簡ナル場合ヲ示シタルニ過キス
以上陳ヘタル場合ニ於テ取戻訴権ヲ行フニ当リテハ証拠ニ関シ頗ル困難ヲ生スルコトアルヘシ左ニ其大要ヲ陳ヘン
原告ハ第一其眞ニ辨済ノ名義ヲ以テ辨済ヲ為シ又ハ供與ヲ為シタルコト、第二辨済ヲ領受シタル者債権者ニ非ス又ハ弁済ヲ為シタル者債権者ニ非サルコト、第三弁済ヲ為シタル者債務者ニ非サル場合ニ於テハ錯誤ニテ其弁済ヲ為シタルコトヲ証明スルヲ要ス
又被告ハ其眞ニ債権者ニシテ不当辨済ノ取戻ヲ拒絶セントセハ第一其証書ノ毀滅若クハ其失権第二其善意ノ証明ヲ為ササル可カラス
原告ヨリ擧クヘキ右ノ証拠中第一ノ証拠即チ其眞ニ弁済名義ヲ以テ弁済又ハ供與ヲ為シタルノ証拠ハ通常弁済ノ証拠ト同シク普通法ニ從ヒ証書又ハ人証ニ依リ之ヲ提擧スヘシ
債務ノ眞ニ存立セサルノ証拠ニ至テハ無的ノ事実ノ証拠ニ属スルカ故ニ之ヲ擧クルコト一層困難ナルヘシ故ニ裁判所ハ取戻ノ被告先ツ弁済ノ領受ノ事実ヲ否認シタルニ当リ相手方ヨリ之ニ対シ弁済領受ノ証拠ヲ擧ケタルトキハ被告ハ不当ノ弁済ヲ受取リタルモノト認定スルヲ得ヘシ故ニ此場合ニ於テハ被告ヨリ債務ノ成立シタルコトヲ証明セサル可カラス
弁済者ノ錯誤ノ証拠ニ至テハ亦未タ必スシモ容易ナルモノニアラスト雖モ是レ総テ錯誤ノ証拠ヲ擧クルニ付キ免カル可カラサル所ノ困難ナリ而シテ其錯誤ハ法律上ノモノタルト事実上ノモノタルトヲ問ハス総テ之ヲ証明スルコトヲ許スヘキモノナリ(本編第三百十一條ヲ参観スヘシ)
証書ノ毀滅ノ証拠ハ一切ノ擧証方法ヲ以テ之ヲ擧クルヲ得ヘシ而シテ是レ亦実際頗ル困難アルヲ免カレサル所ナリ何トナレハ証書ノ毀滅ハ概ネ証人ノ面前ニ於テ之ヲ為スモノニ非サルカ故ニ他日其毀滅ノ形跡ヲ存スルコト甚タ稀ナレハナリ故ニ裁判所ハ事実ノ推定ニ依リ判定ヲ為ササル可カラス然レトモ時効ノ経過シタルニ因リ債権者権利ヲ失フタルノ証拠ニ至テハ事実ノ経過ヲ証シ且債務者ノ訴追ヲ受ケタル時ニ当リ為シタル抗弁ヲ証スルヲ以テ足ルカ故ニ之ヲ擧クルコト較ニ容易ナリ
債権者ノ善意ナルノ証拠ニ至テハ之ヲ擧クルコト最モ容易ナルモノナリ蓋シ此場合ニ於テハ善意ハ常ニ推定スト云ヘル普通ノ原則ヲ適用スヘシ然レトモ其反証即チ悪意ノ証拠ハ如何ナル方法ヲ以テスルモ之ヲ擧クルコトヲ得敢テ其擧証ノ方法ニ制限アラサルナリ
第三百六十五条ノ末項ニ右二個ノ場合ニ於テハ弁済者眞ノ債務者ニ対シ求償権ヲ有スルヲ妨ケサルコトヲ掲ケタリ而シテ弁済者眞ノ債務者ニ対シ求償権ヲ行フニハ二個ノ方法ニ依ルヘキモノトス即チ一ハ前キニ説明シタル所ニシテ事務管理ノ訴権トシ一ハ後ニ説明スル所ノ代位トス蓋シ代位弁済ハ他人ノ債務ヲ弁済シタル者ヲシテ其金銭ヲ以テ弁済ヲ受ケタル債権者ニ属シタリシ権利、訴権、先取特権及ヒ抵当権ヲ行フコトヲ得セシムルモノニシテ其詳細ハ第四百六十三条ニ之ヲ説明スヘシ
第四、眞ノ債務者眞ノ債権者ニ弁済ヲ為スコトアリ是レ第三百六十六条ニ規定シタル場合ナリ
此場合ニ於テモ亦弁済ヲ不当ナリト為スニハ多少其弁済シタル所諾約シタル所ト異リタル点アリタルコトヲ要ス否スンハ義務ノ單純ノ消滅アルノミニシテ毫モ不当ノ弁済ナク之ニ因リ生スル所ノ義務アラサルナリ又條件ノ成就前条件附ノ義務ヲ弁済シタル場合於テハ其弁済不当ナリト雖モ第三百六十六条ノ適用ニ依リテ然ルモノニアラサルナリ何トナレハ此場合ニ於テハ未タ債権者ナク債務者ナク又負担物権モアラサレハナリ
第三百六十六条ニ其第一項ノ法文ニ云フカ如ク負担シタルモノニ異ナル性質ノ物又ハ債務者ニ属セサル物ヲ錯誤ニ因リ弁済シタル場合ヲ規定スルモノナリ
抑々追奪担保ノ義務アル者ハ自カラ追奪ヲ為ス可カラストハ法律ノ格言ナリ故ニ右ノ場合ニ於テ弁済者ニ取戻ノ権利ヲ許與スルハ此格言ト背馳スルカ如シ然ト
モ債務者他人ノ物ノ弁済ニ因リ義務ヲ免カレス依然其旧義務ノ為メニ羈絆セラレ且其弁済トシテ附與シタル物ノ眞ノ所有者ニ対シ責任ヲ負担スルヲ見レハ之ニ取戻ノ権利ヲ許與スルモ決シテ右ノ格言ニ背馳スルモノニ非サルヤ明カナリ然トモ其弁済物ヲ取戻ノ権利ヲ実行スルヲ得ルハ其物不動産タル場合ニ限ル何トナレハ動産ニ関スルトキハ債権者ハ即時ノ時効ヲ申立テ「動産ニ就テハ占有ハ権原等シキ効力ヲ有スル」ノ原則ニ依リ返還義ヲ免カレ此原則ノ為メ弁済自カラ有効ノモノト為ルニ至ル可ケレハナリ
但此場合ニ於テハ法律上取戻訴権ニ加ルニ一ノ制限ヲ以テシ債権者ハ其眞ニ得ヘキ所ノ物ノ弁済ヲ受ルニ至マテ不当ニ領受シタル物ヲ留置スルヲ得モノトス(本編第四五十五條参観)
以上述フル所ニ反シ以下ノ場合ニ於テハ弁済シタル所ノモノ負担シタル所ノモノト異ナルコト少キカ故ニ法律ハ其取戻ヲ許サス
第一、期限前ニ弁済アリタルトキ、此場合ニ於テハ債務眞ニ存立スルモノナリ固ヨリ債権者ハ期限前ニ弁済ヲ請求スル能ハスト雖モ債務者弁済ヲ提供シタルトキハ縦令錯誤ニ出テタルモ猶ホ其取戻ヲ為ス能ハス若シ尚ホ債権者ヲシテ其既ニ費消シタルコトアルヘク且其結局請求スルヲ得ヘキ所ノ金銭又ハ有價物ヲ返還セシムルトキハ之ヲ處スルコト嚴ニ過クルト謂ハサル可カラス但債権者ハ債務者ニ返還スルニ其期限前ニ返還ヲ受ケタルニ因リ得ル所ノ果実又ハ利息ヲ以テセサル可カラス
第二、債務者ノ弁済ヲ為スヘキ場所以外ニ於テ弁済ヲ為シタルトキ、此場合ニ於テモ亦前項ニ於ケルト同一ノ理由ニ依リ同一ノ決定ヲ為スヘキナリ只債務者ノ弁済スヘキ場所以外ニ於テ弁済ヲ為シタルニ因リ債権者ヲシテ運送費用ヲ節減スルヲ得セシメタルトキハ其之ヲシテ費用ヲ返還セシムルコトヲ要ス加之弁済物ノ相場ノ差異アラハ亦之ヲ償還セシムルコトヲ要ス
第三、諾約シタル物ニ異ナル品質品格若クハ價額ノ物ヲ以テ弁済ヲ為シタルトキ、此場合ニ於テハ法文ニ明記スルカ如ク價格ノ差異ヲ賠償セシメ領受者ヲシテ其利益シタル所ノ物ヲ返還セシムルニ止リ且債務者ノ受クル損失高ノ外之ヲ返還セシムルニ及ハス但法文ニハ品質及ヒ品格ニ付キ一様ノ規定ヲ為シ之ヲ區別セスト雖モ若シ品質ニ関シ錯誤アリタルカ為メ遂ニ負担シタル物ノ性質ニ関スル錯誤アルニ至リタルトキハ本条第一項ニ依リ其取戻ヲ許ササル可カラス
右ニ列記セル場合ニ於テハ弁済ノ錯誤ハ取戻ノ原因タラスト雖モ亦差引計算ノ原因タルモノニシテ債権者錯誤シタルトキモ亦債務者ト同シク同一ノ保護ヲ受クヘキモノナリ
然レトモ若シ双方何レニモ錯誤アラサルトキハ当事者ハ任意ニテ其相互ノ権利ノ関係ヲ変更シタルモノト看做サルヘシ
第三百六十七條
不当弁済ノ取戻ト原因ナキ供與虚構若クハ不法ノ原因ノ為メ又ハ成就セス若クハ消滅シタル原因ノ為メニ為シタル供與ノ取戻トノ間ニハ其実差異アルニ非スト雖モ亦其相異ナラサルヲ以テ之ヲ法律ニ規定セサルノ理由ト為ス可カラス却テ其効力ノ同一ニシテ加之一ノ例外則アルコトヲ示スハ必要ナリト認メタリ
蓋シ不当ノ弁済ハ畢意スルニ原因ナクシテ為シタル供與ニ外ナラス又法禁ノ合意ヲ履行シタルトキハ不法原因ノ為メ不当ノ弁済アリタリト謂フヘク又成就セサル条件ニ係リ若クハ既ニ消滅シタル原因ニ基キタル債務ノ弁済モ亦不当ノ弁済ニシテ何レノ場合ニ於ケルヲ問ハス弁済ノ名義ヲ以テ供與ヲ為シタルトキハ不当ノ弁済アリト謂フヘシ但弁済ノ名義ヲ以テセス他ノ名義ヲ以テ供與ヲ為シタルトキ其名義ノ不正当ナルトキハ不当弁済ノ名称ヲ用ヰスシテ虚構若クハ不法ノ原因ノ為メ又ハ成就セス若クハ消滅シタル原因ノ為メニ供與シタルモノノ領受ノ名称ヲ用ユルノミ
其供與タル第三百六十一条第二項ニ明示シタルヲ以テ本条ニハ單ニ同項ヲ援用スルニ止メタリ而シテ其効力ニ至テハ第三百六十四條ノ規定ヲ適用ス蓋シ同条ハ弁済ノ不当ナルコト最モ甚シキモノヲ規定スルモノナリ是ヲ以テ該供與ノ無効ハ絶対的ノモノニシテ領受者又ハ供與者其供與ノ不当ナルヲ知リタルト否トヲ区別スルヲ要セス只一ノ場合ニ於テノミ其供與ノ取戻ヲ許サス即チ不法ノ原因換言スレハ公ケノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ觸ルル原因ニ出テ供與ヲ為シタル場合是ナリ加之此場合ニ於ケルモ猶ホ一概ニ取戻ヲ禁スルモノニ非ス供與ヲ為シタル者ト之ヲ領受シタル者ト双方共ニ不法ノ行為アルニ非サレハ其供與ノ取戻ヲ禁セサルナリ例ヘハ醜行汚徳ノ婦女ノ歓心ヲ買ハンカ為メ或ハ強膽兇暴ナル悪漢ヲシテ子女ヲ略拐セシムルカ為メ或ハ証人ヲシテ虚偽ノ陳述ヲ為サシムルカ為メ之ニ金銭其他ノ有價物ヲ供與シタルトキノ如キ即チ其供與ノ取戻ヲ許ササル場合ナリトス蓋シ是等ノ場合其他之ニ類似スル数多ノ場合ニ於テハ供與ヲ受ケタル者固ヨリ其領受シタル所ノ金銭又ハ有價物ヲ保有スヘキ正当ノ原因アラサルモノナリト雖モ若シ斯ノ如キ原因ノ為メ金銭又ハ有價物ヲ供與シタル者シテ裁判所ニ出訴シ自ラ其不徳ヲ唱ヘ之カ為メ其供與シタル所ノ物ノ取戻ヲ請求スルヲ得セシムルトキハ公然醜行ヲ暴露シ法庭ノ威嚴ヲ損スルモノト謂ハサル可カラス是レ此場合ニ於テ供與ノ取戻ヲ許ササル所以ニシテ此事ニ就テハ欧洲ニ於テモ古来有名ナル格言アリテ屡々判決例ノ適用スル所ト為リタル曰ハク「何人ト雖モ自己ノ醜行ヲ根據トシテ訴ヲ起スコトヲ得ス」ト
之ニ反シ供與ヲ領受シタル者ノ方ニ於テノミ醜事陋行アルニ過キサルトキハ之ニ対シ其供與ノ取戻シヲ為スコトヲ得例ヘハ余或者ヲシテ重軽罪又ハ其他ノ悪事ヲ慎マシムカ為メ之ニ金銭ヲ附與シタルトキノ如キ即チ是レナリ斯ノ如キ場合ニ在テハ供與ノ原因不法ナルモ其不法ナルハ供與ヲ受ケタル者ノ方ニ於テ然ルノミ何トナレハ領受者ハ悪事ヲ行ハサルカ為メニ報酬ヲ受諾スヘキモノニ非ス之ヲ受諾スルハ即チ徳義ニ反スル醜行アリト謂フヘケレハナリ然レトモ供與ヲ為シタル余ニ於テハ悪事ヲ豫防スルカ為メ其供與ヲ為シタルモノナルニ因リ却テ篤実ニシテ有益ノ行為ヲ為シタルモノト謂フヘシ是ヲ以テ論者中ハ悪事ヲ豫防スルカ為メ供與シタルモノハ寧ロ其取戻ヲ許サス以テ公益ヲ圖ルヘシト唱フル者スラアルニ至リタリ此説ニ依ルトキハ要約者未タ実際ノ供與ヲ受ケス單ニ要約ヲ為シタルトキ之ニ訴権ヲ與へサルニ止マリ一旦供與アリタルトキハ供與者ヲシテ之ヲ取戻スコトヲ得サラシムルモノナリ然レトモ是レ却テ危険アルヲ免カレス遂ニ強賊又ハ海賊ノ為メニ擒ニセラレタルニ当リ其身ヲ免カルル為メ之ニ金銭其他ノ有價物ヲ供與シタルトキモ猶ホ其取戻ヲ許ス可カラスト謂ハサルヲ得サルニ至ルヘシ豈斯ノ如キ理アランヤ
尚ホ此他領受者ノ方ノミニ於テ不法ナル原因ノ為メ供與ヲ為シタルニ因リ其取戻ヲ許スヘキ場合少シトセス今其主タル適例ヲ示サンニ利息制限ヲ超過スル高利ヲ得タル場合、官廳ヨリ相場ヲ一定シタル物ヲ買取ルニ当リ其定價ヲ超ヘタル代價ヲ拂フタル場合又ハ元来必ス無償ナラサル可カラサル行為ノ為メ報酬ヲ得タル場合ノ如キ即チ是レナリ是等ノ場合ニ於テハ供與ヲ為シタル者ハ相手方ノ不法ナル条件ノ請求ヲ受諾セサレハ契約スルヲ得サルニ因リ已ムヲ得ス意ヲ枉ケテ不当ノ条件ヲ受諾シタルモノト看做スベキカ故ニ供與者ハ毫モ徳義ニ背キ醜事陋行アリト謂フ可カラス
然レトモ賭博ニ因リ供與シタル所ノモノハ決シテ之ヲ取戻スコトヲ得ス又之カ為メニ約シタル所ノ物モ決シテ之ヲ請求スルコトヲ得ス蓋シ賭博ニ因リ供與ヲ為シ又ハ約束ヲ為シタルトキハ其原因当事者相方ニ於テ不正ナルモノナレハナリ
第三百六十八條及第三百六十九條
第三百六十八条及ヒ第三百六十九条ハ前条ニ於テ叙述シタル不当ノ供與及ヒ第三百六十四条乃至第三百六十六条ニ規定シタル所ノ不当弁済ニ通シテ適用スヘキモノナリ
前ニ不当弁済ノ説明シ起スニ当リ領受者ノ善意ハ之ニ対シ取戻訴権ヲ行フノ妨害タルモノニ非スト雖モ亦其位置ヲシテ優等ナラシメ大ニ之ニ利益ヲ與フルモノナリト云ヘリ今善意ト悪意トノ間ニ存スル差異ヲ約言センニ善意ニテ領受シタル者ハ其実際領受シタル利得ヲ返還スルニ止マルヘキノミナラス一旦領受シタルモ其利益ト為ラサルモノ即チ取戻訴権ノ起リタル日ニ於テ存セサルモノハ之ヲ返還スルニ及ハス然ルニ之ニ反シ悪意ニテ領受シタル者ハ啻ニ其実際領受シタル利得ノミナラス第三百六十六条ニ定メタル諸種ノ賠償ヲ併セテ拂フノ責アリ其賠償ノ義務ハ領受者ノ行フタル過失ニ基クモノニシテ其原因ハ不当ノ利特ニ非ス民事上ノ犯罪ナリトス
然リ而シテ其賠償ヲ拂フヘキ場合ニ就テハ敢テ詳密ノ説明ヲ要セス只其要領ノミヲ説明セン
第一領受シタル元本ノ利息ハ其元本ヲ領受シタル日ヨリ当然生スルモノナリ是レ特ニ領受者ニ対スル嚴例タルモノナリ蓋シ債権者ノ利息ヲ生セシムルニハ債権者裁判所ニ其請求ヲ為スコトヲ要スルモノナルモ此場合ニ在テハ該利息ヲ生セシムルカ為メ裁判所ニ請求ヲ為スヲ要セス領受者ハ悪意ナルノ一事ニ因リ当然遲滞ニ附セラルルモノナリ然レトモ当然其利息ノ生スルハ不当ノ利得ニ基クモノニ非スシテ不正ノ損害ニ基クモノナリ其然ル所以ハ債務者不当ニ領受シタル元本ニ依リ自カラ利得セサルコトアルモ猶ホ其利息ヲ負担スルヲ見テ知ルヘキナリ
第二、不当ニ領受シタル物ノ果実及ヒ産出物ハ縦令実際之ヲ収取セサリシトキト雖モ猶ホ之ヲ賠償スルコトヲ要ス是レ嘗テ本編第百九十五條ノ示シタル原則ノ適用ナリ
第三、不当ニ領受シタル者自カラ其領受ノ不当ニシテ結局之ヲ返還セサル可カラサルコトヲ知リシタトキハ其物ヲ保存スルカ為メ充分ノ注意ヲ加ヘサル可カラス其始メ過失アリタルトキハ終始過失アルヲ免レス然ルニ善意ノ占有者ハ其領受シタル物自己ニ属スト確信スルモノナルカ故ニ其懈怠ノ責ニ任スルニ及ハス加之悪意ノ領受者ハ其物意外ノ事又ハ不可抗力ニ因リ喪失又ハ減少シタルトキト雖モ猶ホ其物カ供與者ノ方ニ在ルニ於テハ此損害ヲ受ケサルヘカリシ場合ニ在テハ其物ノ原價ヲ返還スルノ義務アリ此嚴例タル実ニ其当ヲ得タルモノニシテ既ニ附遲滞後返還ノ義務ヲ尽ササリシ者ニ之ヲ適用シタリ(本編第三百三十五ヲ参観スヘシ)蓋シ不当弁済ノ場合ニ於テ領受者ノ悪意アルトキハ即チ其遲滞ニ附セラレタルト同一ノ効力ヲ生スヘキナリ
第三百六十九条ニ不当ニ領シタル物ノ譲渡アリタル場合ヲ規定スルモノニシテ亦善意ト悪意トノ間ニ一ノ差異ヲ設ケタリ
抑々領受シタル物動産タルト不動産タルトヲ問ハス特定物ニシテ領受者依然之ヲ所有スルニ於テハ之ヲシテ其現物ノ返還ヲ為サシメ且弁済者損害アルトキハ併セテ其賠償ヲ請求スルヲ得ヘキヤ明カナリ然レトモ若シ領受者其物ヲ他ニ譲渡シタルトキハ弁済者第三取得者ニ対シ其物ノ回復ヲ訴フルヲ得ヘキヤ否ヤニ付キ少シク疑議ヲ生スルコト無キヲ保セス殊ニ第三取得者善意ナルトキハ一層此点ニ付キ疑議存スヘシ然レトモ此場合ニ於テモ亦弁済者ニ回復ノ権利アルヤ明ナリ蓋シ其譲渡ハ無原因ナルヲ以テ根本上無効ノモノナリ故ニ不当ノ供與ヲ受タル者ハ毫モ権利ヲ得ル所ナキヲ以テ何等ノ権利ヲモ移轉スルコト能ハス第三取得者亦隨テ何等ノ権利ヲモ取得セサリシヤ明カナリ縦令領受者其譲受ヲ登記シ且轉得者自己ノ取得ヲ登記スルモ其登記タル原来無効ナル行為ノ登記ナルヲ以テ亦其行為ト同シク自然無効ナルモノナリ是レ第三百五十二条第二項ヲ適用スヘキ場合ナリ
第三百六十九条ニ明カニ此点ヲ断定シタリ詳カニ之ヲ言ヘハ第三者ニ対スル供與者ノ関係ト領受者ニ対スル供與者ノ関係トヲ明定シタリ即チ不当ニ授受シタル物カ不動産ニシテ且領受者之ヲ第三者ニ譲渡シタルトキハ其不動産ヲ供與シタル者ハ轉得者ニ対シ其回復訴権ヲ行フカ又ハ領受者ニ対シ賠償ヲ求ムルノ訴権ヲ行フカ其一ニ就キ自己ノ意ニ任セ撰擇ヲ為スコトヲ得ルモノトス加之領受者悪意ニシテ且第三者ニ対シ回復訴権ヲ行フモ不動産既ニ毀損シタルニ因リ原形ノ侭之ヲ取戻スコト能ハサルニ至リタルトキハ供與者轉得者ニ対スル回復訴権ト領受者ニ対スル訴権トヲ併セ行フコトヲ得是法文ニ明記スルヲ俟タスシテ明カナル所ナリ蓋シ第三取得者善意ナルトキハ之ニ対シ不動産毀損ノ賠償ヲ求ムルコトヲ得サルカ故ニ之ニ対シテハ回復訴権ノミヲ行ヒ悪意ニテ譲渡ヲ為シタル所ノ領受者ニ対シ賠償訴権ヲ行ハサル可カラス
又供與者譲渡ヲ為シタル領受者ニ対シ代金取戻ノ訴権ヲ行フトキモ亦領受者ノ意思ノ善悪ニ因リ結果ヲ異ニスルモノナリ即チ領受者悪意ニテ譲渡ヲ為シタル場合ニ在テハ供與者之ニ対シ不動産ノ評價代金ノ金額ヲ請求スルヲ得ヘシ然レトモ善意ニテ譲渡ヲ為シタル者ニ対シテハ供與者其不動産ノ譲渡代金ヲ請求スルヲ得ルニ過キス又其代金ノ弁済アラサリシトキハ譲渡人ニ属シタリシ弁済ノ訴権及ヒ觧除ノ訴権ヲ自己ニ移付セシムルヲ得ルノミ
領受者弁済領受ノ日ニ於テ善意ナリシモ譲渡ノ時ニ至リ悪意ナリシトキハ亦当初ヨリ悪意ニテ領受シタルト同一ノ結果果ヲ生スヘキナリ
本条ニ不動産ノ事ノミヲ言ヘルハ本条ハ第三ニ対スル取戻ノ点ヲ規定スルヲ旨トスルカ故ナリ然レトモ動産ノ供與アリタルトキト雖モ領受者ニ対シ行フ所ノ訴権ニ関シテハ本条第二項ヲ適用スルヲ要ス即チ供與者ハ領受者ノ善意ト悪意トニ従ヒ或ハ其譲渡代金ノミヲ取戻シ或ハ其評價代金ノ金額ヲ取戻スコトヲ得
善意ニテ轉得者ニ譲渡ヲ為シタル場合ニ於テ不動産ヲ供與シタル者該転得者ニ対シ回復ノ訴権ヲ行フタルトキハ追奪ヲ被リタル轉得者其賣主ニ対シ担保ノ訴権ヲ行フヘシ然ルトキハ賣主ハ善意ナルニ拘ハラス巨額ノ損害賠償ヲ拂ハサルヲ得サルニ至ルコトナシトセス果シテ然リトセハ領受者直接ニ弁済者ヨリ訴権ヲ被リタル場合ニ於テ其責任ニ制限ヲ設ケタルノ趣意ニ背馳スト謂ハサル可カラス故ニ此場合ニ於テハ賣主ヲシテ回復者ヲ訴訟ニ参加セシメ担保ノ賠償ヲ結局回復者ノ負担トシ以テ賣主ハ其受取リタル代價返還ヲ為スニ止マルヲ得セシメサル可カラス
若シ不当ニ領受シタル物ヲ賣却セスシテ善意ニテ贈與シタルトキハ贈與者ハ不当ニ其物ヲ供與シタル者ニ対スルモ又追奪ヲ受ケタル受贈者ニ対スルモ賠償ノ責ヲ負担スルコトナシ何トナレハ贈與者ハ利得ヲ得タルモノニアラス又追奪担保ノ義ヲ負フ者ニ非サレハナリ
第三節 不正ノ損害即チ犯罪及ヒ準犯罪
第三百七十條
本法ニ於テ主トシテ不正ノ損害ナル名称ヲ用ヰ諸外國ノ法律ニ於テ慣用セル犯罪及ヒ準犯罪ナル名稱ニ至ラハ傍ラ之ヲ用ユルニ止メタルハ不正ノ損害ナル語ハ能ク此義務ノ第三原因ノ真意ヲ表明スルカ故ナリ加之此語タル羅馬法ニ濫觴スルモノニシテ同法ニ於テハ既ニ「権利ナク即チ不正ニ加ヘタル損害」ノ稱ヲ用ヒ其賠償ノ細目ヲ規定シタリ
利得モ亦其不當ナルトキニ非サレハ之ヲ返還スルノ義務ヲ生セサルト同シク損害モ亦其不正ナルコト即チ「過失又ハ懈怠ニ因リテ」加ヘタルモノナルトキニ非サレハ之ヲ賠償スルノ義務ヲ生スルコトナシ是ヲ以テ適法ニ権利ヲ行用シ又責務ヲ履行シタルニ因リ加之意外ノ事又ハ不可抗力ノ結果ニ因リ加ヘタル損害ニ至テハ之ヲ賠償スヘキノ限ニ在ラス例ヘハ不動産所有者ノ行為ノ如キ其権利ノ範囲内ニ於テ之ヲ實行スルモ猶ホ隣人ニ損害ヲ及ホスコト實際甚タ多シト雖モ毫モ此種ノ損害ノ為メ賠償ヲ為スノ責任ヲ生スルモノニ非ス又例ヘハ官吏其職務ヲ執行スルニ當リテハ人民ニ損害ヲ延及シ其身体ノ自由若クハ財産ニ損害ヲ加フルコトアリト雖モ決シテ之カ為メ官吏モ又國家モ責任ヲ負擔スルモノニ非ス尚ホ一例ヲ擧ケンニ騎兵其馬ヲ馳驅スルニ當リ意外ノ原因ニ出テ其馬奔逸シテ行人ヲ蹴倒シ之ヲシテ負傷セシメタルトキノ如キモ亦其騎兵平常其乘用スル所ノ馬ヲ制馭スルノ力ヲ有シタリシトキハ毫モ損害賠償ノ責ニ任スルキモノニアラス
是ヲ以テ損害賠償ノ責任ヲ生シ之ヲ賠補スルノ義務発生スルハ損害ヲ加ヘタル者ニ過失若クハ懈怠ノ責ヲ歸スヘキコトヲ要ス然レトモ其損害直接ニ加害者本人ノ加ヘタルモノナルト其財産ノ加ヘタルモノナルトヲ問ハス又他人ノ身体ニ加ヘタルト其財産ニ加ヘタルトヲ區別スルヲ要セス前項ニ於テ責任ヲ生セサルノ適例トシテ示シタル所ノ塲合ヲ見ルモ既ニ損害ノ不正ナルトキハ加害者本人ノ加ヘタルト其財産ノ加ヘタルトヲ問ハス又他人ノ身体ニ加ヘタルト財産ニ加ヘタルトヲ論セス斉シク其賠償ヲ為スノ責任ヲ生スルコトヲ知ルヘキナリ
然リト雖トモ文字ニ拘泥セス事物ノ実相ヲ考フルトキハ金銭ヲ以テ損害ヲ賠償スル民事上ノ責任ハ必ス加害者本人ノ加ヘタル損害ニシテ他人ノ財産ニ及ヒタルモノニ限ルト謂フヘシ此観念タル最モ條理ニ基クモノナルノミナラス既ニ現時ニ於テハ学者ノ普ネク認メタル所ナリ蓋シ吾人ノ獣畜若クハ建物ノ如キ財産ニ因リテ起リタル損害ノ責ニ任スルハ是レ毫モ自己ニ過失アリ即チ注意ヲ為ササリシニ因ルモノナリ又吾人他人ノ身体ニ損害ヲ及ホシタルトキ其責ニ任スルモ是レ被害者ヲシテ治療費ヲ出シ其他職業ニ従事スル能ハサルニ因リ正当ニ得ヘキ利益ヲ損セシメ以テ其財産ヲ減少シタルカ故ナリ例ヘハ過誤殺傷ノ場合ニ於テ被害者ノ孤児寡婦若クハ親族ニ年金ヲ與へ以テ損害賠償ヲ為スモ是レ亦資産ニ加ヘタル損害ヲ賠償スルニ外ナラス是ヲ以テ損害ノ専ラ無形上ノモノナルトキ例ヘハ誹毀ノ為メ損害ヲ被リタルカ如キ場合ニ於テハ其誹毀ノ為メ被害者ノ資産ニ間接ニ多少ノ損害ヲ及ホシタルトキニアラサレハ之カ為メ金銭上ノ賠償ヲ認ムルコトヲ得ス
又不正ノ損害アリタルトキハ之ヲ惹起シタル過失有的ノ行為即チ不正ノ作為タルト無的ノ行為即チ責務ノ違背又ハ注意ノ欠缺タルトヲ区別スルヲ要セス只其過失ノ有的タルト無的タルトニ因リ生スル所ノ差異ハ損害ノ高同シキ場合ニ於テ裁判所ヲシテ無的ノ行為ニ対スルヨリ有的ノ行為ニ対シ一層嚴重ナルコトヲ得セシムルニ在リ是レ蓋シ不作為ハ不知不識ノ間ニ過クルモノニシテ有的ノ行為ト異ナリ遵守スヘキ規則アリテ人ノ之ニ反スルヲ戒ムルヲ顧ミス之ヲ犯シタルト大ニ其趣ヲ異ニスルカ故ナリ然レトモ是レ事実上ノ差異タルニ過キスシテ法律上ノ差異タルモノニ非ラス之ニ反シ過失又ハ懈怠即チ有的ノ行為若クハ無的ノ行為ヨリ生スル所ノ損害故意ニ出テタルト無意ニ出テタルトハ法律上須ラク區別スルヲ要スルモノナリ蓋シ加害行為ハ故意ニ出テタルト無意ニ出テタルトニ従ヒ法律上ノ名称ヲ異ニシ其有意ニ出テタルトキハ之ヲ犯罪ト称シ無意ニ出テタルトキハ之ヲ准犯罪ト称スルノミナラス亦大ニ責任ヲ定ムルノ標準ヲ異ニスルモノナリ
本法ハ此点ニ付キ合意ノ履行ニ関スル過失若クハ懈怠ノ責任ノ規則ヲ適用シ以テ諸外國法典ノ缺点ヲ補填シタリ蓋シ歐州ニ於テハ諸學者概ネ契約ニ関シ行ハレタル詐欺及ヒ単純ナル懈怠ノ損害賠償ヲ規定スル法則ヲ以テ犯罪及ヒ准犯罪ニ準用ス可カラサルモノト為シ之ニ反スル説ヲ唱フル者甚タ少ナシ是ヲ以テ普通ノ學説ニ従フトキハ裁判所ニ於テ犯罪及ヒ准犯罪ヨリ生スル損害ノ責任ノ高ヲ査定スルニ付テハ毫モ之ヲ検束スル所ノ規則ナクシテ裁判官ハ無限ノ權力ヲ有スルモノトシ之ニ反シ合意ノ不履行ニ関シテハ裁判所ノ査定ノ権力無限ノモノニ非スト為ス然レトモ契約ニ関スルモ不正ノ損害ニ関スルモ過失又ハ懈怠アリタル塲合ハ其趣同一ニシテ之カ為メ生スル所ノモノハ刑罰ニ在ラス民事上ノ賠償ナルカ故ニ契約ニ関スル規則ヲ以テ犯罪及ヒ准犯罪ニ準用スルモ毫モ不可ナル所アルヲ見ス蓋シ合意ノ不履行ニ関スルトキ法律其不履行ノ起因スル所ノ詐欺悪意ナルト単純ナル懈怠ナルトヲ區別シタルヲ以テ至当ノモノト認ムル以上ハ其他ノ塲合就中准契約並ニ犯罪及ヒ准犯罪ノ塲合ニ於テ此区別ヲ適用スルモ決シテ之ヲ失当ナリトスルノ理由アラサルナリ然リ而シテ外國法典ニ於テ契約ニ関スル塲合ト犯罪若クハ准犯罪ニ関スル塲合トニ付キ此点ニ関スル規定ノ同一ナルヘキヲ認メタルヤ否ヤヲ攻究スルハ姑ク措キ本法ニ於テハ断然其塲合ヲ同一視シ之ニ同一ノ規則ヲ適用スヘキコトヲ定メタリ
損害賠償ノ責任ノ廣狭ハ次章ニ至リ契約ヨリ生スル義務ノ効力ヲ規定スルノ条項ノ下ニ於テ之ヲ説明スヘキカ故ニ敢テ茲ニ詳細ノ説明ヲ為サス只其要領ノミヲ言ハンニ詐欺即チ故意ノ損害アリタルトキハ其賠償ハ啻ニ加害行為アリタルトキニ当リ加害者ノ豫見シタル損害及ヒ其豫見スルヲ得ヘカリシ損害ノ賠償ノミナラス亦其豫見スルヲ得サリシ損害ニ對スル賠償ヲ包含スヘキモノトス然ルニ単純ナル過失即チ不注意懈怠アルニ過キサルトキハ実際豫見シタル損害又ハ豫見スルヲ得ヘカリシ損害ニ非サレハ之ヲ賠償スルニ及ハサルナリ(下第三百八十五条ヲ参観スヘシ)
此區別タル不正ノ損害ニモ亦之ヲ準用スヘキカ故ニ故意即チ損害ヲ加ヘントスルノ意思ニ出テ他人ニ損害ヲ及ホシタル者例ヘハ故ラニ隣家ニ石ヲ投シタル者ノ如キハ縦令其家ニ人ノ住居スル者ナシト信シタリシトキト雖モ猶ホ偶々其屋内ニ在リタル人ニ傷創ヲ負ハシメ又ハ隣人ノ蔵置シタル物件ヲ毀損スルニ於テハ其賠償ノ責ニ任セサル可カラス然ルニ自己ノ邸内ニ在ル樹梢ノ鳥類ヲ銃殺セント欲シ発丸シタル者ハ縦令其標的ヲ誤リタルカ為メ銃丸隣家ニ達スルモ其家ニ居住スル者ナシト信シタリシトキハ偶々人アリテ之カ為メニ負傷シ又ハ物件ノ之カ為メニ毀損シタルノ責ニ任スヘキモノニアラス只家屋ヲ毀損シタルカ為メ加ヘタル損害賠償ノ責ニ任スヘキノミ何トナレハ加害者ノ豫見スルヲ得ヘカリシ所ノ損害ハ一ニ家屋ノ毀損ニ過キサレハナリ又例ヘハ故意ニテ人ヲ殺害シタル者ハ被害者ノ生存ニ付キ正当ノ利益ヲ有スル者ノ員數夥多ナルモ猶ホ之ニ加ヘタル所ノ損害ヲ擧ケテ賠償スルノ責アリ然ルニ誤テ人ヲ殺シタル者ハ通常ノ塲合ニ於ケルト同一ノ範囲内ニ於テ賠償ノ責任アルノミ又故意ヲ以テ人ヲ誣告シ或ハ誹毀シタルトキハ被害者ノ之カ為メニ受ケタル所ノ実際ノ損害ヲ擧ケテ盡ク之ノ賠償セサル可ラス然ルニ軽忽不注意ニ因リ他人ノ悪事醜行ヲ摘発シタルニ過キサルトキハ加害者ノ豫見スルヲ得ヘカリシ所ノ損害ノ外賠償ノ責任ヲ生スルコトナシ
又悪意ニテ加ヘタル損害賠償ノ事ニ関シテハ尚ホ其損害ノ果シテ過失ヨリ生シタル結果ニシテ避ク可カラサルモノナルヤ否ヤヲ区別スルコトヲ要ス然レトモ此区別タル以上ニ陳ヘタル所ノ区別ニ比スレハ一層困難ニシテ適例ヲ擧ケ詳密ニ説明スルヲ要スルカ故ニ本条ノ法文ニ引用スル所ノ次章第二節ニ至リ之ヲ説明スヘシ(下第三百八十五条ヲ参観スヘシ)
然リ而シテ不正ノ損害ノ賠償モ亦契約ニ関スルトキ同シク被害者ノ受ケタル損失ノ償金ト其失ヒタル利得ノ填補トヲ包含スルモノナリ是レ損害賠償ノ二個ノ原素ニシテ損害賠償ノ名称ノ因テ起ル所ナリ
損害賠償ハ金銭ヲ以テ之ヲ定ムルコト最モ多カルヘシト雖モ亦裁判所ニ於テ現物ヲ以テ賠償ヲ為サシムルコトヲ得且其有益ナル塲合ニ於テハ之ヲ命スルモ敢テ法律ニ背反スルモノト謂フ可ラス
今本条ノ説明ヲ終ハルニ臨ミ少シク注意ヲ惹起スルヲ要スルモノアリ即チ民事ノ犯罪ハ損害ヲ加ヘントスルノ意思ニ出ツルモノタルニ拘ハラス未タ必スシモ刑事犯罪ヲ構成スルモノニアラス又民事ノ准犯罪ハ損害ヲ加ヘントスルノ意思ニ出テサルニ拘ハラス刑事ノ犯罪ヲ構成スルコトアリ例ヘハ奸計ニ出テ悪意ヲ以テ一不動産ノ所有者ヲシテ其不動産ヲ所有スルトキハ損害ヲ被ルニ至ルヘキコトヲ妄想セシメ又ハ之ヲ譲渡スノ利益アルコトヲ迷信セシメ以テ之ヲ譲渡スノ意ヲ決セシメタル者ハ其悪意アルニ拘ハラス自ラ買主タラス又買主ト共謀セサル限ハ詐欺取財ヲ行フタルモノニアラス單ニ民事ノ犯罪ヲ行フタルニ止マルモノナルカ故ニ毫モ刑法上ノ制裁ヲ以テ罰スヘキモノニ非ス又悪意ヲ以テ不動産船舶若クハ商品ノ滅失ヲ来シタル誘導ヲ為シタルトキノ如キモ亦民事ノ犯罪アルノミニシテ刑事ノ犯罪ヲ構成スルモノニアラス何トナレハ刑事ハ人身ニ有害ナル誘導教唆ヲ罰スルニ過キスシテ其財産ニ害アル誘導教唆ヲ罰セサレハナリ(刑法第二百九十七条及ヒ第三百八条)之ニ反シ不注意又ハ規則ノ不履行ニ因リ他人ヲ殺傷シタルトキハ民事上准犯罪ヲ構成スルニ過キスト雖モ尚ホ刑事上ノ犯罪即チ軽罪ヲ構成スルモノトス犯意ヲ以テ構成原素トスル刑事犯罪アル場合ニ於テハ其行為同時ニ民事上ノ犯罪ヲ構成スルモノニシテ刑事上及ヒ民事上ノ点ニ付キ観察シテ共ニ犯罪アリト謂フ可キナナリ而シテ実際上之ヲ観レハ民事上ノ犯罪同時ニ刑事上ノ犯罪タルコト最モ多カルヘシ
第三百七十一條
本条ハ不正ノ損害ノ事項ニ関シ欧洲諸國ノ法典ニ於テ慣用スル所ノ区別ヲ採用シタルモノナリ蓋シ欧洲諸國ノ法律ニ於テハ人ハ自己ノ所為ヨリ生スル損害ニ付キ其責ニ任スルノミナラス亦或ル塲合ニ於テハ他人ノ所為ヨリ生スル損害ニ付キ其責ニ任スルモノナリト云ヘリ然レトモ事物ノ実相ヲ穿テ之ヲ考フルトキハ既ニ論明シタルカ如ク何レノ場合ニ於テモ人ハ自己ノ所為又ハ自己ノ懈怠ニ出テタル損害ノ外其責ニ任スヘキモノニ非サルヤ明カナリ蓋シ何人タリトモ自己ノ過失ナク又其意思ニ出テスシテ義務ヲ負フハ甚タ公義ニ背反スル所ナリト謂ハサル可カラス但法律ニ原因スル義務アル場合ニ於テハ自己ノ所為ニ因ラスシテ義務ヲ負担スルモノナリ然レトモ其場合タル次節ニ定ムルカ如ク極メテ稀ナルモノニシテ且特殊ノ理由ニ基クモノナリ故ニ本条ニ開示次条ニ規定スル所ノ場合於テモ亦法律上責任ヲ負ハシムル所ノ者ハ其実懈怠アリ即チ監護薫督ノ欠缺アルカ故ニ其責ニ任スルモノナリ即チ其責任ハ其不注意ニ淵源シ自己ノ所為ニ原因スルモノナリ彼ノ動物ノ加ヘタル損害加之活動セサル物ノ加ヘタル損害ニ因リ之ヲ所有スル者ノ責任ヲ惹起スル所以モ亦其所有者ニ懈怠ノ責ヲ帰スヘキカ故ナリ蓋シ動物又ハ活動セサル物ノ損害ヲ加ヘタル場合ニ於テハ他人ノ所為ニ因リ損害アリト謂フ可カラスト雖モ亦所有者ニ於テ懈怠アルヤ明ラカナリ然リト雖モ懈怠ハ故意ニ出テ他人ニ損害ヲ加ヘントスルノ意思ニ出ツルコト極メテ稀ナルカ故ニ僅カニ准犯罪ヲ構造スルニ止マルヘシ
第三百七十二條
他人ノ所為ニ付キ責任ヲ負フハ其人自己ノ権威ノ下ニ在ルトキニ限ル蓋シ自己ノ権威ノ下ニ在ル者ノ行為ニ付キ其責ニ任スル所以ハ其損害ヲ生スヘキ行為ヲ防壓スルヲ得タリシニ遂ニ之ヲ制止スルコト能ハサリシハ即チ其責ヲ自己ニ帰セサル可カラサルニ在リ又物ノ加ヘタル損害ニ付キ之ヲ所有スル者其責ニ任スヘキハ亦其損害ヲ豫防スルヲ得タリシニ然ラサリシハ即チ其懈怠ノ責ヲ免ル可カラサルカ故ナリ
然リ而シテ何人カ能ク他人ニ対シ威権ヲ有シ其威権能ク他人ヲシ犯罪若クハ准犯罪ヲ行フヲ得サラシムルニ足ルヘキヤ是レ本条ニ規定スル所ナリ
第一他人ヲシテ損害ヲ生スヘキ所為ヲ行フヲ得サラシムルニ足ルヘキ威権ヲ有スル者ハ尊屬類ナリ然リ而シテ本条ヲ制定スルニ当テハ未タ本法人事編ヲ確定セサリシカ故ニ本条ニハ何レノ尊屬親ヲシテ卑屬親ノ所為ノ責ニ任セシムヘキヤヲ指定セス只單ニ「父権ヲ行フ尊屬親ハ其未成年ノ卑屬親ノ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任スト云フニ止マリタリ且尊屬親ハ啻ニ法律上父権ヲ行フトキノミナラス又事実上之ヲ実行スルヲ得ルトキ即チ其卑屬親己レトテ同居スルトキニアラサレハ其卑屬親ノ所為ノ責ニ任セサルモノトセリ蓋シ尊屬親ノ卑屬親ト別居スルニ当リ尊屬親ヲシテ其行為ノ責ニ任セシムルハ之ニ対スルコト嚴ニ過クヘシト看做シタルカ故ナリ加之尊屬親ノ卑屬親ト同居セサル場合ニ在テハ尊屬親其卑屬親ノ所為ニ付キ責ニ任セサルモ必ス他ニ其所為ニ付キ責ニ任スル者アルヘシ例ヘハ本編第四項ニ規定スル如ク教師、師匠又ハ工場長等之ニ監督スル者アリテ其責ニ任スヘキカ故ニ尊屬親ヲシテ責任ヲ負ハシムルノ必要アラサルナリ
然リト雖モ同居ノ条件ハ文字ニ拘泥シテ之ニ觧釈ス可カラス故ニ未成年者僅カニ数日以来学校ニ寄宿シ而シテ他人ニ損害ヲ加ヘタル行為アリタル場合ニ於テ其行為監督ノ不注意ニ出ツルモノニ在ラサルトキ例ヘハ竊盗ヲ為シ又ハ其同宿ノ生徒ニ対シ暴行ヲ加ヘタルトキト如キハ尊屬親ヲシテ其責任ヲ免レシメ校長ヲシテ之ヲ負ハシムルコト能ハサルヘシ蓋シ尊屬親ハ平常其卑屬親ヲ教育スルニ嚴粛ナラス之ヲ他人ニ委托シナカラ之ニ其品行ノ不良ナルヲ告ケサリシカ如キハ即チ懈怠ノ責ヲ免サル所ナリ而シテ之ニ反シ学校長ニ至テハ僅カニ数日以来校内ニ在ル生徒ノ品行如何ヲ知ルコト容易ナラサルヲ以テ其生徒ノ品行悪シキカ為メ生シタル損害アルモ決シテ之ヲシテ其責ヲ負ハシム可カラス然レトモ其生徒ノ寄宿以来久シキ時日ヲ経過シタリシトキハ其過失ハ未タ必スシモ父母ノ教育ノ宜シカラサリシノミニ因ルモノニアラス或ハ監督ノ不注意ニ因ルコトナシトセス縦令監督ノ不注意ニ因ラサルモ校長久シク其訓誨スル所ノ生徒ノ悪行アラハ必ス之ヲ知ルヲ得ヘキカ故ニ之ヲ其尊屬親ノ家ニ退去セシメサル可カラス然ラスシテ其生徒ニ過失アレハ校長其責ニ任セサル可カラス然リト雖モ亦校長ノ損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシトキハ本条末項ニ依リ其責ニ任スヘキニアラス
外國法典ヲ参考スルニ後見人ヲシテ其被後見人ノ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任セシメサルモノアリ然レトモ其判決例ニ就テ之ヲ見レハ後見人ハ被後見人ノ加ヘタル損害ノ責任ヲ負フヘキモノトシ以テ法律ノ不備ヲ補フタリ是レ後見人ハ被後見人ノ教育ニ関シ殆ト親権ヲ行フモノナルカ故ナリ然レトモ此判例タル夫ニ之ヲ準用スルヲ得サルモノナリ蓋シ夫ハ其婦ニ対シ後見人ト同権ノ威権ヲ有スルモノニアラス又実際後見人ノ被後見人ニ対スルト同一ノ強制手段ヲ有スルモノニ非サレハナリ
本法ハ外國法典ノ不備ナルニ鑑ミ此点ヲ明定シタリト雖モ亦後見人ヲシテ被後見人ノ所為ニ任セシムルニ止リ夫ヲシテ其婦ノ所為ノ責任ヲ負ハシムルニ至ラス
又本条ハ後見人ノ責任ニ付キ其被後見人之レト同居スルノ条件ヲ設ケタリ蓋シ後見人ノ責任ハ其監督ノ不足ニ基クモノナルカ故ニ其責任アルハ日常絶ヘス被後見人ヲ監督シ之ニ訓誡ヲ加フルヲ得ル場合ニ限ラサルヘカラス而ルニ終始其被後見人ヲ監督スルヲ得ルハ其之ト同居スルトキノミニ在リ是レ同居ノ条件ヲ設ケタル所以ナリ被後見人ノ年齢ニ至テハ特ニ定ムル所ナシト雖モ其未成年タルトキニ在ラサレハ後見アラサルカ故ニ其未成年者タルヘキハ論ヲ俟タス
又本条ハ瘋癲白痴者ヲ看守スル者ヲシテ其瘋癲白痴者ノ加ヘタル損害ノ責任ヲ負ハシメタリ而シテ法文ニハ明カニ同居ノ条件ヲ要スルコトヲ記載セスト雖モ瘋癲白痴者ヲ看守スル者ノ責任ハ原ト看守ノ事実ニ基クモノナルカ故ニ実際必ス同居ノ条件存スヘキナリ
第四項ニ指定シタル人ニ至テモ亦其民事上ノ責任ヲ負フハ加害者ノ未成年タルトキニ限ル蓋シ父又ハ後見人ヨリ教師、師匠及ヒ工塲長ニ其威権ヲ委附シタリト認ムヘキハ一ニ加害者ノ未成年者タルトキニ限ルヘキナリ而シテ同項ニハ別ニ同居ノ条件ヲ設ケスト雖モ亦教師師匠工場長ハ其生徒、習業者及ヒ職工カ自己ノ監督ノ下ニ在ル間ニ加ヘタル損害ニ限リ其責ニ任スヘキモノトシタルカ故ニ同居ノ条件ヲ設ケタルト同様ナリ末項ハ重要ナル規定ヲ設クルモノナリ即チ本条ニ定ムル所ノ責任ニ付キ条理公義ニ基キタル制限ヲ加ヘ其範囲ヲ定メタルモノナリ蓋シ本条ニ定ムル所ノ責任ハ尊屬親其他加害者ニ対シ威権ヲ有スル者ノ懈怠ノ推定ニ基クモノナリ然ルニ其推定 絶対的ナル可カラスシテ反証ヲ以テ覆ヘスコトヲ得サル可カラサルモノナリ例ヘハ未成年ナル子暴戻ニシテ其父母ノ注意周到ナルニ拘ハラズ父母ノ家ヲ出奔シテ竊盗ヲ為シ又隣家ニ至リ器物ヲ毀損シタル如キ塲合ニ於テハ父母ヲシテ其所為ノ責ニ任セシムヘカラス若シ之ヲシテ其責任ヲ負ハシムルトキハ之ヲ待スルコト嚴ニ過クルト謂ハサル可カラス是ヲ以テ実際父母其子ヲシテ家ニ在ラシメ之ヲ監督スルカ為メ自己ノ力ノ及フ所ヲ尽シタルヤ否ヤハ一ニ裁判所ノ査定ニ任スヘキ所ナリ而シテ裁判所ハ此点ヲ判定スルニ当リ啻ニ当時ノ事情ヲ斟酌シ父母ノ注意ノ精粗ヲ考フヘキノミナラス亦其平常子ニ教育ヲ加フルニ当リ意ヲ用ヰタルノ深浅ヲ観察セサル可カラス
第三百七十三條
本条ニ掲クル所ノ者ノ責任モ亦前条ニ列記シタル者ノ責任ト同シク懈怠ノ推定ニ基クモノナリ然レトモ本条ニ定ムル所ノ責任ト前条ニ定ムル所ノ責任トノ間ニハ著シキ差異アルカ故ニ特ニ之ヲ本条ニ規定シタリ左ニ其差異ノ在ル所ヲ述ヘシ
第一、本条ニ列示スル所ノ者ハ其委托シタル職務ノ執行ノ為メ又ハ其執行ニ際シ起リタル加害行為ニ付キ其責ニ任スヘキノミ是レ蓋シ其加害者ニ対シ威権ヲ有スルハ独リ其委托ヲ為シタル職務ノ執行ニ関スルトキニ限ルモノニシテ又其責任ヲ負担スル所以ハ軽忽ニモ不適当ナル者ニ信ヲ措キ之ニ委託ヲ為シタルニ在ルカ故ナリ
第二、本条ニ列示スル所ノ者ハ前条ニ指示スル所ノ者ト異ナリ其損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシコトヲ証明シ以テ其責任ヲ免カルルコトヲ得ス蓋シ本条ニ定ムル責任ノ基因タル懈怠ハ損害ノ所為ノ行ハレタル時ニ存スルモノニアラスシテ其受任者ヲ撰ムニ当リ其人ノ適否ヲ察セス又一旦之ヲ撰任シタル後其不適当ナルヲ発見セハ須ラク之ヲ解任スヘキニ依然之ニ委任ヲ為シタルニ在ルモノナリ之ニ反シ尊屬親ニ至テハ養子縁組ヲ為シタル塲合ノ外其子ヲ撰ム能ハス又之ヲ放逐スル能ハサルカ故ニ其責任ノ因テ起ル所ハ大ニ之ニ異ナルモノアリ是レ尊屬親ハ損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシ証ヲ挙ケテ其責任ヲ免ルルヲ得ヘキモ本条ニ列示スル所ノ者ハ此証明ヲ為シ責任ヲ免ルルコト能ハサル所以ナリ
教師、師匠及ヒ工塲長ニ至テハ固ヨリ其子弟ヲ撰ミ殊ニ其品行ノ良カラサルヲ発見シタルトキハ之ヲ放逐スルヲ得サルニ非サルヲ以テ亦其損害ノ所為ヲ防止スル能ハサリシコトヲ証シ責任ヲ免カルヲ得セシム可カラサルカ如シ然レトモ教師、師匠等ニハ之ニ子弟ヲ委托シタル尊屬親ト同一ノ利益ヲ有セシムヘキヲ至当ト看做シタリ若シ然ラサルトキハ粗暴執拗ナル子弟ハ何レノ學校又ハ工塲ニ於テモ教師師匠等責任ヲ免レサランコトヲ恐レ之ヲ放逐スヘキカ故ニ遂ニ子弟ヲ教誨スルコト能ハサルニ至リ却テ実際至大ノ弊害ヲ生スヘシ
其レ然リ前条ニ指示シタル人ノ責任ト主人及ヒ其他ノ委托者其雇人使用人又ハ其他ノ受任者ノ行為ニ関スル責任トノ間ニハ右ニ掲ケタル二個ノ差異アルモノナリ其理由ハ上ニ陳ヘタルヲ以テ今其二三ノ適例ヲ示サンニ実際ノ適用ニ至テ少シク意ヲ用ユルヲ要スルモノアリ左ニ叙述スル所ニ就テ之ヲ見ルヘシ
例ヘハ馭者若クハ車掌其主人ノ車馬ヲ馭スルニ当リ不注意ニ出テ又ハ其術ニ拙ナルニ因リ馬車ヲ轉覆セシメ遂ニ行人ヲシテ負傷セシメタリトセン此塲合ニ於テハ主人現ニ馬車ニ乗セサリシトキト雖モ猶ホ民事上ノ責任ヲ免カレサルヘシ蓋シ主人ハ元来其馭者ヲ雇入ルルニ当リ一層制馭ノ術ニ長シタル者ヲ撰マサル可カラス又一旦之ヲ雇入レタル後不適任ナリト認メタルトキハ之ヲ解雇セサル可カラス然ルニ注意此ニ出テサリシハ即チ其ノ責ニ帰スヘキ懈怠アリト謂ハサル可カラス縦令馭者偶々酩酊シタルニ因リ過失ヲ為シタルトキト雖モ亦主人ハ漫ニ酩酊スルカ如キ者ヲ雇入レタルノ過失ヲ免カレサルカ故ニ其損害ノ責ヲ免カレサルヘシ然レトモ毫モ主人ニ過失ナク冝ク之ヲ保護スヘキ塲合ニ於テハ裁判所ハ馭者ノ酩酊ヲ以テ主人ニ対スル意外ノ事ト認メ以テ公平ナル判決ヲ為スコトヲ得ヘシ
主人或ル家ニ其僕婢ヲ遣ハシタルニ当リ僕婢其家ニ至リ物品ヲ竊取シタルトキハ不篤実ナル者ヲ他人ノ家ニ遣ハシタル過失アルヲ以テ主人其責ニ任スヘシト雖モ僕婢自ラ浴塲ニ至リ他人ノ物ヲ竊取シタルトキハ主人其責ニ任スヘキニ非ス何トナレハ此塲合ニ於テハ僕婢ハ主人ノ為メ職務ヲ行フモノニ非サレハナリ然レトモ主人其僕婢ヲ在ル處ニ遣ルニ当リ其僕婢途上ニ店頭ノ物ヲ竊取シタルトキハ主人ノ責任ノ有無ニ付キ少シク論議ヲ生スルコトアラン何トナレハ此塲合ニ於テ僕婢ノ竊盗ヲ為シタルハ其職務ヲ行フカ為メニ非サルモ亦之ヲ行フニ際シテ為シタルモノナリト謂フヲ得ヘキカ如ク而シテ本条ノ法文ニ依レハ職務ヲ行フニ当テ加ヘタル損害モ之ヲ行フニ際シテ加ヘタル損害モ與ニ主人ノ責任ヲ来スヘキモノナレハナリ然レトモ此塲合ニ於テハ其実職務ノ執行ト竊盗ノ所為トハ全ク無関係ナルモノニシテ職務ヲ行フタルニ因リ竊盗ヲ為シタルニ非ス毫モ雇人自ラ散歩スルニ当リ店頭ノ物ヲ竊取シタル塲合ニ於ケルト異ナル所無シト謂ハサル可カラス然レトモ雇人其主人ノ命ヲ受ケ物品ヲ購求センカ為メ店頭ニ来リ其店頭ニ於テ物品ヲ竊取シタルトキハ主人其責ニ任セサル可カラス
是レ斯ノ如ク主人其雇人ノ所為ヨリ生シタル損害ニ付キ責任ヲ負担スル塲合ハ千状萬態ニシテ変化極リナシ故ニ主人ノ果シテ責任ヲ負フヘキ塲ナルヤ否ヤニ就テハ往々之ヲ判定スルノ難キコトアルヘシ
工事受負人ノ責任ニ至テモ亦其実際生スルコト頗ル多シ蓋シ職工其工事ニ從事スルニ当リ疎虞懈怠ニ因リ人ノ身体又ハ財産ニ損害ヲ加フルコトアリ或ハ一個ノ親方数人ノ職工ヲ使役スルニ当リ其一人他ノ一人ノ不注意ノ為メ負傷スルコトアリ何レノ塲合ニ於テモ親方ハ自己ノ懈怠不注意ノ責ヲ免カレス又監督ノ不充分ノ責ヲ免カレサルカ故ニ総テ其職工ノ加ヘタル損害ヲ賠償スルノ責ニ任セサル可カラス
鉄道會社、運輸會社其他総テ運送ヲ業トスル所ノ會社ノ如キモ亦其使用人ノ加ヘタル損害ニ付キ同一ノ責任アリ然レトモ此塲合ニ於テ其損害ヲ被フリタルモノ運送會社ノ運送ヲ約シタル物品又ハ旅客ナルトキハ其損害ヲ賠償スヘキノ義務ハ准犯罪ニ因ルニ非スシテ其運送ヲ約シタル契約ニ因ルモノト謂ヘシ
第三百七十四条
本条及ヒ次条ニ定メタル責任ニ付テ之ヲ観レハ亦嘗テ説明シタル如ク通常論者ノ所謂他人ノ所為ノ責任ナルモノハ其実一身上ノ懈怠ノ責任ニシテ注意監督ノ欠缺アルトキハ注意ヲ受クヘキモノ人タルト物タルトヲ問ハス又動物タルト不動物タルトヲ論セス其責ニ任スヘキコト明瞭ナリ蓋シ何レノ塲合ニ於ケルモ損害賠償ノ原則ハ同一ニシテ自己ノ過失アルトキハ必ス其責ニ任セサル可カラス
法文ハ動物ノ如何ナル種類ニ属スルカヲ区別セス只実際ニ於テハ家畜即チ屋内ニ飼養スル所ノ獣畜例ヘハ牛馬鶏犬ノ類タルヘシト雖モ法文ハ決シテ是等ノ動物ノ加ヘタル損害ニ限リ所有者ノ責任ヲ認ムルモノニ非ス何トナレ奇ヲ好ムニ因リ又ハ職業ノ為メ野生ノ動物ヲ飼養シ加之猛獣ヲ飼ヒ之ヲ馴サス或ハ之ヲ繋鎖スルコトヲ怠リ遂ニ他人ノ財産ニ損害ヲ加ヘ或ハ其身体ヲ傷害スルコト実際之レ無シト謂フ可カラサレハナリ既ニ狂犬猛獣等ノ繋鎖ヲ怠リ之ヲ路上ニ放チタル者ハ刑法第四百六十条第八項ニ於テ之ヲ處断シタリ
但荒漠鬱叢タル所有地内ニ棲息シ平常繋鎖セサル獣類隣地ニ侵入シ之ニ害ヲ加ヘタルトキ例ヘハ狼狐兎ノ如キ者隣地ニ狂奔シテ之ニ損害ヲ加ヘタルトキニ在テハ敢テ其土地所有者ノ責任ヲ生スルモノニ非ス蓋シ斯ノ如キ塲合ニ於テハ土地所有者ハ動物ノ所有者ト称ス可カラサルカ故ニ毫モ其加ヘタル損害ノ責ニ任セス然レトモ隣人ヲシテ該動物ヲ捕獲セシムルカ為メ自己ノ地上ニ於テ狩獵ヲ為サシムルハ該動物ノ棲息スル土地所有者ノ義務ニシテ其之ヲ拒絶シタルトキハ始メテ損害ノ責ニ任セサル可カラス加之其動物人身ニ危害ヲ及ホスヘキ恐アルモ猶ホ之ヲ捕獲セシムルヲ拒絶スルニ於テハ地方警察ニ於テ徴罰セラルルコトアルヘシ
又本条ハ動物ノ損害ヲ加ヘタル当時之ヲ使用スル者ヲシテ其損害ヲ賠償スルノ責ニ任セシメタリ蓋シ之ヲ使用スル者トハ用益者若クハ使用者、借主又ハ小作人ノ如キ者ヲ云フ蓋シ是等ノ人ハ其動物ヲ監守スルカ故ニ之ニ注意スルノ責任アルモノナリ本条ニ於テハ動物ノ他人ノ土地内ニ逸走シ又ハ道路ニ於テ行人ヲ咬噬セントスルニ当リ之カ為メ危害ヲ受クルノ恐アル者之ヲ殺スヲ得ヘキノ権アルコトヲ言ハスト雖モ人身ニ対シ危害アルトキハ之ヲ殺スノ権アルヤ疑ヒナシ唯僅カニ財産ニ損害ヲ及ホスノ恐アルニ過キサルトキハ價額ノ少キ動物ニアラサレハ漫リニ之ヲ殺スコトヲ許ス可カラス之ヲ殺スコトヲ拒否スルハ警察法ノ冝ク定ムヘキ所ニシテ若シ警察法アラサレハ其当否ハ裁判所ノ判定ニ任スヘキノミ
第三百七十五条
本条ノ原則モ亦前条ヲ支配スル所ノ原則ト同一ニシテ所有者ノ責任ハ直接ニ其建物ノ崩頽ニ因リ生シタル損害ニ原因スルモノニアラス其建物ニ加フヘキ修繕又ハ築造ニ関スル不注意ニ基クモノナリ而シテ本条ハ前条ニ於ケルカ如ク家屋其他本条ニ記載セル工作物ヲ使用スル者ノ責任ヲ負フヘキ旨ヲ記載セサルモ是レ決シテ其責任ヲ負フ塲合ナキカ故ニアラス其塲合甚タ稀ナルカ故ナリ例ヘハ用益者及ヒ賃借人ノ如キハ大修繕ヲ為スノ義務ナキカ故ニ決シテ家屋ノ崩頽ノ責ヲ之ニ帰スヘキコトアラサルヘシ然レトモ賃借人ハ其植付ケタル樹木ノ轉到、目隱又ハ看板ノ墮落ニ因リ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任スヘク又船舶ノ賃借人ハ投錨若クハ繋纜ノ粗忽ニ因リ加ヘタル損害ノ責ニ任セサル可カラス
嘗テ説明シタル如ク家屋又ハ堤防ノ崩頽破潰ノ恐アルトキハ隣人ハ急害告発ノ占有訴権ヲ行ヒ必要ナル修繕又ハ未定ノ損害賠償ノ為メ保証ヲ請求スルコトヲ得(本編第二百三条)又危害ヲ被ルノ恐アル隣人ハ其危害ノ切迫セルトキハ建物ヲ支持セシムルカ為メ警察處分ヲ求ムルコトヲ得ヘシ
又家屋ノ建築者ハ工事受負契約ニ因リ建築ノ瑕疵ノ担保義務ヲ負担スルモノナルカ故ニ本条ハ之ニ対シ求償権ヲ行フヲ得ル者ヲ定メタリ而シテ之ニ対シ求償権ヲ求ムルヲ得ル者ハ啻ニ所有者ニ止マラス又損害ヲ受ケタル者モ所有者ノ無資力ナル塲合ニ於テハ亦本編第三百三十九条ニ從ヒ一般ノ債権者ニ属スル所ノ間接ノ訴ヲ起シ工事受負人ニ対シ賠償ヲ求ルコトヲ得
第三百七十六条
凡ソ人ハ自己ノ事務ヲ管理シ其財政ヲ支配スルカ為メニハ年齢稍々長シ且智力発達シ經験十分ナルヲ要スト雖モ他人ニ損害ヲ加フルノ所為ヲ識別シ之ヲ行フ可カラサルコトヲ了解スルニハ左マテ年齢ノ長シ智力経験ニ富ムヲ要セサルナリ是ヲ以テ刑法ハ未成年者ヲシテ其犯罪ノ責ニ任セシメ其十二年以上成年ニ達スル間ノ年齢ヲ数期ニ細別シ以テ其罪ヲ宥恕シ刑罰ヲ軽減スルノミ(刑法第七十九条以下ヲ参観スヘシ)故ニ未成年者タリトモ猶ホ民事上ノ犯罪アリタルトキハ之ヲシテ其責任ヲ負ハシメサルヘカラス然レトモ犯罪ヨリ生スル民事上ノ責任ニ至テハ法律上毫モ年齢ニ関シ差別ヲ為スコトナク一ニ裁判官ヲシテ其智識ノ発達及ヒ其意思ノ善悪ニ從ヒ責任ノ範囲ヲ伸縮スルヲ得セシムヘキナリ是レ本条ニ未成年者ハ民事上責任アリト「宣告セラルルコトアリ」ト云ヒ以テ裁判官ヲシテ此点ニ付キ多少専断ヲ為スノ権ヲ有セシメタル所以ナリ是ヲ以テ十二年以下ノ未成年者ハ刑事上全ク責任ヲ免カルヘシト雖モ民事上其不正ニ加ヘタル損害ノ責ニ任スヘシト宣告セラルルコトヲ得ヘシ羅馬人嘗テ云ヘルアリ「悪意ハ年齢ノ不足ヲ補フ」ト是レ現時ニ至ルモ尚ホ冝ク適用スヘキ所ナリ
又未成年者ノ雇人若クハ使用人ノ所為ニ因リ生シタル損害又ハ自己ノ属スル物若クハ動物ノ加ヘタル損害例ヘハ堤防ノ決潰、樹木ノ轉倒、家屋ノ崩頽ニ因リ起リタル損害ニ至テモ亦雇人ノ撰任ニ付キ不注意アリ、動物ノ繋鎖ニ不充分ナル所アリ又ハ家屋堤防ノ修繕ニ粗漏ノ点アリタルトキハ未成年者ヲシテ其責任ヲ免カレシムルノ理アラサルナリ然レトモ未成年者ノ雇人ヲ撰任シ又ハ其建物ヲ監督スヘキ者ハ概ネ未成年者自己ニアラサルカ故ニ未成年者ハ後見人又ハ其他特ニ此点ニ付キ委任ヲ受ケタル者ニ対シ求償権ヲ有スヘシ是ヲ以テ未成年者独リ其雇人等若クハ之ニ属スル物ノ加ヘタル損害ノ責ニ任スルハ其成年ニ達セントスルニ方リ実際自ラ雇人ヲ撰任シ動物ヲ飼養シ又ハ家屋ヲ使用シタルトキ其雇人、動物又ハ家屋ノ他人ニ損害ヲ加ヘタル塲合ニ限ルモノナリ
第三百七十七條
本条ニ規定スル所ハ概ネ諸外國法典ニ之ヲ明定セス而シテ其之ヲ明定セサル所以ハ実際未成年ナルカ故ニ又ハ他人ニ従属スルカ故ニ他人ヲシテ自己ノ所為ヨリ生シタル損害ヲ倍償スルノ責ニ任セシムル所ノ者ハ多クハ資力ニ乏シク却テ之ニ対シ威権ヲ有スル者一層資力ニ冨ムカ故ナリ然レトモ加害者ヲシテ先ツ其行為ノ責ニ任セシムヘキハ原則ナルカ故ニ法律ニ之ヲ掲クルヲ至当ト認メタリ然レトモ加害者ニ対シ責任アルノ裁判ヲ言渡スハ其加害者自己ノ所為ノ責ニ任スヘシト認ムルヲ得ヘク場合ニ限ル是ヲ以テ毫モ人事ヲ弁セサル瘋癲白痴又ハ幼童ノ如キハ毫モ責任アラサルカ故ニ之ニ対シ主タル裁判ノ言渡ヲ為スコトナシ然レトモ成年ニ近キ未成年者又ハ雇人、使用人等ニ至テハ主タル債務者タルノ裁判言渡スコトヲ得ヘシ而シテ民事担当人ハ保証人ト同一視セラルルカ故ニ主タル債務者ニ代ハリ賠償ヲ弁済シタルトキハ当然之ニ対シ求償権ヲ有スヘシ蓋シ加害者ハ被害者ト異ナリ決シテ民事担当者ニ向ヒ其監督ノ欠缺又ハ其授任ノ不注意ヲ咎メ之ニ責ムル所アルヲ得サルカ故ニ之ニ対シ賠償ノ責ニ任セサル可カラス
然リ而シテ損害ヲ生シタル所為ノ故意ニ出テタルトキハ民事又ハ刑事ノ犯罪アルモ民事担当人ノ過失ハ必ス無意、懈怠ニ出ツルニ過キサルカ故ニ准犯罪ヲ構成スルニ過キス此差異タル各責任者ノ責任ノ範囲ヲ査定スルニ当リ重要ナル結果ヲ生スルモノナリ蓋シ故意ニ損害ヲ加ヘタル者民事上之ニ其行為ノ責ヲ帰スルニ足ルヘキ年齢ニ達シ且智力充分ニ発達シタルトキハ裁判所ハ之ニ対シ其加ヘタル損害ノ全部ノ賠償ヲ言渡シ其所為ノ当時ニ於テ豫見スルヲ得ヘカリシ所ノ損害ノミナラス其豫見スルヲ得ヘカラサリシ損害ニ至ルマテ之ヲ賠償セシムルコトヲ得然ルニ民事担当人ニ至テハ其豫見シ又ハ豫見スルヲ得可カリシ損害ノ範囲内ニ於テ責ニ任スヘキノミ(本編第三百七十条第三項)
罰金ハ原ト刑罰ナリ而シテ刑ハ一身ニ止マルヘキカ故ニ犯罪者ニ対スルニ非サレハ之ヲ言渡スコトヲ得ス若シ犯罪者ニ対シ威権ヲ有スル者又ハ之ニ職務ヲ委任シタル者ヲシテ罰金完済ノ責ニ任セシムルトキハ即チ其責任ハ民事上ノモノニ在ラスシテ刑事上ノ性質ヲ有スヘシ然ルニ猶ホ之ヲシテ其責任ヲ負ハシムヘシトスルトキハ遂ニ犯罪人ニ対シ禁錮ノ言渡シアリタルトキ犯罪人其執行ヲ免カレタル場合於テハ民事担当人ヲシテ之ニ代ハリ禁錮ノ執行ヲ受ケシムヘシト謂ハサル可カラサルニ至ラン
然レトモ本条ハ特ニ法律ヲ以テ民事担当人ニ対シ罰金ノ納完ヲ命スヘキコトヲ定メタル場合ヲ例外トシタリ此場合タル特別法例ヘハ税関、間税、郵便等ニ関スル法律規則ニ於テ之ヲ定ムルコトアリ蓋シ是等ノ事項付テハ犯則ヲ處スルニ罰金ヲ以テスルモ其罰金タル多少刑罰ノ性質ヲ有セサルニ非サルモ亦主トシテ民事上ノ賠償ノ性質ヲ有スルモノナリ是レ民事担当人ヲシテ之ヲ負担セシムル所以ナリ故ニ是等ノ場合ヲ本条ノ例外トスルモ唯文辞上例外ト称スルニ過キス其実然ルモノニアラサルナリ
第三百七十八條
本節ニ於テ法律上過失アリト推定スル所ノ者同時ニ数人アリテ其各自ノ懈怠又ハ過失ノ部分ヲ知リ之ヲ定ムルコトヲ得ヘキトキハ其数人ニ対シ全部ノ責任ヲ負担セシムルコト至当ニアラス然レトモ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ証明スルニ実際殆ト為シ能ハサル所ナルヘシ是レ本条ヲ設ケタル所以ナリ
全部ノ責任ト連帯ノ責任トノ間ニ存スル所ノ區別ハ債権担保編ニ至リ数人ノ債務者ノ負担スル此種ノ責任ノ事ヲ説明スルニ当リ詳細ニ弁明スヘシ
数人ニテ動物若クハ所有シ而シテ其各自所有ノ部分平等タルト不平等タルトヲ問ハス之ヲ區分シタルトキニ当リ其動物若クハ家屋ノ崩頽ニ因リ他人ニ損害ヲ加ヘタル場合ニ於テハ共有者ヲシテ全部ノ義務ヲ負ハシムヘキカ将タ各自ノ責任ヲ區分スヘキカニ付キ異議ヲ生スルコトナシトセス蓋シ此場合ニ於テハ共有者ノ各自ヲシテ損害ヲ生シタル物上ニ有スル其所有権ノ持分ニ應シ責任ヲ負ハシムルヲ至当ト為スカ如シト雖モ其実然ル可カラサルモノナリ蓋シ一個ノ建物ノ半分ヲ所有スル者ハ其半分ノミニ付キ之ヲ保持シ之ヲ修復スルニ止マル可カラスシテ其全部ニ付キ修繕ヲ加ヘサル可カラス況ンヤ危険ナル動物ニ至テハ全ク之ヲ繋鎖セサル可カラス其一分ヲ繋鎖スルカ如キハ事実會得ス可カラサル所ナリ然ルニ欧洲ニ於テ此場合ニ於テハ共有者ノ相互ノ権利ニ割合ヒ其責任ヲ分割スヘシト云ヘル反対説アルハ知ラス識ラス羅馬古法ノ理論ニ泥ミタルモノナリ蓋シ物ノ活物タルト死物タルトヲ問ハス其之ニ因リ生シタル損害ノ責任ヲ免レントセハ其物ヲ被害者ニ委付スルヲ以テ足レリトシタルカ故ニ各所有者ノ責任ハ其共有権ノ特分ニ應セサル可カラサリシト雖モ近世ノ法制ハ一層純理ト公義トニ基キ責任ハ一ニ所有者ノ懈怠ニ基クモノトシタルニ因リ其責任ハ全部ノモノタラサル可カラス蓋シ監督ハ性質上分割ス可カラサルモノナレハナリ
第三百七十九條
前ニ説明シタル如ク加害ノ所為ハ縦令故意ニ出ツルモ未タ必スシモ刑法ニ觸ルル所ノ犯罪ヲ構成スルモノニアラス之ニ反シ無意ニ出テタル過失懈怠即チ准犯罪ニテモ刑事ノ軽罪ヲ構成スルコトアリ又其違刑罪ヲ構成スルハ殊ニ多シトス
然リ而シテ民事上ノ過失同時ニ刑事ノ犯罪タルトキト雖モ之カ為メ民事上ノ責任ノ區域ニ影響ヲ及ホスモノニアラス然レトモ民事上ノ過失刑事ノ犯罪ヲ為ストキハ其事件ヲ判定スヘキ裁判所ノ管轄ヲ異ニスヘシ蓋シ刑事裁判所ハ被害者ニ附与スヘキ民事上ノ賠償ニ付キ判決ヲ為スノ権限ヲ有スルハ訴訟手続ノ原則ナリ又損害賠償ノ訴権ノ時効ニ至テモ民事上ノ過失、刑事ノ犯罪ヲ構成スル場合ニ於テハ公訴ノ期満免除ノ期間ヲ以テ其期間ト為スカ故ニ通常民事ノ時効ニ比スレハ其期間一層短少ナルヘシ
是レ民事ノ普通法ニ関スル二個ノ例外ナリト雖モ爰ニ其説明ヲ為スヘキニアラス
第四節 法律ノ規定
第三百八十條
法律上ノ義務ハ人ノ所為ニ因ラスシテ発生スルヲ以テ其特殊ノ性質ト為ス本条第一項之ヲ明示シタリ蓋シ法律ニ認定シ其制裁ヲ設ケタル総テノ義務ハ法律上ノ義務ト称スルヲ得ヘキニ似タリト雖モ其直接ニ法律ノ創設スル所ニ非ス多少人為ニ出テタル所為アルトキ即チ合意、不当ノ利得又ハ過失アルトキハ此所為ヲ以テ義務ノ直接ノ原因ト為シ法律上ノ義務ノ名称ハ一ニ法律カ人ノ意思ナキニ之ニ命スル所ノモノ即チ人ノ参與セサルニ之ニ命スル所ノ義務ノミニ附スルヲ以テ論理ニ適シ且一層單簡ナリトス
然レトモ論者中此観察ノ方法ヲ非難スル者アリテ所謂法律上ノ義務ナルモノニ至テモ亦必ス義務ノ根原ト看做スヘキ所ノ人ノ所アルモノナリト称シ例ヘハ養料ノ義務ハ婚姻及ヒ親属ノ関係ニ起因スルモノニシテ婚姻及ヒ親属ノ関係ハ根本ヲ任意ノ所為ニ汲ムモノナリ子ノ後見管理ノ義務モ亦婚姻ニ由来スル所ノ親属ノ関係ニ淵源スルモノナリ又共有物若クハ隣人間ノ義務ハ所有権ニ起因スルモノニシテ而シテ所有権ハ必ス任意ニテ之ヲ得ルモノナリ故ニ此種ノ義務モ亦其根原ニ溯テ之ヲ観レハ必ス人ノ所為ニ出ツルモノナリト云ヘリ然レトモ是徒ラニ鎖末ノ議論タルニ過キス総テ是等ノ義務ハ合意ヲ以テ之ヲ廃罷スルコト能ハス又之ヲ減縮スルコト能ハサルニ因リ合意上ノ義務ト称スルコト能ハス他ニ一ノ名称ヲ設ケテ之ニ附セサル可カラス又之ヲ不当ノ利得若クハ過失ニ原因スルモノト為スカ如キハ一層失当ナリ謂ハサル可カラス故ニ此義務ハ法律ニ原因スルモノトシ法律ハ自然ノ法理ヲ觧釈シ以テ此義務ヲ制定シタルモノナリト云フヲ至当ト為ス
本条ニ法律上ノ義務ヲ列記スルモ是レ其適例ヲ示スカ為メニシテ敢テ之ヲ限定スルカ為メニ非ス尚ホ本邦ニ於テハ益々法律ノ発達スルニ従ヒ本条記載スル所ノ外他ニ法律上ノ義務ヲ制定スルコトアルヘシ只諸外國法典ニ於テハ本条ニ記載スル所ノ外掲クル所ナキカ故ニ暫ク之ニ倣フタルノミ然レトモ行政法其他公法ニ関スルトキハ法律上ノ義務ノ存スル場合一ニシテ足ラスト雖モ茲ニ之ヲ指示スルノ要ナキヲ以テ敢テ贅弁ヲ須ヰス
又本条ニ於テハ其列記スル所ノ法律上ノ義務ニ付キ細目ノ事ヲ記セス唯之ニ特別ナル規則ハ各其事項ニ於テ之ヲ掲クヘシト云フニ止マリタリ蓋シ是等ノ義務モ数多ノ点ニ付テハ合意上ノ義務ノ規則ニ従フヘキモノニシテ就中其効力ノ如キハ次章ニ規定スル所ニ従ヒ定ムヘキモノナリ故其各事項ニ於テ掲クル所ノモノハ之ニ固有ナル特別規則ノミ
養料ノ義務ハ人事編親族及ヒ姻族ノ章ニ之ヲ規定シ後見ノ義務ハ同編後見ノ章ニ之ヲ規定スヘシ共有者間ノ義務ニ至テハ既ニ本編ニ於テ之ヲ規定シタリ(第三十一条以下)又地役ノ成立スル場合ノ外ニ在テ隣人間ニ存スル義務モ多少地役ノ章ニ於テ之ヲ規定シタリ是レ之ニ関スル規則ハ大ニ地役ノ規則ト類似スルカ故ニ之ヲ別々ノ掲載スヘカラサルカ故ナリ例ヘハ隣接地ノ境界及圍障ノ費用ヲ負担スルノ義務及ヒ隣人ノ要求ニ應シ互有権ヲ譲渡スノ義務ノ如キハ地役ト謂ハンヨリ寧ロ対人ノ義務ト謂フヘキモノナリ然レトモ之ニ関スル規則ハ地役ノ章之ヲ掲ケタリ
以上義務ノ原因ニ関スル規定ヲ掲ケタリ以下其効力ニ関スル法則ヲ掲ク
第二章 義務ノ効力
総則
第三百八十一條
第二百九十三條ニ掲ケタル義務ノ定義ニ依レハ債務者ハ債権者ニ対シ或ル物ヲ與へ又ハ或ル事ヲ為シ若クハ為ササルコトニ服従スルモノナリ是レ義務ノ直接ノ効力ナリト雖モ亦純然タル無形上ノ効力タルニ過キス故ニ尚ホ法律ヲ以テ債務者其法律上ノ責務ヲ履行セサル場合ヲ規定シ義務ノ発生以後ノ効力換言スレハ其不履行ノ結果制裁ヲ規定セサル可ラス其制裁タル債権者ヲシテ強制手段ヲ有セシムルニ在リト雖モ人身ノ自由ハ決シテ裁判所ノ監督ヲ待タスシテ之ヲ妨害ス可カラサルカ故ニ債権者ノ権利ハ裁判所ニ訴権ヲ行フニ在リ然リ而シテ債権者裁判所ニ履行ヲ求ムルノ訴権ヲ行フハ一ニ法定義務アル場合ニ限ルモノニシテ訴権ハ即チ法定義務ノ固有ノ性質ニ属スルモノナリ自然義務ニ至テハ債権者ニ訴権ヲ與フルモノニ非ス其履行ハ一ニ債務者ノ意思ニ任スルヲ原則トス(本編第五百六十二條以下ヲ参観スヘシ)債権者ハ本條ニ明記スル如ク二個ノ訴権ヲ有スルモノナリ其一ハ義務ノ直接ノ履行即チ義務ノ目的タル所ヲ現ニ実行セシムル現ニ物ヲ引渡サシメ作為ヲ成就シ不作為ノ約ニ背カサルヲ謂フヲ目的トスルモノニシテ一ハ債務者ノ或ハ履行ヲ為スコトヲ欲セス或ハ其過失ニ因リ之ヲ履行スルコト能ハサルニ至リ或ハ單ニ其履行ヲ遲延シタルトキ其不履行ノ為メ損害賠償ヲ得ルヲ目的トスルモノナリ此二個ノ訴権ハ別々ニ之ヲ行ヒ又ハ併セテ之ヲ行フコトヲ得詳カニ之ヲ言ヘハ損害賠償ノ訴権ハ直接履行ノ訴権ニ附隨スルコトヲ得又或ハ之ヲ補填スルコトヲ得ルモノナリ然レトモ各訴権ニ関スル規定ヲ明瞭ナラシムルカ為メ本法ハ之ヲ二節ニ分テ規定シタリ
義務ノ主タル効力タル直接履行ノ訴権ハ義務ノ体様ニ従ヒ多少其趣ヲ異ニスルモノナリ其体様ハ下第四節ニ之ヲ規定ス而シテ其体様ノ一ニシテ最モ重要ナルモノアルトキハ債権者ヲシテ更ニ他ニ一ノ訴権ヲ有セシム即チ觧除訴権是レナリ此事タル既ニ屡々法典中ニ掲ケタル所ニシテ下ニ至リ詳細ニ説明ヘシ
義務ハ既ニ第三百八十條ノ説明中法律ニ因リ生スル義務ノ事ヲ論明スルニ当リ述ヘタルカ如ク其発生ノ原因如何ニ拘ハラス(其合意ニ因ルト不当ノ利得ニ基クト普通ノ損害ニ出ツルト法律ニ設ケタルモノナルトヲ問ハス)効力ヲ同フスルヲ以テ原則トス但偶々其原因如何ニ因リ少シク効力ヲ異ニスルコトナシトセサレトモ其特別ナル場合ハ下ニ至リ之ヲ指定スヘシ
第一節直接履行ノ訴権
第三百八十二條
本条ニ所謂義務ノ直接ノ履行換言スレハ義務ノ本旨ニ従フ所ノ其履行トハ合意上ノ義務ニ関スルトキハ約束シタル所ヲ現実ニ履行シ又前章ニ規定シタル法律上ノ他ノ原因ノ一ニ基キタル義務ニ関スルトキハ法律ニ命スル所ノ事ヲ現実ニ履行スルヲ謂フ
義務ハ皮想視スレハ必ス直接ニ履行セシムルコトヲ得ヘキカ如シト雖モ本条第一項ハ之ニ二個ノ条件ヲ設ケタリ其第一条件ハ債権者ヨリ之ヲ請求スルニ在リテ是レ敢テ弁明ヲ要セサル所ナリ其第二條件ハ少シク説明ヲ要スルヲ以テ下ニ之ヲ陳ヘシ
若シ義務ヲ直接ノ履行ヲ為サシムルニ債務者ノ身体ヲ拘束スルノ方法ヲ用ヰサル可カラサルトキハ其直接ノ履行ヲ命スルコト能ハス蓋シ債務者ハ契約ヲ以テ適法ナル行為ヲ成就スヘキノ義務ヲ負担スルモ未タ其身体ノ自由ノ全部若クハ一分ヲ割譲スルノ意思アリタルモノニアラス加之人身ノ自由ハ自カラ之ヲ割譲スルノ権利アラサルモノナリ故ニ債務者ハ為スト為ササルト一ニ其意思ノ欲スル所ニ従ヒ自ラ其主宰タルヘキナリ唯其義務ヲ履行セサルニ因リ債権者ニ損害ヲ及ホシタルトキハ之ヲ賠償スルノ責任ヲ有スヘキノミ
加之債務者ノ身体ヲ拘束スルモ債権者ノ為メ有益ナル結果ヲ生スルコトハ甚タ稀レナルヘシ蓋シ作為ノ義務ハ過半債務者充分之ヲ履行スルノ意思アルニ非サレハ実際履行セシムルコトヲ得サルモノニシテ債務者明カニ之ヲ履行スルコトヲ拒絶シタルトキハ到底如何トモスルコト能ハサルナリ実ニ人ノ作為ハ之ヲ制遏スルヲ得ヘキモ何事ヲモ為ササルニ当リ強テ事ヲ為サシムルハ極メテ困難ナルモノナリ
然リ而シテ作為ノ義務ニシテ実際債務者ノ身体ヲ拘束シ以テ履行セシムルヲ得ルモノアリト雖モ亦法律ニ之ヲ禁スルカ故ニ結局損害賠償ニ帰着セサルヲ得サル場合アリテ其実例頗ル多シ即チ債務者期限ヲ設ケテ労役ニ服セシコトヲ約シ豫メ其賃金ノ全部若クハ一分ヲ受取リ一旦其服役スヘキ家ニ入リタルモ須臾ニシテ正当ノ原因ナキニ退去セント欲スルトキハ縦令其既ニ受取リタル給料ヲ返還スルノ資力アラサルトキト雖モ猶ホ其雇主ハ之ヲ拘留スルコト能ハス蓋シ一私人ノ家ハ決シテ監獄ノ如ク人ヲ拘禁スルヲ得ル処ニアラス若シ雇主其僕婢ノ意思ニ反シ之ヲ拘禁シタルトキハ縦令雇用契約アリト雖モ亦猶ホ恣ママニ人ヲ監禁スルノ罪犯タルヲ免カレスシテ刑法ノ制裁ヲ受ケサル可カラス(刑法第三百二十二条)又債務者ノ身体ヲ拘束スルノ法禁ハ殊ニ不作為ノ義務ニ適用スルモノナリ蓋シ不作為ノ義務ヲ約シタル場合ニ於テハ特別ナル事情アルカ為メ実際拘束ノ実効ヲ奏スルコトヲ得ヘシト雖モ法律ハ之ヲ認許セス
例ヘハ俳優劇場座元ト雇用契約ヲ為シ其契約ノ期限間ハ他ノ劇場ニ出勤セザルヘキコトヲ約シタルトキハ縦令其俳優約ニ背キ他ノ劇場ニ出勤スルモ座元ハ其俳優ヲ他ノ舞場ヨリ捕ヘテ自己ノ劇場ニ引致スルコトヲ得サルモノナリ
本条ハ以上説明シタル所ノ原則ヲ定メ次テ債権者裁判所ノ力ヲ籍リテ任意履行ヲ得タルト同様ナル利益又ハ殆ト之ト同様ナル利益ヲ得ヘキ場合ヲ指示シタリ
第一ノ場合ハ実際其適用極メテ多キモノナリ即チ債務者、売買交換會社等ノ契約ニ基キ動産若クハ不動産有対物ヲ引渡スヘキ義務アルニ当リ其義務ヲ履行セサルトニハ債権者ハ裁判執行ノ任ヲ受ケタル執達吏ヲシテ其有対物ヲ差押ヘ之ヲ自己ニ引渡サシムルコトヲ得此規定タル啻ニ合意ノ目的タル物特定物ニシテ合意ニ因リ所有権直チニ移轉スヘキ場合ニ於ケルノミナラス(此場合ニ於テハ債権者ハ時宜ニ因リ回復訴権ヲ行ヒ占有ヲ求ムルヲ得)亦定量物ノ譲渡若クハ其諾約アリタル場合ニ通シテ適用スヘキモノナリ是ヲ以テ債務者約束シタル性質及ヒ分量アル物ヲ占有スルトキハ債権ハ之ヲ差押ヘ以テ其約束ノ分量ヲ自己ニ引渡サシムルコトヲ得夫レ斯ノ如ク此場合ニ於テ債権者強制執行ヲ為サシムルコトヲ得ルト是レ暴行ヲ用ヰス債務者ノ身体ヲ拘束セスシテ執行ヲ為スコトヲ得ルカ故ナリ但債務者自ラ暴行ヲ為シ以テ裁判ノ執行ヲ妨害スルトキハ法律上公力ヲ以テ之ヲ制止スヘシト雖モ是レ債務者自ラ犯罪ヲ行フモノニシテ犯罪ハ何レノ場合ニ於テモ公力ヲ以テ制止スルヲ得ルカ故ナリ
又右ノ規定ハ所有権其他用益権、賃借権若クハ質権ノ如キ範囲較々狭隘ナル物権ノ移轉ニ関シ物ノ引渡ヲ為スヘキ場合ニ適用スヘキノミナラス使用貸借ノ如キ人権アルニ過キサル場合ニ於テモ尚ホ諾約者其約束シタル物ヲ引渡サスシテ貸借ノ約束履行セサルトキハ亦適用スヘキモノナリ
第二ノ場合ハ作為ノ義務ヲ約シタル場合ナリ此場合ニ於テ債務者悪意ニ因リ義務ヲ履行セサルトキハ差押ヲ為スニ由ナキカ故ニ之ヲシテ直接ノ履行ヲ為サシムコト能ハス故ニ其直接ノ履行ヲ得ルコト困難一層大ナリ然リト雖モ本条ハ一ノ履行方法ヲ設ケタリ此方法タル実際債権者ヲシテ其利益ヲ全フスルヲ得セシムルコト頗ル多キモノナリ即チ債権者ハ債務者ノ費用ヲ以第三者ニ履行ヲ為サシムルコト即チ是レナリ蓋シ農作又ハ工事ニ関スルトキハ債務者自ラ之ヲ行フモ第三者之ヲ行フモ債権者ノ為メ敢テ利害ヲ異ニスルコトアラサルモノナリ故ニ此場合ニ於テハ債権者ハ第三者ヲシテ之ヲ履行セシムヘキコトヲ求ムルヲ得然レトモ技術ノ應用、代理ノ執行又ハ談判ヲ為スヘキコトヲ約シタル場合於テハ債権者ハ債務者ノ技倆能幹ヲ考ヘ以テ要約ヲ為スモノナルカ故ニ第三者ヲシテ債務者ニ代リ其義務ノ目的タル所為ヲ行ハシムルモ同一ノ成効ヲ得ルコトヲ期ス可カラス是ヲ以テ斯ノ如キ場合ニ在テハ債権者第三者ヲシテ履行ヲ為サシムルモ亦不履行ノ為メ損害賠償ヲ求ムルモ一ニ其意ニ任セ之ヲ決スヘキナリ蓋シ本条ニ裁判所ハ第三者ニ之ヲ為サシムルコトヲ債権者ニ許スト云フト雖モ亦是レ第一項ニ依リ債権者之ヲ請求シタリシトキニ限ルヤ勿論ナリ
第三ノ場合ハ不作為ノ義務ヲ約シタル場合ニシテ此義務ノ不履行ハ即チ禁止シタル作為ヲ行フニ在リ故ニ法文ニ其義務ニ背キテ為シタルモ云々ト云ヘリ而シテ不作為ノ義務ヲ直接ニ履行セシムルハ人身ノ自由ヲ妨害スル所ノ壓制ヲ用ヰサル可カラス然ルニ人身ノ自由ヲ妨害スルハ前ニ叙ヘタル如ク法律ノ禁スル所ナルノミナラス概ネ法律上事実上與ニ為シ難キ所ナルヘシ何トナレハ債権者ハ終始其債務者ノ行為ヲ監督スルコト能ハサル可ケレハナリ
是ヲ以テ債権者ヲシテ成ルヘク義務ノ利益ヲ得セシムルノ方法ハ纔カニ義務ニ背キテ為シタルモノヲ毀壊セシムルニ在ルノミ而シテ其毀壊ハ亦一ノ事業ニシテ之カ為メ費用ヲ要スヘキニ因リ債務者之ヲ負担スヘキモノトス勿論義務ニ背キテ為シタルモノ外形上ノ行為ニシテ更ラニ毀壊スルコトヲ得ヘキトキ例ヘハ隣人ニ有害ナル工作、建築又ハ植付ノ如キモノナルトキニ非サレハ此規定ヲ適用スルコト能ハス加之其工作地役ニ背キ施シタルモノナルトキハ之ヲ毀壊スルハ不作為ノ義務ニ基クニ非スシテ地役ナル物権ニ基クモノナルカ故ニ此場合ニ在テモ亦本條ノ適用ナシ
只爰ニ少シク擬議ヲ生スへキ場合アリ即チ債務者著述家ニシテ特ニ新聞又ハ雑誌ニ執筆ヲ約シタルニ他ニ之ト競走セル紙上ニ其論説ヲ掲ケタル場合是レナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ其義務ニ背キテ掲ケタル文章ヲ毀壊セシムルヲ得ヘキカ曰ハク否ナ蓋シ文章ハ風俗ニ反シ又ハ公ケノ秩序ニ觸ルルトキニ非サレハ決シテ取消スコト能ハサルモノナリ然ルニ本例ノ場合ニ於テハ毫モ風俗ニ反シ公ケノ秩序ニ戻ル所ナシ是ヲ以テ義務ニ背キタル者ハ只損害賠償ノ責ヲ負担スヘキノミ
又本条ハ将来ノ為メ適当ノ處分ヲ為スコトヲ許シタリ詳カニ之ヲ言ヘハ債務者ノ再ヒ其義務ニ背クコトヲ防クノ處分ヲ為スコトヲ許シタリ然レトモ亦之カ為メ人身ノ自由ヲ妨害シ加之所有権ヲ障害スルニ至ルコトアル可カラス例ヘハ鍛工其隣人ノ疾病ニ罹ル間鍛冶ヲ為ササルコトヲ約シタルニ尚ホ其約ニ背キ鍛錬ヲ為シ其影響ノ為メ隣人ヲ妨害シタルトキノ如キハ裁判所ハ鍛工ノ約ニ背キ鍛冶業ニ縦事スル日毎ト又ハ時毎トニ相当ノ償金ヲ拂フヘキコトヲ之ニ命スルヲ得ヘシト雖モ決シテ之ヲシテ其工場ニ出入スルコトヲ禁スルコトヲ得ス又其礦鉄又ハ器械ヲ差押フルコトヲ許ス可カラス
第五項ハ前項ニ許シタル履行ノ外併セテ損害賠償ヲ求ムルヲ得ヘキコトヲ定ムルモノナリ是レ蓋シ前項縦ヒ直接ノ履行ヲ為サシムルモ未タ之ヲ以テ充分其義務ヲ尽スニ足ラサルコトアリ加之縦令其約束シタル所ヲ充分ニ尽サシムルヲ得ルモ尚ホ必ス其履行ハ約束ノ時期以後ニ在ルヘク而シテ遲延ハ概ネ損害ヲ生スルモノナルカ故ナリ実ニ第三者ヲシテ作為ノ義務ヲ尽サシムルモ債権者ハ債務者自ラ履行シタルトキト同一ノ利益ヲ得サルコトアルヘク又不作為ノ義務ニ背キ為シタルモノヲ毀壊セシムルモ其毀壊ヲ以テ充分損害ヲヲ賠償スルヲ得ルハ甚タ稀ナルヘシ然リト雖モ亦義務ニ背キテ為シタルモノノ毀壊ハ未タ必スシモ損害ヲ賠償スルニ足ラスシテ必ス之ト併セテ賠償ヲ求ムルヲ得ヘシト謂フ可カラス是レ法文ニ「損害アリタルトキハ」ト云ヘル所以ナリ
凡ソ法律ニ債権者ヲシテ直接履行ノ訴権ヲ有セシメ且之ニ附隨シ又ハ之ト併セテ損害賠償ヲ求ムルノ訴権ヲ有セシムルモ若シ債務者ニ対シテ言渡ノ執行ヲ確保スルノ方法ヲ定メサルトキハ未タ以テ充分債権者ノ權利ヲ担保シタルモノト謂フ可カラス是ヲ以テ最後ノ制裁トシテ債務者ノ財産ノ差押及ヒ其競賣ヲ為スヲ許シ債権者ヲシテ其代價ノ分配ヲ受ケ以テ多少其利益ヲ全フスルヲ得セシメサル可カラス然レトモ此強制執行ノ方法ハ訴訟ノ補充且落着ノ手続ナルヲ以テ民事訴訟法ニ属スヘキカ故ニ末項ハ之ヲ同法ニ譲リタリ
第二節 損害賠償ノ訴権
第三百八十三條
本条ハ債権者ノ第二ノ訴権即チ損害賠償ヲ求ムルコトヲ目的トスル訴権ヲ行フヘキ場合ヲ指定スルモノナリ其場合タル前節ニ直接履行ノ訴権ヲ説明スルニ当リ之ヲ概説シタリ以下之ヲ詳説セン
第一、債務者明示又ハ黙示ニテ義務ノ履行ヲ拒絶シ或ハ債権者ノ明白ナル請求アリタルニ拘ハラス緘黙シテ之ニ應セス或ハ義務ノ履行若クハ既ニ消滅シタルコトヲ申立テタルトキハ即チ債権者ハ損害賠償ノ訴権ヲ行フコトヲ得固ヨリ此場合ニ於テモ猶ホ直接ノ履行ヲ命スルヲ得ヘシ即チ裁判所ハ債務者ノ抗弁即チ防禦ノ方法ヲ却下シテ前条ニ制定シタル處分ヲ命シ只損害賠償ノ附隨ノ言渡シヲ為シ其賠償ニ付テハ後日判決ヲ為スヘキ旨ヲ言渡スコトヲ得ヘシ
第二、義務履行ノ不能ノ場合ニ於テモ亦其不能ヲ債務者ノ責ニ帰スヘキトキ詳カニ之ヲ言ヘハ債務者軽忽ニシテ其力ノ及ハサル所ヲ諾約シ又ハ其財務ヲ處理スルノ当ヲ得スシテ其義務ヲ履行スル能ハサルニ至リタルトキハ亦債権者之ニ損害賠償ヲ求ムルコトヲ得然レトモ意外ノ事若クハ不可抗力ニ因リ履行ノ不能ト為リタルトキ例ヘハ負担シタル物災害ニ因リ滅失シ又ハ不融通物ト為リタルトキハ債権者損害賠償ヲ求ムルコト能ハス勿論債務者ハ意外ノ事又ハ不可抗力ノ証拠ヲ擧ケサル可カラス而シテ意外ノ事又ハ不可抗力ニ因ル履行ノ不能ハ義務消失ノ一原因タルヲ以テ第三章ニ至リ詳細ニ之ヲ規定スヘシ(本編第五百三十九条以下ヲ参観スヘシ)
債務者單ニ履行ノ遲延スルニ止マリタルトキハ債権者ハ之ニ対シテ直接履行ノ訴権ト損害賠償ノ訴権トヲ併セ行フコトヲ得蓋シ債権者ハ直接ノ履行ヲ求メ債務者ヲシテ其負担スル所ヲ現ニ行ハシムルヲ得ヘシト雖モ亦遲延シテ履行スル者ハ充分ニ其義務ヲ尽シタルモノニ非サルヲ以テ債権者ハ損害ノ賠償ヲ求ムルコトヲ得ヘシ而シテ損害賠償ノ数額ニ至テハ金銭ヲ目的トスル義務ニ付テハ法律ヲ以テ之ヲ定メタリ是下第三百九十一条ノ規定スル所ニシテ其理由ハ同条ノ下ニ至リ是ヲ説明スヘシ又当事者ハ下第三百八十条ニ規定スル所ノ過怠約款ト称スル特別ノ要約ヲ以テ豫メ損害賠償ノ数額ヲ定ムルコトヲ得
然レトモ法律又ハ合意ヲ以テ損害賠償ノ数額ヲ定メサリシトキハ裁判所ニ於テ事実ノ情況ヲ審按シ債権者提出シタル証拠ヲ査定シ債務者ヲシテ之ニ抗弁セシメタル後其賠償ノ数額ヲ判定スヘシ
第三百八十四條
凡ソ人ノ義務ヲ負担スルモ知ラス識ラス時日ヲ経過セシムルコト人情ノ自ラ然ラシムル所ナリ故ニ法律ハ人情ヲ酌量シ履行ノ為メ定メタル期限ノ到来ノミヲ以テ未タ債務者ヲ遲滞ニ付シ之ヲシテ不履行ノ責ニ任セシムルニ足ラサルヲ原則ト為シタリ是レ前ニ第三百三十六条ヲ説明スルニ当リ述ヘタル所ナリ
是ヲ以テ第三百三十六条ニ特ニ債務者遲滞ニ付セラルルノ場合ヲ定メタリ本条ハ更ニ債務者遲滞ニ付セラルル他ノ場合ヲ定ムルモノナリ蓋シ義務ノ目的不作為ニシテ元来適法ナル行為ヲ為ササルニアル場合ニ於テハ債権者ヲシテ特ニ附遲滞ノ手続ヲ為サシムルトキハ穏当ニ非サルヤ明カナリ若シ之ヲシテ其権利ヲ保護スルカ為メ債務者ニ其或ル事ヲ為ササルへキノ約束ニ背キ之ヲ為ス可カラサル旨ヲ告知セシムヘシト定ムルトキハ債権者ハ毎日其催告ヲ為スコトヲ要スルノミナラス時々刻々之ヲ復ヒセサル可カラサルニ至ルヘシ是レ底当望ム可カラサル所ナルヲ以テ不作為ノ義務ニ於テハ債務者ハ常ニ遲滞ニ在リ其約束ニ背キ事ヲ為シタルヲ以テ直チニ其責ニ任スへキモノト認メタリ且夫レ不作為ノ義務ノ場合ニ於テハ作為ノ義務ヲ約シ約束ノ時ニ至リ或ル事ヲ為スヘキ場合ニ於ケルト異ナリ債務者知ラス識ラス時日ヲ経過セシメ測ラスシテ過失ノ責ヲ負フカ如キコト決シテ之レ有ラサルヘシ蓋シ不作為ノ義務ニ付テハ債務者ノ過失ハ其約シタル所ヲ怠リタルニ非スシテ故ラニ之ニ禁シタル所ノ事ヲ為スニ在リ然ルニ行為ノ成就スルハ其如何ニ容易ニシテ且迅速ナルヘキアルモ決シテ債務者ノ意ニ出テサルコトアラサルヘシ故ニ其行為ヲ成就スルヤ直チニ債務者ヲシテ其責ニ任セシムルニ足ルモノナリ
又此他ニ本条ハ債権者ノ行為アルヲ俟タスシテ債務者当然遲滞ニ附セラルル一ノ場合ヲ指定シタリ即債務者他人ニ属スル物ヲ盗取シ又ハ受寄財物ヲ費消シ又ハ詐欺取財ヲ為シ之レカ為メ物ヲ返還スルノ義務アル場合是レナリ此場合於テハ債務者ハ合意ニ因リ債務者タルトキト異ナリ債権者多少其義務ノ履行ヲ猶豫スヘキコトヲ恃ム可カラス之ヲシテ其返還セサルノ過失アルコトヲ知ラシムルニハ特ニ之ニ催告ヲ為スヲ必要トスヘカラス且犯罪ニ因リテ債務者タルハ契約ニ因リ債務者タル者ト同様ナル保護ヲ受クニ足ラス而シテ債権者ハ却テ一層保護ヲ加ヘルヲ要スルモノナリ何トナレハ債権者ハ自己ニ損害ヲ加ヘタル犯罪ノ成立ヲ知ラス或ハ其犯人ヲ知ラスシテ犯人ヲ遲滞ニ附スルノ手続ヲ為ス能ハサルコトアル可ケレハナリ
然リト雖モ以上説明スル如ク債務者ノ当然遲滞ニ附セラルルハ義務ノ目的特定物タルトキニ限ルモノナリ故ニ定量物ヲ以テ義務ノ目的ト為ス場合就中金銭ヲ以テ義務ノ目的ト為ス場合ニ於テハ債務者決シテ当然遲滞ニ在ルモノニ非ス蓋シ金銭ヲ以テ義務ノ目的トシタル場合ニ於テ遲延利息ヲ生セシムルニ必要ナル附遲滞ハ裁判所ニ請求ヲ為スニ非サレハ行ハルルモノニアラサルナリ(本編第三百九十三条ヲ参観スヘシ)
然レトモ單ニ悪意ニテ他人ノ物ヲ占有シタル者ニ至テハ敢テ之ヲ犯罪人ト同一ニ遇スヘキモノニアラス蓋シ悪意ノ占有者ハ其占有スル所ノ物ノ眞ノ所有者ニ比スレハ法律ノ保護ヲ受クルコト較々少ナカルヘキモ亦其占有者カ物ノ占有ヲ得ルニ至リタルハ犯罪ニ因リタルニ非スシテ第三者ヨリ之ヲ買取リタルニ因ルコト無シトセス故ニ其過失ハ其占有スル所ノ物カ賣主ニ属セサルコトヲ知リナカラ之ヲ領受スルコトヲ承諾シタルニ在ルノミ之ニ反シ不動産ノ占有者暴行脅迫ヲ用ヰ眞ノ所有者ヲ逐斥シタルトキハ之ニ本条ヲ適用スルコトヲ得ヘシ而シテ其占有ノ時間ニ在テ不動産ノ滅失シタルトキハ縦令其原因意外ノ事タルトキト雖モ猶ホ眞ノ所有者之ヲ占有セシナラハ其滅失スヘカラサル場合ニ於テハ占有者賠償ノ責ヲ免カレサルヘシ又縦令該占有者ヲ抛却スルモ故ラニ悪意ヲ以テ其占有ヲ止メタルトキハ亦遲滞ニ在ルモノトス法律ノ格言テ此義ヲ謂フモノアリ曰ハク「詐欺ニ因リ占有ヲ絶止シタル者ハ尚ホ占有スルモノト看做サルヘシ」ト
第三百八十五條
損害賠償ハ債権者ノ受ケタル損失ノ償金ト其失ヒタル利得ノ填補トヲ包含スルモノナリ蓋シ債権者ハ其既得シタル財産ヲ失フモ又其財産ヲ取得セントスルニ方リ之ヲ取得スルヲ得サリシモ與ニ其損害ヲ被ルノ点ニ至テハ一ナリト謂フヘシ殊ニ債権者其利益ヲ得ヘキコトヲ豫期シタリシトキ之ヲ得サルニ於テハ之カ為メニ損害ヲ被リタルヤ明カナリ然レトモ其受ケタル損失ト其失フタル利得トノ間ニハ少シク差異ノ存スルモノアリ即チ利得ヲ得ル能ハサリシコトヲ証スルハ損失ヲ被リタルコトヲ証スルニ比スレハ一層困難ナルヘキナリ何トナレハ損失ヲ受ケタルハ有的ノ事実ナルモ利得ヲ失ヒタルハ無的ノ事実ニシテ而シテ無的ヲ証スルハ極メテ困難ナレハナリ是ヲ以テ債権者ハ債務者ヲ其財産ヲ減少シ債権者ノ権利ヲ詐害スル所ノ行為ヲ攻撃スルヲ得ヘキモ債務者利得ヲ享受サルコトヲ攻撃シ之ニ代ハリ自ラ之ヲ享受スヘキコトヲ主張スル能ハサルナリ
本条第一項ハ汎然損害賠償ハ損失ノ償金ト利得ノ填補トヲ包含スト云フト雖モ亦之ニ多少ノ制限ヲ加ヘサル可カラス蓋シ損害ハ延テ他ノ損害ヲ惹起スルモノニシテ一ノ損失アルトキハ往々之カ為メニ他ノ損失ヲ来シ一ノ利得ヲ失ヘハ遂ニ之カ為メ他ノ利得ヲ失フニ至ルコトアリ故ニ一個ノ損害ヲ惹起シタル原因ハ轉タ他ノ損害ヲ惹起スルニ至ルモノナリ然レトモ斯ノ如ク漸次ニ受ケタル損失又ハ失フタル利得ヲ擧ケテ尽ク之ヲ賠償セシムルトキハ遂ニ底止スル所アラサルニ至ルヘキヲ以テ法律ハ之ニ制限ヲ加ヘタリ但惡意ノ債務者ニ至テハ單ニ懈怠ノ責ニ歸スヘキ債務者ニ比シ一層之ヲ處スルコト嚴ナルノミ即チ債務者不注意ニ因リ其義務ヲ履行セサルトキハ合意ノ時ニ当リ当事者ノ豫見シ又ハ豫見スルヲ得ヘカリシ債務者ノ損失ト其利得ノ喪失トヲ賠償スルノ責アルノミ蓋シ当事者ノ豫見シ又ハ豫見スルヲ得ヘカリシ損害ノ賠償ヲ為スニ止マル損害賠償ノ事ニ関スル黙示ノ合意ト看做スへキモノナリ
然レトモ悪意ニテ義務ヲ履行セサル債務者ニ至テハ其責任一層重キモノトス
然リ而シテ爰ニ所謂悪意トハ何ノ謂ヘナルカ是レ先ツ論定スルヲ要スル所ナリ蓋シ本条ニ所謂悪意トハ第三百十二条ニ規定スル所ノ詐欺即チ結約者ヲシテ錯誤ニ陥ラシムルコトヲ目的トスル詐欺手段ヲ謂フニ非ラスシテ債務者義務ヲ履行スルヲ得ルモ尚ホ故意ヲ以テ之ヲ履行セサルヲ謂フモノナリ然レトモ亦債務者其義務ヲ履行セサルニ当リ故ラニ債権者ニ害ヲ加ヘントスルノ目的意思ヲ有シタルコトヲ必要トセス只債権者ニ害アルヘキコトヲ知リタルヲ以テ債務者ノ悪意アリトスルニ足ルモノナリ例ヘハ債務者約定ノ時期ニ至リ商品ヲ引渡シ又ハ工事ヲ為スヘキコトヲ約シタルニ他人ノ一層高價ヲ供ス者アルヲ奇貨トシテ其需ニ應シ之ニ其商品ヲ賣渡シ又ハ之カ為メ工事ヲ為シタルトキノ如キ即チ債務者ハ害心ヲ挟ミタルニ非ス只不正ニ利益ヲ占メントスルノ意アリタルニ過キスト雖モ亦義務ノ不履行ハ啻ニ過失ノ結果ノミニアラスシテ悪意ニ出テタルモノトス
債務者悪意ニテ義務ヲ履行セサルノ結果ハ之ヲシテ啻ニ其合意ノ時又ハ不履行ノ時ニ当リ其豫見スルヲ得ヘカリシ損害ノ責ニ任セシムルノミナラス亦其豫見スルヲ得ヘカラサリシ損害ノ責ニ任セシムルニ在リ例ヘハ債権者其合意ヲ恃ミ更ラニ自己ノ義務ヲ負担シタルニ債務者義務ヲ履行セサルカ為メ債権者亦其義務ヲ履行スル能ハサルニ至リタルトキハ債務者ハ債権者カ更ラニ其債権者ニ対シ拂フヘキ所ノ損害賠償ノ責ニ任セサル可カラス
然レトモ此場合ニ於ケルモ亦立法者ハ悪意ノ債務者ノ責任其当ヲ過クルコトアランヲ慮リ之ニ制限ヲ加ヘ殊ニ其惹起シタル損害ニ縁由シ轉タ発生シタル損害ノ賠償ヲ其負担トスルコトヲ禁シタリ外國法典ニ対照スルニ不履行ノ「直接ノ結果」ニ非サレハ債務者ノ賠償スヘキ限ニ在ラストセリ今一例ヲ設ケテ此制限ヲ弁明センニ債務者商品ヲ賣渡スヘキコトヲ約シ之ヲ引渡スヘキ義務アルニ当リ債権者ノ更ニ同商品ヲ引渡スヘキ取引ヲ為シタルコトヲ知ラス悪意ヲ以テ其義務ヲ履行セサリシニ因リ債権者ハ同様ノ商品ヲ買入レ以テ自己ノ取引ヲ履行セサルヲ得サルニ至リタリ而ルニ其商品ノ相塲騰貴シタルカ為メ債権者ハ其相場ニ従ヒ之ヲ買入レタルカ為メ損失ヲ受ケ又ハ利得ヲ失ヒタリ此損害タル原ト当事者ノ「豫見セサリシ」所ニシテ單ニ懈怠アルニ過キサル債務者ノ負担セサル所ナリト雖モ亦不履行ノ直接ノ結果タルカ故ニ悪意ノ債務者ハ之ヲ負担セサル可カラス之ニ反シ「間接ノ損害」ニ至テハ債権者決シテ其賠償ヲ求ムルコトヲ得ス例ヘハ債権者亦自ラ第三者ニ対スル自己ノ義務ヲ履行セサルニ因リ巨額ノ賠償ノ言渡ヲ受ケタルトキノ如キ悪意ノ債務者ニ対スルモ猶ホ是賠償ヲ求ムルコト能ハス何トナレハ債権者カ第三者ニ拂フヘキ損害賠償ハ決シテ自己ニ対スル債務者ノ義務不履行ノ直接ノ結果ニ在ラスシテ自己ノ第三者ニ対スル義務不履行ノ結果ナレハナリ又債権者ハ商品ノ相塲ノ騰貴シタルニ因リ其利得ヲ得ヘカリシコトヲ申立テ漸次之ニ因テ得ヘキ所ノ後日ノ利益ヲ賠償セシメンコトヲ求ムルヲ得ス
其レ斯ノ如ク債務者悪意ナル塲合ニ於テモ猶ホ其負担スヘキ損害賠償ヲ制限スルハ二個ノ理由ニ基クモノナリ第一不履行ノ直接ノ結果タラサリシ損害ハ未タ其不履行ノ必然ノ結果ナリト断言ス可カラス蓋シ債権者債務者ノ違約シタルヲ奇貨トシ其実之ニ原因セサル所ノ損失又ハ利得ノ喪失ヲ以テ不履行ノ結果ナリト称スルノ恐レナシトセス第二損害ノ直接ニ不履行ノ結果タラサリシトキハ債権者ハ其約束シタル所ノ自己ノ義務ヲ履行スルカ為メ他ニ資力ヲ求メ以テ其損害ヲ避クルヲ得ヘク又之ヲ避クルヲ得タルモノナリト推定セサル可カラス
悪意ノ債務者ノ責任ニ制限ヲ加ヘタルハ此二個ノ理由ニ基キタルモノナルカ故ニ本法ニ於テハ少シク文字ニ付キ注意スル所アリ即チ損害カ不履行ノ「直接ノ結果」タルヤ否ヤヲ問ハス其「避ク可カラサル結果」タルヤ否ヤヲ問フヘキモノトシタリ
斯ノ如ク法文ニ用語ヲ異ニシタルハ啻ニ文字上ノ差異アルノミナラス亦法律ノ適用上ニ差異ヲ生スルモノナリ蓋シ一個ノ損失又ハ利得ノ喪失ヲ以テ果シテ義務不履行ノ直接ノ結果タルヤ否ヤヲ審按スルハ事実問題ニアラスシテ法律問題ナリ故ニ裁判所ノ実際之ヲ断定スルニ苦ミタルコトハ既ニ外国ニ於テモ実験シタル所ナリ之ニ反シ債権者意ヲ用ヰタリシナラハ義務不履行ノ結果ヲ避クルヲ得タリシヤ否ヤヲ断定スルハ單ニ事実問題ニ過キサルヲ以テ之ヲ決スル一層容易ナルヘシ
又法文ノ用語ヲ改メタルニ因リ生スル所ノ他ノ一ノ重要ナル結果アリ即チ裁判所ハ一ノ損失又ハ利得ノ喪失ヲ以テ不履行ノ直接ノ結果トスヘキヤ将タ間接ノ結果トスヘキヤヲ考察スルヲ要セス唯債権者其結果ヲ避クルヲ得タリシヤ否ヤヲ考察スルヲ以テ足レリトスルコト是レナリ
且債権者ノ善意即チ單ニ懈怠アルニ過キサル場合ニ於テ損害賠償ノ数額ヲ定ムルニ当リテハ本法ノ法文陳套ヲ脱シタルニ因リ適用上重大ナル好結果ノ生スルヲ見ルヘシ蓋シ損害ヲ間接ト直接トニ分ツトキハ善意ノ債務者ノ位置却テ悪意ノ債務者ノ位置ニ比シ一層不利ナルヘキカ如キ塲合アルニ至ルヘシ即チ損失又ハ利得ノ喪失ニシテ豫見シ又ハ豫見スルヲ得ヘカリシモノアルトキハ縦令不履行ノ間接ノ結果タルトキト雖モ猶ホ善意ノ債務者豫メ其責任ヲ受諾シタルモノトシテ之ヨリ生スル損害ヲ賠償スルノ責ヲ免レサルヘシ然ルニ悪意ノ債務者ニシテ之ヲ豫見セサリシトキハ其損害賠償ヲ負担スルコトナカルヘシ斯ノ如キ結果ハ法理上認ムヘキモノニ非サルヤ明カナレトモ損害ヲ直接ト間接トニ分ツトキハ遂ニ斯ノ如キ結果ヲ生スルニ至ルヘシ然ルニ本法ノ如ク損害ヲ分テ避クルヲ得ヘキモノト避クルヲ得可カラサルモノトスルトキハ善意ノ債務者ハ避ク可カラサル損害ニシテ且其豫見シタルモノヲ賠償スルノ責アルニ過キス何トナレハ避クヘキ損害ニ係ルトキハ債務者之ヲ豫見シタルモ亦債権者之ヲ避クルカ為メ意ヲ用ヒ力ヲ尽スヘキコトヲ希望スルヲ得ヘケレハナリ
第三百八十六条
本条第一項ニ掲クル所ノ原則ハ裁判所ニ於テ損害賠償ヲ命スルニ当リ價額ヲ見積ルコトノ難キ現物ヲ以テ之ヲ拂フヘキコトヲ命スルヲ禁シ実際債権者ノ受ケタル損害ヲ賠償スルニ足ラス或ハ之ニ超過スル物ヲ以テ其賠償ヲ為サシムルコトヲ禁止スルヲ目的トスルモノナリ
是ヲ以テ債務者特定物ヲ供與スルノ義務ヲ尽ササルニ当リ裁判所ハ同等ノ物ヲ以テ其賠償ト為スヘキコトヲ命スルヲ得ス蓋シ一個ノ特定物ニ換ユルニ他ノ特定物ヲ以テスルモ到底其秋毫モ異ナル所ナキコト能ハス又其價額ノ差異ニ付キ必ス争訟ヲ起シ遂ニ此点ニ付キ更ニ訴訟ヲ醸成スルコトアルヘク且一物ニ換ユルニ他物ヲ以テスルハ実際頗ル困難ナルコトアリテ之カ為メ債務者ノ受クル所ノ損害債権者ノ損害ニ甚シク超過スルコトナシトセス然ルニ損害賠償ハ金銭ヲ以テ之ヲ為シ裁判所ニテ前条ノ区別ニ従ヒ其数額ヲ定ムヘキモノト為ストキハ当事者双方ノ利益ヲ全フシ訴訟ノ濫起ヲ防クコトヲ得ヘシ是レ本条第一項ヲ設ケタル所以ナリ
損害ノ性質豫見シ又ハ豫見スルヲ得ヘカリシモノナルヤ否ヤ又其不履行ヨリ生スル結果ニシテ避ク可カラサルモノナルヤ否ヤ又其損害ノ多寡如何及ヒ賠償スヘキ物ノ價額如何ニ付テハ裁判所ハ常ニ鑑定人ヲシテ之ヲ鑑定セシムルコトヲ得
然レトモ債権者損害賠償ヲ求ムルニ主タル請求ヲ以テセス債務者ヲシテ直接履行ヲ為サシメンコトヲ求メ又ハ第三者ヲシテ債務者ノ費用ニテ直接ノ履行ヲ為サシメンコトヲ求ムル所ノ訴権又ハ不履行ノ為メ契約ノ觧除ヲ求ムル所ノ訴権ニ附隨シ又ハ之ト合併シテ損害賠償ヲ請求ヲ為シタルトキハ以上説明シタル所ノ規則ヲ純然適用セス少シク其趣旨ヲ異ニシ裁判所ハ直チニ損害賠償ノ計算ヲ為スヲ要セサルモノトス若シ此塲合ニ於テ即時賠償額ノ計算ヲ為サントスルトキハ之カ為メ主タル請求ノ判決ヲ遲延シ債権者ニ損害ヲ加フルコトアルヘキナリ是ヲ以テ本条ハ即時ノ計算ヲ命セス裁判所ノ依循スヘキ手続ヲ示シ損害賠償ノ数額ヲ定ムルニ必要ナル證據資料ヲ有セサルトキハ只債務者損害賠償ヲ拂フヘキノ言渡ヲ為シ而シテ其計算ハ後日債権者ヨリ必要ナル疎明ヲ為スヲ俟チ債務者ヲシテ之ヲ攻撃セシメタル後ニ至リ之ヲ為スヘキモノトス
又第三項ニ一ノ賠償額ヲ定ムルノ方法ヲ設ケタリ此方法タル裁判所ニ於テ之ヲ用ヰテ利益アルコト少ナカラサルヘシ即チ債務者ノ意思充分履行ヲ為スニ在ラサルトキハ之ヲシテ義務ノ履行ヲ為サシムルコト能ハス且直接ノ拘束法ヲ用ヒ直接履行ヲ為サシムルノ手段アラサル塲合ニ於テハ裁判所ハ債務者ニ其義務ノ履行ヲ命シ且之ヲシテ其履行ヲ遲延スル日毎又ハ月毎ニ若干ノ賠償ヲ拂ハシムヘキ条件附ノ言渡ヲ為シ以テ法律上間接ノ拘束法ヲ用ユルコトヲ得ルモノトス
然リ而シテ債務者履行ヲ遲延シタリト認定セラルル期限ハ裁判所ヨリ右ノ言渡ヲ為スト同時ニ之ヲ指定シ債務者其時以後ニ至ルモ尚ホ履行ヲ為ササルトキ始メテ償金ヲ拂フノ義務ヲ負フヘキノミ何トナレハ義務ノ履行ハ縦令任意ニ出テ之ヲ為ストキニ於テモ猶ホ相当ノ猶豫ヲ要スルコトアレハナリ然レトモ債務者ヲシテ履行遲延ノ為メ日毎又ハ月毎ニ償金ヲ拂ハシムルニ際限ナク其底止スル所ナクシテ遂ニ其償金ノ額ヲシテ実際ノ損害賠償ノ最多額ニ超過セシムルニ至ル可カラス是ヲ以テ裁判所ハ極度ノ期間ヲ定メ其期間ヲ超過スルトキハ結局ノ損害賠償ヲ定メサル可カラス此塲合ニ於テハ裁判所ハ未タ前判決ヲ以テ判定セサリシ損害賠償トシテ若干ノ補足償金ヲ拂フヘキコトヲ言渡スコトヲ得ヘシト雖モ既ニ遲延ノ為メニ定メタル償金減少スルコト能ハス若シ之ヲ減少スルトキハ既判力ニ戻ルモノト謂ハサル可カラス蓋シ遲延ノ為メニ豫メ定メタル償金ハ單ニ債務者ヲ威迫シ之ヲシテ義務ヲ履行セシムルノ目的ノミニ出ツルモノニ非ス実際之ヲ拂ハシメ以テ其言渡ニ実効ヲ附セサル可カラス
末段ノ規定ハ債務者ヲシテ一ノ権利ヲ有セシムルモノニシテ一目スレハ亦既判力ニ戻ルニ似タルカ故ニ之ヲ怪ム者アラン然レトモ之ヲ熟思スルトキハ其然ラサルヲ知ルヲ得ヘシ抑々遲延ヲ豫見シ之ヨリ生スヘキ損害ノ賠償ノ為メニ言渡シタル償金ハ全ク条件附ノモノナリ故ニ債務者義務ヲ履行シ以テ其償金ノ言渡ノ実効ヲ生セシメサルコトヲ得又其言渡アリタル時ニ当リ若クハ裁判所ニテ定メタル履行期限ニ至ラサルニ当リ其断然履行ヲ拒絶スルコトヲ申立テ以テ其言渡ヲ無効トスルヲ得ヘシ此塲合ニ在テハ其言渡ハ到底義務履行ノ結果ヲ生セシムルコト能ハサルカ故ニ之ヲ維持スルノ必要アラサルナリ
且夫レ義務ノ履行一ニ債務者ノ意思ニ関スル塲合ニ於テハ其意思ハ必ス自由ナラサル可カラスシテ之ヲ拘束スルヲ得ス唯不履行ノ塲合ニ於テハ民事上ノ制裁アルニ止マルヘキコトハ嘗テ説明シタル所ナリ是ヲ以テ債務者明カニ其義務ノ履行ヲ拒絶スルコトヲ申立テ即時損害賠償ノ計算アランコトヲ請求スルトキハ其請求ヲ容レサル可カラス但此塲合ニ於テハ債務者ハ既ニ其経過シタル遲延時間ノ為メ償金ヲ拂ヒ併セテ結局ノ賠償ヲ拂ハサル可カラス加之其義務履行ヲ明カニ拒絶スルトキハ啻ニ懈怠アルノミナラス亦悪意アルモノト認ムヘキカ故ニ其損害ノ責任一層重カルヘシ
第三百八十七條
債務者義務ヲ履行セス又ハ其履行ヲ遲延スルモ亦債権者自ラ多少ノ非理アリテ債権者ノ不履行又ハ其遲延ニ影響ヲ及ホシタルコト実際稀ナリトセス例ヘハ債権者不当ニ債務者ノ履行方法ヲ受諾セス又ハ債務者ヨリ物ノ引渡ヲ為サントスルニ当リ恣マニ其物約束シタル所ノ物ト適合セスト称シ不当ノ言ヲ構ヘ其引渡ヲ受クルコトヲ拒絶シタルトキノ如キ即チ是レナリ斯ノ如キ場合ニ於テハ債務者義ヲ履行セス又ハ其履行ヲ遲延スルモ之ニ対シ其損害賠償ノ言渡ヲ為スニ付キ其責任ヲ軽減スルノ至当ナルコトハ敢テ論明ヲ俟タサル所ナリ
又犯罪若クハ准犯罪アルニ因リ損害賠償ヲ定ムヘキ場合ニ於テハ相互ノ非理ヲ斟酌スヘキコト実際一層多カルヘシ例ヘハ人アリテ他人ノ疎虞懈怠ニ因リ負傷シタルトキノ如キハ被害者自ラ危害ニ近接シ多少不注意アリシコト実際尠少ナラサルヘシ
然リ而シテ何レノ場合ニ於ケルモ義務ノ不履行ニ関スルト不正ニ加ヘタル損害ニ関スルトヲ問ハス相互ノ非理ハ往々債務者ニ悪意ナキヲ証スルノ資料ト為ルコトアリ
第三百八十八條及第三百八十九條
当事者豫メ損害賠償ヲ定ムルハ実際頗ル利益アル所ナリ蓋シ債権者ニ在テハ之カ為メ啻ニ其受クル所ノ損害ノ高ノミナラス亦其損害ノ有無ヲ証明スルノ責ヲ免ルヘク又債務者ニ在テハ裁判所ニ於テ過当ニ損害ヲ見積ルノ憂ヲ免カルルヲ得ヘシ斯ノ如ク当事者豫メ損害賠償ヲ定ムルノ約ヲ称シテ過怠約款ト云フ
然リト雖モ過怠約款ハ損害ノ起リタル後当事者間ニ和解契約ヲ結ヒタル場合ニ比スレハ其効力較々小ナルモノナリ蓋シ和觧ハ全ク訴訟ヲ防止スルヲ得ルニ過怠約款ハ未タ必スシモ之ヲ豫防スルヲ得ルモノニアラスシテ当事者注意綿密ニ一切ノ諸点ヲ明瞭ニ規定セサリシトキハ必ス多少裁判所ノ判定ヲ求ムルヲ要スルコトアルヘシ
例ヘハ過怠約款カ不履行ノ場合ヲ慮カリ約シタルモノナルカ将タ單ニ遲延ノ為メ約シタルモノナルカノ点ノ如キハ冝ク事情ニ從ヒ就中其約款ヲ以テ要約シタル金額ノ多寡ニ應シ決定スヘキ問題ナリ即チ其金額主タル義務ニ比シ少キトキハ單ニ遲延ノ為メニノミ約款ヲ設ケタルモノト認定スヘシ故ニ此場合ニ於テハ債権者ハ義務ノ履行ト併セテ過怠金トヲ請求スルコトヲ得ヘシ
又不履行若クハ遅延ヲ債務者ノ責ニ帰スヘキカ将タ其不履行若クハ遲延意外ノ事若クハ不可抗力ニ出テタルモノナルカ或ハ多少債権者ノ懈怠ニ胚胎シタルモノナルカノ点ニ付テモ亦訴訟ノ起ルコトアルヘシ蓋シ過怠約款ハ損害賠償ニ代ユルモノナルヲ以テ損害賠償ヲ負担スヘキトキト同一ノ場合ニ在リ且同一ノ條件ニ従フニ非サレハ之ヲ履行スヘキモノニ非ス是レ亦債務者ノ遲滞ニ附セラレタル後不履行又ハ遲延アリタルトキニ非サレハ過怠約款ヲ履行ス可カラサル所以ナリ
然レトモ不履行若クハ遲延カ債務者ノ悪意ニ出テタルカ将タ單ニ其懈怠ニ出テタルカノ点ニ至テハ敢テ之ヲ区別スルヲ要セス故ニ債権者ノ受ケタル損害果シテ不履行若クハ遲延ノ避ク可カラサル結果タルヤ否ヤヲ区別スルヲ要セサルナリ蓋シ過怠約款ハ損害賠償ヲ負担スヘキ場合ヲ変更スルモノニ非スシテ偏ヘニ其数額ニ関スル紛議ヲ豫防スルコトヲ目的トスルモノナレハナリ
然リト雖モ亦第三百八十九条ニ於テ損害賠償ノ數額ニ関スルモ猶ホ裁判所専ラ之ヲ断定スルノ権ヲ有スル場合アルコトヲ定メタリ蓋シ裁判所ハ過怠約款ノ數額ヲ増減スルコトヲ得サルヲ以テ通則トスルモ是レ当事者自ラ其利益ヲ規定シタルカ故ナリ然レトモ亦過怠約款ヲ設ケタル後ニ生シタル事情ニ因リ其數額ヲ減少シ之ヲ相当ノ限度ニ減縮スルヲ必要トスル二個ノ場合ニ於テハ例外トシテ之ヲ減少スルコトヲ得其二個ノ場合ハ法文ニ指示シタル所ニシテ別ニ説明ヲ要セサルナリ
此場合ニ於テ裁判所カ過怠約款ノ数額ヲ減少スルハ決シテ法律上裁判所ニ命シタル義務ニ非スシテ之ニ許與シタル所ノ権能ナリ故ニ二個ノ場合中其何レニ在テモ裁判所ハ充分ノ査定権ヲ有スルモノナリ蓋シ一分ノ履行ハ不可分義務ノ下ニ於テ説明スヘキカ如ク債権者ヲシテ毫モ実益ヲ得セシメサルコトアルヘキカ故ニ一分ノ履行アリタルトキト雖モ未タ必スシモ過怠約款ノ減少ヲ為スニ止マルヘシト謂フ可カラス又意外ノ事若クハ不可抗力或ハ債権者ノ懈怠アリタル場合ト雖モ猶ホ債務者ノ過失不履行若クハ遲延ニ影響ヲ及ホスコト一層大ニシテ之ヲ以テ其原因ト認ムヘキコトアリ此場合ニ於テハ未タ必スシモ過怠約款ノ減少ヲ為スヲ要セサルナリ
又過怠約款自体ニ付キ換言スレハ其効力ノ有無ニ付キ訴訟ノ起ルコトアルヘシ即チ当事者ノ一方ハ錯誤、強暴若クハ詐欺ニ因リ其眞意ニ出テスシテ承諾ヲ為シタリト称シ債権者ハ其錯誤強暴等ノ極メテ些少ナルヲ唱ヘ債務者ハ之ニ反シ其極メテ重大ナルヲ唱ヘフルコトアルヘシ此場合ニ於テハ縦令過怠約款アルモ未タ必ス訴訟ノ起ルコトヲ防ク能ハスト雖モ斯ノ如キ争訟ハ如何ナル合意ニ関スルモ亦必ス起ラサルヲ期ス可カラサルモノナルカ故ニ特ニ法律ニ此事ヲ記載スルノ要アラサルナリ
然レトモ合意自体ノ目的若クハ原因ニ瑕疵アルカ為メ全ク無効ナル場合ニ於テ之ニ過怠約款ヲ附シタルトキハ一概ニ論断ス可カラサルモノアリ
凡ソ主タル合意ノ無効ハ過怠約款ヲ併セテ無効タラシムルモノナリ(本編第三百二條ヲ参観スヘシ)故ニ不融通物ヲ授與スルノ合意又ハ不法ノ作為ノ諾約アリタルトキハ過怠約款モ亦主タル合意ト與ニ無効タルヘシ之ニ反シ要約者ノ為メ金銭ニ見積ルヲ得ヘキ利益ナキニ因リ主タル要約ノ無効タルトキハ過怠約款ハ却テ要約者ヲシテ金銭ニ見積ルヲ得ヘキ利益ヲ得セシムルモノナルカ故ニ主タル要約ヲ有効タラシムルモノナリ(本編第三百二十二條第四項ヲ参観スヘシ)
過怠約款ノ目的金銭ノ利息制限ヲ超過スルニ在ルトキハ亦法律ニ違背スルモノニシテ無効タルヘキモノナリ蓋シ填補利息ノ割合ヲ合意ノ自由ニ委セサル以上ハ遲延利息ノ割合モ亦自由ニ合意ヲ以テ之ヲ定ムルコトヲ得セシムヘカラス故ニ債権者金銭ノ弁済遲延ノ過怠約款トシテ一定償金ヲ拂ハシムヘキコトヲ要約シ而シテ其償金遲延ノ時ニ比シ利息制限ノ割合ニ超過スルトキハ其制限内ニ之ヲ減少スヘシ或ハ此場合ニ於テハ過怠約款全ク無効ニシ裁判所ハ恰モ過怠約款ナキ時ノ如ク事情ニ従カヒ遲延利息ヲ定ムヘシト主張スル者アラン然レトモ其過怠約款ハ單ニ法律上ノ利息ノ割合ニ超過スル所ノミ無効タルニ止マルヘシト云フヲ至当ト認メタリ此事タル其論決如何ニ因リ結果ヲ異ニスルヲ以テ特ニ茲テ之ヲ断定ス蓋シ過怠約款ハ法律上ノ利息ノ割合ニ超過スル所ノミ無効タリトスルトキハ其約款ニ保証其他ノ担保アリタル場合ニ於テ其担保ノ効ヲ法律上ノ利息ノ割合ニ限リ維持スヘシト雖モ若シ其約款ヲ以テ全ク無効タリトスルトキハ之ニ付シタル担保亦全ク無効タヘシ
又過怠約款ノ効力ニ付キ実際最モ多ク異議ノ起ルヘキハ合意ニ関シ訴訟ヲ豫防スルノ趣旨ニ出テ過怠約款ヲ設ケタル場合ナリ此場合ニ於テ若シ其約款ノ目的当事者ノ一方ヲシテ契約ノ成立ノ時又ハ其履行ノ時ニ当リ被ルコトアルヘキ損害ヲ補正スルカ為メ裁判所ニ出訴スルノ権ヲ失ハシムルニ在ルトキハ其約款全ク無効ナリト認定スルヲ要ス
是ヲ以テ当事者ノ一方若シ後日錯誤、強暴、詐欺若クハ無能力ノ為メ合意ノ無効ヲ請求スルトキハ過怠金ヲ拂フヘシトノ約ノ如キハ有効ノモノニ非サルナリ蓋シ当事者豫メ裁判所ノ保護ヲ抛棄スルハ明カニ之ヲ約スルモ又過怠約款ヲ以テ暗ニ之ヲ約スルモ與ニ其為シ能ハサル所ナリ故ニ其当事者錯誤、強暴等ノ為メ合意無効ノ請求ヲ為シ勝訴スルモ之ニ対シ過怠約款ノ効力ヲ生ス可カラス之ニ反シ当事者敗訴シタルトキハ裁判所之ヲシテ損害賠償ヲ拂ハシムルヲ得ルカ故ニ其過怠約款ハ損害賠償ノ數額ヲ豫定シタルモノト看做シ其効力ヲ保全セシムルコトヲ得尚ホ此場合ニ於テハ債権者過怠約款ノ請求ニ附スルニ裁判費用償還ノ請求ヲ以テスルコトヲ得ヘシ
然レトモ過怠約款ノ目的第一審ノ判決ニ対スル控訴ヲ豫防スルニ在ルトキハ有効ノモノタルヘシ何トナレハ当事者ハ第一審ノ判決前タルト其以後タルトヲ問ハス何時ニテモ控訴ヲ為スノ権ヲ抛棄スルコトヲ得ルモノナレハナリ
第三百九十條
本條ニ掲クル所ノ規定ハ外國法典ニ於テ全ク之ヲ不問ニ附シタルモ極メテ重要ナルカ故ニ法律ニ之ヲ明記スルヲ要スルモノナリ
凡ソ双務合意ハ各当事者ノ為メ他ノ一方義務ヲ履行セサル場合ニ於テ黙示ノ觧除條件ヲ包含スルモノトス是レ嘗テ開示シタル所ニシテ後ニ至リ詳細ニ規定スル所ナリ故ニ履行ヲ受ケサル一方ハ其力ノ及フヘキ限リ義務ヲ履行セシメ且損害ヲ受ケタルトキハ併セテ補足ノ損害賠償ヲ求ムルヲ得ルト雖トモ亦此手段ヲ用ヒスシテ裁判所ニ訴ヘ契約ヲ觧除セシメ詳カニ之ヲ言ヘハ自己亦義務ヲ免レ又其既ニ契約ニ基キ給與シタル所ノモノアルトキハ之ヲ回復シ併セテ其受ケタル遲延並ニ正当ナル利得ノ喪失ノ為メ或ハ返還物不足ノ為メ損害賠償ヲ求ムルコトヲ得故ニ債権者二個ノ方法中孰レヲ行フモ其自由ニ委スルモノナリ
然リ而シテ当事者双方若クハ其一方ハ觧除ノ権利ヲ抛棄スルコトヲ得是レ双務契約ニ於ケル黙示ノ觧除ハ公ケノ秩序ニ基キ定メタル所ノモノニ非サレハナリ其理由ハ本編下第四百二十二條ニ至リ之ヲ説明スヘシ然レトモ当事者ノ一方不履行ノ場合ニ於ケル過怠約款ヲ要約スルモ未タ之カ為メ要約者ヲシテ觧除ヲ求ムルノ権利ヲ失ハシムルニ足ラサルナリ過怠約款アリタルカ為メ觧除ノ権利ナシトスルハ其約款ニ明カニ觧除ヲ抛棄スルノ約束ヲ附セサル可カラス但觧除ヲ請求スル者ハ觧除ト過怠約款トヲ併セテ請求スルヲ得サルコトハ恰モ不履行ノ為メ過怠約款ヲ要約シタル場合ニ於テ約束ノ時期ヲ過キ履行アラサルトキ直接ノ履行ヲ求メ併セテ過怠約款ノ履行ヲ請求スルヲ得サルト同一ナリ是ヲ以テ債権者觧除ヲ請求スルトキハ過怠約款ナキトキ觧除ヲ請求スル場合ニ於テ求ムルヲ得ヘキ損害賠償ニアラサレハ之ヲ請求スルヲ得スシテ過怠約款ハ全ク其効ヲ生セサルヘシ何トナレハ債権者觧除ヲ得ルトキハ復タ主タル義務ノ不履行ニ付キ苦情ヲ陳フルコト能ハス其不履行ハ自己ノ意思ニ出テタルモノナレハナリ是ヲ以テ上段ニ陳ヘタル理由ニ因リ補足ノ損害賠償ヲ求ムルトキハ其數額ハ裁判所ニ於テ之ヲ定ムヘシ
然レトモ本條第二項ニ仮定スルカ如ク單ニ遲延ノ為メ過怠約款ヲ約シタルトキハ直接履行ノ請求ト與ニ過怠約款ノ履行ヲ請求スルコトヲ得又之レ同シク觧除ノ請求ト與ニ過怠約款ノ履行ヲ請求スルコトヲ得
第三百九十一條、第三百九十二條及ヒ第三百九十三條
第三百九十一條以上ニ掲クル所ハ不履行ノ損害賠償ニ関シ金銭ヲ目的トスル債務ニ特別ナル規定ナリ然リ而シテ金銭ヲ目的トスル債務ノ不履行ハ畢竟單ニ遲延ニ帰着スルモノナリ蓋シ金銭ヲ目的トスル債務ノ弁済アラサル限ハ終始之ヲ請求スルヲ得ヘクシテ法律上又事実上毫モ其直接履行ヲ為サシムルノ妨碍ト為ルモノナク又其直接履行ニ代ヘテ請求スヘキモノナキカ故ニ債務者ノ過失ハ一ニ遲延ノミニ在リ抑々金銭外ノ物ヲ以テ目的トスル義務不履行ノ場合ニ於テハ債権者直接履行ニ代フルニ金銭ヲ以テスル間接ノ履行ヲ請求スルヲ得ト雖トモ原来金銭ヲ目的トスル義務ニ付テハ直接履行ヲ請求スルノ外債権者ノ用フヘキ手段ナキカ故ニ之ニ損害ヲ及ホスモノハ履行ノ遲延ノミナリ
金銭ヲ以テ目的トスル義務ニ関スル特別ノ規定タル未タ尽ク債務者ヲ保護スルノ趣意ノミニ出テタルモノニアラス其数三アリ而シテ各一條ノ主眼タル所ナリ
今其理由ヲ説明スルニ当リ先ツ其觧釋ヲ詳カニセン
第一、損害賠償即チ遲延利息ノ数額ハ第三百八十五条ニ定メタル制限ニ從フモ猶ホ裁判所ノ専断ヲ以テ定ムルコト得ス必ス金銭ノ債権者特別ノ合意ヲ為ササル場合ニ於テ法律上之ニ附與スル所ノ填補利息ノ割合ニ超過スルコト能ハス阺下スルコト能ハサルモノトス
此割合ヲ以テ定ムル所ノ利息ヲ称シテ法律上ノ利息ト云ヒ諸外國ノ法律中ニ之ヲ規定セサルモノナリ合意上ノ利息ヲ制限セサル法律ニ於於テモ猶ホ之ヲ定メタリ是レ正ニ債権者法律ノ保護ヲ受クヘキ場合ニ於テ此点ニ関スル合意ノ不備ヲ補充スル趣意ニ出テタルモノナリ是ヲ以テ之ヲ観レハ其割合必ス一定ニシテ且通常合意上ノ利息ニ比シ少キ所以ヲ會得スヘシ
又合意上ノ利息ノ制限アルトキト雖モ其割合ト法律上ノ利息ノ割合トハ之ヲ異ニスルコトアリ本法ニ於ケルカ如キ即チ合意上ノ利息ハ債務ノ数額ニ從ヒ年一割二分ニ至ルヲ得ルモ法律上ノ利息ハ僅カニ年六分ニ之ヲ制限シタリ
経済上及日立法上ノ点ヨリ観察ヲ下シ利息ヲシテ元本数額ニ準セシメス加之全ク之ヲ当事者ノ自由ニ委スルヲ以テ勝レリトスヘキヤ否ヤハ敢テ茲ニ論明スヘキモノニ非ス此問題ニ付テハ消費貸借契約ノ事ニ関シ説明スル所アルヘシ
其レ然リ裁判所ハ遲延利息ノ名義ヲ以テ法律上ノ利息ヲ附與スルヲ得ルニ過キスト雖モ亦未タ之カ為メニ遲延利息ハ即チ法律上ノ利息ナリト謂フ可カラス蓋シ法律上ノ利息ナルモノハ法律ノ効力ノミニ因リ関係人ノ請求ナキモ当然債務者ヲシテ負担セシムル所ノモノナリト雖モ遲延利息ニ至テハ第三百九十三条ニ於テ明カニ之ヲ請求スルヲ要スルモノト定メタルニ因リ之ヲ以テ法律上ノ利息ト謂フ可カラサルヤ明カナリ
又当事者自ラ過怠約款ヲ設ケテ遲延利息ヲ定メント欲スルモ亦此点ニ付テハ無限ノ自由ヲ有スルモノニ非ス法律ヲ以テ合意上ノ利息ノ制限ヲ設ケタルトキハ決シテ其制限シタル割合ニ超過スルコトヲ得ス然レトモ法律上ノ利息ノ割合ヨリ以下ナル割合ヲ以テ之ヲ定ムルハ其自由ニ任ス
是ヲ以テ現時過怠約款ヲ設クルニ当テハ合意上ノ利息ノ最上限ヲ超過セサル以上ハ法律上ノ利息ノ割合ヲ越ヘタル賠償ヲ定ムルコトヲ得ヘシ
第二、債権者ハ如何ナル場合ニ於ケルヲ問ハス法律ニ一定ノ割合ヲ設ケタル金銭ヲ以テ損害賠償トシ之ヲ受クルニ過キサルカ故ニ未タ必スシモ充分其受ケタル損害ノ賠償ヲ得ルコト能ハサルヘシ故ニ其毫モ損害ヲ受ケタルコトヲ証明セサルトキト雖モ亦之ヲシテ同一ノ金銭ヲ享受スルコトヲ得セシメ以テ其充分賠償ヲ得サルコトアルヘキ運賦ノ補償ト為ス是レ條理上自カラ然ルヘキ所ナリ故ニ此点ニ関スル法律ノ規定ハ過怠約款ノ如ク豫定ノ賠償ニシテ債権者為メニ損失ヲ被ルコトアルヘキモ亦却テ利益ヲ受クルコトアルヘキナリ
又此場合ニ於テ債務ノ弁済ナキハ單ニ債務者ノ過失ニ出テタルカ将タ其悪意ニ出テタルカヲ審按スヘキニ非サルカ故ニ損害ノ豫見シタリシモノナルト否トヲ區別スルヲ要セス又其弁済ノ遲延ヨリ生シタル直接ノ結果ニシテ到到避クルヲ得可カラサルモノナルヤ将タ間接ニシテ避ルヲ得ヘキ結果ニ過キサルヤ區別スルニ及ハサルナリ然レトモ亦債務者ハ悪意ニ出テ履行ヲ為ササルトキ其責任ノ一層重キヲ免カルルノ代償トシテ意外ノ事若クハ不可抗力アリタルコトヲ証明シ其責ヲ免ルコトヲ得ス
第三、債務者ヲシテ過失ノ責ニ任セシムル所ノ附遲滞ハ金銭以外ノ物ヲ以テ目的トスル義務ニ関スルトキハ種々ノ原因ニ出ツルヲ得債務者ヲ遲滞ニ附スルノ方法ニ数種アリト雖モ(上第三百三十六條及ヒ第三百八十四條ヲ参観スヘシ)金銭ヲ以テ目的トスル義務ニ関スルトキハ裁判所ニ請求ヲ為スニ非サレハ債務者ヲ遲滞ニ附スルヲ得ス加之法律ハ当初当事者間ニ合意ヲ為シ期限ノ到来ノミニ因リ債権者裁判所ニ請求ヲ為サス又催告オモ為サス債務者当然遲滞ニ附セラルヘキコトヲ要約スルヲ許サス
又本法ハ諸外國ニ於テ論議ヲ生シタル一ノ論点ヲ断定シタリ即チ遲延利息ヲ生セシムルカ為メニハ元本ヲ請求スルヲ要スルカ将タ其請求ヲ為シタル時ニ当リ又ハ其後ニ至リ遲延利息ノ請求ヲ為スヲ要スルカノ問題ヲ断定シタリ而シテ其論決ハ債権者ニ不利ニシテ債務者ニ最モ利アルモノヲ採ルヘキモノト認メタルニ因リ遲延利息ヲ生セシムル為メニハ其利息ノ請求ヲ裁判所ニ為スコトヲ要スト定メタリ
又法律ハ債務者特別ノ追認ヲ為ストキハ遲延利息ノ請求アリタルト同一ノ効力ヲ生スヘキモノトセリ蓋シ附遲滞ノ方法中時日ノ経過迅速ナルニ因リ債務者誤テ期限ヲ経過シ履行ヲ為ササルコトヲ豫防スルニ最モ力アルモノハ即チ債務者ノ特別ノ追認ナリ加之是レ合意ハ当事者間ニ法律ニ等シキ効力ヲ有スト云ヘル原則ノ適用ニ外ナラスト謂フヘシ
此点ニ付テモ亦法文ニ廣汎ナル語辞ヲ以テ例外ノ場合アルコトヲ示シ此場合ニ於テハ当然詳カニ之ヲ言ヘハ法律ノ効力ノミニ因リ債権者ノ命令ナク遲延利息ヲ生スヘキコト及ヒ債権者ノ命令ヲ要スルモ亦其裁判所ニ請求ヲ為スヲ要セス單ニ催告ヲ為スヲ以テ利息ヲ生セシムルニ足ルヘキコトヲ記載シ此場合ハ本条ノ規定ヲ適用スヘキ限ニ在ラサルモノトセリ以上説明スル所ハ即チ金銭ノ債務者ニ加ヘタル三個ノ恩典ニシテ以下之ヲ設ケタル理由ヲ説明セン蓋シ第一及ヒ第二ノ恩典ハ普通法ニ基クモノニシテ第三ノ恩典ハ特別ノ理由ニ出テタルモノナリ
第一、若シ債権者ヲシテ其受クヘキ金銭ノ弁済アラサルニ因リ自己ノ被フリタル損害如何ヲ問ハス之ヲ証スルヲ得セシムルトキハ債権者ハ証人ニ賄賂ヲ贈リ又ハ私交上ノ関係アルニ乘シ之ヲシテ債権者ハ其金銭ヲ以テ某々ノ使用ニ充テ而シテ之カ為メ巨額ノ利益ヲ収ムルコトヲ得ヘカリシ旨ヲ証明セシムルヲ得ヘシ又偶々利益ヲ生シタル金銭使用ノ途アリシトキハ債権者必ス此途ニ其金銭ヲ使用スルヲ得ヘカリシコトヲ申立ツヘシ然レトモ其実真ニ債権者金銭ノ弁済ヲ受ケシナラハ遂ニ不利ナル使用ノ途ニ供シ全ク之ヲ失フタルモ知ル可カラス且金銭ヲ使用スルノ方法ハ無究ニシテ其結果モ亦極メテ異ナルヘキカ故ニ裁判所ニ於テ如何ナル使用ニ供シ如何ナル結果ヲ生シタルカヲ断定スルコト極メテ困難ナルヘシ之ニ反シ其他ノ物ヲ授与スヘキ債務又ハ作為若クハ不作為ノ義務ニ関スルトキハ是等ノ困難アラサルヘク債権者ノ弁済ニ因リ金銭ヲ受取リシナラハ之ヲ使用スルニ如何ナル方法ヲ用ヰタルカヲ明カニスルコトヲ得ヘク其目的判然シテ不履行又ハ遲延ノ結果ヲ査定スルコト甚タ容易ナルヘシ
其レ然リ金銭ヲ以テ目的トスル義務不履行ノ塲合ニ於テハ裁判所ハ到底債権者ノ損害ノ性質及ヒ多寡ヲ確然断定スルコト能ハサルヘキカ故ニ立法者ハ債権者金銭ヲ得タリシナラハ相当ノ使用方法ヲ取リ僥倖ヲ期セスシテ確実ナル方法ニ供シ従テ其得ル所極メテ大ナラサルヘシト推定シタリ是レ法律ニ遲延利息ノ割合ハ法律上ノ利息ノ割合ニ超過スヘカラスト定メタル所以ナリ本法中債権者ヲシテ要約ナキモ填補利息ヲ得セシメ又請求ナキモ遲延利息ヲ得セシムル所ノ或ル塲合ニ於テ其利息ヲ相当ナル一定ノ割合ニ應セシメ其割合遂ニ法律上ノ利息ノ割合ト為ルニ至リタルハ即チ此理由ニ基クモノナリ
外國ノ法学者間説ヲ為ス者アリ曰ク金銭ノ要約者其弁済ヲ受クル時ニ至リ之ヲ使用スヘキ方法ヲ豫メ諾約者ニ告ケ而シテ約束ノ時期ニ至リ其金銭ヲ受取ラサルニ因リ債権者其豫見シタル所ノ巨大ノ損害ヲ被リタルトキハ裁判所ハ法律上ノ利息ニ超過スル損害賠償ヲ言渡スコトヲ得ヘキニ非スヤ例ヘハ債権者特定ノ期限ニ至リ受戻権能ヲ行フニ必要ナル金銭ヲ要約シ且豫メ債務者ヲシテ之ヲ知ラシメタルニ其期限ニ至リ債務者違約シテ債権者其金銭ヲ受取ルコト能ハサルニ因リ受戻ノ権利ヲ失フタル如キ塲合ニ於テハ即チ裁判所ハ損害賠償ノ數額ヲシテ法律上ノ利息ノ割合ニ超過セシムルヲ得ヘシト然レトモ此主義ヲ採ルトキハ大ニ弊害ナキコト能ハス遂ニ法律ノ正ニ豫防セントシタル所ノ訴訟ノ濫起ヲ招クニ至ルヘシ仮リニ外國法典ニ倣ラヒ特別ノ塲合ニ於テハ此説ニ従フヲ可ナリトスルモ亦其塲合ハ法律ニ之ヲ限定セサル可カラス然レトモ本法ハ偏ヘニ此主義ヲ採ラサリシ
第二、金銭ヲ目的トスル債務ノ不履行ニ関シ債務者ノ單純ノ過失ト其悪意トノ間ニ区別ヲ設ケサルハ決シテ立法者ノ専横ニ出テタルニ非ス是レ法律上債権者ノ得ヘキ賠償ヲ一定シ其利得ト損失トヲ一ニ運賦ニ委スルノ結果ニシテ亦畢竟損害ノ數額ヲ証明スルハ其原因ヲ証明スルト同シク困難頗ル多キカ故ナリ
又法律ニ於テ債務者ニ意外ノ事又ハ不可抗力ヲ証明シ其責ヲ免カルルヲ得セシメサルモ亦以テ法律ノ之ニ對スル嚴例ナリト謂フ可カラス殊ニ金銭ノ債務ニ付テハ最モ債務者ヲ保護スヘキカ故ニ此規定ハ之ニ對シテ厳例ヲ設クルノ趣意ニ出テタルモノニ非サルナリ蓋シ金銭ハ定量物ナルカ故ニ之ヲ目的トスル債務ハ性質上物ノ滅失又ハ之ヲ得ルノ不能ニ因リ消滅スヘキモノニ非ス此点ニ付テハ毫モ金銭ノ債務ト其他ノ定量物ヲ目的トスル債務トノ間ニ差違アルモノニ非サルナリ今仮リニ其間ニ一ノ差違ト看做スヘキモノヲ求メハ其差違ハ実際ノ結果上ニ存スルモノニシテ却テ金銭ノ債務者ニ不利ナルモノナリ蓋シ商品ノ債務ト金銭ノ債務ト並ヒ存シ而シテ二者共ニ債権者ノ住所ニ於テ弁済ヲ為スヘキ場合ニ於テ不可抗力即チ洪水戦乱疫病等ノ為メニ交通ノ遮断セラルルコトアラハ商品ノ債務者ハ遲延ノ為メ損害賠償ヲ免ルヘキモ金銭ノ債務者ハ必ス遲延利息ヲ拂ハサル可カラス何トナレハ該債務者ハ該弁済ヲ為スコト能ハサリシ時間其金銭ニ付キ利益ヲ収ムルコトヲ得ヘケレハナリ況ンヤ債務者破産又ハ盗難ニ遭フタルカ為メ不可抗力ニ因リ弁済ノ妨害アリタリト称スルコト能ハス是等ノ防禦方法ハ一ニ特定物ノ債務者ニノミ属スヘキモノナリ
第三、金銭ノ債務者ニ許与シタル第三ノ恩典ハ附遲滞ノ方法ニ関スルモノニシテ特別ノ理由ニ基クモノナリ蓋シ金銭以外ノ物ヲ目的トスル義務ニ関スル塲合ニ在テモ既ニ法律ハ債務者ヲシテ不履行若クハ遲延ノ責ニ任セシムルカ為メ債権者ノ催告ヲ受クルヲ要スト為シ以テ大ニ債務者ニ保護ヲ加ヘタリ然レトモ亦債務者ヲシテ債権者履行ヲ希望シ其需用アルコト明カナルヲ知ラシメタリト看做スカ為メニハ明カニ其催告アリタルノミヲ以テ足レリトシ未タ債権者ノ裁判所ニ出訴スルヲ俟テ債務者ヲ遲滞ニ附スルヲ要セサルナリ然ルニ債務者金銭ヲ負擔スルトキハ債権者ニ需要アルモ債務者往々実際債権者ノ感スル需要少シト思惟シ遂ニ其弁済ヲ遷延スルコトアリ或ハ現ニ債権者金銭ヲ有セサルモ之ニ実際ノ損害ナシト信シ或ハ債権者果シテ金銭ノ需要アラハ他ニ之ヲ得ルノ方法アルヘシト信シタルニ因リ債務者其義務ヲ盡ササルコトナシトセス蓋シ実際債権者金銭ヲ目的トスル要約ヲ為スニ当リ期限ヲ定ムルモ未タ必スシモ其金銭ノ特定使用方法アリテ之ヲ供センカ為メ期限ヲ定ムルモノニアラス然ルニ商品ヲ目的トスル要約若クハ作為ヲ目的トスル要約ヲ為シタルトキハ必ス其需要ノ切迫スルモノタルヤ明カナリ是ヲ以テ此塲合ニ於テハ債権者単ニ一片ノ催告ヲ以テ債務者ニ其義務履行ヲ望ムノ意思ヲ知ラシムルヲ得ヘシト雖トモ金銭ヲ目的トスル塲合ニ於テハ債権者ヲシテ其履行ヲ求ムルノ意思確然タルト其需用切迫セルトヲ知ラシムルカ為メ其請求ヲ一層厳重ニスルヲ要スルモノトス且此規定ニ付テハ他ニ一ノ理由トスヘキモノアリ即チ商品若クハ工事ノ債務者ハ概ネ其商品ヲ販賣又ハ工事ノ請負ヲ以テ其職業トスルニ因リ又ハ其他ノ事情ニ因リ其義務ヲ履行スルニ特ニ簡便ナル方法アルヲ以テ之ヲ諾約スルモノナリ之ニ反シ金銭ノ諾約ハ衆人ノ常ニ約束スル所ニシテ而シテ其履行甚タ困難ナルコト多キモノナリ例ヘハ商人若クハ工事受負人ノ既ニ其資産ニ困難ヲ感スルニ当リテモ尚ホ商品ヲ供給シ又ハ工事ヲ為スコトヲ得ヘシト雖モ其債務ヲ弁済スルカ為メ金銭ヲ得ルハ頗ル難キコトナシトセス是ヲ以テ商品若クハ工事ヲ諾約シタル塲合ニ於テハ単ニ之ニ催告ヲ為スヲ以テ之ヲ告戒スルニ足ルヘシト雖モ金銭ヲ諾約シタル塲合ニ於テハ裁判所ニ請求ヲ為シ之ヲ督責スルヲ必要トスルノ理由明カナリ
右二個ノ理由ハ亦以テ元本ヲ裁判所ニ請求スルモ利息ヲ生セシムルニ足ラス尚ホ特ニ其利息ニ付キ請求ヲ必要トスル所以ヲ説明スルニ足ルヘキナリ若シ利息ニ付キ請求アルヲ必要トセサルトキハ債務者ハ訴訟ノ継續間其債務ノ増加スルコトヲ知ラス加之民事ニ於テハ当事者自ラ進ンテ裁判官ニ必要ナル疎明ヲ為スニ非サレハ訴訟迅速ニ落着セサルカ故ニ債務者ハ知ラス識ラス數月分ノ利息ヲ負擔スルニ至ルコトアルヘシ是レ特ニ債務者ニ利息ノ請求ヲ為シ之ヲ知ラシムルヲ要スル所以ナリ
第三百九十四条
本条ニ定ムル所モ亦債務者ヲ保護スルノ趣旨ニ出テタルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ之ヲシテ知ラス識ラス時日ヲ経過セシメ遂ニ利息ノ益々増倍スルノ危害ヲ免レシメンカ為メ設ケタルモノナリ
凡ソ何レノ時何レノ國ニ在ルヲ問ハス立法者ハ常ニ鋭意以テ債務者利息ノ増加ノ為メニ零落スルノ憂ヲ防クノ方法ヲ攻究シタリ數多ノ法律ニ於テ利息ノ割合ニ制限ヲ設ケ自由ニ之ヲ定ムルコトヲ得セシメサルハ又此理由ニ出テタルモノニ外ナラス既ニ羅馬法ニ於テハ通常ノ利息ヲ月一分即年一割ニ定メ且利息ハ填補利息即チ貸与シタル金銭ノ収益ヲ賠償スルモノタルトキト雖モ亦既ニ支拂期限ニ至リ又ハ既ニ支拂ヒタル利息ノ金額元本ノ二倍ニ至リタルトキ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ利息ノ総額貸与金額ニ均シキ數額ニ達シタルトキハ尓後利息ヲ生ス可カラサルモノト定メタリ
加之往昔ニ在テハ欧州大半ノ法律宗教上ノ法規ヲ謬見シ且ツ経済上ノ理論ヲ誤觧シタルヨリ全ク利息付ノ貸与ヲ禁止シタリ故ニ填補利息ナルモノアラサリシ是ヲ以テ遲延利息ニ至テモ亦法律ニ於テ之ヲ拂ハシムルコトヲ認メサリシ然レトモ亦判決ニハ必ス制裁ヲ附セサル可カラサリシカ故ニ種々ノ理由ヲ附シ以テ損害賠償ヲ言渡シ之ヲ以テ填補利息ニ換ヘタリ
近世ノ法律ニ至テハ一層条理ニ基キ利息付ノ貸与ヲ認許シ金銭ヲ目的トスル債務ハ概ネ利息ヲ生スヘキモノト看做シ而シテ其利息ハ債務者ノ収益ノ代價又ハ其弁済ヲ遲延シタルノ賠償タルモノト看做シタリ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ何レノ場合ニ於ケルモ利息ハ債権者ノ収益ヲ損失スルノ補償タリ併セテ債務者ノ利得若クハ其過失ノ賠償タルモノト見做シタリ然レトモ亦立法者ハ未タ全ク債務者ヲ保護スルノ趣意ヲ抛棄セス愈々之ニ催告ヲ為シ其利足ヲ負擔スルノ益々多キニ至ルコトヲ戒ムヘキモノトシタリ是レ債権者敏捷ナルトキハ亦之ヲシテ其権利ヲ維持スルヲ得セシムルニ足ルヘキナリ
本条ノ趣意モ亦利息ヲシテ更ニ利息ヲ生セシムルコト即チ所謂湊利加本ヲ禁スルニ非スシテ之ヲ制限スルニ在ルモノナリ
蓋シ法律上若クハ合意上ノ利息ヲ年五分ニ制限スル國ニ於テモ毎年利息ヲ以テ元本ニ組入ルルトキハ十四年目ニ至リ利息ノ倍加ニ因リ元本二倍スルニ至ルモノナリ蓋シ年五分ノ利息ハ十四年間ニ在テ相加ヘテ七割ト為リ利息ノ利息毎年相積ンテ三割ト為ル故ニ之ヲ通算スルトキハ百円ノ債務者ハ十四年ノ後ニ二百円ヲ負擔スルニ至ルモノナリ故ニ本邦ノ如ク一割ノ利息ヲ定ムルコトヲ許ストキハ七年ノ後ニ至リ利息ト元本トヲ併セ元本二倍ニ至ルヘキナリ是ヲ以テ利息ヲ元本ニ組入ルルニ一年ノ後ニ於テセスシテ六ヶ月三ヶ月又ハ一ヶ月ノ後ニ於テスルトキハ債務ノ増加實ニ非常ニシテ之ヲ負擔スルスル者ノ任益々重キヲ加ヘ之カ為メ意外ノ結果ヲ生スルニ至ルヘシ
是ヲ以テ本条ハ第一ニ湊利加本ニ制限ヲ加ヘ一ヶ年毎ニ非サレハ之ヲ許ササルモノト定メタリ
又湊利加本ニ第二ノ制限ヲ加ヘ當事者間ニ特別ノ合意アルカ又ハ債権者ヨリ裁判所ニ請求アリタルトキニ非サレハ利息ヲ以テ元本ニ組入ルルコトヲ得スト定メ單ニ一ノ催告ヲ為スヲ以テ足レリトセス
又湊利加本ニ第三ノ制限ヲ加ヘ合意モ請求モ與ニ一ヶ年分ノ利息延滞シタルトキニ非サレハ之ヲ以テ元本ニ組入ルルコトヲ得サルモノトセリ蓋シ若シ豫メ合意ヲ以テ利息ハ一ヶ年分ノ支拂期限ニ至ル毎ニ之ヲ元本ニ組ミ入ルヘキモノト為スヲ許ストキハ債務者ハ其組入ノ時ニ當リ告知ヲ受ケサルカ故ニ其利息ノ増加スルコトヲ知ラサルコトアルヘシ故ニ債務者ニ告知ヲ為スハ法律ニ於テ特ニ其懈怠ノ結果ヲ豫防シ以テ之ヲ保護スルカ為メ必要ナリト認メタリ是ヲ以テ債権者ハ必ス一ヶ年分ノ利息延滞ノ後ニ至リ之ヲ以テ元本ニ組入ルルコトヲ請求スルヲ要ス
然レトモ若シ利息ノ延滞一ヶ年分以上ニ當ルトキハ支拂期限ノ経過シタル分ヲ挙テ之ヲ元本ニ組入ルルコトヲ得ヘシ然レトモ亦爾後ノ利息ヲ元本ニ組入ルルニハ更ラニ全一ヶ年分ノ延滞スルコトヲ俣タサル可カラス
法文ハ特ニ本則ヲ適用ス可キ所ノ利息ハ填補タルト遲滞タルトヲ問ハサル旨ヲ明記シタリ是レ如何ナル利息ノ増加ニ関スルモ債務者ニ保護ヲ加フヘキノ理由同一ナルカ故ナリ但利息ヲ元本ニ組入レタルカ為メ更ニ生スル所ノ利息ニ至テハ其組入ヲ為スノ原因如何ニ従ヒ其性質ヲ異ニシ或ハ填補利息タリ或ハ遅滞利息タリ若シ合意ヲ以テ元本組入ヲ為シタルトキハ一種ノ貸借契約成立スルカ故ニ更ラニ之ヨリ生スル所ノ利息填補利息足ルヘシト雖モ裁判所ノ請求アルニ因リ元本組入ノ行ハレタルトキハ之ヨリ生スル所ノ利息ハ遅滞利息タルヘシ而シテ元本組入ヨリ更ニ生スル所ノ利息ノ名稱及ヒ性質ノ異ナルハ亦実際ニ差異ヲ生スルモノナリ即チ合意上ノ利息ハ法律上ノ利息ノ割合ヲ超過スルヲ得ルモ遲滞利息ニ至テハ必ス法律上ノ利息ノ割合ニ従ハサル可カラス
本條第一項ハ明カニ其定ムル所ノ規則ヲ以テ「要求スルヲ得ヘキ元本」ノ利息ニ限リ適用スヘキモノト定メ第二項ニ至リ建物又ハ土地ノ貸賃ノ如キ負擔シタル元本アラサル所ノ入額又ハ年金権ノ年金ノ如キ元本ノ單ニ名義上ニ止マリ決シテ要求スルヲ得可カラサル所ノ入額ニ付テハ此規則ノ適用ヲ異ニスルコトヲ定メタリ
蓋シ建物又ハ土地ノ賃借人ハ賃貸借ノ期間定期ノ借賃ヲ負擔スルニ過キスシテ元本ヲ弁済スルノ責ナキカ故ニ一ヶ年分以上ノ延滞スルニ過キサルトキト雖トモ猶ホ其建物又ハ土地ノ借賃ヲ元本ニ組入レ決シテ大ナル弊害アラサルナリ又到底元本ヲ要急スルヲ得サル所ノ無期又ハ終身年金権ノ年金並ニ善意又ハ悪意ノ占有者ノ負担スヘキ果実返還ニ至テモ亦其理同一ナリ
勿論占有者ノ負担スル所ノ果実ニ至テハ判決ヲ以テ之ヲ金銭ニ見積リタルトキニ非サレハ之ヲ元本ト為シ更ラニ利息ヲ生セシムルコト能ハス何トナレハ現物ニテ果実ヲ負担スル場合ニ於テハ本條第一項ヲ適用ス可カラサルカ故ニ此場合ヲ以テ其例外ト為スヘキニ非ス又金銭ヲ目的トスル債務ニ関シ設ケタル普通規則ニ対スル第三百九十一条ノ例外則ヲ適用スヘキニモ非ス一ニ損害賠償ニ関スル普通法ヲ適用スヘキノミ(上第三百八十五條ヲ参観スヘシ)
前段ニ叙述スル所ノ定期ノ支拂ヲ為スヘキ種々ノ場合ニ於テハ債権者ニ許與シタル特別ノ恩典ナリト雖モ決シテ極端ニ走リ之ヲ觧釋ス可カラス故ニ債権者ハ支拂期ノ到来前ニ在テハ裁判所ニ其利息ヲ生セシムルコトヲ請求スルコト能ハス又合意ヲ以テ之ヲ定ムルコト能ハス然レトモ各支拂期ノ到来シタルトキハ縦令其期限一ヶ年未満タリト雖モ其支拂期ニ達シタル金銭ヲ以テ元本ト為スヘキコトヲ請求シ又ハ之ヲ要約スルコトヲ得ヘシ
末項モ亦同様ノ規定ヲ掲クルモノナリト雖モ其実前項ノ特例ニ比スレハ却テ一層債権者ニ利益アル所ノモノナリ何トナレハ末項ニ規定スル所ノモノハ即チ現ニ元本ノ利息タルモノナレハナリ然レトモ第三者債務者ノ名ヲ以テ其免責ノ為メ利息ヲ弁済シタル以上ハ其利息ハ第三者ニ対シテハ眞ニ元本タリト謂ハサル可カラス是ヲ以テ此場合ニ於テハ債務者ハ利息ノ利息ヲ拂フノ責ニ任スヘシト雖モ此二種ノ利息ヲ受取ル者ハ同一ノ債権者ニ非ス故ニ利息ノ利息相続ヲ増倍スルコトナク立法者ノ慮リタル弊害アラサルナリ
且第三者債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシムルカ為メ利息ヲ拂フタル場合ニ於テハ代理人若クハ保証人トシテ更ラニ一ノ特権ヲ有スルコトアリテ其立替金ハ利息ノ請求ナキモ当然利息ヲ生スルコト多カルヘシ然レトモ本條特ニ此事ヲ記載セサルハ法文ノ煩ヲ厭ヒ且此事タル次編ニ至リ特ニ規定スル所アルヲ以テ茲ニ之ヲ規定スルノ必要ナシト認メタルカ故ナリ
第三節 担保
擔保トハ廣義ヲ以テ之ヲ觧スレハ損害ノ豫防ノ謂ナリ然レトモ此意義タル區域極メテ廣キカ為メ大ニ相異ナル二種権利ヲ総称スルヲ以テ実際少シク不便ナキ能ハス例ヘハ先取特権、抵当、質、連帯及ヒ保証ノ如キ之ヲ債権ノ担保ト称ス(本編第二條ヲ参観スヘシ)是レ其債権者債務者ノ無資力ノ為メ損害ヲ被ルコトヲ豫防スルノ方法ナルカ故ナリ然リト雖モ本節ニ所謂担保トハ斯ノ如キ限定ノ意義ヲ有スルモノニアラス是ヲ以テ保証及ヒ連帯ノ事ニ付テハ担保ナル語ハ二個ノ意義ヲ有スルカ故ニ特ニ注意シテ之ヲ觧釋セサル可カラス蓋シ保証人ハ弁済ヲ担保スルカ故ニ債権者ニ対シ弁済ヲ担保スルモノナリト雖モ亦主タル債務者ハ保証人ノ訴追ヲ被ルコトヲ豫防シ若シ其訴追ヲ被リタルトキハ之ニ賠償ヲ為スヘキカ故ニ保証人ノ義務ノ結果ニ対シ之ヲ担保スルモノナリ故ニ担保ノ語タル場合ニ依リ其意義ヲ異ニスルモノナリ又連帯共同債務者ニ至テモ債権者ニ対シテハ対人ノ担保ヲ負担シ相互ニ担保人タルモノナリト雖モ相互ノ間ニ在テハ亦互ニ担保義務ヲ負担シ結局各債務者ハ其債務ノ部分ヲ負担スルニ過キス
本節ニ所謂担保トハ右例示ノ場合ニ於ケル第二ノ意義ヲ有スルモノナリ
第三百九十五條及ヒ第三百九十六條
第三百九十五條ハ担保義務ノ原則ヲ定メ且其目的ヲ指定スルモノナリ
凡ソ所有権若クハ其支分権ヲ譲渡シ又ハ債権ヲ譲渡シタルトキハ未タ單ニ占有ヲ移シ証書ヲ引渡スヲ以テ足レリトセス尚ホ譲渡ヲ為シタル者ハ尽ク自己ニ属スル所ノ法律上ノ方法ヲ用ヒ之ニ依リ以テ其譲渡シタル権利ノ行使及ヒ収益ヲ担保スルコトヲ要ス是レ本節ニ規定スル所ノ担保ノ責アル通常ノ場合ナリ
権利ノ行使ト其収益トノ相異ナル所ノ大要ノミヲ示サンニ蓋シ権利ノ収益トハ之ニ附着シタル利益ヲ収得スルヲ謂ヒ権利ノ行使トハ此利益ヲ得ルカ為メ行フヲ得ヘキ権利行為ノ執行ヲ謂フモノナリ故ニ家屋ニ住居シ土地ノ果実ヲ収取スルハ即チ所有権ヲ収益スルモノニシテ物ヲ賃貸シ賣渡シ又ハ之ヲ変更スルハ即チ所有権ヲ行使スルモノナリ
又権利ヲ譲渡シタル者実ニ其権利ヲ有セサルカ又ハ之ヲ有スルモ不完全ナルカ故ニ実際毫モ譲渡ス所ナク或ハ其約束シタル所ニ足ラサル物ヲ譲渡スコトアルヘシ此場合ニ於テハ第三者ヨリ妨害ヲ為シ又ハ取戻ヲ為スコトアルヘシ本條ハ亦此二個ノ場合ヲ以テ譲渡人ノ担保義務ヲ負担スヘキ場合ナリト定メタリ
然リト雖モ譲渡人ハ事実ノ妨実即チ詐欺強暴ノ結果タル所ノ掠奪ノ行為ヲ防止スルノ義務アルモノニ非ス其担保義務ヲ負担スルハ第三者ノ妨害カ権利ニ基キ而シテ其主張スル所ノ権利カ譲渡以前ノ原因若クハ譲渡人ノ責ニ帰スヘキ原因ニ基キタルコトヲ要ス蓋シ事実ノ妨害ハ地方警察ノ冝ク制壓スヘキ所ニシテ又譲渡以後ノ原因若クハ譲渡人ノ責ニ帰ス可カラサル原因ニ基キタル法律上ノ妨害モ譲渡人ノ責任ヲ生スヘキモノニ非サルナリ
第三百九十五條第二項ハ担保ニ二個ノ目的即チ二個ノ適用アルコトヲ示スモノニシテ其適用タル與ニ併セテ行ハルルコトアリ即チ第一ノ目的ヲ達スル能ハサルトキハ之ニ代ユルニ第二ノ目的ヲ以テスルコト実際少シトセス
蓋シ担保ノ責ニ任スル者ハ第一第三者ヨリ起シタル主張ニ対シ譲渡人ヲ保護スルコトヲ要ス而シテ之ヲ保護スルトハ譲受人ノ原告タルト被告タルト又参加人タルトヲ問ハス裁判所ニ於テ之ヲ補助スルヲ謂フ而シテ之ヲ補助スルハ書類若クハ人証ヲ提出シ以テ其譲渡シタル権利ノ成立ヲ証明シ譲受人ノ主張ヲ鞏固ニシ第三者ノ主張ヲ攻撃スルニ在リ
譲受人ノ原告タルハ其取得物件ノ占有ヲ得ルカ為メニ之ヲ占有スル所ノ第三者ニ対シテ回復ヲ求ムル際ニ在リ又其被告タルハ其物ヲ占有スルニ当リ所有者ナリト自称スル第三者ヨリ回復ノ訴ヲ受ケタルトキニ在リ又其参加人タルハ譲受人既ニ其取得シタル物ヲ譲渡シタル後轉得者追奪ヲ被ルノ恐アルニ当リ該轉得者ノ為メニ担保ノ訴ヲ被リタル場合若クハ譲受人自ラ進テ轉得者ヲ防禦スル場合ニ在リ此場合ニ於テハ担保人ハ自己ニ譲渡ヲ為シタル前ノ譲渡人ニ対シ担保ノ請求ヲ為スベシ
然レトモ亦譲渡人譲受人ヲ保護セス或ハ之ヲ保護スルモ其実効ナキコトアルヘシ此場合ニ於テハ譲渡人ハ譲受人ノ受ケタル損害ヲ之ニ賠償セサル可カラス而シテ全部追奪アリタルトキハ譲渡人ハ譲受人ニ対シ追奪ノ日ニ於テ見積リタル譲渡物件若クハ権利ノ價額ト譲渡行為ノ費用及ヒ訴訟費用ノ償還並ニ譲受人其財政ヲ調理シタルニ依リ追奪ノ為メ被リタル損害若クハ他物ヲ以テ其譲受物件ニ代フルノ必要ニ因リ被リタル損害ノ賠償等ヲ負担スヘシ
然リ而シテ担保ノ損害賠償ニ帰着スルトキハ之ニ適用スルニ前節ニ規定シタル規則ヲ以テスヘシ
第三百九十五條ハ範囲少シク廣キニ過ルヲ以テ第三百九十六條ニ於テ多少之ニ制限ヲ加ヘタリ蓋シ有償行為ト無償行為トヲ區別スルノ利益ハ既ニ本編第二百九十八条ニ於テ之ヲ開示シタリシカ本条ニ於テモ亦更ラニ其適用アリ即チ有償ノ行為ニ於テハ当事者特ニ担保ノ約束ヲ為ササルモ法律ノ効力ニ因リ当然其義務存スルカ故ニ之ヲ称シテ常存ノ担保ト云フ然レトモ亦当事者特ニ合意ヲ以テ之ヲ除却スルコトヲ得ルカ故ニ必存ノモノニ非サルナリ之ニ反シ無償ノ行為ニ於テハ当事者特ニ約束スルニ非レハ担保義務ノ存スルコトナキカ故ニ之ヲ称シテ偶存ノ担保ト云フ
其レ斯ノ如ク行為ノ有償タルト無償タルトニ從ヒ担保ノ成立ニ付キ差異アルノ理由ハ容易ニ説明スルコトヲ得ヘキモノナリ蓋シ有償ノ行為ニ於テハ譲渡人原ト利益ヲ求ムルモノナルカ故ニ其諾約シタル所ハ全然之ヲ供與シ以テ其得ル所ノ利益ノ賠償トスルコトヲ要ス然ルニ無償行為ニ於テハ譲渡人ハ自ラ得ル所ナク只失フ所アルノミナルカ故ニ実際其譲渡サント欲シタル所ノ権利ヲ有セサルモ更ラニ他ノ財産ヲ以テ其対價ヲ給付スヘキコトヲ之ニ命スルハ穏当ニアラサルヘシ若シ果シテ然ルヘシトセハ遂ニ之ヲシテ他人ニ恩恵ヲ加ヘント欲シ却テ自ラ零落スルニ至ラシムルコトアルヘシ
且其レ本法ニ此至大ナル差異ヲ設ケタルハ充分之ヲ攻究シ深ク討議ヲ経タルモノナリ
実ニ此差異タル羅馬法以来之ニ模倣スル所ノ法典ニ於テ普ネク之ヲ設ケタルモ未タ之ヲ以テ直チニ本法ニ此差異ヲ設クヘキノ理由ト為シタルニアラサルナリ
抑々受贈者贈與物ノ贈與者ニ属セサルニ因其ノ所有者ノ為メ之ヲ回復セラルルニ当リ求償権ヲ有セサルトキハ之カ為メ至大ノ損害ヲ被ルコトアル故ニ此規定ハ蓋シ贈與物ニシテ尚ホ受贈者ノ手裡ニ存スルトキハ受贈者之ヲ恃ミ其生計ノ状態ヲ変シ或ハ受贈者ヲ遇スルノ甚タ酷ナルニ似タリ多少其居宅ニ装飾ヲ加ヘ或ハ自己ノ資財ヲ以テ商業ヲ營ミ又ハ工業ヲ企テタルコトアルヘク其既ニ贈與物ヲ賣却シタリシトキハ其代價ノ全部若クハ一分ヲ消費シ而シテ其買主ニ対シテハ啻ニ其受取リタル代價ヲ返還スヘキノミナラス併セテ通常ノ損害賠償ヲ負担スルコトアルヘシ
右ニ陳ヘタル如キ場合ニ於テ受贈者贈與者ニ対シ担保ノ求償権ヲ有セサルトキハ之カ為メ至大ノ困難ニ陥ヒルコトアルヘシ然ルニ若シ無効ナル贈與ヲ受クルコトナカリシナラハ決シテ同一ノ困難ニ陥ヒルコトナカルヘク而シテ時効ノ期間全ク経過セサル以上ハ決シテ真ノ所有者ノ回復訴権ヲ被ラサルヲ期ス可カラサルニ因リ終始其困難ニ陥ヒルノ危険ヲ免カレサルヘシ
是ヲ以テ受贈者モ亦担保ノ求償権ヲ有スヘシト称スル論者アリシト雖モ遂ニ本法ハ其議ヲ採用セサリシ左ニ其理由ヲ述ヘシ
第一、贈与ニ於テ追奪担保ノ義務アリトスルハ諸外國ノ法律ニ反スルノミナラス亦本邦從来ノ慣習ニ背馳スヘシ既ニ賣買ニ於テ本法ニ定メタル如キ追奪担保ノ義務アリトスルハ大ニ從来ノ慣習ニ比スレハ嚴例ニ属スト謂ハサル可カラス況ンヤ贈与ニ於テオヤ
第二、贈與者善意ニシテ其贈與シタル所ノ権利ヲ有スト自信シタリシトキハ最モ之ニ保護ヲ加ヘサル可カラス既ニ受贈者ヲシテ担保訴権ヲ有セシムヘシト称スルノ論者モ猶ホ未タ贈與者ヲシテ賣主ト同一ノ担保義務ヲ負担セシムヘシト唱ヘタルコトアラサリシ例ヘハ受贈者追奪ノ時ニ当リ尚ホ不動産ヲ占有スル場合ニ於テハ反対論者モ亦之ヲシテ被フリタル費用ノ償還ヲ求ムルノ権利ヲ有セシムヘシト云フニ過キス未タ曽テ贈與者ヲシテ第三者ノ為メニ回復セラレタル不動産ノ價額ヲ償還セシムヘシト云フ者アラサリシ
是ヲ以テ受贈者ハ利益ヲ保存センカ為メ争フモノニシテ損失ヲ避ケンカ為メ争フ所ノ贈與者ニ比スレハ其受クヘキ保護較ヤ薄カルヘシト云フモ決シテ不当ノ言ニ非サルナリ
且受贈者其贈與ニ因リ取得シタル不動産ヲ賣渡シ其買主ヨリ担保ノ訴権ヲ被リタル場合ニ於テハ其「無担保ニテ」賣渡ヲ為ササリシノ過失アリト謂ハサル可カラス蓋シ無担保ニテ賣渡ヲ為ストキハ其受ケタル所ノ代價一層少ナカルヘキモ其代價價ハ即チ贈與ノ為メニ受ケタル収益ナルカ故ニ受贈者ハ之ヲ以テ満足セサル可カラス然ルニ代價ノ多カランコトヲ欲シ無担保ノ約束ヲ為ササリシハ即チ不注意ノ責アリト謂ハサル可カラス
加之受贈者損害ヲ被ラサランコトヲ欲セハ冝ク其贈與ヲ受クル時ニ当リ或ハ其受クル所ノ不動産ヲ資トシテ商業若クハ工業ヲ營マント欲スル時ニ当リ或ハ其不動産ヲ賣渡サントスル時ニ当リ贈與者ヲシテ担保ノ責ニ任セシムヘキコトヲ要約スヘシ若シ贈與者ニシテ其担保ノ諾約ヲ拒絶スルトキハ受贈者冝ク贈與物ヲ使用シ若クハ處分スルニ当リ注意慎重ヲ旨トシ以テ他日損害ニ罹ルコトヲ自ラ豫防セサル可カラス蓋シ自ラ要約ヲ以テ豫防スルコトヲ得ル所ノ危害ハ決シテ法律ノ缺点ニ胚胎スルモノニ非ス之ヲ被ル者ノ自ラ招キタル所ナリト謂フヘシ
然レトモ贈與者悪意ヲ以テ受贈者ニ害ヲ加ヘントスルノ意思ニ出テ自ラ其贈與スル所ノ物ノ自己ニ属セサルヲ知リナカラ之ヲ贈與シタル場合又ハ贈與者贈與ヲ為シタル前後ニ在テ他ニ譲渡ヲ為シタルニ因リ受贈者追奪ヲ受ケタル場合ニ於テハ贈與者合意ナキモ当該追奪担保ノ義務ヲ負担スヘシ況ンヤ有償行為ニ於テ譲渡人悪意ヲ以テ自己ニ属セサル物ノ譲渡ヲ為シ又ハ自己ニ属スル物ヲ一旦譲渡シタル後重ネテ之ヲ譲渡タルニ因リ取得者ヲシテ追奪ヲ被ラシメタルトキハ譲渡人担保ノ責ニ任スヘキヤ明カナリ
右ノ場合ニ於テ追奪担保ノ義務アルハ公義條理ノ自カラ然ラシムル所ニシテ特別ノ合意ヲ以テスルモ決シテ之ヲ除却スルコトヲ得ス故ニ此場合ニ於テハ其担保ハ必存ノモノナリ
然リ而シテ権利譲渡以前又ハ以後ニ在テ其譲渡人ニ責ヲ帰スヘキ行為ニ基キ追奪ノ行ハルルハ如何ナル場合ニ在ルヘキカ是レ適例ヲ設ケテ説明スルヲ要スル所ナリ
凡譲渡人無償ノ行為ヲ為シ又ハ有償ノ行為ヲ為シ無担保ノ特約ヲ結ヒタル場合ニ於テモ嘗テ同一ノ権利ヲ他ニ譲渡シタコトアリテ前ノ譲受人自己ノ権利ヲ保存スルニ必要ナル公示ノ規則ニ依遵シタリシトキハ前ノ譲受人ハ後ノ譲受人ニ対シ追奪ヲ行フヘシ此場合ニ於テハ後ノ譲受人行為ノ無償ナルカ又ハ有償ナル場合ニ在テ無担保ノ特約ヲ為シタルニ拘ハラス譲渡人ニ対シ担保ノ求償権ヲ有スヘシ
加之追奪ノ行ハルルニ至ラシメタル原因譲渡以後ニ生スルコトアリ例ヘハ不動産ノ受贈者若クハ買主直チニ登記ヲ為スコトヲ怠リタルニ幾クモナクシテ贈與者若クハ賣主更ニ他ノ人ニ同一ノ不動産ヲ譲渡シ而シテ後ノ譲受人先ツ其行為ヲ登記シタルトキハ後ノ譲受人前譲受人ニ優先シ不動産ヲ保有スヘシ然レトモ追奪ヲ受ケタル前ノ譲受人ハ担保ヲ求ムルノ権即チ全部ノ損害賠償ヲ請求スルノ権利ヲ有スヘシ又譲渡シタル物件不動産ニ非ス動産ナルトキモ其結果同一ニシテ一旦ニシテ之ヲ贈與シ又ハ賣渡タルモ直チニ其引渡ヲ為サス次テ第三者ニ之ヲ譲渡シ之ニ引渡ヲ為シタルトキハ前ノ譲受人第三者ノ為メニ追奪ヲ被フリ譲渡人ニ対シ担保訴権ヲ行フヘシ又債権ノ譲渡アリテ譲受人債務者ニ告知ヲ為スコトヲ遲延シ譲渡人更ニ他人ニ之ヲ譲渡シ後ノ譲受人先ツ告知ヲ為シタルトキモ亦然リトス是レ第三百四十六条、第三百四十七条及ヒ第三百四十八条ヲ適用スヘキ場合ニシ其規定ハ既ニ充分説明シタルヲ以テ更ニ茲ニ之ヲ復説スルコトヲ須ヰス
第三百九十六条第三項ハ相続人ノ前主ニ勝ル権利ヲ有セサルニ因リ亦同一ノ義務ヲ負担スヘキノ原則ヲ定ムルモノナリ例ヘハ相続人前主ノ生存中又ハ遺言ヲ以テ其財ノ一ヲ譲渡シタルコトヲ知ラスシテ自カラ同一ノ財産ヲ無償又ハ有償無担保ニテ譲渡シタルトキハ其善意ナルニ拘ハラス担保ノ義務ヲ免カルルコト能ハス何トナレハ追奪ノ起因スル所ハ其責ニ帰スヘキ原因ナレハナリ
第三百九十七條及ヒ第三百九十八條
第三百九十七条ノ趣旨トスル所ハ本節ノ規定ハ普通規則即チ担保ノ普通則ニ過キスシテ或ル契約ニ付テハ特別ノ適用アルヲ云フニ在リ例ヘハ賣買賃貸及ヒ分割ノ如キハ担保ノ特則ナル規則アリテ多少担保義務ノ區域ヲ擴張シタリ
故ニ本法ハ茲ニ担保ノ通則ヲ掲ケ特別契約ニ付テハ担保ノ特別ノ適用ヲ掲クルノミ
第三百九十八条ハ更ラニ一ノ担保義務アル場合ヲ定ムルモノニシテ其場合タル第三百九十五條ニ指定シタル場合中ニ包含セサルモノニシテ実際頗ル重要ナルモノナリ
凡ソ保証人ノ如ク他人ノ為メ義務ヲ負担シ又ハ共同連帯債務者ノ如ク他人ト與ニ義務ヲ負担スル者ハ法律上二様ノ位置ヲ有スルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ債権者ニ対シテハ主タル債務者若クハ其共同債務者ノ担保人ニシテ主タル債務者又ハ其共同債務者ヨリ之ヲ見レハ被担保人タルモノナリ
其被担保人タル場合ニ於テ存スル所ノ担保ハ権利ノ譲渡ノ場合ニ於ケルカ如ク二個ノ目的アルモノナリ即チ担保人ハ第一訴追ニ対シ被担保人ヲ保護スルコト詳カニ之ヲ言ヘハ被担保人第三者ヨリ請求ヲ受ケ而シテ此請求ニ対シ論争スルヲ得ヘキトキハ之ヲ攻撃シ又論争スヘカラサルトキハ弁済ヲ為シテ之ヲ防止スルコトヲ要ス又訴訟ノ継続シテ落着ニ至リ遂ニ原告ノ勝訴ト為リタルトキハ担保人ハ被担保人ノ受ケタル損害ヲ賠償シ殊ニ被担保人カ保証人トシテ弁済ヲ為シタルトキハ其弁済シタル所ノモノノ金銭又連帯債務ニ係ルトキハ被担保人ノ部分以外ニ弁済シタル所ノモノヲ之ニ償還スルコトヲ要ス
連帯義務又ハ不可分義務ノ共同債権者間ニ於テモ亦之ニ類スル担保ノ適用アリ本条第二項ニ之ヲ明示スルカ故ニ敢テ詳細ノ説明ヲ要セスト雖モ只冝ク注意スヘキ一点ヲ示サン此場合ニ於テハ担保ノ目的唯一ニシテ其第二ノ目的アルノミ即チ担保人ハ被担保人ニ償金ヲ払フヘキノミ而シテ其償金ヲ拂フハ其収メタル利益ヲ分與スルニ在リ蓋シ債権者ハ決シテ訴追ヲ受クルコトナク只自カラ訴追ヲ為スヘキノミナルカ故ニ概シテ相互ノ保護ノ為メ担保訴権ヲ行フノ要ナク只其一人ノ収メタル利益ノ分與ヲ求ムヘキノミ然レトモ若シ債権者ノ一人弁済ヲ受取リ而シテ自餘ノ者ニ之ヲ分與シタル後弁済者ヨリ其弁済ノ不当ナルヲ唱ヘ返還ノ訴追ヲ被リタルトキハ自餘ノ者ニ対シ相互ノ防禦ヲ求メ又其弁済ヲ返還スルニ至リタルトキハ自餘ノ者ノ受ケタル部分ヲ取戻スカ為メ擔保訴権ヲ行フヲ得ヘシ
連帯債権者ノ一人債務者ニ對シテ債権ヲ行フタルトキハ自己ノ権利ヲ行フタルニ過キスト雖モ亦自餘ノ債権者ノ有シタリシ同様ノ権利ヲ之ニ奪フタルモノト謂ハサル可ラス故ニ一人ニテ皆済ヲ受ケタル債権者自餘ノ者ニ償金ヲ拂フヘシト云フモ決シテ失言ニ非サルナリ
第三百九十九条及ヒ第四百条
第三百九十九条ハ訴訟ニ於テ被擔保人ヲ保護スルニ在ル所ノ擔保ノ第一ノ目的ニ関スルモノナリ即チ被擔保人此目的ヲ達セントセハ須ク擔保人ヲ訴訟ニ参加セシムルコトヲ要ス然レトモ其訴訟参加ノ為メ主タル訴訟ノ続行ヲ防止スルコトヲ得ス
擔保人及ヒ被擔保人ニ對シテ同時ニ訴訟ヲ行フヘキ方法ニ付テハ民事訴訟法ニ數多ノ細則ヲ設ケ之ヲ規定ス就中被擔保人ハ訴訟ヨリ脱退セント欲スルトキハ或ル条件ニ従ヒ之ヲ求ムルコトヲ得(民事訴訟法第五十八条以下ヲ参観スヘシ)
被擔保人擔保人ヲ訴訟ニ参加セシムル塲合ニ於テハ附帯ノ訴ヲ以テ擔保ヲ請求スルモノニシテ被擔保人独リ訴訟ヲ為シ敗訴シタルトキハ主タル訴権ヲ以テ擔保ヲ請求スルモノトス
第四百条ハ擔保人訴訟ニ参加セス而シテ擔保ニ付キ権利ヲ有スル者即チ被擔保人ノ敗訴シタル場合ヲ規定ス此塲合ニ於テハ被擔保人主タル擔保ノ訴権ヲ有スルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ更ラニ擔保人ニ對シ訴ヲ起シ其受ケタル損害ノ賠償ヲ求ムルヲ得ルヲ通則ト為ス然レトモ是レ畢竟損害賠償ノ訴権ニ外ナラサルカ故ニ前節ノ規則ヲ適用スヘキモノトス
然レトモ被擔保人擔保人ヲ参加セシメスシテ訴訟ヲ為スハ大ニ自己ノ為メ不利アルモノナリ何トナレハ擔保人ハ其訴訟ニ付キ勝訴スルヲ得ヘキ資料タル防禦方法ヲ有シ而シテ被擔保人之ヲ知ラサルコトアル可ク此塲合ニ於テ擔保人防禦方法ヲ有スルコトヲ称スルトキハ被擔保人ヨリ起シタル主タル擔保ノ請求ヲ却下セシムルコトヲ得ヘケレハナリ
然リ而シテ擔保人擔保ノ請求ヲ却下セシムルヲ得ルヲ以テ既判力ニ反スルモノト謂フ可カラス抑モ既判力ハ嘗テ述ヘタル如ク訴訟ニ参與シタル関係人間ニ非サレハ効力ヲ有セサルヲ原則トス其理由ハ証據編ニ至リ之ヲ説明スヘシ是ヲ以テ擔保人ノ防禦方法ハ防禦ノ為メ如何ニ効力アルヘキトキト雖モ第三者ト被擔保保人トノ間ニ既判力ノ確定シタルトキハ被擔保人ニ對シ勝訴シタル第三者ニ對抗スルヲ得サルモノナリ然レトモ擔保人ハ被擔保人ニ對シ其充分効力アル防禦ヲ有シタリシコトヲ唱ヘ擔保ノ責ヲ免カルルコトヲ得
第四節 義務ノ諸種ノ体様
第四百一條
凡ソ義務ハ種々ノ状態ヲ帯ヒテ成立スルモノナリ義務ノ状態トハ所謂其体様ナルモノニシテ本節ハ其体様ヲ規定シ以テ義務ノ効力ニ関スル規定ヲ完備ス
義務ノ体様何レノ点ニ存スルヤヲ考究スルトキハ其構成ノ諸原素ニ関シ存スルモノナリ而シテ義務構成ノ原素ニ付キ其体様ヲ觀察スルトキハ左ノ如ク之ヲ類別スルヲ得ヘシ
第一、義務ハ其成立ノ点ニ付観察スルヲ得ヘシ即チ其發生若クハ消滅ヲシテ未来且不確定ノ特別ナル事件ニ繫カラシムルト否トニ従ヒ或ハ条件附タリ或ハ單純ノモノタリ
第二、義務ハ其働方若クハ受方ノ主格ニ付キ観察スルヲ得ヘシ此點ニ付キ観察ヲ下ストキハ或ハ單数タリ或ハ複数タリ而シテ其複数ナル場合ニ於テハ更ラニ細別シテ或ハ連合タリ或ハ連帯タリ是ヲ以テ義務ハ働方即チ債権者間若クハ受方即チ債務者間ニ連帯又ハ非連帯ノ体様ヲ帯フ
第三、義務ハ其目的ニ付キ観察スルトキハ可分タラサレハ不可分ナリ又單一ナラサレハ選擇若クハ任意ナリ
第四、義務ハ其履行ノ時期ニ付キ之ヲ観察スレハ即時要求スルヲ得ヘキモノ即チ單純ナラサレハ有期ノモノタリ
以上諸種ノ体様ノ由テ来ル所ノ原因ヲ観スルトキハ亦之ヲ四個ニ類別スルヲ得ヘシ
第一、義務ノ体様ハ當事者ノ意思ニ原因スルコトアリ蓋シ義務ノ過半ハ當事者ノ合意ニ原因スルカ故ニ當事者ノ意思ヲ以テ自由ニ義務ヲ組織スル原素ヲ変更スルヲ得ルヤ明カナリ但公ケノ秩序ニ基キタル特別ノ場合ハ此限ニ在ラス
第二、法律モ亦当事者自カラ義務ノ体様ヲ定ムルコトヲ得ヘキ場合ニ於テ之ニ代ハリ該体様ヲ變更スルコトアリ例ヘハ双務合意ニ於テハ不履行ヲ以テ黙示ノ解除條件ナリトスルハ即チ法律ニ因リ義務ノ体様ヲ變更シ單純義務ヲシテ觧除条件付ノ義務タラシメタルモノナリ又法律ヲ以テ義務履行ノ期限ヲ定ムルコトアリ又複数ノ義務ニ於テ各債務者ニ對シ同等過失又ハ全部利得ノ推定アルトキ之ニ連帯ノ体様ヲ附スルカ如キモ亦其体様ハ法律ニ原因スルモノナリ
第三、義務ノ体様ニシテ法律及ヒ人為ニ比シ威力ノ一層強大ナル原因ニ基クモノアリ詳カニ之ヲ言ヘハ目的物ノ性質ニ因リ躰様ノ變更スルコトアリ負担シタル物ノ不可分ナル塲合即チ是レナリ
第四、判決ニ因ル所ノ体様アリ権利上ノ期限ニ對シ恩恵上ノ期限ト稱スル履行ノ期限ヲ定ムル塲合即チ是レナリ
以上二個ノ類別法タル一ハ義務ノ原素ノ基クモノニシテ一ハ躰様ノ原因ニ基クモノナリ而シテ本法ハ前ノ類別法ヲ採リ只少シク之ヲ變更シタリ蓋シ前ノ類別法ハ効力ノ相同シキ躰様ヲ聚集シ其相類似スルモノヲ併合スルノ利アルモ原因ニ基ク類別法ハ却テ集合スヘキモノヲ分離シ分離スヘキモノヲ集合スルカ故ニ前者ハ後者ニ比シ一層編纂上ノ簡便アルカ故ナリ例ヘハ法律ニ原因スル黙示ノ解除条件ノ如キ之ヲ当事者ノ明約ヲ以テ直接ニ定メタル解除条件ト分離シテ規定スルハ其当ヲ得タルモノニ非サルヘシ又恩恵上ノ期限ヲ権利上ノ権限ト分離シテ規定スルモ編纂ノ當ヲ得タルモノト謂フ可カラサルヘシ
唯法律上及ヒ合意上ノ連帯並ニ目的物ノ性質ニ原因セサル所ノ不可分ニ至テハ諸外國ノ法例ニ倣ヒ且論理上之ヲ考ヘ本節ニ之ヲ規定セス蓋シ此二箇ノ躰様タル受方タルト働方タルトヲ問ハス詳カニ之ヲ言ヘハ債権者間ニ存スルト債務者間ニ存スルトヲ問ハス総テ債権ノ担保タルモノナルカ故ニ債権担保編ニ於テ其全体ヲ規定スト雖トモ亦本節中他ノ躰様ヲ規定スルニ當リ之ト比較スルカ為メ多少此二箇ノ体様ニ関シ規定スル所アリ
第一款 成立ノ單純有期又ハ條件附ナル義務
第四百二條
本條ノ趣意ハ義務ノ履行期限無ク又其成立何等ノ條件ニモ関セサルトキハ其義務ハ單純ナリト謂フニ外ナラス然レトモ本條ノ律文ニ未タ此二個ノ法語ヲ掲ケサルハ下段ニ至リ單純ナル躰様ニ対スル変体ヲ示スニ此語辞ヲ以テセンカ為メナリ
單純義務ハ債権者ノ為メ最モ利益アルモノナリ蓋シ義務ノ單純ナルトキハ債権者ノ権利直チニ確定シテ毫モ他日事件ノ為メニ変動スルコトナシ是レ債権者ノ為メ單純義務ノ第一ニ利益タル所ナリ又單純義務ニ対スル権利ハ直チニ要求スルヲ得ヘキモノ詳カニ之ヲ言ヘハ即時其効力ヲ裁判所ニ訴追スルヲ得ルモノナリ是レ債権者ノ為メ單純義務ノ第二ノ利益タル所ナリ
義務ノ單純ナル場合ハ其有期ナル場合ニ比シ実際少ナカルヘシ就中金銭ノ貸借ノ如キニ至テハ多少ノ期限ヲ定メテ之ヲ為スニ非サレハ毫モ実益ヲ生スルコト能ハサルモノナリ又賃貸借ノ如キモ賃借人ヲシテ定期ノ借賃ヲ拂フノ義務ヲ負担セシムルモノナルカ故ニ義務決シテ單純ナラサルヘシ然リト雖モ亦賣買ノ如キハ單純ナル躰様ヲ有スルコト少ナシトセス此場合ニ於テハ之ヲ称シテ現金拂ノ賣買ト云フ而シテ單純義務ハ毫モ法律上難問ヲ生スルコトナキカ故ニ諸外國ノ民法ニ於テハ概ネ此体様ヲ記載スルコトナシ然レトモ本法ハ体裁上順序ノ整斉ナランカ為メ特ニ本條ヲ設ケテ單純義務ノ定義ヲ示シタリ
然リ而シテ當事者合意ヲ以テ明カニ義務ニ期限ヲ附セサルモ未タ必スシモ其義務ハ單純ニシテ即時要求スルヲ得ヘキモノナリト謂フ可カラス尚ホ事情ニ従ヒ黙示ノ期限ノ存スルコトアリ而シテ其事情ノ如何ハ一ニ裁判所ノ査定ニ任スヘキモノナリ例ヘハ作為ノ義務ノ如キハ過半黙示ニテ其履行ニ必要ナル期限ヲ附シタルモノト謂フ可ク又或ル商品ヲ賣渡シ而シテ其生産地ニ非ス且平常之ヲ取引スル地ニ非サル場所ニ於テ之ヲ引渡スノ義務ノ如キ亦黙示ノ期限アルモノト認定シ債務者ヲシテ其商品ノ所在地ヨリ之ヲ収置スルカ為メ必要ナル期限ヲ有セシメサル可カラス
又義務初メ單純ナルモ後ニ至リ裁判所ニ於テ下ニ認定スル所ノ権能ヲ行ヒ債務者ニ猶豫期限ヲ附與スルトキハ有期義務ニ変スルコトアリ
學者往々曰ハク「義務其発生ノ時ニ當リ有期若クハ條件附ナルモ其期限到来スルカ又ハ條件ノ成就スルトキハ單純ノモノトナル」ト其言タル概シテ実際ノ不都合ナシト雖モ亦條件ニ関シテハ注意シテ之ヲ觧セサル可カラス何トナレハ單純ニ負担シタル義務ノ目的物毀滅スルトキハ債権者其損失ヲ負担スヘキモ條件附ニテ負担シタル物ノ期滅ハ後ニ至リ説明スルカ如ク債務者ノ負担タルヘケレハナリ蓋シ條件ノ成就スルトキハ恰モ義務ノ當初ヨリ單純ニ成立シタルカ如ク其効力合意ノ日ニ遡リ発生スト雖モ其成就前ニ在テ物ノ滅失シタルトキハ目的ナキニ因リ義務既往ニ遡リ成立スルコト能ハス故ニ此場合ニ於テハ義務單純ノモノト為ルト謂フコト能ハス唯期限ノ到来スルカ又ハ條件ノ成就スルトキハ債権者ノ権利ノ行用ヲ遏止シタル所ノ障害存セサルカ故ニ當事者相互ノ関係ヲ変更スル所ノ事変アラサリシ限ハ債権者裁判所ニ請求ヲ為スコトヲ得又一旦條件ノ成就スルトキハ物ノ危険ハ債権者ノ負担ニ移ルカ故ニ義務單純ノモノト為ルト謂フモ敢テ実際不可ナキナ
第四百三條
期限ハ條件ト異ナリ義務ノ発生ヲ停止スルモノニ非スシテ只其履行ヲ停止スルノミ是レ期限ノ条件ト異ナル要点ナリ然レトモ本条ニハ只期限ハ債権者ノ訴権ヲ停止スルコトヲ云フニ止マリ條件ノ効力一層大ニシテ権利自体ノ発生ヲ停止スルコトハ下ニ至リ條件ノ事項ヲ規定スル律条中ニ之ヲ掲クヘシ
期限ハ概ネ確定ノモノニシテ若干ノ時間タルモノナリ然レトモ亦或ル事件ノ到来ニ至ルマテノ期限ヲ以テ期限ト定ムルコトヲ得只其事件ノ必ラス到来スヘキ確定ノモノタルコトヲ要ス若シ其到来ノ確然タラサルトキハ其到来ヲ俟テ履行スヘキノ義務ハ有期義務ニ非スシテ條件附ノ義務タルヘシ然リ而シテ其条件ノ到来スヘキ時期又ハ當事者其到来ヲ知ルノ時期ニ至テハ未タ必スシモ確定タルコトヲ要セス此場合ニ於テハ其期限ヲ稱シテ「不確定ノ期限」ト云フ然レトモ条件トハ大ニ異ナルモノナリ
本条ハ當事者ノ豫見シタル事件未来ナルコトヲ要ストセス蓋シ斯ノ如キ制限ヲ設クヘキノ理由アラサルカ故ナリ勿論實限ニ於テハ当事者既往ノ事件ヲ以テ義務履行ノ時ト為ス可カラサルヤ明カナリト雖モ亦当事者既ニ事件ノ到来シタルヲ知ラス之ヲ以テ未来ノモノト信シ期限ト為スコトアルヘシ然レトモ其錯誤ハ決シテ合意ニ瑕疵ヲ附スルモノニ非ス当事者事件ノ到来シタルコトヲ知リタルトキハ直チニ義務ノ履行ヲ要求スルヲ得ヘシ此事タル後ニ至リ現ニ到来シタルモ未タ當事者ノ知ラサル所ノ事件ハ其必ス到来スヘキモノニ非ス偶然ノ運賦ヲ帯フルモノタルトキハ以テ条件ト為スヘキヤ否ヤヲ論断スルニ當リ再ヒ説明スル所アルヘシ
期限ニ二種アリ一ヲ「権利上ノ期限」トシ一ヲ「恩恵上ノ期限」ト為ス是レ既ニ一言シタル所ナリ権利上ノ期限トハ合意又ハ法律ヲ以テ定メタルモノヲ云ヒ期限ノ利益ヲ享受スル者ノ為メ一ノ権利ヲ構成スルカ故ニ此稱呼アリ恩恵上ノ期限トハ裁判所カ不幸且善意ナル債務者ニ許與スルモノ云ヒ特ニ之ニ加フル恩典ナリ是レ恩恵上ノ期限ノ稱アル所以ナリ此二者ノ効力相異ナル所ハ下ニ至リ之ヲ説明スヘシ
法律ヲ以テ期限ヲ定ムル塲合ハ甚ダ少ナシ今其一例ヲ擧クレハ賣買ヲ為シタルトキ賣渡物ノ引渡前代價ヲ請求スルコトヲ得ス又代價ノ弁済前ニ買取物ノ引渡ヲ要求スルヲ得サルカ如キハ即チ法律上ノ期限アル塲合ナリ(財産取得編第七十四条ヲ参観スヘシ)
之ニ反シ当事者ノ合意ヲ以テ期限ヲ定ムルハ実際最モ多カルヘシ又遺言ハ意思ノ合致ニ成ルモノニ非スシテ一方ノ意思ノミヲ示スニ過キサルモ亦合意ト同一ノ効力ヲ有シ之ヲ以テ期限ヲ定ムルコトヲ得
又本条第三項ハ当事者債務者ヲシテ其債務ヲ弁済スルカ為メニ多少ノ猶豫ヲ得セシムヘキコトヲ定メタル塲合ヲ想像シタリ蓋シ「債務者ノ為シ得ヘキトキ」又ハ「欲スルトキハ」弁済スヘシトノ語辞ヲ以テ契約ヲ結フコトハ実際少カラスト雖モ決シテ此語辞ニ拘泥シテ契約ヲ觧釈ス可カラス若シ其語辞ニ拘泥シテ之ヲ觧釈スルトキハ当事者ノ意思ニ反シ且上第三百五十六条乃至第三百六十条ニ掲クル所ノ合意觧釈ノ通則ニ背反スルノ最モ甚タシキモノト謂ハサル可カラス是ヲ以テ本条ハ其觧釈ノ誤謬ヲ豫防スルカ為メ特ニ第三項ノ規定ヲ設ケタリ
此場合ニ於テハ債権者其債務ノ履行ヲ請求スルニ當リ裁判所ハ事情ニ従ヒ且当事者ノ意思ヲ推尋シテ其履行ノ期限ヲ定ムヘキモノトス
然レトモ此場合ニ於テ裁判所ヨリ定ムル所ノ期限ハ所謂恩恵上ノ期限ナルモノニ非ス裁判所ハ只当事者ノ意思ヲ觧釈シテ之ヲ定ムルニ外ナラス然ルニ恩恵期限ナルモノハ一ニ裁判所ノ専権ヲ以テ債権者ノ意思ニ反スルモ猶ホ之ヲ許與スルモノナリ故ニ此期限ハ権利上ノ期限タルモノニシテ恩恵上ノ期限ニ非サルナリ而シテ之ヲ以テ恩恵期限ト為スヘキヤ否ヤハ実際ノ結果ニ差異ヲ生スルカ故ニ茲ニ之ヲ一言シタルモ決シテ無益ニ非サルナリ其結果ノ差異ハ権利上ノ期限及ヒ恩恵上ノ期限ノ異同ノ説明ニ就テ之ヲ見ルヘシ
第四百四條
凡ソ債務者ハ其義務ノ履行ヲ可及的遲延スルヲ以テ其利益トスルヤ明カナリ蓋シ債務者金銭ヲ拂フヘキノ義務ヲ負担スル塲合ニ於テ現ニ支拂フコトヲ得ヘキ金銭ヲ有スルトキト雖モ猶ホ他ニ之ヲ利用シテ其利益ヲ収ムルコトヲ得ヘク又其現ニ金銭ヲ有セサルトキ義務ノ履行ヲ遲延スルニ於テハ則チ他ヨリ弁済ノ用ニ供スヘキ金額ヲ借入レ多少ノ利息ヲ負担スルヲ免ルルヲ得ヘシ又商品ヲ引渡シ若クハ工事ヲ作為スヘキ場合ニ於テモ尚ホ其履行ヲ遲延スルトキハ他ニ同様ノ利益ヲ収ムルコトヲ得ヘシ是レニ因テ之ヲ見ルニ法律ニ於テ期限ハ債務者ノ為メニ設ケタルモノナリト推定スルハ即チ事物ノ実相ニ適合シタルモノナリ然レトモ是レ軽易ノ推定ニ過キスシテ合意ノ約款若クハ事実ノ情況ニ因リ之ニ反スル証拠アルトキハ之ヲ覆スコトヲ得又法律ヲ以テ期限ヲ許與シタル塲合ニ於テモ亦其期限ハ債務者ノ為メニ設ケタルモノト推定ス恩恵上ノ期限ニ至テハ判決ヲ以テ其債務者ニ許與シタルコトヲ明示スヘキカ故ニ毫モ其債務者ノ利益ヲ旨トスルコトニ付キ疑ヲ存セサルナリ只偶々債権者ノ為メニ恩恵上ノ期限ヲ許與スルコトナシトセサレトモ是レ実際極メテ稀レナルカ故ニ判決ヲ以テ明カニ其旨ヲ指示スヘシ故ニ亦疑議ヲ存スルコトナシ
然リ而シテ何人タリトモ自己ノ為メニ存スル利益ヲ抛棄スルヲ得ルハ一般ノ原則ナリ故ニ債務者ハ自己ノ為メニ期限ヲ設ケタルノ推定ニ反スル証拠ナキ限リハ期限前ニ弁済ヲ為スコトヲ得ヘシ蓋シ其債務ヨリ生スル利息自己ノ金銭ヲ以テ得ヘキ所ノ利益ニ超過シ又ハ他ヨリ之ヲ弁済スルカ為メ借用スル所ノ元本ノ利息ニ超過スルトキハ期限前ニ弁済ヲ為スノ利益アルヘキナリ縦令其債務ノ利息ヲ生セサルトキト雖モ猶ホ其現金ヲ有シ他ニ使用ノ途ナキトキハ弁済ヲ為シ義務ヲ免レ以テ損失又ハ盗難ノ危険ヲ豫防スルノ利アルヘシ
然レトモ亦債権者ノ為メ期限ヲ設クルコトナシトセス就中金銭ヲ目的トスル債務ニ関スルトキハ債権者モ亦損失若クハ盗難ノ患ヲ防クニ容易ナル手段アラサルニ當リ之ヲ免レンカ為メ其金銭ヲ貸與シタルコトアルヘク或ハ多少ノ期間他ニ其元本ヲ使用スルノ途ナキカ故ニ之ヲ貸與シ其利息ヲ収メンコトヲ計リタルコトアルヘシ又債権者工事ヲ作為セシムヘキ債権ヲ有スル塲合ニ於テモ特定ノ期間其工事ニ着手スルトキハ却テ債権者ニ無益ナルカ又ハ支障アルコトナシトセス斯ノ如キ場合ニ於テハ債権者モ亦債務者ト同一ノ権利即チ期限前ノ履行弁済ヲ要求シ以テ期限ノ利益ヲ抛棄スルノ権利ヲ有ス然レトモ期限前ノ履行ハ当初ノ合意ニ反スルカ故ニ債務者之ヲ豫見セサリシニ當リ忽チ之ヲ其履行ヲ要求スルトキハ之ヲシテ頗ル困難ヲ被ラシムヘシ是故ニ債権者期限ノ抛棄ヲ為スモ唐突ニ要求ヲ為シ債務者ニ困難ヲ及ホササルコトヲ要ス故ニ此場合ニ於テハ裁判所ハ債務者ニ猶豫期限ヲ許與シ以テ之ヲシテ其準備ヲ為スヲ得セシムルコトヲ得
又本条ハ当事者双方ノ利益ノ為メ期限ヲ設ケタル塲合ヲ想像シ此場合ニ於テハ其当事者ノ一方ハ他ノ一方ノ承諾ヲ得サレハ期限ヲ抛棄スルコトヲ得サルモノトセリ
当事者一旦自己ノ利益ノ為メニ定メタル期限ノ利益ヲ抛棄シタルトキハ復タ原合意ニ従ヒ履行ヲ遲延セシメント欲スルモ他ノ一方ノ承諾アルニ非サレハ之ヲ求ムルコトヲ得ス何トナレハ期限ノ抛棄アリタルトキハ一種ノ更改即チ新合意行ハルルモノニシテ之ニ因リテ他ノ當事者一ノ権利ヲ既得スルモノナレハナリ
末項ハ当事者錯誤ニ因リテ満期前ニ弁済ヲ為シタル塲合ニ付キ前ニ設ケタル所ノ規定ヲ準用スルコトヲ定ムルモノナリ(上第三百六十六条)蓋シ当事者錯誤ニ因リテ期限前ニ弁済ヲ為シタルトキハ期限ノ抛棄アリタリト謂フコトヲ得ス然レトモ錯誤ニ因リ満期前ニ弁済シタル所ノ物ノ取戻ヲ許ストキハ弁済ヲ領受シタル者ニ至大ノ損害ヲ及ホスヘキガ故ニ其取戻ハ法律ノ許スヘキ所ニ非ス
第四百五條
有期ノ義務ハ条件附ノ義務ト異ナリ契約成立ノ時ニ當リ即時完全ニ存立スルモノニシテ只其履行ノ遲延スルノミ然レトモ債権者若クハ法律カ債務者ニ期限ヲ許與スルハ是レ将来毫モ之カ為メ債権者ニ損害ヲ及ホスコトアラサルヘシト認メタルカ故ナリ故ニ契約後ノ事変ニ因リ債権者ニ損害ヲ及ホスノ恐アルニ至リタルトキハ債務者ヲシテ期限ノ利益ヲ失ハシメ債権者ヲシテ即時履行ヲ要求スルヲ得セシムルヲ至當トス
是ヲ以テ本條ニ債務者其期限ノ利益ヲ失フヘキ塲合ヲ定メタリ其塲合四アリ而シテ此規定タル特ニ債務者ニ對スル嚴例ナルカ故ニ他ノ場合ニ之ヲ比附援引スルコトヲ得ス
第一債務者ノ期限ヲ失フヘキハ其破産シタル場合ニ在リ是レ債務者ノ商人タルヲ想像シテ定メタル所ナリ蓋シ破産ハ未タ必スシモ債務者ノ眞ニ無資力ナルヲ証スルモノニアラスト雖モ亦実際其無資力タルコト多カルヘシ且破産ハ破産者ノ財産ノ清算ヲ致スモノナルカ故ニ若シ有期ノ債権者ヲシテ其財産ノ配当ニ与カラシメサルトキハ遂ニ之ヲシテ后日弁済ヲ受ケルコト能ハサラシムルニ至ルヘキナリ又本条ハ非商人ノ無資力ナルヲ以テ破産ト同一視シタリ然レトモ無資力ノ証明ハ破産ノ証明ニ比スレハ一層困難ナルカ故ニ無資力ハ「顕然タル」コト詳カニ之ヲ言ヘハ衆人ノ普ネク知ル所ト為リタルコトヲ要ストセリ
債務者期限ノ利益ヲ失フ第二ノ場合ニ於テモ亦是破産シ又ハ無資力トナリタル場合ニ於ケルト同シク債権者ヲシテ遂ニ弁済ヲ受クルコト能ハサルニ至ラシムルノ危害アルモノナリ故ニ亦有期ノ債権者ヲ保護シ之ヲシテ即時要求ヲ為スヲ得セシメ以テ此危害ヲ豫防スルヲ至当ト認メタリ但譲渡又ハ差押ニ係リタル財産カ「債務者ノ財産ノ多分」ヲ占ムルコトヲ要ス
第三ノ場合ニ於テハ債務者期限ノ利益ヲ喪失スヘキノ理一層明瞭ナリ蓋シ債務者一旦質若クハ抵当権ヲ設定スヘキコトヲ約束シナカラ遂ニ之ヲ設定スルコトヲ拒絶シ又ハ既ニ之ヲ設定シタル后之ヲ起滅シタルトキ例ヘハ抵当若クハ質トシタル土地上ニ存スル所ノ森林ノ樹木ヲ伐採シ又ハ建物ヲ崩壊シタルトキハ債務者其約束ニ背キ又ハ其約束ノ効力ヲ水泡ニ帰セシメンコトヲ謀リタルモノナレハ其期限ノ利益ヲ失フヘキヤ当然ナリ但抵当不動産ヲ譲渡シタルノ事実ハ其供シタル担保ノ毀滅ト看做ス可カラス何トナレハ抵当ハ終始第三取得者ニ対抗スルヲ得ヘキモノナレハナリ
債務者期限ノ利益ヲ失フ第四ノ場合ハ其期限ノ利益ニ應スル義務即チ填補利足ヲ弁済スルノ義務ヲ履行セサル場合ナリ蓋シ此場合ニ於テハ合意ノ双務ナラスシテ或ハ單ニ利息附ノ貸借タルコトアルヘシト雖モ亦義務ノ履行ナキニ因リ契約ヲ觧除スルニ外ナラス
本条ニ遲延利息ノ事ヲ言ハサルハ債務者ノ義務履行ヲ遲延シ之ヲ拂フノ義務ヲ負フニ至ルハ既ニ期限ノ到来シタル時ニ在ルカ故ナリ
第四百六条及第四百七条
第四百六条ノ原則ハ自然ノ人情ニ基キ之ヲ斟酌シテ定タルモノナリ
蓋シ第一権利上ノ期限ヲ設ケタルノ場合ニ於テモ猶ホ之カ為メ恩恵上ノ期限ヲ許與スルヲ得サルニ非ス第二執行力アル証書存在スルモ亦裁判所恩恵上ノ期限ノ許与スルコトヲ得ル旨ヲ法典ニ明記スルハ決シテ無用ニ非サルナリ蓋シ執行力アル証書中ニハ公正証書及ヒ判決ヲ包含スルモノナリ而シテ公正証書アル場合ニ於テ裁判所恩恵上ノ期限ヲ許与スルヲ得ルハ毫モ疑ヲ容ルヘキニ非スト雖モ既ニ判決アリタル場合ニ於テ裁判所其事件ニ付キ関係ヲ脱シタルカ故ニ其判決ニ恩恵上ノ期限ヲ許与セサリシトキハ更ニ之ヲ許与スルヲ得サルニ似タリ然レトモ立法上之ヲ見レハ決シテ裁判所ヲシテ其裁判所又ハ他ノ裁判所ノ言渡シタル判決ノ執行ヲ遲延スルヲ得セシムヘカラサルノ充分ナル理由アラサルナリ蓋シ判決ノ言渡ト執行ノ請求トノ間ニ於テ債務者不幸ノ地位ニ陥ヒルコトナシトセサルカ故ニ判決后ニ至ルモ猶ホ裁判所ヲシテ之ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルヲ得セシムルヲ至当ナリトス
訴権ノ目的タル義務ヲ約スル証書私署証書ナル場合ニ於テハ債務者債権者ノ訴追ヲ争ハサルトキハ之ニ應スルト同時ニ恩恵上ノ期限ヲ請求スへシ
又本条ハ裁判所恩恵上ノ期限ヲ許与スルモ其期限ノ「相應ナルコト、債務者不幸且善意ニシテ之ニ猶豫ヲ與ヘ以テ之ヲ保護スルニ足ルヘキコト及ヒ債権者之カ為メニ確実ナル損害ヲ受ケサルコト」ヲ要ストセリ蓋シ債務者ヲ保護セントシ遂ニ債権者ノ権利ヲ傷害スルニ至ルトキハ條理ニ反シ公義ニ戻ルト謂ハサルヲ得サレハナリ
又裁判所ハ啻ニ弁済ノ支拂期ヲ遲延スルヲ得ルノミナラス其弁済ヲ分割スルモ債権者ニ損害ヲ及ホスコトナキトキハ其分割ヲ許スコトヲ得蓋シ義務ノ目的金銭ナルトキハ弁済ヲ分割スルコト最モ至当ニシテ一部分ツツ弁済ヲ為ストキハ債務者其義務ヲ免カルルニ一層容易ナルコトヲ得ヘシ故ニ債務者順次受取ルヘキ金銭アルコトヲ疎明スルニ於テハ之ヲ一部分ツツ債権者ニ弁済ヲ為シ以テ之ヲ消費シ又ハ之ヲ失フノ危害ヲ免カルルコトヲ得ヘシ
第四百六条ノ末項ハ頗ル重要ナル問題ヲ断定スルモノニシテ若シ法律ニ之ヲ明定セサルトキハ遂ニ裁判所ノ判決一途ニ出テサルニ至ルヘシ抑モ本条ニ定ムル所ノ法則ハ公益ニ関スルモノト認ムヘキカ故ニ債務者ハ豫メ合意ヲ以テ恩恵上ノ期限ヲ請求スルノ権能ヲ抛棄スルコトヲ得ス若シ之ヲシテ豫メ恩恵上ノ期限ヲ抛棄スルノ合意ヲ為スコトヲ得セシムルトキハ債権者ハ必ス之ニ豫メ其抛棄ヲ為スコトヲ請求スヘク而シテ債務者借用ヲ為シ又ハ即時代金ヲ拂ハサルニ当リ債権者ノ要求ヲ聴カサレハ契約ヲ為スコト能ハサランヲ恐レ已ムヲ得スシテ遂ニ之ニ服従スルニ至ルヘシ是ヲ以テ如何ナル合意ニ於テモ必ス豫メ恩恵上ノ期限ヲ請求スルノ権能ヲ抛棄スルノ約款ヲ設クルヲ文例ト為スニ至リ遂ニ法律ノ人情ニ基キ債務者ヲ保護セントスルノ目的到底貫徹セサルニ至ルヘシ然レトモ当事者ハ其一方ノ義務ヲ履行セサルコトアラハ明示ノ觧除即チ当然ノ觧除ヲ行フヘキ旨ヲ約スルコトヲ得此約款アル場合ニ於テハ觧除ヲ宣告セシムルカ為メ裁判所ニ請求ヲ為スノ必要アラサルカ故ニ遂ニ裁判所ハ恩恵上ノ期限ヲ許与スルノ権ヲ行フコト能ハサルヘシ然レトモ此場合ト本条ニ仮定スル場合トノ間ニハ大ニ其趣ヲ異ニスルモノナリ即チ債権者ハ其従来有シタリシ権利ヲ復スルニ付テハ其新ニ権利ヲ行用スルニ比シ一層容易ナルヲ得サル可カラス
尚ホ債務者直接タルト間接タルトヲ問ハス豫メ恩恵上ノ期限ヲ抛棄スルコトヲ得サルノ原則ヨリ生スル所ノ一ノ結果アリ即チ履行遲延ノ場合ノ為メ過怠約款ヲ設ケタルトキ要求期ニ至リ債権者過怠約款ヲ請求シ債務者恩恵上ノ期限ヲ乞フヘキ位置ニ在ルコトヲ証明シ以テ猶豫ヲ請求シタルトキハ裁判所ハ多少ノ猶豫期限ヲ債務者ニ許与スルコトヲ得ヘシ勿論此場合ニ於テハ其期限甚タ長カラサルコトヲ要ス
然リ而シテ裁判所恩恵上ノ期限ヲ許与スルノ権能アルハ公ケノ秩序ニ基クモノナリト雖モ亦未タ之カ為メ裁判所ヲシテ債務者ノ請求ナキニ職権ヲ以テ恩恵上ノ期限ヲ許与スルヲ得セシムルニ足ラサルナリ故ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルハ債務者之ヲ得ンコトヲ申述シ且其必要アルコトヲ多少疎明シタルコトヲ要ス若シ裁判所ニテ債務者ノ請求ナキニ之ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルトキハ越権ノ處分ト謂ハサルヲ得サルヘシ
恩恵上ノ期限ハ権利上ノ期限ニ比シ効力較少キヤ当然ニシテ之ヲ喪失スル一層容易ナルヤ当然ナリ第四百七条ニ就テ其然ルヲ知ルヘシ
権利上ノ期限ヲ喪失セシムル所ノ原因ハ亦恩恵上ノ期限ヲ喪失セシムルノ原因タルヤ敢テ弁明ヲ要セサル所ニシテ此他恩恵上ノ期限ヲ失フヘキ場合尚ホ四個アリ
第一債務者逃亡シタル場合ニ於テハ必ス恩恵上ノ期限ノ利益ヲ失フヘシ而シテ本条ハ債務者其「居所ヲ隠秘」シタル場合ヲ以テ其逃亡ノ場合ト同一視シタリ蓋シ債務者其住所ヲ去リテ債権者ニ居所ヲ隠秘スルトキハ即チ其債権者ノ監督ヲ免カレンコトヲ求メタルモノニシテ復タ善意ナルモノト謂フ可ラサルカ故ニ須ラク之ヲシテ期限ノ利益ヲ失ハシムヘキナリ
第二債務者一年以上ノ禁固ノ刑ヲ受ケタルトキハ亦期限ノ利益ヲ失フヘシ此場合ニ於テ期限ノ利益ヲ喪失スルノ理由ハ第一ノ場合ニ於ケルト少シク異ナル所アリ蓋シ債務者自己ノ犯罪ノ為メ禁固ニ処セラルルニ至リタルモ其犯罪ハ敢テ債権者ノ預リ知ルヘキ所ニアラスシテ之カ為メ債務者ヲシテ期限ノ利益ヲ失ハシムルモノニ非ス其期限ヲ失フハ禁固ニ處セラレタルカ為メ金銭上窮困シ遂ニ債権者満期ニ至リ弁済ヲ受クルコト能ハサルニ至ルノ恐レアルカ故ナリ
第三裁判所ニテ債権者ニ債務ノ分割ヲ許シ数期ニ其弁済ヲ為スコトヲ許シタル場合ニ於テ債務者其債務ノ一部分ヲ弁済セス一旦得タル所ノ猶豫期限ノ一ヲ經過シタルトキハ最早示后正確ニ其義務ヲ履行スルコトヲ希望スルヲ得サルカ故ニ債務ノ全部即時要求スルヲ得ルモノトナルヘシ
第四ノ場合ハ較々詳察ニ説明スルヲ要スルモノナリ夫レ相殺ハ義務消滅ノ方法ノ一タルモノナリ蓋シ当事者相互ニ債権者タリ又債務者タル場合ニ於テハ二個ノ債務其寡少ナル債務ノ数額ニ満ツルマテ消滅スルモノナリ之ヲ称シテ相殺ト云フ然レトモ相殺ニ因リ当然相互ノ債務消滅スルハ其債務多少性質ヲ同フスルコトヲ要ス就中其共ニ要求期ニ達シタルコトヲ要ス(本編第五百二十条ヲ参看スヘシ)蓋シ弁済ハ期限ノ到来前ニ要求スルコトヲ得サルモノナリ故ニ亦相殺モ期限前ニ行ハルルヲ得可カラス然リト雖モ此点ニ関シ権利上ノ期限ト恩恵上ノ期限トノ間ニ差異アリテ相殺ノ妨碍トナルモノハ権利上ノ期限ノミ恩恵上ノ期限ニ至テハ相殺ノ妨碍トナルモノニ非ス是レ條理上自ラ然ルヘキ所ナリ抑々恩恵上ノ期限ハ債務者弁済ヲ為シ義務ヲ免カルルノ困難ナルカ故ニ特ニ之ニ附与シタル恩恵ナリ然ルニ其更ニ債権者トナリ自己ノ債務ト債権者ノ債務ト相殺スルヲ得ヘキ場合ニ至リタルトキハ復タ債務者ヲシテ恩恵上ノ期限ノ利益ヲ有セシムルノ理由存セサルナリ然ラハ即チ債務者ノ資産ヲ回復シ現ニ弁済ヲ為スノ資力ヲ得ルニ至リタルトキハ毎ネニ債務者ヲシテ法律上恩恵上ノ期限ノ利益ヲ失ハシムヘシト云フ者アラン然レトモ資産ノ増殖ヲ以テ恩恵上ノ期限喪失ノ原因ト為ストキハ遂ニ紛綜錯雑ナル訴訟ヲ醸成シ債権者ヲシテ絶ヘス債務者ノ資産ヲ注視シ漫リニ債務者ノ財産ヲ調査スルヲ得セシムル至ルヘクシテ其当ヲ得タリト謂フ可カラス然ルニ相殺ノ場合ニ於テハ決シテ斯ノ如キ弊害アルコトナシ何トナレハ当事者間ニ於テ債務者ノ弁済ヲ為スノ資力ヲ回復シタル明白ナル証明アルカ故ナリ
第四百七条ノ末項ハ二個ノ理由ニ基キ制定シタルモノナリ蓋シ債務者一旦恩恵上ノ期限ヲ得タルモ之ヲ利用スルコト能ハサリシトキハ重ネテ同一ノ恩恵ヲ受クルニ足ラサルモノナリ是レ其第一ノ理由ナリ又裁判所ハ一旦恩恵上ノ期限ノ請求ニ付キ判定ヲ為シタルトキハ此事ニ関シ其権力ヲ行用シ尽シタルモノナリ是レ其第一ノ理由ナリ
債務者既ニ第四百五条及ヒ第四百七条ニ拠リ権利上ノ期限若クハ恩恵上ノ期限ヲ失フヘキ場合ニ在リタルトキハ恩恵上ノ期限ヲ請求スルヲ得ス是レ法文ヲ待タスシテ自カラ明カナル所ナリ
裁判所ハ権利上ノ期限若クハ恩恵上ノ期限ノ喪失ヲ言渡スニ付キ亦恩恵上ノ期限ヲ許与スルトキニ於ケルト同シク必ス当事者ノ請求アルヲ待タサル可カラス蓋シ期限喪失ノ事ハ公ケノ秩序ニ関スルモノニ非サルカ故ニ裁判所職権ヲ以テ此点ニ付キ判決ヲ為スコト能ハサルナリ然レトモ是レ亦特ニ法文ニ記載スルヲ要セサルモノト認メタリ
第四百八条及ヒ第四百九条
条件ハ其定義ニ依テ之ヲ見ルモ亦大ニ期限ト異ナルモノナリ蓋シ期限ハ義務ノ発生成立ヲ停止スルモノニ非ス單ニ其履行ヲ停止スルニ止マルモノナリト雖モ条件ニ至テハ義務ノ成立ヲ停止シ單ニ其発生又ハ觧除ヲ遲延スルニ止マラス条件ヲ帯フル義務ノ発生又ハ觧除ハ未定ノ運賦ニ繋リ不確定ノモノニシテ債権者若クハ債務者ノ利益ヲシテ判然セサラシムルモノナリ故ニ各当事者ノ幸不幸ハ一ニ運賦ニ委シ契約ハ条件ヲ附シタル一事ニ因リ射倖トナルモノナリ
第四百八条ニ依ルニ条件ハ停止ト觧除トノ二種ト為ス条件ノ停止ナル場合ニ於テハ其条例ヲ附シタル義務ハ合意ノミニ因リ成立スルモノニ非ス其義務ヲ発生セシムルモノハ条件ノ成就ナリ又条件ノ觧除ナル場合ニ於テハ契約ノ効力ノミニ因リ直チニ義務発生スト雖モ當時車間ノ約定シタル或ル事件ノ到来スルトキハ其義務觧除スヘシ詳カニ之ヲ言ヘハ義務ハ既往ニ溯テ消滅シ恰モ其未タ曽テ存セサリシ如クナルモノナリ
学者中条件ハ「必ス停止」ニシテ所謂停止条件ナルモノハ義務ノ発生ヲ停止シ觧除条件ナルモノハ義務ノ觧除ヲ停止スルモノナリト云ヘリ是レ失当ノ言ニ非スシテ羅馬法ニ基クモノナリト雖モ本法ニ於テハ通俗ノ称呼ヲ用ヰ債権者ノ権利ヲシテ発生セサルコトアラシムルモノヲ称シテ停止条件ト云ヒ其権利ヲシテ一旦発生セシムルモ之ヲ消滅セシムヘキモノヲヲ称シテ觧除条件ト云ヘリ且条件ヲ停止ト觧除トニ区別セサルトキハ義務ニ条件ヲ附シタルニ非スシテ物権ニ条件ヲ附シタル場合ニ於テ用語上較々錯雑ヲ免カレサルヘシ
第四百八条ハ第一項ニ於テ義務ニ条件ヲ附シタル場合ヲ仮定シ第二項ニ於テ物権即チ所有権若クハ其支分権ノ一又ハ債権ノ物上担保ニ同一ノ躰様ヲ附スルコトヲ得ル旨ヲ明記シタリ
物権ニ条件ヲ附シタル場合ニ於テハ其条件ハ二様ノ効力ヲ生スルモノニシテ須ラク注意ヲ要スルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ其条件ハ当事者ノ一方ノ為メ停止ニシテ一方ニハ觧除タルヘシ
例ヘハ賣主ノ遠国ニ旅行スルヲ以テ停止条件トシ不動産ノ譲渡ヲ約シタリトセンニ此場合ニ於テハ買主ノ権利未タ発生セサルカ故ニ其条件ハ之ヲ称シテ停止条件ト云フヘシト雖モ亦其条件ノ成就スルトキハ買主ノ権利ヲ発生セシムルト同時ニ賣主ノ権利ヲ觧除スルモノナリ故ニ賣主ノ為メニハ其条件觧除条件タルモノナリ又前例ヲ翻シ即時不動産ノ譲渡ヲ為シタルモ賣主再ヒ其地ニ帰リ来リタル場合ニ於テハ其賣買ヲ觧除スヘキコトヲ約シタリトセン此場合ニ於テハ買主ノ権利觧除条件付ニシテ賣主ノ権利ハ停止条件付ナリ詳カニ之ヲ言ヘハ条件ノ成就スルトキハ買主ヲシテ啻ニ将来ニ向ヒ所有権ヲ失ハシムルノミナラス亦既往ニ溯リ所有権ヲ失ハシメ賣主ヲシテ其所有権ヲ回復セシム其効力ヲシテ既往ニ溯ラシメ賣主ヲシテ恰モ継続シテ所有権ヲ有シタリシ如クナラシムルモノナリ
其レ斯ノ如ク条件ニ二様ノ効力アルカ故ニ其結果トシテ觧除条件付ノ権利ヲ有シタル者ノ物上ニ設定シタル権利ハ条件付ノ権利ト共ニ消滅シ之ニ反シ停止条件付ノ権利ヲ有シタル者ノ設定シタル権利ハ停止条件付ノ権利ト共ニ確定スルモノナリ
夫レ然リ而シテ条件ヲ設ケ物権ノ譲渡ヲ為シタル場合ニ於テ其各条件ニ二様ノ効力アルハ物権ノ性質ニ起因スルモノナリ蓋シ物権ハ一旦発生スルヤ必ス之ヲ有スル者アリテ一人ノ資産ヲ離ルレハ必ス他人ノ資産ニ入リ后ノ権利主ノ資産ヲ脱スレハ必ス前ノ権利主ノ資産ニ復スルモノナリ然ルニ条件ヲ設ケテ義務ヲ約束シタル場合ニ於テハ其条件二様ノ効力生スルモノニ非ス蓋シ義務ハ合意以前ニ毀存スルモノニ非ス合意ハ之ヲ発生セシムルモノニシテ之ヲ移轉セシムルモノニ非ス故ニ義務ニ停止条件ニ繋ルトキ其条件成就スルニ於テハ債権者ノ権利発生スト雖モ決シテ債務者ノ資産ヲ脱シ債権者ノ資産ニ移ルモノト謂フヘカラス又義務ノ觧除条件ヲ帯フル場合ニ於テ其条件成就スルトキハ債権者ヲシテ権利ヲ失ハシムルト雖モ其権利ハ更ラニ債務者ノ資産ニ復スルモノニ非ス
是ヲ以テ人権ニ停止条件若クハ觧除条件ヲ附シタルトキハ其条件ハ偏ヘニ停止若クハ觧除ノモノタルヘシト雖モ物権ニ条件ヲ附シタルトキハ其条件一方ニ停止ナレハ必ス一方ニ觧除ノモノタルヘシ
然リト雖モ人権ニ附シタル一個ノ条件ニシテ停止ト觧除トノ二個ノ性質ヲ併有スル場合アリ然レトモ是レ上ニ述フル所ノ例外ニ非ス即チ債権ノ既存スルニ当リ債権者之ヲ譲渡シタル場合ニシテ其譲渡ニ停止条件ヲ附シタルトキハ条件成就スルニ於テハ其債権ハ譲渡人ノ資産ヲ離レ譲受人ノ資産ニ入ルモノナリ又其譲渡ニ觧除条件ヲ附シタルトキ条件ノ成就ニ因リ觧除ノ行ハルルニ於テハ譲受人其権利ヲ失ヒ譲渡人之ヲ復スルモノナリ故ニ此場合ニ於テハ一個ノ条件ニシテ二個ノ効力ヲ生スルコト恰モ物権ノ譲渡ノ場合ニ於ケルト同一ナレトモ是レ譲渡シタル人権ノ合意前ニ既存シタリシカ故ナリ
是ニ由テ之ヲ見レハ総テ条件ハ物権ノ移轉ニ附シ又ハ既存シタル人権ノ移轉ニ附シタルトキハ当事者ノ一方ニ停止条件タレハ他ノ一方ニ觧除条件タルモノナリ然リト雖モ其名称ヲ混用シ事理ヲ錯雑セシム可カラス必ス一個ノ条件ハ停止条件ト称セサレハ觧除条件ト称スヘシ其効力ノ一方ニ停止ニシテ一方ニ觧除ナルカ為メ其名称ヲ混用ス可カラス然ラハ即チ如何ナル標準ニ依リテ条件ノ停止条件タルヤ将タ觧除条件タルヤヲ区別スヘキヤ是レ冝ク譲渡シタル権利ニ及ホス直接ノ効力ニ依リ定ムヘキ所ニシテ譲渡人ノ留保シタル権利ニ及ホス間接ノ効力ニ依リ之ヲ決ス可カラス是ヲ以テ買主ニ附与シタル権利ヲ停止スルトキハ其賣買ハ「停止条件付ノモノ」ト云フヘク賣主ノ留保シタル権利ニ及ホス間接ノ効力タル觧除ノ事ハ之ヲ問フヘカラス之ニ反シ現ニ買主ニ附与シタル権利ノ觧除スヘキモノタルトキハ賣買ハ「觧除条件付ノモノ」ト称シ賣主ノ留保シタル権利ニ及ホス条件ノ間接ナル停止ノ効力ハ之ヲ問フヘカラス
其レ然リ各条件ニ名称ヲ附スルニ当リテハ其間接ノ効力ヲ問ハス直接ノ効力ヲ標準トスヘシト謂フト雖モ条件ノ理論ヲ攻究シ其眞相ヲ穿ツトキハ亦必ス其間接ノ効力ヲ考フルコトヲ要ス就中停止条件及ヒ觧除条件ノ場合ニ於テ当事者中何レカ意外ノ滅失ノ危険ヲ担當スヘキヤノ点ヲ定ムルニ至リテハ条件ノ間接ノ効力ヲ考フルヲ必要トス(下第四百十九条ヲ参看スヘシ)
第四百八条ハ条件ト称スル事件二個ノ性質ヲ具有スヘキコトヲ示スモノナリ即チ条件タル事件ハ「未来ニシテ且不確定ナルコト」ヲ要ス故ニ事件ノ現ニ到来シタルトキハ縦令当事者之ヲ知ラサルモ之ヲ以テ条件ト為スコト能ハス今皮想視スレハ此場合モ亦未来且不確定ナル事件ヲ以テ条件トシタル場合ト同一ナルヘキカ如シ例ヘハ当事者其合意ノ効力ヲシテ海陸遠征ノ勝利ニ繋カラシメタルトキノ如キ其遠征ノ結果現ニ定マリタルモ当事者之ヲ知ラサルニ於テハ未来ノ事件ヲ以テ条件ト為シタルト同一ノ結果ヲ生シ遠征ノ結果勝利ニ帰シタルトキハ合意ノ効力既往ニ溯テ発生シ之ニ反スルトキハ合意当初ヨリ無効ノモノト看做サルヘキカ如シ然レトモ骨相視スレハ此場合ト眞ノ条件アル場合トノ間ニハ至大ノ差異ノ存スルモノアリ蓋シ事件ノ現ニ到来シタルトキハ当事者縦令之ヲ知ラサルモ猶ホ合意ヲ為シタル時ニ在テ直チニ義務ノ存否確定シタルモノナリ故ニ其義務成立シタルトキハ総テ其効力ヲ生スルノ妨碍トナルモノナク又存立セサルトキハ毫モ尓后ノ其効力ヲ生セシムルモノナシ是ヲ以テ当事者ニ利害ノ運賦アルコトナク当事者ノ豫見シタル事件ノ既ニ生シタリシトキハ義務ヲ発生セシムルモノハ其事件ニ非スシテ合意ナリ又其事件ノ発生セサリシトキハ義務到底発生スルコトナク更ニ同一ノ趣意ヲ以テ合意ヲ為スニ非サレハ同一ノ義務ヲ創設スルコト能ハサルナリ故ニ此場合ニ於テハ条件付ノ合意アラサルナリ
以上述フル所ハ眞ノ条件アル場合ト然ラサル場合トノ理論上ノ差異ナリ今其実際上ノ差異ヲ示サンニ義務ヲシテ眞ノ条件ニ繋ラシメタル場合ニ於テ事件ノ到来前意外ノ事ニ因リ負担シタル物ノ滅失シタルトキハ義務目的ナキニ因リ成立スルコト能ハス是レ前ニ述ヘタル所ニシテ其理由ハ下ニ至リ之ヲ詳明スヘシ是ヲ以テ債務者ハ其物ヲ失ヒ而シテ合意ニ因リテ得ンコトヲ企図シタル利益ヲ得サルニ因リ結局滅失ノ結果ヲ被ルモノナリ然ルニ義務ノ発生ヲシテ現ニ到来シ唯当事者ノ知ラサル事件ニ繋ラシメタルトキハ債権者自ラ其権利ノ発生ヲ知ラサルモ既ニ其権利発生シタルニ因リ負担物ノ滅失ハ債権者ノ損失ニ帰スヘシ蓋シ当事者ノ知ラサル事件ハ其実「不確定ナル期限」タルニ過キスシテ当事者其事件ヲ知ルニ至リタルトキハ期限到来シタルモノトス而シテ期限ハ権利ノ発生ヲ遲延スルモノニ非ス只其要求期ヲ遲延スルニ過キサルカ故ニ債権者物ノ滅失ノ危険ヲ担当セサルヘカラス
第四百九条ノ末項ハ条件ノ停止タルト觧除タルトヲ問ハス之ヲシテ溯及力ヲ生セシメ其成就スルトキハ既往ニ溯リ義務若クハ物権ヲ発生セシメ又ハ之ヲ觧除セシムルモノトシ以テ条件ノ性質ヲ詳悉シタリ蓋シ本項ニ於テ先ツ条件ニ溯及力アルコトヲ示シタルハ即チ其性質ヲ明カニセンカ為メニシテ其結果ニ至リテハ次条ニ之ヲ定ム
第四百十条
本条ハ条件ノ溯及力ノ原則ト停止条件及ヒ觧除条件ノ各々前記二様ノ効力ヲ生スルノ原則トヲ併セテ確定スルモノナリ左ニ之ヲ諸種ノ説例ニ適用シ以テ之ヲ説明セン
第一、金銭若クハ其他ノ物ヲ目的トスル義務ヲ停止条件付ニテ約束シタル場合ニ於テハ其条件ノ成就セサル間ハ債権者ハ未定ノ権利ヲ有スルニ過キスト雖モ亦其権利ヲ之ニ附着スル所ノ躰様ヲ附シタル侭ニテ譲渡スコトヲ得而シテ其譲渡人豫メ債務者ニ其譲受ヲ為シタルコトヲ告知シタリシトキハ条件成就スルヲ待テ債権ヲ行フコトヲ得ヘシ又其条件ノ虧缺スルトキハ其債権消滅スヘシ
然リ而シテ譲受人譲渡人ニ対シ担保訴権ヲ行ヒ以テ代價ノ返還ヲ請求スルノ権利アルヤ否ヤノ点ニ至テハ譲渡契約ノ約款ニ従ヒ決定スヘキモノナリ而シテ單ニ停止条件付ノ債権ヲ譲受ケタル者ハ代價ノ返還ヲ請求スルヲ得サルヲ通則トスヘシ何トナレハ条件付ノ債権ノ譲渡ハ債権自体ト同シク亦射倖ノ性質ヲ有スルモノナレハナリ抑モ債権ノ譲渡人ハ特ニ要約ヲ為ササルモ当然債権ノ成立ヲ担保スルモノナリト雖モ条件付ノ債権ハ条件付ナル躰様ヲ有シテ成立スルカ故ニ決シテ成立セサルモノト謂フ可カラス故ニ其譲渡人ハ其成立ノ担保ノ責ニ任スヘキモノニ非ス蓋シ譲受人ニ条件ノ存スルコトヲ示シタル以上ハ譲受人ハ其譲受ケタル権利ノ成立未定ナルコトヲ知ラサル可カラス既ニ其成立ノ未定ナルヲ知リタル以上ハ其権利未定ノ運賦ヲ帯ヒテ成立シタルモノト謂ハサル可カラス
右ニ仮定スル場合ニ於テハ条件付ノ債務者ハ未タ必スシモ其義務ニ対当スル権利ヲ有セサルヘシト雖モ亦決シテ之レ無シト云フ可カラス蓋シ其契約ノ双務ナルトキハ債務者モ亦譲渡スコトヲ得ヘキ権利ヲ有スヘシ然リト雖モ亦其権利ハ条件付ノモノニシテ之ヲ譲渡シタルノ結果ハ上ニ述フル所ト同一ナルモノトス
第二、單純ナル債権若クハ有期ノ債権二人間ニ存在シタリシトキ債権者停止条件付ニテ之ヲ第三者ニ譲渡スコトアリ此場合ニ於テハ債権者ハ停止条件付ニテ其債権ヲ保存スルコトハ前ニ第四百八条ノ理由ヲ説明スルニ当リ述ヘタル所ナリ是ヲ以テ当事者ハ各々其譲渡ニ付キ相互ニ反対ノ条件ヲ帯フル権利ヲ有スルカ故ニ各其権利ヲ之ニ附着スルノ条件付ノ侭ニテ処分スルコトヲ得詳カニ之ヲ觧スレハ譲受人ハ賣買若クハ贈與ニ因リ其未定ノ債権即チ条件付ノ債権ヲ處分スルコトヲ得又譲渡人ハ其現ニ存スルモ后日觧除スルコトアルヘキ債権ヲ處分スルコトヲ得而シテ当事者間最初ニ約束シタル所ノ譲渡ノ条件成就スルトキハ譲受人ノ為シタル譲渡其効力ヲ生シ譲受人ノ為シタル再譲渡觧除スヘシ之ニ反シ最初ノ譲渡ノ条件成就セサルトキハ譲受人ノ譲渡觧除シ譲渡人ノ為シタル再譲渡其効力ヲ生スへシ
又最初ノ譲渡ヲ觧除条件付ニテ約束シタルトキハ当事者ノ位置及ヒ其間ニ生スル所ノ結果右ニ述フル所ト正ニ反対スヘシ
然レトモ譲渡ノ目的タル債権ノ客格タル債務者ニ至テハ依然單純ニ其債務ヲ負担シ又ハ有期ニテ之ヲ負担スヘシ故ニ其債務者ハ自己ニ対スル債権者中権利ノ確定シタル者ニ弁済スヘシ且其債権者中何レノ権利モ未タ確定セサルモ自己ニ対シ弁済ノ要求アリタルトキハ現ニ成立スル所ノ権利ヲ有スル者ニ弁済ヲ為スヘシ縦令后日觧除スルコトアルヘキモ現ニ存スル所ノ権利ヲ有スル債権者ハ該債務者ヨリ弁済ヲ受クルコトヲ得ヘシ
第三、停止条件ヲ設ケテ所有権ヲ譲渡スコトアリ此場合ニ於テハ譲渡人ハ觧除条件付ニテ其所有権ヲ保有スルモノニテ当事者ハ各自己レニ属スル権利ヲ之ニ附着シタル条件付ノ侭ニテ譲渡スコト得故ニ譲受人ノ権利ヲ確定スル所ノ事件ハ譲渡人ノ権利ヲ觧除スヘシ隨テ譲受人ノ為シタル譲渡ノ確定シ譲渡人ノ為シタル再譲渡ヲ觧除スヘシ之ニ反シ最初ノ譲渡觧除条件付ナルトキハ譲渡人ハ停止条件付ニテ所有権ヲ保存スルモノナルカ故ニ譲渡人若クハ譲受人ノ更ラニ為シタル譲渡ハ各譲渡人ノ権利ト共ニ觧除シ又ハ確定スヘシ
右ノ説明タル少シク錯雑スルニ似タリト雖モ是レ只表見上然ルノミニテ其実決シテ然ルモノニ非ス一タヒ之ニ関スル原則ヲ確定スルトキハ自ラ其結果ヲ演繹スルコトヲ得ルモノト謂フヘシ
第四百十条第二項ハ以上述フル所ノ効力ヲ以テ当事者若クハ其承継人ト他ノ当事者ノ承継人トノ間ニ相対抗セントセハ債権ノ譲渡及ヒ不動産譲渡並ニ不動産権設定ノ為メニ法律ニ定メタル公示ノ方式ニ従フコトヲ要スルモノトセリ
蓋シ条件付ノ権利ヲ有スルニ過キサル者單純ニ之ヲ有スト称シ之ヲ譲渡スモ譲受人ハ豫メ其譲受ケタル権利ニ附着スル所ノ条件ヲ知ルヲ得ヘキトキニ非サレハ条件成就セサル場合ニ至リ対手ノ為メ決シテ追奪ヲ被ル可カラサルヤ明カナリ是ヲ以テ条件付ニテ譲渡シタルモノ不動産物権タルトキハ之ニ附着スル所ノ条件停止ナルト觧除ナルトヲ問ハス譲渡人ノ譲渡証書ノ登記ニ依リ之ヲ公示セサル可カラス又条件付ニテ譲渡シタルモノ債権タルトキハ其条件ヲ債券証書ニ記載シタルヲ以テ譲受人ヲシテ条件アルコトヲ知ラシムルニ足ルヘキナリ又別異ノ証書ヲ以テ条件ト定メタルトキハ譲受人ハ債務者ニ自己ノ譲受ノ告知ヲ為ス時ニ当リ其債権ニ条件ノ附着スルコトヲ知ルヲ得ヘシ然レトモ若シ譲受人ニ其譲受ケタル債権ニ条件ノ附着スルコトヲ知ラシメサリシトキハ決シテ之ニ条件ヲ対抗スルコト能ハス何トナレハ総テ権利ハ必ス單純ナルモノト推定セサル可カラス之ニ附着スル条件アルハ普通法ニ対スル一ノ例外ナレハナリ
第四百十一條
本条ハ管理行為ヲ為シタル者ノ権利ニ条件附着スルモ其管理行為ニハ条件ヲ附着セサルコトヲ定ムルモノニシテ即チ前条ニ一ノ例外則ヲ加ヘタルモノナリ今適例ヲ擧ケテ之ヲ説明センニ觧除条件ヲ帯ヒタル所有権ヲ有スル者其目的物ヲ第三者ニ賃貸シ而ル后条件成就シ觧除ノ行ハレタルトキハ、其権利ノ消滅シタルニ拘ハラス其約束シタル所ノ賃貸借契約ハ依然効力ヲ生スヘキモノトス蓋シ法律ニ此限定ヲ設ケタル所以ハ公益ヲ計リタルニ在リ実ニ財産ヲ賃貸シ又ハ有益ニ之ヲ管理スルハ社會一般ノ利益ナリ然ルニ若シ家屋又ハ土地ノ賃借人ノ権利其関係セサル所ノ条件ノ効力ニ因リ消滅スルコトアルヘキトキハ遂ニ何人モ其賃借人タルコトヲ欲セサルニ至リ為メニ財産ノ融通ヲ害シ其管理ヲ妨ケ公益ヲ傷害スルニ至ルヘシ
然レトモ条件付ノ債権者ノ為シタル管理行為ヲシテ有効ナラシムルニハ其「善意ニ出テ且法律ニ従ヒテ」為シタルモノタルコトヲ要ス然ルニ管理行為ヲ為シタルモノ例ヘハ賃貸人縦令暫時ナリトモ觧除条件ノ成就ニ因リ所有権ヲ復スヘキ者ヲシテ財産ノ収益ヲ失ハシメ自ラ其利益ヲ占メントスルノ目的ニ出テ賃貸契約ヲ為シタルトキハ其行為ハ善意ニ出テタルモノト謂フ可カラス況ヤ条件ノ既ニ成就シ又ハ将ニ成就セントスル時ニ当リ賃貸借契約ヲ為シタルトキハ其行為ハ悪意ニ出テタルヤ明カナリ又動産ニシテ通常所有者ノ賃貸スヘカラサルモノヲ賃貸シタル場合ニ於テモ亦其行為ハ善意ニ出テタルト謂フ可カラス
本条ハ管理者ト結約シタル所ノ第三者善意ニ出テ其契約ヲ為シタルコトヲ必要トセス是ヲ以テ第三者ハ管理者例ヘハ賃借人ノ権利ニ条件ノ附着スルコトヲ知リタルトキト雖モ猶ホ其取結ヒタル所ノ賃借契約ハ之カ為メ効力ヲ有セサル可カラス是レ亦建物及ヒ土地ノ賃貸借ヲ保護スルハ経済上公益ニ利アルカ故ナリ然レトモ賃貸借契約取結ノ前既ニ觧除条件ノ成就シタリシトキハ縦令第三者之ヲ知ラサルトキト雖モ猶ホ該条件ニ繋ル所ノ所有物ノ賃貸借ハ第三者ノ為メ其効力ヲ生スルコト能ハサルヘシ何トナレハ此場合ニ於テハ第三者所有者ニ非サル者ト約束シタル者ニ外ナラサレハナリ
管理行為ノ「法律ニ従ヒ」為シタルモノニ非サル場合ヲ例言センニ他人ノ財産ヲ管理スル者ノ約束スルコトヲ得サル期間又ハ其他ノ条件ヲ約シテ賃貸ヲ為シタルトキノ類即チ是レナリ(本編第百十九条以下ヲ参看スヘシ)
夫レ既判力ハ法律上絶対的ニ眞実ト推定スルニ因リ判決ハ完全ナル証拠ノ性質ヲ有スルモノナリ是ヲ以テ判決ハ總テ之カ為メニ害ヲ受クヘキ関係人ニ対抗スルコトヲ得又之カ為メ利益ヲ受クル者ヨリ之ヲ申立ツルコトヲ得ヘク毫モ之カ為メ利害ヲ受クル所ノ者何人タルカヲ区別スルヲ要セスト思フ者アラン然レトモ条理公義ニ照シ之ヲ考フルトキハ何人タリトモ自己ノ請求セス又其防禦セサリシ所ノ判決ノ為メニ害ヲ受クルコトアル可カラス縦令裁判官ハ如何ニ賢明公平ナリト謂フト雖モ亦訴訟ニ係リタル事件ニ関シ判決ヲ為シ其審按スル所ノ証拠ニ付キ裁判ヲ為スニ止マルヘキモノトス是ヲ以テ既判力ハ自身若クハ代人ヲ出シ原告若クハ被告トシテ訴訟ニ参加シタル関係人ノ外ニ利害ヲ及ホササルヤ学者ノ定論トスル所ナリ此原則タル嘗テ開示シタル所ニシテ又証拠編ニ至リ充分ニ説明スヘキ所ナレトモ亦既ニ本条第二項ニ於テ之ヲ適用シ之ニ附スルニ二個ノ例外ヲ以テシタリ此例外タル多少説明ヲ要スル所ナルヲ以テ左ニ之ヲ弁明セン
第一、訴訟ニ関係セサル所ノ者ト雖モ猶ホ判決ノ自己ニ利益アルトキハ之ヲ申立テ又自己ノ利益ニ反スルトキハ之ヲ排斥スルコトヲ得
第二、管理行為ニ関スル判決ハ自己ニ利益アル限リハ之ヲ申立ツルコトヲ得
是レ既判力ノ訴訟ニ関係セサル者ニ利害ヲ及ホササルノ原則ニ加ヘタル例外ナリ左ニ其理由ヲ説明セン
第一、本条ハ觧除条件ヲ帯ヒタル権利ヲ有スル者第三者ト訴訟ヲ起シタルコトヲ仮定スルモノナリ蓋シ現存スル所ノ権利ヲ有スルカ為メ其権利ノ目的ニ関シ第三者ヨリ攻撃ヲ受クルコトアルヘキ者ハ觧除条件付ノ権利ヲ有スル者ノミナレハナリ然レトモ本条ハ亦二様ノ場合ニ付キ適用スルヲ得ヘキモノナリ即チ直接ニ觧除条件ヲ附シテ譲渡ヲ約束シタル場合ト停止条件付ニテ譲渡ヲ為シタル場合トニ付キ適用アルモノナリ蓋シ直接ニ觧除条件ヲ設ケ譲渡ヲ為シタル場合ニ於テハ觧除スヘキ権利ヲ取得スル者ハ買主ニシテ停止条件付ニテ譲渡ヲ為シタル場合ニ於テ觧除スヘキ権利ヲ保有スル者ハ賣主ナリ故ニ此二個ノ場合ニ於テハ何レモ觧除スヘキ権利ヲ有スル者第三者ヨリ訴追ヲ被ルコトアルヘキナリ
然リ而シテ本条ノ適用ヲ説明スルニ当リテハ觧除条件付ノ権利ヲ有スル者其条件付ノ合意ヲ為シタル以后ニ至リ他ニ権利ヲ取得シタリト称スル者ト訴訟ヲ為シタルコトヲ仮定ス可カラス蓋シ觧除条件ヲ帯フル合意以後ニ至リ其条件付ノ権利ヲ有スル者ト約束シタル者ハ縦令自己ノ権利ヲ認定スル所ノ判決アルモ之ヲ以テ停止条件付ノ権利ヲ有スル者ニ対抗スルコトヲ得サルヤ明カナリ何トナレハ条件付ノ合意以后ニ至リ権利ヲ得タル者ハ之ニ其権利ヲ附与シタル所ノ合意ニ付キ争訟アラサルモ之ヲ以テ其以前ニ約束シタル者ニ対抗スルコトヲ得サレハナリ是ヲ以テ本条ノ適用アルハ条件付ノ合意以前ニ於テ生シタル権利ヲ証明スルヲ以テ訴訟ノ目的ト為シタルトキニ限ル蓋シ条件付ノ合意以前ニ設定シタル権利実ニ法律上成立スルモノタルトキハ其性質ニ従ヒ多少条件付ノ譲渡ヲ障害スルモノナリ例ヘハ停止条件付ノ賣買ヲ為シタルトキハ賣主觧除条件付ニテ所有権ヲ保有スルモノナリ然ルニ其条件ノ未タ成就セサルニ当リ第三者同一ノ物上ニ所有権若クハ其支分権ヲ有スト称シ訴ヲ起シタルトキハ其権利ヲ認定スル所ノ判決ハ賣買ノ停止条件成就セスシテ賣主ニ対シ觧除ノ行ハレサルトキニ非サレハ第三者ノ為メ効力ヲ生セサルモノナリ蓋シ賣主ニ対シテ觧除ノ行ハレサル場合ニ於テハ賣主ハ其関係シタル所ノ判決ヲ遵奉セサルヲ得ス而シテ買主ハ停止条件成就セサルニ由リ其買取リタル物上ニ尓后何等ノ権利ヲモ有セサルカ故ニ賣主ト第三者トノ間ニ言渡サレタル判決ヲ争フノ利益アラサルモノナリ又之ニ反シ条件ノ成就シタルトキハ買主ハ其判決ニ服従スルニ及ハサルモノナリ何トナレハ買主ハ其判決ニ関係セサルモノニシテ賣主ハ拙劣ナル防禦ヲ為シ又ハ私情ノ為メ不充分ナル防禦ヲ為シ以テ賣主ノ権利ヲ侵害スルノ資格アラサルカ故ニ賣主ノ代表人タルモノニ非サレハナリ然レトモ第三者訴訟ニ敗訴シ而シテ条件成就シタルトキハ買主ハ第三者ニ対シ其判決ヲ援用スルコトヲ得何トナレハ賣主ハ其買主ノ権利ヲ保護スルノ資格ヲ有スルモノナレハナリ詳カニ之ヲ言ヘハ賣主ハ一切ノ妨害及ヒ追奪ニ対シ担保ノ義務ヲ尽シタルモノニシテ且買主ノ事務管理者トシテ訴訟ヲ為シタルモノト看做スコトヲ得ヘケレハナリ抑事務管理者ハ本主ニ利益ヲ加フルコトヲ得ヘキモノナリト雖モ決シテ其権利ヲ傷害スルコトヲ得サルモノナリ此規則タル既ニ用益者ト虚有者トノ関係ニ付キ適用シタル所ナリ(本編第九十八条ヲ参看スヘシ)
本条第二項ハ第三者買主ヲシテ其未定ノ権利ニ関シ訴訟ニ参加セシメタルトキハ之ニ敗訴ノ判決ヲ対抗スルコトヲ得ヘキ旨ヲ示スモノニシテ是レ敢テ弁明ヲ要セサル所ナリ
第二、第三者ト觧除事件付ノ権利ヲ有スル者トノ間ニ起リタル訴訟管理行為ニ関スルトキハ其結果右ニ述フル所ニ反シ觧除シタル権利ヲ有スル者ニ対シ不利益ナル判決ハ条件ノ効力ニ因リ財産ヲ取得シタル者ニ対抗スルヲ得ヘキモノトス何トナレハ当事者ノ一方他ノ一方ニ対抗スルコトヲ得ヘキ管理行為ヲ為スヲ得ヘキトキハ亦同種ノ行為ニ関シ訴訟ヲ為スノ資格ヲ有スルモノナレハナリ
第四百十二条
本条ハ合意ノ時ト条件成就ノ時トノ間ニ在テ生シタル所ノ果実及ヒ利息ニ関スル規定ヲ設ケ以テ觧除ノ効力ヲ詳悉スルモノナリ此点ニ付キ本条ハ觧除ノ当然ノ結果ヲ認メ觧除ノ直接ナルトキ即チ譲渡シタル権利ノ取得者ニ対シ觧除ノ行ハレタルトキハ取得者其占有ノ時間ニ於テ占有物ニ付キ収取シタル果実及ヒ生産物ヲ返還スヘキモノトシ又譲渡ヲ為シタル者ハ其代價ヲ受取リタルトキハ其利息ヲ返還スヘキモノトス又停止条件成就シテ觧除ノ間接ニ行ハレタルトキハ条件付ニテ権利ヲ附與シタルモノハ目的物ヲ引渡スト共ニ其収取シタル果実ヲ返還シ取得者ハ代價ト共ニ其利息ヲ弁済スヘシ斯ノ如クスルトキハ直接ニ觧除条件ヲ設ケタル場合ニ於テハ当事者双方ノ位置ヲシテ恰モ条件付ノ合意存セサリシトキト同一ノ地位ニ復セシムルモノニテ直接ニ停止条件ヲ設ケ間接ニ觧除ノ行ハレタル場合ニ於テハ当事者双方ノ位置ヲシテ停止条件付ノ合意恰モ当初ヨリ單純ナリシトキト同一ナラシムルモノナリ
本条ハ右ノ結果ヲ定ムルモノナリト雖モ亦其結果タル当事者ノ意思ヲ以テ之ヲ変更スルヲ得ルモノトセリ蓋シ当事者ハ条件成就ノ時ニ当リ計算ノ煩雑ナランコトヲ厭ヒ之ヲシテ單簡ナラシムル為メニ明示若クハ黙示ノ合意ヲ為シ条件ノ成就セサル間ニ於テ一方ノ収受シタル果実ヲ以テ他ノ一方ノ収受シタル利息ト相殺スヘキコトヲ約束スルコトナシトセス此相殺タル当事者特別ノ合意ヲ以テ之ヲ約セサルモ亦裁判所ニ於テ当事者間ニ黙示ノ合意アリトシ容易ニ認定スルヲ得ヘキモノナリ就中合意ト条件成就トノ間ニ久シキ時間ヲ経過シタル場合ニ於テハ当事者間此相殺ヲ約シタルモノト認ムルコトヲ得ヘシ然レトモ亦是レ事情ニ従ヒ査定スヘキ所ノ例外ナリト謂ハサル可カラス
第四百十三条
条件ハ必ス停止若クハ觧除タルモノナリト雖モ亦此性質ノ外他ノ点ニ付テ看察スルトキハ他ノ性質ヲ有スルモノニシテ之カ為メ条件ヲ帯フル所ノ合意ノ効力ニ多少ノ影響ヲ及ホスモノナリ
右ニ陳フル如ク条件ハ他ノ点ニ付テ観察スルトキハ之ヲ区別シテ第一偶成条件及ヒ混淆条件ト為ス蓋シ条件ノ専ラ偶然ノ事ニ関スルトキハ之ヲ称シテ偶成条件ト云ヒ専ラ当事者ノ一方ノ意思ニ関シ成否スヘキトキハ之ヲ称シテ随意条件ト云フ又当事者ノ一方ノ意思ト併セテ第三者ノ意思若クハ偶然ノ事トニ関スルトキハ之ヲ称シテ混淆条件ト云フ又条件ハ之ヲ区別シテ第二ニ合法条件及ヒ不法条件ト為シ第三能為条件及ヒ不能条件ト為シ第四有的条件及ヒ無的条件ト為ス有的条件トハ或ル事件ノ到来スヘキコトヲ以テ条件ト為シタルトキヲ謂ヒ無的条件トハ或ル条件ノ到来セサルコトヲ以テ条件ト為シタルトキヲ謂フ
本法ハ前記条件ノ性質ヲ逐一主観的ニ掲載セスシテ唯其合意ニ及ホス影響ヲ規定スルニ当リ客観的ニ之ヲ指示スルニ止マリタリ但不法条件ニ至テハ其定義ヲ示スヲ以テ必要ト看做シタルカ故ニ特ニ之カ定義ヲ下シタリ
蓋シ不能条件ニ関シテハ毫モ実際判決ヲ為スニ当リ難問ヲ生スヘキコトナシ即チ不能条件ニシテ有的ナルトキハ之ニ繋ル所ノ合意無効タルヘシ例ヘハ甲乙間ニ契約ヲ為シ若シ一月ノ頃寒威ノ凛烈ナルニ拘ハラス冨士山嶺ニ登ラハ之ニ土地ヲ賣渡シ又ハ贈與セント約シタルトキノ如キ其合意ハ着実ナル意思ニ出テタルモノニ非スシテ当事者双方ノ精神錯乱シタルニ非サル限リハ初メヨリ其停止条件ノ到底成就セサルヘク従テ之ニ繋ル所ノ合意効力ヲ生ス可カラサルコトヲ知リタルモノト謂ハサル可カラス故ニ其合意ハ全ク無効ナルモノナリ又不能ノ所為ヲ以テ停止条件トセス觧除条件ト為シタル場合ニ於テモ其趣同一ナリ例ヘハ甲乙ニ現ニ其所有ノ土地ヲ賣渡スモ若シ甲ニシテ一月ノ頃冨士山嶺ニ登ラハ其賣買ヲ觧除スヘシト約シタルトキノ如キ賣買ハ無効ニ非サルモ觧除ノ約款ハ無効ナリ蓋シ不能ノ觧除ヲ約シタル者ハ恰モ觧除ヲ約セサルカ如ク單純ノ賣買ヲ為シタルモノト謂フヘキヤ明カナリ
不能ノ所為有的ニ非スシテ無的ナル場合ニ於テハ之ヲ以テ目的トシタル条件ノ効力前段述フル所ト異ナルヘシ例ヘハ甲乙間ニ停止条件付ノ合意ヲ為シ乙若シ一月ノ頃積雪徑路ヲ埋没スルニ当リ冨士山嶺ニ登ラサレハ甲ノ家ヲ賣渡スヘシト約シタルトキハ乙到底登山セサルヘキヤ初メヨリ明確ナルカ故ニ甲乙間ノ賣買ハ單純ノモノタルヘシ又之ニ反シ甲乙間ニ現ニ甲ノ家ヲ賣渡ス乙若シ一月ノ頃冨士山嶺ニ登ラサレハ賣買ヲ觧除スヘシト約シタルトキハ初メヨリ乙ノ登山セサルコト明カナルカ故ニ賣買ハ即時單純ニ觧除スヘシ
又不能ノ行為ヲ為ササルヲ約シタルニ非ス或ル事ヲ為ササルコトヲ以テ条件トシ其条件ノ不能ナル場合ニ於テハ亦右ト同一ノ理論ヲ適用シ以テ断定ヲ為スコトヲ得ヘシ例ヘハ甲乙間ニ停止条件付ノ賣買ヲ為シ乙若シ百日間飲食セサレハ之ニ甲ノ家ヲ賣渡スヘシト約シタルトキノ如キ乙ハ必ス百日間飲食セサルヲ得ス(若シ飲食セサレハ到底死去ヲ免レサルカ故ニ飲食セスシテ百日ヲ経過スルノ条件ハ到底成就スルコト能ハサルモノナリ)其成件ハ到底成就セサルコト当初ヨリ確然タルモノト謂フヘシ是ヲ以テ此条件ヲ帯ヒタル賣買ハ当初ヨリ無効ノモノタリ又此条件ヲ以テ觧除条件トシタルトキハ到底觧除ノ行ハルヘキ期ナキカ故ニ觧除ノ条件無効ニシテ賣買ハ單純ニ成立スルモノナリ
然リト雖モ以上述フル場合ニ於テハ条件ハ不確定ナル事件ニ非サルカ故ニ其条件ノ一ヲ欠キ眞ノ条件タラスト謂フヲ得ヘシ
条件ノ不法ニシテ合意ヲシテ無効タラシムルハ其条件ノ目的トスル所道徳上又ハ社会上不良ノ結果ヲ得ルニ在ル場合ニ限ル而ルニ道徳ニ反シ社会ニ害ヲ及ホスノ結果アルハ本条ノ法文ヲ以テ綿密ニ指定スル所ノ左ノ二個ノ場合ニ限リ此他ノ場合ニ於テハ不良ノ結果アルヲ憂フヘキニ非サルナリ
第一、当事者ノ一方法律若クハ道徳ノ禁スル所ノ所為ヲ行ヒ又ハ法律若クハ道徳ノ命スル所ノ責務ヲ行ハサルニ因リ利ヲ得ヘキ場合
第二、当事者ノ一方道徳又ハ法律ノ禁スル所ノ所為ヲ行ハス又ハ法律若クハ道徳ノ命スル所ノ所為ヲ行フニ因リ害ヲ受クヘキ場合
当事者ノ一方カ或ハ禁止ノ所為ヲ行ヒ或ハ本分ノ責務ヲ尽ササルニ因リテ自己ニ利ヲ得ヘキ場合ニ於テハ当事者ハ悪行ヲ賞スルヲ目的トシタルモノニシテ其一方カ或ハ禁止ノ所為ヲ行ハス又ハ本分ノ責務ヲ尽スニ因リテ自己ニ害ヲ受クヘキ場合ニ於テハ当事者ハ善行ヲ罰スルヲ目的トシタルモノナリ故ニ此場合ニ於テハ其条件ハ不法ニシテ之ニ繋ル合意一ニ無効タルヘシ
是ヲ以テ悪行ノ為メニ得ヘキ利益又ハ善行ノ為メニ被ルヘキ懲罰ノ要約者ニ対スルト諾約者ニ対スルトヲ問ハス又不法条件ノ停止タルト觧除タルトヲ区別スヘキニ非ス但条件ノ停止ナルトキハ毫モ合意効力ナシト雖モ条件ノ觧除タルトキハ無効ニ属スルモノハ觧除条件ノミニシテ合意ハ單純ニ成立スルモノナリ
以上述フル所ノ場合ハ同一ノ原則ヲ以テ支配スル所ノモノナリト雖モ稍々複雑セルカ故ニ今其適例ヲ擧ケテ之ヲ説明セン
第一、甲乙間ニ合意ヲ為シ乙若シ甲ニ交附スルニ政府ノ秘密書類ヲ以テセハ甲ハ自己ノ家ヲ乙ニ授與スヘシト約シタルトキハ要約者ノ為メ不法条件ヲ約シタルモノニシテ其不法条件ハ停止且有的ノモノナリ此場合ニ於テハ授與ノ合意ハ無効タルモノトス
第二、甲乙ニ其家ノ授與ヲ約スルモ之ニ条件ヲ付シ乙若シ政府ニ引渡スヘキ書類ヲ之ニ引渡ササルトキハ甲其家ヲ乙ニ授與スヘシト約シタルトキハ亦要約者ノ為メ不法条件ヲ約シタルモノニシテ其条件ハ停止ニシテ且本分ノ責務ヲ尽ササルヲ目的トスルニ因リ無効ナルモノナリ此場合ニ於テモ亦其合意ハ無効タルモノトス
第三、甲乙ニ其家ヲ贈與スルモ若シ乙甲ニ政府ノ秘密書類ヲ交付スルカ又ハ乙政府ニ宛テタル書類ヲ受取ルニ当リ之ヲ執達セサルトキハ其贈與ヲ解除スヘシト約シタル場合ニ於テハ解除ヲ要約シタル者ノ為メニ条件ヲ設ケタルモノニシテ前ノ場合ニ於テハ条件ハ有的ニシテ悪行ヲ賞スルヲ目的トシ后ノ場合ニ於テハ条件無的ニシテ諾約者ノ善行ヲ罰スルヲ目的トスルモノナリ故ニ其觧除条件ハ無効ニシテ贈與ハ單純ニ成立スルモノトス
本条ハ禁止ノ所為ヲ行ヒ若クハ本分ノ責務ヲ行ハサルヲ以テ停止条件ト為シ又ハ禁止ノ所為ヲ行ハス若クハ本分ノ責務ヲ行フヲ以テ觧除条件トシタル場合ニ於テハ其条件不法ナリト明定シタルカ故ニ当事者ノ一方カ不法ノ所為ヲ行ハス又ハ本分ノ責務ヲ尽スヲ以テ合意ノ停止条件ト為シタル場合並ニ当事者ノ一方合意ノ維持ニ付キ利益ヲ有スル者不法ノ所為ヲ行ヒ又ハ本分ノ責務ヲ尽ササルトキハ現ニ取結ヒタル合意ヲ觧除スヘシト約シタル場合ニ於テハ其条件不法ニアラサルカ如シ然レトモ此場合ニ於テモ亦条件ノ不法タルコトアリ蓋シ此場合ニ於テハ当事者ノ行ハサルヘキコトヲ約シタル所為又ハ尽スヘキコトヲ約シタル責務法律ノ禁止シ又ハ命令スル所タルカ将タ道徳ノ禁止シ又ハ命令スル所タルカヲ区別スルヲ要ス若シ要約者法律ニ禁止シタル所為ヲ行ハス又ハ刑法上ノ制裁ヲ設ケテ命令シタル責務ヲ尽スヲ以テ自己ノ利益ヲ得ヘキ条件ト為シタルトキハ其条件ハ不法ニシテ合意無効タルヘシ蓋シ此場合ニ於テハ不法ノ原因アルカ故ニ要約者ニ訴権ナク又諾約者既ニ其諾約ヲ履行シタルトキハ要約者ニ対シ取戻ノ訴権ヲ行フコトヲ得然レトモ若シ其条件道徳ノミ禁止シ刑法ノ禁止セサル所為ヲ行ハス又ハ道徳ノミ命令シ法律ノ命令セサル責務ヲ行フニ在ルトキハ之ヲ帯フル合意有効ナルヘシ例ヘハ婦女ノ醜業ヲ営ム者ニ対シ其行ヲ改ムルニ於テハ若干ノ贈與ヲ為スヘシト約スルカ如キ其条件成就スルヤ裁判所ニ其諾約ノ履行ヲ求ムルモ決シテ風儀ニ反スルコトナキカ故ニ其条件ハ合法ノモノト謂フヘシ
本条第一項及ヒ第三項ヲ対照スルトキハ不能又ハ不法条件ヲ設ケタル場合ニ於テモ合意ニ及ホス結果同一ニ非ス場合ニ従ヒ之ヲ異ニスルニ注意スヘシ蓋シ以上不法又ハ不能条件ノ之ヲ帯フル合意ヲ無効トスルニ付キ説明シタル所ハ合意ノ主タル効力ヲシテ該条件ニ繋ラシメタル場合ニ限リ適用スヘキモノナリ蓋シ此場合ニ於テハ条件ハ当事者ヲシテ合意ヲ為スノ意ヲ決セシメタル原因タルモノナリ故ニ其原因不法又ハ虚妄ナルニ因リ之ニ基ク合意成立スルコト能ハサルモノナリ(本編第三百四条ヲ参観スヘシ)例ヘハ条件付ノ賣買ニ於テ所有権ノ移轉ヲシテ条件ニ繋ラシメタルトキ其条件ノ無効ナルトキハ従テ合意ノ全部ヲ無効トスヘシ然レトモ賣買ノ従タル効力ヲシテ条件ニ繋ラシメタルニ過キサルトキ例ヘハ主タル物ニ附従スル物ノ賣渡、物ノ引渡ノ期限又ハ代價ノ弁済ノ期限ヲシテ条件ニ関セシメタルニ止マルトキハ従タル賣買又ハ期限ノミ獨リ無効タルヘシ
第四百十四條及ヒ第四百十五條
前條ノ説明ヲ起スニ當リ陳ヘタルカ如ク偶成ノ條件トハ偏ニ偶然ノ事若クハ當事者カ毫モ左右スルコト能ハサル事件ニ関スルモノヲ謂フ又当事者ノ一方ノ意思ニ因リ條件ヲシテ成就セシメ又ハ成就セサラシムルヲ得ルトキハ其條件ヲ称シテ随意條件ト云フ而シテ當事者ノ意思ト併セテ偶然ノ事若クハ第三者ノ意思トニ関スル條件ハ之ヲ称シテ混淆條件ト云フ
然レトモ本條ニ所謂隨意條件トハ諾約者條件成就ノ為メ毫モ出捐ヲ為サス偏ヘニ其嗜慾専恣ニ因リテ之ヲ決シ若シ其意慾ニ適セハ義務ヲ帯ヒントノ意思アリタルトキノ如キ純然タル隨意条件ヲ謂フニ非ス斯ノ如ク條件ノ成否諾約者ノ専横ナル意思ニ関スル場合ニ於テハ「義務ヲ帯フルノ意思ナク、承諾ナケレハ合意ナシ」トノ一般ノ原則ニ依リ合意ノ効力アラサルモノナリ
然レトモ本條ニ所謂隨意條件ヲ設ケタル場合ニ於テハ其成否諾約者ノ専横ナル意思ニノミ関スルモノニ非サルカ故ニ之ヲ帯フル合意有効ナリ例ヘハ賣主旅行ノ為シ又ハ公私ノ職務ヲ辞スルニ於テハ賣買ヲ為スヘシト約シタルカ如キ場合ニ於テハ其賣買無効ナリト謂フ可カラス蓋シ此場合ニ於テハ當事者ノ一方漫ニ旅行ヲ為シ又ハ辞職ヲ為スコトナク必スヤ其旅行又ハ辞職ヲ為スニ付テハ利害ノ関係アリ、多少ノ出捐ヲ為ササル可カラサルカ故ニ義務ヲ帯フルノ意ナクシテ徒ラニ契約ヲ為スモノニ非ス此他之ニ類スル場合ニ於テハ合意有効ニシテ其実例少ナシトセス
且第四百十五條ニ於テ當事者ノ専横ニ流レ私慾ヲ逞フスルヲ豫防スルノ方法ヲ設ケ以テ一切ノ弊害ヲ防制シタリ蓋シ條件ノ成否ヲシテ当事者一方ノ意思ニ関セシメタルトキハ其當事者要約者タルトヲ問ハス合意單純ニ非サルヤ明カナリト雖モ亦其當事者自己ノ意思ヲ顕表シ之ヲ他ノ一方ニ告知スルニ非サレハ條件ノ成否決定セス是ヲ以テ要約者ノ隨意條件ヲ設ケタル場合ニ於テ要約者其意思ヲ顕表セサル以上ハ諾約者ハ果シテ義務ヲ履行スヘキカ又何レノ時ニ至リ履行ヲ為スヘキカヲ知ルコトヲ得ス又諾約者ノ隨意條件ヲ設ケタル場合ニ於テモ諾約者其意思ヲ顕表セサル以上ハ要約者ハ果シテ履行ヲ請求スルヲ得ヘキカ又ハ何レノ時ニ於テ請求ヲ為スヲ得ヘキカヲ知ルコト能ハス是ヲ以テ自己ノ意思ニ従ヒ條件ノ成否ヲ決スルコトヲ得サル一方ハ久シク其成否ノ確定セサルカ為メ多少ノ損害ヲ被ルコトアルヘシ故ニ本法ニ於テハ當事者親ラ條件ノ成否ヲ決スヘキ期限ヲ定メサリシトキハ隨意ニ條件ノ成否ヲ決スル能ハサル一方ハ裁判所ニ請求シ他ノ一方ノ意思ヲ顕表スヘキ期限ヲ定メンコトヲ求ムルヲ得ルモノトシ以テ右ノ弊害ヲ豫防シタリ若此期限ヲ過クルモ隨意ニ條件ヲ成否セシムルコトヲ得ル當事者其成否ヲ決スルノ権能ヲ行ハサルトキハ其條件成就セサルモノト看做スヘシ
然リ而シテ隨意條件ハ其合意ニ及ホス効力ニ関シ停止タルト觧除タルトヲ區別スルニ及ハス又其有的タルト無的タルト詳カニ之ヲ言ヘハ特定ノ事件ノ成就ニ係ルト不成就ニ係ルトヲ問ハサルナリ
第四百十四條ハ隨意條件ヲ認ムルヲ以テ目的トスルノミナラス亦他ニ一ノ目的トスル所アリ即チ諾約者ノ意思ニ関スルニ非ラスシテ要約者ノ意思ニ関スル条件又ハ偶成ノ条件ヲ設ケタル場合ニ於テ諾約者カ要約者ノ為メ條件ノ成就スルコトヲ妨クルヲ目的トスル所為ヲ行フタルトキハ其所為ヲ懲罰スヘキモノトシタリ而シテ其懲罰トシテ諾約者ノ所為ニ因リ成就セサリシ条件ハ之ニ対シ成就シタルモノト看做ス例ヘハ賣主或ル所有権ヲ取得スルニ於テハ賣買ヲ為スヘシト約シ停止条件付ノ賣買ヲ為シタルニ買主其契約ヲ悔ヒ条件ヲ成就セサラシムルカ為メ自ラ賣主ノ望ミタル財産ヲ買取リタリトセン此場合ニ於テハ買主二個ノ財産ヲ併セテ買取ラサル可カラス詳カニ之ヲ言ヘハ賣主ノ望ミタル財産ヲ買取リ併セテ自己ノ約シタル物ヲ買取ラサル可カラス是レ條件ノ成就ヲ妨ケタル買主ニ対スル懲罰ニシテ大ニ之ニ困難ヲ被ラシムルコトアルヘキ所ナリ又前例ヲ翻シ觧除条件ニ之ヲ適用センニ例ヘハ不動産ノ賣買ヲ為スニ当リ買主他ニ一層其需用ニ適ス可キ不動産ヲ取得スルニ於テハ之カ為メ賣買ヲ解除スヘキコトヲ約シタルニ賣主解除ノ成就ヲ妨害スルカ為メ自ラ其財産ヲ取得シタリ是レ即チ賣主故意ヲ以テ解除ヲ妨害シタルモノナルカ故ニ解除条件成就シタルモノト看做シ賣主其不動産ヲ復取シ其代價ヲ返還セサル可カラス
但何レノ場合ニ於ケルモ解除ハ当然行ハルルモノニ非ラス其懲罰ノ性質ヲ有スルカ故ニ裁判所ニシテ之ヲ言渡スコトヲ要ス而シテ裁判所ニ觧除ヲ請求スルノ権ハ独リ条件ノ利益ヲ得ヘキ当事者ノミニ属ス
第四百十四條ハ自己ノ隨意ニ条件ヲ成否セシムルヲ得ル当事者其条件ノ成就ヲ妨クル場合ニ適用スルモノニ非ラス蓋シ此場合ニ於テハ其当事者ハ自己ノ権利ヲ行ヒタルモノニテ責任ヲ有セサルヤ明カナリ例ヘハ前例中第二例ノ場合ニ於テ買主前ノ賣買ヲ觧除スヘキ後ノ不動産取得ヲ為ササルモ是レ其権能ヲ行フニ過キスシテ何等ノ責任ヲモ生スルコトナシ
第四百十六條
本條第一項及ヒ第二項ハ条件ノ性質及ヒ当事者ノ意思ノ論理上ノ結果ニ過キサルカ故ニ特ニ法文ヲ設ケテ之ヲ掲ケサルモ敢テ不可ナラスト雖トモ数多ノ外国法典既ニ之ヲ掲ケ且本邦ニ於テハ条件付ノ義務未タ実際ニ多ク行ハレサルカ故ニ其理論モ亦未タ世人ノ多ク知ラサル所ナルヲ以テ特ニ本条ヲ設ケテ此事ヲ掲ケタリ且本条ニ於テハ他ニ一ノ必要ナル規定ヲ加ヘタルヲ以テ本条ハ決シテ徒贅ニ非ラサルモノト信ス
第一項ハ有的条件詳カニ之ヲ言ヘハ権利ノ発生又ハ觧除ヲシテ条件ノ成就ニ係ラシメタル場合ヲ規定シ第二項ハ無的条件詳ラカニ之ヲ言ヘハ事件ノ到来セサルコトヲ以テ停止又ハ觧除条件ト定メタル場合ヲ規定スルモノナリ而シテ有的条件ノ場合ニ付テハ其条件何レノ時ニ在テ成就セスト看做スヘキカヲ定メ其何レノ時ニ於テ成就シタルモノト看做スヘキカヲ言ハス之ニ反シ無的条件ノ場合ニ付テハ何レノトキニ於テ条件成就シタルモノト看做スヘキカヲ定メ何レノトキニ於テ其成就セサルモノト看做スヘキカヲ言ハス是レ本条ニ明記セサル所ノ二点ハ毫モ論議ヲ生セサルカユエナリ
例ヘハ或人米百石ヲ買ヒ一ヶ月内ニ之ヲ引渡サシムルノ条件ヲ設ケタリトセンニ此場合ニ於テ定期内ニ引渡アリタルトキハ条件成就シタルヤ明カニシテ賣買完全スヘシ又例ヘハ米穀ノ賣買ヲ結了シタル後買主一ヶ月間ニ曽テ第三者ト約シタル他ノ米ヲ受取ルニ於テハ其賣買ハ觧除スヘキコトヲ約シタリ此場合ニ於テ前記約束ノ期限内ニ右ノ米ヲ受取ルトキハ賣買ノ觧除条件成就シタルモノナルヤ明カナリ是レ条件ノ通常ノ成就ノ場合ニシテ敢テ法律ノ規定ヲ俟タサル所ナリ
之ニ反シ右停止条件付ノ賣買ノ場合ニ於テ一ヶ月間ニ米ノ引渡アラス又觧除条件付ノ賣買ノ場合ニ於テ買主其曽テ企図シタル米ヲ得サルトキハ条件成就セス詳カニ之ヲ言ヘハ期限ヲ經過シタル後引渡又ハ取得アルモ以テ条件ヲ成就セシムルニ足ラス是レ法文ニ明記スルヲ必要ト認メタル所ナリ然リ而シテ本条ヲシテ眞ニ有益ナラシムルモノハ第三項ナリ同項ニ依レハ裁判所ハ当事者ノ定メタル期限ヲ延フルコトヲ得サルモノトス蓋シ裁判所ニ於テ濫リニ此期限ヲ延フルトキハ必ス当事者ヲシテ損失ヲ被ラシムルニ至ルヘシ何トナレハ当事者カ期限ヲ定メタルハ固ヨリ自己ノ利益便宜ヲ計リタルニ出テタルモノニシテ裁判所ハ敢テ之ニ干渉スヘカラス此場合タル決シテ履行ノ為メ恩恵上ノ期限ヲ許與スル場合ト同シカラス(本編第四百六十四條ヲ参観スヘシ)蓋シ当事者カ条件ノ成否ヲ決スヘキ期限ヲ定メタル場合ニ於テ裁判所其期限ヲ延フルトキハ既ニ発生シタル義務ノ履行ヲ遲延スルニ非ラスシテ義務ノ発生又ハ觧除ヲ幇助スルモノナリ是レ裁判所ノ権内ニ存ス可カラサル所ナリ
第四百十五條ニ於テ当事者自ラ期限ヲ定メサルトキ裁判所ヲシテ之ヲ定ムルヲ得セシメタルハ当事者ノ黙示ノ意思ヲ觧釈シタルニ過キス故ニ此場合ニ於テハ其期限恩恵上ノ期限ニ非ラスシテ権利上ノ期限ナリ又本条ハ期限ノ到来前豫定ノ有的条件既ニ到来ス可カラサルコトノ確実ト為リタル場合ヲ規定シタル例ヘハ米百石ヲ買ヒ一ヶ月内ニ之ヲ引渡サシムルノ条件ヲ設ケタル場合ニ於テ合意ノ目的トシタル米一ヶ月ノ期間内ニ火災又ハ難舩ノ為メ滅尽シタル如キ場合ニ於テ条件ノ成就セサルコトヲ認ムルニ一ヶ月ノ期限経過スルヲ待ツハ甚タ無用ト云ハサル可カラス故ニ此場合ニ於テハ条件ノ到来ス可カラサルコト確実トナルヤ直チニ成就セサルモノト認ムヘキナリ
又無的条件ニ繋ルトキモ同一ノ理論ヲ適用スヘキモノトス唯少シク事例ヲ変更シテ之ヲ観察スヘキノミ例ヘハ米穀ノ賣買ヲ為スニ当リ買主一ヶ月内ニ曽テ他ノ賣主ヨリ約束シタル米ヲ受取ラサルトキハ始メテ賣買ヲ確定スヘシト約シ以テ其賣買ニ停止条件ヲ附シタルニ期限前豫想シタル米穀ノ到着シタルトキハ賣買ノ停止条件成就セサルモノニシテ其賣買無効タリ又現ニ米穀ノ賣買ヲ為シタルニ賣主一ヶ月内ニ其賣渡ス所ノ米穀ニ代ユヘキ他ノ米穀ヲ受取ラサルトキハ賣買ヲ觧除スヘシト約シ以テ其賣買ニ觧除条件ヲ附シタルニ期限内ニ豫期シタル米穀ノ到着シタルトキハ觧除条件成就セサルモノニシテ賣買ノ効力確定スヘシ蓋シ是等ノ場合ニ於テ条件ノ成就シタルヲ認ムルカ為メ約定ノ期限満了スルヲ待ツハ実ニ徒贅ナリト謂ハサル可カラス斯ノ如ク賭易キ結果ハ法律ノ明文ヲ以テ掲クルニ及ハサル所ナレトモ期限満了前タリトモ事件到来セサルヘキコト確定ト為リタルトキ例ヘハ到着スヘキ米穀ノ滅尽シタルトキハ条件成就シタルモノト看做スヘキコトニ至テハ法律ニ明記スルヲ必要ト認メタリ
又無的條件ヲ設ケタル場合ニ於テ定期内ニ豫定シタル事件到来セサルトキハ其條件成就シタルモノト看做スヘキコトヲ法文ニ明記シタル所以ハ或ハ其期限ヲ嚴ニ守ルニ及ハス裁判所之ヲ延フルコトヲ得ヘシト云フ者ナキヲ保セサルカ故ナリ
本條ニ於テ裁判所ニ禁止スル所ハ当事者ハ期限ノ成否ヲ決スヘキ期限ヲ定メタル場合ニ於テ之ヲ延フルノ一事ノミ第四百十五條ノ場合ニ於テ裁判所ヨリ定メタル期限ニ至テハ又之ヲ延フルコト能ハサルモノナリト雖トモ是レ同條既ニ之ヲ禁スルノ明文ヲ掲ケ且第四百七条ニ於テ一般ニ之ヲ禁シタルカ故ニ其適用ニ外ナラスシテ本條ノ適用ニ因リ然ルモノニ非サルナリ
第四百十七條
本條ハ一ノ原則ヲ定ムルモノニシテ此原則タル毫モ論議ヲ生スルコト無シ又本條ハ此原則ニ加フルニ一ノ例外例ヲ以テシタリ而シテ其適用ハ実際甚タ多カルヘシ蓋シ特別ノ學藝技術ヲ要スル作業ヲ為ス可キノ義務ニ関スルトキハ概ネ要約者ハ諾約者其人ニ着眼シテ契約ヲ為スモノナルカ故ニ条件ノ成否決定スヘキ期限ヲ設ケタル場合ニ於テ其期限未タ到来セサルモ諾約者死去スル時ハ成件到底成就スルコト能ハサルヘシ又不作為ヲ目的トスル義務ニ係ルトキ例ヘハ俳優カ其出勤ノ劇場ト競争セル他ノ劇場ニ於テ演劇セサル可キノ條件ヲ約シタルカ如キ場合ニ於テモ其相続人ハ其條件ヲ守ルノ義務ナカルヘシ蓋シ其相続人演劇スルモ坐主競爭ニ失敗スル恐アラサル可ケレハナリ是ヲ以テ此場合ニ於テハ前條ニ依リ期限前ト雖トモ諾約者ノ死去ニ因リ無的條件成就シタルモノト為ルヘシ又右ノ場合ニ於テ要約者死去シ之レカ為メニ演劇興行ヲ廃止シタルトキモ亦條件成就シタルモノト為ル可シ
第四百十八條
本條ハ條件ノ一分ノ成就ヲ規定スルヲ以テ其主眼ト為ス蓋シ條件ノ一分ノ成就ハ決シテ全部ノ成就ト同一視スルコト能ハサレトモ亦毫モ利益ヲ生セサルモノト看做ス可カラス故ニ條件ノ一分ノミ成就スルモ要約者ヲシテ其企圖シタル目的ノ一分ヲ達スルコトヲ得セシムルトキハ此條件ニ関スル権利ヲシテ相互ニ成立スルモノト看做スヲ至当トス
尚ホ此点タル可分義務及ヒ不可分義務ノ事ヲ説明スルニ当リ更ニ疎明スル所アルヘシ
本条ノ理由ハ全体ノ改正ヲ要ス
第四百十九條及ヒ第四百二十條
抑危険負担ノ理論詳カニ之ヲ言ヘハ意外ノ事又ハ不可抗力ニ因ル物件毀滅ノ負担何人ニ在ルカノ理論ハ第三章ニ規定スル「目的物ノ喪失ニ因ル義務消滅」ノ事ニ属スルモノナリト雖モ既ニ第三百三十五條ニ示シタルカ如ク條件ニ関シテハ特ニ規定ヲ要スルモノ有リ故ニ條件ノ事項ニ於テ其規定ヲ掲クルヲ至当ト為ス
合意ヲ以テ單純又ハ有期ニテ権利ヲ授與シタルトキハ授與又ハ諾約シタル目的物ノ危険ノ負担ハ要約者又ハ譲受人ニ在リ是レ第三百三十六條ニ定メタル所ニシテ其理由ハ同條ノ説明中ニ之ヲ示シタリ故ニ債務者又ハ譲渡人ノ過失ニ因ラスシテ物ノ全部又ハ一分喪失シ又ハ其物多少毀損スルトキハ債務者又ハ譲渡人其喪失毀損ノ限度ニ應シテ義務ヲ免レ而シテ同一ノ合意ニ因リ自己ノ受ク可キ権利及ヒ利益ハ毫モ之ヲ失フコト無シ
然ルニ條件ノ場合就中停止條件ノ場合ニ於テハ全ク其趣ヲ異ニシ條件成就セサル間ハ之ニ繋ル権利未タ発生セス唯之ヲ希望スルコトヲ得ルノミニシテ其権利ヲシテ発生セシムルモノハ條件ノ成就ナリ但當初與ヘタル承諾ハ之ヲ更新スルニ及ハス又之ヲ取消スコト能ハス原始ノ原因ハ依然存在シ條件ノ成就ハ唯補充原因タルモノナリ然レトモ其権利ノ発生スルニハ其由テ存スル所ノ目的ナカル可カラス然ルニ其目的喪失スルコト無シトセス若シ其全部喪失スルトキハ停止中ナル合意目的ナキカ為メ成立スルコト能ハス諾約物又ハ譲渡物ヲ領受ス可キ者ハ之ヲ受取ル能ハサル可シ然レトモ亦其代償トシテ約シタル對價ヲ供スルニ及ハサルヲ以テ其実諾約者又ハ譲渡人物ノ喪失ヲ負担スルモノト謂フ可シ又停止條件附ノ贈與ノ場合ニ於テハ贈與者ハ贈與物ノ對價ヲ得ルモノニ非スト雖モ亦物ノ喪失ヲ負担スルモノト謂フ可シ蓋シ贈與者ハ何レノ途ニ出ツルモ其贈與物ヲ保持セサル可キモ贈與ニ因リ之ヲ失ヒタルニ非スシテ意外ノ喪失ニ因リ之ヲ失ヒタルモノナレハ結局贈與ヲ為シタルノ満足ヲ有セス其希望シタル所ノ無形ノ利益受贈者ノ謝意加之贈與ニ因リ得ヘキ養料等總テ之ヲ失フ可シ
右ノ論決タル諾約者ニ対シ頗フル嚴ナリト雖モ亦論理上原則ノ自然ノ結果ニ過キス唯或ハ條件ノ溯及力ト背馳スルカ如キ観ナシトセス蓋シ條件ハ原来合意ノ日ニ遡リ効力ヲ有スヘキモノニシテ而シテ合意ノ時ニ當テハ目的物存在シタルカ故ニ目的物喪失スルモ條件成就スルトキハ債権者又ハ譲受人其喪失ヲ負担ス可キニ似タリ
然レトモ其実此疑議ハ正確ノモノニアラスシテ右ノ論決ヲ疎明スルハ敢テ難キニ非サルナリ蓋シ條件ヲシテ溯及力ヲ生セシムルニハ先ツ其條件有効ニ成就スルコトヲ要ス之ヲ換言センニ條件ノ成就ニ因リ合意ノ効力ヲシテ承諾ノ日ニ遡リ発生セシメンニハ其効力自體ノ発生シ合意自體ノ成立スルコトヲ要ス然ルニ其合意ハ目的ナケレハ成立スルコト能ハサルナリ蓋シ條件附ノ合意ハ之ヲ胎児ニ比スルヲ得ヘシ即チ胎児ハ出生以前ニ相続スルコトヲ得ルモ其遂ニ相続ヲ確得スルハ其出生シ且生存シ得ヘキトキニ限ル否サレバ其相続権消滅ス可シ條件附ノ合意ニ於ケルモ亦其理一ナリ
物ノ一分喪失シ又ハ單ニ毀損シタル場合ニ付テハ稍ヤ論難ス可キコト有リテ外國法ノ之ヲ規定スル趣旨同様ナラス
本邦ノ規定ハ簡潔ニシテ且公義條理ニ適シタルモノナリ即チ物ノ喪失半分以上ナルトキハ之ヲ全部ノ喪失ニ準シ諾約者ノ負担ト為シ其半分ニ過キサルトキハ敢テ之ヲ問ハス要約者ヲシテ之ヲ負担セシム是レ「多ハ少ヲ含ム」ト云ヘル格言ノ適用ナリ
唯半分以上ノ喪失ト云フモ分量ノ半分詳ニ之ヲ言ヘハ分量、數目、長短ノ半分ヲ指スニ非ス價額ノ半分ヲ指スモノナリ此点如何ハ物ノ諸部均一ナラサル場合ニ於テ大ニ利害ヲ異ニスルヲ以テ特ニ此ニ注意ヲ為ス
又本條ハ觧除条件ノ場合ニ於テ物ノ喪失毀損シタル場合ヲ規定ス其規定ノ趣旨タル停止條件ノ場合ニ於ケルト異ナルカ如シ何トナレハ觧除条件ノ合意ニ及ホス効力ハ停止條件ノ効力ニ反シ二箇ノ場合ヲ比較對 スルトキハ当事者ノ位置相反スルカ如クナレハナリ然レトモ其実同一ノ原則ヲ適用シタルノミ例ヘハ觧除条件附ニテ賣買ヲ為シタルニ條件ノ成就前賣渡物件ノ全部喪失シ又ハ其價額ノ半分以上喪失シ爾后條件成就シタリトセン此場合ニ於テハ買主ハ買受物ノ取得ヲ要約シタルモノナルカ故ニ之ニ「要約者」ノ称ヲ附スルコトヲ得加之之ヲ譲受人ト称スルヲ得ヘキモ其実買主ハ停止條件付ニテ諾約者タルモノナリ何トナレハ觧除ノ成就スルトキハ賣主ノ権利再ヒ発生ス可ケレハナリ是ヲ以テ本條物ノ喪失ヲ買主ノ負担トシタルハ前ニ述ヘタル原則ヲ適用シタルニ過キサルヤ明ナリ蓋シ賣渡物ノ全部喪失シ若クハ其價額半分以上ニ當ル部分喪失シタルトキハ條件有効ニ成就スルコト能ハス此場合ニ於テハ物既ニ存在セス又ハ存在セスト看做サルルカ故ニ譲渡人ニ之ヲ還付スルコト能ハス故ニ譲渡人ハ毫モ其譲渡シタル所ノモノヲ取戻ササルヲ以テ亦毫モ其受取リタル所ノモノヲ返還スルコト無シ是ヲ以テ豫定ノ條件成就スルモ賣買ハ確定シ譲受人損失ヲ負担ス可シ
第四百十九條第三項ハ唯法文ヲ円滑ナラシメンカ為メ之ヲ設ケタルノミニシテ特ニ之ヲ設ケサルモ亦自ラ此論決ヲ下スヲ得ヘシ即チ價額ノ半分以下ニ付キ喪失毀損アリタルニ過キサルトキハ譲受人ハ増價ノ幸運アリタルカ故ニ之ト相殺スルモノトス故ニ條件ノ成就ニ関スル権利ヲヲ有スル者其喪失毀損ヲ負担シ其物ノ減價ニ拘ハラス現状ニテ之ヲ受取ラサル可カラス毫モ自己ノ供ス可キ對價ニ付キ減少ヲ求ムルコトヲ得ス
第四百二十條ハ喪失若クハ毀損ノ責ヲ当事者ノ一方ニ帰ス可キ場合ヲ規定スルモノナリ而シテ其一方タル必ス條件ノ未タ成就セサルニ当リ物ヲ占有シタル者タル可シ此場合ニ於テハ喪失ノ全部タルト一分タルトヲ問ハス過失アル当事者ヲシテ之ヲ負担セシム故ニ全部ノ喪失アルトキハ他ノ一方ハ対價トシテ負担スル所ノモノヲ與フルノ責ヲ免レ且併セテ損害賠償ヲ求ムルヲ得ヘシ又其喪失一方ナルトキハ他ノ当事者ハ合意ヲ維持スルカ又ハ之ヲ抛棄スルカヲ隨意ニ決スルヲ得ルハ勿論何レノ場合ニ於テモ損害賠償ヲ併セ求ムルコトヲ得
若シ右ノ場合ニ於テ損害ヲ被リタル当事者合意ノ觧除ヲ請求スルトキハ條件ノ停止ナルト觧除ナルトニ従ヒ其結局ヲ同フセス即チ條件ノ停止ナルトキハ当事者ハ毫モ合意ヲ為ササリシトキト同一ノ地位ヲ保有ス可シ然ルニ條件ノ觧除ナルトキハ觧除條件ノミヲ取消スモノニシテ觧除條件ヲ觧除スト謂フ可シ故ニ合意單純ノモノト為ルナリ例ヘハ觧除条件附ニテ賣買ヲ約シタルニ條件ノ未タ成就セサルニ当リ買主其物ノ大ニ毀損スルヲ顧ミス之ヲ抛棄シタルニ因リ條件成就スルモ賣主之ヲ取戻スコトヲ欲セス加之損害賠償ヲ請求シタリトセンニ此場合ニ在テハ賣主ハ觧除条件ノミヲ觧除シ賣買ハ單純確定ノモノト為ルナリ且併セテ損害賠償ヲ求ムルコトヲ得何トナレハ買主ハ恣ニ賣主ヲシテ物ヲ取戻スノ利益ヲ失ハシム可カラサレハナリ
第四百二十一條
黙示ノ觧除條件ハ雙務契約ノ特別ナル効力ノ一ニシテ既ニ第二百九十七條ヲ説明スルニ当リ示シタルカ如ク契約ヲ雙務ト片務トニ區別スル一大利益タルモノナリ
合意ノ不履行ヲ訴フル当事者ヲシテ法律上合意ヲ觧除スルヲ得セシムルハ頗ル大ナル恩典ナリ蓋シ此当事者其通常ノ訴権ヲ有スルニ止マラハ遂ニ債務者ノ他ノ債権者ト俱ニ其財産ノ配当ヲ受ケサルヲ得スシテ債務者無資力ノ結果ヲ被ルニ至ル可シ何トナレハ其当事者ハ全ク自己ノ義務ヲ尽ササル可カラス而シテ自己ハ却テ其受ク可キ所ノモノノ一部分ヲ得ルニ過キサル可ケレハナリ然ルニ之ヲシテ觧除ヲ為スコトヲ得セシムルトキハ之ヲシテ恰モ合意アラサリシトキノ如ク其舊位置ヲ保ツコトヲ得セシム之ヲ詳言センニ未タ其義務ヲ尽ササルトキハ債務者ヲシテ義務ヲモ免レシムルト同時ニ自己モ亦其義務ヲ免レ又既ニ其義務ヲ履行シタリシトキハ其與へタル所ノ物ヲ現物若クハ対價ニテ取戻スコトヲ得例ヘハ不動産ノ買主其承諾ノミニ因リ其所有権ヲ移轉シ且買主ヲシテ占有ヲ為サシメ之ニ證書ヲ交付シタルニ買主約定ノ期限ニ至リ代價ヲ弁済セサルトキハ賣主ハ賣買ヲ觧除シ所有権ヲ回復シ更ニ賣渡物ノ占有ヲ自己ニ移サシムルコトヲ得此権利タル先取特権ト大ニ類似スルモノナリ蓋シ先取特権モ亦觧除ノ権利ト同シク貴重ナルモノナリ即チ買主ハ觧除ヲ請求スルコト無ク先取特権ニ依リ賣渡物ヲ差押ヘ更ニ之ヲ賣却セシメ買主ノ他ノ債権者ニ優先シ其代價ヲ以テ弁済ヲ受クルコトヲ得然レトモ觧除ノ権利モ先取特権ト同一ノ利益アルカ故ニ亦之ト同シク公示ノ方式ヲ経以テ買主ト更ニ契約スル所ノ第三者ヲシテ其存立ヲ誤ラシムルコト無キヲ要ス
動産、消費物若クハ商品ノ賣主ニシテ賣渡物ヲ引渡シタル者ニ至テハ其位地稍劣レル所アリ蓋シ此賣主ハ概ネ第三取得者若クハ他ノ債権者ヲ排斥シ現物ヲ取戻スコトヲ得サルカ故ニ觧除ヲ為スモ之ヲシテ人権ヲ得セシムルノミ然レトモ当初約定シタル賣買代價ノミヲ請求セスシテ賣渡物ノ現價ヲ請求スルヲ得ルカ故ニ賣渡物ノ價額増加シタルトキハ亦觧除ノ利益アリ
尚ホ動産ノ賣主ハ他ニ保護ヲ受クル所アリ動産先取特権ノ事ヲ規定スルニ当リ之ヲ説明ス可シ
又賣主買主ニ賣渡物ヲ相當ノ時期ニ引渡サス又ハ其賣渡物毀損シテ賣買ノ時ト同一ノ形状ヲ有セサルニ至リタルトキハ買主モ亦賣主ト同シク觧除権ヲ行フコトヲ得ヘシ然レトモ買主既ニ代價ヲ拂ヒタルトキハ之ヲ取戻スニ付キ單ニ債権アルノミニシテ毫モ先取特権ナシ何トナレハ其拂ヒタル代價ハ賣主ノ他ノ財産ト混渚スルモノナレハナリ是ヲ以テ買主実際觧除権ヲ行フヲ得ハ賣主ノ資力ヲ有スルトキニ限ル可シ
然リ而シテ賣主ハ自ラ其引渡ノ義務ヲ履行シタル後ニ至リ又買主ハ代價ヲ弁済スルノ義務ヲ履行シタル後ニ至ラサレハ觧除訴権ヲ行フコトヲ得スト謂フ可カラス果シテ然リトセハ賣主又ハ買主ヲシテ物ト代價トヲ併セテ損失セシムルニ至ル可シ然レトモ亦当事者ヲシテ各法律ニ觧除権アルヲ奇貨トシ之ヲ以テ自己ノ義務ヲ免ルル手段ト為スヲ得セシム可カラス是ヲ以テ觧除ヲ請求スル者未タ其義務ヲ履行セサリシトキハ其履行ノ「言込」ヲ為シタルコトヲ要スト定メタリ此場合ニ於テハ觧除ノ請求者ハ觧除ニ依リ既ニ給付シタル價額ヲ取戻スコトヲ目的トスルニ非スシテ之ヲ給付スル義務ヲ免レンコトヲ目的トスルモノナリ唯原告ノ権利ニ付キ毫モ爭訟ナカラシメンカ為メ原告ハ冝ク第四百七十四條ニ依リ実物ノ提供ヲ為ス可シ然レトモ第四百七十七條ニ規定スル所ノ供托ヲ為スニ及ハス
又觧除ヲ請求スルニハ当事者ノ一方其義務ノ全部ヲ履行セサルヲ必要トセス唯其幾分タリトモ義務ヲ守ラサルヲ以テ足レリトス而シテ義務ノ一分ヲ履行セサルトキト雖モ亦義務ノ全部ヲ觧除スルコトヲ得ヘシ何トナレハ義務ノ一分ノ觧除ハ結約者ノ目的ニ應セサルコト有ル可ケレハナリ勿論觧除ヲ請求スル者ハ其受取リタル所ノモノヲ返還セサル可カラス例ヘハ賣主其代價ノ一分ヲ受取リタルニ過キサルトキハ譲渡ノ一分ノ觧除ヲ得ルニ止マル可カラス何トナレハ一分ノミヲ回復スルモ其回復シタル部分ノミヲ更ニ譲渡スハ容易ナラサル可ク且一分ノ回復ハ賣主ヲシテ其意ニ反シ買主ト共有者タラシムルノ結果ヲ生ス可ケレハナリ又賣渡物ノ一分ノミノ引渡アリタル場合ニ於テモ買主ハ其部分ヲ保有スルニ及ハス之ヲ返還シ賣買ノ全部ヲ觧除スルコトヲ得蓋シ其部分ノミニシテハ之ニ有益ナラサルコト有ル可ケレハナリ又被告タル賣主ニ対シテモ一分ノ觧除ヲ言渡スハ妥当ニアラサルナリ蓋シ被告ハ固ヨリ違約ノ過失アリト雖モ之ヲシテ強テ契約ノ一分ヲ守ラシメ併セテ其一分ノ利益ヲ奪フハ至当ニ非サレハナリ
本條第二項ニ觧除ハ当然行ハレス之ヲ請求スルコトヲ要スト云ヘリ觧除ヲ得ルニ裁判所ニ之ヲ請求スルノ必要アル所以ハ債務者期限ノ未タ到来セス又ハ対手ノ義務履行ヲ待テ自己ノ義務ヲ尽スヘシトノ口実ヲ設ケ巧ミニ不履行ノ事実ヲ蔽ハントシ此点ニ付キ爭ノ起ルコト有ル可キカ故ニ非ス若シ此理由ヲシテ至当ナラシメハ当然觧除ヲ契約スルコトヲ禁セサル可カラス然ルニ此契約ハ却テ次條ニ認許スル所ナルカ故ニ本條第二項ハ此理由ニ基キタルモノニ非サルヤ明カナリ蓋シ觧除権ヲ行ハントスル者其請求ヲ為スヲ必要トシタル眞ノ理由ハ裁判所ヲシテ不幸且善意ナル債務者ニ恩恵期限ヲ許與スルヲ得セシムルニ在リ是ヲ以テ法文ニ特ニ此事ヲ記載シタリ
第四百二十二條、第四百二十三條、及第四百二十四條
法律上雙務契約ニ觧除條件ヲ附シタルハ當事者ノ意思ヲ推測シ之ヲ觧釋シタルニ過キス故ニ觧除ヲ以テ履行ノ担保ト為スハ公ノ秩序ニ基クモノニ非ス是ヲ以テ當事者ハ之ニ反スル意思ヲ顕表スルコトヲ得然レトモ當事者此法律上ノ推定ヲ覆サントセハ明白ニ觧除ヲ抛棄スル旨ヲ約ササル可カラス但其抛棄ハ當事者ノ一方ノミ之ヲ為スコトヲ得而シテ其一方觧除権ヲ抛棄スルモ之カ為メニ他ノ一方ヲシテ觧除権ヲ失ハシムルモノニ非ス
又當事者ハ此法律上ノ推定ヲ以テ足レリトセス黙示ノ觧除條件ヲ存スルニ止マラスシテ明白ニ之ヲ約スルコトヲ得
黙示ノ觧除條件ト明示ノ觧除條件トノ間ニハ二箇ノ大差異アリテ第四百二十一條ト第四百二十一條トヲ對照スレハ瞭然之ヲ見ルヲ得ヘシ
第一、黙示ノ觧除ハ之ヲ請求スルヲ要スルモ明示ノ觧除ハ當然行ハルルモノナリ第二、黙示ノ觧除ノ場合ニ於テハ裁判所履行ヲ遲延セル當事者ニ恩恵期限ヲ許與スルヲ得ルモ明示ノ觧除ノ場合ニ於テハ之ヲ許與スルコトヲ得ス蓋シ明示ノ觧除條件ヲ設ケタル場合ニ於テ恩恵期限ヲ許與セサルハ當事者カ之ヲ約シタルノ主タル目的正ニ裁判所ヲシテ期限ヲ許與セサラシムルニ在レハナリ然ルニ第四百六條ヲ以テ豫メ期限ヲ抛棄スルコトヲ禁シタルカ故ニ明示ノ觧除條件ヲ設ケタル場合ハ即チ第四百六條ノ規則ノ例外タルカ如シ然レトモ恩恵期限ヲ請求スルノ権ハ公益ニ基クモノナリトハ曽テ説明シタル所ニシテ不履行ニ因ル觧除ハ公益ニ基クモノニ非サルカ故ニ此規定ヲ以テ第四百六條ノ例外ナリト謂フ可カラス且能ク事理ヲ研究スルトキハ本條ハ毫モ第四百六條ノ禁制ニ例外ヲ付スルモノニ非サルヲ知ル可シ蓋シ本條ノ場合ニ於テハ債務者ヲ強制シ其義務ヲ履行セシムルニ非ス唯債権者ヲシテ其義務ヲ免レシメ併セテ債務者ヲ免除スルモノナリ加之此場合ニ於テモ亦第四百六條ノ規則ヲ適用スルコト有ル可シ何トナレハ當然觧除ヲ被リタル債務者曽テ契約ニ因リ受取リタル金銭若クハ有價物ヲ返還スル義務アルトキハ此義務履行ノ為メ期限ヲ請求シ之ヲ得ルコトヲ得サル所ハ當事者當然觧除ノ行ハル可キコトヲ約シタルニ拘ハラス之ヲ遲延スルノ一事ナリ
明示ノ觧除ハ懈怠アル當事者遲滞ニ付セラレタル後ニ非サレハ行ハレス故ニ單ニ履行ノ為メ定メタル期限到来スルヲ以テ契約觧除シタリ為スニ足ラス但合意ヲ以テ特ニ期限到来ノ一事ニ因リ債務者遲滞ニ付セラル可キコトヲ定メタル場合ハ此限ニ在ラス(本編第三百三十六條ヲ参看ス可シ)
黙示ノ觧除ト明示ノ觧除トノ間ニ存スル差異ハ既ニ之ヲ示シタリ今其類似スル所ヲ擧クレハ三點アリ
第一、黙示ノ觧除モ明示ノ觧除モ與ニ過失アル當事者ヨリ之ヲ申立ツルコトヲ得ス是レ裁判所ニ請求スルヲ要スル所ノ黙示ノ觧除ニ付テハ辯ヲ俟タサル所ナリ何トナレハ何人タリトモ自己ノ過失ヲ以テ訴権ノ原因ト為スコト能ハサレハナリ然レトモ當然行ハルル所ノ明示ノ觧除ニ至テハ裁判所ニ請求アルヲ待タスシテ其効力発生スルカ故ニ當事者雙方孰レモ之ヲ申立ツルヲ得ヘシト考フル者アラン然レトモ法律ハ特ニ此觧釋ヲ排斥スルコトヲ明記シタリ蓋シ當然行ハルル觧除其効力ヲ生スルカ為メニハ亦不履行ノ為メ害ヲ被リタル當事者履行ノ直接訴権ヲ捨テテ觧除ヲ求ムルヲ要ス何トナレハ其意思タル其権利ヲ増スニ在ルモ之ヲ減スルニ在ラサレハナリ
第二 當事者一旦觧除訴権トノ一ヲ撰ヒ之ヲ行ヒタルトキハ再ヒ之ヲ變更スルコト能ハス(本編第四百二十三條)而シテ其選擇ハ法律ニ明記シタルカ如ク黙示ノ觧除ノ場合ニ於テハ請求ヲ為スニ因リ確定シ明示ノ觧除即チ當然行ハルル觧除ノ場合ニ於テハ明白ナル申立ニ因リ確定スルモノナリ抑々一旦起シタル訴訟ハ概ネ之ヲ取下クルコトヲ得又自己ノ利益ハ之ヲ抛棄スルヲ得ルモノナリト雖モ此取下又ハ抛棄ノ権能タル決シテ對手ニ害ヲ及ホス可カラス然ルニ債権者一旦契約ヲ觧除スルノ意思ヲ表示シ債務者之カ為メ其事務ノ整理ニ著手シタル後債権者其意思ヲ変シ更ラニ直接履行ノ訴権ヲ行ハント唱フルトキハ遂ニ對手ニ損害ヲ加フルニ至ル可キナリ故ニ一旦契約ノ觧除ヲ求ムルトキハ更ニ其觧除ヲ抛棄スルコトヲ得ス
第三 觧除ハ當事者ノ位置ヲ合意以前ノ位地ニ復シ合意ノ目的物ヲシテ旧形ニ復セシムルヲ目的トスルモノナリト雖モ未タ必スシモ此結果ヲ生スルヲ得ルモノニアラス或ハ返還物ノ價額之ヲ返還スル者ニ責ヲ帰スヘキ原因ニ由リ減少スルコトアリ或ハ当事者ノ一方直接ノ履行ヲ恃ミ更ラニ自ラ約束ヲ為シ而シテ他ノ一方ノ不履行ノ為メ自己ノ義務ヲ尽ス能ハサルコト有ル可シ故ニ其當事者ハ「其被リタル損害ノ賠償ヲ受ク可キ」ヤ至当ナリ是レ第四百二十四條ニ規定スル所ニシテ同條ハ此點ニ関シ明示ノ觧除ト黙示ノ觧除トニ付キ其規定ヲ同一ニシタリ然レトモ觧除ヲ請求スル當事者ハ「其失ヒタル利得ノ塡補」ヲ請求スルコトヲ得ス是レ法文ニ損害賠償ナル慣用語ヲ用ヰサル所以ナリ何トナレハ此語ハ受ケタル損失ト失ヒタル利得トノ賠償ヲ包含スレハナリ蓋シ觧除ヲ為サシムル者其合意ノ効力ヲ免カレ併セテ其希望シタル利益ヲ得ルハ條理ト公義トニ反スルモノト謂ハサル可カラス何トナレハ其希望シタル利益ハ更ラニ他人ト契約ヲ結ヒ以テ収ムルヲ得ヘキカ故ニ重ネテ之ヲ得ルコト有ル可カラス
第四百二十五條
本條ノ規定ハ有期義務ノ場合ニ付テハ固ヨリ其當ヲ得タルコト弁ヲ待タスシテ明カナレトモ停止條件ノ場合ニ付テハ少シク其當否ヲ疑フ者アラン何トナレハ停止條件附ノ権利ハ未タ発生シタルモノニ非ス唯其発生ノ希望アルニ過キサレハナリ其レ然リ條件アル場合ニ於テハ権利ノ希望アルニ過キスト雖モ債務者ヲシテ其財産ヲ隠匿シ又ハ之ヲ以テ現ニ請求期ニ達シタル権利ヲ有スル他ノ債権者ニ辨済ヲ為シ條件成就ノ実効ヲ奏スルコトヲ妨クルヲ得セシメム可カラス是ヲ以テ停止條件ノ場合ニ於テモ亦本條ノ規定ヲ適用スヘキモノトシタリ
條件附ノ債権者又ハ有期ノ債権者カ行フヲ得ヘキ保存處分ニ至テハ一々之ヲ枚擧スル能ハス今左ニ其概要ヲ示サン
本編中已ニ保存處分ノ性質ヲ有スル債権者ノ二箇ノ権利ヲ詳細ニ規定シタリ第一、債務者ニ属シ而シテ債務者ノ怠テ行ハサル所ノ権利及ヒ訴権ヲ行フノ権利、第二債務者ノ権利ヲ詐害スル行為ヲ取消スノ権利即チ是ナリ(本編第三百三十九條及ヒ第三百四十條以下ヲ参看スヘシ)尚ホ失踪者ノ財産管理人ヲ撰任セシメ、精神錯亂者若クハ未成年者ノ後見人ヲ撰任セシムルノ権利、死去又ハ破産シタル債務者ノ財産ヲ封緘セシムルノ権利、條件附ノ債権ノ為メ先取特権又ハ抵當ヲ記入セシムルノ権利ニ至テハ他ノ法律ニ規定スル所アル可シ
又民事訴訟法ニ保存處分ノ性質アル差押ヲ規定シ又條件附ノ債権者ヲシテ其優先ノ順序ニ従ヒ若クハ其債権ノ高ニ應シ債務者ノ財産配當ニ加入セシメ其利益ヲ保護スルノ方法ヲ規定シタリ
本條ハ觧除條件ノ事ヲ言ハス是レ觧除シ得ヘキ権利ヲ有スル者ハ現ニ発生シタル権利ヲ有シ啻ニ其保存處分ヲ行フニ止マラス全ク其権利ヲ行フモノナルカ故ナリ是ヲ以テ保存處分ヲ行フヘキモノハ其對手ハ即チ條件ニ因リ停止セル権利ヲ有スルモノナリ
第四百二十六條
賣買ハ何レノ國ニ於テモ実際行ハルルコト甚タ多キモノニシテ且実益頗ル重大ナルカ故ニ其効力ニ著シキ變體アルモノナリ而シテ其効力タル他ノ契約ニ通シテ適用スヘキヲ以テ茲ニ之ヲ示スモ敢テ不可ナルニ非スト雖モ亦多少習慣上賣買ニ限ルヲ以テ賣買ノ章ニ至リ之ヲ掲クルヲ至當ト為ス但他ノ契約ニ付テモ其性質ノ類似シ當事者ノ約束アルトキハ之ヲ準用スルコトヲ得
今賣買契約ニ於テ日常多ク行ハレ而シテ之ニ條件附ノ性質ヲ付シ隨テ之ニ射倖ノ性質ヲ付スル所ノ約款ヲ擧ケン其條件タル或ハ停止ノモノタリ或ハ觧除ノモノタリ又當事者一方ノ多少任意タルモノナリ
壹、 凡ソ物品中試味試験シ買主ノ意ニ適シタル後買取ルノ慣習アルモノ有リ酒、油其他概シテ買主ノ一家ノ消費ニ供シ轉賣スヘキモノニアラサル所ノ日用品是レナリ此等ノ日用品ノ賣買ヲ為スニ當リ其分量稍ヤ多ク且賣主ニ於テ買主ノ用方ヲ知リタルトキハ其物品買主ノ意ニ適セハ賣買ヲ確定セントノ條件ヲ設ケテ賣買ヲ為シタルモノト看做ス
而シテ其條件タル契約ノ文辞如何ニ因リ或ハ停止タリ或ハ觧除タルモノナリ例ヘハ「其物カ意ニ適スルナラハ賣買ヲ為ス可シ」ト云ヘルトキハ即チ其條件ハ停止ノモノナリ又賣買ヲ為スモ「其意ニ適セサレハ買取ラス」ト云ヘルトキハ其條件ハ觧除ノモノナリ
又右ノ條件ハ事実ノ情況ニ因リ性質ヲ變スルコト有リ例ヘハ日用品ノ引渡ナク又其試味前代價ヲ拂ハサルトキハ其賣買ハ停止條件附ノモノト看做ス可シ之ニ反スル場合ニ於テハ黙示ノ觧除條件アリト謂フヲ得ヘシ
此條件ノ停止タルト觧除タルトノ區別ハ前ニ説明シタル如ク危険ノ點ニ関シ大ニ利害ノ差異ヲ生スルモノナリ
勿論物品ノ形状完全ニシテ通常ノ品質ヲ有スルトキハ買主漫ニ之ヲ拒絶スルコトヲ得ス蓋シ條件多少任意ナルモ買主ヲシテ其専恣悪意ヲ逞フスルヲ得セシム可カラサレハナリ
買主一身ノ使用ニ供スル乗馬若クハ駕馬ノ如キ試験ヲ経ルノ習慣アル物ニ付テモ亦同シトス
然レトモ試味試験スル習慣ナキ物ニ至テハ特約アルニ非サレハ右ノ條件存セサルモノトス
貮、 當事者ノ一方若クハ雙方ノ為メ觧約ノ権能ヲ付シテ賣買ヲ為スコト有リ此権能タル黙示ニテ之ヲ約スルスルコトアリ「手附」(概ネ金銭ナリ)アル場合ニ於テハ即チ黙示ノ觧約権能ヲ設ケタリト看做スコトヲ得蓋シ手附ハ一種ノ擔保ニシテ當事者ノ着実ニ義務ヲ帯ヒ漫ニ觧約セサルコトヲ證スルモノナリ此場合ニ於テハ手附ハ觧約ノ過怠料、任意觧除ノ賠償タルモノニシテ觧約スル者ハ其手附トシテ與へタル金額ヲ失ヒ又ハ其受取リタル金額ト同額ヲ添ヘテ之ヲ返付スルモノトス但當事者手附ヲ授受スルニ當リ明ニ觧約ノ権能ヲ約定セサリシトキハ裁判所事情ニ従ヒ此問題ヲ断定ス可シ即チ買主ヨリ金銭ヲ與へタルトキハ或ハ其金銭ハ手附ニアラスシテ代價ノ内金ニ過キサルコト有ル可シ然レトモ賣主ヨリ金銭ヲ與へタルトキハ觧約ノ権能ヲ設ケ手附トシテ之ヲ與へタリト謂ハサルヲ得サル可シ此点タル一ニ裁判所ノ事情ニ従ヒ判定スヘキ所ナリ
参、賣主或ル期間内ニ賣渡物ヲ一層高價ニテ賣渡スヲ得ヘキトキハ賣買ヲ觧除ス可シト約スルコトヲ得又之ニ反シ買主一層ノ低價ヲ以テ同一ノ物ヲ買得ヘキトキハ觧除ヲ為ス可キコトヲ約スルヲ得
肆、 或ル期間内ニ受戻ヲ為スノ権能ヲ與へテ賣買ヲ為スコト有リ此約款タル受戻約款ト稱シ賣主ノ為メニ要約スル所觧除条件ナリ而シテ此條件タル純然タル任意ノモノニ非ス何トナレハ受戻権能ヲ行ハントスル賣主ハ其受取リタル代代價及ヒ契約ノ費用ヲ返還スルヲ要ス然ルニ約束ノ期限内ニ賣主右ノ金額ヲ調達スル能ハサルコト有ル可ケレハナリ且所有権ノ久シク不確然ナルハ之ヲ取得スル第三者ニ害アルヲ以テ法律ハ五年以後ニ渉ル受戻権能ヲ要約スル前ニ述ヘタル如ク是等ノ條件ハ賣買以外ノ契約ニ附スルヲ得ルモノナリ賃貸借ノ如キハ賣買ト大ニ類似スルモノニシテ之ニ右ノ條件ヲ附スルコト往々之レ有リ會社契約ノ如キ亦之ニ右ノ條件ヲ附スルコトヲ得況ンヤ交換ニ於テハ此條件ヲ設クルヲ得ルヤ明カナリ
第二款 目的ノ單一選擇又ハ任意ノ義務
第四百二十七條
單一義務トハ其目的トスル所唯一アルニ止マルモノヲ謂フ是ヲ以テ純理上之ヲ言ヘハ一個若クハ數個ノ相合シテ一体ヲ為シタル物ヲ以テ目的トスル義務ニ非サレハ單一義務ト称ス可カラサルカ如シ然ルニ定量物及ヒ群畜文庫ノ書籍好事家ノ聚集シタル画繪其他ノ美術品ノ如キ聚合物並ヒニ相續財産ヲ組成スル動産若クハ不動産ノ如キ包括財産ヲ以テ單一ノモノト看做シ之ヲ目的トスル義務ヲ称シテ單一義務ト云ヘルハ單一ナル名称ノ區域ヲ最モ擴張シタルモノナリ蓋シ定量物聚合物又ハ包括財産ヲ以テ義務ノ目的トシタル場合ニ於テハ実体上之ヲ見レハ目的物數多アリト雖モ法律上之ヲ見レハ其數物相集テ一体ヲ為スモノト謂フヘキヤ明カナリ
本條第一項ハ右ニ述フル所ノ物ヲ以テ目的トシタル義務ヲ称シテ單一義務ト云フ旨ヲ示スモノナリ尚ホ作為若クハ不作為ヲ目的トシタル場合ニ於テモ亦物ヲ授與スルヲ目的トシタル場合ニ於ケルカ如ク單一義務ノ性質ニ付キ異ナル所ナキカ故ニ第一項ニ此旨ヲ記載スルモ不可ナルニ非スト雖モ実際不作為ノ義務ハ定量物若クハ包括財産ヲ目的トスルコトアラサルカ故ニ本條ノ律文敢テ之ヲ記載セス法文ハ成ルヘク簡易ヲ旨トス巧ヲ衒フテ諸般ノ場合ヲ包括センコトヲ欲シ敢テ高尚ナル律文ヲ設ケ反テ了觧シ難キ法文ヲ存スルハ冝シク避ケサル可カラス
第二項ハ單純義務ノ區域ヲ擴張シ通常單純義務ナル文字ノ觧釋上其中ニ包含セサル所ノモノヲ以テ猶ホ單純義務ト看做スモノナリ蓋シ本項ニ規定スル所ノ場合ニ於テハ普通ノ學説其義務ヲ称シテ連合義務ト云フ然レトモ連合義務ナル文字ハ諸國ノ法律ニ適用セサルノミナラス之ヲ用ユルトキハ反テ法律ノ觧釋ヲシテ不明ナラシムルノ恐アリ且義務ノ目的數個アルモ其目的牽連シ唯一ノ物ヲ以テ目的トシタルトキハ同一ノ効力ヲ生スル場合ニ於テ其義務ニ他ノ名称ヲ附スルハ全ク無用ノコト謂ハサル可カラス是ヲ以テ本法ニ於テハ數個ノ物ヲ與へ又ハ數個ノ事ヲ為シ若クハ為ササルヲ以テ義務ノ目的ト為シ加之同時其履行ヲ為スヘキモノニ非サルトキト雖モ猶ホ唯一ノ合意ヲ為シタルニ因リ其義務一体ヲ為ストキハ之ヲ以テ前記單純ナル義務ト同一視シタリ加之數多ノ合意ヲ為シタル場合ニ於テモ其一、主タル合意ニシテ自餘ノモノ從タル合意ナルトキ即チ數個ノ合意當事者ノ意思ニ於テ牽連スルモノタルトキハ唯一ノ合意アリタルニ同シト看做シタリ
今唯一ノ合意ヲ以テ順次數多ノ供與ヲ負擔スル場合ノ実例ヲ擧クレハ賃借人ノ負擔スル義務ノ如キ即チ然リ又數多ノ牽連セル合意ヲ以テ數多ノ供與ヲ負擔スル場合ノ適例ヲ示サハ二個ノ賣買ヲ約シ其一主タル物ヲ以テ目的トシ他ノ一從タル物ヲ以テ目的トシタル如キ場合ナリトス
第三項ハ第二項ニ於テ單純義務ノ名稱ヲ擴張シタルノ結果ヲ示スモノニシテ併セテ第二項ノ理由ヲ示スモノナリ蓋シ第三項ニ依レハ唯一ノ物ヲ以テ義務ノ目的トシタル場合ニ於テ債務者其義務ヲ免カルルカ為メニハ其義務ノ全部ヲ履行スルヲ要スルト同シク數多ノ物ヲ以テ目的トシタル場合ニ於テモ亦負擔シタル總テノ物ヲ供與スルニ非サレハ債務者其義務ヲ免カルルヲ得サルコトヲ定ムルモノナリ
右ノ規定ノ利益タル殊ニ不履行ノ為メニ觧除ヲ行フ場合ニ存ス詳カニ之ヲ言ヘハ供與ノ一ヲ為ササルトキハ合意ノ全部ヲ觧除シ聯合セル合意ヲ擧ケテ觧除スルヲ得ルモノナリ
本條ニハ債務者其義務ヲ免カルルノ方法トシテ物ノ供與ヲ記スルニ過キスト雖モ亦未タ決シテ義務ノ他ノ消滅方法例ヘハ負擔シタル物ノ意外ノ滅失ヲ以テ債務者ノ義務ヲ免カルルノ方法ト認メサルニアラス然レトモ供與意外ノ消滅法ハ通常義務ノ消滅ノ方法ニ非サルカ故ニ特ニ本條ニ之ヲ記スルノ必要ナシ然レトモ債務者全ク其義務ヲ免カルルハ負擔シタル總テノ物尽ク意外ノ事ニ因リ滅失シタルトキニ限ルヘク若シ其負擔シタル物中残存スル物アルトキハ債務者之ヲ引渡ササルヲ得ス是恰モ唯一ノ物ヲ以テ目的トシタルトキ其一分ノ滅失シタル場合ニ於テ残存スル所ノ物ヲ引渡スノ義務アルト同一ナリ
第四百二十八條
義務ノ目的數個ニシテ其目的ノ性質ヲ異ニスルモ亦其義務單純ナルコトアルハ前條ニ於テ説明シタルカ如シ是ヲ以テ選擇義務ノ特性トスル所ハ負擔シタル物ノ數個ナルニ非ス又其性質ノ異ナルニモ非スシテ負擔シタル物ノ一個若クハ數個ノ供與ヲ為スニ因リ債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシムルニ在リ本條ニ「幾個」ト云ヘルハ負擔シタル物單ニ二個ニ止マラス數個ノ集合体ニ分別スルコトアルカ故ナリ例ヘハ債務者牛二頭若クハ羊十頭ヲ供與ス可シト約シ又ハ米十石若クハ酒三樽ヲ供與スヘシト約シタルカ如キ何レモ選擇義務ヲ約シタルモノナリ
抑選擇義務ノ理論タル數個ノ區別ヲ為スヲ要スルカ故ニ一目スレハ頗ル錯雑セルニ似タリト雖モ其実既ニ説明シタル一般ノ原則ニ基キ一貫ノ法理ニ依ルモノニ過キサルナリ詳カニ之ヲ言ヘハ合意自由ノ原則ニ從ヒ合意ヲ以テ當事者ノ一方ニ選擇権ヲ與へ又此点ニ付キ合意ノ存セサルトキハ債務者ヲシテ選擇権ヲ有セシメ危險擔當即チ意外滅失ニ関スル理論ヲ應用シ過失ノ責任ノ原則ヲ適用シ並ニ多少條件ノ理論ヲ準用シタルニ過キス
次條以下ハ負擔シタル物ノ全部若クハ一分ノ滅失ノ結果ヲ規定スルモノニシテ選擇義務ニ関スル規定中最モ重要ニシテ且此事項ニ関シ法文ヲ設ケタル唯一ノ利益トモ云フヘキモノナリ然レトモ此点ニ拘ハラス又必ス當事者双方中何レカ供與スヘキ物件ヲ選擇スルノ権利アリヤヲ區別スルヲ要シ又其物件ノ滅失選擇権ヲ有スル當事者ノ責ニ帰スヘキヤ将タ其相手方ニ責ヲ帰スヘキヤ又或ハ其滅失意外ノ事ニ出テタルヤヲ區別スルコトヲ要ス又負擔シタル物ノ一箇ノミ滅失シタルヤ将タ總テ滅失シタルヤ又負擔物ヲ擧ケテ尽ク滅失シタル場合ニ於テハ其滅失ノ時同シキヤ否ヤヲ區別スルヲ要ス
夫レ選擇義務ニ於テハ債務者ハ一個ノ物若クハ他ノ一個ノ物ヲ負擔シ或ハ一團ノ物若クハ他ノ一團ノ物ヲ負擔スルニ過キサルカ故ニ必ス何レノ物ヲ供與スヘキカヲ選定スルコトヲ要ス是ヲ以テ其選擇ヲ為スノ権利アル者當事者何レニ在リヤヲ定ムルコト必要ナリ而シテ合意ヲ以テ此点ヲ明定シタルトキハ(是レ実際最モ多キ所ナリ)一ニ其合意ニ從フヘシ然レトモ此点ニ付キ合意アラサルトキハ選擇ノ権債務者ニ属スヘシ是レ普通法ノ適用ニ依リ總テノ場合ニ於テ當事者ノ意思ニ疑アルトキハ債務者ノ利トナルヘキ意義ニ從ヒ合意ノ觧釋ヲ為スヘキノ結果ニ外ナラス(本編第三百六十條ヲ参観スヘシ)
然リト雖トモ債権者合意ニ因リ選擇ノ権利ヲ有スルニハ未タ必スシモ債権者「特約ヲ以テ」選擇権ヲ得タルコトヲ要セス実ニ義務ノ包含スル所ノ目的ニ関シ其區域ヲ定ムルニ當リテハ事情ヲ斟酌シ債権者ニ選擇ヲ為スノ権利アリト断定ス可カラサルノ理由非サルナリ是ヲ以テ裁判官ハ事実ノ情状ニ從ヒ此点ヲ断定スルヲ得サル可カラス
本條ハ注意綿密ニ過クルノ誹リヲ厭ハス又律文ノ煩雑ニ失スルノ評ヲ顧ミス敢テ明文ヲ設ケテ債務者選擇権アルトキト雖モ猶ホ各物ノ一分ヲ供與スルコト能ハサル旨ヲ云ヘリ蓋シ債務者各物ノ一分ヲ與へントスルハ債権者ノ意思ニ適從スルモノニ非ス加之一分ノ供與ハ債権者ノ為メ何等ノ利益ヲモ生セサルコト最モ多キヤ明カナリ又債権者選擇ヲ為スノ権利ヲ有スル場合ニ於テモ各物若クハ數物ノ各團ノ一分ヲ請求スルヲ得ス是レ亦債務者ノ意思ニ背馳シ其利益ニ背反ス可キカ故ナリ
第四百二十九條
本條ハ負擔シタル物件ノ一個若クハ二個ノ滅失意外ノ事若クハ不可抗力ニ原因スル場合ヲ仮定スルモノナリ
意外ノ事若クハ不可抗力ニ因リ負擔シタル物ノ一箇滅失シタルトキハ縦令選擇ノ権債務者ニ属スルトキト雖モ猶ホ債務者滅失セサル所ノ他ノ物件ヲ供與スルノ義務ヲ免カルルモノニ非ス債務者ハ既ニ滅失シタル所ノ物ヲ選擇セント欲シタルコトヲ称シ其義務ヲ免カルルコト能ハス加之滅失シタル物ノ價額ヲ供與スルモ尚ホ残存スル物ヲ供與スルノ義務ヲ免カル可カラス何トナレハ滅失シタル物ノ價額ヲ供與スルハ合意ノ目的ニ非サレハナリ是ヲ以テ債務者單純ニ他ノ残存スル物ヲ供與スルコトヲ要ス(第一項)是ヲ以テ債務者全ク其義務ヲ免除スルハ負擔シタル物尽ク意外ノ事若クハ不可抗力ニ因リ滅失シタルコトヲ要ス(第二項)此場合ニ於テハ債務者義務ヲ免カルルモ亦全ク損失ヲ免カルルコト能ハサルニ因リ負擔シタル物尽ク滅失シタル場合ニ於テモ亦債務者ノ位置ハ其一個ノ滅失シタル場合ニ於ケルト更ニ不利ナルコト非サルナリ
然ルニ意外ノ事ニ因リ物ノ一分ノ滅失ヲ来シタルトキ即チ僅カニ物ノ毀損ヲ惹起シタル場合ニ至テハ其結果ニ付キ較論議ヲ要スル所アリ
若シ債権者選擇ノ権利ヲ有スルトキハ右ノ場合ニ関シ論議ヲ要スルコトナシ何トナレハ債権者ハ必スヤ毀損シタル物ヲ選擇スルコト非サルヘク又毀損シタル物ヲ選擇セントセハ之ヲ選擇スルノ権利アルカ故ニ一ニ債権者ノ取捨ニ委スヘキナリ
然レトモ債務者選擇ノ権ヲ有スルトキハ債務者ハ必スヤ毀損シタル物ヲ選擇スヘシト雖トモ其物ノ毀損シタルニ因リ残存スル所殆ト何等ノ價額ヲモ有セサル場合ニ於テハ債務者ノ選擇ヲ行フハ大ニ弊害無シト云フ可カラス蓋シ負擔シタル物ノ一個ノ全部ノ滅失全ク債務者ノ負擔ニ帰シ債務者ハ他ノ残存スル所ノ物ヲ附與スルノ義務ヲ免カレサルニ殆ト全部ニ近キ滅失ヲ以テ債権者ノ負擔トスルハ道理矛盾スルモノト謂ハサル可カラス是ヲ以テ本條ハ條件附ノ義務ノ原則ヲ適用シ(選擇義務モ亦第四百三十五條ニ明記スルカ如ク多少條件附ノ義務ノ性質ヲ有スルモノナリ)負擔シタル物件ノ一個ノ喪失其價ノ半額以上ニ當ルトキハ之ヲ以テ債務者ノ負擔タルヘキモノトシタリ故ニ債務者ハ單純ニ残ル所ノ物ヲ引渡スノ義務アルモノトス(第三項)
本條ハ負擔シタル物尽ク毀損スルモ其喪失ノ價額物ノ全体ノ價額ノ半額ニ達セサル場合ヲ規定セスト雖トモ此場合ニ於テハ合意ニ因リ選擇権ヲ有シタリシ當事者ヲシテ依然選擇ノ権能ヲ行ハシムルヲ至當トス是ヲ以テ債務者ハ必ス毀損ノ最モ甚シキ物ヲ選擇スヘク債権者ハ之ニ反シ毀損ノ最モ少ナキ物ヲ選擇ス可シト雖トモ當事者各此権利ヲ有スルハ負擔シタル物件ノ一箇其價ノ半額ヨリ少ナキ部分ヲ喪失シタル場合ニ於テ元来合意ニ因リ選擇権ヲ有スル者依然之ヲ保有スル場合ニ於ケルト毫モ異ナルコトアル可カラス
又本條ハ負擔シタル物件ノ一個若クハ二個共ニ價額ヲ増加シタル場合ヲ規定セスト雖トモ此場合ニ於テモ亦選擇権ハ依然元来之ヲ有スル者ニ属ス可キナリ故ニ債務者元ト選擇権ヲ有シタリシトキハ増加ノ最モ少ナキ物ヲ授與スヘク又債権者選擇権ヲ有シタリシトキハ増加ノ最モ多キ物ヲ選擇スヘキヤ當然ナリ
又本條ハ諾約シタル物ノ一個私ノ義務ノ目的タル能ハサル場合ヲ規定セスト雖モ是レ毫モ異議ヲ生ス可キモノニ非ス即チ此場合ニ於テハ義務ハ當初ヨリ單純ナルモノニシテ他ノ物件即チ私ノ義務ノ目的タル物ヲ以テ其目的ト為ス可キヤ明カナリ
第四百三十條
本條ヲ設ケタル所以ハ若シ之ヲ置カサルトキハ當事者ノ一方ノ選擇ヲ為シタル場合ニ於テ他ノ一方之ヲ受諾セス又ハ確定判決ヲ以テ他ノ一方之ヲ受諾シタリト看做ササルニ當リ選擇権ヲ有スル者其既ニ為シタル所ノ選擇ヲ取消スヲ得ヘシト云フ者ナキヲ保セサルニ因リ然レトモ本法ハ一旦選擇ヲ為シタルトキハ更ニ之ヲ取消スコトヲ許ス可カラスト認メタルニ因リ特ニ本條ヲ設ケタリ蓋シ一旦選擇ヲ為シタル後之ヲ取消スコトヲ許ストキハ選擇権アル者悪意ヲ逞フスルノ恐ナシトセス実ニ一旦確定シタル選擇ヲ変更スルヲ得ルモノトスルニ於テハ債権者債務者ノ提供ヲ受諾スル以前ニ在テ(本編第四百七十四條ヲ参観スヘシ)提供シタル物價額ヲ損スルカ又ハ債務者ノ選擇セサリシ物毀損滅失スルトキハ債務者ハ其一旦為シタル所ノ選擇ヲ取消シ以テ増加ノ利益ヲ壟断シ或ハ其損失ヲ債権者ノ負擔ニ帰セシムルヲ得ルニ至ルヘシ又債権者選擇権ヲ有スル場合ニ於テモ其選擇ヲシタル後之ヲ変スルヲ得ルモノトセハ其裁判所ニ請求ヲ為シタル後未タ判決アラサルニ當リ其選擇シタル物ノ價額ヲ滅失シ若クハ其選擇セサル物ノ價額ヲ増加シタル場合ニ於テ債権者選擇ヲ取消シ以テ價額ノ滅失ノ為メニ損害ヲ被ルコトヲ免カレ又ハ價額ノ増加ニ因リ利益ヲ収ムルコトヲ得ルニ至ルヘシ
抑合意ニ基キタル選擇ノ権利ハ既得ノ権利ニシテ選擇権ヲ有セサル者ノ敢テ犯スコトヲ得ス又裁判所モ妨害スルコトヲ得サルモノナリ即チ其選擇権ハ一ニ之ヲ有スル當事者ノ純然タル意思ニ関スルモノニシテ而シテ一旦其ノ意思ヲ決シタル後適法ニ他ノ當事者ニ之ヲ告知シタルトキハ双方双互ノ権利確定シ物ノ危険ヲ擔當スヘキ者何人タルヤ確定スルモノナリ而シテ一旦選擇アリタルニ因リ其効力ヲ生スルハ未タ必スシモ他ノ當事者選擇ヲ受諾シタルコトヲ必要トセス何トナレハ選擇権ヲ有スル者ノ為シタル選擇ニ関シテハ毫モ異議ヲ容ルヘキ所アラサレハナリ是ヲ以テ本條ハ汎博ナル律文ヲ用ヰ合式ノ裁判外ノ請求ヲ以テ裁判上ノ請求ト同一ノ効果ヲ生ス可キモノト定メタリ
第四百三十一條
本條ハ負擔シタル物件ノ一個若クハ二個ノ物(法文ハ通常実際ニ多ク存スル所ノ場合ヲ想像スルカ故ニ選擇義務ノ目的二個ノ物タルコトヲ想像スト雖トモ其目的タル數個アルコトアルヘシ是ヲ以テ法文ニ單ニ二個ノ物ト云フモ其実二個若クハ數個ノ物ト云フニ外ナラス)滅失シタル場合ヲ規定スルモノナリ
第一選擇権ノ債務者ニ属シ而シテ債務者ノ過失ニ因リ物ノ滅失シタル場合アリ
本條ハ此場合ヲ細別シテ第一負擔シタル物ノ一個残存スルヤ第二、二個ノ物尽ク順次滅失シタリヤ第三、二個ノ物尽ク同時ニ滅失シタリヤヲ區別セリ
第一、負擔シタル物件ノ一個ノミ残存スル場合ニ於テハ義務ハ只一個ノ目的ヲ有スルノミ即チ残存スル所ノ物ヲ以テ目的トスルニ過キサルカ故ニ其義務ハ單純ノモノタルヘシ是ヲ以テ本條ハ明カニ債務者ヲシテ滅失シタル物ノ價額ヲ供與スルノ権利ヲ有セシメサルコトヲ定メタリ何トナレハ残存スル物ノ價額ヲ供與スルハ合意ノ文辞ヲ枉クルモノナリ蓋シ合意ヲ為スニ當テヤ当事者ハ負擔シタル物ノ價額ヲ得ンコトヲ目的トスルモノニ非ス其物自体ヲ得ンコトヲ目的トスルモノナリ
又同一ノ理由ニ因リ債権者モ滅失シタル所ノ物ノ價額ヲ請求スルコトヲ得ス蓋シ債務者ハ二個ノ物ノ一個ヲ滅失セシモ又ハ譲渡シタルニ因リ間接ニ選擇権ヲ行ヒ即チ残存スル所ノ物ヲ選擇シタリト唱フルコトヲ得ルモノナリ而シテ債務者譲渡ヲ為シタルニ因リ物ヲ失フタル場合ニ於テモ亦其譲渡有効ナルトキハ遂ニ債務者ヲシテ法律上之ヲ債権者ニ供與スルコト能ハサラシムルニ至ルモノナリ故ニ債務者ハ其譲渡ニ因リ以テ其選擇権ヲ行フタルモノト云フヘキナリ
選擇義務單純ト為リタルトキハ爾後其目的タル所ノ唯一ノ物件ノ危険ハ一般ノ原則ニ從ヒ債権者ノ負擔タルヘキモノトス故ニ意外ノ事ニ因リ其物滅失シタルトキハ債務者全ク其義務ヲ免除スヘシ然レトモ債権者ハ債務者ヲシテ其間接ニ行フタル所ノ選擇ヲ自己ニ告知セシメ是ニ因テ以テ債務者ニ對シ其残存スル所ノ物ヲ自己ニ引渡サンコトヲ請求シ又ハ債務者ヲ遲滞ニ付シ之ヲシテ危険ヲ擔當セシムルコトヲ得
第二、債務者一旦二個ノ物ノ一個ヲ譲渡シ若クハ滅失セシメタルトキハ即チ其選擇権ヲ行フタルモノニシテ單純ニ残存スル所ノ他ノ一物ヲ負擔スルモノトス故ニ爾後債務者残存スル所ノ物ヲ自己ノ過失ニ因リ滅失セシメ又ハ之ヲ譲渡シタルトキハ其義務ヲ負擔スルコトヲ要ス
第三、第三ノ場合ハ二個ノ物同時ニ滅失シ而シテ債務者二個ノ物ニ付キ又ハ其一個ニ付キ過失ノ責アル場合ニシテ此場合ニ於テ何人ニ危険ノ負擔アルヤヲ定ムルハ較論議ヲ容ルル所ナリ
蓋シ皮想視スレハ二個ノ物同時ニ滅失シタル場合ニ於テ債務者其一個ニ付キ過失アリ他ノ一個ニ付キ過失ナキハ甚タ稀ナルカ如シト雖トモ洪水其他火災アルニ當リ債務者二個ノ物ノ一個ノミヲ救フコトヲ得ルニ止マリ其注意ノ至ラサルカ故ニ他ノ一物ヲ救フコトヲ得サル場合ナシトセス此場合ニ於テハ債務者ハ其注意ノ至ラサリシ責ニ任セサル可カラス又例ヘハ乘馬若クハ駕馬ヲ供與センコトヲ約シタルニ當リテハ固ヨリ乘馬ヲ以テ駕馭ニ供ス可カラサルモノナリト雖トモ債務者濫ニ之ヲ駕馭ノ用ニ供シ遂ニ急流ニ陥リ両馬共ニ滅失シタルトキノ如キ其馬ノ滅失ハ意外ノ事ニ因ルト雖トモ亦債務者ノ過失ニ因リ意外ノ事ニ係リ乘馬ヲ滅失スルニ至ラシメタルモノニシテ其過失ハ意外ノ事ノ危害トナリタルモノナルカ故ニ債務者ハ乘馬ニ付キ過失アルモノナリ然レトモ駕馬ニ付キテハ敢テ過失アルコトナシ斯ノ如キ場合ニ於テハ目的物ノ一個ニ付キ過失アリ他ノ一個ニ過失ナキモノナリ
而シテ此場合ニ於テ債務者ノ過失アルニ拘ハラス依然之ヲシテ二個ノ物ノ中其一個ノ價額ヲ選擇スルヲ得セシムルモ敢テ不可ナリト云フ可カラス何トナレハ擇一義務ノ目的物ハ実際尽ク殆ト同一ノ價額ヲ有スルモノナレハナリ然レトモ本條ハ純理ニ照ラシ過失アル者ニ制裁ヲ加フルノ趣意ヲ貫徹スルカ為メ債権者ニ選擇権ヲ移轉シ之ヲシテ負擔シタル物ノ一個ノ價額ヲ請求スルヲ得セシメタリ是レ既ニ合意ヲ履行スルニ非スト雖トモ最初ニ之ヲ破リタル者債務者ナルカ故ニ之ヲシテ合意ノ利益ヲ得セシメサルモ決シテ不當ニ非サルナリ
第四百三十二條
本條モ亦選擇権ノ債務者ニ属シ而シテ債権者ノ過失ニ因リ目的物ノ滅失シタル場合ヲ規定スルモノナリ而シテ第一項ニハ負擔シタル物ノ一個滅失シタルコトヲ仮定シ第二項ニハ二個ノ物尽ク滅失シタルコトヲ仮定シ第三項ニハ一個ノ物債権者ノ過失ニ因リ他ノ一個ノ物ハ意外ノ事ニ因リ同時ニ滅失シタルコトヲ仮定スルモノナリ
勿論右ノ場合ニ於テハ負擔シタル物債務者ニ属スルモノト想像ス可シ
右三個ノ場合ヲ支配シ普ネク之ニ適用スヘキ原則ハ債権者ノ過失ヲシテ債務者ニ害ヲ及ホサシメサルニ在リ
是ヲ以テ第一ノ場合ニ於テハ債務者ハ其義務ヲ免除シタルコトヲ申立ツルコトヲ得是レ債務者ハ債権者ノ過失ニ因リ滅失シタル所ノ物ヲ選擇シタリト云フニ外ナラス然レトモ債務者ハ残存スル所ノ物ヲ引渡シ滅失シタル所ノ物ヲ保存スルノ利益ヲ有スルコトアルヘキカ故ニ残存スル所ノ物ヲ引渡シ以テ債権者ニ過失ナクンハ保存スルコトヲ得タリシ所ノ物ノ價額ノ償還ヲ請求スルコトヲ得
第二ノ場合ニ於テハ債務者一ニ其義務ヲ免カレ且二個ノ物件ノ價額中其一ノ債権者タルヘキヤ明カナリ蓋シ債務者ハ元来引渡スヘキ物ノ選擇権ヲ有シタルカ故ニ債権者ノ過失ニ因リ二個ノ物尽ク滅失シタル場合ニ於テハ又法律上債務者ヲシテ償還ヲ受ケント欲スル價額ヲ選擇スルノ権ヲ有セシム或ハ債権者ハ價額ノ債務者ト為リタルモノナルカ故ニ更ニ自ラ選擇義務ヲ負擔スルニ因リ選擇権ヲ有スヘシト称スル者アラン然レトモ斯ノ如キハ全ク謬見タルヲ免カレサル所ニシテ債権者ハ自己ノ過失ニ因リ選擇ニ関スル當事者相互ノ意思ヲ濫ニ変更スルヲ得ヘキモノニ非サルナリ
第三ノ場合ニ於テモ亦負擔シタル物一モ存セス而シテ何レノ滅失ニ関シテモ自己ノ過失アラサルカ故ニ第二ノ場合ニ於ケルト同シク必ス其義務ヲ免除セサル可カラス然レトモ意外ノ事ニ因リ其一個滅失シタルニ因リ二個ノ價ノ一ヲ償還セシムルノ権利ヲ有セス蓋シ選擇義務ノ固有ノ性質ニ照ラスニ債務者未タ選擇ヲ為ササル以上ハ二個ノ物ノ危険其擔當タルヘキモノナリ是ヲ以テ債権者ニ責ヲ帰スヘキ滅失アリタル以前又ハ其以後ニ於テ意外ノ滅失アリタルトキハ債務者意外ノ事ニ因リ滅失シタル物ノ價額ノ償還ヲ求ムルコトヲ得ス故ニ二個ノ物ノ滅失同時ナルモ亦償還ノ権ヲ有ス可カラス
第四百三十三條及ヒ第四百三十四條
二、此二條ハ合意ニ因リ債権者選擇権ヲ有スルトキニ於テ物ノ滅失アリタル場合ヲ規定スルモノナリ而シテ此場合ニ於ケルモ亦前條ニ於ケルト同一ノ區別ヲ為シタリ然レトモ其論決ニ至テハ前條ニ於ケルト同一ナルヘキニ非サルナリ
第一ノ場合、債務者ニ過失アル場合(第四百三十三條)
第一二個ノ物ノ一カ債務者ノ過失ニ因リテ滅失シタルトキハ債権者ハ其選擇権ヲ保存シ之ヲ行ヒ以テ残存スル所ノ物又ハ滅失シタル所ノ物ノ價額ヲ請求スルコトヲ得
第二二個ノ物共ニ債務者ノ過失ニ因リテ滅失シタルトキハ債権者ハ其損失ノ順次ナルト同時ナルトヲ區別スルコトナク二個ノ物ノ價額ニ付キ選擇権ヲ行フヘシ
第三一個ノ物債務者ノ過失ニ因リ滅失シ他ノ一個ノ物意外ノ事ニ因リ滅失シタルモ其滅失ノ同時ナルトキハ債務者ノ過失ニ因リ債権者ヲシテ選擇ノ権ヲ失ハシムルコト能ハサルカ故ニ債権者ハ亦二個ノ價額ニ付キ選擇権ヲ行フヘシ
第二ノ場合、債権者ノ過失アル場合(第四百三十四條)
第一一個ノ物ノ一債権者ノ過失ニ因リ滅失シタルトキハ債権者ハ選擇権ヲ行ヒ以テ其物ヲ選取シタルモノト看做サル可キカ故ニ債務者ハ他ノ物ヲ與フルノ義務ヲ免カルヘシ故ニ残存スル所ノ物ハ最早負擔物ニ非サルカ故ニ債務者ノ他ノ財産ト同シク毫モ之ニ付キ義務ノ存スルコトナキカ故ニ爾後意外ノ事ニ因リ滅失シタルトキハ債務者其滅失ヲ負擔スヘク又債権者ノ過失ニ因リ滅失シタルトキハ債権者其價額ヲ賠償スルノ責アルコト恰モ同一ノ場合ニ於テ總テ過失アル者其責ニ任スヘキカ如シ
第二二個ノ物同時ニ滅失シタルトキハ債務者先ツ其義務ヲ免カレ且二個ノ物ノ一ノ價額ヲ賠償セシムル権利ヲ有ス是レ法律ニ於テ債権者ヲ懲罰スルカ為メ債務者ニ選擇権ヲ移轉スルニ因ルモノニシテ恰モ第四百三十一條ニ於テ債務者ヲ懲罰スルカ為メ債権者ニ選擇権ヲ移轉スルト同一ノ趣意ニ出テタルモノナリ
第三一個ノ物債権者ノ過失ニ因リ滅失シ他ノ一個ノ物意外ノ事ニ因リ滅失シタルモ其滅失同時ナル場合ニ於テハ萬事結了シ當事者何レモ償還ヲ求ムルノ権利ナシ蓋シ債権者ハ其過失ニ因リ自己ノ権利ヲ失フヤ明カナリト雖トモ亦債務者ハ二個ノ物ノ一個ノ意外ノ滅失ヲ負擔セサル可カラサルナリ何トナレハ債権者ニ責ヲ帰スヘキ滅失ト同時ナラス其前後ニ於テ意外ノ滅失アリタルトキハ亦其結果必ス債務者ニ損害ヲ及ホス可キモノナレハナリ
本條ハ毫モ當事者ノ一方ニ責ヲ帰スヘキ一分ノ滅失即チ單純ナル毀損ノ場合ヲ規定セス
然レトモ過失責任ノ普通ノ原則ニ照ラシ選擇義務ノ理論ニ考フルトキハ必ス左ノ結果ヲ生セサル可カラス
第一、選擇権債務者ニ属シ而シテ過失ノ責ヲ之ニ帰スヘキトキハ債務者毀損シタル物ヲ提供スルコトヲ得ス
第二選擇権債権者ニ属シ而シテ債務者ニ過失ノ責ヲ帰スヘキトキハ債権者ハ完全ニ残存スル物ヲ選擇スルモ亦毀損シタル物ヲ選擇シ併セテ損害賠償ヲ求ムルモ其権内ニ在リ
第三債権者ニ選擇権アル場合ニ於テ過失ノ責ヲ債権者ニ帰ス可キトキハ債権者ハ毀損セサル物ヲ選擇シ債務者ニ残存スル所ノ物ノ毀損ノ賠償ヲ之ニ與フルコトヲ得
第四百三十五條
本條ハ重要ナル原則ヲ定メ以テ選擇義務ノ規定ヲ完備スルモノナリ即チ選擇義務ハ停止條件附ノ義務ニシテ其條件ハ選擇権ヲ有スル者ノ隨意條件タルモノナリ而シテ其條件ノ有的ナルヤ無的ナルヤニ至テハ敢テ茲ニ之ヲ論明スルノ必要アラサルナリ蓋シ選擇義務ニ於テハ恰モ物件ノ各箇ヲ約スルニ「債務者若クハ債権者一個ノ物ヲ選擇スルニ於テハ」トノ條件ヲ附シタルモノニシテ「債務者若クハ債権者他ノ物ヲ選擇セサルニ於テハ」ト云フニ外ナラス
選擇義務ノ條件附ノ性質アル結果ノ一ハ既ニ第四百二十九條ニ之ヲ指示シタリ即チ負擔シタル物件ノ一個ノ全部若クハ半分以上ノ意外ノ滅失ハ第四百十九條ニ從ヒ債務者ノ負擔タルヘキモノトシタルコト是レナリ
又本條ニ他ニ一ノ結果ヲ示シタリ即チ選擇権ヲ有スル當事者選擇権ヲ行フタルニ因リ又ハ目的物ノ一個滅失シタルニ因リ義務ノ目的唯一ニ帰シタルトキハ債権者ハ恰モ初メヨリ其唯一ノ物ヲ得ルノ権利ヲ有シタルモノト認定シ其以前ニ在テ行フタル所ノ處分行為ハ第四十一條ニ依リ有効タルヘシ又債務者ノ残存スル物上ニ設定シタル権利ハ其物有体動産ナラス且債務者選擇権ヲ有セサルトキハ既往ニ溯リ觧除スヘシ然レトモ其有体動産ニ係ルトキハ善意ノ第三取得者ノ権利ヲ攻撃スルコトヲ得ス又選擇権ノ債務者ニ属スル場合ニ於テハ縦令不動産ニ係ルトキト雖トモ猶ホ其譲渡ヲ為シタルハ即チ其選擇権ヲ行フタルモノト認定セラルヘシ
第四百三十六條
任意義務ハ皮想視スレハ選擇権ノ債務者ニ属スル所ノ選擇義務ト頗ル類似スルカ如シ然レトモ其類似スルハ唯外見上ノミニシテ其実二者大ニ異ナルモノナリ蓋シ選擇義務ニ於テハ辨済トシテ交附スルヲ得ヘキ物尽ク義務ノ目的タルモノナリ固ヨリ其物ハ單純ニ義務ノ目的タルモノニ非ス即チ一個ノ物ヲ附與セサレハ他ノ物件ヲ附與スヘキノ約アルモノニシテ各物件停止條件附ニテ義務ノ目的タルモノナリト雖トモ亦二ツナカラ眞ニ義務ノ目的タルヤ疑ナシ然ルニ任意義務ニ於テハ眞ニ其目的タル物ハ一個アルノミ他ノ一個ハ債務者ノ意思ニ放任シタル辨済ノ方法タルモノニ過キサルナリ
此差異タル一目スレハ單ニ理論上ノモノニ止マルカ如シト雖トモ実際重要ナル結果ヲ生スルモノニシテ本條之ヲ示シタリ即チ本條第一項ニ於テ任意義務ノ定義ヲ下シ直チニ第二項ニ於テ其選擇義務ト異ナルヨリ生スル実際ノ第一ノ結果ヲ示シタリ蓋シ任意義務モ亦條件附ノ性質ヲ有スルモノナリト雖トモ其性質タル選擇義務ノ條件附ノ性質ト相反スルモノニシテ其條件ハ觧除ノモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ現ニ義務ノ目的タル所ノ物既ニ存スト雖トモ債務者ニ其権能ヲ行ヒ他ノ物ヲ以テ辨済ヲ為シタルトキハ現ニ目的タル所ノ物更ニ目的タルコトヲ止メ且未タ嘗テ目的タラサル物ト看做スモノトス
夫レ斯ノ如ク任意義務ニ觧除條件附ノ性質ヲ有スルニ因リ主トシテ負擔スル物ノ毀損滅失ハ債権者ノ負擔タルヘキモノトス是レ次項ニ於テ定ムル所ナリ第三項ハ主トシテ負擔シタル物ノ意外ノ事若クハ不可抗力ニ因リ滅失シタル場合ヲ規定スルモノニシテ其滅失ハ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムヘキヤ敢テ論明ヲ俟タサル所ナリ蓋シ任意義務ニ於テハ其実主トシテ負擔スル物ノミ元来義務ノ目的タルモノナルカ故ニ債務者ハ任意ニテ負擔スル物ヲ與フルニ及ハス其債務ハ既ニ消滅シタルニ因リ亦辨済ヲ為スヘキモノナリ
第四項モ亦主トシテ負擔スル物ノ滅失ヲ規定スルモノナリト雖トモ其滅失債務者ノ過失ニ因ルコトヲ想像ス此場合ニ於テハ債務者義務ヲ免カルルコト能ハスト雖トモ亦未タ必スシモ債務者任意ニテ負擔スル物ヲ請求スルヲ得ヘシト云フ可カラス但債権者ハ負擔シタル物ノ價額ヲ請求シ且損害アレハ其賠償ヲ請求スルノ権利アルノミ加之債務者ハ任意ニ負擔シタル物ヲ與へテ其義務ヲ免カルルヲ得或ハ債務者任意ニテ負擔スル物ヲ與フルノ権ヲ失フヘシト云フ者アランカ蓋シ債務者ノ過失ニ因リ主トシテ負擔スル物滅失シタルトキハ最早合意ヲ以テ豫メ規定シタル場合ト其位置ヲ異ニスルカ故ニ論者ノ見解其當ヲ得タルニ似タリト雖モ債務者ハ主タル物ノ滅失後任意ニテ負擔シタル物ヲ辨済スルノ権能ヲ行フト主タル物ノ存在シタルトキ其権能ヲ行フト毫モ債権者ノ利害異ナルコトナキヲ主張シ以テ其権能ヲ行フコトヲ得是レ本條ニ規定シタル所ナリ
本條ハ任意ニテ負擔シタル物ノ意外ノ滅失及ヒ債務者ノ過失ニ因ル其滅失ノ場合ヲ規定セスト雖トモ此二個ノ場合ニ於テハ債務者ハ決シテ義務ヲ免カルルコトナク只偶然若クハ自己ノ過失ニ因リ辨済ノ特別方法ヲ失フタルノミ然レトモ眞ニ負擔シタル物依然存在スルカ故ニ之ヲ與へサル可カラス
之ニ反シ本條ハ主タル物若クハ任意ノ物或ハ二個ノ物共ニ滅失シ而シテ其滅失ノ責ヲ債権者ニ帰スヘキ場合ヲ規定シタリ(第五項及ヒ第六項)
主トシテ負擔スル物債権者ノ過失ニ因リ滅失シタルトキハ債務者其義務ヲ免カルヘキコトヲ主張スルヲ得然レトモ亦債務者ハ任意ニテ負擔シタル物ヲ與へ以テ主トシテ負擔スル物ノ價額ヲ賠償セシムルコトヲ得
又任意ニテ負擔シタル物債権者ノ過失ニ因リ滅失シタルトキハ債務者ハ主トシテ負擔シタル物ト任意ニテ負擔シタル物ト共ニ滅失シ而シテ其滅失債権者ノ過失ニ因ルトキハ債務者ハ其何レヲ附與セント欲シタリシヤヲ陳述シ其保存セント欲シタル物ノ價額ヲ賠償セシムルコトヲ得
以上三個ノ場合ヲ支配スル所ノ原則ハ最モ單簡ナルモノナリ即チ債務者ハ合意ニ因リ己レニ属シタリシ義務免除ノ方法ノ一ヲ債権者ノ過失ニ因リ失フ可カラサルコト是レナリ
末項ニ規定シタル場合ハ二個ノ物異ナル原因ニ因リ同時ニ滅失シタル場合ニシテ頗ル論議ヲ容ルヘキモノナリ殊ニ任意義務ニ付テハ此場合ニ於ケル論決頗ル困難ナリ蓋シ主トシテ負擔スル物意外ノ事ニ因リ滅失シタルモノト想像スルトキハ債務者義務ヲ免除シ且債権者ノ過失ニ因リ滅失シタル他ノ物ノ價額ヲ請求スルノ訴権ヲ有スヘシ然ルニ任意ニテ負擔シタル物意外ノ事ニ因リ滅失シタリト想像スルトキハ債務者依然主トシテ負擔スル物ヲ渡スノ義務アリ但債権者ノ過失ナルカ為メニ其義務ヲ免カルヘシト雖トモ結局債務者ハ二個ノ物ヲ失ヒ毫モ債権者ニ對シ賠償ヲ求ムルコトヲ得サルヘシ故ニ意外ノ事ニ因リ滅失シタル物何レノ物ナルカ又債権者ノ過失ニ因リ滅失シタル物何レノ物ナルカヲ區別スルコトヲ必要トスト雖トモ是レ正ニ區別スル能ハサル所ナリ是ヲ以テ此場合ニ於テ相互ノ位置ヲ規定スルコト頗ル困難ナリ
例ヘハ債権者任意義務ノ二個ノ目的物ヲ併セテ占有シタルニ當リ偶マ其家火災ニ罹リタルニ若シ債権者力ヲ尽シタリシナラハ少ナクモ二個ノ物件中其一ヲシテ消滅ヲ免カレシムルヲ得タリシニ自己ニ属スル物ヲ保全セント欲シタルカ為メ任意義務ノ目的物ヲシテ尽ク焼失セシメタリ此場合ニ於テハ必スヤ債務者ハ主トシテ負擔シタル物意外ノ事ニ因リ滅失シタルモノト看做スヘキカ故ニ自己ノ義務ヲ免カレ且債権者ニ對シ其過失ニ因リ滅失シタル任意ノ目的物ノ價額ヲ請求スルノ権アリト称スヘシ又債権者ハ之ニ反シ意外ノ事ニ因リ滅失シタル物ハ任意ニテ負擔シタル物ナルヘキカ故ニ債務者義務ヲ免カレス但自己ノ過失ニ因リ主タル物ヲ滅失セシメタルカ故ニ單ニ自己ノ債権ヲ行フヘキニ過キスト主張スヘシ而シテ其主張事実ニ適合スルコト無シト云フ可カラス
蓋シ前記双方ノ主張ハ何レモ單ニ一片ノ推測ニ基キタルモノニシテ何レカ是何レカ非ナルヲ判別スルコト頗ル難ク只僅カニ一般ノ原則ヲ適用シ原告ハ其主張スル所ノ證拠ヲ擧クヘク然ラスンハ敗訴スヘシトスル外非サルナリ
然レトモ此場合ニ於テハ債務者ト債権者ト何レカ原告ノ地位ニ立ツヘキカヲ明カニスルコトヲ要ス
然リ而シテ任意ニテ負擔シタル物ノ價額ノ請求ヲ為ス原告タルヘキ者ハ債務者ナルカ故ニ債務者任意ニテ負擔シタル物ノ滅失債権者ノ過失ニ出テタルコトヲ証スル能ハサルトキハ敗訴ス可キカ如シト雖トモ債権者二個ノ物ノ一個ニ付キ過失アリ而シテ其何レニ付テ過失アリタルカヲ判別スル能ハサルハ実際其二個ノ物ヲ占有シタル場合ニ在リト謂ハサル可カラス而シテ其之ヲ占有スルハ或ハ貸借寄託代理ニ因リ或ハ不正ノ所為ニ因ルモノナリ而シテ其不正ノ所為ニ因リ占有ヲ為シタル場合ニ於テハ其責任一層重カルヘシ是ヲ以テ債務者ハ只債権者ノ占有ヲ為スニ至リタル原因ノ合法ト不法ナルトヲ問ハス之ヲ証スルヲ以テ足レリトス而シテ債権者ハ第四百四十一條ニ依リ意外ノ事アリタル證拠ヲ擧クルノ任アリ然ルニ債権者任意ニテ負擔シタル物意外ノ事ニ因リ滅失シタルコトヲ証明スル能ハサルトキハ之ニ付キ過失アリト推定セラルヘク從テ其價額ヲ償還スルノ責ヲ免カレサルヘシ
本條ハ債務者其辨済ニ関スル権能ヲ行フコトヲ陳述シタルトキ之ヲ言消スコト能ハサルハ何レノ時ナルカヲ規定セスト雖トモ任意義務ニ於ケルモ亦選擇義務ニ於ケルト同一ノ理由ニ因リ第四百三十條ヲ適用シ債務者有効ニ実物提供ヲ為シタルトキハ再ヒ之ヲ言消スコトヲ得サルモノトスヘシ
第三款 債権者及ヒ債務者ノ單數又ハ複數ナル義務
第四百三十七條
義務ヲ受方及ヒ働方ノ主客ノ員數ニ関シ單數ト複數トニ區別スルハ更ニ之ヲ連合義務連帯義務全部義務及ヒ不可分義務ニ細別スルニ比スレハ較重要ナラサルモノナリ然レトモ其細別ニ至テハ頗ル重要ナルモノニシテ後ニ至リ詳細ノ規定アリ故ニ本款ニ於テハ未タ其詳細ノ規定ヲ為スヘキニ非サルヲ以テ單ニ連帯義務ノ性質ヲ示スニ止マリ其他ハ各事項ノ下ニ之ヲ讓リタリ
本條第一項ハ單純ナル義務及ヒ複數ナル義務ノ何物タルヤヲ明カニスルモノナリ
義務ハ當初單純ナルモ其履行以前ニ在テ債権者若クハ債務者死去シ數人ノ包括承継人アルトキハ更ニ複數ノモノト為ルヘシ而シテ其複數ト為ル場合ニ於テハ次款ニ規定スル所ノ不可分ノ性質ヲ有セサルトキハ單ニ連合ノモノタルニ止マリ決シテ承継人間ニ連帯ノモノト為ルコトナシ
第四百三十八條
連合義務ハ原債権者ヲシテ債務者間可分ナルカ故ニ各債権者及ヒ債務者ノ働方及ヒ受方ノ部分ヲ定ムルコトヲ要ス然レトモ茲ニ此点ヲ規定スルトキハ次款ノ細別ヲ為ササルヲ得サルカ故ニ本條ニハ單ニ其分別スヘキコトヲ示スニ止マリタリ
又連帯義務ニ至テハ債権擔保編ニ其規定ヲ設ケ本條ニハ只其特殊ノ性質ヲ示スニ止マリタリ然レトモ連帯義務ニ関スル一般ノ理論ヲ掲クルハ債権擔保編ニ於テシ本編ト隔絶スルコト甚シク而シテ本編及ヒ財産取得編ニ於テ此事ニ関スル規定ヲ掲クルコト多キカ故ニ茲ニ其概要ヲ説明セン
義務ハ債権者間ニノミ連帯タルコトアリ又債務者間ニノミ連帯タルコトアリ又債務者間及ヒ債権者間換言スレハ受方及ヒ働方ニテ連帯タルコトアリ
斯ノ如ク債権者間ニモ債務者ニモ一種ノ團結アルハ特約ヨリ生スルコト多シト雖トモ又威権若クハ法律ニ起因スルコトアリ而シテ連帯ハ相互代理ノ性質ヲ有スルモノニシテ其合意ニ原因スルトキハ特ニ然リトス蓋シ債権者間ニ連帯アルトキハ相互代理ニ因リ各債権者ヲシテ債権ノ全部ニ付キ債務者ヲ訴追スルコトヲ得セシムルモノナリ而シテ債権者自己ノ有スル所権利ノ一分ナルニ拘ハラス其全部ノ履行ヲ請求シタルトキハ自己ノ為メニスルト同時ニ他ノ債権者ノ名ヲ以テ之カ為メ訴権ヲ行フモノナリ又債務者間ノ連帯ナルトキハ相互代理ノ効力ハ債務者ノ各自ヲシテ自己ノ為メニスルト同時ニ自餘ノ債務者ノ為メニ辨済ヲ為スノ義務ヲ負擔セシムルニ在リ是レ法文ニ明記スル所ナリ何レノ場合ニ於テモ相互代理ハ唯一ノ債権者若クハ連帯債権者ノ為メニ設ケタルモノナリ何トナレハ連帯アルトキハ債権者辨済ヲ受クルノ運賦一層確然ナレハナリ
然レトモ債務者間ノ連帯モ亦往々之ヲシテ利益ヲ得セシムルコトアリ蓋シ債権者間ニ連帯アルトキハ債権者一人本條ノ事ヲ証スルトキハ自餘ノ債権者ヲシテ其権利ヲ保存セシムルコトヲ得又債務者間ニ連帯アルトキハ一人ノ資力ハ自餘ノ無資力ヲ補フヘケレハナリ
又債権者間若クハ債務者間ニ連帯アルトキハ債権者ノ為メ利益アル他ノ結果ヲ生スルモノナリ蓋シ連帯債権者ノ一人唯一ノ債務者ヲ訴追スルトキハ自餘ノ債権者ノ為メニ時効ヲ中断シ又唯一ノ債権者モ債務者ノ一人ヲ訴追スルトキハ自餘ノ債務者ニ對シ時効ヲ中断シ又概ネ各連帯債権者ハ自己ノ権利ト同時ニ共同債権者ノ権利ノ保存行為ヲ為スコトヲ得ト雖トモ決シテ自餘ノ債権者ノ権利ヲ障害スルコト能ハス又連帯債務者ハ債権者ノ権利ヲ保存スヘキ効力ヲ生スル所ノ相互代理ヲ為スモノナリト雖トモ決シテ共同義務ヲ加重スルコト能ハス
又連帯ノ効力ハ啻ニ債権者ト債務者トノ関係ヲ変更スルノミナラス共同債権者間及ヒ共同債務者間單純ナル連合義務ニ存セサル所ノ関係ヲ創設スルニ在リ蓋シ單ニ連合タル義務ニ於テハ各債権者ハ自己ノ部分ヲ請求シ之ヲ受取ルヲ得ルニ過キス又債務者ハ自己ノ部分ヲ辨済スルノ義務アルニ過キサルヲ以テ後ニ至リ相互ニ求償ヲ行フコトナク各自ノ位置ハ辨済ニ因リ完結スルモノナリ然ルニ連帯ノ場合ニ経テハ之ニ異ナリ債権者ノ債務者ニ對シ信ヲ措カサルニ因リ訴追及ヒ辨済ノ限度ヲ超過スルコトアリ故ニ債権者中一人ノ辨済ヲ受ケタル者ト自餘ノ債権者トノ間又ハ債務者中辨済ヲ為シタル者ト自餘ノ債務者間トニ計算ヲ為シ以テ各自ノ得ヘキ部分又ハ拂フヘキ部分ヲ確定スルコトヲ要ス而シテ其部分ヲ規定スルニ付キ爭アルトキハ第三百九十八條ニ従ヒ擔保訴権ヲ以テ之ヲ求ムヘキモノトス
單ニ全部ナル義務ニ至テハ其適用頗ル稀ニシテ本條ハ債権擔保編第七十三條ニ之ヲ讓リタリ
第四款 性質又ハ履行ノ可分又ハ不可分ナル義務
第四百三十九條
凡ソ義務ハ受方及ヒ働方ニテ分割スルヲ一般ノ原則トシ分割ス可カラサルヲ例外トス然レトモ義務ノ分割ハ債権者數人ナルカ又ハ債務者數人ナルトキニ在リ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ分割スヘキ義務ハ當事者ノ複數ナル義務タルモノナリ是ヲ以テ債権者一人ニシテ債務者一人ナルニ止マルトキハ其履行ハ全部ニ至ルヲ要ス詳カニ之ヲ言ヘハ同時ニ負擔シタル物件ノ全部又ハ數多ノ物件アレハ之ヲ擧ケテ引渡シヲ為スコトヲ要ス縦令其物金銭若クハ日用品等ノ如キ元来分割スヘキモノナルトキト雖トモ猶ホ履行ハ一時ニ之ヲ為ササル可カラス夫レ然リ而シテ單數義務ノ不可分ヲ法文ニ明言スルハ一目無用ナルニ似タリ蓋シ義務ノ履行期限ニ至テハ必ス辨済ヲ為スノ必要アリ而シテ債務者辨済ヲ分割セントセハ其辨済セサル部分ニ付テハ履行ヲ遲延スルモノト為ルカ故ニ必然單數義務ハ分割ス可カラサルコト明カナリト云フヲ得ヘシ然レトモ債務者期限前ニ目的物ノ一個若クハ數個ノ部分ヲ辨済シ残餘ハ期限ニ至リ辨済セント稱スルコトナシトセサルカ故ニ此原則ヲ明言スルヲ要ス又債権者ノ為メニ期限ヲ設ケタル場合ニ於テ債権者一部分ニ付キ期限ノ利益ヲ抛棄シ以テ期限前ニ一分ノ履行ヲ為サシメ期限ノ満了ヲ待テ残餘ノ履行ヲ為サシメント欲スルコト無シトセサルカ故ニ此規則ヲ明記スルハ決シテ無用ニ非サルナリ蓋シ債権者又ハ債務者斯ノ如キ主張ヲ為スハ其専横ノ欲望ニシテ他ノ當事者ノ為メ合意外ノ困難ヲ被ラシムルニ至ルヘキカ故ニ決シテ之ヲ聴許ス可カラサルヤ明カナリ
本條ハ既ニ第四百六條ニ定メタル例外ヲ細記シ裁判所ハ債務者ニ辨済ヲ分割スルコトヲ許スヲ得ル旨ヲ示シタリ然レトモ其辨済ヲ分割スルカ為メ期限前ノ辨済ヲ認許スルコト能ハス只期限後ノ辨済ヲ認許スルヲ得ルノミ是ヲ以テ裁判所ニ此権能ヲ與へタルハ即チ履行ヲ分割ス可カラサルト期限ヲ守ルヘキトノ二個ノ法則ニ對スル例外ナリト云フヘシ蓋シ債務者ニ此二箇ノ恩典ヲ施シタルハ債務者期限ニ至リ全部ノ履行ヲ為スノ困難アルニ當リ之ヲ救護スルノ趣意ニ出テタルモノナリ是ヲ以テ債務者其現ニ有スル所ノ金銭ヲ失フノ危険ヲ免カレンカ為メ期限前ニ一部ノ辨済ヲ為サンコトヲ望ミタルトキハ之ヲシテ此恩典ヲ受ケシムルノ理由非サルナリ又債権者モ其利益ノ為メニ設ケタル期限ノ一分ヲ抛棄シ以テ其需用アル一分ノ金額ヲ辨済セシムルヲ得ヘキノ理由非サルナリ若シ債権者ヲシテ之ヲ求ムルコトヲ得セシムルトキハ実ニ債務者ヲシテ其豫見スルコト能ハサリシ困難ヲ被ラシムルニ至ルヘシ
然リ而シテ單數義務ハ不可分ナルトキト雖トモ決シテ極端ニ之ヲ觧ス可カラス蓋シ消費品商品其他分量重量若クハ積量ノ多キ材料等ヲ以テ義務ノ目的トシタル場合ニ於テハ決シテ一時ニ全然其引渡ヲ為スコト能ハス加之一日中ニ其引渡ヲ終了スルコト能ハサルヤ明カナリ故ニ此場合ニ於テハ必ス債務者多少期限前ニ引渡シニ着手スルカ又ハ期限後ニ至ルモ之ニ多少ノ猶豫ヲ與へ以テ引渡シヲ結了スルヲ得セシメサル可カラス是レ合意ハ善意ヲ以テ履行スルヲ要スル原則ノ自ラ然ラシムル所ナリ(本編第三百三十條ヲ参観スヘシ)
第四百四十條
連合義務ニ至テハ單數義務ト異ナリ働方又ハ受方ニテ分割スヘキモノナリ是ヲ以テ本條ハ各債務者ノ部分ヲ判知スルノ方法ヲ示シタリ而シテ其方法タル未タ必スシモ平等ナラス例ヘハ二個ノ共有者其権利ノ均シカラサルモノ其共有物ヲ賣渡シタルトキハ其賣買代金ニ付キ各自ノ得ヘキ部分ハ其賣渡シタル物件ニ付キ各自ノ有シタリシ部分ニ應スヘキモノナリ又二人ニテ共同ノ事業ノ為メ金銭ヲ借用シタル場合ニ於テモ各債務者ハ其事件ニ関係スル部分ニ應シテ債務ノ部分ヲ負擔スヘシ此部分タル所謂実地ノ部分ナルモノニシテ各債権者ノ訴権及ヒ各債務者ノ義務ノ区域ノ標準タルモノナリ但其部分ヲ定ムル所ノ相互ノ権利ノ関係相手方ニ知了スル所タリ又各自ノ負擔スヘキ義務ノ部分相手方ノ知了スル所タルヲ要ス故ニ合意ヲ以テ各自ノ部分ヲ明示シタルトキハ之ニ如クモノナシト雖モ縦令合意ヲ以テ之ヲ明示セサルモ當事者事実ノ情状ニ依リ之ヲ知ルニ至ルコトアリ例ヘハ前記二個ノ場合ニ於テ其以前ノ合意其他ノ関係等ニ依リ買主若クハ貸主賣主若クハ借主ノ実地ノ部分ヲ知ルコトナシトセス
然レトモ若シ各債権者若クハ各債務者ノ実地ノ部分ヲ相手方ニ於テ知ラサルトキハ権利義務ニ於ケル各自ノ部分ハ分頭ノモノ即チ平分シテ定ムヘキモノトス即チ債権者若クハ債務者二人ナラハ各自ノ部分ハ二分一ニシテ三人ナラハ三分一トス以下之ニ準スへキモノトス此分配舊ニ依ルトキハ往々一人ヲシテ実地ノ部分ヨリ得ル所多カラシメ又他ノ一人ヲシテ得ル所少ナカラシムルコトアルヘシ是ヲ以テ各自相互ニ擔保ノ求償権ヲ行ヒ之ニ因リ以テ其債権ノ利益又ハ債務ノ負擔ニ付キ各自ノ実地ノ部分ニ復スヘキモノトス(本編第三百九十八條ヲ参観スヘシ)
第四百四十一條第四百四十二條及ヒ第四百四十三條
不可分義務ニ於テハ各債権者ハ債権ノ全部ノ履行ヲ請求スルノ権利ヲ有シ各債務者ハ義務ノ全部ヲ履行スルノ負擔ヲ有ス是ヲ以テ不可分義務ハ或ル点ニ付キ連帯義務ニ比シ既判力較薄弱ナル所アリト雖トモ目的ニ関シテハ連帯義務ヨリ區域一層廣キモノナリ然リ而シテ此事項タル一方ニ於テハ單簡ナリト雖トモ他ノ一方ニ付テハ甚タ錯雑セルモノニシテ不可分義務ノ理論ノ困難ナルハ學者ノ普ネク認メタル所ナリ
不可分ノ場合ヲ類別スルニ當リテハ二個ノ異ナル点ニ付キ観察ヲ下スコトヲ得ヘシ即チ不可分ノ原因ニ付キ又其効力ニ付キ観察ヲ下シ之ヲ類別スルコトヲ得而シテ各観察ノ点之ヲ二種ニ細別スルコトヲ得
第一義務不可分ノ原因ヲ観察スルニ只二個アルノミ即チ負擔シタル物ノ性質及ヒ當事者ノ合意是レナリ蓋シ負擔シタル物ノ性質上分割スルヲ得サルモノアリ又當事者ノ合意ヲ以テ債務ノ元来分割スルヲ得ヘキモ之ヲ分割ス可カラサルコトヲ約スルコトアリ
尚ホ法律上義務ノ不可分ナル場合詳カニ之ヲ言ヘハ法律ノ規定ヲ以テ義務不可分ナルコトヲ定メタル場合アリ質及ヒ抵當ノ如キ即チ是レナリ又動産及ヒ不動産ニ係ル先取特権ノ如キモ亦同一ノ理由ニ依リ不可分タルモノナリ然レトモ法律ニ是等ノ擔保ヲ以テ不可分ナリト定メタルハ當事者ノ意思ヲ推尋シ之ヲ觧釋シタルニ因ルノミ是ヲ以テ當事者ハ物ノ性質ニ原因スル不可分義務ヲシテ可分義務タラシムルコト能ハスト雖トモ法律ニ定メタル不可分義務ヲシテ可分義務タラシムルコトヲ得故ニ是等ノ場合ニ於テハ不可分ハ法律ニ原因スルモノニ非サルナリ然レトモ亦本編第十九條ニ開示シタルカ如ク特別法ヲ以テ不可分義務ヲ定ムル場合ナシトセサルカ故ニ民法以外ニ於テハ法律モ亦不可分ノ原因タルモノナリ
第二、不可分ノ効力ヲ観察スルトキハ又原因ト同シク之ヲ二種ニ区別スルコトヲ得即チ一ハ働方及ヒ受方ニテ義務ニ附着シ詳カニ之ヲ言ヘハ債権者及ヒ債務者ニ對シ義務ニ附着シ純然絶對的ノモノニシテ一ハ受方ニノミ義務ノ附着シ詳カニ之ヲ言ヘハ債務者ニ對シテ之ニ附着シ有限相對的ノモノナリ働方ノミノ不可分ニ至テハ絶テ是レ有ルコトナシ何トナレハ受方ノ不可分ナケレハ債権者ノ為メ通常ノ代理ノ利益ノ外特ニ之カ為メ利益タルモノ非サレハナリ
然リ而シテ負擔シタル物ノ性質ニ原因スル不可分ハ必ス其効力ノ純然絶對的タルモノナリ蓋シ負擔シタル物ノ性質之ヲ分割スルコト能ハサルモノナルトキハ働方ニテモ亦受方ニテモ之ヲ分割スルコト能ハサルヤ明カナリ之ニ反シ合意即チ當事者ノ意思ニ原因スル不可分ニ至テハ其意思ニ從ヒ且其目的ト利益トニ因リ多少區域ヲ異ニスルモノナリ故ニ或ハ純然絶對的タルコトアリ或ハ相對的ニシテ債務者ニノミ限ルコトアリ
本法ハ不可分ノ原因ヲ標準トセス其効力ヲ標準トシ之ヲ類別シ第四百四十一條ニ純然絶對的タル不可分即チ債権者及ヒ債務者間ノ不可分ヲ規定シ其二個ノ原因ニ至テハ僅カニ之ヲ客観的ニ指示シタルノミ又第四百四十二條ニ於テハ相對的ノ不可分即チ債務者ニノミ効力ヲ及ホス所ノ受方ノ不可分ヲ規定シタリ其原因ハ亦同シク負擔シタル物ノ性質及ヒ合意若クハ遺言(義務ノ設定権原)ナリトス本條ハ先ツ各原因ヲ適用スルカ為メ先ツ債務者ノ一人ノミニ不可分ノ負擔アリテ自餘ノ者之ヲ負擔セサルコトヲ仮定シタリ(第四百四十二條第一項及ヒ第二項)次テ第四百四十三條ニ於テ不可分ノ受方ノミニテ而シテ總債務者ノ負擔タルヘク其間ニ區別アラサルコトヲ明カニ要約シタル場合ヲ仮定シタリ既ニ屢債権ノ眞ノ擔保トシ連帯ニ均キ擔保トシテ不可分ノコトヲ云ヘハ即チ第四百四十三條ニ仮定スル所ノモノニシテ連帯ニ比スレハ或ル点ニ付キ債務者ノ負擔少ナシト雖トモ亦或ル点ニ付テハ其負擔一層重キモノナリ是レ連帯ハ併セテ不可分ヲ約スルコト多キ所以ナリ而シテ擔保タル所ノ本分ハ債権擔保編ニ讓リ茲ニ之ヲ規定セス
以下二三ノ適例ヲ掲ケ以テ第四百四十一條及ヒ第四百四十二條ヲ敷衍説明セン
凡ソ物ハ二様ニ分割スルコトヲ得即チ形体上及ヒ知能上即チ法律上分割スルヲ得ヘキモノハ第四百四十一條ニ規定スルカ如シ然レトモ形体上分割スルヲ得ヘキモノハ有体物ノミニシテ知能上分割スルヲ得ヘキモノハ有体物タルト無体物タルトヲ問ハサルナリ
有体物中殆ト際涯ナク形体上分割スルモ毫モ其性質ヲ変スルコトナク又其利益ヲ失フコトナキモノアリ金銭及ヒ尺度分量又ハ數目ヲ以テ計算スル所ノ消費品ノ如キ即チ是レナリ其他ノ物ハ形体上分割スルヲ得サルニ非サルモ亦其分割ノ為メ多少毀損スルヲ免カレス衣服家具美術品器械ノ如キ皆然リ
是ヲ以テ是等ノ物ニ関シテハ當事者ノ意思之ヲ分割セサルニアリヤ否ヤヲ考究スルコトヲ要ス又有体物ニシテ決シテ形体上分割ス可カラスト認ムヘキモノアリ活動物ノ如キ即チ是レナリ蓋シ是等ノ有体物ハ之ヲ分割スルニ於テハ性質ヲ変スルノミナラス全ク毀滅スト云フヘキモノナリ故ニ是等ノ物ハ形体上不可分ナリト看做スヘシト雖トモ知能上即チ法律上分割スルヲ得ヘキモノナリ何トナレハ其物件ノ使用権ハ數人間ニ分割スルコトヲ得數人各均不均ハ姑ク措キ同一ノ性質ノ権利ヲ有スルヲ得ヘケレハナリ是ヲ以テ此種ノ物件ノ共有者此物件ニ付キ債務者タルニ至リタルトキハ各共有者ハ債権者ニ相互ノ持分ヲ讓渡シ其義務ヲ免カルルヲ通則トス蓋シ知能上ノ分割ハ決シテ物ノ性質ヲ変更スルモノニ非ス動物ノ如キ物ニ之ヲ適用スルヲ得ヘキヤ明瞭ナリ
無体物ニ至テハ知能上分割スルヲ得ルニ止マリ決シテ形体上分割スルコト能ハサルヤ明カナリ蓋シ無体物ヲ知能上分割スルハ一個ノ権利ヲ分割シ之ヲ數人ニ讓渡シ又ハ數人ニテ之ヲ共有シタルニ當リ其一人若クハ數人自己ノ部分ヲ讓渡ス場合ニ於テ行ハルルモノナリ例ヘハ數人ノ要約者ニ一個ノ用益権ヲ委附スヘキコトヲ約シタル場合ニ於テハ債務者ハ各債権者ニ對シ負擔スル所ノ用益権ノ部分ヲ之ニ讓渡シ以テ其義務ヲ免カルコトヲ得而シテ或ル原因ニ因リ債務者總債権者ニ對シ義務ヲ履行スルコト能ハサルニ至ルコトアルモ債権者中自己ノ部分ヲ受取リタル者ハ之ヲ失フコトナシ又數人ノ諾約者一個ノ用益権ヲ設定スルコトヲ約シタル場合ニ於テモ各諾約者ハ其負擔スル所ノ部分ニ付キ用益権ヲ設定スルヲ以テ足レリトス而シテ其一人若クハ數人其義務ノ履行ヲ為ササルモ既ニ義務ノ履行ヲ為シタル諾約者ニ對シテ更ニ請求スル所アルヲ得ス
債権ノ讓渡ヲ數人ノ要約者ニ對シ約束シ又ハ數人ノ諾約者之ヲ約束シタル場合ニ於テモ亦其趣意同一ニシテ未分ノ部分ニ付キ讓渡ノ約ヲ履行スルコトヲ得且其一部分ノ履行タリトモ猶ホ実益ヲ生スヘキヤ明カナリ
又用益権ヲ一部分宛設定スルヲ得ルト同一ノ理由ニ依リ賃借権及ヒ抵當権ヲ設定スルニ當テモ亦受方及ヒ働方ニテ其一部分宛ヲ設定スルヲ得ヘシ蓋シ賃借権ヲ約シタル場合ニ於テ財産収益ノ一部分ヲ為サシムルハ未タ必ス當事者ノ意思ニ適合スルモノニ非サルヘシト雖トモ未タ意思ニ因ル不可分ナリト云フ可カラサルカ故ニ賃貸借ハ知能上可分ナリト謂ハサル可カラス
抵當ニ至テハ法律ニ當事者ノ意思ヲ推尋シ之ヲ以テ不可分ト認定スルカ故ニ一部分宛之ヲ設定スルコト能ハサルカ如シ然レトモ抵當ノ不可分ノ性質ヲ有スルハ其一旦設定シタル後ニアルノミ蓋シ一旦抵當ヲ設定シタルトキハ不動産ノ各部分ハ形体上観察スルモ知能上観察スルモ全債務者ノ辨済ニ充當スルモノニシテ債権ノ各部分ハ不動産全体ヲ以テ擔保ト為スモノナリ(其理由ハ擔保編ニ詳カナリ)然レトモ數人ノ債務ノ擔保トシ又ハ數人ノ債権者ノ為メ單ニ抵當ヲ諾約シ之ヲ設定スヘキコトヲ約シタル場合ニ於テハ諾約者ノ一人自餘ノ者其義務ヲ履行セサルニ當リ獨リ進テ其諾約ヲ履行スルコトヲ得ヘク又諾約者一人ニシテ債権者數人ナルトキ其債権者ノ一人ニ對シ義務ヲ履行シ自餘ノ者ニ對シ之ヲ履行セサルモ実際為シ難キ所ニ非サルナリ又不動産ノ共有者一人抵當ヲ設定シ自餘ノ共有者之ニ加ハラサルトキハ其未分ノ部分ノミニ抵當附着スヘシ是ニ依テ之ヲ観ルニ抵當ノ不可分ハ其性質ニ因ルモノニ非サルナリ
然レトモ物権及ヒ人権ニシテ其性質ニ因リ知能上尚ホ分割スルコト能ハサルモノアリ物権中性質上不可分ナルモノハ地役権ニシテ其不可分ノ性質アルコトハ本編第二百六十八條ニ之ヲ明言シ其理由ハ既ニ同條ノ下ニ於テ之ヲ説明シタリ又人権中性質上不可分ナルモノハ不作為ノ義務ノ過半及ヒ作為ノ義務ノ過半ナリトス(本編第十九條ヲ参観スヘシ)例ヘハ數人ノ利害関係人其豫定シタル或ル事件ニ関シテハ原告若クハ被告ト為リ訴訟ヲ為ササルヘキコトヲ約シタルトキハ各関係人全ク其義務ヲ負擔スルコトヲ要シ其一人訴訟ヲ企ツルカ又ハ之ヲ起ストキハ全ク其義務ニ違背シタルモノト云フヘシ又數人ノ債権者ニ對シ決シテ訴訟ヲ起ササルヘキコトヲ約シタル場合ニ於テ諾約者其一人ヲ相手取リ訴訟ヲ起シタルトキハ恰モ總債権者ト共ニ訴訟ヲ為シタルト同シク全ク其義務ニ違背シタルモノト云フヘシ是ヲ以テ一部分ノ不履行モ猶ホ全部不履行ノ結果ヲ生シ就中債務者ハ總債権者ニ損害賠償ヲ拂フノ責ニ任シ又過怠約款アリタルトキハ其全部ノ効力ヲ生スヘシ
作為ノ義務ハ不可分ナルコト不作為ノ義務ニ比スレハ較少ナシ例ヘハ障壁ヲ造リ又ハ道路ヲ修繕スルノ義務土地ヲ開拓スルノ義務種類ノ異同ヲ問ハス數個ノ物ヲ數多製作スルノ義務ノ如キハ其一部分ヲ履行スルモ債権者ニ應分ノ利益ヲ與フルヤ明カナリ加之是等ノ場合ニ於テハ形体上義務分割スト云フヲ得ヘク債務者ノ一人其部分ヲ履行シ又ハ債権者ノ一人其部分ヲ受取リタルトキハ其部分ニ相應スル義務免除アリト云フヘク一分ノ履行ニ因リ一分ノ免除ナシトスルハ合意上即チ意思上ノ不可分ヲ特ニ約シタルコトヲ要ス
然レトモ亦或ル作為ノ義務ハ其性質ニ因リ不可分ナルモノナリ其ニ其債務者負擔シタル所ノモノヲ全ク履行セサルトキハ恰モ秋毫モ履行ヲ為ササルト同シキモノトス例ヘハ債務者或ル取引ヲ為シ又ハ仲裁ヲ為シ代理ヲ為シ抗告控訴又ハ上告ヲ為スヘキコトヲ約シタルトキ全ク其代理ヲ履行セサルニ於テハ恰モ其代理ニ着手セサリシト同シク毫モ其義務ヲ履行セサルモノト看做サルヘシ
是ヲ以テ委任者若クハ代理人數人アルトキハ代理不可分ナルニ因リ各委任者ハ代理ノ全部履行ヲ請求スルコトヲ得又各代理人ハ其ノ全部ヲ履行スルノ請求ヲ受クルコトヲ得
尚ホ性質上不可分ナル作為ノ義務ノ実例ヲ擧クレハ書類ヲ提出スルノ義務管理計算ヲ為スノ義務買主若クハ賃借人ノ妨害若クハ追奪ヲ被ルニ當リ是ト共ニ又ハ之ニ代ハリ裁判所ニ於テ参加ヲ為シ以テ之ヲ擔保スルノ義務ノ如キ即チ然ルモノナリ蓋シ擔保ハ不履行ノ為メ損害賠償ニ帰着シタルトキニ非サレハ分割スルヲ得サルモノナリ(本編第三百九十五條第二項ヲ参観スヘシ)以上陳フル所ハ第四百四十一條第一項ニ規定シタル性質ニ因ル不可分ノ主タル場合ナリ
意思ニ因ル不可分ハ(第二項)當事者ノ意思ニ原因スルモノニシテ其意思タル合意中ニ明示スルコトアリ又ハ黙示ニテ之ヲ顕表スルコトアリ故ニ本法ハ裁判所ノ觧釋ヲシテ困難ナラサラシムルカ為メ裁判所ヲシテ事実ノ情状ヲ斟酌スルコトヲ得セシメタリト雖モ概ネ其意思ヲ顕表スル所ノモノハ當事者ノ契約ヲ為スニ當リ希望シタル目的タルヘシ
例ヘハ數人ニテ住宅ヲ構造シ又ハ旅館若クハ工場ヲ建築スルカ為メ一個ノ土地ヲ要約シ或ハ數人ノ諾約者一個ノ土地ヲ賣渡スヘキコトヲ約シタル如キ場合ニ於テハ負擔シタル物ノ性質固ヨリ分割スルヲ得ヘキカ故ニ其義務ノ一分ノ履行ヲ為スヲ得ヘキヤ明カナリト雖トモ元ト要約者ノ希望シ諾約者ノ知リタリシ所ノ目的ヲ達スルニハ土地全部ヲ讓渡スニ非サレハ能ハサルカ故ニ各債権者ハ土地ノ全部ヲ請求スルノ権利ヲ有シ各債務者ハ其全部ヲ供與スルノ義務ヲ有スルモノナリ
是ヲ以テ前例ニ示シタル所ノ二三ノ義務ハ性質上可分ナリト雖トモ亦結約ノ意思ニ因リ不可分ト為ルコト少ナカラス例ヘハ美術品ヲ供給シ學藝ノ器械ヲ賣渡シ寶物ヲ給附スルノ義務ノ如キハ所有権ノ知能上ノ一部分ヲ讓渡シ以テ一分ノ履行ヲ為スヲ得ヘキモノナリト雖トモ概ネ結約者ノ意思ニ因リ不可分タルヘシ
義務ニ意思上ノ不可分ノ性質アリヤ否ヤヲ査定スルカ為メ斟酌スヘキ所ハ概ネ要約者ノ意思ナリトス何トナレハ契約ヲ為スニ因リ希望スル所ノ目的ヲ有シ特ニ収受センコトヲ期シタル利益ヲ有スル者ハ要約者ナレハナリ然レトモ亦諾約者ニ至テモ要約者ノ目的ヲ知リ之ニ應スルニ當リ其全部ニ付キ義務ヲ負擔シ從テ相當ノ準備ヲ為スヘキコトヲ豫メ承知シタルヲ要スルカ故ニ諾約者ノ意思モ亦之ヲ斟酌セサル可カラス尚ホ第四百本十九條ニ於テ共同債務者ハ義務不可分ノ性質アル場合ニ於テ遲滞ノ債務者ヲ訴訟ニ参加セシムルヲ得ルコトヲ認許シタリ
又合意ノ解觧除鎖除若ク廢罷ヲ目的トスル訴権ノ如キモ亦意思上ノ不可分タルモノニシテ債務者並ニ債権者共ニ申立ツルコトヲ得ルモノナリ
蓋シ右訴権ノ性質ノミヲ考フルトキハ契約ノ一分ヲ取消シ他ノ一分ヲ維持スルモ敢テ難キニ非ス例ヘハ賣主其賣買代價ノ半額ヲ受取リタルトキハ賣渡物ノ未分ノ半分ニ付キ所有権ヲ回復スルヲ得サルニ非サルヘシ然レトモ此結果タル多クハ其利益ニ反シ且其當初ノ意思ニ背馳スルモノタルヘシ又買主モ縦令過失アルニモセヨ賣主ト共ニ共有者ト為リ物ノ半分ヲ所有スルノ責アル可カラス故ニ此場合ニ於テハ殆ト法律上ノ不可分アリト云フヲ得ヘキカ如シト雖トモ此事ニ付キ法律ニ明文ヲ設ケサルトキハ當事者ノ意思ヲ推尋シタルニ因リ不可分アリト云フヘキナリ加之此場合ニ於テ取消ノ不可分ナルハ一ニ物権ノ性質上分割スルヲ得ス之ヲ分割スルトキハ各當事者ヲシテ全部ニ付キ得ヘキ利益ニ應スル利益ヲ得セシムルコト能ハサル場合例ヘハ家屋若クハ土地ヲ目的トシタル場合ニノミ限ルコトヲ要ス蓋シ家屋若クハ土地ノ如キ之ヲ分割スルトキハ其一部分ハ充分ノ利益ヲ生スルコト能ハス全部ノ利益ニ比シ一分ノ利益ヲ生スルコトヲ得サルモノナリ然レトモ消費品若クハ商品ノ如キ性質上容易ニ分割スルヲ得ヘク且其長短量目等ニ應シ代價ヲ定ムルコトヲ得ヘキ物ノ賣買ヲ為シタル場合等ニ於テ買主代價ノ半分若クハ四分三ヲ辨済セサルトキハ賣主ハ賣渡物品ノ半分若クハ四分三ニ付キ賣買ヲ觧除セシムルコトヲ得ヘク買主ハ此一分ノ觧除ヲ拒ムノ権利ヲ有ス可カラス
但本法ハ特別ノ場合ニ於テ觧除訴権ノ法律上不可分ノ性質ヲ附シタリ(本編第四百八十六條第二項ヲ参観スヘシ)
是ニ依テ之ヲ観ルニ當事者ノ意思ハ啻ニ其希望シタリシ目的ニ因ルノミナラス亦合意ノ目的タル物件ノ性質及ヒ形体上ノ分割後ニ存スヘキ所ノ利益ニ因リ之ヲ推知スルヲ得ヘキモノナリ
論者往々謂ヘルアリ双務合意ニ於テハ當事者ノ一方ノ約シタル義務其性質ニ依リ又當事者ノ意思ニ因リ不可分ナルトキハ他ノ一方ノ義務モ亦意思ニ因リ不可分ナリト看做スコトヲ要スト然レトモ是レ不可分ヲ推定スルノ當ヲ過キタルモノト謂ハサル可カラス例ヘハ二人ノ債権者二人ノ債務者ヲシテ性質上不可分ナル所ノ地役ヲ約セシメ又ハ當事者ノ意思ニ因リ不可分ナル所ノ物例ヘハ特定ノ建築ノ為メ土地ヲ買取リ或ハ乘馬繪画等ヲ買取ルヘキコトヲ約シタルトキハ其負擔スル所ノ代價ハ性質上可分ニシテ當事者ハ其代價ノ辨済不可分タルヘキコトヲ約シタリト推定スルニ足ルヘキ理由非サルナリ其代價ノ辨済ヲシテ不可分タラシムルニハ債権者ニ於テ特ニ不可分ナル用方ニ其代價ヲ供シ而シテ債務者其用方ヲ知リタルコトヲ要例ヘハ債権者一個ノ家若クハ舩舶ヲ買取ランカ為メ自己ノ所有物ヲ賣リタル如キ場合ニ於テハ其代價當事者ノ意思ニ因リ不可分タルモノト云フヲ得ヘシ然レトモ亦他ノ場合ニ於テハ性質可分ナル物ヲ以テ對手ノ義務不可分ナルカ為メ直チニ不可分ナリト推定ス可カラス
第四百四十一條ハ絶對的ノ不可分詳カニ之ヲ言ヘハ働方且受方ナル不可分ノ二個ノ場合ヲ指示シタルモノニテ第四百四十二條ニ於テハ單ニ受方ノミナル不可分即チ債務者ノ間ニ存スル不可分ノ場合ヲ規定スルモノニシテ其場合二個アリ
第一ノ場合、特定物ノ所有権移轉ニ関スルニ非ス其引渡ニ関スル場合ハ即チ右不可分ノ第一ノ適例ナリ此場合ニ於テハ或ハ所有権ハ既ニ賣買若クハ贈與等ニ因リ單ニ承諾ノミニ依リ行ハレタルコトアルヘク或ハ既ニ設定シタル用益権若クハ賃貸借権ニ関スルコトアルヘク或ハ寄託使用貸借又ハ賃貸借ノ目的物返還ヲ為スカ為メ特定物ノ引渡ヲ為スヘキコトアルヘシ總テ是等ノ場合ニ於テ其引渡ノ義務ヲ負擔スル債務者數人アルトキハ形体上其物件ヲ有スル者ニ對シ其全部ノ引渡ヲ要求スルコトヲ得ヘシ蓋シ物件ヲ占有セサル自餘ノ債務者ニ對シ訴追ヲ為スモ到底引渡ヲ為スコト能ハス結局不履行ノ為メ損害賠償ニ帰着スルノ外ナク而シテ損害賠償ヲ得ルハ債権者ヲシテ充分ノ利益ヲ得セシムルニ足ラサルコトアルヘキナリ抑特定物引渡義務ノ不可分ナルハ引渡ノ性質自体ニ原因スルモノニシテ引渡ナルモノノ引渡スヘキ物ノ所有権讓渡ト異ナリ形体上ノ行為ニシテ之ヲ分割シテ行ハント欲セハ物自体ヲ分割セサル可カラス斯ノ如キハ全ク其物ヲシテ利益ヲ失ハシムルコト最モ多カルヘシ然リト雖トモ亦不可分ハ引渡スヘキ特定物性質自体ニ原因スルモノト云フ可カラス若シ果シテ然リトセハ其不可分ハ働方且受方ノモノト看做ササルヲ得ス然ルニ法文ニ明カニ其物性質ニ因リテ可分ナルコトヲ仮定シ其不可分ハ唯當事者ノ意思ニ因ルモノナリトセリ蓋シ此場合ニ於テハ義務不可分ハ殊ニ債務者ノ意思ニ原因スルト云フコトヲ得ヘキモノナリ何トナレハ債務者ハ分割若クハ其他ノ方法ニ依リ債務者ノ一人ヲシテ負擔物件ヲ占有セシムルコトヲ承諾シタルモノニシテ畢竟之ヲシテ獨リ履行ノ任ニ當ラシメントノ意思アリタルモノナリ而シテ債権者ハ之カ為メ數個ノ訴権ヲ起スニ及ハサルノ利益アリ若シ之ヲシテ負擔シタル物件ノ占有者タラサル者ニ對シ數個ノ訴権ヲ起サシムルトキハ結局損害賠償ヲ得ルニ止マリ債権者ノ為メ充分ノ利益アラサルヘシ然レトモ働方ノミノ不可分ナル物アラサルカ故ニ數個ノ債権者アルトキハ各債権者ハ其債権ニ付キ自己ノ有スル所ノ部分ニ付キ訴追ヲ為スヲ得ルノミ自餘ノ者ハ一人ノ債権者ノ無資力ノ結果ヲ被ルコトヲ甘ンシタルモノト云フ可カラス然リト雖トモ特定物ハ定量物ト異ナリ之ヲ分割シテ引渡サントセハ必ス其毀損ヲ来スヘキカ故ニ債務者債権者ノ一人ヨリ訴追ヲ被リタルトキハ自餘ノ債権者ヲシテ訴訟ニ参加セシムヘキコトヲ請求シ總債権者ニ對シ同時ニ義務ヲ免カレ以テ其責任ヲ免カルルコトヲ得
第二ノ場合、第二ノ場合ニ於テハ數人ノ債務者ノ約シタル義務ノ設定権限ヲ以テ特ニ債務者ノ一人ヲシテ辨済ノ任ニ當ラシメタル場合ニシテ其義務ノ不可分ナルハ明カニ當事者ノ意思ニ原因スルナリ勿論此場合ニ於テモ債権者ハ自己ノ享受シタル所ノ権利ヲ行ハス各債務者ニ對シ各別ニ訴権ヲ行フコトヲ得ヘシ
此場合ニ於テモ亦第一ノ場合ニ於ケルト同シク不可分ハ受方タルノミ故ニ數名ノ債権者アルトキハ各債権者ハ時ニ辨済ノ任ニ當リタル債務者ニ對シ自己ノ持分ニ付キ訴権ヲ行フヲ得ルニ過キス而シテ此場合ニ於テハ引渡ノ義務ニ関スルトキト異ナリ形体上ノ分割ヲ為スモ知能上ノ分割ヲ為スモ毫モ実際紛議ヲ生スルコト非サルカ故ニ債務者ヲシテ訴訟ヲ起ササル自餘ノ債権者ヲ訴訟ニ参加セシムヘキコトヲ要求スルヲ得セシメス故ニ債務者ハ各債権者ノ請求スルニ從ヒ順次之ニ對シ其義務ヲ履行スヘシ
第四百四十三條ハ當事者ノ意思ニ原因スル所ノ働方又ハ受方ノ不可分ノ場合ヲ規定スルモノナリ只前ノ意思上ノ不可分ト異ナル所ハ之ヲ設定スルカ為メ明白ナル要約ヲ要スルニ在リ(債権擔保編第八十六條第二項ヲ参観スヘシ)
然レトモ茲ニ特ニ本條ヲ設ケタルハ敢テ此差異アルカ故ニ非スシテ明約ノアリタル不可分ハ對人擔保タルモノニシテ債権擔保編ニ至リ債務者間ノ連帯ト併セテ詳細ニ規定スヘキカ故ナリ
第四百四十四條
本條ハ不可分ノ附隨ノ効力ヲ定ムルモノナリ其効力タル附隨ノモノト云フト雖トモ亦頗ル重要ナルモノナリ而シテ法律ニ働方ト及ヒ受方ノ不可分ト單ニ受方ノミナル不可分トノ間ニ区別ヲ設ケサルトキハ此効力ハ二者ニ共通モノノト看做スコトヲ得ヘキモノナリ
然レトモ法律ヲ以テ各債権者ノ全部訴追ノ権アルコトヲ認ムルモ是レ其債務者トノ関係上定メタルノミ固ヨリ數個ノ債権者ノ為メニ債権ヲ発生セシムル所ノ原因ハ其間ニ特別ノ関係アルニ因リ成立スルモノニシテ其関係ノ為メ後ニ至リ其間特ニ計算ヲ為スヲ要スルモノナリ蓋シ數人ノ債権者共ニ一個ノ債権ヲ得ルハ或ハ其共有者タルカ又ハ社員タルカ故ナルヲ以テ其債権ノ利益ヲ分得スヘキ権利ハ其債権取得以前ノ相互ノ関係又ハ合意ヲ為スニ當リ相互代理ヲ為シタルニ因リ生シタル相互ノ関係ニ從ヒ劃定スヘキモノナリ又共同債務者同時ニ同一ノ債務ヲ負擔スルニ至ルモ是レ其債務ヲ負擔スル以前ノ関係若クハ不可分義務ノ関係ト別意ナル関係ニ起因スルモノナリ
然リ而シテ債権者又ハ債務者従来相互ノ関係ニ基キタル訴権ヲ有セサル場合ニ於テハ債権者若クハ債務者相互間ニ義務ノ利益若クハ負擔ヲ平等若クハ不平等ニ分割スルヲ目的トスルヲ目的トスル求償権ハ擔保訴権ヲ以テ之ヲ行フヘシ(本編第三百九十條ヲ参観スヘシ)又訴権ヲ行フニ當リテハ債権者中獨リ債権額ヲ受取リタル者ハ自餘ノ債権者ニ對シ被告タルヘク又債務者先ツ獨リ債務ノ全部ヲ受取リ)タル者ハ自餘ノ債務者ニ對シ原告タルヘシ
第四百四十五條
夫レ不可分義務ニ於テハ各債務者権利ノ全部ヲ有スト云フト雖トモ亦各債権者未タ其獨立ノ債権者タルカ如ク権利ヲ處分スルヲ得ルモノニ非ス之ヲシテ其獨断ニ任セ権利ヲ處分セシムルハ縦令前條ニ規定シタル擔保ノ求償権後日ニ至リ受クヘキモノトスルモ尚ホ法律ノ聴許ス可カラサル所ナリ其理由二アリ第一求償権ハ之ヲ受クル者ノ無資力ノ結果ニ因リ無効ニ属スルコトナキヲ期ス可カラス第二縦令其求償権ノ実効ヲ生スヘキトキト雖トモ結局自餘ノ債権者ヲシテ金銭ヲ以テ損害賠償ヲ得セシムルニ過キス然ルニ損害賠償ハ其元来有シタリシ権利ノ全部ノ保証ト為ルコト能ハサルモノナリ
然レトモ義務消滅ノ方法中債権者ノ一人之ヲ行フコトヲ禁ス可カラサルモノアリ各債権者ノ正當ニ要求スルヲ得ヘキ所ノ消滅方法即チ義務ノ本旨ニ従フ其履行辨済是レナリ是ヲ以テ本條特ニ債権者ハ辨済ヲ受クルコトヲ得ル旨ヲ明記シタリ且債権者ノ一人全部ノ辨済ヲ受ケタル場合ニ於テハ前記二個ノ弊害未タ全ク無シト云フ可カラサルモ亦大ニ減少スルモノナリ蓋シ債権者ノ一人辨済ヲ受クルモ其効果或ハ権利ヲ移轉シ總債権者ヲシテ之ヲ共有セシメ之ヲ共同事業ニ関シ一個ノ作為ヲ成就セシメ總債権者ヲシテ之ヲ得セシムヘシ故ニ辨済ヲ受ケタル債権者ノ無資力ノ危険ヲ恐ルヘキハ僅カニ金銭若クハ消費品ノ辨済ノ場合ニノミ限ルモノナリ加之此場合ニ於ケルモ尚ホ自餘ノ債権者ハ總債権者列席ノ上之ニ對シ辨済ヲ為サシムルノ處分ヲ行フコトヲ得
然リ而シテ何レノ場合ニ於ケルモ債権者ノ一人獨リ辨済ヲ領受スルヲ得ルトキハ其之ヲ「要約シタル如ク」一ニ合意ノ趣意ニ從フテ受クルコトヲ要ス故ニ債権者一人ニテハ一個ノ物ニ代ヘ他ノ物ヲ受取ルコトヲ得ス蓋シ一物ヲ以テ他物ニ代フルハ所謂代物辨済ナルモノニシテ(本編第四百六十一條ヲ参観スヘシ)縦令代物ノ價額多キトキト雖トモ尚ホ債権者一人ノ獨断ニテ承諾スルコト能ハサル所ナリ況ンヤ債務ノ無償ノ免除ヲ為シ又ハ義務ノ原素ノ一個ヲ変更スヘキ所ノ更改ノ如キニ至テハ決シテ一人ノ債権者能ク為スコト能ハサル所ナリ然レトモ亦債権者ノ一人獨断ニテ是等ノ所為ヲ行フコト無シトセス故ニ本條此場合ヲ規定シ其行為ヲシテ自餘ノ債権者ノ権利ヲ障害セサル所ノ効力ヲ有セシメタリ即チ自餘ノ債権者ハ唯一ノ債務者ニ對シ又ハ共同債務者ノ一人中其訴追セントスル者ニ對シ全然其権利ヲ行フコト恰モ債務ノ免除更改又ハ相殺ナカリシトキノ如クスルヲ得ヘキモノトス但其訴追シタル債務者ニ對シ免除若クハ更改ヲ為シタル債権者ノ受クヘキ利益ノ部分ニ應シ金銭ニテ償還スルコトヲ要ス斯ノ如クスルトキハ免除ノ合意其効力ヲ全フシ而シテ自餘ノ債権者ニ損害ヲ及ホササルコトヲ得
不可分ノコトタル更改義務免除及ヒ相殺トニ関シ細密ナル區別ヲ設ケ之ヲ規定スルヲ要スルカ故ニ各事項ニ付キ債権者間ノ不可分ニ関スル特別ノ規定ヲ設クルヲ以テ本條ハ一々各事項ニ之ヲ讓リタリ
本條ニハ不可分義務債権者ノ一人ノ過失ニ因リ履行スルコト能ハサルモノト為リタル場合ヲ規定セスト雖トモ此点ニ付テハ一般ノ原則ヲ以テ之ヲ断定スルコトヲ得ヘシ即チ債権者ノ一人ノ過失ニ因リ義務履行ノ不能ト為リタルハ債務者ノ為メ意外ノ事若クハ不可抗力ニ出テタル履行不能ナルカ故ニ總債務者ハ總債権者ニ對シ其義務ヲ免除スヘシ然レトモ過失アル債権者ハ自餘ノ各債権者ニ對シ其舊債権ノ利益ニ付キ得ヘキ部分喪失シタルノ賠償ヲ負負擔スヘシ而シテ其賠償ハ分割スルヲ得ヘキモノトス
第四百四十六條
前條規定スル所ニ反シ債権者ハ相互ニ損害ヲ及ホスコト能ハサルモ相互ニ利益ヲ加ヘ共有債権ニ関シ有益ナル處分ヲ為スコトヲ得蓋シ不可分ノ場合ニ於テハ債権者間ノ連帯ノ場合ニ於ケルト異ナリ相互ノ代理ナルモノ非スト雖トモ亦事務管理ニ因リ債権者相互ニ有益ナル處分ヲ為スヲ得ヘシト謂ハサル可カラス是ヲ以テ債権者ノ一人保存處分ヲ行フタルトキハ自餘ノ者亦從テ其利益ヲ享受スヘシ是レ債務ノ性質其一分ヲ保存シ他ノ一分ヲ喪失スルコト能ハサルモノナルカ故ナリ而シテ債権者ノ一人ノ自餘債権ノ全部ヲ保存シ自餘ノ者之ヲ失フハ條理ノ許ササル所ナレハナリ
本條ハ特ニ債務者ノ付遲滞ヲ記載シ以テ債権者ノ一人ノ為シタル保存處分ニシテ自餘ノ者ニ利益ヲ及ホスヘキモノノ一ト為シタリ蓋シ付遲滞ハ數多ノ重要ナル結果ヲ生スルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ付遲滞ハ債務者ヲシテ其義務ヲ履行セシナレバ生スルコト非サリシ所ノ滅失ノ責ニ任セシメ縦令其滅失意外ノ事ニ出ツルモ尚ホ其責ニ任セシメ(本編第三百三十五條及ヒ第三百三十六條ヲ参観スへシ)之ヲシテ遲延ノ損害賠償ヲ負擔セシメ(本編第三百八十四條ヲ参観スヘシ)又時効ヲ中断スルモノナリ
第二項ハ特ニ時効ノ停止ニ関シ中断ニ関スルト同シク付遲滞ノ効力ヲ規定シタリ蓋シ債務ノ一分ノ消滅ヲ来スヘキ所ノ有限ノ停止ヲ認ムルハ理ノ許ササル所ニシテ又債権者ノ一人ヲ保護スル停止ヲシテ全ク其効力ヲ生セシメサルモ亦理ノ許ササル所ナレハナリ
第四百四十七條及ヒ第四百四十八條
第四百四十七條及ヒ第四百四十八條ハ前二條ノ裏面即チ不可分義務ニ於ケル債務者相互ノ関係ヲ規定スルモノナリ蓋シ不可分義務ノ共同債務者タル者ハ他ノ者ノ一人トシテ自餘ノ債務者ニ利益ヲ及ホスヲ得ルコト恰モ共同債権者ノ相互ニ利益ヲ及ホスヲ得ヘキカ如シト雖トモ決シテ相互ニ損害ヲ加フルノ所為ヲ行フヲ得サルモノナリ縦令債務者ノ一人ノ行為之ニ付キ害アルモ其損害ハ決シテ他ノ債務者ニ損害ヲ及ホスヘキモノニ非ス
然リ而シテ付遲滞ニ関シテハ本條ニ規定スル所前條ニ規定スル所ト少シク抵觸スルノ観アルカ如シ蓋シ前條ニ依レハ債権者ハ其一人ノ為シタル行為ノ利益ヲ受クルコトヲ得ルモノナルニ本條ニ依レハ債務者ノ一人ニ對シ行フタル處分ノ効力ヲ自餘ノ債務者ニ對抗スルヲ得可カラスト為スカ故ニ此前後ノ規定ハ相矛盾スルニ似タリト云フヲ得ヘシ然レトモ前條ノ場合ニ於テハ債権者一人ニシテ債務者數人アルコトニ着目スレハ決シテ前後相矛盾セサルコトヲ會得スルコトヲ得ヘシ蓋シ唯一ノ債務者共同債権者ノ一人ヨリ告知ヲ受ケタルトキハ自餘ノ者ヨリ同時ニ告知ヲ受ケタリト看做サルルコトヲ得ヘキモノナリ何トナレハ債務者ハ債権者ノ一人ニ辨済スルモ自餘ノ債権者ニ辨済スルモ敢テ其利害ニ関係ヲ及ホスモノニ非サレハナリ之ニ反シ共同債務者中遲滞ニ付セラレサル者ハ自餘ノ債務者ノ付遲滞ヲ知ラサルコトアルヘキカ故ニ決シテ之カ為メニ告知ヲ受ケタリト認定セラルヘキモノニ非サルナリ
然リト雖トモ付遲滞ノ主タル効力タル時効ノ中断ニ関シテハ前項ニ述フル所ト異ナリ共同債務者ノ一人ニ對シ中断アルトキハ自餘ノ者之ヲ知ラサルトキト雖トモ尚ホ之ニ對シ同時ニ其効力ヲ及ホササルヲ得ス然ラスンハ債務者中一ハ辨済ノ推定ヲ申立ツルコトヲ得自餘ノ者ハ依然債務者タルニ至ルヘク斯ノ如キハ不可分義務ノ性質及ヒ辨済ノ効力ニ背馳シ是ト相容レサル所ナリ然リト雖トモ債務者ノ一人ヲ訴追シタル債権者ハ其債務者ヨリ時効ヲ對抗セラルルコトアル可カラス是ヲ以テ此場合ニ於ケルモ前條ノ場合ニ於ケルト同一ノ理由ニ依リ論決ヲ同シフスヘキモノナリ
又債権者債務者ノ一人ニ對シ時効ノ停止ノ利益ヲ有スルニ當リ(例ヘハ債務者ノ一人其配偶者タルトキノ如キ即チ然リ)自餘ノ債務者ニ對シ其利益ヲ有スルモ亦同一ノ理由ニ依ルモノナリ是ヲ以テ債権者結局其訴追スル所ノ債務者ニ對シ時効ニ因リ義務ヲ免カレタル債務者ノ債務ノ部分ニ付キ計算ヲ為スノ義務アルハ第四百四十五條ノ末段ノ規定ト同一ノ趣意ニ基キタルモノニシテ只関係人ノ位置ヲ異ニスルノミ
第四百四十八條ハ連帯義務ニ於ケルカ如ク連合責任ヲ発生セシムル所ノ代理ナキトキハ過失ノ責任ハ一身ニ止マルヘキノ原則ヲ債務者ニ對シ適用シテ曰ハク債務者ノ一人ノ過失ニ因リテ不可分ノ義務ヲ履行スルコトヲ得サルトキハ損害賠償又ハ過怠約款ハ過失者ノミ之ヲ負擔ス可分義務ノ全部ノ履行ヲ保護スル為メ過怠約款ヲ設ケタルトキト雖トモ亦同シト是ヲ以テ債務者ノ一人自己ノ過失ニ因リ債務ノ通常履行ノ妨害ヲ為シタルトキハ獨リ損害賠償若クハ過怠約款ノ責ニ任スヘシ而シテ本條ニ於テハ履行ノ遲延加之付遲滞以後ノ意外ノ滅失ヲ以テ直接ノ損失ト同一視セサルト雖トモ是レ既ニ前條ニ於テ特ニ遲滞ニ付セラレサル債務者自餘ノ債務ヨリ付遲滞ノ為メニ損害ヲ被ル可カラサルコトヲ定メタルニ因リ自ラ明瞭ナル所ナリ
第四百四十九條
第四百四十二條ニ於テ數個ノ債権者ノ一人ヨリ訴ヲ受ケタル債務者總債権者ヲシテ訴訟ニ参加セシメンコトヲ請求シ之ニ對シテ均ク義務ヲ免カルルヲ得ルコトヲ定メタリ本條ニ於テハ數個ノ債務者ノ一人債権者ヨリ訴追ヲ受ケタルニ當リ獨リ訴訟人タラスシテ自餘ノ債務者ニ對シ同時ニ判決アランコトヲ請求スルヲ得ル旨ヲ定ムルモノナリ是ヲ以テ債権者ハ其訴追スル所ノ債務者ニ對スルト同シク自餘ノ債務者ニ對シ判決ノ執行ヲ為スコトヲ得ヘク又其債務者ハ自餘ノ債務者ニ對シ擔保ノ言渡ヲ為サシメ自餘ノ者ニ代ハリ辨済ヲ為シタルトキ是ヨリ賠償ヲ受クルコトヲ得ヘシ
是ヲ以テ第四百四十二條及ヒ本條ノ規定ハ大ニ相類似スト雖トモ亦其間忽諸ニ附ス可カラサル差異ノ存スルモノアリ蓋シ第四百四十二條ニ於テハ訴追ヲ為シタル債権者債務者ノ請求ニ因リ其共同債権者ヲ訴訟ニ参加セシムルノ手續ヲ為ササル可カラサルモ本條ニ於テハ訴追ヲ受ケタル債務者其共同債務者ヲ訴訟ニ参加セシムルノ手續ヲ為スコトヲ要ス蓋シ本條ニ於テ参加ノ手續ヲ為スノ任ヲ債務者ニ負ハシメ第四百四十二條ニ於テ其手續ヲ為スノ任ヲ債権者ニ負ハシメサル所以ハ債務者ハ總債権者ヲ知ラサルコトアルモ總債務者ヲ知ラサル可カラサルカ故ナリ
又本條ニ於テ債務者ニ許与シタル権能ハ受方及ヒ働方ノ不可分ノ場合ニ限リ存スルモノナリ是レ本条ニ第四百四十一条ヲ引用シタル所以ナリ第四百四十二条ニ依テ規定シタル単ニ受方ノミナル不可分ノ場合ニ於テハ訴追ヲ受ケタル債務者全部ノ履行ヲ為スヘキノ責アリ而シテ其責任甚タ重キモノナルカ故ニ訴訟手續ヲ遲延シ之ヲ変更スルコトヲ得サルモノナリ
第三章 義務ノ消滅
義務消滅ノ方法ハ各特ニ一款ヲ設ケ之ヲ規定スルカ故ニ今茲ニ其特別ノ性質ヲ指示スルノ必要アラサルヲ以テ敢テ之ヲ言ハス而シテ其消滅ノ第六ノ原因ニ附スルニ外國法典ニ於ケルト異ナリ負擔物ノ滅失ノ名称ヲ以テセス更ニ一層廣キ文字ヲ用ヰ履行ノ不能ト称シタルハ啻ニ與フルノ義務ナルノミナラス作為及ヒ不作為ノ義務ニ適用スルノ理アルカ故ナリ加之實際真ニ負擔物ノ滅失セサルモ尚ホ債務者ノ義務ヲ免カル場合アリ例ヘハ目的物不融通物ト為ルニ至リタルトキノ如キ即チ然リ是レ本法ニ此消滅原因ニ附スル名称ヲ異ニシタル所以ナリ
本条ニ掲クル所ノ消滅原因ノ外尚ホ或ル特別ノ場合ニ於テハ当事者ノ一方ノ意志及ヒ其死去義務消滅ノ原因タルコトアリ然レトモ此二個ノ義務消滅原因ハ適用廣キモノニ非ス而シテ本部ハ一般ノ義務ニ関スル規定ヲ掲ケ適用廣キモノナルカ故ニ茲ニ此二原因ヲ掲載セス實ニ当事者ノ一方ノ意思若クハ其死去ニ因リ消滅スルモノハ或ル特殊ノ契約ニノミ限ルモノナリ例ヘハ會社代理寄托使用貸借ノ如キ即チ然リ是等ノ契約タル殊ニ結約者其人ニ着眼シテ締結スルモノニシテ当事者ノ意思継續セス死去ニ因リ其人変更スルトキハ当初企圖シタル所ノ目的ヲ達スルコト能ハサルモノナリ
又時トシテハ期限ノ到来ヲ以テ義務消滅ノ原因ト看做スコトアリ然レトモ期限ノ到来ハ概ネ債権者ノ権利ヲ消滅セシムルモノニ非ス却テ其権利ヲ行フヲ得ルニ至ラシメ之ヲシテ其効力ヲ発生セシムルモノナリ但合意ヲ以テ債権者定期ノ供給ヲ受クヘキコトヲ約シタルトキハ其供給ヲ為スヘキ歳月ノ経過スルニ当リ期限義務ヲ消滅スト云フ又債権者ノ畢生間継續シテ供給ヲ為スヘキ場合ニ於テモ亦其死去ノ時不確定ナルニ拘ハラス一ノ期限タルモノニシテ其期限ハ義務ヲ消滅スルモノナリ
此消滅ノ原因タル前記ノ原因ト之ヲ併記スルモ敢テ大ナル不都合アラサルヘシト雖トモ實際多ク行ハレサルカ故ニ敢テ茲ニ之ヲ列記スルノ要アラサルナリ加之此場合ニ於テハ約定ノ期間ニ債務ヲ償却シ之ヲ弁済シ終ハルニ因リ義務ノ消滅ハ辨済ニ原因スト云フヲ得ヘシ實ニ期限到来スルモ既ニ負擔シタル定期ノ供給ヲ實際弁済セサリシトキハ債務者期限ノ到来ノミニ因リ義務ヲ免カルルモノニ非ス亦以テ期限ハ真ニ義務ヲ消滅スルモノニ非サルヲ知ルヘシ
左ニ物権ノ消滅原因ト人権即チ義務ノ消滅原因トヲ對抗センニ其類似スル所ト異ナル所ト相半ハスト云フヲ得ヘシ
物権及ヒ人権ノ二種ニ共通ナル消滅ノ方法タルモノハ免除即チ抛棄権利ノ目的タル物ノ滅失混同即チ併合権利ヲ発生セシムル行為ノ鎖除觧除廃罷不使用及ヒ時効ナリトス然レトモ是等ノ消滅方法モ亦其適用ニ付テハ二種ノ権利ニ関シ趣意ヲ異ニスル所アリ
人権ノミニ限リ適用スヘキ消滅方法タルモノハ弁済更改及ヒ相殺ニシテ物権ニノミ限リ適用スヘキ消滅方法ハ添附即チ合体没収公用徴収トス又期限ノ到来モ用益権及ヒ賃借権ノ如キ性質ナラサル所ノ物権ヲ消滅セシムルモノナリ又権利主ノ死去ハ用益権使用権及ヒ住居権ノ如キ本主ノ為ニノミ特ニ設定シタル所ノ権利ヲ消滅セシムル原因ナリ
又法律ハ一人ヨリ他ノ一人ニ對シ義務ヲ負擔スルヲ以テ異常例外ノ位置ト看做シ相互ノ関係ヲ觧脱シ之ヲシテ各旧位置ヲ復セシムル所ノ消滅ヲ幇助シ成ルヘク義務ハ消滅シタルモノト看做スモノナリ之ニ反シ物権殊ニ所有権ノ消滅ニ至テハ之ヲ幇助スヘキノ理由アラス只僅カニ用益権及ヒ地役権ノ如キ多少異常ノ性質ヲ有スルモノノ消滅ヲ幇助スルノミ加之尚ホ是等ノ物権ト義務トノ間ニハ至要ナル差異ノ存スルアリ即チ義務ハ多少迅速ニ消滅スヘキモノニシテ決シテ永遠無限ノモノナルコトナシ彼ノ年金権ノ如キニ至テモ之ヲ約スルニ当リ無期限タラシムルヲ得ヘキモ亦必ス之ヲ買戻スコトヲ得ルモノトセリ
第一節 弁済
第四百五十一条
本条ハ主トシテ以下ノ區別ヲ開示スルヲ以テ目的トスルモノナリ
単純ナル弁済ハ代位弁済ニ比スレハ一層完全ニ義務ヲ消滅セシムルモノナリ蓋シ代位弁済ハ第三者若クハ債務者ノ一人ノ行フ所ノ物ニシテ弁済ヲ為シタルモノハ債権者ニ属シタリシ訴権ヲ行ヒ義務ヲ免除シタル者ニ對シ求償ヲ為スコトヲ得是ヲ以テ義務ハ未タ全ク消滅シタルモノニ非スト云フヘキナリ然ルニ単純ナル弁済ハ毫モ之ヲ為ス者ヲシテ債権者ニ代位セシムルモノニ非サルカ故ニ最モ完全ニ義務ヲ消滅セシムルモノナリ
然レトモ単純弁済ノ規則ハ概ネ代位弁済ニ準用スヘキモノナリ
弁済ノコトニ関シテハ種々ノ問題アリ而シテ之ヲ決定スルハ盡ク単純弁済ノ款ニ於テス即チ第一何人カ弁済ヲ為スヲ得ヘキカ(下第四百五十二条乃至第四百五十五条)第二何人ニ弁済ヲ為スヲ得ヘキカ(下第四百五十六条乃至第四百五十九条)第三如何ナル物ヲ以テ弁済ヲスルヲ要スルカ(下第四百六十条乃至第四百六十七条)第四何レノ所ニ於テ弁済ヲ為スヘキカ(下第四百六十六条)第五弁済ノ費用ヲ負擔スヘキ者何人ナルカ(同条)第六何レノ時ニ至リ弁済ヲ為スヘキカ(第四百六十九条)等ノ問題即チ是レナリ
本条第二項ハ如何ナル場合ニ於テ弁済ノ充当ヲ為スヘキカヲ示スニ止マリ其詳細ハ下第二款ニ之ヲ規定ス
第三項ハ債権者ノ任意ニ弁済ヲ受取ルコトヲ欲セサル場合ヲ規定スルモノニシテ此場合ニ於テハ法律ハ債務者ヲ保護シ之ヲシテ義務ヲ免除スルヲ得以テ利息ノ発生ヲ停止シ且負擔シタル物ノ危険ヲ担当スルノ責ヲ免カルルヲ得セシムルノ方法ヲ設ケタリ(下第三款ヲ参観スヘシ)債務者其債権者ニ財産ノ委棄ヲ為ストキハ破算ノ清算ヲ簡略シ且其費用ト時日トヲ制限スルヲ得ヘクシテ啻ニ破産シタル商人ニノミ之ヲ許スヘキニ非ス又無資力ト為リタル非商人債務者ニ之ヲ為スコトヲ得セシムルヲ要ス是レ第四項ニ定ムル所ニシテ民事訴訟法ニ其規定ヲ譲リタリ
第一款 單純ノ辨済
第四百五十二条
[壱]本条及ヒ次ノ三條ハ前記問題ノ第一タル「何人カ弁済ヲ為スヲ得ヘキカ」ノ点ヲ規定スルモノナリ
本条ニ規定スル所ノ要領ハ何人タリトモ弁済ヲ為スヲ得ヘシト云フニ在リ詳カニ之ヲ觧スレハ弁済ヲ為スヲ得ル者ハ第一單一ノ債務者并ニ共同債務者ノ一人ナリ但シ真ノ共同債務者ナルモノハ連帯債務全部債務及ヒ不可分債務ニ於テ存スルノミ何トナレハ單ニ連合ノ債務ニ於テハ債務者ノ人員ニ従ヒ各別ノ債務存立スルモノナレハナリ之ニ次テ弁済ヲ為スヲ得ヘキ者ヲ法律ニ所謂「附随ノ債務者」ナリトス蓋シ之ヲ附随ノ債務者ト称スル所以ハ其自己ノ為メニ義務ヲ帯フルニ非スシテ他人ノ為メニ之ヲ負擔スルカ故ナリ即チ保證人及ヒ不動産ノ取得者ニシテ所有者カ之ヲ自己ノ債務ノ抵当ト為シタル後之ヲ取得シタルニ因リ所有者ニ代リ債務ヲ辨済セサレハ債権者ノ為メニ其不動産ヲ徴収セラル可キモノ是ナリ又第三者ニシテ他人ノ弁済ヲ為スモ自カラ金銭上ノ利益ナク唯タ債務者若クハ債権者ノ為メ好意ヲ以テ弁済ヲ為シ而シテ返還ノ求償権ヲ保有セントスル者モ亦タ弁済ヲ為スノ資格ヲ有スルモノナリ又第三者債権者ヲ知ラス又債務者ヲ知ラサルモ公証人ノ紹介ニ因リ偏ヘニ債権者ノ有シタリシ擔保ヲ代位ニ依リテ取得シ以テ自己ノ資本ヲ利用センカ為メ他人ノ債務ヲ弁済スルコトヲ得ヘシ此場合ニ於テモ亦第三者ハ義務自體ヨリ生スル利害ヲ有セサルカ故ニ「利害ノ関係ナキ」第三者弁済ヲ為スモノト謂フヘシ
利害ノ関係ナキ第三者他人ノ債務ヲ弁済スルトキハ債務者ノ名ヲ以テシ又ハ自己ノ名ヲ以テスルコトヲ得其債務者ノ名ヲ以テ弁済ヲ為ス場合ニ於テハ第三者ハ真ノ事務管理者ナリ加之或ハ代理人タルコト有ル可シ然レトモ自己ノ名ヲ以テ弁済ヲ為ス場合ニ於テハ決シテ代理人ノ資格ヲ有スルコトナシ此差別タル其求償権ノ區域ニ多少影響ヲ及ホスモノニシテ其理由ハ後第四百五十四条ニ至リ之ヲ説明スヘシ
第四百五十三条
本条ハ二箇ノ問題即チ第三者ノ弁済ヲシテ有効ナラシムルニハ債権者ノ承諾ヲ得ルヲ要スルカ又債務者ノ承諾ヲ得ルヲ要スルカノ二点ヲ断定スルモノナリ
若シ第三者ニシテ弁済ヲ為スニ付キ利害ノ関係ヲ有スルトキハ債権者モ主タル債務者モ弁済ニ故障ヲ容ル可カラサルヤ当然ナリ何トナレハ合意即チ法律上ノ関係ヨリ生シタル利益ハ権利ニ等シケレハナリ加之第三者利害ノ関係ヲ有セサルトキト雖モ猶ホ債権者ヲシテ強テ弁済ヲ受ケシメ又ハ債務者ノ意思ニ拘ハラス弁済ヲ為スコトヲ得ルヲ以テ通則トス其理由蓋シ前ニ説明シタル如ク総テ義務ノ存在スルハ異常ノ状態ニシテ訴訟紛議ノ萌芽タルカ故ニ法律ハ其消滅ヲ慫慂スヘキニ在リ然レトモ亦各場合ニ付キ例外則ノ存スルアリ
義務ノ性質上債務者本人ニ非レハ履行ヲ為スモ利益ナキモノナルトキハ債権者ノ承諾ヲ必要ト為ス此点ニ付キ法文ニハ「作為」ノ義務ノ事ヲ假定セリ是レ与フルノ義務ニ付テハ債権者第三者ヨリ引渡ヲ為スヲ拒ムノ理由ナク債務者自身ヲシテ授与ヲ為サシムルノ利益アラサレハナリ不作為ノ義務ニ付テハ第三者利害ノ関係アルト否トヲ問ハス決シテ債務者ニ代リ之ヲ履行スルコト能ハス蓋シ不作為ハ性質上必ス一身ニ限ルモノナレハナリ
又債権者第三者ヨリ弁済ヲ受クルコトヲ拒絶シタルトキハ其弁済ヲシテ有効ナラシムルカ為メ債務者ノ承諾ヲ必要トス蓋シ債権者債務者共ニ承諾ヲ為ササルトキハ第三者ノ干渉毫モ理由ナク却テ濫妄ノ行為タルヲ免カレサル可シ然レトモ債権者弁済ヲ拒絶シタルトキ債務者亦之ニ故障ヲ容ルルヲ得ルハ弁済ヲ為サントスル第三者利害ノ関係ヲ有セサルトキニ限ル若シ第三者弁済ヲ為スヲ以テ自己ノ利益ト為ストキハ債権者債務者与ニ其弁済ヲ拒止スルコト能ハス唯第一項ニ認許シタル場合ニ於テ債権者ノ拒絶アルトキハ第三者弁済ニ付キ利害関係ヲ有スルモ猶ホ強テ之ニ弁済ヲ為スコト能ハス例ヘハ技藝斈術ニ関スル作為ノ義務ヲ擔保シタル保證人ハ債権者ノ意ニ反シ自カラ義務ヲ履行スルコト能ハサルヤ明カナリ
第四百五十四条
利害ノ関係ヲ有スルニ因リ他人ノ債務ヲ弁済シタル第三者ハ債務者ノ為メ弁済シタル所ノ金銭其他ノ物件ノ償還ヲ受クルカ為メ債権者ノ権利及ヒ擔保ニ「当然即チ法律上」代位スルモノナリ是レ次款ニ定ムル所ナリ利害ノ関係ヲ有セサル第三者モ亦同一ノ権利ニ代位スルコトヲ得サルニアラサルモ唯債権者又債務者トノ合意ニ依リ然ルヲ得ルノミ然リ而シテ利害ノ関係ヲ有セスシテ弁済ヲ為シタル第三者何レヨリモ代位ヲ得サルトキト雖モ猶ホ代理人若クハ事務管理者ノ資格ニ依リ又ハ自己ノ名ヲ以テ債務者ニ對シ求償権ヲ有ス可シ
第一債務者ノ一般又ハ特別ナル代理人弁済ヲ為シタルトキハ代理人ハ委任者ヲ代表スルヲ以テ其弁済ハ第三者ノ為シタルモノニ非ラス債務者自カラ為シタルモノト謂フヲ得ヘシ然レトモ委任者ト代理人トヲ同一人ト看做スハ一ノ想像ニシテ其実相ヲ見レハ自カラ相違ナル所アリ蓋シ代理人ノ弁済ヲ為スニ委任者ノ有價物ヲ以テセスシテ代理人ノ有價物ヲ以テシタルトキハ代理人求償権ヲ有セサル可カラス即チ代理人ハ代理契約ヨリ生シタル訴権ヲ有ス可シ故ニ其金額ハ代理ノ約束ト制限トニ従ヒ弁済シタル所ノモノニ立替金ノ利息ヲ加ヘタルモノトス加之代理人ハ第四款ニ説明スルカ如ク債権者ノ権利ニ代位スルヲ得ヘキモノナリ
他ノ二箇ノ場合ニ於テハ債務者ノ得タル利益ヲ以テ求償権ノ基礎ト為ス然レトモ第一ノ場合即チ事務管理ノ場合ニ於テハ弁済ノ行ハレタル時ニ於テ其利益ヲ査定スルモ第二ノ場合ニ於テハ償還ノ訴権ヲ行フ時ニ於テ之ヲ査定スルモノトス例ヘハ債務者ト債権者トノ間ニ百圓ノ相殺ヲ為スベキ時ニ當リ第三者債務者ノ為メ千圓ヲ辨済シタルニ爾後更ニ債務者ト債権者トノ間ニ百圓ノ相殺ヲ為スベキ原因発生シタリトセンニ債務者ノ名ヲ以テ辨済シタル者ハ辨済ノ日ニ於テ之ヲシテ得セシメタル利益ノ高即チ九百圓ヲ之ニ請求スベキモ自己ノ名ヲ以テ辨済シタル者ハ債務者ノ意ニ拘ハラス辨済シタルモノト看做シ現実ノ利益ノ高タル八百圓ヲ請求スルヲ得ルノミ然レトモ債権者之カ為メ不正ノ利益ヲ得可カラサルカ故ニ債務者ト自己トノ間ニ於テ相殺スヘキ金額ヲ第三者ニ返還ス可シ此金額タル原ト債権者ノ権利ナクシテ受取リタルモノナレハ債権者ハ其返還ノ責ニ任セサル可カラサルヤ明カナリ
第四百五十條
辨済ハ第四百五十一條ニ示シタル定義ニ依ルニ「義務ノ本旨ニ従フノ履行」ナリ此定義タル文辨汎博ナルヲ以テ諸般ノ義務即チ與フルノ義務為スノ義務并ニ為ササルノ義務ニ齊シク適用スルモノナリ而シテ本條ハ「所有権ヲ授與、移付スル」ノ義務ニ付キ特殊ノ規則ヲ設ケ其辨済即チ履行ヲシテ有効ナラシムルニハ辨済ヲ為ス者二箇ノ條件ヲ備フルヲ要ストセリ即チ辨済トシテ與へタル物ノ所有権ノ資格ヲ有スルコト及ヒ之ヲ譲渡スノ能力アルコト是ナリ
其レ然リ而シテ合意ノ目的所有権ヲ移轉スルニ在ルトキハ移轉ス可キ目的物特定物タルト代替物タルトニ因リ其効力大ニ異ナルモノナリ即チ其特定物タルトキハ動産タルト不動産タルトヲ問ハス合意ノ効力ノミニ因リ直チニ所有権移轉スルモノニシテ約束ノ時ニ至リ引渡ヲ為ス可キノミ之ニ反シテ重量數目分量ヲ以テ指定シタルニ過キサル物ノ即チ定量物ニ至テハ物ノ引渡若クハ其他之ヲ指定スルノ方法ニ依ルニ非サレハ所有権移轉スルコト能ハス(本編第三百三十一條及第三百三十二條ヲ参看スヘシ)
合意ノ目的特定物タル場合ニ於テハ譲渡ヲ為ス者所有権ヲ有シ且能力ヲ有ス可キ二箇ノ條件ハ合意取結ノ時ニ存スルヲ以テ足レリトセサル可カラス就中所有権ニ至リテハ諾約者引渡ヲ為ス時ニ至リ之ヲ有スルコト能ハサルヤ明カナリ何トナレハ譲渡ハ承諾ノミニ因リ全然其効力ヲ生シ所有権直チニ移轉シ了ルモノナレハナリ
蓋シ諾約者所有者ニ非サルトキハ合意無原因ノ故ニ當然無効ニシテ諾約者譲渡スルノ能力ナキトキハ合意鎖除シ得ヘキモノタル所以ハ嘗テ之ヲ詳説シタリ(本編第三百九條及第三百五條ヲ参看スヘシ)而シテ債務者辨済ノ時ニ當リ所有者タリ且譲渡ノ能力ヲ有スルヲ要スルコトハ辨済ニ依リ始メテ所有権ノ移轉ス可キ時ニ限ル(本編第三百三十二條ヲ参看スヘシ)
本條ハ特ニ所有権移轉ヲ完成ス可キ辨済ノ事ヲ豫想シタルモノナリ蓋シ受寄者、使用借主若クハ賃借人受寄物、借用物若クハ賃借物ヲ返還スルトキハ亦是レ辨済タル可キモ是等ノ人ハ所有者タルコト能ハサルモノナリ故ニ本條ヲ適用スヘキ範囲外ニ在ルモノナリ
本條ハ辨済ヲシテ有効ナラシムルニ必要ナル二箇ノ條件ヲ定メ次テ各條件不履行ノ結果ヲ規定シタリ然レトモ本條ハ唯債権者ト債務者トノ関係ヲ規定スルニ過キス他人ノ物ヲ辨済トシテ受取リタル者及ヒ之ヲ辨済シタル者ニ対スル眞ノ所有者ノ権利ニ至テハ敢テ此處ニ之ヲ規定セス蓋シ所有権ニ関スル規則ハ已ニ説シタル所ニシテ此處ニモ亦其當然ノ適用ヲ為スヲ以テ足レリトス故ニ所有者ハ取得時効ヲ對抗セラル可キ時ニ至ラサル間ハ物ヲ受取リタル者ニ對シ之ヲ取戻スヲ得ヘシ唯動産ト不動産トノ間ニ區別アルノミ而シテ若シ時効ノ結果ニ因リ又ハ物ノ意外ノ滅失若クハ善意ノ消費ニ因リ取戻ヲ為スコト能ハサルニ至リタルトキハ所有者ハ辨済ヲ為シタル債務者ヲシテ辨済物ノ所持人且債務者タラシメタル契約ニ拠リ又ハ不當ニ差押ヲ受ケタルニ因リ蒙リタル損害ニ基キ又ハ債務者ノ有効ニ義務免除シタル時以来辨済ノ為メ之ニ附與シタル利得ニ基キテ債務者ニ対シ求償訴権ヲ有ス可シ
適正ナラサル辨済ニ因リ辨済者ト領受者トノ間ニ生スル関係ニ付キ本條ハ所有者ニ非サル者ノ為シタル辨済ト譲渡スノ能力ナキ所有者ノ為シタル辨済トヲ區別シタリ
所有者ニ非サル者辨済ヲ為シタル場合ニ於テハ各當事者辨済ノ無効ヲ請求スルコトヲ得是レ債権者ニ関シテハ疑議ヲ容レサル所ナリ蓋シ債権者ノ権利ハ其目的ヲ達セサル所ノ辨済ニ因リ毀滅スルモノニ非サレハナリ
然レトモ債務者辨済ノ無効ヲ請求スルヲ得ルニ至テハ或ハ異議ヲ容ルル者ナキヲ保スヘカラス蓋シ債務者ハ所有者ニ非サルカ故ニ回復ヲ訴フルコト能ハス縦令辨済前法定ノ占有ヲ為シタリトスルモ占有訴権ヲ以テ占有回復ヲ為シコト能ハス何トナレハ其占有ハ自由ニ抛棄若クハ譲渡シタルモノナレハナリ又此點ニ付キ合意ヨリ生スル訴権ヲ行フコトヲ得ス何トナレハ其合意雙務ナルトキト雖モ猶ホ之ヲシテ其辨済シタル所ノモノヲ取戻スノ訴権ヲ有セシムルモノニアラサレハナリ又或ハ債務者ハ「追奪ノ擔保者タルヲ以テ自ラ追奪ヲ為スコト能ハス」ト云フ者アラン
然レトモ債務者ハ自己ニ属セサルモノヲ拂フタルニ因リ不當辨済ヲ為シタルモノナルカ故ニ其取戻ノ訴権ヲ有ス可キモノナリ(本編第三百六十六條ヲ参看スヘシ)且債務者ハ取戻ヲ為スニ付キ睹易クシテ且正當ナル利益ヲ有スルモノナリ其利益トハ何ソヤ眞ノ所有者ノ損害賠償ノ訴権ヲ豫防スルコト是レナリ
譲渡ノ能力ナキ所有者ノ辨済シタル場合ニ於テハ譲渡ノ無能力ニ基ク無効絶對ノモノニ非スシテ相對ノモノナリ即チ無能力者タル債務者ノミ獨リ辨済ノ無効ヲ申立ツルコトヲ得ルニ過キス(本編第三百十九條ヲ参看スヘシ)
然レトモ本條ハ公義ニ基キ一ノ規定ヲ設ケ債務者ハ自己ニ属セサル物ヲ與へタル場合ニ於テモ又譲渡スノ能力ナキ場合ニ於テモ直チニ有効ナル辨済ノ提供ヲ為スニ非サレハ不適正ニ辨済シタル物ノ取戻ヲ要求スルコトヲ許ササルモノトセリ故ニ債務者自己ノ所有セサル物ヲ辨済シタル場合ニ於テハ更ラニ自己ニ属スル物ヲ提供シ又譲渡ノ能力ナクシテ辨済シタル場合ニ於テハ更ニ辨済ヲ為スニ當リ適法ノ補佐人又ハ代理人ヲ差出スカ或ハ無能力ノ原因止ム時ヲ待テ更ニ辨済ヲ為ササル可カラス而シテ債務者更ニ有効ナル辨済ヲ為スニ至ルマテハ債権者不當ニ辨済シタル物ヲ留置スルコトヲ得
法律上債権者ニ留置権附與シタルハ即チ追奪ノ擔保人自ラ追奪ヲ為ス可カラストノ格言ヨリ生スル諸般ノ疑議ヲ断定ス可キモノナリ何トナレハ債権者ハ有効ナル辨済ヲ受クルニ非サレハ債務者ヨリ追奪ヲ受ケサルヲ以テ毫モ苦情ノ唱フヘキモノアラサレハナリ
或ハ債権者辨済ノ無効ヲ知ラスシテ領受物ヲ消費シ若クハ之ヲ譲渡スコトアル可シ此場合ニ於テ債務者取戻ヲ行フコト能ハス何トナレハ債務者ニ取戻ヲ許ストキハ之カ為メ債権者ヲシテ其過失ニ不相當ナル巨大ノ損失ヲ被ムラシム可ケレハナリ勿論債権者他人ノ物ヲ受取リタル場合ニ於テモ不適正ナル辨済ニ因リ利益ヲ収得シタルトキハ其辨済ノ無効ヲ唱フルノ権利ヲ失フ可シ然レトモ意外ノ事ニ因リ物ノ滅失シタルトキハ債務者取戻訴権ヲ行フ能ハサルモ債権者ハ無効訴権ヲ失フコトナシ
右ニ述フル不當辨済ノ場合ニ於テハ債権者辨済ノ適正ナルヲ信シ其債権ノ證書ヲ毀滅シタル場合ヲ以テ債務者取戻ヲ為ス能ハサル場合ノ一トセス(本編第三百六十五條第二項ヲ参看スヘシ)蓋シ此場合ニ於テハ債権者證書ヲ毀滅スルモ債務者ニ非サル者辨済ヲ為シタル場合ニ於ケルカ如キ損害ヲ債権者ニ及ホスコトナキカ故ナリ何トナレハ此場合ニ於テハ債務者不當ニ辨済シタル物ノ己レニ属セサルヲ唱ヘ之ヲ取戻サントスルノ一事已ニ十分其債務ノ認諾ヲ證明スモノニシテ更ラニ債権者ノ為メ一ノ證據ヲ作出シ旧證據ノ毀滅ヲ補ヘハナリ唯少シク疑議ヲ生ス可キハ毀滅シタル證書中保證人ノ約束若クハ動産質アルコトヲ記載シタリシ場合ナレトモ債権者ハ留置権ヲ有スルカ故ニ之ヲ以テ十分此二箇ノ擔保ヲ填補スルニ足レリト謂フヘシ
無能力者ノ為シタル辨済ニ関スル規則ハ或ル事ヲ為シ又ハ為ササルノ義務ノ辨済ニ適用セス又無能力ノ為メ鎖除シ得ヘキ義務ノ辨済ニ適用スルモノニ非ス何レノ場合ニ於テモ反対ノ例外則行ハルルモノトス即チ若シ當初有効ニ取結ヒタル作為若クハ不作為ノ義務ヲ無能力者ノ履行シタルトキハ其辨済無ニアラスシテ通例無能力者ノ為スコトヲ得ヘキ管理行為ノ一ト看做ス可シ且已ニ結了シタル作為若クハ不作為ヲ取消スハ殆ト為シ能ハサル所ナリ
又當初ヨリ無能力ノ為メ鎖除シ得ヘキ義務ノ辨済アリタルトキハ啻ニ其辨済ヲ取消シ得ヘキノミナラス善意ノ債権者物ヲ消費シ若クハ譲渡スモ之カ為メ辨済ノ無効ヲ補フモノニ非ス此場合ニ於テハ第七節ニ規定ス可キ義務鎖所ノ規則ヲ適用ス可キモノナリ
第四百五十六條
[貳]本條及次ノ三條ハ先キニ開示シタル第二ノ問題即チ何人ニ辨済ヲ為スヘキカノ問題ヲ規定スルモノナリ
蓋シ辨済ヲ受取ルコトヲ得ヘキ者ハ之ヲ為スコトヲ得ル者ニ比シ一層少キヤ當然ナリ何トナレハ債権者其承諾ナク其権利ヲ失フノ憂ヲ被フルヘカラサレハナリ是ヲ以テ辨済ハ債権者若クハ其代理人ニ為スニ非サレハ有効ナラサルヲ原則トス
債権者ノ代理人辨済ヲ受ケタル後之ヲ濫費シ債権者ニ之ヲ移付セサルモ債務者ハ有効ニ辨済シ了リタルヲ以テ其義務ヲ免カル可シ唯代理人ノ資格辨済以前ニ消滅シ債務者之ヲ知ラスシテ代理人ニ辨済ヲ為シタル場合ニ於テハ少シク異論ノ生スルコトアラン今其辨済ノ有効ナルカ将タ無効ナルカヲ査定スルニハ何レニ過失アリ又何レノ過失最モ大ナルカヲ考究スルヲ要ス例ヘハ代理期限ノ満了ニ因リ代理ノ消滅シタル場合ニ於テハ債務者ニ過失アリ何トナレハ債務者ハ代理ノ證明ヲ求ム可キヲ以テ其期間ヲ知ラサル可カラサレハナリ故ニ債務者ハ更ニ辨済ヲ為スコトヲ要ス唯不篤実ナル代理人ニ對シ求償権ヲ有スヘシ之ニ反シ委任者ノ隨意ニ代理ヲ廢罷シタル場合ニ於テ委任者其廢罷ヲ債務者ニ告知セス又債務者他ノ方法ニ因リ之ヲ知ラスシテ代理人ニ辨済ヲ為シタルトキハ債権者損失ヲ負擔スヘシ又法律上ノ代理消滅シタル場合例ヘハ債権者成年ニ達シタルニ因リ代理ノ終了シタル場合ニ於テモ亦債務者此事実ヲ知ラサルトキハ概ネ其過失タルヲ免レサル可シ裁判上ノ管理人ノ権限消滅シタル場合ニ於ケルモ亦同シ然レトモ此問題タル主トシテ事実ノ情況ニ因リ之ヲ断定ス可シ
事務管理者タル第三者ニ辨済ヲ為シタルトキハ債務者其義務ヲ免レサルヲ以テ原則ト為ス何トナレハ事務管理者ハ本主ノ権利及ヒ利益ヲ減少スルノ資格ナク唯之ヲ増加シ又之ヲ保存スルノ資格アルニ過キサルモノナレハナリ然レトモ債権者後ニ至リ其辨済ヲ追認スルトキハ恰モ初ヨリ委任ヲ為シタルト同一ナリ又債権者追認ヲ為ササルモ其辨済ノ利益ヲ得タルトキハ其利益ノ限度内ニ於テハ更ニ辨済ヲ請求スルコトヲ得ス例ヘハ第四百五十九條ニ規定スルカ如ク債務者其債権者ノ債権者ヨリ拂渡差押ヲ受ケタルニ非サルトキ之ニ辨済ヲ為シタル場合ニ於ケルカ如シ此場合ニ於テ自己ノ為メ辨済ヲ為スヘキノ委任ヲ為ササリシ債権者ノ債務爭フヘカラサルモノニシテ又減除ヲ為ス可カラサルトキハ債権者辨済ノ利益ヲ得タルモノト看做サル可シ
前項ノ場合ニ於テハ證拠ニ関スル問題アリ即チ初ヨリ委任アリタルカ委任ナキモ追認アリタルカ又然ラサルモ債権者ニ利益アリタルヤ否ヤノ問題生スルコトアル可シ此諸點ニ付テハ擧證ノ任債務者ニ在リトス何トナレハ債務者ハ其辨済ノ有効ヲ請求スルモノナルカ故ニ其有効ノ條件具備スルコトヲ證明セサル可カラサレハナリ
第四百五十七條
本條ニ規定シタル場合ハ法律ヲ以テ明カニ規定セサルトキハ大ヒニ疑議ヲ生ス可キモノナリ此場合ニ於テ困難トスル所ハ「債権ノ占有者」ナル語ノ意義如何ヲ定ムルニ在リ蓋シ債権ノ占有者トハ眞ノ債権者ニ非サルハ勿論無記名證券ヲ除キ債権ノ證書ヲ所持スル者ヲモ謂フニ非ス
既ニ占有ノ事ヲ規定スルニ當リ占有ハ啻ニ有体物ニ適用スヘキノミナラス亦無体物タル権利就中債権ニモ適用スルコトヲ記載シタリ(本編第百八十條ヲ参看スヘシ)債権ノ占有者トハ眞ノ債権者ニ非スシテ債権者タルカ如キ所為ヲ行ヒ第三者ヨリ之ヲ視ルトキハ債権者タルノ資格ヲ有スルノ外観アル者ヲ謂フ例ヘハ毎年ノ利息ヲ受取リ訴追ヲ為シ又ハ期限ヲ許與スルカ如キ所為ヲ行フタル者是ナリ
有体物ニ関シ法定ノ占有ヲ為スニハ其物体ヲ握有シ「之ヲ自己ノ所有ト為スノ意思ヲ以テ」之ヲ處分スルノ所為ヲ行フヲ以テ足レリトス(本編第百八十條ヲ参看スヘシ)且占有者ハ此意思アルト推定セラルルモノニシテ(本編第百八十六條ヲ参看スヘシ)其物ヲ移轉ス可キ性質アル権利行為即チ権原ニ依リ之ヲ所持スルヲ必要トセス然ルニ債権ニ係ルトキハ證書ノ所持ヲ以テ同一ノ効力ヲ生セシムルニ足ラス蓋シ證書ハ代理若クハ寄托ニ因リ之ヲ所持スルコト甚タ多キカ故ニ其所持ヲ以テ有体物ニ関スルトキノ如ク所持人ニ属スル権利ニ基キタリト推定スルヲ得ス且證書ノ所持ハ外形ノ行為ニ依リ顕表シ権利ノ推定ヲ鞏固ニスルカ為メ充分ニ之ヲ公示スルモノニ非ス(本編第百八十三條ヲ参看スヘシ)加之證書面ニハ眞ノ債権者ノ氏名ヲ記載スルヲ以テ其證書ハ却テ單純ナル所持人ノ主張ヲ反證スルモノナリ是ヲ以テ證書ノ所持ニ因リ債権アリト推定スルニハ第一無記名證券ニ関スルヲ要ス蓋シ此場合ニ於テハ證券ニ権利ヲ附着スルモノニシテ其権利ハ氏名ヲ指シタル人ニ属スルモノニ非サルナリ(本編第三百四十六條ヲ参看スヘシ)又記名證券ニ関スルトキハ占有者債権者ニ属ス可キ所為ヲ屡々自己ノ名ヲ以テ行フタルコトヲ要ス而シテ其所為ハ保存處分タリトモ猶ホ可ナリトス又定規ノ利息ヲ受取リタルカ如キハ債権ノ継續セル占有タル可シ
右ノ條件具備スルトキハ債務者ノ善意ニテ為シタル辨済有効ニシテ債務者ヲシテ眞ノ債権者ニ對シ其義務ヲ免カレシムルモノナリ蓋シ眞ノ債権者モ亦自ラ過失ナシト謂フ可カラス是ヲ以テ占有者ニ對シ辨済價額ノ返還ヲ請求シ其無資力ノ危険ヲ負擔ス可キ者ハ眞ノ債権者ナリ
本條ハ此事項ニ付キ疑議ヲ生セサラシメンカ為メ有効ナル辨済ヲ受ク可キ債権ノ占有者ヲ例示セリ其例示スル所ノモノ三個アリ実際此三者ノ外債権ノ占有者タルモノ無カル可キモ亦未タ之ヲ以テ法律ニ制限ヲ設ケタリト謂フ可カラス
第一債権ノ占有者タルモノヲ「表見ナル相續人」トス此語タル第三者ヨリ視ルトキハ死者ノ正當ナル相續人タルカ如キ観アル者ヲ謂フ此他受贈者若クハ受遺者ノ如キ包括承継人モ亦本條之ヲ相續人ト同一視セリ抑々表面ナル相續人ハ初メ所在不分明ナリシモ後ニ顕出シタル他ノ一層近キ親族アルカ為メニ其相續ヲ失フコトアル可ク又贈与若クハ遺言ノ無効又ハ廃罷ニ皈シタルニ因リ之ヲ失フコトアル可シ然レトモ双方ノ錯誤アリタルトキハ善意ニテ弁済シタル債務者ヲ保護セサル可カラス
第二ニ債務者ノ占有アルハ方式ニ従ヒ且譲受人ヨリ債務者ニ告知シタル債権譲渡ノ行ハレタルモ譲渡人ニ権利主ノ資格ナキカ為メ真ニ債権ノ移轉アラサル場合ナリ(本編第三百四十七条ヲ参観スヘシ)此場合ニ於テハ譲受人或ハ精密ニ譲渡人ヲシテ其権利ヲ疎明セシメサルノ不注意アル可キモ亦或ハ充分ニ注意ヲ施スモ発見スルコト能ハサリシ詐欺ノ為メニ譲受ヲ為シタルコトアル可シ然リト雖モ法律ハ譲受人ヲ保護セスシテ譲受人ノ告知ヲ受ケ其効力ノ有無ヲ査定スルノ責ナキ所ノ債務者ヲ保護シタリ
記名ナルモ裏書ヲ以テ譲渡シ得ヘキ商証券(為替手形、約束手形、引出切手)ニ係ルトキハ詐欺者裏書ヲ為シタル時ト雖モ猶ホ前項ト同一ノ論決ヲ為ス可シ詳カニ之ヲ言ヘハ表見ナル譲受人ニ為シタル弁済ハ満期前ニ為シタルニ非サル限ハ債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシム可シ
第三ニ債権ノ占有アルハ単純ナル引渡ヲ以テ譲渡シ得ヘキ無記名証券ヲ所持スル場合トス抑々無記名証券ノ譲渡有効ナルカ為メニハ真ノ債権者証券ノ引渡ヲ為シタルコトヲ要ス然レトモ証券ノ無記名ナルトキハ其記名アル場合ニ比シ一層詐欺若クハ錯誤ノ行ハレ易キカ故ニ証書ノ所持人ニ弁済ヲ為シタルトキハ前二個ノ場合ニ於ケルカ如ク債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシメサル可カラズ
茲ニ少シク注意ヲ促スヘキコトアリ本条ニ於テハ債権占有者ノ善意ニテ之ヲ受取リタルコトヲ以テ弁済ノ有効ニ必要トセス唯債務者ノ善意ナランコト詳カニ之ヲ言ヘハ真ノ債権者ニ弁済スルモノナリト信シ弁済シタルコトヲ要ス
又本条ハ期限前ニ弁済ヲ為ササリシコトヲ以テ弁済有効ノ条件トセス蓋シ此条件タル或ル商事債権ニ付キ必要ナルヲ以テ論者中其規定ヲ民事ノ債権ニ準用センカ為メ債務者期限ヲ俟タスシテ弁済ヲ為シタルトキハ真ノ債権者ヲシテ期限前ニ自ラ現出シ占有者ヲ排斥シ自ラ弁済ヲ受クルノ利益ヲ失ハシメタルモノナリ故ニ法律ハ之ヲ保護ス可カラスト云フ者アリ然レトモ期限前ノ弁済ヲ有効ト為ササルトキハ遂ニ本条ノ趣意ヲ貫徹セサルニ至ル可シ蓋シ債務者善意ナル以上ハ之ヲシテ期限ノ到来ヲ待ツ可シト定ム可カラス若シ此ノ如ク定ムルトキハ債務者占有者ノ権利ニ付キ疑惑ヲ有スルモ妨ケナシトスルニ外ナラサル可シ且債務者ノ為メニ期限ヲ定メタルトキハ債務者何時ニテモ之ヲ抛棄スルコトヲ得(本編第四百四条ヲ参看スヘシ)其債務ハ其意思ニ因リ期限ニ至リタルモノト為ルヲ以テ債務者ハ期限ノ到来前ニ弁済シタルモノニ非サルナリ又債権者ノ為メ期限ヲ設ケタルトキ債権者(表見ナル債権者即チ債権ノ占有者)弁済ヲ請求シ又ハ之ヲ領受スルニ於テハ即チ期限ノ利益ヲ抛棄シタルモノト謂フ可ク敢テ期限前ニ債務ノ弁済アリタルニ非サルナリ
是ヲ以テ弁済ヲシテ有効ナラシムルニハ弁済ノ時ニ当リ債務者善意ナルノ外他ノ条件ヲ設クルニ及ハス彼ノ商事債務就中為替手形及ヒ約束手形ニ付キ其規定ヲ異ニスル所以ハ此証券タル裏書ヲ以テ取引シ且二通乃至三通ヲ作ルコト多キニ因リ殆ント紙幣ノ代用ヲ為スカ故ナリ更ニ債務者少シク注意セハ既ニ裏書ヲ為シタル一通紛失シ而シテ正当ナル所持人現出シ之ヨリ期限最終ノ日ニ至リ請求ヲ受クルコトアル可キコトヲ慮カラサル可カラス是レ商事債務ニ付キ特別ノ規定アル所以ナリ
第四百五十八条
債務者弁済ヲ為スノ能力アルハ債権者弁済ヲ受クルノ能力アルニ比スレハ其場合一層多シトス蓋シ自治産ノ未成年者ハ債務ノ目的其譲渡ノ能力ナキ物ニ非サル限リハ有効ニ之ヲ弁済スルヲ得ルモ元本就中金額ニ至テハ之ヲ有効ニ受取ルコト能ハス何トナレハ未成年者ハ容易ニ之ヲ浪費シ又ハ之ヲ損失スノ恐アレハナリ然リ而シテ弁済ヲ受取ルノ能力アル者并ニ其能力ナキ者如何ハ敢テ本条ニ規定ス可キニ非ス本条ニ仮令スル所ハ債権者弁済ヲ受取ルノ無能力ナル場合ニシテ其能力ヲ有スルニ至リタルトキ又ハ適法ニ代理若クハ補佐セラレタルトキ之ニ弁済ヲ取消スコト詳カニ之ヲ言ヘハ更ニ弁済ヲ請求スルコトヲ許スモノトス然レトモ不注意ナル債務者ノ損害ヲ以テ債権者自己ノ利得ト為スハ決シテ条理ノ容レサル所ナルカ故ニ債権者弁済ノ利益ヲ得タルトキハ其弁済ノ効力ヲ維持セサル可カラス
此点ニ関シ左ノ二箇ノ問題発生スルコトアルヘシ
何レノ時ヲ標準トシテ債権者ノ利益ヲ査定スベキカ
債務者ハ重ネテ弁済スルコトヲ免カルヘキ処分ヲ行フコトヲ得サルカ
第一問ニ付テハ弁済ヲ実行シタル時ヲ以準トシタ利益ヲ査定スヘカラサルコト明カナリト謂フ可シ何トナレハ弁済ノ時ニ在リテハ必ス弁済ノ利益ヲ得ルモノナレハナリ
然レトモ亦未タ必スシモ無能力者弁済ノ無効ヲ請求スルノ時ヲ以テ標準ト為ス可カラス何トナレハ無能力者其領受シタル價格ヲ以テ動産若クハ不動産ヲ取得シ其物以外ノ事ニ因リ滅失スルコトアル可キニ尚ホ此滅失ヲ以テ債務者ノ負担ト為スコト至当ニアラサレハナリ是ヲ以テ無能力者必要若クハ有益ナル物ヲ取得シタルカ将タ単純ナル贅澤物ヲ取得シタルカヲ区別シ其必要又ハ有益ナル物ヲ取得シタル場合ニ於テハ取得ノ事実ノミニ因リ利益ヲ得タルモノト謂フ可クシテ爾後ノ滅失ハ債権者ノ負擔タラサル可カラス又其贅澤物ヲ取得シタル場合ニ於テハ弁済無効ノ請求ヲ為シタル日ニ至リ利益ノ尚ホ存スルヤ否ヤヲ区別シ其利益既ニ湮滅シ又ハ減少シタルトキハ債務者其損失ヲ負擔ス可シ
第二問ハ已ニ第一問ノ論決ニ因リ自カラ断定セラルルモノナリ蓋シ債務者限リナク其為ス可キ所ヲ知ラス債権者ノ専横ノ為メニ左右セラルルハ不当ナルカ故ニ債務者自カラ其弁済ノ無効ナルコトヲ認ムルヤ直チニ無能力者尚ホ其弁済シタル價額ヲ保有スル場合並ニ其領受シタル弁済價額ヲ以テ他物ヲ取得シタル場合ニ於テハ適法ニ許可ヲ受ケ又ハ代表人ニ依リ弁済ヲ追認スルカ又ハ其保有スル所ノ價額弁済額ヨリ少キニ至リタル場合ニ於テハ其保有スル利得ヲ扣除シテ即時弁済ヲ無効ヲ申立ツヘキコトヲ請求スルコトヲ得
第四百五十六條ニ於テハ追認及ヒ利得ヲ以テ孰レモ同様ニ弁済ヲシテ有効タラシムルノ力アルモノト定メタリシモ本条ニ於テハ此二者ヲ同一視セス但追認ノ行ハレ難キニ非サルヤ疑義ヲ容レスト雖モ無能力者ニ関シテハ第七節ニ規定スル所ノ條件ヲ要ス(本編第五百五十四条以下ヲ参看スヘシ)
第四百五十九条
拂渡差押ハ弁済ノ有効ヲ妨クルモノニシテ債務者ノ弁済スルノ無能力ト債権者ノ之ヲ受取ルノ無能力トノ二様ノ無能力ヲ生スルモノノ如シ今此点ニ付キ其正確ナル性質ヲ示スニ先チ拂渡差押ノ行ハル可キ場合其目的及ヒ法律ヲ以テ其効力ヲ確保スル所ノ方法ヲ述ヘサル可ラス
凡ソ一箇ノ債権ヲ有スル者(甲)アルニ当リ更ニ之ニ對スル債権者(乙)アルトキハ其債権者(乙)ハ債務者(甲)カ其債務者(丙)ヨリ弁済ヲ受取リタル後之ヲ隠蔽シ又ハ之ヲ消費シ以テ己レニ損害ヲ及ホスヲ憂フルコトアリ故ニ債権者(乙)ハ其債務者ノ債務者(丙)ニ對シ其債権者(甲)ニ弁済ヲ為スコトヲ禁シ自己(乙)ニ之ヲ為スコトヲ命スルノ権利アリ此ノ如ク弁済ニ故障ヲ述フル者(乙)ヲ称シテ「差押債権者」ト云ヒ債務者ノ債務者ニシテ最早其債権者ニ自己ノ義務ヲ盡スコト能ハサル者(丙)ヲ称シテ「第三債務者」ト云フ
拂渡差押ノ手續タル少シク複雑ニシテ其規定ハ民事訴訟法ニ在リ(同法第五百九十四条以下ヲ参看スヘシ)本条ニ於テハ拂渡差押ノ有効ニ行ハレ而シテ債務者之ニ拘ハラス債権者ニ弁済ヲ為シタルコトヲ仮定スルモノナリ此場合ニ於テハ債務者更ニ差押債権者ニ弁済ヲ為ササル可カラサルヤ自然ノ結果ナリ唯債務者ハ重ネテ其債務ヲ弁済シ而シテ其債権者ハ自己ノ債務ヲ免カレタルニ因リ初次ノ弁済ノ利益ト再次ノ弁済ノ利益トヲ併セテ領受シタルモノナルカ故ニ債務者ハ其差押人ニ拂フタル所ノモノヲ自己ノ債権者ニ對シ取戻スノ訴権アルヤ当然至当ノ事ナリト謂フ可シ
但差押人ノ債権額即チ「差押ノ原因」タル債権ノ數額第三債務者ノ負債額ニ超過スルモ第三債務者ハ自己ノ債務額ヲ弁済スルヲ以テ其義務ヲ免カルルコトヲ得可シ又數多ノ差押人アルトキハ差押ノ前後ニ因リ其権利ニ優劣アル可カラス蓋シ差押ナルモノハ差押人ヲシテ其債務者ノ財産ヲ得セシムルノ効力ヲ有スルモノニ非ス唯其財産ヲ裁判所ノ保管ニ付スルノミ故ニ総差押人其債権ノ數額ニ應シ弁済ヲ受ク可キナリ但差押人間他ニ優先ノ原因アルトキハ此限ニアラス
右ノ位置タル皮相視スレハ頗ル單簡ナルニ似タリト雖モ特別ナル場合ニ於テハ甚タ錯雑スルコトアリ例ヘハ第三債務者ノ債額以下ノ金額若クハ價格ノ為メニ差押アリタルトキハ第三債務者ハ其債権者ニ残額ヲ弁済スルノ権利アルニ似タリト雖モ或ハ債権者ニ残額ヲ弁済シタルカ為メニ責任ヲ負フコトアリ蓋シ最初ノ差押ノ手續決了セサル以前ニ在テ他ノ差押ノ起ルコトアルヘシ固ヨリ他ノ差押ハ第三債務者ノ未済ノ残額ニ係ルノミニシテ後ノ差押人ノ受ク可キ部分ハ総債額ノ存スルトキニ比スレハ一層少ク是レ其差押ヲ遲延シタルノ結果ニシテ自ラ招キタル所ノ損失ニ過キスト雖モ後ノ差押人ノ分割参与ハ前ノ差押人ノ得ヘキ皆済ヲ受クルコト能ハス僅カニ一部分ヲ受取ルニ過キス然ルニ若シ第三債務者其残額ヲ債権者ニ弁済セサリシナラハ前ノ差押人ハ全ク損失ヲ被フラサルカ又ハ損失ヲ被フルモ其數額稍少ナカル可キカ故ニ第三債務者ハ前差押人ノ失フタル所ノモノヲ之ニ償還セサル可カラス唯差押ヲ受ケタル者ノ(自己ノ債権者)ニ對シ求償権ヲ有スルノミ
前ニ拂渡差押ハ弁済ニ妨害ヲ加フルモノニシテ其妨害タル債務者ノ弁済ヲ為スノ無能力ト債権者ノ之ヲ受取ルノ無能力トニ似タリト云ヘリ今ヤ此点ヲ詳明スルヲ要ス而シテ之ヲ詳明スルハ決シテ無用ニ非サルナリ蓋シ真ニ弁済ノ無能力アリトセハ本条ノ位置ヲ操上ケサル可カラス且一層重要ナル点ハ弁済ノ無能力アリトセハ第三債務者ノミ独リ弁済ノ無効ヲ唱フルヲ得ヘキモ受取ルノ無能力アリトセハ債務者ヨリ之ヲ唱フルヲ得ルノ結果ヲ生スルニ在リ
然レトモ何レノ方ヨリモ決シテ弁済ノ無効ヲ請求スルコトアラスト謂フヘシ何トナレハ第三債務者ハ本條ノ保護ヲ加ヘントスル者ニ非サルカ故ニ其辨済シタル所ノモノヲ取戻スノ権利ナカルヘク又差押人モ之カ為メ何等ノ利益モ非サルヘシ唯辨済物ノ喪失シタル場合ハ此限ニ在ラサルノミ然レトモ何人タリトモ債務者此場合ニ於ケルモ亦他ノ場合ニ於ケルカ如ク再度ノ辨済ヲ請求スルヲ得ヘシト云フ者非サルヘシ何トナレハ第三債務者更ニ差押人ニ辨済シタルトキハ前後両度ノ辨済ヲ利得スヘカラサル債務者ニ對シ求償権ヲ有スベケレハナリ
今事理ノ眞相ヲ考フルニ本條ニ於ケル辨済ノ禁止ハ特殊ノ性質ヲ有スルモノニシテ債務者及ヒ第三債務者ノ利益ヲ圖リ之カ為メニ設ケタルモノナリ是ヲ以テ本條ニ於テハ辨済ヲ為シ又之ヲ領受スルノ禁制ヲ設ケタルモノニシテ其制裁ハ第三債務者ヲシテ更ニ辨済ヲ為スノ危険ヲ被フラシムルニ在リ抑々法律ノ禁制ハ之ヲ受クル者ヲ保護銭トスルノ趣意ニ出タルトキニ非サレハ眞ノ無能力ヲ成スモノニ非ス受刑者ノ無能力ト雖トモ亦猶ホ保護ノ性質ヲ有スルモノナリ何トナレハ其無能力ハ法律ニ於テ刑ノ執行ヲ確保スルカ為メ制定シタル所ノ財産管理権剥奪ノ自然ノ結果ナレハナリ然ルニ本條ノ禁制ハ之ヲ受クル者ヲ保護スルノ趣意ニ出テタルモノニアラサルヲ以テ無能力タラサルナリ
尚ホ第三債務者不注意ニテ其債権者ニ辨済シタルトキ差押手續ノ継續中債務者ヨリ其辨済シタル金額ヲ取戻スノ権利アル可キヤ否ヤヲ説明セン蓋シ第三債務者ハ不當ノ辨済ヲ為シタリト稱スル能ハサルカ故ニ其辨済ヲ取戻スノ権ナキヲ通則ト為ス然レトモ差押ニ應ス可キ金額ヲ供託スルニ於テハ之ニ取戻ノ権ヲ許與セサル可カラス加之未タ供託ヲ為ササルトキト雖モ之ニ對シ差押人ヨリ訴訟ヲ起シ更ラニ辨済ヲ請求シタルトキハ之ヲシテ債務者ニ擔保ノ請求ヲ為シ同人ノ判決ヲ以テ債務ニ賠償ノ言渡ヲ為ササル可カラス
第四百六十条及第四百六十一条
[参]此二條及ヒ次ノ六條ハ辨済ノ目的ニ関スルモノナリ即チ前ニ示シタル第三問タル如何ナル物ヲ辨済ス可キカノ点ヲ規定スルモノナリ
抑々義務ヲ約スルヤ概ネ当事者ハ負擔物ノ賣価ヲ観察スルノミニ非ス尚ホ各其便冝ヲ考ヘ一ハ負擔物ヲ得ルノ難易観察シ一ハ之ヲ用フルノ難易ヲ観察スルモノナルカ故ニ當事者ノ一方擅ニ負担物ヲ変換スルヲ得サルヤ當然ナリ其隨意ニ負擔物ヲ変換スルヲ得ルハ義務ノ選擇若クハ任意ナル時ニ限ル加之此場合ニ於テモ當事者ハ漫ニ選擇ヲ為スコト能ハス尚ホ合意ヲ以テ定メタル範囲ヲ守ラサル可カラス
是ヲ以テ債務ノ目的代替物ナルトキハ債務者ハ約束シタル性質、種類、品質及ヒ分量ヲ有スル物ヲ供與ス可シ然レトモ定量物ノ品質ヲ明瞭ニ定ムルハ甚タ難キカ故ニ冝ク其標準ヲ設クヘシ然レトモ當事者明瞭ニ目的物ノ品質ノ標準ヲ定メサルコトアルカ故ニ本條ニ於テハ債務者中庸ノ品質ヲ備フル物ヲ供與スルヲ以テ足レリトシ債権者ハ之ヲ受クルノ義務アルモノト為シタリ
之ヲ要スルニ本條ハ彼ノ合意ハ「善意ヲ以テ履行スヘシ」ト云ヘル一般ノ原則ノ適用ニ過キス
然レトモ當事者ノ一方ヨリ強テ他ノ一方ニ目的物ノ変換ヲ命スルコト能ハサルモ亦其協議ヲ以テ之ヲ変換スルコトヲ得其目的ヲ変換シテ之ヲ供與スルヲ稱シテ「代物辨済」ト云フ本法ハ此合意ノ自由ナル原則ヲ明言セスト雖モ敢テ此點ニ付キ疑議ノ生スルコト非サルヘキカ故ニ本法ハ唯此合意アリタルコトヲ仮定シ以テ其効力ヲ規定スルノミ(第四百六十一條)
法律ハ第一ニ當事者右ノ合意ヲ為ストキハ暗ニ其最初ノ義務ヲ更改シタルモノ詳カニ之ヲ言ヘハ債務者ハ直チニ新義務ヲ履行シタルカ故ニ債権者ノ承諾ヲ得テ新目的物ヲ附與スルノ義務ヲ負ヒタルモノト看做サルヘシト云ヘリ此ノ如ク此場合ニ於テ更改ノ行ハルルコトヲ明記スルハ決シテ無用ニ非サルナリ何トナレハ旧義務カ保證人ノ担保スル所タリシトキハ更改ノ為メ保證人其旧義務ヲ免カレ新義務ヲ負擔セサルヘク就中保證人ハ債権者カ第三者ノ回復訴権ノ為メ追奪ヲ受ケタル場合ニ於テ擔保ノ責ヲ免カルヘケレハナリ
又本條ハ代物辨済ヲ以テ黙示ノ更改アリト云フニ止マラス尚ホ新合意ノ性質ヲ実際ニ最モ多キ場合ニ就キ指定シタリ例ヘハ旧債務ノ目的金額ニシテ而シテ債務者動産若クハ不動産ノ所有権ヲ授與シ以テ其義務ヲ免カレタルトキハ債務者ハ動産若クハ不動産ヲ賣渡シ其代價トシテ前ニ負擔シタル金額ヲ受取リタリト看做サルルモノナリ又最初特定物若クハ定量物ヲ負擔シ而シテ更ラニ金額ヲ付與シテ其義務ヲ免カルルヲ得タルトキハ其最初ニ負擔シタリシ物ヲ買取リタルモノト看做サル可シ此二箇ノ賣買ノ場合タル追奪ノ事ニ関シ其間ニ著シキ差異ノ存スルモノアリ蓋シ当初金銭ヲ以テ債務ノ目的ト為シ更ラニ他ノ物ヲ與へ以テ辨済ヲ了リタル場合ニ於テハ債権者買主タルヲ以テ擔保ノ訴権ヲ有ス可ク又当初金銭外ノ物ヲ以テ債務ノ目的ト為シ更ラニ金銭ヲ與へテ辨済ヲ了リタル場合ニ於テハ債務者此訴権ヲ有セサル可シ何トナレハ其追奪ハ最初自己ニ属セサリシ物ヲ諾約シタルノ懈怠ニ起因スルモノナレハナリ
又旧債務モ新債務モ與ニ金銭ヲ以テ目的ト為サスシテ一物ニ代ヘテ他物ヲ與へ以テ辨済ヲ了リタルトキハ其行為ハ変換タルヘシ唯交換物ノ一ニ付キ追奪アリタルトキハ債権者ト債務者トノ間前項ニ於ケルト同一ノ區別ヲ為スヘシ
右ニ述ヘタル如ク法律ニ規定シタル代物辨済ノ場合ハ決シテ制限的ノモノニ非ス故ニ債務者其旧義務ニ於テ負擔シタリシ金銭ニ代ヘ収益権ヲ附與シ以テ代物辨済ヲ為スコトヲ得此場合ニ於テハ債務者ハ賃借人ト看做サル可シ然レトモ之ニ反シ物ノ収益権ヲ附與スルノ義務ニ代ヘ金銭ヲ供與シタルトキハ債務者賃借人ト看做サルコトナシ何トナレハ賃貸借ハ必ス有期ノモノナルカ故ニ若シ債務者ヲ賃借人ト看做ストキハ債務者ハ若干ノ時期ノ後其収益スル所ノ物ヲ返還ス可シト云フニ至ル可キモ債務者ハ却テ其物ノ完全ナル所有権ヲ有スルカ故ニ債務者之ヲ返還スルコトアラサルヤ明瞭ナレハナリ是ヲ以テ此場合ニ於テハ無名契約アルニ過キス(本編第三百三條ヲ参看スヘシ)又金銭ノ供與ニ換ヘ或ル作為ヲ成就シ以テ代物辨済ヲ為スコト有ル可シ此場合ニ於テハ雇傭契約アリト雖モ作為ニ代ヘ金銭ヲ供與シ又ハ或ル作為ニ代ヘタルトキハ亦無名契約アルニ過キス
第四百六十二條
本條ノ規定ハ特定物ノ債務者負擔物ニ加フ可キ注意及ヒ條件付ノ義務ノ場合ヲ除キ債権者ノ負擔タル意外ノ事若クハ不可抗力ノ危険ニ関シ第三百三十四條及ヒ第三百三十五條ニ定メタル原則ノ結果ニ外ナラス抑々特定物ノ債務者ハ之ヲ保存スルノ費用(必要ナル費用)ヲ支出セサル可カラサルニ因リ実際之ヲ支出シタルトキ又ハ相當ノ改良(有益ナル費用)ヲ加ヘタル時ハ事務管理ノ規則ニ従ヒ其償還ヲ受ク可キヤ至當ナリ然レトモ注意ヲ怠リ物ノ毀損ヲ来シ又ハ自己若クハ其擔當スル所ノ人ノ直接ノ行為ニ因リ物ヲ毀損シタルトキハ其賠償ヲ為ササル可カラス
前述ノ規定ハ明カニ債務ノ目的特定物タル場合ニ限リ適用スヘキモノト為シタリ蓋シ債務者注意ヲ為スノ責アリ又ハ其過失アリ若クハ改良ヲ施シ債権者損失ヲ被フルノ恐アルハ独リ此場合ニ限ルカ故ナリ債務者定量物ヲ負擔スルトキハ必要費若クハ有益費ヲ出シタルカ為メ又ハ過失若クハ懈怠ノ責ニ任スヘキカ為メニ其義務ノ變更スルコトナク又意外ノ毀損若クハ滅失ニ因リ其義務消滅スルコトナシ蓋シ「類ハ滅セス」トハ人ノ普知スル所ノ格言ナリ
第四百六十三条
本条以下ハ債務ノ目的金銭タル場合ヲ規定スルモノナリ
此事ニ付テハ左ノ二箇ノ問題ヲ決セサル可カラス
第一、如何ナル貨幣ニ用ヒ債務者弁済ヲ為ス可キカ又債権者之ヲ為サシムルヲ得ルカ
第二 此点ニ関シ当事者ハ豫メ如何ナル特別ノ合意ヲ為スコトヲ得ルカ
是レ第四百六十三条乃至第四百六十六条ノ主眼トスル所ニシテ以下順次之ヲ説明セン
現時ニ至リ紙幣ハ即時貨幣ニ兌換スルヲ得従テ銀貨ト同一ノ價格ヲ有スト雖モ亦将来偶々銀貨ト價格ヲ異ニスルコトナシトセス故ニ一切ノ変動ニ應スルカ為メ法律ハ其價格ノ異ナルコトアル場合ヲ豫想シ之カ規定ヲ為シタリ
蓋シ金銀貨ノ相場額ハ殆ント其命位價額ト同一ニ非サルカ故ニ債権者ハ相場額ノ最モ高キ貨幣ヲ以テ弁済ヲ受クルノ利益アルヤ明カナリ又債務者ハ價格ノ少ナキ貨幣ヲ以テ弁済スルノ利益アリ何トナレハ債務者之ヲ得ルニ一層容易ニシテ而シテ其義務ヲ免カルルノ効力同一ナレハナリ
是ヲ以テ当事者ノ何レニ貨幣ヲ選擇スルノ権利アルカノ問題発生ス欧州諸国ノ法律ハ此点ニ付キ民法ノ通則ニ従ヒ詳カニ之ヲ言ヘハ同一ノ地位ニ在ラハ債務者債権者ニ比シ一層保護ヲ受クヘシトノ原則ニ従ヒ債務者ニ選擇権ヲ与ヘタリ
此原則タル自体頗ル其当ヲ得タルモノニシテ本法モ亦之ト背馳セス故ニ債務者ハ百円ノ債務ヲ弁済スルニ当リ自己ノ選擇ニ従ヒ銀貨ヲ以テスルモ又紙幣ヲ以テスルモ百円ノ通貨ヲ付与スルヲ以テ其義務ヲ免カルルヲ得是レ本条第一項ノ規定スル所ナリ
第二項ノ規定ハ數多ノ外國法典ニ摸倣シタルモノナレトモ其適用ニ至テハ実際甚タ尠カルヘシ
其規定スル所ノ場合ハ第一貨幣ノ名位價額契約ノ日ト満期ノ日トニ於テ変動シ而シテ其純分ノ割合ニ変更ナキ場合ナリ例ヘハ壱円銀貨ヲ改鋳セスシテ立法者之ニ壱円十銭ノ通用額ヲ強令シ以テ名價十分一ヲ増加シタルトキノ如キ即チ是レナリ又其規定スル所ノ第二ノ場合ハ名位ヲ変セスシテ純分ノ割合ニ増減ヲ来シタル場合ナリ例ヘハ壱円銀貨ヲ改鋳シ其重量及ヒ名位ヲ変更セスシテ混淆物十分一ヲ加ヘタルカ如キ即チ是レナリ此種ノ変更タル官権ノ致ス所ニシテ縦令如何ニ非難スヘキコトアルモ其効力ハ尽ク之ヲ確守セサル可カラス故ニ本法ハ特別ノ合意ヲ以テ之ヲ矯正シ又ハ之ヲ規避スルコトヲ禁シタリ是レ論理ノ自カラ然ラシムル所ナリ故ニ債務者ハ法律上一ノ名價ニ従ヒ如何ナル貨幣タリトモ其約束シタル金員ヲ付与スルヲ以テ足レリトシ敢テ其ノ弁済ノ日ニ於テ有スル所ノ市場額ヲ附与スルニ及ハス
第三項ハ当事者豫メ合意ヲ以テ前記二箇ノ規定ニ反スルヲ得ルヤ否ヤノ点ヲ規定シ明カニ其然ルヲ得サル旨ヲ記載シタリ
抑々合意ハ自由ニ之ヲ為スヲ得ヘシト謂フト雖モ其公ケノ秩序ニ反ス可キモノハ之ヲ為スコトヲ得サルヤ前ニ規定シタル所ナリ(本編第三百二十八条ヲ参看スヘシ)而シテ貨幣ヲ規定シ之ニ強制通用ノ性質ヲ付スル所ノ法律ハ公ノ秩序ニ基ク所ノモノニシテ所謂公法ナルヤ明カナリ然ルニ当事者結約ヲ為スニ当リ債権者ハ強制通用ノ貨幣中或ル貨幣ヲ受取ルニ及ハスト約スルヲ得ルトキハ殆ント毎ネニ債権者ハ三箇ノ貨幣中一種若クハ二種ヲ取除ク可キコトヲ要約スルニ至ル可シ然ルトキハ此種ノ合意殆ント慣用ノ合意ト為リ立法者ノ経済上、財政上企圖シタル目的貫徹セス巧ミニ之ヲ避クルヲ得ルニ至ル可シ然レトモ立法者ノ目的タル其是非ハ暫ク措キ必ラスヤ之ヲ貫徹セシメサル可カラス
然レトモ債務者ヲシテ貨幣ヲ選擇セシメサルヲ目的トスル合意ハ其全部ヲ挙テ無効ナルモノニ非ス第四百六十五条第二項ヲ以テ之レニ公ノ秩序ト合意ノ自由及ヒ当事者ノ意思トヲ相調和セシムル所ノ効力ヲ付與シタリ
第四百六十四条
本条ハ前条ニ於ケルト異ナリ大ニ合意ヲ自由ニ定ムルコトヲ得セシムルモノナリ即チ本条ニ依レハ当事者当初ノ合意ヲ以テ又ハ満期若クハ弁済以前ノ合意ヲ以テ金銀貨ノ為替相場若クハ金銀貨ト紙幣トノ為替相場ヨリ生スル差異ヲ填補スルヲ得当事者ノ一方ノミ利益ノ全部ヲ占メ他ノ一方損失ノ全部ヲ負担スルヲ防キ当事者間ニ平等又ハ不平等ニ之ヲ配当シ其損害ヲ相殺スルコトヲ得
右ノ結果ヲ得ルニハ數多ノ方法アリト雖トモ本法ハ悉ク之ヲ考察シ其当否ヲ研究シ以テ其中計算ノ最モ簡易ナルモノヲ採用シタリ但当事者他ノ方法ヲ採リ相互ノ間ニ不平等ニ損益ノ配当ヲ為スコトヲ得ルト雖モ法律ニ於テハ最モ単簡ニシテ且最モ公平ナル方法ト認メタルモノヲ採用シタリ
法律ニ採用シタル方法ニ依レハ先ツ諸種ノ貨幣ノ平均價額ヲ算出シ而シテ債務者ハ其弁済スル所ノ貨幣ヲ選擇スルノ権利アルカ故ニ其貨幣ヲ以テ右平均價額ヲ拂フヘキモノトス
若シ夫レ金銀両貨幣ノミアル時ニ当リ債務者半ハ金貨ヲ以テシ半ハ銀貨ヲ以テ弁済スヘシト約スルハ公平ナル約束ヲ為スモノト謂フヲ得ヘクシテ債務者ハ金銀貨ノ為替相場ヨリ生スル利益ヲ壟断セス債権者独リ其損失ヲ被ムルコトナカルヘシ何トナレハ金貨ト銀貨トノ一孰レカ他ノ一ニ比シ價格ヲ減シタル所ハ他ノ一ノ増シタル所ヲ以テ填補スヘケレハナリ又國貨トシテ金銀貨ノ外紙幣アル場合ニ於テハ合意ヲ以テ債務者紙幣銀貨及ヒ金貨ヲ以テ債務ノ各三分一ツツヲ弁済ス可キコトヲ約スルモ亦決シテ不当ニアラサルヘシ
然レトモ右ノ合意タル公義ニ背馳セスト雖モ公ノ秩序ニ反スルモノト謂ハサル可カラス蓋シ当事者金銀貨及ヒ紙幣ノ強制通用ニ戻ルノ合意ヲ為スハ公ノ秩序ニ基ク法則ノ禁スル所ナレハナリ(上第四百六十三条第三項ヲ参看スヘシ)故ニ債務者ハ金銀貨幣中自己ノ適冝ニ任セ其一ヲ附与スルヲ以テ義務ヲ免カルルノ権利ヲ抛棄スルコトヲ得ス
然レトモ亦幸ニシテ公ノ秩序ト公義トニ反スルコトナク当事者ヲシテ自由ニ其意思ヲ貫徹スルヲ得セシムル所ノ方法アリ即チ法律上ノ貨幣ノ二種若クハ三種ヲ弁済ノ日及ヒ場所ノ相場ニ従ヒ債務者カ弁済ニ用ヒントスル一種ノ貨幣ニ兌換シ其全額ヲ二分シ若クハ三分シテ債務者其二分一若クハ三分一ヲ弁済スルトキハ則チ其平均價額ヲ弁済スルヲ得テ公義ニ適従スルコトヲ得且貨幣選擇ノ権利ヲ失ハスシテ公ノ秩序ニ従フコトヲ得
或ハ右ノ如ク自由ニ合意ヲ為スニ付キ更ラニ一ノ非難ヲ試ミテ言フ者アラン曰ク立法者法律ヲ以テ貨幣ノ價額ノ割合ヲ一定シタル以上ハ当事者漫リニ他ノ法律上ノ割合ヲ認ムルヲ得ス若シ然ルヲ得ルトセハ遂ニ合意ヲ以テ公ノ秩序ヲ紊乱スルニ至ル可シト
然レトモ右ノ非難ハ全ク相異ナル二箇ノ観念ヲ混淆シタルモノト謂ハサル可カラス抑々立法者貨幣ノ強制通用ヲ令スルヤ其権内ニ於テ其有益ナリト認メタル所ヲ命令シ其有害ナリト信シタル所ヲ禁止スルモノナリ換言スレハ債権者ニ債務者カ提供スル法律上ノ貨幣ヲ受取ルコトヲ命シ之ヲ拒絶スルコトヲ禁シ又貨幣ノ純分ノ割合ヲ変更セスシテ其名價ヲ変更シ又ハ其名價ヲ変更セスシテ其純分ノ割合ヲ変更シタルニ当リテハ一ニ其変更ニ服従ス可キコトヲ命令スルモノナリ是レ合意ヲ以テ変更スルコトヲ禁シタル二箇ノ法則ナリ例ヘハ貨幣ノ純分ノ割合ニ変更ヲ生シタル場合ニ於テ債務者変更貨幣ノ増價ヲ扣除シテ其貨幣ヲ与ヘ以テ義務ヲ免カルルノ権利ヲ抛棄スルコト能ハス
之ヲ要スルニ此事項ニ関シ合意ヲ以テ変更スルヲ禁シタルモノハ右二箇ノ法則ノミ
然ルニ両貨幣ノ價格ノ比較ヲ定ムル所ノ他ノ法則ニ至テハ立法者ノ無上権ニ出テタルモノニ非ス此法則ニ於テハ立法者規定ヲ設クルニ非スシテ宣言スルノミ若シ立法者此点ニ付テモ亦他ノ二箇ノ法則ニ於ケルカ如ク当事者ヲシテ必ス其命令ニ従ハシメント欲セハ遂ニ貴金銀ノ取引就中為替相場及ヒ両替ヲ禁止シ之ヲ懲罰セサル可カラス然ルニ何レノ國ニ於テモ立法者未タ嘗テ此等ノ取引ヲ禁シタルコトアラス實ニ此等ノ取引ハ却テ有益ナルノミナラス必要ニシテ須ク保護ヲ加フルヲ要スルモノナリ
第四百六十五条
本条ハ前条ニ規定シタル合意ト粗同一ナル目的ヲ有スル三種ノ合意ヲ併セテ規定スルモノナリ即チ其目的タル債務者諸種ノ貨幣中最モ價格ノ少ナキモノヲ弁済スルノ過当ナル権利ヲ矯正スルニ在リ而シテ本条ニ於テモ亦合意自由ノ原則ヲ維持シ併セテ債務者適冝ノ貨幣ヲ以テ弁済スルヲ得ヘシト為ス所ノ公ノ秩序ニ基キタル原則ヲ遵奉シタリ
第一種ノ合意、債権者金銀両貨ノ為替相場ノ変動ヨリ生スル危険ヲ分擔スル事ヲ承諾セス唯其一種ノ貨幣ニ付テノミ此危険ヲ被フランコトヲ欲シ成ル可ク自己ノ利益ヲ維持センコトヲ欲シ弁済ヲ受クルニ金貨又ハ銀貨ヲ以テス可キコトヲ約スルヲ為サス(是レ要約スルヲ得サル所ナリ)金貨又ハ銀貨若干円ノ價額例ヘハ金貨百円若クハ銀貨百円ノ換算價額ノ弁済ヲ受ク可キコトヲ約シタリ此合意ハ有効ニシテ債務者ハ銀貨百圓又ハ金貨百圓ヲ拂フ可キニ非ス又前条ニ規定シタル合意ニ於ケルカ如ク金銀貨ノ平均價格ヲ弁済スヘキニ非ス約束シタル貨幣百円ノ換算額ヲ弁済スヘク而シテ實際弁済ノ為メ附与スヘキ貨幣ヲ選擇スルノ権利ニ至テハ依然之ヲ保有スルヲ以テ其貨幣ニテ右ノ換價額ヲ支拂フ可シ
第二種ノ合意、債務者法律ニ禁止シタル要約(第四百六十一条第三項)即チ金銀貨ヲ以テ現實ノ弁済ヲ受ク可キノ要約ヲ為シタリ此場合ニ於テハ其要約ノ全部ヲ無効ト為スモ敢テ不当ニ非サル可キモ此ノ如ク法律ヲ觧釈スルハ債権者ニ對シ甚タ嚴ニ過クルモノナリ蓋シ債務者適冝ノ貨幣ヲ以テ弁済スルノ権利ヲ抛棄スルコト能ハス其抛棄ハ債務者ヲシテ約束ノ貨幣ヲ得ルニ大ナル損失ヲ被フラシメ且約束ノ貨幣ヲ求メスシテ止ムノ手段ナキカ故ニ其損失愈々重大ナル可キカ故ニ公ノ秩序ニ反スルモノナリ然レトモ債務者他ノ貨幣ヲ以テ為替相場ニ従ヒ約束シタル貨幣ニ相当スル價格ヲ附与シ以テ其義務ヲ免カルルトキハ合意ヲシテ相当ノ効力ヲ有セシムルモ決シテ不可ナキナリ加之本条第一項ニ認許シタル体裁ヲ設ケタルトキハ其合意有効ニシテ前項ニ述ヘタル如キ効力ヲ有スベキニ当事者ノ不注意ニテ他ノ体裁ヲ付シタルカ為メ其効力ナシトスルハ却テ穏当ナラスト謂ハサル可カラス
且本条ニ於テ右ノ合意ニ付スル所ノ觧釈ハ合意ノ觧釈ニ関シ裁判所ノ率由ス可キ二箇ノ通則ノ適用ニ外ナラス即チ合意ノ觧釈ヲ為スニ当リテハ第一先ツ当事者ノ共通ノ意思ヲ推尋スルヲ要スルコト第二合意ニ効力ヲ付セサル意義ヲ採ラスシテ之ヲ有効ナラシムル意義ヲ採ル可キコト是ナリ(本編第三百五十六条及ヒ第三百五十八条ヲ参看スヘシ)唯其効力合法ナルヲ要スト雖モ第一項ニ照シテ之ヲ観レハ前記ノ効力ハ不法ニ非サルヤ明カナリ
第三種ノ合意、債権者外國ノ貨幣ヲ以テ金額ヲ弁ス可キコトヲ要約シタリ此要約タル數多ノ邦國ニ於テ十分有効ナリト認メタリト雖トモ本法ニ於テハ其顰ニ倣ハス
蓋シ國貨タリトモ或ル種ノ貨幣ニ限リ必ス之ヲ以テ弁済ヲ為ス可キコトヲ約シ他ノ強制通用ノ貨幣ヲ用ヒサル可キコトヲ約スルスラ猶ホ之ヲ禁スルカ故ニ外國ノ貨幣ヲ以テ弁済ス可キノ要約ヲ許スコトアラハ全ク論理ニ背反スト謂ハサル可カラス且本邦ニ於テハ外國貨幣ノ過半ヲ得ルノ甚タ困難ナルコト頗ル多カル可ク遂ニ債務者ハ特ニ銀行ニ托シテ外國貨幣ヲ求メサルヲ得ス為メニ費用ノ増價ト時日ノ遷延ヲ来スニ至ル可シ是ヲ以テ本条ハ此合意ヲ許ササルモ亦之ニ相当ノ効力ヲ付シタリ即チ債務者ハ本邦強制通用ノ貨幣ヲ以テ内外ノ為替相場ニ従ヒ外國貨幣ノ換算額ヲ弁済ス可キモノトシタリ是レ前ニ説明シタル第一ノ場合ニ於ケルト同一ノ弁済法ナリ
本条ニ規定スル三種ノ合意ハ之ヲ前条ニ規定スル合意ニ比スルニ体裁ニ関シ特ニ注意ス可キ所ナリ蓋シ第四百六十三条ノ場合ニ於テハ貨幣ノ為替相場ヨリ生スル損益ヲ当事者間ニ分賦ス可キコトヲ盟約シタルモノナリ然ルニ本条ノ場合ニ於テハ債権者若クハ債務者ヲシテ損益ヲ受ケシムルノ約束稍ヤ明了ナラスト雖モ債権者ハ金銀貨若クハ外國貨幣ニテ若干ノ金額ヲ要約シタルヲ以テ為替相場ニ従ヒ其相当金額ヲ得ルノ権利ヲ有スルニ足レリトス蓋シ立法者自ラ当事者共通ノ意思ノ觧釈者ト為リタルモノニシテ立法者ハ債権者カ特定ノ金銭ヲ以テ現實ノ弁済ヲ受ケンコトヲ約シ(是レ其権内ニ在ラサルニモセヨ)又ハ弁済價額ヲ指定シタルトキハ特ニ諸種ノ貨幣變動ノ影響ヲ免カレ唯其一種ニ付テノミ危険ヲ負擔シ其為替相場ノ騰貴ノ利益ヲ得ンコトヲ欲シタルモノト推定シタリ是レ其当ヲ得タル所ナリ
且債権者若干円ノ金額ヲ要約スルニ当リ為替相場ノ變動最モ少ナカル可シト認メタル貨幣ニテ其金額ヲ指定スルハ甚タ正当ナル所ナリ例ヘハ有期ノ賣主其賣渡物金貨千円又銀貨ニ換算スレハ千二百円ノ價アリト評價スルノ権アルヤ明カニシテ賃貸借其他價格ノ交換ヲ為ス有償契約ニ於テハ総テ然リト為ス蓋シ金貨又ハ銀貨ニテ價額ヲ定メ現金ニテ換言スレハ支拂期限ヲ設ケスシテ是等ノ契約ヲ為ストキハ其契約有効ナルヤ弁ヲ竢タサル所ナリ有期ニテ右ノ契約ヲ為スモ亦債務者他ノ貨幣ヲ以テ相当額ヲ弁済スルヲ得ルノ利益アルモノナリ然ルニ若シ法律ニ於テ以上論明スル所ノ契約ヲ許ササルトキハ当事者有益ナル取引ヲ為サントスルモ現金ニ非サレハ之ヲ為スコト能ハス有期ニテ之ヲ為ストキハ為替相場ノ變動ノ為メ損失ヲ被フルノ恐アルカ為メ遂ニ數多ノ取引ヲ妨害スルニ至ルヘシ
第四百六十六条
以上ノ諸条ニ於テハ強制通用ノ貨幣ニ就キ金銀貨ノ事ヲ規定シタルノミ
銅貨及ヒ補助銀貨ニ至テハ強制通用ノ点ニ関シ二ヶノ特別ナル規定アリ第一、銅貨及ヒ補助銀貨ハ特別法ニ定メタル數額ニ限リ強制通用ノ力アルニ過キス第二、此制限ハ合意ヲ以テ之ヲ伸縮スルコトヲ得
是ヲ以テ第一特別ノ合意ナケレハ債権者ハ一円以下ノ金額ヲ銅貨ニテ受取ラサルヲ得サレトモ一円以上ノ銅貨ヲ受取ルニ及ハス第二、当事者ハ債権者カ一円以上ノ銅貨ヲ受取ル可ク又ハ一円以下ナリトモ之ヲ受取ラサル可キコトヲ約スルヲ得
補助銀貨ニ至テモ亦同一ノ特例アリ唯其銅貨ト異ナル所ハ拾円迄強制通用ノ力アルコト是ナリ
右二箇ノ特例ヲ設ケタルノ理由ハ至テ観易キモノナリ左ニ之ヲ説明セン
銅貨ノ強制通用ニ制限ヲ加ヘタルハ二箇ノ理由ニ基クモノナリ
第一、銅貨ハ其名價ニ比スレハ實價少ナク貮銭壹銭、五厘、壹厘等ノ銅貨中包含スル所ノ金属ハ其名價ニ比スレハ市價大ニ劣ルモノナリ抑々此ノ如ク實價ニ超過スル名價ヲ銅貨ニ付スル所以ハ銅貨ノ量目ヲシテ重キニ過キサラシムルカ為メナリ故ニ債権者ハ多額ノ銅貨ヲ受取ルニ及ハサルヤ明カナリ然ラスンハ為替相場ノ為メニ大ナル損失ヲ被フル可シ
第二、銅貨ハ右ニ述フルカ如キ實價ノ少ナキノミナラス量目重クシテ容積亦大ナルカ故ニ之ヲ以テ巨額ノ弁済ヲ為ストキハ債権者ヲシテ頗ル迷惑セシムルニ至ル可シ
右二箇ノ理由中第一ハ補助銀貨ニモ亦適用ス可キモノニシテ唯補助銀貨ハ銅貨ニ比シ一時ニ支拂ノ用ニ供スルヲ得ヘキ數額少シク多キノミ蓋シ補助銀貨ハ其重量ト價格トノ比例通常銀貨ニ於ケルト異ナラス五拾銭銀貨ノ重量ハ壹円銀貨ノ貮分一貮拾銭銀貨ハ其五分一拾銭銀貨ハ其十分一五銭銀貨ハ其二十分一ニ過キスト雖モ其純分ノ割合ハ壹円銀貨ト同一ニ非ス混淆物十分ノ二アリテ純分ハ十分ノ八ニ過キス夫レ此ノ如ク補助銀貨ノ名價ハ其実價ト全ク同一ナラサルカ故ニ債権者ハ十円以上ノ金額ヲ補助銀貨ニテ受取ルニ及ハサルモノトス
然リ而シテ当事者銅貨ニ付キ壹円又ハ銀貨ニ付キ拾円ノ制限ヲ超過シ又ハ之ヲ短縮スルヲ得ルノ理由ハ全ク公益ノ之ニ反セサルカ故ナリ蓋シ法律ニ此制限ヲ設ケタル目的ハ單ニ債権者ノ利益便冝ヲ保護スルニ在ルニ外ナラサルヲ以テ債権者債務者ト恊議ノ上此事ニ付キ適冝ノ約束ヲ為スヲ得ルヤ当然ナリ然レトモ債権者ハ右制限ノ數額以下ヲ受取ルヘキコトヲ要約シ又ハ其以上ヲ受取ル可キコトヲ諾約スルヲ得ルト雖トモ債務者之ニ右數額若クハ以上ノ金額ヲ必ス銅貨又ハ銀貨ニテ拂フ可キコトヲ要約スルコトヲ得ス若シ此ノ如キ要約ハ債務者ヲシテ他ノ貨幣ヲ選擇スルノ権ヲ失ハシムルモノニシテ現ニ法律ノ禁止スル所ナリ
第四百六十七条
本条ノ趣旨ハ金銭ノ貸借ニハ特別ナル規則アリテ貸借契約ノ部ニ之ヲ規定スルコトヲ示スニ在リ今其特別規則ノ重ナルモノニシテ以上ノ法則ハ例外タルモノヲ略示セン其理由ハ以上述ヘ来リタル所ニ就テ見レハ容易ニ會得スルコトヲ得ヘシ
前ニ第二百九十九条ノ説明中貸借契約ハ要物契約詳カニ之ヲ言ヘハ承諾ノ外貸借物ノ引渡ヲ以テ其成立ニ必要トスル所ノ合意ナルコトヲ述ヘタリ蓋シ其引渡ハ返還義務ノ主タル原因ニシテ併セテ其区域タルモノナリ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ債務者ハ其受取タルカ故ニ返還ノ義務アルモノニシテ其受取リタル所ノモノノ外返還ノ義務ナキモノナリ唯其義務ノ区域少シク擴張スルコトアルモ是レ僅カニ約束ノ利息ヲ付スル場合ニ在リテ加之數多ノ法律ニ於テハ尚ホ利息要約ノ自由ニ制限ヲ加ヘタリ本邦現行法ノ如キ亦然リ是ヲ以テ銀貨千円ヲ貸与ヘタル債権者ハ金貨千円若クハ為替相場ニ従ヒ其換算額ノ返還ヲ受ク可キノ要約ヲ為スコト能ハサルヤ明カナリ蓋シ此ノ如キハ其實貸借金額ニ超過セル數額ヲ約スルニ外ナラス
或ハ右ノ法則ヲ遵奉セシムルニ十分ナル擔保アラスト言フ者アラン何トナレハ借主ハ必ス多少貸主ノ擅横ニ屈従セサルヲ得サルカ故ニ銀貨千円ヲ受取リタルニ過キサルトキト雖モ猶ホ債権者ノ欲望ニ従ヒ金貨千円ヲ拂フ可キノ要約證ヲ作ルコト屢々之レ有ル可ケレハナリ然リト雖モ此弊害タル決シテ此場合ニ限リ存スルモノニ非ス総テ貸借ニ於テハ債務者七百円若クハ八百円ヲ受取ルニ止マルトキト雖モ猶ホ一年ノ後千円若クハ千円以上ノ金額ヲ弁済ス可キノ約ヲ為シ債権者制規ノ利息ニ超過スル利益ヲ得ルノ憂アリ抑々此ノ如キ奸計ハ何レノ國ニ於ケルモ亦何レノ時ニ在ルモ行ハレ易ク且不幸ニモ屢々行ハルルモノニシテ債権者ノ自白アルニ非レハ到底之ニ制裁ヲ附スルコト能ハス債務者之ヲ攻撃シテ好結果ヲ得ルハ甚タ稀ナル可シ
是レ金銭ノ貸借ト金銭ノ諾約ニ係ル其他ノ契約トノ間ニ存スル主要ナル差異ナリ
右ノ外第四百六十三条乃至第四百六十六条ノ規定ハ他ノ契約ニ於ケルカ如ク金銭ノ貸借ニ適用スヘキモノナルヤ敢テ言ヲ俟タス就中債務者貨幣ヲ選ムノ自由、当事者間ニ為替相場ノ損益ヲ平均相場ノ弁済ニ因リ分配スルノ権能及ヒ銅貨并ニ補助銀貨行使ノ制限ニ至テハ使用貸借ニモ亦等シク適用ス可キモノナリ
第四百六十八条
本条ハ弁済ノ事ニ関シ前ニ述ヘタル問題中最後ノ二問題ヲ併セテ断定スルモノナリ即チ弁済ハ何レノ場處ニ於テシ又何人ノ費用ヲ以テ為ス可キカノ問題是レナリ
弁済ノ場所ハ当事者ノ利害ニ影響ヲ及ホスコト屢々之レ有リ蓋シ債権者ノ住所ニ於テ弁済ヲ為ストキハ債権者ハ何レノ處ニモ行クニ及ハス又運送ノ費用若クハ危険ヲ負擔スルニ及ハス又債務者ノ住所ニ於テ弁済ヲ為ス可キトキハ債務者同一ノ利益ヲ有ス且ツ債務者ハ弁済ノ場所ニ付キ尚ホ他ノ利害ヲ異ニスル所アリ蓋シ債務者負担物ヲ有セサルトキハ之ヲ求メサル可カラス然ルニ之ヲ得ルノ場所ニ従ヒ其市價ニ大ナル差異アルコト屢々之レ有リ
是ヲ以テ当事者往々特ニ弁済ノ場處ヲ定ムルコトアリ然レトモ其合意ノ有効ナルコト弁ヲ待タサルカ故ニ本条ハ敢テ此事ヲ記載セス唯此点ニ付キ合意アラサル場合ヲ規定シタリ
当事者弁済ノ場處ニ関シ何等ノ合意ヲモ為ササリシトキハ本条ニ定メタル如ク債務者ノ住所ヲ以テ弁済ノ場所ト定ム可キヤ明カナリ唯此点ニ付キ須ク注意ス可キモノナリ即チ合意ノ雙務ナルトキハ各当事者別々ニ其住所ニ於テ弁済ヲ為スノ利益ヲ有ス可キコト是レナリ(本編第三百六十条第二項ヲ参看スヘシ)然レトモ債務者他ノ場所ニ於テ履行ニ着手シタルトキハ法律ノ利益ヲ抛棄シタルモノト看做シ其場所ニ於テ履行ヲ終了セサル可カラス又合意ヲ以テ履行ノ場所ヲ定メタルトキ債権者ノ請求ニ因リ又ハ其請求ナキモ其故障ナクシテ任意ニ其場所ヲ変シタル場合ニ於テモ亦然リトナス
本条ハ合意ナキトキ弁済ハ債務者ノ住處ニ於テ為ス可シトノ規則ニ二箇ノ例外則ヲ設ケタリ即チ一ハ或ル契約ニ関スルモノニシテ特別ノ理由就中当事者ノ意思ノ觧釈ニ因リ法律上弁済ノ場處ヲ指示スルコトアリ其契約ノ主タルモノヲ挙クレハ賣買、會社、使用貸借及ヒ寄托ト為ス又一ノ例外ハ已ニ説明シタルコトアル所ノモノニシテ特定物ノ引渡ニ関スルモノナリ故ニ本条ハ單ニ第三百三十三条ヲ引用スルニ止メタリ
又本条ハ一層注意ノ周到ナランコトヲ期シ当事者中其住所ニ於テ弁済ノ行ハル可キ者住所ヲ移轉シタル場合ヲ規定シタリ蓋シ其移轉ハ概ネ對手ノ豫見セサリシ所ナルヘキヲ以テ之ニ其害ヲ及ホス可カラス是ヲ以テ對手ハ右移轉ノ為メ被フリタル費用増加ノ賠償ヲ請求スルノ権アリ而シテ金銭ノ送達ニ関スルトキハ其費用中ニ為替費用ヲ包含ス可シ蓋シ為替費用タル貨幣現金ノ送達費ニ代ルモノニシテ第四百六十四条及ヒ第四百六十五条ニ規定シタル合意ノ場合ニ於テハ特ニ当事者ノ利害ニ影響ヲ及ホスモノナリ
右ノ規定ハ合意ナク債務者ノ住處ニ於テ弁済ヲ為スヘキトキト合意ヲ以テ弁済ノ為メ当事者一方ノ住處ヲ定メタルトキトヲ問ハス等シク適用セラル可ク又第三者ノ住所ニ於テ弁済ヲ為ス可キ場合ニモ同シク適用ス可キモノナリ
但住所ノ移轉ハ「詐欺ナク」即チ悪意ニ出テスシテ行ハレタルコトヲ要ス故ニ当事者ノ一方對手ニ害ヲ及ホスカ為メ轉住シタルトキハ對手ハ前住處ニ於テ弁済ヲ為シ又ハ之ヲ受クルノ権利ヲ有ス可シ
本条末項ハ此他ノ弁済費用ニ関スル規定ヲ掲クルモノニシテ之ヲ債務者ノ負擔トセリ何トナレハ此費用ハ債権者ノ為メニ要スルモノニ非ラスシテ債務者ノ為メニ必要ニシテ主タル債務ノ従タルモノト謂フ可ケレハナリ今弁済費用ノ一二ヲ例示センニ受取證書ノ印紙及ヒ公證人ノ費用ノ如キ即チ是ナリ
金銭ノ債務ニ付テハ時トシテハ銀行ニ於テ之レヲ弁済スルコトアリ而シテ銀行ハ些少ノ手數料ヲ受クルモノナリ此手數料ハ即チ債務者ノ負擔タルモノトス兎ニ角多少重量又ハ容積アル動産、日用品若クハ商品ニ係ルトキハ第三百三十三条ニ記載シタルカ如ク必ス債務者ノ負擔タル可キ引渡ノ費用ヲ要ス
第四百六十九条
本条ハ満期ノ点ニ付キ更ニ債務者ニ一ノ保護ヲ加ヘ満期ノ日休日ニ当タルトキハ債務者一日ノ餘裕ヲ得ルモノトセリ
第二款 辨済ノ充當
第四百七十條
本條ハ何レノ場合ニ於テ辨済ノ充當行ハル可キカヲ明定スルモノナリ
辨済ノ充當ハ或ハ債務者之ヲ為シ或ハ債権者之ヲ為シ或ハ法律之ヲ為ス
本條ニ於テハ辨済ノ充當ノ行ハルルハ債務者同一ノ債権者ニ対シテ一様ノ性質アル數箇ノ債務即チ同一ノ目的ヲ有スル數箇ノ債務ヲ負担シ而シテ總債務ヲ全消スル能ハサル支拂ヲ辨済名義ニテ為シタル場合ニ在ル旨ヲ明記シタリ蓋シ此場合ニ於テハ何レノ債務消滅シタルカヲ定ムルコト緊要ナリ何トナレハ債務ノ目的一様ナルモ債務者ノ之カ為メニ受クル所ノ負担ハ多少軽重アル可ケレハナリ例ヘハ債務ノ一ハ利息ヲ生スルモ一ハ利息ヲ生セス又ハ一ハ抵當ヲ以テ担保トスルモ一ハ無担保ナルコトアル可ク或ハ一ハ過怠約款又ハ解除若クハ失権ノ制裁アルモ一ハ通常ノ訴追権アルノ外他ニ制裁ナキコトアル可シ
總債務ノ目的辨済物ノ性質ト同一ナルヲ要スルノ條件ニ至テハ敢テ細密ニ論明スルヲ要セサルモノナリ蓋シ債務者日用品若クハ商品ヲ負担シ更ニ金銭ヲ負担スル場合ニ於テ金銭ヲ辨済シタルトハ其辨済ヲ日用品ノ債務ニ充當ス可カラス又日用品ノ辨済ヲ為シタルトキ金銭ノ債務ニ充當ヲ為ス可カラサルヤ明カナリ加之実際辨済充當ノ問題起ルハ金銭ノ債務數多アル場合ノミニ在リト謂フヘシ其他ノ代替物ノ債務ニ至テハ其性質同一ニシテ且辨済物ト符合スルカ為メ何レノ債務ニ辨済物ヲ充当ス可キカヲ判定スル能ハサルコト極メテ稀レナリ
是ヲ以テ債務者何レノ債務ヲモ消滅スルヲ得ヘキ金銭若クハ有價物ヲ辨済シタルトキハ法律上之ヲシテ辨済ノ時其充当ヲ為シ債権者ニ受取證書中其旨ヲ記入ス可キコトヲ請求スルヲ得セシム若シ債権者債務者ノ充当ヲ拒絶シ而シテ債務者其主張ヲ枉ケサルトキハ債務者ハ辨済ヲ為サスシテ訴追ヲ待ツカ又ハ後ニ規定スル所ノ提供及ヒ供託ヲ為シ更ニ充當ヲ為ス可キナリ
充當ノ権利ハ債権者ヲ後ニシ先ツ債務者ニ属ス可キヤ当然ナリ是レ法律カ一般ニ債務者ニ加フル所ノ保護ノ適用ナリ
然レトモ其充当ノ権利ハ無制限ニ非スシテ法律上之ニ三箇ノ制限ヲ加ヘタリ
第一、債務ノ一箇有期ニシテ其期限債権者ノ為メニ設ケタルモノナルトキハ債務者ハ其充当ニ依リテ約束ノ時日前ニ期限ヲ満了セシムルコト能ハス之ニ反シ債務者ノ為メ期限ヲ設ケタルトキハ充当ニ依リ期限ノ利益ヲ抛棄スルコトヲ得
第二、債務ノ一箇若クハ數箇利息ヲ生スルカ又ハ債権者ノ為メニ費用ヲ生ス可キトキハ債務者ハ先ツ費用ニ充当ヲ為シ次テ利息ニ充当ヲ為シ尚ホ剰餘アルトキノミ適冝其債務ノ一ニ之ヲ充当スルヲ得ルノミ蓋シ費用及ヒ利息ハ更ニ利息ヲ生スルコトナク偶々之ヲ生スルモ特別ノ條件アルニ非サレハ然ルコトナキカ故ニ未タ之ヲ辨済セスシテ元本ヲ減ス可カラス(本編第三百九十四條ヲ参看スヘシ)
唯債務者未タ満期ニ至ラサル債務ノ利息ヲ負擔シ且他ニ無利息ノ債務若クハ利息辨済済ノ債務ヲ負担スルニ当リ辨済ヲ為シテ之ヲ其負担セル利息ニ充当セス無利息ノ債務若クハ利息済ノ債務ニ充当セント欲スル場合ニ於テハ其主張ノ当否少シク疑議ヲ容ルヘキカ如シ然レトモ其主張ハ本條ニ認許スル所ノモノニ非ス蓋シ本條ハ元本ニ先タチ費用及ヒ利息ニ充当ヲ為スコトヲ許ササレハナリ
第三、債務者一箇若クハ數箇ノ負債ニ付キ全然充當ヲ為スヲ得ルモ別々數箇ノ債務ニ充当ヲ為シ其一分ツツノ充当ヲ為スコト能ハス是レ既ニ第四百三十九條ニ禁止シタル所ナリ是ヲ以テ債務者貮千円ノ債務ト千円ノ債務トヲ併セテ負擔スルニ當リ千円ノ辨済ヲ為ストキハ之ヲ二箇ノ債務ニ分割シテ充当スルコト能ハス必ス千円ノ債務ニ充当シテ全ク之ヲ消滅セシメサル可カラス又貮千円、千貮百円及ヒ九百円ノ三箇ノ負債ヲ有スルニ当リ千円ヲ辨済スルトキハ第一九百円ノ債務ニ充当ヲ為ササル可カラス而シテ剰餘ノ百円ハ他ノ債務中自己ノ適冝ニ任セ其ノ一ニ充當ス可キモ債権者ハ剰餘ノ百円ヲ受取ルコト拒絶スルノ権アリ
其レ然リ而シテ債務者ノ權利ニ属セサル充当ニテモ債務者之ヲ承諾スルトキハ合意上ノ充當ト為リ以上ノ制限ヲ適用スルニ及ハス
然レトモ債務者ノ充當権ハ債務ノ原因又ハ其日附若クハ満期ノ前後ニヨリ變更スルモノニ非ス
尚ホ此ニ論究ヲ要スル一点アリ本條第一項ノ法文ニ依ルニ債務者ハ辨済ヲ為ス時又ハ遲クモ受取證ヲ請求シ之ヲ領受スル時ニ當リ充當ヲ為スコトヲ要スルモノトス是レ充當ハ辨済ノ義務消滅力ヲ確定スルノ自然ノ結果ナリ是ヲ以テ債務者此時ニ在テ充當ヲ為ササルトキハ次條ニ記スルカ如ク充当ヲ為スノ権利債権者ニ移轉スヘシ而シテ債権者モ亦充當ヲ為ササルトキハ法律之ヲ為スモノトス今此ニ論定ス可キハ債権者若クハ法律ノ充当ヲ為シタル後当事者恊議ヲ以テ既往ノ充当ヲ變更シ更ニ合意上ノ充当ヲ為スヲ得ヘキヤ否ヤノ点ナリ又債務者初メ充当ヲ為シタルトキ当事者恊議ヲ以テ之ヲ変更セントスルトキニ当リテモ亦同一ノ問題発生スルコトアリ
皮相視スレハ積極説ヲ採ル可キヤ疑ナキカ如シ何トナレハ充当ハ公ノ秩序ニ利害ノ関係アラサレハナリ然レトモ右ノ合意タル毫モ第三者最初ノ充当ヲ維持スルノ利益ナキトキニ非サレハ之ヲ認ム可カラス若シ第三者ノ利害ニ関係ヲ及ホストキハ右ノ合意ニ依リ既得権ヲ害スルコト能ハス例ヘハ保證人ノ擔保セル債務ニ最初ノ充当ヲ為シ保證人自カラ之ヲ知ラサルニ拘ハラス義務ヲ免カレタルトキハ当事者ノ恊議ニ依リ更ニ保證人ヲシテ其義務ヲ負擔セシムルコト能ハス又充当ニ因リ消滅シタル債務ニ抵当ヲ附シタルトキハ其抵当タル充当ト共ニ消滅スルヲ以テ次位ノ抵当付債権者加之無特権債権者モ之カ為メ利益ヲ得ルカ故ニ当事者前ノ抵当付債務ヲ再生セシメ縦令他ノ債権者其消滅ヲ知ラサルトキト雖モ猶ホ之ヲ再生セシメテ他ノ債権者ニ損害ヲ及ホスコト能ハス
第四百七十一条
本条ニ於テハ債務者充当ヲ為サス又ハ無効ナル充当ヲ為シタルコトヲ假定スルモノナリ此場合ニ於テハ債権者随意ニ充当ヲ為スノ権利ヲ行フコトヲ得且其権利ノ範囲ハ債務者ノ充当権ニ比スレハ一層廣大ナリ何トナレハ法律ハ債権者「自由ニ」之ヲ為スコトヲ得ル旨ヲ明言スレハナリ唯其充当権ニ附スルニ一ノ条件ヲ以テシタリ即チ債務者ノ充当ヲ為ストキト同シク債権者充当ヲ為ストキト雖モ亦必ス其受取證書ニ之ヲ記載スルコトヲ要ス此他債権者ノ充当権ニ加ヘタル制限ハ僅カニ一個アルノミニシテ會社契約ノ塲合ニ於テ存スルノミ
抑々法律ハ概ネ債務者ヲ保護スルコト債権者ニ比シ一層厚キニ拘ハラス債権者ニ充当ノ自由ヲ認許スルハ二個ノ理由ニ基クモノナリ第一債務者自ラ充当ヲ為スヲ得ルニ拘ハラス之ヲ為ササレハ其権利ヲ債権者ニ放任シタリト推定ス可ク第二債務者ハ自己ノ権利ニ損害多キ充当ヲ受取證書ニ記載セルトキハ之ヲ拒絶スルコトヲ得例ヘハ債務者ノ為メ期限ヲ設ケタル場合ニ於テ債権者期限ノ到来セサル債務ニ充当ヲ為シ又ハ債務者ノ争論ヲ容レタル債務又ハ其争論ヲ容ル可キ債務ニ充当ヲ為シタルトキノ如キハ債務者其充当ヲ拒絶スルコトヲ得ルカ故ニ先ツ債権者ヲシテ充当ヲ為サシムルモ毫モ不可ナルコトナシ然ルニ債務者債権者ノ充当ヲ記載セル受取證書ヲ接受シテ「異議ナク又ハ異議ヲ止メサルトキハ」其充当ハ債権者ノ意思ノミニ因ルニ非ス其實却テ債務者ノ承諾ニ因リ効力ヲ有スルモノナリ
本条末段ニ債務者ニ一ノ保護ヲ加ヘタリ即チ債務者ハ異議ナク受取證書ヲ接受シタルトキト雖モ猶ホ自己ノ錯誤又ハ債権者ノ欺瞞ノ二原因アルトキハ其充当ヲ取消スコトヲ得
但債権者ノ欺瞞ノ場合ニ至テハ裁判所之ヲ軽忽ニ認許ス可カラスト雖モ亦或ハ債権者ニ於テ債務者カ其債務ノ一ニ付キ異議ヲ容ル可キコトヲ知ラサルヲ奇貨トシ故ラニ此債務ニ充当ヲ為シ以テ充当ニ因リ之ヲ認諾シタルモノト見做サシメンコトヲ策ルコトナシトセス蓋シ債務者ノ錯誤ハ其原債務者ノ相續人タルトキハ往々之レ無シトセス
然リ而シテ債務者充当ヲ為シ債務者明示又ハ黙示ニテ之ヲ受諾シタル場合ニ於テ之ヲ維持スルノ利益アル第三者アルトキハ当事者ノ恊議ヲ以テ之ヲ変更スルコトヲ得ス
第四百七十二条
本条ハ当事者充当ヲ為サス又ハ有効ニ之レヲ為ササルトキ法律上当然行ハルル所ノ充当ヲ規定スルモノナリ第一此点ニ付キ須ク注意スヘキハ一旦無効タル充当ハ最初有効ニ之ヲ為スヲ得タリシ当事者更ニ之ヲ為シ以テ其効力ヲ復セシムル能ハサルコト是レナリ然リ而シテ裁判所ニ於テ充当ヲ無効トスルモ弁済ハ依然其効力ヲ有スヘク且之ヲ為シタル日ニ於テ直ニ義務消滅ノ効力ヲ生スヘキモ其効力タル当事者之ヲ規定セス又更ラニ之ヲ規定スル能ハサルヲ以テ法律ニ之ヲ規定ス
法律上充当ヲ為スハ当事者ノ意思ヲ推尋シ之ヲ補充スルニアラスシテ各当事者ノ正当ノ利益ヲ保護スルノ趣意ニ出テタルモノナリ是レ本条五個ノ項目ヲ考究スルトキハ自ラ明カナリ以下之ヲ説明セン
第一、期限ノ到来シタル債務ト期限ノ到来セサル債務トノ二者存スルトキハ現ニ期限ノ到来シタル債務ニ付キ法律上ノ充当ヲ為ス可キモノトス而シテ此場合ニ於テハ何レノ当事者ノ為メ期限ヲ設ケタルカヲ区別スルニ及ハス何トナレハ法律ハ其当事者ノ意思ヲ補ヒ期限ヲ抛棄シタリト推定スルノ力ナキモノナレハナリ
第二、何レノ債務モ元本及ヒ利息ニ付キ要求期限ニ至リタルトキハ元本ニ先チ費用及ヒ利息ヲ消滅スヘキノ規則ニ従フ可キモノトス蓋シ此充当タル法律上既ニ債務者ニ命シタルモノナルヲ以テ自ラ充当ヲ為スニ当リ此方法ニ従ハサルヲ従ス此点ニ付キ須ク注意ス可キモノアリ即チ遲延利息ト填補利息トハ毫モ之ヲ区別スルニ及ハスト雖モ損害賠償ノ債務ハ既ニ清算ヲ経タルトキト雖モ猶ホ費用ノ債務ト看做ス可カラス又利息ノ債務ト看做ス可カラス通常ノ債務タルノミ
第三、總債務皆ナ期限ニ至リ又ハ何レモ期限ニ至ラスシテ而シテ費用及ヒ利息ノ弁済アリタルトキハ債務者償却ニ付キ最モ利益アルモノ換言スレハ之レカ為メ最モ負擔ノ重キモノヲ消滅ス可シ
蓋シ債務者一ノ債務ヲ弁済スルニ比スレハ他ノ債務ヲ弁済スルノ利益多キコト顕然タル塲合アリ又何レノ債務ヲ弁済スルヲ以テ其利益ヲ多シトスルヲ査定スルコト困難ニシテ事情ヲ斟酌ス可キ塲合アリ此塲合ニ於テハ冝シク裁判所ヲシテ之カ査定ノ任ニ当ラシム可シ
例ヘハ利息ヲ生スル債務ハ之ヲ生セサル債務ニ比スレハ債務者ノ負擔一層重キヤ明カナリ又不履行ニ因リ重大ナル過怠約款、失権若クハ解除ヲ来ス可キ債務ヲ以テ通常ノ民事上ノ制裁ヲ有スルモノニ比スレハ其債務者ノ負擔一層重ク又抵当ヲ以テ担保シタル債務ハ單ニ無擔保ナル債務ニ比スレハ其負擔一層重シ又債務者自己ノ名ヲ以テ負擔スル債務ハ保證人トシテ負擔スル債務ヨリ重ク單獨ニテ負擔スル債務ハ他人ト連帯シテ負擔スル債務ヨリ重ク執行力ヲ有スル證書アルカ又ハ訴追ノ已ニ起リタルトキハ單ニ督促アルトキヨリ債務者ノ負擔一層重シトス
然レトモ利息ヲ生スル無擔保ノ債務ト利息ヲ生セサル抵当付ノ債務トヲ比較シ又債務者カ保證人トシテ負擔シ且抵当ヲ供シタル債務ト抵当ヲ供セス自己ノ名ヲ以テ負擔シタル債務トヲ比較スルトキハ其軽重容易ニ判定シ難キ所アリ蓋シ此ノ如ク債務ノ負擔、性質ヲ異ニスルトキハ其軽重ヲ比較シ法律上ノ充当ヲ為スノ任ヲ裁判所ニ委ネサル可カラス然レトモ此場合ニ於テモ敢テ裁判上ノ充当アルニ非ス亦法律上ノ充当アリト謂ハサル可カラス何トナレハ裁判所ハ其威力ニ因リ充当ヲ為スニ非スシテ法律ヲ觧釈シ之ヲ適用シ以テ充当ヲ為スモノナレハナリ
第四、何レノ債務モ債務者ノ負擔ヲ同ウスルトキハ要求期限ノ前後ニ従ヒ充当ヲ為ス可キモノトス而シテ此場合ニ於テハ要求期限ニ至リタル債務ト要求期限ニ至ラサル債務トノ間ニ法律上大ナル差異ヲ設ケタリ即チ總債務要求期限ニ至リタルトキハ期限ノ最モ先ニ至リタルモノニ充当ヲ為シ又何レノ債務モ未タ要求期限ニ至ラサルトキハ最先ニ到来スヘキ債務ニ充当ヲ為ス可キモノトス此差異ヲ設クルノ理由ハ簡単ナルモノナリ蓋シ期限ノ最先ニ到来シタル債務ニ付テハ債務者履行ヲ遲延シタルノ過失最モ重シトス且債権者時効ノ為メ其権利ヲ失フノ危険ヲ被フルコト最モ切迫セルモノナリ故ニ債務者ハ先ツ此債務ヲ消滅スルノ意思アリト推定セラル可ク又債務者此意思ナキモ法律ヲ以テ其意思ヲ補充ス可キヤ當然ナリ之ニ反シ何レノ債務モ未タ期限ニ至ラサルトキハ債務者毫モ過失アラス未タ毫モ辨済ノ義務アラスト雖モ期限前ニ辨済ヲ為ストキハ期限ノ最モ短キモノ即チ最モ先ニ満了ス可キ期限ヲ抛棄シタリト看做サル可シ又債権者ノ為メ期限ヲ設ケタル場合ニ於テモ期限前其辨済ヲ受取リタルトキハ之ヲシテ期限ノ一ヲ失ハシム可ク而シテ其失フ所ノ期限ハ最モ短キモノ即チ最モ先ニ満了ス可キモノタルヲ當然トス
第五、本條末項ニ於テハ總債務カ何レノ点ニ付テモ相同シキコトヲ假定シタリ此場合ニ於テハ充當ヲ為スニ付キ債務ノ先後ヲ分ツ可キ理由ナキカ故ニ法律上同時ニ總債務ニ充当ヲ為シタリ唯平等ノ部分ニ充当セスシテ各債務ノ額ニ應シテ充當ヲ為シタリ此場合ニ於テハ遂ニ一分ツツノ辨済行ハルルニ至ルト雖モ是レ債権者自ラ特別ノ充當ヲ為ササルノ致ス所ニシテ自ラ招キタル結果タルノミ
第四百七十三條
交互計算ハ民事ニ於ケルヨリ商事ニ於テ多ク行ハルルモノナリト雖モ亦非商人間非商事ニ付キ之ヲ為スコト稀ナリトセス
交互計算ハ特別ノ契約ニ非ス已ニ取結ヒタル相互ノ契約及ヒ其他将来ノ契約ニ適用ス可キ特別ノ計算法ヲ設定シタル従タル合意ニシテ此合意ヲ為ストキハ既往及ヒ将来ノ契約其固有ノ性質、格別ノ原因、獨立ノ効力ヲ保有セスシテ相共ニ混淆相殺シ遂ニ當事者ノ一方ヨリ他ノ一方ニ差異ヲ拂ヒ以テ辨済ヲ終リ又ハ全ク相殺シ當事者均シク義務ヲ免カルルモノナリ
交互計算ハ同様ナル物就中金銭若クハ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ物ヲ相互ニ給付スル人ノ間ニ於テ特ニ行ハルルモノニシテ各當事者取引毎ニ計算ヲ為シ各其借方即チ其受取タルモノノ金額従テ即チ其負擔スル金額ト其貸方即チ其給付シタルモノノ金額即チ其債権額トヲ有スルモノナリ此ノ如ク當事者一切ノ取引ヲ金銭ニ換算スルヲ以テ恰モ順次相互ニ貸借ヲ為シタルト一般ナリ故ニ交互計算ノ特性トスル所ハ其原素ノ相異ナルニ拘ラス債額ヲ一括スルニ在リ
是ヨリ充當ニ関スル前諸條ノ規則ヲ交互計算ニ適用ス可カラサル所以ヲ説明セン
第一、各當事者ノ借方タル總債務ハ總テ期限ニ至リタルモノナリ何トナレハ債権者タル方ハ常ニ自ラ其債権額ヲ拂フコトヲ得レハナリ是ヲ以テ債務者ノ拂込ハ其借方ノ總額ニ充當スルモノトス
第二、利息アルトキハ總債務ニ利息アリ且其割合同一ナルカ故ニ債務者ノ負擔何レニ付テモ異ナルコトナシ又抵當ヲ設定シタルトキハ借方ノ原因如何ニ拘ハラス其總額ノ擔保トシ之ヲ設定シタルモノトス是ヲ以テ交互計算ニ於テハ一箇ノ流動債務アルノミニシテ其債務ハ終始増減シ各當事者ノ拂込ノ結果ニ因リ相互ノ間ニ屢々移スルモノナリ
唯充當規則中交互計算ニ適用ス可キモノ一アリ即チ同時ニ總債務ニ其額ニ應シテ充當スルノ規則是レナリ然レトモ此結果ハ他ノ方法ニ因リ得ルモノニシテ法文ニ言ヘル如ク「振込ハ振込人ノ貸方ニ之ヲ記入シ」同時ニ受取人ノ借方ニ之ヲ記入スルカ故ニ或ハ貸方ヲ増額シ或ハ之ヲ減額シ或ハ貸方ト借方トヲ相殺シタルモノナリ
第三款 辨済ノ提供及供託
第四百七十四條
債権者辨済ヲ受取ルコトヲ拒絶スルハ決シテ稀レナリトセス蓋シ其最モ実際ニ多クシテ且單簡ナル場合ハ債権者善意ニテ債務者ノ辨済スル所其負擔スル所ヨリ少ナシト称スル場合ナリ又或ハ債権者損失ノ憂ナク又ハ重利ヲ得ルカ故ニ長ク辨済ヲ受ケサランコトヲ欲シ或ハ一時負擔物ヲ占有スルノ危険ヲ免カレンコトヲ計リ辨済ヲ拒絶スルコトアル可シ唯自己ノ便益ノ為メ辨済ヲ領受スルコトヲ拒絶スルハ正當ナラサルコト顕然タルカ故ニ必ス債務者ノ辨済スル所合意ニ適用セスト称シ以テ其非ヲ蔽フナル可シ
然ルニ債務者ハ正反對ノ理由ニ因リ義務ヲ免カレンコトヲ望ミ時トシテ其利害一層重大ニシテ或ハ既得権ヲ失ヒ或ハ契約ノ解除、過怠約款若クハ損害賠償ヲ被フルヲ避ケントスルコトアル可シ
此ノ如ク雙方ノ議調ハサルトキハ一方ヲシテ他ノ一方ノ専横ニ屈従セシメサルヲ要ス
然レトモ裁判所ヲシテ通常ノ法式ニ従ヒ爭點ヲ決セシムルトキハ時日ノ遷延ヲ来シ當事者雙方ニ害アリ加之結局勝訴スルモノニモ亦害ヲ及ホス可キカ故ニ法律ハ迅速ニシテ費用少ナキ裁判外ノ手続ヲ定メ一旦其手續ヲ了ハルモ尚ホ當事者其主張ヲ固持スルトキハ更ニ裁判所ヲシテ判定ヲ為サシムルモノトセリ此手続タル二箇ノ別異ナル行為即チ提供及ヒ供託ナルモノニシテ法律ハ詳カニ此各行為ノ効力ヲ指定シタリ本款中三條ハ提供ノ事ヲ規定シ二條ハ供託ノ事ヲ規定スルモノナリ
本條ハ目的ノ点ニ付キ觀察ヲ下シ義務ヲ四種ニ區別シタリ蓋シ義務ノ目的ハ或ハ金銭タリ或ハ特定物タリ(特定物ノ場合ニ於テハ更ニ一ノ區別ヲ為シタリ)或ハ代替物即チ定量物タリ或ハ作為タリ
第一項、金銭ノ債務ニ係ルトキハ債務者之ヲ辨済スルノ準備アルコトヲ述フルヲ以テ足レリトセス尚ホ債権者ハ貨幣ヲ提示スル事ヲ要ス是レ特別ノ合意ナキトキハ債務者ノ住所ニ於テ辨済ヲ為ス可キノ普通法ニ加ヘタル例外則ナリ即チ債務者辨済ヲ為サントシ債権者合式ニ告知ヲ受クルモ債務者ノ住所ニ至ラサルトキハ債務者債権者ノ住所若クハ其所在ノ場所ニ貨幣ヲ送ルノ勞ヲ採ラサル可カラス但之カ為メニ費用ノ生シタルトキハ債権者之ヲ償還セサルヘカラス其レ此ノ如ク法律ニ貨幣ノ提示ヲ必要トシタルハ債権者ヲシテ遂ニ之ヲ受諾セシメンコトヲ計リタルモノニシテ立法者ハ常ニ債務ノ消滅ヲ望ミ而シテ債権者悪意アリ又ハ過当ノ要求ヲ為スモ單ニ一片ノ受取證ヲ附與シ以テ爭論ヲ杜絶スルヲ得ルトキハ往々其意ヲ枉ルコトアリト看認メタルカ故ナリ
第二項、目的物特定物ニシテ合意ノ場所タルト又ハ合意ニ依リ債務者物ヲ搬移シタル場所タルトヲ問ハス其現ニ存在スル場所ニ於テ引渡ヲ為ス可キ場合ニ於テハ債務者該場所ニ於テ引渡ヲ為スノ準備アルコトヲ述フルヲ以テ提供アリタルモノトシ敢テ債権者ノ住所ニ物ヲ送致シ之ヲ提示スルニ及ハス若シ然ルヲ要スト為ストキハ債務者ノ負擔ヲ加重スルモノニシテ縦令之ニ其賠償ヲ與フルモ猶ホ其負擔加重スルモノト謂ハサル可カラス
第三項、特定物ヲ以テ目的トスルモ債権者ノ住所若クハ其現ニ存在セサル場所ニ於テ引渡ヲ為ス可キトキハ債務者單ニ其場所ニ物ヲ送致ス可キヲ本則ト為ス然ルニ債務者已ニ債権者ノ受取ルヲ欲セサルコトヲ知ルモ猶ホ提供ノ為メニ先ツ物ヲ運送シ次テ債権者拒絶ノ場合ニ於テ之ヲ引戻スヘキモノトスルトキハ之カ為メ大ヒニ損害ヲ被フルヘキカ故ニ本法ハ債務者ヲシテ單ニ其約束ノ場所ニ於テ引渡ヲ為スノ準備アルコトヲ述ヘ以テ提供ヲ為スコトヲ得セシム唯債務者ニ此特例ヲ許スハ運送ノ多費困難又ハ危険ナル時ニ限ル而シテ債務者実際運送ヲ為ス可キヤ否ヤヲ判別スルハ其責任ヲ以テ行フ所ナルカ故ニ債務者運送ヲ為サスシテ後ニ至リ債権者提供ヲ拒絶シ容易ニ物ノ運送ヲ為スコトヲ得ヘカリシ證拠ヲ挙擧ルトキハ債務者提供ノ費用ヲ負擔セサル可カラス
定量物モ亦此點ニ付キ特定物ト同一ノ規定ニ従フ故ニ定量物モ亦債権者ノ住所若クハ其現ニ存在スル場所以外ニ於テ引渡ヲ為ス可ク且運送ノ不便少ナキトキニ非サレハ之ヲ提示スルニ及ハス
第四項、或ル工事ヲ為スノ義務ノ如キ作為ノ義務ニ付テハ実際提供ヲ為スコト能ハサルヤ明カナリ且作為ノ義務ニ付テハ一ノ區別ヲ為スコトヲ必要トス即チ其作為債権者ノ立會又ハ参同ヲ要セサルトキハ債務者須ク之ヲ履行スヘク債権者契約ノ解除ヲ求メ又ハ債務者ノ履行方法ヲ爭フトキニ非サレハ債務者ヨリ債権者ニ履行ノ提供ヲ為ス可キコトナシ然レトモ之ニ反シ債権者ノ立會若クハ参同ヲ得ルニ非サレハ履行ヲ為スコト能ハサルトキ例ヘハ債権者ノ画像ヲ作リ其體軀ニ合セ衣服ヲ裁縫シ其屋内ニ於テ其指揮ニ従ヒ工事ヲ為ス可キトキ債権者準備ヲ為シタルコトヲ述ヘテ債権者ニ参同スヘキコトヲ催告ス可シ
茲ニ不作為ノ義務ヲ履行スルノ提供ノ事ヲ論定スルノ要ナシ蓋シ此場合ニ於テハ債務者為ササルニ止マル可キノミナレハナリ
第四百七十五條
提供ノ條件及ヒ方式ハ前ニ説明シタル辨済ノ有効ニ必要ナル條件及ヒ方式ニ外ナラス是レ蓋シ提供ニ次テ供託ヲ為ストキハ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムルカ故ニ當然ノ事ト謂フ可シ是ヲ以テ敢テ再ヒ茲ニ之ヲ記載スルノ要ナク本條ハ唯辨済ニ必要ナル條件ヲ以テ亦提供ニ必要ナリト言フニ止マレリ其手続上ノ方式ニ至テハ非訟事件ノ手続ニ属スルカ故ニ本法ハ常ニ之ヲ特別法ニ譲リタリ
第四百七十六條
本條ハ提供ノ効力ヲ規定スルモノニシテ基本上及ヒ方式上「有効」ニシテ且「時期ヲ失セサル」提供ヲ為シタルコトヲ假定シタリ但時効ヲ失セスシテ為スコトハ提供有効ノ條件ニ非スト雖モ其効力ヲシテ債務者ノ為メ一層利益アラシムルモノナリ此條件ヲ備ヘタル供託ハ債務者ヲシテ履行遲延ヨリ生スル所ノ結果ヲ免カルルヲ得セシム例ヘハ賣主定期内ニ代價ヲ返還シ受戻ヲ為スノ権能ヲ留存シ又ハ賃借人或ル期間前ニ通知ヲ為シ且借賃ヲ前拂ヒ以テ賃貸借ヲ更新スルノ権ヲ留保シタル場合ニ於テ賣主受戻ノ為メニ拂フ可キ金額ヲ支拂ハス又ハ賃借人再賃借ノ為メニ拂フ可キ金額ヲ支拂ハスシテ約定ノ期間ヲ経過セシメタルトキハ催告ヲ要セスシテ當然直チニ失権ヲ被フル可シ然ルニ「時効ヲ失セス」詳言スレハ期限ノ満了前ニ提供ヲ為ストキハ此失権ヲ免カルルヲ得ヘシ條件不履行ノ為メ觧除ノ行ハル可キ場合ニ於テモ亦然リ蓋シ觧除ノ當然行ハレス裁判所ニ請求シ其言渡ヲ要スル場合ニ於ケルモ猶ホ債務者訴訟ノ継續中履行ノ準備アル旨ヲ述フルヲ以テ足レリトセス尚ホ提供ノ特別ノ方式ニ従ヒ前記ノ區別ニ従ヒ金銭又ハ負擔物ヲ提示セサル可カラス而シテ觧除ノ判決アラサル前其提供ヲ為ストキハ觧除ヲ免カルルコトヲ得又債務者時期ヲ失セスシテ提供ヲ為ストキハ遲怠ノ損害賠償トシテ約束シタル過怠約款ヲ免カル可シ
又有効ナル提供ハ債権者ヲシテ有効ニ債務者ヲ履行ノ遅滞ニ付スルヲ得セシメサルノ効力アリ該提供アルトキハ縦令債権者付遲滞ノ手續ヲ為スモ債務者ニ対シ毫モ其手續ノ効力ナシ加之ノ提供前ニ付遲滞ノ行ハレタルトキト雖モ提供ハ其効力ヲ停止シ之ヲ滌除スルモノナリ是ヲ以テ債務者ハ負擔物ノ危険ヲ被フラス又損害賠償ノ責任ヲ負ハス又遲延利息ヲ拂フノ責ニ任セス
第四百七十七條
本條ハ債権者ノ提供ヲ受諾セサルコトヲ假定スルモノナリ此場合ニ於テハ債務者未タ直チニ義務ヲ免カルルモノニアラス尚ホ其義務ヲ免カルルカ為メニハ負擔物ヲ供託スルコトヲ要ス詳カニ之ヲ言ヘハ他ニ其物ノ占有ヲ移シ債権者ヲシテ其物ヲ隨意ニ受取ルコトヲ得セシムルヲ要ス而シテ占有ヲ移スノ方法ニ至テハ負擔物ノ性質ニ従ヒ異ナルモノナリ
負担物金銭ナルトキハ債務者特別ノ國庫ニ金銭ヲ拂込ムヲ要ス是レ所謂眞ノ供託ナリトス若シ其債務法律上又ハ合意上ノ填補利息ヲ生スルトキハ供託ノ日ニ至ルマテニ支拂期ニ至リタルモノヲ元本ト共ニ供託スルコトヲ要ス
特定物若クハ定量物ノ債務ニ係ルトキハ特ニ其供託ヲ受ク可キ官廳ナキカ故ニ金額ニ於ケルカ如キ供託ヲ為スコト能ハスト雖モ債務者ハ裁判所ニ負擔物ヲ寄託スヘキ場所ヲ定メンコトヲ請求ス可シ而シテ裁判所ハ供託物ノ保管保存ニ便利アル建物ヲ有シ且其寄託ヲ受クルヲ得ヘキ組織アル近隣ノ官廳若クハ會社例ヘハ開港地ニ於テハ税関ノ如キモノヲ指定スルヲ得裁判所ヨリ爭訟ニ係ル物ヲ保存スルノ任ヲ受ケタルモノヲ「裁判上ノ保管人」ト稱ス
供託並ニ之ニ相當スル手續モ亦提供ノ如ク特別ノ方式アルカ故ニ本法ハ之ヲ特別法ニ譲リタリ
第四百七十八條
供託ノ効力ハ債務者ヲシテ義務ヲ觧脱セシメ且其共同債務者及ヒ其保證人ヲシテ俱ニ其義務ヲ觧脱セシムルニ在リ又債務者質若クハ抵當ヲ付與シタルトキハ之ヲシテ消滅セシムルヲ供託ノ効力トス是レ債務者全ク其義務ヲ觧脱スルノ自然ノ結果ニテ敢テ法律ニ特筆スルニ及ハサルモノナリ然リト雖モ供託物ノ危険債務者ニ在ルノ結果ニ至テハ少シク疑議ヲ生ルコトアル可キカ故ニ特ニ之ヲ指示シタリ然リ而シテ此結果タル既ニ提供ノ為メニ發生スルモノナルカ故ニ供託ヲ為スモ更ラニ之ニ加フル所ナキカ如シト雖モ其実然ラサル所アリ抑々提供ハ債務者ヲシテ其付遲滞ヨリ生スル危険ヲ免カレシムルニ過キス其過失若クハ遲滞ナキモ猶ホ負擔ス可キコトヲ約シタル危険ニ至テハ之ヲ免カレシムルモノニ非ス然ルニ供託ハ之ヲシテ一切ノ危険ヲ負擔スルノ責ヲ免カレシムルモノナリ
其レ然リ而シテ提供ノ効力タル所ノ義務觧脱ハ完全ナルモノナリト雖モ亦未タ廢罷スルヲ得サルモノニアラス蓋シ債権者供託物ヲ引取リ明示若クハ黙示ニテ供託ヲ受諾セサル以上ハ債務者其行為ヲ覆ヘシ供託物ヲ引取ルコトヲ得此場合ニ於テハ義務ヲ免除觧除シテ法文ニ言フ如ク「無効ト看做サルルモノナリ」而シテ其結果ハ更ラニ共同債務者及ヒ保證人ヲシテ義務ヲ負擔セシメ又質及ヒ抵當ヲシテ再ヒ債権者ノ為メ発生セシムルニ在リ
然レトモ債権者受諾スルトキハ債務者擅マニ其債務ヲシテ再ヒ発生セシムルコト能ハス
又判決ヲ以テ債務者ノ提供及ヒ供託ヲ有効ナリト宣告シタルトキハ債権者ノ受諾アリタルトキト同シク債務ノ発生ヲ妨害スルモノナリ蓋シ債務者其供託ヲ引取ルノ意思ナク且後日其免除ニ付キ争訟ノ生セサランコトヲ欲スルトキハ必ス債権者ヲ裁判所ニ召喚シ對審ニテ其免除ノ有効ヲ言渡サシムヘシ而シテ一旦債務者ノ為メ此判決アルトキハ縦令其未タ確定セサルトキト雖モ猶ホ債務者ハ勝訴シタルカ故ニ上訴スル能ハサルヲ以テ此判決ニ羈束セラルヘシ何トナレハ該判決ハ既ニ債務者ニ對シ既判力ヲ有スルモノナレハナリ然レトモ債権者上訴スルトキハ債務者又判決ト羈束セラルルカ故ニ供託物ヲ引取ルコトヲ得此ヲ以テ供託物引取ノ権能ハ債権者ノ受諾若クハ供託有効ノ判決確定スルニ非サレハ債務者ヲシテ之ヲ失ハシムルコトナシ
又供託有効ノ判決アル場合ニ於テモ債権者ノ承諾ヲ得ルトキハ債務者供託物ヲ引取ルコトヲ得然レトモ其引取ノ効力ハ大ニ判決前ノ引取ト異ナル處アリ即チ債権者ト債務者トノ間ニ債務再生スルニ止マリ其再生ノ効力ヲ第三者ニ及ホスコトヲ得ス本條ニ於テハ單ニ此引取ハ第三者ヲ害ス可カラスト約言スルヲ得ヘキモ意義一層明瞭ナランカ為メ共同債務者及保證人依然其義務ヲ觧脱シ又宣言及ヒ抵当再生セスシテ債権者ハ当初有シタリシ優先権ヲ自余ノ債権者ニ對シ行フコトヲ得スト云ヘリ又本條末文ニ於テ債権者ノ債権者供託金額ノ拂渡差押ヲ為シタルトキハ債務者引取ヲ為スモ債務者差押人ノ権利ヲ妨害スルコトヲ得スト定メタリ
第四款 代位弁済
第四百七十九條
代位弁済ハ前第一款ニ規定シタル所ノ單純弁済ト相對シテ一ノ複雑ナル弁済ニシテ是ヨリ生スル二個ノ効力ハ大ニ相異ナルヲ以テ殆ト相矛盾スルモノノ如シ然レトモ其実其二個ノ効力ハ共相容ルルモノナルコトハ後ニ至リ之ヲ説明スヘシ
抑モ代位弁済ノ理論タル数多ノ重要ナル理論ト對照シテ之ヲ攻究スルヲ要スルカ故ニ種々ノ難問ヲ生スルモノナリ就中此事タル抵当保證及ヒ連帯ト密着ノ関係ヲ有スルモノニシテ又他ノ理論ト混淆スルノ恐アルモノナリ就中債権ノ譲渡及ヒ債権者ノ交替ニ因ル更改ト混淆スルノ恐アルモノナリ
本條ハ代位弁済ノ定義ヲ下サスシテ是ヨリ生スル二個ノ効力ヲ指示スルモノナリ即チ代位弁済ハ又一個ノ弁済方法タルカ故ニ義務ヲ消滅スルノ方法ニシテ亦之ヲシテ消滅セシメサルヲ得サルモノナリ然レモ亦單純ノ弁済ニ非サルカ故ニ其義務消滅ノ効力ハ不完全ニシテ債権者以後何等ノ権利ヲモ有セサルカ故ニ之ニ對シテハ債権眞ニ消滅スルモ債務者ハ毫モ義務ヲ免カレサルカ故ニ之ニ對シテハ債務存続スルモノナリ是ヲ以テ代位ハ一ノ法律上ノ仮定ニシテ債権者ノ為メ義務消滅スルモ弁済ヲ為シタル第三者ノ為メ依然義務存立スルモノト看做スモノト云フヘシ
然リ而シテ代位者ハ原債権ヲ取得スト云フト雖モ亦自己ノ名ヲ以テ自己ニ属シ事務管理若クハ代位ヨリ生スル所ノ特別訴権ヲ有セサルモノニ非ス故ニ代位者ハ自己ノ利害ニ従ヒ或ハ代位訴権ヲ行フコトヲ得或ハ自己ニ属セル特別ナル訴権ヲ行フコトヲ得加之其一個ノ訴権ニ依リ得ルコト能ハサル所ノ物ヲ他ノ訴権ニ依リ請求シ以テ二様ノ訴権ヲ併合スルコトヲ得例ヘハ原債務ノ利息ヲ生セサル場合ニ於テモ亦代理ニ因リ弁済ヲ為シタル第三者ハ代理ノ規則ニ従ヒ其立替金ノ法律上ノ利息ヲ攻ムルノ権利ヲ有スヘシ然レトモ亦利息ニ付テハ旧債務ニ属シタリシ抵当若クハ保證ノ担保ヲ得ンコトヲ請求スルコト能ハス然リト雖モ亦或ハ塲合ニ由リテハ第三者委任者ニ對シ代理訴権ヲ有スルニ過キサルコトアリ即チ其弁済シタル所ノ債務実際成立セサリシトキハ是レナリ此場合ニ於テハ代位弁済アルニ似タリト雖モ其実毫モ代位ナルモノナク弁済ハ不当ナルニ因リ取戻スコトヲ得ヘキモノナリ然レトモ弁済ヲ領受シタル者無資力ナルカ又ハ之ニ對シ債務ノ成立セサリシ証拠ヲ擧クルコト困難ナルトキハ代理人ハ委任者ニ對シ求償権ヲ行フコト得委任者ハ其為シタル所ノ委任ニ付総テ責メニ任セサル可カラス又事務管理ノ塲合ニ於テハ管理者ハ弁済ヲ領受シタル者ニ對シ不当弁済ノ取戻訴権ヲ行フヲ得ルノミ
本條代理ニ三種アルコトヲ開示セリ今偏ヘニ理論ニ依リ之ヲ考フルトキハ代位ハ二種アルニ止マルト云フヲ得ヘシ即チ一ヲ合意上ノ代位ヲ更ニ二個ノ場合ニ細別スルヲ要シ却テ事理ノ煩雑ヲ招クニ至ルヘシ
本款ニハ裁判上ノ代位ノ事ヲ規定セス其適用ハ既ニ本編第三百三十九條ニ之ヲ示シタリト雖モ弁済ト毫モ関係アラサルニ因リ茲ニ之ヲ掲ケス
第四百八十條
債権者ノ代位ヲ許與スル塲合ハ最モ單簡ナルモノニシテ其代位ニハ僅カニ二個ノ條件ヲ要スルノミ即チ代位ヲ[明記スル]コト及ヒ其明記ヲ受取証書中ニ於テスヘキコト詳カニ之ヲ言ヘハ適法ニ弁済ヲ受諾スルトキニ於テ代位ヲ為スコト是レナリ然リト雖モ尚ホ此場合ニ於テ少シク断定ニ苦ム点ナシトセス代位弁済アリタルヤ将タ債権ノ讓渡アリタルヤノ点即チ是レナリ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ第三者ノ供與シタル金銭又ハ有價物ハ弁済トシテ附與シタルモノナルカ将タ讓渡ノ對価トシテ即チ債権ヲ取得スルカ為メニ附與シタルモノナルカハ実際断定ニ苦ムコトナシトセス蓋シ代位弁済ト債権ノ讓渡トハ前ニ述ヘタル如ク差異少ナクシテ却テ類似スル所多キモノナリ但其差違ノ最モ重要ナルモノハ第四百八十四條ニ之ヲ明記シタリ其理由ハ同條ノ下ニ於テ之ヲ説明スヘシ是ヲ以テ裁判所ハ合意ノ証書中ニ用ヒタル文字此事ニ関シ往復シタル信書並ニ第三者ノ弁済ヲスルニ至リタル理由一ニ債務者ニ利益ヲ與へ之ヲ保護スルニアリヤ将タ之ニ反シ利益ヲ得ルトスルノ含慮ニアリヤヲ考ヘ以テ当事者果シテ代位弁済ヲ為シタルモノナルカ将タ債権ノ讓渡ヲ為シタルモノナルカヲ判定セサル可カラス
第二ノ條件ハ一層簡ナルモノニシテ之ヲ設ケタル理由亦最モ簡明ナルモノナリ蓋シ[弁論ノトキニ当リ]代位ヲ許與セサリシトキハ最早其後ニ至リ代位ヲ為スコト能ハス何トナレハ弁済アルヤ債務直チニ消滅スルカ故ニ弁済ノトキニ当リ何等ノ約束モナキトキハ如何ナル行為ヲ以テスルモ再ヒ其債務ヲシテ発生セシムルコト能ハサレハナリ
本條ニハ受取証書ノ語アリト雖モ其実未タ必ス書証ヲ作ルヲ要スルモノニ非ス固ヨリ証書ヲ作リ代位ヲ為スコトヲ明記スルハ実際最モ多ク且後日ノ紛議ヲ豫防スルノ利益アルヘシト雖モ亦未タ証拠ノ普通法ニ依リ書証ヲ必要トセサル限ハ之ヲ以テ代位ノ條件ト為スヘキニ非ス故ニ証人ノ面前ニ於テ弁済ヲ為シ且債務者口頭ヲ以テ代位ヲ許與スルコトヲ陳述シタルトキハ証人ヲ以テ單純ノ弁済ヲ詳明スルヲ得ル塲合ニ於テハ又裁判所ニ於テ充分之ヲ有効ト為スコトヲ得ヘシ然レトモ証書モナク亦証人モ非スシテ單ニ債権者ノ自白ニ依リ代位アリタルコトヲ陳述スルニ過キサルトキハ裁判所ハ代位者ノ請求ヲ容レサルコトヲ得ヘシ何トナレハ代位者債権者ト通謀シ一旦消滅シタル債務ヲ再生セシメ以テ債務者其他義務消滅ニ付キ利益ヲ有スル者ニ損害ヲ及ホスノ恐ナシトセサレハナリ故ニ此場合ニ於テハ債権者ノ自白ヨリ寧ロ債務者ノ自白ヲ以テ完全ノ証拠ト為スヘシ
然リ而シテ第三者利害ノ関係ヲ有スルト否トヲ問ハス又事務管理者トシテ自己ノ名ヲ以テ弁済シタルトヲ問ハス債権者ハ有効ニ之ニ代位ヲ許與スルコトヲ得
但少シク疑議ヲ生スヘキハ代理人債務者ノ名ヲ以テ弁済シタルモ尚ホ債権者ニ代位スルヲ得ヘキノ点ニシテ元来代理人ハ債務者ヲ代表スルカ故ニ自己ノ為メニ債権ヲ保存スルコトヲ得ヘカラサルカ如シ其一旦弁済ヲ為スヤ債務者自ラ弁済ヲ為シタルトキト同シク全ク義務ヲシテ消滅セシムヘキニ似タリ然レトモ代理人債務者ヲ代表スルモ亦是レ一個ノ仮定ニ過キスシテ代位ノ基本ル仮定ト代理人ノ代表ノ仮定ト何レモ軽重アルヘキニ非ス且債務者弁済ヲ為スモ尚ホ同時ニ第三者ヲシテ債権者ニ代位セシムルヲ得ルコト次條ニ定ムルカ如クナルヲ以テ債務者ノ代表人ノ弁済ヲ為シタルトキ同一ノ結果ヲ生セシメ唯財産ヲ異ニスルヲ得ヘキヤ敢テ怪ムニ足ラサルナリ
債権者代位ヲ許與スルカ為メ有スルコトヲ必要トスルノ権力ニ至テハ本條ニ敢テ明記スルヲ要セサル所ナリ蓋シ債権者其権利ヲ消滅セシムル所ノ弁済ヲ受取ル能力ヲ有スル以上ハ亦同一ノ権利ニ付代位ヲ許與スルノ権利ヲ有スヘキヤ明カナリ何トナレハ代位ハ毫モ債権者ニ損害ヲ及ホスヘキモノニ非サレハナリ[下第四百八十五条ヲ参観スベシ]加之本款ノ末ニニ至リ代位弁済ノ場合ニ於テモ亦通常弁済ノ普通規則ヲ適用スヘキモノト定メタルニ因リ能力ニ関スルコトハ敢テ特ニ茲ニ規定スルヲ要セサリシ
但シ少シク疑議ヲ生スルコトアルヘキ一点アリ即チ債権者ノ代理人弁済ヲ受ルノ委任ヲ受ケタルトキハ弁済者第三者ニ代位ヲ許與スルヲ得ルヤ否ヤノ点是レナリ或ハ此塲合ニ於テハ後見人及ヒ夫ノ如キ総理代人ト執達吏若クハ公証人ノ如キ受取ノ委任ノミヲ受ケタル部理代人トノ間ニ差異ヲ設クヘシト云フ者アラン然レトモ代位ハ元来債権者ニ害ヲ及ホササルモノナルカ故ニ此事ニ付キ特ニ委任アルヲ必要トス可カラサルヲ以テ代理ト総理タルト部理タルトヲ区別セサルヲ当然且至当トス加之部理代人ト雖トモ第三者ノ弁済ヲ提供スルニ当リ第三者代位ヲ請求シタルヲ口術トシ其弁済ヲ拒絶スルニ於テハ却テ債権者ニ對スル其義務ニ背馳シ其責任ヲ免カレサルヘシ且債権者部理代人ノ代位ヲ許與スルコトヲ拒絶スルノ充分ナル理由アルトキハ弁済ヲ併セテ全ク之ヲ受クルコトヲ拒絶スヘシ然ラスシテ其部理代人ノ受ケタル弁済ヲ領受スルニ於テハ併セテ代位ヲ追認シタルモノト看做サルヘシ
第四百八十一條
債務者自ラ代位ヲ許與スルノ権利アルハ一見少シク怪ムヘキカ如シ何トナレハ債務者代位ヲ許與スルハ自己ニ属セサル権利ヲ處分スルニ外ナラサレハナリ然レモ債務者ニ此権利アルコトハ羅馬法以来学者認ムル所ニシテ諸外国法典モ亦普ネク之ヲ認メタリ
其理由ヲ述ヘンニ債権者其債権ヨリ生スル所ノ利息ノ割合多クシテ且恰好ナル担保アルトキハ償還ヲ受クルヲ欲セサルコト屡是レアリ而シテ債務者其債務ヲ弁済スルノ資力ヲ有シ且期限ノ到来シタルトキハ債権者ノ弁済ヲ望マサルニ拘ハラス強イテ之ニ償還ヲ為スコトヲ得ヘシト雖モ亦債務者充分ノ資力ヲ有セサルトキハ更ニ他ヨリ借用ヲ為ササル可カラス而シテ債務者他ヨリ低廉ナル利息ヲ以テ借用ヲ為スヲ得ルニ当リ債務者抵当ヲ有スルヲ以テ代位弁済ヲ拒絶スルヲ得ルトキハ債務者最モ困難ナル地位ニ陥リ之ヲ免カルルノ道アラサルヘシ故ニ債務者ヲシテ其債務ヲ弁済スルカ為メ更ニ他ニ借用ヲ為シ而シテ其借用シタル金銭若クハ有價物ヲ以テ弁済ヲ受クル所ノ債権者ノ権利ニ貸主ヲ代位セシメ此代位ノ為メ旧債権者ノ承諾ヲ必要トセサルノ法則ヲ設ケタリ
是レ本條第一項ノ規定スル所ナリ
次項以下ニ於テハ此権ノ代位ノ有効ナルニ必要ナル條件ヲ定ムルモノナリ
債務者ノ許與スル代位有効ナルニハ借用ト弁トノ間因果ノ関係アルコト明瞭ナルヲ要ス即チ借用証書ニ其借用金額又ハ有價物ノ用法債務ヲ弁済スルニアルコトヲ記載シ且弁済ヲ領受スル債権者ノ受取証書ニ其金額又ハ有價物ノ出所ヲ記載スルコトヲ要ス
貸主ノ為メ代位ヲ許與スルコトハ借用証書中ニ之ヲ記載スヘシ債権者ハ其受取証書ニ其旨ヲ記載スルヲ必要トス然レトモ若シ債権者ノ受取証書中貸主ノ代位スへキコトヲ記載シタルトキハ即チ信用ノ代位アルモノニシテ其一無効ナルトキハ他ノ一ヲ以テ之ヲ行フコトヲ得ヘシ
本條ハ敢テ代位アル旨ヲ記載スルヲ必要トセスト雖モ亦其事ノ明白ニシテ疑議ヲ容レサルヲ要スヘキヤ債権者ノ代位ヲ許與スル場合ニ於ケルト毫モ異ナルコトナシ若シ債権者其領受スル金額若クハ有價物ノ出所ヲ受取証書中ニ記載スルモ之カ為メ代位アルコトヲ妨ケサルモノナリ何トナレハ代位ハ債権者ノ承諾ナクシテ行ハルヘキモノナレハナリ故ニ此塲合ニ於テハ債務者ハ方式ニ従ヒ提供ヲ為シ且代位スヘキ旨ヲ提供証書中ニ記載シ之ニ付テ供託ヲ為スヘシ
是ニ依テ之ヲ観ルニ貸借ト受取証書ノ授與トノ間ニ経過スル所ノ時期久キニ過クルトキハ弁済ノ用ニ供シタルモノ果シテ借用シタル金銭タルヤ否ヤニ付キ充分ノ証標アラサルヘキカ故ニ漫ニ代位アリト看做スコトヲ得ヘカラス然レトモ亦借用ト弁済トノ間ニ経過スヘキ時間ノ最長期ヲ定ムルコト能ハス之ヲ定ムルトキハ却テ或ル塲合ニ於テハ其期間長キニ過キ又或ル塲合ニ於テハ短キニ過クルコトアルヘク其長短当事者所在地ノ隔絶ノ遠近ニ従ヒ之ヲ定ムヘキカ故ニ果シテ代位弁済アリヤ否ヤハ一ニ裁判所ノ査定ニ委スヘキモノナリ但前ニ述ヘタル如ク債権者ノ受取証書中代位アル旨ヲ記載シタルトキハ債務者ノ許與シタル代位法律ニ背クコトアルモ尚ホ代位ノ効力ヲ保存スヘシ何トナレハ債権者ノ許與スル所ノ代位ハ債務者ノ許與スル所ノ代位ニ関シ本條ニ定メタル方式ヲ必要トセサレハナリ
第四百八十二條
本條ハ三個ノ塲合ニ於テ法律上ノ代位ノ行ハルルコトヲ認メタリ以下之ヲ説明セン
第一ノ場合凡ソ立法者ハ最モ義務ノ免除ヲ望ミ成ルヘク之ヲ幇助スルモノナルカ故ニ弁済ヲ為スニ付キ正当ノ利益アリ即チ自ラ訴追ヲ被ルコトヲ免カルルノ利益アル者ノ弁済ヲ奨励スルコトヲ要ス而シテ之ニ代位ヲ為スコトヲ得セシメ以テ其弁済シタル所ノ物ノ償還ヲ受クルコトヲ確保スルハ即チ其弁済ヲ証明スルモノナリ是ヲ以テ第一ノ塲合ニ於ケルモ以下ノ塲合ニ於ケルカ如ク弁済ヲ為ス所ノ第三者ハ債権者ニ代位ヲ求ムルニ及ハス又債務者ニ之ヲ求ムルヲ要セス法律上代位ヲ得ルモノナリ
[他人ト共ニ又ハ他人ノ為ニ義務ヲ負担シタル]ノ語ハ少シク説明ヲ要スルモノアリ蓋シ本條ニ仮定スル塲合ニ於テ義務ヲ負担スル者ハ或ハ義務ヲ発生スル契約ニ因リ自身義務ヲ負担スルコトアリ或ハ他人ノ債務ノ抵当トシタル物ヲ点有シ第三所持者タルノ故ニ物上ニテ義務ヲ負担スルコトアリ此二個ノ塲合タル其ノ実大ニ異ナル所アルカ故ニ特ニ法文ニ之ヲ綱羅指示シタルモノナリ即チ第三所有者ハ必ス[他人ノ為メニ]義務ヲ負担スルモノニシテ自己ノ為メニ之ヲ負担スルモノニ非ス自身義務ヲ負担スル者ハ連帯若クハ不可分ノ塲合ニ於テハ[他人ト共ニ]義務ヲ負担スルモノニシテ本條ノ塲合ニ於テハ[他人ノ為メニ]義務ヲ負担スルモノナリ然レトモ債務ノ單ニ連合タルニ過キサルトキハ各債務者自餘ノ債務者ト共ニ拘束ヲ受クルモノニ非ス自餘ノ者ノ債務ニ関シ訴追ヲ受クルコトナキカ故ニ之ヲ弁済スルノ利益ヲ有セサルモノナリ是ヲ以テ連合債務ヲ弁済スルモ決シテ之カ為メ法律上ノ代位ヲ得ルコト能ハス
第二ノ塲合ニ於テ債務者ノ為メ弁済スル者ノ希望セル目的ハ訴追ヲ受ケ差押ヲ被リ不動産ノ賣却ヲ免カレントスルニ在リ蓋シ不動産ヲ差押ヘ之ヲ賣却スルモ往々其時期ニ適中セサコトアリ且其費用甚タ多ク結局債権者ヲシテ却テ其債権ニ不利ナル結果ヲ得セシムルニ過キサルモノナリ殊ニ数個ノ抵当アル塲合ニ於テハ其債権者ノ一人自己ニ優先セル他ノ債権者ニ弁済ヲ為スノ利益アリヤ明瞭ナリ蓋シ優等ノ順位ヲ有スル債権者ハ必ス弁済ヲ受クヘキノ見込ニアルカ故ニ不動産賣買ニ不利ナル時期機會ニアルモ尚ホ抵当不動産ノ賣却ヲ求ムルヲ憚ラサルヘシ然ルニ其賣買ヲ延引シ一層高價ニ之ヲ賣却スルコトヲ得ヘキ好時期ヲ待ツトキハ更ニ劣当ノ地位ヲ有シ加之最後ノ順位ヲ有スル債権者ニ至ル迄尚ホ為メニ弁済ヲ受ルコトヲ得ルニ至ルヘシ是ヲ以テ劣等ノ順位ヲ有スル債権者ハ自己ニ優先スル順位アル債権者ニ弁済スルノ理アルヤ更ニ多辨ヲ要セサルナリ
加之債権者中自己ト同等ノ地位ヲ有シ加之劣等ノ順位ヲ有スル者ニ弁済スル者アルトキニテモ尚ホ之カ為メ法律上代位ノ行ハルルモノトス蓋シ同等ノ順位若クハ劣等ノ順位ニ在ル債権者ノ訴追ヲ為スハ固ヨリ其権能ニ属スト云フト雖トモ亦或ハ賣却ノ好結果ヲ得ヘシト信スルノ過当ナルニ因リ或ハ其軽忽ニ出テ加之自己ノ抵当不充分ナルモ之ヲ補フヘキ他ノ担保ヲ有スル塲合ニ於テハ其専横ニ出ツルニ過キサルコトアルヘケレハナリ
是ヲ以抵当権者ハ毫モ自己ニ優先セサル他ノ抵当債権者ニ弁済スルコトヲ得無担保ノ債権者若クハ抵当債権者他ノ單ニ無担保ナル債権者ニ弁済スルコトヲ得又觧除訴権ヲ有スルヲ以テ担保スル債権者アルトキハ自餘ノ債権者何レモ之ニ弁債スルコトヲ得然リト雖モ法律上ノ代位弁済ニ依リ債権者中ヨリ排斥セントスル所ノ債権者ノ種類ニ従ヒ一ノ差異ノ存スルモノアリ即チ其債権者先取特権若クハ抵当ヲ有スルトキハ未タ其出訴スルヲ待タスシテ之ニ為シタル弁済ニ依リ代位ヲ証スルニ足レリトス蓋シ此塲合ニ於テハ弁済ハ訴追ヲ豫防スルモノナレハナリ然レトモ無担保ノ債権者ニ関スルトキハ其訴追ノ恐少ナク自餘ノ債権者ノ為メニ損害切迫スルニ非サルカ故ニ之ニ弁済スル所ノ第三者ハ既ニ不動産差押アリタル塲合ニ於テ弁済シタルトキニ非サレハ法律上ノ代位ヲ得ル能ハス又觧除訴権ノミヲ以テ担保トスルニ過キサル債権者ニ関スルトキハ既ニ其觧除ノ請求ヲ起シタルトキニ非サレハ之ニ弁済ヲ為スモ法律上ノ代位行ハルルモノニ非ス此後ノ二個ノ塲合ニ於テハ弁済ハ訴追ヲ豫防スルモノニ非ス[之ヲ止ムルモノナリ]
第三ノ塲合善意ナル表見ノ相続人トハ家督相続人若クハ遺言相続人ノ外観ヲ呈シ且自ラ相続人ナリト信シ相続財産ヲ占有シ之ヲ管理シ相続人タルノ名義ヲ以テ之ヲ清算シタルモノヲ云フ又相続人真ノ相続人ニ財産ヲ還賦スルニ当リテハ其弁済シタル債権者ノ権利及ヒ訴権ヲ行ヒ以テ其自己ノ財産ヲ以テ支拂タル金銭其他ノ有價物ヲ先取スルコトヲ得
第四百八十三條
本條ハ[代位者弁済ヲ受ケタル債権者ニ属シタル一切ノ権利及ヒ訴権ヲ行フ]ノ規則ニ数多ノ例外即チ変更ヲ設クルカ故ニ有益ノモノニシテ此例外ナクンハ既ニ第四百七十九條アルカ故ニ無用ノ冗文ヲ免カレサルヘシ
本條ノ冒頭ニ掲ケタル原則ニ関シテハ僅カニ一言ノ注意ヲ喚記スヘキノミ蓋シ代位者ハ旧債権者ニ属シタル一切ノ権利ヲ其名義如何ニ拘ハラス純然取得スルモノニ非ス但法文ニ明記スル如ク其[債権ノ効力又ハ担保トシテ]之ニ属シ権利及ヒ訴権ヲ行フコトヲ得ルノミ
債権ノ効力トシテ旧債務者ニ属セシモノハ[履行ノ直接訴権即チ主タル訴権ノ外]証拠書類付遲滞並ニ其以後ニ行フタル訴訟行為債権者ノ既ニ負担セル損害賠償過怠約款アルトキハ之ヲ請求スルノ権利及ヒ詐害行為ノ廃罷訴権ナリ又債権ノ担保タルモノハ先取特権及ヒ抵当権保証連帯及ヒ合意上ノ不可分第三百九十條ニ定メタル間接訴権並ニ契約ノ觧除訴権ナリトス
然レトモ賣主ニ代位シタル者ハ賣主ノ嘗テ要約シタル受戻ノ権能ヲ行フコト能ハス蓋シ受戻ノ権能ハ賣主ノ債権ノ効力タルモノニ非ス又担保タルモノニ非ス加之代位者ヲシテ受戻ノ権能ヲ行ハシムルトキハ次條ノ規定ニ反シ弁済ノ利益ヲ得ルノ間接手段ヲ得セシムルニ外ナラサルヘシ是ヲ以テ賣主ハ第三者ヨリ代價ヲ受取ルモ亦買主ヨリ之ヲ受取リタルト同シク依然受戻権能ヲ保有スヘシ
然リ而シテ代位者ハ旧債権者ノ位置ヲ承継スルヲ以テ一般ノ原則ト為スト雖トモ之ニ関シ数多ノ例外アリ左ニ之ヲ説明セン
第一ノ塲合、夫レ代位ノ効力尽ク発生スルハ公ケノ秩序ニ基クモノニ非ス其効力ノ廣狹ハ敢テ公ケノ秩序ニ関スルモノニ非サルカ故ニ当事者ハ弁済ヲ為ストキニ当リ自己ノ適冝ニ代位ノ効力ヲ制限スルコトヲ得例ヘハ抵当訴権ヲ除却シ又ハ之ヲ減縮シ或ハ保証人ヲシテ其義務ヲ免カレシムルコトヲ得
本條ニ所謂[当事者]ノ語ハ代位ノ法律上タルト合意上タルトヲ問ハス代位者ヲ包含スルモノナリト雖モ亦塲合ニ因リ債務者若クハ債権者ノ承諾ヲ必要トス詳カニ之ヲ説カンニ債権者代位ヲ許與シタルトキハ代位ハ元ト其厚意ニ出ツルカ故ニ其承諾アルニ非サレハ代位ノ効力ヲ減縮スルコト能ハス但シ債務者及ヒ代位者更ラニ自己ノ便冝ニ従ヒ他ノ効力ヲ減縮スルコトヲ承諾スルヲ得元ト代位ノ法律上タルトキモ亦代位者其権利ノ減少ヲ約スルハ債権者ノ承諾ヲ以テ足レリトス何トナレハ債務者ハ弁済ニ関係ヲ有セサルモノナレハナリ然レトモ債務者代位ヲ許與シタルトキハ其効力ハ敢テ債権者ノ参與ヲ要セス一ニ債務者ト代位者トノ間ニ約定スルコトヲ得
然リ而シテ代位者ニ移轉シタル権利ハ代位ニ因リ之ヲ増加スルコトヲ得ス若シ其権利ヲ増加スルトキハ権利移轉ノ行為代位ニ非スシテ債権ノ讓渡タルヘシ例ヘハ賣主其弁済ヲ受クルニ当リ弁済スル所ノ第三者ニ受戻権能ヲ讓渡スコトヲ得ヘキモ是レ債権ノ讓渡ニシテ代位ニ非ス何トナレハ受戻権能ハ前ニ陳ヘタル如ク弁済シタル第三者ニ移轉スルモノニ非サレハナリ是ヲ以テ此塲合ニ於テハ権利及ヒ訴権讓渡ノ規則ヲ遵奉スルコトヲ要ス而シテ其規則タル代位ノ規則ト同シカラサルコトハ下第四百八十四條ニ至リ之ヲ説明スヘシ
第二及ヒ第三ノ塲合、保証人抵当付ノ債務ヲ弁済シタルニ当リ第三所持者ニ對シ債権者ニ代位スヘキカ将タ其債務ヲ弁済スル第三所持者保証人ニ對シ代位スヘキカノ問題ハ少シク論議ヲ生スヘキ所ノモノナリ蓋シ保証人モ亦第三所持者モ共ニ各他人ノ為メニ義務ヲ負担シ債務ヲ弁済スルニ付キ利益ヲ有スルモノナルカ故ニ第四百二十八條第一項ニ依リ代位ヲ得ヘキモノナリ
此点ニ付キ本條ニ設ケタル二個ノ規定ハ債権担保編第三十六條ト對照セサレハ了觧シ難キモノナリ故ニ其説明ハ同條ニ之ヲ讓ル
第四ノ塲合、此塲合ニ於テハ一個ノ債務ニ数個ノ不動産ヲ抵当トシ数人ノ第三所持者アルコトヲ仮定スルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ第三所持者ノ一人其不動産ヲ滌除シタルトキ即チ受贈者交換者若クハ買主ノ資格ヲ以テ自己ノ資本ヲ立替ヘ以テ其不動産ノ抵当ヲ消滅セシメ而シテ他ノ債権者自己ノ取得シタル不動産ヲ滌除セサルコトヲ仮定スルモノナリ若シ自餘ノ第三所持者自己ノ取得シタル不動産ヲ滌除セサルトキハ原債権者ヨリ訴追ヲ受クコト無ク又代位者ヨリモ訴追ヲ受クルコト非サルカ故ニ此塲合ニ付テハ本項ノ規定ヲ要セサルナリ故ニ本項ニ於テハ自餘ノ所持者滌除ヲ為ササルコトヲ仮定スルコトヲ要ス而シテ第三所持者中ノ一人自己ノ不動産ヲ滌除スルカ為メ其自身負担セサル所ノ債務ヲ弁済シタルトキハ滌除ヲ為ササリシ他ノ第三所持者ニ對シ求償権ヲ行フコトヲ要ス然レトモ之ニ對シ求償権ヲ行フモ其弁済シタル所ノ債務ノ金額ヲ請求スルコト能ハサルナリ若シ其金額ヲ請求スルトキハ却テ更ラニ自餘ノ者相互ニ求償権ヲ行ヒ結局弁済者ニ對シ求償ヲ為スニ至ルヘシ是ヲ以テ弁済シタル者ノ請求スルヲ得ヘキ金額ハ之ヲ分割スルコトヲ要ス即チ本條第四ノ律文ニ其分割ノ割合ヲ規定シタリ
此塲合ニ於テハ連合ノ共同債務者又ハ連帯若クハ不可分債務ノ共同債務者間相互ノ関係ニ於ケルト異ナリ平等ノ分割即チ分頭ノ分割ヲ為ス可カラス蓋シ第三所持者ハ其抵当不動産ヲ所持スルカ故ニ義務ヲ負担スルモノナルヲ以テ各不動産ノ價額ノ割合ニ應シ義務ヲ負担スルコト当然至当トス然レトモ抵当付債務ノ金額ニ超過スル價額ヲ有スルコトアル不動産モ債務額ト同一ノ價額以上見積ル可カラス何トナレハ之ヲ所持スル第三者ハ債務額以外ニ義務ヲ負担スルモノニ非サルヤ明カニシテ第三所者一人ナレハ債務ノ價額ヲ弁済スルニ過キサルヘケレハナリ勿論弁済シタル者ハ第五ノ塲合、此塲合ハ即チ本條第五号ニ仮定スル所ニシテ同号ハ連帯若クハ不可分共同債務者若クハ保証人トシテ自身義務ヲ負担シタル者ニ適用スルモノナリ抑々共同債務者ハ相互ニ代位スルモノナルカ故ニ亦之カ為メニ訴権ノ循環ヲ来スコトアル可カラス是ヲ以各担保人ノ結局負担スヘキ債務ノ部分ヲ算定スルコトヲ要ス而シテ其部分タル主タル共同債務間ニ在テハ又未タ必スシモ分頭ノモノニ非ス各債務者ノ原合意ニ付キ有シタル利益ニ付高ヲ異ニスルコトアリ然レトモ保証人間ニ於テハ反對ノ合意非サル限ハ各保証人ノ分担スヘキモノハ分割ノ部分ナリトス是ヲ以テ弁済シタル者ハ其結局分担スヘキ部分ヲ自己ノ負担トシ自餘ノ者ニ對シテハ其各分担スヘキ部分ヲ求償スヘシ
法文ニハ担保人ノ第三所持ニ對スル求償権アルコトヲ記載セス是レ実ニ法文ニ記載ヲ要セサル所ナリ蓋シ主タル共同債務者ハ保証人ニ對シ求償スルコトヲ得サルト同シク又第三所持者ニ對シ決シテ求償権ヲ行フコト能ハス何トナレハ主タル共同債務者ハ担保人ノ名義ヲ以テ第三所持者ノ弁済シタル所ノ物ヲ必ス償還スルコトヲ要スルモノナレハナリ然レトモ弁済シタル保証人ニ至テハ第二号ニ定メタル塲合ニ於テ第三所持者ニ對シ求償権ヲ行フヘシ
第四百八十四條
本款ノ首ニ於テ説明シタル如ク代位ハ債権ノ讓渡ト大ニ類似スルモノアリ蓋シ代位者ハ旧債権者ノ権利及ヒ訴権ヲ行フカ故ニ代位ノ債権ノ讓渡ト類似スルコトハ多辨ヲ俟タスシテ明カナリ是ヲ以テ往々事実問題ノ生スルコトアリテ當事者果シテ代位ヲ約シタルモノナルカ将タ債権ノ讓渡ヲ為シタルモノナルカヲ断定スルノ必要アリ而シテ此問題タル証書ニ用ヰタル言辞ニ依リ且当事者ノ意思ヲ発表スル事情ヲ斟酌シ以テ以テ之ヲ決定スヘキコトハ前ニ既ニ之ヲ述ヘタリ然レトモ債権者代位ヲ許與シタル塲合ニ於テハ代位アルヤ将タ債権讓渡アルヤニ付キ決シテ擬議ヲ生スルコトナシ何トナレハ債務者自己ノ債務ヲ弁済スルカ為メ金銭ヲ借用シタルトキハ其負担スル債務ニ對スル所ノ債権ヲ讓渡シタリト看做ス可カラサルヤ明ラカナレハナリ又法律上ノ代位ニ至テモ法律ニ明文ヲ以テ其行ハルヘキ塲合ヲ詳定シタルカ故ニ決シテ債権ノ讓渡ト混淆スルコト非サルヘシ
然リ而シテ事実問題ノ外尚ホ法律問題アリ即チ代位ノ債権讓渡ト異ナル如何ノ問題即チ是レナリ
抑モ二個ノ行為相類似スルモノアルニ当リ其類似ノ点ト差異ノ点トヲ比較スルハ法律ノ干渉スヘキ所ニ非ス一ニ学説ニ放任スヘキノミ然レ共亦法律ニ掲クルコトヲ得ヘク且往々掲クル所ハ類似若クハ差異ノ一個若クハ数個疑ハシキ塲合ニ於テ之ヲ明カニスルカ為メ其一二ヲ掲クルニ在リ而シテ法律ニ二個ノ行為ノ類似若クハ差異ノ一個若クハ数個ヲ掲クルトキハ之カ為メ一ノ立法上ノ規定ヲ生スヘシ本條ノ如キ即チ其一例ナリ然レトモ茲ニ掲クル所ノ差異ハ畢竟代位ト讓渡トノ間ニ存スル所ノモノヲ法文ニ明言シタルニ過キス即チ本條ハ讓渡人ニ属スル所ノ権利ヲ代位者ニ属セサルコトヲ定ムルモノナリ蓋シ此権利タル一ニ第四百七十九條ノ代位ノ定義及ヒ第四百八十三條ニ示ス所ノ其効力ニノミ照シ考フルトキハ代位者ニモ亦属スルニ似タルカ故ニ特ニ本條ヲ以テ其之ニ属セサルコトヲ定メタルモノナリ
凡ソ代位弁済ヲ為ス所ノ第三者又ハ弁済金額ヲ債務者ニ貸與スル所ノ第三者債務額以下ノ金銭ヲ供與スルコトアリ而シテ第三者代位弁済ヲ為サス債権ヲ買取リ其代價トシテ債権額以下ノ金銭ヲ拂フタルトキハ其代價如何ニ拘ハラス債権金額ノ弁済ヲ請求スルノ権ヲ有スヘシ蓋シ債権ヲ讓受ケタル第三者ハ元ト射利ノ趣意ニ出テ合意ヲ為シタルモノニシテ縦令法律上之ヲ奨励ス可カラサルモ亦決シテ毫モ之ニ反スルコトナシ然ルニ代位弁済ヲ為シタル第三者ハ他ニ理由アルニ因リ其支拂フタル金額ヲ超エテ請求ヲ為スコトヲ得ス蓋シ第三者合意上ノ代位ヲ為シタルトキハ元ト債務者若クハ債権者ニ對スル厚意ニ出テ之ニ利益ヲ與へントスルノ意思ニ出テ之ヲ為シタルモノナリ又法律上ノ代位ノ塲合ニ於テハ自己ノ利益ノ為メニ弁済ヲ為シタルモノニシテ唯訴追ヲ被ルノ煩ヲ避クルノ趣意ニ出テタルモ決シテ射利ノ趣意ニ出テタルモノニ非ス是レ代位者其立替タル金額ヲ超エテ債権者ノ権利ヲ行フコト能ハサル所以ナリ
尚ホ此他代位ト債権ノ讓渡トノ間ニ劃然存在スヘキ差異アリト雖モ茲ニ之ヲ擧示セス之ニ関スル法文ニ付テ之ヲ説明スヘシ
第四百八十五條
代位ハ債権者ニ許與シタルモノト債権者ノ許與シタルモノト法律ノ許與シタルモノトヲ區別スルコトナリ総テ[原債権者ヲ害セサルコトヲ要ス]蓋シ債権者代位ヲ許與シタル塲合ニ於テハ債権者一分タリトモ弁済ヲ受取リタルニ因リ自ラ害ヲ被ラントスル意思アリタリト推定ス可カラス又債務者若クハ法律ノ代位ヲ許與シタル塲合ニ於テハ債務者又ハ弁済シタル第三者決シテ債権者ニ害ヲ加フルノ権利ヲ有ス可カラス法律ハ之ニ害ヲ及ボスコトヲ防カサル可カラス
本條ハ代位原債権者ヲ害ス可カラサルノ原則ヲ定メ且之ヲ適用シ其結果ヲ示シタリ即チ本條仮定スル所ニ依レハ債権者同一ノ債務者ニ對シ数個ノ債権ヲ有シ其債権ノ一ニ付キ之ニ代位弁済ノ提供アリタルモノトス然レトモ若シ第三者ノ得タル代位自餘ノ債権ニ害ヲ及ホスヘキトキハ債権者全債権ノ弁済ヲ要求スヘシ但シ本條ハ法律上ノ代位及ヒ債権者ノ許與シタル代位ノ為メ設ケタルモノト云フヘシ何トナレハ債権者代位ヲ許與スル塲合ニ於テハ必ス債権者ハ自己ノ利益タルヘキ條件ヲ設クヘク而シテ法律ハ敢テ其利害ニ干渉ス可カラサルヤ明カナレハナリ
第四百八十六條
本條第一項ハ一分ノ代位者ヲシテ債権一分ノ讓受人ト略ホ同一ノ権利ヲ有セシムルモノナリ然レトモ一分ノ代位弁済ヲ領受スル所ノ債権者全弁済ナキニ起因スル觧除訴権ヲ行フヲ得ル塲合アリ而シテ代位者ト共ニ共分ヲ為ストキハ全部ノ弁済ヲ得サルニ至ルヘシ例ヘハ代價ノ全額ヲ受取ラサル賣主代位ヲ許與シタルトキノ如キ即チ是レナリ此塲合ニ於テハ代位者ヲシテ原債権者ト共ニ觧除訴権ヲ行フヲ得セシムヘキカ
法律ハ代位者ヲシテ原債権者ト共ニ觧除訴権ヲ行フコトヲ許サス蓋シ若シ之ヲ許ストキハ原債権者ト代位者ヲシテ賣却シタル不動産ノ共有者タルニ至ラシムルノ結果ヲ生スヘキノミ斯ノ如キハ一方ノミ弁済ヲ受ケタル賣主ノ意思ニ適従セサルコトアルヘシ縦令賣主自ラ代位ヲ許與シタル塲合ニ於ケルモ猶ホ然リ況ンヤ債務者若クハ法律ノ之ヲ許與シタル塲合ニ於テヲヤ抑モ觧除訴権ハ其性質及ヒ其目的ニ付テ之ヲ考フルニ不可分ノ訴権ニシテ亦必ス然ラサルヲ得サルモノナリ
勿論債権者ハ債務者ニ對シ損害賠償ヲ請求スルノ権利ヲ有スルトキタリトモ尚ホ其受取リタル一分ノ弁済ヲ保有ス可カラス必ス之ヲ代位者ニ返還スルコトヲ要ス
右ノ規定タル一分ノ代位ニ固有ノモノニシテ債権一分ノ讓渡ニ比附援用ス可カラサルモノナリ蓋シ債権一分ノ讓渡アリタル塲合ニ於テハ讓渡人及ヒ讓受人共ニ觧除訴権ヲ行ヒ共有者タルヘシ是レ亦代位ト讓渡間ニ存スル一個ノ差異ナリ
第四百八十七條
債権全部ノ代位弁済アリタルトキハ債権者弁済アリタル債権ニ基キ最早債務者ニ對シ行フヘキ何等ノ権利ヲモ有セサルカ故ニ亦債権証書及ヒ質物ヲ保存スヘキ理由非サルナリ
是ヲ以テ債権者ハ総テ債権ノ証書及ヒ質物並ニ執行力アル証書加之既ニ著手シタル訴訟書類ヲ擧ケテ之ヲ代位者ニ交附スルコトヲ要ス又保証ノ担保アリタルトキハ併セテ之ヲ代位者ニ委附スルコトヲ要ス然レトモ一分ノ弁済アリタルニ過キサルトキハ債権証書及ヒ質ノ不可分ナルニ因リ其一分ヲ代位者ニ交附スルコト能ハサルヤ明カナリ然レトモ債務者ハ代位者其権利ヲ保存スルカ為メ必要アリタルトキハ何時ニテモ債権証書及ヒ質権ヲ行使スルコトヲ得セシメサル可カラス故ニ債権者ハ代位者ニ証書ヲ貸與シ之ヲシテ其謄本ヲ作リ又ハ保存處分若クハ訴追處分ヲ行フヲ得セシムヘク又之ヲシテ質物ヲ監視シ其保存所為ヲ行ヒ質物滅失ノ恐アルカ又ハ債務ノ満期ニ至リタルトキハ其質物ノ賣却ヲ要求スルヲ得セシムルヲ要ス
本條ハ抵当ノ記入及ヒ其更新ノ事ヲ言ハスト雖モ債権者代位者共ニ之ヲ行フヲ得ヘキヤ明カナリ
第四百八十八條
本條ハ敢テ詳細ノ説明ヲ要セサルモノナリ蓋自己ノ債務ヲ弁済スルノ能力ヲ有セサル所ノ第三者代理ナキニ他人ノ債務ヲ弁済スルコトヲ提供シタルトキハ法律上ノ代位ノ行ハルヘキ塲合ニ於ケルモ尚ホ債権者其弁済ヲ領受スルコトヲ拒絶スルヲ得ルヤ明カナリ又弁済ヲ受クルノ能力ナキ債権者ニ代位弁済ヲ提供シタルトキモ亦然リトス蓋シ此場合ニ於テハ代位者ハ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシメサルカ故ニ之ニ對シ求償ヲ為スコト能ハス但債権者ニ對シ其弁済ニ因リ享受シタル利益ニシテ尚ホ其保存スル物ノ限度ニ應シ求償ヲ為スヲ得ヘキノミ
又代位弁済ノ塲合ニ於ケルモ弁済ノ充当、提供及ヒ供託ニ付テハ單純弁済ノ塲合ニ於ケルト同一ノ規則ヲ適用スヘキモノトス
是ヲ以テ此事項ニ関シテハ前三款ノ規則ヲ准用シタリ
第二節 更改
第四百八十九條
更改トハ其文字ニ付キ之ヲ考フルモ旧義務ノ新義務ニ変更スルコトヲ云フモノニシテ法文ニ此義ヲ名示シタリ
更改ハ同時ニ二様ノ効力ヲ生スルモノナリ即チ旧義務ヲ消滅セシメ新義務ヲ創設スルモノナリ此二様効力アルニ因リ当事者各々出捐ヲ為スカ故ニ更改ハ有償行為ノ一ナリトス蓋シ債権者ハ一ノ権利ヲ得ルモ是レ他ノ権利ヲ失フニ因ルモノニシテ債務者一ノ義務ヲ負担スルモ亦他ノ義務ヲ免除スルカ故ナリ是ヲ以片務合意ニシテ有償ノ合意タルモノ実際甚タ稀ナリト雖モ更改ハ此性質アルカ故ニ其一タルモノナリ
更改ハ必ス合意ノ結果ニシテ決シテ法律上成立スルコト非サルモノナリ又裁判上更改ノ行ハルルコトナシ往昔羅馬ノ判例ニ於テハ裁判上ノ更改ナルモノアリ即チ訴訟ヲ起ストキハ一ノ更改アルモノニシテ裁判宣告アルトキハ更ニ一ノ更改行ハルルモノト云ヘリ
然リ而シテ現時ニ至リテハ更改ノ必ス合意ニ起因スト雖モ亦数多ノ変体アリテ種々ノ点ヨリ観察スルヲ得ヘキモノナリ蓋シ義務ハ数個ノ構成原素アリ就中一個ノ目的一個ノ原因及ヒ二個ノ主格[一ハ働方ノ主格ニシテ即チ債権者タリ一ハ受方ノ主格ニシテ即チ債務者タリ]ヲ有スルカ故ニ此四原素ノ一変更スルトキハ即チ債務ハ更改シタルモノト為ル是レ本條ニ規定スル所ナリ
固ヨリ義務構造ノ原素ハ其一個ヲ変スルニ止マラス数個ノ同時ニ変更スルコトアリテ此塲合ニ於テハ更改ノ効力較々複雑ナリト雖モ敢テ之カ為メ單一ナル更改ノ規則ヲ変スルコトナシ
右ノ構造原素中最モ至要ナルモノヲ承諾ト為ス然レトモ本條ニハ敢テ承諾ノ変更アル塲合ヲ規定セス却テ次條ニ至リ承諾ノ更新ハ債務ノ更改ヲ来スモノニ非サルコトヲ明言ス其理由ハ次條ニ詳カナリ
以下更改ノ四個ノ塲合ヲ逐一説明セン
第一ノ塲合、第一ニ塲合ニ於テハ義務ノ目的ノ変更アルモノニシテ例ヘハ義務ノ目的商品若クハ定量物タリシニ當事者相約シテ債務者更ラニ金銭ヲ負担スヘキモノトシ又ハ義務ノ目的金銭ナリシニ債務者更ラニ商品若クハ定量物ヲ負担スヘキモノトシタルトキノ如シ此塲合タル既ニ説明シタル他ノ一ノ行為即チ代物弁済ト類似スルモノナリ[本論第四百六十一條ヲ参観スヘシ]蓋シ代物弁済アル塲合ニ於テハ之ニ先チ更改ノ行ハルルモノナリト雖モ其更改タル瞬時ニシテ完結シ之ヲ論スルノ利益ハ僅カニ理論上ニ過キス実際ニ現ハレサルモノナリ然レトモ代物弁済ト眞ノ更改ト異ナル所ハ代物弁済ノ塲合ニ於テハ其弁済ニ因リ債務ヲ消滅スルカ故ニ最早当事者間ニ権利関係ノ存在スルコトナキモ更改ノ塲合ニ於テハ必ス旧義務ニ牽連スル新義務ノ存スルモノニシテ旧義務原因ト為リ新義務結果ト為リ其間ニ因果ノ関係存スルモノナリ
前記ノ適例ニ於テハ新旧合意ノ目的定量物[即チ商品若クハ金銭]タルコトヲ想像シ特定物ヲ以テ目的トスルコトヲ仮定セサリシハ旧合意ノ目的特定物タルトキハ合意ノ効力ニ依リ自然所有権ヲ移轉シ了リ新合意ハ主トシテ之ヲ讓戻スコトヲ目的トスルモノニシテ此事タル他ノ理論ニ至リ之ニ関スル固有ノ規則アルカ故ナリ[本論第三百五十三條ヲ参観スヘシ]又新合意特定物ヲ以テ目的トスルトキハ旧債務ヲ消滅スルヤ即時新合意ノ目的物ノ所有権ヲ移轉スルカ故ニ本論第四百六十一條ニ規定シタル代物弁済ニシテ眞ニ所謂更改ニ非サルナリ勿論所有権ノ移轉ハ必ス引渡ノ義務及ヒ追奪担保ノ義務ヲ生スト雖モ是レ只其附從ノ効力タルニ過キス
第二ノ塲合、第二ノ塲合ニ於テハ義務ノ主格タル人ノ交替ナク又目的ノ変換アラサルモ原因変換シタルモノトス例ヘハ債務者賣買代價若クハ借賃トシテ金銭ヲ負担シタルニ之ヲ弁済スルノ餘力ナキカ故ニ債権者ニ乞フテ更ニ之ヲ貸借名義ニテ負担スルコトヲ約シタルトキ即チ是レナリ勿論債権者ハ更ラニ債務者ニ金銭ヲ貸與シ債務者之ヲ以テ其旧債務ヲ償却スルヲ得ヘク又或ハ債権者一旦弁済ヲ受取タル後チ直チニ之ヲ貸與スルコトヲ得ヘキモ斯ノ如キハ徒ラニ手数ヲ要スルニ止マリ單ニ合意ヲ以テ義務ノ名義即チ原因ヲ変更スルノ單簡ナルニ如カサルナリ
然リ而シテ債務者賃貸借ノ名義ニテ義務ヲ負担セス更ラニ貸借ノ名義ニテ之ヲ負担スルハ実際ノ利害ヲ異ニスルモノナリ蓋シ貸借ニ因リ生スル所ノ債務ハ通常ノ時効ニ係ルヘキモ賃貸借ニ因リ生スル債務ハ一層短少ナル時期ニ因リ時効ニ至ルモノナリ然レトモ貸借ノ債務ニハ之ヲ担保スル何等ノ先取特権モ非スト雖モ賃貸借ノ債務ハ過半先取特権ノ之カ担保タルモノアリ是ヲ以テ更改ハ債務者ノ出訴スルヲ得ル期間ニ付テハ之ニ利アルモ担保ニ関シテハ之ニ不利ナルモノナリ
然リト雖モ原因ノ変換ニ因ル更改ハ未タ必スシモ当事者ノ隨意ニ約スコトヲ得ヘキモノニ非ス当事者ハ濫ニ其債務ノ原因ヲ変更スルヲ得ルモノニ非サルナリ例ヘハ前記適例ノ塲合ニ於テ当事者賣買若クハ賃貸借ニ因リ負担スル所ノモノヲ改メ貸借名義ニテ之ヲ負担スヘキコトヲ約スルヲ得ルモ元貸借名義ニテ負担シタル所ノ債務ヲ更ラニ賣買若クハ賃貸借名義ニテ負担スヘキコトヲ約スルヲ得ス何トナレハ初メ貸借アリタルトキハ眞ニ賃貸若クハ賣渡シタル物件ナキカ故ニ代價アラサレハナリ加之当事者賃貸借ノ名義ヲ賣買代價ノ名義ニ更改スルトキハ貸主ノ為メ頗ル危害アルヘキナリ何トナレハ債務者ハ容易ニ賣却物件アラサルコトヲ証明シ無原因ノ為メ弁済ヲ拒絶スルニ至ルヘケレハナリ但原因ヲ仮想スルヲ得ルハ賣買若クハ賃貸借ノ原因ヲ改メ貸借ノ原因ト為スニ在リテ前ニ述ヘタル如ク当事者ハ債務者ノ一旦拂フタル金銭ヲ更ラニ之ニ貸與シ又ハ旧債務ノ弁済ニ必要ナル金銭ヲ之ニ貸與スルヲ得ヘキモ更改ヲ行ヒ重ネテ二回ノ金銭授受ヲ為スノ手数ヲ省キ毫モ実際ノ受授アラサルヲ得ルノミ然レトモ義務ノ一切ノ原因、一切ノ合意ニ付キ未タ必スシモ斯ノ如ク二回ノ受授ヲ省略シ毫モ実際ノ受授アラサルヲ得ルモノト云フ可カラス
然レトモ亦貸借モ未タ独リ原因変換ノ方法タルモノニ非ス他ノ原因ニ基ク金銭ノ債務若クハ商品ノ債務ヲ寄託ト変スルコトヲ得即チ旧原因ヲ改メ寄託ト為ス塲合ニ於テハ債務者一旦負担シタル物ヲ供與シ更ラニ即時名義ヲ以テ之ニ其物件ヲ寄託シタリト仮定スルモノナリ又特定物ノ寄託ヲ以テ使用貸借ニ変シ其使用貸借ヲ変シ寄託ト為スコトヲ得又事務管理ニ基ク債務ヲ以テ本主ノ認諾ニ因リ代理ヨリ生スル債務ニ変スル塲合モ亦原因ノ変換ニ因リ義務更改行ハルルノ一例ナリ
第三ノ塲合、第三ノ塲合ニ於テハ債務ノ交替アルコトヲ仮定スルモノニシテ其交替ハ二様ノ方法ニ出ツルコトアリ即チ第三者隨意ノ干渉ヲ為シ旧債務者ノ位置ニ代ハルニ因リ或ハ債務者ヨリ第三者ニ委任ヲ為シ第三者之ニ代ハリ義務ヲ負担スルニ因リ更改ノ行ハルルモノナリ第三者隨意ノ干渉ヲ為ストキハ除約アリト云ヒ債務者委任ヲ為シタルトキハ其行為ヲ稱シテ嘱託ト云フ義務更改ノ第三及ヒ第四ノ塲合ハ一層詳細ノ規定ヲ要シ且ツ細別ヲ設クルヲ要スルカ故ニ第四百九十六條以下ニ至リ更ラニ之ヲ詳定ス
第四ノ塲合、此場合ハ前項ニ示ス所ノ更改並ニ行ハルルコト最モ多シ蓋シ債務者債権者ニ對シ自己ノ債務者ヲ指定シ嘱託ヲ為シタルトキハ債権者ノ為メニハ債務者ノ交替アルモノニシテ債務者ノ為メニハ債権者ノ交替アルモノナリ然レトモ亦債権者ノミノ交替アルニ過キサル塲合アリ即チ債務者自ラ何等ノ義務ヲモ負担セサル者ニ自己ノ債務者ヲ指定シ一ニ贈與ヲ為スノ意ニ出テ嘱託ヲ為シタルトキハ新債権者ハ嘱託者ニ對シ債権ヲ有セサリシカ故ニ之カ為メ債務者ノ交替アルコトナク唯債務者ノ為メ債権者ノ交替アルノミ
第四百九十條
本條ハ或ル塲合ニ於テ更改ノ行ハルヘキニ似タリト雖モ其実更改アラサルコトヲ規定シ以テ前條ヲ補充スルモノナリ
蓋シ本條ニ規定スル変更ハ[承諾ヲ除クノ外]義務ノ公正証券ニ関スルモノニ非ス唯其体様其担保其履行其區域又ハ其証拠ニ関スルニ過キサルモノナリ実ニ義務履行ノ要求期ニ遲速ヲ来シ其成立ヲシテ不確定ナラシムル所ノ條件ヲ附シ或ハ之ヲ除キ又ハ抵当若クハ抵当ヲ加ヘ或ハ之ヲ滅シ又ハ其履行ノ塲所ヲ変更シ又ハ其負担物ノ数額ヲ増減スルモ決シテ之カ為メ義務ノ本性ヲ変スルモノニ非ス義務ハ依然存続スルモノナリ又作為若クハ不作為ノ義務不履行ノ塲合ニ於テ損害賠償ノ言渡アリ或ハ契約以後不履行ノ為メ過怠約款ノ為メ要約ヲ設クルハ義務ノ性質ヲ変スルコトナク合意ヲ以テ要約シ又ハ裁判所ニ於テ宣告シタル損害賠償原義務ノ條件付ナルモ亦当然ノ結果タルニ過キサルナリ
又義務ヲ証明スヘキ証書ニ附シタル体裁ニ至テモ敢テ其義務ノ性質ヲ変スルモノニ非ス縦令其証書如何ニ因リ或ハ債権者ヲシテ其権利ヲ讓渡ニ一層容易ナルヲ得セシメ[例ヘハ債務者為替手形其他商證券ヲ作リタルトキノ如キ即チ是レナリ]或ハ債権者ヲシテ裁判所ニ訴追スルヲ要セス直チニ権利ヲ行フコトヲ得セシムルモ[例ヘハ債務者私署証書ヲ以テ証明シタル義務ノ為メ更ニ公正証書ヲ作リタルトキノ如キ即チ是レナリ]義務ハ依然其従来ノ性質ヲ保存スルモノナリ是ヲ以テ承諾ヲ更新スルモ之カ為メ債務ノ更改ヲ来ササルコトアリ即チ此塲合ニ於テハ債務ノ追認認諾ノ行為アルモノニシテ其主タル効力ハ時効ヲ停止スルニ在リ而シテ其追認ノ行為原合意ニ附着シタル瑕疵ヲ補フノ目的ニ出テタルトキハ認諾アリタルモノトス[下第五百五十五條ヲ参観スヘシ]追認証書ノ事ハ嘗テ本編第二百七十九條ニ於テ之ヲ一言シタリシカ尚ホ証拠編ニ至リ詳細ニ規定スル所アリ
又本條ハ裏書ニ因リ取引スルコトヲ得ヘキ商証券ヲ以テスル債務ノ弁済証券ノ原因タル債務ノ更改ヲ為スヤ否ヤノ問題ヲ断定シタリ蓋シ証券面ニ單ニ債務ノ原因トシテ通常ノ文例ニ従ヒ金何圓トノミ記載シタルトキハ之ヲ一目スル者金銭ノ貸借アリト信スルコトアルヘキモ事実ノ状情ヲ考ヘ殊ニ証書面ノ金額ト旧債務ノ金額ト同額ナルトキハ債務者二個債務ヲ負担スルニ非サルヤ明カニシテ此塲合ニ於テハ債務者先ツ其旧債務ヲ弁済シ直チニ同一ノ金額ヲ借用シ原因ノ変更アリタルモノト看做スヘシ然レトモ証券面ニ旧義務ノ原因例ヘハ賣買ニ因リ義務ヲ負担スル旨ヲ記載シタルトキハ更改行ハルルモノニ非ス賣主ハ其先取特権及ヒ其觧除ノ権利ヲ行ハサルヤ当然ナリ
第四百九十一條
債権者及ヒ債務者更改ヲ為スニ必要ナル能力ニ至テハ法律ヲ以テ之ヲ規定スルヲ必要トス債務者ノ能力如何ニ至テハ敢テ論議ヲ生スヘキコトナク債務者更改ヲ為ストキハ新義務ヲ約スルモノナルカ故ニ有償権原合意ニ関スル普通法ニ從ヒ義務ヲ負担スル能力ヲ有スヘキヤ当然ナリ蓋シ債務者ハ更改ニ因リ旧義務ヲ免カルト雖モ亦新義務ヲ負担スルカ故ニ有償合意ヲ為スニ必要ナル能力ヲ有セサル可カラス無能力者ハ更改ノ利害ヲ考察スルノ智力アラサルモノト認メサル可カラス
然レトモ債権者ノ能力ニ至テハ較々論議ヲ生スルコトナキヲ期ス可カラス故ニ本條特ニ此点ヲ断定シ債権者弁済ヲ受クルノ能力アルヲ以テ債権ノ更改ヲ為スヲ得ルニ足ラサルモノトシタリ蓋シ債権者弁済ヲ受ルトキハ其債権ヲ失フト雖モ亦実際其受クヘキ所ノモノヲ領受スルカ故ニ更ラニ以後損害ヲ被ルノ恐ナク義務ハ通常ノ原因ニ因リ消滅スルモノニシテ其消滅原因ノ正当ナルハ債権者弁済ヲ受ルコトヲ欲セサルニ於テハ債務者提供及ヒ供託ヲ為シ以テ債権者ニ強イテ弁済ヲ受ケシムルコトヲ得ルヲ見ルモ亦既ニ瞭然タリ然ルニ債権者債務者若クハ第三者ト更改ヲ為ストキハ却テ新債務者ノ無資力ノ結果ヲ被ルノ恐アリ或ハ負担物ノ滅失ノ結果ヲ被ルノ恐アリ且更改ハ債務者ヨリ強イテ債権者ニ要求スルヲ得サルモノナルニ債権者之ヲ承諾スルハ即チ債務者ニ一ノ利益ヲ與へ之ニ一歩ヲ讓ルモノナリ又殊ニ債権者一ノ権利ヲ抛棄シ加之旧債権ニ附着シタリシ担保ヲ抛棄スルコトアリテ新債権ニ付キ得ル所其旧債権ニ付キ失フ所ヲ補フニ足ラサルコトアルヘシ
是ヲ以テ本條ニ債権者モ亦其債権及ヒ之ニ附着シタル担保ヲ抛棄スルノ能力ヲ有スルコトヲ必要ト定メタルハ至当ノ規定ト謂ハサル可カラス是ヲ以テ或ル義務ノ弁済ヲ受ケ其履行ヲ受クノ能力アル自治産ノ未成年者、旧債権ノ一切ノ担保ヲ以テ新債権ニ附着スルニ非サレハ該義務ヲ更改スルコト能ハス
加之本法ハ共同債権者ニ関シ本條ノ原則ニ二個ノ例外則ヲ設ケタリ蓋シ共同債権者ハ弁済ヲ受クノ能力ヲ有スルモノナリト雖モ更改ヲ為スコト能ハサルモノトス是レ其更改ハ他ノ共同利害関係人ニ損害ヲ及ホスヘキカ故ナリ[下第五百一條ヲ参観スヘシ]又本條ハ部理代人及ヒ管理人ノ合意上ノモノタルト法律上ノモノタルト裁判上ノモノタルトヲ論セス其弁済ヲ受クルノ能力アルニ拘ハラス更改ヲ為スノ権利ナシトセリ蓋シ部理代人及ヒ管理人ハ弁済ヲ領受シ以テ代位ヲ許與スルヲ得ルモ是レ代位ト更改ハ異ナリ其代表スル所ノ者ニ害ヲ及ホササルカ故ナリ[上第四百八十五條ヲ参観スヘシ]之ニ反シ後見人夫會社ノ管理人ノ如キ総理人及ヒ管理人ハ其管理スル所ノ財産ノ本主ヲシテ義務ヲ負担セシムルノ権利アルカ故ニ亦更改ヲ為スノ権限ヲ有ス
第四百九十二條
更改ハ之ヲ推定セスト云フト雖モ是レ債権者更改ヲ為スニ因リ其権利ヲ抛棄スルモノト看做シタルカ故ニシテ更改ハ其明白ナル証拠アルニ非サレハ之ヲ認メサルヲ至当ト為ス但更改ヲ約スル者明約タルヲ要スルニ及ハスト雖モ其毫モ疑ヲ容レサルコトヲ要スヘシ是ヲ以テ合意ノ証書ニ明白ニ義務ヲ約スルコトヲ記載シ之カ為メ更改ニ因リ旧義務ヲ消滅スルコトヲ充分明瞭ニ記載セサルトキハ前後ノ義務共ニ存立スルモノト断定スルコトヲ要ス然リト雖モ此断定タル新債務ヲ約スル者旧債務ノ債務者ト異ナリ或ハ旧義務ノ債務者ニ非サル者ニ對シ新義務ヲ約シヤルトキハ誠ニ其当ヲ得タルモノナリト雖モ旧義務ニ於ケルト同一ノ債務者ヨリ同一ノ債権者ニ對シ新債務ヲ約シタルトキハ或ハ事実ニ適合セサルコトアルヘシ若シ此塲合ニ於テモ尚ホ更改ノ意思ニ付キ疑アルニ因リ一概ニ新債務ト旧債務ト共ニ存立スト認ムルトキハ遂ニ第三百六十條ノ原則ニ反シ合意ノ意義ニ疑アルトキハ要約者ニ對シ即チ諾約者ノ利益ニ觧釋ヲ為スヘシト云ヘル原則ニ背馳スルニ至ルヘシ是ヲ以テ本條新債務ノ明瞭ナルモ更改ニ因リ旧義務ヲ消滅シタルモノナルカ将タ之ヲシテ存続セシメタモノナルカニ付キ疑アルトキハ債務者ノ利益ノ為メニ疑團ヲ決定シ更改ノ有無ニ付キ疑議アルニ拘ハラス之ニ因リ旧債務ヲ消滅シ債務者新債務ノミ負担スルモノト看做スヘシト定メタリ然レトモ此規定ハ一ニ同一ノ当事者間ノ更改ニ限リ適用スヘキモノナ
第四百九十三條及ヒ第四百九十四條
第四百九十三條ニ規定シタル塲合ハ第四百九十條ニ規定シタル塲合ト之ヲ混淆セサルコトヲ要ス蓋シ第四百九十條ニ規定シタル塲合ニ於テハ唯義務ニ條件ヲ附シ又ハ之ヲ除去シ他ノ点ニ付テハ其義務毫モ從来ノ状態ヲ異ニセサルコトヲ仮定シタルモノナリ然ルニ第四百九十三條ニ於テハ更ラニ新義務ヲ創設シ以テ旧義務ヲ消滅セシメンコトヲ目的トシ旧義務條件ニ付テ新義務單純ナルコトヲ仮定スルモノナリ此塲合ニ於テハ更改ハ單純ノモノニ非ス旧義務ニ附着シタル條件ノ結果ヲ被ルヘキモノナリ何トナレハ旧義務ニ附着シタリシ停止條件成就セサルカ又ハ觧除條件成就スルトキハ旧義務未タ嘗テ存在セサリシモノト為スヘケレハナリ是ヲ以テ旧義務ノ消滅スヘキモノナキカ故ニ更改ノ合意ハ原因ナク従テ新義務無原因ノ故ニ発生スルコト能ハス之ニ反シ旧義務單純ニシテ新義務條件付ナルトキ其條件停止ニシテ成就セサルカ又ハ觧除ニシテ成就スルトキハ新義務或ハ発生セス或ハ既往ニ溯リ消滅スルカ故ニ目的ナキニ因リ更改ノ効ナク旧義務ノ消滅亦無原因ニ因リ無効ニ属スヘシ
此結果タル論理上自ラ原則ノ結果タルモノナリ然レトモ当事者ハ此自然ノ結果ニ反シ自己ノ利益ニ適合セル結果ヲ生セシムルヲ得ルカ故ニ何レモ單純ノ更改詳カニ之ヲ言ヘハ旧義務若クハ新義務ニ附着シタリシ條件ノ成否ニ関関セサル更改ヲ為スコトヲ約シタル旨ヲ主張シ之ヲ証明スルコトヲ得蓋シ当事者確定ノ義務ニ代フルニ不確定ノ義務ヲ以テシ断然更改ヲ為スモ毫モ之カ妨害タルモノ非ス是ヲ以テ單純ノ債務條件付ノ債務ニ比シ較々軽キトキハ裁判所当事者ノ意思單純ノ更改ヲ為スニ在リト認ムルモ敢テ不当ニ非サルヘシ
第四百九十四條ニ規定スル所ノ塲合及ヒ其之ニ付キ設ケタル所ノ規定、共ニ前條ト類似スルモノナリ但前條ノ塲合ニ於テハ旧義務更改ヲ約シタルトキニ当リ成立上不確定ニシテ其後停止條件ノ不成就若クハ觧除條件ノ成就ニ因リ既往ニ溯リ不成立ノモノト看做サルルコトヲ仮定シタルモノナリ然ルニ本條ノ塲合ニ於テハ旧義務当初ヨリ其成立ノ妨害アルニ因リ又ハ合意ノ瑕疵ニ基ク鎖除訴権ノ勝訴ニ因リ義務全ク無効ナルコトヲ仮定スルモノナリ又前條ニ於テハ新義務條件ノ効力ニ因リ未定ナリシニ其結果遂ニ義務ノ発生ヲ妨害シ又ハ之ヲ廃却シタルコトヲ仮定シタルモノナレトモ本條ニ於テハ根原上無効ナルカ又ハ原始ノ瑕疵ニ因リ鎖除スルヲ得ヘキモノナルコトヲ仮定スルモノナリ然レトモ本條二個ノ塲合ニ於テハ其結果前條ニ於ケルト同一ニシテ第一ノ塲合ニ於テハ諾約ノ原因ナキニ因リ又第二ノ塲合ニ於テハ諾約シタル目的ナキニ因リ更改シタル目的ナキモノトス
例ヘハ旧義務法禁ノ物件若クハ不融通物ヲ以テ目的トシタルニ因リ当然無効ナルカ又ハ無能力者ノ結約シ若クハ債務者ノ承諾ニ瑕疵アリシニ因リ其義務裁判上鎖除セラレタルニ爾後債務者ノ相続人其先主ノ債務ノ無効若クハ鎖除シ得ヘキコトヲ知ラスシテ債権者若クハ其相続人ニ對シ新義務ヲ約束シ当事者之ヲ以テ旧義務ニ代ヘンコトヲ合意シタルトキハ消滅スヘキ債務ナキニ因リ諾約ノ原因ナキヲ以テ更改無効ナリトス
之ニ反シ旧義務全ク有効ナルモ新義務不法ナル目的ヲ有シ或ハ無能力者ノ約シタルモノニシテ其無能力者裁判所ニ於テ之ヲ鎖除セシメタルトキハ新義務成立セス又ハ未タ嘗テ成立セサリシモノト看做サルルニ因リ諾約シタル目的ナキカ故ニ更改ヲ以テ前義務ヲ消滅スルコト能ハス
然レトモ本條ノ場合ニ於ケルモ亦前條ニ於ケルカ如ク純粋ノ法則ノミニ拘泥セス尚ホ当事者ノ意思ヲ推尋スルコトヲ要ス是ヲ以テ旧義務ノ無効若クハ鎖除シ得ヘキ塲合ニ於ケルモ当事者更改ヲ為ストキニ当リ旧義務ノ無効ナルコトヲ知リ而シテ新義務旧義務ニ比シ著ク軽キトキハ裁判所ハ當事者更ラニ其相互ノ関係ヲ規定スルノ意ヲ以テ更改ヲ為シタリト認定スルヲ得ヘシ又新義務無効ニシテ旧義務有効ナリシ塲合ニ於テモ債権者新義務ノ瑕疵ヲ知ラサルコトナカルヘキカ故ニ新義務旧義務ニ比シ著シク重キトキハ債権者之ヲ以テ旧義務ニ代ヘ縦令新義務ニ付キ争起ルモ尚ホ本條件ノ利益アルモノヲ得ンコトヲ欲シタルモノト認定スルヲ得ヘシ
然リト雖モ右ノ規定ニ對シテハ非難ヲ加フルコトヲ得ヘシ蓋シ無効ナル義務若クハ鎖除セラレタル義務ハ條件付ノ義務ト異ナリ更改ノ原因ト為ルコト能ハサルニ似タリ実ニ條件付ノ義務ハ其條件停止ナル塲合ニ於テモ尚ホ成立ノ原素アリ加之其條件觧除ナル塲合ニ於テハ現一成立シ唯其帯フル所ノ躰様ノ為メ消滅ニ帰スルコトアルヘキノミ然ルニ無効ナル義務若クハ鎖除セラレタル義務ハ毫モ成立セス且到底成立スルノ期ナク而シテ烏有ハ更改ニ必要ナル二個ノ原素ノ一タルコト能ハサルヤ明カナリ然レトモ民法上無効ナルカ又ハ裁判所ニ於テ鎖除セラレタル義務ハ全ク烏有ナリト言フ可カラス尚ホ之ニ因リ自然義務ノ存スルコト最モ多シトス[本編第二百十四條第二項ヲ参観スヘシ]是ヲ以テ第四百九十四條第三項ニ当事者ノ意思ヲ推尋スヘキコトヲ定ムルモ前條ニ於ケルト異ナリ当事者不確定ノ義務ヲ以以テ確定ノ義務ニ更改シ又ハ確定ノ義務ヲ以テ不確定ノ義務ニ更改スルノ意思アリタルコトヲ想像セス但法定義務ヲ以テ自然義務ニ代ヘ自然義務ヲ以テ法定義務ニ変セン欲シタルコトアルヘキ塲合ヲ想像シタリ
然リ而シテ第四百九十三條ト第四百九十四條トハ文辞ヲ異ニスルモ其実痛ク異ナルモノニ非ス蓋シ自然義務ハ本編ノ末ニ至リ詳カニ之ヲ規定スル所ノモノニシテ強制執行ヲ求ムルヲ得ス唯僅カニ債務者ノ任意履行ニ放任スヘキモノナルカ故ニ不確定立ノ義務ナリト云フコトヲ得ヘシ然レトモ法律ノ認定スル所加之当事者ノ意思ニ因ルモ尚ホ自然義務ハ更改ノ原素タルニ充分ナル効力ヲ有スルモノナリ是ヲ以テ旧義務民事上無効ナリシトキハ自然義務ハ更改ノ原因ニシテ新義務無効ナルトキハ其自然義務ハ更改ノ目的タルヘシ蓋シ当事者相互ノ関係位置ヲ了知シ區域廣キモ自然義務タルニ過キサルモノニ代フルニ區域狹キモ確然成立スル所ノ法定義務ヲ以テセント欲シ或ハ法定義務ナルモ區域狹キカ為メニ區域廣キ自然義務ヲ以テ之ニ代ヘント欲スルコトナシト云フ可カラス当事者斯ノ如キ意思アルコトハ負担物ヲ変更セス債権者若クハ債務者ノ交替ニ因リ更改ヲ為ス塲合ニ於テモ亦之ヲ証明スルコトヲ得ヘシ
第四百九十五條
本條ニ於テハ旧義務当然無効ナルカ又ハ更改ヲ約シタルトキニ当リ既ニ裁判上鎖除セラレタルコトヲ仮定スルモノニ非ス唯旧義務ノ區域若クハ目的ニ関シ鎖除スルコトヲ得又ハ多少攻撃スルヲ得ヘキ塲合ニ於テ債務者此抗弁方法アルヲ知リナカラ單純ノ更改詳カニ之ヲ言ヘハ其権利ニ付キ異議ヲ止メスシテ更改ヲ為シタルコトヲ仮定スルモノナリ此塲合ニ於テハ債務者旧債務ノ消滅ヲ以テ新義務ノ原因ト為シ其無効ヲ申立ツルノ権利ヲ抛棄シタルモノト看做シ本章第七節ニ規定スル所ノ黙示ノ認諾アリタルモノト認ム
第四百九十二條ニ於テハ同一ノ当事者ナルト否トヲ區別シタリシモ本條ニ於テハ特ニ債務同一ノ債権者ト更改ヲ為シタルト旧債権者ヨリ嘱託ヲ受ケタル新債権者ト更改ヲ為シタルトヲ區別スルノ要ナキコトヲ記載シタリ蓋シ債務者旧債務ヲ争フノ権利ヲ留保セス旧債権者ノ嘱託ヲ承諾シタル以上ハ債務者自ラ其争ノ不当ナルコトヲ認メ又ハ旧債務ヲ攻撃スルノ権利ヲ抛棄シタルモノト推定スヘキカ故ナリ
本條ニ於テハ右ノ設例ニ反スル塲合即チ旧債務毫モ攻撃スルコトヲ得サルモノニシテ新債務ノ攻撃スルヲ得ヘキモノタル塲合ヲ仮定セス蓋シ新債務ノ成立ニ瑕疵アルトキハ債務者合意ノトキ直チニ之ヲ認諾スルコト能ハサルヤ明ラニシテ爾後其鎖除ヲ為シタルトキハ旧債務未タ嘗テ消滅セサリシモノト看做サルヘシ
然レトモ更改以後債権者ト債務者トノ間ニ債務ヲ減少シ又ハ之ヲ変更スヘキ原因例ヘハ相殺ノ原因生シタリシトキハ[下第四條ヲ参観スヘシ]債務者全然之ヲ申立ツルノ権利ヲ保存スヘシ然レトモ既ニ更改ノ行ハレタルトキハ決シテ其効力ヲ傷害スルコトナシ
第四百九十六条第四百九十七条及ヒ第四百九十八条
債務者ノ交替ニ因ル更改ハ実際頗ル利益アルモノニシテ之ヲ規定スルニ付テハ重要ナル数多ノ区別ヲ設クルコトヲ要ス是レ第四百九十六条以下二条ノ主眼トスル所ナリ
其区別ノ第一ハ旧債務者新債務ニ干渉スルト否トニ関スルモノナリ
凡ソ債権者從来有シタリシ債権ヲ新債務者ニ対シ要約スルハ旧債務者ヨリ新債務者ヲ債権者ニ差出スコト実際最モ多シトス其行為ヲ称シテ嘱託ト云フ蓋シ嘱託トハ代理委任ノ故ニシテ旧債務者ヲ称シテ嘱託人ト云ヒ新債務者ヲ称シテ被嘱託人ト云ヒ債権者ヲ称シテ受嘱託人ト云フ而シテ嘱託人ハ概ネ被嘱託人ノ債権者ニシテ此塲合ニ於テハ二様ノ更改行ハルルモノナリ即チ被嘱託者ニ対スル債権者変更シ又ハ受嘱託人ニ対スル債権者交替スルモノナリ又此塲合ニ於テ負担シタル物ヲ同時ニ変更シタルトキハ一時ニ三様ノ更改行ハルヘシ
嘱託ハ嘱託人ヨリ被嘱託人ニ為ス所ノ委任ナルカ故ニ被嘱託人嘱託人ノ債務者タラサリシトキハ代理訴権ニ因リ受嘱託人ニ弁済シタル所ノ物ノ償還ヲ請求スルノ権利ヲ有スヘシ又被嘱託人嘱託人ノ債務者タルモ自己ノ負担スル所ヨリ以外ノモノヲ諾約シ之ヲ弁済シタルトキハ均ク代理訴権ニ因リ嘱託人ニ対シ求償権ヲ有スヘシ
嘱託人ト受嘱託人ノ間ニモ亦嘱託ハ代理ノ性質ヲ有スルモノナリ何トナレハ受嘱託人ハ之ニ因リ被嘱託人ト要約スルモノナレハナリ然レトモ其代理タル被嘱託人ト受嘱託人トノ間ニ概ネ義務ノ原因タラサルヘシ其子細ハ第四百九十八条ノ下ニ於テ充分説明スヘシ
新債務者除約ニ因リ旧債務者ノ委任ナク自ラ好テ之ニ代ハリ義務ヲ負担シタルトキハ事務管理者ノ名義ヲ以テ之ヲ處シタルモノニシテ旧債務者ニ対シ之ヲシテ得セシメタル所ノ利益ノ限度ニ應シ求償権ヲ有スヘシ但シ新債務者從来旧債務者ニ対シ義務ヲ負担セサルトキニ限ル若シ從来之ニ対シ負担シタル所ノ義務ヲ有スルトキハ相殺行ハルへク敢テ求償権ヲ行フコト能ハサルヘシ相殺ノ理論ハ後ニ至リ之ヲ詳悉スヘシ
以上説明スル所ハ債務者ノ交替ニ関スル第一ノ区別ニシテ或ハ嘱託即チ代理アリ或ハ隨意ノ除約即チ事務管理アリ
又嘱託及ヒ除約ノ塲合ハ更ラニ各細別シテ規定スルヲ要スルモノナリ即チ嘱託ニハ完全ノモノ有リ又不完全ノモノ有リ而シテ事務管理ハ或ハ除約タリ或ハ補約タリ
是等ノ細別タル一条中ニ併セテ之ヲ規定スルトキハ却テ煩雑ニ流ルルノ恐アルカ故ニ之ヲ規定スル条項ヲ異ニシタリ
債権者嘱託人即チ旧債務者ヲシテ義務ヲ免カルコトヲ承諾シタルトキハ其嘱託ヲ称シテ完全ノモノト云フ其嘱託タル充分ノ効力ヲ生シ更改ヲシテ行ハレシムルカ故ニ之ニ附スルニ完全ノ称ヲ以テシタリ之ニ反シ債権者被嘱託人ニ対シ要約スルコトヲ承諾スルモ猶ホ新債務者ニ対スルト共ニ併セテ旧債務者ニ対シ自己ノ権利ヲ保有シタルトキハ其嘱託ハ充分ノ効力ヲ生スルモノニ非ス更改ヲシテ全然行ハシメサルヲ以テ之ヲ称シテ不完全ノ嘱託ト云フ
第三者ノ隨意ノ干渉アリタル塲合ニ於テモ亦同一ノ細別ヲ為スコトヲ要ス即チ債権者旧債務者ニ替エ第三者ヲ以テ新債務者ト為スコトヲ承諾シタルトキハ更改アリト雖モ其新債権ト共ニ旧債権ヲ保有セントスルノ意アリシトキハ新債務者旧債務者ニ交替セスシテ唯之ニ附添スルノミ而シテ債権者債務者ノ交替ヲ承諾シタル塲合ニ於テハ除約アリト云ヒ其旧債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムルコトヲ承諾セサル塲合ニ於テハ補約アリト云フ蓋シ第一ノ塲合ニ於テハ新諾約ヲ以テ旧諾約ヲ除却シ之ニ代ハルモ第二ノ塲合ニ於テハ旧諾約單ニ新諾約ニ附加シ之ヲ補充スルニ過キサルヲ謂フ
然リ而シテ完全ノ嘱託若クハ除約ノ行ハルルニハ債権者特ニ旧債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシムルコトヲ証書ニ記載スルヲ要セス唯其之ヲ明白ニ承諾シタルヲ以テ足レリトス是レ第四百九十二条ニ記載スル所ナリ
本法ハ此点ニ関シ将来起ルコトナキヲ期ス可カラサル一問題即チ旧債務者全ク其義務ヲ免カレサルトキ新債務者ノ負担スル義務ノ性質如何詳カニ之ヲ言ヘハ新債務者ハ單ニ旧債務者ノ保証人タルカ将タ旧債務者ト共ニ連合シテ其債務ノ半ハヲ負担スルカ又ハ連帯共同債務者若クハ受方ノ不可分債務者タルヘキカノ問題ヲ断定シタリ
本法此問題ヲ断定スルニ付キ嘱託ト第三者ノ隨意干渉トヲ区別シ嘱託アル塲合ニ於テハ通常ノ連帯即チ前キニ不可分ト共ニ比較論究シ尚ホ担保編ニ至リ詳細ニ規定スヘキ所ノ完全ノ連帯アルモ第三者ノ隨意ノ干渉アル塲合ニ於テハ僅カニ不完全ノ連帯アルニ過キス即チ嘗テ記載シタル所ノ全部義務アルニ過キサルモノトス
全部義務ノ事ハ担保編ニ至リ詳細ニ規定スヘキカ故ニ今只其概要ヲ述ヘンニ全部義務ノ区域ハ通常ノ連帯義務ト同一ニシテ各債務者義務ノ全部ニ付キ訴追ヲ受クルコトヲ得ルモノナリ然ルニ其連帯義務ト異ナル所ハ新旧ノ債務者其債権者ニ対スル関係ニ付キ相互ニ代理人タラサルニ在リ蓋シ嘱託アルトキハ新旧債務者間債権者ニ対スル関係ニ付キ代理アルヤ当然且明瞭ナリト雖モ第三者ノ善意干渉アルニ過キサルトキハ決シテ其代理アリト云フ可カラス蓋シ第三者ハ事務管理者タルニ過キサルカ故ニ債務者ニ利益ヲ與へサルモ亦之ニ害ヲ加フルヲ得サルモノナリ然ルニ第三者ニシテ連帯共同債務者タラシムルトキハ之ニ対シ訴追ノ起リタルカ為メ旧債務者遲滞ニ付セラレ之ヲシテ負担物ノ危険ヲ担当セシメ又遲延利息ヲ生セシメ且時効ヲ中断スルニ至ルヘシ若シ果シテ斯ノ如キ効力ヲ生セシムルトキハ第三者ノ干渉アリタルカ為メ旧債務者ニ有害ナル効力ヲ生セシムルモノニシテ決シテ是認ス可カラサルモノナリ
第四百九十八条ハ更改ノ結果ニシテ較々疑ヲ容ルヘキモノヲ明示シ且之ニ一ノ例外則ヲ加フルモノナリ
夫レ完全ノ嘱託若クハ除約アリタルトキ詳カニ之ヲ言ヘハ債務者ノ交替ニ因リ完全ノ更改アリタルトキハ旧債務者之カ為メ以後義務ヲ免カルルカ故ニ新債務者無資力トナルモ更ラニ訴追ヲ被ルコトアル可カラス殊ニ其無資力更改以後ニ生シタリシトキハ旧債務者為メニ訴追ヲ被ラサルヲ至当ト為スカ如シ然レトモ嘱託ノ塲合ニ於テハ二個ノ理由ニ因リ斯ノ如ク論決スルヲ得ルヤ否ヤニ付キ擬議ヲ生スルコトナキヲ保ス可カラス
蓋シ第一嘱託ハ代理ヲ包含スルモノニシテ要約者タル受嘱託人ト諾約者タル被嘱託人トニ為シタル委任ナリト雖モ其委任タル之ニ附着スル所ノ諸条件ヲ伴ヘタル侭観察スルヲ要スルモノナリ而シテ要約者ハ諾約者ヲシテ義務ヲ免カレシメタルカ故ニ畢竟其旧訴権ト共ニ代理ニ因リ一切ノ求償権ヲ抛棄シタルモノト謂ハサル可カラス
第二ニ債務者ハ条件不履行ノ為メ黙示ノ解除条件ヲ申立テ新債務者無資力ナル塲合ニ於テ求償権ヲ行フヲ得ヘキニ似タリ然レトモ条件不履行ノ為メ黙示ノ解除ノ行ハルルハ一ニ双務契約ニ限ルモノニシテ而シテ更改ハ片務ノ契約タルカ故ニ之ニ付キ黙示ノ解除行ハレサルノミナラス債権者旧債務者ヲ免除シタルトキハ到底黙示ノ解除アリト云フ可カラサルノ明瞭ナルノ理由アリ即チ此塲合ニ於テ解除ノ黙約アリトスルトキハ遂ニ全ク更改ノ効力ヲ破却シ結局不完全ノ嘱託若クハ單純ナル補約アルニ止マルニ至ルヘシ
是ヲ以テ本法ハ明カニ此点ヲ断定シ以テ毫モ疑團ノ生スルコトナカラシメタリ
然レトモ亦旧債務者(被嘱託人若クハ除約者)新債務者ノ無資力ナル塲合ニ於テ訴追ヲ被ル可カラサルノ規則ニ一ノ例外則ヲ設ケタリ即チ嘱託若クハ除約行ハレ旧債務者義務ヲ免カルトキニ当リ新債務者既ニ無資力ニシテ而シテ債権者其無資力ヲ知ラサリシ塲合即チ是レナリ
蓋シ此塲合ニ於テハ債権者ハ到底不利益ナル結果ヲ被ルヲ免カレス唯利害ノ運賦ヲ有スルニ止マラス確然損失ヲ被ラサルヲ得サルモ無資力ノ事実ヲ知ラサリシカ故ニ更改ノ原因ニ付キ錯誤アリタルモノト云フヘシ
且本法ハ此事ニ関シ自由ニ合意ヲ為スヲ得ル旨ヲ定メタリ是ヲ以テ当事者ハ更改以後ニ至リ新債務者無資力ト為ルモ猶ホ債権者旧債務者ニ対シ求償権ヲ行フヲ得ヘキコトヲ約スルヲ得此塲合ニ於テハ完全ノ嘱託ト不完全ノ嘱託トノ間又ハ除約ト補約トノ間ニ在ル所ノ中立ノ位置ヲ造出シタルモノト云フヘシ又新債務者現ニ資力アルト否トハ断定スルコト困難ナルカ故ニ債権者毫モ求償権ヲ有セサルコトヲ約スルヲ得ヘシ此塲合ニ於テハ完全ノ嘱託若クハ除約アルニ止マラス尚ホ一歩ヲ進テ合意ヲ為シタルモノト云フヘシ
債権者第四百九十八条若クハ特別ノ合意ニ因リ旧債務者ニ対シ求償権ヲ有スル塲合ニ於テハ其行フ所新訴権ナルカ将タ旧訴権ニシテ之ニ附着シタリシ利益ヲ併セ行フヲ得ヘキカニ付キ擬議ノ生スルコトアルヘシ蓋シ法律ニ規定シタル塲合ニ於テハ債権者ノ行フ所旧訴権ナルヤ当然ナリト雖モ特別ノ合意ニ因リ求償権ヲ行フ塲合ニ於テハ債権者特ニ其旧訴権ヲ条件付ニシテ保有スルコトヲ要約シ明カニ其事ヲ約定シ就中第五百条以下ニ至リ認ムル如ク其担保ヲ保存スル旨ヲ約スルコトヲ要ス若シ債権者此点ニ付キ明カニ自己ノ利益ヲ約スルコトヲ怠ルトキハ嘱託ニ因リ更改ノ行ハレタル塲合ニ於テハ代理訴権ヲ得タリト云フヲ得ヘキモ除約アリタル塲合ニ於テハ無名契約ノ通常訴権ヲ有スルニ過キスト云フヘシ是ニ由テ之ヲ観レハ前ニ述ヘタル如ク嘱託ハ嘱託人ト受嘱託人トノ間ニ於ケルモ猶ホ代理ノ性質ヲ有スルニ拘ハラス之カ為メ代理訴権ノ生スルコト甚タ稀ナルヲ知ルヘシ
尚ホ此他債権者旧債務者ニ対シ求償権ヲ行フヲ得ヘキ塲合アリ即チ旧債務者詐欺ニ因リ債権者ヲシテ現ニ資力アルモ既ニ危険ナル事業ニ著手シ遂ニ無資力ニ陥ルノ恐アリテ而シテ結局実際其無資力ニ陥リタル新債務者ノ自己ニ交替スルコトヲ承諾セシメタル塲合是レナリ此塲合ニ於テハ旧債務者債権者ニ対シ詐欺ヲ行フタルノ過失アルカ故ニ債権者之ニ対シ新債務者無資力ナル塲合ニ於テ求償権ヲ行フヲ得ヘシ
第四百九十九条
債権者ノ交替ニ因リ更改ノ行ハルルハ前ニ述ヘタル如ク概ネ同時ニ債務者ノ交替ヲ伴フモノナリ債務者自己ノ債務者ニ嘱託シ自己ノ債権者ニ対シ弁済ヲ為サシムルコトヲ約シタル塲合ノ如キハ即チ債権者ノ交替ト共ニ債務者ノ交替ニ因リ更改行ハルルモノナリ詳カニ之ヲ言ヘハ被嘱託人ニ対シテハ債権者交替シ受嘱託人ニ対シテハ債務者交替スルモノナリ然レトモ嘱託人自ラ受嘱託人債務者タラス而シテ之ニ無償名義ニテ嘱託ヲ為シタルトキハ單ニ債権者ノ交替アルノミ然リ而シテ何レノ塲合ニ於テモ三個ノ意思ノ合致スルコトヲ要ス即チ嘱託者ハ自己ノ承諾ナクシテ其債権ヲ失フコトアル可カラス又受嘱託人ハ自己ノ意思ナクシテ債権者タルコトアル可カラス縦令其嘱託ノ無償ナルトキモ猶ホ然リ又被嘱託人モ自己ノ意思ニ反シ債権者ノ交替ヲ甘受スルコトアル可カラス
被嘱託人ノ承諾ヲ要スルハ即チ之ヲシテ債権讓渡アリタル塲合ニ於ケル債務者ト異ナラシムル所ナリ蓋シ債権讓渡ノ塲合ニ於テハ債務者其讓渡ヲ拒絶スルコトヲ得サルモ被嘱託人ハ更改ヲ拒絶スルコトヲ得此差異アル理由ハ債権讓渡ノ塲合ニ於テハ債務消滅セスシテ債務者ハ全義務ヲ負担スルモノニ非ス債権モ亦自餘一切ノ権利ト同シク讓渡スコトヲ得ヘキ権利ニシテ其讓渡ヲ為スニ当リ債務者ニ其旨ヲ告知シ其承諾ヲ得ルノ実益アルヘキモ(本編第三百四十七条第五百三十条ヲ参観スヘシ)敢テ之ヲ必要トセス
第五百条
本条ニ掲クル所ハ更改ト債権讓渡トノ間ニ存スル差異ニ非スシテ類似ノ点ナリ
抑々債権讓渡ノ為メ一種ノ公示法ヲ設ケ之ニ從フヲ必要トシタル理由ヲ考フルトキハ(本編第三百四十七条ヲ参観スヘシ)更改ニ付テモ亦本条ニ規定シタル塲合ニ於テハ同一ノ公示法ヲ履行セシムヘキ同一ノ理由アリト謂ハサル可カラス例ヘハ債権者物上担保アル債権ヲ有スルニ当リ自己ノ債権者若クハ其利益ヲ得セシメント欲スル者ヲシテ同一ノ債務者ニ対シ嘗テ自己ノ得タル所ノ債権ト之ニ附着シタル担保トヲ行フヲ得セシムル塲合ニ於テ嘱託人即時其第三者ニ対スル債権ヲ失ヒ其権利直チニ受嘱託人ニ移轉スト看做ストキハ之カ為メ嘱託人ノ債権者ヲシテ意外ノ損失ヲ被ラシムルニ至ルヘシ蓋シ該債権者ハ嘱託人ヲ以テ依然債権者タルモノト信シ其債権ノ拂渡差押ヲ為スモ結局其実効ヲ奏スルヲ得サルコトアルヘク又債権者以外ノ者モ更ラニ同一ノ債権ノ嘱託ヲ受ケ若クハ之ヲ讓受ケタルカ為メ損害ヲ被ルコトナシトセス
本条ハ被嘱託人証書ヲ以テ嘱託ヲ受諾シ又ハ合式ニ之ニ嘱託ノ告知アリタルトキニ非サレハ嘱託ニ完全ノ効力ナシトシ以テ右ノ弊害ヲ矯正シタリ蓋シ債権ノ嘱託ト其移轉讓渡トノ間ニハ実際大ニ類似スル所アルヤ明カナリ固ヨリ嘱託アリタルトキハ被嘱託人ナル債務者ハ受嘱託人ニ対シ更ラニ義務ヲ約スルカ故ニ即チ更改ノ行ハルルモノニシテ債権讓渡ノ塲合ニ於テハ債務者讓受人ニ対シ更ラニ義務ヲ約スルモノニ非スト雖モ旧債権ノ物上担保ノ全部若クハ一分ノ留保アルトキハ嘱託ノ塲合ニ於ケルモ亦未タ旧債権全ク滅失シタリト云フコト能ハス之ニ附着シタル物上担保ハ猶ホ存在シ其実其讓渡アリタルニ外ナラス是ヲ以テ嘱託ノ塲合ニ於ケルモ此特殊ノ事情アルトキハ亦債権讓渡ノ為メニ必要ナル方式ヲ要スト定ムヘキヤ当然ナリ蓋シ學者往々更改ト債権讓渡トノ二個ノ理論ヲ混淆シタルハ担保ノ留保ニ関シ此区別ヲ為ササルカ故ナリ
本条ニ物上担保ノ留保ノコトノミヲ規定シ対人担保ノコトヲ言ハサルハ物上担保ハ更改ヲ為ス所ノ当事者ノ意思ヲ以テ留保スルヲ得ヘキモ対人担保ニ関スルトキハ次条ニ規定スルカ如ク担保人ノ更ラニ諾約スルコトヲ必要トシ其新義務ニ付キ負担スル所ハ同一ノ担保義務ニ非サルカ故ナリ
第五百一条
債権者ト本条ニ指示シタル債務者ノ一人トノ間ニ更改ノ行ハルルハ必ス負担物若クハ債務ノ原因ノ変更アルトキニ限ル然ラスンハ其債務者ノ債務ノ認諾ヲ為スニ過キスシテ之カ為メ自餘ノ債務者義務ヲ免カルルコト能ハス又例ヘハ債務者ノ一人債務ヲ認諾スルニ当リ債権者自餘ノ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムルコトヲ明言スルモ是レ自餘ノ債務者ニ対スル所ノ免除ニシテ更改タルモノニ非サルナリ然レトモ目的物若クハ原因ノ変更アル以上ハ自餘ノ債務者並ニ保証人共ニ更改ニ因リ其義務ヲ免除スヘシ
右ノ塲合ニ於テ更改ヲ為ス所ノ当事者ハ自餘ノ債務者及ヒ保証人ノ明白ナル承諾ヲ得ルニ非サレハ之ヲシテ新債務ヲ負担セシムヘキコトヲ約スルコトヲ得ス但当事者ノ約スルコトヲ得ヘキ所ハ更改ノ成立ヲシテ共同債務者及ヒ保証人新債務ヲ承諾スルノ停止条件ニ係ラシムルノ一事ナリ此塲合ニ於テハ自餘ノ共同債務者ハ保証人新債務ヲ承諾セサレハ更改行ハルルコト能ハス
又本条ハ債務者ト連帯債権者ノ一人若クハ不可分義務ノ債権者ノ一人トノ間ニ更改ヲ為シタル塲合ヲ規定シ其更改ハ自餘ノ債権者ニ対シ効力ヲ及ホス可カラサルコトヲ記載シタリ蓋シ数個ノ債権者アル塲合ニ於テハ債権者其共同ノ位置ヲ改良シ相互ニ其權利ヲ保存シ以テ其利益ヲ計ルコトヲ得ヘキモ決シテ其権利ヲ毀損シ若クハ消滅セシムルコト能ハサルモノナリ(本編第四百四十五条ヲ参観スヘシ)然レトモ亦当事者間ニハ更改ノ効力ヲ生シ敢テ之カ為メ第三者詳カニ之ヲ言ヘハ自餘ノ債権者ニ損害ヲ及ホスコトナシ是ヲ以テ債権ノ連帯タルニ過キサルトキハ其一分ヲ消滅セシムルコトヲ得ルカ故ニ更改ヲ為シタル債権者ハ自己ノ部分ニ付キ義務ヲ消滅シタルモノニシテ自餘ノ債権者ハ依然其権利ヲ連帯ニテ保存スヘシ又債権ノ性質上不可分ナルトキハ自餘ノ債権者ハ全部履行ヲ請求スルノ権利ヲ保有スヘシ但シ債務者ノ更改ヲ為シタル債権者ノ部分ヲ金銭ニテ計算スルコトヲ要ス是レ亦第四百四十五条ニ掲ケタル理論ノ適用ニシテ其適用ハ此他一ニシテ足ラサルヘシ
第五百二条
債権者保証人ト約束シ以テ主タル債務ノ更改ヲ為スヲ得ヘキヤ明カニシテ此塲合ニ於テハ保証人新債務者ト為ルコト恰モ第三者ノ新債務者タルト異ナルコトナシ然レトモ当事者更改ヲ為スニ付キ企図シタル所ノ目的ニ関シ疑アルトキハ当事者ハ單ニ保証ヲ更改シタルノ意ナリト解釈スルヲ至当ト為スカ故ニ本条ハ此意思ヲ推定シタリ而シテ保証ノミヲ更改シタル塲合ニ於テハ保証人以後保証人タルノ義務ヲ免カル其新義務ハ旧保証義務ニ比シ較々軽キコトアルヘシ然レトモ之カ為メ主タル債務者モ亦自餘ノ債務者モ共ニ義務ヲ免除スルコトナシト雖モ更改ヲ為シタル保証人ハ主タル債務者ニ対シ又自餘ノ保証人ニ対シ毫モ求償権ヲ行フコト能ハス
第五百三条
債権者更改ヲ為ストキハ旧債務ノ連帯共同債務者若クハ保証人ヲシテ新債務ヲ負担セシムルコト能ハサルヤ明カナリ蓋シ人ハ自己ノ承諾ナクシテ決シテ義務ヲ負担スルコトアル可カラス然レトモ債権者其物上担保即チ財産上ニ存スル担保ノ全部若クハ一分ヲ保存スルニ至テハ毫モ之ヲ禁スルノ理由アルコトナシ蓋シ共同債務者及ヒ保証人其総財産ニ付キ義務ヲ負担スルコトヲ止メ其抵当トシタル財産ニ付テノミ義務ヲ負担スルニ過キサルニ至リシハ既ニ之カ為メ一ノ利益ナリト云フヘク又抵当不動産ヲ占有スルニ因リ其財産上ニ義務ヲ負フ所ノ第三所持者ニ至テモ債務者ト債権者トノ間ニ如何ナル調停ヲ為スモ敢テ利害痛痒ヲ感スルモノニ非ス抑モ抵当ハ弁済ニ因リ必ス消滅スヘキモ現実ノ弁済アルニ至ルマデ其存続スヘキコトヲ以テ更改ノ条件ト定メタル以上ハ決シテ更改ニ因リ消滅ス可カラス然レトモ第三項ニ明記スルカ如ク債権者物上担保ヲ留保セントセハ必ス更改ノ相手方タル債務者ノ承諾ヲ得ルコトヲ要ス而シテ其新債務者タルト旧債務者タルトヲ問ハサルナリ蓋シ更改ノ相手方義務ヲ負担スルニ当リテハ関係人ヲシテ義務ヲ免カレシメ併セテ物上担保ヲ消滅セシメンコトヲ目的トシタルコトアルヘケレハナリ
末項ハ新債務旧債務ノ限度ヲ超過スルトキハ其超過スル部分ニ物上担保ヲ擴張ス可カラサルコトヲ記載スルモノナリ是レ毫モ疑議ヲ容ル可カラサル所ナリ若シ新債務ノ額旧債務ニ超過スルモ尚ホ其超過シタル部分ニ担保ヲ擴張スルヲ得セシムルトキハ之カ為メニ財産所持者ノ負担ヲ加重シ又債務者依然其財産ヲ所有スルトキハ自餘ノ抵当債権者若クハ無担保ノ債権者ヲシテ損害ヲ被ラシムルニ至ルヘシ
第三節 合意上ノ免除
第五百四條
債務ノ免除トハ債権者其権利ヲ抛棄スルヲ云ヒ一般ノ権利抛棄ニ帰属スルモノナリ蓋シ用益権若クハ地役権ノ如キ他人ノ物上ニ存スル物権ヲ有スル者之ヲ抛棄スルヲ得ルト同シク人権ヲ有スル者モ亦タ免除ヲ為シ之ヲ抛棄スルヲ得ヘキヤ當然ナリ然レトモ物権ノ抛棄ト人権ノ抛棄トノ間ニハ至大ノ差異ノ存スルモノナリ即チ人権ノ抛棄債務ノ免除ハ本節ノ題目ノ示スガ如ク必ズ合意ニ因ルモノナリト雖トモ他人ノ物上ニ存スル物権ノ抛棄ニ至テハ権利ヲ有スル者ノ意思ノミニヨリ全ク其効力ヲ生スルモノナリ
此差異ノ理由ハ至ツテ見易キモノナリ抑モ義務ノ関係ハ二ニム間ニ存スル関係ナルガ故ニ其関係ヲ変セントセバ利害得失如何ヲ問ハズ総テ其相互ノ意思ノ合致スルコトヲ要ス縦令債権者ハ権利ヲ有シ債務者ハ義務ヲ有スト雖トモ未ダ以テ債権者債務者ニ対スル威権ヲ有スト謂フ可ラズ然ルニ物権ニ至テハ人ト物トノ間ニ存スル関係ニシテ他人ノ所有権ノ支分権アル塲合ニ於テハ之ヲ有スル者所有者ノ参加ヲ要セズシテ之ヲ行フコトヲ得是ヲ以テ又自己ノ意思ノミニ依リ之ヲ行ハサルノ権ヲ有セサル可ラス殊ニ其権利ノ利益少クシテ負擔重キニ至リタルトキハ之ヲ有スル者其抛棄ヲ為スヲ得ルヤ當然至當ト言フヘキナリ此差異ノ結果タル債務者債権者ノ提供シタル債務ノ免除ヲ受諾スルヲ欲セサルトキハ是ニ実物提供ヲ為シ次デ供託ヲ為スヲ得ベキモ用益者ノ権利抛棄ヲ承諾セザル所ノ虚有者ハ用益者ヲシテ強ヒテ家屋ニ住居セシメ又ハ土地ヲ耕作セシムルコト能ハサルニアリ縦令虚有者ハ耕作費ヲ控除シ以テ果実及ビ生産物ヲ與へント欲スルモ用益者之ヲ拒絶スルトキハ之ヲシテ強ヒテ果実及ビ生産物ヲ領受セシムルコト能ハズ殊ニ承役地ノ所有者地役ノ抛棄ヲ承諾セサラント欲スルガ如キハ其得テ為スコト能ハサル所ナルヤ明瞭ナリ唯ダ双方執拗ニシテ相讓ラザルトキハ徒ラニ土地ヲ荒蕪ナラシメ家屋ヲ廃頽セシメ又ハ猥リニ公衆ヲシテ地上ニ通行セシメ若クハ流水ヲシテ濫溢セシムルノ外非サル可シ但ダ不動産物権ノ抛棄ヲシテ俗ニ所謂第三者即チ特定ノ承継人ニ効力ヲ及ボサシムルガ為メニハ登記ノ方式ニ従フコトヲ要ス(本編第三百四十八條第二項)是ヲ以テ用益権ヲ抛棄シタル者虚有者ノ未タ其抛棄ヲ公示セサルニ当リ之ヲ譲リ渡シタルトキハ其讓リ渡シハ第三者ノ為メニ効力ヲ生ス可シ(本編第三百五十條ヲ参観ス可シ)
債務ノ免除ハ本法謂ヘル如ク或ハ有償タルコトアリ或ハ無償タルコトアリ債務者其免除ヲ得ルガ為メ出捐ヲ為シ債権者ノ失フ所ヲ補フ塲合ニ於テハ其免除ハ有償ナリトス
然リ而シテ債務者実際其義務ノ本旨ニ従ヒ之ヲ弁済シタルトキハ眞ノ弁済ヲ為スモノニシテ是レニヨリ義務ヲ免ルルト雖モ其免除ハ合意上ノモノニ非ズ何トナレバ債務者ハ強制弁済ヲナシ以テ債権者ノ意思ニ拘ハラズ自己ノ免除ヲ求ムルヲ得可ケレバナリ然レトモ債務者其ノ負担シタル所ト異ナルモノヲ供與シ以テ其免除ヲ得タルトキハ是レガ為メ当事者双方ノ承諾ヲ要スルガ故ニ其免除ハ合意上ノモノトス然レトモ実際此事ヲ称シテ代物弁済ト云フ(本編第四百六十一條ヲ参観スヘシ)又債務者旧義務ヲ消滅セシムルガ為メ新義務ヲ負担シタルトキハ其免除ハ合意上ノモノニシテ所謂更改アルモノナリ(本編第四百八十九條ヲ参観ス可シ)又当事者恊議ノ上将来ノ訴訟ヲ豫防シ又ハ既ニ起シタル訴訟ヲシテ落着セシメンカ為メ相互ニ出捐ヲ為ストキハ所謂和觧ナルモノアリ殊ニ和觧ハ債権者従来有セサリシ所ノ物上若クハ対人ノ担保ヲ得ルカ為メ確然タル債権ヲ減縮スルコトヲ承諾シタル塲合ニ於テハ一分ノ有償免除ノ性質ヲ有スルモノナリ
以上説明スル所ハ殊ニ片務義務ノ塲合ニ適用スへキモノナリ若シ当事者間ニ双務義務ノ存スルトキハ啻ニ其一方對手方ノ承諾ヲ得ズシテ之ニ免除ヲ為スコト能ハサルノミナラズ對手方ニ於テ自己ノ義務ノ免除ヲ受諾スルモ未ダ必ズシモ是レガ為メ双務合意ニ基キ己ノ有シタリシ所ノ債権ヲ抛棄スルコトヲ承諾シタルモノト看做ス可カラズ其判定如何ハ合意ノ語辞及ビ其他当事者ノ意思ヲ顕表スヘキ事情ニ関スルモノナリ且免除ニ因リ債務ノ一箇ヲ消滅セシムルモ他ノ債務之ガ為メ無原因トナルモノト謂フ可カラズ蓋シ二個ノ義務各其適法ノ原因ニヨリ一旦有償ニ成立シタル以上ハ其一消滅スルモ他ノ一消滅スルコトナク依然存續スルコトヲ得ヘシ就中單純ナルト有期ナルトヲ問ハズ賣買ヲ為シタル塲合ニ於テ賣却物引渡シ以前且ツ賣主ノ付遲滞以前ニ意外ノ事ニ因リ物件ノ滅失シタルトキハ賣主其義務ヲ免ルルモ買主ハ尚ホ代價ヲ弁済スルノ義務ヲ免カルルコト能ハズ(本編第三百三十五條ヲ参観ス可シ)
双務契約ニ因リ義務ヲ負担シタル当事者ノ一方免除ヲ為シタル塲合ニ於テ裁判上当事者双方ノ意思相互ノ免除ヲ行フニアリト認メタルトキハ其免除ヲ称シテ契約ノ任意上ノ觧除ト云フ(本編第三百五十三条ヲ参観ス可シ)
債権者債務ノ免除ヲ為スモ之カ為メ毫モ對價ヲ受取ラサルトキハ一ノ贈與即チ無償契約ヲ為スモノナリ故ニ此事ニ付キ無償契約ニ固有ナル規則ヲ適用シ就中授受スルノ能力ノ如キハ無償行為ニ於ケルト同一ナラサルニ因リ其具備スルコトヲ要ス可キヤ当然ナリ然レトモ債務ノ免除ニ関シテハ生存者間ノ贈與ニ関シテ必要ナル方式ヲ履行スルコトヲ要セス
然レトモ遺言ヲ以テ債務ノ免除ヲ為シタルトキハ是ニ異ナリ遺言ノ為メ必要ナル方式ヲ履行スルコトヲ要ス其理由タル遺言ハ合意ニ非ザルガ故ニ之ニ固有ナル方式ニ従フコトヲ要スルナリ然レトモ遺贈モ亦タ之レヲ受諾スルコトヲ欲セサル者ヲシテ強ヒテ之ヲ受ケシムルコト能ハズ受遺者ハ之ヲ拒絶スルコトヲ得但其拒絶アルニ至ルマデハ死者ノ意思ノミニ依リ効力ヲ有スルモノナリ
又債務ノ免除合意上ナルトキハ其成立并ビニ其効力ニ関シ一般ノ合意ノ普通ナル規則ニ従フ者ナリ就中抛棄ノ原因不法ナルカ又ハ是ニ附着シタル條件ノ不法ナルトキハ其抛棄無効ニシテ債権者錯誤若クハ強暴ニヨリ其権利ヲ抛棄スルニ至リタルトキハ又之ヲ鎖除スルコトヲ得可シ
恊諧契約ニ至テハ商法ヲ以テ之ヲ規定ス故ニ本法ハ只此事ヲ一言スルノミ
恊諧契約ヲ以テ行フ所ノ債務ノ免除ノ性質ニ関シテハ須ラク二箇ノ注意ヲ要ス可キモノアリ第一其免除タル概ネ全部ノ免除ニ非ズ何トナレハ恊諧契約ノ目的ハ破産者ヲシテ其事業ヲ継續シ以テ結局義務ヲ免ルルニ至ルヲ得セシムルヲ以テ目的トスルモノナレバナリ第二其ノ免除ハ贈與ノ性質ヲ有セズシテ和觧換言スレバ有償合意ノ性質ヲ有スルモノナリ
然レトモ論者往々此点ニ付疑議ヲ述ル者アリテ債務者ハ債権者ノ為メニ眞ニ出捐ヲ為スモノニ非ザルガ故ニ其免除ハ贈與ノ性質ヲ有スルモノナリト云ヘリ蓋シ誤謬ノ見觧ナリ抑モ破産者自己ノ商業ヲ継續スルヲ承諾スルハ即チ労力ヲ顧ミス配慮ヲ為スコトヲ約スル者ニシテ其一旦破産シタルカ為メ事業ヲ継續スルモ一層困難ナルガ故ニ決シテ何等ノ出捐ヲモ為ササルモノト云フ可ラズ且破産者恊諧契約ノ後負担スル所ノ金額ヲ弁済セサルニ於テハ一層嚴重ナル処分ヲ被ル者ナル故ニ恊諧契約ヲ以テ破産者ニ對シ承諾シタル一分ノ免除モ亦タ贈與ナラズト謂フ可カラズ加之ナラズ與フルノ意思ナケンバ贈與アラサルモ恊諧契約ヲ為シタル塲合ニ於テハ債権者此意思ヲ有セサリシヤ明カナリ
第五百五條
権利ノ抛棄ハ一々明白ナルヲ要スルモノナリ而シテ法律ヲ以テ其明白ナルヘキコトヲ命スルコトアルハ権利ヲ有スル者ヲシテ其豫想外ノ結果ヲ被ルコトナカラシメ之ヲ保護スルノ趣意ニ出テ且ツ裁判所ヲシテ充分ノ證憑モアラザルニ些少ノ事情ニ基キ猥リニ抛棄アリタリトノ觧釈ヲ為スコト無カラシメンガ為メニシテ概ネ物権抛棄ニ関スル塲合ニアリトス蓋シ物権ノ収益ヲ抛棄スルハ人権ヲ抛棄スルニ比スレバ稍ヤ理由ノ少キモノナリ是レ其抛棄ハ特約ヲ以テスルヲ要ストシタル所以ナレトモ(本編第九十九條第三号及第二百八十八條ヲ参観ス可シ)人権ノ抛棄ニ至テハ法律ノ之ヲ認ムルニ一層容易ナルヘキヤ当然ナリ蓋シ人権ハ其性質一時生存スルニ過キスシテ数多ノ原因ニヨリ消滅スヘキモノナリ且人権ハ関係人間ニ争訟ヲ釀成シ往々怨恨ヲ胚胎セシムルモノナルガ故ニ成ルヘク当事者ヲシテ其関係ヲ脱セシムルノ原因ヲ求ムルヲ可ナリトス是ヲ以テ人権ノ抛棄ハ黙示ニテ足レリトス事情ニ従ヒ裁判所ノ査定ニ放任スルモ敢テ不可ナルコトナシ
然レトモ抛棄ノ黙示ハ之ヲ抛棄ノ推定ト混淆ス可カラズ抛棄ノ推定ハ法律ノ指定スル所ノ或ル事情ノ存スルトキ法律ヲ以テ之ヲ認定スル塲合ノ外存スベキモノニ非ズ其適例ハ連帯ノ事項ヲ説明スルニ当リ之ヲ示ス可シ
夫レ此ノ如ク裁判所ノ権限ヲ減縮シ猥リニ抛棄ノ推定ヲ為スヲ得セシメサルモ亦タ敢テ之カ為メ事実ノ情状ニ従ヒ黙示ノ抛棄ノ證拠ヲ認定スルヲ妨グルモノニ非ズ唯タ黙示ノ抛棄アルヤ否ヤニ付疑アルトキハ第三百六十條ノ規則ヲ適用シ債務者ノ利益ニ觧釈ヲ下シ債権者抛棄アリト觧釈ス可カラザルノミ蓋シ該條ハ債務者ナリト称セラルル者果シテ義務ヲ負担スルカ又其義務ヲ負担スルハ如何ナル限度ニ於ケルカヲ判定スルニ当リ適用ス可キノ理由明カナレトモ債務ノ成立確定ナル時以後ノ事実ニ依リ其全部若クハ一分ノ消滅シタルヤ否ヤヲ判定スル塲合ニ於テハ之ヲ適用スベキノ理由アラザルナリ加之抛棄ニ関スル塲合ニ於テハ債務者ト債権者トノ位置ヲ轉シテ観察セサル可カラズ蓋シ債務者ハ債権者ノ訴権ノ被告タルモノニ非ズ其抗弁ノ原告タルモノナリ而シテ自ラ義務ヲ免レタリト称スルモノハ弁済若クハ其義務ヲシテ消滅セシメタル事実ヲ證明スルヲ要スルコトハ證拠篇ニ於テ特ニ定ムル所ナリ
第五百六條及第五百七條
本條以下ハ主タル債務者ト従タル債務者タルトヲ問ハズ数多ノ債務者アリテ其一人明示若クハ黙示ニテ合意ヲ為シタル塲合ニ於ケル免除ノ効力ヲ規定スルモノナリ
第五百六條第一項ニ規定スル所ハ敢テ詳細ノ弁明ヲ要セズ毫モ異議ヲ容レザルモノナリ蓋シ主タル債務者債務ノ免除ヲ受ケタルトキハ保証人亦タ其義務ヲ免除ス可キヤ明カナリ
債権者連帯債務者ノ一人ト免除ノ合意ヲ為シタル塲合ニ於テハ債権者概ネ免除ヲ受ケタル債務者ニ限リ特別ノ事情アルカ故ニ免除ヲ為シタルモノナリト雖モ亦タ自餘ノ債務者其免除ノ利益ヲ受クヘキヤ當然ナリ蓋シ然ラズシテ自餘ノ債務者依然義務ヲ負担スルトキハ縦令免除ヲ受ケタル者ノ部分ヲ控除スルモ自餘ノ一人無資力トナルニ於テハ免除ヲ受ケタル者遂ニ連帯恊同債務者ノ負担スル自己ノ担保ニ基キ賠償ヲ為サザル可カラズ然ルニ此結果タル須ラク防止スルヲ要スルモノナルガ故ニ自餘ノ債務者ヲシテ共ニ免除ノ利益ヲ得セシムルヲ要ス
然リト雖モ連帯債務者ノ一人免除ヲ得タルトキ自餘ノ債務者共ニ免除ヲ得ルハ必ズ免カル可カラサルノ結果ニ非ズシテ債権者ハ其一人ニノミ限リ免除ヲ為スニ止ムルコトヲ得只ダ其一人ノミヲ限リ義務ヲ免除セシメント欲スル塲合ニ於テハ自餘ノ者ニ對シ其権利ヲ留保スルコトヲ以テ足レリトス然レトモ此塲合ニ於ケルモ亦タ自餘ノ者ハ免除ヲ得タル者結局債務ニ付キ負担スヘキ分頭若クハ実際ノ部分ト其無資力者ノ部分ニ付キ負担スヘキモノニ関シテハ其責ヲ免カルルコトヲ要ス
夫レ不可分ハ連帯ト之ヲ比較スルニ著シキ差異アルコト嘗テ説明シタルガ如シト雖トモ亦タ本論ノ塲合ニ於テハ二者全ク其趣ヲ同シフスルモノニシテ敢テ詳細ノ説明ヲ要セサルモノナリ蓋シ債務ノ性質若クハ當事者ノ意思ニ依リ債務者間ニ分割ス可カラサル塲合ニ於テハ債権者其債務者ノ一人ト免除ノ合意ヲ為シタルトキ復タ自餘ノ債務者ニ對シ毫モ請求スル所アルヲ得サルヤ連帯ノ塲合ニ比スレバ一層明瞭ニシテ敢テ詳細ノ辯明ヲ要セサルナリ然レトモ債権者免除ヲ受ケサル債務者ニ對シ自己ノ権利ヲ留保シタル塲合ニ於テハ連帯ノ塲合ニ比スレバ一ノ差異ノ存スルナリ然レトモ其差異タル外形上ノモノニ過ズシテ其実眞ノ差異タルモノニ非サルナリ即チ債務ノ性質上分割ス可カラサル者ナルトキハ債権者自餘ノ債務者中何人ニ對スルモ自己ノ権利ヲ留保シタルニ因リ義務全部ノ履行ヲ請求ス可シト雖トモ自己ノ訴追ト自餘ノ債務者ノ求償権トヲ免カレシメタル債務者ノ部分ヲ金銭ニテ被告ニ償還スルコトヲ要ス(本編第四百四十五條ヲ比較スベシ)
保証人ニ對シ債務ノ免除ヲ為シタル効力ニ付テハ或ハ疑議ヲ抱クコトナキヲ保ス可カラズ抑々保証人ハ主タル債務者タルニ過サルヲ以テ之ニ免除ヲ為スモ主タル債務者其利益ヲ受クルハ当然ナラサルガ如シ然レトモ保証人ヲシテ義務ヲ免除セシメタル塲合ニ於テ須ラク観察ヲ要スルモノハ債権者其権利ヲ抛棄シタルノ意思ナリ蓋シ保証人ハ債務者ノ代理人タルカ然ラサルモ其事務管理者タルカ故ニ此資格ニ依リ債務者ニ提供シタル利益ヲ受諾スルヲ得ルモノナリ
勿論此塲合ニ於テハ債務自体ヲ免除シタルコトヲ仮定スルモノニシテ保証ノミヲ免除シタルコトヲ仮定スルモノニ非ス保証義務ノミノ免除アリタル塲合ハ下ニ至リ之ヲ確定ス
又右ノ塲合ニ於テハ主タル債務者義務ヲ免ルルニ因リ隨テ自餘ノ保証人モ亦タ其義務ヲ免除スヘキヤ毫モ疑議ヲ容レサルナリ
第五百八條
本條ハ一ノ重要ナル問題ヲ断定スルヲ旨トスルモノナリ蓋シ恊同債務者ノ一人若クハ保証人ノ一人ハ自餘ノ者ノ力ノ及ハサル所ノ合意ヲ以テ自餘ノ者ヲシテ義務ヲ免除セシメタルニ因リ之ニ對シ恰モ自己ノ実際弁済ヲ為シタリシ如ク求償権ヲ行フヲ得ヘキカ如シ然レトモ免除ヲ得タル者此ノ如キ主張ヲ為スハ法律ノ許ス可カラサル所ナリ但共同債務者若クハ保証人免除ヲ得ルカ為メ実際或ル物ヲ弁済シ又ハ其他ノ有價物ヲ供與シタルトキハ自餘ノ債務者若クハ保証人ニ對シ求償権ヲ行フコトヲ得可シト雖ドモ亦タ其求償権ハ免除ヲ得タル者ノ出捐ノ限度ニ止マル可キモノトス
若シ債権者債務者ノ一人若クハ保証人ノ一人ニ對シ義務免除ヲ為スニ当タリ之ヲシテ自餘ノ債務者若クハ保証人ニ對シ求償権ヲ行フヲ得セシメント欲スルトキハ單ニ免除ヲ為サズ其債権ノ譲リ渡シヲ為ササル可ラズ然レトモ此塲合ニ於テハ債務ノ免除アルニ非スシテ他ノ原則ヲ以テ支配スヘキ他ノ行為アルモノナリ
第五百九條
債務自体ノ免除ハ連帯若クハ不可分ノ免除詳カニ之ヲ謂ヘハ債務ニ附着スル所ノ連帯ノ免除ト混淆セサルコトヲ要ス蓋シ債権者單ニ其債務者ノ一人ニ連帯ノミヲ免除シタルトキハ其債権毫モ價格ヲ減スルコトナク加之債務者何レモ其義務ヲ免カルルコト能ハズ然レトモ債権者ハ免除ヲ得タル債務者ト自餘ノ債務者トヲシテ牽連セシメタル所ノ関係ヲ破却セシメタルニ因リ其ノ一人ニ對シ自餘ノ債務者ノ部分ヲ請求スルコトヲ得ス是ヲ以テ債権者ハ無資力ノ相互担保ノ一部分ヲ失フタルニ過キスシテ自餘ノ債務者間ニ於テハ尚ホ相互ニ其部分ニ関シ連帯ノ関係依然存續スルモノナリ
當事者ノ意思ニ依リ不可分ナル債務ニ関スルトキモ亦タ債権者ハ其債務者ノ一人ヲシテ義務ノ変体即チ不可分ノミヲ免レシムルコトヲ得此ノ塲合ニ於テハ恰モ連帯ノ塲合ニ於ケルト同一ノ結果ヲ生スヘキモノトス
然レトモ債務ノ性質上分割ス可カラサルモノナルトキハ債権者事物ノ性質ヲ変更スルコト能ハサルカ故ニ又各債務者ニ対シ加之ナラス不可分ヲ免除セシメタル債務者ニ對スルモ尚ホ全部ノ履行ヲ請求スルコトヲ得但下ニ説明スル所ノ特別ノ處分ヲ為スコトヲ要ス即チ債権者免除ヲ得タル債務者ヲ訴追スルトキハ之ニ自餘ノ債務者ノ部分ヲ金銭ニテ計算シ更ラニ自餘ノ債務者ニ對シ求償権ヲ行フ可シ又債権者自餘ノ債務者ノ一人ヲ訴追シタルトキハ免除ヲ受ケタル債務者ノ部分ノミヲ之ニ計算シ更ニ免除ヲ受ケタル者ニ対シ求償権ヲ行フ可シ(本編第四百四十五條ヲ参観ス可シ)此ノ如クスルトキハ即チ必ズ変体ノ免除ノ結果ヲ生セシムルコトヲ得債権者ハ其全部ノ権利ヲ保存シ唯タ金銭ニテ計算ヲ為シ立替金ヲ出スト求償権ヲ行フトノ結果ニ因リ損害ヲ被ムルノ恐レアリ債務者ノ一人若クハ数人ノ無資力ノ結果ヲ被ルノ危険アルノミ
第五百十條
本法ハ裁判官連帯ノ黙示ノ抛棄ヲ認ムルノ権力ヲ制限セスト雖トモ三箇ノ特別ナル塲合ニ於テハ充分黙示免除ノ証拠アルモノト看做シ裁判官ハ必ス黙示ノ免除ヲ認メサル可カラサルモノト定メ第五百五條ニ謂ヘルカ如ク法律ヲ以テ債務ノ免除ヲ推定スルコトヲ特定シタリ
此推定タル不可分ノ免除ニモ亦タ准用スルヲ得ヘシト雖トモ只タ其不可分ノ合意ニ起因スルトキノミニ限ル何トナレハ一部分ノ請求若クハ弁済アルハ不可分ノ原因合意ナルトキニ限リ而シテ本條ニ特定スル所ノ法律上ノ推定ハ一部分ノ請求若クハ弁済ニ基クモノナレバナリ
第一ノ塲合、債権者連帯債務若クハ不可分債務ノ債務者ノ一人ヨリ其部分ニ等シキ金銭若クハ有價物ヲ受取リ且其受取ル所ハ該債務者ノ部分ナルコトヲ明言シ而シテ債権者債権ノ変体即チ担保ノ利益ヲ留保セサリシ塲合ニ於テハ債権者其担保ヲ抛棄シタルモノト認定スルヲ至当トス但此場合ニ於テハ債権者自身其受取証書中ニ其受取ル所ハ即チ弁済ヲ為ス債務者ノ部分タルコトヲ明言スルヲ必要トセス勿論証書中ニ此事ヲ明言スルハ実際最モ多ク且最モ其當ヲ得ルモノタル可シト雖トモ債務者其弁濟スル所ノ物自己ノ部分ナルコトヲ明言スルニ当リ單ニ之ニ對シ受取証書ヲ與へタルトキモ亦タ同一ノ効力ヲ生スヘシトスルヲ当然且至当ト為ス就中弁済ノ充当若クハ提供アリタルトキ供託ノ有無ヲ問ハス債権者之ヲ受諾シ別ニ留保スル所ナキトキハ又免除アリトノ推定ヲ為スコトヲ要ス
第二ノ塲合、債権者債務者ノ一人ヲ訴追シ之ニ對シ若干ノ金銭若クハ有價物ヲ請求シ自ラ其部分ヲ以テ被告タル債務者ノ部分ナリト称シ別ニ其以後ノ権利ヲ留保セサリシニ債務者其請求ニ應シタルトキハ此点ニ関シ特種ノ合意成立スルモノナリ又債務者其請求ニ應セサルモ判決ヲ以テ債務者ニ請求金額ヲ弁済ス可キコトヲ命シ其判決確定シタルトキハ債権者ハ其債権ノ担保タリシ変体ヲ抛棄スルノ意アリタリト謂フ可キヤ明カナリ
第三ノ塲合、債務ノ元本ヲ要求スルヲ得サルモ毎年ノ利息若クハ年金ヲ生ス可キモノナルトキ債権者債務者ノ一人ニ該利息若クハ年金ニ付キ其負担スル部分ヲ分離シテ受取リタルトキハ前二項ニ依リ又満期ニ至リタル利息ニ付テハ自餘ノ者ノ部分ノ担保ヲ抛棄シタルモノトス然レトモ将来ノ利息及ビ元本ニ至リテハ債権者ノ権利全然存続スルモノナリ但債務者ノ一人ノ部分ヲ十ケ年分離シテ受取リ且債権者別ニ異義ヲ止メサルトキハ此限ニ非ス加之其十年ノ時期引續キタルコトヲ要ス故ニ若シ其間ニ在テ一回タリトモ債権者同債務者ヨリ一年分ノ利息ノ全額若クハ一年以下タリトモ利息ノ全額ヲ受取リタル時ハ最早法律上免除アリタリトノ推定ヲ為スコトヲ得ス
以上三個ノ塲合ニ於テハ免除ノ推定完全ナルヤ将タ反証ヲ入ルルヤニ付キ論議ヲ為ス者アランガ抑モ完全ナル推定ハ甚ダ稀ニシテ公ケノ秩序ニ関スル塲合ニ非サレバ存セザルモノナリト雖トモ此塲合ニ於テハ毫モ公ケノ秩序ニ関スル所ナシ然レトモ実際此三個ノ塲合ニ於テ債権者法律上ノ推定ニ対スル反証ヲ挙ルヲ得ルハ甚タ稀ナリ但債権者ハ間接ニ其権利ヲ留保シタルコトヲ主張スルヲ得ルノミ蓋シ留保ハ明示ナルヲ要セサルヲ以テ黙示ナリト主張スルヲ得ルコトアリ例ヘハ債権者ハ書面若クハ人証ニヨリ其債務ノ分割ヲ承諾シタルハ偏ヘニ自餘ノ債務者顕然資力アリ一分弁済ヲ承諾シタルトキニ於テ資力アリタルコトヲ衆人ノ認メタリシコトヲ証明スルヲ得ヘシ果シテ此証明ヲ為シタルトキハ債権者其担保ヲ抛棄スルノ意思アリタルニ非ス以後自餘ノ債務者無資力トナルカ又ハ実際一分弁済ノトキニ在リテモ尚ホ既ニ其無資力ナリシトキハ更ニ一分弁済ヲ為シタル債務者ニ對シ求償権ヲ行フノ意アリシモノナリト認定スルヲ至當トス
第五百十一條及第五百十二條
此二條ニ於テモ亦債権者其債権自体ヲ抛棄シタルニ非ズシテ只其担保ノミヲ抛棄シタルコトヲ仮定スルモノナリ然レトモ其一ノ担保ヲ抛棄シタルニ因リ自ラ一ノ担保ノ抛棄ヲ惹起スルコトアリ
第五百十一條ニ依レバ保証人其保証義務ノ全部ヲ免カレタルトキハ自餘ノ保証人亦其利益ヲ得免除ヲ受ケタル保証人ノ部分ニ付キ共ニ義務ヲ免カルルモノトス是レ第五百六條第二項ニ於テ連帯債務者ノ一人ニ債務ノ免除ヲ為シタル塲合ニ付キ定メタル所ト同一ナリ唯タ彼此二者ノ間ニ存スル差異アリ蓋シ連帯債務ノ免除ノ塲合ニ於テハ債権者自餘ノ債務者ニ對スル自己ノ権利ヲ留保シタル時ニ非サレハ是ニ對スル権利ヲ保存セス是レ其実主タル債務一箇アルニ過キサルカ故ナリ然ルニ数人ノ保証人アルトキハ各保証人ハ自餘ノ者ト別離シ特別ノ契約ニ因リ義務ヲ負担スルモノナルカ故ニ其一人ニ免除ヲ為スモ自餘ノ者ニ於テ其利益ヲ受ルコト能ハス然レトモ其一人ニ免除ヲ為シタルカ為メ自餘ノ者ニ害ヲ及ホス可カラス而シテ保証人ノ一人免除ヲ受ケサルトキハ自餘ノ保証人ト共ニ総債務ヲ弁済スルノ責アリ只自餘ノ各自ニ対シ求償権ヲ有スルニ過キス且何レノ塲合ニ於ケルモ結局弁済金額ノ一部分ヲ負担セサル可カラサルカ故ニ保証人ノ一人免除ヲ得タルトキハ自餘ノ者ハ其部分ヲ拂フノ義務ヲ免カレサル可カラス蓋シ免除ヲ受ケタル者ノ部分ハ到底之ニ對シ請求スルヲ得サルカ故ニ自餘ノ保証人ヲシテ之ヲ拂ハシムルトキハ即チ其免除ノ為メ之ニ損害ヲ及ボスニ至ル可ケレハナリ
第五百十二條ハ物上担保ノ免除アリタルコトヲ仮定スルモノナリ抑々物上担保ノ免除ハ対人担保ニ何等ノ影響ヲモ及ホス可カラサルカ如シト雖トモ又保証人ハ其免除ノ利益ヲ受ク可キノ理由アリ若シ保証人ヲシテ其利益ヲ得セシメサルトキハ遂ニ之ヲシテ其免除ノ為メ損害ヲ被ラシムルニ至ルヘシ蓋シ保証人債務ヲ弁済シタルトキハ債権者ノ権利ニ対シ就中債権ノ担保タリシ先取リ特権及ヒ抵当ヲ得ヘキモノナリ実ニ保証人ノ保証義務ヲ負担スルニ至リタル時ハ豫ジメ代位ヲ得ンコトヲ期シタルニ因リ義務ヲ承諾シタルモノト推定ス可キヤ当然ナリ故ニ債権者保証人ノ企図シタリシ質若クハ抵当ノ免除ヲ為シタルトキハ遂ニ保証人ヲシテ代位ニ依リ該担保ヲ得ル能ハサルニ至ラシメ以テ之ニ損害ヲ加ヘタルモノナルヲ以テ保証人ニ對スル其権利ヲ失ハサル可カラス
然レトモ前後二箇ノ塲合ニ於ケルト異ナリ保証人ハ物上担保ノ免除ニ因リ当然其義務ヲ免カルルモノニ非ズ必ス自己ノ免責ヲ裁判所ニ請求スルコトヲ要ス此規定ハ曩ニ連帯共同債務者ニ對シ亦タ適用シタル所ナリ
第五百十三條
債権者保証ヲ抛棄スルトキハ債務者ノ無資力ノ結果ヲ被ルノ恐レアリ而シテ保証人ハ必ス其結果ヲ免カルルカ故ニ保証人ハ出捐ヲ為シ以テ債権者ニ其危険ヲ担当スルノ賠償ト為シ以テ自己ノ義務ヲ免カルルコトヲ約スルコトヲ得ルヤ当然ナリ是ヲ以テ債務者債務ノ全額ヲ弁済スルトキハ債権者ハ保証人ヨリ出捐ヲ得タルニ因リ保証ヲ免除シタルカ為メ却テ利益ヲ受クヘキモ亦之カ為メ損失ヲ被ルコトアルヘシ之ヲ要スルニ債権者ト保証人トノ契約ハ即チ一ノ射倖合意ニシテ法律ノ干渉ス可カラサル所ナリ
夫レ右ニ述ル如ク保証人ト債権者トノ間ニ為シタル免除ノ合意ハ債務ヲ減少セサルカ故ニ債務者毫モ之カ為メニ利益ヲ得サルヲ以テ保証人ハ保証ノ免除ノ為メ債権者ニ拂フタル所ノ物ノ償還ヲ債務者ニ要求スルコト能ハス又債権者共同債務者ノ一人ヲシテ連帯若クハ不可分ヲ免除セシムルカ為メ之ヨリ多少得ル所アルモ亦其免除ヲ受ケタル債務者ハ自餘ノ者ニ對シ何等ノ求償権ヲモ行フコト能ハス
第五百十四條
本條ノ規定ハ多少ノ注意ヲ要スルモノナリ
今適例ヲ挙ケテ之ヲ説明センニ買主未タ買受物ノ引渡シヲ得サルニ当リ賣主ニ其引渡シノ義務ヲ免除スヘキコトヲ明言シタリトセン此ノ如キ塲合ニ於テハ或ハ買主ハ賣買契約ヨリ生スル所ノ一切ノ権利ヲ抛棄シ従テ其賣買契約ニ依リ取得シタル所有権ヲ賣主ニ讓リ戻シタルモノト認ムル者アラン又例ヘハ寄託若クハ使用貸借ニ依リ受寄者若クハ借主受寄物若クハ借用物ヲ返還スルノ義務ヲ負担スルニ当リ其返還義務ノ免除ヲ得タルトキハ寄託者若クハ貸主ハ所有権ヲ抛棄シタルモノト云フヘキカ如シ
若シ夫レ引渡シ若クハ返還ノ義務免除ニシテ右ニ想像スル所ノ外他ノ効力ヲ生スルコト能ハサルモノナラシメハ彼ノ「合意ノ觧釈法ハ之ヲシテ何等ノ効力ヲモ生セシメサルモノヲ取ラス之ヲシテ有効ナラシムルモノヲ取ル可シ」ト謂ヘル元則ニ拠リ義務ノ効力ヲ認メサル可カラスト雖トモ(本編第三百五十八條ヲ参観ス可シ)此免除ハ他ニ至当ノ効力ヲ生ス可キカ故ニ未タ右ノ効力ヲ認メサルヲ得サルモノト謂フ可カラス
抑モ債権者ハ右ニ仮定スル所ノ塲合其他之ニ類似スル塲合ニ於テハ二箇ノ権利即チ所有権ト其物ノ引渡シヲ請求スルノ債権トヲ有スルモノナリ故ニ債権者引渡シノ免除ヲ為シタルトキハ即チ債権ノ免除ヲ為シタルノミニシテ其所有権ハ依然之ヲ保存シタルモノト謂フ可シ故ニ債権者ハ恢復訴権ヲ行フコトヲ得唯其位置ハ債権ヲ免除シタルニ因リ大ニ劣ル所アルモノナリ蓋シ賣主受寄者借主ハ以後引渡シノ義務ヲ負担セサルカ故ニ又自己ノ物ニ加フルト同一ノ注意若クハ一層綿密ナル注意ヲ以テ其負担スル所ノ物ヲ保存スルノ義務ヲ有セス唯他人ノ物ノ占有者タルニ過キサルニ因リ悪意ノ行為若クハ之ヲシテ利益ヲ得セシメタル行為ノ外其責ニ任スルコトナシ然レトモ其占有ハ依然容仮ノ占有タルヲ免レス何トナレハ賣主受寄者若クハ住用借主ハ占有ノ権限ノ性質ヨリ生スル容仮ノ已ム可キ塲合ノ位置ニ在ラスシテ其権限ノ轉換アラサレハナリ(本編第百八十五条ヲ参観スヘシ)是ヲ以テ債権者ハ時効ニ係ルノ憂ナク永ク恢復訴権ヲ保存スヘシト雖モ契約ヨリ生スル対人訴権ヲ以テ物ノ引渡ヲ請求スルニ比スレハ其位置大ニ不利ナリトス何トナレハ債権者ハ物ノ引渡ヲ請求スルニ当リ其所有権ヲ証明スルコトヲ要スヘキモ所有権ノ証明ヲ為スハ賣買ヲ約シ又ハ寄託若クハ使用貸借ヲ約シタルノ証拠ヲ擧クルニ比スレハ往々一層困難ナルヘケレハナリ
又買主賣主ヲシテ引渡ノ義務ヲ免除セシムルモ未タ之カ為メニ追奪ノ塲合ニ於ケル担保ノ義務並ニ解除訴権ノ免除ヲ為シタルモノト看做ス可カラス是レ恰モ自己ノ代價ヲ弁済スルヲ免カレサルト同一ナリ
第五百十五条
以上ノ諸条ニ於テハ数多ノ主タル若クハ從タル債務者アル塲合ヲ仮定シタリシカ本条ニ於テハ数多ノ債権者アル塲合ヲ仮定スルモノナリ但シ債権者ハ必ス主タルモノニシテ決シテ從タルモノナシ
抑モ連帯共同債権者ハ相互ニ共同ノ利益ニ関シ代理人タルモノニシテ何レモ自餘ノ者ノ為メニ債務者ヲ訴追シ之ヲ遲滞ニ付シ時効ヲ中断シ又ハ弁済ヲ領受スルコトヲ得ルモノナリ然レトモ其代理権ハ敢テ之ヲシテ債権ヲ減少シ若クハ消滅セシメ自餘ノ債権者ニ損害ヲ加フルヲ得セシムルモノニ非ス就中債務者ニ債務ノ免除ヲ為スカ如キハ其権限内ニ非サルナリ然リト雖モ亦債務者ニ免除ヲ為シタルトキハ何等ノ効力ヲモ生セサラシムルコトアル可カラサルヲ以テ其免除ハ有効ナリトセサル可カラス只其免除ノ効力アルハ免除ヲ為シタル債権者ノ部分ニ在ルモノトス此部分ヲ超エサルトキハ自餘ノ債権者免除ノ為メ損害ヲ被ルコトナケレハナリ
義務ノ性質上不可分ナル塲合ニ於テ債権者ノ一人免除ヲ為シタルトキモ亦右ト同一ノ結果ヲ生スヘシト雖モ其結果ヲ得ルニハ他ノ方法ニ依ルモノトス即チ自餘ノ債権者ハ己レノ関係セサル免除ノ為メ自己ノ権利ヲ減少セラルルコトアル可カラス而シテ其権利不可分ナルカ故ニ全部ニ付キ訴権ヲ行フヘシ然レトモ債務者ノ免除ヲ受ケタル部分ノ價額ニ等シキ金銭ヲ之ニ附與スルコトヲ要ス之ヲ債務者ニ附與スルモ敢テ債権者ノ為メ何等ノ損失モアルコトナシ何トナレハ免除アラサルモ亦免除ヲ為シタル債権者ノ部分ヲ之ニ分與セサル可カラサレハナリ
此法則ノ原理ハ既ニ第四百四十五条ニ定メタルヲ以テ本条ハ之ヲ引用シタリ
当事者ノ意思ニ因リ債務不可分ニシテ其目的金銭ナルトキハ訴追ヲ行フニ当リ免除ヲ為シタル債権者ノ部分ヲ控除スヘシ何トナレハ金銭ノ授受ニ関スルトキ先ツ其全額ヲ受取リ次テ其一部分ヲ返還スルハ徒ラニ煩雑ヲ来スニ過キサレハナリ
第五百十六条第五百十七条及ヒ第五百十八条
第五百十六条以下ハ証拠ニ関シ数多ノ問題ヲ断定シ以テ本節ヲ結了ス即チ其規定スル所ハ証書ノ交付若クハ其証書ノ変更アリタル塲合ナリ
右ノ塲合ニ於テハ数多ノ法律上ノ推定アリ
債権者債務者ト其義務ヲ約シ其署名捺印アリテ義務ノ証拠タルヘキ原証書ヲ交付シタル塲合ハ債務者ノ為メ最モ利益アルモノニシテ債権者ハ最早他ノ証拠ヲ有セサルカ故ニ毫モ以後要求スルノ意アラサルモノト看做スコトヲ得ヘシ
右ノ塲合ニ於テハ債権者弁済ヲ受ケ若クハ其権利ニ等シキ有價物ヲ領受シタルモノナルカ将タ贈與ヲ為サント欲シタルモノナルカ是レ他ノ問題ニシテ第五百十八条ニ之ヲ規定スル所ナリ然レトモ結局何等ノ権利ヲモ留保スルノ意アラサリシモノト推定スルヲ至当トス
右ノ推定ハ如何ナル効力ヲ有スヘキカ蓋シ其推定ハ軽易ノ推定ニ過キスシテ債権者ハ其権利ヲ保存スルノ意アリシコトヲ証明スルヲ得ヘシ
然レトモ債権者其証書ニ免除ノ旨ヲ附記シ又ハ之ニ反シ其権利ヲ留保スル旨ヲ附記シタルトキハ最早証拠ニ関シ何等ノ問題モ生スルコトナシ
公正証書ノ正本ハ其証書ニ執行文アルトキト雖モ尚ホ債権者之ヲ債務者ニ交付シタルヲ以テ債務ノ免除ヲ為シタリト推定ス可カラス蓋シ此塲合ニ於テハ前記ノ塲合ト異ナリ債務ノ免除アリトノ推定ヲ為ササルハ債権者該正本ヲ交付スルモ尚ホ証書ノ原本存スルカ故ニ何時タリトモ更ラニ正本ヲ作ラシムルヲ得ルカ故ニ決シテ其権利ヲ証明スルノ方法ヲ失フタルモノニ非ス故ニ債権者ハ該正本ヲ債務者ニ交付スルモ是レ單ニ之ヲ停止スルノ意ニ出テタルニ過キスト看做ササル可カラス然レトモ亦本条ニ未タ必スシモ裁判所ニ於テ該正本ノ交付ヲ以テ債務免除ノ推定ヲ為スノ根據ト為スコトヲ禁スルモノニ非ス然レトモ裁判所ニテ免除アリタリトノ推定ヲ為ストキハ法律上ノ推定ニ非ス輕易ノ推定即チ事実ノ推定ヲ為スモノニシテ裁判官ハ冝シク此推定ヲ為スニ付テハ他ノ事情ヲ斟酌セサル可カラス
又何レノ塲合ニ於テモ他ノ一ノ断定ヲ要スル問題アリ即チ証書ノ交付任意ナルコトハ殊ニ第五百十六条第一項ノ塲合ニ於テ頗ル重要タルカ故ニ其果シテ任意ナルヤ否ヤハ如何シテ之ヲ証スヘキカ
蓋シ債務者証書ヲ強奪シ又ハ詐欺ヲ行ヒ之ヲ騙取シタリト推定ス可カラス又債権者証書ヲ紛失シ債務者之ヲ取得シタリト推定ス可カラサルカ故ニ本法ハ債務者單ニ証書ヲ占有所持スルヲ以テ債権者ヨリ任意ニテ之ニ交付ヲ為シタルノ結果ナリト推定シタリ然レトモ此塲合ニ於ケルモ亦一切ノ反証ヲ擧ケテ其交付ノ任意ナラサルヲ証スルヲ得ヘキヤ勿論ナリ
又債権者債務者ニ証書ヲ交付セサルモ之ヲ毀滅シ抵破シ又ハ抹殺スルコトアリ是等ノ行為タル亦債務者ニ証書ヲ交付シタルト同シク債権者其証書ヲ毀滅シ以テ其権利ヲ抛棄スルノ意思アリタルコトヲ表示スルニ足ルモノト云フヘシ又証書全体ヲ抵破シ又ハ抹殺セサルモ債務者ノ署名捺印ヲ抹殺シ又ハ証書ノ主要ナル文字ヲ抹殺シタリシトキモ亦債権者免除ヲ為シタリト推定スルニ足レリト云フヘシ例ヘハ賣買証書中代金ヲ指定スル項目ヲ抹殺シ又ハ借用証書中借用金額ヲ記載シタル文字ヲ抹殺シタルトキノ如キ即チ是レナリ是ヲ以テ本法ハ此塲合ヲ以テ債務者ニ任意ニテ証書ノ交付ヲ為シタル塲合ニ準シ債務ノ免除アリタリトノ推定ヲ設ケタリ但シ前条ニ記載スル所ノ二種ノ証書間ニ存スル区別即チ義務ヲ記載シタル本証書ト公正証書ノ正本又ハ判決書ノ正本ノ間ニ存スル区別ニ從フヲ要ス
又証書ノ毀滅抵破若クハ抹殺ノ果シテ債権者自ラ為シタルモノナルカ又ハ其承諾ヲ得テ為シタルモノナルカニ付キ証明ヲ為スヲ要スルコトアルヘシ今本法ハ該毀滅ヲ為ストキニ当リ債権者証書ヲ占有シタリシトキハ其所為又ハ其承諾ニ出テタルモノト推定スト雖モ亦反証ヲ擧ケテ此推定ヲ覆スコトヲ得ヘキヤ明カナリ然レトモ債権者証書ヲ占有セサルトキニ至リ其毀滅アリタルトキハ債務者ヨリ債権者ノ命令若クハ承諾ニ出テ之ヲ為シタルノ証拠ヲ提出スルヲ要ス
然レトモ尚ホ証書ノ毀滅アリタルトキ猶ホ債権者之ヲ占有シタリシヤ否ヤノ証明ヲ為スノ要アリ此点ニ付テハ法律上ノ推定アラサルヲ以テ債務者直接ニ之ヲ証明スルヲ要スルヲ以テ原則ト為ス然レトモ債権者其ノ証書ヲ占有セサルハ稀ナルカ故ニ或ル時期ニ在テ既ニ其証書ヲ手離シタルコトヲ証明セサルトキハ裁判所ハ事実ノ推定ニ因リ債権者猶ホ証書ヲ占有シタリト認定スルコトヲ得ヘシ此塲合ニ於テハ債権者占有ノ時ニ当リ証書ヲ毀滅シタルモノト看做サルルヲ以テ法律ニ定メタル所ノ推定ヲ被ラサル可カラス
又本節ニ規定シタル数多ノ塲合ニ於テハ債務ノ免除有償ナルカ又ハ無償ナルカニ関シ証拠問題アリ此問題タル法文ニ明示スル如ク債務ノ免除ノ証拠如何即チ其直接ニ証明セラレタルト法律上推定セラルルトヲ問ハス又其性質明示ナルト黙示ナルトヲ論セサルモノナリ
今実際多ク行ハルル所ノ状態ヲ按スルニ債権者債務ノ免除ヲ為スハ即チ弁済若クハ其代價ヲ領受シタルカ故ニシテ毫モ受取ル所ナク無償ニテ免除ヲ為スハ甚タ稀ナリ且義務ハ推定ス可カラサルモノナリト雖モ若シ免除ヲ無償ナリト推定スルトキハ遂ニ贈與ニ関スル規則ヲ適用スヘキ塲合ニ於テハ旧債務者ヲシテ其免除ヲ受ケタル物ノ全部若クハ一分ヲ返還スルノ義務ヲ負担セシムルニ至リ義務ヲ推定ス可カラサルノ原則ニ背反スルニ至ルヘシ
是ヲ以テ本法ハ更ラニ一ノ推定ヲ下シ法律上弁済アリタルニ因リ免除アリタルモノト推定ス但シ此塲合ニ於ケルモ亦反証アルトキハ此限ニ非サルヤ明カナリ
然レトモ債権者ト債務者トノ相互ノ関係上法律ニ於テ相互ニ授受スルコトヲ禁シタル塲合ニ於テハ法律上弁済アリタリトノ推定ヲ下ス可カラス此塲合ニ於テ免除ノ有償ナリシコトヲ推定スルトキハ甚タ弊害アルヘシ何トナレハ法律ニ反シ無償ノ免除ヲ為シ法律ヲ規避スルカ為メ免除ヲ約スルコトナシトセサレハナリ是ヲ以テ債務者其果シテ弁済シタルコトヲ直接ニ証明セサル可カラス
第四節 相殺
第五百十九条
本節ニ規定スル所ノ消滅方法ハ実際大ニ利益アルモノニシテ債権者ト債務者ト相互ノ関係計算ヲ簡約ニスルノ利アルモノナリ蓋シ二人相互ニ金銭ヲ負担スル如キ塲合ニ於テハ一方ヨリ先ツ他ノ一方ニ弁済シ更ラニ即時債権者トシテ其附與シタル所ノモノヲ受取ルハ徒ラニ手数ヲ要スルニ過キス加之或ル塲合ニ於テハ弁済ヲ為スニ因リ損害ヲ被ルコトアルヘシ何トナレハ最初弁済ヲ受ケタル者悪意ナルカ又ハ無資力ナルトキハ弁済者ハ自己ノ得ヘキ所ノ物ヲ領受スル能ハサルノ危険ヲ被ルコトアルヘケレハナリ
是ヲ以テ相殺ハ想像的簡略ノ二様ノ弁済ト看做スコトヲ得ヘキモノナリ然リ而シテ相殺ノ行ハルルニ二箇ノ債務ノ数額同一ナルヲ必要トセス其数額同シカラザルトキハ其同数額ニ至ル迄相殺ヲ為スヘキモノトス詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ法文ニ明言スルカ如ク其寡少ナル債務ノ数額ニ充ツル迄相殺成立スルモノナリ故ニ数額多キ債務ヲ負担スル者ハ数額少ナキ債務ニ超過スル所ヲ実際弁済スルヲ以テ足レリトス
是レ債務者ハ債権者ノ意ニ反シ一分弁済ヲ為ス能ハサルノ規則ニ加ヘタル例外則ナルカ如シト雖モ其然ルハ外観ニ過キス実際然ルモノニ非サルナリ(本編第四百三十九条ヲ参観スヘシ)蓋シ合意ニ因リ数額ノ寡少ナル債務発生シタルトキハ債権者ハ之ヲ承諾スルニ当リ豫メ其結果タル一分ノ相殺ヲ受諾シタルモノト推定スヘク又其債務ノ合意ニ原因セサルトキニ於テモ相殺ノ利益アルハ弁済ヲ不可分トスルニ勝レリトス
今相殺ノ原因如何ヲ考究スルトキハ之ヲ三種ニ区別スヘシ第一相殺ハ当事者ノ参與ナク又裁判所ノ干渉ナク直接ニ法律ニ原因スルコトアリ第二相殺ハ塲合ニ因リ当事者一方又ハ双方ノ意思ニ由来スルコトアリ此塲合ニ於テハ其相殺ヲ称シテ任意ノ相殺ト云フ第三裁判所ニテ当事者ノ意思ニ拘ハラス相殺ヲ行フトキハ之ヲ称シテ裁判上ノ相殺ト云フ然レトモ此塲合ニ於ケルモ裁判所ハ濫リニ相殺ヲ認ムルコトヲ得ス必ス法律ノ規則ニ依準スルコトヲ要ス
此原因ハ以下逐一之ヲ規定スルノ条項アリ
三種ノ相殺中実際最モ利益アリ又最モ難問ヲ生スルノ多キモノハ法律上ノ相殺ナリ
三種ノ相殺ノ共通ナル規則ハ節末ニ之ヲ掲ク
第五百二十条
夫レ法律上ノ相殺ノ効力ヲ生スルニハ裁判所ニ請求アルヲ必要トセスト雖モ亦未タ必スシモ裁判所ニ請求起ルコトナシト謂フ可カラス蓋シ法律ノ最モ睹易キ効力ト雖モ尚ホ之ニ付キ争論起リ其適用ノ塲合アラサルコトヲ唱フル者ナシト謂フ可カラス然レトモ一旦裁判所ニ於テ事実ヲ審按シ法律ヲ適用シ法律上ノ相殺行ハルヘキ塲合タルコトヲ認ムルニ於テハ一ニ其法律ノ効力ヲ認定スヘキノミ
法律上ノ相殺ハ自ラ行ハルルキカ故ニ「当事者ノ不知ニテモ猶ホ行ハルヘキモノナリ故ニ其一方之ヲ申立ツルヲ必要トセサルヤ明カナリ然リト雖モ実際当事者相殺ノ成立スルコトヲ陳述セス又其証拠ヲ提出セサルトキハ裁判所之ヲ知ルニ由ナカルヘシ只一旦其証拠ヲ提出シタルトキハ裁判所ハ法律ノ効力ニ因リ債権消滅シ又ハ減少シタルコトヲ宣告シ原告ノ請求ヲ却下シ又ハ其請求額ヲ減少スルコトヲ要ス且其法律ノ効力ハ二個ノ債務併立シタル日ニ溯リ発生スルモノナリ故ニ相殺ノ当然行ハレタルトキ直チニ利益ノ発生ヲ止ムルモノトス
論者中当事者相殺ヲ申立テサルニ拘ハラス之ヲ宣告スルヲ得ルヲ非難シ判事ハ職権ヲ以テ時効ノ成就シタルコトヲ言渡スコトヲ得サルト同シク又職権ヲ以テ相殺ヲ言渡スコトヲ得可カラスト唱ヒタル者アリ然レトモ判事ヲシテ職権ヲ以テ時効ヲ認ムルノ権利ヲ有セシメサルノ理由ハ決シテ相殺ニ付キ存セサルモノナリ蓋シ相殺ハ弁済ノ一種ニ外ナラサルモ決シテ時効ニ非ス是ヲ以テ判事権利拘束ノ継続中当事者ノ提出シタル証拠書類ニ付キ弁済証書ヲ発見シタルトキハ債務者縦令之ヲ主張セサリシモ猶ホ其義務ヲ免カレタルコトヲ認定スルノ権利アリ加之責務アルト同シク権利拘束ノ継続中法律上ノ相殺ノ原因アルコトヲ発見シタルトキハ債務ノ全部若クハ一分ノ消滅アリタルコトヲ認定セサル可カラス
然リ而シテ法律上ノ相殺ノ行ハルルニハ本法五箇ノ条件具備スルコトヲ必要トセリ本条其躰様ヲ掲ケ次条ニ至リ逐一各条件ヲ規定シ之ニ特殊ナル規定ヲ設ケタリ
第一、二箇ノ債務「主タルモノ」タルコトヲ要ス其債務同時ニ対人的タルヲ要スルコトハ敢テ言ヲ俟タサル所ナリ蓋シ前条冒頭ニ於テ「二人互ニ債権者タリ債務者タルトキハ」ト云ヘルヲ見レハ自ラ明カナリ
是ヲ以テ保証人ノ「從タル」義務ト其保証スル債務ノ債権者ヨリ別ニ己ニ対シ負担スル所ノ義務トハ法律上相殺スヘキ限ニ非ス但保証人ノ訴追ヲ受ケタル塲合ニ於テハ相殺ノ行ハルルコトアルヘシト雖モ(次条ヲ参観スヘシ)其相殺タル法律上ノモノニ非スシテ單ニ任意上ノモノタルヘシ
第二、債務ノ「代替スルヲ得ヘキ物」タルヲ要ス而シテ其債務自体ノ代替スルヲ得ヘキ物詳カニ之ヲ云ヘハ主タル品質及ヒ分量ヲ以テ定メタル物ヲ目的トシ同様ナル物タル以上ハ如何ナル物ヲ附與スルモ之ニ因リテ消滅スルヲ得ヘキモノタルヲ要スルノミナラス(本編第十八条ヲ参観スヘシ)又互ニ代替スルコトヲ得ヘキ物」即チ一ノ債務ノ目的物ヲ以テ他ノ債務ノ弁済ニ供スルヲ得ヘキコトヲ得当事者各自己ノ債権ノ弁済トシテ其債務ノ目的物ヲ保有スルヲ得ヘキコトヲ要ス例ヘハ当事者ノ一方金銭ヲ負担スルニ他ノ一方木材若クハ石材ヲ負担シタルトキハ是等ノ物タル元来定量物ニシテ特定物ニ非サルカ故ニ自体代替スルヲ得ヘキモノナリト雖モ各当事者ハ実際其負担スル所ヲ弁済スルヲ要ス然ラスンハ遂ニ契約ノ趣旨ヲ貫徹セサルニ至ルヘシ之ニ反シ当事者双方金銭若クハ同性質及ヒ同品質ノ材料若クハ日用品ヲ負担スルトキハ敢テ実際ノ弁済ヲ為スノ利益ヲ有セサルカ故ニ当然相殺行ハルヲ得ヘシ
然レトモ尚ホ代替スルヲ得ヘキ性質ニ付テハ後ニ至リ其区域ヲ擴張スル所ノ規定アリ
第三、二箇ノ債務「明確ナル物」タルコト詳カニ之ヲ云ヘハ其数額ノ確定セルコトヲ要ス此点ニ付テハ後ニ至リ詳細ニ規定スル所アリ
第四、二箇ノ債務「要求スルヲ得ヘキ物」タルコトヲ要ス是レ相殺ハ弁済ノ一方法タルカ故ニ存スル所ノ条件ナリ然レトモ亦此条件ニ付テハ少シク例外ニ属スルノ規定アリ
第五、法律若クハ当事者ノ合意ヲ以テ法律上ノ相殺ヲ禁セサリシコトヲ要ス
法律ヲ以テ法律上ノ相殺ヲ禁シタル塲合ハ後ニ掲クル所アリ故ニ其理由ハ其處ヲ俟テ説明スヘシ(下第五百二十六条ヲ参観スヘシ)
当事者ノ合意ヲ以テ相殺ヲ禁スルハ明示タルト黙示タルトヲ問ハス但黙示ノ合意ヲ以テ相殺ヲ禁シタル塲合ニ於テハ裁判所事情ヲ斟酌シ之ヲ断定スルヲ要ス是レ亦相殺ト時効トノ間ニ存スル一ノ差違ニシテ時効ハ債務者決シテ豫メ之ヲ抛棄スルヲ得サルモノナリ又法律上ノ相殺ニ因リ義務ヲ免カルヲ得ヘキ当事者之ヲ申立ツルコトヲ為サス明示又ハ黙示ニテ之ヲ抛棄スルヲ得ルヤ毫モ疑議ヲ容レサルナリ然レトモ此塲合ニ付テハ一ノ断定スヘキ難問ヲ生スルコトアルカ故ニ下ニ至リ之ヲ規定シタリ(下第五百二十八条ヲ参観スヘシ)
第五百二十一条
本条ハ法律上ノ相殺ニ必要ナル第一ノ条件即チ二箇ノ債務「主タルモノニシテ」且債務者自身ノ為メニ負担シタルモノタルヲ要スルノ条件ヲ詳密ニ規定シ之ヲ適用スルモノナリ然リ而シテ債務ノ債務者自己ニ対シ負担スルモノタルヲ要スト云フト雖モ連帯若クハ不可分ニ因リ共同債務者間及ヒ共同債権者間ニ生スル所ノ関係ニ付テハ多少此条件ヲ擴張スルモノナリ是ヲ以テ数多ノ区別ヲ為スコトヲ要ス是レ本条ヲ四箇ニ区別シタル所以ニシテ以下逐一之ヲ説明セン
第一項債権者債務者及ヒ保証人ニ対シ権利ヲ有シ而シテ更ラニ自ラ保証人ニ対シ義務ヲ負担スルモ主タル債務者ニ義務ヲ負担セサルニ当リ主タル債務者ヲ訴追シタルトキハ該債務者ハ債権者カ保証人ニ対シ負担スル所ノモノト自己ノ債務トヲ相殺スヘキコトヲ申立テ弁済ノ義務ヲ免カルルコト能ハス是レ数多ノ理由アルカ故ナリ第一保証人ノ債務ハ從タル債務ナルカ故ニ未タ之ニ対シ訴追アラサルニ当リテハ当然債権者ノ之ニ対スル債務ト相殺スルコト能ハサルモノナリ第二保証人ノ債権ハ主タル債務者ノ自ラ負担シタルモノニ非ス第三此塲合ニ於テ相殺ノ行ハルヘキモノト為ストキハ主タル債務者偶々保証人ト同時ニ債権者ニ対シ更ラニ債権ヲ有シタル塲合ニ於テ二様ノ相殺行ハレ重複又ハ矛盾ノ結果ヲ免カレサルニ至ルヘシ斯ノ如キハ到底認ム可カラサル所ノ結果ナリ第四他ノ理由ナキモ尚ホ債権者ノ保証人ニ対シ負担スル所ノ物ヲ以テ主タル債務ト相殺スヘカラサルノ理由トスルニ足ルモノアリ蓋シ債務者ハ保証人ヲシテ強イテ自己ノ為メニ弁済セシムルコト能ハス然ルニ相殺ヲ認ムルトキハ遂ニ此結果ヲ認ムルニ外ナラス蓋シ保証ヲ強制シテ債務者ノ為メ弁済セシムルノ権ヲ有スル者ハ独リ債権者ノミ加之債権者此権利ヲ行フニ付テモ猶ホ保証ノ章ニ定ムル所ノ条件及ヒ制限ニ從フコトヲ要ス
之ニ反シ債権者主タル債務者ニ対シ自ラ義務ヲ負担スル塲合ニ於テ保証人ヲ訴追シタルトキハ保証人ハ該債務者ノ名ヲ以テ相殺ヲ対抗スルコトヲ得何トナレハ債務ヲ消滅スヘキ諸般ノ方法ハ保証人ヨリ自己ノ免責ヲ求ムルカ為メ申立ツルヲ得ルモノナレハナリ但此塲合ニ於テハ其相殺法律上ノモノニ非スシテ單ニ任意上ノモノトス
相殺ノ法律上ナルト任意上ナルトハ單ニ理論的ノ区別ニ止マラス蓋シ相殺ニシテ法律上ノモノナルトキハ二箇ノ債務併立スルヤ当然相殺行ハレ相互ニ利息ヲ負担シ又ハ一方ニ之ヲ負担シタリシトキハ爾後其発生ヲ止ムルモノナリ然ルニ之ニ反シ相殺ノ任意上ノモノナルトキハ之ヲ対抗シタル日ヨリ始メテ利息ヲ止ムルニ過キスシテ其効力ハ既往ニ溯ラサルモノナリ(下第五百三十一条ヲ参観スヘシ)債権者保証人ニ対シ更ラニ自ラ義務ヲ負担スルトキハ保証人自己ノ名ヲ以テ之ニ相殺ヲ対抗スル塲合ニ比スレハ其間ニ差異ノ存スルアリ即チ保証人自己ノ名ヲ以テ相殺ヲ対抗スル塲合ニ於テハ二箇ノ債務併立シタル時ニ在テ法律上ノ相殺行ハルルモノニ非ス蓋シ保証人ノ債務ハ從タルモノニ過キス且單純ニ要求スルヲ得ヘキモノニ非ス必ス先ツ主タル債務者ニ対シ訴追ヲ起シタル塲合ニ非サレハ之ヲ要求スルヲ得サルモノナリ然レトモ保証人一旦有効ニ訴追ヲ受ケタルトキハ之ニ対シ其債務要求スルヲ得ヘキモノト為リ其從タル性質消滅スルモノト云フモ敢テ不可ナキナリ故ニ此塲合ニ於テハ保証人訴追ヲ受ケ之ニ対シ債務ヲ要求スルヲ得ヘキトキニ至リ始メテ相殺行ハルヘキモノトス
勿論保証人其債権ト主タル債務トヲ相殺シタルトキハ自己ノ費用ニ依リ詳カニ之ヲ云ヘハ自己ノ債権ヲ失ヒ以テ義務ヲ免カレシメタル債務者ニ対シ求償権ヲ有スヘシ
第二項連帯ノ事タル未タ主トシテ之ヲ規定シタル条項アラサリシカ故ニ未タ其混淆ノ性質アルコトヲ説明セサリシカ其性質タル本論ノ塲合ニ影響ヲ及ホスモノナリ抑モ連帯債務者ハ債務ノ全部ヲ負担スルモノナリト雖モ自己ノ名ヲ以テ負担スル所ハ僅カニ其一分ニ過キスシテ其残餘ハ自餘ノ債務者ノ名ヲ以テ其保証人トシテ負担スルモノナリ然レトモ亦何レノ点ニ於ケルモ通常ノ保証人ト同一處分ヲ受クヘキモノニ非ス就中連帯債務者ハ検索ノ利益及ヒ分別ノ利益ヲ受クルコト能ハス又此利益タル独リ保証人ニノミ属スヘキモノナリ然レトモ連帯債務者自餘ノ債務者ノ部分ニ付テハ其実連帯保証人タルニ過キサルノ証拠ハ其弁済ヲ為シタルトキ自餘ノ者ニ対シ求償権ヲ有スルニ拠リ明カナリ
右ニ説明シタル所ニ依テ見レハ本項ヲ會得スル容易ナラン蓋シ本項ハ二箇ノ塲合ヲ規定スルモノナリ
第一、單一ノ債権者連帯債務者ノ一人ニ対シ更ラニ義務ヲ負担スルニ当リ相殺ノ原因ヲ有セサル他ノ債務者ノ一人ヲ訴追シタルトキハ被告ハ債権者ト其共同債務者ノ一人トノ間ニ債務ノ全額ニ付キ相殺ノ行ハレタルコトヲ申立テ以テ全ク其訴追ノ結果ヲ被ルコトヲ得ス蓋シ此塲合ニ於テ全部ノ相殺ヲ申立ツルコトヲ許ストキハ相殺ノ原因ヲ有スル債務者ヲシテ弁済ノ立替ヲ間接ニ負担セシムルニ外ナラス然ルニ此権利ヲ有スル者ハ独リ債権者ノミニシテ債権者ハ其訴追ヲ為スニ当リ債務者中何人タリトモ之ヲ撰取シ之ヲ相手取ルニ因リ一人ヲシテ弁済ノ立替ヲ為サシムルヲ得ルモ自餘ノ債務者ハ此権利ヲ有セサルモノナリ且訴追ヲ受ケタル共同債務者ハ自己ノ負担部分以外ニ付テハ保証人ノ位置ヲ有スルモノナルカ故ニ本条第一項ニ依リ自己ノ名義ヲ以テ相殺ヲ申立ツルコト能ハサルモノナリ然レトモ該債務者ノ部分ニ付テハ相殺ヲ申立ツルコトヲ得何トナレハ其部分タル該債務者自己ノ為メ主トシテ之ヲ負担スルモノナレハナリ
第二、債権者全部若クハ一分ノ相殺ノ原因ヲ有スル債務者ヲ訴追シタルトキハ其訴追ヲ受ケタル債務者ハ恰モ自ラ單一ノ債務者タリシトキノ如ク相殺ヲ申立ツルコトヲ得其保証人タルノ資格ヲ有スルモ決シテ之カ為メニ自己ノ債権ト債務トノ相殺ヲ申立ツルノ妨ケト為ルモノニ非ス何トナレハ通常ノ保証人スラ尚ホ其訴追ヲ受ケタルトキハ自己ニ対シ主トシテ義務ヲ負担スル債務者ト為リ前条ニ依リ自己ノ債権ト債務トヲ相殺スヘキコトヲ申立ツルヲ得ルモノナレハナリ但其相殺ハ任意上ノモノニシテ既往ニ溯リ効力ヲ生セサルヘシ
連帯債務者ニシテ自己ノ債権ヲ失ヒ以テ自餘ノ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシメタル者ハ其債務者ニ対シ其結局義務ニ付キ負担スヘキ実際ノ部分ノ割合ニ應シ求償権ヲ行フヲ得ヘシ
第三項、債務者一人ナルモ連帯債権者数人ニシテ其一人債務者ニ対シ義務ヲ負担シタルトキハ訴追ヲ為シタル者債権者ナルト自餘ノ債権者ノ一人ナルトヲ問ハス何レノ塲合ニ於ケルモ本法ハ訴追ヲ受ケタル債務者其債権ノ全額ニ付キ詳カニ之ヲ言ヘハ訴追者タル債権者ノ受クヘキ部分以外ニ付テモ尚ホ相殺ヲ対抗スルヲ得ヘキモノト定メタリ
此結果タル連帯共同債権者ノ互ニ授受シタル相互代理ノ性質ニ拠テ考フレハ自ラ明カナリ蓋シ各連帯債権者ハ実際全部ノ弁済ヲ領受スルコトヲ得但其利益ヲ自餘ノ者ニ分與スヘキノミ且債権者ノ一人債務者ニ対シ更ラニ自ラ債務ヲ負担シ之カ為メ相殺ヲ対抗セラルヘキ塲合ニ於テ其債権者自ラ債務者ヲ訴追スルニ於テハ全部ノ相殺ノ為メ訴権破却セラルヘキヤ毫モ疑ヲ容レス是ニ依テ之ヲ観レハ相互代理ハ債権者ノ一人ヲシテ其債権ニ付キ有スル所ノ自己ノ部分ニ超過スル相殺ノ原因ヲ創設スルヲ得セシムルモノト謂ハサル可カラス但其共同債権者ニ対シ賠償ヲ為スヘキノミ是ニ依テ之ヲ観レハ自餘ノ債権者ノ一人訴追ヲ行フタルトキト雖モ猶ホ右債権者ノ権利ニ基キ相殺ヲ対抗スルコトヲ債務者ニ禁スルニ足ルヘキ理由非サルナリ但相殺ニ因リ消滅シタル債権ニ付キ自餘ノ債権者ノ有シタル部分ヲ之ニ賠償スヘキヤ勿論ナリ
連帯債権者間ノ相互代理ノ区域ヲ斯ノ如ク擴張シタルハ立法者債権者ノ意思ヲ解釈シタルモノニシテ概ネ連帯債権者間ニハ連帯債務者間ニ比シ一層緻密ナル利益ノ関係アルニ着目セハ其過当ニ非サルヲ知ルニ足ルヘシ蓋シ連帯債権者ノ相互代理ハ固ヨリ其任意ニ出テタルモノナルカ故ニ互ニ充分信用ヲ置キタルニ因リ附與シタルモノト謂ハサル可カラス然ルニ連帯債務者間ニ在テハ其連帯往々法律上ノモノニシテ又其任意上ノモノタルトキト雖モ債権者ノ之ニ対スル信用厚カラサルニ因リ債権者ヨリ求メタル契約ノ条件タルコト最モ多ク之ヲ承諾セサレハ結約スル能ハサルニ因リ已ヲ得ス之ヲ約スルコト少ナシトセス是レ債権者間ニ在テハ相互代理ノ効力斯ノ如ク廣キ所以ナリ
第四項、不可分債務ニ関スル相殺ノ規定ハ同種ノ債務ノ免除又ハ不可分ナル変体ノ免除ノ規定ニ比スレハ較々單簡ナル所アリ蓋シ相殺ニ関シ不可分ノ規定スヘキモノハ只任意不可分ノミ何トナレハ相殺ノ行ハルルハ二箇ノ債務互ニ代替シ得ヘキモノタルヲ要スルモノナルニ不可分債務ニシテ互ニ代替シ得ヘキモノハ必ス任意上ノ不可分債務ニ限ル詳カニ之ヲ言ヘハ金銭ヲ目的トスル債務ニシテ其一箇債権者ノ企図シタリシ目的ニ因リ不可分ニテ履行スルヲ要スル塲合ニ限ルモノナレハナリ是ヲ以テ以下順次ニ当事者ノ意思ニ即チ合意ニ因リ不可分ナル金銭ノ債務第一数多ノ債務者ノ負担スル所タル塲合第二数多ノ債権者ニ対シ負担スル所タル塲合ニシテ相殺ノ行ハルヘキコトヲ仮定シ之ヲ説明セン
第一数多ノ債務者アリテ其一人債権者ニ対シ更ラニ自ラ債権ヲ得タリトセン
此塲合ニ於テ債権者其債権者ト為リタル債務者ヲ訴追スルトキハ債務者之ニ自己ノ債権ノ全額ニ付キ相殺ヲ対抗スヘキヤ明カナリ蓋シ此塲合ニ於テ債権者ヲシテ全部訴追ノ権ヲ保存セシメ第四百四十五条ニ依リ豫メ金銭ニテ計算ヲ為サシムルハ徒ラニ煩ヲ求ムルノミ何トナレハ其計算スヘキ金銭ハ即チ其請求スル所ノモノト同一ノ性質ノ物即チ金銭ニ外ナラサルカ故ニ先ツ金銭ヲ與へ更ラニ之ヲ得ルハ結局毫モ授受セサルノ單簡ナルニ如カサルナリ
又債権者直接ニ相殺ノ原因ヲ有セサル他ノ債務者ノ一人ヲ訴追シタルトキハ被告亦其共同債務者ノ権ニ基キ相殺ヲ対抗スヘシト雖モ其之ヲ対抗スルヲ得ヘキハ其共同債務者ノ部分ニ限ルコト恰モ債務ノ連帯ナルトキニ於ケルト異ナラス其理由ハ前ニ第二項ヲ説明スルニ当リ述ヘタル所ト同一ナリ
第二、合意ニ因リ不可分ナル金銭ノ債務ニ対スル債権者数多アリテ其一人債務者ニ対シ更ラニ金銭ヲ負担シタリトセン
此塲合ニ於テ該債権者訴追ヲ行フタルトキハ債務者之ニ相殺ヲ対抗スルヲ得ヘキヤ毫モ疑ヲ容レス是ヲ以テ双方ノ債務之カ為メ全ク相殺スルニ至ルコトアルヘシ
然レトモ自餘ノ債権者ノ一人訴追ヲ行フタルトキハ皮相視スレハ債権者ニ対シ更ラニ義務ヲ負担シタル債権者ノ部分ニ限リ原告ニ相殺ヲ対抗スルヲ得ルニ過キサルカ如シ然レトモ本法ハ債務ノ債権者間連帯タル塲合ニ於ケルト同シク全部ノ相殺ヲ認メタリ蓋シ不可分ノ塲合ニ於テハ相互代理充分アラサルカ故ニ全部ノ相殺行ハル可カラサルニ似タリト雖モ此代理ノ不充分ナルニ基ク非難ハ嘗テ債務ノ免除ノ事ヲ説明スルニ当リ之ヲ反駁シタリ加之茲ニ説明スル所ノ塲合ニ於テハ全部相殺ヲ認ムヘキノ理由一ノ多キヲ加フルモノナリ蓋シ各債権者ハ全部ノ弁済ヲ領受シ以テ債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシメ唯後ニ至リ自餘ノ債権者ニ利益ヲ分與スルヲ要スルノミ然ルニ債権者ノ一人更ラニ債務者ニ対シ自ラ義務ヲ負担スルニ至リタルトキハ即チ一ノ價額ヲ領受シタルモノニシテ(而シテ此塲合ニ於テハ総債権者ノ得ヘキモノト同性質ノ物即チ金銭ヲ受取リタルモノナリ)然ラハ則チ債権者ハ期限ニ先チ債務ノ実際ノ弁済ヲ受ケタルト毫モ異ナルコトナシト謂ハサル可カラス
是ヲ以テ本法ハ当事者ノ意思ニ因リ受方又ハ働方ニテ不可分ナル金銭ノ債務ヲ以テ相殺ノ事ニ関シ受方若クハ働方ノ連帯債務ト同一ノ規定ヲ設ケタリ
第五百二十二条
本条及ヒ以下二条ハ法律上ノ相殺ヲシテ行ハレシムルカ為メ債務ノ具備スルコトヲ要スル三箇ノ主タル性質ニ関スル規定ヲ掲クルモノナリ其性質トハ何ソ曰ハク代替スヘキコト明確ナルコト及ヒ要求スルヲ得ヘキコト是レナリ此点ニ付テハ二三ノ説明ヲ為スヲ以テ充分ナリトス
凡ソ日用品及ヒ商品ニシテ弁済ヲ為スヘキ地方ノ市塲ニ於テ公認シタル相塲アル物ハ容易ニ金銭ニ交換スルヲ得ルカ故ニ金銭ト同一視スルヲ得ヘキモノナリ又各当事者金銭ヲ有スルトキハ即時必要ナル是等ノ日用品ヲ得ルコト容易ナリトス
然レトモ日用品ト金銭トヲ同一視スルモ之ヲ極端ニ適用ス可カラス故ニ相殺ニ関スル塲合ノ外日用品ヲ負担スヘキ者ハ金銭ヲ交附シ以テ義務ヲ免カルコト能ハス又金銭ヲ負担スル者ハ債権者ノ承諾ヲ得スシテ日用品ヲ附與シ以テ義務ヲ免カルルコトヲ得ス合意ハ一ニ其文字ト当事者ノ共通ノ意思ニ從ヒ履行セサル可カラサルモノナリ但特ニ相殺ノ塲合ニ於テハ法律上同時ニ二箇ノ債務ヲシテ容易ニ消滅セシメンカ為メ相場附アル商品ト金銭トノ相殺ヲ認メ其相殺当然行ハルヘキモノトシタルノミ加之日用品ト金銭トヲ相殺スルハ其日用品ヲ「定期」供與ノ名義ニテ負担シタルコトヲ要ス例ヘハ小作人金銭ニテ拂フヘキ借賃ノ外尚ホ若干ノ米穀薪炭油等ヲ負担スルトキ又ハ其耕作スル土地ニ於テ収穫スル果実ノ一分ヲ賃貸人ニ拂フヘキトキ賃借人更ラニ明確ニシテ要求スルヲ得ヘキ金銭ノ債権ヲ賃貸人ニ対シ取得シタルトキハ自己ノ債務ト賃貸人ノ債務トノ差異ヲ弁済スルノ責アリ又自己ノ受クヘキ所多キトキハ其超過額ヲ請求スルノ権利ヲ有スルニ過キス
今定期供與ニ関スルニ非サレハ相殺行ハルルコトナシト定メタル所以ハ此条件ナキトキハ遂ニ日用品ノ賣買ニ於テハ賣渡物代價ト相殺スヘシト云フニ至ルヘケレハナリ実ニ賣買契約ニ因リ二箇ノ義務ヲ発生シメタルトキハ直チニ之ヲ消滅セシム可カラサルヤ明カナリ
是レ定期ノ供與ヲ為スヘキ塲合ニ非サレハ日用品ト金銭ヲ相殺ス可カラスト定メタル所以ニシテ此条件アル以上ハ日用品ト金銭トノ相殺ヲ認ムルモ決シテ不可アルコトナシ此塲合ニ於テハ該供與ノ債権者ハ供與物ヲ現物ニテ受取ルヘキノ特段ナル利益アルコトナク該供與物ヲ之ニ対シ要約シタリシハ債務者金銭ヲ拂フヨリ却テ之ヲ附與スルヲ便利ト為シタルカ故ナルヘケレハナリ之ヲ金銭ト相殺スルモ決シテ不可ナルコトナシ
然リ而シテ二人相互ニ日用品ノ定期供與ヲ負担スルハ実際極メテ稀ナルヘキカ故ニ法文ニ之ヲ規定セスト雖モ若シ偶々争アレハ其價額ヲ金銭ニ見積リ之ヲシテ相殺セシムヘキコトヲ決スヘキヤ至当ナリ
第五百二十三条
凡ソ債務ハ其一切ノ原素即チ受ケ方及ビ働キ方ノ主客原因目的物其目的物ノ分量及ビ品質其体様并ビニ履行ノ塲所等明瞭ナルトキニ非ザレバ眞ニ明確ナルモノト云フコトヲ得ズ然レトモ法律ニ於テハ債務ノ相殺行ナハルルカ為メ斯ノ如ク完全ニ明確ナルヲ必要トセス且夫レ此塲合ニ於テハ債権者及ヒ債務者確実ナルヘキヤ毫モ疑ヒヲ容ル可カラス又期限ニ関スル問題モ下モニ至リ規定スル所アリ原因ニ至リテハ相殺ニ関シ敢テ之ヲ論ズルノ必要ナキヲ概則ト為ス但下モニ指示スル所ノ二三ノ例外アルノミ弁濟ノ塲所ニ至リテモ其相殺ニ及ホス所ノ影響極メテ少ナク僅カニ下モニ説明スル所ノ附隨ノ結果ヲ生スルノミ之ヲ以テ相殺ノ点ニ関シ債務ヲ明確ナリト看做スニハ其成立其目的物ノ性質及ヒ分量ノ確実ナルヲ以テ足レリトス其品質ノ如キハ目的物ノ性質中ニ包含スルモノナリ
本條ハ当事者是等ノ原素ヲ知了シタルコトヲ必要トセズ只其「確実」ナルヲ以テ足レリトセリ是レ固ヨリ然ルベキ所ナリト云フベシ何トナレハ相殺ハ「当事者ノ不知」ニ於テ行ナハルベキモノナレハナリ又債務ノ一箇若クハ二箇共ニ爭訟ニ係カル時ト雖モ未タ之カ為メ相殺ヲ妨ケルモノニ非ズ是啻ニ其爭訟ノ悪意ニ出テタルコトナルベキカ故ノミナラス又其善意ニ出テタルモノナリト云フト雖モ或ハ錯誤ノ結果タラサルヲ保ス可カラス而シテ其錯誤ノ為メ他ノ当事者ニ損害ヲ及ホス可カラサルカ故ナリ
第五百二十四條
裁判所猶豫期限ヲ債務者ニ許與スルハ債務者弁濟ヲ為スノ資力ナキ塲合ニ限ルカ故ニ其弁濟ヲ為スノ困難ナク其資力ヲ回復スルニ至リタルトキハ最早之ヲシテ依然恩恵期限ノ利益ヲ有セシムルノ理由非サルナリ然リ而シテ債務者其資力ヲ回復シ利益ヲ得ルニ於テハ如何ナル塲合ニ在ルヲ問ハス債権者ヲシテ之ニ対シ恩恵期限ノ失権ヲ請求スルヲ得セシム可カラスト雖モ債務者毫モ自カラ出タス所ナクシテ自然義務ヲ免カルルヲ得ルトキハ之ヲシテ期限ノ利益ヲ失ナハシムルヲ至当トス殊ニ債務者特殊ノ恩典ニ因リ其債務ノ弁濟ヲ為スノ猶豫期限ヲ得タルニ当リ債権者ヨリ自己ニ対シ負担スル所ノモノニ弁濟ヲ請求スルカ如キハ條理ニ背反スト謂ハサル可カラス是レ本條第一項ノ規定アル所以ニシテ其規定タル既ニ第四百七條第四号ニ掲ゲタリト雖モ亦之ヲ本條ニ掲出シタルハ相殺ノ法則ヲシテ整然タラシメンカ為メナリ
本條ハ債務者無償ニテ許與シタル恩恵上ノ期限ニ付キ裁判所ノ許與シタル恩恵上ノ期限ニ於ケルト同一ノ規定ヲ適用シタリ其無償ト謂ヘルハ債権者ノ許與シタル期限ノ恩恵上ノ期限タルコトヲ明ラカニセンカ為メナリ又其期限ヲ許與シタルノ無償ナルヲ以テ足レリトセス尚ホ債務者ノ要求ニ因リタルコトヲ要ス然ラスンハ債務者ハ債権者自カラ好ンテ期限ヲ増展シ其期限ハ合意上ノモノニシテ所謂権利上ノ期限タリト主張スルヲ得ヘケレハナリ
又本條ハ債務ノ一箇觧除條件附ナルコトノ塲合ヲ規定シタリ其特ニ停止條件附ノ義務ニ関シ規定スル所アルハ該義務タル要求スルヲ得サルモノナルカ故ナリ然ルニ觧除條件ニ至リテハ即時ノ要求ヲ防止シ非ザルカ故ニ又相殺ヲ防止セサルヤ明ラカナリ然レトモ後ニ至リ條件ノ成就ニ因リ債務觧除シ消滅スルニ至ルトキハ必ス其相殺モ亦共ニ觧除シ相手方タル債務者ハ其訴追ノ権利ヲ復取スヘシ
第五百二十五條
二箇ノ債務同一ノ都市又ハ同一ノ府縣若クハ同一ノ邦國ニ於テ弁濟スベキモノニ非サルカ或ハ同一ノ貨幣ヲ以テ弁濟スヘキモノニ非サルモ之カ為メ相殺ヲ禁ズルハ立法其宜シキヲ得タルモノニ非スト認メタリ然レトモ金銭ハ元来土地ニ従カヒ之ヲ得ルニ多少困難アリ其土地商業ノ盛衰ニ因リ金融ノ緩慢ナルヲ以テ弁濟ノ塲所如何ニ従カヒ領受者ノ為メ利益ヲ生ジ弁濟者ニ損害ヲ加ハウルコトアリ或ハ之ニ反シ領受者利益ヲ得弁濟者損失ヲ被ムルコトアリ是ヲ以テ弁濟者ト当事者トノ間ニ特別ノ計算即チ為換料ナルモノヲ計算スルコトヲ要ス
然リ而シテ本條ノ塲合ニ於テハ塲所又ハ時期ヲ異ニスルニ因リ金銭ノ融通上ニ影響ヲ生シタル商業上若クハ経濟上ノ原因如何又其商品ト金銭トノ比較價格上ニ及ホシタル結果利息ノ標準銀行ノ為換料其他総テ多少隔絶セル土地ノ間ニ於ケル取引ニ及ホス結果如何ヲ審按スルニ及ハサルモノトス只一市塲ニ於テハ其地方ノ需用ニ應シ金銭ノ不足ヲ告ケル塲合ニ於テハ法律上ノ貨幣ニ於テハ一定ノ價格アリテ猥リニ之ヲ変スルコト能ハサルカ故ニ他ノ商品ノ代價低落シ金銭ノ利息騰貴スヘシ又金銭ノ需用ニ比シ却テ多キトキハ利息低減シ商品ノ價格騰貴スヘシ然レトモ商業ノ運轉ニ自カラ金銭ト商品トノ平均舊ニ復スルコト恰モ水ノ低キニ付キ其水平ニ復スルニ異ナラスト雖モ其以前ニ在テ金銭ノ弁濟ヲ為スニ当リ其不足ナル土地ニ於テ弁濟スヘキモノ金銭ノ充分ニシテ利足ノ低落セル塲所ニ於テ弁濟ヲ為サントセハ自カラ不正ノ利ヲ得債権者ニ害ヲ及ホスヘキカ故ニ債権者ハ之ヲ拒絶スルコトヲ得斯ノ如キ塲合ニ於テ債務者ノ有効ニ為スコト能ハサル所ノモノハ法律之ニ代ハリ為ス能ハサルヤ明カナリ然ルニ隔絶セル土地ニ於テ当事者間相負担スル所ノ金銭ヲ單純ニ相殺セシメ敢テ各市塲ニ於ケル金銭ノ多寡利息ノ多少ヲ問ハサルトキハ自カラ法律ヲ以テ債務者ノ有効ニ為ス能ハサル所ヲ以テ行ハレシムルニ外ナラス
又本條ハ二箇ノ債務ヲ同一ノ貨幣ニテ弁濟スヘキモノニ非サル塲合ヲ規定シタリ是レ債務ノ一箇ヲ外国貨幣ニテ弁濟スベキコトヲ約シタル塲合ニ於テ殊ニ実例ヲ見ル此塲合ニ於テハ第四百六十五條ニ従カヒ外国貨幣ト日本貨幣ト両替賃ヲ計算スルニ非サレハ相殺行ハレサルモノトス
第五百二十六條
本條ハ第五百二十條ニ於テ法律上ノ相殺ニ必要ナリトシタル條件中最後ノ條件ニ関シ詳細ノ規定ヲ為スモノナリ即チ法律若クハ当事者相殺ヲ禁シタル塲合ヲ指定スルヲ以テ目的トス
勿論此塲合ニ於テハ法律上ノ相殺ニ必要ナル他ノ條件悉ク具備シタルモノト想像セサル可カラス然ラスンハ本則ニ列記スル塲合ニ之アルヲ敢テ本則ノ例外ナリト云フ可カラス就中債務ノ目的互ヒニ代替スルヲ得ヘキモノタルコトヲ想像スルコト必要ナリ
本條掲クル所ノ四項ハ各々多少ノ説明ヲ要スルモノナリ
第一項、凡債務ノ原因ハ相殺ニ何等ノ影響ヲモ及ホササルヲ以テ原則ト為ス故ニ有償若クハ無償ノ別種ノ契約ヨリ生シタル債務モ互ヒニ相殺スルコトヲ得犯罪若クハ准犯罪ヨリ生シタル債務モ契約若クハ不当ノ債務ヨリ生シタル法律ヨリ生シタル債務モ亦費消諸原因ヨリ生シタル債務ト相殺スルヲ得ルモノナリ
然レトモ当事者ノ一方相殺ヲ望ムカ為メ特ニ犯罪ヲ行フタル時ハ其相殺ヲ以テ消費ス可カラス
固ヨリ債権者弁濟ヲ受ケサルノ恐レアルモ自己ニ利無キカ為メ決シテ行フコト能ハサルヘキ犯罪アリ就中罵詈暴行脅迫ノ如キ之ヲ行フモ遂ニ損害賠償ヲ負担スルニ至リ自己ノ債権ノ全部若クハ一分ヲ消滅シ毫モ之カ為メ自己ニ利益非サルヘシ故ニ相殺ヲ望ムカ為メ斯ノ如キ犯罪ヲ行フコト絶ヘテ是レアル可カラス然レトモ窃盗ヲ為シ以テ自己ノ債権ト盗罪ヨリ生シタル債務トヲ相殺セントスルカ如キハ或ハ実際生スルコトナシト云フ可カラス実ニ通常他人ノ財産ヲ窃取スルカ如キ悪業ヲ為スノ念慮ナキ者モ債務者ノ物ヲ奪ヒ以テ自カラ弁濟ヲ受ケントノ念慮ヲ懐クコトナシトセス斯ノ如キ塲合ニ於テ犯罪者ハ第一其不正ニ得タルモノヲ返還スルノ責任アリ金銭若クハ其他ノ代替物ニシテ自己ノ債権ト相殺スヘキ性質ヲ有シ或ハ不代替物ヲ窃取シ之ヲ消費シ又ハ之ヲ譲渡シ需用者之ヲ復取スル能ハス遂ニ金銭ヲ負担スルニ至リタルトキト雖モ尚ホ自己ノ債務ト相殺スルコトヲ認メルコト能ハス先ツ一度返還ヲ為シ然ル後弁濟ヲ請求スルヲ要ス
右ノ原則タル其適用ノ範囲頗ル廣キモノニシテ就中詐欺取財及ヒ委託物費消ニ適用スルヲ得ルモノナリ是ヲ以テ受寄者使用借主賃借人悪意ヲ以テ其受寄ノ財物借用物若クハ賃借物ヲ消費シ又ハ譲渡シ原物ニテ之ヲ返還スル能ハサルニ因リ損害賠償ノ名義ヲ以テ其價格ヲ負担スルモノモ亦本項ノ適用ヲ受クヘキモノト云フ可シ蓋シ此塲合ニ於ケルモ亦窃盗ヲ為シタル塲合ニ於ケルト同ク前項ニ指示シタル弊害アリ加之其危害ハ一層恐ルヘキモノナリ何トナレハ債務者其債権者ニ弁濟ヲ為スノ力ナキニ当リテハ窃盗ノ豫防ヲ為スヲ得ヘキモ債権者ニ使用貸借若クハ賃貸借ヲ拒絶スルヲ敢テセサル可ケレハナリ
第二項、寄託モ亦相殺ノ妨害タル義務ノ原因タルモノナリ而シテ本項ニ寄託物ノ代替物タルヲ謂ハスト雖モ其然ルヘキヤ法文ヲ待タスシテ明カナリ何トナレハ寄託物ノ不代替物タル時ハ特定物相互ノ相殺若クハ其金銭等ノ相殺行ハレ難キ一事ニ因リ既ニ相殺ノ妨害アレハナリ然レトモ金銭ノ寄託ニ係カル受寄者金銭ヲ返還スヘキ塲合ニ於テハ相殺ノ妨害タルモノハ負担物ノ性質ニ非スシテ其債務ノ原因詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ法律上推定シタル寄託者ノ意思ニアリ蓋シ寄託ナルモノハ寄託者ニ於テ受記者ノ正直ナルヲ充分信用シタルニ因リ為スモノナルカ故ニ受寄者自己ノ債権ノ弁濟ニ代ヘ受寄物ヲ保有セントスルカ如キハ縦令他ニ弁濟ヲ受クルノ方法非ラサル時ト雖モ尚ホ寄託者ノ信用ニ背クモノト謂ハサル可カラス
此塲合タル犯罪ニ因リ相殺ノ原因ヲ喪失セントスルモノニ非サルカ故ニ前項ノ塲合ト異ナルヲ以テ特ニ本項ヲ設ケ相殺ヲ禁止シタリ
第三項、本項ノ塲合ニ於テハ相殺ノ妨害債務ノ原因ニ非スシテ其目的ナリ既ニ物ニハ差押フルコトヲ得ヘキモノト差押フルコトヲ得サルモノトノ二種アルコトハ第二十九條ニ之ヲ掲ケタリ其差押フルヲ得ヘキモノハ債権者ノ担保ニシテ其所有者自己ノ義務ヲ尽ササルトキハ債権者ハ之ヲ差押ヘテ之ヲ公賣ニ附シ之ニ因テ得タル代價ヲ以テ自己ノ弁濟ニ充テルヲ得ヘキモノナリ而シテ物ハ概ネ差押ヘルヲ得ヘキモノトス只法律ニ在ルモノ若クハ権利ヲ以テ差押ヘルコトヲ得サルモノトシタルハ所有者若クハ権利主ノ為メ特ニ保護ヲ加フルノ趣意ニ出テタルモノナリ
相殺ノ事ニ関シテハ必ス代替物ヲ想像スルヲ要スルカ故ニ僅カニ金銭若クハ日用品ヲ以テ弁濟スヘキ年金又ハ養料ノ外敢テ規定ヲ要スルモノナシ而シテ年金ノ債務者更ニ年金債務者ノ債権者トナリタル時ハ自己ノ債権ノ弁濟ニ代ヘ既ニ満期トナリタル年金権ヲ留保スル能ハサルモノト其理由ハ容易ニ會得スルヲ得可シ蓋シ年金ヲ留保スルトキハ其実強制ノ弁濟即チ差押ヘヲ為スニ外ナラスシテ此種ノ権利ノ性質ニ戻ルモノナレハナリ
第四項、債権者ト債務者ト相互ノ関係ヲ規定スルニ相殺ヲ以テスルハ実際頗ル利益アリト雖モ亦未タ之ヲ以テ公ケノ秩序ニ関スルモノト看做ス可カラス故ニ当事者ハ豫メ相殺ヲ抛棄スルコトヲ得加之既ニ企圖シタル相殺ノ利益ト雖モ尚ホ当事者之ヲ抛棄スルヲ得ルコトハ下ニ至リテ之ヲ説明スヘシ
当事者ハ豫メ相殺ヲ抛棄スルニハ第五百二十條ニ云ヘルカ如ク共ニ明示タルヲ得ルノミナラス又黙示タルヲ得本條ハ其黙示ノ抛棄ニアリタルモノト認ムヘキ標準ヲ示スモノナリ今其適用ノ塲合ヲ示サンニ他人ノ委任ヲ受ケ金銭ヲ浪費シ之ヲ以テ特定ノ用法ニ供スヘキトキ例ヘハ第三者ニ弁濟ヲ為シ又ハ或ル物ヲ収得スヘキ委任ヲ受ケタルトキ代理人更ラニ委任者ノ債権者トナルモ先キニ特別ノ用法ヲ示シ委任ヲ受ケタル金銭ヲ留保シ以テ相殺ヲ為サント稱スルコト能ハス斯ノ如キハ代理ノ履行ヲ拒絶スルニ外ナラス加之代理人其代理ヲ承諾スル時ニ当リ既ニ委任者ノ債権者タリシトキハ一層斯ノ如キ主張ヲ為スコト能ハス其代理ヲ承諾シタルハ相殺ヲ抛棄シタルモノト云フ可キヤ明カナリ
第五百二十七条
本條及ヒ次ノ二條ハ共ニ法律上ノ相殺ノ黙示抛棄ニアリタル塲合ヲ規定スルモノナリ且前二條ハ先キニ規定シタル重要ナル二箇ノ理論ト相殺ノ理論トニ亘リ法則ヲ掲クルモノニシテ後ニ之ヲ生スル三箇ノ塲合ニ通シ厳格ナル原則ヲ掲クルモノナリ只其原則ニハ例外則ヲ設ケ其程度ノ冝シキヲ得セシメタリ
抑々債権ノ譲渡債務者之ヲ承諾スルカ又ハ少ナクモ之ニ其黙示ヲ為シタル時ニ非サレハ之ニ対抗スルヲ得サルモノナリ(本編第三百四十七条ヲ参觀スヘシ)
此二箇ノ法則タル相殺ノ事ニ関シ大ニ効力ヲ異ニスルモノナリ即チ債務者ノ承諾ハ之ヲシテ其承諾以前ノ原因ニ基クモ尚ホ相殺ヲ対抗スルノ権ヲ失ナハシムルモノナリト雖モ告知ハ只之ヲシテ其以後ノ原因ニ基ク相殺ノ利益ヲ失ナハシムルニ過キス斯ノ如ク承諾ト告知トノ効力ヲ異ニスルノ理由ハ至テ看易キモノナリ蓋シ債務者譲渡ヲ承諾スルトキハ之ニ参加スルモノニシテ承諾ハ其意思ノ結果ナルカ故ニ結局債権ノ認知ヲ為シ更ニ譲受人ニ対シ義務ヲ負担スルヲ約シタルモノト云フ可シ然レトモ未タ債権者ノ更代ニ因ル更改アリト云フ可カラス譲受人ハ現債権ヲ之ニ附着スル一切ノ利益ト共ニ行用スヘシ故ニ是只單ニ債務ノ認知即チ第三百四十七條第二項ニ明記スルカ如ク債務者ニ属スルヲ得可カリシ抗弁ノ抛棄債権ノ確認ニ外ナラス譲受人ノ感情ニ至テハ之ヲ以テ譲渡人弁濟ヲ受ケルノ委任ヲ為シタルノ結果ナリト云フ可カラス何トナレハ譲受人ハ自己ノ名ヲ以テ弁濟ヲ領受シ且時機ニ因リ訴追ヲ為スモノナレバナリ之ヲ要スルニ此塲合ニ於テ債権者ノ更代ニ因リ更改非サルハ明カニ所為又ハ使用ニ因リ更改ノ意旨現ハルルニ非サレハ決シテ更改アラサルモ此塲合ニ於テハ却テ反対ノ意思明カナルカ故ナリ(上第四百九十二條ヲ参觀スヘシ)
是ヲ以テ債務者承諾ヲ為シタルトキハ譲受人ハ其希望シタル利益ヲ失ナフコトアル可カラス以後更改ノ効力ニ因リ債務者ハ明示ニテ其既得シタル相殺ヲ抛棄スルヲ得ルカ故ニ此塲合ニ於テハ黙示ニテ之ヲ抛棄シタリト法律上推定スルニ因ル加之債務者ハ第五百三十條ニ設ケタル規定ヲ比附援引シ譲受人ニ対シ錯誤ヲ申立テ其承諾ヲ取消スコトヲ請求スル能ハス蓋シ此塲合ニ於テハ債務者ト譲受人トヲ比較スルニ譲受人ニ対スル保護ヲ一層厚フスルコトヲ要ス何トナレハ譲受人ハ債務者ヨリ自己ニ対シ約シタル義務ノ利益ヲ正当ニ希望スルヲ得ヘキモノナレハナリ
且債務者其相殺ヲ求ムルノ権利其他義務免除ノ原因ノ有無ニ付キ疑ヒヲ懐クモ亦全ク之ヲ抛棄スルコトヲ欲セサルトキハ其権利ヲ「留保シ」以テ承諾ヲ為スヘキノミ本條ハ債務者此注意ヲ為スヲ得ヘキコトヲ示スカ故ニ債務者冝シク此注意ヲ為スヘキノミ然ラスンハ自カラ其権利ヲ失ナフコトヲ甘受シタルモノト謂ハサル可カラス
然リト雖モ債務者ハ其既得シタル相殺ノ利益ヲ失ナフモ未タ敢テ之カ為ニ譲渡人ニ対スル債権ヲ失ナフモノニ非ス故ニ之ニ対シ通常債権者ノ権利ヲ行ナヒ以テ其讓渡人ニ対シ相殺スル能ハサリシ所ノモノヲ要求シ加之其実際譲受人ニ弁濟ヲ為ササル時ニアルモ尚ホ譲渡人ニ対シ其要求ヲ為スコトヲ得又第五百三十条ニ規定シタル塲合ニ於テ其現債権ト其担保トヲ併セ行フコトヲ得
以上述フル所ニ反シ單ニ債務者ニ告知ノミヲ為シ債務者ハ告知ヲ受ケタルノ外別ニ譲渡ニ干渉セサルトキハ其譲渡ヲ妨害スルヲ得サルモ亦之カ為ニ害ヲ被ルコトアル可カラス故ニ債務者ハ依然其既得シタル相殺ヲ対抗スルノ利益ヲ失ハス是レ当事者ノ行為ハ第三者ニ害ヲ及ホスコト能ハス之ヲシテ其既得権ヲ失ハシムルコトヲ得サルノ普通原則ノ適用ナリ然レトモ告知ハ債務者ニ遺言ハ舊債権者ト相殺ノ原因ヲ喪失ス可カラス事ヲ戒シムルモノナルカ故ニ爾後相殺ノ原因ハ譲受人ニ対抗スルコト能ハス爾後ノ債権ハ譲受人ニ対シ只通常ノ債権トシテ行フコトヲ得ルニ過キス
拂渡差押ハ民事訴訟手續キニ属シ権利ノ基本ニ関係少ナキモノナリト雖モ亦既ニ之ニ関スル規定ヲ設ケ且其規定ヲ説明スルニ当リ其ニ詳細ノ説明ヲ為シタリ蓋シ拂渡差押ハ其目的及ヒ方法ニ関シ大ニ債権ノ讓渡ト類似スルモノナリ先ツ其目的ヲ見ルニ債権ノ利益ヲ現債権者以外ノ者ニ移轉スルニ在リ又其方法ヲ見ルニ債務者ニ告知ヲ要スルニ因リ拂渡差押ト債権ノ讓渡トハ頗ル類似スルモノトス且相殺ノコトニ関シテハ告知以前ニ原因ノ発スルト以後ニ発スルトヲ問ハス二者同一ノ效力ヲ生スルモノナリ
拂渡差押ハ之ヲ受ケタル第三者ヲシテ自己ノ債権者ニ有効ニ弁濟スルコト能ハサラシムルモノナルカ故ニ又之ヲシテ将来自己ノ債務者トノ間ニ相殺ノ原因ヲ喪失ス可カラサルコトヲ知ラシムルモノナリ然レトモ其企圖シタル相殺ノ利益ニ至テハ敢テ拂渡差押ノ為メ之ヲ奪フ可カラス第二箇ノ規定タル亦合意ハ第三者ヲ害ス可カラス是其既得権ヲ奪フ可カラスト云ヘル普通原則ノ適用ナリ蓋シ拂渡差押ヲ相殺ノ原因発生スルモ差押ニ於テ之ニ付キ第三者タリ又従来相殺ノ原因存スルトキハ拂渡差押ナルモ之ヲ受ケタル債務者第三者タルカ故ニ此二者ハ何レモ自己ノ関係セサル行為ノ為メ損害ヲ被ルコトアル可カラス
加之拂渡差押ヲ受ケタル債務者其既得シタル相殺ノ利益ヲ失フコトアリト雖モ是レ其懈怠ニ因リ自カラ招ク所ノ結果タルノミ抑々拂渡差押ノ手續キアルヤ之ヲ受ケタル債務者ハ或ル期間内ニ於テ其差押ヲ被リタルモノノ眞ニ債務者タルヤ又之ニ対シ抗弁法其他免除ノ原因アルヤヲ陳述スルノ義務アルモノトス若シ此陳述ヲ為ササルトキハ差押ノトキ原告ノ申立テタル原因ニ因リ單純ノ債務者ト看做サルヘシ
今相殺ノ行ハルヘキ塲合ニ於テ差押ヲ受ケタル債務者其債務ヲ陳述スヘキ命ヲ受ケタルニ当リ既ニ法律上ノ相殺行ハレタルコトヲ陳告セサルトキハ拂渡差押後ニ其原因ノ発生シタルトキニ非サレハ差押人ニ之ヲ対抗スルコト能ハス
然リ而シテ右ノ二箇ノ塲合ニ於テハ拂渡差押ヲ受ケタル債務者相殺ノ利益ヲ失フト雖モ此通常ノ債権者タルモノニシテ更ニ自カラ差押人ノ位置ニ立チ自餘ノモノト共ニ自己ニ対シ差押アリタル金銭ノ配当ニ加入スルコトヲ得ヘシ是レ本條末項ニ明記スル所ナリ
第五百二十九條
債務者其債務ノ全部若クハ一分ニ付キ債権者ニ法律上ノ相殺ヲ対抗スルヲ得ヘキトキニ当リ実際之ニ弁濟ヲ為シタルトキハ即チ既ニ消滅シタル債務ヲ弁濟スルモノニシテ不当弁濟取戻シヲ行フヘキ場合ノ一ナリトス若シ其弁濟ニシテ債務者原因ヲ知リナカラ為シタルモノナルトキハ債務者ハ相殺ヲ抛棄シタルモノト推定セラルヘク又其錯誤ニ出テ弁濟ヲ為シタルトキハ自ラ己レノ懈怠ヲ責ムヘキノミ只事情ニ於テ少シク本條ニ例外則ヲ設ケタリ
第五百三十條
前三條ニ規定シタル塲合ニ於テハ相殺ニ因リ債権消滅シタルニ因リ其従タルモノ亦共ニ消滅ニ帰スヘシ故ニ保証人ハ其義務ヲ免カレ先取特権及ヒ抵当権消滅シテ前債権ハ毫モ担保ヲ有スルコトナシ是レ原則ニ因リ自ラ生スル所ノ結果ナリ
然レトモ此結果タル債務者ノ為メ厳ニ過クルヲ以テ本條ニ其区域ヲ減縮シタリ蓋シ債務者相殺ノ抛棄若クハ其懈怠アルトノ推定ヲ生スヘキ行為ノ行ハレタルトキニ当リ(譲渡ノ承諾差押人ニ対スル陳述ノ欠缺債権者ニ為シタル直接ノ弁濟)既ニ法律上ノ相殺ノ利益ヲ得タリシコトヲ知ラス而シテ其不知ノ責ヲ之ニ記ス可カラサルモノナリ例ヘハ自己ノ債権者ニ相続シタルモ相続人タルコトヲ知ラサルハ其甚タ不利益ナル地位ニアリタルトキナルヘシ何トナレハ相続ハ相続人ノ為メ概ネ顕然タル事実アレハナリ又或ハ自己ノ債権者自己ノ債務者ニ相続人トナリ或ハ債権者自己ニ対シ遺贈ヲ負担シタルモ久シキヲ經テ始メテ因縁アリタルコトヲ発見シタルトキノ如シ是等ノ塲合ニ於テハ本法ハ債務者ヲシテ啻ニ舊債権ヲ担保シ其取戻シ訴権ヲ担保スヘキ普通上及ヒ対人ノ担保ヲ回復スルヲ得セシムルノミナラス又舊債権ヲ其将来ニ性質ヲ帯ヒタル侭回復スルヲ得セシムルモノナリ
右ノ塲合ニ於テ舊債権ノ担保ヲ復スルハ單ニ不当弁濟ノ取戻シナルカ将タ舊債権自体ヲ回復スルカハ実際ノ適用上大ニ利益アル所ノ問題ナリ蓋シ債権ハ前記ノ担保ノ外或ハ債務者若クハ債権者ノ方ニ於テ連帯タルモノアリ或ハ働キ方若クハ受ケ方ニハ不可文ナルモノアリ或ハ過怠約款ヲ伴ヒ或ハ鎖除其他ノ原因ヲ有シ之カ為メ其結果其証據ヲシテ其時効ノ期間等ニ影響ヲ及ホスモノナリ而シテ本法ハ債務者ヲシテ其錯誤ニ係リタル時正当ノ原因アリテ之ヲ有償スヘキトキハ舊位置ヲ復セシムルモノナルニ因リ総テ其舊債権ヲ回復セシムヘク敢テ其一分ヲ回復シ他ノ一分ヲ回復セサラシムルカ如キコトアル可カラス
然レトモ第五百二十七条及ヒ第五百二十八条ノ説明ヲ為スニ当リ示シタル所ノ結果ハ相殺ノ利益ヲ失フタルノ結果ニシテ正当ノ原因ニ因リ錯誤ニ係リタル債務者ト雖モ尚ホ之ヲ免カルルコトヲ得ス故ニ債務者ハ譲受人及ヒ差押債権者ニ対シ相殺ヲ対抗スルコトヲ得ス是レ先キニ説明シタルカ如ク債務者ハ差押人若クハ譲受人ト新契約ヲ為シタルニ非ストスルモ苟モ舊義務ノ追認ノ行為ヲ為シタルモノト云フヘキカ故ナリ
第五百三十一條
相殺ニ三種アルコトハ第五百十九條ニ之ヲ掲ケタリ而シテ前条以上ハ一ニ法律上ノ相殺ニ関スル規定ヲ掲クルノミ任意上ノ相殺ハ裁判上ノ相殺ニ付テハ各々一条ヲ設ケテ之ヲ規定ス
任意上ノ相殺或ハ当事者一方ノミヨリ対抗スルコトアリ又双方ノ約束ニナルコトアリ其双方ノ約束ニナルトキハ之ヲ「合意上」ノ相殺ト云フ
主タル債務者ノ権利ニ基キ保証人ヨリ対抗スル相殺ノ任意上ノモノナルコトハ先キニ之ヲ説明シタリ尚ホ此他当事者一方ノミノ意思ニ因リ相殺ノ行ハルル主要ナル塲合ヲ列記センニ債務者義務ノ履行ヲ請求セラルルニ当リ又自ラ債権者ニ対シ債権ヲ有スルモ其期限未ダ到来セス然カモ其期限爾後ノ利益ノ為ニ設ケタルモノナルトキハ其期限ヲ抛棄シ以テ相殺ヲ対抗スルコトヲ得其相殺ハ即チ任意上ノ相殺ナリ又代替物ヲシテ同一ノ品質及ビ分量ヲ以テ返還スヘキモノノ寄託ナル塲合ニ於テハ法律上ノ相殺行ハルルモノニ非スト雖モ(第五百二十六条ヲ参観スヘシ)寄託者更ラニ受寄者ノ債務者トナリ法律ノ利益ヲ抛棄シ相殺ヲ対抗シ以テ義務ヲ免カレント欲スルトキハ其意思ニ因リ相殺行ハルルモノニシテ只其相殺ノ行ハルルハ寄託者之ヲ申立テタル時ニアリテ敢テ既往ニ溯リ効力ヲ有セサルモノナリ
合為上ノ相殺ニ至リテハ其適用一層廣ク変化更ラニ多キモノナリ蓋シ当事者ハ恊議ノ上第一自己ニ対シ負担スル主タル債務ニ非サルモ尚ホ之ヲ相殺スヘキコトヲ約スルヲ得何トナレハ当事者ハ其第三者トノ間ニ有スル利害ノ関係ヲ規定スルノ方法トシテ此相殺ヲ用ヰルヲ得ヘケレハナリ例ヘハ債権者其保証人ニ負担スル所ノモノト主タル債務者ノ自己ニ対シ負担スル所ノモノトヲ相殺セシムヘキコトヲ承諾スルヲ得(只此塲合ニ於テハ保証ノ承諾ヲ必要ト為ス)又第二ニ当事者ハ互ニ代替スルヲ得サル債務ト雖モ尚ホ之ヲ相殺セシメ且当事者自己ノ得ヘキモノノ弁濟ニ代ヘ其負担スル所ノ物ヲ保存スルコトヲ得
第三明確ナラサル債務ニ関スルモ亦当事者其数額ヲ算定シ之ヲ以テ同等ノモノト看做シ相殺ヲ為スコトヲ得第四何レノ債務ヲ期限ニ至ラサルモ尚ホ各債務者其利益ノ為ニ設ケタル期限ノ利益ヲ抛棄シ相殺ヲ為スコトヲ得
本條ニ任意上ノ相殺若クハ合意上ノ相殺ヲ為スニ必要ナル能力ヲ規定セサルハ其明文ヲ待タサルカ故ニシテ之カ為ニ弁濟ヲ受取リ又ハ代替物弁濟ヲ受クルノ能力ナルヲ以テ足レリトスヘキヤ明カナリ
任意上若クハ合為上ノ相殺ハ任意ノ弁濟ヲ禁シタル塲合ニ於テ行ハルルコト能ハサルヤ又敢テ明文ヲ待タスシテ明カナリ故ニ先キニ説明シタル債権譲渡及ヒ拂渡差押ノ塲合ノ外破産者ハ其債権ノ一人ヨリ自己ニ対シ未ダ期限ニ至ラサル債務ヲ負担スルニ当リ之ニ任意上ノ相殺ヲ許與スルコト能ハス何トナレハ其相殺ハ該債権者ヲシテ特別ノ利益ヲ得セシメ為ニ自餘ノ債権ヲシテ損害ヲ被ラシムルニ至ルモノナレハナリ
第五百三十二條
裁判上ノ相殺ハ法律上ノ相殺ノ條件中債務ノ明確ナルヲ要スルノ一條件具備セサルニ当リ之ヲ補フカ為メニ行ハルルニ過キサルモノナリ故ニ共ニ債権ノ数額確実ナラサル塲合ノミナラス又其債権自体ニ付キ爭ヲ起コスコトヲ得ヘキ塲合ニ於テモ尚ホ裁判上ノ相殺行ハルルコトアリ
裁判上ノ相殺ヲ求ムルニハ「反訴」ヲ起コスヘキモノトス反訴ノコトハ先キニ説明シタル所アリ(本編第二百十條ヲ参觀スヘシ)
裁判上ノ相殺ハ法律上ノ相殺ト異ナリ裁判所ノ職権ヲ以テ宣告スルコト能ハサルコトニシテ必ス請求アルコトヲ要ス且反訴ノ審案若クハ清算ノ為メ甚タシク時日ノ遷延ヲ来タスヘシト看做シタルトキハ縦令請求アルモ尚ホ裁判所ハ相殺ヲ云ヒ表ハスニ及ハス斯ノ如キ塲合ニ於テ裁判所ハ先ツ主タル請求ニ就キ裁判シ次テ他ノ請求ヲ裁判スヘキモノトス故ニ此塲合ニ在テハ各義務別々ニ実際ニ履行ヲ受クヘキナリ然レトモ亦裁判所ハ法文ニ明示スル如ク反訴ノ裁判ニ至ルマテ主タル訴ノ裁判ヲ中止シ双方ノ債務ヲシテ其箇條ナル数額ニ満ツルマテ相殺セシムルコトヲ得
第五百三十三條
本條モ亦相殺ト弁濟トノ間ニ存スル類似ノ点ヲ規定スルモノナリ蓋シ債務者自己ノ債務ヲ負担スルニ当リ当事ニ於テ債権者ニ対シ更ラニ債権ヲ得タルトキハ何レノ債務相殺ニ因リ消滅シタルカヲ断定スルヲ要ス而シテ此塲合ニ於ケルモ亦債務者現実ニ弁濟ヲ為シタリト同ク同一ノ充当方法ヲ用ヰルヲ至当ト為ス
法律上ノ相殺ニ関スルトキハ本條弁濟ノ法律上ノ充当ノ規則ヲ引用セリ是レ何レノ塲合ニ於ケルモ法律ヨリ自ラ生スル効力ニ関スルカ故ナリ
裁判所ノ相殺モ亦当事者ノ意思ノ合致ニ出テスシテ行ハルルモノナルカ故ニ又法律上ノ充当ノ規定ニ従フヘキモノトス
当事者一方ノ任意ナル相殺行ハルルヘキ塲合ニ於テハ弁濟ノ任意充当ノ規則ヲ適用スヘシ
然レトモ茲ニ一ノ難問アリ即チ第四百七十条及ヒ第四百七十一条ハ先ツ債務者ヲシテ充当ヲ為スヲ得セシメ債務者ノ之ヲ為ササルトキ始メテ債権者ヲシテ充当スルヲ得セシムルモノナルカ故ニ当事者同時ニ於テ償権者タリ且債務者タル塲合ノ為ニ設ケタル法則ニ非サルヤ明カナリト雖モ亦彼此其塲合類似スルモノナルカ故ニ同一ノ規則ヲ通用スルヲ得ヘキモノナリ故意ヲ以テ当事者ノ一方裁判上又ハ裁判外ニテ数箇ノ金銭若クハ有價物ヲ他ノ一方ニ要求スルニ当リ自ラ同一ノ相手方ニ対シ金銭若クハ有價物ヲ負担スルモ之カ為メ法律上ノ相殺行ハルヘキ塲合ニ非サルトキ例ヘハ消費ヲ許セル寄託アルトキハ請求ヲ受ケタルモノハ債務者ト看做サルヘシ然レトモ其寄託ノ債権ト自己ノ債務トヲ相殺センコトヲ望ム旨ヲ陳述スルトキハ同時ニ相殺ノ順序ヲ指示スルヲ得ヘシ然レトモ單ニ任意上ノ相殺ヲ対抗スルニ止マリ敢テ其充当ヲ為スノ権利ヲ行ハサルトキハ他ノ当事者債権者ノ資格ヲ以テ充当ヲ為スコトヲ得ヘシ
又最初ノ請求アルニ当リ被告タルモノ自ラ原告ニ対シ債権ヲ有スルモ其期限未タ到来セス而シテ其期限ヲ設ケタル趣意自己ノ為メナルトキハ期限ノ利益ヲ抛棄シ以テ其債務ノ一箇若クハ数箇ト自己ノ債権トノ相殺ヲ申立テ且其充当ノ権ヲ行ヒ又ハ債権者ヲシテ之ヲ行ハシムルコトヲ得
相殺ノ合為上ノモノアルトキハ当事者恊議ニテ其充当ヲ規定スヘシ
第五節 混同
第五百三十四條
混同モ亦相殺ノ如ク債権者ト債務者トノ反対セル分限ヲ同一ノ人ニ併合セシムルモノナルヲ以テ皮相視スレハ多少相殺ト類似スル所アリ然レトモ其間ニハ大ナル差異ノ存スルモノアリ即チ相殺ニ於テハ各当事者同時ニ相手方ノ債権者タリ且債務者タルカ故ニ二箇ノ債務ト二箇ノ債権ト存立スルモノナリ然ルニ混同ニ於テハ当事者ノ一方ノミ債権者タリ併セテ債務者タルモノニシテ負担物又一箇アルノミ故ニ其当事者ハ自己ノ債権者タリ又ハ自己ノ債務者タルカ故ニ実際何等ノ効力ヲモ生スルコトナク所謂権利関係ノ存スルコトナキモノナリ且相殺ハ二箇ノ債務ヲ消滅セシムルモノナレトモ混同ハ只一箇ノ債務ヲ消滅セシムルニ過キス
此他尚ホ混同ト相殺トノ間ニハ一層大ナル差異タルモノアリ即チ混同ハ其実眞ノ義務ヲシテ消滅セシムルモノニ非ス只債権ノ執行ヲ妨クルニ過キスシテ其妨害タル其妨害ニ多少アリ且ツ其継續ノ時期ニ長短アリ羅馬人嘗テ謂ヘルアリ曰ク「混同ハ義務自体ヲ毀棄スルモノニ非ス債務者ヲシテ義務ノ羈絆ヲ免カレシムルモノナリ」ト此言誠ニ其当ヲ得タルモノニシテ後ニ至リテ其趣意ニ基キタル規定ヲ掲クル所アリ然レトモ文字ノ單簡ヲ旨トスルニ因リ人皆混同ヲ以テ義務消滅ノ原因ト稱ス
混同ノコトタル先キニ地役権消滅ノ原因トシテ規定シタル所アリ(本編第二百八十九条ヲ参觀スヘシ)又要役権消滅ノ原因中合併ト稱スルモノモ亦其実混同ニシテ賃借権抵当権其他概ネ他人ノ物上ニ行ハルル所ノ物権ノ存スル塲合ニ於テモ亦其権利ヲ有スルモノ物ノ所有権ヲ得ルニ至リタルトキハ権利ハ所有権ト混同スルヤ明カナリ
又混同ノコトニ関シテモ連帯不可分及ヒ保証ノ理論ヲ適用スヘシト雖モ是等ノ義務ノ弁濟ノ性質ニ付テハ既ニ充分ノ説明ヲ為シタルカ故ニ以下其説明ヲ簡約ニセン
本條第一項ハ如何ナル塲合ニアッテ混同ノ行ハルルカヲ明記スルモノナリ即チ一人ニシテ義務ノ働キ方及ヒ受方ノ主客タル債権者及ヒ債務者ノ分限ヲ併有スルニ至リタル塲合是ナリ而シテ法文ニ相続ヲ以テ債権者ト債務者トノ分限ヲ一人ニ併合スルノ事実トス之ヲ掲ケタルハ其実際ニ最モ多キカ所以ナリ然レトモ混同ノ行ハルルハ未タ独リ相続ノ塲合アルニ限ルモノニ非ス猶ホ此他ニ混同ノ行ハルル塲合アルカ故ニ法文ニハ相続等ト云ヘリ
先ツ相続ニ因リ混同ノ行ハルル塲合ヲ例示センニ養子其養親ニ対シ養子縁組以前ニ在ッテ債務ヲ負担シタリシニ後之ニ相続スルニ至リタルトキハ養子ハ其養親ノ有シタリシ一切ノ権利及債権ヲ取得スルヤ明カナリ而シテ人自ラ債務ヲ負担スルコトアルカ故ニ養子ノ債務ト其債権トハ相消滅スルモノナリ又養親養子ニ対シ義務ヲ負担シタリシニ其後養子養親ニ相続シタルトキモ亦同一ノ結果ヲ生スヘシ然レトモ相続ノミ未タ独リ債権者タリ及ヒ債務者タリノ二箇ノ分限ヲ混同併合セシムルモノニ非ス猶ホ包括財産ノ遺贈及ヒ贈與ニシテ受遺者及ヒ受贈者ニ対スル遺産者ノ債権ヲ包含スル塲合ニ於テモ亦混同ノ行ハルルモノアリ只其遺贈若クハ贈與「包括財産」ヲ目的トスルコトヲ想像スルハ遺産者其債権ノミヲ債務者ニ贈與シ若クハ遺贈セント欲スルニ過キサルトキハ敢テ債権ノ讓渡ヲ為シ之ニ其権利ヲ移轉スルコトヲ為サス單ニ無償ノ免除ヲ為シ之ヲ抛棄スルニ止マルヘキカ故ナリ
又混同ハ特定権原取得人ニ行ハルルコトアリ即チ債務者其債権者ヨリ無償ノ免除加之有償ノ免除ヲ得義務ヲ免カルルコト能ハサルニ因リ秘密代理人ニ依リ又ハ仮名ヲ以テ自己ニ対シ連帯スル債権ヲ買取リタル時ノ如キ是ナリ茲ニ秘密代理人ノ干渉ヲ想像スルハ債務者債権者ニ其債権ヲ買取ランコトヲ言ヒ込ムトキハ債権者其債務者ノ弁濟ヲ為スノ餘力アルコトヲ察シ單ニ弁濟ヲ為スヘキコトヲ請求スルニ因リ混同ノ行ハルルコトナカルヘキカ故ナリ
如何ナル塲合ニ於ケルヲ問ハス混同ノ行ハルル時ハ債権ヲ行用スルコト能ハサルカ故ニ債務又成立セサルヤ明カナリ故ニ債務ノ従タルモノ及ヒ対人若クハ物上ノ担保共ニ消滅スヘキヤ勿論ナリ
然リト雖モ混同ハ其他ノ義務消滅ノ方法ニ比スレハ較々廃罷ヲ得ルコト多キモノトス是レ其自餘ノ消滅方法ト異ナル所ノ原因ノ一ナリトス詳カニ之ヲ説カンニ相続人裁判所ニ於テ法律ノ指定スル原因ニ基キ相続ヨリ除斥セラルルトキハ相続人ノ資格喪失シ或ハ遺贈アリタルモ其遺贈タル以後ニ発見シタル他ノ遺言ヲ以テ取消サレ或ハ受贈者ニ命ジタル負担不履行ノ為メ贈與解除シ又ハ贈與者ノ無能力ノ為メ贈與鎖除シ又ハ贈與者其債権者ヲ詐害シタルニ因リ贈與廃罷セラレ或ハ債権ノ代替アリタルモ其詐害行為タルニ因リ廃罷セラレタル等ノ塲合ニ於テハ混同無効ニ属シ主タル義務及ヒ従タル義務共ニ存続スヘシ
只混同ヲシテ無効ニ属セシメ義務ヲシテ再ヒ発セシムル所ノ原因ハ必ス法律ニ認許シタルモノニシテ混同ヲ惹起シタル時日以前ニ存スルモノタルコトヲ要ス是ヲ以テ当事者間任意ニニ觧除ヲ為スモ混同ヲ無効トシ義務ヲシテ再ヒ発セシメ之カ為メ其債務ヲ既ニ消滅シタリト看做スコトヲ得サリシ第三者ノ既得権ヲ障害スルコト能ハス就中所有人又ハ抵当財産ノ財産所持者ニ対シ任意ニテ混同ヲ觧除シタルノ効力ヲ及ホスコト能ハス
第五百三十五條
連帯債務者ハ各々自己ノ名ヲ以テ負担スル所債務ノ分頭ノ部分ニ過キスシテ其自餘ノ部分ヲ負担スルハ自餘ノ債務者ノ代理人若クハ保証人トシテ其名ヲ以テ之ヲ負担スルニ過キサルコトハ先キニ相殺ノコトヲ説明スルニ当リ陳述シタル所アリ是ヲ以テ債権者ト連帯債務者ノ一人トノ間ニ混同ノ行ハルルモ全ク債務者ノ部分ノミニ限リ債務消滅スルニ過キス加之其債務ノ全部ヲ消滅シタリト看做スモ敢テ実際ノ利益アラサルナリ何トナレハ債権者連帯債務者ノ相続人トシテ其債権ノ全部ヲ失フモ亦自己ノ費用ヲ以テ他ノ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシメタルニ因リ直チニ同一ノ分限ヲ以テ自餘ノ共同債務者ニ対シ其実際ノ負担部分ヲ召喚スヘキコトヲ求ムヘケレハナリ
本條第一項ハ債権單一ニシテ自分ノ連帯債務者アル塲合ヲ規定シ第二項ハ債務者單一ニシテ自己ノ連帯債権者アル塲合ヲ規定スルモノナリ然レトモ其論決ハ同一ニシテ債権者債務者ニ相続スルト債務者之ニ相続スルトヲ問ハス其債権者ノ部分ノミ單リ混同ニ因リ消滅スルニ過キサルモノトス
又自己ノ債権者及ヒ自己ノ債務者アリテ共ニ連帯シ而シテ其一人他ノ一人ニ相続スル塲合アルヘシト雖モ是レ実際甚ダ稀レナルカ故ニ敢テ法文ニ之ヲ明記セス蓋シ此場合ニ於テハ債務二様ニ分割シ各債権者結局各債務者ノ負担ハ部分ノミヲ請求スルノ権利アルニ止マルヘキヤ明カナリ
第五百三十六條
前條ニ仮定シタル塲合ニ於テモ債務ノ性質上不可文ナルトキハ論決較々單簡ナラサル所アリ蓋シ債務ノ性質上不可文ナルトキハ其一分混同ニ因リ消滅スルコト能ハス然レトモ亦債権者ノ一人債務者ノ一人ニ相続シ或ハ債務者ノ一人債権者ノ一人ニ相続シタルニ過キサルトキ債務ノ全部ヲシテ消滅セシムルコト能ハサルカ故ニ其債務ハ毫モ消滅セサルモノト為スノ外非サルナリ是ヲ以テ債権者ノ一人死去シ債務者ノ一人之ニ相続シ或ハ之ニ翻シ債務者ノ一人死去シ債権者ノ一人之ニ相続シタルトキハ自餘ノ債権者ハ其債権ノ全部ヲ保有シ自餘ノ債務者ハ依然義務ノ全部ヲ負担スヘキモノトス
然ラハ則チ債権者若クハ債務者ノ一人ニシテ混同ノ利益ヲ受クヘキモノノ位置如何ナルヘキカ蓋シ此問題ヲ断定スルニ当リテハ不可文義務ノ債権者若クハ債務者ニハ連帯債権者若クハ債務者間ニ於ケルト同シク必ス其関係ノ発生以前ニ在テ会社若クハ代理ノ如キ権利利益ニ関係ノ存スルモノアリ或ハ共同ノ債権若クハ債務ヲ発生セシメ双互ノ担保ヲ生シタル合意ヨリ発生シタル権利ノ関係存スルニ注意スルコトヲ要ス(本編第三百九十八条及ヒ第四百四十四条ヲ参觀スヘシ)是ヲ以テ債権者通常ノ塲合ニ於テ全部訴権ヲ行フタルトキハ其利益ヲ他ノ債権者ニ分與スルノ義務アリ又債務者債務ノ全部ヲ弁濟シタルトキハ自餘ノ債務者ヲシテ其債務ニ付キ負担スル部分ヲ自己ニ召喚セシムルノ権利アリ故ニ混同ノ行ハレサル塲合ニ於テモ債務者ノ一人ニ相続シタル債権者ノ一人ハ其前主ノ生前中訴権ヲ行ヒシナラハ其供スルコトヲ要シタリシ償金ヲ出スニ非サレハ全部ニ付キ債務者ヲ訴追スルコトヲ得ス又他ノ債権者債務者ニ相続シタル其共同債権者ニ対シ全部ニ付キ訴追ヲ行ハント欲スルトキハ其共同債権者ハ自餘ノ債権者ニ其権利ヲ対抗シ自餘ノ債権者ハ之ニ金銭ニテ計算ヲ為スコトヲ要ス
又債務者ノ一人債権者ノ一人ニ相続シタル塲合ニアッテモ其趣キ同一ニシテ該債務者全部ニ付キ其相続シタル債権者ノ名ヲ以テ自餘ノ債務者ノ一人ヲ訴追セント欲スルトキハ先ツ其一分ノ償金ヲ供セサル可カラス然ラスンハ自餘ノモノニ対シ負擔スル所ノ担保ノ抗弁ヲ被リ其訴追ヲ排斥セラルヘシ又該債務者自己ノ名ヲ以テ訴追ヲ受ケタルトキハ自己ノ分限ト混同シタル債権者ノ分限ヲ以テ自餘ノモノニ対シ其利益ノ一分ヲ受クヘキノ権利ヲ対抗スヘシ是レ又本条ニ引用スル所ノ第四百四十五条ニ定メタル一般ノ原則ノ適用ナリ
第五百三十七條
以上ノ諸條ニ於テハ混同ニ因リ債権者ノ分限ト債務者ノ分限トノ二箇ノ背反スル分限併合シタル塲合ヲ規定シタルモノナリ本條ハ二箇ノ同一ナル分限即チ相反対セサル分限ノ併合シタル塲合ヲ規定スルモノナリ是ヲ以テ又連帯シテ不可文ノコトヲ規定スルヲ要ス例ヘハ債権者ノ一人若クハ債務者ノ一人他ノ債権者若クハ債務者ニ相続シ又ハ第三者第二箇ノ債権者ニ相続シ或ハ二箇ノ債務者ニ相続シタル塲合即チ是ナリ此場合ニ於テハ一箇ノ債権若クハ債務分レテ二箇ノ債権若クハ二箇ノ債務トナルモノニ非ス是レ恰モ債務者重ネテ同一ノ諾約ヲ債権者ニ為シタルトキト同ク決シテ之カ為メ二箇ノ義務分立セサルモノニ非ス然レトモ二箇ノ諾約中其一ト他ノ一ト多少負担ヲ異ニシ別ニ更改ノ成立セサルトキハ(本編第四百九十条ヲ参觀スヘシ)債権者ハ自己ノ利益ニ従ヒ何レカ其一ヲ行フコトヲ得例ヘハ一ノ諾約利息ヲ生シ他ノ一ヲ以テ之ニ質若クハ抵当ヲ附着シタルトキハ債権者ハ此二箇ノ利益ノ一ノミヲ選取スルニ止ラス併セテ之ヲ行フコトヲ得
本條ニ規定スル塲合ニ於ケルモ亦其趣同一ニシテ二箇ノ連帯債務者ノ一人其一利息ヲ約シ他ノ一抵当ヲ供シ而シテ其一人他ノ一人ニ相続シタルトキハ債権者ハ残存者ニ対シ二箇ノ利益ヲ合セテ求ムルコトヲ得又之ニ反シ二箇ノ連帯債権者ニ債務者其一ノ債権者ニ利息ヲ約シ他ノ一人抵当ヲ供シ而シテ債権者ノ一人他ノ一人ニ相続シタルトキハ相続者ハ自己ノ名ヲ以テ義務ノ利益ノ一ヲ求メ又非相続人ノ名ヲ以テ他ノ利益ヲ求ムルヲ得
不可文義務ノ塲合ニ於テ債務者若クハ債権者ノ分限ヲ一人ニ併合シタルトキモ亦其結果ハ全ク同一ナリ
第五百三十八條
本條ハ保証ニ関シ主タル債務者ノ分限併合ニ関スルト同一ノ規則ヲ適用スルモノナリ即チ混同ニ因リ併合シタル分限ノ相反対スルモノナルトキハ保証消滅シ又其分限ノ相容ルルモノナルトキハ單ニ合併ナリトス
第一項保証人債権者ニ相続シ又ハ債権者保証人ニ相続シタルトキハ債権者自ラ自己ノ債権ヲ担保スルコト能ハサルヤ明カナルカ故ニ保証ノ保証必ス消滅シ以テ更ラニ復保証人(保証人ノ引受人)又ハ第三者ヨリ供シタル質若クハ抵当ヲ以テ更ラニ其担保トシタルトキト雖モ猶ホ保証消滅セサル可カラス蓋シ債権者若シ引受人若クハ第三所持者ヲ訴追セントスルトキハ引受人若クハ第三所持者ハ之ニ対シ担保ノ求償権ヲ有スルコト恰モ前保証人ニ対スルト同一ナルヘキカ故ニ担保ノ抗弁ヲ以テ之ヲ排斥スルヲ得ヘシ
数人ニテ同一ノ債務ヲ保証シタルトキハ其共同保証人ハ連帯タルト否トヲ問ハス其義務ハ保証ノ附従タルモノニ非ス各別保証義務タルヲ以テ保証人ノ一人ニ分限ノ混同アルモ自餘ノモノハ其一人ノ部分ニ付キ義務ヲ免カルルニ過キス
第二項保証人債務者ニ相続シ若クハ債務者保証人ニ相続シタルトキハ保証消滅スルモ是レ其債権者ニ何等ノ利益ヲモ與へサルカ故ナリ例ヘハ主タル債務者従タル保証人ニ相続シタルニ因リ保証人ノ義務主タル債務者ノ義務ト合併スルモ主タル債務者ハ只依然舊位置ヲ有スルニ止マリ債権者ハ別ニ保証人ヲ有セサルヘシ然レトモ引受人共同保証人又ハ第三者ノ保証タル質若クハ抵当アリタルトキハ債権者ハ之ニ付キ従来生シタリシ権利ヲ失フモノニアラス是レ主タル債務者ノ一人他ノ一人ニ相続シタル塲合ニ於ケルト其趣意ヲ同フスルモノナリ
第五節 履行ノ不能
第五百三十九條
履行不能ナル義務消滅ノ原因ハ又之ヲ稱シテ「負担物ノ滅失」ト云フト雖モ負担物ノ滅失ナル語ハ実際ニ適スルコト最モ多カルヘシト雖モ亦未タ一切ノ塲合ニ於テ應用スルニ足ラス就中作為ノ義務ニ関スルトキハ決シテ負担物ノ滅失アルコトナシ
危険ノ理論及ヒ付遲滞ノ理論ハ既ニ本編第三百三十五条第三百三十六条及ヒ第三百八十四条ニ理由ヲ説明スルニ当リ詳述シタルヲ以テ茲ニ重ネテ之ヲ詳論スルノ必要ナシ
凡ソ定量物代替物ハ決シテ尽ク滅失セサルヤ自ラ明カナリ故ニ債務者金銭米穀又ハ日用品等ヲ負担スルトキハ決シテ履行ノ不能ニ因ルノミヲ免カルルコト能ハス何トナレハ世上其約シタル所ト同性質ヲ有スル金銭米穀日用品極メテ多キトキ債務者債権者ニ交付センカ為ニ特ニ金銭若クハ米穀ノ準備ヲ為シタリト雖モ猶ホ債権者其指定ニ参加セス之ヲシテ自由ニ取リ出タスコトヲ應セシムル所ニ供託セサル限リハ債務者以外ノモノ又ハ不可抗力ニ因ル滅失ノ為ニ其義務ヲ免カルルコト能ハス
債務者以外ノモノ若クハ不可抗力ニ因リ滅失ノ為ニ其義務ヲ免カルルハ其債務ノ目的特定物タルトキ詳カニ之ヲ云ヘハ特ニ指定シタルモノニシテ容易ニ毀損シ又ハ滅失シ得ヘキモノタルトキニ限ル
然レトモ亦定量物ヲ目的トスル義務ノ履行不能トナル塲合ナシト云フ可カラス即チ其物類公衆ノ保安ノ為メ不融通物トナリタル時之ナリ蓋シ公衆ノ秩序安寧ヲ計ルカ為メ物類挙ケテ之ヲ不融通物トスル塲合ハ危険ノ物量若クハ凶器ニ関シ実際顕出スルコトナシトセス
債務者ヲシテ責ニ任セシメサルヲ原則トスル所ノ事件三箇アリ物ノ滅失其紛失及ヒ其不融通物トナリタルトキ詳カニ之ヲ云ヘハ官ノ處分ニ因リ債務者自由ニ之ヲ處分スル能ハサルニ至リタルトキ即チ是ナリ蓋シ物ノ不融通物トナリタル塲合ニ於テハ不可抗力ナルモノニシテ其滅失又ハ紛失シタル塲合ニ於テ或ハ意外ノコトアリ或ハ不可抗力アリ是レ意外ノコト及ヒ不可抗力ノ二語ヲ併用スル所以ナリ
本條ハ特ニ指定セサルモ一箇ノ集合物ノ中ニ就キ定マリタル分量ヲ抜取スヘキモノヲ以テ特定物ト同一視タリ蓋シ其分量ハ所謂有限ノ物類ニシテ全ク滅失シ遂ニ諾約物ヲ引渡スコト能ハサルニ至ラシムルモノナルコトアリ例ヘハ或者百石ノ米ヲ保蔵セリ倉庫中十石ヲ取リ引渡スヘキコトヲ約シタルトキハ其一分滅失シ僅カニ十石ヲ残スモ亦之ヲ引渡スコトヲ要シ又五石ノミヲ餘ストキハ之ヲ引渡シ以テ其義務ヲ免カルヘシ
又引渡シノ義務ニ関セス作為ノ義務ニ関スルトキモ亦履行ノ不能ハ均シク債務者ヲシテ其義務ヲ免カレシムルモノナリ此塲合タル特ニ注意ヲ要スルモノナリ何トナレハ作為ノ義務ヲ履行スルノ不能ハ絶対的タラサルモ猶ホ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムルニ足リ單ニ相殺的ニシテ債務者ノミ独リ履行スルコト能ハサルヲ以テ義務消滅ノ原因ト為スニ足ルモノトス例ヘハ技術工藝若クハ文学ニ関スル作為ノ義務ヲ負担シ債務者ノ一身ノ技能ヲ主眼トシテ契約ヲ為シタル塲合ニ於テ債務者不治ノ疾病若クハ廃疾ニ係カリ其義務ヲ履行スルノ能力ヲ失フタルトキハ全ク其義務ヲ免カレ敢テ他人ヲシテ之ヲ履行セシムルニ及ハス又之ヲ履行セント主張スルノ権利ヲモ有セサルヘシ
不作為ノ義務ニ至リテハ敢テ法文ニ之ヲ規定セサルモ不可ナカルヘシ何トナレハ為ササルヘキコトヲ約シタル所ノコトヲ第三者若クハ官ノ威力ノ為ニ止ヲ得ス行フニ至リタルモノ実際極メテ稀ナルヘケレハナリ然レトモ亦絶ヘテ此塲合ナシト云フ可カラス例ヘハ他人ノ地上ニ通行ノ地役権ヲ有スルモノ其承役地ニ之カ為メ妨害ヲ及ホスヘキ時間其通行権ヲ行ハサルヘキコトヲ約シタルモノノ如キハ地役ノ物権ヲ抛棄シタルモノニ非ス單ニ義務ヲ約シタル時間洪水其他道路修築工事等ノ如キ其他ノ不可抗力ノ為ニ要役地ト公道トノ通行ヲ謝断セラレ諾約者止ヲ得ス承役地方ヲ通行シタルトキハ不作為ノ義務ヲ不可抗力ニ因リ免カレタルモノナリ蓋シ此塲合ニ於テハ不作為不能ナルカ故ニ債務者其義務ヲ守ルニ及ハス又隣地ニ於テ汲水権ヲ有スルニ当リ一時汲水セサルコトヲ約シタルモ火災等ニ際シ止ヲ得ス汲水シタルトキハ又其責ニ任セサルモノトス
是ヲ以テ履行不能(不作為ノ塲合ニ於テハ不作為ノ不能)ニ因リ債務者義務ヲ免除スルノ原則ハ又不作為ノ義務ニモ適用スヘキモノナリ
只本條ニ因リ義務ノ消滅スルニハ第一債務者物ノ滅失即チ履行ノ不能ヲ生セシメタル過失若クハ懈怠ノ責ナキコト第二履行ノ不能トナリタルトキニ当リ既ニ引渡シ又ハ履行ノ遲滞ニ付セラレサルコト第三其危険及災害ヲ担任セサルコトヲ要ス債務者危険及ヒ災害ヲ担任スルノ特別ノ合意ハ次條ノ主眼トスル所ニシテ付遲滞ノコトモ亦後ニ規定スル所アリ其過失ニ因リ負担物ノ滅失ヲ生スルコトアルハ敢テ説明ヲ待タサル所ナリト雖モ只実際少ナクモ亦債務者ノ過失アルカ為メ負担物ノ不融通物トナリタル一例ヲ示サン
例ヘハ新聞紙ノ持主或ル期間ニ社名得意并ニ総テ其器械ヲ賣渡シ或ル期間ニ之ヲ引渡スヘキコトヲ約シタルニ賣主政府ノ處置ヲ批難シ新聞條例ニ違背シタルカ為メ其発刊禁止ヲ被リタルトキハ債務者ノ過失ニ因リ負担不融通トナリタルモノニシテ之カ為メ其義務ヲ免カレス其責任ヲ負ハサル可カラス
第五百四十條
債務者意外ノコトヲシテ不可抗力ノ結果ヲ自ラ負担シ「危険及ヒ災害」担任スルノ合意ヲ取結フコトアリ此塲合ニ於テハ其合意ハ射倖ノ性質ヲ有スルコトアリ或ハ法律ハ射倖契約中賭博ヲ禁スルカ故ニ債務者ハ其防止スルコト能ハサル遇然ノ事変ノ担任スルノ約ヲ為スコトヲ怪ムモノアランカ然レトモ債務者ヲシテ意外ノコトノ責ニ任セシメ之ヲシテ義務ヲ免カレシメサルノ約款ハ元来合法ナル主タル行為ノ従タルモノニ過キス且債務者ハ債権者ニ対シ意外ノ危険ニ対スル保険人ニ均シキ位置ヲ有スルモノナリ抑モ保険ハ第三者之ヲ約スルヲ得ルニ因リ結約ノ一人之ヲ約スルヲ禁スルノ利非サルナリ加之賭博ハ一ニ事変ノミヲ以テ義務ノ原因ト為スカ故ニ之ヲ禁スト雖モ債務者危険及ヒ災害ヲ担当スル合意ハ別ニ第一ノ原因アリテ其原因ハ遇然ノコトニアラス又法律ニ禁シタルモノニモ非サルカ故ニ敢ニ此合意ヲ禁スルニ理非サルナリ
債務者履行ヲ遲延シ遲滞ニ付セラレタルノ一事ハ既ニ其過失ニ因リ之ヲシテ意外ノコト若クハ不可抗力ニ因リ生シタル滅失ノ為ニ義務ヲ免カルルコトヲ主張スルノ権利ヲ失ハシムルヲ原因トス其理由ヲ陳ヘンニ債務者若シ約定ノ時期ニ於テ其義務ヲ履行シ債権者負担物ヲ受取リシナラハ其物滅失若クハ紛失セサルヘキヤ殆ト確然ナリト認ムルカ故ニ債務者ヲシテ履行遲滞ノ為メ其責ニ任セシムルモノナリ是ヲ以テ此塲合ニ於テハ債務者ニ不利ナル一ノ推定ナリト雖モ其推定ハ眼前ノモノニ非ス債務者ハ其義務ヲ履行スルモ猶ホ債権者ノ為メ同一ノ不幸ナル事変到来シタルノ証據ヲ挙クルヲ得ヘキヤ当然ニシテ法律ハ之ヲシテ此挙証ノ任ヲ有セシメタリ是ヲ以テ債務者ハ通常ノ塲合ニ在テハ意外ノコト若クハ不可抗力アリタルコトヲ証明スルヲ以テ足レリトスルモ其遲滞ニ付セラレタル塲合ニ於テハ尚ホ其物債権者ノ方ニアルモ亦滅失スヘカリシコトヲ証明スルコト要ス(次條ヲ参觀スヘシ)
例ヘハ債務者一頭ノ馬ヲ賣リ之ヲ引渡スコトヲ怠リ遲滞ニ付セラレタル後其馬斃死シタリト想像センニ賣主ノ馬家火災ニ罹リタル為メ其馬斃レタリシ時ハ買主ノ馬家共ニ焼ケサル以上ハ賣主其義務ヲ免カレス加之買主ノ馬家焼燬スルモ亦決シテ其馬ヲ救フコト能ハサリシト云フ可カラス故ニ債務者ハ其義務ヲ免カレスト雖モ若シ其馬遇々病ニ罹リ斃レタルトキハ賣主其責ヲ免カルヘシ又一軒ノ家屋ヲ賣渡シタルモノ其引渡シノ遲滞ニ付セラレタルニ当リ家人ノ不注意ニ因リ火ヲ失シ其家ヲ焼失シタルトキハ縦令賣主監督ノ不充分ノ為メ責ニ任スヘキ塲合ニ非サルモ猶ホ其付遲滞ノ故ニ其責ニ任セサルヘカラス然レトモ天災若クハ近火ノ為メ其家類焼シタルトキハ債務者既ニ遲滞ニ付セラレタルモ其付遲滞ハ決シテ家ノ滅失ニ影響ヲ及ホサルルニ非サルカ故ニ賣主其義務ヲ免カルヘシ
第五百四十一條
本法中追々証據編以外ニ於テ証據ニ関スル問題ヲ断定スルコトアリ是レ止ヲ得サルニ出テタルモノニシテ本條ノ如キ又然リトス蓋シ意外ノコト若クハ不可抗力アリタル塲合ニ於テ一般ノ原則ニ従ヒ「過失ハ雖定ス可カラサルニ因リ」債権者債務者ノ義務不履行ノ過失アルコトヲ証明スルヲ要スルカ如シト雖モ此原則タル義務ヲ発生スルノ原因タル過失ニ関スル塲合ニ限リ適用スヘキモノニ過キス実ニ民事上ノ犯罪若クハ准犯罪ノ為ニ損害ヲ被リタルト稱シ其賠償ヲ請求スル如キハ行為ト其過失タルノ性質ヲ有スルコト即チ不正ノ損害タルコトヲ証明スルヲ要スト雖モ茲ニ規定スル所ノ塲合ニ於テハ債権者ハ其権利ヲ発生セシメタル所ノ契約ヲ証明スルヲ以テ足レリトス若シ債権者更ラニ不可抗力若クハ意外ノコトニ因リ其義務ヲ履行スル能ハサリシコトヲ申立テルトキハ二箇ノ原則ニ基キ之ヲ証明スルコトヲ要ス第一不可抗力及ヒ意外ノコトハ債務者ノ過失ニ比スレハ一層推定ス可カラサルモノナリ第二被告ハ其対抗スル所ノ抗弁ニ付テハ原告タリ
是レ本條ノ第一項規定ニシテ其第二項ノ規定ニ至リテモ亦同一ノ趣意ヲ以テ説明スヘキモノニシテ既ニ前條ノ理由書ニ之ヲ附記シタリ
第五百四十二條
凡ソ危険ノ理論ニ因リ法律ヲ制定スルニ当リテハ必ス滅失シタルモノニ限リ諾約シタル対價以前当事者一方ノ負担タルヘキヤ如何ヲ断定スルコトヲ要ス
此點ニ付テハ既ニ特定物ヲ授與スルノ義務及條付ノ義務ニ関スル危険ノコトヲ説明スルニ当リ之ヲ陳ヘタリト雖モ亦法文ニ之ヲ掲クルヲ要ス而シテ之ヲ掲クルハ本節ニ於テ最モ至当ト認メタリ
特定物ヲ受與シ之ヲ引渡スヘキ塲合ニ於テ債務者意外ノ滅失ニ因リ義務ヲ免カルルモ猶ホ之ニ対シ約シタル対價ヲ求ムルノ権利ヲ失ハス何トナレハ債務者ノ負担シタルモノノ期限ハ要約者ノ負担タリシモノナレハナリ(但シ停止條件付ノ塲合ハ此限ニ非ス)然ルニ諾約者其対價ヲ失フヘキモノトスルトキハ諾約者遂ニ危険スルニ至ルヘケレハナリ
然レトモ特定物ノ諾約ニ関セス代替物ヲ授與スルノ義務ノ存スルノ塲合ニ於テ其物不融通物トナリタルトキハ債務者ヲシテ偏ニ其対價ヲ求ムルノ権利ヲ有セシム可カラス何トナレハ債務者ハ其負担シタルモノヲ求ムルカ為メ未タ何等ノ出捐ヲモ為ササリシコトアルヘケレハナリ又差異ヲ生スヘキ塲合ニ於テモ未タ其履行ニ着手セスシテ却テ自己ニ対シ諾約シタル利益ヲ得ルハ至当ニ非サルナリ
蓋シ履行ノ不能ハ債務者ニ責ヲ帰ス可カラス之ヲシテ其義務ヲ免カレシムヘシト雖モ亦決シテ之ヲシテ為ニ利益ヲ失フ可カラス然ルニ債務者毫モ其諾約シタル所ヲ履行セサルニ当リ其報酬ノミヲ受取ルトキハ遂ニ履行不能ノ為メ却テ利益ヲ得ルニ至ルヘシ之ニ反シ特定物ヲ引渡スヘキ義務ヲ負担シタル塲合ニ於テハ其物滅失シタルニ因リ債務者義務ヲ免カルルモ決シテ之カ為メ債務者ノ利益タルモノ非ス何トナレハ債権者毫モ受取ル所ナキモ債務者モ亦毫モ保存スル所ナク若シ之ヲシテ対價ヲ受取ルノ権ヲ有セシメサルトキハ之ヲシテ損失ヲ負担セシムルニ至ルヘケレハナリ是レ特定物ヲ以テ義務ノ目的トシタル塲合ニ於テ債務者対價ヲ求ムルノ権ヲ有シ定量物ヲ以テ目的トシタル塲合ニ於テハ其権利ヲ有セサル所以ナリ
然レトモ亦未タ純然債務者ハ毫モ対價ヲ求ムルヲ得サラシム可カラス蓋シ債務者其義務履行ノ不能トナリタルトキニ当リ既ニ其履行ノ準備ヲ為シ之カ為メ出捐シタルコトアルヘク而シテ其出捐ヲ以テ其負担ト為ス可カラサルハ恰モ特定物ヲ以テ目的トシタル塲合ニ於ケルト同一ナルカ故ニ本條ハ之ヲシテ「履行ノ為メ既ニ出捐シタル限度ノ於テノミ」対價ヲ求ムルノ権利ヲ有セシメタル例ヘハ債務者軍器ヲ引渡スヘキコトヲ約シタルニ以後其軍器不融通物トナリタルモ債務者既ニ之ヲ製造セシメ又ハ之ヲ買入レタルトキハ既ニ出捐ヲ為シタルニ因リ其官廳ヨリ賠償ヲ受ケサル損失ノ償金ヲ債権者ニ求ムルコトヲ得サル可カラス又市街ノ道路ニ馬車鐡道ヲ敷設センコトヲ約シタルニ行政廳ヨリ之ヲ許可セス又ハ其許可ヲ取消シタルモ既ニ木材若クハ鐡材ノ製造ヲ準備シタルトキハ其賠償ヲ求ムルノ権アリ
第五百四十三條
負担物ノ滅失一分ニ過キサルトキハ債権者其残餘ヲ請求スルヲ得ヘキヤ毫モ疑ヲ容レス又作為ノ義務ニ関スル塲合ニ於テモ其全部ノ履行不能トナリタルニ非サルトキハ債務者ハ其履行ヲ得ヘキ所ヲ履行スルヲ要ス
本條ハ又第三者ノ過失ニ因リ履行ノ不能トナリタル塲合ヲ規定シタリ蓋シ第三者ノ過失モ亦債務者ノ為ニハ意外ノコト若クハ不可抗力ニシテ第三者ヲシテ其責ニ任セシムルノ行為アリ或ハ此塲合ニ在テハ損害保償ノ訴権ハ独リ債務者ニノミ属シ債権者ニ之ヲ移轉スルニハ必ス債権譲渡ノ方法ニ據ラサル可カラスト信スルモノアラン是レ蓋シ羅馬法ノ理論ニシテ当時ニ於テハ此論決ヲ至当ト為シタリ何トナレハ同法ハ特定物ノ債務ノ塲合ニ於テモ尚ホ引渡シニ至ルマテ債務者依然其所有権ヲ有スルニ因リ第三者モノヲ毀損シタルトキハ直接ニ損害ヲ被リシモノ独リ債務者ノミナレハナリ然レトモ現時ニ至テハ債権者所有者トナルカ故ニ損害ヲ受ケルヲ以テ第三者ニ対スル訴権ヲ有セサル可カラス
只現時ニ至テモ尚ホ羅馬法ニ於ケルカ如ク訴権ノ譲渡ヲ要スルニ似タル塲合アリ即チ特定物ヲ引渡スノ義務ニ関セスシテ作為ノ義務ニ関リ而シテ第三者ノ過失ニ因リ其履行不能トナリタル塲合是ナリ然レトモ此塲合ニ於ケルモ尚ホ第三者ノ行為ニ因リ損害ヲ被ルモノハ独リ債権者ノミニシテ保償ノ訴権公ケニ之ニ属スルモノト謂ハサル可カラス蓋シ債務者ハ第三者ノ行為ノ為メ毫モ損害ヲ被ルコトナク却テ之カ為メ債権者ニ対スル義務ヲ免カルルカ故ニ保償ノ訴権ヲ有ス可カラス故ニ其行為ノ為ニ損害ヲ被ルモノハ債権者ニシテ債権者ハ自己ノ権ニ基キ保償ノ訴権ヲ有スヘシ
只保償ノ訴権直接ニ債権者ニ属スルヤ否ヤノ問題タリ啻ニ理論上ノ利益アルノミナラス又実際重要ナル利益ヲ生スルモノナリ蓋シ債務者無資力ナルトキ第三者ノ加ヘタル損害保償ノ訴権之ニ属スト為ストキハ其訴権ハ自餘ノ資産ト共ニ総債権者ノ担保タルヘキカ故ニ特ニ前項ノ債権者ニ其訴権ヲ譲渡スコト能ハス総債権者ノ為ニ之ヲ行フコトヲ要スヘキモ本條ノ規定ニ従フトキハ損害ヲ受ケタル債権者ノミ独リ其権ニ基キ賠償訴権ヲ行フヲ得ベシ
然レトモ債務者モ亦履行ニ妨害ヲ加ヘタル第三者ニ対シ損害賠償ノ訴権ヲ有スルコトアリ即チ債務者前條ニ従ヒ対價ヲ求ムルノ権利ヲ失フタル塲合是ナリ然レトモ是レ又債務者訴権ヲ譲渡スヘキ塲合ニ非ス其訴権ハ独リ債務者若クハ其債権者ノミニ属スヘキモノナリ
第七節 鎖除
第五百四十四条
本節ハ合意ノ有効ノ条件ニ関スル法律ノ規定ヲ完備シ之ニ制裁ヲ附スルモノナリ(本編第三百十条乃至第三百二十条ヲ参観スヘシ)
本条ノ法文ハ合意ノ有効ニ非ス從テ其取消スコトヲ得即チ鎖除スルコトヲ得ル塲合ヲ間接ニ示シタリ合意ヲシテ有効ナラサラシムルノ原因ハ大別シテ当事者ノ無能力ト承諾ノ瑕疵トノ二箇ト為ス
無能力ノ事ハ人事編ニ定ムル所ニシテ無能力者タル者ハ第一未成年者ナリトス但シ未成年者ニハ自治産ト然ラサル者トノ区別アリ第二有夫ノ婦第三喪心ニ因ル裁判上ノ禁治産者トス第四ヲ重大ナル事件ニ関シ裁判上ノ補佐人ヲ要スル所ノ浪費者及ヒ心神耗弱者トス第五多少治癒ノ見込アルモ瘋癲病院ニ入リ又ハ自宅ニ監置セラレタル瘋癲者トス第六ハ刑事上禁治産ヲ受ケタル者トス
承諾ノ瑕疵ハ本法ニ定ムル所二箇アルノミ錯誤及ヒ強暴是レナリ詐欺ニ至テハ單ニ任意上ノ加害行為即チ民事上ノ犯罪ト看做スノミ(本編第三百十二条ヲ参観スヘシ)然レトモ詐欺ニ因リ起リタル損害ノ最モ單簡ニシテ且最モ当然ノ賠償方法ハ詐欺ニ因リ負担セシメタル義務ノ鎖除ナルカ故ニ其鎖除訴権ハ亦承諾ノ瑕疵ニ因ル鎖除訴権ト之ヲ同一視シタリ只其訴権ハ第三者ニ害ヲ及ホスコト能ハサルノミ(同条第四項ヲ参観スヘシ)
錯誤ニ至テハ不分財産ノ分割ノ塲合ノ外本法之ヲ以テ鎖除ノ原因トセス(財産取得編第四百二十条ヲ参観スヘシ)義務ヲ鎖除スヘキ塲合ニ於テ其鎖除ヲ求ムルカ為メニハ裁判所ニ請求ヲ為スコトヲ要スト雖モ亦未タ必スシモ之ヲ要セス当事者恊議ヲ以テ其合意ヲ取消スモ毫モ妨ケアルコトナシ加之当事者恊議ヲ以テ合意ヲ鎖除セントセル其合意ノ成立ノ時ニ当リ瑕疵アリタルコトヲ要セサルナリ抑モ法律ニ於テ鎖除ヲ求ムルニハ裁判所ニ請求スルヲ要スト云フト雖モ是レ合意ノ成立条件ニ缺クル所アル塲合ト異ナリ当然合意ノ無効ニ属セサルヲ云フニ過キス然レトモ任意上ノ鎖除ハ裁判上ノ鎖除ト同一ノ効力ヲ有スルモノニ非ス利害ノ関係ヲ有スル第三者ニシテ之ヲ承諾セサル者ニ対シ其効力ヲ及ホスヲ得サルモノナリ(本編第三百五十三条ヲ参観スヘシ)然ルニ裁判所ニ於テ合意ヲ取消シタルトキハ利害ノ関係ヲ有スル第三者ヲシテ訴訟ニ参加セシメタルヲ以テ之ニ判決ヲ対抗スルニ足レリトス蓋シ第三者ニ判決ノ效力ヲ及ホスニハ之ヲシテ訴権ニ対シ抗弁スルヲ得セシムルヲ必要トスト雖モ未タ其之ニ承服スルヲ要スルモノニ非ス合意ノ鎖除ヲ求ムルノ裁判上ノ方法ニ二様アリ一ツ直接ノ請求即チ直接訴権トシ一ツ履行ノ請求ヲ受ケタル結約者ヨリ対抗スル抗弁トス而シテ其抗弁ハ附帯ノ請求ノ性質ヲ有スルモノナリ
外國ニ於テハ往々取消ノ抗弁無期限ナリト主張スル者アリテ此問題ニ付キ論議頗ル多シト雖モ本法ハ訴権ト抗弁トノ期限ヲ同一視シ以テ此問題ヲ断定シタリ
取消ノ抗弁ヲ無期限トスルノ説ハ実際大ナル不都合ヲ生スルモノナリ即チ永遠無限ニ其抗弁ヲ為スヲ得セシムルカ故ニ裁判上頗ル紛錯セル争論ヲ醸シ多少不法ナル事実ヲ申立ツル者絶ヘスシテ時日ノ經過久シキトキハ其真偽ヲ査定スルニ由ナク実際頗ル煩雑ヲ来スヘキナリ鎖除訴権ノ期間ヲシテ他ノ訴権ノ期間ニ比シ一層短少ナラシメタルノ主タル理由モ亦証拠ニ関シ此困難アルニ因ル鎖除ヲ申立ツルニ主タル訴権ヲ以テセス抗弁ノ方法ヲ以テスルモ亦同一ナルカ故ニ本法ハ断然無効ノ抗弁モ亦主タル請求ト同一ノ期間ニ從フヘキモノト定メタリ
且実際上之ヲ考フルモ該抗弁ヲシテ無期限タラシムルトキハ一旦主タル請求ニ因リ鎖除ヲ求ムルコトヲ為サス其期限ヲ經過セシメタル者モ巧ミニ訴訟ヲ起シ被告ノ位置ニ立チ遲延シテ鎖除ノ利ヲ得ンコトヲ謀ルニ至ルヘク裁判所其詐術ヲ看破ルコト容易ナラサルコト少ナカラサルヘシ
鎖除訴権及ヒ抗弁ノ期限ハ之ヲ五年ト定メタリ蓋シ此期限タル決シテ短シト云フ可カラス又長キニ過キ承諾ニ瑕疵ヲ附スル行為ノ証拠ヲ湮滅セシムルモノニ非ス然レトモ其期限ハ次条ニ從ヒ過半ノ塲合ニ於テハ停止スルモノナリ
第五百四十五条
本条ハ鎖除ノ訴権及ヒ抗弁ノ期間ニ「時効ノ」称ヲ附シ以テ外國ニ於テ論議アル問題ヲ断定シタリ蓋シ外國ノ論者中該期間ハ訴訟手続ノ期間ト同シク不変期間ナリト云フ者アリ其説ニ依ルモ亦該期間ハ当事者其権ヲ行フヲ得ルニ至ル迄起算ノ日ヲ遲延スヘシト云フト雖モ一旦其期間ノ進行スルニ至リタルトキハ通常時効ノ中止及ヒ中断ノ原因アルモ為メニ停止シ又ハ中断セサルモノトス然レトモ反対論ニ左担スル者多キニ居リ且前説ニ比シ一層当ヲ得タリト認メタルカ故ニ本条ハ明カニ之ヲ採用シ殊ニ末項ニ於テ一層之ヲ明瞭ニシタリ
凡ソ権利ヲ行ハサルニ因リ之ヲシテ創設セシムル所ノ期限ハ有権人訴訟ヲ起スコト能ハサル以上ハ進行セサルヲ以テ時効ニ関スル一般ノ原則トス而シテ有権人ヲシテ権利ヲ行フ能ハサラシムル妨害ノ権利ニ基クトキハ此原則ヲ適用スルニ敢テ明文ヲ要セサルナリ故ニ有期ノ債権若クハ條件付ノ債権ヲ有スル者ハ期限ノ到来前又ハ条件ノ成就前有効ニ訴権ヲ行フ能ハサルニ因リ時効ノ為メ其権利ヲ失フコト非サルハ敢テ法文ヲ待タサル所ナリ然レトモ訴権執行ノ妨害事実ニ係ルトキハ法律ノ明文ヲ待テ始メテ時効ヲ停止スルモノナリ
本節ニ規定スル塲合ニ於テハ鎖除訴権ノ執行ニ対シ法律上ノ妨害アルニ非スシテ事実上ノ妨害アルモノナリ蓋シ無能力者ハ独立シテ有効ニ訴権ヲ行フコト能ハスト雖モ其代人之ヲ行フコトヲ得又承諾ニ瑕疵アル者ハ契約成立スルヤ直チニ訴権ヲ行フコトヲ得但強暴アルトキハ其止マサル限ハ実際訴権ヲ行フヲ得サルノミ又錯誤ニ因リ契約シタル者モ其訴権ヲ行フ能ハサルハ権利ニ基クモノニ非ス事実ニ基クモノナルヤ明カナリ而シテ法律ニ期間ノ起算点ヲ妨害ノ止ム時ニ至ル迄遲延スルハ誠ニ其当ヲ得タルモノナリ
本条ニ各無能力者ノ訴権ノ時効起算点ヲ逐一ニ指定セサリシハ本編発布ノ時ニ当リテ未タ一般ノ無能力ニ関スル法則ノ確定セサリシカ故ナリ然レトモ本条ニハ其原則ヲ定ムルニ止マリタルヲ以テ其規定ハ将来無能力者ノ種類ヲ変更増減スルコトアルモ猶ホ依然適用スルヲ得ヘキモノナリ
今人事編ニ定メタル無能力ノ六箇ノ塲合ニ付キ鎖除訴権ノ期間起算点ヲ略説セン
第一未成年者ハ自治産ナルト否トヲ問ハス其鎖除訴権ヲ有スル塲合ニ於テ之ニ対シ其未成年ニ至ル迄期間進行セサルモノトス蓋シ自治産ニ至ルモ猶ホ未成年者ハ独リ訴訟ヲ起スコト能ハサルニ因リ其成年ニ達スルヲ待テ始メテ該期間ヲ進行セシムヘキヤ当然ナリ第二有夫ノ婦夫ノ許可ヲ必要トスル塲合ニ於テ其許可ナク結約シタルトキハ離婚ニ因リ訴訟ノ能力ヲ回復スルニ至ル迄之ニ対シ右時効ノ期間進行セサルモノナリ但シ有夫ノ婦夫ノ許可ナクシテ結約シタルトキハ夫モ亦其権利ヲ侵害セラレタルニ因リ鎖除訴権ヲ行フヲ得ルモノナリ
第三裁判上禁治産者名ノ鎖除訴権ハ禁治産ヲ言渡シタルト同様ナル手続ニ依リ裁判所ヨリ其禁ヲ解カサル間ハ時効ニ係ルコトナシ然レトモ一旦禁治産ヲ解キタルトキハ直チニ時効進行スルモノトス然レトモ禁治産者其嘗テ行フタル所為ヲ毫モ記憶セサルコトナシトセス斯ノ如キ塲合ニ於テハ之ヲシテ無期限ノ抗弁ヲ為スノ権ヲ得セシムヘキニ似タリト雖モ是レ亦未タ充分之ヲ保護スルニ足ラサルナリ何トナレハ禁治産者其禁治産中ニ其行為ヲ履行シ終ハリタルトキハ到底出訴セラルルコトナカルヘキカ故ニ結局鎖除ノ抗弁ヲ以テ自ラ防禦スルノ機ヲ得ルコトアラサルヘシ是ヲ以テ准禁治産者ニ対スルト同一ノ保護ヲ之ニ加ヘタリ(第七項)
第四、一時精神ヲ喪失スルモ其治癒ニ至ルヘキ見込アルトキハ裁判上之ニ治産ヲ禁セサルヲ勝レリトス何トナレハ禁治産ノ宣告アルトキハ其事公然発表シ其面目ヲ汚スノミナラス禁治産ト其解除ノ手続トノ為メニ時日ノ遷延ヲ来スカ故ニ只之ヲ瘋癲病院ニ入レ又ハ自宅若クハ親族ノ家ニ監置スルヲ以テ足レリトス而シテ其入院又ハ監置中ハ結約スルノ能力ヲ有セスト雖モ若シ偶々法律ニ反シ権利ヲ譲渡シ又ハ義務ヲ負担シタルコトアルトキハ鎖除訴権ヲ有スルモノニシテ之ニ対スル時効ハ其入院又ハ監置中進行スルコトナク加之其出院又ハ監禁ヲ解カレ精神健全タルニ至リタルトキト雖モ猶ホ之ニ其行為ヲ告知シ又ハ他ノ方法ヲ以テ自ラ其行為アリタルコトヲ知ルニ至リタルトキニ非サレハ其訴権ノ時効進行セサルモノトス
第五精神耗弱者及ヒ浪費者ハ其財産ニ関シ重要ナル行為ニ関シ裁判上ノ保佐人アルモノナリ而シテ其保佐人ノ立會ヲ要スル塲合ニ於テ独リ行為ヲ為シタルトキハ之ヲ鎖除スルコトヲ得而シテ其鎖除訴権ノ時効ハ其解禁後其承諾シタル行為ノ通知ヲ受ケ又ハ其行為ヲ了知シタル時ヨリ始メテ進行スルモノトス
第六、刑ノ言渡ヲ受ケ其刑期中法律上治産ノ禁ヲ受ケタル者ノ鎖除訴権ハ其刑期ノ終ハリタル時日ヨリ始メテ進行スルモノナリ然レトモ是レト約束シタル相手方ニ至テハ本法亦鎖除訴権ヲ有セシムルカ故ニ其訴権ノ期間ノ起算点ニ付キ疑議起ルヘキカ如シト雖モ(本編第三百十九条第二項ヲ参観スヘシ)受刑者鎖除訴権ヲ行フヲ得ル間即チ其刑ノ消滅後五ヶ年間ハ其相手方ヲシテ均ク鎖除訴権ヲ行フヲ得セシムルヲ至当ト為ス蓋シ鎖除訴権ノ途ヲシテ愈々多カラシムレハ受刑者ノ合意ヲ為ス者愈々少ナク遂ニ能ク法律ノ目的ヲ充分貫徹スルヲ得ヘシ承諾ノ瑕疵及ヒ大ニ之ト効力ヲ同シウスル詐欺ノ塲合ニ至テハ本節ニ於テ直チニ時効ノ起算点ヲ詳細ニ規定シタリ即チ強暴ノ絶止錯誤ノ覺知詐欺ノ発見ヲ以テ訴権ノ事実上ノ妨害撤去シ去ルモノトシ尓後時効進行スルモノトス
末項ハ前ニ云ヒル如ク本条ニ定ムル所ノ五年ノ期間時効ノ性質ヲ有スルコトヲ明言スルモノナリ時効ノ停止及ヒ中断ノ諸原因ニ至テハ敢テ茲ニ揚クヘキニ非ス証拠編ニ詳カナリ
第五百四十六条
本条ノ趣意ハ至テ單簡ナルモノナリ凡ソ訴権ハ相続人ニ移轉シ又相手方ニ訴権アルトキハ之ニ対シ其訴権ヲ行フタルモノナリ此原則タル鎖除訴権ノ如キ専ラ金銭ニ関スル利益ヲ有スル原則ニ付キ殊ニ適用スヘキモノナリ被相続人ノ訴権相続人ニ移ルモ其期間ニ至テハ相続人ニ移リタル時多少変更スルモノトス例ヘハ未成年者ニ訴権ノ属シタルトキハ其未成年間時効ニ係ラスト雖モ其相続人成年ナルトキハ其時効ヲ停止セス又成年者ニ属シタルトキハ之ニ対シ時効進行スルモノナレトモ其相続人未成年者ナルトキハ之カ為メ時効停止スルモノナリ
又被相続人ト相続人ト共ニ成年者ナルトキハ相続人ハ期間ノ残期間ノミ訴権ヲ行フヲ得ルニ過キス而シテ其残期間甚タ短キコトアルヘシ
以上ノ三条ニ於テハ只鎖除スルヲ得ヘキ行為及ヒ其行為ヲ取消スヲ目的トスル訴権若クハ抗弁ノ事ヲ云フニ止マリ第三百四条ニ定メタル合意成立ノ条件即チ承諾確定シタル目的合法ノ原因ノ一箇若クハ数箇ヲ欠キタルニ因リ初メヨリ無効ナル行為ノコトヲ言ハサルモ是レ此塲合ニ於テハ合意ハ外観上成立スルニ似タルノミニシテ其実毫モ存セサルニ因リ嘗テ存セサルモノハ之ヲ鎖除スルニ由ナキカ故ナリ
然レトモ亦当然無効ナル合意ニ関シ未タ必スシモ訴訟ナシト云フ可カラス其不成立ニ付キ争アリテ当事者ノ一方其契約ノ有効ナルヲ唱フルトキハ裁判所ニ於テ其請求ヲ判定シ合意ヲ有効トスルノ主張ヲ不当ナリト宣告スルヲ要ス此塲合ニ於テ其不成立即チ無効ヲ唱フルハ抗弁ノ方法ニ依ルモノナリト雖モ其抗弁ハ無期限タルヤ明カナリ縦令時期如何ニ久キヲ經ルモ元来成立セサル義務ヲシテ発生セシムルコト能ハス訴権ヲ行ハサルカ為メニ不成立ノ合意ヲシテ成立セシムルヲ得サルヤ明カナリ
然レトモ当事者ノ一方外面上成立ニ過キス其実成立セサル合意ヲ履行シタルトキハ其履行シタル所ヲ取消シ原状ニ回復スルカ為メニハ自ラ進テ訴権ヲ行フコトヲ要ス然レトモ亦鎖除訴権ニ非スシテ引渡ヲ為シタルモ其実譲渡シタルニ非サル物ノ取戻訴権又ハ原因ナク不当ニ弁済シタル金額若クハ有價物ノ取戻訴権ナリ
回復訴権及日取戻訴権ハ鎖除訴権ニ比スレハ殊ニ期限ニ関シ大ニ異ナルモノナリ勿論総テ訴権ハ時効ニ係ルカ故ニ其訴権モ時効ニ係ルヘシト雖モ其時効ハ普通ノ時効ニシテ期間最モ長ク之ヲ三十年トス
第五百四十七条
前三条ハ普ネク諸般ノ鎖除訴権ニ適用スヘキモノナリ本条及ヒ次キノ四条ハ特ニ無能力者ニ限リ適用スヘキモノニシテ無能力者ニ関スル詳細ノ規定ハ人事編ヲ以テ始メテ確然タルニ至リタルモ之ニ属スル鎖除訴権ノ性質ニ至テハ既ニ本節ニ規定スルヲ要ス
此諸条ノ理由ヲ説明スルニ当テハ敢テ適例ヲ擧ケ其論決ヲ示シ各塲合ニ付キ原則ヲ適用スルニ及ハス
但無能力者ニ普通ノ規則アリト雖モ亦其種類ヲ区別スルコトヲ要ス是レ本条以下ヲ説明スルニ付キ必要ナル所ナリ今無能力者ノ種類ヲ類別スレハ第一ヲ通常ノ未成年者トシ第二ヲ自治産ノ未成年者トシ第三ヲ裁判上若クハ法律上ノ禁治産者トシ第四ヲ禁治産ヲ受ケタル喪心者トシ第五ヲ浪費者及ヒ精神耗弱者トシ第六ヲ有夫ノ婦トス
又右無能力者ノ各種ニ付キ更ラニ之ニ関スル行為ノ法律ニ適合シテ行ハレタルト之ニ違背シテ行ハレタルトヲ細別スルヲ要ス而シテ其行為適法ナリシトキハ結局無能力ナル瑕疵ナク法律上ノ担保ヲ以テ之ヲ強制シタリト看做スヘキヤ至当ナリ然レトモ之ニ反シ法律ニ定メタル方式及ヒ条件ニ違背シタルトキハ無能力者ニ於テ損害ヲ被リタルトノ推定ヲ為スコトヲ要ス蓋シ其無能力ヲ補正スル者ナキカ故ニ此一事ニ基キ之ニ保護ヲ加フヘキヤ当然ナリ
然レトモ亦無能力ノ種類如何ニ因リ二箇ノ原則共ニ多少ノ例外トスル所アリ
是レ各種ノ無能力者ニ付キ各別ニ規定ヲ設ケタル所以ナリ以下之ヲ説明セン
第壱、通常ノ未成年者
通常ノ未成年者ニ関シテハ更ラニ一ノ細別ヲ為シ効力ノ有無ヲ査定セントスル行為ヲ為シタル者後見人タルト未成年者自身ナルトヲ区別スルコトヲ要ス
凡ソ自治産ニ至ラサル未成年者ハ独自何等ノ権利行為ヲモ為スコト能ハス必ス後見人之ヲ補弼シ後見人ハ一切ノ権利行為ニ付キ之ヲ代表スルヲ原則ト為ス
後見人ノ権原ニ至テハ行為ノ軽重ニ從ヒ異ナルモノニシテ或ル行為例ヘハ未成年者ノ財産ノ贈與ノ如キハ偏ヘニ後見人ノ之ヲ為スコトヲ禁スルモノナリ又親族會ノ許可ヲ得ルニ非サレハ後見人ノ為スコト能ハサル行為アリ不動産ノ賣却抵当ノ設定ノ如キ即チ是レナリ其他ノ行為ハ何等ノ方式又ハ条件ニモ從ハスシテ後見人隨意ニ之ヲ為スコトヲ得例ヘハ重要ナラサル動産ノ賃貸借賣買其他管理行為ノ如キ即チ是レナリ
甲今後見人ノ行為ヲ細別シテ第一後見人独リ管理行為ヲ為シ第二後見人必要ナル方式ニ從ヒ行為ヲ為シ第三許可ヲ要スル行為ヲ専断ニテ為シタルコトヲ仮定セン
第一ノ塲合後見人ハ被後見人ヲ代表シ法律上之ニ許與スル委任ノ権限内ニ於テ之ヲ為シタルニ因リ有効ナル行為ヲ為シタルヤ敢テ辯ヲ俟竢タサルナリ
第二ノ塲合後見人方式ニ從ヒ詳カニ之ヲ言ヘハ親族會ノ許可ヲ得テ行為ヲ為シタルトキハ其行為亦有効ニシテ其理由前項ノ塲合ニ於ケルト同一ナリ即チ後見人ハ未成年者ノ法律上ノ代理人トシテ適法ノ行為ヲ為シタルモノナリ
第三ノ塲合後見人必要ナル方式及ヒ条件ヲ履行セサリシトキハ即チ其代理ノ権原ヲ超過シタルモノナルカ故ニ更ラニ未成年者ノ欠損アリタルコトヲ証明スルヲ要セス單ニ方式ノ欠缺ノ一事ニ因リ其行為鎖除スルヲ得ヘキモノナリ
然レトモ其行為根本上無効ニシテ裁判上其鎖除ヲ求ムルニ及ハスト為スハ其当ヲ過クルモノナルカ故ニ其行為ヲ無効トスルニハ裁判所ニ鎖除ヲ請求スルヲ必要トス或ハ後見人其代理ノ範囲ヲ超越シタルカ故ニ被後見人ニ対シテハ無関係ナル第三者タルニ外ナラスト云フ者アランカ是レ誤謬ノ見解タルヲ免カレサルヘシ蓋シ後見人ハ其代理ノ範囲ヲ超越シタル塲合ニ於ケルモ猶ホ総理代人タルノ資格ヲ有スルモノナルカ故ニ被後見人ヲシテ方式ノ不履行ノミニ基キ鎖除訴権ヲ有セシムルヲ以テ充分之ヲ保護スルニ足レリトス
乙未成年者行為ヲ為シタル塲合ヲ細別シテ第一未成年者後見人ノ有効ニ獨自為スコトヲ得ヘキ行為ヲ自身為シタルトキ第二後見人ノ方式及ヒ条件ニ從フコトヲ要スル行為ヲ未成年者独自ニテ為シタルトキヲ仮定セン
未成年者ノ行為ヲ為シタル塲合ニ於テハ未成年者合法ニ行為ヲ為シタル塲合ヲ想像ス可カラス何トナレハ其第一ニ遵奉スヘキ方式ハ後見人ノ参加ナルモ其方式正ニ欠缺スルカ故ニ未成年者独自ノ行為ハ決シテ合法ナルコト非サレハナリ
第一ノ塲合未成年ノ為シタル所管理行為ニ過キサルトキハ後見人ノ参加ノ欠缺ハ未タ以テ其行為ヲ鎖除セシムルニ足レリトセス尚ホ未成年者之カ為メニ缺損ヲ被リタルコトヲ要ス但其缺損ハ如何ニ軽少ナルトキト雖モ其確実ナル以上ハ以テ鎖除ノ原因ト為スニ足ルモノトス
第二ノ塲合後見人モ亦方式ヲ履行スルニ非サレハ為スコト能ハサル行為ニ関スルトキハ未成年者独自之ヲ為スニ於テハ其鎖除スルヲ得ヘキコト一層明確ナリ
是レ後見ニ関スル一般ノ原則ニシテ此元則ニ因リ方式ノ履行アラサルトキハ行為無効ニ属スヘキモノトス
第貮自治産ノ未成年者
自治産ノ未成年者ノ行為モ亦之ヲ三種ニ区別スヘキモノトス第一自治産ノ未成年者成年者ト同シク独自為スコトヲ得ヘキ行為第二保佐人ノ立會ヲ要スル行為第三自治産ニ非サル未成年者ト同一ノ方式及ヒ条件ニ從フコトヲ要スル行為即チ是レナリ以下逐次之ヲ説明セン
第一ノ塲合自治産者ノ独自為スコトヲ得ヘキ行為ハ概ネ管理行為ナリ而シテ管理行為ニ関シテハ自治産ノ未成年者モ亦成年者ト同一ノ能力ヲ有スルカ故ニ縦令之カ為メニ損害アルモ之ヲ鎖除セシムルコト能ハサルヤ明カナリ
第二ノ塲合自治産者保佐人ノ立會ヲ待タスシテ之ヲ必要トスル行為ヲ為シタルトキハ即チ其能力ノ範囲ヲ超脱シタルモノナルカ故ニ此塲合ニ於テハ鎖除訴権ヲ有スト雖モ只其欠損ヲ受ケタルトキノミニ限ルモノトス
第三ノ塲合方式及ヒ条件ヲ必要トスル行為ヲ為スニ当リ之ニ依遵セサリシトキハ該行為ニ付テハ自治産者モ亦通常ノ未成年者ト同一ノ能力ヲ有スルニ過キサルヲ以テ毫モ直接ニ欠損アリタルノ証拠ヲ擧クルニ及ハス唯方式ノ欠缺ノ為メ鎖除訴権ヲ行フコトヲ得
本条ハ先ツ後見人ノ行為ノ効力ニ関シ三箇ノ問題即チ第一ニ法律ニ必要トシタル方式及ヒ条件ヲ遵法セサリシトキ第二其方式及ヒ条件ヲ遵奉シタリシトキ第三毫モ特別ノ方式ニ從フヲ要セサルトキニ関スル問題ヲ断定シタリ第一ノ問題ニ付テハ方式ノ不履行ニ因リ行為ヲシテ鎖除スルヲ得ヘキモノタラシムヘシト断定スヘキヤ明カナリ蓋シ其方式タル元ト未成年者ノ利益ヲ計リ設ケタルモノナルカ故ニ之ニ從ハサルトキハ其制裁ナカル可カラス故ニ其制裁トシテ其行為ヲ鎖除シ得ヘキモノトシタリ是レ本条第一項ニ明定スル所ナリ
然レトモ其行為ハ方式ヲ遵守セサリシカ為メ行為ヲシテ根本上無効ナラシムト云フ可カラス蓋シ後見人ノ遵守スヘキ方式ナルモノハ其合意ヲシテ要式ナラシムルモノニ非ス只未成年者ノ能力ノ不足ヲ補フモノナルカ故ニ之ヲ遵守セサリシトキハ其合意ノ無能力ナル缺点アルノミ然レトモ次条ニ規定スル塲合ニ於ケルト異ナリ未成年者其行為ノ為メ損害ヲ受ケタルヤ否ヤヲ区別スルニ及ハス後見人法律上之ニ命スル所ノ方式及ヒ条件ヲ遵守セサリシトキハ未成年者欠損ヲ被リタリトノ法律上完全ノ推定アルモノナリ
右ノ鎖除訴権タル未成年者ノ無能力ノ最モ顕著ナル結果ニシテ單ニ未成年者成年ニ達シタルトキニ至リ之ヲ行フヲ得ルノミナラス又後見人自身モ其職ヲ行フニ当リ此訴権ヲ行フコトヲ得但後見人ハ自己ノ過失ニ対スル賠償ノ責任アリ
第二ノ問題ハ間接ニ第一項ヲ以テ断定セラレタルモノト云フヘシ即チ其論決タル後見人ノ適法ニ行フタル行為ハ鎖除スルヲ得ルモノニ非サルモノトス此塲合ニ於テハ縦令欠損アルモ決シテ之カ為メニ後見人ノ適法ナル行為ヲ鎖除スルヲ得ルモノニ非ス欠損ノ為メ鎖除ヲ為スハ未成年者独自同一ノ行為ヲ為シタル塲合ニ限リ之ニ加フル保護ニシテ既ニ一ノ例外則タリ故ニ之ヲ後見人ノ行為ニ適用スルコトヲ得ス
実ニ後見人方式ニ從フテ為シタル行為ヲシテ確乎不抜ナラシメサルトキハ後見人特ニ方式ヲ遵守シタルノ効力果シテ何レニ在ルカ第三者ハ如何ナル担保ヲ有スルヲ得ヘキカ斯ノ如ケレハ第三者其行為ノ利益ヲ確然保存スルコト能ハサルカ為メ縦令如何ニ被後見人ニ必要ナル行為ト雖モ後見人遂ニ之ヲ為スコト能ハス何人モ敢テ之ト約束スルヲ欲セサルニ至ルヘシ
第三ノ問題モ亦前問ト同一ノ断定ヲ下スヘキモノナリ其理由ハ全ク前問題ニ於ケルト同一ナラサルモ亦大ニ類似スル所アルモノナリ蓋シ行為ノ單簡ナルニ因リ後見人何等ノ方式ヲモ遵守スルヲ要セサルトキハ其権限ハ方式ヲ必要トスルトキ之ヲ遵守シタルト毫モ異ナルコトナク其行為ハ全ク適法ニシテ未成年者ノ利益ヲ保護スルニハ結約者相手方タル第三者ノ財産安寧ヲ要スルニ比スレハ一層行為ノ維持ヲ必要トス何トナレハ最モ單簡ナル行為ハ未成年者ノ財産若クハ身体ニ関シ実際最モ多ク行ハレ且最モ必要ナルモノナルカ故ニ其効力ヲシテ確然タラシメサルトキハ遂ニ第三者ノ之ヲ承諾スル者ナク却テ未成年者ノ利益ヲ障害スヘケレハナリ
本条第一項ハ禁治産者ノ後見人ヲ以テ未成年者ノ後見人ニ同一ノ地位ニ置キタリ蓋シ此二者ヲ同一視スルハ最モ其当ヲ得タルモノニシテ法文ハ汎博ナル文字ヲ用ヰ法律上ノ禁治産者ノ後見人ト裁判上禁治産者ノ後見人トニ均ク適用スルヲ得ヘキモノナリ
又禁治産者未成年者自治産ノ未成年者裁判上ノ保佐人ヲ附シタル浪費者及ヒ精神耗弱者ノ行為法律ニ適從セスシテ行ハレタル塲合ニ於テモ亦以上ノ論決ヲ適用スルモノトシタリ且禁治産者ノ行為ニ至テハ其法律ニ適從セサル以上ハ何等ノ塲合ヲ問ハス総テ鎖除スルヲ得ヘキモノトス是レ法文ニ明記スル所ナリ(第二項)
蓋シ自治産ノ未成年者ノ行為ヲシテ有効ナラシムルニハ其保佐人ノ立會ヲ必要トスルコト多シ又浪費者及ヒ精神耗弱ナルカ為メ准禁治産者ニ至テモ亦保佐人ノ立會アルニ非サレハ其行為有効ナラス然レトモ何レノ塲合ニ於ケルモ法律ヲ遵守シ其条件ニ從フテ為シタル行為ハ全ク有効ニシテ欠損アリタリト否トヲ問フニ及ハス決シテ鎖除スルヲ得可カラス
第三項ハ以上説明スル塲合ニ於テ行為ノ有効ナルトキ其効力ヲ過当ニ擴張スルコトヲ制止スルヲ目的トスルモノナリ蓋シ無能力者ノ行為ニ係ルモ其適法ナルトキ法律ヲ以テ其鎖除ヲ許サスト雖モ是レ只無能力ニ基ク鎖除ヲ許ササルノ謂ヒニシテ其行為他ニ瑕疵アリテ成年者ヲシテ之カ為メ行為ノ鎖除ヲ求ムルヲ得セシムヘキトキハ未成年者及ヒ其代表人亦同一ノ権利ヲ有スヘキヤ明カナリ例ヘハ後見人若クハ自治産未成年者ノ承諾ニ瑕疵アリ又ハ強暴ヲ以テ強イテ之ヲ得タルトキノ如キ能力ノ点ニ関シテ其行為有効ナレトモ他ニ瑕疵アルカ故ニ鎖除スルヲ得ヘキモノナリ
第五百四十八条
本条ハ後見人ノ行為ニ非スシテ未成年者一人ノ行為アリタルコトヲ想像シ其塲合ヲ規定スルモノナリ若シ其行為ニシテ特別ナル方式又ハ条件ニ從フヲ要スルモノナルトキハ其条件ヲ遵守セサリシニ因リ其行為鎖除スルヲ得ヘキモノタルコト恰モ後見人特別ノ方式若クハ条件ヲ必要トスル塲合ニ於テ之ニ違ヒ行為ヲ為シタルトキト毫モ異ナルコトナシ然レトモ動産ノ賃貸借若クハ賣買ノ如キ後見人一人ニテ為スコトヲ行フ行為ニ関スルトキハ後見人ノ参與ナキモ未タ必スシモ未成年者ニ損失アリタリト推定ス可カラスト認メタルカ故ニ本条ニ於テハ直接ニ欠損ノ証拠アルコトヲ必要トシ其証拠アルトキハ欠損ノ為メ行為ヲ鎖除スルヲ得ヘキモノトス
然リ而シテ欠損アル以上ハ其多少ヲ論セス之ヲ理由トシテ合意ヲ鎖除スルコトヲ得然レトモ裁判所ニ於テ其欠損ノ高ヲ査定スルニ当リ極メテ些少ナル損失ヲ以テ眞ニ欠損アリト看做ス可カラス或ハ未成年者ハ正当ノ利益ヲ有セス單ニ私慾ノ為メニ其嘗テ取結ヒタル合意ヲ鎖除スルカ為メ極メテ些少ナル損失ヲ口実トシ以テ鎖除ヲ請求スルコトナシトセス故ニ斯ノ如キ塲合ニ於テハ縦令損失アルモ其極メテ少ナキ以上ハ之ヲ理由トシテ鎖除ヲ許ス可カラス
然リト雖モ亦欠損ハ金銭ニ見積ルコトヲ得ルヲ必要トス例ヘハ未成年者土地濕々ナル街衢ニ家屋ヲ賃借シタリシトキハ其契約ヲ鎖除セシムルコトヲ得ヘク又代價相当ナルモ毫モ自己ニ利益ナキ美術品若クハ贅澤品ヲ買取リタルトキハ其欠損ヲ金銭ニ見積ルコト能ハスト雖モ亦其未成年者ノ利益障害セラレタリト云フヲ得ヘシ
又本条ハ(第二項)自治産ノ未成年者其保佐人ノ立會ヲ要スル塲合ニ於テ其立會ナク一人ニテ合意ヲ為シタルトキ之ニ右ト同一ノ保護ヲ加ヘタリ然レトモ亦其行為單ニ特別ナル方式又ハ条件ヲ要セサルコトヲ想像セサル可カラス若シ之カ為メ特別ナル方式又ハ条件ヲ要スルトキハ其条件ヲ遵守セサリシ一事ニ因リ鎖除訴権ヲ有スヘシ是ヲ以テ自治産ノ未成年者其行為ノ為メニ金銭ニ見積ルヲ得ヘキ損失又ハ其他認定スルヲ得ヘキ損失又ハ其他認定スルヲ得ヘキ損失ヲ被リタルトキハ鎖除訴権ヲ有スヘシ然ラサル塲合ニ於テハ縦令未成年者其合意ヲ取結ヒタルコトヲ超ユルモ單ニ私慾ノ為メ又ハ其他 ニ因ルニ過キサルトキハ其行為ヲ鎖除セシムルコト能ハス
自治産未成年者ノ行為ニシテ法律ニ保佐人ノ立會ヲ必要トセサル者例ヘハ管理行為ニ付テハ本条敢テ直接ニ其効力ノ有無ヲ言ハスト雖モ此塲合ニ於テハ未成年者モ亦成年者ノ如ク能力ヲ有スルヤ明カニシテ縦令缺損アルモ尚ホ其行為ヲ鎖除セシムルコト能ハス
本条末項ハ何レノ時ニ於テ缺損ヲ見積ルヘキカヲ定ムルモノナリ即チ缺損ハ行為ノ時ニ於テ見積ルヘク訴権ヲ行フ時ニ於テセサルモノトス是ヲ以テ未成年者行為ノ時ニ対價其他ノ利益ヲ領受シ又許與シタル所ニ相應シタル利益ヲ得タリシモ尓後以外ノ事変ノ為メ之ヲ減少若クハ毀滅シタルトキハ未成年者其損失ヲ負担スヘシ例ヘハ未成年者自己ニ有益ナル書籍ヲ買取リタリシニ尓後盗難ニ遭ヒ又ハ火災ノ為メニ之ヲ失フタルトキハ之カ為メ損失アルモ亦決シテ鎖除訴権ヲ行フコト能ハス
裁判上ノ保佐人ヲ附シタル浪費者及ヒ精神耗弱者ニ付テモ亦同一ノ規定ヲ設ケタリ
第五百四十九条
未成年者單ニ偽テ成年ナリト陳述シタルノミニ因リ無能力ノ為メニ其行為ヲ鎖除セシムルノ権利ヲ失ヒ法律ニ定メタル条件ノ不履行若クハ其他ノ塲合ニ於テ缺損アリタルニ拘ハラス其合意ヲ取消スノ権ヲ失フニ於テハ未成年者ニ加フル法律ノ保護不充分ナリト謂ハサル可カラス蓋シ未成年者成年ナリト陳述スルモ是レ畢竟其法律ニ違背シ契約ヲ取結フニ至ラシメタル不注意ノ結果ニ外ナラサルコト最モ多カルヘシ且相手方モ後日鎖除訴権ヲ受クルコトヲ免カルルカ為メ証書中成年ナリトノ陳述ヲ掲載セシメ以テ巧ミニ法律ノ制裁ヲ免カルルコトヲ計ルノ憂ナシトセス是ヲ以テ成年ナリトノ陳述アリタルノミニテハ未タ無能力者ハ缺損ニ因ル鎖除訴権ヲ妨ケサルモノトセリ
未成年者單ニ成年ナリト陳述シタルノミニテハ相手方容易ニ眞偽ヲ調査スルヲ得ルカ故ニ右ノ如キ規定ヲ設ケタリト雖モ未成年者單ニ成年ナリト陳述スルニ止マラス尚ホ其成年ナルコトヲ信セシムルカ為メ自ラ詐術ヲ用ヰタルトキ例ヘハ偽造ノ証書他人ノ身分証書ヲ提示シ又ハ証人ヲシテ虚偽ノ陳述ヲ為サシメタルカ如キハ相手方ニ比シ一層厚キ保護ヲ受クルノ理由アラサルカ故ニ其行為ヲ鎖除スルヲ得サルモノトス蓋シ此塲合ニ於テハ未成年者民事上ノ犯罪ヲ行フタルモノニシテ其責ニ任セサル可カラス(本編第三百七十六条ヲ参観スヘシ)而シテ其責ニ任セシムルノ最良ナル方法ハ之ヲシテ其行為ノ結果ヲ免カルルヲ得セシメサルニ在リ
右ノ規定ハ此他ノ無能力者例ヘハ有夫ノ婦ニシテ未婚ノ婦寡婦又ハ離婚婦ナリト陳述シタル者ニ適用スヘキモノトス其理由ハ未成年者ニ於ケルト毫モ異ナルコトナシ
第五百五十条
未成年者ト雖モ往々智力ノ発達シ商業若クハ工業ヲ營ムヲ得ルニ至ルコトアリ斯ノ如キ未成年者ハ其父母若クハ親族會ノ許可ヲ得商業ヲ營ミ又ハ工業ヲ企ツルコトヲ得
右ノ塲合ニ於テハ未成年者モ亦通常ノ自治産者ニ比シ一層大ナル能力ヲ有スヘキヤ明カナリ是ヲ以テ「未成年者モ其營ム所ノ商業若クハ工業ニ関スル行為ニ付テハ之ヲ成年者ト看做ス」ノ規定ヲ設ケタリ
然レトモ技術工藝ニ從事スル者ヲ以テ工業ヲ營ム者ト混淆ス可カラス蓋シ未成年者モ技術工藝ヲ應用シ仕事ヲ為スコトヲ得ヘシト雖モ未タ此一事ニ因リ工業ヲ營ム者ト云フ可カラス故ニ之カ為メニ敢テ特別ノ許可ヲ得ルニ及ハス又自治産ニ至ルヲ要セサルナリ実ニ工藝技術ノ應用ハ未成年者ノ為メ生活ノ最良方法タルヲ得ヘキモ一箇ノ工塲ヲ設置シ營業ヲ為スト異ナリ多少巨額ノ資本ヲ注入シ無限ノ責任ヲ負フ者ニ非ス是ヲ以テ技術工藝ニ從事スル者ハ常ニ其技藝ノ應用ニ関シ結約スルノ能力ヲ有スルモノナリ
本法ヲ以テ商業若クハ工業ヲ營ム未成年者ニ完全ノ能力ヲ許與スルハ其当ヲ得ザルモノト認メタリ故ニ其能力ノ制限ニ至テハ一ニ之ヲ商法ニ委スヘキモ唯一ノ例外ニ至テハ本条ニ之ヲ定メタリ是レ事理ノ簡明ヲ旨トシタルニ因ルモノニシテ其例外則タル実験上必要ヲ認メタルモノナリ即チ商人タル未成年者ハ金銭ヲ借用シ又ハ其不動産ヲ抵当トスルヲ得是レ商業若クハ工業ヲ營ムニ当リテハ屡々金銭ノ必要意外ニ起リ且切迫ニシテ之ヲ得ルノ方法ヲ妨害スルトキハ却テ未成年者ノ破算ヲ惹起シ大ニ其将来ヲ害スルコトアルヘキカ故ナリ然レトモ不動産ヲ譲渡スニ至テハ濫リニ之ヲ認許セス必ス保証人ニシテ且自治産ニ至ラサル未成年者ニ命シタル通常ノ方式ニ從フコトヲ要スルモノトセリ
第五百五条一条
有夫ノ婦ノ無能力ハ人事編婚姻ノ章及ヒ財産取得編中配偶者ノ金銭上ノ関係ヲ規定セル婚姻財産契約ノ章ニ於テ詳カニ規定スル所アルカ故ニ本条ハ單ニ其旨ヲ記スニ止メタリ
第五百五十二条
鎖除訴権ハ損失ヲ救済スルノ方法タルニ止マルヘキモノニシテ不正ノ利益ヲ得セシムルノ機會タル可カラス然ルニ行為ノ鎖除ヲ得タル者其嘗テ譲渡シタル物ヲ回復シ又ハ義務ヲ免除スルモ尚ホ其受取リタル所ノ対價ヲ返還セサルコトヲ得ルトキハ却テ鎖除訴権ノ為メニ利益ヲ得ルニ至ルヘシ是ヲ以テ本条ハ行為ノ鎖除ヲ得タル者ハ既ニ受取リタル所ノ物ヲ返還スルノ責ニ任スヘシト定メタリ是レ「何人タリトモ他人ニ損害ヲ加ヘ正当ノ原因ナクシテ利得ス可カラス」ト云ヘル一般ノ原則ノ適用ニシテ此原則ハ嘗テ之ヲ説明シ且屡々之ヲ適用シタリ(本編第三百六十一条以下)
然レトモ此点ニ付テモ亦有能力者ト無能力者トノ間更ラニ一ノ差違ヲ存ス蓋シ有能力者ハ其既ニ受取リタル物ノ全部若クハ一分ヲ意外ノ事ニ因リ失フタルトキト雖モ猶ホ其受取リタル総テノ物ヲ原物若クハ対價ヲ以テ返還スヘキヲ原則ト為ス但此原則モ亦他ノ一ノ原則ニ因リ制限セラルルモノナリ即チ有能力者モ特定物ヲ受取リタルトキ其特定物領受者ノ過失ニ因ラス且其遲滞ニ付セラレサル前ニ滅失若クハ毀損シタルトキハ領受者從テ義務ヲ免カルヘシ(本編第五百三十九条)例ヘハ成年者錯誤ニ因リ不動産ヲ譲渡シ而シテ後日賣買ノ鎖除ヲ請求スルトキハ其既ニ受取リタル代價ニ付キ毫モ利益ヲ得サリシコトヲ証明スト雖モ尚ホ其代價ノ全額ヲ返還スルコトヲ要ス然レトモ其不動産ヲ錯誤ニ因リ取得シ而シテ其過失ニ因ラスシテ不動産ノ全部若クハ一分滅失シタルトキハ取得者ハ残存スル所ノ部分ヲ返還スルノ責ニ任スルニ過キスシテ其支拂フタル代價ノ全額ヲ取戻スコトヲ得ヘシ
然レトモ無能力者鎖除ヲ請求シタルトキハ右ニ陳フル所ニ反シ無能力者ハ只鎖除ヲ請求スルトキニ当リ現ニ自己ノ利益ト為リタル物ヲ返還スルノ責ニ任スヘキノミ蓋シ無能力者ヲシテ其浪費シタル物ノ対價ヲ返還セシムルトキハ法律ヲ以テ之ニ保護ヲ加ヘントシタルノ趣旨充分貫徹セサルヘク且無能力者ト結約シタル者ハ為メニ損失ヲ被ルモ是レ其不注意ノ致ス所ニシテ自己ニ責ヲ帰スルノ外ナシ然レトモ無能力者鎖除請求前故ラニ其既ニ受取リタル物ヲ消費シ或ハ其物ヲ消費センカ為メ故ラニ鎖除ノ請求ヲ遲延シ或ハ後見人鎖除請求ノ準備ヲ為スヲ見其結果ノ一ヲ免カレンカ為メ其受取リタル物ヲ浪費シタルトキハ詐欺アルカ故ニ未成年者モ亦法律ノ保護ヲ受ク可カラサルヲ以テ其消費シタル物ヲ返還セシメ以テ被告ヲ保護セサル可カラス
本条ニ規定スル所ノ返還要求ノ訴権ハ鎖除訴権ニ牽連スルカ故ニ或ハ五年ヲ以テ其時効ノ期間ト為スヘキニ似タリト雖モ其訴権ハ通常ノ時効ニ因ルニ非サレハ消滅セサルコトヲ法文ニ明記シタリ蓋シ該訴権タル鎖除訴権ニ於ケルト全ク異ナル原則ニ基キ其目的トスル所亦他ニ異ナリ之ニ因テ起ル所ノ証拠ノ問題モ鎖除訴権ニ関シ起ル所ノ問題ト毫モ関係スルモノニ非サルヤ明カナリ是ヲ以テ此塲合ニ於テモ亦不当ニ領受シタル者即チ原因ナクシテ保存ス可カラサル物ノ返還ヲ為スヘキ自餘一切ノ塲合ニ於ケルカ如ク通常ノ時効ニ從フヘキモノトセリ
第五百五十三条
「何人タリトモ自己ノ有スル権利以外ヲ授與スルコト能ハス」又「鎖除若クハ解除スルヲ得ヘキ権利ヲ有スルニ過キサル者ハ亦同一ノ性質ヲ帶フル権利ニ非サレハ授與スルコト能ハサルハ」既ニ説明シタル一般ノ原則ニシテ其適用甚タ多シ
鎖除訴権解除訴権若クハ廃罷訴権ノ第三者ニ対シ効力ヲ有セサル塲合ハ苟モ不動産譲渡ニ関シテハ例外ナリトス然レトモ動産ニ至テハ善意ノ第三者回復訴権其他ノ物上訴権ヲ被ルコト非サルナリ
本条ハ亦前記ノ原則ヲ適用スルモノニシテ特ニ之ヲ不動産ノ譲渡ニ限リタリ夫レ然リ不動産譲渡ニ関スル鎖除訴権ハ第三者ニ効力ヲ及ホスト雖モ亦之ヲシテ鎖除ノ請求及ヒ旧所有者ノ財産回復ヲ知ラシムルヲ要スルカ故ニ法律上特ニ第三者ヲシテ之ヲ知ラシムルノ方法ヲ設ケタリ是レ前ニ第三百五十二条及ヒ第三百五十三条ニ規定シタル所ニシテ本条ハ即チ同条ヲ引用シタリ其方法タル所謂登記又ハ登記簿上ノ附記ニシテ其事タル既ニ充分ノ説明ヲ為シタルヲ以テ茲ニ之ヲ贅セス
本条ニハ詐欺ニ因ル鎖除ノ事ヲ記載セス是レ詐欺ハ之ニ因リ生シタル所ノ錯誤承諾ノ瑕疵タル性質ヲ有セサル限ハ独リ承諾ノ瑕疵タルモノニ非ス只加害行為ニシテ損害賠償ノ義務ヲ発生セシムルモノニ過キス只其補償ノ最モ單簡且完全ナル方法トシテ鎖除ヲ求ムルニ過キサルカ故ナリ故ニ其鎖除訴権ハ單ニ詐欺ヲ行フタル者一人ニ対スル対人ノ訴権タルヲ以テ詐欺ニ因リ譲渡ヲ為サシメタルトキ其譲渡ノ鎖除訴権ヲ行フモ其効力ヲ第三取得者ニ対抗スルコト能ハス(本編第三百十二条ヲ参観スヘシ)
第五百五十四条
行為ノ鎖除ヲ求ムルヲ得ヘキ当事者五年ノ期間ヲ経過スルモ敢テ其訴権ヲ行ハサルトキハ此一事ニ因リ該合意ノ黙示ノ認諾アリタルモノトス尚ホ此他黙示認諾ノ塲合アリテ次条ニ之ヲ列記ス
然レトモ無能力ノ絶止シ錯誤ノ覺知シタルトキ詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ鎖除訴権ヲ行フヲ得ヘキ当事者完全ナル承諾ヲ為スノ法律上若クハ事実上ノ妨害ヲ被ラサルニ至リタル時ニ非サレハ何レノ認諾モ効力ヲ有セサルモノナリ是レ本条ニ廣ク第五百四十五条ヲ引用シ以テ明言スル所ナリ即チ同条ハ本条ニ仮定スル所ト同様ナル塲合ヲ示シ之ヲ以テ五年ノ時効ノ起算点ト為シタルモノナリ
第五百五十五条
認諾ハ何レノ塲合ニ於ケルモ敢テ明示ナルヲ要セスト雖モ其黙示ノ認諾ニ勝ル所ハ其有無ニ付キ争訟ヲ入レサルノ利アルニ在リ只認諾ヲ明示スルニハ三箇ノ条件ヲ必要トス本条ハ即チ此条件ヲ指示スルモノナリ
第一認諾証書ニ原合意ノ前文ヲ記載セサルモ其要旨即チ其主要ノ条項ヲ記載スルコトヲ要ス是レ何レノ行為ヲ認諾シタルカニ付キ疑ナカラシムルカ為メニ設ケタル条件ナリ
第二認諾ノ行為ニ附着シタリシ鎖除ノ原因ヲ記スルコトヲ要ス
第三当事者其鎖除訴権ヲ抛棄シ即チ其行為ヲ認諾承認シ以テ之ヲシテ有効ナラシメントスルノ意思アルコトヲ陳フルヲ要ス其意思ヲ陳フルニ付テハ別ニ特別ナル文例ヲ要セスト雖モ亦其明白ナルヲ必要トス
第二項ハ殊ニ注意スヘキモノナリ抑々本条ハ漠然タル証文ヲ以テ認諾ヲ為スコトヲ認メス認諾証書ニハ合意ノ瑕疵ヲ詳カニ記載スルヲ要スルノミナラス又其記載アルモ認諾ノ為メ消滅スル所ノ瑕疵ハ特ニ其証書ニ指示シタル所ノモノニ限ルモノトセリ例ヘハ品質ニ関スル錯誤ニ出テタル合意ヲ認諾シタル者ハ縦令其錯誤ノ責ヲ自己ノ意思ニ帰スルモ猶ホ其錯誤自発ノモノニ非スシテ相手方ノ詐術ニ起因シタルコトヲ証明スルニ於テハ詐欺ニ因ル鎖除訴権ヲ失フモノニ非ス又未成年者ノ時ニ在テ承諾シタル合意ヲ認諾シタル者欠損ヲ以テ鎖除ノ原因ナリト記載シタルモ尚ホ法律ニ命シタル方式及ヒ条件ノ不履行ニ因リ其合意ヲ鎖除セシムルノ権利ヲ保存スルモノナリ
然レトモ一ノ認諾アルトキハ往々他ノ点ニ付キ認諾アリト推定スルコトヲ要スルカ故ニ右ノ原則モ亦多少ノ制限アルモノナリ例ヘハ前記ノ設例ヲ変更シテ之ヲ述ヘンニ詐欺ニ因ル鎖除訴権ヲ抛棄シタル者ハ同一ノ錯誤ヲ原因トシ其自発ナルコトヲ唱ヒ更ラニ鎖除ヲ請求スルコト能ハス又方式ノ不履行ニ因ル鎖除ヲ抛棄シタル者ハ合意ノ当時未成年者ニシテ欠損アリタリト称シ更ラニ鎖除ヲ請求スルコト能ハス斯ノ如キ塲合ニ於テハ自己ニ最モ利益アル訴権ヲ抛棄シタルニ因リ利益較々少ナク効力較々薄キ訴権ヲ自ラ抛棄シタルモノト謂ハサル可カラス
或ハ此塲合ニ於テハ明示セサル瑕疵ニ付キ黙示ノ認諾アリト云フヲ得ヘシ是レ其認諾ノ有無ニ付キ諸般ノ疑團ヲ氷解スルノ良法タルヘシ蓋シ黙示ノ認諾ハ制限アラサルモノニシテ次条ニ於テ二三ノ塲合ヲ掲ケ黙示ノ認諾アリトノ推定ヲ為スト雖モ決シテ此塲合ヲ限定シタルモノニ非ス尚ホ裁判所ヲシテ他ノ塲合ニ於テ黙示ノ認諾アリト認定スルヲ得セシムルモノナリ
第五百五十六条
任意ノ履行ハ黙示ノ認諾中最モ明確ナルモノナリ且其認諾ハ合意ノ全部ニ係ルコトヲ要セス只其一分ニ係ルヲ以テ足レリトス是レ定期ニ弁済スヘキ義務ニ関スルトキハ実際屡々行ハルル所ナリ然レトモ一時ニ義務ノ全部ヲ弁済スルノ責アル債務者其一分ヲ弁済スルニ止マリ他ノ一分ニ付キ異議ヲ唱ヒタルトキハ其一分ノ履行ヲ以テ自餘ノ部分ヲ黙示ニテ認諾シタリト看做ス可カラス
裁判上ノ訴追若クハ判決ナキモ執行力アル証書ニ依リテ為シタル強制ノ執行ヲ以テ黙示ノ認諾ト看做スヘキヤ否ヤニ付テハ異議ノ起ルコトナキヲ保ス可カラサルニ因リ本条ハ此点ヲ明定シ強制ノ執行モ亦異議ナク又ハ異議ノ留保ナキトキハ任意ノ履行ト同シク黙示ノ認諾ヲ為スモノトシタリ且判決ニ因リ履行アリタルトキハ其判決未タ確定タラス單ニ仮ニ執行スヘキトキニ非サレハ此点ニ関シ論議ノ起ルコト非サルナリ何トナレハ一旦判決ノ確定スルヤ鎖除訴権ヲ防止スル者ハ黙示ノ認諾ニ非スシテ既判力ナレハナリ
債務者ノ更改ヲ為シ保証人ヲ立テ質若クハ抵当ヲ供與スルモ亦任意ノ行為ニシテ鎖除訴権ヲ消滅セシムルモノナリ何トナレハ更改若クハ担保ノ供與ハ其基本タル債務ノ有効ヲ認諾シタルニ因ルモノナルヤ明カナレハナリ
債権者ヨリ裁判所ニ請求ヲ為シタルトキハ任意ノ履行ヲ為シタルニ比スレハ一層認諾ノ証拠確然ナリトス何トナレハ裁判所ニ請求ヲ為スニ当リテハ異議ヲ為シ又ハ異議ヲ留保スルコト能ハサルヘケレハナリ
又鎖除スルコトヲ得ヘキ合意ヲ以テ取得シタル物ノ全部若クハ一分ノ任意譲渡モ亦鎖除ノ黙示ノ抛棄ト看做スヘキヤ至当ナリ蓋シ取得者更ラニ其資産ノ一部ヲ変更スル所ノ行為ニ因リ其取得ノ利益ヲ得タルトキハ又前記ノ諸般ノ行為ト同シク原合意ヲ認諾シタルノ証拠顕著ナリト云フヘシ加之該譲渡ヲ以テ認諾ノ証拠ト為スノ理由尚ホ他ニ一アリ蓋シ権利ヲ譲渡シタル者ハ自ラ其承継人ヲ追奪スルコト能ハス是レ明示ノ要約ヲ以テスルモ尚ホ免カルルコト能ハサル必存ノ担保義務アル塲合ナリ(本編第三百九十六条ヲ参観スヘシ)然ルニ取得者更ラニ其取得シタル物ヲ譲渡シタル後前譲渡人ニ対シ其取得ノ鎖除ヲ求メント欲スルトキハ遂ニ其譲受人ヲ追奪スルニ至リ之ニ対シ担保義務ヲ負担スルニ因リ全ク鎖除ノ利益ヲ失フニ至ルヘシ是レ亦任意ノ譲渡ヲ以テ黙示認諾ノ証ト為シタル一ノ理由ナリ
右ノ塲合タル第五百五十三条ニ規定シタル所ノ塲合即チ鎖除訴権ヲ第三取得者ニ対抗スルヲ得ヘキ塲合ト混淆ス可カラス同条ノ塲合ニ於テハ譲渡ヲ為シタル者鎖除ノ原告ニ非スシテ被告ナルカ故ニ第三者ニ対シ担保義務アル者ハ之ヲ追奪スルモノニ非サルナリ
本条ニ黙示認諾ノ塲合ヲ列記スト雖モ亦裁判所ハ此他ノ黙示認諾ノ塲合ヲ審按認定スルヲ得サルモノト云フ可カラス蓋シ次条ニ從ヒ認諾アリト認ムヘキ塲合ヲ網羅シテ法文ニ掲クル能ハサルカ故ニ只法文ニハ其二三ノ塲合ヲ例示シタルニ過キサルモノナリ加之裁判所ハ本条ニ列記シタル黙示認諾ノ塲合ニ於テモ尚ホ果シテ認諾アリタルヤ否ヤヲ査定シ時冝ニ因リ認諾アラサルモノト認ムルノ権力ヲ有スヘシ何トナレハ本条ニ定ムル所ノ認諾ノ完全ナル推定ニ非サレハナリ例ヘハ任意ノ履行ニ関スルトキモ鎖除ヲ請求スル当事者鎖除スルコトヲ得ヘキ契約ニ依リ取得シタル物ノ引渡ヲ受ケタル所為ヲ以テ偏ヘニ黙示ノ認諾ヲ為シタルモノト認ムヘキニ非ス或ハ其当事者ハ被告ノ将ニ資力ヲ失ハントスルヲ慮カリ其損失ヲ避ケンカ為メ故ラニ引渡ヲ受クルコトアリ勿論原告ニ於テハ其引渡ヲ受クルニ当リ異議ヲ留保スルヲ以テ自己ノ利益ヲ保護スルニ最モ確実ナル方法タルヘシト雖モ亦取得物ノ引渡ヲ受クルノ所為ハ代價ヲ弁済スルノ所為ニ比スレハ較々認諾ノ証タルノ力少ナキモノト云フヘシ
第五百五十七条
本条ニ規定スル塲合ハ冝シク適例ヲ示シ以テ説明スヘシ例ヘハ未成年者不動産ヲ譲渡スニ当リ法律ニ定メタル方式ヲ遵守セサリシトセンニ此未成年者ハ不動産譲渡ヲ為スノ無能力ノミニ因リ別ニ欠損ナキモ鎖除訴権ヲ有スヘシ然ルニ其後成年ニ達スルニ至リ又ハ未成年中ニテモ後見人ノ立會ヲ得法律ニ定メタル方式ニ從ヒ更ラニ同一ノ不動産ヲ譲渡シタリトセン此再次ノ譲渡ハ初次ノ譲渡鎖除シ得ヘキカ故ニ効力ヲ有スルニ過キス故ニ後ノ買主ハ鎖除訴権ノ譲受人タルカ如シ是ヲ以テ成年者若クハ適法ニ代表セラレタル未成年者ハ更ラニ初次ノ譲渡ヲ認諾スルコト能ハス縦令之ヲ認諾スルモ其認諾ニ因リ再次ノ譲受人ニ損害ヲ及ホス可カラス蓋シ譲渡人ハ譲受人ニ対シ追奪担保ノ義務アルカ故ニ其譲渡シタル権利ヲ毀棄シ自ラ追奪ヲ行フコト能ハサルナリ
然リト雖モ亦当事者間ニ於テハ認諾ノ効力ナキニ非ス其認諾ハ譲渡人ヲシテ最初ノ譲受人ニ対シ担保ノ義務即チ損害賠償ノ義務ヲ負担セシムルモノナリ蓋シ譲渡人ハ其處分スルコト能ハサルニ至リタル物ノ賣買ヲ認諾シタルニ因リ他人ノ物ヲ賣買シタル者ト同一ノ地位ニ在ルモノナリ故ニ必ス追奪担保ノ義務アリ殊ニ其追奪タル之ニ責ヲ帰スヘキ行為ニ因リ生シタルヲ以テ其義務一層重シトス
尚ホ更ラニ簡單ナル一例ヲ示サンニ鎖除訴権ヲ有スル者直接ニ該訴権ヲ譲渡シタルトキハ亦訴権ヲ以テ取戻サントスル所ノ権利ヲ譲渡シタルニ外ナラサルモノニシテ尓後鎖除シ得ヘキ合意ヲ認諾スルモ其認諾ハ決シテ譲受人ニ損害ヲ及ホスコト能ハス
第五百五十八条
初メヨリ無効ナル行為ハ之ヲ認諾スルコト能ハサルヤ多辯ヲ俟タスシテ明カナリ其理由ハ既ニ之ヲ述ヘタリ只本条特ニ此事ヲ明言シタルハ後ニ至リ本則ニ例外ヲ設ケ茲ニ之ヲ開陳センカ為メナリ
第五百五十九条
履行ノ時期若クハ塲所ニ関スル錯誤ノ事ハ既ニ第三百十条第三項ニ之ヲ規定シタリ本条ニハ証書ノ日附又ハ之ヲ作リタル塲所ニ関シ錯誤アルコトヲ仮定スルモノニシテ此他証書ニ存スル二箇ノ錯誤即チ算数及ヒ氏名ノ錯誤ノ事ヲ規定スルモノナリ蓋シ口頭ニテ合意取結又ハ証書ヲ作リ之ヲ締結スルニ当リテハ当事者算数氏名日附又ハ塲所ヲ誤ルコト稀ナリトセス然シテ其錯誤ノ改正ヲ目的トスル訴權ハ時効ニ係ルコトナシ今其時効ニ係ラサル所以ヲ説明スルニハ是等ノ錯誤性質如何ヲ論究スルヲ要ス是等ノ錯誤タル往々之ヲ称シテ文字上ノ錯誤ナリト云フト雖モ未タ之ヲ以テ其改正ヲ目的トスル訴権ノ時効ニ係ラサルコトヲ証明スルニ足ラサルナリ
第一算数ニ係ル錯誤ニ付テ之ヲ論明セン例ヘハ土地ノ賣渡代價ヲ定ムルニ當リ證書中坪何円ト記載シナカラ其乗数ヲ誤リ其全額ト契約書ニ記載スル代價ノ元素ト算数ヲ同フセサルコトアリ抑々賣買ノ代價ハ買主ノ義務ノ目的即チ賣主ノ債権ノ目的ナリト雖トモ此塲合ニ於テハ契約ノ目的ニ関シ錯誤アリト云フ可カラス原因ニ関シ錯誤アリト云フヘシ何トナレハ賣主ハ証書ニ記載スル所ノ代價算数ノ標準ニ依リ得ル所ノ代價ト異ナル代價ヲ要約スルノ原因ナク又買主之ヲ諾約スルノ原因アラサレハナリ代價ノ錯誤ニシテ目的ノ錯誤アルハ賣主若クハ買主各坪ノ代價ノ目安ヲ契約書以外ニ求ムヘキ塲合ニ在リ
然レトモ此塲合ニ於テハ算数ノ錯誤アルニ非スシテ目的ノ品質ニ関シ事実上通常ノ錯誤アルモノナルカ故ニ(本編第三百十条ヲ参観スヘシ)本条ヲ適用スヘキ限ニ非ス
契約証ヲ以テ土地ノ境界ヲ定メタル塲合ニ於テ其土地ノ坪数ニ関シ錯誤アリタルトキハ又契約ニ定メタル目安ト適合セサル代價ノ諾約若クハ受諾ヲ要スルヲ以テ此原因ニ関スル錯誤アルモノトス
凡ソ原因ノ錯誤ハ契約ノ発生ヲ妨クルモノナルカ故ニ契約存セサルニ因リ單ニ算数ノ改正ヲ為スニ止マルコト能ハスト雖モ前例ノ塲合ニ於テハ原因ノ錯誤僅カニ契約ヲ以テ定メタル目安ニ違フ所ノ代價ノ差異ニ存スルニ過キサルカ故ニ全合意無効ナルニ非ス只代價ノ以外ニ係ル超過額若クハ不足額ノミ無効ニシテ其差異ハ何時ニ至ルモ改正スルヲ得ルモノナリ
利害関係人ノ氏名ノ錯誤ハ当事者其人ニ係ル錯誤ト混淆ス可カラス蓋シ結約ノ相手方其人ヲ誤ルトキハ塲合ニ從ヒ大ニ其結果ヲ異ニシ合意ニ影響ヲ及ホスモノナリ(本編第三百九条ヲ参観スヘシ)然レトモ人違アルニ非スシテ只相手方其人ヲ誤ラサルモ其事項ヲ誤リタルトキハ後日ノ紛議ヲ防クカ為メ其錯誤ヲ改正スルコトヲ要ス而シテ相手方ハ其氏名ノ改正ヲ拒ムノ理由非サルナリ若シ其之ヲ拒ムトキハ将来詐欺ヲ行ハントスルノ意思アルニ因ルヘキヲ以テ其拒絶ヲ認ム可カラサルヤ明カナリ
日附ノ錯誤モ亦重大ナル結果ヲ生スルコトアリ何トナレハ日附ノ錯誤アルトキハ人ヲシテ当事者ノ一方能力ヲ有シタリシニ拘ハラス無能力タリシトキニ在テ其契約ノ取結アリタルモノト誤信セシムルコトアリ又或ハ当事者契約ヲ為シタル当時無能力ナリシモ日附ノ誤記アルカ為メ其能力ヲ有シタル時ニ在テ契約ヲ為シタルカ如キ観ヲ呈スルコトアリ又誤記ノ日附ヲ他ノ証書ノ日附ト照合スルトキハ利害関係人双互ノ位置ヲ轉倒シ第三者ヲシテ承継人タラシメ又承継人ヲシテ第三者タラシムルコトアルヘシ蓋シ第三者ノ資格タル概ネ其利害関係ヲ有スルニ至リタル時ノ前後ニ因リ定マルモノナレハナリ
証書ヲ作ルタル塲所ノ錯誤ハ実際甚タ少ナシト雖モ亦旅行中証書ヲ作リ或ハ從来住居セサリシ塲合ニ轉住スルニ当リ証書ヲ作ル如キ塲合ニ於テハ間々是有ルモノナリ
本条ハ以上ノ錯誤ノ改正ヲ請求スル訴権時効ニ係ルコトナシト云ヘリ是レ誤記アル証書ヲ以テ証明スル権利未タ時効ニ因リ消滅セサルコトヲ仮定シタルモノナリ若シ権利ニシテ既ニ時効ニ係リタルトキハ証書ノ文面ニ錯誤アルモ之ヲ改正スルノ必要非サルナリ
今右ノ錯誤改正ノ訴権時効ニ係ラサル所以ヲ弁明センニ元来時効ハ有権者ノ弁済ヲ受ケ又ハ其権利ノ黙示任意ノ抛棄ノ推定ニ基クモノタルコトハ既ニ略ホ説明シタル所ニシテ尚ホ証拠編ニ至リ詳細ニ説明スヘキ所ナリ抑々物ノ品質ニ関シ錯誤アルトキハ明示若クハ黙示ノ承諾ヲ以テ其錯誤ヲ訂正スルヲ得ルト雖モ算数ノ錯誤ノ如キハ原因ノ錯誤ニシテ其他証書ノ文面ニ存スル錯誤ハ人為ヲ以テ訂正スルコト能ハサルモノナリ蓋シ人為ハ数量氏名時期塲所ヲ変スルコト能ハサルヤ明カナレハナリ
然レトモ錯誤改正ノ訴権ヲ以テ誤算ヨリ生シタル差額取戻ノ訴権ト混淆ス可カラス其取戻ノ訴権ハ普通法ニ從ヒ時効ニ係ルヘキモノナリ例ヘハ買主算数ノ錯誤ニ因リ元来負担シタル代價以上ノ金額ヲ弁済シタルトキハ其不当ニ弁済シタル所ノ物ヲ取戻サントセハ通常時効ノ經過セサル間ニ於テセサル可カラス又賣主賣渡物ノ代價ノ全額ヲ受取ラサリシトキハ其不足額ヲ請求スルニ付キ亦通常ノ時効ニ從フヲ要ス蓋シ原因ナク弁済シタル價格ノ取戻ハ完全ナル契約ニ依リ價格ヲ請求スルノ権利ト同シク決シテ時効ニ係ルコトナキモノニ非サルナリ
是ヲ以テ改正スヘキ証書ヲ以テ証明シタル権利ノ時効ニ係リタルトキハ其証書ヲ改正スルノ理アラスト雖モ亦之ヲ改正スルノ権利ハ依然之ヲ行フコトヲ認メサル可カラス何トナレハ事実ノ眞正ヲ証明シ誤謬ヲ訂正スルハ必ス一般ノ利益ニ利アレハナリ
第八節 廃罷
廃罷、解除及ヒ鎖除ノ三箇ノ名称ハ本編中屡々用ヰタル所ニシテ往々三者ヲ併セ用ヰタルコトアリ是レ其性質ヲ同シウスル所アリテ共ニ既ニ存立シタル行為ヲ破毀シ之ヲ無効トスルモノナルカ故ナリ又此三者ハ啻ニ当事者間ノミナラス又第三者ニ対シ行為破毀ノ効力ヲ既往ニ溯ラシムルモノニシテ但既ニ示シタル二三ノ条件即チ例外アルノミ是ヲ以テ前節ニ鎖除ノ事ヲ規定シタルニ因リ之ニ次デ廃罷及ヒ解除ノ為メニ各一節ヲ設クルハ至当ナリ然レトモ廃罷及ヒ解除ノ理論タル既ニ之ニ関スル事項ニ於テ詳細ニ規定シタルカ故ニ茲ニハ只該事項ヲ引用スルカ為メ且其義務ヲ消滅スル性質アルコトヲ明示スルカ為メ之ヲ掲クルニ過キス
蓋シ解除トハ契約ノ成立以後ノ事件ノ結果ニ因リ契約ヲ無効トスルヲ云フモノナレトモ只其事件タル合意若クハ法律ヲ以テ明カニ合意ヲ取消スノ力アルモノト定メタル塲合ニ行ハルルモノナリ
鎖除トハ前節ニ定メタル如ク承諾ノ瑕疵ニ因リ合意ヲ取消ス塲合ニ於テ其取消ニ附シタル塲合ナリ
廃罷トハ総テ結約者其約束ヲ取消シ其譲渡シタル所ノ物ヲ取戻ス塲合ニ於テ用ユル名称ナリ殊ニ贈與ノ塲合ニ於テ贈與者其負担ヲ履行セサルニ因リ贈與ヲ取消ストキハ其取消ヲ称シテ廃罷ト云フ本条第二項ニ贈與ニ関スル規定ニ從フト云ヘルハ即チ此適用ノ塲合ヲ想像シタルモノナリ
又廃罷ノ名称ハ債権者債務者カ自己ノ権利ヲ詐害スルカ為メ行フタル譲渡若クハ義務ヲ取消サシムルコトヲ目的トスル訴権ニ附スルモノナリ即チ第一項ハ此点ニ付キ第三百四十条乃至第三百四十四条ノ規定ニ從フヘキ旨ヲ記スルニ止メタリ蓋シ該諸条ハ廃罷訴権ヲ詳密ニ規定シタルモノナリ抑モ廃罷訴権モ亦鎖除訴権ト同シク合意ノ成立ノ際ニ存スル瑕疵ニ基クモノニシテ毫モ結約以後ノ事件ニ関スルモノニ非スト雖モ亦前節ニ此事ヲ記スルハ縦令單ニ他ノ条項ヲ引用スルカ為メニ止ムルモ尚ホ其当ヲ得サルヘキカ故ニ特ニ之カ為メ一節ヲ設ケタリ蓋シ廃罷ハ其基本ニ付キ大ニ鎖除ト異ナルモノニシテ毫モ結約者ノ承諾ノ瑕疵若クハ無能力ニ基クモノニ非ス当事者ノ何レヲモ保護スルヲ目的トスルモノニ非ス只第三者ヲ保護スルヲ趣旨トスルモノナリ何トナレハ債権者合式ニ代表セラレサリシ以上ハ第三者タルカ故ニ之ヲ保護スルハ即チ第三者ヲ保護スルモノナリ又廃罷訴権ハ普通ノ損害ノ賠償ヲ得ルヲ目的トスルモノナルカ故ニ五年ノ特別時効ニ係ルモノニ非ス詐害行為アリタルヨリ三十年ノ通常時効ニ係ルヘキモノナリ但債権者詐害アリタルコトヲ覺知シタルトキハ其時効ヲ二年ニ減縮スルモノトス
第九節 解除
第五百六十一条
解除条件ノ理論ハ既ニ詳細ニ之ヲ説明シタリ今之ヲ約言スレハ解除ハ之ヲ明約シタルトキハ敢テ特ニ出訴スルヲ要セス当然合意ヲ取消シ其結果タル譲渡若クハ義務ヲ無効トスルモノニシテ裁判所ニ訴権ヲ行フノ必要アルハ只譲渡シタル物ノ占有ヲ回復シ又ハ供與若クハ弁済シタル價額ヲ返還セシムルカ為メニ過キス故ニ其訴権ハ通常ノ物上若クハ対人訴権ト同シク通常ノ時効ニ係ルヘキノミ
又解除条件ノ黙示ナルトキ就中双務契約ニ於テ当事者ノ一方其義務ヲ履行セサル塲合ノ為メニ存スルモノナルトキハ必ス其不履行アリタルヤ否ヤヲ審按検審スルヲ要ス且裁判所ヲシテ債務者ニ恩恵上ノ期限ヲ許與スルヲ得セシムヲ冝シトスルカ故ニ解除ハ当然行ハルルモノニ非ス被害者必ス裁判所ニ解除ノ請求ヲ為スコトヲ要ス而シテ其訴権ハ亦通常ノ訴権ト同一ニ継続スルモノナリト雖モ亦或ル塲合ニ於テハ法律上其時効ノ期限ヲ短縮スルヲ至当ト認メタルニ因リ例ヘハ受戻権能ノ公示ノ如キ塲合ニ於テハ法文ヲ以テ其期限ヲ短縮ス故ニ本条ハ廣ク其事ヲ示シタリ
第四章 自然義務
自然義務ノ事タル諸外國法典ニ於テハ法文不備ニシテ又間々毫モ之ヲ規定スル律文アラサルニ因リ最モ異議ヲ生シタル事項ノ一ナリトス
今本章各条ノ理由ヲ説明スルニ先チ左ノ諸点ヲ明瞭ニスルコトヲ要ス
第一自然義務ト称スルモノノ性質如何
第二道理及日公義ニ照ラシ自然義務ヲ認ムルコトヲ要シ又ハ之ヲ認ムルコトヲ得ル塲合如何
第三自然義務ノ効力如何
第四自然義務ノ消滅ノ原因如何
第一款 自然義務ノ性質
自然義務モ亦單ニ道徳上ノ責務ニ非ス法律上ノ責務ナルヤ明カナリ只之ニ自然義務ナル特殊ノ名称ヲ附シタルハ其効力通常ノ義務ニ比シ較々弱キヲ示サンカ為メナリ且自然義務ハ自然法ノ羈絆ナリト云フト雖モ決シテ人定法ヲ以テ之ヲ認メサルニ非ス現ニ本法中此事ヲ規定シ之ニ効力ヲ附スルヲ以テ見ルモ亦人定法ノ之ヲ認ムルヤ明カナリ又所謂法定義務即チ人定法ノ羈絆モ決シテ人定法ノ濫リニ創設シ自然法ニ関係ナク又ハ之ニ背馳スルモノニ非ス蓋シ権利ノ更新ノ為メ期間ヲ定ムルハ概ネ立法者ノ専断ニ出ツルモノニシテ又行為ノ方式ヲ定ムルモ時ト處トニ從ヒ変更スルヲ得ルニ因リ此二者ハ暫ク措キ其他ノ点ニ付テハ民法中毫モ人定法ナキモ自然ノ道理公義ヲ以テ補充スルコト能ハサル規定アル可カラス
今本法ニ法定義務及ヒ自然義務ノ名称ヲ用ユルハ是レ只或ル義務ハ人定法ヲ以テ充分ノ羈絆力ヲ附シ立法上定ムルヲ得ヘキ充分ノ制裁ヲ附スルモ他ノ義務ニ至テハ其制裁不完全ナルヲ云フニ外ナラス蓋シ自然義務ノ制裁ハ法定義務ニ比スレハ不充分ニシテ殊ニ訴権即チ裁判上ノ訴追権ヲ以テ担保トセス其履行ハ一ニ債務者ノ自由ノ意思ニ放任スルモノニシテ法文ニ述フル如ク一ニ債務者ノ良心ニ委スルモノナリ
欧洲ノ論者皆自然義務ノ單簡ナル定義ヲ下サント欲シ或ハ自然義務ハ公義上ノ羈絆ニシテ法定義務ノ定義タル人定法ノ羈絆ニ対スルモノナリト云ヘリ然レトモ此定義タル人定法ト公義トヲ以テ相反スルモノト為スノ語弊アリ蓋シ人定法ト公義トハ決シテ相背馳スルモノニ非ス往昔羅馬法ノ或ル部分就中羅馬初代ニ在テハ法律ト公義ト相背馳スルコトアリシト雖モ現時ニ至テハ人定法中立法者ノ故意ニ出テ公義ニ反スル規定アリト云フコト能ハス加之公義ノ命スル所ハ必ス法律ヲ以テ之ヲ命令セサルコトナシ
只學説中自然義務ト称スルモノハ其発生スル時又ハ尓後裁判所ノ判定ニ附セラレタル時ニ当リ啻ニ法律上ノ羈絆タルニ必要ナルノミナラス亦公義上ノ羈絆タルニ必要ナル公義道理ノ条件ヲ具備セサルモノトス法律上成立ヲ認メサル所ノモノナリト云フ一説ニ至テハ較々自然義務ノ定義ノ正鵠ヲ得タルモノト云フヘシ故ニ自然義務ハ其発生ノ時又ハ裁判後ニ至リ何等ノ効力モ生セサルモノナリト雖モ以後其道理公義ニ適從セルコト偶然債務者ノ任意ノ履行若クハ其任意ノ認諾ニ因リ顕然タルニ至リタルトキハ法律之ヲ認メ以後法定ノ義務ト為ルモノナリ自然義務変シテ法定ノ義務タルコトハ法文中認諾ノ塲合ニ付キ明言スヘシト雖モ(下第五百六十四条ヲ参観スヘシ)其履行ニ因リ其成立ノ発見シタルトキハ其履行ヲ請求スルノ訴権ノ有無ヲ問フニ及ハス其主タル法律上ノ制裁無用ニ属スヘシ只以後法律ヲ以テ之ニ附スル所ノ制裁ハ其弁済ヲ有効ナリト認メ之ヲ維持シ以テ其取戻ヲ聴許セサルニ在リ
是レ本章各条ノ基本トシタル學説ナリ勿論任意ノ履行ノミ未タ自然義務ノ成立不明ノ点ヲ明カニシ其成立ヲ磨出スルノ方法ニ非ス尚ホ明示若クハ黙示ノ任意ノ認諾ニ至テモ之ヲ以テ自然義務ノ成立ヲ明カニスルノ方法ト為スコトヲ得但多少ノ制限ト条件ヲ要スルノミ故ニ其制限及ヒ条件ニ從ヒ任意ノ認諾ニ基キ自然義務ヲ認ムルニ至リタルトキハ之ニ訴権ヲ附シ充分ノ制裁ヲ與フルコトヲ得然レトモ其制裁充分ナルニ至リタルトキハ最早自然義務ニ非スシテ認諾ノ為メ法定義務ニ変化シタルモノトス
第二款 自然義務ノ原因
義務成立ノ時ニ当リ又ハ一旦裁判所ニ於テ無効ト認メラレタル後法律上ノ効力ヲ有セサル者即チ自然義務ノ任意ノ履行若クハ明白ナル認諾ニ因リ更ラニ法律上ノ効力ヲ得又ハ之ヲ復スルヲ得ル塲合如何ヲ詳悉セン
自然義務ノ原因如何ヲ説明スルニ当リテハ先ツ義務ノ通常ノ原因ニ付キ一々其果シテ自然義務ノ原因タルヤ否ヤヲ考究スルヲ以テ最モ簡便ナルヘシト信ス今義務ノ通常ノ原因タルモノハ合意、不当ノ利得、不正ノ損害、及ヒ或ル塲合ニ於テ直接ニ人ヲシテ義務ヲ負担セシムル所ノ法律ノ規定ナリトス此原因ノ一ニ依リ法定ノ義務発生スルコト能ハサリシ塲合ニ於テモ尓後任意上ノ履行ノ合意又ハ認諾ノ合意アリタルトキハ果シテ既往ニ溯リ其義務ヲ発生セシムルヲ得ヘキカ又裁判所ニ於テ取消シタル義務尚ホ自然義務トシテ存続シ加之法定義務ノ消滅方法アリタルモ尚ホ自然義務ノ残存スルコトアルヘキカ又羈絆力若クハ時効ノ如キ法律上完全ナル免除ノ推定アルニ拘ハラス猶ホ自然義務ノ存スルコトアルヘキカ是レ以下ニ論明スル所ナリ
第一合意
凡ソ合意ニ因リ法定義務ノ発生スルニハ当事者ノ承諾確定ニシテ各人カ處分権ヲ有スル目的眞実且合法ノ原因並ニ或ル塲合ニ於テハ必要ノ方式ヲ要ス
然ルニ右四箇ノ条件中其一具ハラサルトキハ義務初メヨリ無効ナルモノナリ今ヤ其無効ナル義務モ尚ホ任意上ノ履行アリタルニ因リ自然義務ノ性質ヲ有シタルモノト看做スヲ得ヘキヤ否ヤヲ考究セン
但此点ニ付テハ何レノ塲合ニ於テモ論決ヲ同シウスト云フ可カラス但茲ニ説明スル所ハ二三ノ標準タル原則ニシテ茲ニ仮定スル問題ノミナラス尚ホ以下ニ論及スル諸般ノ問題ヲ断定スルノ指針トモ為ルヘキモノナリ
承諾ノ毫モ存セサルコト明瞭ナルトキハ決シテ契約成立スルコト能ハス之ニ因テ何等ノ義務モ発生セサルモノニシテ縦令任意ノ履行アルモ自然義務スラ猶ホ之ヲ発生セシムルコト能ハス其義務ノ弁済トシテ供與シタル所ノ物ハ自餘ノ不当弁済ノ塲合ニ於ケルカ如ク之ヲ取戻スコトヲ得サル可カラス又縦令其義務ヲ負担スル者特ニ其弁済シタル物ヲ取戻スノ権利ヲ抛棄シタル時ト雖モ猶ホ其抛棄ハ仮装ノ贈與ト看做サルヘク且弁済者贈與ヲ為スノ能力ヲ有スル以上ハ贈與者ト看做サルヘキモ其能力無キトキハ特ニ取戻ノ権利ヲ抛棄スルモ尚ホ其抛棄ニ拘ハラス取戻ヲ行フヲ得ヘシ例ヘハ瘋癲白痴者若クハ童幼知覺精神ヲ回復シ又ハ成年ニ達シタル後徒ラニ名譽ヲ重シスルカ為メニ其合意ヲ履行シタル時ノ如キ任意ノ履行アルニ拘ハラス其履行ヲ取消シ弁済トシテ供與シタル物ヲ取戻スコトヲ得然レトモ合意ノ性質其原因目的若クハ結約者ノ資格ニ関スル錯誤ニ因リ承諾ノ存セサルトキハ右ニ述フル所ト論決ヲ異ニスルコトアルヘシ蓋シ実際ノ概況ニ依ルニ是等ノ塲合ニ於テ眞ニ承諾ノ存セサルニ拘ハラス任意ニテ合意ヲ履行シタル者ハ自ラ錯誤ノ責ヲ帰シ是レヨリ生スル損害ヲ負担セントスルノ意思アリタリト雖定スヘシ又負担物ノ確定セサルニ因リ契約ノ無効タルトキモ亦債務者特定ノ目的物ヲ交附シ債権者之ヲ受諾スルニ於テハ当事者其相互ニ自己ノ過失ニ因リ自ラ招キタル損害ヲ補ハントスルノ意思アリト看做スヘキカ故ニ亦同一ノ論決ヲ下スコトヲ要ス
之ニ反シ合意ノ目的不当ナルカ又ハ当事者ノ處分シ得ヘカラサルモノナルトキハ縦令任意ノ履行アルモ之ヲ有効トスルハ公ケノ秩序ニ背馳スルカ故ニ決シテ其取戻ヲ許ス可カラス又合意ノ原因虚妄ナルト不法ナルトノ塲合ニ於テハ大ニ論決ヲ異ニスル所アリ即チ原因ノ虚妄ナル塲合ニ於テハ錯誤ニ出ツルコトナシトセサルカ故ニ錯誤ノ為メ虚妄ノ原因ニ基キ契約ヲ為シタル者ハ任意ノ履行ヲ為シ以テ其損害ヲ負担スルヲ得ヘシ然レトモ原因ノ不法ナル塲合ニ於テハ之カ為メ弁済シタル所ノ物ノ取戻ヲ必ス認許スルコトヲ要ス但弁済シタル物ノ抛棄アツテ原因ノ不法ナルトキハ此限ニ非サルナリ然レトモ是レ自然義務ノ理論ノ関セサル所ナリ(第三百六十七条第二項ヲ参観スヘシ)
合意ノ成立ニ方式ヲ要スル塲合ニ於テ之ヲ遵守セサリシカ為メ其合意不成立ナル塲合ニ於テハ縦令結約者任意ニテ其合意ヲ履行スルモ尚ホ未タ自然義務アリタリト認ムルコト能ハス何トナレハ法律ノ方式ヲ設ケ以テ保護セント欲シタル当事者ハ合意ヲ履行スル時ニアルモ猶ホ之ヲ取結フ時ニ於ケルト同シク実際其保護ヲ受クルコト能ハサルヘケレハナリ縦令不動産ノ贈與者其贈與ニ必要ナル方式ヲ履行セス次テ其既ニ贈與シタル物ヲ交附シタル時ハ必ス其贈與物ヲ取戻スコトヲ得ヘシ然レトモ贈與者ノ相続人任意ニテ贈與ヲ履行シタル時ハ即チ自然義務ヲ負担シタルモノニシテ其前主ノ意思明カナルニ因リ之ニ從ハンカ為メ自ラ其義務ヲ負担スルコト是レナリ
以上合意ノ全ク初メヨリ無効ナルモ尚ホ数多ノ塲合ニ於テハ自然義務ヲシテ発生セシムルヲ得ヘキコトヲ論明シタリ然ルニ合意ノ全ク無効ナルニ非スシテ当事者ノ無能力若クハ承諾ノ瑕疵ニ因リ單ニ鎖除スルコトヲ得ヘキモノタルトキハ此点ニ関スル論議一層單簡ナルヘシ
此点ニ付テハ先ツ一ノ区別ヲ為スコトヲ要ス即チ結約者其行為ノ鎖除ヲ請求シ結局之ヲ鎖除セシメタル以前ニ在テ之ヲ観察スルトキハ結約者ハ自然義務ヲ負担スルモノニ非ス法定義務ヲ負担スルモノナリ固ヨリ其義務ハ鎖除スルコトヲ得ヘキモノナリト雖モ未タ裁判上又ハ恊議上之ヲ取消ササル以上ハ法定義務ノ名称ト性質トヲ有スルモノナリ但法定義務ノ一旦鎖除シタル後ニ至リ始メテ自然義務ノ存立ヲ認ムルヲ得ヘク其義務ハ任意ノ履行ニ依リ発見スヘシ然レトモ一旦鎖除シタル義務尚ホ自然義務ト為リテ存在スルニ付テハ非難ヲ容ルルモノアラン蓋シ無能力若クハ瑕疵アル承諾ヲ為シタル者ノ義務ヲ鎖除シタル判決アルトキハ縦令自然法ノ羈絆タリトモ猶ホ当事者間ニ之ヲシテ存続セシムルハ羈絆力ノ公ケノ秩序ニ基クノ理ニ背反スルカ如クナレハナリ然レトモ此理由ニ基キ非難ヲ為スハ其当ヲ得タルモノト云フ可カラス羈絆力ノ自然義務トノ関係ニ至テハ下ニ至リ一般ニ之ヲ論究スヘシト雖モ今其自然義務発生ノ妨害タラサル所以ノミヲ弁明セン抑モ法律ヲ以テ無能力者ヲシテ其年齢ノ不足若クハ精神喪失ノ一事ニ因リ其義務ヲ取消スコトヲ得セシムルハ無能力者ハ自己ノ利益ヲ保護スルノ能力不充分ナリト推定スルニ因リ之ニ鎖除ノ権利ヲ附與スルモノナリ又法律ヲ以テ成年者ヲシテ其承諾ニ錯誤若クハ強暴ノ瑕疵アリ又ハ相手方ノ詐欺ノ為メニ害ヲ被リタルニ因リ裁判所ニ於テ其合意ヲ取消スコトヲ得セシムルハ裁判所ニ於テ錯誤若クハ強暴等ノ事実アリタルコトヲ審按認定シタル時ハ法律上又公義上之ヲ以テ義務免除ノ理由ト為スヘシト認メタルカ故ナリ然レトモ是等ノ場合ニ於テ鎖除ヲ認許スルノ理由タル推定ハ之ヲ申立ツルノ利益アル當事者之ヲ抛棄スルヲ得サルカ如キ完全絶對的ノモノニアラス蓋シ其当事者ハ裁判所ニ於テ鎖除ヲ請求セサル時ニ在テ既ニ其鎖除ヲ抛棄スルコトヲ得加之其抛棄ハ明示タルコトヲ要セス訴權ノ時効ノ期間ヲ経過スルヲ以テ尚ホ抛棄アリトナスニ足リ又明示若クハ黙示ノ認諾ヲシテ之ヲ抛棄スルヲ得ルカ故ニ(上第五百五十四条以下ヲ参観スヘシ)其裁判所ニ法律上ノ保護ヲ受ケンコトヲ申立タル後ニ至ルモ尚ホ結局任意ノ履行ヲナシ以テ鎖除ノ利益ヲ抛棄スルヲ得セシムルモ決シテ道理ニ背馳スル所ナシ
第二不當ノ利得
不當ノ利得ニ依リ自然義務ノ發生スル所以ハ合意ニ依リ其発生スル塲合ニ比シ事理一層明瞭ナリ蓋シ不当ノ利得ニ依リ発生スル法定義務ノ基本純然タル公義ニシテ人定法之ニ干渉スルモ唯不当ノ利得即チ正當ノ原因ナク受ケタル利得ハ之ヲ返還セサル可カラサルノ原則ヲ宣言スルカ為メニ過キス(本編第三百六十一条ヲ参観スヘシ)其利得ノ性質及ヒ其多寡ニ至テハ法律ヲ以テ劃然一定スルコト能ハサルモノニシテ必スヤ裁判所ノ査定ニ委セサル可カラス是ヲ以テ利得ヲ受ケタル当事者自ラ進ンテ任意上返還スルハ法律ヲ以テ認定スヘキ所ナルヤ當然ナリ但相手方ニ於テ其返還ノ不足ナルトキ更ラニ残餘ノ分ヲ裁判所ニ請求スルノ権利ヲ行フヲ得ヘシ然レトモ返還ノ請求ヲ棄却シ又ハ之ヲ認定スルモ其数額ヲ指定シタル判決ナルトキハ二箇ノ論定スヘキ問題アリ第一不當ノ利得ヲ得タルモノニ非サルノ判決ヲ受ケ又ハ不当ニ利得シタルモ其数額若干ナリトノ判決ヲ受ケタルモノハ自ラ自然義務アリト称シ判決ヲ以テ定メタル所ヨリ餘分ヲ返還スルノ責アリト自認スルヲ得ヘキカ第二勝訴シタル者ハ裁判所ニ於テ自己ニ附與シタル所ノ物ヲ抛棄シ又ハ其領受シタル物ヲ更ラニ返還スルノ義務アリト自認スルヲ得ヘキカノ二點即チ是ナリ
右二箇ノ塲合ニ於テ自然義務ノ存立スルコトアルハ決シテ疑ヲ容レサルナリ此塲合ニ於テハ上ニ論究シタル塲合ニ於ケルヨリ一層既判力ノ公益ニ関スル所少クシテ唯僅カニ公益ノ関スル所ハ裁判所ニ於テ再ヒ其點ヲ論争スベカラサルノ一點ニアルモ任意ノ履行アリタルトキハ敢テ裁判所ノ干渉アラサルカ故ニ毫モ公益ト衝突スル所ナシ
尚ホ一歩ヲ進メテ之ヲ論センニ贈與ヲナスニ当リ之ニ関スル民法ノ規定ニ準シ且方式ニ適従シタルモ其後受贈者贈與者ガ自己ニ對スル不良ノ念慮ニ出テ又ハ贈與者自身ノ親属ニ對スル憎惡ニ因リ贈與ヲ為シタルコトヲ発見シタルトキハ受贈者冝シク其領受シタル物ヲ返還シ又ハ既ニ之ヲ譲渡シ若クハ單ニ利用シタルトキハ其代價ヲ返還スヘシ此塲合ニ於テハ受贈者ハ更ラニ贈與ヲ為シタルニ非ラズ唯自然義務ヲ履行シタルニ過キスト謂ハサル可カラス
又債権者法律上ノ利息制限ヲ超過シタル填補利息若クハ遲延利息ヲ受取リタルトキハ其全部若クハ一分ヲ任意ニテ返還スルモ決シテ贈與者ト為ルモノニ非ス唯其金銭ヲ利用スルモ巨額ノ利益ヲ得サリシコトヲ知リナカラ貸借ノ填補利息若クハ辨済遲延ノ賠償ノ名義ヲ以テ過当ノ利足ヲ収得スルハ自己ノ良心ニ反スルニ因リ之ヲ返還スルニ外ナラス此塲合ニ於テハ債権者ハ不當ノ利得ヲ得タルモノト自認スルモノニシテ其自然義務ノ原因ハ即チ不当ノ利息ニ在リ蓋シ領受シタル價額ヲ保存スルノ原因アラサルモノハ又之ヲ返還スルノ原因アルモノト云フヘシ
第三不正ノ損害
不正ノ損害アル塲合ニ於ケルモ又不当ノ利得ノ塲合ニ於ケルト同一ノ論決ヲ下スヘク且其理由ニ至テモ亦同一ナリ蓋シ裁判所ニ於テ損害ノ賠償ノ時期判決ヲ為ス以前ニ在テモ尚ホ損害ヲ加ヘタル者ハ自ラ賠償義務アリト自任スルコトヲ得但其賠償ノ不足ナルトキハ更ラニ裁判所之ヲ填補スルノ言渡ヲ受クベキナリ又判決後損害ヲ加ヘタル者却テ勝訴シ又ハ其言渡ヲ受ケタル賠償額ノ些少ナル時モ加害者自ラ其負擔スル所裁判所ニテ言渡シタル所ヨリ一層重シト自認スルコトヲ得又損害ノ賠償ヲ得タル者其實毫モ之ヲ得ルノ権利ナク裁判所誤テ自己ヲ保護シ加之自己ノ巧ミニ訴訟ヲ為シタルニ因リ勝訴シタルニ因リ其賠償ヲ受ケサルコトヲ認ムルコトヲ得蓋シ自己ノ良心ニ考ヘ自然義務ヲ負擔セサルコトヲ欲スル者ヲシテ之ヲ免カルルヲ得セシメズ其執行スル所ハ即チ其相手ニ對スル贈與ナリト云フハ決シテ妥當ナリト云フ可カラス
第四法律
法律ハ元来法定義務ノ原因ト看做サルルモノニシテ自然義務ニ毫モ関係ナキカ如シ然レトモ亦以上論スル所ノ法定義務ノ原因ニ関スルト同一ノ問題ヲ起スコトヲ得即チ第一債務者ハ法律上負擔スル所以外ニ於テ尚ホ自然義務ヲ負擔スト自認スルノ効力アルヘキカ第二債権者モ亦法律上自己ニ附與スル所ノ物ノ全部若クハ一分ヲ返還スルノ自然義務アリト自認スルヲ得ヘキカノ問題是ナリ
此二箇ノ問題ニ付テハ積極説ヲ以テ最モ理アリト認ム但第一問ハ多少詳密ノ論究ヲ要スルモノナリ
法律ハ近親ヲ扶助給養スルノ義務ヲ設クルモノナリ
茲ニ法律上給養スルノ義務ナキ者其親族中他ノ救助ヲ要スル者ニ衣食ヲ給與シタル者アリト假定センニ其人タル縦令前ニ給助ヲ受ケタル者資力ヲ恢復シ冨豪ト為リタル時ト雖トモ尚ホ其嘗テ給與シタル所ノ物ノ取戻シヲ請求スルコトヲ得サルヤ明ナリ論者中其取戻権ナキコトヲ説明スルニ贈與アリタリトノ理由ヲ以テスルモノアリ其論決ハ同一ナレトモ其結果ニ至テハ自然義務ヲ履行シタルニ因リ取戻ナシトスルト大ニ異ナル所アリ第一贈與ハ自然義務ノ履行ニ比シ一層處分スルノ能力大ナルコトヲ要スルモノニシテ且贈與ハ特別ノ原因ニ因リ廃罷スルヲ得ヘキモノナレトモ自然義務ノ免除ニ至テハ同一ノ原因ヲ以テ廃罷スルコト能ハサルナリ
然リト雖トモ右ニ想像スル塲合ニ於テ任意ニテ養料ヲ給附シタルハ贈與ト看做ササルヲ以テ至當ナリト云フヘシ而シテ之ヲ贈與ト看做ササルノ理由ヲ按スルニ養料ヲ供與シタルモノハ固ヨリ貧困ナル親族ヲシテ利益ヲ得セシムルノ念慮ヲ有シタルモノニ非ス又実際之ヲシテ利益ヲ得セシムルモノニ非ス唯其貧苦ヲ救ヒ之ヲシテ痛苦ヲ免カレシメ疾病ニ罹リ衣食ノ不足ニ因リ死ニ瀕スルヲ傍観スルニ忍ヒス之ヲ救護シタルニ過キサルニ因リ其実贈與ヲ為シタルモノニ非スト云フヲ得ヘキモ此理由ヲ以テ養料ノ任意供與ヲ贈與ト看做ササル時ハ遂ニ極メテ遠系ノ親族若クハ姻屬加之他人ニ養料ヲ給附スルモ亦之ヲ贈與ト看做スコト能ハサルカ故ニ此理由ハ前項ノ塲合ニ於テ贈與ヲ認メサルノ真ノ理由タルモノニ非ス其真ノ理由タルモノハ養料ヲ供與シタル者之ヲ受ケタル者ノ近親ニ相續シ而シテ其親族生存セシナラハ養料ヲ供與スヘキノ法定義務ヲ負擔スヘキヲ以テ之ニ代リ其義務ヲ盡シ即チ一ノ自然義務ヲ履行シタルモノト自認スルヲ得ルニ在リ
第二問ノ論決モ亦簡易ニ之ヲ説明スルヲ得ルモノナリ蓋シ法律ノ規定ニ基キ養料ヲ受取リタル親族自ラ之ヲ返還スルノ自然義務アリト認メ之ヲ返還スルヲ得
蓋シ養料ヲ受取リタル者其養料ヲ乞フノ必要アルニ至リタルハ自己ノ過失ニ因リタルコトヲ認ムルコトアルヘシ此塲合ニ於テ養料ヲ受ケタル者之ヲ返還スルハ即チ其過失ニ依リ起リタル損害ヲ賠償スルモノナリ又養料ヲ請求シ之ヲ受取リタルモ唯後日之ヲ返還スルヲ得ルニ至リタル時ハ之ヲ返還スヘキノ意思ヲ以テ豫メ之ヲ受取リ而シテ其意思ヲ顕表セサリシコトアルヘシ又曩キニ養料ヲ與ヘタル者ノ資産却テ傾倒シ養料ヲ受ケタル者冨裕トナリタルニ因リ嘗テ受取タル養料ヲ返還スルコトアルヘシ是等ノ塲合ニ於テ養料ヲ受取リタルモノ之ヲ返還スルモ自然義務ヲ履行シタルニ外ナラス
前既ニ述ヘタル如ク法定義務ノ消滅ノ原因アルモ尚ホ自然義務ノ残存スル塲合アリ今義務ノ消滅原因アルモ尚ホ自然義務ノ存スルコトアルハ如何ナル塲合ニ在ルカヲ概論セン
第一辨済ハ法定義務ノ消滅ノ原因中最モ普通單簡ノモノニシテ債務者ヲシテ之ニ對シ要求スルヲ得ヘキ所ノ者ニ就キ義務ヲ免カレシムルモノナリ然ルニ公義ニ照シ自ラ顧ミル時ハ債務者債権者ノ適法ナル證據ヲ有スル義務以外ニ於テ尚ホ負擔スル所アリト認ムルヲ得ルコトアルヘシ即チ其債権者其証據ヲ擧ケテ請求スルヲ得ヘキ所ノ部分以外ニ就テハ債務者辨済後ニ至リ尚ホ自然義務ヲ負擔スト自認スルコトヲ得
第二更改ニ因ル消滅ニモ亦同一ノ理論ヲ適用スルコトヲ得即チ債務者ハ更改ノ為メ却テ非常ノ利益ヲ得真ニ旧債務ヲ辨済シ盡シタルコトナシト認ムルヲ得
第三債務ノ免除ニ至テモ無償ナルトキハ債務者自餘ノ消滅原因ニ因リ義務ヲ免カレタル塲合ニ付キ既ニ述ヘタル如ク自ラ良心ニ反シ更ラニ辨済ヲ為スコトヲ得ルヤ明ニシテ又其免除ノ有償ナリシ時ハ辨済并ニ更改ノ塲合ニ付キ前段ニ論明シタルト同一ノ推論ヲ為スコトヲ得
第四相殺ハ辨濟ノ簡便法ニ過キスシテ又眞ニ辨済ト同シク其後ニ至リ自然義務ノ残存スルコトヲ妨クルモノニ非サルヤ明カナリ
第五混同ニ至テハ右述フル所ニ反シ自然義務ヲシテ残存セシメサルモノナリ何トナレハ混同アルヤ一人ニテ同一ノ債務ニ関シ債権者ト債務者トノ二個ノ資格ヲ並有スルニ至ルガ故ナリ実ニ人自己ニ對シ義務ヲ負擔スルコト能ハサルハ人定法ニ依ルモ自然法ニ依ルモ同一ナリ
第六負擔物ノ滅失即チ履行ノ不能モ亦自然義務ヲ存スルコトアルモノナリ何トナレハ債務者法律若クハ債権者ノ之ヲ待スルヨリ却テ自ラ處スルコト嚴ニシテ履行不能ニ至リタルハ自己ノ過失ニ出テタルモノト認ムルヲ得ヘケレハナリ
第七鎖除訴権行ハルルモ尚ホ自然義務ノ残存スルコトアルハ前節ニ於テ既ニ説明シタル所ナリ
第八廃罷訴権及ヒ解除訴権モ亦鎖除訴権ニ於ケルト同一ノ理由ニ因リ同一ノ効力ヲ生スヘキモノナリ
第九時効ハ法定義務ヲ直接ニ消滅スルノ原因タルモノニ非ルモ法律上義務免除ノ推定タルモノニシテ時効ノ成就後尚ホ自然義務ノ存スルコトアルヘキヤ明カナリ
以上論究シタル数多ノ塲合ニ於テハ自然義務残存スト云フヲ以テ既ニ消滅原因更ラニ自然義務ノ原因タルモノニ非ス残存スル所ノ自然義務義務ハ当初法定義務ヲシテ発生セシメタル事実ヲ以テ原因ト為スモノタルコト瞭然ナリ
以上自然義務ノ原因ヲ攻究スルカ為メ述ヘタル所ニ依テ見レハ法定義務ノ原因ハ又悉ク自然義務ノ原因タルガ如シ去レハ右ニ述フル所ノ原因ハ法律家ノ通常掲出スル所ノ原因ニ比スレハ其数一層多シ然レトモ尚ホ二個ノ原因ニシテ一般ニ論者ノ自然義務ノ原因ナリト認ムル所ノモノニシテ右ノ列記ニ洩レタルモノアリ
論者曰ク裁判所ニ於テ勝訴シタル者例ヘハ債務者ニ非ストノ判決ヲ受ケ又ハ債務者タルモ若干ノ金銭ヲ負擔スルニ過キストノ判決ヲ受ケタル者ハ判決ヲ以テ言渡サレタル数額以外ニ辨済スルモ其辨済有效ニシテ自然義務ヲ辨済シタルモノト看做サルルニ因リ決シテ不當ノ辨済ヲ為シタリト称シ之ヲ取戻スコトヲ得スト云ヘリ
論者又曰ク裁判所ニ於テ時効ノ利益ヲ申立テ遂ニ義務免除ノ判決ヲ受ケタル者モ尓後其旧債務ノ全部若クハ一分ヲ辨済シタル時ハ均ク自然義務ヲ辨済シタルモノト看做スヘシト
右二個ノ論決タル真ニ其當ヲ得タルモノニシテ今其理由ヲ説明センニ抑此二個ノ論決タル其実之ヲ一箇ニ帰スルコトヲ得ルモノナリ何トナレハ第二ノ塲合ニ於テ自然義務ノ残存ノ妨害タルニ似タルモノハ時効ニ非スシテ既判力ナレハナリ其反對ニシテ既判力ノ存セサルハ債務者裁判外ノ行為ヲ以テ時効ヲ申立債権者ヲシテ既ニ時効ノ成就シタルコトヲ裁判外ノ行為ニ因リ認メシメタルコトヲ想像スヘシ而シテ其塲合ニ於テハ論點ノ趣ヲ異ニシ曩キニ断定シタル問題即チ債務者法定義務ヲ免除シタルノ適法ナル証據ヲ有スル時尚ホ自然義務ヲ負擔スルコトアルヘキヤ否ヤノ問題ニ帰着スルモノナリ
此問題ニ對シテハ曩キニ積極ノ論決ヲ下シタリ今ヤ債務者義務免除ノ確実ナル三箇ノ方法即チ既判力裁判上認定ヲ経タル時効及ヒ債務者ノ受取證ヲ有スル塲合ヲ想像シ尚ホ自然義務ノ残存スルヤ否ヤヲ研究セン
第一既判力
既判力ハ真正ト推定セラルルノ原則ハ効力極メテ大ナルモノナリ蓋シ既判力ハ所謂完全ナル推定即チ反證ヲ容レサル推定ノ一ニシテ債務者一旦裁判上勝訴シタル時ハ決シテ間接タルト直接タルトヲ問ハス再ヒ同一ノ債務ニ就キ請求ヲ受クルコトナキモノナリ是レ既判力ハ公ノ秩序ニ基クモノニシテ一旦判決ヲ経タル事件ヲ再ヒ裁判所ニ之ヲ提出スルヲ許ス可カラサルカ故ナリ然リト雖トモ裁判所ト雖トモ亦事実ノ判定ニ就テハ錯誤スルコトナシトセス殊ニ當事者巧計ヲ運ラシ又ハ曲直ヲ断定スヘキ證據ヲ有益ナル時期ニ援出セサリシ時ニ於テハ裁判所ノ錯誤スルコト決シテ尠シト言フ可カラス是ヲ以テ或ル塲合ニ於テハ既判力ヲ有スルニ至リタル判決ヲ取消スカ為メ再審ナル非常ノ上訴方法ヲ設ケタリ
然レトモ此塲合タル今茲ニ論定スルヲ要スルモノニ非ス蓋シ此塲合ニ於テハ自然義務残存スルニ非スシテ法定義務ノ存續スルモノナリ
故ニ茲ニ想像スル所ハ債務者判決ニ依リ義務ナキコトヲ認メラレタル債権者ハ判決ニ對シ何等ノ勝訴方法ヲモ有セサルニ当リ債務者任意ニテ其強制執行ヲ請求セラルルコト無キ債務ヲ辨済シタル塲合ナリ此塲合ニ於テハ其辨済有効ニシテ債務者ハ裁判所ノ偶々錯誤シタルコトヲ認メ之ニ依テ利益ヲ僥倖スルコトヲ欲セサルノ意ヲ示シタルモノト云フヘシ羅馬法ノ如キハ大ニ既判力ニ関スル原則ヲ詳密ニ適用シタリシカ判決ヲ以テ被告ニ債務ナキコトヲ認メタルモ尚ホ自然義務残存スルコトアルヲ認メ被告任意ニテ之ヲ辨濟シタル時ハ其被告ハ真ノ債務者タルモノナリト称シタリ
第二時効
時効ハ義務免除ノ直接ノ方法ニ非スシテ通常ノ消滅法ノ一ニ依リ義務免除アリタリトノ法律上ノ推定ニ過キサルコトハ屢々説明シタル所ナリ而シテ時効ハ債務者ヲシテ二個ノ利益ヲ得セシムルモノナリ第一債務者債務ノ要求スルヲ得ヘキモノトナリタルヨリ以後經過シタル時間ヲ証明スルノミニ止リ他ノ証據ヲ擧クルニ及ハスシテ時効ノ利益ヲ申立ツルコトヲ得第二時効時効ニ於ケル義務免除ノ推定ハ完全ニシテ反證ヲ容レサルコト恰モ既判力ニ於ケルカ如ク債務者ハ如何ナル方法ヲ以テスルモ決シテ義務ノ消滅アラサルコトヲ証明スルヲ得サルモノトス然レトモ債務者一旦時効ヲ申立其利益ヲ得タル後更ラニ任意ニテ其債務ヲ辨済シタル時ハ之ヲシテ其辨済シタル所ノ物ノ取戻ヲ行フヲ得セシム可カラス債務者旧債権者ニ贈與ヲ為シタリト云フハ其當ヲ得タルモノニ非ス故ニ辨済者ハ真ニ債務者タルカ故ニ辨済ヲ為シタルモノトス
第三受取證
債権者自ラ受取證ヲ作リ以テ義務消滅ノ証據ヲ與ヘタル時ハ其証書公正ナルカ又ハ私署ナルモ債権者敢テ其真偽ヲ争ハサル時ハ既判力及ヒ時効ト同シク完全ナル證據ナリトス然レトモ債務者債権者ノ受取証書ヲ利用シ同一ノ債務ニ関シ一切ノ請求ヲ排斥シタル後尚ホ其良心ニ考ヘ公義ニ照シ未タ悉ササル所アリト信シ任意ニテ辨済ヲ為ス時ハ又贈與ヲ為シタルモノニ非スシテ自然義務ヲ履行シタルモノト看做サルヘシ
以上三個ノ塲合ニ於テハ法定義務消滅ノ自餘ノ證據アル塲合ニ於ケルカ如ク従来存シタル所ノ原因以外ニ於テ別ニ自然義務ノ原因タルモノアリト云フ可カラス自然義務ハ必ス前ニ掲ケタル三箇ノ原因即チ合意不當ノ利得又ハ不正ノ損害ノ一ニ起因スルモノナリ但義務消滅アリタリトノ証據ニ對シ任意辨済ナル事実ナル反證アリテ消滅ノ証據ヲ覆シタルニ過キスト云フヘシ
尚ホ自然義務ノ成否ニ関シ冝シク研究スヘキ一問題アリ即チ賭事若クハ博戯ヨリ生スル債務ハ自然義務タリト看做スヘキヤ否ヤノ點是ナリ蓋シ賭事若クハ博戯ヨリ生シタル債務ノ辨済ヲ得ルカ為メ裁判所ニ訴権ヲ行フハ人定法ノ全ク債権者ニ許ササル所ナリ然レトモ又既ニ賭博ニ因リ負擔シタル債務ヲ辨済シタル者ハ之ヲ取戻スコトヲ許サス
論者概ネ此塲合ニ於テハ尚ホ自然義務アリト称スト雖トモ其説タル偏ヘニ排斥セサル可カラサルモノナリ蓋シ賭事及ヒ博戯ヲ好ムノ念慮ヨリ不良ノ結果ヲ生スルコトハ敢テ争フ可カラサル所ニシテ殊ニ之ヲ論スルハ道徳ニ範囲ニ属スルカ故ニ暫ク之ヲ措キ又賭博ノ為メ元本ヲ蕩盡シ之ヲ消費スルモ更ラニ増殖スル所ナキカ為メ経済上不可ナル結果ヲ生スルコトモ又辯ヲ俟タサル所ニシテ是等ノ點ハ法律ノ範囲外ニ在ルヲ以テ假リニ之ヲ措テ論セサルモ賭博ニ原因スル債務ハ合法ノ原因ヲ有セス而シテ其原因ノ不良ナルハ當事者双方ニアルガ故ニ既ニ此理由ニ因リ全ク無効ナリト云フヘシ勿論該債務ノ辨済ハ不當ナリトシテ取戻ヲ為スコト能ハス原因ナキ通常ノ辨済ト異ナリト雖トモ其取戻ヲ許ササル所以ハ元来事実ノ道徳ニ反スルカ故ニ裁判所ヲシテ輸者ノ為メ又ハ贏者ノ為メ賭博ノ合意ヲ認定セシム可カラサルニ因ル蓋シ此塲合タル品行不良ナル婦女ニ諾約ヲ為シタル塲合ニ於ケルト毫モ異ナルコトナク辨済ヲ請求スルノ訴権ヲ生ス可カラサルモ亦辨済ヲ為シタルモノハ之ヲ取戻スコトヲ得可カラス是ヲ以テ賭博ヲ原因トスル債務ハ他ノ自然義務タルモノト云フ可カラス此問題ノ実際ニ及ホス利益ニ至テハ次款ニ説明スヘシ
第三款 自然義務ノ効力
前諸款ニ於テハ自然義務ノ効力ノ一即チ債務者ノ任意ニテ為シタル辨済ノ有効詞ヲ換ヘテ之ヲ言ヘハ不当辨済ノ取戻ノ不認可ノコトヲ述ヘタルノミ
然リ而シテ債務者任意ニテ自然義務ヲ履行スルモ其是ヨリ生スル効力ニ至テハ第五百五十六条ニ説明シタル如ク鎖除スルヲ得ヘキ法定義務ノ黙示ノ認諾ヲ構成スル履行ト同一ナラス今其間ニ存スル差異ヲシテ充分明瞭ナラシメンカ為メニハ單ニ一分ノ履行アリタルコトヲ想像シテ論明スルヲ冝シトス蓋シ鎖除スルコトヲ得ヘキ法定義務ヲ認諾シタル塲合ニ於テハ其認諾ハ義務全部ニ効力ヲ及ホスモノニシテ其義務ニ附着シタリシ瑕疵ハ完全ノ意思ニ因リ掃蕩シ了ルモノトス之ニ反シ一分ノ辨済ヲ以テ自然義務ヲ発表スルモ其発表スル所ハ辨済アリタル所ノ物ノ限度ヲ超ヘサルモノトス故ニ其残分ニ至テハ之ヲ辨済スルト否ト一ニ債務者自ラ主宰トナリ偏ヘニ其将来ノ意思ニ放任スルモノトス
然リト雖トモ亦辨済取戻シノ拒絶ノミヲ以テ一ニ公義上及ヒ道理上自然義務ニ付スルヲ得ヘキ効力ナリト云フ可カラス尚ホ自然義務ニハ其他ノ効力アリテ本法之ヲ認定シタリ
羅馬法ニ於テハ法定義務ヲ認ムルコト甚タ難カリシニ因リ自然義務ノ存スルコト愈々多クシテ其過半ハ至大ノ効力ヲ有シタリ即チ債権者ハ法定義務ノ辨済ノ訴追ヲ被リタルニ當リ自然義務ヲ以テ相殺ノ方法ト為スコトヲ得依テ以テ自ラ自然義務ノ強制辨済ヲ認ムルヲ得タリ然レトモ此効力タル現時ニ至テハ決シテ認容ス可カラサルモノニシテ未タ曽テ之ヲ主張シタル者アルヲ聞カス然レトモ此他往昔羅馬法ニ於テ認メラレタル効力中尚ホ現時ニ至ルモ亦同シク認容スルヲ得ヘキモノ頗ル多シ但主要ノ條件トスル所ハ其効力総テ債務者ノ任意ノ行為又ハ債務者ニ代ハリ之ヲ為ス所ノ第三者ノ任意ノ行為ニ出ツルニ在リ
是ヲ以テ債務者ハ其自然義務ノ任意ノ辨済ヲ為サスシテ其明白ナル認諾ヲ為スコトヲ得而シテ其辨済ノ為メ期限ヲ指定スルト否トヲ問ハサルナリ蓋シ債務者其良心ニ考ヘ公義ニ照ラシ義務ヲ負擔スルモ現ニ之ヲ履行スルニ必要ナル金銭ヲ有セサルヲ以テ適法ナル行為ニ因リ法定義務ヲ負擔スルヲ得ヘキヤ自明ノ理ニシテ敢テ之ヲ禁スルノ理由ヲ見サルナリ
是ヲ以テ本法此効力ヲ以テ自然義務ニ附シ尚ホ以下ニ説明スル所ノ効力ヲ認メタリ
學者概ネ自然義務モ亦更改ノ基本タルヲ得ヘク詳カニ之ヲ言ヘハ自然義務ヲ負擔スル者又ハ第三者ノ新義務ノ基本タルヲ得ヘク而シテ其新義務ハ法定義務タルニ必要ナル條件ヲ具備スル以上ハ法定ノ義務ニシテ其原因自然義務ノ消滅ニ在ルコト恰モ自餘ノ塲合ニ於テ更改ノ原因旧法定ノ義務ノ消滅ニ在ルカ如シト云ヘリ本法亦自然義務ヲ以テ更改ノ基本ト為スヲ得ルコトハ既ニ之ヲ認定シタリシカ故ニ更ラニ茲ニ再説スルノ煩ヲ省ク(本篇第四百九十四条第三項ヲ参観スヘシ)
自然義務ハ第三者ノ保証ノ目的又ハ債務者若クハ第三者ヨリ物上擔保ヲ附與スル合意ノ目的タルヲ得ヘキカ此問題ニ付テハ本法既ニ一ノ塲合ニ於テ明ニ積極主義ヲ採リタリ未成年者ノ鎖除スルヲ得ヘキ義務アル塲合即チ是ナリ而シテ未成年者ノ義務ヲ保證シ又ハ之カ為メ物上擔保ヲ供スルヲ得ルハ啻ニ其債務ノ未タ裁判所ノ鎖除スル所トナラス其債務猶ホ法定ノモノタル塲合ニ於ケルノミナラス又既ニ裁判所ニ於テ其鎖除ヲ言渡シタル後ニ在ルコトヲ得蓋シ義務鎖除前ニ其後日鎖除スヘキ塲合ヲ豫想シテ之ヲ保證シタルトキハ其保證義務ハ法定義務ノ消滅シ自然義務ノ残存スルニ当リ之ト共ニ存立シ之ヲ擔保スルノ趣意ニ出テタルモノナルコト多辯ヲ要セサルナリ然ラハ則チ法定義務ノ既ニ消滅シタル後ニ至ルモ尚ホ残存スル所ノ自然義務ヲ保証スルニ於テ毫モ障害アルコトヲ見ス保証人ハ必ス事実ヲ承知シテ義務ヲ負擔スルモノナルヘキカ故ニ其自然義務ヲ保証シ自ラ義務ヲ負擔スルノ意思充分明瞭ナリ前段ニ鎖除シタル債務ノ保証ニ関シ説明スル所ハ亦債務ノ法定上初メヨリ無効ナルモ其法定ノ無効自然義務ノ存立ト矛盾セサル所ノ塲合ニ於テハ亦其債務ノ保證ニ適スヘキモノナリ
以上論明スル塲合ニ於テハ保証義務アルニ因リ更ラニ一箇ノ論点ヲ生セシム其保証義務ヲ有効ナリトスル以上ハ主タル債務者ノ自然義務ヲ(自己ノ法定義務ニ基キ)辨済シタル保証人ハ主タル債務者ニ對シ求償権ヲ有スヘキヤ否ヤノ問題即チ是ナリ此問題ヲ断定スルニ就テハ須ラク一ノ区別ヲ為スコトヲ要ス即チ通常ノ保証ヲ約スル塲合ニ於テ最モ多ク見ル如ク保証人債務者ノ委任ニ因リ義務ヲ負擔シタルトキハ之ニ對シ通常代理人ノ要償訴権ヲ有スヘシ然レトモ保証人債務者ノ委任ヲ受ケタルニ非ス事務管理者トシテ任意ニテ義務ヲ負擔シタルトキハ債務者ニ對シ求償権ヲ有スヘシ何トナレハ事務管理者ハ其有益ニ支出シタル費用即チ其本主ヲシテ自ラ指示スルコトヲ免カレシメタル費用ニ對スルノ外返還ノ訴権ヲ有セサルニ自然義務ノ辨済ノ塲合ニ於テハ本主果シテ其任意ノ辨済ヲ為シタル可キノ証據アラサレハナリ尚ホ此他債務者ノ委任ニ基ツキ約シタル保証ト任意ノ保証トノ間ニハ一ノ差異ノ存スルモノアリ其債務者ノ委任ニ基ツキタル塲合ニ於テハ債務者ノ委任ハ其自然義務ハ任意ノ認諾ト看做スコトヲ得ヘキモ保証人自ラ好ンテ保証ヲ為シタル塲合ニ於テハ決シテ債務者其自然義務ヲ任意ニテ認諾シタルモノト看做ス可カラス
第三者他人ノ自然義務ヲ辨済シタル塲合ニ於テモ亦右ノ論決ヲ適用スルコトヲ要ス
又自然義務ノ為メ物上擔保(質若クハ抵當)ノ供與アリタル塲合ニ於テモ亦同一ノ理由ニ依リ以上ノ区別ニ隨ヒ同一ノ論決ヲ適用スヘシ詳カニ之ヲ言ヘハ第三者債務者ノ委任ニ基キ擔保ヲ供シタルトキハ債務者ノ委任ヲ為シタル一事ニ依リ其債務ノ認諾アリタルモノニシテ第三者訴追ヲ被リタルトキハ債務者ニ對シ求償権ヲ有スヘシ然レトモ債務者ノ委任ナクシテ擔保ヲ供シタルニ過キサルトキハ第三者辨済ヲ為スモ為メニ求償権ヲ有スルコトナシ又債務者ハ自ラ保證スルコト能ハサルモ其自己ノ財産ヲ以テ其自然義務ノ物上擔保ト為スコトヲ得但此塲合ニ於テハ債務者ハ其自然義務ノ辨済ニ充テタル財産上義務ヲ負擔スルニ過キスシテ自餘ノ財産ニ付キ之ヲ負擔スルコトナシ蓋シ質権若クハ抵當権ノ設定ヲナシ任意上ノ認諾ヲ為シタルトキハ其認諾ノ効ハ抵當財産ノ價格ニ限ルモノナリ
自然義務ハ固ヨリ裁判所ニ於テ訴訟ノ目的ト為スコトヲ得スト雖トモ當事者ノ恊儀ヲ以テスルトキハ仲裁裁判ニ付スルコトヲ得ヘキカ本法ハ此問題ニ付キ積極主義ヲ採リタリ蓋シ自然義務ヲ負擔スルモノナリト称セラレタル者仲裁人ヲシテ其債務ヲ裁定セシメ詳カニ之ヲ言ヘハ純然タル私判事ヲシテ其債務ノ存否ヲ判定セシムヘキコトヲ承諾シタルトキハ未タ其債務ヲ認諾シタルモノニ非サレトモ亦全ク之ヲ否認シタルモノニ非ス何トナレハ其債務ヲ全ク否認スルトキハ此事ニ付キ決シテ訴追ヲ受クルノ憂ナキカ故ニ敢テ之ヲ仲裁裁判ニ委スルノ理由アラサレハナリ是ヲ以テ債務者ナリト称セラレタル者ハ仲裁人真ニ其債務ノ成立ヲ認ムヘキトキハ亦自ラ其債務ヲ認諾スヘシト云フニ外ナラス其認諾ハ條件付ノモノナリト言ハサル可カラス但通常仲裁裁判アル塲合ニ異ナル所ハ自然義務ノ仲裁裁判アリタルトキハ其決定ニ對シ通常裁判所ニ上訴スルコト能ハス唯當事者ノ恊議ヲ以テ他ノ仲裁人ヲシテ再ヒ其事件ヲ審理セシムルヲ得ルノミ前款ニ於テ賭博ノ債務果シテ自然義務ナルヤ否ヤノ問題ヨリ生スル実際ノ利益ヲ本款ニ於テ之ヲ説明スヘキコトヲ云ヘリ今此點ヲ説明センニ曩キニ述ヘタル如ク賭博ノ債務ナルモノハ元来自然義務ノ性質ヲ有スルモノニ非ス只其任意ノ弁済ヲ取戻スコトヲ得サルハ其債務自然義務ニ非サルカ故ニ非スシテ全ク他ノ理由ニ基クモノナリ夫レ然リ賭博ノ債務ハ自然義務ニ非サルカ故ニ自然義務ノ効力ヲ生スルモノニ非ス是ヲ以テ其認諾ヲ為スモ更ラニ義務ヲ生スルコトナク又之ヲ以テ更改ノ基本ト為スコト能ハス又保証質若クハ擔保ヲ付シ又仲裁裁判ニ付スルコト能ハサルモノナリ唯動産質ニ至テハ任意上債務ノ弁済ニ供スル動産物ノ現実ノ引渡ニ依リ成立スルカ故ニ恰モ賭博者豫メ賭物ヲ供シタルトキト同一ナルヘキカ如クナルヲ以テ其弁済ヲ取戻スコトヲ得スト云フモノアラン然レトモ現ニ賭物ヲ供與シタルト質物ヲ供與シタルトハ決シテ其趣ヲ同フスルモノニ非ス蓋シ賭物ヲ供與シタルトキハ即チ豫メ條件附ノ弁済ヲ為シタルカ為メニシテ此理由ニ因リ決シテ裁判所ノ干渉ヲ来スヘキモノニ非ス然レトモ質ニ至テハ直接ニ弁済物トシテ單ニ債権者ヲシテ之ヲ保有セシムルモノニ非ス尚ホ裁判上ノ競賣ニ付スルコトヲ要スルモノナルカ故ニ質権ヲ有効トセサルトキハ遂ニ法律ノ防止セント欲シタル所ノ風俗壊乱ノ結果ヲ生スルニ至ルヘシ故ニ賭博ノ債務ヲ擔保スルニ動産質ヲ以テシタルトキト雖トモ猶ホ何等ノ効力ヲモ生スルモノニ非ス
自然義務債権者間又ハ債務者間連帯若クハ不可分タルヲ得ヘキヤ否ヤノ問題ハ未タ論者ノ之ヲ考究シタルモノヲ見スト雖トモ法定上初メヨリ無効ナルカ鎖除セラレタルカ又ハ其他ノ原因ニ因リ消滅シタルモノ曽テ連帶若クハ不可分ニシテ是ヨリ自然義務ノ発生シタル塲合ニ於テハ此問題ノ生スルコトナシトセス今此問題ヲ論定スルニ當テハ任意ノ認諾ニ因リ自然義務ノ発見シタルコトヲ想像スヘシ何トナレハ債務者ノ一人若クハ数人任意ニテ其債務ヲ履行シタルトキハ自然義務ヲ顕表シタル履行アルヤ直チニ其債務消滅スルカ故ニ其果シテ連帶若クハ不可分タルヤ否ヤヲ論スルノ利益アラサレハナリ蓋シ債務者ノ一人若クハ数人弁済ヲ為スモ自餘ノ者自己ノ為メニ弁済ヲ為スヘキノ委任ヲ為ササリシトキハ之ニ對シ求償権ヲ行フコト能ハサルヘシ但数人ノ連帶債権者アリタル塲合ニ於テ其一人ニ對シ任意ノ履行アリタルトキハ弁済ヲ受ケタル債権者ハ曽テ働キ方ノ連帶アリタルニ基キ自餘ノ債権者ニ其弁済ヲ分與スヘキヤ否ヤノ問題生スヘシ此問題ニ付テハ積極的ノ判定ヲ為スヲ以テ條理公義ニ適スルモノト云フヘシ然レトモ債務者弁済ヲ為スニ當リ明カニ債権者ノ「一人ノ部分」ノミヲ弁済スルニ過キサルコトヲ明言シ且其弁済却テ其債権者ノ部分ニ等シキトキハ此限ニ非サルナリ
然ルニ單ニ自然義務ノ認諾アルニ止リタルトキハ其認諾債務者ノ一人ノ為ス所ニシテ自餘ノ者ノ委任ニ基カサルニ於テハ認諾ヲ為シタル債務者ノミヲシテ法定義務ヲ負担セシムルニ過キスト雖トモ総債務者若クハ数名ノ債務者認諾ヲ為シタルニ於テハ其債務者ハ曽テ負擔シタル所ノ債務ヲシテ其伴フタル連帶ノ性質ヲ帶ヒテ再生セシメントノ意思アリタリト推定スルヲ至當トス
又初メ数箇ノ連帶債権者アリテ之ニ對スル第一ノ債務者債権者ノ一人ノミニ對シ認諾ヲ為シタルトキハ上段ニ述ヘタル区別ニ従ヒ或ハ自餘ノ債権者ニ認諾ノ利益ヲ得セシメ或ハ之ヲ得セシメサルヘシ
働方若クハ受方ノ不可分義務ニ付テモ亦以上述ヘタル所ヲ適用スヘシト雖トモ其適用ニ付テハ少シク注意ヲ要スヘキモノアリ此點ニ付テハ冝シク不可分義務ノ説明ヲ参照スヘシ
第四款 自然義務ノ消滅
茲ニ自然義務ヲ論明スルニ付キ法定義務ニ関スルト同一ノ順序ニ依リタルヲ以テ二者ノ對較ヲ全フセンカ為メ自然義務消滅ノ原因如何ヲ略説セン
第一任意ノ弁済ハ実際弁済アリタル数額ヲ限リ自然義務ヲ消滅スルモノニ過キサルヤ敢テ言ヲ俟タス蓋シ任意ノ弁済ハ自然義務ヲシテ顕出セシムルヤ即時之ヲシテ消滅セシムル奇異ナル効力ヲ有スルモノナリ此消滅方法ニ付テハ既ニ屡々説明シタル所アルヲ以テ更ラニ茲ニ説明ヲ重ヌルヲ要セス
唯須ラク茲ニ断定スヘキ一點アリ即チ第三者ノ代理人タルト否トヲ問ハス自然義務ヲ弁済シタルトキハ之カ為メ法律上若クハ合為上ノ代位行ハルヘキヤ否ヤノ問題即チ是ナリ抑々債権者ハ訴権若クハ抗辯ヲ以テ行使スルヲ得ヘキ権利ヲ有セサルカ故ニ第三者代位ヲ得ルトスルモ之カ為メ債権者ノ権利ヲ行フコト能ハス然レトモ塲合ニ因リ法律上若クハ合為上ノ代位アリト認ムルモ決シテ不可ナルコトナク且実際利益ヲ生スルコトアルヘシ蓋シ第三者代位ヲ得ルモノトスルトキハ債権者弁済ヲ受クルノ僥倖アリタルト同シク亦自己ノ弁済ヲ受クルノ僥倖ヲ得ルコトナシトセス就中債務者後日第三者ニ弁済ヲ為ストキハ第三者ハ不當ノ弁済ヲ領受シタルモノニ非スシテ其取戻ヲ受クルコトナク又債務者債務ヲ認諾シ更改ヲナシ又ハ物上若クハ對人ノ擔保ヲ供與シタルトキハ第三者之カ利益ヲ受クルコトヲ得ヘシ
第二更改モ亦自然義務ノ消滅ノ方法ナリ蓋シ自然義務モ亦更改ノ基因タルヲ得ヘキモノト為ス以上ハ自ラ其結果トシテ法定義務発生スルモ亦自然義務ノ消滅スルモノトス
第三自然義務ノ免除ハ皮相視スレハ何等ノ効力ヲモ生スヘカラサルモノノ如シ何トナレハ法定義務ノ免除ヲ得タル債務者猶ホ自然義務アリト自認スルヲ得ル以上ハ債権者之ニ自然義務ヲ免除スヘキコトヲ陳述スルモ尚ホ債務者自ラ其自然義務ヲ免カレサルコトヲ認ムルヲ得ヘキカ如クナレハナリ然レトモ合意上自然義務ノ免除ヲ為シタルトキハ其自然義務消滅シタリト謂ハサル可カラス即チ債権者ハ結局一切ノ権利ヲ擧ケテ之ヲ抛棄シ自然義務ノ存スルモ尚ホ之ヲ抛棄スヘキコトヲ約シタルモノニシテ最早何等ノ権利ヲモ保有セサルモノナリ故ニ旧債務者弁済ノ名義ヲ以テ其債務ニ付キ供與スル所アルトキハ即チ不當ノ弁済ヲ為シタルモノニシテ之ヲ取戻スコトヲ得ヘキヤ明カナリ
第四法律上ノ相殺ハ自然義務ノ間ニ行ハルコト能ハス蓋シ自然義務ニ付キ法律上ノ相殺行ハルルハ数多ノ理由ノ之ニ反スルモノアリ其最モ單簡ナルモノヲ云ヘハ自然義務ハ要求スルヲ得ヘキ條件ヲ具備セサルニ因リ法律上ノ相殺ニ必要ナル條件ヲ缺クモノトス之ニ反シ合為上ノ相殺ニ至テハ自然義務ニ付キ適用スルヲ得ヘキモ亦之ニ基ツク債務ノ消滅ハ不確然ニシテ債務者ノ一人自ラ未タ充分義務ヲ免カレサルモノト認メ其自然義務ノ全部若クハ一分ヲ更ラニ弁済スルヲ得ヘシ
當事者ノ一方ニ法定ノ義務アリ他ノ一方ニ自然義務アルトキハ法定義務ノ債務者ハ其自然債權ノ總債ヲ對抗スルヲ得ザルヤ明ラカナリ何トナレバ其債權タル要求スルヲ得サルノミナラス其總債ヲ許ストキハ曩キニ論明シタル如ク總債ヲ口實トシテ強制ノ辨濟ヲ得ルニ至リ自然義務ノ理論ニ悖ルヘケレバナリ然レトモ自然義務ノ債務者ハ自己ノ自然義務ト其法定ノ債権トノ任意相殺ヲ申立ツルコトヲ得而シテ其相殺ヲ申立ツル行為ハ法定義務ノ免除ノ性質ヲ有スルモノナリ然レトモ是レ有償權原ノ免除ニシテ贈與ノ規則ヲ之ニ適用スベキニ在ラス
第五混同ニ至テハ自然義務ヲシテ全然消滅セシムルモノナリ何トナレハ人自己ニ對シ義務ヲ負擔スルコトヲ得サルハ自然義務ニ於ケルト法定義務ニ於ケルトヲ問ハサレハナリ
第六凡ソ自然義務ハ決シテ特定物ヲ目的トシ其滅失ニ依リ債務者ヲシテ義務ヲ免カレシムルモノナリト謂フ可カラス然レトモ自然義務ノ目的作為ニ在リテ其作為ノ成就債務者ノ意思意外ノ原因ニ依リ不能為トナルコトナシトセス然リト雖モ此塲合ニ於ケルモ亦自然義務消滅シタリト謂フコト能ハス蓋シ履行不能為ニ因リ法定義務消滅ノ後ニ至ルモ債務者尚ホ良心ト公義トニ照シ自カラ義務ヲ負擔スル所アリト認ムルヲ得ルト同ジク其自然義務ニ因リ成就スヘキ行為自己ノ意思意外ノ原因ニ依リ不能為トナリタルトキモ亦尚ホ其對價ヲ拂フヘキモノト自認スルヲ得ヘシ
第七自然義務ハ鎖除訴權ニ依リ消滅スルコトナシ何トナレハ債務者ハ決シテ之ヲ履行スルノ言渡ヲ受クルモノニ非サレハナリ故ニ債務者自然義務ヲ負擔セスト信スルトキハ冝シク辨濟ヲ為サス履行ヲ為サスシテ止ムヘキノミ
右ノ場合タル債務者合式ノ行為ニ依リ其自然義務ヲ認メ又ハ之ヲ消滅セシムルカ為メ更改ヲ為シタル場合ト混淆ス可カラス此場合ニ於テハ債務者新合意ニ基ツキ法定義務ヲ負擔スルモノニシテ其合意ヲ取結フニ當リ無能力ナルカ又ハ承諾ニ瑕疵アリタルトキハ鎖除訴権ヲ行フヲ得ヘキヤ明ラカナリト雖モ其法定義務ノ鎖除訴権ハ決シテ自然義務ヲ消滅セシムルモノニ在ラス却テ之ヲシテ発生セシメ又ハ残存セシムルノ機會タルコトアルモノナリ
今ヤ自然義務ノ全体ヲ説明シ終リニ臨ミ須ラク一ノ注意ヲ喚起スルコトヲ要ス
夫レ法律ヲ以テ自然義務ノ原因ヲ指定シ義務ヲシテ消滅セシメタル所ノ事実以後ニ至リ尚ホ自然義務ノ存續スルコトヲ規定スルニ當リ立法者ノ注意如何ニ周到綿密ナルモ、諸般ノ場合ヲ網羅シテ遺ス所ナキコト能ハサルカ故ニ此點ニ付テハ裁判所ヲシテ充分ノ査定權ヲ有セシムルヲ必要トス素ヨリ裁判所ハ法律上自然義務ニ附スル所ノ效力ヲ伸縮増減スルコトヲ得スト雖モ確定セル各事件ニ於テ自然義務ノ存否ヲ判定スルニ至テハ一ニ裁判上ノ査定ニ任スルコトヲ得蓋シ自然義務ノ存否タル必竟債務者ノ意思ノ觧釋問題ニ属スルモノニシテ且債務者自然義務ヲ履行スト稱シ法律上贈與ヲ認許セサル場合又ハ之ヲ認許スルモ為メニ制限ヲ設ケタル場合ニ於テ贈與ヲ為シ又ハ其制限ニ因ラサルヲ陰蔽スルコトナシトセザルカ故ニ裁判所ハ須ラク是等ノ點ヲ審按スルコトヲ要ス
是ヲ以テ自然義務ノ事項ニ付テハ上告ヲ為スヲ得ヘキ塲合甚タ少カルヘシ何トナレバ自然義務ニ關スル訴訟ハ主トシテ意思ノ問題ニ属シ事実問題ニ属スルガ故ニ控訴裁判所ヲ以テ其終審ノ裁判所トス然レトモ裁判所自然義務ノ法律上ノ效力ヲ誤リ法律上其有セサル所ノ効力ヲ認メサルトキ例ヘハ債務者ノ拒絶ニ拘ハラス訴權若クハ相殺ノ申立ヲ認許シ或ハ其效力ヲ減縮シテ任意ニ辨濟シタル物ノ全部若クハ一分ノ取戻ヲ許シ或ハ債務ノ任意上ノ認諾更改保證其他法律ニ認定シタル效力ヲ認メサリシトキハ其判決ニ對シ上告スルコトヲ得
又裁判所ニテ法律ニ依リ又ハ事物自然ノ情況ニ因リ自然義務ノ成立ヲ認ム可カラサル場合ニ於テ却テ之ヲ認メ又ハ之ニ反シ法律事物ノ性質ノ決シテ自然義務ノ成立ヲ認ムルノ妨害トナラサル場合ニ於テ却テ其成立ヲ認メサリシトキハ又其判決ニ對シ上告スルヲ得ヘシ
以下本章ノ各條ノ説明ニ移ルヘシ其條項ハ自然義務ノ原因效力及ビ消滅ノコトヲ規定スルモノナリ
然レトモ以上其全体ヲ充分説明シタルカ故ニ逐條ノ説明ハ之ヲ簡約ニセン即チ以下十一條ニ於テハ以上論明シタル規定ノ過半ヲ掲クルモノナリ唯自然義務ノ消滅ノコトニ至テハ以下法文ニ之ヲ掲クルコトナキハ其全ク消滅スルコト決シテ確然タルコト非サレハナリ又以下ノ諸條ニ於テハ以上ノ説明ノ順序ヲ変轉シ先ツ自然義務ノ原因ヲ謂ハスシテ其效力ヲ掲ケタリ是自然義務ノ性質如何ハ最先ニ之ヲ掲クルコトヲ要スルモノニシテ最モ能ク之ヲ示スモノハ其效力ナレハナリ
第五百六十二條
自然義務ノ特別ノ性質ハ本條説明ノ冒頭ニ掲ケタル所ニシテ債權者訴追權ヲ有セサルニ在リ蓋シ自然義務ニ對シテ債權ヲ有スル者ハ裁判所ニ於テ行フヘキ訴權ヲ有セス且若シ之ヲシテ訴權ヲ有セシムヘキモノトセハ其債權ニ對スル義務ニ附スルニ特別ノ名稱ヲ以テスルニ及ハス通常法定ノ義務ニ属スヘキナリ加之債權者ハ其負擔スル所ノ法定ノ義務ト自己ニ對シ原告ノ負擔スル所ノ自然義務ト相殺スヘキコトヲ抗辯スルノ權利ヲモ有セサルナリ之ヲ要スルニ自然義務ノ強制執行ヲ旨トスル行為ハ総テ債權者ノ行フコト能ハサル所ナリ
夫レ斯ノ如ク權利ニシテ公示スルコト能ハサルモノアルハ一目竒異ナルカ如シト雖モ曩キニ説明シタル趣意ニ依テ之ヲ考フレハ輙ク之ヲ會得スルヲ得ヘシ蓋シ自然義務ハ債務者任意ニテ之ヲ履行シ又ハ之ヲ認諾セサル以上ハ公義ニ照スモ人定法ニ考フルモ共ニ成立セサルモノト推定セラルルモノナリ然ルニ一旦自然義務ノ履行アルヤ其履行ノ限度ニ應シ消滅シ隨テ黙示ニテ其成立ノ認諾アリタルモノトス又其明示ニテ認諾アリタルトキハ其認諾アリタル限度ニ應シ一変シテ法定義務トナリ債權者ヲシテ訴權及ビ抗辯ヲ得セシムルモノナリ
然レトモ或ハ曰フ者アラン法典中自然義務ニ關スル規定ヲ掲ケタル以上ハ是必ス裁判所ヲシテ自然義務ヲ保護セシムルカ為メナルヘシ然レトモ如何ナル場合ニ於テ裁判所ニ自然義務ノ成立ヲ認メ且其區域ヲ審按スヘキコトヲ求ムルヲ得ヘキカト此問ニ答フルコト甚タ容易ナリ任意ノ辨濟又ハ認諾ニ關シ爭論ノ起リタルトキハ即チ裁判所ノ干渉ヲ仰カサル可カラス例ヘハ債務者不當ニ辨濟シ又ハ原因ナクシテ義務ヲ認諾シタリト主張スルトキノ如キ即チ是ナリ
債權者毫モ自然義務ノ強制執行ノ方法ヲ有セサルハ自然義務ノ無的ノ効力ニ過キサルヲ以テ本條ハ之ヲ示シタル後更ニ債權者之ヲ履行スルノ權能アルコトヲ示シ其有的ノ效力ヲ掲ケ以テ自然義務ノ性質ヲ詳細ニ指定シタリ自然義務ヲ認諾シ之ヲ更改シ之ヲ擔保スルノ權能ニ至テハ本條ニ之ヲ掲ケサルモ是自然義務ヲ規定スル諸條ノ首メニ於テ其諸般ノ性質ト效力トヲ擧ケテ之ヲ掲クルノ必要アラサルカ故ナリ然レトモ本條ニ記載スルヲ必要トシタリシハ債務者ノ良心ニ委スルコト是ナリ是債務者ニ勸誘スルニ其良心ニ鑒ミ自然義務ヲ盡スヘキコトヲ以テスルカ為メノミナラス又裁判所ニ指示スルニ債務者果シテ自然義務ヲ負擔シタルモノト自信シタリシヤ否ヤヲ審按スルニハ道理ト公義トニ考フヘキコトヲ以テスルモノナリ
第五百六十三條
自然義務ノ任意辨濟アリタルトキ不當辨濟ノ取戻ヲ行フコト能ハサルハ即チ法律ヲ以テ自然義務ノ成立ヲ認メタル結果ノ著シキモノニシテ此效力ニ關シテハ既ニ詳細ノ説明ヲ為シタレハ茲ニ之ヲ贅セス
第二項ハ重要ナル問題ヲ断定スルニ債權者ノ利益ヲ計リタルモノナリ蓋シ債務者ニシテ不利益ナル地位ニ在リ特ニ保護ヲ受クルヲ要スルトキハ其自然義務ヲ履行スルノ意思アリタルコトヲ明白ニ陳述スルコトヲ要スト規定スヘキモ本論ノ塲合ニ於テハ債務者ノ意思却テ頗ル利益アルモノナリ何トナレハ債務者ハ其意思ニ任カセ隨意ノトキニ於ケルニ非サレハ辨濟ヲ為スニ及ハサレハナリ然レトモ其辨濟ノ有效ニ必要ナル一ノ條件タルモノアリ即チ其自然義務ヲ消滅スルノ意思ヲ有シタルコト即チ是ナリ然リ而シテ債務者自然義務ヲ消滅スルノ意思ヲ有スルハ先ツ其意思前義務アルコトヲ知リタルコトヲ要ス而シテ其之ヲ知ルヲ得ルハ自然義務ノ真ニ存立シタル時ニ限ル可シ
茲ニ於テカ証據ニ關シ三箇ノ断定ヲ要スル問題アリ第一自然義務果シテ成立スルヤ債務者之ヲ知リタルヤ又債務者之ヲ辨濟スルノ意思ヲ有シタルヤノ點是ナリ第一問ハ法律問題ニシテ其論決ハ第五百六十五條乃至第五百七十條ニ詳カナリ後ノ二問題ハ事實問題ニシテ事實ノ情況ニ従ヒ断定スヘキモノナリ
然レトモ眞ニ断定スルノ難キハ此三箇ノ証據ヲ擧クルノ任何人ニ在ルヤノ問題ニシテ辨濟シタルモノ之ヲ取戻サント欲スルニ於テハ自然義務スラ尚ホ負擔スル所ナキコトヲ称シ又ハ自然義務アルトキハ之ヲ知ラサリシコトヲ称シ或ハ之ヲ知リシモ之ヲ辨濟スルノ意思アラサリシコトヲ証明スルコトヲ要スルカ
証據ニ關スル一般ノ理論ハ特ニ証據編ヲ設ケ之ヲ規定スト雖モ亦二三ノ理論ヲ完整シ且証據編ニ至リ再ヒ其理論ヲ掲クルノ煩ヲ避クルカ為メ或ル場合ニ於テハ特ニ証據ニ關スル問題ヲ規定スルヲ要ス是本條ニ此點ニ關スル規定ヲ設ケタル所以ナリ
凡ソ挙証ノ任ハ原告ニ在リ故ニ原告ニシテ充分ノ証據ヲ提出セサルトキハ敗訴スルノ外ナキナリ此原則タル公義道理ニ基ツキタル通則ナルカ故ニ自然義務ニ關シテモ亦之ヲ変スルノ理由アラサルナリ且實際ニ照ラシ之ヲ考フルニ辨濟ヲ為シタル者ハ自己ノ義務ヲ免カレントスルカ為メ辨濟スルノ意アリタルモノニシテ辨濟名義ヲ以テ供與ヲ為シタル者ハ眞ニ債務タリト推定セサル可カラス
但茲ニ普通ノ原則ヲ適用スルニ對シ起ルヘキ非難ハ原告ヲシテ無的ヲ証明セシムルモノナルカ故ニ其事甚タ難シト云フニ在リ然レトモ無的ノ証據ハ之ヲ擧クル難キニ依リ又従テ裁判官ハ大ニ事實ノ情況ヲ斟酌スルノ權力ヲ有スル者ナリ蓋シ取戻ノ原告ハ豫メ其証明スヘキ無的ノ書証ヲ取リ置クコト能ハサルカ故ニ事實上輕易ノ推定ヲ為シ以テ其辨濟ノ不當ナルコトヲ認ムルコトヲ得ヘシ故ニ取戻ノ被告即チ辨濟ヲ領受シタルモノ自ラ自然債務ノ成立シタルコト債務者ノ之ヲ知了シタルコト并ニ其意思之ヲ辨濟スルニ在リタルコトヲ証明スルカ為メ力ヲ盡ササルトキハ遂ニ裁判官原告ノ無的ノ証據ヲ容レ之ニ對シ不當辨濟ノ返還ヲ命スルノ危険ヲ被ル可シ
第五百六十四條
債務者自然義務ヲ負擔スルコトヲ知リ且之ヲ辨濟スルノ意思ヲ有スルモ現ニ其辨濟ヲ為スノ手段ヲ要セサルコト有ル可シ然ルニ自然義務ヲ顯表スルハ必ス實際ノ履行ニ依ルノ外ナキモノトシ明白ナル行為ヲ以テ之ヲ認諾スルモ其效力ヲ生セサルトキハ債権者ノ為メ甚タ不利益ナリ故ニ本條ハ自然義務ノ認諾有效ナルコトヲ定メタリ此塲合ニ於テハ概ネ債務者其認ムル所ノ債務ノ自然ノ原因ヲ指示ス可シ何トナレハ債務者ノ意思ハ辨濟ノ手段ヲ得ルニ至ルマテ法定義務ヲ負擔セントスルニ在ルモノナレハナリ然レトモ其認諾ノ證書ニ原因ヲ明示セサルモ尚ホ本編第三百二十六條ニ従ヒ原因アルモノト推定ス可シ
更改ハ一ノ義務ヲ消滅セシムルニ依リ更ニ他ノ義務ヲ発生セシムルモノニ過キスト雖トモ亦其消滅セシムル義務発生セシムル所ノ義務ニ比シ效力ノ同一ナルコトヲ生セス之ニ反シ稍少キモ更改ヲ妨ケ既ニ第四百九十四條ニ於テ新債務ノ創設ノ原因タルヘキ舊債務自然義務ニ過キサルモ其更改有效ナルコトヲ定メタリ本條ハ廣ク此趣意ヲ定メタルニ外ナラス
第二項ハ重要ナル法則ヲ定ムルモノニシテ自然義務ノ認諾之ヲ目的トスル更改若クハ擔保ハ自然義務ヲ変性シ之ヲシテ法定ノ義務タラシムルモノトス然レトモ自然義務ノ效力認諾更改又ハ担保ノ為メニ増加スルハ認諾又ハ更改等ノ行ハレタル程度ニ限ルモノトス之鎖除スルコトヲ得ヘキ法定義務ノ認諾トノ間ニ存スル大差異ニシテ曩キニ畧説シタル所ノモノナリ即チ鎖除スルコトヲ得ベキ法定義務ノ認諾ヲ為シ特ニ其制限ヲ定メス權利ノ留保ヲ為ササルトキハ其義務ノ全部ニ付キ認諾アリタルモノトスト雖モ自然義務ニ至テハ特ニ指示シタル部分ニ限リ法定義務ニ変スルモ亦鎖除スルコトヲ得ヘキ法定義務ノ保証若クハ物上擔保ハ明言スルコトヲ竢タスシテ其全部ヲ認諾スルモノナリト雖モ自然義務ノ対人若クハ物上擔保ハ保証証書ニ定メタル訴權又ハ質若クハ抵當物トシテ附與シタル物ノ價額ニ限リ法定義務ノ效力ヲ之ニ附スルニ過キス此差異アル所以ハ鎖除スルコトヲ得ヘキ法定義務ハ初メヨリ定マリタル範圍ヲ有スルモ自然義務ノ範圍ニ至テハ債務者ノ意思ノ発表即チ認諾若クハ辨濟ニ依リ始メテ顯然タルニ至ルモノナルカ故ナリ
第五百六十五條
第五百六十五條及以下第五百七十條ニ至ル諸條ハ自然義務ノ效力ニ關スルモノニ在ラス其原因ニ關スルモノナリ自然義務ノ效力ニ關スル理論ハ既ニ充分ニ疎明シタルヲ以テ茲ニ詳説スルノ煩ヲ須ヒス
本條第一項ハ契約ノ成立セスシテ法定義務ヲ生セサル三箇ノ塲合ヲ想像スルモノナリ然レトモ其特ニ規定スル場合ニ於テ法定義務ノ発生ニ對シ妨害アルハ自然法ノ道理ニ基ツクモノニ在ラス人定法ノ理由ニ出テタルモノナリ是ヲ以テ債務者法律ノ為メニ受クル所ノ保護ヲ利用スルヲ正シカラスト認メ之ヲ利用セサル以上ハ自然ノ道理ノ力ヲシテ勝ラシムル可シ例ヘハ必要ナル公式ノ欠缺ノ為メ合意ノ無效ナル場合ニ於テ債務者自ラ其合意ヲ有效ナリト認メタルトキハ其合意ヲシテ有效ナラシムヘキヤ当然ナリ唯公式ノ欠缺ノ為メ法定義務ノ発生セサル塲合ニ於テ債務自然義務ヲ認諾スルヲ法律ニ禁スル塲合ハ贈與ノ公式欠缺ノ為メ無効ナル塲合ナリ(第二項)
蓋シ贈與ヲ為スニ当リ之ニ必要ナル方式ヲ遵守セサリシモ尚ホ贈與者其贈與ノ履行ヲ為スヘキ自然義務アリト自認スルヲ得ヘキモノトスルトキハ贈與者ハ法律ノ特ニ公式ヲ設ケ以テ豫防セント欲シタル欺瞞 ニ係ル危害ヲ免レス加之贈與ヲ履行スルヲ以テ名誉ヲ全フスルモノナリト誤解シ毫モ軟弱ノ為メ他人ノ瞞着ノ為メ之ヲ為シタルニ非サルヲ証スルカ為メ故ラニ贈與ヲ履行スルニ至ルコトアルヘシ
然レトモ贈與者ノ一般ノ承継人其贈與ヲ履行シ又ハ認諾スルニ至テハ毫モ之ヲ禁止スヘキノ理由アラス其承継人ニ対シテハ贈與者ニ対スルト同一ノ計策行ハル可カラス承継人ハ其前主ノ意思ヲ尊重スルノ趣意ニ出ツルモ決シテ徒ラニ名声ヲ重スルカ為メ贈與ヲ履行スルカ如キコト非サルナリ
第三項ハ公式欠缺ノ為メ無效ナル遺言ヲ以テ同一ノ原因ニ因リ無効ナル贈與ト同一ノ規定ニ従フヘキモノトセリ
蓋シ遺言モ亦自由ト眞正トノ擔保タルヘキ或ル保護的ノ方式ニ従フヲ要スルモノニシテ其方式ヲ遵守セサリシトキハ又贈與ニ關スルト同一ノ問題即チ承継人ハ其前主ノ意思ヲ履行スルノ自然義務アルヤ否ヤノ問題生スヘシ素ヨリ遺言ハ遺言者ノ死去ノトキ初メテ效力ヲ生スルモノナルカ故ニ遺言者ニ於テ自然義務アルヤ否ヤノ問題起ラスト雖モ相續人ニ付テハ此問題ノ起ルコトアリ而シテ本條ハ贈與者ノ相續人ニ對スルト同一ノ規定ヲ設ケ遺言者ノ相續人モ亦自然義務ヲ負擔スト自認スルコトヲ得ルモノト定メタリ
此事ニ付テハ遺言ノ章ニ至ルモ別ニ規定ヲ要スルモノナシ
第五百六十六條
本條ニ規定スル場合ニ於テ法定義務発生スルコト能ハサルトキハ人定法ニ依ルモ亦自然法ニ依ルモ等シク自然義務ノ成立ヲ妨クルモノナリ蓋シ原因ナケレハ結果アルコト能ハサルハ自然ノ理ナリ今原因ナキ債務ノ最モ單簡ナルモノヲ挙クレハ賭博ヨリ生シタル債務ナリトス然ルニ其債務ノ原因ハ不當ニシテ法律ノ見ル所ニ依レハ債務成立セス自然ノ道理ニ依ルモ公義ニ照ラスモ決シテ之ヲ以テ自然義務ノ原因ト認ムルコト能ハス而シテ斯ノ如キ債務ニ基ツキ辨濟シタル所ノ物ノ取戻ヲ許ササルハ簡單ナル理由ニ基ツクモノナリ即チ賭博ニ原因スル辨濟取戻ノ訴權ハ其弁済要求訴權ニ於ケルト同シク破廉恥ノ原因アルモノナリ故ニ之ヲ行フコトヲ許サス
此他総テ原因不法ナル場合ニ於テハ其結果右ニ述フル所ト全ク同一ナリ
夫然リ原因不法ナル場合ニ於テ法定義務ノ成立ヲ妨害スルハ公ケノ秩序ニ基ツクモノナルカ故ニ自然義務ノ成立ニ至ルモ亦同一ノ理由ニ依リ妨害アルモノト謂ハサル可カラス蓋シ金銭ヲ貸與シ法律上ノ利息制限ヲ越ヘタル利息ヲ約シタルモノハ自然義務スラ尚ホ之ヲ負擔スルモノニ在ラス縦令之ヲ弁済スルモ尚ホ之ヲ取戻スコトヲ得ヘシ此場合ニ於テハ破廉恥ノ原因アラサルカ故ニ取戻訴權ヲ妨害スルコトナシ唯債務者ヲ保護シ縦令其廉潔ニシテ其約シタル利息ヲ弁済スルモ尚ホ法律ヲ以テ之ヲ保護スルハ公ケノ秩序ヲ維持スルニ必要ナリ
第五百六十七條
他人ノ所為ノ諾約ヲ無效トスルハ合意ノ目的諾約者ニ處分權ヲ有セサルモノニシテ之カ為ニハ不能ノ作為ナルカ故ナリ又他人ノ利益ノ為ニ(要約者以外ノ者ノ為ニ)要約ヲ無效トスルハ要約者ノ為メ利益ナク隨ツテ原因ナキニ基ツクモノナリ(本編第三百二十二條ヲ参觀スヘシ)然レトモ他人ノ所為ノ諾約及ヒ他人ノ利益ニ於ケル要約ノ無效ナルハ殊ニ人定法ノ理由ニ基ツクモノニシテ自然法ニ照ラシ之ヲ考フルトキハ其合意ヲシテ多少ノ效力ヲ生セシムルモ未タ必スシモ不可ナリト謂フ可カラス蓋シ斯ノ如キ合意ニ於テハ意思ノ關スル所頗ル廣大ニシテ當事者特ニ或ル約款ヲ設クルトキハ之カ為メ法律ノ禁制ヲ適用ス可カラサルコトアリ是ニ由テ之ヲ觀レハ當事者特ニ約款ヲ定メサリシニ依リ法定義務ヲシテ成立セシムルコト能ハサリシコトモ他人ノ所為ヲ諾約シ又ハ他人ノ為ニ自己ノ所為ヲ諾約シタル債務者ハ其所為若クハ第三者ノ不履行若クハ第三者ニ對スル自己ノ不履行ニ依リ生シタル損害ノ賠償ヲ為スヘキ自然義務ヲ負擔スルモノナリト自認スルコトヲ得ルヤ瞭然ナリ
第五百六十八條
以上ノ諸條ニ於テハ法定義務ノ第一ノ原因タル合意ニ關シ自然義務ノ原素ヲ考察シタルモノナリ本條ハ他ノ三箇ノ原因即チ不當ノ利得不正ノ損害及ヒ法律ニ關シ自然義務ノ原素ヲ觀察スルモノナリ
先ツ不當ノ利得及ヒ不正ノ損害ニ付テ之ヲ説カンニ利得若クハ損害ノ有無及ヒ高不分明ニシテ債務者ニ對シ裁判所ニ其償還ヲ要ムルヲ得サルトキト雖モ債務者ハ又自ラ公義上義務ヲ負擔スルモノニシテ自然義務ヲ弁濟シ若クハ認諾スヘシト称スルコトヲ得ヘキヤ明カナリ其適例ニ至テハ嘗テ之ヲ示シタルヲ以テ茲ニ之ヲ贅セス
法律ニ依リ法定義務ヲ生スル場合ハ甚タ少ナシ然レトモ其法定義務ノ存セサル場合ニ於テ自然義務ノ存スルコト少ナシトセス就中親族間ニ養料ヲ給スル義務ノコトニ關シテハ其法定義務タラサルモ尚ホ自然義務タル場合往々是アリ
右三箇ノ原因ニ基ツキ債務者法律上義務ヲ負ハサルモ亦自ラ處ルコト嚴格ニシテ弁済ヲ為スヲ得ト雖モ債權者モ亦法定義務ニ依遵シ右三箇ノ原因ノ一ニ基ツキ有效ニ領受シタル物ヲ保存スルヲ潔シトセス之ヲ返還スルコトヲ得故ニ其弁済ノ返還ハ贈與ノ性質ヲ有スルニ在ラス又不當弁済ノ性質ヲ有スルモノニ在ラス更ラニ其復旧ヲ望ムコト能ハサルモノナリ
第五百六十九條
以上義務ノ原因薄弱ニシテ到底義務ヲシテ発生セシムルニ足ラサルモ尚ホ自然義務ヲシテ発生セシムルヲ得ル場合ヲ規定シタリ以下義務ノ法律上一旦消滅スルモ尚ホ自然義務ノ残存スル場合ヲ規定ス
法定義務消滅ノ法律上ノ諸原因ハ曩キニ之ヲ畧説シタリ而シテ其原因中自然義務ノ存續ヲ妨クルモノハ僅カニ混同ノ外アラサルコトヲ述ヘタリ本條ハ此事ニ關シ説明シタル所ヲ示スモノニシテ之ヲ二項ニ約言シタリ第一項ハ鎖除廃罷及ヒ解除ノ三訴原ニ因リ義務消滅シタル後尚ホ自然義務ノ存立スルコトヲ得ル旨ヲ記載シ第二項ハ其他ノ消滅方法ニ依リテ義務消滅シタル後尚ホ法定義務ノ存立スルコトアル旨ヲ掲クルモノナリ
第五百七十條
本條ノ規定スル所ノ時日ハ義務消滅ノ特別ノ原因ニ在ラスシテ法律上ノ消滅方法ノ一ニ依リ消滅アリタルコトノ法律上ノ証據即チ推定ニ過キス詳ニ之ヲ言ヘハ時效ハ時日ノ経過及ヒ法律上ノ條件タル他ノ事情ニ基ツキタル義務免除ノ推定即チ弁済ノ推定ナリ又既判力ハ裁判官ノ明察ト公平トニ基ツキ裁判所ニテ認定シタル所ノコトヲ眞實ナリトスルノ推定ナリ此二箇ノ推定ハ専ラ公益ヲ旨トシテ設ケタルモノナリ然レトモ其推定ノ利益ヲ受クヘキモノヲシテ尚ホ之ヲ抛棄スルコトヲ得サラシムルカ如キ絶對的ノ效力ヲ有スルモノニ在ラス何トナレハ其推定ノ抛棄ハ一旦決定シタル所ノコトヲ再ヒ論爭スルノ機會ヲ生スルモノニ非サレハナリ
實ニ裁判所ノ訴訟ヲ審按スルニ當リ如何ニ綿密ナル注意ヲ用ユルモ裁判官亦固ト人ナリ如何ソ其錯誤ナキヲ得ンヤ殊ニ訴訟人ノ一方詭辯ニ長シ計策ニ巧ミニシテ他ノ一方訴訟ニ拙劣ナルトキハ裁判官之カ為ニ誤テルコト少シトセス是ヲ以テ一旦原告若クハ被告ト為ツテ訴訟ニ勝ツモ後其不良ヲ悔ヒ訴訟ノ為メニ自己ノ得タル所ノ物又ハ弁済スルノ責ヲ免カレタル物ヲ返還シ以テ其良心ヲ安ンセント欲スル者ナシトセス此場合ニ於テハ如何ニソ自然義務ヲ認メ任意ノ弁済アリタルトキハ取戻ヲ禁シ又認諾アリタルトキハ弁済ヲ要求スル法定訴權ヲ許シ以テ其制裁ト為スニ躊躇スヘケンヤ
右ニ述フル所ノ理由ハ時效ヲ申立テ且其利益ヲ得タル債務者更ラニ弁済ヲ為シタル場合ニ適用スルモノナリ抑モ時效ハ眞ニ債務ヲ弁済シ其弁済ノ証據ヲ失フタル債務者ヲ保護スルヲ旨トスルモノナレトモ亦或ハ實際債權者ノ訴追スルヲ怠リタル者ヲシテ偶々其義務ヲ免カルルノ僥倖ヲ得セシムルコト有ルヘシ是ヲ以テ一旦時效ノ利益ヲ得タルモ後ニ至リ債務者其義務ヲ免カレタル所以不正ナルヲ悔ヒ其良心ニ恥テ弁済ヲ為シ又ハ後日弁済スルカ為メ法定義務ヲ負擔スルコトヲ認諾セントセハ決シテ之ヲ禁スルノ理由アラサルナリ
右二箇ノ自然義務存立スル塲合ハ諸般ノ場合中恐クハ疑議最モ少ナキモノナル可シ
本條ハ取得時效ト免責時效トニ付キ同一ノ規定ヲ設ケタリ蓋シ時效モ亦既判力ト同シク人權ニ關スルノミナラス又物權ニ關スルモ不正ノ利益ヲ得セシムルコト無シトセサルヲ示スヲ以テ可ナリト認メタルカ故ナリ故ニ取得時效ヲ申立テ以テ其嘗テ正當ニ取得セサリシ財産ヲ保有シタル者モ尚ホ之ヲ返還スヘキノ自然義務ヲ自認スルヲ得ヘキコト恰モ時效ニ依リ法定義務ヲ免除シタル者尚ホ自然義務ヲ負擔スト自認スルヲ得ルカ如シ
第二項ノ自然義務アルコトヲ認メタル場合ハ當事者取得若クハ免除ノ他ノ法定上ノ証據アルモ之ヲ利用スルコトヲ屑シトセス法律ノ之ヲシテ保存スルヲ得セシムルヲ変換シ又ハ法律若クハ他ノ當事者ニ於テ義務免除アリタリト認ムルニ拘ハラス自ラ義務ヲ負擔スルコトヲ自認シタル場合ナリ
然レトモ曩キニ論明シタル如ク此場合ニ於テハ決シテ自然義務ノ新原因アルモノニ在ラス其存立スルコトハ必ス従来存シタル原因ノ一ニ依リ自然義務ノ存立スルノミ曩キニ此事ヲ論明スルニ當テハ權利ノ原因ニ關シ適例ヲ設ケタリシカ本條ニ於テハ取得若クハ免除ノ証據ニ付キ冝シク其適例ヲ求ムヘシ例ヘハ債權者貸借若クハ賣買ノ適法ノ鎖除ニ基キ金銭ヲ受取リタルトキハ固ヨリ毫モ其金銭ヲ返還スルニ及ハサルモノナレトモ亦其自ラ全部若クハ一分ヲ任意ニテ返還スルコトヲ得又之ニ反シ債務者其到底義務ノ全部ノ弁濟ヲ為シ證書ニ記載スル金銭ヲ支拂フタル後尚ホ其弁濟ヲ尽盡サス自然義務ヲ負擔スト自信シ之ヲ弁濟シ又ハ之ヲ認諾スルヲ得ヘシ
第五百七十一條
本條ハ債權ノ譲渡ニ關シ頗ル困難ナル問題ヲ断定スルモノナリ然レトモ其問題タル恐クハ實際ニ適切ナラス僅カニ理論上ノモノナルカ故ニ未タ嘗テ此問題ヲ起シタルモノ有ラスト雖モ茲ニ此事ヲ規定スルヲ必要ト認メタリ
夫自然義務ハ又他人ノ權利ト對等スルカ故ニ純然タル道徳上ノ義務ト異ナル債務者アルヤ必ズ之ニ對スル債權者アルカ故ニ自然義務アルトキハ又之ニ對等スル自然債權アラサル可カラス素ヨリ其債權者ハ裁判所ニ訴權ヲ行フコト能ハスト雖モ亦其債務者ヲ鼓舞シ其良心ニ照ラシ弁済スルニ至ラシムルヲ得(上第五百六十七條ヲ参觀スヘシ)是ヲ以テ其債權者ハ債務者ヨリ任意ニテ交付シタル財産ヲ領受シ之ヲ保存スルヲ得ルモノナリ故ニ其債權ハ法定ノ債權ト同シク其資産ノ一分ヲ為スモノニシテ唯其性質ノ稍々薄弱ナルニ過キサルカ如シ隨ツテ有償若クハ無償ニテ之ヲ譲渡シ通常ノ法定債權ノ譲渡ト同一ノ效力ヲ生スヘキカ如シ
固ヨリ斯ノ如キ譲渡ハ實際行ハルルコト極メテ稀レナル可シ蓋シ之ヲ以テ贈與ヲ為サンカ贈與者ハ殆ント有名無實ノ出捐ヲ為シ虚存ノ權利ヲ附與スルニ過キサルヲ以テ其贈與殆ント徒贅ナリト謂ハサル可カラス又之ヲ以テ賣買ト為サンカ債務者ハ其現債權者ニ對シ或ハ弁済ヲ為スコトアル可キモ知ラサル人ニ対シテハ弁済ヲ怠ルヲ恥サルコト有ルヘキカ故ニ實際取得者タラント欲スル者アラサルヘシ然リト雖モ自然義務ヲ負擔スル者債權者ニ対シテハ其義務ヲ履行セサルモ第三者ニ対シテハ之ヲ愛顧シ又ハ尊重スルヨリ任意ノ履行ヲ為スヘキトキハ債權者其權利ヲ第三者ニ譲渡スコトアルヘシ此場合ニ於テハ自然債權譲渡ノ實益アリ
夫然リ斯ノ如キ場合ニ於テハ自然債權ノ譲渡ノ實効ヲ奏スルヲ得ヘキモ本法ハ之ヲ認許セス其譲渡ハ法定ノ譲渡ノ效力アラサルモノトセリ但シ其特ニ示シタル場合ハ此限ニ在ラストス然レトモ其譲渡ハ更ラニ自然義務ヲ発生セシムルノ原因トナルヲ得ヘキモノナリ
以下自然債權ノ譲渡ノ禁止ト其例外則トヲ説明セン
夫レ自然義務ナルモノハ其性質ニ付キ説明シタル所ニ依テ之ヲ見レハ其任意ノ履行認諾若クハ之ニ代ハル效力アルモノ(更改擔保等)アルニ至ルマテ顯表セス法律ノ見ル所ニ據レハ自然義務トシテスラ尚ホ成立セサルモノナリ故ニ自然義務ハ未タ條件附ノ義務タルモノニ非サルナリ何トナレハ此義務ニ於ケルカ如ク債務者ノ方ニ在テ隨意ナル條件アルトキハ債權者毫モ權利ヲ有セスト謂ハサル可カラサレハナリ夫然リ所謂自然債權ノ譲渡ハ法律ノ見ル所ニ據レハ未タ債權タラサルニ因リ之ヲ禁スルモノナリ此論決タル自然義務アレハ必ス之ニ對スル他人ノ權利アリト説キタル所ト相背馳スルモノニ非ラス即チ自然義務ノ履行若クハ認諾アルトキハ必ス其債務ハ他人ノ權利ニ對等スヘク又嘗テ之ニ對等シタルモノト看做サルルモノナリ然レトモ其認諾若クハ履行アルニ至ルマテハ自然債務モ無ク又自然債權モ無キヲ推定トス是ヲ以テ其履行以前ニアリテハ毫モ譲渡スヘキモノアルコトナシ何トナレハ自然債務未タ法律上成立セサレハナリ又履行ノ後ニ至ルモ等シク譲渡スヘキモノ非ラス何トナレハ其履行ニ依リ債務直ニ消滅スレハナリ然リト雖モ弁済アルニ非ス債務者ノ認諾更改若クハ擔保アルトキハ之ニ依リテ債權法定ノ債權トナルカ故ニ其譲渡ヲ為スヲ得ヘシ
縦令或ル論者ノ如ク右ノ理由ニ拘ハラス弁済前若クハ認諾前ト雖モ尚ホ自然債權成立スト假定スルモ亦其譲渡ヲ為スコト能ハスト謂フヘシ何トナレハ其譲渡ハ充分確定ノ目的ヲ有セス隨テ法定ノ合意ニ必要ナル條件ヲ具備セサレハナリ(本編第三百四條第二号ヲ參觀スヘシ)
然レトモ法文ニモ亦理由書中ニモ法定ノ譲渡詳カニ之ヲ謂ヘハ法律上譲受人ヲシテ譲渡人ノ意思ニ代ハリ任意ノ弁済若クハ認諾ヲ領受スルヲ得セシムル所ノ譲渡ノコトヲ禁スルノミ法律ノ禁止シ制裁ヲ加ハヘサルモノハ此譲渡ノミ故ニ自然債權ノ法定ノ譲渡アリタルトキハ譲渡人ハ依然債務者ヨリ任意ノ弁済ヲ領受シ又其認諾ノ利益ヲ得ルノ權利ヲ續有スルモノナリ
然レトモ其譲渡ニ依リ更ラニ譲受人ノ自然義務ヲ生シ譲渡人債務者ヨリ任意ノ弁済若クハ認諾ヲ受ケタル後更ラニ任意ニ其利益ヲ譲受人ニ移轉スルハ毫モ法律ノ禁スル所ニ非ス是曩キニ説明シタル所ノ原則即チ充分確定セル目的ナキニ因リ法定上無效ナル合意モ自然義務ヲ発生シテ其自然義務又任意ノ弁済更改擔保等ノ行為ノ一ニ依リ発見スヘキノ原則ノ適用ナリ
本條ハ自然債權ノ法定ノ譲渡ヲ為スノ禁止ニ大ナル例外則ヲ設ケタリ即チ破産者恊諧契約ヲ為スコトヲ得債權者之ヲシテ再ヒ産業ニ就カシムルカ為メ其債權ノ一分ヲ免除シタル場合即チ是ナリ
此塲合ニ於テハ債權者ハ自然債權ヲ有スルモノナリ何トナレハ債務者ハ其債務ノ元本及ヒ利息ヲ皆済シ且恊諧契約ニ依リ免除ヲ受ケタル部分ヲ合セテ償還スルニ非サレハ復權スルコトヲ得サレハナリ
此自然債權ハ特殊ノ性質ヲ有スルヤ明カニシテ其弁済以前ニ在ツテモ尚ホ法律ノ認定スル所ノモノナリ而シテ其數額モ亦固ヨリ明瞭ナルカ故ニ曩キニ述ヘタル自然債權譲渡ニ対スル非難毫モ之ニ適スルコトナシ是ヲ以テ債權者ノ譲渡ハ法定上效力ヲ有スルモノニシテ譲受人ハ獨リ債務者物権ヲ得ルカ為メ為ス所ノ任意上ノ弁済ヲ領受スルノ權利ヲ有スルモノナリ
第五百七十二條
仲裁契約ノコトニ付テハ曩キニ述ヘタル所ノ外自然義務ニ關シ未タ説明シタル所ナシ凡ソ諸國ノ法制ヲ案スルニ概ネ人民其訴訟ノ判決ヲ其特定セル人ニ委任シ裁判所ニ出訴セス以テ費用ノ増加ト時日ノ遷延等ヲ避ケ或ハ其特ニ秘スル所ノ理由ニ出テ仲裁ヲ託スルコトヲ認メタリ斯ノ如ク當事者相互ニ約束シ第三者ノ仲裁ヲ求メンコトヲ約スルノ合意ハ如何ナル爭訟事件ニモ適用スルヲ得ヘキモノナリ唯當事者和解スルコトヲ得ル場合ニ有ルヲ要ス故ニ無能力者ニ關シ及ヒ身分ニ關スル問題其他総テ公ケノ秩序ニ關係スル爭訟ニ至テハ之ヲ仲裁人ノ決定ニ委ヌルコトヲ得ス自然義務ニ關シ仲裁人ノ決定ヲ求ムルハ二箇ノ塲合ニ於テスルモノナリ而シテ其塲合タル大ニ相異ナルモノニシテ其一ハ通常仲裁契約ヲ為ス塲合ニ似タルモノニシテ他ノ一ハ全ク自然義務ニ固有ナルモノナリ是特ニ本條ヲ設ケタル所以ナリ
第一弁済アリタルニ債務者之ヲ以テ不當ナリトシ其取戻ヲ請求シ又ハ債務ノ認諾更改若クハ擔保アリタルニ債務者訴權ヲ受ルニ當リ其義務ノ原因ナク加之自然義務モ尚ホ存セサルコトヲ唱フルコトアリ然レトモ又弁済若クハ認諾等アリタル塲合ニ於テハ又自然義務或ハ存スルコトアル可キモ自己之ヲ知ラス又ハ其弁済若クハ認諾ノ行為任意ニ非サルコトヲ主張スルコトヲ得此塲合ニ於テ仲裁人ニ決定ヲ求ムルハ恰モ事実上及ヒ法律上通常ノ裁判所ニ判決ヲ求ムルト同一ニシテ其論點自然義務タルモ敢テ之カ為メニ仲裁人ノ通常ノ權限ヲ変更増減スルモノニ非ス其權限ハ総テ仲裁契約ヲ以テ定メ又ハ訴訟法ニ定メタル所ニ依ルヘシ
第二弁済其他認諾更改等ノ行為アラサルモ債權者債務者ニ其自己ニ對シ自然義務ヲ負擔スルコトヲ告ケ債務者全ク之ヲ否認セス或ハ然ルコトアラント謂フモ未タ直チニ之ヲ認諾セズ而シテ其善意ヲ証スルカ為ニ其決定ヲ仲裁人ニ委ネント求ムルコトアリ此塲合ニ於テハ債權者モ亦第三者ノ仲裁決定ヲ拒絶スルノ理アラサルヘシ蓋シ仲裁人ハ毫モ利害ノ關係ナク且学識経歴ニ富ミタル人ニ就テ之ヲ選任スルカ故ニ條理公義ニ關スル問題ヲ決定スルニ最モ適當ナリト謂ハサル可カラス
若シ其仲裁人ノ決定ニシテ自然義務アリト認定シタルトキハ其決定ハ法文ニ在ル如ク「法定ノ義務ヲ生ス」ルモノナリ何トナレハ仲裁ノ決定ヲ求ムルハ則チ一ノ和觧ヲ為シタルモノナレハナリ
財産編第二部終